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こういう音楽が存在する 文:北中正和
How To Dress Well Total Loss Weird World/ホステス |
人間、元気なときは、出かけて他の人と接触するのが苦にならない。たとえひとりで過ごすとしても、前向きな気分でいられる。しかしときには、そうでないことだってある。そんなときは、出かけて人に会う気も起こらないし、何かを思い浮かべようとしても、考えが悪いほうに転がりやすい。
『トータル・ロス』は、どちらかといえば、後者の気分にフィットしやすいアルバムではないだろうか。浮かない気分や冴えない考えのすきまにしみこんできて、痛みをわかちあい、凝った心を静かにほぐしてくれる音楽。
ヴォーカルにはR&B的なファルセットの影響が感じられるが、"ラニング・バック"を除けば、一般的なR&Bとちがって、サウンドにビートやリズミカルなグルーヴがそれほど重視されているわけではない。曲はアンビエント的というか、ゆっくりと東の空が白んでいく様子を眺めているような穏やかな起伏をともなって進むように構成されている。サウンドはときには未来的で、ときには室内楽的。歌はメロディ重視で、"オーシャン・フロア・フォー・イヴニング"あたりでは、歌声が古い賛美歌めいて聴こえる部分もある。
この種の音楽の歌は「こんなにかわいそうな私」「こんなに美しいぼく」の肯定のスパイラルに陥りがちだが、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルの歌には人に向かって語りかけてくるところがある。トム・クレルのヴォーカルにも、感情を強調するのではなく、そっと取り出して置いて眺めているようなニュアンスがある。ぼくはこういう音楽が好きだが、いつも聴いていられるかというと、そうではない。しかしたとえ聴かなくても、こういう音楽が存在することを知っていることによって回避できるストレスがあることはまちがいないと思う。
文:北中正和