"CMYK"で極端に歪められていたあの声は、ジェイムズ・ブレイクそのひと自身の悲鳴だったのかもしれない......と、いまならそう思う。間違いなく『アントゥルー』期のブリアルを雛形にしていたそのシングルは、かつてのR&Bを亡霊化しダブステップ以降のビートの上で浮遊させることで、トラックの作り手の像をどこまでもぼやかすようであったし、あるいは、素っ気なくアーティスト名が冠されたデビュー作で極端にエフェクトがかけられたその声は、果たしてその主がどこにいるのか聴き手からは見えなかった。その実像を結ばないミステリアスさそのものが「ジェイムズ・ブレイク」という観念であって、それこそが現代に徘徊する過去の音楽の幽霊を自らに憑依させる彼のあり方である......はずだった。だが、大々的な成功を収めたあとのセカンド・フル『オーヴァーグロウン』ではわけが違っている。
声が裸になっている。それこそがもっともシンプルで、そして最大の変化であるだろう。"リミット・トゥ・ユア・ラヴ"でのファイストのカヴァー、"ア・ケース・オブ・ユー"でのジョニ・ミッチェルのカヴァーという布石はあったにせよ、『オーヴァーグロウン』を一言で言えば、その歌声をより加工のない状態で晒すことによって、観念としてではない、ひとりの表現者としての「ジェイムズ・ブレイク」が立ち現れている作品だ。ダークスター、マウント・キンビーとポスト・ダブステップ時代に登場したスターたちがこぞって歌に向かっていることは興味深い事実だが、真打ジェイムズ・ブレイクの本作に関して言えば、完全にシンガーソングライター・アルバムだと言っていいだろう。
サウンドそのものは、多くの(デビュー作がヒットしたアーティストの)セカンドと同様、幅を広げて多彩なものとしている。きわめて低いところで鳴るキックにかぶさってくるストリングスがゴージャス感すらある"オーヴァーグロウン"から、重々しいシンセ・ポップ"ライフ・ラウンド・ヒア"、ピアノの弾き語り風に歌い上げられるソウル・ナンバー"DLM"、ブライアン・イーノとの共作でアルバム中もっともヘヴィなビートとベースが聴ける"デジタル・ライオン"、ヒプノティックなハウス・トラック"ヴォワヤー"まで......。それに......ゴスペル、ヒップホップ、それにもちろんダブステップ。しかし、それらすべてをブレイクそのひとの声と、その揺らぎが生み出す物悲しい旋律が繋ぎ止めているために、不思議とアルバムのカラーは恐ろしく統一されているように感じられる。恐ろしく、と書いてしまったのは、それらが過剰なまでに遵守されているように僕には聞こえるからだ。たとえば、ウータン・クランのRZAが参加した"テイク・ア・フォール・フォー・ミー"。彼の声とラップすら「ゲスト」のように思えない。この作品の持つ柔らかなダークネス、重力の揺らぎ、そういったものに取り込まれているかのようだ。
そう、だから、これは声と姿を隠さないブレイクと密室的に向き合うアルバムだ。主題は愛だという。そういう意味では、よくファルセット・ヴォイスの類似が指摘されるアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズやボン・イヴェールときわめて近い場所に存在していると言える。......が、アントニー・ハガティがハイ・アートやマイノリティ・カルチャーを、ジャスティン・ヴァーノンがアメリカの片田舎の冬の風景を背景に持っているのに対して、ブレイクの後ろには何もない。もはやクラブ・カルチャーを負っているとも言えない。アートワークにあるように、ここにいるのは彼とわたしだけ。そんな場所でこそ、ブレイクの歌は響いている。
「ふたりは終わりまで向かっている きみと僕とで "トゥ・ザ・ラスト"」......それは、はじめての恋(!)を経験したという彼の個人的な愛の言葉だろうか。出発点はそこだったかもしれない。が、やはり強く孤独感を内包「してしまう」声とメロディでそれが放たれるとき、「きみ」はブレイクの歌をヘッドフォンをして聴いているあなたである。ただ、その声は裸になっているにもかかわらず、言葉と音の抽象性は高く、ここで示されている「愛」を完全に理解することは難しい。姿は見えても、そのいちばん内側にはたどり着けない......。その息苦しさを伴う切なさこそがそして、ジェイムズ・ブレイクを聴くことなのだろう。
しかしながら"CMYK"の頃は亡霊たちの助けを借りていたが、ブレイクはもはやひとりでここに立っている。やや性急な変化かもしれない、が、「僕は愛せるかもしれない」という"アワ・ラヴ・カムズ・バック"、その美しいソウルの幕切れは感動的ですらある。「ふたりの愛は夜中に突然 戻ってくる」。ジェイムズ・ブレイクが懸命に呼び起こそうとしていた亡霊たちは、彼の願い、そのものであった。
「Sã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
予想のつかない未来について書くことほど難儀なことはない。それが紹介であろうとも。いまここで紹介しようとしているイヴェントがまさにそれだ。イヴェント......と言うと軽い。実験だ。実験とは、まだ評価が定まらない領域にチャレンジすることであるから、リスクを伴う。その場を共有するオーディエンスは、その危うく、エネルギッシュで、スリリングな綱渡りを生で体験するわけだから共犯者である。5月2日の夜、渋谷の〈WWW〉でくり広げられるのは壮大なギャンブルである。
V.I.I.M(https://twitter.com/VIIMproject)と〈ブラック・スモーカー〉(https://twitter.com/BLACKSMOKERREC)がタッグを組んで、なんとオペラを上演する。その名も〈BLACK OPERA〉。「映像を中心とした音楽とパフォーマンスの可能性を開拓すべく開催されてきた、映像作家、rokapenisを中心としたプロジェクト」であるV.I.I.Mと、言わずと知れたアヴァン・ヒップホップ・レーベル〈ブラック・スモーカー〉がさまざまな分野の一流の才能に呼びかけて実現する。
V.I.I.Mはこれまで渋さ知らズオーケストラやディアフーフとコラボレーションしてきている。首謀者のrokapenisは、いまや〈ブラック・スモーカー〉のパーティ(例えば〈フューチャー・テラー〉との合同パーティ〈BLACKTERROR〉)には欠かせないVJでもある。〈ブラック・スモーカー〉は昨年レーベル15周年(!)を迎え、恵比寿の〈KATA〉(リキッドルームの2階)で〈BLACK GALLERY〉(https://www.blacksmoker.net/blackgallery/ )を開催して大成功を収めた。〈BLACK OPERA〉は、ある意味ではその続編と言えるかもしれない。
まず出演者をチェックしてほしい。ミュージシャン、ラッパー、デザイナー、ダンサー、映像作家、デコレーター、DJ、造形家、現代美術家、文筆家......彼ら、彼女たちはいったいどこで、何をきっかけに接点を持ったのだろうか。いや、この日はじめて遭遇する演者もいるに違いない。読者のみなさん、もし自分の知らない出演者がいたならば、2人か3人、インターネットか何かでリサーチしてみて欲しい。予習のつもりで。わくわく、うずうずしてくるでしょう。
シナリオはあるが、シナリオ通りにはいかないだろう。5月2日の夜、わたしたちはGambler's Fallacyのダイナミズムのなかで踊るのである。わたしたちには、輝かしい言葉に彩られた過去のムーヴメントやカルチャーを羨ましがる余裕などない。新たな扉を開くのは、彼らであり、わたしであり、あなただ。いったい全体、これだけ異なる分野の才人、偉人、変人、狂人、巨人たちが集結して、何をしでかすのか。目撃しよう。(二木信)
■V.I.I.M × BLACKSMOKER
BLACK OPERA ver.0.0 《The Gambler's Fallacy》
2013.05.02(thu) @ WWW <https://www-shibuya.jp> (Shibuya)
OPEN 19:30 / START 20:30
adv. 2,800Yen / door 3,000Yen
BLACKSMOKERとV.I.I.Mが贈る異形の祝祭!!!!
