「gay」と一致するもの

追悼 ピート・シェリー - ele-king

 近頃はみんながハッピーだ
 僕たちはみんなそれぞれのインスタグラムでポップ・スターをやっていて、最高に楽しそうな、もっとも自己満足できるヴァージョンの自らのイメージを世界に向けて発している。僕たちは文化的なランドスケープの中を漂い、愉快そうでエッジがソフトな人工品に次から次へと飛び込んでいく。そこでは硬いエッジに出くわすことはまずないし、蘇生させてくれる一撃の電気を与えることよりもむしろ、締まりのない、無感覚なにやけ笑いを引き起こすのが目的である音楽に自分たち自身の姿が映し出されているのに気づく。

 近頃では、バズコックスにしてもポップ・カルチャーのほとんどに付きまとう、それと同じ麻痺した喜びのにやけ顔とともに難なく消費されかねない。ノスタルジーの心あたたまる輝き、そして40年にわたって続いてきたポップ・パンクのメインストリーム音楽に対する影響というフィルターを通じてそのエッジは和らげられてきた(AKB48の“ヘビーローテーション”はバズコックスが最初に据えた基盤なしには生まれ得なかったはずだ、とも言えるのだから)。ピート・シェリーとバズコックスはファンタスティックなポップ・ミュージックの作り手だったし、その点を称えるに値する連中だ。

 だがもうひとつ、ポップ・ミュージックはどんなものになれるかという決まりごとを変えるのに貢献した点でも、彼らは称えるに値する。ザ・クラッシュとザ・セックス・ピストルズの楽曲が、それぞれやり方は違っていたものの、怒りや社会意識と共に撃ち込まれたものだったのに対し、バズコックスは60年代ガレージ・ロックの遺産を労働者階級系なキッチン・シンク・リアリズムの世界へと押し進め、十代ライフのぶざまさを反映させてみせた。彼らのデビュー作『スパイラル・スクラッチEP』に続くシングル曲“オーガズム・アディクト”は自慰行為の喜びを祝福するアンセムだった(同期生のジ・アンダートーンズも同じトピックをもうちょっとさりげなく歌ったヒット曲“ティーンエイジ・キックス”で好機をつかんだ)。そのうちに、ハワード・ディヴォートがマガジン結成のためにバンドを脱退しシェリーがリード・ヴォーカルの座に就いたところで、“ホワット・ドゥ・アイ・ゲット?”や“エヴァー・フォールン・イン・ラヴ(ウィズ・サムワン・ユ―・シュドゥントヴ)”といった歌では欲望というものの苦痛を伴う複雑さを理解した音楽作りの巧みさを示すことになった。

 バズコックスだけに焦点を絞るのはしかし、ピート・シェリーの死を非常に大きな損失にしている点の多くを見落とすことでもある。バンド結成の前に、彼はエレクトロニック・ミュージックで実験していたことがあり、その成果はやがてアルバム『スカイ・イェン(Sky Yen)』として登場した。そして1981年にバズコックスが解散すると、彼はシンセサイザーに対する興味と洗練されたポップ・フックの技とを組み合わせ、才気縦横でありながらしかしあまり評価されずに終わったと言えるシンセポップなソロ・キャリアを、素晴らしい“ホモサピエン”でキック・オフしてみせた。

 シェリーはバイセクシュアルを公言してきた人物であり、概して言えば満たされない欲望やうまくいかずに終わった恋愛といった場面を探ってきたソングライターにしては、“ホモサピエン”でのゲイ・セックスの祝福は一見したところ彼らしくない直接的なものという風に映った。ここには事情を更に複雑にしている層がもうひとつあり、それは当時の一般的な英国民が抱いていたホモセクシュアリティは下品で恥ずべきものという概念を手玉にとる形で、シェリーがホモセクシュアリティを実に喜ばしいロマンチックなものとして描写した点にあった。言うまでもなくBBCは躍起になってこの曲を放送禁止にしたしイギリス国内ではヒットすることなく終わったが(アメリカではマイナーなダンス・ヒットを記録した)、ブロンスキー・ビートやザ・コミュナーズといったオープンにゲイだった後続シンセポップ・アクトたちは少なくともシェリーに何かを負っている、と言って間違いないだろう。
 
 ピート・シェリーはポップ・ミュージックのフォルムの達人であったかもしれないが、我々アンダーグラウンド・ミュージック・シーンにいる連中にとって、彼の残した遺産そのものもそれと同じくらい重要だ。『スパイラル・スクラッチEP』はその後に続いたDIYなインディ勢の爆発そのものの鋳型になったし、ミュージシャンがそれに続くことのできる具体例を敷いたのは、もっと一時的な華やかさを備えていてポリティカルさを打ち出したバズコックスの同期アクトがやりおおせたことの何よりも、多くの意味ではるかに急進的な動きだった。その名にちなんだ詩人パーシー・ビッシュ・シェリーのように、ピート・シェリーもまたラディカル人でロマン派だったし、彼の影響は深いところに浸透している。

R.I.P. Pete Shelley

text : Ian F. Martin

Everybody’s happy nowadays.
We’re all pop stars of our own Instagram accounts, projecting the happiest, most self-actualised version of ourselves out to the world. We drift through a cultural landscape, bouncing from one cheerfully soft-edged artefact to another without encountering any hard edges, finding ourselves reflected in music whose goal is to induce a slack, anaesthetic grin rather than a resuscitating jolt of electricity.
Nowadays, Buzzcocks can be comfortably consumed with the same slack grin of numb enjoyment that accompanies most pop culture, the warm glow of nostalgia and the filter of 40 years of subsequent pop-punk influence on mainstream music softening its edges (AKB48’s Heavy Rotation could arguably never have existed without The Buzzcocks having first laid the foundations). Pete Shelley and The Buzzcocks made fantastic pop music and deserve to be celebrated for that.

However, they also deserve to be celebrated for helping change the rules for what pop music could be. While The Clash and The Sex Pistols’ songs were, in their own differing ways, both shot through with anger and social consciousness, Buzzcocks pushed the legacy of ‘60s garage rock into the realm of kitchen- sink realism, reflecting the awkwardness of teenage life. Orgasm Addict, which followed their debut Spiral Scratch EP, was a celebratory anthem about the joys of masturbation (contemporaries The Undertones made hay from the same topic slightly more subtly in their hit Teenage Kicks). Meanwhile, as Shelley settled into the role of main songwriter following Howard Devoto’s departure to for Magazine, songs like What Do I Get? and Ever Fallen In Love (With Someone You Shouldn’t’ve) showed a knack for music that recognised the tortured complexities of desire.
Focusing only on Buzzcocks misses a lot of what made Pete Shelley’s death such a loss though. Prior to the band’s formation, he had experimented with electronic music, the results of which eventually appeared as the album Sky Yen, and following his band’s dissolution in 1981, he combined his interest in synthesisers with his knack for sophisticated pop hooks, kicking off a brilliant if underappreciated synthpop solo career with the magnificent Homosapien.

Shelley was openly bisexual, and for a songwriter who typically sought out moments of frustrated desire and love gone wrong, Homosapien was on the face of it uncharacteristically direct in its celebration of gay sex. The complicating layer here lay in the way Shelley played with the British public’s perception at that time of homosexuality as something tawdry and shameful by depicting it in such joyous and romantic terms. Obviously the BBC fell over themselves to ban it and it was never a UK hit (it was a minor dance hit in America) but the subsequent success of openly gay synthpop acts like Bronski Beat and The Communards surely ows at least something to Shelley.
Pete Shelley may have been a master of the pop music form, but for those of us in the underground music scene, his legacy is just as important. The Spiral Scratch EP was the template for the whole DIY indie explosion that followed and as an example for musicians to follow was in many ways a more radical move than anything Buzzcocks’ more flashily political contemporaries managed. Like the poet Percy Bysshe Shelley, from whom he took his name, Pete Shelley was a radical and a romantic, and his influence runs deep.

Kankyō Ongaku - ele-king

 相変わらず再評価が活発ですね。なかでもこれは決定打になりそうな予感がひしひし。シアトルのレーベル〈Light In The Attic〉が、日本産アンビエントをテーマとしたコンピレイション『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』をリリースします。編纂者は、昨今のニューエイジ・リヴァイヴァルとジャポネズリに火を点けたヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーラン。彼は昨年、自身のレーベル〈Empire Of Signs〉から吉村弘の代表作『Music For Nine Post Cards』をリイシューしていますが(『表徴の帝国』をレーベル名にした真意を尋ねたい)、今回のコンピにはその吉村をはじめ、久石譲や土取利行、清水靖晃、イノヤマランド、YMO、細野晴臣、さらにLP盤には高橋鮎生、坂本龍一と、錚々たる面子が居並んでおります。これを聴けば、いまあらためて日本の音楽が評価されているのはいったいどういう観点からなのか、その糸口がつかめるかもしれません(ドーランによるエッセイを含む詳細なライナーノーツも付属とのこと)。発売は来年2月15日。

Various Artists
Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990

Light In The Attic
LITA 167
3LP / 2CD / Digital
Available February 15

https://lightintheattic.net/releases/4088-kankyo-ongaku-japanese-ambient-environmental-new-age-music-1980-1990

[Tracklist]

01. Satoshi Ashikawa / Still Space
02. Yoshio Ojima / Glass Chattering
03. Hideki Matsutake / Nemureru Yoru (Karaoke Version)
04. Joe Hisaishi / Islander
05. Yoshiaki Ochi / Ear Dreamin'
06. Masashi Kitamura + Phonogenix / Variation III
07. Interior / Park
08. Yoichiro Yoshikawa / Nube
09. Yoshio Suzuki / Meet Me In The Sheep Meadow
10. Toshi Tsuchitori / Ishiura (abridged)
11. Shiho Yabuki / Tomoshibi (abridged)
12. Toshifumi Hinata / Chaconne
13. Yasuaki Shimizu / Seiko 3
14. Inoyama Land / Apple Star
15. Hiroshi Yoshimura / Blink
16. Fumio Miyashita / See The Light (abridged)
17. Akira Ito / Praying For Mother / Earth Part 1
18. Jun Fukamachi / Breathing New Life
19. Takashi Toyoda / Snow
20. Yellow Magic Orchestra / Loom
21. Takashi Kokubo / A Dream Sails Out To Sea - Scene 3
22. Masahiro Sugaya / Umi No Sunatsubu
23. Haruomi Hosono / Original BGM
24. Ayuo Takahashi / Nagareru (LP Only)
25. Ryuichi Sakamoto / Dolphins (LP Only)

Lotic - ele-king

 格差社会の是正を求める人たちがゲイ・パレードに襲いかかるかと思えば、エリオット・ロジャーを崇拝するインセル(非モテ=インセル・ウイズアウト・ヘイト)がバンで歩道の群衆に突っ込み、連続殺人鬼ブルース・マッカーサーの逮捕と、この数年、トロントで起きる事件がどうにも派手である。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『複製された男』の解釈を話し合っているうちに話がそれて、あの作品で巨大な蜘蛛が街をのし歩いていたようにトロントの道端にはヘロインを打った人びとがあちこちに転がってると話しくれたトロント大学のシャロン・ハヤシが今年も日本に来たので、「昨日、レストランで銃乱射があったよね」と言ったら「もう麻痺しちゃった」と言ってクククと笑っていたほどである。トロント市内では2017年に188件、今年に入ってからはすでに200件以上の銃撃事件が起きているという。
 トロントのシンガーソング・ライター、アーヨ・レイラーニのデビュー作がほとんどの曲でセーフ・スペースを探している内容だというのも、だから、それなりに自然なことなのだろう。「セーフ・スペース」というのはヘイトが存在しない場所という意味で、ある種の公共空間をセーフ・スペースとして捉えるには必要以上の言論統制が行われることもあり、大学で授業が成り立たないといった弊害も起きているらしく、そう簡単に肯定できる概念でもない。しかし、10年という歳月をかけた『ザ・ゴールデン・オクターヴ』は、クィアであり、ディアスポラとして生きる自分自身をストレートに反映させたものだそうで、個人のなかにある「交差性」という側面を浮かび上がらせることによって、ヘイトに対する自衛手段を構築し、外部に働きかける要素を持ちながらもそれなりの共感を呼んでいるらしい。歌詞は簡単な言葉で書かれているんだけれど、それだけにかえって訳すのは難しかったりしますけれど。

