「pan sonic」と一致するもの

Sensational meets koyxeи Japan tour 2012 - ele-king

 野蛮人が来日する。センセーショナル、人は彼をラップ界のリー・ペリーと呼ぶ。ラップ界には、ある意味ではかなりの数のリー・ペリーがいるかもしれない。その強豪揃いのシーンのなかにあって、センセーショナルはよほどのことがあるからそう呼ばれている。音楽ライターのスペクターがはじめた〈ワードサウンド〉は、IDMとヒップホップの水を埋めたレーベルだが、1997年、1999年と、そこから出た最初の2枚はぶっ飛ぶためだけに生きている男の美しい記録として忘れがたい。


Scotch Bonnet

 NHK名義で知られる、大阪人かつベルリン人のコーヘイ・マツナガは、2006年に最初のコラボレーション・アルバム『Sensational Meets Kouhei』を〈ワードサウンド〉から出すと、2010年にはマンチェスターの〈スカム〉(ゲスコムのメンバーによる)から『Sensational Meets Koyxeи』も出している。つい先日も、NHKはセンショーナルとDJスコッチエッグと一緒にヨーロッパをツアーしている。

 今回は、センセーショナル+コーヘイ以外には、言わずと知れた才人Scotch Bonnet(DJスコッチエッグ)、そして大阪ではAOKI Takamasa(ele-kingは彼の音楽が大好きです)、東京では中原昌也(『エーガ界に捧ぐ(完全版)』を出したばかり!)、そしてこれまた注目のKakato ( 鎮座Dopeness x 環Roy )が出演する!
 そして、センセーショナルとNHK、DJスコッチエッグは9月12日(水)21:00~@DOMMUNE、あります。前半、この伝説の奇人に編集部野田がインタヴューします。

Sensational (ex, Jungle Brothers aka Torture)
 Tortureの名前で活動していた頃、Jungle Brothersとして94年の3作目『JBeez Wit Da Remedy』に参加、そして彼の伝説ははじまった。
 芸術家はいつの時代も気ちがいじみた特質性、風変わりな人柄に富んでいるが、sensationalは他に類を見ない正に唯一無二の超オリジナルなラッパーだ。95年、Sensationalに改名しソロアルバム『Loaded With Power』(WSCD022) 、3作目のアルバム『Heavyweighter』 (WSCD037)をリリースした頃には、NY『タイムアウト』誌で「Sensational is underground hip-hop's number one upstart-in-waiting(待ちに待ったヒップホップ・アンダーグラウンド界のNo.1の成り上がりMC)」と称された。多くのラッパーがサンプリングを使うなか、彼はすべてオリジナルトラックで臨み、そのブレイクビーツに乗せた彼の鈍りきったフロウ、詩のように優美なフロウがILLなヘッズを虜にしている、まさに伝説の奇人!

Scotch Bonnet ( Scotch Egg / Berlin )
 DJ Scotch BonnetはDJ Scotch Eggとして活動するUK在住の日本人、本名「シゲ」の新プロジェクト。ヨーロッパを中心に活動。活動の初期はガバ~ブレイクコア~チップチューンを演奏する次々世代のテクノアーティストとしてブレイクコアのアーティストを多数輩出している〈ADAADAT〉〈wong music〉から2枚のアルバムと7インチ、10インチのアナログシングルを各1枚ずつリリースしている。ATARI TEENAGE RIOT /ALEC EMPIREとのヨーロッパツアーで頭角を現わし、その後μ-ziq / APHEX TWIN/ Bong-ra. /VENETIAN SNARES等、ブレイクコアや異端テクノ系のビッグネームと多数共演、UKでは2ndアルバムリリース時に英国ラジオ局BBCが彼の特別番組を放送する等、ほぼ毎日行われるGIGでヨーロッパ全土を席巻し、注目の的となっている。マンチェスターの「FUTURE SONIC FESTIVAL」やロンドンで行われるエレクトロニック・ミュージックの祭典「GLADE FESTIVAL」、70年代から続く老舗巨大フェス「Glastonbury festival」など多数のフェスティヴァルに出演。

■大阪公演at Conpass
9月14日 (金)
18:30 open / 19:00 start

Sensational meets koyxeи ( ex, Jungle Brothers + NHK )

