「gay」と一致するもの

Soichi Terada - ele-king

 ようやく、寺田創一のワークが世界中で評価される時代がやってきたようです。
 ここ6ヶ月で、寺田の旧作が3枚リリースされた。2014年末、イタリアのFabio Monesiによる“Do It Again”のリミックスを収録した「The Far East Transcripts」が〈Hhatri〉からリリースされると、今年に入って、Manabu Nagayamaとの共作「Low Tension」がUKの〈Utopian〉からリリースされました。私は、かねてから“Low Tension”を高く評価していたので、やっと再発されて、ものすごく嬉しい。
 そして、今回目玉となるのが、オランダの〈Rush Hour〉からリリースされた「Sounds from the far east」というコンピレーションです。

 寺田は日本人なのに、上記のプロジェクトはすべて海外からリリースされています。

 Far East Recording (FER)のアンダーグラウンド性は相当高いので、知らない方が多いのは仕方がないでしょう。
 FERは、1988年、寺田によって創始されました。アナログからCDへのシフトのピークタイムだったので、比較的にプレス代が低くなっていました。自分の曲をDJにプレイしてもらいたかったが、当時アナログレコードで落とさないとDJがプレイできなかったため、寺田はレーベル活動を始めたそうです。しかし、ディストリビューション先がなかった。当時のレコードショップは個人取引もやっていなかった。なので、自分のレコードを販売できなかった。
 そこで寺田は、その一部をいろいろなDJに直接あげたり、店にこっそりおいたり(いわゆる万置き)していました。
 いま現在、FERのレコードが非常にレアで、高価になっている原因のひとつです。

 本コンピに揃っている曲は、FERの初期音源(1988年から1995年まで)になります。寺田のプロダクションスタイルのひとつの大きいな特徴は、ベースの使い方です。あのころの彼の曲を聞くと、「寺田プロダクションだ!」と、ベースから判明できます。ベースが必ず曲の主要エレメントになっているのです。彼は、ドラムキックと同じように、ビートを刻んでくるスレーミングなベースを使います。“Low Tension”や“Hohai Beats”が良い例です。
 寺田は完全にサンプリングの子供です。彼がプロダクションに入ったきっかけもそうでした。友だちからLED ZEPPELINのレコードをもらい、それが気に入ったからサンプリングして、初めてリミックス作りました。今回のコンピにおいても、“Purple Haze”では、ジミ・ヘンドリックスをサンプルしています。“Saturday love Sunday”ではCherelle & Alexander O’Nealをサンプルしています。、Shinichiro Yokotaの横田“Shake yours”はI.C Love Affairの89年リミックスをサンプルします。
 とはいえ、サンプルの仕方も独特です。カットした分をほぼエディットせず、そのまま自分の曲に使います。あくまでその曲が好きだから、トリビュートする気持ちでそうしています。
 寺田はすごく素直でやさしい人です。自作について語ると、そのサンプルで使った曲への愛が伝わります。ピュアな気持ちがそうさせるのでしょう。
 そして、寺田のスタイルの大きいな特徴は、やはりディープとムーディーな雰囲気づくりです。パッと聞いて「あ! 90sハウスだね!」と思わせるキーズの使い方(“CPM”や“Voices from Beyond”)。Downtempoに近いビートを使った“Binary Rondo”も、パッドのカットでムーディーで懐かしい気持ちを体験させてくれます。

 結論を言いますね。このコンピを見逃したら大間違いです。寺田は日本のアンダーグラウンド・ハウス・シーンを創始した数の少ない人のひとりです。いまでもOMODAKAという名義の下で、まだアンダーグラウンドシーンで活動しています。ジニアス・プロデューサーであり、島田なみの“Sunshower”リミックスは、NYCのParadise GarageとLarry Levanにも影響を与えました。収録曲はすべてオリジナルではアナログ・レコードはとして存在していますが、人生で一度見たら奇跡だと思えるほどレアな盤です。
 今回のコンピは、寺田がプロデュースした、素晴らしい曲をVinylで手に入れる最高のチャンスだと思ったほうがいいでしょう。

NODA - ele-king

1989年、長崎生まれ、東京在住、DJ。

Sakana、Zatoとともに月1でネット・ストリーミングを行なう〈T.R Radio〉を2014年に始動。その他、渋谷LXで開催されるパーティFallにDJ Teiと共にレギュラー出演中。

今後のDJスケジュール
2/25 TBA at 渋谷 OTO
2/28 T.R Radio with Mincer
3/6 Leisure System presents New Build at Liquidroom Guest: Shackleton, Objekt

Soundcloud
https://soundcloud.com/noda-kohei

T.R
https://mixlr.com/tr--2/

NODAが選ぶ、2月の10枚。

第23回:ソーシャル・レイシズム - ele-king

 「ソーリダリティ、フォエーーヴァー、ソーリダリティ、フォエーーヴァー」
 という1915年に書かれた労働者のアンセムで『Pride』は始まる。
 『Pride』という英国映画は、炭鉱労働者が一年にわたってストライキを繰り広げた84年から85年を舞台にしている。ストで収入がなくなった炭鉱労働者とその家族を経済的に支援するためにロンドンの同性愛者グループが立ち上がり、GLSM(Gays and Lesbians Support Minors)という組織を結成して炭鉱コミュニティーに資金を送り続けるというストーリーで、英国の中高年はみんな知っている実話でもある。

         *************

 少し前、職場でちょっとした事件があった。
 というか、地元のメディアに報道されたりしたので、「ちょっとした」という表現は適切でないかもしれない。

 保育士という仕事には怖い側面がある。
 子供からあることないこと言われても自分を守る証拠が存在しないことがあるからだ。うまく喋れない年齢の子供は、言い方が断定的になったり、細かい状況説明が面倒になると簡単な言葉にすり替えるというか、表現が嘘になることがある(これは外国語がうまく喋れない時に外国に住んだ経験のある人もわかる筈だ)。
 ということに加え、幼児というのは、けっこう傷をつくって保育園に来る。
 転んだり、滑ったり、触っちゃいけないものを触ったりする生物だからだ。そのため、朝、保育士は「グッド・モ~ニ~ング!」と保護者に明るく挨拶しながら、目で子供の体をチェックしている。傷に気が付けば、所定のフォームに傷の種類、箇所、大きさ、保護者に聞いた「傷ができた理由」を書き込む。チャイルド・プロテクション上の理由から、そうする義務があるのだ。が、面倒なのは衣服で隠れている部分だ。朝っぱらから登園してくる幼児を全員素っ裸にして点検するわけにもいかないし、いつどこで出来たのか判然としない傷を持った子も必ず出て来る。

 ところで、英国の商業的保育施設というのはべらぼうに高いことで有名だ。わたしの勤務先では2歳以下の赤ん坊をフルタイムで預けると1カ月1000ポンド(約17万円)、2歳から5歳の幼児でも800ポンド(約13万6千円)の費用がかかる。3歳になると国が保育料金を支援するようになるが、国が負担するのはたったの週15時間だけだ。よって、子供をフルタイムで預けて(2人というのもけっこういる)夫婦で働いているご家庭というのがどういう家庭かというのは想像できるだろう。で、この階級のお母さんたちは、外見や喋り方で保育士を判断し、「クラッシー(上品)」じゃない従業員を毛嫌いすることがある。

 職場で唯一の非イングリッシュ&下品なわたしなんかは一番に標的にされそうなもんだが、そこはやはりポリティカル・コレクトネスがあるので、彼女たちは外国人をいじめるなどというNGはしない。
 が、チャヴあがりの英国人保育士となると、その態度は豹変する。エスニック・レイシズムならぬ、ソーシャル・レイシズムである。
「チャヴみたいな外見の、低俗な発音の英語を喋る女が、私の子供を担当するなんて嫌」
という不満をふつふつとさせている母親たちが、幼児の拙い言葉をすべて自分が解釈したいように解釈し、子供たちよりよっぽど壮大な嘘をつき始めたらどうなるだろう。
 怖いことには、そうした嘘を真実っぽく思わせる傷や痣をもった子供なら、クラスを探せば常に数人はいるのだ。

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『Pride』は単なる虐げられた者たちのソリダリティーの話ではなかった。
 それは、差別されている者たちが、自分たちを一番差別している人びとを助けた話でもある。
 ゲイ・グループのリーダーが、炭鉱労働者たちのストを支援しようと言い出した時、ゲイたちは強く反発する。ある者は炭鉱労働者に石を投げられた経験を語り、またある者は「彼らはいつも僕たちをサポートしてくれるからね」と憎悪が滲んだ顔で皮肉を飛ばす。
 同様に、マッチョで非アーバンな炭鉱コミュニティーの中にも、食料品が手に入らない窮状になっても「変態から助けてもらうなんて真っ平」という人々もいたし、「そこまで身を落としたくない」と言ってゲイ・コミュニティーから届けられた物資の援助を拒む人々もいた。

 だが、それでもロンドンの同性愛者たちの炭鉱支援運動は熱く広がり、カムデンで「Pits and Perverts(炭鉱と変態)」という大規模なチャリティー・ライヴを行うまでに発展する。ライヴ後、ロンドンのゲイ・コミュニティーは、スポーツバッグ一杯になった現金を炭鉱に贈るのだが、炭鉱コミュニティーは「変態ぎらい」の人々の反対に遭って受け取りを拒否する。
 そして、まもなく炭鉱労働者たちはストの続行を断念し(事実上の敗北だ)、炭鉱の閉鎖によって失業者の集団にされたのは歴史が伝えているところだ。

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 幼児虐待と呼ばれる問題においては、誰が本当のことを言っているのか、何が真実なのかは、CCTV映像でもない限りわからない(経費削減のためCCTVを全室完備していない保育園は山ほどある)。おっとりとした気の優しい保育士だったから、そんなことはしないだろう。みたいなことを言うのも無意味である。
 ただ、わたしが知っているのは、チャヴあがりの同僚は明らかにソーシャル・レイシズムの被害にあっていたといたということ。そしてミドルクラス・マミイたちの排チャヴとでも呼ぶべき現象ががだんだん理性を失って暴走していたことだ。
 わたしは彼女が身に覚えのないことで保護者から文句をつけられてトイレで泣いていたのを知っているし、保護者がマネージャーに彼女についてクレームをつけている場に居合わせ、「いやーそれ、実際に起きたことの5倍ぐらいになってますよ」と反論したこともある(で、後で「一介の平保育士がいらんことを言うな」と叱られた)。
 ステラ・マッカートニーの服にPRIMARKのバッグなんて持てるわけないでしょ、というのと同じような感覚で、我が子にチャヴの保育士なんてあり得ない。という獰猛な意志をもって彼女らは人間を排除しようとする。
 この層には外国人のお母さんたちも含まれていた。エスニック・レイシズムの対象になり得る人々が、平気でソーシャル・レイシズムの加害者になる。ブロークン・ブリテンの元凶はお前らであり、それを非難・排除することは、心ある市民の当然の行動であると言わんばかりに外国人が英国人を差別する。
 民族的ナショナリズムの暗部がエスニック・レイシズムであるように、市民的ナショナリズムもまたソーシャル・レイシズムを生むのだ。チャヴ。という人々だってれっきとした人間の種として区分され、差別され、排斥されている。
「自分でがんばれば這い上がれるのに、そうしないのは自分の責任」とソーシャル・レイシズムの概念を信じない人々は言う。
 が、這い上がって来ようとしても叩き戻されたら、出て来ることなんかできない。