ブラックオペラ!!!!
個々の活動通じて常に最前線の表現者達と手を組んできたBLACKSMOKERが、今回V.I.I.MとWWWとそのネットワークを駆使しオペラ作品を上演します。
唯一無二の音楽家・表現者達と絶対的なスキルのラッパーによるブラックオペラ=異形のオペラ!!
明るい未来の希望よりもいまを生き抜くタフさ、現状を憂うよりも異次元の祝祭を巻き起こす磁場を現場で体験せよ!!
ギャンブラーの誤謬《Gambler's Fallacy》
ギャンブラーの誤りとは、ある出来事の起きる確率があらかじめ決まっているにもかかわらず、その前後に起きた出来事による影響を受けて、あたかも確率が変化するかのように誤って思い込んでしまうことである。例えば、コイン投げで「3回続けて表が出たので、4回目は裏のほうが出そうだ」といったもの。コイン投げの場合、それまで何回一方の面が連続して出たかにかかわらず、表が出る確率は常に50%である。
music:
山川冬樹
伊東篤宏
大谷能生
KILLER-BONG
JUBE
BABA
RUMI
OMSB(SIMI LAB)
DyyPRIDE(SIMI LAB)
hidenka
千住宗臣
and more
concept/text:
五所純子
大谷能生
art:
河村康輔
KLEPTOMANIAC
R領域
maticlog
dance:
東野祥子
片山真理
メガネ
Tanishq
ケンジル・ビエン
visual:
rokapenis
Opening DJ:
Shhhhh
お問い合わせ:03-5458-7685
〒150-0042東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル地下
https://www-shibuya.jp
プレイガイド:
チケットぴあ【Pコード:196-916】 https://t.pia.jp/ 電話予約:0570-02-9999
ローソンチケット 【Lコード:74424】 https://l-tike.com/ ※電話予約なし
e+ https://eplus.jp/
![]() The D.O.T. Diary ホステス |
取材当日の午前中、マイク・スキナーの具合が悪く、病院に行った。なので、急遽、ロブ・ハーヴェイひとりで対応して欲しいとホステスの担当者から電話がかかってきた。これは困った。僕は、ザ・ストリーツはデビューからずっと聴いている。しかし、ロブ・ハーヴェイのミュージックに関してはずぶの素人。申し訳ない。
The D.O.T.を、マイク・スキナーの新しいプロジェクトと見るか、あるいはロブ・ハーヴェイの新しい作品と見るかでは、おそらく違うのだろう。僕は、日本では少数派かもしれないが、ザ・ストリーツの最後の作品、『コンピュータ&ブルース』(2011年)の延長で聴いている。その作品が、わりとロック寄りの内容だったので、部分的にではあるが、The D.O.T.の予習はできていた。
それでも、最初に『アンド・ザット』(既発曲の編集盤)を聴いたときには、CDを間違えたのかと思った。ほとんどラップもないし、ガラージでもないし、クラブ・ミュージックでもない。その代わりに......エルトン・ジョンのような歌が聴こえる(!)。
『コンピュータ&ブルース』が、リリースから2年経ったいま聴いても良い作品であるように、The D.O.T.のデビュー・アルバム『ダイアリー』も、良いポップ・アルバムだ。ザ・ストリーツの作品にように、シニカルかつアイロニカルに屈折しているわけでもない。雑食的な音だが、基本にあるのはポップ・ソングだ。エモーショナルで、耳に馴染みやすいメロディ、綺麗なハーモニーがあって、クラブ・ミュージックのセンスも注がれている。
しかし......先述したように、筆者は、ミュージックなるロック・バンドの音楽を知らない。『コンピュータ&ブルース』に参加したロブ・ハーヴェイについては知っている。ロブはその現実を受け止め、とても真摯に答えてくれた。

言葉表現の能力の高さ、素晴らしさに尽きるね。思いを言葉にするだけじゃなくて、その言葉や意味を、人に聴かせうる質にまで高めることができるんだ。正直、うらやましいと思った。
■正直に言いますと、僕は、あなたのことを『コンピュータ&ブルース』で知ったような人間です。誤解しないで欲しいのは、ロブのことはリスペクトしていますけど、それまでミュージックのこともロブ・ハーヴェイのことも知りませんでした。
ロブ:オッケー、オッケー、よくそう言われるよ(笑)。
■でも、『コンピュータ&ブルース』であなたが歌っている3曲は好きでした。
ロブ:アリガト。
■編集部の橋元からは、「常識的に言えば、ミュージックは人気バンドで、とても有名だし、知らないのは頭がおかしい」と言われました。
ロブ:はははは。
■実際、『コンピュータ&ブルース』がD.O.T.のスターティング・ポイントだったと言えるのでしょうか?
ロブ:初めて共作したのはこの作品でした。スタジオに入ったのも初めてだったし、それが可能性について考えはじめた時期でもあったよね。
■ロブから見て、ザ・ストリーツのどんなところが好きでしたか?
ロブ:言葉表現の能力の高さ、素晴らしさに尽きるね。思いを言葉にするだけじゃなくて、その言葉や意味を、人に聴かせうる質にまで高めることができるんだ。正直、うらやましいと思った。音楽をやっている人間なら誰しも過去にはないものをやりたいと思うものだけれど、それを実行することは難しい。マイクはそれをできた数少ないひとりだ。その影響力は、アークティック・モンキーズにもいたる。イギリス人の直面している現実っていうのものを巧い言葉で表現するんだ。アメリカの真似ではなく、イギリス的なやり方でね。
■アルバムではどれがいちばん好きですか?
ロブ:おお、難しい。『コンピュータ&ブルース』と言いたいところだけど、自分が参加しているからね......やっぱりファースト・アルバム(『Original Pirate Materia』)かな。強さを感じたのは。セカンド・アルバムはコンセプトというものを形にした作品で、シングル曲も良かった。『Everything Is Borrowed』は、スピリチュアルな歌詞も良いし、サウンドの様式的には僕が好きなタイプでもある。
■『Original Pirate Materia』にはイギリスの名もない野郎どもの日常が描かれていましたが、あなたにとってはあの作品のどこが良かったんですか?
ロブ:目の前にあるモノを的確な言葉で表現していることだね。つまり、表現の仕方が、「いかにも」的な、何度も聞いたことがあるような言葉ではなく、しかも、あからさまな表現をしていない。それでも、多くの人があの歌詞に共感したんだよ。何故なら、そこには、ユーモア、知性、それから繊細さもあった。イギリス人はだいたい、繊細さを見せると弱い人間だと思われるんで、繊細さを隠す傾向にある。しかし、マイクは、繊細でありながら、弱さに覚えれなかったんだよね。
■あの歌詞で描かれているようなイギリスの若者の日常には、ロブも共感できるものなの?
ロブ:まあ、僕は当時、バンドにいたし、まったく違ったライフスタイルだったからな。マイクの場合は、たったひとりの日常を描いているわけじゃないんだ。いろんなタイプの人たちの日常を描いて、物語として伝える。そこがすごいところだ。
■あのアルバムは2002年でしたっけ? ああいうUKガラージに興味はありました?
