「Rã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
検索出来ても経験不足
知ったかぶってる偽物ばっかだ
漢 a.k.a. GAMI “oh my way”
アウトサイダーではない。これはアウトローの物語である。
2003年、MSCの『MATADOR』を初めて聴いたときは、とんでもない人たちが出てきたと驚いたものだったけれど、本書『ヒップホップ・ドリーム』でぼくはようやくその背景の詳細を知ることができた。そうか、こういうことだったのか……MC漢の生き様そのものが音楽に直結している。直結していなければ、それは“リアル”じゃない。
漢の自叙伝『ヒップホップ・ドリーム』をぼくは先週末、布団のなかで読みはじめて、そのまま最後まで読み切ってしまった。本書の企画/構成者である二木信のバカヤローに「素晴らしかった」というメールも送った。この手の実話ものはたいていそれなりに面白いものだが、本書に関しては構成力も素晴らしかった。
1978年新潟で生まれ、東京は新宿で育った漢は、なかば崩壊する彼の家庭環境、不良グループの実態、ローカル都市としての新宿、MSC結成、ストリート・ビジネス、アジトでの共同生活、そしてLIBRAとの決裂と鎖GROUPの立ち上げまでの歴史を魅力的な語り口で紡いでいく。それら物語からは、彼のヒップホップ観やストリート・ワイズ、もしくは反骨心やハングリー精神が立ち上がってくる。
ストリート目線の、街で学んだ言葉(隠語)で綴られる『ヒップホップ・ドリーム』は、まずはその言葉遣いそのものに異様なグルーヴがある。ヤンキー文化にコンプレックスを抱く知識人が書いたものとはわけが違うってことだ。そしてサーヴィス精神旺盛な漢は、彼のサグなエピソードを惜しみなく語ってくれる。ユーモアはあるが情緒の入り込む余地はない。時系列に従って淡々と、恐怖と魅惑の物語を書けるギリギリのところで書いている。誇るべき栄光の歴史というよりも、いわば反社会のオンパレードで、読んでいるだけでもぞっとする箇所がいくつもある。内臓の底から凍えるようなエグい逸話も少なくない。思わず本を破り捨てたくなるようなヴァイオレンスもある。しかし、それが“リアル”であるならば、漢は書かなければならない。“リアル”を表すことこそ彼のラップ哲学なのだから。
これはMSC誕生秘話であると同時に日本語ラップ史のひとつの季節、ひいては日本の音楽史90年代から00年代にかけてのアンダーグラウンド文化の生々しい回想録だ。90年代のストリートではいったい何が起きていたのかという証言──まあ、たしかに若者文化において観葉植物が瞬く間に広まった時代でもあったし、ぼくの身近なところでも、小中でSDP、そして「証言」で人生を変えられて、ECD、ギドラ、シャカゾンビ、ブッダ、ケムリなどなど……といった一連の流れ(並行して、レゲエもあったことを忘れてはならない)にどっぷり浸かっていた輩が何人もいる。NASの川崎チッタのライヴに出かけ(ぼくの世代はPEだった)、思春期に日本語ラップ黄金期を思い切り浴びたその世代(昭和50年~50年代なかば生まれぐらい)が街に繰り出しはじめたとき、日本における不良は更新されたのかもしれない、と思う。
『ヒップホップ・ドリーム』には、そのあたりの“リアル”の断片も散らかっている。つまり、描かれているのはメタファーとしての毒でなく本物の毒、そして集団暴行、落ちるところまで落ちること、すなわち犯罪についても、だ。業界主導ではじまった日本のヒップホップはこうしてストリート主導の文化へと変わっていったと言えば聞こえはいいかもしれないけれど、“リアル”とはそうスマートなものではない、ということもよくわかる。
が、それ以上に本書が訴えることは、このドラマの向こう側からは、誤解を恐れずに言えば、そう、カウンター・カルチャーの可能性を感じるということではないだろうか。彼はいっさいそんな風なことを語っていないけれど、どうにも漢は反逆者だ。そもそもこの本には、保守的な日本がもっとも嫌悪するものごとで満ち溢れている。そして、たとえ危険な匂いを漂わせようとも、どこまでも反権威的で、力に屈することのないインディペンデントな人物たる漢は、ある意味憧れであり、本人がいくら否定しようとも人の内なる欲望の代弁者であり、そして大胆不敵な(アンチ)ヒーローなのだ。
彼はストリートから来ているが、ストリート至上主義者ではない。が、しかし、どんなに血も涙もない場所であっても、そこが創造力の源になっていることが本書を読んでようくわかった。これだけの経験をして、そして大人になった漢がこれからどんな“リアル”をラップするのか、本書を読み終えたぼくにはこの先が楽しみでならない。果たしてどこに“リアル”を見出すのだろうか。