DJ Scotch Bonnet ( aka DJ Scotch Egg / small but hard / Berlin )
Jemapur ( Saluut, Beta, Phaseworks )
Yuki Aoe ( concept )
DJ AOKI Takamasa
DJ Kouhei Matsunaga

ADV 2500 . DOOR 3000
https://www.conpass.jp


■東京公演at Super deluxe
9月16日(日・祝日前)
19:30 open / 20:00 start

Sensational meets koyxeи ( ex, Jungle Brothers + NHK )

Kakato ( 鎮座Dopeness x 環Roy )
DJ Scotch Bonnet ( aka DJ Scotch Egg / small but hard / Berlin )
Jemapur ( Saluut, Beta, Phaseworks )
DJ NHK fm
DJ 中原昌也

ADV 2800 . DOOR 3500
https://www.sdlx.jp/2012/9/16



https://koyxen.blogspot.com
https://nhkweb.info
https://twitter.com/kouheimatsunaga

BASSの時代 - ele-king

 日本のベース・ミュージックについて改めて考えてみると、「ベース・ミュージック」という言葉を日本人が使いだしたのは東では〈Drum & Bass Sessions〉、西では1945 a.k.a KURANAKAが率いる〈ZETTAI-MU〉に代表される方々が支えてきた「ドラムンベース」や「ラガ・ジャングル」の登場以降だと推測される。
 しかし、近年では「ベース・ミュージック」という言葉の意味にかなり広がりを持つように進化し続けていると思う。もともとは海外でマイアミ・ベースやゲットー・ベースなどのヒップホップやエレクトロからの流れが「ベース・ミュージック」と言われだしたのがはじまりだろうし、「DUB STEP」という言葉にある「DUB」についてはもっと昔から存在する手法だ。
 そんな「ベース・ミュージック」の言葉が持つ深いポテンシャルに注目し、日本におけるベース・ミュージックの現在進行形を体験できる貴重な機会があったので、少々時間は経ってしまったが、レポートしようと思う。

 〈Outlook Festival〉とは、ヨーロッパはクロアチアにて数日間に渡って開催され、世界中のアーティストやDJ、そしてサウンドシステムが集結する世界最大級のベース・ミュージックの祭典だ。その錚々たるラインナップには、リー"スクラッチ"ペリーやマックス・ロメオやジャー・シャカといった、生きるレゲエ・レジェンドたちからスクリームやデジタル・ミスティックズなど、最先端ダブステップ・アーティストが一斉に名を連ねる。

 ある日、Part2Style Soundの出演するクロアチアの〈Outlook Festival〉に同行したeast audio sound system(イーストオーディオ・サウンドシステム)のtocciの体験談として「BASS MUSICは体で体感する音楽である。しかるべきサウンドシステムで鳴らせば、その重低音は肌から伝わり、体のなかを振動させ、ついには喉が震えて咳き込むほどの音楽だ」という見解を、過去にサイトにアップしていたのを読んで、自分の目を疑ったのと同時に「体感してみたい」という思いが芽生えた。その個人的な思いは「Outlook Festival Producer Competition」という、勝者はクロアチアへのチケットを手にすることができるコンペに自作曲を応募する形でぶつけてみた。仲間や応援してくれたみんなのおかげもあって、数多く存在するファイナリストまでは残れたものの、結果としては敗北に終わり、悔しい思いをしたのも記憶に新しい。
 そんな〈Outlook Festival〉の日本版がPart2Style とイーストオーディオ・サウンドシステムによって、今年も開催されると知ったのは春のはじまりのころで、それを知ってからは毎日のように「Outlookを体験したい」と心のなかで連呼したが、どうしても行きたい思いとは裏腹に、諸事情により今回のフェスへの参加を諦めていた。
 その矢先、小説家であり、ライターであり、大阪の夜の飲み先輩であるモブ・ノリオさんから一本の電話がかかってきた。
 以前、モブさんにとあるパーティで会ったときに酒を飲みながら〈Outlook Festival Japan Launch Party〉がいかなるものかと熱く説明したことがあり、そのときに何度も「それにはお前は行かなあかんやろ」と言われたが、「行きたいですねぇ......」と返すのが僕の精一杯の返答だった。それを察しての電話口だった。「〈Outlook〉行くの?」と聞かれ、「めちゃくちゃ行きたいですけど、もう諦めました」と返すと「行かんとあかんときっていうのは、どうしても行かんとあかん。お前、ああいうことを自分で書いといて、いかへんつもりなん? それはあかんぞ......あのな、エレキングで取材の仕事をセッティングしたから、行って来てレポートを書いてみぃへんか? 文化を体験するって行為は絶やしたらあかんで」
 涙がでるほどの奇跡が起きた。僕のなかで行かない理由はなくなった。

