Wolf Eyes の名前を初めて知ったのは今からもう15年くらい前で、L.A.F.M.S. の木製BOXに彼らの楽曲が収録されていたからだ、とずっと思っていましたが、調べてみるとWolf Eyes の名前はどこにも見当たらず、きっとずっと Solid Eye のことを勘違いして記憶してしまっていたようで、ではいつからだといくら考えても暗中模索、Wolf Eyes に関する記憶はもやもやとした霧の中で、その音楽を聴いたことがあるのかさえ心もとない私に、そんなこととはつゆとも知らないであろう編集者の方から『ele-king』誌でReviewを始めるに当たって「Wolf Eyes の新作などどうでしょう?」と提案されて快諾、晴れて Wolf Eyes の新作をじっくり聴くことができたわけですが、なんと言ってもやはりその名前のかっこよさだけで私の心の片隅にいつの間にか鎮座し続けている Wolf Eyes という名前をかっこいいと思う感覚がどれほど一般的な感覚なのかと問われれば、これもまた心もとないけれども、例えば Boredoms という固有名詞を聞くとどこか心がウキウキする、そういう育ちの方とは共有できる感覚なのではないかと思う次第なのですが、そろそろ名前の話はこの辺りでおしまいにして、1曲目は“Undertow”。1音目が鳴った瞬間に Rashad Becker の作品を想起する。レコードのプレスは Rashad の職場でもあるドイツの〈Dubplates & Mastering〉。6拍子BPM96辺りで寄せては返す波のように揺らぎ続ける基本構造の上を、その波に寄り添うように、そしてときにフリーキーにディストーション・ギターやホーン、笛などが絡み合い、かすかに Lou Reed を思わせる陰鬱な声がポエトリー・リーディングのようにLOWに呟き続ける。2曲目はかすかな笑い声で始まる“Laughing Tides”。ドヨーンと鳴るLOWの上を甲高いホーンが響き渡り、こちょこちょした音が気持ちいい小品。ドン、という気持ち良いバスドラムの音が3曲目の“Texas”にてやっと登場。上音はますますフリークアウト、しつつも全体的な雰囲気は依然としてドヨーンとしたままであるが、最後の一瞬はち切れんばかりに膨張するディストーションの音が最高に気持ち良く、そのあとに響き渡る残響音は Emptyset のそれと同質のものだ。ミュジーク・コンクレートのような高音がかまいたちのようにBPM140 4拍の頭を刻み続ける4曲目の“Empty Island”は、間延びしたベースラインのせいなのか、どことなく漂い続ける虚無感を、埋める気があるのかないのか判然としないギター・ソロと、とりとめなくあっちこっちに散らばる音たちが最後まで空っぽな島を演出し続ける熟練の成せる演奏。そしてB面を埋め尽くす13分を超えるラスト・トラック、その名も“Thirteen”。そういえば Blur にも『13』というアルバムがありましたが、真の意味でblurな Wolf Eyes の不明瞭な音にまみれた“Thirteen”はますますスロウダウン、ますますとりとめなく進行するかに見えてやおらフリーキーなホーンがヒートアップ、ディストーション・ギターがLOWをかき鳴らし始めると同時にハイハットが刻まれ始め、このアルバム中随一の轟音ZONEに突入。そして緩やかにクールダウンしていき、アルバム『Undertow』はその幕を閉じる。全体を通して感じるのは Rashad Becker 作品との類似性。ちょうど Hecker の『Sun Pandämonium』をDJでよくかけていたときに Rashad 本人に会う機会があったので、あれもカッティングしている彼に「あなたのコンポジションに Hecker は影響を与えていますか?」と尋ねたところ、それはないとのことでした。膨大な作品をマスタリングしている彼の脳内には常人離れした音像が渦巻いているのかもしれませんが、今度会ったら Wolf Eyes は好きですか? と訊いてみようと思います。話を戻しましょう。不思議なのはこの『Undertow』を聴き終えた後に残る感覚が、Emptyset の『Borders』を聴き終えたときのそれと似通っていることです。Wolf Eyes と Emptyset の音の感触に類似性を感じるのは、私だけ? Emptyset の酩酊versionとしての Wolf Eyes、いや、当然先輩の Wolf Eyes の覚醒versionをやろうと Emptyset のふたりが思っているかどうかは、定かではありません。
なお今回のアルバムは彼ら自身による世界流通を持つ新レーベル〈LOWER FLOOR〉からの第1弾となり、今後は志を共有できる世界中のアーティストの作品も視野に入れての活動を展開するようです。
レコードにはMP3ダウンロード・コードとポスター、バックカタログのReview、2002年のツアー日記、そして初回プレス1000枚にはアルバムと異なる内容の6曲入りCD『Right In Front Of You』が封入されています。
そして何よりジャケットが素晴らしいので、レコードがオススメです!
「Not Wavingã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
どう受け止めればいいのか分からない。あの不世出の電子音響作家であり、パンソニックのメンバーでもあったミカ・ヴァイニオが亡くなった。事故といわれている。詳しいことは分からない。突然といっていい。1963年生まれだから53歳だ。まだ若い。訃報を耳にしたとき、電子音楽の、実験音楽の聴き手として、大切な指標を失ってしまったと思った。パンソニックからソロまで彼の電子音楽は重要な指標だった。あのノイズが、あの音が、あの光のように瞬くサウンドが、いま、失われてしまった。悲しい。遠い国の、まったく会ったこともないアーティストなのに、どうしてこれほど呆然としてしまうのか。
よく言われていることだが、ミカ・ヴァイニオとイルポ・ヴァイサネンによるパンソニックの功績はクラブ・フロアにノイズを持ち込んだことである。「テクノイズ」、その言葉のとおりの完全実現はパンソニックの『ヴァキオ』(1995)だった。それはノイズの新しい用法の発見でもあった。90年代中期、カールステン・ニコライや池田亮司などのサイン派による純電子音楽の登場と同時多発的に重なっていたことも重要で、これは後の世代に大きな影響を与える電子音響ムーヴメントになった。グリッチ、音響派などいろいろな呼び方があるだろうが、電子・電気ノイズの新しい使い方という意味では共通していた(当時、批評家の佐々木敦氏は「接触不良音楽」などと語っていた。まさに言いえて妙)。
なかでもスーサイドを電気ノイズで蘇生させたかのようなパンソニック(当初は3人メンバーでパナソニックと名乗っていた。しかし某電気メーカーからのクレーム?で名前の変更を余儀なくされたという)は、その破壊的ミニマルな音響/ビートで、多くの音響ファンを魅了した(スーサイドといえば、イルポ・ヴァイサネンとスーサイドのアラン・ヴェガと組んだユニット Vainio / Väisänen / Vega も素晴らしかった。とくに〈ブラスト・ファースト〉からリリースされた『Endless』(1998)は最高のインダストリアル・音響ロックである)。いずれにせよ、その音にはノイズの快楽があるいっぽう、安易な快楽を拒否するストイシズムと暴発性もあった。ロックである。ゆえに後年、彼らが灰野敬二とコラボレーションをおこなったのは必然といえる。