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 80年代の炭鉱労働者のストで使われ、ロンドンの同性愛者たちもつけていたバッジには、「COAL NOT DOLE(失業保険ではなく石炭を)」と書かれていたそうだ。
 あの時代の政権が行った経済改革で失業者や生活保護受給者にされた層が21世紀のブロークン・ブリテンやチャヴ問題に繋がったと思うと、象徴的なスローガンだ。
 これは映画ではなく実話のほうだが、84年にカムデンで行われた「Pits and Perverts(炭鉱と変態)」ギグで、ウェールズの炭鉱コミュニティーの代表者は、会場の同性愛者たちに向かってこうスピーチしたそうだ。
 「我々は『COAL NOT DOLE』のバッジをつけて共に戦って来た。これからは、俺たちが君たちのバッジをつけ、君たちをサポートする。俺たち炭鉱労働者は、他にも戦うべき目的があるのだということを今は知っている」

 それはもう30年も前の話になった。
 チャヴのバッジをつけた黒人や、ムスリムのバッジをつけたフェミニストや、ポーランド人のバッジをつけたゲイが、見えにくい世の中になった。
 「ソリダリティー・フォーエヴァー」はアンセムではなく、エレジーになったのだろうか。

                ************

 ある夏の暑い日、チャヴあがりの同僚は逮捕された。

 突然解雇された彼女の身の回りの品はすべて彼女の自宅に送られ、彼女が子供たちとつくった壁のディスプレーもすべて剥がされて捨てられた。
まるで最初からここにはいなかった人のようだ。
 ほんの3カ月前の話である。

Goth-Trad in Mexico - ele-king

チョルーラのレコード屋ディスコフレニアを訪れたGoth-Trad (Photo by Karenillo)
チョルーラのレコード屋
ディスコフレニアを訪れたGoth-Trad
(Photo by Karenillo)

 日本のDJ、プロデューサーのゴストラッドが、メキシコに来るというニュースを知ったのは、プエブラ州都プエブラの郊外の町、チョルーラのレコード屋、ディスコフレニアを経営するリカルド・グスマン(通称ニック)のフェイスブックの書き込みだった。何でも、ディスコフレニアの1周年記念と、彼が所属するプエブラのベース・ミュージック・コレクティヴ、アンダーベースのパーティで、ゴストラッドを呼ぶというのだ。
 ゴストラッドは2014年8月に初のラテンアメリカ・ツアーで、ブラジル(リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ)、アルゼンチン(コルドバ)、米国(デンバー)、メキシコ(カンクン、メリダ、グアナファト、メキシコシティ)をまわり、それを締めくくるのが、プエブラ州都プエブラとなったわけだ。
 私が住む首都メキシコシティの電子音楽シーンは、業界人のたまり場となるだけで盛り上がりに欠けるので、車で片道3時間かけても、ニックの仕切るプエブラのイヴェントへ行くと決めた。ニックはジャイアンのようなキャラで、突っ走り過ぎるのがタマにキズなのだが、その強引さと頼もしさでパーティを確実に成功させる。私はメキシコ在住8年目だが、記憶に残るほど楽しいイヴェントには、ニックが関わるものが多い。
 ところで、ゴストラッドとメキシコというのに違和感を覚える人もいるかもしれないが、メキシコとベースミュージックは相性がいいと思う。たとえば、メキシコでは1970年代から存在するゲットーの路上サウンドシステム=ソニデロの発展により、低音を効かせたメキシコ独自のクンビアが根強い人気を誇っている。若者の間ではルーツやダブのレゲエ・イヴェントも頻繁に行われているし、ドラムンベースやダブステップも好まれている。日本の某音響メーカーの人がメキシコで売れるスピーカーは、音質よりもとにかく低音が響くものだと言っていて、その確信を深めたものだ。

プエブラのイベント風景


 イヴェント当日の8月30日。メキシコ人の私の夫を運転手に、メキシコ人の友人たち3人と、日本人の友人1人を含める計6人が、無理矢理自家用車に乗り込んで、プエブラへ向かった。
 高速道路へ入るときに、メキシコ人たちは皆一斉に胸の前で十字を切って、道中の無事を祈る。かつてはその仕草に「大げさだな」と驚いたけど、カトリック教徒が人口の8割以上のメキシコでは一般的だ。物騒な話だが、メキシコの人びとは、いつ死んでもおかしくないと常に自覚している気がする。山間部では大雨でスリップして横転した車も見て、夫が再び十字を切った。
 プエブラに着いたのは夜11時ごろ。会場の「アコピオ・ブラボー」は、世界遺産に登録される華やかなプエブラ中心部から少し離れた住宅街に位置するが、今回のイベントが、なぜかロードレースのゴール地点となっていて、たくさんの自転車乗りたちが入り口にたむろっていたので、すぐにわかった。

 入場の際にガタイのいい警備員からボディチェックが入り、銃刀や、ドラッグ、酒を所持していないかチェックされる。だいたい、どの場所でもこのチェックは怠らないので、メキシコの夜遊びはハコに入ってしまえば意外と安全だ。
 中に入ると、そこはクラブではなく、民家の中庭のようだった。ステージは、コンクリートの土台に簡素なテーブルが置かれているだけ。照明やスモーク、音響などは完備し、頭上には雨よけの大きなシート屋根も張ってあった。ドリンクを売るスペースでは、カクテルも販売している。ちょっと村祭りっぽい雰囲気だ。
 すでにニックがDJをはじめていて、ルーツ・レゲエを中心にかけていた。音響もいい感じだ。続いてアンダーベースの代表のケインスターBが、ダブやダブステップをかける。ふたりともアナログを使っているのがいい。その後、地元のブレイクビーツのアーティスト、ルイドがライヴを披露する。彼は足下もおぼつかないほどラリっていたのだが、信じられないほど機敏に観客の反応を汲み取って、ラテン、レゲエ、ヒップホップ、ゲームミュージックを盛り込んだ演奏で楽しませてくれた。深夜1時をまわった頃には入場者数はさらに増えて、ゆうに500人は居る。

 そして、いよいよゴストラッドの登場だ。前半はダブステップでもかなりノリのいい曲をかけていた。10年ほど前にゴストラッドの演奏を日本で見たが、当時はインダストリアルな轟音を操る印象があったので、そのギャップにちょっと戸惑う。
 しかし、次第に、硬質な音が耳を刺激してきた。複雑なビートと、変化する太いベースで、みるみるうちに音像を作り上げる。この闇を求めていたんだ! と、私は心で叫んだ。数日前に行われたグアダラハラ公演の現地メディアのレポートでは、「骨や脳味噌をシャッフルする音響体験」と書かれていたほどの、ゴストラッドの奏でる強いうねりに合わせて、皆が身体を揺らしている。
 会場には、学生も、おっさんも、おばちゃんも、ヘルメットを被った自転車乗りたちも、外国人も、金持ちのボンボンやピンヒールでこけそうになってる女も、フラフープのダンサーも、火を操るヒッピーな曲芸師たちもいて、ありとあらゆる人たちがごちゃ混ぜになって踊っている。一緒に来た夫や友人たちも心から楽しんでいるようだ。ジャンルや嗜好はもはや関係なく、この空間に響く闇を共有する人たちがいた。

 会場内の写真を撮っていたら、スティーヴ青木みたいな男が、声をかけてきた。「ここの場所の名前知ってる? ここはアコピオ・ブラボー(日本語だと“歓喜の集積所”)っていって、いろんないいパーティやってるよ。へへ、実は俺ここに住んでるの。え? 取材しにきたの? 俺の家が日本のメディアに載るの? ヒャッホ〜!」......やっぱり、人の家だったのか。でも、メキシコシティのハイプなクラブより、確実に多くの人を満足させてるのだから、この民家パーティは凄い。

プエブラのイベント風景


Goth-Trad   (Photo by Miho Nagaya)
Goth-Trad
(Photo by Miho Nagaya)

 ゴストラッドの出演後には、米国のダブステップ・シーンを牽引するジョー・ナイスのDJがはじまり、フロア(というか庭)は歓喜の渦に包まれていた。ゴストラッドが、しばらくジョーのDJを楽しんでいたところを割り込んで申し訳なかったが、ラテンアメリカ・ツアーを終えての感想を語ってもらった。今回なぜツアーが決まったのだろうか?

 「ブラジルのサンパウロのオーガナイザーから最初にやりたいという声が上がって、それからアメリカのエージェントがラテンアメリカ周辺に声をかけて、10本公演が決まった。サンパウロでは、俺がやっているような、プログレッシヴなベースミュージックのシーンは小さいみたい。他の国と同様に、コマーシャル寄りなブロステップやトラップは人気がある。
ダブステップを7、8年やってきて、その集大成的なアルバム『New Epoch』を2年前に出したけど、現在は自分が昔やってたノイズやインダストリアル寄りの音を振り返っている。今日の後半でやったような、インダストリアルとエクストリームなベース・サウンドとをミックスした音は最近の傾向。このところ以前に比べて米国からの依頼が多くて、ここ3年間は、年に2回ツアーを回って来た。米国ってブロステップのイメージが強いかもしれないけど、アンダーグラウンドのお客さんは、より新しい音を求めていると感じる。実際、今アメリカには、TriangleやType、Ghostlyなど面白いレーベルもたくさんあるしね。しかし、ラテンアメリカは初めてだから、ダブステップのDJという印象を持たれているだろうし、実験的な方向性を露にするときは、大丈夫かなーと思うんだけどね。でも今日は盛り上がって嬉しかった! ブラジルでも実験的なことやると、なんだ? 面白い! って反応があったし、皆新しいものを求めている気がする」