ロブ:なかったね。僕がその頃いた北部は、ガラージよりもハウスやテクノのほうがかかっていたんだよね。最初に行ったギグはレフトフィールドだったよ。こういう感じで......(ドンドンドンドンとテーブルを4つ打ちで鳴らす)。
■はははは。
ロブ:そう(笑)。
■『コンピュータ&ブルース』は、ザ・ストリーツのなかでもロック寄りの作品でしたよね。"Going Through Hell"なんか、いま聴くとD.O.T.の原型みたいな気がします。
ロブ:うーーーん、それはやっぱザ・ストリーツの曲だと思う。ザ・ストリーツのとき、マイクはすべてをひとりで作らなきゃいけなかったんだけど、D.O.T.はもっと楽しみながら制作している。"Going Through Hell"はふたりでやった最初の仕事には違いないけどね。でも、やっぱその曲はザ・ストリーツの曲だ。
■D.O.T.の方向性にとくに影響を与えた作品はありますか?
ロブ:マイクのほうがいろいろな音楽を聴いているからね。僕は、他の音楽からの影響というよりも、自分自身が良いミュージシャンになりたいという気持ちのほうが強い。生きていて、生活のなかからインスピレーションをもらって、それをいかに音楽の形にするか。ソングライターとしてとにかく成長したいという思い、新しい音楽の作り方を模索したい、自分のメロディをさらに良いモノにしたい、歌い方も、いままでやったことのない歌い方に挑戦したい。そういった思いが僕を音楽に突き進ませるんだ。
■とてもエモーショナルで、ソウルフルな音楽、そして親しみやすいポップ・ミュージックだと思ったんですが、あなたから見て、もっともD.O.T.らしい曲はどれでしょうか?
ロブ:"Blood, Sweat and Tears"だね。
■ああ、メランコリックな曲ですね。
ロブ:そうだね。
■僕は。"Under a Ladder"や"How We All Lie"のほうがD.O.T.らしく思ってしまったのですが。
ロブ:"Under a Ladder"は基本的にマイクひとりで書いた曲だよ。
■"How We All Lie"は?
ロブ:僕らふたりと、もうふたりのミュージシャンとの合作だね。歌メロは僕が担当して、他のヴァースはマイクが書いた。
■"Blood, Sweat and Tears"がもっともD.O.T.らしいと思う理由は何でしょう?
ロブ:それぞれが得意としているところをしっかり見せているからだね。プロダクションもシンプルで、歌も直接的で、装飾的ではなく、人の心に訴えるような曲だと思う。
■"How We All Lie"や"How Hard Can It Be"のような、興味深い曲名が並んでいますよね。
ロブ:みんなに考えさせたいと思ってそういうタイトルにしたんだよ(笑)。
■歌詞についてのあなたの考えを教えて下さい。
ロブ:ひとつの具体的なことを歌っているわけじゃないので、好きに解釈してくれればいいよ。より多くの人の感情がアクセスできるような、共鳴できるような歌詞にしているし、その言葉によって自分も救われたいというか。
■その言葉は社会から来ているのでしょうか? それとももっとパーソナルなもの?
ロブ:どちらにも受け取れる。たとえば"How Hard Can It Be"は、政府のことかもしれない。あるいは、恋愛関係のことかもしれない。自分と自分のことかもしれないし。聴き手次第だね。
■訳詞を読みながら聴くべきだと思いますか?
ロブ:僕なら読まないね。音を聴いて欲しい。だって、同じ言葉でも、僕の歌い方によって感じ取り方が違うと思う。歌詞ってそういうものじゃん。
■たしかに感情的なところは歌い方によって違いますからね。
ロブ:そういう意味では、僕の歌はつねに個人的なところから来ていると思う。芸術家ってそういうものなんじゃないかな。商品を作っているんじゃないんだ。描きたいから描くのであって、僕も謡から歌っているんだ。D.O.T.では、マイクが頭脳担当なら、僕は感情担当なんだ(笑)。たしかにザ・ストリーツの素晴らしさは言葉表現だったと思う。でも、ミュージックは、誠実さ、迫力、もっとエモーショナルものだった。僕がD.O.T.に持ち込んでいるのは、そういうことなんだ。つまり、これは、ザ・ストリーツとは違うんだ。
[[SplitPage]] その当日、結局マイク・スキナーの体調は戻らず、取材はキャンセル。帰国後、電話を使っての取材となった。ロブ・ハーヴェイが言うように、言葉表現の巧みさを持った彼の作品について訊くのは、歌詞を精読してからのほうがベターなのは間違いないが、いままで知らなかった彼の音質へのこだわりなど、興味深い話が聞けた。
僕はダンス・ミュージックが大好きでDJもよくするし、僕のルーツのひとつだからね。いまはThe D.O.T.のリミックスもやっているところなんだけど、そっちはよりクラブっぽい音になってるよ。
![]() The D.O.T. Diary ホステス |
■『コンピュータ&ブルース』がラップ、ダンス、ロックのブレンドだったわけですが、ロブは3曲参加していますよね。ザ・D.O.T.は、『コンピュータ&ブルース』を契機に生まれ、その延長として発展したプロジェクトとして考えて良いのでしょうか?
マイク:そうだね。これがはじまったのは偶然みたいなものなんだ、ちょうどその頃僕たちふたりとも当時やっていたプロジェクトがひと段落するところでさ、最初にまず2曲くらい一緒に作ってみたらすごくいい感じのものができて、そこからそのまま一気に進んでいったんだよ。
■『コンピュータ&ブルース』制作中にはすでにThe D.O.T.の構想はありましたか?
マイク:えーっと、ロブがザ・ストリーツのツアーを一緒に回って、その後にザ・ミュージックのラスト・ツアーに出てたから、はじまったのはザ・ストリーツの活動が終わってすぐかな。僕のスタジオを中心に、ロンドンのいろんなスタジオで制作していったんだ。僕にとっては、ずっとほとんどひとりで音楽を作っていたから他の誰かとやるっていうのは初めてだったし、ずっとバンドでやっていたロブにとってはふたりだけでやるのは初めてだったから、お互いに新しい挑戦だったよ。
■『コンピュータ&ブルース』に入っている"Going Through Hell"なんかはザ・D.O.T.の原型みたいじゃないですか?
マイク:ああーうん、そうだね! The D.O.T.の基本的なアイデアとしては、僕のプロダクションの上にロブの歌やメロディをのせていくって感じのものが多いんだけど、"Going Through Hell"でもロブがメロディを書いたんだ。今回のアルバムの曲の多くとは、基本的な原理は同じで組み合わせている要素も同じだから、結果的にかなり近いものが出来たと思う。
■あなたは、『コンピュータ&ブルース』というザ・ストリーツの最後のアルバムで、なぜロック的なアプローチを取り入れたのでしょうか?
マイク:いろいろな違った方法を試してみるっていうのは大事だと思うんだ。同じことを同じ方法でやってばかりいると、ありきたりで予想のつく音楽になってしまうからさ。ただ僕自身はあれがとくにロック的だとは思っていないよ。ロックっぽく聴こえるのは、良いヴォーカルを入れようとした結果じゃないかな。
■ザ・D.O.T.で、よりソウルフルな、エモーショナルなポップ・ミュージックにアプローチした理由を教えてください。
マイク:今回The D.O.T.の音楽を作る上では、あんまりいろいろなことを意識してやっていたわけじゃないんだ。特定の誰かと一緒にスタジオに入ったときに、なんとなく楽器を手に持って弾きはじめる......みたいな感じだった。ただ僕は元々がラップ・ミュージックから来ているから、アルバムを作るときも自然とエモーショナルな方向にいくし、ロブはソウルフルなシンガーだからそういう音になったね。
■とても聴きやすいアルバムだと思うのですが、とくにザ・D.O.T.らしい曲はだれだと思いますか?