レイヴの歴史を紐解けば、一度はスパイラル・トライブの名前を見かけたことがあるだろう。セカンド・サマー・オブ・ラヴ以降のイギリスで、100以上のフリー・レイヴ(無料レイヴ)を行い、多いときでは4万人を動員するなど、ハードなパーティとともに生きた伝説のテクノ・サウンドシステムのクルーだ。当時のイギリスでは抵抗の象徴として注目されたクルーのひとつでもある。イギリスから移住後、ヨーロッパにテクノのサウンドシステムを普及させ、そのシーンからでないと生まれ得ないトライブやハードテックなど、先鋭化したジャンルの基盤を作った。彼らはレイヴとともにヨーロッパ中で生活した、レイヴトラベラーの実践者とも言える。今まで日本で紹介される機会が少なく馴染みが薄いが、ヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンでは一時代を築いた集団ということは検索すればわかるはず。
さて20年後の現在、当時のメンバーのひとりであるDJのJeff23が奇跡的に来日した。今回の来日が実現したのは、Jeff23の友人であるチェコ在住のハードテックの日本人DJ Tanukichiと、90年代から日本にレイヴカルチャーを持ち込んだパーティ、ライフフォースの協力があったため。当日のプレイは妖艶さを持ったダークなテクノで、人々は朝まで魅了された。近年稀にみるいかがわしい雰囲気がフロアを覆い尽くした。スパイラル・トライブの活動は多岐に亘るためすべてを紹介できないが、一員であった彼の発言からイギリス/ヨーロッパ圏での音楽を取り巻く文化の違いを少しだけでも知ってほしい。
Spiral Tribe Reportage Tracks Arte GermanTV
■ずっとウェアハウスで(インディペンデントな)フリー・パーティをしていたんですよね。現在までのスパイラル・トライブの経緯を教えて下さい。
Jeff23:スパイラル・トライブとしての活動は99年までなんだ。最初、自分はスパイラル・トライブに会う3年前から仲の良い友だちとウェアハウス・パーティをやっていて、91年のクリスマスにメンバーであるサイモン(クリスタル・ディストーション)たちと出会って参加するようになった。自分のやっていることに一致したからだね。
スパイラル・トライブは元々フリー・パーティをモットーにしていたけど最終的には料金は取るようになった。自分たちは本当に安い値段でパーティをしようと思っていても、ビジネスみたいなものに取り込まれて25ポンドぐらいの入場料になってしまう。それがやっぱり自分たちの意志とは反することがあった。
だんだんクラブの体裁が流行りはじめて、フリー・パーティと区別がつかなくなった。そこからバウンサーがいるような時代になって、それが本意ではなかったんだ。そこからマフィアやフットボールのフーリガンのような連中含めて、いろいろ絡みはじめてこんがらがった。自分がスパイラル・トライブに入る前にマフィアに売上を全部取られたこともあった。スパイラル・トライブもやられたこともあった。89年以降はじょじょに厳しくなったのでスパイラル・トライブは状況に反発していた。
■当時はスクウォッティングした建物でもパーティをしていたんですよね。
Jeff23:89年までのイギリスでは空き家のドアを開けて鍵を取り替えて住んでも、なかに人間が住んでいる場合は追い出せないという法律がまだ成立していたんだ。どんなに広い建物でもスクウォッティングができた。そこでパーティができて巨大になっていった。親しい友人に伝えていって、友人が友人に電話で連絡して集まったんだ。法律が変わってからは、お金を払うイリーガルなスクオッティング・パーティはなくなった。その後もスクオッティングはイリーガルな形で続いていったけど。
当時のシーンにはサイケデリックなドラッグがあったとしてもコカインやヘロインなど本当に悪いドラッグはなかった。もっと深い精神性を持ったものとして存在/存続していた。サイケデリックについて理解するのは難しい……。それも少しの理由になったかもしれない。
■カウンターカルチャー的な集団だとも聞いていますが。
Jeff23:ビーンフィールドという場所で、2万人が集まったストーンヘンジ・フリーフェスティヴァルでは、警官が人を殴った。実際に殴りつけるから、そういう人に対してスパイラル・トライブは意思を持って立ち向かっていった。それが大問題になる。それから自分たちの政治的な立場が支持されてた。当時、他の人たちがはっきり言わなかったことを自分たちは政治的にも立ち上がったから、注目されていたんだと思う。いい意味でも悪い意味でも。
当時からサウンドシステムを持っていたのもあって、大きなパーティでは2~3000人という人たちが動いた。盛り上がるというのは一瞬で盛り上がるのではなく、続けていくことによって、そこでずっとやっている人たちがいて、それに乗るみんなのエネルギーがあって始めて発生するんだ。
92年にイギリス政府は100万ポンドを掛けてスパイラル・トライブの問題を裁判することになった。「環境の平和を乱す」という名目で裁判を受け、スパイラル・トライブは政府に勝った。その後、リサ・スタンフィールドやコールドカットはレコーディング・スタジオを作れるぐらいの資金を前払いをしてくれた。自分たちのことをセックス・ピストルズのようなテクノの抵抗の象徴として扱おうとしていたんだ。まわりはそうしたかったけれど、自分たちはそうならなかった。
