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INNERZONE ORCHESTRA
PEOPLE MAKE THE WORLD GO ROUND-KDJ REMIX
WHITE (UK)
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INNERZONE ORCHESTRA
PEOPLE MAKE THE WORLD GO ROUND-KDJ REMIX
WHITE (UK)
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フィンランド・アンダーグラウンドからサミ・サンパッキラとヤン・アンデルセンによる初のジョイント・アルバム......と、書いてもわかる人は少ないだろう。サンパッキラは(ハンガリー語の糸を意味する)〈フォナル・レコーズ〉を運営しながらエーアス(ES)という名義で5枚のソロ・アルバムをリリースし(裏アンビエントP221)、一方のヤン・アンデルセンはトムトント(Tomutonttu)の名義で(スペルは違うけれど発音は同じ)2枚のソロ・アルバム『トムトント(Tomutonto)』(06)と『トムトント(Tomutonttu)』(07)によって一気にその才能が知れ渡った奇才(今年の初めにはツアーで仲良くなったというOPNとスプリット・シングルをアルターからもリリース)。二人ともフォナルの看板プロジェクトともいえる9人編成のケミアリセト・イスタヴァット(=化学友だち、『ゼロ年代の音楽』P170))としても10枚近くのサイケデリック・インプロヴァイゼイションを展開するメンバー同士だったものが、ふたりだけのコラボレイションはこれが初めて。両者の個性が見事に交じり合った充実の1枚に仕上がり、アシッド・ハウス以降のヘンリー・カウ=ユーロ・インプロヴァイゼイションがどこまで来たかを教えてくれる。ユニット名はトウサノウスカト(=全部めちゃくちゃになる)、タイトルは『ナークサー・ナー・モン・クーナレート』......と読むらしい)。
前半はテリー・ライリーを思わせるユーフォリック・ドローンにアシッドで引っかき傷をつけていくようなSEがこれでもかと被せられ、単純に明るいドローンを聴かせるようになっただけのアメリカとは同じ方向を見ているようで、少し差のある展開を聴かせる。そのつもりはなかったのかもしれないけれど、長い時間をかけてアンビエント・ミュージックとしての体裁が整ってきたエーアスに対して、アシッド・ミュージックの新たな地平を切り開こうとするトムトントにはかなりの癖があり、あっさりとは取り付けなかった部分があったところを、前者が全体にスケール感を与えることで、ダイナミズムと細部が同時に生きる構造を獲得したということになるのだろうか。これを聴いてしまうとエーアスもトムトントも物足りなく感じられるようになってしまったこともたしかで、今後はそれぞれが自分に足りなかったものをそれぞれのソロ・ワークに持ち帰ってくれることを願うばかり。後半はケミアリセト・イスタヴァットでも積極的に取り入れてきたフォークロアも素材として取り込みつつ、かなり混沌とした印象を与えるミニマル・サウンドやジ・オーブがシューゲイザー化したような荘厳なサイケデリック・ドローンを配置。トリップ・ミュージックとして、まったくの文句の出ないエンディングへとなだれ込む。優雅と野蛮の同居。これに対抗できるのはやはりラスティ・サントス率いるザ・プリゼントだけだろう。
レイヴ・カルチャーの果てに進んだ実験音楽と快楽主義の混交ははまだまだ大きな地平を用意しているのかもしれない。エメラルズやグローイングのようにメジャーへのベクトルを持つことだけが能ではない。快楽主義にはむしろ潜むべき場所というものがあるはずだろう。
なお、アナログ盤は未確認ですが、CDパッケージにはストライプ模様のアセテート・フィルムが帯としてつけられていて、これをスライドさせていくとジャケット・デザインがどんどん変化して見えるという仕掛けが施されています。これは一見の価値アリ。つーか、帯にこんな使い方があるとは...