 今回のツアーでは、メキシコでの公演が最も多く、計5都市を巡るものだった。

 「メキシコは、まずリゾート地のカンクンへ行って、オーガナイザーはダブステップに興味はあるけれど、普段野外でサイケトランスのパーティをやってる子たちで。そんな感じだったから少々不安ではあったし、全然ダメなサウンドシステムだったけど、やれることはやった。客層はサイケトランスのイベントに来ている子たちだったと思うけど、結果的に盛り上がって良かったな。
 メリダはアートギャラリーcvのクルーで、彼らは音楽に詳しくて、いわゆるベース・ミュージックだけじゃなく、日本のバンドやノイズ・シーン、GodfleshとかSunn O)))みたいなバンドの話でも盛り上がって、ダブステップ以外の新しいアプローチも受け入れられる。ただカンクン同様にシーンははじまったばかりで、サウンドシステムは不十分だったね。
 グアダラハラはメキシコで2番目の都市だから、木曜だったけど300人くらい集まった。会場は昨年できたハコで、サウンドシステムはイマイチだったけど、他の場所よりは良かった。  
 しかし、首都メキシコシティは、ハコのサウンドシステムがモニターも外の音も全くダメで、フロアは埋まってたけど、基本的に自分が楽しめなかった。音がクソだったとオーガナイザーに伝えたけどね。メキシコシティよりも、グアダラハラのほうが盛り上がったのには、音質の問題がある。いいプレイしても音がショボかったら何にもならない。
たとえば、リオ(ブラジル)は千人以上、コルドバ(アルゼンチン)は800人以上のお客さんが入ったけど、両方とも良いサウンドシステム(のクラブ)を使ってるから人が集まってると思うんだ。
 そこまでお金をかけれる事情もあるのかもしれないけど、音の設備は自分がやってるような音楽の要だから、ちゃんとしてほしい。
 今回に限ってってわけじゃないけど、イベントをオーガナイズしてくれたプロモーターに対して、こういうネガティヴなことは正直あんまり言いたくないんだよね。ただ、自分の音のためにも言わなきゃいけないし、何よりシーンの発達には一番重要なことだから、過去の自分の経験して感じたことは素直に伝えるようにしている。
 あとメキシコは、時間にとてもレイジー(苦笑)。アルゼンチン、ブラジル、デンバー(米国)はちゃんとしてた。でもメキシコは本当にユルい! メリダ、グアダラハラはしっかりしてたけど、メキシコシティはとくにひどくて、まず、約束時間から30分遅れそうって連絡がきた後に、そこから2時間近く待たされた。で、理由は『交通渋滞がすごくて』とか。それ言い訳にならないから(笑)。そういやカンクンの人たちも、メキシコ人の(あと5分)は30分の意味だから、って言ってたな(笑)。俺はそこでブチ切れたり、もうギグやらないとか言わないけど、なかには遅刻に厳しいアーティストだっているわけだしね」

 欧米や日本で活躍しているアーティストにとったら、やはりメキシコの全般的ないい加減さは、ハンパないのだろう。では、良かった面はあったのか?

 「お客さんの反応が良かった。とくにグアダラハラとメリダ 、そして今日のプエブラは本当に面白かった! しかし、この会場って、人の家らしいよね。なんか、それもよくわからないというか.....(笑)。今日のギグが良かったのは、後半の実験的な音の方で盛り上がったから。わかりやすいDJやるのは、パーティ的には無難でいいかもしれない。でも、その場所の音楽の偏差値を伺いながら、それに合わせてDJやるのは、見に来てる人たちに対して、すごく失礼だから。"GOTH-TRADがいわゆる「DUBSTEP」をプレーする"と期待されてるのは自分でもよくわかってるんだけど、やはり、自分が今一番新しくて最高だと感じるセットを、どんな場所でもやらなきゃ。今回のツアーでは、全部その姿勢でやりきった。新しい試みに対して受けがよかったり、反応がなかったりする場所もあったけど、今回10箇所ギグできて、強い手応えがあった。
 総括したら、メキシコは良かったよ。ダメだな〜嫌だな〜ってことも全部含めて、すごく楽しい経験だった。あと、実際に訪れたことで、ラテンアメリカの見方が変わったね。ラテンだから陽気っていうよりも、ラテンだからこそ暗い部分が結構あると気づいた。意外に意外にエクスペリメンタルでダークな音/アートが好きな層も多いし。ラテンアメリカがヨーロッパとは違うのは、やはり侵略された歴史があるからかもなと思う。本当にまた、ぜひ来たいね」

 今回のプエブラのイベントを仕切ったアンダーベースの代表のケインスターBと、ディスコフレニアのニックにも今日の感想をきいた。ゴストラッドの作品をリリースするUKのレーベル、〈ディープ・ミディ〉のことは好きだが、ゴストラッドのことはイベントをブッキングするまで知らなかったそうだ。プエブラは大学都市で、若者の熱気が常にある場所だ。音楽のイベントも頻繁に行われていて、レゲエやアフロビート、ベースミュージックのシーンもあり、ふたりはその中心にいる。
 「ゴストラッドが才能あるアーティストだと理解していたけど、メキシコで認知度の低いアーティストを呼ぶのは大きな課題だった。でも俺たちはよくやったと思ってる。彼は凄いよ。とてもエネルギーにあふれ、観客をカタルシスへ誘いながら、自由に実験する術も知っている」(ニック)
 「僕たちクルーは懸命に働いていたので、あまり楽しめなかったけど、ゴストラッドのセットは、素晴らしかったよ。皆を瞬発的にトランス状態へ導き、踊らせた。そのビートで魔法にかけたんだ。それが観客ひとりひとりの顔にも表れていたよ。ゴストラッドは最高の夜を作り上げていた」(ケインスターB)

 宴は続いていたが、私たちメキシコシティ組は長旅のために、プエブラを後にした。運転手である夫は、また高速道路に入る前に十字を切り、車をかっ飛ばした。メキシコシティに着いたら、台風の接近でバケツをひっくり返したような大雨が降っていた。にも関わらず、町は目を覚まし、活発に蠢いている。メキシコシティは東京と同様に町のスピードが速い(時間にかなりユルいが)。ふと、東京の空気を懐かしく感じた。友人たちを家へ送り届けた後に、私たちは自宅のあるダウンタウンへ着いた。奇しくもメキシコシティ国際マラソン大会の開催日で、無数のランナーたちが、どしゃ降りのなかスタートを切ったところだった。「朝早くから、ずぶ濡れになって無茶するよなあ」と言ったあとに、「うちらも楽しむために相当無茶したよな」と、夫と笑いあった。疲れた身体を引きずりながらも、こんな充足感に満ちた朝を迎えたのは久々だった。

Agradecimiento a: Acopio Bravo,Underbass (https://www.facebook.com/underbasspuebla)y Discofrenia(https://www.facebook.com/Discofrenia

メリダのギャラリーresonanteでのゴストラッドのDJ

RESONANT - GOTH TRAD from Resonant on Vimeo.

Electronic Music in Mexico - ele-king

■メキシコ・エレクトロニックミュージックの現在

 メキシコの首都、メキシコシティに住んで7年が経った。
 よく人に、「なぜ、メキシコに住んでいるのか」と聞かれるが、いつまでたってもその理由をはっきりと答えられない。

 メキシコは好きだが、ここへやってきたのはスペイン語を本格的に勉強したかったからだ。かねてからラテンアメリカ文化のライターである以上、通訳の力を借りることなく、自分の言葉で興味のある対象にインタヴューしたいと思っていた。そこで、メキシコシティにある国立大学内のスペイン語学校が、ラテンアメリカのなかでも優れていると知り、留学することにした。その当時すでに34歳。遅い大学デビューである。1年ほどで帰国するつもりでいたが、貯金も底を尽きてしまい、帰れなくなった。
 私の実家は静岡県浜松市にあるが、家族たちから、追い打ちをかけるようにこう言われた。「この辺りに住んでいた出稼ぎのブラジル人やペルー人たちが国へ帰るほど日本は不景気だ。あんたが帰国後あてにしてた製造業での通訳の仕事も今はないみたいよ。いっそ、メキシコに居た方がいいんじゃない?」。
 そうか、覚悟を決めるしかない。幸いなことに、メキシコ在住の日本人ライターというので珍しがられ、ぼちぼち仕事も入るようになったので、なんとか食いつなげるかもと思い直した。
 石油や鉱山などの資源に恵まれ、日本の国土の約5倍の大きさのメキシコには、金は腐るほどあって景気がいいように見える。
 メキシコシティの目抜き通りは先進国並みのオフィスビルが建ち並ぶが、ちょっと通りを離れたらバラックの建物が並ぶ光景を見る。ヒップスターが高級自転車で町を徘徊する横では、ストリートチルドレンたちがシンナーを吸っている。
 権力者たちは権力を糧に横暴をふるうが、そこに取り入れられなかった者たちは忘れられた世界に生きるしかない。スペインの映画監督ルイス・ブニュエルがメキシコ在住時の60年以上前にメキシコシティで撮影し、子どもたちの厳しい運命を記した映画「忘れられた人びと」と何ら変わらぬ風景がそこにある。

 人口2000万人以上の大都会に居るにも関わらず、私の暮らしはモダンやアーバンライフからはほど遠い。いつでも偽札を掴まされるのではないか、所持品を盗まれるんじゃないかと注意をはらい、屋台だけではなく、高級レストランまで食中毒を起こす危険があるので、疑心暗鬼だ。緊急病棟に運ばれたときに、ベッドが不足していて、椅子に座ったまま2日間入院したこともある。独裁政権下でもないのに、デモに参加しただけで、刑務所に入れられる仲間がゴロゴロいる。
 この原稿を書いている今も、激しく雷が鳴り響き、また停電が起こるんじゃないかとひやひやしながら、パソコンのキーボードを打っている。ちなみに、私の住むダウンタウンの築60年の停電がよく起こるボロアパートは、ビル・ゲイツに次ぎ、世界で最も資産を持つ通信会社テルメックスの会長、カルロス・スリムの財団が大家である。メキシコシティでは、スリムのような投資家がゲットーの土地を買い漁り、ジェントリフィケーションが進んでいる。だから私が必死で稼いだ金は、家賃、携帯やネット使用料(テルメックスは国内の電話、ネットの市場をほぼ独占している)となって、スリム一家の資産の糧となっていく。
 フランスの詩人でシュルレアリスタのアンドレ・ブルトンが 、1938年に大学のシュルレアリスム講義のためにメキシコへ招待されたが、「なぜ私がメキシコに呼ばれたのかわからない。すでにメキシコは世界で最もシュールな国だ」と言ったのもうなずける話だ。
 だけど、たまらなく美味しいタコスに出会ったときや、市場のおばちゃんとたわいない世間話をして笑いがとれたときなどには、ああ、私もようやくメキシコに馴染めたんだな、という充足感で心が晴れるのだった。
 メキシコのシュールさも含め、たいていのことでは驚かなくなっている私ではあるが、未だに馴染めないのが、ここに立ちこめる暴力の匂いだ。
 メキシコの前大統領フェリーペ・カルデロンが2006年に施行した、麻薬組織撤廃政策において、ここ数年間のメキシコの治安状況は悪化し、現在までに抗争によって6万人以上の死者が出ている。気にしないようにしていても、ニュースではどこで死体が見つかったという話ばかりで、ふとした瞬間に不穏な気持ちになるのは否めない。
 残念ながら、世界中から麻薬組織の国とイメージされるようになってしまったメキシコだが、とくに米国との国境地帯での抗争が激化し、そのひとつの都市、ヌエボ・レオン州モンテレーは、クラブ内などでも銃撃戦で死者が出るほどだ。モンテレーは1990年代後半から、オルタナティヴ・ロックのバンドが続々生まれる音楽文化が豊かな土地だったが、いまでは夜には誰も出歩かないような状況が続いている。現地の企業や学校では、もし手榴弾が飛んできたらどう対応するのか、という講習が行われるほど危険な時もあった。