 湿度の高いスキャットにはじまり、コロンビア出身のカラフルな音楽性で知られるリド・ピミエンタと組んだ“Time Traveler”ではラロ・シフリンを思わせながらドラマ性を抑えたヒップ・ホップ・ビート、“Indigo”ではエリック・サティをキラキラとしたラウンジ・ミュージックのようにアレンジし、”Reprogram”では鬱々としながらどこかスウィートなディープ・ハウスを聞かせていく。わかりやすいジャンルに落とし込みたくなかったというのが10年もかかったひとつの要因のようで、エレクトロやジャズなど複数のジャンルを、しかし、どれもシンプルに組み合わせていく手腕はなかなかのもの(多くの曲はサン・サンことフランチェスカ・ノセラによる)。マーチをベースにした”Weight of the World”やサイケデリック・フォーク風の“Stars”など、よく聞くとブラック・ミュージック一辺倒でないところも「交差性」をうまく表していると言える。
 個人というものを単一のポリティクスで割り切ることはできないとした「交差性」という思想の提唱者、オードリー・ロードの考え方をウィッチ・プロフェットが意識して取り入れているのか、偶然にもそうなっているのかはわからないけれど、フェミニストや詩人として知られ、出身国であるアメリカのみならずアフロ・ジャーマンの市民運動まで先導してきた彼女の思想を意識的に取り入れていたロティックもようやくデビュー・アルバムをリリースした。

 久々にインスタグラムを覗いたら、いつのまにか外見もバリバリにクィア化していたロティック(テキサス→ベルリン)も〈トライ・アングル〉からの「ヘテロセトラ(Heterocetera)」はやはりオードリー・ロードの小説からタイトルをつけたものであった。あれから3年、アルカとオウテカを掛け合わせたような「ヘテロセトラ」と、同じ年にリリースされたコンピレーション『アジテーションズ(Agitations)』はいずれも緊張感みなぎり、ベース・ミュージックが起源とは思えないインダストリアル・サウンドの新手で、これを『パワー』と題されたデビュー・アルバムではさらに艶やかで色めき立つようなグラム・スタイルへと発展させている。そう、グラマラスでセクシー、囁くようなヴォーカルは妙にミステリアスで、オブセッシヴなまでに幻想的なアプローチはある種のサイコスリラーを思わせる一大ページェントに等しいものがある。OPNの影響なのか、モダン・クラシカルとトライバル・ドラムを組み合わせた“ Distribution Of Care”やエイフェックス・ツインをグリッチ化させたような“Resilience”と手法も多岐にわたり、〈ノン〉からアルゼンチンのモーロ(Moro)を招いた“Heart”ではタンゴとドラムンベースを混ぜようとしているのか、にわかには何をしようとしているのか判然としない実験作が続く。新機軸とその着地点がかなり見事にデザインされていて、そのような創造性が最後までキープされていれば、かなりの名作になったのではないかと思うけれど、中盤まではほんとうに凄いものがある。最後まで聴いて、また冒頭に戻る瞬間が実にワクワクしてしまうというか。
 「本物の女性のように振る舞い、彼らに吐き気を催させる」とロティックは歌う。「LGBTの度が過ぎる」のであるw。ロティック本人はウィッチ・プロフェットとは対照的に自分のサウンド・スタイルがそれ自体でクラブ・カルチャーにおけるホモフォービアや人種差別、あるいは女性嫌悪に対するプロテストなのだと話し、個人的な満足のためにやっているのではないと過去には語っていた。「フリークスたちにとってセーフ・スペースであるべきクラブがそうではない」と。それこそインセルがテロの標的として定めるようなものになってはいけないということだろう。『パワー』というアルバム・タイトルは最初「権力」を意味しているのかなとも思ったけれど、もっと普遍的な意味での「力」を意味するのではないかとも思うようになった。ビヨークの「NotGet」をリミックスした次の年にはホームレスになったという青年が考え込んだテーマ、それが「パワー」だったのかなと。

Our Favorite LGBTQ+ Songs - ele-king

 セイント・ヴィンセントの新しいミュージック・ヴィデオが最高である。昨年のアルバム収録曲“Slow Disco”のディスコ・ヴァージョン、その名も“Fast Slow Disco”に合わせて用意されたもので、ベア/レザー系のゲイ・クラブが舞台になっているのだが、裸の胸と尻をさらけ出したゲイたちの群れのなか、汗まみれのアニー・クラークが歌うというものだ(彼女はバイセクシュアルをカミングアウトしている)。派手なバッキング・ヴォーカルを入れたベタベタなゲイ・ディスコ・サウンドもかえって効果的だ。そこでわたしたちはHIV/エイズ以降の現在にあってなお、70年代のフリー・セックスの祝祭を再訪する。ディスコ・シーンが生み出した性の解放を、そこではダンス・ミュージックが大音量で鳴らされていたことを……。

 こうしたヴィデオが発表されるのは、世界的に6月は「プライド月間」であるからだ。49年前の1969年、6月28日に起きた〈ストーンウォールの反乱〉から半世紀が経とうとしているが、今年の6月も世界各地でLGBTQ+の権利やジェンダーの平等を掲げるプライド・パレードが開催された。はためくたくさんのレインボー・フラッグ。今年のNYプライドの写真をいくつか見ていると、かつての女子テニス界の女王であり現在のLGBTQ+運動のシンボルのひとりであるビリー・ジーン・キングが、現在の銃規制運動のアイコンでありバイセクシュアルをカミングアウトしている坊主頭の高校生エマ・ゴンザレスと並んで笑顔を見せているものに引きこまれた。歴史の積み重ねにより、世代を超えた共闘が清々しく実現されているからだ。
 そして音楽を愛するわたしたちは、その歴史のなかでたくさんの歌たちがあったことを知っている。70年代のディスコ、80年代のハウスやシンセ・ポップ、90年代のライオット・ガール、そして21世紀のじつに多種多様な音楽が、セクシュアル・マイノリティの自由を鳴らし、切り拓いてきた。音楽だからこそ感じられるジェンダーとセクシュアリティの多様性がそこにはある。もしあなたが「プライド」の意味を知りたければ、トム・ロビンソン・バンドの“Glad to Be Gay”を聴くといいだろう。アイデンティティ・ポリティクスにおけるもっとも重要な命題が、そこでは端的に提示されているからだ。
 あるいはまた、音楽は音楽であるがゆえに、「プライド」だけでは掬い取れないセクシュアル・マイノリティの感情や実存にも入りこんでいく。「イエスはホモ野郎が嫌いなんだよ」と父親に切々と説かれる様を描いたジョン・グラントの“Jesus Hate Faggots”、マフィアに性奴隷のような扱いを受けて非業の死を遂げたゲイ・ポルノ俳優の内面に入りこむディアハンターの“Helicopter”の凄み。アノーニの声はそれ自体の響きでもってジェンダー規範をゆうに超越してしまうし、自らを「ミュータント」と呼んだアルカは歌詞に頼らず電子音でクィアの官能を鳴らしてみせた。

 この企画を思いついたのは、まずは単純にプライド・マンスに便乗しようと思ったからなのだけれど、もうひとつ、ピッチフォークが先日発表した「過去50年のLGBTQ+プライドを定義する50曲」のリストがなかなかに興味深かったというのもある。こうしたリストを作るとき、たとえば自分ならついつい当事者性にこだわってしまうのだが、ピッチフォークのリストはミュージシャンの当事者/非当事者の線引きに関係なく……いや、SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity の略。性的指向と性自認を示す)の区分に関係なくアイコニックな50曲を選出している。作り手がヘテロであってもゲイであっても、トランスであってもシスであっても、ゲイ/トランス/クィア・ソングは歌えるし、それに合わせて踊れると、こういうわけである。
 いまや大人気バンドであるザ・エックスエックスはシンガーふたりがゲイで、同性愛に限らないジェンダーレスなラヴ・ソングを歌っているが、こうした態度は非常に現代的だと感じる。最近ではジェンダーが流動的であるという「ジェンダー・フルイド(gender fluid)」や対象のジェンダーに関係なく性的願望を抱く「パンセクシュアル(全性愛)」なども認知され始めており、当事者/非当事者の線引きがますます難しくなっている。それはおそらく良い兆候で、更新されていく価値観に合わせて、音楽やそれにまつわる言説も柔軟に変化しているということなのだろう。

 そんなわけで、今回はSOGIの区分にこだわらず、ライター陣に自由な発想で私的に偏愛するゲイ/トランス/クィア・ソングを選んでもらった。正史にこだわったものではないが、そのぶん、じつに多彩なサウンド、多様な性のあり方が集ったと思う。楽しんでいただけたら幸いだ。
 「わたしの・俺の魂の一曲がないじゃないか」という方は、ぜひわたしたちにもあなたのお気に入りを教えてください。Happy Pride! (木津毅)

※性的少数者の総称として、この記事ではLGBTQ+というタームを使っています。僕はフラットな意味で「セクシュアル・マイノリティ」と書くことが多いのですが、とくに欧米だと「マイノリティ」というと人種のことを先に連想しやすいということもあるそうで、現在ではLGBTQ+が適切な表現として採用されることが多いようです。


My Favorite (21st century ver.) 
選:木津 毅

Kylie Minogue - Come into My World (2001)
Pet Shop Boys - The Night I Fell in Love (2002)
The Soft Pink Truth - Gender Studies (2003)
Rufus Wainwright - Gay Messiah (2004)
Antony and the Johnsons - For Today I Am a Boy (2005)
Matmos - Semen Song for James Bidgood (2006)
John Maus - Rights for Gays (2007)
Hercules and Love Affair - Blind (2008)
The XX - VCR (2009)
Deerhunter – Helicopter  (2010)
St. Vincent - Cruel (2011)
Frank Ocean - Forrest Gump (2012)
John Grant - Glacier feat. Sinéad O'Connor (2013)
Perfume Genius - Queen (2014)
Arca - Faggot (2015)
坂本慎太郎 - ディスコって (2016)
Syd - Bad Dream/No Looking Back (2017)
Serpentwithfeet - Bless Ur Heart (2018)

野田努

Tom Robinson Band - Glad To Be Gay (1978) 

「この歌を世界保健機構に捧げる。国際疾病分類における302.0の病気に関する、これは医学の歌だ」、そうトム・ロビンソンは話してからこの曲をはじめる。この当時、ホモセクシャルは性的/精神的な病気に分類されていたのだ。この曲の歌い出しはこうだ。「イギリスの警察は世界で最高だね。信じられない話だけど、奴らはずけずけとオレらのパブに入って、いっぽうてきに客を壁に一列に並ばせるんだ……君がゲイに生まれて嬉しいなら、一緒に歌ってくれ/君がゲイに生まれて嬉しいなら、一緒に歌ってくれ」

ジャジーなパブロック調の魅力的な曲だ。この曲を聴いたのは高校生になったばかり頃だった。そして、曲の真の意味を知るのはもっとずっと後になってからのことだったが、パンクに触発されたこの勇気あるメッセージを真に受けた連中がいたからこそ、それもひとつの力となって、いまこうして世界は変わったんだと思う。

小川充

Lou Reed - Coney Island Baby  (1975)