ステージの上の数本のマイクには白衣がかかっている。メンバーはステージに登場すると、白衣を着る。中央には四角に張られた数本の赤いストリングスがあって、それをひっぱるとPCから豚の声やらなにやらが聞こえる仕掛けになっている。ステージには豚小屋の藁がおいてある。演奏曲はアルバム『ワン・ピッグ』通りにの曲順で、つまり......なんとも言えない神秘的な力を持った曲""August 2009"、豚の誕生を描いたこの曲からはじまった。

ステージの中央では張り巡らされた赤いストリングスを操作しながら、パントマイムのように演技している男が、時間の経過を知らせるために背中に月の名前(「SEP」「OCT」「NOV」......)が記された白衣を着替えていく。"September"は、豚の成長を表すかのように荒々しい息吹を持った曲で、男の動きも激しくなる。こうしたステージ上での演劇性は、グラム・ロック/ニューウェイヴの時代にはよく見られたものだが、プライマル・スクリームのナルシスティックなライヴや「私のソウル」を主張することが主流となったステージからは排除されていたものである。英国人らしい黒い笑いをもったモンティ・パイソン的な演劇性で曲を展開する『ワン・ピッグ』ライヴは、ライヴの質の変化を象徴するという点でも興味深いものだった。

"December"は豚が親元を離れ、そして兄弟たちと小屋で過ごすようになってからの曲だ。この頃には、ステージ後方に用意されたキッチンでシェフが料理をはじめている。豚肉をジュージューと焼く匂いは扇風機によってフロアへと飛ばされる。生まれて初めて見る、豚肉の匂いの漂うライヴだ。豚肉の匂いのなか、豚の鳴き声、電子音、ドラミングが激しく響く。......それからビートは冷酷にも高まっていく。不気味な高まり、ミニマルなビート......おそらく豚が殺されているのだろう。この残忍なアップテンポの曲のとき、フロアから奇声が発せられていることに違和感を感じていたのは、すぐ近くで聴いていた三田格だった。
シェフはそのあいだもたんたんと料理を進めて、器用な手つきで皿に豚肉料理を盛りはじめる。もうこうなると、最後にその料理をメンバーが食べるかどうかが興味の対象となってくる。キッチンの真横に用意された横長のテーブルには5皿の料理が綺麗に並べられる。演奏を終えたメンバーはテーブルに並び、そのお皿に視線を送る。さあ食べろ。食べたい......三田格が後方で「食べろー」と叫んでいる......。

しかし彼らは食べなかった。マシュー・ハーバートは最後に豚の思い出を歌った。アルバムの最後の曲、"May 2011"である。
ルイス・ブニュエルの映画だったら、最後にくちゃくちゃと音を立てて食べていたかもしれない。その音をサンプリングしてミニマル・テクノを演奏しただろう。マシュー・ハーバートはしかし食べなかった。そこには彼のメッセージが込められていると思っていいはずである。アンコールではマシュー・ハーバートが道化た演技と赤いストリングスを使って、彼のエレクトロニック・ミュージックを演奏し、それまで頑ななまでに笑顔のなかったパフォーマンスにおける唯一の笑顔をもってライヴは終了した。

追記:それにしても残念だったのは、その晩、リキッドルームのすぐ近くのDOMMUNEでは、シカゴ・ハウス/ディープ・ハウスにおけるもっとも重要なDJ/プロデューサー、シェ・ダミエがプレイするというのに、ハーバートのライヴからは誰も人が流れてこなかったことである(しかも7年ぶり2度目の来日)。
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かれこれ20年近く活動しているUKのベテランふたり組、イジャット・ボーイズにとって本作『セラー・ドアー』がオフィシャルのファースト・オリジナル・アルバムというのが驚きである。彼らが登場したときは、彼ら自身が主宰するあの〈U・スター〉のレーベル面に描かれたぐにゃっとした気味悪いモノトーンのイラスト、そしてディスコのベースラインと過剰にダブ処理された音響との組み合わせがずいぶんとミステリアスに思えたものだが(それはベーシック・チャンネルの初期を彷彿させた)、この15年間、イジャット・ボーイズはいちども忘れられることなく"ディスコ・ダブ"なるタームで延々と語り継がれ、週末の深夜族に親しまれ続けている。
イジャット・ボーイズが出てきた時代は、彼らと繋がりのあるロンドンの〈ニューフォニック〉レーベルも同じようにフリースタイルなディスコ・スタイルを展開していた。〈グラスゴー・アンダーグラウンド〉のような濃いめのソウル系ハウス・レーベルもそれに追随した。ちょうど80年代初頭のミュータント・ディスコが、ディスコ(・ビート)でありさえすれば他はなんでもアリだったように、90年代末はハウス・ミュージックがそのプレートとなっていた。そこにハウスのビートがあれば、他は何が乗っかろうが自由なのだ。
そういう意味で『セラー・ドアー』は、当たり前だが、イジャット・ボーイズらしい作品である。彼らのこれまでの成果が凝縮されているし、自分たちの特徴を残したままポップの領域にもアプローチしている。少々お茶面な面を見せながら、心地よくチルアウトさせてもくれる。まあ、とにかくありきたりの言葉で言えば、完成度の高いアルバムなのだ。