ティファナのグループ、ロス・マクアーノスが国境地帯の暴力に抵抗するために音楽をはじめた、と語る姿とモンテレーのフェスティヴァルの様子

 そんななか、モンテレーの若者たちが、暴力によって鬱屈した戒厳令状態を打開するために、2009年よりはじめたのが、エレクトロニックとオルタナティヴをメインにしたフェスティヴァルNRMAL (ノルマル)だ。モンテレー、ティファナ、そしてチワワ州シウダーフアレスなど、麻薬抗争の激戦区である国境周辺都市のアーティストたちをメインに集結し、少しずつ、海外アーティストも招くようになっていった。
ラテンアメリカのなかでも重要なフェスティヴァルになりつつある。

■フェスティヴァルNRMALメキシコシティのレポート

 フェスティヴァルNRMALは、今年2014年は、3月5〜9日までモンテレーで開催され、3月1日はメキシコシティでも初開催された。私はメキシコシティの方に参加したのだが、その会場は、なんとメキシコ国軍のスポーツ施設。入り口に銃を持った兵士たちが立っているのが異様だったが、中に入れば、サッカー・コートやロデオ場など4箇所に野外ステージが設置され、都会とは思えないようなのどかな雰囲気だ。
 サイケデリック・エレクトリックの伝説、シルバー・アップルズ(現在はシメオンのソロプロジェクト)や、デヴ・ハインズのエレポップなR&Bプロジェクト、ブラッド・オレンジなど、国内外の計31組が出演した。その過半数がメキシコを含めるスペイン語圏のアーティストたちだ。
 プログラムは、インディー系バンドとエレクトロニック・ミュージックのアーティストが交互に出演する構成で、ローカルの才能に発表の機会を与えるという意図からも、メキシコに蔓延するコマーシャリズムに乗ったフェスティヴァルとは全く異なる。
 今回もっとも素晴らしかったのは、チリの変態エレクトロ・レーベル〈COMEME(コメメ)〉を主宰する、マティアス・アグアヨと、アンデスの先住民音楽をコンセプトにした、ドラムとDJのデュオ、モストロとが組んだユニットといえよう。モストロが奏でる野性味あふれる音と、アグアヨの奇妙なエレクトロニック・ビートとラップが融和した祝祭的な音に、観客たちは覚醒したように踊り狂っていた。
 また、覆面黒装束で、ゴシックなデジタル・クンビアを演奏するコロンビアのトリオ、La mini TK del miedo(ラ・ミニ・テーカー・デル・ミエド)は、雄叫びをあげ続けて、観客を煙に巻いている感じが面白かった。
 いままで、さまざまなメキシコのフェスティヴァルに参加してきたが、誰もが知るアーティストばかりが出演するものよりも、意外性や発見があるほうがどれだけ刺激的か。
 今回のNRMALのメキシコシティでは、それなりに知名度があるアーティストが選出されていたが、本拠地モンテレーのほうがローカルのりで、はるかに盛り上がると聞くだけに、来年はぜひモンテレーまで足を運びたい。

FESTIVAL NRMALのオフィシャルビデオ

  • メインステージの前でくつろぐ参加者たち。芝生でリラックス © Elisa Lemus
  • 楽器販売のブース © Miho Nagaya
  • 雑貨とレモネードを販売するブース © Miho Nagaya
  • ブランコもあった © Miho Nagaya"
  • フードトラックが並び、充実した各国料理が食べられる © Miho Nagaya"
  • VANSが提供するスケート用ランページも © Miho Nagaya
  • ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl © Miho Nagaya
  • 雑誌VICEの音楽プログラム、NOISEYが提供するステージ © Miho Nagaya
  • メヒカリ出身の新鋭テクノアーティストTrillones © Elisa Lemus
  • 会場はペットフレンドリー © Miho Nagaya
  • NRMALのスタッフたちは黒尽くめでクール © Miho Nagaya
  • マティアス・アグアヨとモストロのステージが始まる頃には満員に © Elisa Lemus
  • マティアス・アグアヨ © Miho Nagaya
  • コロンビアのLa mini TK del miedo © Elisa Lemus

 近年のNRMAL周辺の国境地帯のアーティストたちの動きは、はからずとも10年以上前の2000年初頭に国境地帯ティファナの若いアーティストたちが立ち上がった〈ノルテック(NORTE=北、TEC=テクノロジー)〉のムーヴメントと重なるところがある。
 1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)によってメキシコで生産されたものは関税なしでアメリカに輸出でき、低賃金で労働力を得られるため、日系を含む多国籍企業が進出し、ティファナを含む国境近くの都市に工場地帯=マキラドーラを建立した。
 ティファナは、もともと、砂漠のなかに建てられた新興都市で、地方から移住してきた人たちの寄せ集め的に見られていた。首都のように伝統や歴史もなく、アメリカとメキシコの合間で、どちらにも属せないのがティファナの人びとだった。
 アイデンティティの不在をバネに、面白い文化を築きたいという若者たちのパワーによってはじまったのが、アート、音楽、文化をメインにしたムーヴメント、ノルテックだった。グラミーで幾度もノミネートされるなど、現在メジャーで活躍するメキシコのテクノ・コレクティヴの〈ノルテック〉は、その当時にこのムーヴメントの音楽部門として生まれた。
 そんなムーヴメントの中心で動いていたメンバーたちが2002年に設立したのが、ティファナのインディペンディエント・レーベル、〈STATIC DISCOS(スタティック・ディスコス。以下スタティック)〉だ。
 音楽ジャーナリストのEJIVAL(エヒバル)を代表に、〈KOMPAKT〉などの海外レーベルからもアルバムがリリースされる、バハ・カリフォルニア州メヒカリ出身のアーティスト、FAXと、ティファナ出身で、ノルテックの元メンバーのMURCOF(ムルコフ)が、レーベル・タイトルのマスタリングを手がける。FAXはデザイナーとして、アートワークも担当している。

〈Static関連写真〉

 FAXの『Resonancia』とMURCOFの『Martes』の2タイトルを皮切りに、現在までに64タイトルをリリースし、レーベルアーティストたちが、スペインのSonarやカナダのMUTEKといった国際フェスティヴァルにたびたび招聘されるまでに成長した。
 なかでも5月に来日公演が行われるMURCOFは、ジャズトランぺッターのエリック・トラファズとタブラ奏者タルヴィン・シンと組んで世界ツアーをし、テクノの曲を弾くクラシックピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメやヨーロッパ現代音楽界のアーティストたちともコラボレーションするなど、幅広く活躍し、最も成功しているアーティストといえよう。

MURCOFがフランスのヴィジュアル・アーティストAntiVJとコラボレーションし、ブラジルで演奏したときの映像。

 いまもなお、メキシコおよび、ラテンアメリカのシーンを牽引するレーベル、〈スタティック〉代表のエヒバルに、現在のメキシコのエレクトロニック・ミュージックについて、メールインタヴューした。彼は、前述のフェスティヴァルNRMALやMUTEKメキシコ版の制作に携わっている。

 「〈スタティック〉をはじめた頃は、国内で僕らのやってるエレクトロニック・ミュージックを誰も理解していなかったが、両フェスティヴァルが開催されるようになって、ようやく一般に認知された。両フェスティヴァルの立ち上げから関わっていることを誇りに思うよ。メキシコのフェスティヴァルのほとんどは大企業スポンサーのコマーシャリズム優先だが、NRMALもMUTEKも、個性を重視したフェスティヴァルがメキシコでやれる可能性を広げた。今年のメキシコシティでのNRMALの開催も成功したと思う。新しい才能に注目し、知る人ぞ知るカルト的アーティストも加えたフェスティヴァルは、リスナーを育てる良い機会だし、来年はさらに成長していくだろう。メキシコの問題は、ショービジネス界を独占するイベント企業が、すべて横取りし、ほかのフェスティヴァルの成長を阻むこと。さらにメキシコは海外アーティストへの支援は惜しみなく、法外なギャラを支払うが、国内アーティストに対するリスペクトがほとんどない。 だからこそ、NRMALやMUTEKみたいなフェスティヴァルに関わるほうが面白い。僕たちは新しく先鋭的な音楽を求めているわけで、儲け話が第一じゃないからね」

 〈スタティック〉は今年で12年を迎えたが、インディペンディエントのレーベルをここまで続けるのは簡単ではない。

 「音楽への愛があったからやってこれた。僕たちの目的は、国外でも通用するようなメキシコの才能を見つけ、紹介していくこと。正直、失敗も多いけど、それが僕たちを止める理由にはならない。何も失うものはないし、その失敗を糧に、学んだことのほうが大きい。〈スタティック〉では、2012年からCDの製造をほぼ停止し、ネットでのダウンロードによってリリースしているが、タイトルによってはCDも製造する。昨年は、アナログをリリースし、いくつかのカタログアイテムをカセットテープにする計画もある。最近では本の出版も行っているんだ。近い将来、コーヒーとビールの製造もはじめたい。というのも、いまや、多くの人びとがCDやレコードなど実体のあるものを買おうとしていないから。そのいっぽうで、ダウンロードもそれほど盛況じゃないし、この現実を受け止めなきゃいけない」

 エヒバルは、ちょっと後ろ向きな発言をしつつも、最新の〈スタティック〉のタイトルはとても充実していると嬉しそうに語る。

 「FAXはEP『MOTION』をリリースしたばかりだ。メキシコでもっとも洗練されたエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーといえる。アルゼンチンのMicrosfera(ミクロスフェラ)はハウス感覚のポップで美しい歌を交えたアルバム『Sunny Day』を生んだ。ハリスコ州グアダラハラ出身のMacario(マカリオ)のニュー・アルバム『To Pure』にも注目だ。そして、バハ・カリフォルニア州、エンセナーダ出身のChilds(チャイルズ)のセカンドアルバムのリリースを間もなく控えている。ものすごい傑作だよ。あとは、リリース予定のメキシコシティのCamille Mandoki(カミーユ・マンドキ)は、美しい声を持ち、実験的なアンビエントで素晴らしい。ティファナの作家、ハビエル・フェルナンデスとカルラ・ビラプドゥーアの音楽寄りな書籍も出版予定だ。スタティック以外では、ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl(レイト・ナイト・オウル)がとても有望だし、メキシコシティのWhite Visitation(ホワイト・ビジテーション)もアンビエント・テクノの若手として、海外でも評価されている。メキシコシティ出身で現在ニューヨーク在住のÑaka Ñaka(ニャカ・ニャカ)も面白い。これらの新しい才能たちは、もう〈スタティック〉のようなレーベルの力を必要としないで、彼ら自身で成長していっている」

