ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. Columns The TIMERS『35周年祝賀記念品』に寄せて
  2. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  3. Saint Etienne - The Night | セイント・エティエンヌ
  4. ele-king presents HIP HOP 2024-25
  5. Félicia Atkinson - Space As An Instrument | フェリシア・アトキンソン
  6. COMPUMA ——2025年の新たな一歩となる、浅春の夜の音楽体験
  7. Columns ♯9:いろんなメディアのいろんな年間ベストから見えるもの
  8. Whatever The Weather ──ロレイン・ジェイムズのアンビエント・プロジェクト、ワットエヴァー・ザ・ウェザーの2枚目が登場
  9. Terry Riley - In C & A Rainbow In Curved Air | テリー・ライリー
  10. interview with Sonoko Inoue ブルーグラスであれば何でも好き  | 井上園子、デビュー・アルバムを語る
  11. Saint Etienne - I've Been Trying To Tell You  | セイント・エティエンヌ
  12. interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones ジャズはいまも私たちを魅了する──沖野修也とジョー・アーモン・ジョーンズ、大いに語り合う
  13. Masaya Nakahara ——中原昌也の新刊『偉大な作家生活には病院生活が必要だ』
  14. VINYLVERSEって何?〜アプリの楽しみ⽅をご紹介①〜
  15. 忌野清志郎 - Memphis
  16. ele-king vol.34 特集:テリー・ライリーの“In C”、そしてミニマリズムの冒険
  17. Columns Stereolab ステレオラブはなぜ偉大だったのか
  18. Columns Talking about Mark Fisher’s K-Punk いまマーク・フィッシャーを読むことの重要性 | ──日本語版『K-PUNK』完結記念座談会
  19. FRUE presents Fred Frith Live 2025 ——巨匠フレッド・フリス、8年ぶりの来日
  20. The Cure - Songs of a Lost World | ザ・キュアー

Home >  Columns > RAVE TRAVELLER- 二十年後のレイヴ・トラヴェラー

Columns

RAVE TRAVELLER

RAVE TRAVELLER

二十年後のレイヴ・トラヴェラー

清野栄一  photos:ジェフリー・ジョンソン Sep 16,2014 UP


清野栄一『RAVE TRAVELLER - 踊る旅人【デジタルリマスター版】』
太田出版

Amazon

 都ホテル東京のドアを開けた時、ロラン・ガルニエは机に置いたノートパソコに向かい、その日の夜にプレイする曲をCD-ROMに焼いている最中だった。フランスに生まれ、1980年代から今までずっと第一線で活躍し続けている、テクノ界の生き字引のようなDJのひとりだった。
 そのガルニエが、2004年に出版した四百ページもある半生記とでもいうべき『エレクトロ・ショック』(翻訳は2006年・河出書房新社)を読んで、まさにショックを受けた僕は、興奮も冷めやらぬうちに、監修者の野田努氏と翻訳者のアレックス・プラット……パリ生まれで日本育ちの彼もまた世界各地でDJをしている……の仲介で、この本、『Rave Traveller』を抱え“てガルニエの元を訪ねたのだ。
 ビデオカメラをまわしながら『エレクトロ・ショック』の話を口にするなり、「あれは自分で書いたわけじゃないよ」とガルニエは言った。

 「インタビュアに喋りまくった話を、編集者がまとめてくれたのさ」

 1988年の9月……イギリスのマンチェスターからフランスに戻ったガルニエが本格的にDJをはじめた時、僕はちょうどパリに住みはじめたばかりだった。パラスやレックスやロコモーティブといったクラブの、革命前夜のように発狂していたダンスフロア! ……忘れもしない。今でもありありと脳裏に蘇ってくる。『エレクトロ・ショック』を読みながら、僕は自分が書いた『Rave Traveller』と重ね合わせずにはいられなかった。
 ホテルの部屋を訪ねた僕に向かって、ガルニエは、「いちばん大事なのは、こいつだ!」と言いながら、自分の胸元のあたり片手でたたいてみせた。ハート、ソウル、エナジー……そこにどんな言葉をあてはめてみてもよかったはずだ。ガルニエは僕に続けた。

