「!K7」と一致するもの

duennlabel - ele-king

 カセットテープ作品のリリースで知られる福岡のduennlabelが東京で、伊東篤宏ともにイベントを主催する。ライヴ出演には、イクエモリ──ジュリアンナ・バーウィックとの共作も記憶に新しい、ニューヨーク在住の、元DNAというキャリアを持ちながら、現在多方面にわたって活躍しているサウンド・アーティスト──も出演する。ほかに、浅野達彦や白石隆之といったベテランから、新世代のあらべぇなどなど。信用に値するメンチです。
 そこらへんの電子音楽には飽き足らない方は、ぜひ、西麻布に足を運んでみよう!

【伊東篤宏 presents...TRONITO feat duennlabel 】
6月28日(土)
19:00~5:00...
¥3000(1D)~24:00
¥2500(1D)24:00~

LIVE:
イクエモリ
伊東篤宏 [OPTRON]
ADJ [山本ムーグ+木村豊]
ダエン[duennlabel]
浅野達彦
REBUSTAPE NoiseElectronicDivision
Yagi
Canooooopy
KΣITO [Keito Suzuki]
drowsiness

DJ:
小林径 [New Tribe]
白石隆之
あらべぇ
Takeshi Kagamifuchi [Hz-records]
HARRY:淑蘭◎ [BULLET'S/SECOND LOBBY]

.............more!!!!!!

VJ
UCNV
中山晃子
JULIETTA

duennlabel
https://duennlabel.tumblr.com/

https://pastevent.tumblr.com/

BULLET'S
https://bul-lets.com/


■ Dum Dum Girls @ Prospect Park 6/21/2014

 6月も毎週のように、たくさんのイヴェントが開催されている。2週目はノースサイド・フェスティバル、3週目は、恒例のマーメイド・パレードがコ二ーアイランドで、メイク・ミュージックNYがNY中でおこなわれ、プロスペクト・パークでは、ダム・ダム・ガールズ、ホスピタリティ、ティーンというインディロック・ファン感激のラインナップのフリーショーが開かれたセレブレイト・ブルックリンという以前レポートした、チボ・マットと同じイヴェントである(ロケーションは違う)。

 公園内では、家族やグループによるBBQがそこかしこである。その良いにおいの間をすり抜けていくと、バンドシェル=ステージが見える。たくさんの人が芝生に寝転がったり、ピクニックをしている。

 現在夏のフェスティバルを慣行中のダム・ダム・ガールズ、コチェラサンフランシスコでは、アート作品のようなコスチュームで登場したが、ファミリーフレンドリーの今回のショーでは、よりコンサバな衣装だった。彼女たちのショーでは、いつも黒ずくめの彼女たちが白で登場したりなど、コスチュームの話題が絶えないのだ。

 ダム・ダム・ガールズのライヴは何度見ても、そして、見るたびに「なんて痛いんだろう」と思う。金髪から黒髪になったディ・ディ・ペニーが歌っているときは、彼女に何かが憑依しているようにも見えるし、歌に何かを封入して、祀り上げているようにも見える。
 今回は、新アルバム『Too True』からの曲がほとんどで、ライヴには、サードギター(男性)が入り、全体的にタイトで凝縮された演奏だった。ライヴの後半では、新作から、アルチュール・ランボーのもっとも有名な詩──「酩酊船」を歌にした“Rimbaud Eyes”を演奏すると、「End of Daze EP」に収録されたザ・スミスのもっとも有名な曲のカヴァー、“There Is a Light That Never Goes Out’”を披露した。
 そのとき、ディ・ディはギターを弾かず、ハンドマイクで歌に集中した。絶望の淵を生きる若者の心情を綴ったモリッシーの悲しい歌を、彼女は、限界の限界まで搾り出すような声で歌う。ザ・スミスの音楽がいまでもアメリカで生きていることを証明するかのように、観客の歓声は半端なかった。
 ラストソングの”Coming Down”を歌い上げたとき、オーディエンスは拍手喝采。野次もあったが、それらは一切無視で、MCもなし。それが彼女たちのスタイルだ。

 ホスピタリティ、ティーンが残念ながら見逃してしまったが、見た人に聞くと、「ティーンは見るのに面白いライヴだった」、と。
 たしかティーンは、ヒア・ウィゴー・マジックの元メンバーがやっているバンドだ。ヒア・ウィゴー・マジックといえば、最近ジョン・ウォーターズがリリースした新しい本(ヒッチハイク本?)でジョン・ウォーターズがたまたまヒッチハイクしたのがツアー中のヒア・ウィゴー・マジックで、彼らが「たったいまジョン・ウォーターズをピックアップした」ツイートしたことで、ジョン・ウォーターズがヒッチハイクしているのがばれてしまった、などなど(著者はブック・サイン会に行った)面白いネタがある。

セットリスト: ダム・ダム・ガールズ @ プロスペクトパーク
6/21/2014
Cult of Love
I Got Nothing
In the Wake of You
I Will Be
He Gets Me High
Too True to Be Good
Are You Okay?
Rest of Our Lives
Bedroom Eyes
It Only Takes One Night
Under These Hands
Rimbaud Eyes
Lord Knows
There Is a Light That Never Goes Out
(The Smiths cover)
Lost Boys & Girls Club
Coming Down

Further Reductions - ele-king

 シンセの波にゆられることを目的とした、ただ夢心地なエレクトリック・ミュージックを奏でるには少々シリアスで、そうかといって、ダークでインダストリアルな意匠をまとうには幾分ポップな躍動感をもつ男女デュオ=ファーザー・リダクションズ。こういうと、何だかどっちつかずで中途ハンパな印象を持たれてしまうかも知れないが……なかなかどうして。しかつめらしくも美しいこの絶妙なおぼろ具合こそが彼らの音楽を特異なものにするゆえんであり、〈ミニマル・ウェイヴ〉傘下のレーベル〈シティトラックス〉からリリースされたこのファースト・アルバムは、じつに鮮烈なのである。

 〈キャプチャード・トラックス〉から7インチをリリースしているシンセ/ダーク・ウェイヴ・トリオ、レッド・エル・エスト(LED ER EST)のキーボーディストであり、アンダーグラウンド・ハウス・レーベル〈L.I.E.S〉からVAPAUTEEN名義での作品をリリースするなど、ブルックリンの地下シーンで注目を集めるプロデューサー、ショーン・オサリヴァン、そして、ニュー・ウェイヴィでどこまでもゆらめくヴォーカルが官能的な、紅一点ケイティ・ローズからなるファーザー・リダクションズ。80年代後半〜90年代初頭を駆け抜けたロウでレトロな質感をもつハウス〜テクノのヴァイブレーション、そして、チル〜アンビエントへの憧憬を包み隠すことなく露わにした彼らのサウンドは、ただ歓喜や郷愁を誘うといった懐古趣味ではなく、それらの一種のパロディのようでもあり、夢のあとのぼやけた時間のごとく無性に尾をひく余韻と空虚感を残す——それは、まるで誰もいない遊園地で、メルヘンチックな音と光を放ちながらミニマル回転するメリーゴーランドのように空っぽだ。

 反復するビートの上を漂い遊ぶダビーでスローモーな電子の装飾。時おり、断片的に、現れては消えゆくざらついたメロディが楽曲に淡いフックを与える1曲め“ハイ・エンド・ベーシックス”。遠いところから、しんと降り積もるように降りてきて、瞬く間に景色を変えてしまうケイティの歌声がやたらとカッコいい。続くタイトル曲“ウッドワーク”は一転して工業的なテクノ・ビートが押し寄せ、じわじわと体を衝き動かされる。とはいえ、それは、過激に錆びついた鉄の匂いがするのではなく、薄雲のようにたなびく陰影がさり気なくインダストリアル情緒を醸し出していて、新しい感覚を呼び覚ましてくれる。そして、『テクノ・プリミティヴ』(1985)の頃のクリス&コージーを彷彿とさせる、アルバム中もっともポップでプログレッシヴなチューン“スペクタクル・ディゾルヴド”、ボディ・ミュージックのように野太いベースのシーケンスがアシッディーに蛇行する“ヴォイド・オブ・コース”、沈みこみそうなずぶずぶのキックと、刻みどころを押さえまくったハイハットの抜き差し、くぐもったメロディとハウシーなリズムがエコーの向こうでバウンドし、無闇に昂揚感を誘う“デス・トゥ・ザ・ビート”など、隅から隅までエッジを効かせつつも、混沌から静寂にまでジャストフィットする柔軟なトラックがバランスよく配されている。

 自らを「最終処分」と名乗る彼ら。安売りされるにはゴージャスで、ありがたく祭り上げられるには、いささかチープなリズムとアナログなエレクトロニクスがじつにうまく混ざり合う。薄明るい光線が90年代の夢をちらつかせ、しかし、あざとさのまったく見えない耽美な熱は、NYのマンホールの隙間から立ち上がる蒸気のように、ゆよ〜んと妖しく、緊張と緩和をくり返しながら絶え間なく湧き出して、四辺を濡れ光る白い恍惚で包みこんでしまう。

Diamond Version - ele-king

 現代アートは、メディアと人の関係を批評的にリ・プレゼンテーションする。ゆえにポップ・アートは大量に消費される複製品をネタにしてきた。そして消費社会特有の空虚な隙間から不意に表出する死を拡張させていく。空虚/死。そこにおいて美の価値判断は転倒し、結果として批評性が生まれる。その批評性ゆえ、作品の価値も生じる。価値はトレードされ、金銭を生む。
 たとえば、アンディ・ウォーホル、リチャード・ハミルトン 、ロイ・リキテンスタイン、ゲルハルト・リヒター、リチャード・プリンスを思い出してみよう。彼らは消費社会のきらびやかな(もしくは捨てられた)空虚に、積極的にアジャスト/アディクトしてきたアーティストたちである。彼らは空虚なきらめきを、クールに模倣し、コピーし、ウィルスのように増殖させる。
 そして2014年、ダイアモンド・ヴァージョンは、彼らの方法論を意図的に借用する。そう、広告やマーケティングに塗れた世界に「反撃」を加えるために。

 ダイアモンド・ヴァージョンはカールステン・ニコライとオラフ・ベンダーによる音響エレクトロ/インダストリアル・ミュージック・ユニットだ。
 カールステン・ニコライは、ドイツの電子音響レーベル〈ラスター・ノートン〉を主宰するドイツ出身のアーティストである。彼はアルヴァ・ノト名義で多くの電子音楽作品を発表してきた。また、池田亮司とのユニットcyclo.や坂本龍一とのコラボレーションも知られており、まさに現代電子音響シーンの最重要人物といえる。さらに本人名義で多くのインスタレーション作品を制作しており、高い評価を得ている。
 オラフ・ベンダーも同じくドイツ出身のアーティストだ。〈ラスター・ノートン〉からバイトーン名義で音楽作品をリリースしている。彼は、1996年にフランク・ブレットシュナイダーとともに〈ラスター・ミュージック〉を設立した。後にカールステン・ニコライの〈ノートン〉と合併し、〈ラスター・ノートン〉が生まれたというわけだ。いわばドイツ電子音響シーンの中心人物というべき人物である。その作風はエレガンスと攻撃性が同居したメカニカル・エレクトロニクス・ミュージックといえる。