〈Static Discosの最新作のアルバムジャケット〉

 実は約10年前の2004年にティファナを訪れ、エヒバルと、その妻のノエミにインタヴューをしたことがある(後にremix誌2005年5月号の「メキシコのエレクトロニカ」の記事となって掲載された)。当時エヒバルは、ティファナのマキラドーラ内の工場で働きながらレーベルを運営していた。私はその際にノエミが言った、「ティファナは歴史も文化もないし、あまりに田舎でうんざりすることだらけよ。でも、そんな状況で育ったからこそ私たちには豊かな創造力がある」という言葉に感銘を受けたのだった。MURCOFが2006年にスペインへ移住した当時は、エヒバルとノエミも移住を考えていたが、現在もティファナを拠点にしている。

 「以前とだいぶ変わり、メキシコもずいぶん状況が良くなってきた。そして、ティファナを愛していることや、ここから何かを起こすことの方が重要だと気づかされたんだ。ヨーロッパへ行って基盤を作るのは日に日に難しくなっているし、競争も激しい。僕たちはMURCOFがヨーロッパの不況にも負けずに活動し続けていることを嬉しく思う。ただ、いろいろな意味でティファナは10年前と変わらない問題を抱え続けている。
 この土地の音楽ムーヴメントは大波のようにやってきて、優れた人びととともにメキシコシティや海外へ去って行き、ティファナには残らない。だからまたゼロから取り組まなければならない。それでもティファナは、本当に創造性を刺激する場所だ。いつでも何か面白いことを計画している人びとがいて、いまは音楽だけでなく、食文化や、社会組織(アクティヴィズム)の面において新しいことが起こり始めている。ノルテックのような国境ムーヴメントは今後起こりうる可能性はあるが、音楽だけが独り立ちできる状況ではなく、他の新しいムーヴメントと、音楽をどう絡めるかにかかっているだろう」

 以前から音楽ジャーナリストとしても活躍する彼だが、それだけでやっていくのは厳しいという。
 「生活のために、政治家や社会活動の対外向けテキストを執筆したり、ソーシャル・メディア対策の仕事をしている。工場で働いていた頃は、経済的に安定していたけれど、僕の魂は悲しみにくれていた。いまはその日暮らしだけど、以前よりはずっと幸せだ。とにかく、支援すべき面白いプロジェクトを探し続け、〈スタティック〉でリリースしていきたい。音楽と文学と魂が震えるような感覚を探し続けることに、僕は決して疲れることはないだろう」

 私は思わず、彼の言葉を自分の立場に置き換えていた。
 私がなぜメキシコにいるかの答えはいまだに見つからないし、見つからなくてもいいような気がする。でも、この言葉をきくために、いままでがあったような気がしてならない。
 思い込みだろうか? まあ、思い込みでもいいじゃないか。


〈メキシコの注目アーティストたち〉

■Los Macuanos(ロス・マクアノス)https://soundcloud.com/losmacuanos

ロサンゼルスにあるメキシコのビールメーカー、インディオが運営する文化センターで公演した際のインタヴューとライヴ映像。

2013年にNACIONAL RECORDS(チリのMC、アナ・ティジュやマヌ・チャオもリリースするロサンゼルスのハイブリッドレーベル)から「El Origen」で全世界デビューを果たしたティファナとサンディエゴ出身の3人組。オールドスクールなテクノとメキシコの大衆歌謡やトロピカル音楽をミックスし、〈メキシコ版クラフトワーク〉や〈国境のYMO〉とも呼ばれる。同アルバム収録曲「Las memorias de faro」が、2014年FIFA ワールドカップ、ブラジル大会の公式サウンドトラックに収録 され、南北アメリカ大陸で注目を集める。

■MOCK THE ZUMA(モクテスマ) https://soundcloud.com/mockdazuma


MOC THE ZUMA © Miho Nagaya 

メキシコでも最も注目される才能ある若者のひとりで、ダブステップ、アブストラクト・ヒップホップに影響を受けたその音は、いびつで強烈なインパクトを持つ。国境の町、チワワ州シウダーフアレス出身で、同都市は1990年代から現在まで女性たちが誘拐され、1000人以上が行方不明または殺害されているが、誰が犯人なのか未だに解決されていない。そして麻薬組織の抗争の激戦区であり、メキシコで最も危険な場所である。ロサンゼルスの新聞、LA TIME〈World Now〉で、2011年当時19歳だったモクテスマが、「僕の音楽はビザールな現実から影響を受けている」とインタヴューに答え、世に衝撃を与えた。

■Trillones(トリジョネス)https://soundcloud.com/trillones


Trillones © Static Discos

〈スタティック〉からEP『From The Trees To The Satelites』でデビューした、メヒカリ出身のアーティスト。スペインで最も読まれている新聞El Paisの記事「ラテンアメリカで注目すべきエレクトロニック・ミュージックの5名」の一人として選ばれたニューカマー。同郷のFAXとは親交が厚く、FAXとともにメキシコ北部の先住民音楽と、アンビエント、ロックを融合したユニットのRancho Shampoo (ランチョ・シャンプー)に参加する。

■MURCOF 2014年来日ツアー情報
5月3日、4日 東京 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014 会場 東京フォーラム (詳細https://www.lfj.jp/lfj_2014/performance/artist/detail/art_79.html
5月9日 新潟 Red Race Riot "Sensación de bienestar de días de entusiasmo" 会場 Solero (詳細 https://www.redraceriot.com/index2.html

Gay Disco/House - ele-king

 ハウス、ハウス、ハウス……。これだけイーヴン・キックが鳴らされる時代なら、ゲイ・カルチャー界隈が盛り上がるに決まっているのです。というわけで、アンドロジニックなダンス・トラックをいくつか紹介。

Annie feat. Bjarne Melgaard / Russian Kiss



 コラムでも書いたけれども、それはまさにいま、たったいま起こっているのだ。僕はアメリカ大統領選があった2012年ごろがピークだろうなーと思っていたけれど、先日のソチ五輪をきっかけにして、おもに欧米のLGBT活動家がロシアのアンチゲイ法(「伝統的ではない関係性」を促進するのを禁じるとする法律で、「ホモセクシャリティの助長」が罰せられる)に対抗して、ゲイ・ライツを高らかに訴えている。たぶん、LGBTの歴史上でも最大の波が来ていると言っても過言ではないと思う。
 ノルウェーのエレポップ・アイコン、アニーはホモセクシュアル・アートも手がけてきた現代アート畑のビャーネ・メルガードを呼んで、なかなかラディカルなヴィデオとともにシンセ・ポップとしてプロテスト・ソングをドロップ。「ロシアのキスのために拳を振れ」。けれどもハーヴェイ・ミルクの70年代サンフランシスコの政治活動がそうだったように、この闘いには愛が溢れていて、それはゲイだけではなくあらゆるはみ出し者に捧げられている。「Show your love for the lovers, the others, the fighters, outsiders, people like you」。そう、あなたのようなひとたちのために。ポップでセクシーで、そして決意に満ちたダンス。

Pet Shop Boys feat. Panti Bliss / The Best Gay Possible - Oppressive Dance
Mix



 ペット・ショップ・ボーイズがここまでダイレクトに政治的な振る舞いをするのは珍しいのではないか? しかも、楽曲の上で、だ。アイルランドのドラァグ・クィーンのパンティ・ブリスによるホモフォビアについてのスピーチ(こちら、日本語字幕あり)にハウス・ビートをつけたトラックで、どこか切なげでフワフワしたヴォーカルはなるほどPSB。パンティ・ブリスの発言も非常にわかりやすくていいけれども、その上でどうしてもダンスせねばならないところにゲイ・カルチャーの底力を覚える。というか、PSBがそれを堂々と背負う日がついに来たのかと思うと感慨深い。

Hercules & Love Affair / Do You Feel the Same?



 そして真打登場。さあ、四半世紀前の薄暗いダンスフロアにタイムスリップしよう。そこにはセックスとドラッグの匂いが充満している。この先行シングルでは、得意のディスコのグルーヴで耳元に囁く……「あなたもそう思うでしょ?」
 もちろんだとも!! 新たなゲイ・アイコンの座へと登りつめたジョン・グラントも参加するアルバムは5月。すべての機運が熟している。

ジャパニーズ・ハウス・ライジング - ele-king

大衆音楽の世界において、外国人にとって日本といえば、YMOやテクノの印象が強い。しかし、この10年で、日本の90年代ハウスが再評価されているということをあなたは知っているか。在日フランス人DJがジャパニーズ・ハウスの魅力をいま語る!

 僕はもともとはヒップホップを聴いていたので、白人ゲイが好むハウスやテクノとは絶対一緒されたくなかった。若い頃は自分のアイデンティティを作る時期なので、余計にオープンマインドじゃないんですよね。
 もっともそれは少年時代の話で、もうちょっと年とったときには、ハウスやテクノは僕が持っていたイメージと全然違うことを知るようになる。とくにヒップホップとハウスのルーツが実はそれほど離れてないってことを知ったときは衝撃だったな。じょじょに興味を持って、そして自分のなかのハウスやテクノのイメージが変わっても、日本にハウス・シーンがあることをまったく知らなかった。僕にとってハウス=アメリカ(80%)とヨーロッパ(20%)だった。それ以外の場所にハウスやテクノは存在していなかったんです。

 ジャパニーズ・ハウスの存在を知ったのは、2005年~2006年、初めて日本に来たときだった。渋谷のディスクユニオンに通って、ジャパニーズ・ハウスのレコードを偶然手にした。でも……それは正確な言い方ではないね。正確に言えば、僕が初めてジャパニーズ・ハウスと出会ったのは子供の頃だったんだと思います。当時はまったく意識はしていませんでしたが、日本のビデオ・ゲームが大好きで、ゲームでよく遊んでいた僕は、自然にゲーム音楽を聴いていたんですね。それがいま思えば、ジャパニーズ・ハウスの原型だったように思う。SEGAの「Sonic 2」, 「Bare Knuckles 2」などのBGM音楽はまさにジャパニーズ・プロト・ハウスです。
 みなさん、是非「Sonic 2」の“Sky Chase Zone”という曲を聴いてみてください! ChordsがシカゴのLarry Heardを彷彿させる、気持ちいい曲なんです。そして「Bare Knuckles 2」の“The park”, “The Bar”,“The opening streets”といった曲も。ゲームのBGMなので音のクオリティはよくないんですが、言いたいことが伝わると思います。つまり、僕はその頃から、ジャパニーズ・ハウスのVibeに染められていたのです。