 「テクノもハウスも、とっくの昔に音楽の一ジャンルになってしまった。今の若い連中は、テクノが好きならテクノしか聴こうともしない。でもいいか? 俺がジミー・ヘンドリックスをかけようが、古いアシッド・ハウスをかけようが、最新のテクノをかけようが、ダンスフロアにはオープンハートなパーティのヴァイブレーションが流れてるんだよ!」

 『エレクトロ・ショック』の中でガルニエはこう語っている。

 「テクノはたしかに前世紀の最後の音楽革命だった、しかしそれも15年前の話だ……現在はひとつのサイクルの終わりに来ている。もはや未来の音楽ではない。新しい勢いを見つけるために、自らを新しい他の音楽に解放して、ふたたび自らを発見していかなければならない」
 「存在のために変わる。さらに変化する。新しいサイクルをはじめる」

 最後のページには短い一行が記されていた。

 「パーティは続く」

 僕が『Rave Traveller』を書いてから、もう20年近くがたった。はじめてパリのクラブで踊った時から数えると、30年近くが過ぎようとしている。
 20世紀と21世紀の境目をまたぐその間に、世界情勢や経済や文化は加速度的な変化をとげた。複雑怪奇な金融工学と、ソーシャル・ネットワーキングと、携帯電話やスマートフォンが、グローバリゼーションと表裏一体の金融ショックや、世界じゅうで多発する民主化革命や、紛争やテロや報復を引き起こした。60年代にアンディ・ウォーホルが「誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と予言した未来を、追い越そうとしている。テクノに限らず、「ひとつのサイクルの終わり」が来ないわけがない。でも、ガルニエの言葉を借りれば、これだけは断言できる。
 
 「それでもまだ、パーティは続いている」

 僕がこの本を書こうと思い立った頃、日本語で読めるダンス・カルチャー関連の本といえば、『クラブ・ミュージックの文化誌』(野田努編・JICC出版局)だけだった。それから約2年間にまたがる旅行の後に、半年たらずで書きあげたこの本の読者の多くは、自分と同年代のパーティ・ピープルやトラヴェラーといった人たちだった。いや、そう思い込んでいただけなのかもしれない。

 僕が記憶している限り、最初の書評は社会学者の毛利嘉孝氏によるもので、この本は現代のオン・ザ・ロードでありセリーヌの旅する物語である、といった内容の一文が記されていた。僕の作家としての未来を暗示するかのように。
 同じ年にハキム・ベイの『TAZ──一時的自律ゾーン』(インパクト出版会)が出版されると、『Rave Traveller』とともに論じた書評が雑誌に掲載された。僕が書いた旅の物語は、文化研究(カルチュラル・スタディーズ)の文脈からも読まれるようになったのだ。やがて研究会や大学に招かれ、レイヴ・カルチャーについて人前で喋ることになるとは思いもしなかった。2005年には、その第一人者とでもいうべき研究者だった(とあえて過去形で書いておくが)上野俊哉氏が、『アーバン・トライバル・スタディーズ ─ パーティ、クラブ文化の社会学』(月曜社)を出版した。

 やがて僕は、『Rave Traveller』と相前後して書き続けてきた一連の小説を「ロード・ノヴェル」と名付け、『デッドエンド・スカイ』をはじめとする何冊かの本を出版した。その一方で、自分でもDJをして、パーティを開くようになり、実にたくさんの人と出会った。時には、見知らぬ若者から「あの本を読んで自分も旅に出ました」と言われていささか複雑な思いにとらわれたり、「卒論の参考文献にした」という大学生と出くわして驚いたり、本にサインを求められて、「ほんとうに著者なんですか?」と言われ免許証を見せたりしたこともあった。