 5月26日、TABLOIDの隣にある、日の出駅に着いたときに、まず驚いた。改札を通るときに重低音の唸りが聴こえてきたからだ。駅から会場までの近さも手伝って、初めて行く会場への方向と道のりを重低音が案内してくれた。会場の建物がどれなのかは、低音の振動でコンクリートが「ピシッ」と軋む音でわかった。ついに ここに来ることができた、と胸が高まった瞬間だ。

 会場に入り、さっそくメインフロアであるホワイト・アリーナへ向かうと、先ほどの駅で聴いた重低音の唸りがSPLIFE RECORDINGSがかけるラガ・ダブステップだったことがわかる。そびえ立つモンスター・スピーカーたちの城から発せられるその音は、「爆音」なんてものではなく、まるで生き物のようにスピーカーから"BASS"が生まれ、フロア中を駆けめぐった後、壁を登り、遥か高い天井で蠢く、「獣帝音」と言えば伝わるであろうか。そう、これがイーストオーディオ・サウンドシステムとTASTEE DISCOが繰り出す、メインフロアの音だ。驚いたのは、出番が終わったあとにSPLIFE RECORDINGSのKOZOから聞いたところによると、これでまだ50%ぐらいの音量だというのだ。驚きとともに、100%の音量を出したときに自分は正気でいられるのだろうか? 建物は大丈夫なのだろうか? などと、少しの不安と緊張感を抱くとともに、武者震いをするかのように心を踊らせた。

 大阪から到着したばかりで腹がすいていたので、メインフロアの後方にあるFOODブースへと向かった。
 DUUSRAAのカレーを注文し、待っているあいだにおもしろい出来事があった。テーブルの上に置いてあった誰かのカクテルのカップが、重低音の振動で勝手に動き出し、なかに入ってあるカクテルが噴水のようにしぶきを上げ、こぼれだしたのだ。それぐらい、建物自体が振動していたということだ。

 知人の皆と、久しぶり感がまったくない(1ヶ月前に会ったばかり)挨拶やジョーク等を交わし、会場全体をウロウロとまわるうちに最初の狼煙が上がった。Part2Style最重要ユニット、ラバダブマーケットの登場だ。Erection FLOORと名付けられたフロアで鳴り響く、姫路は最高音響サウンド・システムの音も、サブ・フロアという陳腐な言葉では片づけられない、まさしく最高の音だった。その音は暖かく、どれだけの音量で鳴っていたとしても耳が疲れない、例えて言うならマホガニーサウンドだ。しかし、鳴っている音量はかなりのもので、ここのフロアが階段を登った2階にあったのも手伝ってか 振動が床を伝い、足から体全体が震え、まるで自分がスピーカーになったような錯覚すら覚えた。そんな最高音響でのラバダブマーケットのライヴは、フロアの反応も最高だった。Dread Squadの"Sleng Teng International Riddim"にジャーゲ・ジョージとMaLが歌う"Digital dancing mood"~e-muraのJUNGLEビート本領発揮の"Bubblin'"~突き抜ける"MAN A LEADER"の流れは、正にリーダーが告げるこのフェスの本格的開始合図だった。そしてその勢いは櫻井饗のエフェクターを駆使した多彩なビートボックス・ライヴへと継がれていった。

 ホワイト・アリーナへ戻ると会場にも人が溢れ返っていて、LEF!!!CREW!!!が、フロアにいるオーディエンスをハイテンションでガンガンにロックしていた。休憩しようと外へ向かう途中にグラス・ルームではDJ DONが、まだ生まれて間もないベース・ミュージック、ムーンバートンのリズムで"Bam Bam"をプレイしていた。僕もよくかけるリミックスだ。ついつい休憩のつもりがまたひと踊りすることに。Jon kwestのアーメンブレイクを切り刻んだムーンバートン(これまた僕もよくかける)など、ニクイ選曲にTRIDENTがパトワのMCで煽る。108BPMという、遅いような早いような不思議なテンポに錯覚してしまい、ついつい踊らされてしまうのがムーンバートンの魅力だろう。