 ディスクユニオンに戻りましょう。僕は、ちょうどその頃、90年代NYハウスにハマっていたんです。とくにBLAZEが好きだったな。ある日ディスクユニオンで見つけた小泉今日子の「Koizumix Production Vol. 1 - N.Y. Remix Of Bambinater」という12インチ・レコードに、“BLAZE remix”と書いてあったんです。早速、試聴した。それがジャパニーズ・ハウスとの最初の出会いです。
 BLAZEだからジャパニーズ・ハウスじゃないじゃん! って思う人も当然いるだろうけど、僕にとってヴォーカルが日本語だったので、それだけでも充分面白くて、ジャパニーズ・ハウスだったんです。日本語のヴォーカルがハウスにMixされている、これだけでとても衝撃的だったんです! 格好いい! って思ったんですね。ヨーロッパでプレイしたら、絶対にクラバーやDJたちは「なにこれ? なにこれ??!!」ってなると思ったんですね。もう、聴いた瞬間、とてもわくわくしました。
 そして、このレコードの“Sexy Heaven (King Street Sound Club Mix)”という曲で、初めてジャパニーズ・ハウスのことを意識した。
 同じ頃、Masters at Workの曲を必死探していたおかげで、MONDO GROSSOのことも知った。“Souffles H (King St.Club Mix)”という曲に出会ったことも嬉しかったな。まあ、MAWのプロダクションだから日本Vibeがあんまりないんだけど、一応バンドが日本人なので(笑)。BIRDがヴォーカルをやっている“Life (Main)”というMONDO GROSSOの曲もよかった。
 こうして僕は、じょじょにジャパニーズ・ハウスのこと知っていった。しかし、実を言うと、不満も感じていたんです。これ全部アメリカ人のプロデュースだったり、アメリカのレーベルの出版だったりしていたからです。
 でも、正直、見つけたばかりの頃は、そんなことよりも「日本でも国内のシーンがあったんだ!」という驚きと興奮が強く、「アメリカとのコラボいろいろあったんですね!」という感じでした。シーンとしてのジャパニーズ・ハウスのことはまだ意識していなかったです。本格的にジャパニーズ・ハウスを意識するのは、2008年、日本に戻ったときでした。

 当時渋谷にはYELLOW POPという中古レコード店がありました。僕がよく通っていたお店のひとつです。最初はハウス・セクションしか見ていなかったのですが、たまに時間つぶしでJ-POPセクションも見ていました。そこで見つけたのがPizzicato Fiveの『Pizzicato Free Soul 2001』です。
 Pizzicato Fiveのことは当時すでに知っていたけれど、僕は渋谷系のバンドとしてしか認識してませんでした。ただし、その盤は「Remixes」という言葉をアピールしています。で、クレジットを見たら、富家哲さん、Tei Towaさんなどの名前があります。リリース日付を見たら93年。90年代ハウスの大ファンである僕にとって必須な1枚です。
 そして、A2の“Catchy (Voltage Unlimited Catchy)”でものすごい刺激をうけたんですね。鳥肌が立ったんです。曲がやばいから鳥肌が立ったのではない。「日本でも僕が大好きな90年代ディープ・ハウスを作っていたプロデューサーがいた! アメリカみたいに、当時の人気POPバンドのハウス・リミックスを作っていた! そんなシーンが存在していたんだ! だったら絶対Digしてやる!」と思ったからです。探してもいなかった宝物が見つかったという感じです。当然、その“Catchy”という曲がすごい曲だからっていうのもありました。ディープなガレージ・ハウスにPizzicato Fiveのリード・ヴォーカルの甘い声が最高の組み合わせでしたからね。

 こうして僕はジャパニーズ・ハウス・シーンから離れられなくなっていました。日本に来る前にはジャパニーズ・ハウスなんてまったく知らなかったくせに、もうそれ以来、ジャパニーズ・ハウスの80年代~90年代のプロダクションを探すに必死になっています!
 そして、僕のなかで、日本でのハウス・シーンのイメージがアバウトに出来上がっていきました。大きく分けるとふたつのグループ頭のなかにあります。
 ひとつ、100%国内プロダクション(日本人のハウス・プロデューサーが単独で曲を作ったり、国内の人気ポップ・アーティストのリミックスなど)。
 もうひとつ、海外DJが日本のポップ・アーティストをリミックスした曲(主にアメリカのNYCのハウス・プロデューサー。MAW, Kerri Chandler, Blaze, Pal Joey, Mood II Swingなどなど)。
 不思議なことに海外ポップ・アーティストをリミックスしたジャパニーズ・ハウス・プロデューサーほとんどいない(富家さんはDef Mixに入っていたから、例外です)。このふたつの大きいグループを合わせて、日本のハウス・シーンが成立していました。後者はもちろんですが、前者も音的にアメリカに影響を受けていました。91~93年の福富幸宏さん、寺田創一さんなどのプロダクションを聴くとわかりやすい。

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 僕は日本の音楽のさまざまなジャンルが好きです。そして、どんなジャンルにおいても、アメリカからの影響を感じます。90年代のジャパニーズ・ハウスも例外ではないですね。70年代、80年代、90年代でDJ活動をはじめた日本人の多くがアメリカに滞在しています。長い旅をしたことがあります。たとえば福富さん、寺田さん、Tei Towaさんたちはその道を歩いて、日本に戻ったときに、アメリカのディープ・ハウスに影響された音を生み出している。有名な〈KING STREET〉を作ったのも日本人石岡ヒサさんです。
 ちなみに何故〈KING STREET〉という名前を選んだか、知っていますよね? 伝説のクラブ〈PARADISE GARAGE〉の住所が「KING STREET 84」だったからです。クラブ・ミュージックのはじまり、伝説のスタートポイントです。Larry Levanがレジデントだったクラブです。
 40代~50代の日本人のクラブ関係者/DJと話していて気がつくのは、Larryを神様みたいな存在として思っていることです。さて、この先は僕の個人的な仮説です。多くの日本人が70年代~90年代初頭にLarryにあこがれて、聖地巡礼に出るようにアメリカに行った。その現象がおそらく日本のクラブ・シーンに大きいな影響を与え、シーンの展開を可能にさせたのではないかと。
 90年代初頭、日本リリース限定(場合によって日本限定ではなかったが)のアメリカ人DJによるJ-POPアーティストのハウス・リミックス版がたくさんあります。しかし、それらが日本限定のリリースだったので、長いあいだ世界はそれらレコードの存在を知らなかった。そのひとつの例が、先述した「Koizumix Production Vol.1」収録のBLAZEミックスですね。


 他にも、僕が見つけた曲にはこんなものがある。山咲千里の「SENRIMIX」に入っているKERRI CHANDLERのミックスとか、露崎春女の「Feel you」のMood II Swingリミックスとか、SNK ゲーム「The King Of Fighters」のLIL LOUISによるハウス・リミックス……。リストにきりがないですね。実はいま現在、こうしたレコードは欧米でも知られるようになっているんですね。みんな必死に探していて、「SENRIMIX」や「KOIZUMIX」みたいなレコードは、海外ではかなり高値で取引されていますよ!

 これも先述しましたが、音的にはアメリカに大きく影響されています。当時のNYガレージ・ハウス・サウンドからの影響はとくに大きかったと思います。福富さんの“It’s about time”という曲を試聴しましょう。福富さんは自分のVibeも注いでいるから、結果としてはクオリティの高い新鮮な出来になっています。ただの真似ものではないんですね。
 少しマイナーな例ですが、関西のプロデューサー、TAKECHA(Takeshi Fukushima)が90年代にたくさんのディープ・ハウスな曲を作っています。そのなかに“Respect To Pal Joey”という曲がある。インスピレーションの元をはっきりさせているわけです。
 TAKECHAのレコードはとてもレアで、僕も3枚しかもっていないんだけど、曲を聴くと、たしかに Pal Joeyからの影響を感じます。しかも、しっかり自分のVIBEを仕込んでいる。TAKECHAっぽい音になっているんです。
 最後にもうひとつ例をあげましょう。東京出身のTORU.Sというプロデューサーです。90年代のTORU.SのプロダクションはNYよりのディープ・ハウス・サウンドです。TAKECHAのようにインスピレーションの元もはっきりしています。97年の「Final story the night」というEPに“Message 1 Thank You Joe”という曲があります。当然、Joe Clausselへのメッセージです。
 Toru Sの当時プロダクションを聴くと影響がはっきりわかるけれど、とくにその曲はJoe Clausselが作ったかのように聴こえます。本人Danny Tenagliaも好きなようで、そのEPの裏面には「Danny Tenaglia...Thanks thanks thanks...I wanna say this hundreds times. Oh Danny! I’m here for you」などと書いてある。ラヴレターみたいですね。TORU Sさんの場合はアメリカにも住んでいるから、また特別なパターンかもしれない。アメリカで作っているので、ほかの国内プロデューサーとはまた環境が違っているんですが。

 他に似たような例がいくつかあるけれど、全部載せられないので、今回はここまで。とにかく、ジャパニーズ・ハウス・シーンが世界ではまだまだよく知られていないのに(実は国内も含めて)、世界中で大人気だったアメリカのシーンと強くつながっていること。アーティストのコラボレーションもそうだし、プロダクションへの影響もそう。アメリカと日本の200年前からの歴史をみると、つねに不思議な関係にあることがわかる。力を使って喧嘩したこともたくさんありました。1854年、アメリカの海軍軍人ペリーは江艦隊を率いて鎖国していた日本にやって来た。その出来事は文化的に大きな影響となった。そして、第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた後、アメリカ文化の影響はさらに広がった。アメリカに対して強い抵抗があったはずなのに、ポピュラー・カルチャーに関して日本はアメリカに憧れ、影響されることを拒まず、影響を主張している。それはハウス限定の話ではない。他のジャンルでも同じ現象が確認できる。いずれにしても、アメリカと日本の文化関係は外国人の視点からみると、とても面白いのです。

 歴史の話はそこまでにしましょう。ジャパニーズ・ハウスにおけるアメリカからの影響は誰も否定できない。Vibe的に、NYCディープ・ハウス・サウンドにとても近いものがある。しかし日本Vibeも混入されている。
 え、その日本Vibe、ジャパニーズVibeというのはなんですか? と訊かれても答えづらいんですけど、たとえばChordsは日本の雰囲気を表現していると思います。バブルやポスト・バブルの日本の雰囲気が音に出ているように思います。ハウスではないのですが、Jazzやヒップホップをプロデュースしている宇山寛人さんの“Summer81”や“Oneday(Prayer For Love And Peace)”といった曲を聴きましょう。日本の伝統な心が含まれているように感じます。独特の雰囲気があります。これは外国人である僕にとって、日本の心の一部がそのトラックに練りこまれているように感じるのです。

