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カフカ鼾

AvantgardeExperimentalImprovisationJazz

カフカ鼾

nemutte

felicity

Tower Amazon

デンシノオト   Oct 03,2016 UP

 「オキテ」から「ネムッテ」へ。起床から睡眠へ。ライヴ録音からスタジオ録音へ。ジム・オルーク、石橋英子、山本達久によるカフカ鼾、待望の新作『ネムッテ』は、前作『オキテ』とは対照的な作品である。
 いうまでもなく、素晴らしい仕上がりだ。ピアノもドラムもギターもベースも抑制された(しかし圧倒的な演奏技術で)即興演奏をジワジワと展開・持続させている。全1曲39分。ここに陶酔はない。しかし覚醒しているわけでもない。起きているわけでもない。かといって寝ているわけでもない。それらの中間領域に、滲みのように「浸透」していくような時間の生成がある。

 この滲むような「浸透」感覚こそ、ジム・オルーク的なのだ。映画用語の「ディゾルブ的」といいかえてもいいかもしれない。ディゾルブとは映像のオーヴァーラップのようなもので、前の映像に後の映像が重なって写り、やがて前の映像が消え去っていくという映像手法のことである(本作でじっさいに音がオーヴァーラップすることはない。あくまで印象の話。ちなみにジャン=リュック・ゴダールも『映画史』などの編集で多用している)。
 そもそも映画愛好家でもあるオルークの編集には、どこか映画的な持続や編集を感じることが多い。たとえば彼の初期作品『ルールス・オブ・リダクション』(1993)は、リュック・フェラーリの「ほとんど何もない」を思い起こさせるフィールド・レコーディング作品なのだが、いくつものサウンド・モジュールが映画のシークエンスのように編集され、いつのまにか変化を遂げていくような「ディゾルブ」的な構成・構造・感覚を有していた(繰り返すが、あからさまなオーヴァーラップなどはない。自然に/いつのまにか、だ)。
もっとも、この『ルールス・オブ・リダクション』をリリースしたシリーズ自体が「音のない映画」をテーマに掲げたものであったのだから、「ジム・オルークが考える音響=映画」的曲であっても当然だろう。が、それゆえオルークの「映画=音響」観を、ほかの作品よりも直裁に示した貴重な例でもあった。この10数分の短い音響作品には、「ポスト・ゴダール」的ともいえる独自の音響的持続が生成していた。まるで「監督:ジム・オルーク」作品とでも称したいCDである。

 私はカフカ鼾の新作『ネムッテ』は、『ルールス・オブ・リダクション』のように「監督:ジム・オルーク」の側面が全面に出たアルバムではないかと考えている。むろん、この作品では、石橋と山本という日本屈指の演奏家が凄まじい演奏を繰り広げているし、ジム・オルークもギターからノイズ、ベースに至るまで適材適所に卓抜な演奏を披露している。とくに水滴のように透明な石橋のピアノや、伸縮するようなタイム感覚が卓抜な山本のドラムの隙間から、どこか冷徹な眼差しをむけるようなシンセのような音が素晴らしい。幽霊のように控えめでありながら、しかし、幽霊のように、そこにいる音。
 しかし、である。『ネムッテ』全編を聴き終えたとき、私は、たしかに『ルールス・オブ・リダクション』と近い編集感覚を抱いたのだ。音響と音響のブロックが、まるでディゾルブで繋がっていくように「浸透」する感覚が、このアルバムには極めて濃厚に感じられたのである。
 これはオルークが参加したフリー・インプロヴィゼーション系のアルバムにはあまり感じられない感覚で、カフカ鼾特有のものといえよう。その意味でカフカ鼾の新作を「オルークのインプロ系」とすることはできないはずだ。むしろ、ファウストの『リアン』(1994)の系譜にある作品なのではないか。演奏を偏執的に、緻密に、細やかに、大胆に編集していく、という意味で、である。このカフカ鼾の新作もまた、滲み、浸透していくようなオルークの編集術を存分に満喫することができるのだ。

 そう、最高の演奏家の演奏を、その最良の瞬間を抜き出しつつ、しかしどこか冷徹な眼差し(耳)で、「ただの音響」として扱うこと。それによって独自の時間感覚を生成すること。この「演奏家の演奏」を「役者の演技」もしくは「風景」と考えてみると(自身が「演奏=出演」しているとはいえ)、本作のジム・オルークが「監督」としての役割に徹していることも分かってくる。そう、本作には、彼の映画・映像的な編集センスが、演奏の横溢の向こう側に、確かにうごめいているのだ。

デンシノオト