 外の喫煙ブースでマールボロのタバコをもらい一服してからなかへ戻ると、さっきのグラス・ルームでは函館MDS CREWのボス、SHORT-ARROWがSUKEKIYOのMCとともにジャングルをプレイしていた。同じく函館から来ていたKO$は今回、カメラマンとしてもかなりいい写真を撮っていたので、是非チェックしてほしい。ここでも先ほどラバダブマーケットのライヴでも聴いたDread Squadの"Sleng Teng international"が聴けたし、時を同じくしてホワイト・アリーナではTASTEE DISCOがスレンテンをかけていた。

 この〈Outlook Festival Japan Launch Party〉の興味深いポイントとして、「ベース・ミュージックに特化したフェスティヴァル」ということでは日本ではかなり早いアクションだということだ。以前からPart2Styleは"FUTURE RAGGA"というコンセプトのもと、コンピュータライズドなレゲエをやっていたし、ジャングルやドラムンベースはもちろんのこと、最近ではダブステップやクンビアも自分たち流に消化して発信していたし、ムーンバートンを僕が知ったきっかけはMaL氏とNisi-p氏がふたりで作ったミックスだった。それらやその他もろもろを総じて、ベース・ミュージックと日本内で呼ばれ、波及しだしたのは ごく最近のことであり、まだまだ発展途上といえる段階だろう。スレンテンのベースラインは、この新しい試みのなかでも 互いに芯の部分を確かめ合うように呼応する不思議な信号や、電波のようにも聴こえた。

 時間が深まっていくなか、eastee(eastaoudio+TASTEE)が本領を発揮しだしたと感じたのはBROKEN HAZEのプレイだった。重低音が何回も何回も、ボディブローをいれてくるように体に刺さりまくる。激しいビートとベースで、まるでボクシングの試合でボコボコにされ、痛いどころか逆に気持ちよくなってしまう感覚だ。パンチドランカー状態になってしまった体を休めに、バー・スペースへ行きDUUSRAA Loungeの音が流れる中、友人と談笑したりした。

 上の階では、ZEN-LA-ROCKPUNPEE、そしてファンキーなダンサーたちによってオーディエンスが熱狂の渦と化していた。音の振動によってトラックの音が飛ぶトラブルもなんのその。
「皆さん、低音感じてますか? Macも感じすぎちゃって、ついつい音が飛んじゃいました。低音はついに800メガヘルツに到達! Everybody say BASS!!」とトラブルすらエンターテイメントへと変換させる話術は、お見事の一言では片づけられないほど素晴らしく、ごまかしや隠すことの一切ない、正に全裸ライヴだと実感した。ZEN-LA-ROCKは独自にこのフェスティヴァルをレポートしているので併せて見てほしい。



 楽しいライヴを満喫した後は、D.J. FULLTONOを見にグラス・ルームへと移動する。個人的にエレクトロやシカゴ・ハウス、ゲットーベース等を2枚使いでジャグリングをガンガンやっていた頃を知っているだけに、いま、日本のJUKE/JIT第一人者として〈Outlook Festival Japan〉に出演していることが不思議であり、同じ大阪人として嬉しくもあった。彼がプレイしている時間のフロアは、このフェスのなかでもっとも独特な空気を放っていただろう。矢継ぎ早に、時にはトリッキーに繰り広げられるJUKEトラック、"FootWurk"という超高速ステップ、難しいことは言わず自然体な言葉でフロアを煽るMC、仲間たちお揃いのBOOTY TUNE(FULLTONO主宰レーベル)のTシャツ、ブースに群がるクラウド、汗だくになりながらも、次々とフットワークを踊り、DJブース前のフットワークサークルを絶やそうとしないダンサーたち、出演者、観客、スタッフ、なんて枠組みは取り払われたかのように、そこにいる皆で夢中になってフロアを創った時間だった。その素晴らしさは、FULLTONOが最後の曲をかけてすぐさまフロアに飛び出し、さっきまでDJをしていた男がいきなり高速フットワークを踊りだした時に確認できた。僕にはその姿が輝いて見えた。

