Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第23回:ソーシャル・レイシズム
「ソーリダリティ、フォエーーヴァー、ソーリダリティ、フォエーーヴァー」
という1915年に書かれた労働者のアンセムで『Pride』は始まる。
『Pride』という英国映画は、炭鉱労働者が一年にわたってストライキを繰り広げた84年から85年を舞台にしている。ストで収入がなくなった炭鉱労働者とその家族を経済的に支援するためにロンドンの同性愛者グループが立ち上がり、GLSM(Gays and Lesbians Support Minors)という組織を結成して炭鉱コミュニティーに資金を送り続けるというストーリーで、英国の中高年はみんな知っている実話でもある。
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少し前、職場でちょっとした事件があった。
というか、地元のメディアに報道されたりしたので、「ちょっとした」という表現は適切でないかもしれない。
保育士という仕事には怖い側面がある。
子供からあることないこと言われても自分を守る証拠が存在しないことがあるからだ。うまく喋れない年齢の子供は、言い方が断定的になったり、細かい状況説明が面倒になると簡単な言葉にすり替えるというか、表現が嘘になることがある(これは外国語がうまく喋れない時に外国に住んだ経験のある人もわかる筈だ)。
ということに加え、幼児というのは、けっこう傷をつくって保育園に来る。
転んだり、滑ったり、触っちゃいけないものを触ったりする生物だからだ。そのため、朝、保育士は「グッド・モ~ニ~ング!」と保護者に明るく挨拶しながら、目で子供の体をチェックしている。傷に気が付けば、所定のフォームに傷の種類、箇所、大きさ、保護者に聞いた「傷ができた理由」を書き込む。チャイルド・プロテクション上の理由から、そうする義務があるのだ。が、面倒なのは衣服で隠れている部分だ。朝っぱらから登園してくる幼児を全員素っ裸にして点検するわけにもいかないし、いつどこで出来たのか判然としない傷を持った子も必ず出て来る。
ところで、英国の商業的保育施設というのはべらぼうに高いことで有名だ。わたしの勤務先では2歳以下の赤ん坊をフルタイムで預けると1カ月1000ポンド(約17万円)、2歳から5歳の幼児でも800ポンド(約13万6千円)の費用がかかる。3歳になると国が保育料金を支援するようになるが、国が負担するのはたったの週15時間だけだ。よって、子供をフルタイムで預けて(2人というのもけっこういる)夫婦で働いているご家庭というのがどういう家庭かというのは想像できるだろう。で、この階級のお母さんたちは、外見や喋り方で保育士を判断し、「クラッシー(上品)」じゃない従業員を毛嫌いすることがある。
職場で唯一の非イングリッシュ&下品なわたしなんかは一番に標的にされそうなもんだが、そこはやはりポリティカル・コレクトネスがあるので、彼女たちは外国人をいじめるなどというNGはしない。
が、チャヴあがりの英国人保育士となると、その態度は豹変する。エスニック・レイシズムならぬ、ソーシャル・レイシズムである。
「チャヴみたいな外見の、低俗な発音の英語を喋る女が、私の子供を担当するなんて嫌」
という不満をふつふつとさせている母親たちが、幼児の拙い言葉をすべて自分が解釈したいように解釈し、子供たちよりよっぽど壮大な嘘をつき始めたらどうなるだろう。
怖いことには、そうした嘘を真実っぽく思わせる傷や痣をもった子供なら、クラスを探せば常に数人はいるのだ。
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『Pride』は単なる虐げられた者たちのソリダリティーの話ではなかった。
それは、差別されている者たちが、自分たちを一番差別している人びとを助けた話でもある。
ゲイ・グループのリーダーが、炭鉱労働者たちのストを支援しようと言い出した時、ゲイたちは強く反発する。ある者は炭鉱労働者に石を投げられた経験を語り、またある者は「彼らはいつも僕たちをサポートしてくれるからね」と憎悪が滲んだ顔で皮肉を飛ばす。
同様に、マッチョで非アーバンな炭鉱コミュニティーの中にも、食料品が手に入らない窮状になっても「変態から助けてもらうなんて真っ平」という人々もいたし、「そこまで身を落としたくない」と言ってゲイ・コミュニティーから届けられた物資の援助を拒む人々もいた。