“Walk On The Wild Side”はじめ、同性愛、トランスジェンダー、セックス、ドラッグ、生と死といった題材が多いルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドの作品。それらの多くは荒々しくギラギラした演奏だったり、またはクールでソリッドなロック・ナンバーだったりするのだが、そうしたなかにあって1975年という彼の転換期にあったアルバム『コニー・アイランド・ベイビー』のタイトル曲は、内省的でアコースティックなイメージのバラード調の作品。少年時代に自身がゲイであることに気づき、そのために父親から虐待されていたというルー・リード。そんな彼の救いはフットボールで、高校時代に教えてもらったコーチを慕い、「彼のためにフットボールがしたかった」と歌う。「都会はサーカスや下水道みたいで、いろいろな嗜好をもった人が集まる」とも。それまでのルーにあったワイルドでキャンプなイメージとは違い、肩の力が抜けて枯れたムードに始まり、エンディングへ向けて次第に熱くなっていく展開で、極めてナチュラルに自身の心情やニューヨークで生きることについて歌っている。私が音楽を通じてLGBTQについて知るようになったのは、デヴィッド・ボウイやルー・リードの作品を聴いてからだが、そうしたなかでルーのこの曲はもっとも好きな曲のひとつ。性別やLGBTQであるか否かを超えて、ルーの裸の歌は切々と響いてくる。

行松陽介

忌野清志郎+坂本龍一 - い・け・な・いルージュマジック (1982)

まだジェンダーという言葉も知らない子供の頃にこの曲のPVを見て、少なからず衝撃を受けました。ACT UPの活動や様々なジェンダーに関する問題などについて知ることになるのは、それから随分と後になってからでした。

沢井陽子

St. Vincent - New York (2017)

この曲は、聴けば聴くほどいろんなシナリオが浮かんでくる。「“New York isn't New York without you love,” ニューヨークは、あなたなしではニューヨークでない」の歌詞は、カーラ・デルヴィーニュやクリステン・スチュワートなどの、彼女の恋人との別れを歌っていると言われたが、ヒーローをなくし友だちをなくし、たくさんの人が去ったけど、自分はまたここで全部をひとりでやり直す、という彼女のハートブレイク感と、ニューヨークへの強い愛が描かれている。自分の知らない誰かのために涙を流し、数ブロックの中で起こるドラマは、ニューヨーク的で、LGBTQだけでなく、ニューヨーカー、誰に置き換えても当てはまる普遍性を持っている。そんな弱さを見せる彼女も素敵。

鈴木孝弥 (ライター・翻訳家)

Freddie McGregor feat. Marcia Griffiths - United We Stand (2005)

レゲエ愛好家だからアンチ同性愛者だと思われるのははなはだ迷惑だし、あなたがそう結びつけるとしたら、そのあまりに短絡的な見方を猛省してほしい。たしかに過去何名かの急進派レゲエ・アーティストが過激な反同性愛ソングを発表し世界規模のスキャンダルとなった。とりわけ欧米では人権活動家がそんな曲を看過しないから、当該歌手の来訪コンサートは中止に追い込まれ、当局が興行ヴィザを発給しないという判断にまで至った。そうした“アンチ・ゲイ・チューン”の根拠に“男色法”や“聖書の記述”(本当に全知全能の神があんなことをたびたびのたまったのだとしたら、だが)があるとしても、それらは人が自由に生きる権利に先立つものではない、という判断を断固支持する。この曲をデュエット・カヴァーしている2人の思いもきっとそうだろう。イソップ起源とされる団結のためのモットーの古典〈United we stand, divided we fall(団結すればひるまず、分裂すれば倒れる)〉をモティーフとし、どんな困難があろうと、愛し合う私たちが一緒なら大丈夫と歌う、英ブラザーフッド・オブ・マン70年の大ヒット曲だ。これまでとくに性的マイノリティの人権運動において熱烈に愛唱されてきたこの曲を、レゲエ界を代表するこのヴェテラン歌手2人が組んで2度も録音していることはもっと知られるべきだ。

Lisa Stansfield - So Be It (2014)

このミュージック・ヴィデオは、自然をあるがまま見せる。何故、こんな風にわざわざ映像で自然を確認する価値があるかというと、それが美しいからであり、そして我々が往々にしてその美しさを見失いがちだからだ。

Lisa Stansfield - Never Ever (2018)

彼女がLGBTQ界隈からも大きな支持を得てきたことは、この最新曲を聴いても合点が行く。普遍の愛を描くシンプルな言葉。琴線に触れ、活力となり、背中を押してくれる。世の雑音にあたふたする自分を後ろに捨て去れる気がする。

柴崎祐二

Bola de Nieve - Adios felicidad(1963)

革命期におけるキューバ音楽の変遷は、ジャズなどをはじめとした米国ポピュラー音楽の流入・融合の流れと、それを排除しようとする共産勢力との拮抗の歴史だった。数年前日本でにわかに再発見された「フィーリン」も、当初革命政府から「帝国主義的音楽」と目されていたのをご存知だろうか。発端となった曲が「アディオス・フェリシダ(幸せよ、さようなら)」で、同曲が当局から批判されたことで、カストロをも巻き込んだ論争に発展していったのだった。ナット・キング・コールなどの米ジャズ・ボーカル音楽に影響を受けた甘く気怠い洗練が、退廃的かつ反動的な音楽だと指弾されたという。

この曲、日本ではブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブでもおなじみのオマーラ・ポルトゥオンド版が知られているかもしれないが、当時上記のような論争を引き起こすきかっけとなったのは男性シンガー、ボラ・デ・ニエベによる版だったという。ピアノ弾き語りのスタイルで数々の名唱を残した彼こそは、革命体制下のキューバ音楽史上では極めて珍しいゲイ・アーティストであった(そのころアカデミック〜文化界において同性愛は厳しい弾圧の対象にされたが、彼はそれを奇しくも免れた)。

削ぎ落とされた歌詞と、過ぎ去りし日々に哀切を捧げるような歌い口、歌詞、全てが美しい。深読みが過ぎるかもしれないが、上記のような経緯を知った上で聴くと、どうしても表現や性の自由を暗喩的にかつ静かに称揚する音楽であると思えてならない。

ちなみに同曲の作者のエラ・オファリルは、一連の論争ののちに今度は「同性愛者の嫌疑」で勾留され、拷問まがいの取り調べを受けることになり、ついには国外へと逃れているのだった。

岩沢蘭

Tin Man - Constant Confusion (Tama Sumo mix version) (2009)

2009年に〈KOMPAKT〉から出たタマ・スモ『Panorama Bar 02』のミックスの一曲目。パラノマ・バーに飾られているというヴォルフガング・ティルマンスの写真をいつか見に行きたい。

Bronwen Lewis - Bread and Roses (2014)

映画『Pride』(邦題『パレードへようこそ』)の挿入歌。ジェームズ・オッペンハイムの詩をもとに作られた100年以上前のこの歌は、ユニオンソングとして有名な曲だ。クィア・ソングとしての趣旨は外れてしまうかもしれない。ただ映画のなかで歌われていたこの曲がよかったことと、次回日本のパレードでこの歌を聴きたいと思い選曲しました。
以下映画の字幕から引用です。

ささやかな技と愛と美を
不屈の精神は知っている
私たちはパンのために闘う
そしてバラのためにも

小林拓音

がつんと正面から「LGBTQ+」というテーマに向き合っているものというよりも、まずはサウンドありきで、ふだん好きでよく聴いていたり動向を追っかけたりしているミュージシャンの作品のなかから、どうにも気になってしかたのないものやその文脈とリンクしていそうなものをいくつか。

Oneohtrix Point Never - Returnal (Antony's Vocal Version)  (2010)
https://soundcloud.com/oneohtrix-point-never/returnal-antonys-vocal-version

当初歌詞の内容はまったく気にせず聴いていたけれど、紙エレ最新号で坂本麻里子さんが訳しているのを読んだらなぜか頭から離れなくなった。「君が去ったことはなかった/君はずっとここにいたんだ」。

Kingdom - Stalker Ha (2011)
https://www.youtube.com/watch?v=XpXjaCIFFg4

最近ではシドとのコラボが話題の〈フェイド・トゥ・マインド〉のボスによる、比較的初期の曲。MAWをサンプリング。

Mykki Blanco - Join My Militia (2012)
https://www.youtube.com/watch?v=WC-QH74zha8

「あんたの場所がどこにあるのか忘れるな」。ラップもトラックもとにかく強烈。プロデューサーはアルカ。

Grizzly Bear / Gun-Shy (Lindstrøm Remix)  (2013)
https://soundcloud.com/grizzlybearband/grizzly-bear-gun-shy-lindstrom

アゲアゲである。原曲の情緒はいったいどこへやら。毎年クリスマス・イヴにイルミネイションを眺めながら聴いている。

Owen Pallett - Infernal Fantasy (2014)
https://www.youtube.com/watch?v=4VMpu-03zuM

「べつの時代を待つ」「べつの人生を待つ」というイーノの声が耳に残り続ける。「地獄のファンタジー」とはいったい。

Le1f – Koi (2015)
https://www.youtube.com/watch?v=aUBzGKpHGAY

恋かと思ったら鯉だった。興味深いことにプロデューサーのソフィーは同年、安室奈美恵と初音ミクのデュエットも手がけている。

Yves Tumor - Serpent I (2016)
https://yves-tumor.bandcamp.com/track/serpent-i

ひとつのアイデンティティに固定されたくないからだろうか、さまざまなエイリアスを用いていろんなスタイルを試みる彼のなかでも、とりわけわけのわからないトラック。

Fatima Al Qadiri – Shaneera (2017)
https://fatimaalqadiri.bandcamp.com/track/shaneera-feat-bobo-secret-and-lama3an

「シャニーラ」とは「邪悪な、ひどい」といった意味のアラビア語の、誤った英語読みだそう。彼女の出身地であるクウェイトではクィアのスラングとして用いられているのだとか。リリックは出会い系アプリ Grindr のチャットから。

三田格

Gizzle - Oh Na Na (2017)

去年、ヒップホップで一番好きだった曲。何度か聴いているうちにクィア・ラップだということに気がついた。LGTBQだから好きというわけではなく、好きになった曲がLGTBQだったというだけ。そんな曲はたくさんあります。

大久保潤

Limp Wrist - I Love Hardcore Boys, I Love Boys Hardcore (2001)

Limp Wristはフィラデルフィアのクィア・ハードコア・バンドである。90年代に活躍したシカゴのラティーノ・ハードコア・バンド、Los Crudosのヴォーカリストであるマーティンを中心に結成された。
なんだかんだでヘテロの白人男性中心のUSハードコア界にあって、Crudosはシーンにおけるヒスパニック系を中心としたマイノリティの置かれた状況などについて、ほぼ全曲スペイン語で歌ってきた。
そんなマーティンの次なるプロジェクトとしてスタートしたLimp Wristは音楽的にはCrudosの延長上にある1分前後のファストでシンプルなパンク・ロックだが、歌詞は基本的にゲイ・コミュニティに言及したもの。
2015年、アメリカ最高裁で同性婚を認める判決を出たタイミングでLos Crudosが来日、場内が「マーティンおめでとう!」というムードがいっぱいだったのが忘れられないのでこの曲を選んでみました。

田亀源五郎  (ゲイ・エロティック・アーティスト)

Man 2 Man - Male Stripper (1986)

レザーパンツを履いた青年のヌードという、ゲイゲイしいジャケットに惹かれて12インチシングルを手にとったら、裏ジャケに載ってたアーティスト写真もハードゲイ(和製英語だけど)風だったので即購入。目に付いたゲイっぽいものは、とりあえず買っておくという年頃だった。当時の自分の好みからすると明るすぎ&軽すぎではあったのだが、音の好み云々よりも、映画『クルージング』に出てきたようなレザーマンが集まるゲイディスコ(行ったことがない憧れの地だった)では、こういう曲がかかっているのだろうかと想像してドキドキしていた。そして後に20年くらい経ってから、この曲のプロデューサーが、次のMan Parrishだったと知ってビックリ。

Man Parrish - Heatstroke (1983)

