今年1月にホームシェイクスとマック・デマルコが、2月にはトップスが……と、関係的にも近いところにいるバンドが相次いで来日した。それに先立ってこのソニー&ザ・サンセッツの首謀者である、ソニー・スミスが昨年末にやってきたこともまだ記憶に新しいところで、私も含めて、それらいわゆる新世代のロウ・ファイ・アーティストの台頭に昨今胸を躍らせている人も少なくないだろう。
しかしながら、ライヴなどで彼らのバックボーンにある音楽性が伝わってくればくるほど、単なるハイファイからの揺り戻しなどではなく、ブラック・ミュージック再解釈、ブルーアイド・ソウルの新境地のひとつの動きであることに気づかされる。たとえば、トップスのジャパン・ツアーの金沢公演となるイヴェントにDJとして参加した際、私がかけた曲でフロアにいた彼らがもっとも喜んだのはダン・ペンだった。そんな彼らのステージは想像以上にグルーヴを伴っておりヴォーカルもソウルフル、終演後話をした彼らの口から出てくる名前の中にはアル・グリーンやスタイリスティックスなんてのもあったほどだ。そういや、先日『コーチェラ』のネット中継で見たマック・デマルコは1月の来日時より遥かにファンク度を増していた。「サウンドは70年代のニール・ヤングが理想。でも、それをアップデイトして現代的にするにはブラック・ミュージックの持つリズム感、肉体性が絶対に必要」と来日時に筆者との取材で言いきったマックの本領がいよいよ本格的に発揮されつつあるようにも見受けられた。
ソニー・スミス率いるこのソニー・アンド・ザ・サンセッツの新作も、一聴するとゆるいギター・ポップと捉えられがちだが、ポップスの原点は結局のところブラック・ミュージックに行きつく、ということをそれとなく伝えるような曲が揃っていて興味深い。1曲め“ジ・アプリケーション(The Application)”の冒頭のハーモニーなどはビーチ・ボーイズ~ブライアン・ウィルソンというよりも、ドゥー・ワップのそれで、つまり、ビーチ・ボーイズの根っこにはドゥー・ワップがあることがわかる、という仕組み(?)。6曲め“ハッピー・キャロット・ヘルス・フード・ストア(Happy Carrot Health Food Store)”も展開が変わる三連のBメロはやはりドゥー・ワップの構成を意識したものだろう。フルートのリフにはじまる2曲めのベース・ラインはスティーリー・ダンやドナルド・フェイゲンあたりの作品で感じさせるR&Bの手法に倣ったかのようだ。もちろんすべての曲がそうだとは言えないし、意識的にドゥー・ワップやR&Bの要素を抽出させようとしてこうした構造の曲を作ったのかどうかはわからない。〈ポリヴァイナル〉に移籍しての作品だが音は相変わらずチープだし、あからさまな引用もないようだ。だが、彼らが丹念にポップスに向き合っているプロセスの中からブラック・ミュージックに行き着いただろうことは、細やかなアレンジや曲展開に触れればわかること。6月に来日するオブ・モントリオールが、ある時期から急速にソウル、R&B色を強め、〈エレファント6〉時代、初期のハンドメイド感から遠ざかったような胎動が、いまのこうした世代の連中にも起こっているということなのかもしれない。

1976年生まれ。いくつかの職種を経て、20代半ばで出版業界入り。編集者、ライターとしてポップカルチャーを中心に、原稿執筆や雑誌、単行本編集を行う。編集近刊に坂口恭平『幻年時代』(幻冬舎)、『MY BEST FRIENDS どついたるねん写真集』(SPACE SHOWER BOOKs)など。著書に『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)、共著に磯部涼との『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ele-king books/Pヴァイン)などがある。
78年生まれ。90年末より音楽ライターとして活動を開始。主に日本のマイナー音楽と社会の関わりについてのテキストを執筆し、04年に単著『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)、11年に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)を刊行。その他、編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』とその続編『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)、歌詞がテーマのインタヴュー集『新しい音楽とことば――13人の音楽家が語る作詞術と歌詞論』(SPACE SHOWER BOOKS)、共著に九龍ジョーとの『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ele-king books/Pヴァイン)等がある。