その資金を使って、イギリスからサウンドシステムをヨーロッパ大陸に送った。イギリス国内では活動できなくなったので、ヨーロッパに渡ってテクノをプレイするようになった。それまではブレイクビーツだったけれど四つ打ちになっていくんだ。93年頃から、ベルリン、ベルギー、オランダと点々と拠点を変え、最終的にパリに移住した。そこからフリー・パーティのシーンがフランスで生まれたとされていて、ヨーロッパでテクノが爆発的に拡大していった。自分たちのやり方でプロモーションをしたんだ。それから1996年にテク二バル(※)は生まれたんだ。
※テクニバル(Teknival)=ノー・オーガニゼイション/ノー・マネーシステム/ノー・コマーシャリズムのコンセプトの元、複数のサウンドシステムが同日、同場所に集結する自由参加型のゲリラレイヴ。T・A・Z (The Temporary Autonomous Zone)を作り上げる。最大規模の開催では、200組のサウンドシステムと11万人がパリ周辺に集まった。
Teknival Frenchtek 2015 cambrai Teknivibration
車でフランスからゴア(インド)までパーティをしにいったこともあったよ。子供とともに生活用品も持って行ったね。ロシアのジェット飛行機を買ってチェコに行ったりもした。ヨーロッパ中にネットワークがあるので、そうやってパーティを続けることができたね。木を育てるようにゆっくりと育ち、いまは世界的になったけど。
ただ結局、2000年以降にヨーロッパ全土でもメディアで注目されて、警察が追いかけるようになってフリー・パーティは止まってしまった。続いているのもあるけれど、サウンドシステムがフランスでは非合法の存在になってしまった。
締め付けが厳しくなっていくフリー・パーティを続けながら、〈ネットワーク23〉というレーベルを作った。ディストリビューションを行い、まともなことをやって音源を売った。いままでフリー・パーティ・シーンにいた人が音源を買ってくれたんだ。アーティストに制作できる環境を与えられるだけのギャランティを渡した。それぞれのアーティストがスタジオを持って音源の制作できるようになってからスパイラル・トライブとしての活動はストップしたんだ。
■フランスでハードテックやトライブというジャンルが生まれたのは、スパイラル・トライブが発端ですよね?
Jeff23:多彩で多角的なアーティストがスパイラル・トライブにいて、クリスタル・ディストーションなどの初期の人たちの一部が、音楽事体の創造性や革新性も更新した。パーティが中心の生活をしていたからもあった。96年頃かな、テクノやハウスの33回転のレコードをあえて45回転にしてピッチをマイナス8にしたことがはじまり。そこから派生してフレンチコアなどハードコア・テクノも生まれたけど、今の自分はテクノなのでハードコアではないね。自分はアーティストのラインナップによってプレイする音楽の速さも変わってくるけれど。
現在は、スパイラル・トライブの意思をもう一回再生しようとして、2005年頃からSP23というコレクティヴ/コミュティを作って活動中なんだ。時間が経ったので、世代を超えて子どもたちを育てていく状況に突入している。これからは日本でも活動していきたいね。
SP23
https://sp23.org/
Jeff23
https://www.mixcloud.com/jeff23/
"JEFF 23 IN THE AREA"
the Harbinger of the Techno Tribe
https://www.unit-tokyo.com/saloon/schedule/2015/06/150613_jeff23inthearea.php

Time out free copy
駅で配布するスタッフ
長らくコラムを書いているが、2003年にはじまったポケット・サイズのバイ・ウィークリーの『Lマガジン』(thelmagazine.com)は、インディ好きの、そして著者の良きガイド役である。まだまだ紙が中心だった2003年、ショーのインフォを得るために、毎週水曜日になると『ヴィレッジ・ヴォイス』(villagevoice.com)をピックアップするのと一緒に、『Lマガジン』をピックアップする選択が増え、いつの間にか『Lマガジン』しかピックアップしなくなった。『Lマガジン』のLは、Lトレイン(地下鉄の線、ヒップスター率高し)のLらしく、そのあたりの層をターゲットにしているからか、音楽だけでなく、アート、映画、シアター、フード、レジャーなど、文化全般に焦点を置き、タイム・アウトより、小規模でブルックリンの話題を中心にした情報の源なのである。
『Lマガジン』はその後、ノースサイド・フェスティヴァル、『ブルックリン・マガジン』、サマー・スクリーン(野外映画)、バム・ビル(シアター・ガイド)、テイスト・トークス(フード・イベント)など、イベントや媒体を広げ、現在会社はノースサイド・メディア・グループとして統括されている。
https://www.northsidemediagroup.com
ノースサイド・フェスティヴァルもサマー・スクリーンも毎年のようにレポートしているが、その母体である『Lマガジン』については、あまり触れていなかった。