また、ミカはソロとしても英〈タッチ〉から『Onko』(1997)、『Kajo』(2000)などの静謐かつ非連続的な(日本の能のような?)傑作をリリースし音響ファンを魅了した。加えてフェネスやケヴィン・ドラム、ルシオ・カペーセ、コーヘイ・マツナガなどと競演を繰り広げ、その存在をシーンに刻印していく。さらにはレーベル〈Sähkö Recordings〉を主宰し、Ø名義で『Olento』(1996)、『Kantamoinen』(2005)、『Oleva』(2008)などの美しいエレクトロニック・ミュージック作品を送り出していく。
これらの活動が2010年代以降のインダストリアル/テクノやエクスペリメンタル・ミュージックに影響を与えたことはいうまでもない。それらはノイズとテクノの融合なのだから。彼の死の報を受けて、カールステン・ニコライ、リチャー・シャルティエ、テイラー・デュプリー、池田亮司、渋谷慶一郎など、ミカと競演・交流があったオリジンだけなく、〈パン〉や〈シェルター・プレス〉、セコンド・ウーマン、イマジナリー・フォーシズ、デール・コーニッシュ、キョーカなどの最先端のレーベルやアーティストが深い悲しみと愛情を表明したのは、その影響の大きさを自覚していたからではないかと思う。
そう、2010年代のインダストリアル/テクノやエクスペリメンタル・ミュージックは、パンソニックとミカ・ヴァイニオから(直接/間接的な)影響を受けている。なぜか。繰り返そう。パンソニックはクラブ・ミュージックとノイズを合体させた。そして、ミカ・ヴァイニオはノイズの新しい使用法を生みだした。これは発明であり、革命であったのだ。先に挙げたいまの電子音響作家や音楽家は、その「革命」の影響を強く自覚しているはず。僭越ながら、ただの聴き手である私も同様である。だからこそミカ・ヴァイニオの死の報に触れて私は途方にくれてしまったのである。
ミカ・ヴァイニオの電子音/ノイズはまるで星の光のようだった。そこに彼の故郷であるフィンランドの夜空や空気や星空のムードが色濃く反映しているのは想像がつく。パンソニック時代の炸裂するインダスリーなビートとは異なり、ソロ作品では持続と切断が非反復的に生成し、その電子音は光の瞬きのようであった。特にØ『Kantamoinen』(2005)、『Oleva』(2008)、『Konstellaatio』(2013)などの電子音響作品を思い出してほしい。
いま、追悼の意を込めて聴き直したいアルバムは、パンソニックであれば、インダストリアルからノイズ、ドローンから現代音楽まで、つまりはブルース・ギルバート、灰野敬二、スーサイド、スロッビング・グリッスル、シャルルマーニュ・パレスタイン、アルヴィン・ルシエなどに捧げられ、20世紀の実験音楽のエレメントを4枚のディスクの結晶させた電子音楽の墓標のような、もしくはモノリスのような『Kesto』(2004)、彼の少年時代の記憶を結晶させたフィランドの星空のごときØ名義の『Konstellaatio』(2013)、固有の音楽時間軸を結晶させたミカ・ヴァイニオ名義で発表された『STATION 15, ROOM 3.064 Parts 1-5』(2010)だろうか。これらの音には、どこか時間を超越するような永遠性が宿っているように思える。
むろん、これ以外のアルバムや音源も、自分は折にふれて聴き込むだろう。ミカの作品を、電子音楽を、実験音楽を愛するひとりの聴き手として、何度でも繰り返し聴く。彼はこの世から旅立ってしまったが、彼の音楽は色褪せることなく、いま、ここで光輝いているのだから。
最後に生前のミカ・ヴァイニオがレコード・ショップで自らのルーツとなるCDを選んだ動画を紹介しよう。2014年のものだから、3年前だ。
ここで彼が紹介したアーティストは次のとおりである。「John Lee Hooker、Junior Kimbrough、Basil Kirchin、Charles Manson、Whitehouse、Loren Mazzacane Connors、Barn Owl & The Infinite Strings Ensemble、Morton Feldman、Toru Takemitsu」。ブルース、ノイズ、そして現代音楽まで、なんと素晴らしい選盤だろうか。彼がどれほど深く音楽を愛していたかが伝わってくる。なにより彼が最後に紹介したのは、あの武満徹なのだ。この事実に、われわれはもっと、もっと、感動する必要があるように思う。
ジャズファンクの森の奥で
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James Brown Band - Why am I treated so bad - King JB'Sには珍しいルーズなファンク |
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Fania All-Stars - Viva Tirado - Fania エルチカーノのエポック曲を東海岸勢が妖しくカバー |
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Kool & The Gang - Give It Up - De-lite 初期のザ・ギャングはゲットーシリアスで良いですな |
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Charles Earland - Black Gun - Prestige Live at the Lighthouseより、ダニーハサウェイライブに匹敵する名盤ですよ |
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Grant Green - Its Your Thing - Blue Note これは発掘音源、抑制の効いたひたすら黒いジャム |
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Idris Muhammad - Express Yourself - Prestige プレステッジはジャズファンクのドーナツ盤いっぱい出してます ジュークボックス需要でしょうな |
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The Meters - Love the One your With - Rhino 昔からミュージシャンの間で神ライブと讃えられてる例の船上ライブから抜粋です |
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Wynder K. Frog - Cool Hand Stanley - Island 英国のギラギラオルガニスト1970年作 |
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Miša Blam - Gorila - Diskos 珍しやユーゴスラビアのベーシストによるファンクレコード |
![]() 10 |
Jerry Garcia & Howard Wales - South Side Strut - Douglas Records |
昨年リリースしたセカンドアルバムのカセットバージョンが3/24にリリースされました。
CDより荒く太く仕上げたので同タイトルでも違った響きで聴こえます。
また、使用次第でテープが伸びたりかすれたりするので
日々味と表情が変わる漬け物的に長く楽しんで頂けたら。

今年もレコードストアデイに合わせて7インチがリリースされます。
こちらもよろしくです。
CAT BOYS new7inch
"LOVE SOMEBODY" Release 04/22

5月31日DOMMUNEにCAT BOYSで出演が決まりました。
詳細等まだ未定ですが随時ツイッター等でインフォします。
チェックよろしくです。
「デリケートゾーン」名義でDJもやってます。
オファーお待ちしてます!