マイク:"Blood, Sweat and Tears"は僕らがThe D.O.T.としてできることのいい見本になっていると思うよ。かなり短時間でできたストレートな曲で、僕の好きなビッグなドラムの音が入っていて、ロブのヴォーカルにもすごく感情が込もっている。
■"Under a Ladder"は?
マイク:"Under a Ladder"は僕がほとんど自分ひとりで作った曲だね。なんていうか、このアルバムは僕らが作った幾つものトラックの中から選んだベスト・トラック集みたいな感じなんだよ。
■では実際に作ったトラックは何曲ぐらいあったんですか?
マイク:僕のデスクにある記録だと、70曲強だね。そのなかから完成させたのは40から50曲くらいかな。
■かなりありますね! そちらのリリースはしないんですか?
マイク:次にアルバムを作るときは、またいちから新しい曲を書くと思うよ。これまでにインターネットに上げた曲や今回のアルバムの曲はみんな似たような雰囲気があるしさ。でも、またもう少ししたら新しい曲を書きはじめるつもりでいるよ。
■トラックの基本はマイクが作ったんですよね?
マイク:その曲によって作り方は違ったよ。まずロブがメロディを作って僕がプロダクションをしてってパターンが多かったんだけど、その逆になるときもあった。僕がビートを作るところからはじまって、ふたりで完成させたりとかさ。ほとんどの曲は僕がプロダクションの部分を仕上げたけど、なかにはロブがほとんど完成までやった曲もあったしね。他のミュージシャンと一緒にスタジオに入って、みんなで曲を書いたこともあったよ。ひとつのパターンにはまるんじゃなくて、いろいろとやり方を変えることで、いろんな違ったものが作りたかったんだ。
■プロダクション面はマイク主導でやっていたんですね。具体的にはどのような感じでしたか?
マイク:僕の持っているスタジオでやることが多かったんだけど、僕はオールドスクールなやり方で作るのが好きなんだ。もちろん基本はコンピュータを使っているけど、まわりの機材はアナログが多いから、ちょっと70年代っぽい音になっていると思う。僕らはマスタリングまで自分たちでやるんだけど、マスタリング関連の機材は使っていて楽しいよ。
■アーティスト自らマスタリングまでやるというのは珍しいですね。
マイク:うん、僕にとっては、ミキシングやマスタリングまでやるっていうのは大事なんだ。ミキシングまでやるミュージシャンは多いけど、マスタリングまでっていうのはあんまり多くないよね。自分で曲を書いたならプロダクションまで自分でやる方がいいと思うんだ、その曲がどういう風に聴こえるべきか自分でわかってるんだからさ。とくにマスタリングって、その曲がどう聴こえるかに大きな影響を与えるから、自分でその部分のコントロールもするっていうのが理にかなっているよ。
■ダンス・ミュージックというところは意識しましたか?
マイク:もちろんさ、僕はダンス・ミュージックが大好きでDJもよくするし、僕のルーツのひとつだからね。とくに(ザ・ストリーツの)ファースト・アルバムにはそういう部分がより出ていたと思う、クラシックっていうか、ストレートにアップビートな感じの曲が多かったセカンドよりも、より遊びのあるダンスっぽい感じの音さ。いまはThe D.O.T.のリミックスもやっているところなんだけど、そっちはよりクラブっぽい音になってるよ。
■自分たちの方向性に影響を与えた作品はありますか?
マイク:わからないな。僕らふたりとも、年齢とともにだんだん「これに影響を受けた」ってはっきり言うのが難しくなってきてると思うんだ、これまでにいろんな音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだりしてきたからさ。最近はとくに音楽以上に、映画や本から影響を受けているんじゃないかな。
■映画や本ですか。普段どのような本を読むんですか?
マイク:いま読んでいるのはハリー・セルフリッジ(イギリスの高級デパートチェーンの創業者)についての本だけど、普段好きで読むのは第一次世界大戦前の、エドワード朝時代あたりを題材にしたものとかだね。世界大戦で人びとの生活も何もかもがすっかり変わったから、その前の時代のことってすごく魅力を感じるんだよ。
■個人的にいちばん好きな曲のひとつなのですが、"How We All Lie"は何についての歌ですか?
マイク:The D.O.T.の曲の多くは抽象的で曖昧なんだ、それぞれの曲にはっきりしたストーリーや視点があったザ・ストリーツのときとは違ってね。僕自身、そういうストーリーとかの制約から自由なところで活動したかったからさ。"How We All Lie"では、基本は人びと全般について歌っているんだけど、スタジオに居たときにそこにあった新聞のスポーツ面を見ながら書いたから、サッカーについてのテーマも同時に曲全体に入って いるよ。
ザ・ストリーツでは歌詞を書くのに時間をかけていたけど、今回はできるだけ時間をかけないようにしたんだ。そうするとその分、ほかの面でクリエイティヴになる余裕ができるんだよ。
■"How Hard Can It Be"は社会風刺ですか?
マイク:あの曲はちょうど、次期首相を選ぶ総選挙の直前に書いたんだ。(その選挙で選ばれた)いまのイギリスの首相(デイヴィッド・キャメロン)はエリート学校出身のお坊ちゃんなんだけどさ。
■それが歌詞の「You don't know the price of bread(アンタはパンの値段なんか知らないクセに)」に繋がるわけですね。
マイク:その通り! それとその曲では、人びとのなかには、世界で何が起こっているのかよくわかっていない人たちもいるっていうことにも触れているんだ。
■ザ・ストリーツには作品ごとにそれぞれのコンセプトやテーマがありましたが、そういう意味でのコンセプトやテーマが今回もあったら教えてください。
マイク:そうだね、さっき言ったように今回はより抽象的だし、コンセプトっていうのはないと言えると思う。あんまり音楽にヘヴィで現実的なテーマばっかり求めてしまうのも良くないと思うんだ。
僕はこれまでにコンセプト・アルバムっていうのはひとつだけ作ったことがあって、あれは曲それぞれにストーリーがあって、それを繋げていくっていうものだったから、それほど現実的なテーマではなかったんだ。それを批判する人も多かったんだけど、それも無理はないと思うよ、人って音楽に何か「リアル」なものを求めてしまうものだからさ。
ちなみに来日して病に伏したマイク・スキナーが作った曲がsoundcloudに挙がっている。
「唯一の真実の愛/それはぼくの心にある」「たったひとりの男/それはぼく」("スノーフレークス・アー・ダンシング")、そんなふうに言い切るところがカート・ヴァイルのすごいところだ。日常で口にすると警戒されるかもしれないが、歌や架空の人物が発したものならばすんなりかっこいいと思える言葉。警戒されるのは、こうした強い断定から立ち上るナルシシズムや自己中心性がときとして共同体の脅威となるから。かっこいいと思えるのは、われわれが本当はその"ナルシシズム"に共感していたり、そうしたありかたを理想としていたりするから。はったりではなく本当にそう思っているのだなということが伝わったときには、カリスマさえ宿る。ともあれ、口には出せないある真実を乗せられる、それは歌や創作の持つ大きな力のひとつではないだろうか。そして、そのように歌にしかできないことを歌にするフォーク・シンガー、カート・ヴァイルが多くの尊敬を集めるのも、よく理解できることだ。
この詞は次のようにつづく。「出かけると/家に帰りたくなる/家にいると/脳は外に置きざり」。リテラルに意味をとるとへそまがりのように見えるけれど、冒頭の詞をくっつけると、家にかえりたい気持ちや、脳が外に置きっぱなしになっている感覚の方にリアリティが宿る。反対のことがしたくなるんじゃなくて、天は自分を中心に回ってくれない、ということに対する違和が歌われているのだと感じる。「君は絶対逃げ出したりしないよね」とみずからへの帰属を強迫的にうながす"ネヴァー・ラン・アウェイ"なども似ているのではないだろうか。自分が世界から疎外されているという感覚はわりと一般的だが、世界が自分についてこないという感覚は、平凡の線をはみ出てわずかに狂気を光らせる。それが、サイケ・フォークというスタイルにしっくり溶け込んでいる。ジャケット・デザインはカラフルだが、壁面に描かれたグラフィック・アートのひとつひとつはシド・バレット『バレット』の虫を彷彿させた。
2008年『コンスタント・ヒットメーカー』から数えて5枚め。いまのところ明るくなったと評されることの多い本作だが、歌われている内容はけっしてそうも言えない。ただ、音のヴァリエーションは豊かになっている。"ワズ・オール・トーク"のシンセづかいやハンマー・ビート、"トゥ・ハード"や"エアー・バッド"などに挿入されるノイズや上モノは、彼の楽曲にスペーシーな表情を加えている。空間性のあるプロダクションで、薄霧のようなリヴァーブが頭のなかと外の世界との境界をかく乱している。そしてどんな曲でも、ファズの効いたエレキ・ギターのかたわらにあっても、アコースティック・ギターの冴えた音が他のどの音にも混じりあわずに白々と輝いている。これがヴァイルのアイデンティティなのだろう。