 2012年、この2人がダイアモンド・ヴァージョンというユニットを組んだという報は、彼らの音楽を追いつづけてきたリスナーに瞬く間に広まった。 ダイアモンド・ヴァージョンは、アナログ盤でのEPシリーズをリリースし、勢力的なライヴ活動を世界各地で行う。2013年には日本にも訪れた。EPシリーズには、映像作品(PV)も同時制作され、ユニット/トラックのテーマを増幅させる役割を担っている。
 カールステンとオラフの生み出すトラックは、これまでの電子音響テイストから最先端のデジタル・ジャーマン・エレクトロ(インダストリアル)へと変貌した。だがその変化は、近年の2人のサウンドからするとさほど意外ではない。たとえば、2011年にリリースされたアルヴァ・ノト『Univrs』、バイトーン『Symeta』の音響エレクトロなサウンドの系列に繋がる音ともいえる。また、ノトとブリクサ・バーゲルトのannbも重要だ。さらには〈ラスター・ノートン〉自体も、近年、エレクトロ、インダストリアル化しつつあり、00年代初頭のクリック/グリッチな音とは一線を画する音楽作品をリリースしているのだ(ちなみにダイアモンド・ヴァージョンのリリースは〈ラスター・ノートン〉ではなく、老舗〈ミュート〉から)。
 そして本作『CI』は、リリースまで時間をかけてこともあってか、とにかくクオリティが高いアルバムに仕上がっている。ビートもノイズもすべてが磨き挙げられ、まさにダイアモンドのようなきらめきを放っているのだ。

 だが真に重要なことは彼らが、あるクリティカルな意識で、自らの「ポップ」化に向かい合っている点でもある。本作『CI』は、オフィシャルのアナウンスにも書かれているとおり「ブランドスローガンの派手な広告、そして狡猾なPRなどのマーケティング合戦の時代への反撃」として制作されたという。CIとはコーポレイトアイデンティティの略であるのはいうまでもない(「企業ロゴ」をテーマとしたアルヴァ・ノト『Univrs』にも通じるテーマだろう)。
 ふたりは、ある戦略的な方法論をユニット/アルバム・コンセプトに導入したように思える。自ら「ポップ」になることで通俗的なポップを打つとでもいうべきか。ここで私なりにダイアモンド・ヴァージョンの「4つのポップ/アート戦略」を提示してみる。

●ポップ/アート戦略1「ミュージック/コンテクスト」
 クラフトワークなどジャーマン・エレクトロニクス・ミュージックの伝統と現在形/型である。エレクトロなビートを導入し、同時に80年代中期のキャバレー・ヴォルテールのような流行のインダストリアル/テクノへも接近している。また、ペットショップ・ボーイズのニール・テナント、元祖スーパーモデル・詩人のレスリー・ウィナー、オプトロンを駆る伊東篤宏 、〈ラスター・ノートン〉からアルバムをリリースしたばかりのKyokaなど、多彩かつ個性的なゲストの参加によって、 音楽のコンテクストの複雑化と錯乱を実現している。また、声の導入も重要なポイントといえよう。

●ポップ/アート戦略2「アート/クリティック」
 末期資本主義社会(=グローバリズム社会)において「流通するイメージ批判=ポップ・アート」としてのデジタル・ミュージックを成立させている。世界に溢れる広告的なイメージをPVの映像などに引用することで、その本来の機能を停止し、ダイアモンド・ヴァージョンなりの新しいクール/ポップへと変換。EPシリーズのPVのみならず、アルバムのアートワークにも引き継がれているコンセプトである。そのPVはデイヴィッド・ブレア『WAX』を想起してしまう。

●ポップ/アート戦略3「サウンド/アディクト」
 その磨き上げられた音響と音圧がアディクトを促す。このアルバムのミックス/マスタリングは精密かつ端正である。また、全体にマイナーコードのトラックが多く、そこに硬質なダイアモンドのようなビート、ベース、ノイズがストロボのように点滅しているのだ(ロック的な、ともいえる)。高音と低音の見事なコントラスト、そこはかとないダークさ。この音の良さが聴覚へのアディクトを生む。ゆえに、あの異物感に満ちたkyoka参加のトラックが際立つ。

●ポップ/アート戦略4「ポップ/イコン」
 その3つのポップ戦略から本作の存在意義が見えてくる。それは「ポップ/イコン」化である。メディア批判を内包しつつも、それ自体がクールで現代的なポップ/イコン足りえること。真のポスト・モダンの実現。ゆえにアルバム・タイトルが『CI』なのだともいえる。彼ら自身がデジタル・ポップ・アートなのである。

 「コンテクスト」「クリティック」「アディクト」「イコン」。この4つポップ戦略によって、ダイアモンド・ヴァージョンは自らをポップ/イコン化する。彼らはサウンドによって流通する広告イメージを意図的に模倣する。そして、その模倣によって、ウィルスのように社会に浸透する広告イメージの効用を停止させてしまうのだ。
 ポップ・アートの伝統とでもいうべき方法論である。それゆえ、このユニットの音楽やヴィジュアルには、微かなノスタルジー(いわゆる90年代初頭のビデオアート的な?)を感じてしまうのだが、何より重要な点は、この研ぎすまされたデジタル・サウンド/ビジュアルによって、現在でもポスト・モダン/ポップ・アートが成立してしまう点にある。私は、そこに時代のモード(の本質)を感じてしまう。世界、メディア、飽和、危機、模倣、反撃。そのような身振りが、いままた、とてもクールなのだ。

 クール・ビューティなダイアモンド・ヴァージョンのトラックを耳に注入すること。それは「世界」へのアジャストであり、同時にアゲインストだ。この疾走する両義性こそ、ダイアモンド・ヴァージョン、最大の魅力でもある。

LIQUIDROOM 10th ANNIVERSARY ele-king night - ele-king

 勝負事などいまどき流行らない。みんなでワキアイアイとするのが、音楽の現場だ。対バン同士、楽屋ですれ違ったときに社交辞令で挨拶はするものの、心の奥底では「オレらがあんたらを食ってやる」ぐらいの気合いをたぎらせるようなことなど、まずない……この2バンドをのぞいては。
 オウガ・ユー・アスホールvs森は生きている、の「vs」は言葉のアヤでも飾りでもない。これは、いま、どちらのバンドの音楽がオーディエンスを揺さぶるかの、対決なのだ。この火花散る舞台こそが、ele-kingが10周年を迎えるリキッドルームと一緒にやるに値するものだと信じている。そして、この真剣勝負こそが、伝説の夜を作るだろう。

 簡単な勝負ではない。どちらも手強いバンドだ。オウガ・ユー・アスホールは、いま、下手したら、日本でもっとも魅力的なトランス・ロック・バンドへとなっているかもしれない。最近のライヴでは、クラウトロック最高のロックンロール・バンド、ラ・デュッセルドルフのよろこびいっぱいの陶酔感すら自分たちのモノにしてみせている。音楽は魔法だ。このバンドは、オーディンスを踊らせるし、あちら側の世界を見せる。
 夢を見せる……という意味では、森は生きているも、ただいま赤丸急上昇、とんでもないバンドだ。彼らの音楽に充満しているのはボヘミアニズムで、つまり、どう生きたって自由だろうという心構えが、美しい音楽となっている。1969年ぐらいのピンク・フロイドのような、柔らかく、透明感のあるフォーク・ロックを現代的にアップデートしたかのような彼らの音楽を聴いたなら、誰もがふだん忘れているであろう、たまらなく心地良い夢を見れるだろう。
 どこか共通点を持ちながら、しかし、どこかまったく異なっているふたつのバンドだが、フェアに見て、今日の日本では、突出した2バンドである。ロックとは何だ? と問われたときに、「雑食性だ」という答え、つまり、ありとあらゆるものに接続して変容するアマルガムだという答えがあるなら、このふたつのバンドは、いま、最高にキレのあるアマルガムである。ele-kingでは、この2バンドの12インチ・シングルをリリースするのだが、その詳細はまた別の機会に。

 10月2日木曜日、伝説の夜へようこそ。彼らの真剣勝負を見届けるために、そして夢を見るために、来て欲しい。(野田努)

■OPEN / START 18:00 / 19:00
■ADV ¥3,500(税込・ドリンクチャージ別)
■LINE UP OGRE YOU ASSHOLE/森は生きている
■TICKET チケットぴあ [232-675] ローソンチケット [79610] e+ LIQUIDROOM 7/13 ON SALE
■INFO  LIQUIDROOM 03(5464)0800
https://www.liquidroom.net/schedule/20141002/19248/

ハナカタマサキ - ele-king

 ギターによる弾き語りを中心に演奏活動を行いながらも、映画やアニメーションの音楽も手がけ、あるいはミュージック・ビデオやアクリル画の制作から自主レーベルの運営まで、シンガー・ソングライターの枠に収まりきらない多才さをみせる音楽家、ハナカタマサキ。『Lentment』は、そうした彼のデビュー・アルバムとなる作品である。本盤に収録された数々の楽器による演奏、たとえばギター、ウクレレ、バンジョー、マンドリン、シタール、三味線、大正琴、グロッケンシュピール、シロフォン、メロディオン等々……打楽器や玩具楽器を含めればこの倍以上はあると思われるさまざまな楽器による演奏は、すべてハナカタひとりの手によるものだという。さらにはミックスからマスタリングまで、加えてジャケット・デザインも彼によるものである。3年近くもの歳月を費やして制作されたというこのアルバムは、その全行程をハナカタマサキひとりが手がけたと言えるものであり、ファースト・アルバムにふさわしい記念碑的な作品となっている。

 あくまで生楽器にこだわって生み出された音楽は、多様な弦楽器が織りなす無国籍的なエキゾティシズムが、ペンギン・カフェ・オーケストラのあらゆるジャンルを渉猟する室内楽的な響きを思わせもすれば、トイピアノや廃物となった空き缶を用いた不安定で不協和な響きを多用するところなど、パスカル・コムラードのラディカルな童心に通ずる部分もある。特徴的なのは、ハードロックに傾倒していた時期に鍛え上げられたという技巧的なギター・フレーズが、プログレッシブ・ロックの影響を匂わせる変則的な拍子と相俟って、複雑な構成美のうちに披露されている点だろうか。しかし技巧派の音楽にありがちな厚かましさは微塵もなく、優しく語りかけるような歌声がアコースティックな楽器による温かい音色と溶け合って親しみ深い音楽になっている。