■ノースサイド・フェスティヴァル2012
■サマー・スクリーン2013 -2-
彼らはいつも新しい試みに挑戦し、媒体をより良い方向に持って行こうとしている。今日2015年7月15日、『Lマガジン』に新たな変化があった。ポケット・サイズのプリント・マガジンがが廃止されたのである。
https://www.thelmagazine.com/2015/07/2003-2015-12-years-life-one-big-borough-one-tiny-magazine/
『Lマガジン』をオンラインでチェックするようになって久しいので、大きなダメージはないが、町からオレンジのマガジン・スタンド(ちなみに『ヴィレッジ・ヴォイス』は赤)がなくなるのは寂しいものである。それを記念(?)に、2003年から2015年に渡り『Lマガジン』が見てきたブルックリンの音楽(&その他)シーンを振り返っている。
「音楽がフリーなのに、誰が音楽雑誌を読むのか?」と、最近『タイムアウト』や『NME』もフリーに。いまや『ヴィレッジ・ヴォイス』をチェックしなくてもバンドのショーはBandsintownやsongkickをチェックすれば良いし、音楽はスポティファイやアップル・ミュージックでいくらでも聞ける。

Village voice のマガジンスタンド
こんな2015年なので、『Lマガジン』がプリントを廃止するのも納得だが、それにともない、姉妹雑誌の『ブルックリン・マガジン』と統合するらしい。『ブルックリン・マガジン』は季刊から月刊誌へ。内容が被ることもあったのでこの選択は正しいと思うし、彼らのことだから紙の力を使って既に内容の濃い『ブルックリン・マガジン』をパワーアップさせるだろう。
そして、今日は今年第2回目のサマー・スクリーン。毎年映画はもちろん、映画の前の音楽が楽しみなのである。何故なら、ブッキングはトッドP。
今年も例年のように彼がブックを担当し、ラインナップ(Z's, リーガル・ディガル、ブルース・コントロール、エクセプター、ジャー・ディヴィジョン )まで発表されていたのに、直前になって突然のキャンセル。と言うのは、サマー・スクリーンがトッドPの確認を取らず、ヴィタミン・ウォーターと勝手にブランディング契約をしたからである。その分入る額は上がるが、彼にとってお金は問題でないようだ。
「ビジネスを知れ」、「一番迷惑しているのはバンド」、「ヴィタミン・ウォーターは良くて、クルーレス(上映される映画)は良いのか」、など、様々な辛辣な意見が飛び交ったが、ほとんどは初心を忘れずDIY精神を貫く彼を賞賛するものだった。
著者は、トッドPの判断に賛成だが、彼があと10歳若かったらどうだろう。彼らの世代(40代前半)は、音楽に対する姿勢が純粋なのである。アナログ・レコードを必死に探した世代に、ブランディングや企業とのタイアップは単純にできる判断ではない。が、現在のメイン・ターゲットは彼らの世代より下で、直前にバンドは、その世代のウォーリーズ、ビッグ・アップス、プリンス・ラマなどに代えられたが、元々プリンス・ラマなどはトッドPがブックしていただけあり、オーディエンス側としては微妙な気分である。さまざまな思いがよぎるが、今日はウエット・ホット・アメリカン・サマー、音楽はビッグ・アップス!

サマー・スクリーンの様子
今年の映画とバンドのラインナップ:
7/8 「Clueless」 1995
Z's→ウォーリーズ
7/15 「Wet Hot American Summer 」2001
リーガル・ディーガル→ビッグ・アップス
7/22 「Dirty Dancing」1987
ブルース・コントロール→プリンス・ラマ
7/29 「Dazed and Confused」 1993
エクセプター→TBA
8/5 「Jurassic Park」1993
ジャー・ディヴィジョン→TBA
8/12 Audience Pick
基本、野外映画は野次が飛ばせるピクニック。わかりやすい映画が良いのはわかるが、何ともチージーで、最近ウィリアムス・バーグに引っ越してきたカレッジ・キッズを対象にしていると思うのは、著者だけか。どちらにしても、サマー・スクリーンは、ブルックリンのヒップ・スターが集まる場所なので、トッドPのブックする硬派バンドには、少し勿体無い気もする。因みに今日もサマースクリーンは満員御礼!

サマー・スクリーンの様子
ゴートのセカンド・アルバムは、タイトル『Rhythm & Sound』が指し示すようにベルリンのミニマル・ダブとリンクしているが、あの極限的な音響の反復をバンドで再現したという単純なものではない。そのポリリズミックなビートは、ポストパンク時代のアフロ解釈とも違っている。過去の音楽では代用できない、真新しい音響のスリルがある!
8月13日、「goat」の東京でのレコ発ライヴが渋谷WWWにて開催される。そのライヴでは、バンドが志す最高の音響が具現化されるであろう。オープニングアクトは、先日欧州ツアーから凱旋したばかりのsajjanu。特別ゲストは、先日ライヴ・アルバム『workshop』を出したばかりのオウガ・ユー・アスホール。これは贅沢なメンツです!