レコーディングに前作より多彩なミュージシャンが参加しているのも特筆すべき点だ。ツアー中に制作されたという本作は、アメリカ国内3ヶ所で録音が行われ、各地のミュージシャンが〈ウッディスト〉主宰のジェレミー・アールからウォーペイント、ビーチウッド・スパークスのファーマー・デイヴ・シェアーらを筆頭に名を連ねている。サーストン・ムーアやJ・マスキス、パンダ・ベアからも愛される、ミュージシャンズ・ミュージシャンといった趣も強いヴァイルだが、本当に「周囲の助けによって支えられる」アーティストなのだろう。人づきあいがうまいのだとはどうしても想像できない。リスペクトすべき音楽家として慕われ、よくしてあげたくなるような孤独な危うさを持っている、そんなふうに想像しておきたい。
セッションが充実したものだったのだろう。長尺の曲も目立つ。まさに〈ウッディスト〉なとろとろのドリーミー・サイケ、"ゴールドトーン"が10分展開されてアルバムは閉じる。「心の奥に金色のトーンを探す」という、やはり外には出ない構えだ。まったく歪みない。
エメラルズ解散は惜しまれるものの、それぞれに豊かな才能を持つ3人だ、惜しみつつワクワクもする。最後のアルバムは、聴きようによってはマークのギターをふたりがどう料理するかという作品でもあった。ジョン・エリオットは「ジョンと僕はたくさんの様々なアプローチを取りました。マークのギターの音色にもこだわり、異なるアンプやマイクに通したりしてたくさんの時間をかけました。」と語っていた。マークがほとんど自身のソロ作品と変わらない演奏を、のびのびと繰り広げていることのカラクリがわかるようで微笑ましい。同時に彼のギターがバンドによっていかに大切にされていたのかが理解できるエピソードだ。先にひとり抜けるかたちになってしまったマークの、脱退後初となる来日情報をお伝えしよう。サポートにはケン・シーノ(ポニーテイル)。完全にひとりで、じっくりと、驚くべきグルーヴを立ち上げた前回に対し(且つラストはナゾのディスコ展開に!)、今回はいったいどんなステージになるのか......楽しみです!
■Mark McGuire (ex. Emeralds) Japan Tour 2013
special guest: Ken Seeno (ex. Ponytail)
インディ・シーンからエクスペリメンタル・ミュージック・シーンにおいて、リスナーからミュージシャンまでその動向を緊張感をもって意識される存在がマーク・マグワイアである。エメラルズからの脱退後(その後バンドは解散)初となる来日公演、誰もがその動向に注目していただけに貴重なライヴになること必至! 今回はあのダスティン・ウォンが在籍したボルティモアの実験的アート・バンド、ポニーテイルのギターリスト、ケン・シーノがサポート・アクトとして同行します。お見逃しの無いように!
関連リンク:
Mark McGuire: https://soundcloud.com/mark-mcguire https://mcguiremusic.blogspot.jp/
Ken Seeno: https://soundcloud.com/kenseeno
■5.8 wed 名古屋 TOKUZO
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Ken Seeno (ex. Ponytail), Maher Shalal Hash Baz
開場 18:30 開演 19:30
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) 共に別途ドリンク代
ぴあ (P: 198-357)
メールでのチケット予約→ info@tokuzo.com or tkbcdef@gmail.com
Information: 052-733-3709 (TOKUZO)
https://www.tokuzo.com/
https://www.thisisnotmagazine.com/
■5.9 thu 大阪 CONPASS
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Ken Seeno (ex. Ponytail) and MORE!!
開場 18:30 開演 19:30
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) 共に別途ドリンク代
Information: 06-6243-1666 (CONPASS)
https://conpass.jp/
■5.10 fri 東京 UNIT
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Dustin Wong, Ken Seeno (ex. Ponytail)
開場 18:30 開演 19:30
¥3,500 (Advance), ¥4,000 (Door) 共に別途ドリンク代
Information: 03-5459-8630 (UNIT)
https://www.unit-tokyo.com/
■5.11 sat 新潟 正福寺(新潟市中央区西堀通7番町1548)
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Ken Seeno (ex. Ponytail), le
開場 18:00 開演 18:30
¥2,500 (メール予約), ¥3,000 (Door), ¥2,000 (新潟県外), FREE (学生)
メールでのチケット予約→ info@experimentalrooms.com
*新潟県外・学生の方は入場時に身分証明証をご提示下さい。
Information: https://www.experimentalrooms.com/
■5.16 thu 広島 ヲルガン座
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds) その他 *Ken Seenoは出演致しません。
開場 19:00 開演 20:00
¥3,000 (メール予約), ¥3,500 (Door) 共に1オーダー
メールでのチケット予約→ organzainfo@gmail.com
Information: 082-295-1553 (ヲルガン座)
■5.17 fri 高松 ノイズ喫茶iL
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds) その他 *Ken Seenoは出演致しません。
開場・開演 20:00
¥3,000 + 1ドリンクオーダー
Information: 087-805-7215 (ノイズ喫茶iL)
■5.18 sat 京都 THE STAR FESTIVAL 2013
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds) その他 *Ken Seenoは出演致しません。
開場 13:00 開演 14:00
¥5,000 (Advance), ¥6,000 (Door)
Information: 06-6541-6377 (THE STAR FESTIVAL)
https://www.thestarfestival.com/
Mark McGuire
1986年12月31日生まれ。米クリーブランド出身。マニュエル・ゲッチング等からの影響が色濃いミニマリズムと幾重にもレイヤーが重ねられた現代のギター・アンビエントを融合させたサウンドで、テン年代のエクスペリメンタル・ シーンにおいて最も注目を集めるアーティストのひとり。彼がギタリストとして在籍したバンドEmeraldsのアルバム『Does It Look Like I'm Here?』(2010年)が世界中で高い評価を受けたのをきっかけに、マークのソロ作品『Living With Yourself』(2010年)、『Get Lost』(2011年)も賞賛され、ソロ・アーティストとしての人気を確立。LindstromやDucktailsのリミックスも手掛けている。2012年末にEmeraldsを脱退。また過去にはEmeraldsの他にReal EstateのEtienne Pierre Duguay, Daniel Lopatin (Oneohtrix Point Never), Trouble Books等と多数のサイド・プロジェクトを行い、現在では入手困難なカセットテープやCDRを含む数え切れないほど膨大な量の作品をリリースしている。
Ken Seeno (ex. Ponytail)
