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Columns

アンダーグラウンド・レイヴの生き証人、Jeff23 (SP23 ex.Spiral Tribe)

アンダーグラウンド・レイヴの生き証人、Jeff23 (SP23 ex.Spiral Tribe)

文:高岡謙太郎  通訳:Massa (Life Force) Jul 16,2015 UP

 レイヴの歴史を紐解けば、一度はスパイラル・トライブの名前を見かけたことがあるだろう。セカンド・サマー・オブ・ラヴ以降のイギリスで、100以上のフリー・レイヴ(無料レイヴ)を行い、多いときでは4万人を動員するなど、ハードなパーティとともに生きた伝説のテクノ・サウンドシステムのクルーだ。当時のイギリスでは抵抗の象徴として注目されたクルーのひとつでもある。イギリスから移住後、ヨーロッパにテクノのサウンドシステムを普及させ、そのシーンからでないと生まれ得ないトライブやハードテックなど、先鋭化したジャンルの基盤を作った。彼らはレイヴとともにヨーロッパ中で生活した、レイヴトラベラーの実践者とも言える。今まで日本で紹介される機会が少なく馴染みが薄いが、ヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンでは一時代を築いた集団ということは検索すればわかるはず。

 さて20年後の現在、当時のメンバーのひとりであるDJのJeff23が奇跡的に来日した。今回の来日が実現したのは、Jeff23の友人であるチェコ在住のハードテックの日本人DJ Tanukichiと、90年代から日本にレイヴカルチャーを持ち込んだパーティ、ライフフォースの協力があったため。当日のプレイは妖艶さを持ったダークなテクノで、人々は朝まで魅了された。近年稀にみるいかがわしい雰囲気がフロアを覆い尽くした。スパイラル・トライブの活動は多岐に亘るためすべてを紹介できないが、一員であった彼の発言からイギリス/ヨーロッパ圏での音楽を取り巻く文化の違いを少しだけでも知ってほしい。

Spiral Tribe Reportage Tracks Arte GermanTV

ずっとウェアハウスで(インディペンデントな)フリー・パーティをしていたんですよね。現在までのスパイラル・トライブの経緯を教えて下さい。

Jeff23:スパイラル・トライブとしての活動は99年までなんだ。最初、自分はスパイラル・トライブに会う3年前から仲の良い友だちとウェアハウス・パーティをやっていて、91年のクリスマスにメンバーであるサイモン(クリスタル・ディストーション)たちと出会って参加するようになった。自分のやっていることに一致したからだね。
 スパイラル・トライブは元々フリー・パーティをモットーにしていたけど最終的には料金は取るようになった。自分たちは本当に安い値段でパーティをしようと思っていても、ビジネスみたいなものに取り込まれて25ポンドぐらいの入場料になってしまう。それがやっぱり自分たちの意志とは反することがあった。
 だんだんクラブの体裁が流行りはじめて、フリー・パーティと区別がつかなくなった。そこからバウンサーがいるような時代になって、それが本意ではなかったんだ。そこからマフィアやフットボールのフーリガンのような連中含めて、いろいろ絡みはじめてこんがらがった。自分がスパイラル・トライブに入る前にマフィアに売上を全部取られたこともあった。スパイラル・トライブもやられたこともあった。89年以降はじょじょに厳しくなったのでスパイラル・トライブは状況に反発していた。

当時はスクウォッティングした建物でもパーティをしていたんですよね。

Jeff23:89年までのイギリスでは空き家のドアを開けて鍵を取り替えて住んでも、なかに人間が住んでいる場合は追い出せないという法律がまだ成立していたんだ。どんなに広い建物でもスクウォッティングができた。そこでパーティができて巨大になっていった。親しい友人に伝えていって、友人が友人に電話で連絡して集まったんだ。法律が変わってからは、お金を払うイリーガルなスクオッティング・パーティはなくなった。その後もスクオッティングはイリーガルな形で続いていったけど。
 当時のシーンにはサイケデリックなドラッグがあったとしてもコカインやヘロインなど本当に悪いドラッグはなかった。もっと深い精神性を持ったものとして存在/存続していた。サイケデリックについて理解するのは難しい……。それも少しの理由になったかもしれない。