 メインフロアに戻ると、Part2Style Soundがいままで録りためたキラーなダブ・プレートを惜しげもなくバンバン投下しフロアをロックし続けていた。そのスペシャル・チューンの連発にフロアのヴォルテージが高まりすぎて、次の日に出演予定のチャーリー・Pが我慢できずにマイクを取ったほどの盛り上がりだ。そしてその興奮のバトンとマイクは、DADDY FREDDY(ダディ・フレディ)へと渡された。高速で言葉をたたみかけるダディ・フレディのライヴは圧巻であった。何回も執拗にライターに火を灯せ! とオーディエンスに求め、フロアは上がりに上がった。早口世界チャンピオンは上げに上げた後、だだをこねるように「もう行っちゃうぞ?」とフロアに問う。フロアは声に応え、ダディ・フレディを放そうとはしない。チャンピオンはノリノリでネクスト・チューンをうたい終えた後、またフロアに問う。「おれはもういくぞ!?」と。もちろん皆は声に応える。するとチャンピオンはノリノリで「ワンモアチューン!」と、まだまだ歌い足りなさそうだが、やはりチャンピオン。どのアクトよりも怒涛の勢いを見せつけた、素晴らしいステージだった。

 チャンピオンの勢いに圧倒された後に続いて、特別な時間がやってきた。
 DJ、セレクタのセンスと腕が問われる真剣勝負、サウンド・クラッシュ。今回、かなり楽しみにしていたイベントだ。NISI-Pの司会によってルール説明が行われ、場内は緊張感に溢れた。今回のルールとして、はじめにくじ引きで第1ラウンド出場者である3組の順番を決め、1ラウンド目はダブ・プレートではない曲で3曲ずつかけ、次ラウンドの順番が決まる。第2ラウンドが「Dub Fi Dub」(ダブプレートを1曲ずつかける)の流れだ。第2ラウンドで決勝進出の2組が決まり、ファイナルラウンドで一対一の対決となる。
 第1ラウンドの一番手はHABANERO POSSE(ハバネロ・ポッセ)だ。普段からイーストオーディオ・サウンドシステムの音を研究しているだけあって、音の鳴りはピカイチだった。ガンヘッドのDJにFYS a.k.a. BINGOのMCの勢いもハンパなく、スピーカーとオーディエンスを存分に震わせた。続いて、JUNGLE ROCKがプレイするジャングルはレゲエのサウンドマンの登場を物語る。サウンドクラッシュはレゲエから発生した文化だ、と言わんばかりにフロアに問いただす。最後に登場したDEXPISTOLSは、なんとレゲエ・ネタで応戦し、エレクトロの先駆者が異文化であるクラッシュへの参戦表明を見せつけたことで、このサウンドクラッシュがいままでのどのサウンドクラッシュとも違う、斬新なものであるかがわかっただろう。今回のサウンドクラッシュの見どころとして、ヒップホップやエレクトロの文化やレゲエの文化などが、カードの組み合わせによって異種格闘技戦となっていることも、おもしろい試みだ。
 肩慣らしともいえる第1ラウンドを終え、いよいよ本番、ガチンコ対決となる第2ラウンドへと続く。トップバッターはDEXPISTOLSだ。第1ラウンドのときとは、やはり気合いの入り方が違い、ダブプレートには自身たちの曲にも参加している、ZeebraJON-Eがエレクトロのビート上で声をあげ、DEXPISTOLSがDEXPISTOLSであることをオーディエンスに見せつけた。
 続くはHABANERO POSSE。ムーンバートン・ビートにのるラップの声の持ち主に耳を疑った。なんと、Zeebraのダブ・プレートである。まずは「ベース好きなヤツは手を叩け!」と、"公開処刑"、そしてビートがエレクトロへと急激にピッチが上がり、DEXPISTOLS自身がZeebraをフィーチャーした"FIRE"のダブへと展開し、DEXPISTOLSへ向けたレクイエムを送る。逆回転のスピンの音が少し短くて、思ったことがあった。「あれはもしかして、レコードかもしれない......。」その盤はアセテート盤と呼ばれる、アナログレコードをわざわざカットして鳴らされたものであるのも、block.fmで放送された後日談にて確認できた。HABANERO POSSEは、ぬかりのない綿密な作戦と、業が成せる完璧な仕事を僕らに見せつけたのだ。
 ラストのジャングル・ロックは、アーメンブレイクと呼ばれるジャングル・ビートに、猛りまくったMCで問う。「さっきも、V.I.Pクルーがかかってたけど、V.I.Pクルーって言ったらこの人だろ!?」と、BOY-KENがうたう様々なクラッシュ・チューンでレゲエの底力を見せつけた。
 ファイナルラウンドに駒を進めたのは、HABANERO POSSEとJUNGLE ROCKの2組だ。本気の真剣勝負の結果である。誰もそこに異論を唱える者はいなかったと思うし、オーディエンスの反応にも間違いなく現れていた。戦うセンスと実力だけがものをいう、音と音のぶつかり合い。それがサウンドクラッシュという音楽の対話だ。
 ファイナルラウンド、先行はJUNGLE ROCKだ。「おれがこのダブとるのに、いくら使ったと思ってんだよ!」と意気込みを叫び、ダブを投下した。鎮座ドープネスリップ・スライムからはPESとRYO-Zという、豪華なメンツにフロアは沸きに沸いた。そして後攻にHABANERO POSSE。なんとその場のゲストMCにSEX山口を迎え、マイクでフロアに物申す。「おれらの敵はJUNGLE ROCKでも、DEXPISTOLSでもない。本当の敵は、風営法だ!」なんと、YOU THE ROCKがラップする"Hoo! Ei! Ho!"のダブだった。