2015年8月13日(木)渋谷WWW
【goat『Rhythm&Sound』release live】
https://www-shibuya.jp/schedule/1508/006267.html


■opening act:
sajjanu
■special live:
goat/OGRE YOU ASSHOLE
開場18:30/開演19:00
前売券:3000円(+D)
※ローソンチケット【L:75152】/チケットぴあ【P:268-542】/e+にて取扱中。
![]() DJ TASAKA UpRight UpRight Rec. |
DJ TASAKA、4枚めのアルバム『UpRight』の発売を目前に、今週末にはリリース・パーティが開催される。「国会前でのハードなプロテストのアフターとしても、2015年夏の幕開けに相応しい、スペシャルな夜になりそうだ」(久保憲司)。パーティは映画上映からはじまるなど、作品同様、丁寧にコンセプトされていることがうかがわれる。会場ではアルバムの先行販売も予定、みなさんもよき夜を。
■BLEND is beautiful presents
ACT UP RIGHT
7.17 FRI OPEN 22:00
at SOUND WAVE BE-WAVE
1-15-9 Kabukicho Shinjuku 03-5292-0853
2,000yen at door
PART 1 22:30~
UNITED IN ANGER A HISTORY of ACT UP 映画上映(日本語字幕付き)
HIV/AIDSの時代を生き抜くために、人種や階級ジェンダーの枠を超えて力を合わせて社会の変革に挑んだ人々、ACT UPの非暴力抵抗運動は、HIV/AIDS危機にある米国政府やマスメディアを動かした。このドキュメンタリーは、大切な人を失う哀しみを育み、人とのつながりの中で生きる力を持ち、セクシーでエネルギッシュなACT UPの姿を映し出す。
監督:ジム・ハバード Jim Hubbard プロデューサー:サラ・シュルマン Sarah Schulman
PART2 24:00~
B1F
DJ TASAKA long set, Kinue Itagaki Yoshino, MC JOE
LOUNGE DJ
Lark Chillout, KUMA the SURESHOT, showgunn
FOOD
True Parrot Feeding Service
SHOP
DJ TASAKA アルバム先行発売。ZINE希望的工具販売。
タサカくんの4枚めのソロ・アルバム『UpRight』がむちゃくちゃいい。昔ハウス・ミュージックのアルバムでブレイズの『25イヤーズ・レイター』(1990)という名盤があった。マルコムX死後25年後に、いったい世の中はどう変わったかということを切り口に、黒人とは何なのか、黒人の歴史とは何なのかというのを一枚に凝縮したコンセプト・アルバムだったのだが、それと同じ感触を感じる。
ハウス・ミュージックではマーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』(1971)のような物語を語るアルバムは作れないだろうと言われていたのに、『25イヤーズ・レイター』は、ハウス・ミュージック登場後2、3年してからそんな偏見を打ち破ったから衝撃であり、ハウス・ミュージックのファンとしては誇りのアルバムである。
いまだとケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』、ディアンジェロの『ブラックメシア』もいっしょなんですけどね。
タサカくんには失礼かもしれないが、タサカがまさかこんなアルバムを作るとは予想もしなかった。自分にとってタサカくんとはすごくいい家のお坊っちゃまで、なにを間違えたか、アシッド・ハウスの世界に入ってきた印象があった。これ完全に僕の妄想ですけどね。タサカくんがいい家のお坊っちゃまか、貧しい家の出身の人なのか僕はわからないです。そういうことをタサカくんにきいたこともないし、タサカくんの日航か全日空のパイロットのようなキリッとした顔立ちを見て、自分で勝手に想像しているだけです。
だからタサカくんはいつか自分の本当の場所に戻っていくんだろうなと思っていた。いや、これ勝手な妄想ですけどね。
アホな話はこのへんにしといて、このアルバムには3.11以降の日本の状況が凝縮されている。あの事故のその後である。20万人集まった官邸前の抗議、新大久保のレイシストたちのデモ、そして、それに対するカウンターの風景、国民の意思を無視して日本を戦争のできる国にしようとしている安倍首相への怒り。金融政策だってちゃんとやっていけば日本はデフレから脱却できるだろう、しかし、きっとそのお金は若者には流れず、格差だけを生んでいくはず。それはイギリスやアメリカを見ていたら、よくわかることだ。──日本の若者の未来は、海外のニュースや音楽から理解できるのに、なんでみんな立ち上がらない。自分が勝者になれると思っているんだろうか。日本の若者たちよ、なんで怒らない……あっ、すいません、後半はタサカくんのアルバムが言ってないことまで書いてしまいました。タサカくんのアルバムは自分の目の前に起こっていることを曲にしているだけです。お前ら変われとか、そんな上から目線のメッセージなんかいっさいないです。彼が目にしたこと、やったことをDJがレコードをかけるようにぼくたちに伝えていくだけです。