 それこそが私にとってとても魅力的に思えたところです。そここそがジャパニーズ・ディープ・ハウス・シーンの面白いところなのです。アメリカの音を真似てはいるけれど、真似るだけではない、ちゃんと自分のVibeも練り込まれている。やっぱ違うんです。ジャパニーズ・ハウスになっているんです。
 もうひとつ面白いところを挙げます。どういう理由からか、そうした多くのプロダクションが日本の外に出なかったという事実です。ジャパニーズ・ハウスは、長いあいだ国内にとどまっていたんです。
 ヨーロッパでもアメリカの音からインスパイアされて、曲を作っている人は当然少なくないですよね。Laurent Garnier、Grant Nelson、Bob Sinclar……、イタリのUMMとか。ただしヨーロッパの場合、そのアーティストが世界中に普及していった。
 日本のプロダクションの出来がよくない? いや、全然そんなことはないです。実は、逆にレベルが高かったんです! しかし、誰も注意を払わなかっただけ、というのが僕の結論なのであります。
 さらに僕がびっくりしたのは、ジャパニーズ・ハウスに注意していなかったのは外国だけではなくて、国内のクラブ音楽が好きな人たちからも無視されていたというか、気づかれていなかったということ。みんな当時の人気アメリカDJに夢中で、自分の国でもクオリティの高いディープ・ハウスがあるということに気づいていなかったのかもしれませんね。
 本当に、本当にみなさんにもっと自分の国のハウス・シーンの素晴らしさを知って欲しい! 誇りを持って欲しい! 僕がこの原稿を書いた理由はそれだけです。


FORGOTTEN JAPANESE HOUSE TOP 10

1 Flipper’s Guitar - Big Bad Bingo (Big bad Disco)
1990 (Yukihiro Fukutomi)
激レアプロモ版に乗っている14分のマスターピース

2 Pizzicato Five - Catchy (Voltage Unlimited Catchy)
1993 (Tei Towa)
ディープやダークの最強の組み合わせ。

3 Soichi Terada & Shinichiro Yokota - Shake yours
1991
なぜか聞くと懐かしくなる、ディープな1曲

4 Manabu Nagayama & Soichi Terada - Low Tension
1991
強いベースがあるのに、非常にディープ。寺田さんの音を定義する1曲。

5 Yukihiro Fukutomi - It's about time
1994
完璧なクラブ向けジャパニーズ・ハウス。ディープなキーズで旅をさせてくれる。

6 Wono & GWM - Breezin' part 1
1996 (Satoru Wono & Takecha)
ゲームBGMっぽいとても陽気、すっごく気持ちのいいハウス曲です!

7 Kyoko Koizumi - Process (Dub’s Dub)
1991 (Dub Master X)
シカゴ・ハウスっぽいとてもBouncyな小泉さんのハウスリミックス。

8 Pizzicato Five - 東京は夜の七時 The night is still young; One year after
1994 (Yukihiro Fukutomi)
原曲とても好きだったが、この福富さんによるミックスは最高です。最後の3分間はディープな旅に出る。

9 Toshihiko Mori - I got Fun
1991
Jazzadelicの半分であった森さんによる最強のNYディープ・ハウスっぽい曲。もうちょっとランキングあげればよかったこれ……

10 Katsumi Hidano - Thank you Larry
1993
Larry Levanへの感謝の言葉ですが、音的にLarryっぽくなくてNU GROOVEに近いNYディープ・ハウス系の気持ちいい曲。

tofubeats - ele-king

春にアルバムなどが出ます。
https://www.tofubeats.com/


1
Toro y moi - Anything In Return
何度聞いてもウオオオオオ!ウオオオオオ!ってなります。
ちなみに余談ですがボイラールームでのDJ動画で最後司会の女性と楽しそうに踊っている動画もとても最高です。Kyle Hallが95NORTHのNow It's TimeをかけているSunday Bestの動画でI loveNY TEEを着た美女が踊っている動画がそういう音楽で青春を取り戻す瞬間動画ではベストでしたがそれを超えました。

2
Esta - WhatIsGnaMake
ここ最近のベスト。単曲配信でしたがこれを書いてる2日前くらいにこれ収録のアルバム出ましたがそれも良い。

3
Gwen Stefani - Luxurious (VΞRACOM'z Egyptian Cotton C&S)
他の曲でジャンルが"gay trap"って書いてるのあったりとか、ここらへんはほん
と遊びがあっていい。

4
Symphony Hall - One Night Stand (feat.Jay Norton)
Marbleまわりが格好良すぎてつらい......

5
Ta-ku - Diamond Mouth
TRAPよりもうちょっとだけこういうノリのほうが好きっぽいのかなと思います。

6
DJ paypal - IRL
picnic womenから上品さを差っ引いた感じ。むしろ上品なDJ paypalがpicnicwomenなのかも......

7
AVAN LAVA - sisters
昨年の作品ですが落としてからずっと聞いてます。全曲いいしライヴ動画もマジ最高

8
Mirror Kisses - runaways
ほとばしるナード風なルックスも込でこういうbandcamp以降よく見かける音源は打ち込みでライブはバンドみたいなの好きです。 kickstarterで企画やってるのも今っぽい。

9
Giraffage - Close 2 Me
なにげにperfumeとか大ネタ使い多いですが原曲好きなのばっかやってくれるので好きです。

10
木原さとみ(東京パフォーマンスドール) - 銀色のシルエット(remix)
年2回くらい東京パフォーマンスドールのライブ動画を見直すシーズンがありますが今年頭のは結構長くて、持ってない音源まとめて買いました。 リミックス盤収録のナイスブギー。
. 米光美保 - あなただけ感じて[EXTENDED FULL POWER DIGITAL MIX!!]
角松氏プロデュース元TPD米光氏のアルバムのリミックストラック。イントロ以外は言うほど切れてませんが何よりこのタイトルがグッときま す。#EXTENDEDFULLPOWERDIGITALMIX

ホロノミックディスプレイが作動した - ele-king



 年明けから間もない2013年1月4日のことだ。日本時間の午後1時すぎに目が覚めて、僕はいつもどおりリヴィングへふらふらと歩き、ノートPCを立ち上げた。ヴェイパーウェイヴ周辺の連中がなにやら興奮してツイートをしているのを見て、貼ってあったURL(https://jp.tinychat.com/spf420)をクリックすると、ヴィデオ・チャットの画面へ飛んだ。ディスプレイに映されたのは日本企業のCM映像。高速で流れていく英文の会話。毒にも薬にもならない浮ついたスローな音楽。僕はおもわず誰もいないリヴィングで声をあげた。なんてこったい! そこは、ヴェイパーウェイヴの連中のフェスティヴァル会場だった。そのときはインフィニティー・フリークェンシーズ(Infinity Frequencies)がプレイをしているらしかった。

 〈#SPF420〉とタグで銘打たれたフェスティヴァルの形式はこうだ。ストレス(STRESS)と名乗る女性が司会として、次の出演者を生の音声会話で紹介する。あらかじめ『YouTube』にアップ済みの出演者紹介の映像を流す。それから出演者が演奏を開始する。プレイ中のVJは出演者みずからがチョイスしているときもあれば、ブラックサンセッツなるアカウントがVJをしていた。演奏が終わると、画面が真っ暗になり、観客はチャットに拍手の意(「CLAP」など)をみんないっせいに打ち込む。そして、ストレスがふたたび司会をはじめ、次の出演者紹介をする。最後までこれの繰り返し。

 集まったチャットの参加者(観客)はこのフェスティヴァルに興奮していたようだ。「ラグジュリー・エリート(Luxury Elite)がいるの? まじ?」などと言っている者もいた。現住国を発表する流れでは、アメリカはもちろん、ヨーロッパやアジアからの者も多かったが、日本と答えたのは僕のみ。しかしまあ、チャットの内容はだいたいがなんの意味も生産性もないやりとりだ。「Lana Del Gay」や「James Vaporro」などと、ミュージシャンの名前を(特に「Gay」で)もじった言葉遊びが多くを占めた。それが高速で行われる。ヴェイパーウェイヴとそこからの波を追いかけつづけている日本のブロガー・ポッセ『Hi-Hi-Whoopee』のアカウントも日本語でチャットに入ってきたが、「会話についていけない」とぼやいて消えてしまった。チャットでやりとりをするには一瞬にして文脈を読んでいかなければならなかった。僕も慣れるには時間を要した。このイヴェントは以前にも行われており、日ごろからチャットに手馴れているユーザーが多かったようだ。司会のストレスは、来場したユーザーのみんなに丁寧な挨拶をしていた。このフェスを開催できたことが心から嬉しかったのだろう。見ていて気分がよくなる雰囲気があった。

 出演者も興味深い。音楽評論家アダム・ハーパーによって「#Vaporwave」というタグが生まれる前から、それにあたる作品を発表していたプリズム・コープ(Prism Corp)ことヴェクトロイド(Vektroid / New Dreams Ltd.など名義多数)やインフィニティ―・フリークェンシーズのほかに、彼らに触発された、いわば第2波といえるアカウントのラグジュリー・エリートや福岡在住を自称するクールメモリーズ(coolmemoryz)(おそらく元「t r a n s m a t 思 い 出」名義)が混合している。そこに、〈アギーレ〉(Aguirre)からのリリースをひかえていたアンビエントやノイズのトランスミュート(Transmuteo)や、〈アムディスクス〉(Amdiscs)からのヴェラコム(VΞRACOM)などニューエイジな装いのメンツも合流している。そして、どうやらこのカオスに貢献していたのは、チャズ・アレンを名乗るビートメイカーであるメタリック・ゴースツ(Metallic Ghosts)のようだ。先のYouTubeのアカウント然り、フェスのアートワークも彼が担当していたと思われる。

 トランスミュートの瞑想的なノイズはすばらしく、熱狂的な歓迎を受けていた。しかし、この日もっともおおきな拍手喝采の言葉で迎えられた大本命は、やはり、ヴェイパーウェイヴで最も有名になってしまったプリズムコープ:ヴェクトロイドだ。ウェブカムの前に彼女/彼ははっきりとその姿を現した。ときどきFBIのマークをVJに出現させハプニングの音を混ぜる茶目っ気をみせながら、まさにホテルのラウンジやプラザのBGMに最適なミューザックのループを延々と披露した。それはつまり、市場において消費者である僕たちが知るかぎりこの世でもっとも退屈で決して家に持ち帰ることのない音楽=ミューザックだが、いまや世界各国の物好きが、それらをインターネットの画面の奥に集積したゴミのような情報のなかから拾い上げ、面白がっている。挙句の果てには、それをグチャグチャに歪め、ズタズタに切り刻み、垂れ流したそのクソに浸りながら深夜にPCの前でハッパをキメるわけだ。現にヴェクトロイドは、ボングを用いてウィードに火をつけて吸引する自らの姿を何回もウェブカムで生中継した。『facebook』では彼女の姉妹ということになっている司会のストレスも別枠で吸引の様子を一瞬だけ映す。情報デスクVIRTUALの曲名にあったとおり、彼女たちはミューザックをウィードブレイク(#WEEDBREAK)のBGMに活用している。自室でひとりPC画面の前でにやつきながらウィードを吸引するヴェクトロイドの姿は、まるで部屋の外のなにかから逃げようとしているようだった。