ノルウェイーの〈スモールタウン・スーパーサウンド〉からのリリースというのも興味深い。このレーベルは――リリースされている作品にほとんどハズレはないのだが――ほんの数年前まではコズミック・ディスコ(雑食性の高い、ゆるめのディスコ)の牙城として世界に名を馳せている。宇宙ディスコの王様で、レーベルの看板であるリンドストロームの音楽は、そうしたいわばフリースタイル・ハウスの発展型でもあるが、80年代的なレトロ・テイストも孕んでいるそれは、骨の髄までディスコ好きな連中の矛先に昨今のニューウェイヴ・リヴァイヴァルという新しいトレンドとの接点も与えたんじゃないだろうか......(イジャット・ボーイズは、ブラマンジェのような中道派のシンセ・ポップをリヴァイヴァルさせている)。
オープニングはアコースティック・ギターのコード・ストロークからはじまる。エレクトリック・ギターのアルペジオが重なり、ベースラインが聴こえる。こうしたもったいぶった導入を経てはじまる2曲目の"Shine"で、イジャット・ボーイズ節は炸裂する。R&B調の女性ヴォーカルの歌メロは80年代風だが、しかしウワモノンのふわふわとしたシンセサイザーとハウス・ビートは完璧に彼らのものだ。4/4キックドラムとダビーに調整されたコズミック・ディスコ調の空間が気持ちよく、またポップ・ソングとしても秀逸である。"One for Kenny"もまた、80年代のレトロ・スタイルを少しばかり使いながら、しかしベースとドラム・プログラミング、そして途中で挿入されるピアノによるグルーヴが素晴らしい曲だ。
"Going down"では彼らの何でもアリのスタイルが展開される。アコースティック・ギター、女性ヴォーカル、そして深いリヴァーブとエコーのなかをディスコのグルーヴが脈打っている。そうしたダンスの解禁区を"The way I like it"ではエレガントなチルアウト感覚へと拡大している。そして8分近くもある"lovehunter"はまさに彼らが初期から追求しているくらくらするようなディスコ・ダブ・サウンドだ。"Le Wasuk"はキングストンのダブとロンドンの高級ホテルのラウンジのピアノ演奏が手を取り合ったような曲で、その奇妙なステップを踏んだまま、クローザー・トラックの"Jazz Axe"の優雅なチルアウトへと辿り着く。
イジャット・ボーイズはミラーボールをベッドルームに差し出すような真似はしない。自分たちの"音"をアルバムというフォーマットでどのように展開するべきかをよく知っている。そして......この作品を聴いていると〈スモールタウン・スーパーサウンド〉の明るい未来も見えてくるようである。
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Peaking Lights - 936 - Not Not Fun |
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Beppe Loda & Mushrooms Project - Remix EP - ENE |
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Beauty - Tribute to The Horror - Crue-L |
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The Psychedelic Schafferson Jetplane - S/T - Pastabass |
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Vakula - You Cannot Resist - Shevchenko |
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Wooden Shjips - West - Thrill Jockey |
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Zodiac Free Arts Club - Floating World - Permanent Vacation |
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Pyrolator - Neuland /1 - Breau B |
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Hatchback - Zeus & Apollo - Lo Recordings |
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Juju & Jordash - Unleash The Golem Pt.1 - Golf Channel |
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MARCOS CABRAL
L.I.E.S. 006.5
(L.I.E.S.)