80年代に海賊版VHSで観た、自分が大好きだったゲイポルノ映画に、Joe Gage監督の『Heatstroke』(1982)という作品があった。主演のRichard Lockeが大好きだったというのもあるのだが、ホモエロスを濃厚に描き出すGage監督の映像表現にも大いに惹かれ、ぶっちゃけ自分のマンガにも影響を与えている。そしてこの『Heatstroke』には、ゲイポルノ映画としては珍しくオリジナルの主題歌まであり、しかもそれがなかなかカッコ良かった。その主題歌を手掛けていたのがMan Parrishで、後により凝ったアレンジになってオーバーグラウンドでリリースされた。私が音源をゲットできたのはCD時代になってからだが、ハードコア・ゲイポルノ映画の主題歌がCDで入手できるなんて、この曲くらいのものじゃないだろうか。インターネット時代になってから本人のブログを見つけ、キャリアの初期にアダルトフィルムの音楽を手掛けていたことや、Joe Gage監督と未だにコンタクトがあることなどが明記されていたのも、なんかとても嬉しかった。

Jamie Principle - Sexuality (1992)

ハウスに興味を持ち始めたころに、何かのレビュー(『ミュージック・マガジン』だったかな。当時買っていた音楽雑誌はそれくらいだったし)でアルバム『The Midnite Hour』を知って購入。その中で私が特にこの曲を推したいのは、曲として好きだというのもさることながら、多分これは自分がsexualityという言葉と出会った最初期のケースだったから。少し経ってから、この言葉は日本のメディアでも見られるようになったけれど、当時の日本語表記はもっぱら《セクシャリティ》だった。でも私はこの曲で、「いや《セクシュアリティ》だろう、はっきりそう歌っているし」と思っていたので、自分の文章ではずっとその表記にこだわっていた。昨今ではこの表記の方が優勢になってきた感があり何より。

大久保祐子

Rostam / Half-Light (2017)

イラン移民の親を持つアメリカ人で、ゲイをカミングアウトしている元ヴァンパイア・ウィークエンドのロスタム。
昨年発表したアルバムの表題曲にもなった“Half-Light”という言葉には夜明けと日暮れというふたつの意味があるらしいとの話を知ってから改めてこの曲を聴くと、「Baby, all the lights came up what are you gonna do ?」と繰り返されるフレーズが美しい曲をより輝かせているように感じる。アルバムには「他の男の子たちとは違う男の子」と同性愛について歌っている曲もあるのだけれど、ぼんやりしていて曖昧で影を持った言葉のほうに強く想像を掻き立てられる。
あかりが消えるように終わりかけた最後にウェットのケリー・ズトラウの歌声が現れ、視点が変わるところがまたいい。

Cardi B - ele-king

 リタ・オラの新曲、“ガールズ”が炎上している。女性、そしてLGBTQ+の人々をエンパワーするはずの曲が、強烈なバックラッシュに遭っている。ゲイやバイセクシュアルのコミュニティから批判の的となっているのは、主に「時々、女の子たちにキスしたくなる/赤ワイン、女の子たちに口づけしたい」というコーラスの歌詞で、要は「私たちのセクシュアリティは“一時的な”感情ではないし、ましてや“酔っ払ったときの”気の迷いなんかではない」というわけだ。

 オラ本人は謝罪文をツイッターに投稿した。いわく、「女性とも男性とも恋愛関係にあったことは事実であり、それを表現することで同様の立場の人々をエンパワーしたかった」。その後、彼女は「(バイセクシュアルであることをにおわせるハリー・スタイルズの“Medicine”が賞賛され、オラの曲がリンチされるのは間違っていると主張するコラムを書いた)ユスフ・タマナ、ありがとう!」と書いたポストが批判され、それを消すなど、事態は複雑な様相を見せている。当事者性やメイル・ゲイズ――レズビアン表現を性的に消費するヘテロ男性の問題などが絡み合っており、一言では説明がつかないイシューだろう。

 同曲に客演し、「あなたの口紅にだってなれる、一夜だけなら」というリリックで火に油を注いだ格好になっているのがカーディ・Bで、彼女も同様に謝罪文を投稿している。カーディは、「これまでに多くの女性と経験がある」と弁解しているが、そのロマンスがゲイやレズビアンたち固有のセクシュアリティの切実さに見合うものであったかどうかは、誰にもわからない。この一件は、むしろシスジェンダー/ヘテロセクシュアルとLGBTQ+の人々との断絶を強調してしまったのではないか。繊細なイシューを単純化し、グラデーションや複雑さを縮減してしまうこと、あるいは差異を認めることなく「私も同じだ」と同質性を主張してしまうことに、当事者たちは殊の外敏感である。誠実さをもってそこを乗り越え、何ができるのだろうか。そこまで議論を進めなければ、“ガールズ”の一件からは何も得られない。

 渦中にあるカーディ・BがLGBTQ+のコミュニティと連帯できるかどうかはわからない。しかし、恋人からの被DV経験があり、臀部の整形手術をし、ストリップ・クラブという性風俗産業に身を置いていたカーディは、すくなくともフェミニストたちとは連帯できるだろう。彼女は言う。「私はなんだってできる――男ができることだったらなんだって」。出世曲となった“ボダック・イエロー”のコーラスはこうだ。「私がボス、あんたはただの労働者」。カーディは度々ビヨンセの名前をラップしているが、彼女は力強いリーダーであるビヨンセとも、優等生のジャネール・モネイとも異なる立ち位置でスピットしている――それは、「バッド・ビッチ」だ。あくまでもダーティなバッド・ビッチたるカーディは、男が女を消費するように、男を消費してみせる。「彼、ハンサムだよね/名前は?/バッド・ビッチは男をナーヴァスにする」(“アイ・ライク・イット”)。彼女の手にかかれば、男女関係を反転させることなど他愛ないことだ。

 ピッチフォークは、カーディ・Bのデビュー・アルバム、『インヴェイジョン・オブ・プライヴァシー(プライヴァシーの侵害)』のレヴューで、彼女を「新しいアメリカン・ドリーム」だと褒め称えている。ソーシャル・メディアやリアリティ・TVを通じて成功を手にしたカーディは、ソーシャル・ネットワークの荒野で油田を掘り当てたのだ。ゼア・ウィル・ビー・ブラッド。カーディは、まさしく現代のアメリカン・ドリームだろう。元ブラッズの一員で、「血まみれの靴(クリスチャン・ルブタン)」を履いた足で男たちを踏みつけるこの力強いビッチは、しかし、繊細な一面も見せる。ケラーニをフィーチャーした“リング”ではこうだ。「私が先に電話したほうがいい?/決められない/電話したいけど/ビッチにもプライドはある」。フィアンセであり、二人の間に授かった子の妊娠も発表したミーゴスのオフセットの浮気を糾弾するラインも、一つや二つではない。「私には気をつけたほうがいい/何をやっているのかわかっているの?/誰の感情を逆なでしているのか、わかっているの?」(“ビー・ケアフル”)。穏やかではない。

 ジャスティン・ビーバーの『パーパス』やカミラ・カベロの『カミラ』と並ぶような、実に現代的なポップ・アルバムである本作には、親しみやすいメロディがあり、自身のルーツを活かしたトレンディなラテン・ビートがあり、ダーティなトラップ・ビートがある。先のピッチフォークのレヴューにならうなら、「ポップ・ラップからトラップ、バラード、もったいぶったプロムナードまで」をも包括していると言えるだろう。それは、フーディニからグッチ・メインやフューチャーまで、さらにマライア・キャリーを経て、ケイティ・ペリーもテイラー・スウィフトも、カーディはお気に入りのクリスチャン・ルブタンの赤い靴底で踏みつけているということだ。ここには(自覚的か無自覚的か)フェミニズムがあり、リアリティ・TVとインスタグラムがあり、恋心とジェラシーがあり、アルコールとセックスがあり、ラップ・ミュージックの典型的な成功物語がある。なんとも心強いではないか。あくまでもダーティなバッド・ビッチとして、不遜なハスキー・ヴォイスをもってして、カーディ・Bはアメリカン・エンターテインメントの頂点に躍り出た。

BPM ビート・パー・ミニット - ele-king

記憶するということと/思い続けることは違います/たいていの人間は/時とともにすぐに忘れてしまう/それが一番/むずかしい事です 清水玲子『パピヨン』1994

 カンヌ国際映画祭には2010年に創設された「クィア・パルム」という独立賞があり、全上映作品の中からセクシュアル・マイノリティに関する要素を持つ作品が候補作として選定される。昨年この賞(カンヌではグランプリも獲ってるが)を受けたのが本作『BPM』で、3年前(2014年)のクィア・パルム受賞作は『パレードへようこそ(原題:Pride)』。

 LGSM(Lesbians and Gays Support the Miners)の軌跡を描いた『パレードへようこそ』の舞台は1984年の英国で、創設メンバーの一人であるゲイ・アクティヴィスト、マーク・アシュトンは1987年2月11日にエイズのため死去している。米国における、エイズ施策に消極的な政府や、感染当事者の要望に応えない製薬会社などに対する直接抗議行動団体「ACT UP」がニューヨークで始動したのが1987年の3月なので、彼はそのムーヴメントの萌芽を見ることなくこの世を去ったことになるが、さらに2年後の1989年には英国の対岸フランスで「Act Up-Paris」が活動を開始する。『BPM』が舞台に設定したのはその頃、90年代前半のパリである。

 実際にAct Up-Parisのメンバーでもあったロバン・カンピヨ監督はこの映画を、実在した過去の人物を役者に割り振ることをせず、あくまでフィクションとして再構成した。それは「フランスにおける90年代前半のエイズ・アクティヴィズム」といった言葉で記憶されるであろうムーヴメントの渦中にいた人々に、改めて顔と名前を与える作業とも言える。いかにあの時代の空気から乖離せずに描くか、という困難な作業をナウエル・ペレーズ・ビスカヤート(個人的に印象深いのはアルゼンチンからベルギーのパン屋のおっさんに身請けされる青年を演じたデヴィッド・ランバート監督の『Je suis à toi』)やアデル・エネル(『午後8時の訪問者』ほか。余談ながらパートナーは同性)を始めとした俳優陣が過不足なく体現することで成立させている。また監督が「出演者の大部分がオープンリー・ゲイだった」と語っていることからは、制作現場が現在と過去とがせめぎ合う空間であったことも窺える。

ゲイ社会にとってエイズはいまだに終わっていないのだ、と心に留めておくことが大切だ。僕の俳優たちはカクテル療法や併用療法の時代しか知らなかった。彼らは予防的治療の時代を生きている。にもかかわらず、未だに彼らはどこにでも存在する忌まわしい伝染病を抱えて生きなければならない。この映画の時代と現代では25年の歳月が経過しているのにね。 (監督インタヴューより)

 映画が始まって割とすぐ、Act Up-Parisの定例ミーティングに初めて来た若者に古参のメンバーが活動内容などを矢継ぎ早やに説明した後で実にさり気なく、こんな一言を付け足すシーンがある。「あ、あと君らの(HIV)検査結果がどうであれ、この活動に参加した時点で世間からはHIV感染者ってことにされるからね」。この実にあっけらかんと軽く、かつ絶望的なジャブを繰り出された観客は、かつて存在した空気の中に引きずり込まれる。

 早期に適切な治療にアクセスできれば、という条件付きではあるが現在、少なくとも先進国においてはHIVに感染しても生きるか死ぬか、というものではなくなった。が、90年代前半にはまさしく生きるか死ぬかの問題だったのであり、加えて感染者に近づくことすら避けられるような、無知に基づく恐怖が社会に充満していた時代である。当事者とその関係者以外(もちろん政治もである)のマジョリティーができるだけエイズについて考えないことで事態をやり過ごそうした果てに感染は拡がり、そしておびただしい数の人々が死んだ。マドンナが1989年に発表したアルバム『ライク・ア・プレイヤー』の日本盤ライナーには枠囲みで「AIDS(エイズ)に関する事実」というタイトルのコラムがあり、オリジナルのブックレットには見当たらないこのテキストが収録された経緯はよく判らないが、最後の一文はこうだ:「AIDSはパーティーではありません」。