more info---
CAT BOYS SOUNDCLOUD https://soundcloud.com/cat-boys
高木壮太Twitter https://twitter.com/TakagiSota?lang=ja
DOMMUNE https://www.dommune.com/
いや、ジャングル来てますな。先日のパウウェルのライヴもジャングル、昨年末のベリアルの12インチもジャングル、ゴールディーの「インナー・シティ・ライフ」がベリアルにリミックスされる、ロンドンでは地下鉄占拠で一区間のジャングル・パーティ──ジャングルですよ、レイヴですよ、ハードコアですよ、「もうやってられっか!」ということでしょうか、そして彼の地ででは、レイヴを知らない世代がいよいよレイヴをはじめているこのとき、ブリストル・ジャングルの先人、ダイが来日します。
絶対に行ったほうがいいです。

■東京
2017/04/28 (FRI)
at 東京渋谷回遊
BS04GF -DJ DIE Japan Tour in Tokyo-
Venue 1 at Star lounge:
open: 24:30-5:00
DJ DIE from Bristol / UK (Gutterfunk / Digital Soundboy / XL Recordings)
L?K?O
Maidable
Soi Productions
Bim One Productions
P.A.:
eastaudio SOUNDSYSTEM
Shop:
Disc Shop Zero
Venue 2 at 虎子食堂:
open: 21:00~2:00
BS04GF - Tropical Disco Lounge
Selector:
G.RINA
1-DRINK
e-mura (Bim One Productions)
1TA (Bim One Productions)
入場料:
通常前売: 3000円+1D (500円)
特別前売: 3000円+1D (500円)
当日券: 4000/1D (500円)
当日虎子のみの入場: 2000円
当日虎子からスターラウンジ : +2500円w/1Dチケット(スターラウンジ)
Webサイト
https://www.bs0.club/
前売り
特別仕様前売り券 - https://www.bs0.club/#159223881093
e+ (イープラス) - https://bit.ly/2ousjKu
Livepocket - https://t.livepocket.jp/e/n8y_g
取り扱い店舗更新中! - https://www.facebook.com/events/172307596609899
*全公演日程

■4/28(Fri) 東京 at Star Lounge / 虎子食堂〈BS0〉
■4/29(Sat) 高知 at music cafe BEAT〈RESOUND ZERO〉
■5/2(Tue) 名古屋 at CLUB MAGO / Live & Lounge Vio〈PURE______ (pure blank)〉
■5/3(Wed) 高崎 at club WOAL Takasaki〈"re"place〉
■5/5(Fri) 大阪 at Compufunk Records〈DIRT〉
■5/6(Sat) 静岡 at Rajishan〈hypnotize〉
DJ DIE
DJ DIEは、ハードコア~ジャングル~ドラム&ベース・シーンのパイオニアであり、XL Recordings、Talkin' Loud、そしてもちろんFull Cycleといった影響力のあるレーベルからリリースをしてきたブリストルのアーティスト。
彼は革新者であり続け、彼が受けてきた広範な影響と未来への確固としたヴィジョンを通じ、ルールや伝統を無視した新たな錬金術を創造してきた。
DIEの情熱は、境界の無い新しい音楽を発見し創造することに向けられており、その情熱は、彼が運営するプロデューサー/DJ/アーティストが集まるレコード・レーベルであり創造的ハブでもあるGutterfunkに集中している。
彼の最近のコラボレーションやプロジェクトには、進行中のDismantleとのDieMantleや、Addison Grooveとの共同作業、そして現時点では秘密のプロジェクトがある。
2017はDJ DIEにとってエキサイティングな1年になるに違いない。
イーディ・ボードマン (まくし立てる。)それであいつが言うじゃない、あんたがフェイスフル通りでいい人といっしょのとこ見たわよ、あの鉄道の油差しがベッド行き帽なんかかぶっちゃってさ、って。へえ、そう、って言ってやった。よけいなお世話だよ、って。 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』丸谷才一/永川玲二/高松雄一訳
誰かと一緒に食べるごはんはおいしい。はい。たぶんその俗説は正しいのだろう。でも、なぜあなたはひとりで食べるときよりも誰かと食べるときの方が「おいしい」と感じるのだろうか。それは単純な話で、ひとりで食べているときは料理の味に集中することができるけれど、誰かと一緒に食べているときはその相手へと意識が向かってしまい、料理に集中することができなくなってしまうからだ。あなたが誰かと食事をともにするとき、食材の良し悪しや調味料の匙加減は後景へと退き、塩分や糖分が織り成す絶妙なタペストリーの解像度は著しく低下してしまうのである。それゆえどんなにマズいメシであろうとも、それを誰かと談笑しながら口に運べば、それなりにおいしさを感じることができる。誰かという夾雑物が、あなたの味覚を曖昧にする。だからもしあなたがおいしさを追い求めるのであれば、できるだけ細部には注意を払わないようにして、料理それ自体から遠ざかればいい。
*
はい。これはそのまま音楽に関しても言うことができる。たったひとりで遮音室にこもって音源に耳を傾けるよりも、誰かと一緒に「この曲いいねえ」などと雑談しながら享受した方が、音の解像度は下がる。その「誰か」は「何か」でもいい。それはその曲のMVでもいいし、その曲が生み出された背景でもいいし、その曲を作った音楽家の思想でもいいし、あるいはその曲が演奏される会場の熱気でもいい。音以外の要素が多ければ多いほど、あなたは音楽をエンジョイすることができる。あなたは純粋に音のみを聴くことなんてできない。あなたが音に耳を傾けようとするとき、さまざまな異物が邪魔をしにやってくる。アーティストの名前。写真。MV。アートワーク。クレジット。機材。譜面。歌詞の意味。コンセプト。アティテュード。バックグラウンド。ちょっとしたエピソードや制作秘話。歴史的あるいは社会的な文脈。ライヴ会場の構造や設備。これまで蓄えてきたあなた自身の知識やものの見方。音楽は、音以外のさまざまな夾雑物によって成り立っている。そう考えると、音楽とはできるだけ音そのものから遠ざかろうとする運動なのかもしれない。
はい。そういった夾雑物を提供し、リスナーひとりひとりに名前や物語や文脈やイメージを用意する役割の一端を担っているのが音楽メディアである。さまざまな記事やインタヴューによって、音は何らかの文脈のなかに幽閉され、アーティストには何らかのイメージが付与される。そのイメージはリスナーごとに異なっているため、リスナーの数だけイメージが存在することになる。アイドルなんかはそれらをすべて引き受けようとするわけだけれど、そうすることが本業ではない音楽家にとって、そんなふうに無数に増殖していくイメージの存在が悩みの種となることはよくあることだろう。
はい。ではアーティストの側に、そのようなイメージの氾濫と戦う術はあるのだろうか? ひとつに、無視するという方法がある。でもそれはよほどタフな精神を持った者でなければ実践するのが難しい手段だろう。あるいは、リスナーを撹乱するという方法もある。エイフェックスなんかはその代表例だ。そして彼と同郷のスクエアプッシャーもまた、撹乱する者のひとりである。彼は名を引き受けることの、文脈を引き受けることの、イメージを引き受けることの葛藤を、素直に音の周囲に撒き散らす。
*
