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How To Dress Well / Total Loss ホステス / Weird World |
ハウ・トゥ・ドレス・ウェルのライヴ・パフォーマンスには驚かされる。なんとも言えない。じつになんとも言えない......長身の白人というバイアスを取り去れば、ただの変な人にも見えただろう。「奇人」というとどこか特権的だが、そういう感じではなくて、『ガキ使』にだって出られそうな「変な素人」に近い。初期においてはウィッチ・ハウスにも比較されたあのミステリアスでゴーストリーな音のシミを、セカンドにおいては穏やかな赦しにつつまれたR&Bに変え、折からのチル&ビーなムードにもばっちりと合流してみせたハウ・トゥ・ドレス・ウェル――だからオシャレなアーティストだと思っている人もけっこういるかもしれない――ことトム・クレルは、サンプラーか何かにセットされたバック・トラックを芸もなく再生すると、ほとんどひとりカラオケ状態で歌いまくった。音像がどうだったとかイクイップメントがどうだったとか、言うべくもない。エモーションたっぷりに、歓喜と慈愛に満たされながら、ふたつのマイクを独特に使い分け、しまいには完全なるア・カペラで、とにかく歌い続けただけなのだから。しかもそれでいて驚くほど声量がない。歌唱力もあるというわけではない。それがとても奇妙な印象を与えていた。呆気にとられた方も多いだろう。しかし音楽を奏でるというにはあまりにいびつなそのパフォーマンスに、筆者はいったいこれ以上期待通りの解があるだろうかと身体の芯がふるえるのを感じた。
『ラヴ・リメインズ』の異形のプロダクション、『トータル・ロス』の激しすぎる平穏、あれらがどこからきたものなのか、筆者にはよくわかる気がした。彼は歌がうまいシンガーというわけでも、敏腕なプロデューサーというわけでもないのだ。トム・クレルのパフォーマンスの全体からは深い思索性と鋭敏すぎる感受性が伝わってくる。そしてここで語られているような悲しい経験が、そうした感受性によって200パーセントくらいに受け止められ、同じくらいの思索を経たのだということもまた想像される。クレルはそれを彼にしかやれないやり方で音にし、歌にしたのだ。ここに彼の非凡さと、胸を打たれる迫力がある。うまいシンガーではないがすばらしい歌い手、敏腕なプロデューサーではないが見事な表現者だ。表情で懸命に音程を取りながら、熱烈に、猛烈に、か細く......われわれが聴いていたのは、音楽というよりも彼のゴーストそのものだったと思う。愛を叫んで駆け回る、彼の思いのありったけ。歌とはそもそもこのようなかたちをしているのではないか? そんなようなことを思い出させる。
これは、その奇妙で素晴らしいショウの翌日のインタヴューである。歌っているあいだ見せていた、信頼しきったような愛らしい微笑みとはまるで対照的に、やや神経質な素振りと、答え終わったあと即座にスマートフォンをいじりはじめる姿が印象深かった。天然だったり、盲目的だったりする人ではない。むしろその逆すぎて生きることが楽ではない、難儀なタイプだと思った。歌がやっと彼を、いくばくか自由にするのだろう。
それは誰もが経験する普遍的なものであって、みんなが共有することができるものであるからこそ、僕=トムっていう存在を超えた影として、いつまでも残っていく力があるんだ。
■黒沢清監督のホラー映画に『回路』という作品があるのですが、人がある日忽然と消えてしまう、しかも壁に黒いシミをのこして消える、という話なんです。わたしは初めてハウ・トゥ・ドレス・ウェルの音を聴いたときに、ちょうどこの黒いシミのことを思い出しました。それはそこに存在していた人の思念の跡、思いの影のようなものだと思うんですね。HTDWの音は、音像も含めてまさにそうした影やシミのようなもののように感じられたんです。あなたの音は波形である前にほとんど思念そのものですね?
クレル:え、黒沢清って言った!? 『回路』ってどんな英題かな。たぶん観たことがあるよ、それは。『トウキョウソナタ』をやった監督だよね? そういう感想をきくと、自分がすごく正しいことをやっているんだって思えるよ。自分の音楽に対して人からそうした反応をもらえるのはとてもうれしい。僕の歌に投影されているものは僕ではないんだ。僕の経験から湧き起こった感情ではあるけれど、それは誰もが経験する普遍的なものであって、みんなが共有することができるものであるからこそ、僕=トムっていう存在を超えた影として、いつまでも残っていく力があるんだ。それを可能にしているのは音楽だよ。だからその連想はうれしいし、ちゃんと僕の観た映画だったか調べてみようと思う。『パルス』のことかな......(※『パルス』は、『回路』のジム・ソンゼロ監督/ウェス・クレイヴン脚本によるハリウッド版リメイク作)。
■おお、それをうかがえただけでもうれしいですね。とくに『ラヴ・リメインズ』の方ですが、あのすごくビリビリとしたノイズ感とか、過剰なリヴァーブ、オーヴァー・コンプ気味な割れまくった音、あんなふうなプロダクションを目指すのはなぜなんでしょう?
クレル:僕が『ラヴ・リメインズ』でやりたかったことは、深い悲しみや欝、憂鬱、そんなものを物語で伝えるのではなくて、音そのもので表現するということだ。たとえば僕が叫ぼうとしているときは、感情自体は爆発しているけれども、声が音に埋もれるように作っている。ノイズや混沌とした音のなかにね。それが僕の体験の表現、僕の悲しみや混乱の表現だよ。西洋美術においては20世紀に大きな変化があった。それまでは既存のものを絵で再現するというのがひとつの美術のあり方だったけれども、それが、ある感情そのものを絵で表現するというふうに変わった。あるものがそこにあるということを伝えるのではなくて、その対象そのものを表現するんだ。僕はそういうことをやっている。
■なるほどなあ。まさに対象のむき出しの表現だったのが前作ですが、今作にはプロデューサーが入っていますね。プロダクションとしてもすごく整理されている印象があります。それは、あなたのなかの思いの渦やエモーションの嵐が整理されたからだ、というふうに考えてもいいですか?
クレル:『ラヴ・リメインズ』を書いたときは、自分のなかではとても悲しい時期にあった。親友を喪ったんだ。だからその後の時期に感じていたことは、あの時期に比べればぜんぜん悲しみと呼ぶに値しないものだよ。とても混乱していたあの20代半ばの時期、たいていのことはあのときの思いに匹敵しない。けれど、あれだけの深い悲しみになると、逆にそこから抜け出して、感情を整理させるような作用があったね。『ラヴ・リメインズ』のころは、悲しみに浸る自分に、ある意味では気持ちよくなっていた。けれどもそれが深くなるにつれ、浸ることができなくなったんだ。本当の悲しみとはこれかと思った。
メランコリアとモーニング、これは悲しみを乗り越える過程のひとつだよ。メランコリアは悲しみがぐるぐるとネガティヴ・スパイラルに入っていく状態、モーニングはそこを抜け出して新しいことに開眼し、新しい愛に目覚める状態。本当の悲しみを経験すると、それによってより新しいもの、新しい愛に出会うことになるんだ。だから僕は先に進まなきゃと思った。そのことがこの作品につながっている。僕は彼を喪うまでハッピーな曲を書いたことがなかったけれど、彼の死に向き合うことで、彼に対する新しい愛情を見つけることができた。それが今回のアルバムだよ。......つじつまが合うかな?
取材:橋元優歩(2013年4月16日)
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