 それから、だいたい四半世紀が経った。2018年現在、医療の進歩によってHIVウィルスの影響自体は効率的に抑えこむことが可能となっている(適切な服薬によりウィルスが検出されない状態を保つことができる)のに、いまだ感染者への差別――日本に限定すればお馴染みの「ケガレ」に近い忌避感、と言い換えてもいいだろうか――だけがスモッグのように残ってしまった状態である。感染しても取りあえず死なないらしい、という曖昧な雰囲気が関心を薄れさせている状況は、現実に向き合って判断していないという意味では「AIDSがパーティー」だった頃と似たようなものだ。

 この映画の仏語原題は『120 Battements par minute』である。音楽のテンポとしてならBPM 120は割と普通にあるけれども、安静時の心拍数としては早すぎる(走っている時にはこのくらい出るだろうが)。もしかすると本タイトルにおける「ビート(Battement)」はどちらとも取れるように「120」に設定されたのかもしれないが実際、この映画もビートとともに始まる。そして心拍としてのビートは、血液のイメージにも接続される。本来体内を循環するのが役割であるはずが、時に思いも寄らないところにまで運ばれ、また思いも寄らないものを運んでしまう血液のイメージが視覚的にも随所で使われ、なまじリアルな流血をこれでもかと繰り出すより効果的に作用している。

 登場人物がほぼ10~20代の若者たちで、かつアーバンな首都の生活者で、ある一時期ヒートアップしたムーヴメントを描いた映画であるのは間違いないので、この映画を観て受け取った感動をつい「駆け抜けた青春」などと形容しそうにもなるが、当時の渦中ただ中にあった人にとっての現実は、何も考えずに歩いていた道が実はランニングマシーンだった(止まったが最後、容赦なく地面に叩きつけられる)ことに気づいてしまったようなもので、ひたすらに追いかけてくる現在の中で自らの青春にうっとりしている余裕などなかったであろう。ハードコアな日常に否応なく放り込まれた彼らの顔は、だからどこか茫洋としている。

 『BPM』の中で彼らが束の間の陶酔を表情として見せるのは、観ていて息苦しくなるようなセックス・シーン(フェラチオする時にコンドームを付けたほうがいいのか大丈夫なのか、といったノイズがいちいち邪魔をする)ではなく、ほぼ深夜のクラブでのシーンに留められている。彼らが昼間の活動を終えた後でゆらゆらと漂うクラブで流れるサウンドはあくまで90年代風に作られた、ただしその音の硬さがあの頃の音とはどこか決定的に違う響きを持った新曲が大半を占めているが、そこからも制作者の「これはフィクションである」という明確な意志が伝わってくる。それはつまり、下手を打つと間違い探しによって内容がぼやけてしまう「事実に忠実な再現ドラマ」という枠組から自由になるために選ばれた語り方である。

 確かにエイズはパーティーではなかった。が、どうしようもなく熱を持っていた時期があった。やがてその「フィーヴァー」は去り、しかし終わったわけでもない25年後のいま、ノスタルジアを極力排した映画『BPM』が届けようとしているものは、かつてその熱が何を奪い、何を生んだのか? という人と社会の動きについてであり、そして一番にそれが届けられるべきなのは現在、この映画の中を生きた彼らと同年代の人々と言うことになるだろう。苦闘した先人たちを英雄的に描くことで若者に恩を着せるのが目的では無論なく、この先も人間社会は似て非なる愚行を幾度も繰り返すだろうし、幾ら歴史を学んでも過去が現在のシミュレーションではない以上、眼の前の事象にどう対処したらいいのかの判断は、その場に立ち会ってしまった未来の誰かがするしかないのだ。先に道を歩いてきた者は、さらにその先へと進もうとする誰かに「覚悟だけは決めておけ(幸運を祈る)」とだけ伝えて倒れていくほかに、できることはないからだ。


GEIST - ele-king

 昨年出た YPY 名義のアルバムも記憶に新しい日野浩志郎。バンド goat の牽引者でもある彼が2015年より続けている大所帯のオーケストラ・プロジェクトをさらに発展させた公演が、3月17日と18日、大阪の名村造船所 BLACK CHAMBER にて開催される。イベント名は《GEIST(ガイスト)》。マルチチャンネルを用いた音響により、空間全体を使って曲を体験できる公演となるそうだ。ローレル・ヘイロー最新作への参加も話題となったイーライ・ケスラー、カフカ鼾などでの活動で知られる山本達久らも出演。詳細はこちらから。

GEIST

Virginal Variations で電子音と生楽器の新たなあり方を提示した日野浩志郎(goat、YPY)の新プロジェクトは、自然音と人工音がいっそう響き合い光と音が呼応、多スピーカー採用により観客を未知なる音楽体験へと導く全身聴取ライヴ……字は“Geist

島根の実家は自然豊かな場所にあって、いまは、雨が降っている。その一粒一粒が地面を叩く音をそれぞれ聞き分けることはもちろんできないから、広がりのある「サー」という音を茫と聞く。やがて雨があがり陽が射すと、鳥や虫の声が聞こえてくる。家の前の、山に繋がる小さな道を登っていけば、キリキリキリ、コンコン、と虫の音がはっきりしてくる。好奇心をそそられ、ある葉叢に近づくと音のディテイルがより明瞭に分かる。さらに、たくさんのほかの虫の声や頭上の風巻き、鳥の声、葉擦れ衣擦れなどを耳で遊弋し、小さな音を愛でる自分の〈繊細な感覚〉に満足、俄然興が乗り吟行でもせんかな、いや、ふと我に返る。と、それまで別々に聞いていた音が渾然となって耳朶を打っていることに気づきなおしてぼう然する。小さな音が合わさって、急に山鳴りのように感じる。……。「〈繊細な感覚〉なんてずいぶんいい加減なものだ」と醒めて、ぬかるんだ山道で踵を返す。きっと、あの時すでに“Geist”に肩を叩かれていたのだ――。

【日時】
2018年 3月17日(土)
昼公演 開場:13:30 開演:14:00
夜公演 開場:19:00 開演:19:30

2018年 3月18日(日)
昼公演 開場:13:30 開演:14:00
夜公演 開場:19:00 開演:19:30

【会場】
クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地) BLACK CHAMBER
〒559-0011 大阪市住之江区北加賀屋4-1-55
大阪市営地下鉄四つ橋線 北加賀屋駅4番出口より徒歩10 分
https://www.namura.cc

【料金】
前売り2500円 当⽇3000円

【ウェブサイト】
https://www.hino-projects.com/geist

【作曲】
日野浩志郎

【出演者】
Eli Keszler
山本達久
川端稔 (*17日のみ出演)
中川裕貴
安藤暁彦
島田孝之
中尾眞佐子
石原只寛
亀井奈穂子
淸造理英子
横山祥子
大谷滉
荒木優光

【スタッフ】
舞台監督 大鹿展明
照明 筆谷亮也
美術 OLEO
音響 西川文章
プロデューサー 山崎なし
制作 吉岡友里

【助成】
おおさか創造千島財団

【予約方法】
お名前、メールアドレス、希望公演、人数を記載したメールを hino-projects@gmail.com まで送信ください。またはホームページ上のご予約フォームからも承っております。

【プロフィール】

日野浩志郎
1985年生まれ島根出身。カセットテープ・レーベル〈birdFriend〉主宰。弦楽器も打楽器としてみなし、複合的なリズムの探求を行う goat、bonanzas というバンドのコンポーザー兼プレイヤーとしての活動や、YPY 名義での実験的電子音楽のソロ活動を行う。ヨーロッパを中心に年に数度の海外ツアーを行っており、国内外から様々な作品をリリースをしている。近年では、クラシック楽器や電子音を融合させたハイブリッドな大編成プロジェクト「Virginal Variations」を開始。

Eli Keszler
Eli Keszler(イーライ・ケスラー)はニューヨークを拠点とするアーティスト/作曲家/パーカッション奏者。音楽作品のみならず、インスタレーションやビジュアルアート作品を手がける彼の多岐に渡る活動は、これまでに Lincoln Center や The Kitchen、MoMa PS1、Victoria & Albert Museum など主に欧米で発表され、注目を浴びてきた。〈Empty Editions〉や〈ESP Disk〉、〈PAN〉、そして自身のレーベル〈REL records〉からソロ作品をリリース。ニューイングランド音楽院を卒業し、オーケストラから依頼を受け楽曲を提供するなど作曲家としても高い評価を得る一方で、最近では Rashad Becker や Laurel Halo とのコラボレーションも記憶に新しく、奏者としても独自の色を放ち続けている。

山本達久
1982年10月25日生。2007年まで地元⼭⼝県防府市 bar 印度洋を拠点に、様々な音楽活動と並行して様々なイベントのオーガナイズをするなど精⼒的に活動し、基本となる音楽観、人生観などの礎を築く。現在では、ソロや即興演奏を軸に、Jim O'Rourke/石橋英子/須藤俊明との様々な活動をはじめ、カフカ鼾、石橋英子ともう死んだ⼈たち、坂田明と梵人譚、プラマイゼロ、オハナミ、NATSUMEN、石原洋withFRIENDS などのバンド活動多数。ex. 芸害。青葉市子、UA、カヒミ・カリィ、木村カエラ、柴田聡子、七尾旅人、長谷川健⼀、phew、前野健太、ヤマジカズヒデ、山本精⼀、Gofish など歌手の録音、ライヴ・サポート多数。演劇の生伴奏・音楽担当として、SWANNY、マームとジプシーなど、主に都内を中心に活動。2011 年、ロンドンのバービカン・センターにソロ・パフォーマンスとして招聘されるなど、海外公演、録音物も多数。


Event details - English -

Following “Virginal Variations”, a project which explored a new way of merging electronic and acoustic sounds, Koshiro Hino (from goat and YPY) presents his latest composition, titled “Geist”. Set in an immersive environment with interacting sounds and lightings, “Geist” invites audience to a new world of live music experience which people listen sounds with their whole body.

My home in Shimane is located in a nature-rich environment, and now, it’s raining outside. Needless to say, I cannot hear each of the raindrops hitting the ground, so I hear the rain’s “zaaaaa” sound that spreads in space. Soon after, the rains stopped and sunshine began to pour, and I started to hear the sounds of birds and insects. As I walk up the small path that connects from my home to the mountain, those insects’ buzzing and creaking sounds became more clear. As I get closer to the trees, the sound details became more distinct. With my ears, I observed closely a myriad of sounds from other insects, the wind blowing above, birds, rustling leaves and my own clothing. I enjoyed my ‘delicate sensibility’ that appreciates those little sounds, thinking, “Maybe I suddenly get excited and start composing a poem…” But soon later, I came back to myself. And suddenly, I got stunned, realizing that the sounds I heard separately now forms a harmonious whole and hits my ears. Those little sounds became one, and I hear it as if the mountain is rumbling... “The ‘delicate sensibility’ is so unreliable. “ I recalled myself and walked back the muddy path. — And by then, I now believe that I had already made my encounter with “Geist”.