はい。スクエアプッシャーがバンドを結成するのは今回が初めてではない。彼はすでに7年前にショバリーダー・ワン(以下、SLO)というプロジェクトを実現している。2010年にリリースされた『d'Demonstrator』は、それまでひとりでエレクトロニック・ミュージックを生産しすでに大きな名声を獲得してきた男が、わざわざ覆面を被ってバンドを結成し、そのバンドという形態が頻繁に採用されるロックというジャンルの手法を導入した、非常にコンセプチュアルなアルバムだった。たしかに、ロックほど物語やイメージが先行しているジャンルもないだろう。スクエアプッシャーはそれを逆手に取ろうとしたのかもしれない。彼は夾雑物を排除しようと考えたのだろうか? 真意はわからない。でもその後SLOというプロジェクトが継続されることはなかったので、おそらく彼は失敗したのだろう。以降、ロボットに曲を演奏させたり独自のソフトウェアを開発したりしていたスクエアプッシャーだが、何を思ったのか、7年というときを経ていま、彼はふたたびイメージとの戦争を開始することにしたようだ。周到なことに今度は、音楽メディアの十八番であるインタヴューまで用意して。
はい。本作『Elektrac』がリリースされる前に3度、SLOは『ele-king』編集部宛てにインタヴューを送りつけてきている。これがなかなかやっかいな代物で、斜め読みするかぎりではまったくもって何を言っているのかわからない奇想天外な内容なのだけれど、注意深く読めば、場を引っ掻き回すストロボ・ナザード(キーボード)とアルグ・ニューション(ギター)、比較的まじめに質問に答えるスクエアプッシャー(ベース)とカンパニー・レイザー(ドラム)、という対照が浮かび上がるような構成になっている。そして後者のふたりはどうやら、音にまとわりつく夾雑物に不満を抱いているようなのである。
はい。「俺の意に反し、俺が神秘主義的な芸術音楽家として扱われている」(第1インタヴュー)「俺が神秘的な芸術音楽家として扱われていた」(第3インタヴュー)というスクエアプッシャーの発言や、「俺たちは名前の持つ力を妨害したいんだよ」(第1インタヴュー)「俺たちは名前の持つ影響力を削ぎ落としたいんだよ」(第3インタヴュー)というカンパニー・レイザーの発言は、まさしくアーティストにつきまとうイメージや名の問題に関するものだろう。『エレクトラック』とは何かというインタヴュワーの質問に対し、それは「エレクトリック・トラック」のことだと答え、それを「良心」と呼んでくれと嘆願するカンパニー・レイザー(第1インタヴュー)は、名ではなく音に注目してほしいと言っているかのようだ。彼はまたこうも歎いている。「音楽業界がこれまで築いてきたのは、常軌を逸した物語を求め、それを聞いたら真偽にかかわらず議論を終わらせるっていう土壌だろ」(第2インタヴュー)。この発言からは、ロック・バンドによく見られる友情や仲違いの物語、あるいはそれに付随するゴシップの類を思い浮かべることができる。音楽はイメージや物語によって支配されている。そしてそれらの夾雑物は、リスナーのベッドルームにだけでなくライヴ会場にまで影響を及ぼしている。「ステージ上にいる者と観客がアイコンタクトを取るのは危険だったんだ。ステージ/シーリング・システムの迫真性によって、そこに両者が通じ合える階段が設けられるとしたら、それは危険な前提に繋がる可能性がある。つまり、紛い物や錯覚としての連帯感だ」(第1インタヴュー)とスクエアプッシャーは主張する。たしかに、ライヴの狂熱は思考を停止させ、できるだけあなたを音から遠ざけようとする(ところでライヴって、第三帝国の演説とよく似てはいないだろうか)。だから、連帯感なんてくそくらえ。スクエアプッシャーはそう叫びたいのかもしれない。
*
はい。こんなふうに、一見支離滅裂なかれらの発言も、その断片から何らかの主張や思想を抽出することは可能だ。かれらの発言のひとつひとつには、おそらくちゃんと意味がある。とはいえ全体としてはやはり、この3本のインタヴューそれ自体は著しく整合性を欠いていると言わざるをえないだろう。だからあなたは、かれらの発言ひとつひとつの意味よりもむしろ、その全体の混乱状態にこそ注目しなければならない。インタヴュイーたちは取材自体を茶化し、インタヴュワーを煙に巻き、互いに喧嘩を始め、同じような台詞を反復する。挙句の果てにインタヴュワーはゲロを吐く。それは、あたかもインタヴューという形式それ自体を諷刺しているかのようだ。たしかにインタヴューには、リスナーをある方向へと誘導し音の捉え方を固定する機能がある。アーティストの発言を読んだあなたは意識的にせよ無意識的にせよ、その路線に乗っかりながらあるいはそれに反発しながら、作品を享受することになる。インタヴューという形式それ自体が、ひとつのイメージ製造機であり物語製造機なのだ。SLOの面々は、そのことを批判しているのかもしれない。であるならば、インタヴューという体制は完全に駆逐されてしかるべきものなのだろう(ところでインタヴューって、神の言葉を伝達する預言によく似てはいないだろうか)。
はい。しかしあなたには、また別の見方も許されている。SLOの面々が繰り広げる混沌としたインタヴューは、あなたが知っている他の何かと類似していはいないだろうか。インタヴュイーたちは取材を茶化し、インタヴュワーを煙に巻き、互いに喧嘩を始め、同じような台詞を反復する。最終的にインタヴュワーはシャツを脱いで、ゲロを吐く。これはまるでひとつの劇ではないか。あの奇想天外な3本のインタヴューは、俳優たちの台詞を記した脚本なのではないか。ここであなたは思い出すだろう。この不思議なインタヴューのなかでスクエアプッシャーが、「電車の軌道整備士」について言及していたことを。そしてそのすぐ横にさりげなく、だがきわめて重要な註が付せられていたことを。そこにはジェイムズ・ジョイスの名が、そして『ユリシーズ』の名が書き込まれていたはずだ。
はい。「電車の軌道整備士」が登場するのは『ユリシーズ』の第15挿話「キルケ」のなかである。この挿話は主人公ブルームをはじめとする登場人物たちの台詞とト書きによって構成された、戯曲の形式で書かれている。この挿話で登場人物たちは頻繁に幻覚に襲われ、どこまでが現実でどこからが幻想なのか区別のつかない奇想天外な出来事が繰り広げられるのだけれど、ここであなたは思い出すだろう。SLOに質問を投げかけるインタヴュワーの名がスティーヴンであったことを。そしてスティーヴンとは、『ユリシーズ』のもうひとりの主人公の名であったことを。スクエアプッシャーが件の謎めいたインタヴューの着想を、この「キルケ」から拝借していることはほぼ間違いない。あの一見支離滅裂な3本のインタヴューは、『ユリシーズ』第15挿話のパロディだったのである。
はい。ジョイスの『ユリシーズ』は駄洒落やパスティーシュなどを駆使して文体に技巧を凝らすことで、小説の持つ物語性に反旗を翻した文学作品であった。つまりそれは、物語という夾雑物から文そのものを奪還する試みであったと言うことができる。その点に気づいていたからこそスクエアプッシャーは、いざSLOを再始動するにあたり自らの名が登場する『ユリシーズ』を利用することを思いついたのだろう。たしかに、物語の筋書きに基いて小説を評価することは、歌詞の内容やアーティストの発言で曲を判断することと似ている。彼は『ユリシーズ』に範を取り、インタヴューそれ自体を戯曲化することで、音楽における音以外のさまざまな要素、リスナーひとりひとりが抱くイメージや、ひいてはメディアによるその荷担を諷刺しているのである。
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はい。となれば、本作『Elektrac』がライヴ・レコーディングによって構成されていることも、その演目がかつてのスクエアプッシャーの名曲ばかりを並べた「グレイテスト・ヒッツ」の様相を呈していることも、そしてかれらの奏でるサウンドがフュージョンやロックの趣を漂わせていることも、かれらなりの戦略であると考えることができる。おそらくこのアルバムを聴いたときに真っ先に出てくるのが、「バカテクやべえ」という感想だろう。実際、バカテクである。あまりに複雑で実演など不可能にも思われるスクエアプッシャーの楽曲群を、SLOの面々はさらりと、いともたやすく演奏してみせる(特にドラムがやばい)。『Elektrac』に収められた曲たちは、見事にスクエアプッシャーの名曲たちを再現している。そういう驚きはたしかにある。でも、そんなふうにあなたを驚歎させることがこのアルバムの狙いだったのだろうか。なぜスクエアプッシャーはわざわざ自らと並び立つような卓越したプレイヤーを集め、自身の楽曲をカヴァーすることにしたのだろうか。