だが、それでもロンドンの同性愛者たちの炭鉱支援運動は熱く広がり、カムデンで「Pits and Perverts(炭鉱と変態)」という大規模なチャリティー・ライヴを行うまでに発展する。ライヴ後、ロンドンのゲイ・コミュニティーは、スポーツバッグ一杯になった現金を炭鉱に贈るのだが、炭鉱コミュニティーは「変態ぎらい」の人々の反対に遭って受け取りを拒否する。
そして、まもなく炭鉱労働者たちはストの続行を断念し(事実上の敗北だ)、炭鉱の閉鎖によって失業者の集団にされたのは歴史が伝えているところだ。
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幼児虐待と呼ばれる問題においては、誰が本当のことを言っているのか、何が真実なのかは、CCTV映像でもない限りわからない(経費削減のためCCTVを全室完備していない保育園は山ほどある)。おっとりとした気の優しい保育士だったから、そんなことはしないだろう。みたいなことを言うのも無意味である。
ただ、わたしが知っているのは、チャヴあがりの同僚は明らかにソーシャル・レイシズムの被害にあっていたといたということ。そしてミドルクラス・マミイたちの排チャヴとでも呼ぶべき現象ががだんだん理性を失って暴走していたことだ。
わたしは彼女が身に覚えのないことで保護者から文句をつけられてトイレで泣いていたのを知っているし、保護者がマネージャーに彼女についてクレームをつけている場に居合わせ、「いやーそれ、実際に起きたことの5倍ぐらいになってますよ」と反論したこともある(で、後で「一介の平保育士がいらんことを言うな」と叱られた)。
ステラ・マッカートニーの服にPRIMARKのバッグなんて持てるわけないでしょ、というのと同じような感覚で、我が子にチャヴの保育士なんてあり得ない。という獰猛な意志をもって彼女らは人間を排除しようとする。
この層には外国人のお母さんたちも含まれていた。エスニック・レイシズムの対象になり得る人々が、平気でソーシャル・レイシズムの加害者になる。ブロークン・ブリテンの元凶はお前らであり、それを非難・排除することは、心ある市民の当然の行動であると言わんばかりに外国人が英国人を差別する。
民族的ナショナリズムの暗部がエスニック・レイシズムであるように、市民的ナショナリズムもまたソーシャル・レイシズムを生むのだ。チャヴ。という人々だってれっきとした人間の種として区分され、差別され、排斥されている。
「自分でがんばれば這い上がれるのに、そうしないのは自分の責任」とソーシャル・レイシズムの概念を信じない人々は言う。
が、這い上がって来ようとしても叩き戻されたら、出て来ることなんかできない。
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80年代の炭鉱労働者のストで使われ、ロンドンの同性愛者たちもつけていたバッジには、「COAL NOT DOLE(失業保険ではなく石炭を)」と書かれていたそうだ。
あの時代の政権が行った経済改革で失業者や生活保護受給者にされた層が21世紀のブロークン・ブリテンやチャヴ問題に繋がったと思うと、象徴的なスローガンだ。
これは映画ではなく実話のほうだが、84年にカムデンで行われた「Pits and Perverts(炭鉱と変態)」ギグで、ウェールズの炭鉱コミュニティーの代表者は、会場の同性愛者たちに向かってこうスピーチしたそうだ。
「我々は『COAL NOT DOLE』のバッジをつけて共に戦って来た。これからは、俺たちが君たちのバッジをつけ、君たちをサポートする。俺たち炭鉱労働者は、他にも戦うべき目的があるのだということを今は知っている」
それはもう30年も前の話になった。
チャヴのバッジをつけた黒人や、ムスリムのバッジをつけたフェミニストや、ポーランド人のバッジをつけたゲイが、見えにくい世の中になった。
「ソリダリティー・フォーエヴァー」はアンセムではなく、エレジーになったのだろうか。
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ある夏の暑い日、チャヴあがりの同僚は逮捕された。
突然解雇された彼女の身の回りの品はすべて彼女の自宅に送られ、彼女が子供たちとつくった壁のディスプレーもすべて剥がされて捨てられた。
まるで最初からここにはいなかった人のようだ。
ほんの3カ月前の話である。