[Date / Time]
Saturday, March 17, 2018
Day time performance Open: 13:30 Start: 14:00
Night time performance Open: 19:00 Start: 19:30

Sunday, March 18, 2018
Day time performance Open: 13:30 Start: 14:00
Night time performance Open: 19:00 Start: 19:30

[Venue]
Creative Center Osaka (Old Namura Ship Yard) BLACK CHAMBER
4-1-55, Kitakagaya, Suminoe Ward, Osaka City, Osaka 559-0011
https://www.namura.cc

[Price]
Advanced ¥2500 Door ¥3000

[Website]
https://www.hino-projects.com/geist

[Composed by]
Koshiro Hino

[Performers]
Eli Keszler
Tatsuhisa Yamamoto
Minoru Kawabata (*only on the 17th)
Yuuki Nakagawa
Akihiko Ando
Takayuki Shimada
Masako Nakao
Tadahiro Ishihara
Nahoko Kamei
Rieko Seizo
Shoko Yokoyama
Koh Otani
Masamitsu Araki

[Staff]
Stage direction - Nobuaki Oshika
Lighting design - Ryoya Fudetani
Stage art - OLEO
Sound engineering - Bunsho Nishikawa
Co-direction - Nashi Yamazaki
Production - Yuri Yoshioka

[Supported by]
Chishima Foundation for Creative Osaka

[Reservation]
To reserve your seat(s), please send an email to hino-projects@gmail.com with your name, your contact, number of people, and the performance date you wish to visit.

interview with TOKiMONSTA - ele-king


TOKiMONSTA
Lune Rouge

Young Art / PLANCHA

Hip HopElectronic

Amazon Tower HMV iTunes

 トキモンスタが帰ってきた。2年前に重大な脳の障害を患った彼女は、二度にわたる手術の影響により音楽はもちろんのこと、動くことも話すこともできない状況にあったのだという。リハビリを終えた彼女はすぐにこのアルバムの制作に取り掛かったそうで、そのような闘病体験が霊感を与えたのか、新作『Lune Rouge』はこれまでの彼女のサウンドとは異なる優美さを湛えている。LAのビート・シーンから登場し、〈Brainfeeder〉からのリリースで一気に重要なプロデューサーの地位へとのぼり詰めた彼女だが、このニュー・アルバムは、フライング・ロータスの影響下にあったかつてのビートとも、EDMに寄ったセカンド・アルバムとも異なるポップネスを獲得している。ビートはより躍動的に、メロディはより叙情的に、ヴォーカルはよりソウルフルになった。そしてそこに、あるときはひっそりと、またあるときは大胆に、韓国や中国のトラディショナルな要素が落とし込まれている。この『Lune Rouge』における新たな試みは、めでたく復帰を遂げたトキモンスタの今後の道程を照らす、輝かしい燈火となることだろう。そんな彼女のこれまでの歩みを振り返りながら、4年ぶりとなる新作についてメールで伺った。

私の目標は、これらの伝統的なサウンドを、フェティシズムやアジア文化のエキゾチックな感覚ではない方法でシェアすること。この問題にどうやってアプローチするかはとても気をつけているわ。

あなたは幼少よりピアノなどを習い、クラシック音楽を学んでいたそうですが、そこからヒップホップに興味を抱くようになったのはなぜなのでしょう?

トキモンスタ(以下、T):じつはもともとピアノは弾いていなくて、両親の影響でクラシック音楽を学んでいたの。つまりクラシックが私の音楽の最初の入り口。それから私が他の音楽に触れることができる年齢になったとき、次に好きになったのがヒップホップだったわ。

ヒップホップやエレクトロニック・ミュージックを制作する際に、クラシックの素養はどのような助けになっていますか? あるいは逆に、その素養が足枷になることもあるのでしょうか? たとえば、プレイヤーとしてのスキルが作曲の可能性を狭めてしまうことはあると思いますか?

T:私は自分の音楽にクラシックのポジティヴと感じる側面のみを取り入れ、好きではないところは取り入れない。たとえば、私はクラシック作品の物語性は好きだけど、ルールや制約は好きではないの。

あなたは2010年にファースト・アルバム『Midnight Menu』を発表し、翌2011年に〈Brainfeeder〉からEP「Creature Dreams」をリリースして脚光を浴びました。あなたの出自はLAのビート・シーンにあると思うのですが、いまでもLAのシーンに属しているという意識はお持ちでしょうか?

T:私はいつもビート・シーンの一部であると思ってる。私たちはみんなLAでスタートして、いつもルーツはそのサウンドにあると感じているけど、私たちはそこから旅立ち、皆それぞれ異なる個性を持つミュージシャンへと進化しているわ。

カマシ・ワシントンやルイス・コール、ミゲル・アトウッド・ファーガソンらに代表されるようなLAのジャズ・シーンとは交流がありますか? また、彼らのようなプレイヤーと楽曲制作をしてみたいと思いますか?

T:私は現代のLAのジャズ・シーンが大好きで、すべてのアーティストを深く尊敬しいるわ。

同じ年にあなたはディプロやスクリレックスとツアーを回っていますね。そして翌2013年にはEDMのレーベルからセカンド・アルバムとなる『Half Shadow』をリリースしています。ファースト・アルバムとは異なる作風へシフトしましたが、そのときはどのような心境の変化があったのでしょう? EDMに関心があったのですか?

T:ディプロやスクリレックスとツアーを回ったけど、私の音楽は何も変わってないわ。「EDM」は作っていないし、いまだにアグレッシヴなダンス・ミュージックを作ったことはない。でも一方で、私はそれをひとつの芸術形態として尊重し、とても楽しいものだと思っているわ。私は〈Ultra〉から作品を出したけど、〈Ultra〉は私が作る音楽を制作してほしがっていたわけではないし、レーベルのアーティストがすでに作ってきた多くのものと同じものを作りたくはないと思っていたの。『Half Shadow』はもしかしたら〈Brainfeeder〉や他のレーベルでリリースされていたかもしれないけど、私はただ、より大きなレーベルでビート・シーンのサウンドが受け入れられるかどうかを見たいと思ったのよ。

昨年デュラン・デュランをリミックスしていましたよね。それはどういう経緯で?

T:デュラン・デュランのリミックスは、彼らから依頼が来たの。まさか彼らが私の音楽に興味があるとは思ってなかったので、依頼が来たときはとても驚いたわ。私は彼らとツアーもしたの。ツアーはシック・フィーチャリング・ナイル・ロジャースも一緒だった。私のようなエレクトロニック・アーティストにとって非常にユニークで、信じられない体験だったわ。

今回のニュー・アルバムはファーストともセカンドとも異なる作品に仕上がっています。本作の制作を始めた直後、難病を患ったとお聞きしていますが、病中の体験は本作に影響を与えましたか?

T:私はもやもや病という脳の病を患い、それを手術しなければならなかった。手術の副作用により、話すことも、言語を理解することも、身体をうまく動かすこともできず、さらには音楽を理解することもできなくなってしまった。もう一度音楽を理解できるようになるかどうかわからなかったときはとても恐ろしかったけど、最終的にはすべてが回復し、正常に戻った。精神的な能力を取り戻すとすぐに、私はこのアルバムの制作に取りかかったわ。

『Lune Rouge』ではヴォーカルがフィーチャーされたトラックがアルバムの半数以上を占めていますが、自身の楽曲に歌やラップといった言葉を乗せることにはどのような意味がありますか? ご自身で作詞されている曲はあるのでしょうか?

T:このアルバムでヴォーカルが配された曲は、それが適切だと思ったの。私はヴォーカルを別のひとつの楽器としてとらえることが好きだから。私はアルバムの2曲めの“Rouge”を自分で作詞して歌っているわ。

本作は1曲め“Lune”から2曲め“Rouge”までの流れや、ピアノが耳に残る4曲め“I Wish I Could”など、メロディアスな印象を抱きました。そういったメロディの部分と、ヒップホップのビートとを共存させるうえでもっとも注意を払っていることはなんですか?

T:私はつねに自分の音楽に感情だけでなく躍動感が欲しいと思っている。メロディは感情を作り、打楽器とドラムは躍動感を作る。両者の間には良いバランスがあるから、私はいつもそれを見つけようと努力しているわ。

先行公開された8曲めの“Don't Call Me”では、マレーシアのYuna Zaraiをフィーチャーしています。彼女とはどういう経緯で一緒にやることになったのでしょう?

T:Yunaとはマネージャーを通じて会ったのだけど、私たちはもともと互いの作品の大ファンだったのね。彼女は素晴らしいアーティストであると同時に素晴らしい人物でもある。この曲は本当に理解のある人によって生み出されたから特別なの。

あなたは過去に何度かアンダーソン・パクと共作していますが、近年の彼の活躍についてどう思っていますか?

T:私はアンダーソンがスターになっていくのを見るたびにハッピーな気持ちになってエキサイトしてる。彼は弟のような存在だし、私はただ彼がもっともっと輝く様子を見ていたい。

ご自身のルーツのひとつである韓国では、近年ヒップホップやR&Bを中心に、インディ・ロックやダンス・ミュージックなど幅広いジャンルで質の高い音楽が生まれていますが、現在の韓国の音楽で注目しているものはありますか?

T:私はいつも、変化している韓国の音楽にいつも興味を持っているわ。いまのところは、ビートや電子音楽を作る現地のプロデューサーについて学んでいるところね。

6曲め“Bibimbap(ビビンバ)”で使われているのは伽倻琴(カヤグム、Gayageum、가야금)でしょうか?

T:うん、そうよ!

最終曲“Estrange”でも伝統的な弦楽器が用いられていますが、これはなんという楽器でしょう? また、このアルバムには他にも韓国の音楽の要素が含まれていますか?

T:“Estrange”で使っている楽器は中国の弦楽器なの。アルバム全体にほのかに韓国の要素を通底させているわ。特に目立つのは“Bibimbap”だけどね。

積極的にそういった音を取り入れるのは、ご自身のルーツを打ち出したいという思いが強いからなのでしょうか?

T:私は多くの文化の中から伝統音楽に触れるのが好きなの。自分が韓国人である以上、当然韓国のカルチャーから生まれた音楽にもっとも親しみがあるわ。多くの人びとはモダンな音楽や、もしくはたぶん「オールディーズ」のような音楽に焦点を当てがちだけど、何世紀にもわたって存在してきた伝統音楽にはとても豊富な音楽があるの。

そういった要素を打ち出すことで、アジアの文化を世界に広めることができるという側面もありますが、逆に偏見やオリエンタリズムを増大させてしまう可能性もありますよね。そのバランスについてはどうお考えでしょう?

T:私の目標は、これらの伝統的なサウンドを、フェティシズムやアジア文化のエキゾチックな感覚ではない方法でシェアすること。この問題にどうやってアプローチするかはとても気をつけているわ。

いま〈88rising〉が、インドネシアのリッチ・チガや中国のハイヤー・ブラザーズなど、アジアのヒップホップを精力的にプッシュしていますが、そういった動きについてどう見ていますか?

T:彼らがやっていることは大好きよ。私たちがステレオタイプなアジア人のギミックや誇張として見なされない限り、あらゆる音楽分野で世界的に評価されることは素晴らしいわ。

あなたはTwitterでときおりトランプやホワイトハウスについて発言しています。いまの合衆国の状況についてはどのようにお考えですか?

T:私は現政権に不満を持ち、彼らの選択、コメント、決定に失望している。でも、つねに希望を持っているし、未来を楽しみにしているわ。

あなたの音楽について、いまでも「女性」という枠で括って捉えようとする人もいるのではないかと察します。そのことにストレスを感じることはありますか?

T:たしかにそれは少し過剰な表現のように感じるわ。でもそれは二面性を持った問題ね。女性プロデューサーの稀少さを強調するために、人びとは、私のような「女性プロデューサー」によってこのトピック全体が転換されていることを理解する必要があると思うわ。それはいつか、これ以上議論する価値がないほど一般的になるでしょう。

文化的なものには、すでに根付いてしまった社会的な因襲や慣習を変える力が具わっていると思うのですが、あなたが曲を作るときに、そういったことを意識することはありますか? 音楽や言葉や映像、アートやファッションなど、文化が持つ力についてどのようにお考えですか?

T:アーティストとしての私にとって、創造する理由とは、私が創造する必要性を満たすことなの。動機を持ったり、(ポジティヴでもネガティヴでも)政治的な課題のために音楽を作ったことはないわ。 私の目には、芸術ははっきりしていて、とても純粋なマナーの中で存在することができるように見える。でも芸術はその周りに文化を創造し、文化は人類の他の側面(政治や社会的活動など)と相互作用する。そこで私たちは、アート(音楽、ヴィジュアル、書かれたもの、ファッション、すべてのもの)がどのように文化になり、社会に変化をもたらすのかを見ている。私は自分の創造性を伝えるために音楽を作っているけど、その音楽は独自の生命を持って、インパクトを生み出し、変化を促す能力を持っているわ。それはとてもパワフルだと思う。

interview with Ryohu - ele-king


Ryohu - Blur
LIQUOR&FOODS I.K / Less+ Project.