はい。あなたは知っている。テクニックの高さが必ずしも楽曲の良さと等号で結ばれるわけではないことを。あなたは知っている。音楽にはテクニックよりも大切なものがあるということを。それゆえあなたは意識的にテクニックを軽視する。そうでなければ、たとえばパンクのアティテュードやニューウェイヴの発想力を擁護できなくなるから。でも他方であなたは知っている。テクニックが高いに越したことはないということも。もしかしたらSLOの面々は一周回って、そのようなテクニック軽視の傾向に抗い、改めて技巧に対して関心を向けさせようとしているのかもしれない。
はい。けれども『ユリシーズ』のことを思い出したあなたはもう勘づいている。かれらの本当の狙いは、もっと別のところにあるはずだと。なぜならあなたは「バカテクやべえ」と感想を述べるために、トラックに集中せざるをえないから。かれらの超絶技巧を聴き取るためにあなたは、しっかりと音源に耳を傾ける。そうすると、細部が耳のなかへと滑り込んでくる。そうしてあなたはかつてのスクエアプッシャーの録音物を思い浮かべ、レコード棚から旧譜を引っ張り出し、どこがどう異なっているのかを検証し始める。あなたは『Elektrac』を聴き込めば聴き込むほど、次々と小さな違和を発見していく。アレンジが違う。雰囲気が違う。テクスチャーが違う。「ごめんね 去年の人と また比べている」。もしあなたが山口百恵なら、間違いなくそう呟いていただろう。
はい。もっともわかりやすいのが“Anstromm Feck 4”である。これは2002年のアルバム『Do You Know Squarepusher』に収録されていた曲だが、ありがたいことにその日本盤には、2001年にフジロックフェスティバルで録音されたライヴ音源がボーナス・ディスクとして付属していた。その2枚のディスクに収められた“Anstromm-Feck 4”のスタジオ録音ヴァージョンとライヴ録音ヴァージョンは、特にその後半部において両者の違いが顕著となるが、曲としてはほぼ同じ構成をとっている。しかし『Elektrac』に収録されている“Anstromm Feck 4”は、そのいずれとも大きく異なっているのである。これはもはや別の曲と言ってもいいくらいだ。タイトルからハイフンが欠落しているのは、おそらくその差違を暗示しているのだろう。
はい。こうしてあなたは気がつく。『Elektrac』に収められた曲たちが、かつてのスクエアプッシャーの名曲たちをまったく再現していないことに。そしてあなたは悟る。かれらが覆面を被ってバカテクを披露するのは、まさにそこで鳴っている音そのものに注意を向けさせるためなのだと。
はい。SLOが『Elektrac』をライヴ音源で構成したのは、まずはかれらのテクニックに注目してもらうためである。そしてSLOが新曲を用意せず『Elektrac』を既存の楽曲で構成したのは、今回の録音物とかつての録音物とを聴き比べてもらうためである。そして、どんな超絶技巧をもってしても、同じ音を再現することなどけっしてできないということに気づいてもらうためである。『ユリシーズ』がホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにし、それとの照応を目指しながら、しかしそれとはまったく異なる作品として出来したように、『Elektrac』もまたかつてのスクエアプッシャーの楽曲群を下敷きにしながら、それとはまったく別の作品であろうと奮闘する。
はい。このライヴ録音盤グレイテスト・ヒッツ集に込められているのは、夾雑物ではなく音そのものを聴いてほしいというSLOの願いなのだ。だから、「音楽を破壊するんだよ! 音楽を破壊(笑)!」(第1・第3インタヴュー)というストロボ・ナザードの発言は冗談でも世迷言でもなく、どこまでもパフォーマティヴな宣言なのである。アーティストの名前。写真。MV。アートワーク。クレジット。機材。譜面。歌詞の意味。コンセプト。アティテュード。バックグラウンド。ちょっとしたエピソードや制作秘話。歴史的あるいは社会的な文脈。ライヴ会場の構造や設備。これまで蓄えてきたあなた自身の知識やものの見方。それらを粉砕すること。すなわち、まさに音楽を破壊することこそがこのアルバムの希望なのである。
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はい。でもあなたは知っている。かれらの願いが叶えられることはけっしてないということを。あなたは知っている。かれらの試みが頓挫するだろうということを。なぜなら、あなたはどうあがいても夾雑物を排除することなどできないからだ。だって、あなたは、紛れもなく、生きている。生きている限りあなたは、音にのみ集中することなどできない。それは、どれほど策を練り、訓練を重ね、全力で挑み、ひとつずつ夾雑物を排除していったとしても、最終的には、あなた自身が夾雑物として残り続けるからだ。あなたは純粋に音のみを聴くことなんてできない。音楽は、音そのものから遠ざかり続ける。
はい。スクエアプッシャーはこれからも音楽を作り続けるだろう。彼とその仲間たちはこれからもライヴを続けるだろう。何度失敗してもかれらは、ふたたびSLOを結成して帰ってくるだろう。『Elektrac』は、音楽を破壊することなどけっしてできないとわかっていながら、それでもなお音楽を破壊することを目指さざるをえないひとりのアーティストが、同じ志を持った仲間たちと繰り広げる、努力と絆と敗北の物語なのである。
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今年の頭に発売された『文藝』春季号では、昨年亡くなった翻訳家・柳瀬尚紀の追悼特集が組まれている。そこには、昨年末に刊行された『ユリシーズ1-12』(河出書房新社)には収録されていない、『ユリシーズ』第15挿話冒頭部の翻訳が掲載されている。その遺稿は、大枠だけを眺めるならば、丸谷才一たちの訳とそれほど違っていないように見える。けれどしっかり細部へと目を向ければ、既存の丸谷たちの訳とは大きく異なっていることに気がつくだろう。はい。翻訳は、そのひとつひとつに固有の特異性を持っている。
エディ・ボードマン (とがり口で)そしたらあいつが言ったんだ、貞操街(フェイスフル・プレイス)で色男と歩いてるの見たわよ、下っ端の鉄道勤めがにやけた帽子かぶってただとさ。そうかいって言ってやった。あんたに言われる筋合いはないねってさ。 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』柳瀬尚紀訳
英紙から“国宝級”とまで呼ばれるロックスター、
その素晴らしい矛盾をいま聴くこと──
人気コラムニストがディスクガイド形式で描く、かつてないザ・スミス/モリッシー論。
ブレグジット後の「いま」だからこそ響く、もうひとつのUKポップ・カルチャーと地べたの社会学。
「これはアンオフィシャルなブレグジットのテーマだ」
「クソ左翼のバカな見解にすぎない」
このふたつのコメントは、この歌詞がいかに正反対の解釈で読まれることが可能かということを端的に示している。左と右、上と下、グローバリズムとナショナリズム。いろんな軸が交錯し、いったい誰がどっち側の人間なのやら、従来の政治理念の枠では語りづらくなってきた英国のカオスを、モリッシーは12年前にすでに予告していた。 (本文より)
ザ・スミス時代からソロ活動まですべてのアルバムを追いながら、30年以上にもわたるその歩みを振り返る。
UKでもっとも重要なロック・ミュージシャンと言っても過言ではない、モリッシーの痛切なメッセージが“いま”さらにまた私たちの耳に突き刺さる──
人気沸騰中のコラムニスト、ブレイディみかこ待望の書き下ろし新刊!