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STINGRAY313
Misinformation Campaign
(Trust)
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V.A
Mu Ep
(10 Label)
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SHANNON HARRIS
Remember The Times
(Disco Electric)
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THEO PARRISH / V.A
Ugly Edits
(Sound Signature)
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AUJI INDUSTRIES
Love You More Ep
(Pan Records)
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BLM
All Out Of Place
(Tsuba Limited)
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KRIS WADSWORTH
It's Time
(Get Physical)
»COMMENT GET MUSIC
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今年のフジロックでYMOを観たときに、その細部まで精巧に作られたポップネスに感嘆するとともに、なぜかしら「これは日本がより経済的な回復へと向かっていった時代、日本が上向きになることを信じられた頃のポップ・ミュージックなんだな」という感想が頭をよぎった。自分が「先の見えない」貧しい時代に生きている20代であることを自らあっさりと認めるようで――実際その通りではあるのだけれど――なんだか釈然としなかったので、どうしてそんな風に感じたのかそれから時々考えてみたのだが、当時の真新しいテクノロジーを駆使し、海外の音楽を取り込みながら日本の歌謡曲的なセンスをミックスしそれを「黄色い(人種の)魔法」と呼んだ軽やかな態度がなお感じられたそのパフォーマンスに、手近なリアリティに逃げ込まない余裕というか、知恵のようなものを僕は感じ取ったのではないかと思う。そして、そこで改めて思い知らされるのは、たとえ90年代にその名残があったとしても、僕たち80年代生まれのいまの20代は、80年代以前の日本の経済的な繁栄やそれ故の軽さを感覚として知ることは決してない、ということだ。ステージの上のYMOはクールだったし貫禄もあったけれど、それはどこか、もはや失われた日本の豊かさを眺めるようでもあった。
ドリアンのディスコから聞こえてくる80年代の正体は何だろう? その、徹底して軽やかでファッショナブルで煌びやかな、それこそダブステップのようないかめしさとは無縁のダンス・ミュージックが、貧しい日本の現代の都会の若者をたしかに踊らせているのはどうしてだろう?
ファンタジスタ歌麿呂が手がけたアートワークを眺めつつドリアンの作るキラキラしたディスコを聴いていると、子どもの頃テレビで観ていたかもしれない画面や聴いていたかもしれない音楽が回想されるようだ。80年代末や90年代初頭のバブル期のファッションやコマーシャル、トレンディ・ドラマ......? 正直僕にはそれらの記憶はとてもあやふやで、本当にあったのかどうかすら怪しい。ただ、ここで参照されているフュージョンやAOR、そしてシティ・ポップは確実に現代にはなかなか見当たらないもので、それ故に僕たちが生きる時代の貧しさや生活感はここには存在しない。前作のタイトル『Melodies Memories』が言い当ててしまっているが、本物の80年代ではなく、記憶 のなかのそれなのである。そこにあるのはある意味で捏造された軽やかさであり、ドリアンは自らそれを「フェイク」だと言い切っている。『studio vacation』......スタジオで作られ、この音が鳴ってい る時間だけの休暇である、と。