「たったそれだけで、ブレイズやマーヴィン・ゲイのアルバムのようなことが語られているって大げさすぎないか」という声が聞こえてきそうだ。
でも、それでいいのだ。日本人は昔朝鮮から流れてきてとか、戦争に負けてアメリカに支配されているとか、高度成長でバブル崩壊していまデフレとか、そんなことはどうでもいいんだ、いやどうでもよくないんだけど、とにかく日記のように、いまだったらツイッターやFBに投稿するように、歌にすればそれでいいのだ。それですべてにつながっていくからだ。それが名盤と呼ばれるアルバムなのだ。
ジョン・レノンが「平和を我等に」と歌って何をしたか、マーヴィン・ゲイが「どうなってんねん」と歌って何をしたか。何もしていない。でも、時代をとらえた名盤としていまも語り継がれている。これらのアルバムは、いま目の前に起こっていることを歌にしているだけなのだ。ジョン・レノンが“インスタント・カーマ”で、とにかく朝起きて曲を作って、昼に録音して、次の日にリリースするということにこだわったのはそういうことなのだ。“いま”ということなのだ。さすがにリリースには一週間かかったが。
正直なところを言えば、きっと、当時のジャマイカがそうやってレコードをリリースしていたから、俺もそうやってやりたいということだったんだと思う。ジャマイカのレコードが新聞みたいに作られているなら、俺もそうやりたいという思いだったんだろう。映画『ハーダー・ゼイ・カム』の世界ですよ。
ちょっと話がずれてしまったが、なんとなくぼくの言いたいことはわかってもらえただろか? でも、これってアーティストの基本の基本でしょう。人を楽しくさせる曲を作りたいとか、そんなのと同じくらい大事なこと、いま思っていることを歌にしたいんだということ。
こんな簡単なことをなかなか日本のアーティストはできない。そこにはマーケットとかいろいろあるんだと思う。桜のことを歌わなあかんとか、乾杯のことを歌わな結婚式で歌ってもらえないでとか、でも、そんなことよりも大事なことって、いま何が起こっているかを歌うことなんだろうと思う。その究極でいちばんいいのは、恋をしたということだと思うけど、そんなので何百曲も作れないから、桜や乾杯を足していくんだ。ハイレゾでもいいけど。そんな足してない部分がたくさんあるアルバムがタサカくんのアルバムなのだ。だからタサカくんの『UpRight』はリアルなのだ。
たぶん、みんな本当は同じように曲を作っているんだと思う。他の日本のアーティストにはいろんなことが多すぎるんだと思う。ここにはタサカくんのいろんなキーワードが入っているけど、すごくシンプルなのはそういうことなのだ。
そして、その音がデトロイト・テクノやシカゴ・ハウスと同じ感触を持っているのは不思議だ。いや不思議ではないか、彼らと同じことをやっているのだから。
タサカくんはついに日本のクラブ・ミュージックのマスターピースを作ったのである。
音楽ライターがなしうる最高のこととは何か? 音楽ライターとは何を書くべきなのか? こうした素朴かつ重大な問いに対して、相倉久人氏はひとつの明解な答えを持っていた。「音を出す本人すら意識していなかったことを、その音楽から読みとる」こと。「その読みを本人に自覚してもらうこと」
アーティスト本人から語られる「すこしうぬぼれの入った理屈を」ただ正当化することではない。
逆にそれは、ネット時代にありがちなひとりよがりの妄想を肯定することでも、作者の自己言及を否定することでもない。あくまで作者と受け手との緊張感を保ちつつ、受け売りに走らず、新たな言葉を探し、醸成することである。
そう考えると、氏は、日本において音楽評論という土台を築いた人物であり、そして、その作者が言っているのだから正しいに決まっている、作品はつねに作者に隷従するものとして存在するという、つまり、解釈という能力を放棄しかけている日本の音楽シーンにおいて、なおさら立ち返らなければならない人物だと言えよう(まー、それなりに困難だ)。
相倉久人氏といえば、ジョン・コルトレーン、前衛ジャズ、山下トリオ、そして、リロイ・ジョーンズの『ブルース・ピープル』評など、おそらくは、ジャズの流動性がもっとも活気に満ちていた時代の論客として知られているのだろうけれど、たとえば、新書版の『ジャズの歴史』を読むと、モダン・ジャズ神話崩壊後のポストモダンにおけるジャズおよびジャズと呼ばれていたものの増殖と拡散についても(つまりポストモダン化についても)、とても柔軟に捉えていることがわかる。
その昔ジャズという大きな基盤が崩れたように、いまやロックはナツメロ化し、レイヴ・カルチャーだって20年以上も経てばさすがにその物語は脱構築されている。もちろん物語サイズが小さくなったからといって、音楽が小さくなったわけではない。むしろ生き生きとしていることだってある。