ボルティモアで結成されたエクスペリメンタル・アート・バンドPonytailの元ギターリスト。Ponytail解散後、3枚のソロ作品『Open Window』『Invisible Surfer on an Invisible Wave』『Ken Seeno - Jeremy Sigler LIVE』を発表。シンセサイザーをベースとする彼の音楽はニュー・エイジとも称されている。現在はロサンゼルスに住んでいる。
ジョン・ベルトランは、デトロイト・テクノ第2世代として登場して、もっとも地味~な存在だったのに関わらず、結局、20年後のいまも作品が楽しみにされているひとりとなった。先日リリースされたムードマンのミックスCDの1曲目が、彼の1996年の名作『テン・デイズ・オブ・ブルー』から選ばれているように、ジョン・ベルトランの繊細かつ小綺麗な音響とメロディは、タイムレスだ。
ジョン・ベルトランの中途半端なアンビエント・テイスト、中途半端なクラブ・テイストは、もうすぐ新作がリリースされるゴールド・パンダのいる領域と重なる。美しく、そして、どちらでもない感覚がベルトランの魅力であることに間違はない。10年ほど前、クラブ・ジャズからの賞賛のなかで発表した、自身のラテン・ルーツを強く意識した〈ユビキティ〉時代の作品も悪くはないが、僕は、中途半端なアンビエント・テイスト、中途半端なクラブ・テイストを持った彼の曖昧な領域で鳴っている音楽のほうが好きだ。重たくもなく、軽くもない。ごくたまに、自分のなかの嫌な部分が、闇の部分が、ある種ネガティヴな思いが、決して作品では出てこない、あるいは出さないタイプのアーティストがいるが、ベルトランは典型的なそれである。彼の音楽は何を聴いても優しい夢の国。スタイルに多少の変化があるだけだ。
ベルトランは、2011年にオランダの〈デルシン〉から彼のアンビエント風の楽曲を編集した『アンビエント・セレクションズ 1995-2011』をリリースしている。オリジナル作品ではないが、前作『ヒューマン・エンジン』から5年ぶりのことで、昨今のポスト・ダブステップにおける90年代風回帰、ないしはアンビエント・ミュージックのささやかな流行がベルトランの復活をうながしたのだろう。
7年ぶりのオリジナル作品となる『アメイジング・シングス』は、彼がソフトウェアを使って初めて作った作品だという。そして、アルバムは彼のふたりの子供に捧げられている。この7年のあいだに、彼にはふたりの子供ができた。他人事ではないように思えるし、そうしたモチヴェーションゆえか、彼の夢の国はさらにまた輪をかけて夢の国となった。クラスターで言えば『ゾヴィゾーゾー』、レデリウスの素朴な愛情。
最近は、踊ってばかりの国の下津光史から「野田さんって実はテクノ知ってるんですね」と言われ、快速東京の哲丸からも「デトロイト・テクノって何?」と言われたということもあって、書いた。
そして、最初は影が薄く、地味~にスタートした人が、20年経たとき、気がついたら最高に眩しく輝いていたということもある、そのことを23歳の君にも伝えたかった。
4年ぶりの『フリー・ザ・ユニヴァース』が快進撃中のメジャー・レイザーから、ブブセラのプレゼントです。
欲しい方は、info@ele-king.netまで、件名「メジャー・レイザーのブブセラ」とお書きの上、メジャー・レイザーで好きな曲を1曲書いてメールして下さい。抽選で当選した方のみにメールでご返信します。
締め切りは4月21日日曜日深夜24時です。
4/20 @Seco Shibuya LifeForce Airborne Bass
DJ:Deft (WotNot Music) JJ Mumbles (WotNot Music) Cossato (Life Force)
Live:Daisuke Tanabe
Sound Design:Asada (Life Force / Air Lab)
https://lifeforce.jp
https://soundcloud.com/sato-cozi
Airborne Bass 2013.04.13
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BlackSmif - How The Fly Saved The River - Blah Blah Blah Records https://www.youtube.com/watch?v=jaWcDTD73Bc |
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DA-10 - Anaphase - WotNot Music https://soundcloud.com/da10/da-10-the-shape-of-space |
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Dauwd - Heat Division - Pictures Music https://www.youtube.com/watch?v=ZLZd6EeQgtY |
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Deft - The traveller - Skullcandy https://soundcloud.com/deft/supreme-sound |
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Glenn Astro - Stutter Shades - WotNot Music https://wotnot.tv/power/ |
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Leif - Circumstance - Ornate Music https://www.youtube.com/watch?v=fS9VllWyySk |
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Lorca - Giant Stars - 2020 Midnight Visions https://soundcloud.com/lorcamusic/b1-giant-stars |
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Pjotr - Sky Is The Limit - Udacha https://www.youtube.com/watch?v=xi597v2XgOo |
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South London Ordnance - Daphne - 2nd Drop Records https://www.youtube.com/watch?v=bGYJUoOeZkk |
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U - Haunted - Man Make Music https://www.youtube.com/watch?v=qP94WDnhWRA |
ある季節を通り過ぎた後、ラッパーはどのように歳を取っていけばいいのか? そういった意味で、ここ数年におけるECDやイルリメの活動は、人工的なシンセ・ポップ『(((さらうんど)))』からsoakubeatsの挑発的なヒップホップ・ノワール『Never Pay 4 Music』まで、極端に言えばそれだけのふり幅のなかで今なお新しい表情を見せている。
それはしかし、年齢的に、ある程度は対象化して考えることができる。が、それがやけのはらや七尾旅人となれば、話は違う。自分よりも少し早く生まれ、その分だけ早く音楽を愛し、その力を信じ、いまでいうスモール・ポップの時代が到来するのを牽制するかのように、盟友 Dorianとともにアンセムを次々とドロップ。いずれも七尾旅人との共演である"Rollin' Rollin'"や"Shooting Star"といった刹那のロマンティシズムは、移りゆく時代をインディペンデントで生きようとする人びとにとって、代えがたい道連れになったことだろう。
ブッシュマインドとの共作、ゼロ年代屈指のドリーミー・ラップ"Day Dream"をひとつの到達点として、やけのはらは新しい季節に真夏の太陽を呼び込んだ。それが『This Night Is Still Young』だったし、"Good Morning Baby"だった。そこからすれば、本作『Sunny New Life』から聴こえる新しい言葉たち――太陽、キラメキ、リラックス、幸せ、未来、夢、光、希望、大事なもの――も、決して消費社会のパロディではないことがわかる(そういえば、やけのはらが連載を持つ『ポパイ』の最新号もハワイ特集だった)。彼は、リラックスしつつも前向きさを求めている。純粋に、意図的に、あるいはアンビヴァレントに――。