 優勝は満場一致で、HABANERO POSSEが受賞した。展開の読み、選曲、音像、すべてにおいて郡を抜く存在だった。本当に、普段から音の鳴りを研究した努力の賜物だったと思うし、あの時間にあのダブ・プレートを聴いた時の、ドラマのような展開に感動した。近年、風営法を利用した警察が、文化を発信している場所となるクラブを摘発していることへの、強烈なアンチテーゼを意味するメッセージでもあった。クラバーたちの真の戦いとなる風営法を、サウンドクラッシュという戦のなかで伝え、勝利という名の栄光を掴んだ、真のチャンピオン誕生の瞬間だった。

 この頃には酔いもできあがってしまって、BUNBUN the MCのライヴではPart2Styleのメンバー、DJ 1TA-RAWがカット(バックDJ)をやっているにも関わらず、大阪のオジキの大舞台を応援したい気持ちで僕もDJブースにノリこんでカットをやるが、酔った手がCDJの盤面に当たってしまい、ズレなくてもいいリズムがズレてしまって、「WHEEL UP!Selecta!」とすぐにお声がかかり、ネクストチューンへ。大変、お邪魔いたしました。。もちろん、ライヴはいつにも増して、大盛況であった。酔いも深まる中、タカラダミチノブのジャーゲジョージをフィーチャーしたDJにシビれ、朝を迎えた。

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 2日目はひどい2日酔いのなか、昨日が夢のような1日だったため、目が覚めてもまどろみ状態がなかなか覚めなかった。そんな状態で、酒を飲む気分になれなかったので、この日はレッド・ブルだけを飲んで過ごした。
 会場に到着して、ブランチに虎子食堂のごはんを食べようと、真っ先にフードブースへ足が進む。フェジョアーダという黒豆ごはんを注文し、知人と一緒に「初めて食べる味ですねー」なんて話しながら、美味しくいただく。ふと、ブースの方へ向くと、Soi Productions(ソイ・プロダクションズ)がスタートダッシュのドラムンベースをブンブン鳴らしていた。会場の音も、昨日よりも開始直後からよく鳴っている印象だった。考えたら昼の2時だ。鳴らせる時間には鳴らさないと、サウンドシステムがもったいない。目もスッキリ覚めるほどのベースを浴びて、2日目がはじまったことを改めて確認した。

 バー・スペースではDJ DONがクンビアを気持ちよくかけている。今日はどうやって過ごそうかな? とタイムテーブルを見ながら周りを見渡す。ここは〈DUB STORE RECORDS〉や〈DISC SHOP ZERO〉がレコードを販売しているフロアでもある。ふと見ると、E-JIMA氏がレコードをクリーニングするサービスなんてのもあって、もしレコードをもってきてたら、超重低音でプレイする前にキレイにしたくなるだろうな、と思ったりした。