いかにもトロピカルなイントロからDJミックスよろしく展開を小気味良く変えていくオープニング・トラックのタイトルは"fake vacation"。海に走らせる車もなく、それどころか仲間を集 めて遊びに行く時間もないほど働いているのなら、ヘッドフォンをつけて偽物の休暇に出てしまえ、という合図だ。続く、なかでもフュージョン色が強い"shower"では挿入されるロボ声がシンセ・サウンドとおどけてみせ、"sweet technic"では シンセの和音がムーディーに漂うなか、女性ヴォーカルの吐息がセクシーな絡みを聞かせてくれる。"melty color"はアルバムでもっともアッパーなダンス・トラックで、そこで うねるベースとロマンティックなピアノの旋律がハウス・ミュージックらしい高揚を運んできたかと思えば、"like a wave"でもミニマルなループでさらにユーフォリックな輝きを生み 出している。スウィートでジャジーなチル"secret promice"でアルバムが幕を閉じるまで、とにかくオシャレで、ミラーボールの光が反射し続けるようなカラフルな眩しさを貫き通している。
しかしそれにしても、一十三十一があくまで可憐に歌う唯一のヴォーカル・トラック"summer rich"が凄い。ファンキーなベースとハウス・ビート、キラキラ感を助長 する鉄琴と打楽器が盛り上げ、ロマンティックに優雅に夏の恋を歌うポップスが炸裂する。「渚のシンパシー/トパーズの波間に消えたmusic 真夏のmagic」「もっと遠くまでsummer dream/砂浜を染める恋のセンセーション 抱きしめたい」......なんて涼しげで、なんて甘い夏なんだろう。2011年の日本の暗さや重さがどこにもない。
最近の若者は遊ばなくなったのだとしばしば聞く。幸い、僕は周りにはそこそこ夜遊びをする友人がいるためそういう大人の決めつけには反論したくなるのだけれど、たしかにかつてのような......バブル期のような「リッチな」遊び方をいまの20代はしていないだろう。それがいい悪いは別にしても、贅沢の仕方を忘れてしまったか、もしくは知ることもないほど、厳しい生活から完全に離れることはとても難しい。
ドリアンはここで、辛気臭い生活はすべて忘れて、曖昧な記憶のなかの軽やかさを呼び覚ましてでも、思い切り遊べと主張するかのようだ。それが想像上であっても、そこがベッドルームであっても、このディスコ・ミュージックで砂浜を走れと言わんばかりだ。もう僕たちはかつての日本の「豊かさ」を知ることはないだろうが、だとすればなおさら、ドリアンのここでの態度は、いまの僕たちの新たな知恵になり得る。それは想像力を駆使して作り上げる、正真正銘のダンスフロアの興奮である。
数々の困難――free dommuneの中止、メタモルフォーゼの中止、二木信の暴走などなど――を乗り越えて完成しました! 10月1日には宇川直宏による怪しげなアートワークが店頭に並ぶ予定です。
特集のひとつは「シンセ・ポップ」です。これは前回のチルウェイヴ特集の延長でもあり、また、80年代リヴァイヴァルの現状報告でもあります。ネオン・インディアンのロング・インタヴュー、シンセ・ポップの古典30枚/新世代シンセ・ポップ40枚、湯山玲子と三浦康嗣(□□□)の対談、三田格のニュー・マッチョをめぐる論考などなど盛りだくさんの内容です。
もうひとつの特集は「日本の音楽」です。これはあまりにも広いテーマですが、いまいろんな局面で面白い変化が起きて、国際化も進んでいます。そして3.11以降、さらに変わっていくでしょう。今後も少しずつでもele-kingなりに考えてみたいと思っています。
まあ、そんなわけで、今回もかなり濃い内容になったと思います! どうぞよろしくお願いします!
ele-king vol.03
contents
〈EKジャーナル〉
僕と革(Shing02/ヨルグ・ブルーゲマン)
SIGNAL(野中モモ)
速報!文化庁メディア芸術祭(瀧坂亮)
〈巻頭特集〉
シンセ・ポップふたたび(野田努/菱沼彩子)
対談:湯山玲子×三浦康嗣(□□□)(松村正人/小原泰広)
ユーモアでマッチョを。(三田格)
ネオン・インディアン
80Sチャート Part1(瀧見憲司)
シンセ・ポップ トップ30?1+ショート・コラム〈古典篇〉(國枝志郎/水越真紀/野田努/三田格/松村正人/渡辺健吾)
NDWの生煮えの起爆性(明石政紀)
ラスティ インタヴュー(野田努)
シンセ・ポップ・ノート2007〜2011(橋元優歩)
シンセ・ポット トップ40〈現代篇〉(小田祐司/佐久間信行/塚野目圭輔/土田陽介/野田努/橋元優歩/三田格/木津毅)
80Sチャート Part2◎Cuz Me Pain/Photodisco
〈書き下ろし〉高価ではないのですか?(山崎春美)
〈TAL-KING1〉
コールター・オブ・ザ・ディーパーズ ナラサキ(大久保潤)
〈no ele-king〉
寺尾紗穂(磯部涼/小原泰広)
〈Eコラム1〉
不信連鎖の津波(粉川哲夫)
〈論考�T〉
モードとコード、ビートとコード(mochilon)
〈TAL-KING2〉