 親しみ深さは音だけではない。本盤に収められた楽曲はどれも1分から3分、長くとも6分には満たない小品なのであるが、そのひとつひとつをテーマとしたさまざまな動物の絵と、最後の楽曲である“OWL”から連想されて描き進められたというフクロウの絵が、40ページにわたる画集となってブックレットに収められている。画家を生業とする両親の影響もあって描きはじめたという絵は、洗練された絵画というよりも、児童文学における挿画のようなものに近い。その暗い色調と多分に抽象的な動物の姿は、ともするとアール・ブリュットふうでもあるが、それがこの音楽とともにあることによって、愛らしさを帯びてくる。音楽も画集も、毒を含みながらそれを喧伝しないスマートな装いが心地いい。

 比較されることも多いと思われるトクマルシューゴのミニマリスティックでもある音楽に対して、生楽器に徹したチープな響きと、そうでありながら生演奏で再現することをはじめから目指していないかのような宅録でのこだわりが、ハナカタマサキに独自の魅力を生み出しているのではなかろうか。アルバムには収録されていないが、ここに挙げるキング・クリムゾンの誰もが知るだろう名曲をカヴァーした音源からも、その特異性は聴き取れるはずである。


interview with S. Carey - ele-king


S.Carey
Range of Light

Jagjaguwar / ホステス

FolkIndie Rock

Tower HMV Amazon iTunes

 アルバムのクレジット、そのサンキュー・リストにボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンの両親の名前を見つけてにっこりしてしまう自分もどうかと思う。だが、『レンジ・オブ・ライト』はそういうところで産み落とされた作品だ。
 のちに人数が増えていったボン・イヴェールのライヴ・バンドのごく初期からのメンバーであり、パーカッションを中心としたマルチ・プレイヤーであり、学生時代はクラシックを学んでいたというS.キャリーことショーン・キャリー。ウィスコンシンはオークレアのおらが村のスター……もとい、地元のヒーローであるジャスティンを中心とする音楽コミュニティから才能を発揮するミュージシャンのひとりだが、そこは驚くほど親密で、家族的な絆によって成立している。かつてのヒッピー・コミューンではない……が、しかしどこまでもピースフルな繋がりがそこにあるように感じられる。そもそもアメリカの片田舎からボン・イヴェールの痛切な美しさを誇る音楽が発見されたとき、そこにひとびとはヒューマニティを嗅ぎ取ったのだから。

 『レンジ・オブ・ライト』はS.キャリーとしてのソロ2作目であり、まだまだ習作という印象を残した小さなフォーク・アルバムだった前作『オール・ウィ・グロウ』に比べれば、クラシックの素養を生かした緻密なアレンジメントが耳を引く。とくにジャスティンが参加した“クラウン・ザ・パインズ”のねじれたストリングスの上昇と下降、ラスト・トラック“ネヴァー・エンディング・ファウンテン”における控えめに見えてそのじつ華麗でゴージャスなオーケストラはアルバムのハイライトだろう。オーウェン・パレットやスフィアン・スティーヴンス、あるいはザ・ナショナルのブライス・デスナーのように、現代インディ・シーンにおけるオーケストラ・アレンジャーとして頭角を現していく予感はある。
 そして一貫して繊細なムードで紡がれるアルバムのテーマは、圧倒的なものとして目の前にある自然、その母なるもの、そのものであるという。21世紀における自然主義者による音楽の実践、それがS.キャリーだ。

 それにしても、ジャスティンもあんな繊細な音楽を作りながら、穴の開いたスニーカーを履いて寝巻きみたいな格好でライヴ・ステージに立つような男だが、ショーンからも思っていた以上に素朴な回答が返ってきて笑ってしまった。のんびりしている連中……いや、地に足が着いていると言っておこう。

■S.Carey / S.キャリー
ボン・イヴェールのドラマーとして活躍するマルチ・インストゥルメンタリスト。クラシックの英才教育を受け、大学でパーカッションを学んだ。2010年に〈ジャグジャグウォー〉からファースト・フル・アルバム『オール・ウィー・グロウ』をリリース。本年発表の『レンジ・オブ・ライト』にはボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンもゲスト・ヴォーカルとして参加している。

彼と演奏したかったし、彼の美しい音楽の一部になりたかった。ボン・イヴェールとしての最初のライヴで5曲叩いたんだけど、あまりにも僕が曲をしっかり覚えていたからジャスティンも驚いたんじゃないかな。

このアルバムが日本デビュー盤となるので、基本的なことからいくつか訊かせてください。もともとあなたはボン・イヴェールのファンで、志願してバンドに加入することになったんですよね?

S.キャリー(以下ショーン):『フォー・エマ・フォーエヴァー・アゴー』は僕がジャスティンとはじめて演奏しはじめたときにはまだリリースされていなかったんだけど、彼はインターネットに音源を全部上げていたんだ。当時ボン・イヴェールが誰なのか誰も把握していなかった。だけどどんどん僕らの小さな街でそれがジャスティンの新しいプロジェクトだって話が浸透していったんだ。そのときドラムのパートをすべて覚えて、加えてヴォーカル・ハーモニーもしっかり覚えた。彼と演奏したかったし、彼の美しい音楽の一部になりたかった。ボン・イヴェールとしての最初のライヴで5曲叩いたんだけど、あまりにも僕が曲をしっかり覚えていたからジャスティンも驚いたんじゃないかな。それに僕は歌えたからね。ジャスティンの声とうまく溶け込んだんだ。それで最初のライヴから抜擢されたんだ。

それまではどんな音楽に夢中だったんですか? 学校ではクラシックを学んでいたそうですが。

ショーン:幼い頃はフォーク音楽とビーチ・ボーイズを聴いていたな。それからU2にレディオヘッドを聴くようになって、そこからはジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキーなどのジャズ。その後は20世紀のクラシカル・パーカッションを学習しはじめたね。

いま、どれくらいの数の楽器を演奏されるんですか?

ショーン:いちばん自信を持ってるのはドラムとピアノだよ。だけどギターとベースも弾けるんだ。

僕がボン・イヴェールを聴いていて思うのは、そこにとても理想的なコミュニティがあるということなんです。いろいろなひとが集まって、なにか豊かな感情を奏でている、というような。あなたにとって、あなたがいるウィスコンシンの音楽コミュニティはどのようなものなのでしょうか?

ショーン:とても良いコミュニティだよ。地元でプレイしているバンドのなかにもたくさん良いバンドがいるし、ここの音楽性のレベルは、こんなに小さな街にしてはとても高いんじゃないかな? 昨夜公園にバンドを3組聴きに行ったんだけど、彼らのミュージシャンシップには驚かされたよ!

ではアルバムについて訊かせてください。前作『オール・ウィ・グロウ』に比べて、アレンジメントの面で非常に凝った作品だと思ったのですが、まず、このアルバムに取りかかるモチヴェーション、入り口はどのようなものだったのでしょうか?

ショーン:たくさんあるよ。音楽を書くのが好きなんだよね。目標を立てることができるし、方向性を定めてくれる。それと同時に自分の音楽を作ること、曲を書くことに関してはまだ初心者な気もするんだ。だから今作ではもっと自分が得たいものに焦点を当てたよ。いまはもっと成長した自分がいると思うね。プロデューサーとしても、作曲家としても、人間としてもね。それが音楽を通して聴こえるといいな、と思うよ。

クラシックや現代音楽の要素が前作よりも強くなったように思うのですが、そこも意識されていましたか?

ショーン:とくに意識はしていなかったよ。だけど大学で学んだパーカッションの技術とフォーク・ソングを書く美学はどうしても融合させていきたくてね。それが少しわかりやすく表れているようでうれしいよ。

クレジットにはたくさんのゲスト奏者の名前がありますが、あなたとしては、大勢で作り上げた作品だと捉えていますか? あるいは、かなりの部分であなた自身がコントロールされたのでしょうか。

ショーン:自分はプロデューサーであり、船のキャプテンでもある感じだね。だけど参加してくれたミュージシャン全員の意見のほうがこのアルバムに反映されているよ。だからこそ素晴らしい作品ができたんだと思ってる。

自然はつねに僕のインスピレーションの源でもあるし、再生させてくれる力も持っている。そしてそれについて書こうと思ったんだ。

『レンジ・オブ・ライト』というタイトルは自然主義者のジョン・ミューア(註:カリフォルニア州の長距離自然歩道であるジョン・ミューア・トレイルの名前の由来にもなっている、ナチュラリストの草分け的人物)が山脈につけた名前から取ったということですが、彼がどんな人物か簡単に教えていただけますか。また、彼のどんなところに惹かれるのでしょうか。

ショーン:ミューアは国を渡りまわった自然主義者なんだ。その間発見した点を彼は細かく書き留めて、植物学、生物学、そして地理学のさらに深いところを掘った。彼は冒険者で、最終的にカリフォルニアのシエラ・ネヴァダの山脈に心惹かれたんだ。彼は自然、そしてアメリカに残る原風景に人生を捧げて、環境保護主義者のうちでは欠かせない人物となった。彼の自然に対しての見解は美しくて、スピリチュアルなんだ。そういったところですごく心通ずるものがある気がするんだ。

アルバムのジャケットのイメージや歌詞において、あるいは音楽的にも、自然というモチーフが非常に重要になっています。どうしてあなたは音楽で自然を描こうとするのか理由は思い当たりますか?

ショーン:自然は僕の人生に置いて大きな部分を占めている。いままでもそうだったし、これからもそう。自然はつねに僕のインスピレーションの源でもあるし、再生させてくれる力も持っている。そしてそれについて書こうと思ったんだ。

数多くの楽器を演奏するあなたですが、では、歌うことについてはどんな風に考えていますか? 歌うことと楽器を演奏することでもっともちがう点はどういったところですか?

ショーン:僕は自分の声もひとつの楽器として捉えているから、その点では大したちがいいはないね。

『オール・ウィ・グロウ』でも本作でも、あなたの作品では過去の記憶というものがモチーフのひとつになっていると思います。幼いころの経験や記憶がテーマのひとつになっている理由はなんでしょう?

ショーン:なんでだろうね。曲を書きはじめて、出てきたのがこういったアイディアだったんだ。アルバムの方向性っていうのは実際何曲か作り込んで、それから一度客観視してみないとわかんなかったりするものなんだよ。

ザ・ナショナルのブライス・デスナーは昨年クロノス・カルテットにスコアを提供していましたし、あるいはオーウェン・パレットのようにストリングスのアレンジをこなすインディ・ミュージシャンの活躍が目立っています。クラシックの知識を生かした活動をする彼らにシンパシーは感じますか?