メインストリームなき現代では、なおのことそれら拡散された音楽たちを、いつまでも神話を縮小再生産/利用することなく、語っていくべきなのだろう。かつてあれだけの歴史(神話)と立ち会いながら、相倉久人氏にはこの変化に対応するだけの柔軟性があったばかりか、「現代におけるジャズとは何か?」というじつに難儀な主題とガチに向き合い、そしてするどい考察も残されている。繰り返すが、氏は、音楽について言葉を連ねている者にとって、なんどか立ち返るべき先達のひとりである。
UKの主要レーベルのディストリビューションを行っていた、STホールディングスの倒産が去年話題になったが、〈オグジリアリー〉はその影響をモロに受けたレーベルのひとつだ。現在は新しい流通会社を見つけたものの、しばらくレーベルはレコードをリリースすることができない状況におちいってしまった。
同レーベルから発表された『シー・オブ・ツリーズ』はキヨコのデビュー作で、今年の5月に3年のときを経てレコードでリプレスされた(初回はデータとすぐに売り切れたフィジカルはCDのみだった)。〈オグジリアリー〉は、レーベル・オーナーのプロデューサー、ASCの活動を反映して実験的なドラムンベースやノイズ作品に主軸の置いているため、アンビエントやエレクトロニカのフィーリングを持つ今作は、他の作品と比べるとかなり異色な存在である。しかもアルバムのレコード化は今回がレーベルにとって初めてのことで、数ある作品のなかから再び世に出したかった1枚が今作、ということになる。
キヨコのふたりはジャケットの陽光に輝く桜が咲き乱れる風景から程遠い、霧吹きで吹き付けられるような雨が降るマンチェスターの郊外でアルバムを作った。メガネの青年、ジョー・マクブリッジことシンクロはメロディアスなダブステップやドラムンベースの作品を多数発表していて、最近は同じ町に住むインディゴとのユニット、アコードでも素晴らしいベース・オリエンテッドなテクノをリリースしている。相方のジャック・レバーは、ベーリング・ストレイト名義でIDMやアンビエント作品を作り、マクブリッジと同じ町に暮らす彼の後輩にあたる。
その名(日本名の「清子」という名前からとっている)が示すように、キヨコのふたりは「東洋的」な音を用いることをコンセプトに置いている。アルバム全体を通して、日本の電子音楽の歴史でよく耳にするような優しいメロディ・ラインや、民族楽器の音色などが登場することからも、そのねらいは功をそうしているようだ。けれども、そこで彼らが描く「東洋」を表す音がわれわれにとって新鮮に見えることがおもしろい。
たとえば “オープン”や“ダルシマー”のメロディや生楽器と電子音の混ざり具合からは、彼らが影響を受けたであろう竹村延和や坂本龍一あたりを連想するのだが、実際に思い浮かんだ音楽と比較してみると、キヨコがやっていることがかなりシンプルだとわかる。緻密に組み込まれたリズム・パターンもコードが絶えず変化する展開も『シー・オブ・ツリーズ』にはない。キヨコが演じるのは、実際の日本で見つかるようで見つからない「日本」の音楽だ。
そういうシンプルさを媒介して、彼らのなかの「東洋」と、ふたりの重要な影響源であり、今回もその要素が見え隠れしている〈ワープ〉や〈スカム〉のエレクトロニカが結合しているように感じる。ボーズ・オブ・カナダのようなサンプリング・コラージュや透明感溢れるシンセのレイヤーを想起するひとは少なくないはずだ。
シンクロの本業ともいえる重低音が際立って現れるシーンが1曲めの“ファースト・サイト”や中盤の琴のような音が響く“ヴァレイ”にはある。東洋的な旋律の(サイノ・)グライムやダブステップは多くあるものの、同じようなベクトルを向きながらも踊れる要素を極力手放し、メロディと空間を用いてここまで聴き手を引き寄せる音は、今日のベース・ミュージックのシーンでも群を抜いている。
品川駅の場内アナウンスがサンプリングされたその名も“シナガワ”という曲が3曲めにある。今作を制作していたとき、キヨコのふたりは品川駅どころか成田空港にさえ降り立ったことがなかった。冒頭から“シナガワ”の流れに耳を傾けていると、僕はどうしようもなくノスタルジックになる。訪れたことがない場所の音楽をテーマに作られた曲に対して、そのような感情を抱いてしまうのはつくづく不思議だなと思う。去年、シンクロがアコードとしてついに来日した。東京から名古屋に向かうときに初めて訪れた品川駅を、彼はいったいどんな気持ちで歩いたのだろう。
Kiyoko - Shinagawa
“セイム”・インパラ、今回もきっと彼らは変わらない。しかしトレンドの先端をゆくことが正義ではないから、音の充実や成熟が約束されるのなら、曲調が「セイム」な新譜だろうと心から祝福したい。彼らこそは停滞感をぬぐえないロック・バンドの現在に、清新な風をもたらす存在のひとつなのだから──という期待は、正反対の方向へ、しかしポジティヴに裏切られる。