高橋悠治×Phew(松村正人)
〈連載コラム〉
キャッチ&リリース(tomad)
私の好きな(牛尾憲輔(agraph))
二木ジャーナル(二木信)
編年体ノイズ正史(T・美川)
新連載・ピーポー
水玉対談(こだま和史×水越真紀)
〈カルチャーコラム〉
EKかっとあっぷあっぷ(水越真紀/五所純子/石田潤/南部真里/プルサーマル・フジコ)
〈TAL-KING3〉
ダーティ・ビーチズ(松村正人)
〈シリーズ企画〉
エレキング食肉族 鼎談:卯城竜太×五所純子×三田格
〈Eコラム2〉
Osakafrica Grooves(野間易通)
〈TAL-KING4〉
K-The-I???(三田格)
〈巻末特集〉
〈日本〉の音楽(湯浅学)
坂本慎太郎 インタヴュー(磯部涼/塩田正幸)
東京フリンジ ミュージック(岡村詩野)
鴨田潤 インタヴュー(野田努)
ワールズ・エンド・ガールフレンド インタヴュー(野田努)
ブラックスモーカー(二木信)
往復書簡:日本村の音楽(松村正人×三田格)
〈ルポルタージュ〉
フェスティバルFukushima!+FREEDOMMUNE 0(磯部涼/小原泰広)
サイケデリック・ロックほど欧米と日本との文化状況の違いを感じるジャンルはない。この国で"Music For All The Fucked-up Children"が普及しない理由は、欧米の現場に行ったことがない人でも想像に難くないだろう。日本のロックの多くが音よりも言葉に酔せる傾向にあるのも、こうした文化と無関係ではない。もっともそうした不自由さのなかで、日本からはずば抜けたサイケデリック・ロックが生まれてもいる。ボアダムス、コーネリアス、スーパーカー、ゆらゆら帝国などといったバンドは、"ファックド・アップできない子供たち"を"ファックド・アップ"させるよう、自らの好奇心を優先させ、音の追求を怠らなかった。そうしたバンドは、ワールズ・エンド・ガールフレンドが分析するように、日本的な情報量の多さとその編集能力、緻密な折衷主義によって音の独自性を磨いていった。オウガ・ユー・アスホールは、いま、その系譜にいるんじゃないだろうか。
『homely』のオープニング――クラウトロック的なスペイシーなミニマリズムによる"明るい部屋"から"ロープ"への展開は拍手したくなるほど見事だ。夢とストイシズムの絶妙のバランスのなかで反復するベースとドラム(誰もがカンを思い出すだろう)は、ゆっくりと、そして力強いグルーヴを創出する。リズミックなバンドのアンサンブルには自由に動き回れる空間があって、控えめなギターとシンセサイザーはその空間を面白いように走る。
バンドはリスナーを当惑させるような、シュールな言葉を好んでいる。言葉は抽象的で、なかなか方向性をはっきりさせない。思わせぶりな歌詞の朗読からはじまる"フェンスのある家"は、しかし、16ビートのリズム・トラックの乾きが象徴的な言葉の重さを消去する。こうした手の込んだテクスチャーは、このバンドの大きな魅力のひとつに思える。バンドの言葉(歌詞)は、たとえ暗い予兆を思わせるものであっても、リスナーを抑えつけるようなことはなく、あたかも空気のようにふわふわしているのである。
"作り物"は、そうした彼らのユニークな軽さによるキャッチーで、そして感動的な曲だ。「わな? 居心地良く無害で/笑っていた/ここはウソ」――日本語による美しいメロディラインに乗せて、部外者としての疎外感や憂鬱、怒りや絶望、悲しみをOYAはどこか涼しげに、スーサイドとテレヴィジョン・パーソナリティーズの溝を埋めるかのように、ヘタしたら爽やかに歌ってみせる。
"ロープ"、"フェンスのある家"や"作り物"といった周到にデザインされたような、つまり抜け目のない曲からすると、"ライフワーク"や"ふたつの段階"のようなエモーショナルなロック・ソングはやや見劣りしてしまうかもしれない。が、ヴェルヴェッツ・スタイルの"マット"を聴いたらこのバンドに対する期待は、もはや隠せなくなるだろう。この頽廃と甘美は最高潮に達したときのフィッシュマンズの領域に迫っているかもしれない。クローザー・トラックの"羊と人"は、このバンドらしい屈折した曲と言えよう。たっぷりと皮肉が注入された歌詞を、うそぶくように、洒落たポップスとして表している。曲のエンディングのサックスの切なさは、予定調和をせせら笑い、アイロニーとしての余韻を残すようだ。プロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎は、元ゆらゆら帝国チーム。我々はいま素晴らしいアルバムと出会っている。この強力なアートワークも、不自然さや不条理、意味と無意味をちらつかせるような、このバンドの音楽をよく表している。