Home > Reviews > Live Reviews > Mathew Herbert
ステージの上の数本のマイクには白衣がかかっている。メンバーはステージに登場すると、白衣を着る。中央には四角に張られた数本の赤いストリングスがあって、それをひっぱるとPCから豚の声やらなにやらが聞こえる仕掛けになっている。ステージには豚小屋の藁がおいてある。演奏曲はアルバム『ワン・ピッグ』通りにの曲順で、つまり......なんとも言えない神秘的な力を持った曲""August 2009"、豚の誕生を描いたこの曲からはじまった。
ステージの中央では張り巡らされた赤いストリングスを操作しながら、パントマイムのように演技している男が、時間の経過を知らせるために背中に月の名前(「SEP」「OCT」「NOV」......)が記された白衣を着替えていく。"September"は、豚の成長を表すかのように荒々しい息吹を持った曲で、男の動きも激しくなる。こうしたステージ上での演劇性は、グラム・ロック/ニューウェイヴの時代にはよく見られたものだが、プライマル・スクリームのナルシスティックなライヴや「私のソウル」を主張することが主流となったステージからは排除されていたものである。英国人らしい黒い笑いをもったモンティ・パイソン的な演劇性で曲を展開する『ワン・ピッグ』ライヴは、ライヴの質の変化を象徴するという点でも興味深いものだった。
"December"は豚が親元を離れ、そして兄弟たちと小屋で過ごすようになってからの曲だ。この頃には、ステージ後方に用意されたキッチンでシェフが料理をはじめている。豚肉をジュージューと焼く匂いは扇風機によってフロアへと飛ばされる。生まれて初めて見る、豚肉の匂いの漂うライヴだ。豚肉の匂いのなか、豚の鳴き声、電子音、ドラミングが激しく響く。......それからビートは冷酷にも高まっていく。不気味な高まり、ミニマルなビート......おそらく豚が殺されているのだろう。この残忍なアップテンポの曲のとき、フロアから奇声が発せられていることに違和感を感じていたのは、すぐ近くで聴いていた三田格だった。
シェフはそのあいだもたんたんと料理を進めて、器用な手つきで皿に豚肉料理を盛りはじめる。もうこうなると、最後にその料理をメンバーが食べるかどうかが興味の対象となってくる。キッチンの真横に用意された横長のテーブルには5皿の料理が綺麗に並べられる。演奏を終えたメンバーはテーブルに並び、そのお皿に視線を送る。さあ食べろ。食べたい......三田格が後方で「食べろー」と叫んでいる......。
しかし彼らは食べなかった。マシュー・ハーバートは最後に豚の思い出を歌った。アルバムの最後の曲、"May 2011"である。
ルイス・ブニュエルの映画だったら、最後にくちゃくちゃと音を立てて食べていたかもしれない。その音をサンプリングしてミニマル・テクノを演奏しただろう。マシュー・ハーバートはしかし食べなかった。そこには彼のメッセージが込められていると思っていいはずである。アンコールではマシュー・ハーバートが道化た演技と赤いストリングスを使って、彼のエレクトロニック・ミュージックを演奏し、それまで頑ななまでに笑顔のなかったパフォーマンスにおける唯一の笑顔をもってライヴは終了した。
追記:それにしても残念だったのは、その晩、リキッドルームのすぐ近くのDOMMUNEでは、シカゴ・ハウス/ディープ・ハウスにおけるもっとも重要なDJ/プロデューサー、シェ・ダミエがプレイするというのに、ハーバートのライヴからは誰も人が流れてこなかったことである(しかも7年ぶり2度目の来日)。
文:野田 努