あらゆる歌曲がそうであるように、西森千明の音楽もまた、その固有の歌声によって独自の魅力を放っている。囁くようでありながら、しかし張りのある力強い歌い方によって、音が密やかに立ち上がる一方で、母音は生き生きと伸びていく。歌う言葉が意味するところを認識するためには、歌い手が微かに口を動かす一瞬に集中しなければならない。あるいはあえて散漫な聴取をすることによって、器楽にも似た歌声がピアノの音と溶け合うような音楽を体験することもできる。西森はメロディを、日本語がもつ自然体のイントネーションをなぞるようにして生みだすという。全編が日本語詞によって歌われる『かけがえのない』においては、語りと歌いが地続きとなることで、たとえ明瞭な言葉の輪郭を失おうとも、母音が主体となる日本語の、音程の変化による意味の喚起が、どこか記憶の底をよぎる。そうして音源と聴き手の距離が、あるいは聴き手の態度が、歌声のありかたを変化させていくことを可能にしている。
西森千明は京都在住のシンガーソングライターで、ピアノと歌声というシンプルな、それがゆえにさまざまな人々に親しまれてきた形式を中心として活動を行う音楽家である。1998年にそのキャリアをスタートさせた彼女が、これまでにリリースしたアルバムの数は決して多くはない。しかし継続的に演奏の場を設けてきたことを考え合わせてみれば、それは音楽を生産のための生産に堕することなく、あくまで自身の歩みに沿って生み出していこうとする態度のあらわれだと思われる。前作『fragments』から10年、ミニ・アルバム『仄灯』からは7年の歳月を経て制作された、セカンド・フル・アルバムとなる本作品は、だから親しみ深さを湛えつつも、長い歩みを一挙に閉じ込めた濃厚な作品となっている。
京都府にただ一つある村落の、木造の廃校で録音されたという。通常ならばメインとなるピアノのオン・マイク、つまりピアノのすぐそばに設置されたマイクを採用せず、離れた場所で録音された、周囲の音と一体となった音楽が強調されている。それはたとえば、ギターのヴァイオリン奏法のように聞こえる音が、よく聴くと言葉でありコーラスであることに戦慄を覚える、4曲めの“透明の光”という楽曲においてよくあらわれている。3曲めよりも空間のノイズが強く、それがジャジーなスローテンポのブラッシングにも聴こえ、風が窓を打ちつける音が、絶妙なアクセントにもなっている。ジャズの語法を駆使したピアノの演奏が、環境音とのセッションにゆたかな情景を与えている。
音の響きを耳にして、それがなんであるかということを、人は知らずしらず考えているものである。フィールド・レコーディングの作品に、あえて何の音か明示しないというものがあるが、それは音の意味を消去して音それ自体を聴く試みというよりも、あらかじめ示された音の意味を剥ぎ取ることで、あらためて聴き手が音に意味を与えていく余白をつくる試みと言えるのではないだろうか。『かけがえのない』には、多くの物語が、多くの意味が詰まっている。しかしながら音と言葉の、響きと音楽の境目が曖昧なままにされていることによって、聴き手が意味を付与する場所へと開かれた作品にもなっている。廃校の思い出は、聴き手の記憶の場所でもあれば、響く音の妙味の中にも佇んでいるのではなかろうか。







1995年にオーストリアの電子音響レーベル、〈ミゴ〉から12インチ「インストゥルメント」でデビュー。ギターをコンピューターで加工し、再/脱構築した綿密なスタジオ・ワークで注目を集める。1997年のデビュー・アルバム『ホテル・パラレル(Hotel Paral.lel)』(ミゴ)以降も順調にリリースを重ね、2001年のサード・アルバム『エンドレス・サマー』(MEGO)は、ジム・オルークの〈モイカイ〉からのシングル「プレイズ」(99年)をさらに発展させたサウンドで各方面から絶賛された。コンピューターで加工したアコースティック・ギターの音色と、温もりのあるグリッチ・ノイズを絶妙のバランスで編集/ブレンドして叙情感溢れるサウンドスケープを完成させている。ほかにデヴィッド・シルヴィアンとの仕事のほか、ジム・オルーク、ピタことピーター・レーバーグとのトリオ、フェノバーグや、キース・ロウのエレクトロアコースティック・プロジェクト、MIMEOへの参加などのコラボレーションなども評価されている。今年2014年、新作『ベーチュ』を〈エディションズ・メゴ〉からリリースした。
たくさんのことが変わった、が、まだ法律は変わっていない。多くのメディアでも大々的に報じられた〈NOON〉裁判の無罪判決には、僕はひとまずほっとしたというところだ。でないと先には進めないだろう。ひとつはっきりと言えるのは、風営法にただ中指を立てる時期はもう終わったということだ。ダンス文化推進議連による風営法改正案は今月中に国会に提出されるということだが、ここからは地道かつアクチュアルな展開が求められてくるだろう。「法律に詳しいひとたちがすることだから……」ではなく、ともに考えることを僕たちは経験してきたはずで、いまこそその続きが求められている。それに昨年末の紙『ele-king』における座談会でもまさに議題となったが、法律が改正されたからといってクラブ・カルチャーが絶対に盛り上がる保証なんてない。しかし、だからこそ新しいアイデアのチャンスだし、そこで楽しめることもあるはずである。