そう、その前向きさは両義的だ。この『Sunny New Life』というアルバムには、前作で迎え入れた太陽が、水平線の向こうに落ちるのを見送るような、開放感と隣り合わせのメランコリーがある。落とし前としての、後日談。夏は終わった。仮にそれが、人が大人になることのメタファーで、"Shooting Star"や"Rollin' Rollin'"の輝きを忘れるこさえ意味するなら、そこが最初、微妙にしっくりこなかったのだが、先日公開された編集長によるインタビューを読み、腑に落ちた。ずばり、「人が大人になること」は本作の裏テーマであるらしい、と。
今回は、新しさとか生活とか、統一したテーマで作りました。そして、「年を取っていく」とか「暮らしていく」とか、「大人になる」とか――「暮らしていく」っていうのは時間が経過していくから当然年を取るわけで。そこが裏テーマだったんですけど、それは誰にも指摘されてないですね。「大人になりましょう」っていうのを言ってるんです。(interview with Yakenohara - ドリーミー・ラップ再び)
やけのはらは、だが、世間との距離を感じたままに大人になっていくことの違和感を捨てきれていない......ようにも見える。例えば、SAKANAの"ロンリーメロディ"ほどには――。キミドリの"自己嫌悪"の先に彼が求めたのは、人生の緩やかな肯定感、少なくともそこに漂う迷いや不安の払拭であり、そのムードはVIDEOTAPEMUSICの『7 泊8日』から転用されている2曲のリエディット、メロウ・アンセム"Blow In The Wind"(ceroの高城晶平が参加)と、平賀さち枝がふわふわのコーラスを添える"D.A.I.S.Y."(原曲は同作収録の"Slumber Party Girl's Diary")に顕著だ。
悪戯にシリアスなわけではない。だが、『7泊8日』の持っていた企画性、そのデフォルメされた小旅行感は少しだけダウナーに、言葉の前向きさとは裏腹に、どこか神妙で切実なトーンに上塗りされている。トラックのサンプリングは軽量化され、隙間には言葉が詰め込まれる。もちろんやけのはらは、歌とラップの区別を曖昧にしたフロウをさらに滑らかに研磨し、アルバム全般に渡って軽快さを忘れない。
それに、BETA PANAMAによるスティール・ギター、VIDEOTAPEMUSICによるレトロスペクティヴなサンプリング・アートとピアニカ、キセルの辻村兄弟、シーンのキーマンである MC.sirafuのスティール・パン、トランペット......などなど、さまざまなメンバーが本作の醸す脱力感の演出にひと役買っている。
だが、"Shooting Star"や"Good Morning Baby"の頃の無根拠であるがゆえの前向きさは、もうないのかもしれない。それを嘆いていてはいけないのだろう。事実上のリード・トラックである Dorianとのアーバン・ソウル"City Lights"が象徴的で、PAN PACIFIC PLAYAからはお馴染みLUVRAWがトークボックスで参加しているが、好色さは抑えられ、都市生活者の夜をメランコリックに彩っている。そこには人生と対峙するやけのはらがいる。
SAKANAのクラシック"ロンリーメロディ"へのアンサー・ソングとなったピアニカ・ポップ"Sunny New Days"や、やけのはらの社会意識が顕在化し、快速東京の福田哲丸も参加しているハードロック・ベースの"Justice against Justice"、SUIKA のMCである ATOMの未発表曲をカヴァーする形となったトロピカルな"IMAGE part 2"など、言及すべき曲は多いと思う。
が、本作をやけのはらの「幸福論」として聴くなら、あるいは、快楽にノイズや混沌が伴っているか、という点で言えば、エンディングの"Where Have You Been All Your Life?"に尽きるだろう。ここでやけのはらは、リスナーに向けて直接的なコミュニケーションを試みる。瞬発的な祝福ではなく、聴き手の精神の近くまで丁寧に歩み寄っていく。できる限り言葉を尽くし、どこまでも優しく、サイケデリックに――。
それは、より多くの人に言葉を届けるための、やけのはらの賭けであり、勇気だ。実際的な連帯ではなく、もっと緩やかな気分の繋がり。あえて言うなら、その言葉たちに、どこか余白が少ないように思えたことだけが心残りだ。それは、リスナーの想像力を信頼しきれていないことの裏返しとも言えやしないか。筆者が言うのではあまりにおこがましいかもしれない......だが、自分が育てたリスナーの耳をもっと信頼してくれてもいい。
インタヴューでは、年齢が30を超えた、ということが何度か言及されている。そういえば、七尾旅人の"サーカスナイト"も、魔法が解けていく歌だった。ある輝かしい季節を、過去時制のなかに置いてくること。やけのはらは、アンチ・アンチエイジングとして、それを素直に受け入れようとしている。そろそろ大人になってもいい頃だ、と。そこには、3.11の影さえもがチラつく――。だが、その場所で語られる宙ぶらりんの夢があってもいいのではないか。何の根拠も出典も裏付けもいらない。誰に置いていかれても、僕らにはまだ音楽がある。
![]() How To Dress Well / Total Loss ホステス / Weird World |
ハウ・トゥ・ドレス・ウェルのライヴ・パフォーマンスには驚かされる。なんとも言えない。じつになんとも言えない......長身の白人というバイアスを取り去れば、ただの変な人にも見えただろう。「奇人」というとどこか特権的だが、そういう感じではなくて、『ガキ使』にだって出られそうな「変な素人」に近い。初期においてはウィッチ・ハウスにも比較されたあのミステリアスでゴーストリーな音のシミを、セカンドにおいては穏やかな赦しにつつまれたR&Bに変え、折からのチル&ビーなムードにもばっちりと合流してみせたハウ・トゥ・ドレス・ウェル――だからオシャレなアーティストだと思っている人もけっこういるかもしれない――ことトム・クレルは、サンプラーか何かにセットされたバック・トラックを芸もなく再生すると、ほとんどひとりカラオケ状態で歌いまくった。音像がどうだったとかイクイップメントがどうだったとか、言うべくもない。エモーションたっぷりに、歓喜と慈愛に満たされながら、ふたつのマイクを独特に使い分け、しまいには完全なるア・カペラで、とにかく歌い続けただけなのだから。しかもそれでいて驚くほど声量がない。歌唱力もあるというわけではない。それがとても奇妙な印象を与えていた。呆気にとられた方も多いだろう。しかし音楽を奏でるというにはあまりにいびつなそのパフォーマンスに、筆者はいったいこれ以上期待通りの解があるだろうかと身体の芯がふるえるのを感じた。
『ラヴ・リメインズ』の異形のプロダクション、『トータル・ロス』の激しすぎる平穏、あれらがどこからきたものなのか、筆者にはよくわかる気がした。彼は歌がうまいシンガーというわけでも、敏腕なプロデューサーというわけでもないのだ。トム・クレルのパフォーマンスの全体からは深い思索性と鋭敏すぎる感受性が伝わってくる。そしてここで語られているような悲しい経験が、そうした感受性によって200パーセントくらいに受け止められ、同じくらいの思索を経たのだということもまた想像される。クレルはそれを彼にしかやれないやり方で音にし、歌にしたのだ。ここに彼の非凡さと、胸を打たれる迫力がある。うまいシンガーではないがすばらしい歌い手、敏腕なプロデューサーではないが見事な表現者だ。表情で懸命に音程を取りながら、熱烈に、猛烈に、か細く......われわれが聴いていたのは、音楽というよりも彼のゴーストそのものだったと思う。愛を叫んで駆け回る、彼の思いのありったけ。歌とはそもそもこのようなかたちをしているのではないか? そんなようなことを思い出させる。
これは、その奇妙で素晴らしいショウの翌日のインタヴューである。歌っているあいだ見せていた、信頼しきったような愛らしい微笑みとはまるで対照的に、やや神経質な素振りと、答え終わったあと即座にスマートフォンをいじりはじめる姿が印象深かった。天然だったり、盲目的だったりする人ではない。むしろその逆すぎて生きることが楽ではない、難儀なタイプだと思った。歌がやっと彼を、いくばくか自由にするのだろう。
それは誰もが経験する普遍的なものであって、みんなが共有することができるものであるからこそ、僕=トムっていう存在を超えた影として、いつまでも残っていく力があるんだ。
■黒沢清監督のホラー映画に『回路』という作品があるのですが、人がある日忽然と消えてしまう、しかも壁に黒いシミをのこして消える、という話なんです。わたしは初めてハウ・トゥ・ドレス・ウェルの音を聴いたときに、ちょうどこの黒いシミのことを思い出しました。それはそこに存在していた人の思念の跡、思いの影のようなものだと思うんですね。HTDWの音は、音像も含めてまさにそうした影やシミのようなもののように感じられたんです。あなたの音は波形である前にほとんど思念そのものですね?