目次
なぜいまモリッシーを聴くのか
section 1: The Smiths
The Smiths(1984)
Hatful of Hollow(1984)
Meat Is Murder(1985)
The Queen Is Dead(1986)
Strangeways, Here We Come(1987)
section 2: 1988~1997
Viva Hate(1988)
Bona Drag(1990)
Kill Uncle(1991)
Your Arsenal(1992)
Vauxhall and I(1994)
Southpaw Grammar(1995)
Maladjusted(1997)
section 3: 2004~
You Are the Quarry(2004)
Ringleader of the Tormentors(2006)
Years of Refusal(2009)
World Peace Is None of Your Business(2014)
あとがきにかえて
参考文献
いま影響力をほこる(ジャーマン・ディープ・ハウスの重要人物)モーター・シティ・ドラム・アンサンブルのレーベルからのシングル・ヒットなどがきっかけで日本でも人気に火が着いているのがメルボルンのハーヴィ・サザーランド(Harvey Sutherland)。先月〈sound of speed〉(90年代から続いてる日本のナイスなレーベル)がディスクユニオン経由でリリースした彼にとっての最初のアルバム『Harvey Sutherland』も好調なようだ。メロディアスでユルくもありグルーヴィーでもあるコズミック・ディスコ/ディープ・ハウスで、これが受けるのも納得できる。
その彼が、今月末、サーカスにて開かれる「Choutsugai 」にライヴ出演する。ハーヴィ・サザーランドの個性は彼の生演奏にもあり、そこにいる人たちを間違いなくハッピーな気持ちにさせてくれるだろう。ぜひ!

■Choutsugai presents - Harvey Sutherland
Harvey Sutherland(Clarity Recordings) -Live Set-
Takuya Matsumoto(iero / Meda Fury / Clone Royal Oak / FINA)
XTAL (Crue-L / Beats In Space)
Broken Sport(Jazzy Sport)
Sayuri
Kunieda
Sora Mizuno
RGL(cosmopolyphonic / Breaker Breaker)
Tidal(cosmopolyphonic)
Fujimoto Tetsuro(cosmopolyphonic)
Danny MW
Stupid Kozo
CALPIS
MMFM
gunjiakifumi

![]() Clark - Death Peak Warp/ビート |
そういえば、たしかに珍しいケースかもしれない。テクノは音響的な冒険を繰り広げる実験音楽としての側面を持つ一方で、機能的なダンス・ミュージックとしての側面も有しているわけだけれど、実際に生身のダンサーとコラボしたテクノ・ミュージシャンはそれほど多くないのではないだろうか。
ちょうど25年前、エレクトロニック・ミュージックは『Artificial Intelligence』を境に大きくその進路を変更した。そこに参加していたオウテカやリチャード・DらによってIDM=リスニング・テクノの礎が築かれ、ダンスフロアではなくベッドルームが志向されるようになったのである。
そのようなIDMの旗手たちが、がらりとスタイルを変えたり長い沈黙に入ったりした2001年という節目の年にデビューを果たし、以後コンスタントに作品を発表し続けることで00年代のリスニング・テクノを支えてきたクラークは、今回発表された新作『Death Peak』と連動するUSツアーにおいて、ふたりのダンサーを起用している。もちろん、これまでに彼がフロア寄りのトラックを作らなかったわけではない(紫色のアートワークで統一された〈Warp〉のフロア向け12インチ・シリーズに彼は3度も登場している)し、そもそも本人にそういう二項対立的な分別の意図はないのだろうけれど、スタイルを変えつつも基本的にはリスニング・テクノの文脈を引き受けてきたと言える彼が、前作『Clark』でダンサブルな側面を展開し、そしていま生身の肉体表現に関心を寄せそれを自身のステージに取り入れているのは、彼が無意識的にベッドルームとフロアとの間に橋を架け直そうとしているからなのではないか(肉体との関わりで言えば、人間の声が多用されていることも本作の特徴のひとつである)。
そのような橋の建設構想は、このアルバムの構成にも表れ出ている。序盤にこそ前作を引き継いだようなダンサブルなトラックが並んでいるものの、アルバムは中盤から雰囲気を変え、その後はどんどんアブストラクトな領域へと足を踏み入れていく。最終的に行き着くのは“Un U.K.”という意味深なタイトルを持つダイナミックなトラックで、クラークにしては珍しく政治的なトピックから触発された曲でもある。『Death Peak』というアルバム・タイトルからもうかがえるが、本作の構成にクラークの並々ならぬパッションが注ぎ込まれていることは間違いない。
テクノに肉体を持ち込むこと。それと同時に、エクスペリメンタリズムも手放さないこと。奇しくもこのアルバムにはAIをテーマにした曲も収められているが、『Artificial Intelligence』のリリースから25年が経ったいま、クラークはテクノ~IDMの歩みにひとつの区切りを設けようとしているのではないだろうか。
肉体と電子音楽の相違関係は、何にとってもテーマになるべきだね。もっとみんなやればいいのにと思うよ。特にダンス・ミュージックならなおさらだ。
■2年半ほど前、前々作『Clark』がリリースされたときのインタヴューで、あなたは「北極で爆発音をレコーディングしたい」と仰っていたんですが、その望みは叶いましたか?
クラーク(Clark、以下C):はは(笑)。まだ実現していないよ。それは次のアルバムになるかな。あのアイデアは気に入ってはいるんだけど、ちょっとハードルが高くて(笑)。でも、実行しないと嘘を言ったことになってしまうからな(笑)。
■あなたは2015年にYoung Vicシアターで上演された舞台『マクベス(Macbeth)』の音楽を手がけています。また、昨年リリースされた『The Last Panthers』は同名のTVドラマのサウンドトラックでした。そのように何かに付随する音楽を制作する際、自身のオリジナル・アルバムを作るときとどのような違いがありましたか?
C:そのふたつはぜんぜん違うね。やはり、自分のためでない音楽を作る方が責任が大きい。でも、そのぶん達成感も大きい。自分以外の人々を満足させるし、驚かせることができるからね。良い監督というのは、人に指示をするよりも、相手を信用して彼らからサプライズされることを求める。監督から受けた注文を基盤に自分で何かを爆発させるというのはすごくやりがいを感じるんだ。一方、自分の作品を作るというのは自己中心的でもあるし、自由だよね。
通訳:どちらが好きですか?
C:両方好きだよ。自分が心地よく感じる場所から出るのが好きなんだけど、それは両方でできるから。楽なのは、クラークのレコードを作る方かな。作る場所が自分の家だから。
■ちなみに、ドラマ『The Last Panthers』のテーマ曲はデヴィッド・ボウイの“★ (Blackstar)”でした。サウンドトラックを作る際に、ボウイの曲との整合性やバランスなどは意識されたのでしょうか?
C:そのトラックは聴いてない。だから、バランスは意識しなかったね。
■今回のアルバム・リリースのアナウンスの後に公開されたUSツアーのトレーラー映像ではダンサーが起用されていますね。この映像の試みは新作のテーマやツアーの内容と連動したものなのでしょうか?