ショーン:そうだね、僕はアレンジには向いてる気がするよ。ただもっとアレンジできる機会が必要なだけでね。

ミュージシャンとして、やってみたいことを教えてください。

ショーン:いまはこのアルバムのツアーに集中しているけど、日本でライヴをすることは僕の夢だよ!

#4 eastern youth 吉野寿 前編 - ele-king

我慢して学校に行ってても金もらえるわけじゃないから働こうとしたんだけど、16~17歳じゃろくな仕事がなくてさ。

後編はこちらから


eastern youth
叙景ゼロ番地

バップ

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──今回は「レベルミュージック」というテーマでお話をうかがいたいと思います。

吉野:ろくなこと話せんと思いますよ……。

──まずバンドをはじめた頃の吉野さんはどんな少年だったんですか?

吉野:世の中全員敵だと思ってました。みんな死ねって(笑)。

──なんでそんな……。

吉野:もちろん近しい友だちはいましたけど、そもそも仲間っちゅうもんがあまりいなかった。小ちゃい頃からつまはじきになりやすい性格だったんだと思います。それで仲間外れになったり、嫌われたりするということもすごく多くて、こっちだって「けったクソ悪いわい」と世の中に対する憎しみや反抗心みたいなものを着々と募らせていったんでしょうね。

──なるほど。

吉野:いちばん最初に組んだバンド、スキャナーズはその延長線上という感じです。ちょっと大きくなると楽器を弾くようになって、自分のフラストレーションを形にできるようになりました。だからいわゆるレベルミュージック的な「政府が……」「世の中の仕組みが……」とかっていうよりは、自分を閉じこめるやつら、俺は世の中のほとんどのやつらがそうだと思ってたから、そいつら全員ふざけんなって感じでしたね。歌詞とかも生きづらさみたいなことを歌っていたと思います。

──学生時代はどのように過ごしていたんですか?

吉野:義務教育までは実家にいましたけど、高校に上がるタイミングで家を出て下宿していました。とにかく生まれ育ったしがらみから早く出たかったんですよ。

──生まれ育ったしがらみというのは?

吉野:学校間のつながりとかですよ。そういうのに囚われない、何にもないところに行きたかったんですよね。

──高校から下宿というのもすごいですね。

吉野:そこの下宿が劣悪な環境でね(笑)。なんせ食い物がまずくて喉を通らんのですよ。少ないながらも親から仕送りをもらっていたんですが、そういうのはすべて食費に消えてました。「なんだっ!? このツラさは……」とか思ってましたね。

──(笑)。そんな状況だとレコードや楽器に費やすお金はなかったんじゃないですか?

吉野:なんとかなってましたよ。ギターとアンプは兄貴からもらったのがあったから、弦が切れたら買うくらいで。レコードも毎月買うわけじゃないから、何か欲しいのがあったらどうにかやりくりするか、文通してカセットに録音してもらったりしてました。

──文通ですか?

吉野:昔の雑誌には文通欄っていうのがあったんですよ。「僕は北海道に住んでるこういうものですけどやりとりしましょう」みたいな感じで、知らない音楽を録音して送ってもらってました。

──どんな音楽ですか?


THE COMES
『NO SIDE』
(1983年)


GAUZE
『FUCK HEADS』
(1985年)

吉野:COMESとかGAUZEとか日本のハードコア。UKもUSも好きだったんだけどね。田舎だとなかなか買えないんだよ。もちろん通販では買えるんだけど、ソノシートとかはいっぱい出ててお金もそこまではないしさ。

──ハードコアを聴きながら下宿で鬱々としていたわけですね。

吉野:じつはその下宿もすぐに出ちゃうんです。俺、高校を1年くらいで辞めていて。何にも囚われないところに行きたくてちがう街の高校に行ったのに、結局そこもダメだったんですよね。それでいちど実家に帰って、半年くらい引きこもってレコードばっかり聴いていました。

──そうだったんですね。

吉野:落ちこぼれちゃったというか、社会から踏み外れちゃったなという感じでしたね。でも自業自得だしどうしようもないんですけど。

──当時からそう思えましたか?

吉野:そうですね。人のせいにはしてなかったですよ。だって好きで辞めたんですから。でも「やったー、学校行かなくていい!」って喜ぶ反面、「さぁて、どうやって食っていこうかな」って思いはありましたね。

──当時の吉野さんはどうやって食べていくことにしたんですか?

吉野:我慢して学校に行ってても金もらえるわけじゃないから働こうとしたんだけど、16~17歳じゃろくな仕事がなくてさ。それで「よっしゃ」って田森も学校辞めさせて(笑)、いっしょに札幌に行ったんです。帯広にいたやつが札幌で暮らしてたから、そいつの家に転がり込みました。

──じゃあ札幌時代は働きながらバンドをやっていたんですね。

吉野:働いてもいなかったんですけどね。札幌で知り合ったやつらは実家にいたりしたから、そいつん家に飯食いに行ったり。バイトしてるやつのところに行って余った食べ物もらったりとか、あの手この手で食べてましたね(笑)。


俺は格好から入ったから、最初はそういうもんなんだろうなって。スキンズ・コミュニティの中に自分の居場所を見出しちゃって、その中にいたいから右翼的な考え方を受け入れる、みたいな流れでしたね。

──いまのお話がスキャナーズ期ですか?

吉野:そうです。17~19歳くらい。

──壮絶な少年時代ですね……。

吉野:そうでもないですよ。なんとかなってましたからね。とにかく「ここにはいたくない」という感じでした。ここじゃないどっかに行きたかったんです。

──楽しかった?

吉野:楽しかったですね! いま思い返すとあまりの無計画さにゾッとしますけど(笑)。ホント、あの頃は何も考えてなかったんですよ。まあ考えてはいたんだけど、目先のことしか見えてなかった。明日、明後日みたいな。

──スキャナーズはどんなバンドだったんですか?

吉野:Oiパンクです。

──映画『This Is England』のインタヴューで吉野さんはご自身とOiパンクの出会いをお話されてましたよね。

吉野:「なんで全員坊主なんだろう!? カッコ悪いな」って思いましたよ(笑)。でも調べるとパンクじゃないそういう部族がおるらしい、と。同じようなもの聴いてるらしいけど、坊主で服も全然ちがう。俺が好きでやりたいのは、どうやらこっち側らしいぞって感じだったんです。そこからどんどんのめり込んでいきました。

──Oiパンクに感化されて思想面が右翼的になっていたとも話されてしました。

吉野:俺は格好から入ったから、最初はそういうもんなんだろうなって。右翼思想を受け入れないと仲間になれない、というか。スキンズ・コミュニティの中に自分の居場所を見出しちゃって、その中にいたいから右翼的な考え方を受け入れる、みたいな流れでしたね。

──しかしその後、右翼思想から脱却しました。

吉野:彼らが何を以てして伝統と言ってるのかさっぱりわからなかったんですよ。必死に理解しようと思ったんだけどね、考えれば考えるほどわからない。それが日本人のメンタリティとか習慣とかを指すんだったら、一人ひとり自分が大事だと思うものを大事にすればいいだけの話で、何も愛国心とか言わなくてもいいじゃない? 時代のなかで人々が大事にしたいと思うものは大事にされ、いらないと思うものはなくなっていくんだからさ。

──インタヴューでなるほどと思ったのは、ある種の部族にとってはファッションにしろ、思想にしろ、掟は細かければ細かいほどよいという部分でした。

吉野:そうそう、そのほうが団結しやすいんです。

──ユニフォーム的な魅力というのはすごくよくわかります。でも吉野さんは違和感を感じながら、部族で過ごすことは選ばなかったわけですよね。

吉野:まあ選ばなかったというか、普通に疎遠になっていったって感じですよ。「入れてください!」って言って入ったわけじゃないし、「辞めまーす」と言って出たわけでもないので。みんな個人的にはいい人たちだし、意外と風通しもいいんですよ。表面的なイメージよりずっと話のわかる“いい先輩”みたいな感じでした。あと自分たちの音楽性も(Oiパンクから)どんどん離れていったというのもありますね。だから、そういうライヴにも出なくなったし、呼ばれなくなった。

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スティッフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)を聴くように中原中也を読んでいて。


eastern youth
『口笛夜更けに響く』
(1995年)


Stiff Little Fingers
『Inflammable Material』
(1979年)

──吉野さんが東京に出てきたのはいつ頃ですか?

吉野:eastern youthを結成したのがちょうど20歳の頃で、『EASTERN YOUTH』(廃盤)というアルバムを出したくらいの頃に田森とふたりで東京に来ました。この頃はいわゆる右翼期で(笑)、『口笛夜更けに響く』から考え方や歌詞、音楽性もすごく変わったんです。

──『EASTERN YOUTH』ではどんなことを歌っていたんですか?

吉野:下手の考え休むに似たりじゃないけど、まあかぶれちゃってる感じですよね(笑)。ただ自分の生まれ育った環境だとか日本っていう国に愛着持っちゃいけないの?っていう思いはありましたね。当時は、日本語はロックやパンクに乗らねえだなんだって論争があったりして、フル英語詞でやるやつらも増えてきたような時期だったんです。でも俺はそういう意見に「(日本語がロックやパンクに)乗らないんじゃなくて、自分たちが乗せようとしてないだけじゃないの?」って感じていて。

──なるほど。

吉野:それで俺もバカなりに考えて、歌詞を文語体にすることを思いついたんです。文語体にすると言葉が記号化するでしょ。その記号を曲の中にはめ込んでいくような感覚。言葉を形として扱うというか。そうすると意味も普通の言葉みたいにダイレクトに入ってこない。

──初期eastern youth作品の文語体の歌詞はそんな状況で生まれたんですね。

吉野:もともと詩を読むのが好きだったんですよ。スティッフ・リトル・フィンガーズ(Stiff Little Fingers)を聴くように中原中也を読んでいて。どっちもカッコいいなと思っていたから、自分の聴いてきたパンクと詩をくっつけちゃダメなのかなって思ったんです。最初はそんな感覚でしたね。

──吉野さんは先ほどアルバム『口笛、夜更けに響く』から歌う内容が変わったとおっしゃいましたが、具体的に『EASTERN YOUTH』からどのように変化したんですか?