クレル:え、黒沢清って言った!? 『回路』ってどんな英題かな。たぶん観たことがあるよ、それは。『トウキョウソナタ』をやった監督だよね? そういう感想をきくと、自分がすごく正しいことをやっているんだって思えるよ。自分の音楽に対して人からそうした反応をもらえるのはとてもうれしい。僕の歌に投影されているものは僕ではないんだ。僕の経験から湧き起こった感情ではあるけれど、それは誰もが経験する普遍的なものであって、みんなが共有することができるものであるからこそ、僕=トムっていう存在を超えた影として、いつまでも残っていく力があるんだ。それを可能にしているのは音楽だよ。だからその連想はうれしいし、ちゃんと僕の観た映画だったか調べてみようと思う。『パルス』のことかな......(※『パルス』は、『回路』のジム・ソンゼロ監督/ウェス・クレイヴン脚本によるハリウッド版リメイク作)。
■おお、それをうかがえただけでもうれしいですね。とくに『ラヴ・リメインズ』の方ですが、あのすごくビリビリとしたノイズ感とか、過剰なリヴァーブ、オーヴァー・コンプ気味な割れまくった音、あんなふうなプロダクションを目指すのはなぜなんでしょう?
クレル:僕が『ラヴ・リメインズ』でやりたかったことは、深い悲しみや欝、憂鬱、そんなものを物語で伝えるのではなくて、音そのもので表現するということだ。たとえば僕が叫ぼうとしているときは、感情自体は爆発しているけれども、声が音に埋もれるように作っている。ノイズや混沌とした音のなかにね。それが僕の体験の表現、僕の悲しみや混乱の表現だよ。西洋美術においては20世紀に大きな変化があった。それまでは既存のものを絵で再現するというのがひとつの美術のあり方だったけれども、それが、ある感情そのものを絵で表現するというふうに変わった。あるものがそこにあるということを伝えるのではなくて、その対象そのものを表現するんだ。僕はそういうことをやっている。
■なるほどなあ。まさに対象のむき出しの表現だったのが前作ですが、今作にはプロデューサーが入っていますね。プロダクションとしてもすごく整理されている印象があります。それは、あなたのなかの思いの渦やエモーションの嵐が整理されたからだ、というふうに考えてもいいですか?
クレル:『ラヴ・リメインズ』を書いたときは、自分のなかではとても悲しい時期にあった。親友を喪ったんだ。だからその後の時期に感じていたことは、あの時期に比べればぜんぜん悲しみと呼ぶに値しないものだよ。とても混乱していたあの20代半ばの時期、たいていのことはあのときの思いに匹敵しない。けれど、あれだけの深い悲しみになると、逆にそこから抜け出して、感情を整理させるような作用があったね。『ラヴ・リメインズ』のころは、悲しみに浸る自分に、ある意味では気持ちよくなっていた。けれどもそれが深くなるにつれ、浸ることができなくなったんだ。本当の悲しみとはこれかと思った。
メランコリアとモーニング、これは悲しみを乗り越える過程のひとつだよ。メランコリアは悲しみがぐるぐるとネガティヴ・スパイラルに入っていく状態、モーニングはそこを抜け出して新しいことに開眼し、新しい愛に目覚める状態。本当の悲しみを経験すると、それによってより新しいもの、新しい愛に出会うことになるんだ。だから僕は先に進まなきゃと思った。そのことがこの作品につながっている。僕は彼を喪うまでハッピーな曲を書いたことがなかったけれど、彼の死に向き合うことで、彼に対する新しい愛情を見つけることができた。それが今回のアルバムだよ。......つじつまが合うかな?
僕の方でもむしろ、体育会系の野郎のファンはいらない。男根主義的なものというのは欠落を抱えているんだ。過去の遺物でもある。
■すごくよくわかりました。前作もそうですけど、冒頭がフィールド・レコーディングからはじまってますね。ここにも何か意図がありますか?
クレル:今回のは、ドイツで電車に乗ったときの音だね。オスロから4時間くらい行ったところにあるフィヨルドで船に乗ったりもした。そのときの音もある。ありえないくらいの沈黙、静寂、太陽の音が聞こえるんじゃないかと思ったよ。それを録ってみようと思ったんだ。だから実際には僕くらいにしかわからないかもしれない。フィールド・レコーディングのおもしろさって、一種のサブリミナル効果なのかもしれないけれど、それを録った空間の側が持つ想像力というものを移植するすることができる。聴く側は音とともにそうした要素を楽しむことができるんだ。その空間について肉体に訴えかける豊かさを持たせることができて、僕はおもしろいと思うんだ。
■フィールド・レコーディングについてもそうですが、今作はピアノもとても印象的に用いられていますね。これまでの作品に対してより開放的でより救いの感じられるこのアルバムの性格を、よく象徴していると思うんです。ピアノを大きくフィーチャーしたのはなぜです? そしてピアノはあなたにとってどんな楽器なんでしょう?
クレル:おっしゃる通りだよ。希望を感じさせるものがピアノの音にはあると思う。スピリチュアルで、とても美しい楽器だ。アントニー(アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ)のピアノの使い方がとても好きで、参考にしていたりするよ。あとはコロフォン(Colophon)の『ラヴ・ループス』というアルバムも一時期とてもよく聴いていたんだけど、まさに救いや希望となるようなピアノが印象的なんだ。
■昨日のライヴでは、ラストまでずっとフィルムの一コマをつないだような映像が流れていたんですが、ほぼすべてが女性か女性の顔であったように記憶しています。小さいころにお母さんが歌っていた歌が自分の音楽の原体験だというふうに話しておられるインタヴューを読んだんですが、あなたのなかで母親というのは創作行為においても重要なことなのですか?
クレル:母親はたしかに音楽的にも僕に影響を与えているし、ここ数年は病気を患ってもいて、それが自分にとっての将来の不安につながったりもしている。女性の顔の話についていうと、"スーサイド・ドリーム"で映していたのはじつは少年の顔なんだ。ただ、非常に女性的な顔だと思うよ。僕は音楽に女性的なものをすごく感じるし、重要な要素だと思っている。だからかな、最近、僕の音楽はおネエ的な人からすごくポジティヴな反応をもらうようになったよ。僕の方でもむしろ、体育会系の野郎のファンはいらない。男根主義的なものというのは欠落を抱えているんだ。過去の遺物でもある。キリスト教における父と子と精霊という三角形があるね。精霊じゃなくてそこは母だろって思わないか? 霊的なもの、精神的なものっていうのはイコール女性だと思う。西欧社会において、人生のなかで豊かさや愛情といったものをもたらしてくれるのはつねに女性なんだ。そんなふうに言われている。ぼくはそうしたものを大事にしたい。
■非マッチョイズムはHTDWにとってすごく重要な要素のひとつだと思います。昨日ココロージーのTシャツを来てましたよね。やはり女性に寄せるイメージには「雌」にとどまらない精神的なものがあるのだなと思いました。
クレル:ココロージーやアントニーが好きだよ。僕は男性だけれども、ある種の男性主義、女性卑下の主義や思想を排除することができれば、もっと人間は深いつながりや豊かな関係性を築くことができると思っている。