C:そう。ツアーではダンサーふたりがステージに立つ。僕の妻が振り付けを担当しているんだ。肉体と電子音楽の相違関係は、何にとってもテーマになるべきだね。もっとみんなやればいいのにと思うよ。特にダンス・ミュージックならなおさらだ。そのうちみんなやり出すんじゃないかな。振り付けがシンプルで好きなんだ。シンプルだから、ライヴの音楽を邪魔しない。僕自身がギグを見にいくときも、いろいろ目の前で起こりすぎるライヴは好きじゃないんだよね。みんな、真の目的である音楽をちゃんと楽しめない。だから、振り付けはシンプルにしているんだ。そのダンスを無視しながらも、そのダンスが作り出す何かにのめり込んでいけるような、そんな感じだよ。
■新作の1曲め“Spring But Dark”はこれから何かが起こる予兆を感じさせるトラックで、壮大な物語の序章のような雰囲気を持っています。その後アルバムの前半はフロアで機能しそうなダンサブルな曲が並んでいますが、6曲めの“Aftermath”以降は何かが崩壊してしまった後の世界を描写したような曲が続きます。アルバム・タイトルは『Death Peak(死の山頂)』ですが、本作のコンセプトはどのようなものなのでしょう?
C:“Aftermath”は、僕のお気に入りのトラックでもあるんだ。あのトラックは、エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)みたいに聴こえる。彼が作りそうなトラックを作りたかったんだよね。カウボーイが馬に乗ってクラブを歩いているような、そんなトラック(笑)???
■今回のアルバムでは、ほとんどの曲に声が使われています。それは結果的にそうなったのでしょうか、それともあらかじめ意図して声を導入していったのでしょうか?
C:友人にチェリストがいて、彼女はアルバムでチェロを弾いてくれているんだけど、ついでに流れで彼女に歌ってもらったんだ。彼女の声はすごく高くて、エイリアンみたいに聴こえる。それがおもしろいと思って、一緒にたくさんレコーディングしたんだよ。でも、ヴォーカルというよりは、ひとつの楽器として使っている。Aメロ、Bメロ、コーラスがあるポップ・ソングを作ろうとしていたわけではないからね。サウンドの要素のひとつとして声を使ったんだ。
■2曲め“Butterfly Prowler”や先行公開された3曲め“Peak Magnetic”は非常にダンサブルですが、これまでのあなたのダンス・トラックよりも重さや激しさを感じます。同じく先行リリースされた4曲め“Hoova”は、巨人が大地を踏み鳴らすかのような強烈なドラムが印象的です。アルバム前半のこの激しさは、「Death Peak(死の山頂)」へと至る道中だと考えていいのでしょうか?
C:そうかもしれないし、もうすでに頂上にいる状態なのかもしれない。または崖の端かもしれないし、そこから落ちるかもしれない(笑)。解釈は自由だよ。自分でも特定の何かを定めているわけではないし。僕は物理的存在が好きなんだけど、原始的で土っぽい感じから始まって、途中からもっと抽象的でドリーミーになっていく。感情がハイになっていくんだよ。どこかでピークを迎えたり、何かに変化していくというか、僕のなかでは作品の最初と最後は繋がっているんだ。このアルバムはひとつのサークルなんだよ。
■5曲め“Slap Drones”は、このアルバムのなかでもっともおもしろい展開を見せるトラックだと思いました。「Slap Drone」とは「懲罰用ドローン」とのことですが、それはどのようなものなのでしょう?
C:お仕置きしてくれるドローンさ(笑)。
通訳:存在するものなんですか(笑)?
C:ないけど、あった方がいい。たとえば、チョコレートを食べすぎたらペシっと叩いてくれるとかさ(笑)。
通訳:架空のものということですが、アイデアはどこから?
C:本からのアイデアなんだ。僕が考えついたわけじゃないよ(笑)。
■この曲には他のヴァージョンもあるんですよね?
C:いや、それはない。アルバムのトラックすべてが作った過程で変化しているから、いまでき上がったものとは違う“ヴァージョン”は存在するけど。たとえば、もともと10分だったものがアルバムでは短くなっているけど、その10分のものもまだ存在はしている。トラックはパフォーマンスのなかでも変わってくるし、その変化がエキサイティングなんだ。だからパフォーマンスって好きなんだよね。
これはEU離脱に対する僕の思いを表現したもので、これまでの自分の作品のなかでもいちばん政治的だと言えると思う。でも、あまり文字どおりに解釈しすぎてもらいたくはないんだ。音楽に関しては熱くいたいけど、政治ではそうなりたくないね。
■6曲めの“Aftermath”からアルバムの雰囲気が変わります。“Catastrophe Anthem”や“Living Fantasy”などは「Death Peak(死の山頂)」を迎えた後の展開と考えていいのでしょうか?
C:そう思いたければそう思ってくれてまったく問題ない。それは、僕が指摘できることじゃないからね。人の解釈はコントロールできない。このアルバムに、ピークはないんだ。すべてのトラックにクライマックスがある。僕の音楽はとにかく展開がたくさん起こるから、アルバムのなかで1ヶ所、もしくは数ヶ所だけではなく、トラックごとに盛り上がりがあるんだ。
■7曲め“Catastrophe Anthem”では「われわれはあなたの祖先である(We are your ancestors)」という子どもたちの歌声が繰り返されます。この曲は「シミュレーション仮説(simulation hypothesis)」をイメージして作られたそうですが、この子どもたちはシミュレーションの世界の住人なのでしょうか? それとも私たちリスナーがその住人でしょうか?
C:そう、子どもたちはその世界の住人で、人工の子どもたち。このトラックはAIについてだからね。もしかしたら、リスナーも住人なのかもしれないし、いまは違っても住人になるかもしれない(笑)。
■本作の最後のトラックは“Un U.K.”というタイトルです。ビリー・ブラッグ(Billy Bragg)を意識したプロテスト・ソングだそうですが、この曲にはいまのUKの状況が反映されているのでしょうか? 冠詞が「the」ではありませんよね。これは否定の接頭辞の「un-」でしょうか、あるいはフランス語で男性名詞に用いる不定冠詞の「un」ですか?
C:否定の「un」だよ。これはEU離脱に対する僕の思いを表現したもので、これまでの自分の作品のなかでもいちばん政治的だと言えると思う。でも、あまり文字どおりに解釈しすぎてもらいたくはないんだ。音楽に関しては熱くいたいけど、政治ではそうなりたくないね。まあ、世界が完全に良い状態になることはないけど、いまは特に良くない状況ではあると思う。だから、それに対する怒りが音楽に反映されている部分はあるよ。“Un U.K.”はEU離脱に関したものではあるけど、僕はミュージシャンは政治のことなんて把握してないと思うし、逆に政治家は音楽のことなんてぜんぜんわかってないと思うし、音楽を使って政治をどうこうしようとしているわけじゃない(笑)。ただ、EU離脱に対する自分の感情を表現してみただけなんだ。それだけさ。歌詞があるわけでもないからメッセージを込めているわけでもないし、自分があの出来事にがっかりしたことだけを表現しているんだ。人種差別者たちに対する気持ちとかね。でも、それをあのトラックを通してどうにか伝えようとしているわけでもない。みんなが好きに解釈してくれればいいと思ってるんだ。アルバム全体でそれを表現しているわけでもないし。
■昨年、国民投票の後にあなたは「ブレグジット後にイングランドで高まった外国人嫌悪は痛ましくて悲しい。民主主義は不完全ではあるけれど、壊れやすく(だからこそ)戦うに値する」とツイートしていました。それから9ヶ月が経ちましたが、ブレグジットやその後の経緯についてどうお考えですか?