吉野:『EASTERN YOUTH』の頃はスキンズ・コミュニティの中で“愛国”とか“日本の心を大事にしようぜ”とか言ってたから、それを軸に歌詞を書いていたわけです。でも徐々に「自分のことで精一杯で“愛国”とか言ってらんねえな」って感じになってきたんですよ。

生身で戦わないと自分の人生にならんのですよ。だからどんどん自分の中のハッタリは却下になるわけです。

──右翼的思想よりも他に、自分にはもっと歌うべきことがある、と。

吉野:そう。こっちは生きていくのに精一杯でぶっつぶされそうになってたわけです。暮らしこそが、俺の戦いだったんですよ。仕事! メシ! ツラい! 死にたい!っていう(笑)。「でも、負けねえぞ」ってなってて。そしたら日本がどうとか、日の丸がどうとかはなんだっていいというか。なんだっていいものは、俺にとって歌うべきことではない。だからは俺はその「負けねえぞ」っていう思いを形にせにゃいかんぞと思ったんですね。

──eastern youthの歌詞は年々シンプルになっていると思うのですが、それはなぜですか?

吉野:それは本当のことだけを歌いたいからです。パンクに文語体をぶっこむっていうのは仕掛けなんですね。ハッタリ。頭悪いくせに頭よく見せようとしてもしょうがない。頭悪いなら頭悪いままでいい。変なメッキのようなもので実際より自分を2倍にも3倍にも大きく見せてもしょうがない。むしろ漢字バリバリ間違ったまま歌詞にしたいくらい(笑)。

──本質的なことを歌いたいという欲求が、結果的に歌詞をどんどんシンプルにしていった、と。

吉野:俺は自分が本当に大事だと思うことだけを歌っていきたい。そのためにはハッタリをどんどんとっていかないと。生身で戦わないと自分の人生にならんのですよ。だからどんどん自分の中のハッタリは却下になるわけです。そうやってカッコつけたものを取っていくと、ひょろひょろの芯みたいなもんだけが残って。それがどんなにみすぼらしい針金みたいなもんでも、それで勝負したい。「どうにか頑張れよ」「死にたくないんだろ」って。大事なことっていうのはシンプルなんだと思います。


■ライヴ情報
極東最前線巡業 ~Oi Oi 地球ストンプ!~
2014年8月30日(土) 渋谷クラブクアトロ
open 17:00 / start 18:00  ¥3,500(前売り/ドリンク代別)
出演:Oi-SKALL MATES / eastern youth

ticket
ぴあ(P:230-946)
ローソン(L:77597)
e+(QUATTRO web :5/17-19・pre-order:5/24-26)
岩盤
CLUB QUATTRO

(問い合わせ)
SMASH : 03-3444-6751
https://smash-jpn.com
https://smash-mobile.com


Julianna Barwick - ele-king

 本作『ロサビ』は、デラウェアはミルトンのブルワリー、〈ドッグフィッシュ・ヘッド・ブルワリー〉と、ジュリアナ・バーウィックとのコラボレーション作品である。正確に言えばこのEPだけでは本作は不完全だ。なぜなら、『ロサビ』とはこの企画よって生まれたペール・エールの名であって、ボトルと10インチとが同梱されたものが出荷を待っている。やっぱり、それを味わいながら聴いてみたい。

 ロサビを飲みながら聴きたいというのは、気分の問題からというだけではない。この企画自体が、両者のあいだにおいて、時間的にも内容的にもわりとじっくりと進められたという背景を知ればこそである。スタートは2013年、バーウィックがドッグフィッシュ・ヘッドの新しい醸造所に招かれて従業員たちの前で演奏を披露するところからはじまる。そこはカテドラルのような環境だということだから、バーウィックの音楽と演奏スタイルにぴったりとはまっただろう。そののちに本作収録曲が編まれるわけだが、ドッグフィッシュ・ヘッド側からはビールの製造過程において生まれるさまざまな音──醸造、発酵、濾過、そしてボトリングにおいて発生するノイズが提供された。バーウィックはループ・ペダルによって自身の声をレイヤーしていくあの特徴的なスタイルに、ロサビのための一層を加える。

 ぶつぶつ、こぷこぷ、ガシャンガシャン。あらためてビールを製造している音だということに思いを馳せるとなんだか可笑しいが、そんなふうにどことなくコミカルな、弾むような炭酸っ気と、このエクスペリメンタルなブルワリーを支える従業員たちの心意気や精神、ビール好きだというバーウィックのキャラクターが、彼女のヴォーカル・ループにじつに気持ちよく、のびやかに織り合わされている。つけ加えると、ロサビにはわさびが入っているそうだ。筆者はわさびが苦手で、サビ抜きじゃない寿司を出されると親にキレたりしていたが、「苦みとホップのようなハーバル・ノーツが加わった日本の根菜類」なんて表現されるとちょっとトライしてみようかという気持ちになる。さわやかで、しかしちょっと実験的な性格をもったビールなのだ。

 波が寄せるように、一息ぶんのフレーズが穏やかに高低し、層を重ねていく。バーウィックについては何度も書いてきたので多くを割かないが、彼女をヴォーカリストや歌姫の類に括るのは正確ではないと思う。声楽も学んでいるけれど、彼女が明確な旋律と構成をそなえた「ソング」を歌った作品は『オンブレ』(2012、アスマティック・キティ)というヘラド・ネグロとのコラボ作のみである。むしろ即興性を軸としてサウンド・デザインを施していくスタイルが特徴で、どちらかというと音響派に連なるアーティストだ。そしてまた、リニアな時間性をもつ「ソング」が終曲とともにその単一の時間を完結させ、閉じるものであるのに対し、バーウィックのコンポジションは複数の時間を綴じるように成立している。その意味で、本来こうしたコラボレーションと相性のよいものなのかもしれない。
 ちなみに、“トゥー・ムーンズ”においてアナログ・シンセがフィーチャーされているところが小さな新機軸ではあるが、大部分はいつものジュリアナ・バーウィックである。工場のフィールド・レコ―ディングからのサンプリングが、低域をけずられてきらきらと輝いている。リヴァービーにひきのばされて、ホップが踊る愉快な時間と響き合っている。ブルワリーの創設者にして社長であるサム・カラジオーネは、バーウィックの習慣にとらわれない音楽スタイルが好きで、それは自身のビール製造への思いと変わらないのだと述べる。この企画の銘柄にかぎらず、どこか独創的で若々しい社風を想像させるメッセージだ。そんなブルワリーの気質と、ロサビの楽しくて気持ちのよい性格が、残響のなかから立ち上がってくる。


interview with Passepied - ele-king

 幕の内弁当がいまのような姿を現すのはようやく江戸時代のことらしいというのはウィキペディアで得た情報だけれども、あのとりどりの惣菜が折詰に小さく仕切られて、デザイン性もゆたかに並べられている様子は、吹抜屋台というのだろうか、屋根をとりはらって中のお姫様やお殿様や女官たちを俯瞰で描く『源氏物語絵巻』など、もっとふるい絵巻物の構図を思い出させる。

 フル・アルバムとしては2枚めとなるパスピエの新作に冠されたタイトルは『幕の内IZM』。「全曲シングル出来」と喧伝されるように、各楽曲には卓越したソングライティングや繊細なアレンジ、小技を効かせたタイトなアンサンブルが光り、ニューウェイヴィなシンセ・ポップからソリッドなポストパンク調、ピアノやオーケストラ・アレンジが華やかなロック・ナンバー、変拍子と転調を重ねるプログレ展開……と、さながらいちょう切りのにんじんや、丁寧に俵型に型押しされてごまをかぶった白米のように、幕の内なヴァリエーションが詰め込まれている。しかし、幕の内弁当のように多彩でよくできたアルバムですね、というのでは言葉足らずだ。パスピエの「幕の内」はただ品数やデザイン性という特質を超えて、あの俯瞰構図が思い起こさせる「日本らしさ」へとさかのぼっていくように思われるからだ。

 大胡田なつきのジャケット・デザインもそんな空想を手助けする。ポップアップ式で日本家屋の一隅が展開し、立てて置くとその全体が俯瞰できる。日本画の絵具で塗られた少女たちが遊び、佇み、異なる場面や異なる物語が同一画面に収まってしまうという、あの絵巻的な時間と空間。そこではやがて、ジューシィ・フルーツを垣間見するイエスや、文箱を開ける矢野顕子のホログラムが明滅を繰りかえすだろう──。一人称を起点に歌うのではなく、また三人称の物語を紡ぐのでもない、その両者がとけあいながら並び、時間を混在させ、木と紙でできた箱を華やがせるその様子には、メイン・パーソン成田ハネダが述べるように、頭にJをつけて異物を取り込んでしまう敷島の大和心が奇妙なかたちで表れているのかもしれない。

 今作において成田ハネダは、海外からみた日本を意識したと言う。いや、そもそもの最初からパスピエの音楽にはJ-POPとはどんなものなのかという問いかけがあった。大学で西洋の音楽を修め、ロックやパンクはその後に出会ったというこの鍵盤奏者は、日本のポップ・ミュージックに対しても、その内側からではなく、まさに絵巻物のように俯瞰的で、視線がけっして内面化されないような地点から接してきたのだろう。

 『幕の内ISM』は、そうした意味で日本のポップスを相対化し、イミテートする、過激な実験化合物のような色をしている。これまでの作品に増して「皮をかぶったJ-POP」を加速させ、むしろそのことでその皮が破れ、エクスペリメンタルにJ-POPという幕の内をさらすものに仕上がっている。初期衝動ゼロのつめたい批評性と、限界まで伸張させたJ-POP要素とが激しく摩擦を起こし、いまにも発火しそうだ。


セカンド・アルバム『幕の内ISM』のジャケット展開イメージ

■パスピエ/Passepied
2009年に成田ハネダ(key)を中心に結成。バンド名はフランスの音楽家ドビュッシーの楽曲に由来。2011年にファースト・ミニアルバム『わたし開花したわ』、2012年にセカンド・ミニアルバム『ONOMIMONO』をリリース。2013年には初のシングル『フィーバー』つづけてメジャーで初となるフル・アルバム『演出家出演』を発表。数々の大型ロックフェスへの出演、またワンマン・ツアーを成功させ、今年はEP『MATATABISTEP/あの青と青と青』、セカンド・フル『幕の内ISM』のリリースでキャリアにさらなる弾みをつけている。
Vocal : 大胡田なつき Keyboard : 成田ハネダ Guitar : 三澤勝洸 Bass:露崎義邦 Drums:やおたくや

成田ハネダのポップス観


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まず、整理のためにおうかがいしたいのですが、最初のミニ・アルバム『わたし開花したわ』(2011年)の時点では、メジャー契約前ということになるわけですよね?

成田ハネダ:そうですね。

とすると、ある種の契約関係のないところで作られてきた曲というのは、だいたい『わたし開花したわ』の時点で発表済みということになりますか?