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 グループとしても、それぞれのソロとしても、快進撃を続けるKANDYTOWN。その中でも、まだKANDYTOWNがこれほどまで名前をシーンで上げる以前から、ソロでのリリースや、Base Ball BearやSuchmosといったヒップホップ・シーン外のアーティストへの客演でも注目を集めていたラッパー/トラックメイカーのRyohu。それらに加えプロデュース・ワークや、ラッパーとして参加しているバンド Aun beatzでの動きなど、その活動の幅と創作意欲の高さは衆目を集めていたが、ソロでのリリースとしては「Green Room」や「All in One EP」などがあったものの、現場売りや限定リリースなど、そのリリースは大きな形ではなかった。しかし今回リリースとなる「Blur」は、インディ・リリースではあるが初の全国流通盤となり、その存在をより広い形で伝えることになる作品となるだろう。そして、そのアルバムはバンド ampleの河原太朗を共同プロデューサーに迎え、インタビューでも語られる通り、打ち込みによるヒップホップやクラブ・ミュージックならではの構造性と、バンドとしての音楽的なカラーの豊かさを両立させた作品として完成させた。ラップのアプローチとしても、これまでとも繋がるロマンティックで垢抜けたリリシズムに加え、そのイメージをやや変えるような創作性も垣間見え、そのポテンシャルを作品に塗り込める。確実な進歩を感じさせる、理屈を超えた「気持ちよさ」を感じさせる1枚だ。


やっぱりDJプレミアが多かったですね。リアル・タイムのものより、ナズとかジェル・ザ・ダマジャ、ブラック・ムーン、モブ・ディープみたいな、90年代クラシックを死ぬほど、もうぶち狂うぐらい聴いてて。

まずRyohuくんの音楽的な原点から教えてください。

Ryohu:子どもの頃からバスケやってて、試合で遠征する時はチーム・メイトの家族の車に分乗して会場まで行くんですけど、その中にロック好きなお父さんがいて、その車ではいつもボン・ジョヴィの“It's My Life”がかかってたんですよね。その曲が聴きたいがために、その車に乗ってたのを覚えてます(笑)。ラップはKICK THE CAN CREWとかRIP SLYMEみたいな、当時のポップ・チャートに登場してた人も聴いてたんだけど、最初に衝撃を受けたのはキングギドラの『最終兵器』でしたね。それが小5~6だったと思う。ギドラを聴いて、こういうラップ、ヒップホップがあるんだ、格好いいなってしっかり聴き始めて。世代的にも『空からの力』は後追いですね。

ハードコア・ヒップホップの方がピンときたと。

Ryohu:そうっすね。中学の時には妄走族のライヴも行ってたし。

それは意外!

Ryohu:妄走族はかなり聴いてましたね。雷家族も超好きだったし、練マザファッカーがテレビに出る前からD.Oさんの音源も聴いてて。

ある意味で、KANDYTOWNは世間的にはクールでお洒落な感じで受け取られている部分もあるし、実際にそういう部分もあるんだけど、IOくんは「BOOT STREET」で働いてたり、いわゆる渋谷宇田川カルチャーとも繋がりがあるんですよね。

Ryohu:やっぱり好きなものと、自分がアーティストとして提示したい自分らしいものって違うじゃないですか。だから、その意味でも最終的にハードコアな方向には行かなかったけど、やっぱりリスナーとしては影響を受けてましたね、特に当時は。そういうライヴって、やっぱり中学生なんてほぼいないんだけど、その中に同世代で来てたのがYUSHIで、そこで知り合ったんですよね。

学校の繋がりではないんですね。

Ryohu:俺やB.S.Cは普通の公立校で、YUSHIは和光中学に通ってて。

いわばストリートで出会ったと。

Ryohu:格好良く言えば(笑)。それでYUSHIやIO、KIKUMARUとか和光の人間とも遊ぶようになって。俺は駒場高校に進んで超真剣に部活でバスケやってたんだけど、遊ぶのは後にBANKROLLになる連中ばっかりでしたね。自分の高校の人間とはあんまり遊ばなかったし、行事も参加しないで、部活が終わったらBANKROLLの連中と遊ぶっていう。だから、学校では謎キャラだったと思います(笑)。

自分の高校にはラップを聴いてる人はいなかった?

Ryohu:いたと思うけど、BANKROLLのメンバーぐらい詳しかったり、感覚の合う人間はいなくて。

ではラップを始めたキッカケは?

Ryohu:せざるをえなくなったんですよね。

それはどういうこと?

Ryohu:YUSHIは中学からラップやってたし、一緒に遊んでる人間も高校に入るとみんなラップ始めて、遊ぶ時はみんなフリースタイルしてるんですよ。最初は「俺はいいわ」とか言ってたんですけど、結局みんなそうやって遊んでるから、つまんなくなるじゃないですか。それで「俺もラップするしかねえか」みたいな(笑)。本当はやりたいんだけど、恥ずかしいっていう気持ちが勝ってて踏み出せなかった部分もあって。それで一回やってみたら、あとはもう楽しくなっちゃって、インスト聴いたら曲書こうって感じだったし、MTRでひたすら録ってましたね。それは俺もそうだし、KANDYのメンツはみんな。だから世に出てない曲は山ほどありますよ。

当時、ラップを載っけてたビートは?

Ryohu:やっぱりDJプレミアが多かったですね。リアル・タイムのものより、ナズとかジェル・ザ・ダマジャ、ブラック・ムーン、モブ・ディープみたいな、90年代クラシックを死ぬほど、もうぶち狂うぐらい聴いてて。当時、俺らが格好いいと思ってたライフ・スタイルに、90sのNYヒップホップが近い部分があったと思うんですよね。夜、集団でオーバー・サイズ着て、歩いてたり溜まってるみたいな感じがかっけえっていう。俺らの遊ぶ時もそういう感じでしたね。

高校卒業ぐらいのタイミングで、ズットズレテルズにも参加しますね。後にOKAMOTO'Sに繋がるグループですが、Ryohuくんはどういう経緯で入ったの?

Ryohu:なんなんすかね?

それを聞いてるんだけどさ(笑)。

Ryohu:いや、なんかやろう、ぐらいだったと思いますね。あんまり深い意味はなかったと思います。

話によると、和光の卒業イベントのために結成したんだけど、賞金が欲しくて「閃光ライオット」にもチャレンジしたということですが。

Ryohu:そんな感じだったかもしれない(笑)。でもとにかく一緒にいて、バンドのジャム・セッションに合わせて、YUSHIと俺がフリースタイルするって感じで、とにかく一緒に音楽をやってましたね。実際には半年ぐらいしか活動してないけど、その間ズレテルズのメンバーととにかく一緒に音楽を作ってましたね。それでハマ(オカモト)くんが当時、ズレテルズとは別にEdBUSっていうバンドのサポートやってて、その流れで下北沢GARAGEに出入りしてたんですよね。それで、その年の「閃光ライオット」に出た挫・人間とか関取花ちゃん、ブライアン新世界たちと一緒に、ズレテルズ主催でGARAGEでイヴェントをやったんですよ。そこで当時店長だった出口(和宏)さんが俺のことを気に入ってくれて、それからGARAGEに出入りするようになって。それで当時MPC1000を買って――確か楽器屋に取りに行くのに、IOの車で送ってもらった記憶があります――トラックメイクも始めたんですよね。MPC1000は持ち運びができたんで、夜な夜なGARAGEに機材を持ってって、楽屋兼事務所に溜まってるみんなと、朝まで一緒に曲作ったり。そこでコイちゃん(小出祐介、Base Ball Bear)に出会ったんですよね。

ベボベの“クチビル・ディテクティヴ”に参加したのも、GARAGEの流れだったんですね。

Ryohu:そうですね。あと、閃光ライオットでコイちゃんが審査員だったっていうのもあって。ただ俺はバンドを全然聴いてなかったんで、出会った時にベボベのことも、コイちゃんのことも知らなかったんですよ。それよりも、やたらラップの上手い人って印象でしたね。それで事務所で一緒に遊び終わった後に、そのまま飯食いに行ったんですよね。それで下北の駅前を通ったら「ベボベ武道館」っていうポスターが貼ってあって、一緒にいた人に「これ、コイちゃんのバンド」って言われて、「え、スゴいことですよね、武道館ワンマンて」って(笑)。同じようにGARAGEで出会った(ペトロールズの長岡)亮介さんも知らなかったんで、ライヴを見て「めっちゃギター黒いっすね」とか軽く言ったりして。亮介さんには「マジあの時はすみませんでした」って今も謝ってるんですけど(笑)、単純に生意気な奴って感じだったと思いますね。

同時期には元SIMI LABのQNの別名義、EARTH NO MADの「MUD DAY」にも参加しますね。

Ryohu:BANKROLLは町田のFLAVAとかでライヴをやってたんで、同じようにFLAVAに出てたSIMI LABとも繋がってたんですよね。そこでQNから、「別名義でリリースするからRyohuも入ってくれない?」ってオファーをもらって。で、歌詞書かないでいって、フリースタイルで録って、その時間をタイトルにするっていう(笑)。

いい加減だな~。

Ryohu:もうしっかりしなさいよ、って感じですよ、いまから振り返ると(笑)。

ふと「考えるの止めよう、山に登ろう」と思って、ひとりで山に登ったんですよね。

そうやっていろんなオファーがあったけど、ソロ作にはたどり着いていませんね。

Ryohu:リリースの勧めもあったんですけど、そういうモードじゃなかったというか、俺自身、実際に何をしたいのかが、自分でわかってなくて。だからリリースとかよりも、遊んでたかったっぽいですね。勿論、そこには音楽が付随してて、いろんな出会いだったりがあって、そこで新しい音楽の遊び方を覚えたりはしてるんだけど、「リリース」とか「制作」には自分から向かわなかった。

それはBANKROLLやKANDYTOWNとして動きたかったという部分もある?

Ryohu:正直、それはハナからなかったですね(笑)。なんならIOと超しょうもないこと――かつ完全に俺が悪い内容で――喧嘩してて、1年ぐらい口きいてなかったんじゃないかな、KANDYの仲間と一緒にいたりするのに(笑)。かつ、GARAGEに出入りするようになってたんで、KANDYよりも、そっちが遊ぶ中心になってて。ライヴもやってたけど、人に求められるからやるっていうか。自分からっていう感じでは正直なかったかもしれないですね。

その意味では、アーティストとしてやってこうと思ったタイミングは?

Ryohu:それこそベボベの作品に何作か参加させてもらって、普通に音楽でお金もらってるんだなとは感じてたけど、その時はこれを仕事にしようとは思ってなかったんですね。でも、22~3ぐらいのタイミングで、ふと、ちゃんとしなきゃな、音楽をちゃんとやってみようかな、と思ったんですけど、でもやり方がわかんねえ、みたいな、ただただ時間だけが過ぎてくみたいな期間があって。その中で音楽と向き合うために、11年に「Green Room」を作ったんですけど(リリースは13年)、とにかく暗くなっちゃって。それでふと「考えるの止めよう、山に登ろう」と思って、ひとりで山に登ったんですよね。

また急激な展開(笑)。

Ryohu:体動かしたほうがいいかなって(笑)。その帰りに、KANDYのメンバーではないんだけど、その周りにいる仲間に出会って、「これはもうこの環の中からは逃れられないってことだし、それでいいんだな」って。そこで、スゴくいろんなことに関して軽く考えられるようになったんですよね。

「Blur」に収録される“The More, The Better”には、山の話が出てきますが。

Ryohu:その時に書いたリリックなんですよ。自分の中でのもがきとか、悩みの霧が晴れて、もっと簡単に考えていいんだ、って思った時の曲で。tengal6を手がけたのもその時期じゃなかったかな。

ラップ・アイドル lyrical schoolの前身である、tengal6の「まちがう」に収録された“ルービックキューブ”などを手がけられましたね。アイドルの制作に参加したキッカケは?