 『Rave Traveller』は著者である自分自身にとっても、一連のロード・ノヴェルの最初の一冊になった、という以上の、もっと重要な問題をはらんでいた。僕はこの本の中で、ガルニエが胸に手を当てながら言おうとしたこと……パーティのダンスフロアで感じた、体の芯から湧きあがり、あふれでてくる「何ものか」について、ジョルジュ・バタイユや井筒俊彦の著作を引用しながら説明を試みている。
 今思えば、この本を書いていなければ、バタイユの『内的体験』や井筒の『意識と本質』を、体をともなった体験を通して読み返してみることなどなかったはずだ。その新たな「出会い」は、長い時を経て、今の自分が小説家として書き続けている作品の本質的な部分へとつながっている。

 こうして、僕は今でも作家でありながら、パーティでDJやライヴを続けている。そして、ふとした瞬間に、ホテルの部屋で胸元に手をあてていたガルニエの姿や、この本の冒頭でも引用したセリーヌの言葉を思い出すのだ。つい先月も、そんなことがあった。僕はこの本を書いていた頃に知り合った友人が主催するパーティに招かれ、凍えるように寒い真夜中にDJをして、やがてダンスフロアで朝を迎えた。

 「僕たちは、またこうして、お互いに、しっかりと生きてきたことを、確かめ会うのだ。」(『夜の果ての旅』生田耕作訳・中央公論社)

 この本を書きはじめたのはちょうど、日本で野外のレイヴ・パーティがはじまった頃だった。『Rave Traveller』という題名は最初から決まっていたが、出版するにあたって、英語だけでは意味が伝わらないだろうということになり、「踊る旅人」という日本語の副題をつけ加えた。やがて、レイヴやトラヴェラーという言葉を、僕は説明もなしに原稿の中で使うようになった。そして、20年後にこうして原稿を書きながら感じるのは、バブルが崩壊し、「失われた十年」と呼ばれた90年代の日本で、噴火のように涌き起こった、熱狂するダンス・ミュージックとレイヴ・パーティへのなつかしさのようなものだ。パリのダンスフロアではじめてそれを感じた80年代の末が、やがて「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれたのと同じように。

 『Rave Traveller』は、そのダンスフロアでひたすら踊りながら、ダンス・ミュージックやレイヴ・カルチャーとは何なのか? を探求し続けた、めくるめく旅の物語なのだ。そして、僕がはじめて出会った真の写真家であり、生涯の友となったジェフリー・ジョンソンの、深く研ぎ澄まされたまなざしの記憶でもある。
 今回の「デジタルリマスター版」の製作にあたり、僕とジェフは書籍にはなかった写真を新たにつけ加えることにした。厖大なフィルムの中から200枚もの写真を選ぶうちに、一冊の写真集にも匹敵する作品ができあがった。パーティや旅というものが、常に過ぎ去ってゆく「今ここ」の連続であるならば、これほどの瞬間を切り取って写真におさめ、ひとつのまとまった作品ができたのは驚くべきことだ。僕とジェフは、20年前に出版した本の冒頭に、それらの写真をまとめて挿入することにした。

 踊り、そして書き綴ること。旅をして、写し撮ること。その果てで交錯する言葉とまなざしが、この本に、旅行記や小説のような物語として、あるいは文化研究のテクストとして、そして90年代のストリート・カルチャーを写した作品として、長年にわたり読み継がれてきた多面性を与えている。そして、まだ20代だった僕とジェフが、あの時にしか成し得なかった、何ものにもかえ難いかけがえのなさが、この本を他に類のない独得な作品にしている。

 それはとりもなおさず、今なお脈々と続いているダンス・ミュージックやレイヴ・カルチャーが持ち続けてきた多面性であり、パーティで朝の太陽がのぼってくる時の、あの何とも言い難い、ありありと迫り、そして過ぎ去ってゆく、今ここにある世界と、それを感じ、生きている、自己と他者そのものなのだ。

■清野栄一
『RAVE TRAVELLER - 踊る旅人【デジタルリマスター版】』

太田出版 Amazon



COLUMNS