成田:そうですね、僕らの場合は、その作品のリリースまでに作った曲がその作品に収録されるというかたちですね。例外もあるんですけれど。

そうなんですね。最初のミニ・アルバムでひとつ区切りができているという。では、メジャーというところへひとつステージを上げたことによって、何か変化を意識しましたか? たとえば、誰に向けて作っているのか。

成田:うーん、誰に向けて作るというようなことはあまり意識したことがなくて。僕はバンドをはじめたのがすごく遅かったので、「誰に共感させたらいいんだろう?」ってことよりも、「誰が共感してくれるんだろう?」っていう興味のほうが大きかった部分はありますね。
 いまは曲についての感想をツイッターのリプライとかでいただいたりすることが多くなりましたけど、年齢や顔が見えるわけではないので、おもに反応を意識するのはライヴだったりするんですよ。そのライヴのお客さんが、年々変わってきていたりすることは感じます。

あ、やっぱりそうですか。

成田:そうですね。最近はどんどん若い方が来てくださるようになったと思います。

なるほど。その変化に対して自分たちからも投げ返すという感じですか。

成田:そうですね。『わたし開花したわ』の頃はけっこう年齢の上のかたが来てくださっていました。

その感じはわかりますよ。変な言い方ですが、音楽的にちょっとうるさいような、玄人感のあるお客さんというか。若い人が増えたというのは象徴的だと思うんですが、今作について、よりポップに開き直るというような部分はなかったですか?

成田:「開き直る」というのは、よりポップを意識するということですか?

そうです。へんに悪い意味にとられたくないのですが。

どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。   (成田)

成田:そうですね、そもそもの話からすると、僕の場合は、衝撃を受けたライヴ体験が小さなライヴハウスでの経験だったりするわけじゃないんです。どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。そのころは、そういう大きなステージで活躍しているアーティストはメジャー契約というものをしている人たちなんだっていうふうに思っていたし、それならば自分たちもメジャー契約をしたい、という感じだったんです。
 でも、何年かやっていくうちに「彼らはメジャーに行って変わってしまった」というような反応をきくようになりました。そのときに、インディからメジャーへ行くというのは、アーティストだけじゃなくてリスナーにとっても意識を変えさせられることなんだなってことを理解するようになって、だったら僕はその逆をやりたいと思いました。僕の中では『わたし開花したわ』に入っている作品がいちばんメジャーっぽく作ったものなんです。

へえ!

成田:バンドなのに思いっきりオーケストラ・アレンジをしている曲だったり、これだったらテレビで流れてもおもしろいんじゃないかなっていうような曲だったり。はじめはそういうものを作っていたつもりで、メジャー契約したあとは、むしろ自由なことをやらせてもらっているような気がします。

なるほど。

成田:なので、ポップスの純度という点で『わたし開花したわ』がいちばん高いものであって、その濃い薄いが以降の作品の差だというのが僕の感触なんですよ。

先に『わたし開花したわ』というイデアが提示されてしまっていると!

成田:バンドをやる上で、メジャーでやりたいという思いがすごくあったので、だったら最初から出来上がっていればいいんじゃないかと考えていたと思います。

それはまた、ある意味複雑な出発点ですね(笑)。たとえばメジャー・リリースのファースト・アルバムとなる『演出家出演』ですけど、あの冒頭のフュージョンっぽいアンサンブルの一曲を比較しただけでも、今作『幕の内ISM』ってずっとポップでメジャー感があると思うんですね。

成田:はい、はい。

それって、単純に自分たちのモードの変遷だということなのか、それとも、たとえば若いリスナーが増えたというような背景も受けて、いままでとちがうところに向けて開いていこうとするものがあったんでしょうか?

成田:やっぱり、つねに新しい人に聴いてもらいたいっていう欲求があるので、いま聴いてくれている人たちとはべつのジャンルに届かせるためにはどういうアクションがあるかなっていうことはつねに考えながら作っています。でも『演出家出演』は、僕たちのなかではライヴとかフェスを意識して作ったものなので、そのひとつのモードが終わったということはあるかもしれません。
 それで、いざべつのターンに入っていこうとするときに昨年音楽的に影響を受けたのが、「民族性」っていうことだったんです。

え、「民族性」ですか。

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日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて。   (成田)

『幕の内ISM』の民族性

成田:はい。音楽を聴いたり、美術館に行ったりして思ったことがあって、次のアルバムでは「民族性」ということを活かしたいと考えていました。ライヴを意識していく前作の方向性とはぜんぜんちがうベクトルで、今作は民族性というテーマを持ちたいと。

オリジンということですか? それとも、たとえばダーティ・プロジェクターズなんかが実験的に接近していくような「民俗」、土地に固有なカルチャーへの興味ってことですか?

成田:大胡田は絵だったり詞だったり、わりと総合的に発信するものがありますけど、僕の場合は音だけで、音が持つ土地感のようなものに興味を持ったんです。以前からそういうものはおもしろいなと思っていて、それをバンドでも表現したいと思いました。

なんというか、それは槍を持ってたりとか、単純に民族楽器を使ったりとかってことではないわけですよね。もうちょっと「民族性」ということについて教えてもらえますか?

成田:たとえば韓国ならK-POPだったり、イギリスならUKロックだったり、北欧なら北欧でいろんなバンドが存在していますけど、その国らしさというものがあるじゃないですか。先入観かもしれませんが。

はい、はい。

成田:それで、日本ならば民謡だったり雅楽だったりという古い音楽だけじゃなくて、ちゃんとJ-POPにも(民族性というものが)あるなあと感じたんです。

なるほど、日本の民族性、オリジンというようなことですね。

成田:そうですね、それを日本の人に向けて発信するというのではなくて、世界からの視線に対しておもしろいものが作れたらいいなあと思ったんですよね。それに、尺八の音を使ったり和太鼓の音を使ったりということではなくて、いままでやってきたバンドのサウンドでいかに表現するかっていうことに重きをおきました。

おもしろいですね。自分たちのルーツを探るというモチヴェーションならわかりやすいんですが、なぜか世界からのまなざしを意識していると。

巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。 (大胡田)

『演出家出演』までって、やっぱりインディ・バンドだったと思うんですよ。すごくニューウェイヴでロックで、それをある意味でエッジイに追求していて、メジャー・リリースだけどインディ・バンド。それに対して、今作はそういう角が取れている部分があって、曲のアレンジやらプロダクションからいっても、あらためてJ-POPのステージに立とうとしているような気がしたんです。それが、パスピエにとっての民族性の追求ということなんでしょうか?

成田:日本の音楽って、J-POPに限らず融合の歴史だと思っていて。たとえば古い時代なら、中国なり東南アジア由来のものを日本の風土に親しみやすいように取り込んでいく。いまはもっと世界的にいろんなものが混ざり合っていて、音楽もそうなっていますよね。でも日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて、そういうことがおもしろいなあと思うんです。

そのへんは「ガラパゴス」という言葉もありますね。いろんなものが日本という閉じられた環境のなかで奇妙なかたちに煮詰められてしまうと。成田さんのおっしゃる「J」っていうのは、今作だとどのへんに出ていると思いますか?

成田:今回はJ-POPの中のバンドではなく、「POPの中のJ-POPバンド」をテーマに作ったので、どのへんというよりは全体のイメージだと思っています。あくまでも主観ですが。

制服、着物、巫女──大胡田なつきの女の子

大胡田さんの絵の、女子学生、制服、着物、巫女というのも、ある意味で煮詰められた「J」の表現かと思うのですが、ご自身のなかではそういうオリジンとか日本というのはどんなものなんですか?

大胡田なつき:わたしはわりと、小さいころから「日本に生まれてよかったなあ」って。日本が好きだと思うことが多かったんですけど、それは自分が生きているいまの日本とはちょっとちがって、本のなかで読んだりする昔の日本だったんです。

ああ、古い日本なんですね。昭和とかよりずっと昔の?

大胡田:どのくらいだろう……。『斜陽』(太宰治)とか、夏目漱石とか。

なるほど、ちょんまげまではいかない、ぎりぎり写真が残っているような近代文学の日本ですね。

大胡田:そうですね、そのくらいの日本が好きです。本とかもわりと読んでいたほうなので、そのせいもあるかもしれないですね。でも今回のアルバムのジャケットなんかは、『演出家(出演)』を作り終わったくらいのころに浮世絵とか日本画の道具に興味を持ったので、その影響ですかね。パスピエってフランス語なんですけど、日本の色ってフランスの色に共通しているようなところもあって、いろいろ調べたりもしました。
 わたしはとくに成田さんのように民族性を意識したりということはなくて、ただ自分が描きたいから描いただけなんですけど、アルバムになってみると成田さんと似たようなものを表現していきたいと思った時期だったのかなとは感じましたね。

女子学生で制服で着物でってなるとどうしても会田誠さんを思い出してしまったりもするんですが、お好きだったりしますか? あるいはどこかに同じようなアプローチを感じたりとか。

大胡田:どうかな……、並べられるかな(笑)。

ははは。刀こそ出てきませんけどね。

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自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像っていうところがあるんですね。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。   (大胡田)

あるいは、大胡田さんは巫女さんを描かれることも多いですけど、この女性のモチーフってご自身のなかの何なんですかね?

大胡田:巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。

あはは! いや、でもそれって男性に近い感じの目線なんですか?

大胡田:わたしのなかでは、自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像──わたしのなかの女性っていうのはこういうものだ、っていうところがあるんですね。だからわりと、靴下脱いでる女性とか、ポーズがあんまり女性らしくなかったりすると思うんです。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。

男性から見てセクシャルな感じに記号化されている制服とか着物じゃないなってことは、わたしも思うんです。

大胡田:うんうん。

大胡田さんは、小川美潮さんとかがお好きだってよくおっしゃってますよね。成田さんは矢野顕子さんですか。おふたかたとも、ある意味では母性とか、古い制度とか因習に重たくとらわれた女性のありかたから跳躍しようとした人たちだと思うんですが、そんな感じですかね?

大胡田:そんな感じなのかはわかりませんけれど、自分が女性である、ということを全面に押し出していないところはすごく好きです。

泉まくらさんともいっしょに作られてましたよね(「最終電車 featuring 泉まくら」2013年)。彼女とはある意味対照的なタイプでいらっしゃるようにも見えるんですが、実際どうでしたか?

大胡田:わたし、まくらちゃんのアルバムをけっこう聴いているんですけど、わたしが外へ出さない部分──女の子らしさみたいなところを感じました。聴いていて「これはわかる」という部分はすごくあるはずなんですけど、その「わかる」の感覚に出会えるような生き方を自分はしていないなあ、と。まくらちゃんに共感する女の子は自分を含めて多いと思うんですけどね。

ある意味では大胡田さんは女の子らしくない(笑)。

大胡田:どうなんだろう(笑)。わたしは、女の子みんながまくらちゃんのような生き方をしているわけではないと思うけど──

詞にもけっこう対照的に出ていますよね。たとえば大胡田さんの場合は、詞では自分の内面みたいなもののなかに深く入っていかないじゃないですか?