Ryohu:ミュージシャンのリキヒダカともGARAGEで繋がったんですけど、彼の繋がりでtengal6のプロデューサーのキム・ヤスヒロくんから連絡をもらって「ラップの指導をやってくんない?」って。それでオーディションぐらいから関わらせてもらったんですよね。

そして、KANDYTOWNが14年に初のミックス「KOLD TAPE」をWEBにアップして、その1年後には「BLAKK MOTEL」「Kruise'」をリリースして、いよいよ本格的に動き始めることになりますね。Ryohuくんはそれと並行して、Suchmos「THE BAY」に収録された“GIRL (feat. Ryohu)”にも参加と。

Ryohu:やっぱりKANDYが注目され始めたのは個人的に嬉しかったですよ。それまでほとんど俺しか表に出てなかったんで、リリースはこれから動こうぜっていうキッカケにもなって。去年フル・アルバム『KANDYTOWN』まで上手いこと進めたし、その流れに沿ってそれぞれのソロもリリースされて、普通に嬉しいみたいな。雑誌の表紙も何人もやってるし、「みんなで、有名になるの良くねえ?」って感じでもあるし、一方で勝ち負けじゃないけど、みんな頑張ってるから俺も負けられねえ、っていう気持ちにもさせられて。

IOくんやYOUNG JUJUくんたちは全国流通作をリリースしていますが、Ryohuくんは現場売りが中心でしたね。昨年リリースの「All in One EP」も流通としてはライヴ会場やタワーレコード限定のリリースでした。

Ryohu:結局、関わる人間が増えれば増えるほど、いろんなことがあるし、ものづくりをする上で、あまり人に関わらせたくなかったというか、アーティストが一番でありたかったんですよね。俺が作った俺の音楽なんだから、って。「Green Room」の頃までは、まだとんがってたと思いますね。「All in One EP」はそれが晴れて、自分からいろんな人に働きかけたら、みんな快く引き受けてくれて。そこで「頼んでもいいんだ、手伝ってくれるんだ」って発見もあったんですよね。それで「Blur」は全国流通で展開しようって。

バンドだとありえない音楽構造で作曲するのは、ヒップホップのトラックメイカーができることだけど、バンドとしての素晴らしさは、やっぱりバンドにしか出せないですよね。そのふたつを組み合わせたくて。

その「Blur」ですが、バンド ampelの河原太朗さんを共同プロデューサーに起用した、バンド・サウンドが基調になった作品ですね。

Ryohu:生音を使ったらどうなるんだろうっていうのは興味あったんですよね。それがキッカケで、太朗ちゃんに声をかけて。

作り方としてはどのように?

Ryohu:俺は楽器ができないんで「こういう感じの曲を作りたい」「こういう曲にしたい」っていうザックリしたイメージを太朗ちゃんに伝えて、それを「こういう感じ?」って組み立ててもらうんですよね。それで「それがいい」「コード感はもう少し明るめ」「これに合うのはこういうドラムだね」とか、ディスカッションで進めていった感じですね。だから、土台を作る時はふたりで部屋にずっとこもってましたね、2日間(笑)。ただ、ドラムは打ち込みにしたかったんですよ。

それはなぜ?

Ryohu:バンドで制作したのは、あまりヒップホップ・サウンドにしすぎないようにっていうイメージだったんですが、でも一方でクラブ対応にはしたくて。

音圧や低音部の響きは、やはり打ち込みならではの強さがありますね。

Ryohu:ジョーイ・バッドアスとかケンドリック・ラマーが提示するような、それぐらいのベースじゃないと物足りないと思ったんですよね。

個人的にはチャンス・ザ・ラッパーのアプローチにも近いモノを感じました。

Ryohu:バンドだとありえない音楽構造で作曲するのは、ヒップホップのトラックメイカーができることだけど、バンドとしての素晴らしさは、やっぱりバンドにしか出せないですよね。そのふたつを組み合わせたくて。

その意味でもKANDYで求められてるものと、Aun beatzやRyohuくんのソロで求められてるものの、両方を納得させられる作品になっていると感じました。また「Blur」というタイトルだけど、リリックは情景がしっかり見えるような構成になっているのと同時に、「君」や「あなた」という二人称が多くて、それは「聴いてるあなた」といったような、具体的な相手が想定されてるのかなとも思えて。

Ryohu:自分の中で見えてる景色があって、その中に登場してる人に向けてる感じですね。「Blur」は単にぼんやりっていう意味じゃなくて、そうなるには何色かが足されて「Blur」になると思うんですよ。例えば、夜と朝、昼と夜が混じり合う微妙な時間とか。その感じが自分にとって「Blur」。だから、それぞれの楽曲にはカラーがあるけど、それが混ざり合ってこの作品ができているので、タイトルを「Blur」にしたんですよね。

今までの作品もそうですが、全体的にロマンティックだし、Ryohuくんはロマンチストだなと。

Ryohu:ロマンティックあふれ出てますか、今回も(笑)。

言わなきゃ良かった(笑)。

Ryohu:俺も含め、KANDYはジェントルマンですから。女の人に優しいのは大事じゃん、っていう。確かに、普通に考えたらクソ恥ずかしいことを書いてるとは思うんですよ。特に“All in One”とか。でも恥ずかしいけど、それを超えて格好いいことを書いてるから、言えちゃうんですよね。“Say My Name”とかも照れるようなリリックではあるけど、格好いいから言えちゃうと思うし、格好いいものを作れば、それは肯定されると思うんですよね。

ただ“Desserts”では、ややサイコパスとも言える男も形にしていて。しかもビートが変わるタイミングで、どんどん狂気じみていくのも面白い。

Ryohu:ストリーテリングとして、愛の表現をもっと狂気じみた感じにしてみたんですよね。だから俺の愛し方ではないんで、勘違いされたらやだなーとか思いながら書きました(笑)。

Ryohuくんのプロジェクトとしては、外部仕事も含めたソロ、Aun beatz、KANDYTOWN、トラックメイクが挙げられると思いますが、その違いは?

Ryohu:KANDYはいまだにみんなで集まって遊びの延長で作るって感じだし、BANKROLLの頃と変わらないですね、俺自身は。トラック提供は基本的にKANDYのメンバーに向けてなんですが、「こういうのがあってもいいんじゃない」みたいな、提供するメンバーが今まで選んできたものとはちょっと違ったり、ギリギリのラインを攻める感じですね。Aunはバンドが作ってきたサウンドに対して、どう返すかっていうチャレンジ。ソロは完全に自分に没入したオタクって感じですね。だから自分の作品が一番難しいですね。誰かと作る作品は、こうした方が面白いかもとか、こういうのが欲しいとかが浮かぶけど、自分のこととなると、どうしたらいいのかなって悩みますね。だから、いろんな動きがそれぞれ良い息抜きになってるんですよ。

外仕事だとエゴを通せない部分もあるし、ソロだけだと煮詰まるし……。

Ryohu:ソロだけだったらリリースしないかもしれないですね。ずっと自分の中で作ってて、それに飽きたらリリースしないで捨てちゃうかもしれない(笑)。だからいろ0んなアプローチがあることで、一生音楽を作り続けられると思うし、関わってくれる皆さんありがとうございますって感じですね。

[10/17追記]

ラッパー/DJでありながら、KANDYTOWNのメンバーであり、Suchmosやペトロールズへの客演参加を行い、ヒップホップとロックをクロスオーバーして活動の幅を広げているアーティスト、Ryohu(呂布)。待望の初全国流通盤EP『Blur』がリリースを迎えたばかりだが、Ryohuと親交深いアーティストの皆さんよりコメント・メッセージが到着!

HIP HOPとMUSIC、
LIFEとSTYLE、
SETAGAYAとSEKAI、
Ryohuは『接着剤』なんだよね。
軽やかさ、柔軟さが、唯一無二。
もんのすんごく、
期待しています!!!!!
――Mummy-D (Rhymester)

〈完璧じゃならない絵に〉(“Say My Name”)というフレーズがたまらなく好きだ。
言い切っているようで、言っていない部分がすごく多い。
だからこそ、漠然とした大事なことが漠然としたまま迫ってくる。
この手渡し方に、Ryohuの感性や在り方が詰まっていると思う。
そして、作品の額縁には「Blur」つまり『曖昧』という題が。
少なくとも完璧にRyohuだよ。
――小出祐介(Base Ball Bear)

気取ってなくて素直、芯があって少し無骨、世代差を感じない人懐こさ、結果としてすごく虫が好く。
出会った時から変わらないRyohuの印象そのままの音楽だね。リリースおめでとう!
雰囲気が好きなアルバム、“って事だけは確か”。
――三浦淳悟(ペトロールズ)

いつも1番暖かくて1番クール。それで、今1番カッコいい。
――オカモトショウ(OKAMOTO'S)

呂布くんの声は軽やかさと切なさと、すこしファニーさ、グッとくるものが全部入っているのだ。
なんでそんなセクシーなのさ?
――オカモトコウキ(OKAMOTO'S)

気持ちよかった、ありがとう。
――ハマ・オカモト(OKAMOTO'S)

タイトなラップでキメるB-boyは無条件でカッコ良いということを再確認させられました。
――オカモトレイジ(OKAMOTO'S)

また、『Blur』の発売を記念して開催される、12/8(金)の渋谷WWWにてRyohu “Blur” Release Partyのチケット一般販売もスタート。
ゲスト・アーティストはSIMI LABに決定!
前売購入者には特典として、Ryohuによる選曲音源を収録したExclusive Cassette Tape「No Pay No Play」をプレゼントとなるので、是非お買い逃しないように。

【イベント情報】

Ryohu “Blur” Release Party

12/8 (Fri) @ Shibuya WWW
OPEN 18:30 / START 19:30
ADV ¥3,000(+1D) / DOOR ¥3,600(+1D)
※前売購入者特典として、Ryohuによる選曲音源を収録したExclusive Cassette Tape「No Pay No Play」をプレゼント

出演者:
Ryohu (Band Set)
SIMI LAB [10/17追記]

10/5(木)~ e+にて先行販売開始
https://eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002240412P0050001P006001P0030001

10/14(土)〜 プレイガイド一般発売
▼チケットぴあ 【Pコード:347-789】
https://t.pia.jp/
※電話予約あり:0570-02-9999

▼ローソンチケット 【Lコード:76979】
https://l-tike.com/order/?gLcode=76979
※電話予約なし

▼WWW店頭
03-5458-7685

CD HATA from Dachambo - ele-king

Ambient / Downtempo DJ Chart 10曲


MASTERED HISSNOISEよりアンビエントドローンの拡大解釈カセットテープ、CD HATA / Inner Science『Metempsychosis』カセットストアデイ 2017にあわせ 10/14 リリース
https://cdhata.wixsite.com/cdhata/rerease

10/14(土)
竜王 Music Park 2017
@竜王パークホテル&竜王スノーパーク

石野卓球(電気グルーヴ), CD HATA &MASARU, Hiroyuki Arakawa etc…
フェイスブックイベントページ
https://www.facebook.com/events/286121068533834/

10/15(日)
LALLAPALOOZA 2017
@BUCKLE KÔBÔ

A.mochi, CD HATA, HARUKA, MAYURI, TAKAMI etc…
フェイスブックイベントページ
https://www.facebook.com/events/258009298028889/

11/23(木 祝日)~11/25(土)
Liquid Drop Groove open air in OKINAWA
@乙羽岳森林公園キャンプ場 (沖縄)

Marcus Henriksson aka Minilogue, Son Kite, Mixmaster Morris, CD HATA etc…
フェイスブックイベントページ
https://www.facebook.com/events/445574802508769/?ti=icl

『CD HATA』
ホームページ https://cdhata.wixsite.com/cdhata
facebook https://www.facebook.com/CDHATADachambo
Twitter https://twitter.com/DJHATA_Dachambo
mixcloud https://www.mixcloud.com/CDHATA/
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