 この日、ヴェクトロイドは2回出演し、アンカーの際には衣装をレトロなスタイルに変えていた。彼女はなぜか全角英字でチャットに参加する。繰り返されるウィードブレイク。観客にもウィードや酒の摂取を呼びかける。僕は、ログインしたときに「Daniel Lopatin」なるアカウントが参加者のなかにいたことをチャットに書いた。彼らは知っているのだと思ったが「まじ?」「どうせ誰かの偽アカウントだろ」という反応がかえってきた。事実、僕はたしかに見た。ダニエルとヴェクトロイドのあいだには交流があった(註2)ようだし、彼が見ていても不自然な話ではないと思った。やがて観客たちは口々に「ありがとうダニエル」とつぶやきはじめる。ヴェイパーウェイヴがダニエルの「斜陽会社」=〈サンセットコープ〉からはじまったことを誰もが自明に感じていると言えるだろう。

 フェスティヴァルも終幕に近づき、ストレスがアフターパーティーの会場『Turntable.fm』のURLを告げる。同サイトは閲覧を米国ユーザーのみに限っているため、米国外の観客はここでお開きとなった。ストレスは米国外のユーザーへ丁寧に謝罪しつつ、来場者への感謝の意をなんども書き込んだ。やがてジオデジックとして知られる下城貴博がヴェクトロイドへのラヴコールを書き込んだ。ヴェクトロイドは握りこぶしに親指を立て、ニヤリとした笑みで応える。やがて、音楽は止んだ。時計を見ると午後4時をまわっていた。

 正直に言えば、このフェスティヴァルが終わった瞬間、僕はおおきな虚無感と倦怠感が心の奥底からこみ上げてきた。なにせ、結局のところただのチャットにすぎない。音楽なぞ、ほとんどミューザックの垂れ流しである(註3)。ただただ退屈を空回りするだけであった。部屋を1歩でも出れば、現実がしっかりと待っている。窓の外はいつのまにか夕方だった。日本ならまだ日中だが、米国時間では深夜に、こんなくだらないことを「世界中の孤独なティーンがベッドルームで行っている」(Tomad)(註4)のだ。しかも、ウィードと酒をあおりながら。
 後日、ダラー・ジェネラル=司会のストレスは、ヴェクトロイドの言葉を最後に引用しながら、こんな挨拶を『facebook』に残している。

 とにかく、本当にありがとうと、今夜のイヴェントに来てくれた美しい人々に言いたいです。きみらみんな本気で超最高だよ。タイニーチャットにに来てくれた一人ひとりの力添えなしにSPF420が成功することはなかったでしょう。(出演者への挨拶。斎藤により中略)
 我々は100を突破しました! 134人の参加者が集まったよ、みんな! (135のときにキャプチャーできればよかったけど、ああもう)

 またすぐにみなさんとインターネットで会えることを願っています、
 SPF420: SPF420: Welcome To The Workplace.™
(日本語訳:斎藤)
#SPF420FEST 2.0: WELCOME TO THE NEW ERA:
https://www.facebook.com/events/...


 おおきな喜びが伝わってくる文面だが、彼らにはディスプレイの外へ出てくるつもりがないようにも読める(註5)。はたして、彼らの指す「The Workplace.™」とは、ベッドルーマーにとって逃げ場となる仮想空間なのだろう。無職であることがうかがわれるようなツイートを何度もしているヴェクトロイドが自らへの最大の皮肉として言っているようにも思える。
 だが一方で、ヴェクトロイドはときおり現実空間のパーティーに出演しており、2月に入ってからもマジック・フェイズ(Magic Fades)とともにギャラリーでパフォーマンスをしている。さらに、〈トライアングル〉の主宰バラム・アキャブがヴェクトロイドとのスプリットで7インチをリリースする旨を発表したばかりだ。

 はたして、ヴェイパーウェイヴァーは現実において「仕事場™」を拡張することができるだろうか。
 日本ではプラモミリオンセラーズで知られる鈴木周二がventla名義でヴェイパーウェイヴに触発された作品を発表しつづけており、§✝§(サス)やジオデジックはライヴ(註6)でその地平を切り開こうとしている。それはまた、べつの機会に......。

今日、我々とともに新たな世界へ加わりましょう......よりよい明日のために。

Prism Corp. International
We Know Who You're Working For.™
(日本語訳:斎藤)
札幌コンテンポラリー | BEER ON THE RUG:
https://beerontherug.bandcamp.com/album/-

空はあなたに従います。。。
安全に走行
悔なし

Farewell,
New Dreams Ltd.

(原文ママ)
PrismCorp™ Virtual Enterprises | New Dreams Ltd.:
https://newdreamsltd.tumblr.com/post/38483741858

 2012年、ヴェクトロイドはウェイパーウェイヴのベッドルーマーを引き連れ、「よりよい明日」のための「新たな世界」を目指して飛行した。それが情報デスクVIRTUALであり、セイクリッド・タペストリーではついに空を(下に)従えることに成功したのだ。

 そして2013年、ホロノミックディスプレイが作動した


(註1)
特別編集号 2012 ソーシャルカルチャーネ申1oo The Bible』より。アルバート・レッドワインは『ザ・ニューヨーク・タイムズ』からもインタヴューを受けている

(註2)
昨年の11月末にはヴェクトロイドがOPN(=ダニエル・ロパーティン)に謝罪のメールを送ったとツイートし、同日にOPNも「ヴェイパーされた」とツイートしている

(註3)
なお、このフェスティヴァルの音源や映像の一部が『facebook』のイヴェントページからチェックできる

(註4)
紙『ele-king vol.8』の「キャッチ&リリース」より。ちなみに、トマドが主宰する〈マルチネ〉はシーパンクのイメージを模したダウンロード・ページや、限定Tシャツをリリースしたtofubeatsも情報デスクVIRTUALをお気に入りにあげている

(註5)
対照的に、アダム・ハーパーによってヴェイパーウェイヴの文脈でも語られてしまったファティマ・アル・カディリは、積極的にイヴェントへ出演している。その様子は工藤キキが本サイトでも伝えている

(註6)
サスは音楽的にはウィッチハウスやシンセウェイヴに近いがウェイパーウェイヴの意匠をまとったライヴを行っており、ジオデジックはヴェイパーウェイヴのイヴェントを開催したいとツイートしている

以上-----------------------------------------------

My Bloody Fuckin' Valentine Mixtape - ele-king

 1937年にリチャード・ロジャース&ロレンツ・ハートが作曲した"マイ・ファニー・ヴァレンタイン"は、チェット・ベイカーやフランク・シナトラからエルヴィス・コステロにいたるまで、幅広く歌われています。また、ザ・ビートルズは「僕が64歳になってもヴァレンタインにチョコをくれる?」と歌いました。
 というわけで、ヴァレンタインに乗りましょう。好きな人に捧げたい、ヴァレンタイン用DJミックステープ! 読んでくださっているみなさんも、どうぞリストをお送りください!


■木津 毅

1 尾崎紀世彦 - ラブ・ミー・トゥナイト
2 Rhye - The Fall
3 Antony and the Johnsons - Crazy in Love
4 Kylie Minogue - The One
5 Pet Shop Boys - Love Comes Quickly
6 Matmos - Semen Song For James Bidgood
7 Gayngs - Cry
8 Perfume Genius - Hood
9 The National - Slow Show
10 Wilco - On and On and On

■斎藤辰也(パブリック娘。)

1 Taken By Trees - My Boy
2 トクマルシューゴ - Decorate
3 Emitt Rhodes - Fresh As A Daisy
4 Knock Note Alien - 雪をとかして
5 Hot Chip - We're Looking For A Lot Of Love
6 AJICO - メリーゴーランド
7 Enon - Kanon
8 About Group - Plastic Man
9 About Group - Married To The Sea (b)
10 Syreeta - Cause We've Ended As Lovers

シークレット
11 The Beach Boys - Time To Get Alone (Acapella)

■中里 友

1 Outkast - Happy Valentine's Day
2 R.Kelly - Step In The Name Of Love(Remix)
3 D'Angelo - Lady (Remix) feat. AZ
4 Drake - Best I Ever Had
5 Breakbot - Baby I'm Yours
6 Best Coast & Wavves - Got Something For You
7 clammbon - sweet swinging
8 s.l.a.c.k. - I Can Take It (Bitchになった気分だぜ)
9 前野健太 - 病 (Yah! My Blues)
10 奇妙礼太郎 - オー・シャンゼリゼ

■野田 努

1 Carl Craig - Goodbye World
2 Chet Baker - My Funny Valentine
3 Beach House - Zebra
4 Ramones - Needles And Pins
5 The Velvet Underground and Nico - I'll Be Your Mirror
6 Scritti Politti - The Sweetest Girl
7 Massive Attack - Protection
8 Marcia Griffiths - The First Time I Saw Your Love
9 The Simths - I Want The One I Can't Have
10 RCサクセション - よごれた顔でこんにちわ
11 The Stylistics - You Make Me Feel Brand New
12 Nina Simone - My Baby Just Cares For Me
13 The Beatles - Here There and Everywhere
14 The Righteous Brothers ? You've Lost That Lovin' Feelin'
15 The Slits- Love and Romance

■橋元優歩

1 Baths - Apologetic Shoulder Blades
2 Airiel - Sugar Crystals
3 Clap Your Hands Say Yeah ? Let the Cool Goddess Rust Away
4 Atlas Sound - Shelia
5 Daedelus - LA Nocturn
6 Grouper - Heavy Water / I'd Rather Be Sleeping
7 Evangelicals - Midnight Vignette
8 Cloud Nothings - Strummin Whadya Wanna Know
9 Me Succeeds - The Screws Holding It Together
10 Our Brother The Native - Well Bred
11 How To Dress Well - Date of Birth
12 Twinsistermoon - Ghost That Was Your Life
13 Rehanna - S & M
14 Sleep ∞ Over - Romantic Streams
15 Jesse Harris - Pixote
16 Candy Claws - In The Deep Time

■DJ MAAR

1 The xx - Sun set
2 Herbert - I miss you
3 Francis Harris - Plays I play
4 Jesse Ware - Swan song
5 Frank Ocean - Thinking about you
6 Lil' Louis - Do you love me
7 Stevie Wonder - As
8 Grace Jones - La vie en rose
9 Edith Piaf - Hymne a l'mour
10 Louis Armstrong - What a wonderful world

■松村正人

A面

1 Barry White's Love Unlimited Orchestra - Love's Theme
2 Dan Penn - The Dark End Of The Street
3 Kevin Ayers - When Your Parents Go To Sleep
4 Red Crayola With Art & Language - If She Loves You
5 Frank Zappa - Harder Than Your Husband
6 Mayo Thompson - Fortune
7 Frank Zappa - Keep It Greasy
8 ゆらゆら帝国 - 貫通

B面

1 The Bryan Ferry Orchestra - Slave To Love
2 林直人 & MA-BOU - Can't Help Falling In Love
3 ZZ Top - Over You
4 Aaron Neville - My True Story
5 勝新太郎 - ヒゲ
6 Serge Gainsbourg - 手切れ(Je suis venu te dire que je m'en vais)
7 割礼 - こめんね女の子
8 Leonard Cohen - Hallelujah
9 Prince - I Wish U Heaven

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