大胡田:うん、そうですね。

それはパスピエの音楽性にとってもすごく重要なポイントだと思うんですが、逆に言うと、どうして、たとえばまくらさんのような詞を書かない/書けないんでしょうか?

大胡田:ちょっと(言葉が)自分に近すぎる……ということですかね。わたしが書いている歌詞の内容は、自分からはちょっと遠いところにあって。自分のなかから出てくるものではあるんですけど、一応「パスピエの大胡田なつきです」というふうに思っているので、自分の内面を書くということはあんまりない……かなあ。なんというか、わたしが歌詞を書くときは、もし自分に5つの面があるとすれば、そのなかのひとつについて書く、という感じなんです。だから、ちょっと自分からは離れているんですよ。

尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。   (成田)

“うた”とヴォーカリゼーション

なるほど、3人称的なものが多いですよね。このあいだニルヴァーナのムックが出ていましたけど(『ニルヴァーナ:グランジの伝説』河出書房新社)、死後20年なんですね。スキルとかじゃなくて、まず俺あっての音楽、というものの説得力が2000年代にはやや後退しましたけど、パスピエ的な音や佇まいは、そういうところにとてもしっくりきたと思うんです。成田さんは、大胡田さんの歌詞についてはどうですか?

成田:僕は、歌詞についてストーリー的な部分はあまり気にしていないので、一人称のものでも三人称のものでもそんなに気にならないですかね。詞で書いてもらう世界観は100%共有できるものではないと思っているので。それでも、そのなかで音楽を発信する身として共通する部分を見出していくとすれば、僕の場合はそれぞれの単語の響きだったりということになりますかね。あとは、実際に声に出しているのは大胡田なので、大胡田が納得する世界観で発信してもらえればそれでいいかなって思います。

なるほど、音として今作のヴォーカリゼーションを考えると、とくに高音で声を抜いたりしなくって、行くところまで行く、その意味で甘いとこがないという感じがしたんですが。歌唱法の変化って感じたりしますか?

成田:今回は歌い方、すこしちがうよね?

大胡田:基本的にはあまり変わらないんですが、曲も新しいので、新しい歌い方を使ったって感じですかね。

たとえば矢野顕子さんって、もし音程を外すことがあったとしても、それはすべて計算内というか、完璧にやれる上での外しだったりするんだろうなっていうイメージがあるんですが、今作の大胡田さんって少しそんな感じに極めていっている気がしました。

成田:ああ、それは目指したところでもありますね。前回は、ここを聴いてほしいっていうようなところとくにがなくて、ポイントポイントで照準を合わせていったという感じがあるんですが、今回ははじめて、どこに発信しても納得してもらえる、どこで演ってもどこで流れても成立するというものが作りたかったので、その点ではどこにも隙がないのがいいんじゃないかと思っていました。

ある面からすれば、ノイズや音程などもふくめて、音楽は作りこまれすぎないところに豊かさがあるともいえると思うんですが、その点はむしろすごく作っていくことで尖らせるというか。

成田:そうですね。まだいまの段階ではリリースされていないので、どんなふうに聴いてもらえるかっていう反応がわからないですが、尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。

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自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。   (成田)

ニューウェイヴ・ジャパン

パスピエは「みんなのうた」になったのかもしれませんね。矢野顕子さんも1曲ありましたよね。ニューミュージック系の人なんかもけっこう「みんなのうた」の後ろにいたりする。きちんと曲が作られて、きちんと演奏されて、隙のない歌が乗って、イメージも完成されていて、あと、日本の独特のものがあるじゃないですか。

成田:「みんなのうた」っていうのが僕の思い描くものと近いのかどうかわからないですが、今回は国内ということではなくて海外から見た日本も意識しているわけなので、そのへんが日本のニューウェイヴっぽかったりはすると思います。

オリジンを考えるときに、ニューウェイヴにいくっていうのはおもしろいですね。

成田:僕は、そこにウソがあったらいけないなと思っていて。僕たちは顔を出さないでやっていたりしたので、音楽までフェイクになってしまったらマズイなと思うんです。それこそ、江戸の趣味とか、雅楽とかを取り入れたとして、でもそれっていまの時代に本来はないものじゃないですか。そういうものは、いい悪いということではなくてフェイクだと僕は思っていて、自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。

さっき「クール・ジャパン」的な外部へ向けた日本のイメージ、あるいは外部から向けられた日本のイメージを意識していると言っておられましたが、それはどういうことになるんでしょう?

成田:「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。そこらへんのさじ加減は気をつかいました。すごく狭いところに行ってしまわないように。

自分の内側にもぐっていって日本を発見するというよりは、外国からの視線のなかにそれを見つけようとするわけじゃないですか。成田さんはピアノで西洋の音楽を本格的に学ばれてきたわけですが、それと日本が結びついた瞬間ってどこにあるんですか?

成田:それがパスピエですかね。「パスピエ」って、ドビュッシーという作曲家の曲名からとったんですが(『ベルガマスク組曲』終曲)、ドビュッシーに限らずその頃のフランスの作曲家とか画家には日本の愛好家がけっこういて、彼自身も楽譜の初版に『富嶽三十六景』(葛飾北斎)を使ったりしているんです。印象派じゃなくてもそれに近い時代の作曲家の作品には、どう見ても日本っぽいメロディがあったりして、それはあくまでフランスのもの音楽だけど、勝手に親和性を感じるところはあります。

「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。   (成田)

フランスは日本の2次元カルチャーなんかにも熱心ですよね。成田さんはたまたまフランスの音楽を学ばれたわけですが、それ以外のUKやUSの音楽にはとくに傾倒されなかったんですか?

成田:好きな音楽やアーティストはいっぱいいるんですけど、僕の場合はバンドをはじめてから掘り下げていったんですよ。

海外のロック、ポップスみたいなものを聴きはじめたのは何からなんですか?

成田:ほんと、レッド・ツェッペリンも知らなかったくらいなんですよ。自分がやるからには、いわゆる名盤と呼ばれているものが何なのかということを知らなければと思って聴きはじめましたね。さすがにビートルズは聴いたことがあったんですけど、オアシスとかからパンク、メロコアなんかまでさらう感じでした。

そうすると、日本のニューウェイヴのほうが、体験としては先にあったんですか?

成田:いや、フェスとかでロックという音楽に触れたことが僕の原体験だと思っていて、オアシスだ、ピストルズだというのが先でした。それでどうやって自分の音楽を作っていこうかなというところをつないでくれたのがニューウェイヴでした。

野田:ちなみに、日本のニューウェイヴっていうとどんなバンドですか?

成田:僕はニューウェイヴのバンドに行きあたる前に矢野顕子さんを知って、矢野顕子さんが当時YMOでツアーをまわったりしていたということでYMOを知って、そこで、どうやら彼らはニューウェイヴと呼ばれているらしいということを知った、という感じなんです。そこから同時期に活躍していたビブラトーンズやP-MODELだったりを知って、あらためてニューウェイヴっておもしろいなと思って、海外にもあるらしいぞ、というふうに広がっていきました。そのなかで、「ニューウェイヴというのはキーボードがいて電子音が使われていて……」という、それまで自分が勝手に固めていた解釈以外のバンドもたくさん知るようになって。だから、きっかけはバンドというか矢野顕子さんでした。

野田:とくにおもしろいと思った日本のニューウェイヴ・バンドは何だったんですか?

成田:僕は、ビブラトーンズですかね。

大胡田さんはジューシィ・フルーツとかヒカシューとか名前を挙げておられたように思いますけども。

大胡田:ジューシィ・フルーツとかは聴いてましたね。でも、わたしはとくに誰が好きで曲を聴くとかってことがないんですよね。あと、名前とかをぜんぜん覚えられない。

ははは! 系統立てて追っていこうとかってことではないんですね。

大胡田:もう、好きな曲を聴くってだけです。その人の曲を調べてどんどん聴いていくというようなことをしないので……。だから、「この時代なら誰が好き?」って訊かれても答えられないことが多いですね。

野田さんはニューウェイヴ観に相違を感じられました?

野田:いや、ビブラって意外だなと思って。時代によってやっていることがちがうけど、初期の歌謡曲っぽさが好きなの?

成田:そうですね、僕はニューウェイヴのバンド・マンがプロデュースしている女性アーティスト──早瀬優香子さんとか、鈴木さえ子さんとかにも並行してハマっていきましたね。だから歌謡曲っぽさに惹かれるところはあったかもしれません。

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アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。   (大胡田)

女性ヴォーカルは絶対という感じですか。

成田:絶対というわけでもないんですが、バンドを組もうと思った2006年くらいの頃は、男性ヴォーカルのギター・バンドがすごく多かったんです。まあ、僕の知る範囲では。それからキーボードの入っているバンドもいまほど多くなかったと思います。それで、なんとなく、これからバンドを組むなら女性ヴォーカルを入れるほうがいいんじゃないかというようなことを考えました。

歌唱力っていうと、大抵は声量が豊かなR&Bのシンガーなんかを暗に基準にしているところがあると思うんですけど、大胡田さんってそうじゃないですよね。太いわけじゃないけど、明確な子音とか、キーボードのようにぶれない波形、みたいな。ある意味で日本的というか。

野田:アニメの音楽の影響があったりというわけでもない?

大胡田:アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。よく訊かれるんですけど、アニメで好きな歌っていうとけっこう古いものになってしまうと思います(笑)。親が歌ってたから知ってる、とか。

成田:でも、絵も描いていたり、自分でマンガを描きたいって言っていたこともあるんですよ。だから、考え方が突飛というか、突然変異的なことが多くて。それこそ、ぜんぜんマンガを読んだことがなかったのにマンガ家になりたいって思ったりとか。僕が見るなかでは、何かにインスパイアされて表現が生まれるというよりは、自分が表現するための手段がそれだった、みたいなところがありますね。

なるほど。アニメの音楽っていっても、Jポップの市場がぶらさがっているだけってところもありますしね。

野田:成田さんから見た大胡田さんのヴォーカルの魅力はどこなんですか?

成田:まず声質ですよね。話し声をはじめて聞いて、普通の声じゃないって。それはいまでも強みかもしれないです。あと、本人がどう思っているかはわからないですけど、曲によって変えようとしているのがおもしろいですね。「どんな曲がきてもわたしはわたしの歌い方で」っていうのではなくて、特異な声質を用いて、曲によって様変わりしていこうとしているスタンスが。

ついアニメと比べてしまうような、ちょっと中性的というか、幼児性のあるような声質というのは、ニューウェイヴ的なものでもあると思いますけどね。

成田:そうですね。僕もアニメはぜんぜん観ないんですよ。ただ、当時のニューウェイヴの曲は、僕は素朴におもしろいと思って聴いていたんですけど、それが『うる星やつら』に使われていたとか、ゲームに使われていたというようなかたちで、思わぬところでそうしたカルチャーとつながることは多かったです。

それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。

バンドの意義、ハードの重み

ボカロはどうでした?