オーストラリア出身のガレージ・サイケ・バンド、テイム・インパラの3枚めとなるフル・アルバム『カレンツ』がリリースされた。彼らのデビューEP『テイム・インパラ』が発表された当時は、〈スリル・ジョッキー〉からウッデン・シップスが登場し、往時の発掘音源さながらのスペース・ロックを展開、北欧のドゥンエンにもあらためて注目が集まるなか、オール・ザ・セインツやクリスタル・アントラーズなど〈タッチ・アンド・ゴー〉の最終世代も同様に重心低めのサイケデリック・ジャムを若々しく鳴らしたりと、その種のヴィンテージな楽曲センスや、いささかファズの効きすぎた音作りなどがちょっとしたトレンドをなしていた。
テイム・インパラはそのなかでとくにみずみずしさと華やかさを感じさせたバンドだった。カット・コピーやヴァン・シーなど、当時熱かったエレクトロ・ポップの嚆矢ともいえる〈モジュラー〉から現われた意外性も印象深い(もちろんウルフ・マザーなども擁する地元豪州のレーベルだという点は大きいだろうけれど)。
ただ、盛り上がりがあるとはいえ、当時はまだまだ限定的なリスナー層にアピールするものであったことにはちがいない。彼らが一気にステージを上げたのは前作『ローナイズム』(2012)だ。デイヴ・フリッドマンが絶妙に彼らのサウンドをバーストさせ、そしてポップ・ミュージックとしての翻訳を施した。ジャケットに配されたフォトグラフにもチルウェイヴふうのドリーミーなポップ・センスがある。このアルバムはグラミーで「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム」にノミネートされ、以降彼らは映画『ダイバージェント』のサウンドトラックにおいてケンドリック・ラマーとのコラボ曲を発表するなど、大きなシーンでの注目度とともに、他ジャンルの先鋭的な表現者たちとも交差する、リアルな時代性をそなえた存在であることをあらためて示してみせた。
さて、そんな彼らが放つサード・アルバムから聴こえてきた音は、冒頭こそ「セイム」なソフト・サイケだったものの、中ほどではダリル・ホールと……とまでは言わないにせよシンセバリバリのモダンポップに、そして終わりには流行色のレトロめなR&Bになっていて、イスからずり落ちるほど驚く。
彼らがひときわみずみずしかったのは、「俺たちのサイケ道」をゆくというタイプのオタク性ではなく、タグ付けされないサイケデリアを体現していたからだった。それでいて、13thフロア・エレベーターズのような西海岸的な佇まいの一方に、ブリティッシュ・サイケふうのちょっとミステリアスな翳りを感じさせるようなところには、オタクや年長者からも「ほう」と好意的な反応を引き出す魅力がある。テイム・インパラの実質的な本体であるケヴィン・パーカー自身はというと、いくつかのインタヴューで「とくにサイケだと思ってやっているわけではない」という旨を明かしている。むしろそうしたアルカイックさというか、柔構造こそが彼らの存在を大きくしたひとつの理由だと言えるだろう。
しかし、ここまで柔らかいとは……。たしかに、ヴォーカリゼーションやメロディの発想自体には通底するものがあるものの、“ニュー・パーソン,セイム・オールド・ミステイクス”のシンセ・ベース、“イヴェンチュアリー”の16ビートには本当に驚くしかないし、歌詞はほとんどがビターめなラヴ・ソング、“ディシプリン”あるいは“ザ・レス・アイ・ノウ・ザ・ベター”などの洒脱なファンクネスはアリエル・ピンクやアンノウン・モータル・オーケストラなども彷彿させ、さてテイム・インパラのアイデンティティとは何だったのかと、はたと立ち止まってしまうほどだ。
各誌絶賛のムードだけれど、これが評価されて、トロ・イ・モワの新譜が冷遇されるのは少々不公平だと思わざるをえない。そこにはいかにも「彼らは正統派サイケ出身だからエライ」というようなニュアンスが隠されているように思われるし、そうした視線によって彼らが空虚な祭壇へとまつりあげられるとすれば、かつて筆者が“デザイア・ビー,デザイア・ゴー”に打たれたときの爽やかな感動もともに封じ込められてしまうように感じられる。ケヴィン・パーカーの音楽も、トロ・イ・モワと同じようにひとつの偉大で小さなアマチュアリズムから生まれてきたものなのだ。今作でおずおずと、しかし楽しげにヴォコーダーやドラムマシンが使われているのはひるがえってその証左ともなるだろう。おそれずにアイディアを広げ、音のかたちを模索していて、やっぱりそんなところは輝いている。
というわけで、本作はちょっとヒプノシスふうのサイケ、プログレ感ただようジャケットからはおよそ想像のつかないアルバムになっている。アートワークを手掛けるのは人気のマルチ・ヴィジュアル・アーティスト、ロバート・ビーティー。彼の手掛けた作品のアーカイヴをながめると、本当にパロディがうまい(https://www.robertbeattyart.com/)。愛があって、かつドライなところもいい。テイム・インパラ×ロバート・ビーティーとなればプログレッシヴ色が強まりそうなものだけれど、このインディ・シーンにおけるキー・マンとの交差と、そこに出現した大いなるギャップは、さらなるテイム・インパラのポテンシャルを予感させるものなのかもしれない。おそらくはまだ本人にもたしかにつかめていないような「カレント」が剥き出しになっている作品なのだ。
そう思って自分の頑迷な態度を解いて聴いてみると、しばらくは手放せない、結局のところはやはり愛聴すべき音楽だと感じられる。

