Home > Reviews > Album Reviews > Blanck Mass- World Eater
この明快さ。潔さと言い換えてもいいだろう。目を引くアートワークで剥かれた牙によく表れているが、それは獰猛かもしれないがもったいぶらずに清々しく野性を謳歌している。凶暴だが朗らかなのだ。UKノイズの代表格ファック・ボタンズの片割れであるベンジャミン・ジョン・パワーのソロによるエレクトロニック・ノイズ・プロジェクト、ブランク・マスの3枚めのことだ。
いま振り返るとブランク・マスのこれまでの歩み、とくにアンダーグラウンドの名門〈セイクリッド・ボーンズ〉とサインした前作『ダム・フレッシュ』はインダストリアル・リヴァイヴァルときれいに同期するものだった。当然だがファック・ボタンズに比べるとエレクトロニック・サウンドに振りきっていて、ビートのアタックが気持ちいいくらいにハード。ファーストのころはまだ目立っていたドローンの要素はしだいに後退し、代わりにダンスが前景化する(ファック・ボタンズ『タロット・スポート』におけるアンドリュー・ウェザオールとの連携を引き継ぐものでもあるだろう)。再び〈セイクリッド・ボーンズ〉からのリリースとなる本作『ワールド・イーター』はひとまずその流れを汲みつつ、より幅広い音楽性を飲み込んで遠慮なく吐き出している1枚だ。なかばドリーミーなメロディのオープニング“John Doe's Carnival of Error”が曲の終わりでテンポを乱して高速化すると、いきなりアルバムのハイライト“Rhesus Negative”に突入する。ジャングルとスラッシュ・メタルを結合してインダストリアル化したとでも言えばいいのか、荒々しいカオスが展開するが不思議と視界はクリアだ。意外にも叙情的なシンセのメロディがかぶさると、やがてシンフォニックなコーラスがトラックのクライマックスを演出する。この躊躇のない高揚感、あるいは無闇な全能感。同様の傾向は本作のリード・トラックと言える5曲め“Silent Treatment”にも見られる。クワイアを思わせる人声がループされると途端にキックの連打が吹き荒れ、しかし次の瞬間にはビートは緩行しヴォーカル・サンプルとメロウなメロディが時間をスロウにする。その荒涼としつつもリリカルな風景は初・中期のモグワイを思わせ、つまり間口が広い。1曲のなかに近年のアンダーグラウンドへの目配せ――〈トライ・アングル〉のダークなエコー、〈モダン・ラヴ〉のモノトーンの色彩、メタルの拡張――がありつつも、なんと言うか、「はい次、はい次」といったふうな展開のダイナミズムで引きこんでしまう。組曲形式の“Minnesota / Eas Fors / Naked”は本作においてもっとも実験的なトラックだが、それにしてもドローン/アンビエントのさざ波は人懐こいチルアウトへと姿を変えていく。
もうひとつ本作の目立った特徴はユーモア・センスが磨かれていることだろう。マシーナリーで垂直的かつ高圧的なビートではじまる“The Rat”はやたらシンコペートするシンセの煌びやかなメロディ(なにやらハドソン・モホークを連想する)が上に乗ることで不思議なスイング感を生み出しているし、アルバムの要所要所で登場するカットアップされ断片化したヴォーカル・サンプルの応酬は存在そのものが愉快だ。本作のメロウネスを代表するクロージング“Hive Mind”もまた、ちょうどまん中あたりで導入されるつんのめるようなヴォーカル・チョップをスパイスとして利かせている。アンニュイかもしれないが、そこに沈みこませることはないのだ。
ファック・ボタンズにしてもそうだが、ブランク・マスのノイズ・ミュージックにはいくらかの祝祭感が混入している。『ワールド・イーター』というタイトルに象徴されているように出発点は荒涼とした気分が大きいように思われるが、ダンスを導入し身体的に響かせることによって混沌を躍動の舞台に変えてしまう。エクストリームであることが自己目的化しておらず、剥き出しの野性の簡潔な正しさで貫かれている。痛快だ。
木津毅