成田:僕はボカロも聴かなくて。ぜんぜん嫌いというわけではないんですけど、とくに感動できないということがあって。自分がピアノをやっていたときには、いかに一音で感動させるかというようなことにずっと取り組んでいたんですよ。ピアノには言葉がないから。ボカロとかも、ひとつの表現手段として、あるいはカルチャーとしておもしろいものだとは思うし、テクノロジーの進化ということで時代性もあると思うんです。けれども、作っている人間の感情を、発する音から求めたいと思うところがあるので……。

ボカロといっても要素は生の人の声なわけで、大胡田さんの声で「あ」から「ん」まで録音したサンプルをつなぐのと同じですよね。でも、彼女の歌と、彼女のあいうえおを単組み合わせたものとは違うんだということですか?

成田:そうですね。そう思っているし、それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ニューウェイヴだ、電子音だ、っていうところで、同期ものをつかわないの? とよく訊かれるんですが、たとえ波形で見れば同じことだとしても、ソフト音源を使ったりとか打ち込みってことをやったことがないんです。全部ハードで録っているんですよね。PC上でMIDIでつないで鳴らすってことではなくて、ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。

野田:そこもすごくニューウェイヴ的なアプローチだよね。フライング・リザーズが風呂場でドラムを録るようなさ。テクノロジーに支配されない、テクノロジーは使うものだ、っていうね。

成田:なるほど、そうですね。

野田:ポップスの歴史ってだいたいはアメリカなんですよね。だから大瀧詠一さんが世界史を分母にして……っていうときの「世界」はアメリカのことで、細野晴臣さんとか矢野顕子さんとか、あの世代まではみんなアメリカの音楽の影響を受けているわけ。でもニューウェイヴだけがヨーロッパの音楽なんですよ。小室哲也っていう例外はあるんだけどね。

成田:はい、はい。

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「理想」と言えない感じ。たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。   (成田)

理想を言えない時代の“Shangri - La”

野田:それで“Shangri - La”(『MATATABISTEP/あの青と青と青』、2014年)をやるっていうのは、電気グルーヴのなかにニューウェイヴっぽさを見たというようなところなんですか?

成田:もちろんそれもあるんですけど、やっぱり僕はその「シャングリラ(理想郷)」っていうテーマ自体に惹かれたんだと思います。なんか、いまやることで時代の気分が出るかなとも思いました。それに、「電気グルーヴがやりたい、そのなかで有名な曲を選ぼう」ということではなくて、電気グルーヴと“Shangri - La”がセットだったという感じですかね。

なるほど。

成田:いまは「理想」っていうことを聞かなくなったと思うんです。世の中的に。

シニシズムということですか?

成田:うーん、そういう「理想」が言えない時代だというか。僕らが“Shangri - La”をやることによって、それを新たな意味で示すことができるんじゃないかという思いがちょっとあります。音楽的にはまじめにやっているんだけど、とらえられかたとしてフェイクに見られてしまいがちなところもふくめて、僕らがやることでぜんぜんちがう意味を乗せられるんじゃないかなと。

ストレートに「理想」というものを蘇生させたいというのとは違って……?

成田:逆ですね。「理想」と言えない感じ。……たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。そういうことに近いと思います。「理想」といっても、だから、「シャングリラ」はユートピアとディストピアのどっちの意味にもとれる感じです。

野田:いま電気グルーヴを何か1曲やるとなったら、大抵は“虹”になると思うんだよね。「やっぱり昔は美しかったね」というか。そこで“Shangri - La”を選ぶというのは興味深いなと思いましたよ。

たとえばtofubeatsさんが森高千里さんをフィーチャーしたりしていますよね。彼はとても頭がよくて、いま誰をどの文脈から引いてくるかというような駆け引きや批評に非常に長けているじゃないですか。

成田:そうですね。

それから、それによってもっとも有効にポップ・マーケットを利用して、時代を手前側に動かしてやろうっていうような志もあると思うんです。お会いする前はもしかすると成田さんにもそういったところがおありかなと思っていたのですが、ちょっとちがってましたね。ポップ・ミュージックのシーンへの向かい方をどんなふうに考えていますか?

成田:そこはむしろすごくコンプレックスでもあったところですね。僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。メンバー集めも、どんな音楽をやるかというのも、全部探しながら見つけてきたものであって、そのなかでおもしろいことをやるなら知識をつけなければだめだなという思いへとベクトルが向いていきました。

僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。 (成田)

 でも、発信したいということの根元には純粋な気持ちがあると思うので、曲作りに関してはとくにまわりやシーンを意識したりすることなくやっていると思います。それをどう見せていくかということには注意していますけどね。『演出家出演』も今回のも、曲自体はそんなに変わっていないんですけど、歌の録り方とかバンドの録り方っていうのは180度変えているので、それでこれまでもお客さんの層が変わってきたし、これからも変わっていくんじゃないかなと思っています。

初期衝動ゼロからのスタートっていうのは、パスピエの音楽を語る上ではとても本質的な言葉のような気がしますね。それに、とくに2000年代は初期衝動的なものを表現の原理とかバネにしづらかったと思うんですよ。そこにうまくはまった部分もあるんじゃないでしょうか。

成田:はまったというか……うらやましかったですね、そういうものが。

野田:神聖かまってちゃんといっしょにツアーを回ったりもしてたするじゃない? 彼らなんて初期衝動の塊だもんねえ。

成田:ああいう音が出したくても出せないわけで、それをどうしていけばいいのかなっていうことです。

パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。 (大胡田)

初期衝動ゼロからのスタート

そこは大胡田さんはどうなんでしょう? 裸足で絶唱する、というようなことはないじゃないですか。激しかったりした時期はないんですか?

大胡田:わたしはほとんど衝動ではじめているとは思うんですが、そのスタートがすでに激しくないというか。

成田:(笑)

大胡田:たとえば絵を描きたい、歌をうたいたいと思っても、それにのめり込めないというか……。絵とか歌とかは使うものだと思っているので。だからそこにすごく熱を入れて「出してやるんだ」みたいなことはあまりないですね。全部が表現する手段のひとつです。

じゃあ、仮にパスピエがなくなったら歌ったり描いたりしないと思います?

大胡田:しない……かもしれませんね。

ははは! なるほど。そしたら何をするでしょうか?

大胡田:……何もしないかもしれませんね。

成田:だって、最近の夢が「よく眠れるベッドを買うこと」ですよ(笑)?

(笑)

大胡田:わたし、最終の目標はそこなんですけど。

それ、永遠のやつじゃあ……

大胡田:パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。いちど全部やめて、またやりたくなったらやるという感じになるかもしれないですね。

へえー。なんでもできるのに。それゆえですかね?

大胡田:「なんでもできる」っていうのは、「なんでもやろうと思えばできる」ってことになるのかもしれないです。

成田:まあ、求められればやると思いますけどね。

大胡田:歌うということ自体、パスピエに入ってはじめたことですし。もしやめたら、次のフィールドを探すことからかな……。

なるほど。超然としていて……かっこいいです。

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『幕の内IZM』ジャケット中面

僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。   (成田)

さて、リスナー層も広がって、やれることも増えて、今作でJ-POPとしてのパスピエはひとつの極点を描いたのではないか、というお話を先にしましたけれども、ステージとしてはいまが最大だっていうふうに思います?

成田:いや、最大……ではないですね。このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。ポップスという領域を壊しても、ポップスでいられるかもなあって。その意味では次につながる一枚にもなっていると思います。
 僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。パスピエを知って音楽を聴きはじめたとか、この曲はこんなふうなものを参照しているとかってことに興味を持ってくれたり、その参照元のアーティストも聴いてみたりとか。

ミニマルな演奏に行ったりってことはないんですか?

成田:それはありますし、ぜんぜんちがうアプローチのアイディアもありますね。

なるほど、なんというか、音やアレンジなんかを、基本的には加えていく方向にキャリアが進んでいる気がするんですけども。

成田:そうですね。でもその点は、今回はいちばん減らしたアルバムになると思います。

あ、なるほど。聴いているところがちがうんですかね。わたしには逆のように感じられたりもするんですが──?

成田:前作なんかは、トラック数とかも今回よりもぜんぜん多いんですけど、そう聴こえないサウンド作りをしていますね。よりライヴっぽく見せるために、ミックスとかサウンド面を工夫しているんです。トラック数を少なくしたり、音源をそのままライヴでやれるようなかたちにするのもちがうなと思っていたので。

あ、むしろギミックとしてライヴらしさを演出していると。

成田:そうです。そのライヴっぽさをよいと思ってくれた人にもまだ聴いてほしいと思って、今作はトラック数をすごくシェイプしました。だけど聴こえ方としてはべつの整え方をしているという。


このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。   (成田)

ジャケットも、いまできたてを見せていただいていますが、すごく豪華ですね。あとは盤が入るだけですか?

成田:そうですね、特典でジオラマが付いたりするみたいですが。

野田:この時代にジャケットにこれだけお金をかけるなんてすごいよね。よく通ったね。

成田:ははは! このフェスの時代にどんどんインドアに向かっていく思考です(笑)。

ははは。音だけ流通すればいいやっていう価値観とも遠いですしね。やっぱり、こういうものを手にする喜びっていうところも意識されているわけですよね。

成田:僕らの音楽を手に取ってもらうための付加価値をどうつけるかってとこでもありますね。

野田:ポップアップがついてるね。昔ポップアップ絵本が好きだったな。

大胡田:わたしも好きです。

ポップアップの部分が部屋になってますね。幕の内ってことなのかな。しかし、ジャケもそうだし、曲の作り方とか録音の体制をふくめて、「プロダクトする人たち」という印象は強いですよ。

成田:ああ、それはそうですね。

衝動ではなく。それは、やっぱり「プロダクトするもの」というあり方のほうがクールだという感覚なんでしょうか?

成田:うーん……。ただ、付加価値を僕らが提供するというよりも、付加価値を求めてもらうようにどうするか、っていうことは考えていますね。いまは、「何か特典がつくよ」ってくらいじゃみんなぜんぜん驚かないですしね。

野田:でも重要なことだと思いますよ。ニューウェイヴの人たちも、それこそ自分たちで絵を描いたりしてるからね。

成田:はい。音だけあればいいってふうには思わないですね。

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