カウンターカルチャー的な集団だとも聞いていますが。

Jeff23:ビーンフィールドという場所で、2万人が集まったストーンヘンジ・フリーフェスティヴァルでは、警官が人を殴った。実際に殴りつけるから、そういう人に対してスパイラル・トライブは意思を持って立ち向かっていった。それが大問題になる。それから自分たちの政治的な立場が支持されてた。当時、他の人たちがはっきり言わなかったことを自分たちは政治的にも立ち上がったから、注目されていたんだと思う。いい意味でも悪い意味でも。
 当時からサウンドシステムを持っていたのもあって、大きなパーティでは2~3000人という人たちが動いた。盛り上がるというのは一瞬で盛り上がるのではなく、続けていくことによって、そこでずっとやっている人たちがいて、それに乗るみんなのエネルギーがあって始めて発生するんだ。
 92年にイギリス政府は100万ポンドを掛けてスパイラル・トライブの問題を裁判することになった。「環境の平和を乱す」という名目で裁判を受け、スパイラル・トライブは政府に勝った。その後、リサ・スタンフィールドやコールドカットはレコーディング・スタジオを作れるぐらいの資金を前払いをしてくれた。自分たちのことをセックス・ピストルズのようなテクノの抵抗の象徴として扱おうとしていたんだ。まわりはそうしたかったけれど、自分たちはそうならなかった。
 その資金を使って、イギリスからサウンドシステムをヨーロッパ大陸に送った。イギリス国内では活動できなくなったので、ヨーロッパに渡ってテクノをプレイするようになった。それまではブレイクビーツだったけれど四つ打ちになっていくんだ。93年頃から、ベルリン、ベルギー、オランダと点々と拠点を変え、最終的にパリに移住した。そこからフリー・パーティのシーンがフランスで生まれたとされていて、ヨーロッパでテクノが爆発的に拡大していった。自分たちのやり方でプロモーションをしたんだ。それから1996年にテク二バル(※)は生まれたんだ。

※テクニバル(Teknival)=ノー・オーガニゼイション/ノー・マネーシステム/ノー・コマーシャリズムのコンセプトの元、複数のサウンドシステムが同日、同場所に集結する自由参加型のゲリラレイヴ。T・A・Z (The Temporary Autonomous Zone)を作り上げる。最大規模の開催では、200組のサウンドシステムと11万人がパリ周辺に集まった。

Teknival Frenchtek 2015 cambrai Teknivibration

 車でフランスからゴア(インド)までパーティをしにいったこともあったよ。子供とともに生活用品も持って行ったね。ロシアのジェット飛行機を買ってチェコに行ったりもした。ヨーロッパ中にネットワークがあるので、そうやってパーティを続けることができたね。木を育てるようにゆっくりと育ち、いまは世界的になったけど。
 ただ結局、2000年以降にヨーロッパ全土でもメディアで注目されて、警察が追いかけるようになってフリー・パーティは止まってしまった。続いているのもあるけれど、サウンドシステムがフランスでは非合法の存在になってしまった。
 締め付けが厳しくなっていくフリー・パーティを続けながら、〈ネットワーク23〉というレーベルを作った。ディストリビューションを行い、まともなことをやって音源を売った。いままでフリー・パーティ・シーンにいた人が音源を買ってくれたんだ。アーティストに制作できる環境を与えられるだけのギャランティを渡した。それぞれのアーティストがスタジオを持って音源の制作できるようになってからスパイラル・トライブとしての活動はストップしたんだ。

フランスでハードテックやトライブというジャンルが生まれたのは、スパイラル・トライブが発端ですよね?

Jeff23:多彩で多角的なアーティストがスパイラル・トライブにいて、クリスタル・ディストーションなどの初期の人たちの一部が、音楽事体の創造性や革新性も更新した。パーティが中心の生活をしていたからもあった。96年頃かな、テクノやハウスの33回転のレコードをあえて45回転にしてピッチをマイナス8にしたことがはじまり。そこから派生してフレンチコアなどハードコア・テクノも生まれたけど、今の自分はテクノなのでハードコアではないね。自分はアーティストのラインナップによってプレイする音楽の速さも変わってくるけれど。
 現在は、スパイラル・トライブの意思をもう一回再生しようとして、2005年頃からSP23というコレクティヴ/コミュティを作って活動中なんだ。時間が経ったので、世代を超えて子どもたちを育てていく状況に突入している。これからは日本でも活動していきたいね。


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