C:そのとき僕はオーストラリアでアルバムを制作していてイギリスにはいなかったからよくわからない。僕はジャーナリストではないから、自分のインタヴューで政治的なコメントはしたくないんだ。離脱が正しい決断だったとバカな発言をしている人たちもいるけど、それを僕たちが騒ぎ立てなくても、歴史がそれは間違いだったと証明してくれるはずさ。僕のレコードはアノーニ(Anohni)のレコードではないから、何かを人に伝えようとしているわけではないんだよ(笑)。
■今回の新作のタイトル『Death Peak』は、昨年8月からずっと考えていたものだそうですが、それはやはり国民投票(昨年6月23日)の結果からも影響を受けているのでしょうか?
C:いや、それはないよ。
■昨秋あなたはファブリック(Fabric)を支援するためのコンピ『#savefabric Compilation』に曲を提供していました。日本からはなかなか見えづらいのですが、いまロンドンではファブリックを取り巻く状況はどうなっているのでしょう?
C:閉鎖はしないみたいだね。良かったよ。いろいろなアーティストたちがフィーチャーされているあのコンピは、僕自身も気に入っているんだ。でも、ファブリックにはじつは行ったことがない。タダでトラックをあげたから、そろそろ招待されるかな(笑)?
■あなたは昨年Adult Swimの企画でD∆WN(Dawn Richard)の“Serpentine Fire”をプロデュースしていました。昨年はフランク・オーシャン(Frank Ocean)やソランジュ(Solange)のアルバムが話題となりましたが、あなたは最近のR&Bやソウル・ミュージックをどのように見ていますか?
C:あまり聴かないからわからない。聴かないからといって、嫌いなわけじゃないよ。ただそんなに聴かないだけ。聴かないことに対して理由もないし。
■ご友人のビビオ(Bibio)が昨年リリースしたアルバムは、ソウルやファンクからの影響を彼独自に消化=昇華した内容になっていました。個人的にはあなたのそういう側面も聴いてみたいと思うのですが、その予定はありますか?
C:はは。たぶんノーだな。数年の間に自分がソウルやファンク・ミュージックを作るとは思わない。でも、わからないよね。もしかしたらこれからそういった音楽を聴くようになるかもしれないしさ。
通訳:以上です。ありがとうございました!
C:ありがとう!
この明快さ。潔さと言い換えてもいいだろう。目を引くアートワークで剥かれた牙によく表れているが、それは獰猛かもしれないがもったいぶらずに清々しく野性を謳歌している。凶暴だが朗らかなのだ。UKノイズの代表格ファック・ボタンズの片割れであるベンジャミン・ジョン・パワーのソロによるエレクトロニック・ノイズ・プロジェクト、ブランク・マスの3枚めのことだ。
いま振り返るとブランク・マスのこれまでの歩み、とくにアンダーグラウンドの名門〈セイクリッド・ボーンズ〉とサインした前作『ダム・フレッシュ』はインダストリアル・リヴァイヴァルときれいに同期するものだった。当然だがファック・ボタンズに比べるとエレクトロニック・サウンドに振りきっていて、ビートのアタックが気持ちいいくらいにハード。ファーストのころはまだ目立っていたドローンの要素はしだいに後退し、代わりにダンスが前景化する(ファック・ボタンズ『タロット・スポート』におけるアンドリュー・ウェザオールとの連携を引き継ぐものでもあるだろう)。再び〈セイクリッド・ボーンズ〉からのリリースとなる本作『ワールド・イーター』はひとまずその流れを汲みつつ、より幅広い音楽性を飲み込んで遠慮なく吐き出している1枚だ。なかばドリーミーなメロディのオープニング“John Doe's Carnival of Error”が曲の終わりでテンポを乱して高速化すると、いきなりアルバムのハイライト“Rhesus Negative”に突入する。ジャングルとスラッシュ・メタルを結合してインダストリアル化したとでも言えばいいのか、荒々しいカオスが展開するが不思議と視界はクリアだ。意外にも叙情的なシンセのメロディがかぶさると、やがてシンフォニックなコーラスがトラックのクライマックスを演出する。この躊躇のない高揚感、あるいは無闇な全能感。同様の傾向は本作のリード・トラックと言える5曲め“Silent Treatment”にも見られる。クワイアを思わせる人声がループされると途端にキックの連打が吹き荒れ、しかし次の瞬間にはビートは緩行しヴォーカル・サンプルとメロウなメロディが時間をスロウにする。その荒涼としつつもリリカルな風景は初・中期のモグワイを思わせ、つまり間口が広い。1曲のなかに近年のアンダーグラウンドへの目配せ――〈トライ・アングル〉のダークなエコー、〈モダン・ラヴ〉のモノトーンの色彩、メタルの拡張――がありつつも、なんと言うか、「はい次、はい次」といったふうな展開のダイナミズムで引きこんでしまう。組曲形式の“Minnesota / Eas Fors / Naked”は本作においてもっとも実験的なトラックだが、それにしてもドローン/アンビエントのさざ波は人懐こいチルアウトへと姿を変えていく。
もうひとつ本作の目立った特徴はユーモア・センスが磨かれていることだろう。マシーナリーで垂直的かつ高圧的なビートではじまる“The Rat”はやたらシンコペートするシンセの煌びやかなメロディ(なにやらハドソン・モホークを連想する)が上に乗ることで不思議なスイング感を生み出しているし、アルバムの要所要所で登場するカットアップされ断片化したヴォーカル・サンプルの応酬は存在そのものが愉快だ。本作のメロウネスを代表するクロージング“Hive Mind”もまた、ちょうどまん中あたりで導入されるつんのめるようなヴォーカル・チョップをスパイスとして利かせている。アンニュイかもしれないが、そこに沈みこませることはないのだ。
ファック・ボタンズにしてもそうだが、ブランク・マスのノイズ・ミュージックにはいくらかの祝祭感が混入している。『ワールド・イーター』というタイトルに象徴されているように出発点は荒涼とした気分が大きいように思われるが、ダンスを導入し身体的に響かせることによって混沌を躍動の舞台に変えてしまう。エクストリームであることが自己目的化しておらず、剥き出しの野性の簡潔な正しさで貫かれている。痛快だ。
ああもどかしい。彼はなぜこの日本であまり評価されないのでしょうか。彼の名はディーン・ブラント。ハイプ・ウィリアムズ名義の方が有名かもしれません。昨年彼がベイビーファーザー名義で〈ハイパーダブ〉からリリースしたアルバム『BBF』は、昨年『ele-king』の年間ベスト30にも選出しましたが、われわれ編集部はこの知能犯をどこまでも支持します。
さて、そんな『ele-king』イチ押しのディーン・ブラントが、去る4月11日、突如 Blue Iverson なる新名義で『Hotep』と題される8曲入りのアルバムをリリースしました。しかもフリーです。ジャケはローリン・ヒルです。YouTube で全曲公開されていますが、こちら(MediaFire)からダウンロードすることも可能です。しかし彼はいったいいくつの名義を作り出すつもりなんでしょうね!
[Tracklist]
1. Coy Boy
2. Soulseek
3. Nappytex
4. Brown Grrrl
5. Hush Money
6. Jenna's Interlude
7. Brother Saturn
8. Fake Loathe