 入り口付近のグラス・ルームではKAN TAKAHIKOがダブステップのベースの鳴りをしっかりとたしかめるように、自作曲も交えながらプレイしていたり、2階へ行くと、DJ YOGURTがスモーキーで渋いラガ・ジャングルをかけていて、最高音響で聴くアーメン・ブレイクは体にスッと馴染みやすく刺さってくることを確認したり、NOOLIO氏との久々の再会がグローカル・アリーナで太陽を浴びながら聴くグローカルなハウスだったり、ホワイト・アリーナに戻っては、G.RINAの生で聴く初めてのDJにテンションが上がってしまい、BUNBUN氏とふたりしてかっこええわ~なんて言いながら楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 グラス・ルームでワイワイと楽しそうにやってたNEO TOKYO BASSの姿は、誤解を招くのも承知で書くと、やんちゃな子どもたちが はしゃいでいるようにも見えて、その楽しそうな姿に、ついついこっちまで指がガンショットの形になってしまった。クボタタケシのクンビア・ムーンバートンを交えたセットも素晴らしかった。この時にかかっていたKAN TAKAHIKOの"TOUR OF JAMAICA"のエディットはこのパーティ中に最も聴いたチューンのひとつだ。

 Tribal Connection(トライバル・コネクション)の1曲目は、ジャングル・ロックの昨日の決勝戦のチューンだった。昨日のバトルの雰囲気とはうってかわって、パーティ・チューンに聴こえたのもセレクター、DJとしてかける意味がかわって聴こえたりもして、趣が深かった。悔しそうに、そして楽しそうに。深いジャングルの時間だった。続くJxJxはグラス・ルームをファンキーに彩るムーンバートンで、大都会の夕暮れの時間を鮮やかに彩った。

 そうこうしている内にはじまったPart2Style Soundが、確実にメインフロアを唸らす。興奮もピークに近づいてきたところで、やってきたのはCharlie P(チャーリー・P)だ。まだ若いらしいが、堂々としたステージはベテランのようで、スムーシーに唄うその声は、ときに激しく、ときにまとわりつくように耳から脳へとスルリと入ってくる。続いて登場したSolo Banton(ソロ・バントン)は先日、大阪で見た時よりもキレがあり、"Kung Fu Master"や"MUSIC ADDICT"など、堂々としたステージングでオーディエンスをグイグイ引き寄せる。そして時には、ソロとチャーリーが交互に歌ったり、お互いの声質が異なることによるスペシャルなブレンド・ライヴを展開した。かなりマイクを回しあっただろう。時間が終盤に近づくにつれ、グルグルと回るマイクをもっと回せと口火をきったのはRUMIだ。"Breath for SPEAKER"の「揺らせ! スピーカー!」のフレーズで、正にスピーカーとフロアを存分に揺らした。すかさずソロがたたみかけるようにうたう、すると今度はなんと、CHUCK MORIS(チャック・モリス)が出てきては「まんまんなかなか、まんまんなかなか、ド真ん中!」と、すごい勢いで登場し、「たまりにたまった うさばらし! Outlookでおお騒ぎ!」と、けしかけては、「ハイ! 次! ソロー!」とソロ・バントンにマイクを煽る。ソロがすかさず歌い返すも、Pull UP! ちょっと待ったと、いきなり現れた二人のMCに たまったもんじゃないソロはなんと、ダディ・フレディの名を呼んだ。「ジーザス、クライスト!」とダディフレディが一言、そこからのトースティングは即座にフロアを頂点へとのし上げた!!! ダディ・フレディは会場に集まった皆と、Part2Styleに感謝を述べ、よし、マイクリレーしよう!と閃き、なんとスペシャルなことか、ダディ・フレディとソロ・バントンとチャーリー・P、3人の怒涛のマイクリレーがはじまった。これにはフロアもガンショットの嵐!! 最高のスペシャルプレゼントステージだった。Nisi-pが「もう一度、3人に大きな拍手を!!」と叫ぶと、会場は拍手大喝采に見舞われた。



 SKYFISHがクンタ・キンテのフレーズを流したのはその直後だ。ラスコの"Jahova"にチャック・モリスが歌う、"BASS LINE ADDICT"。続くRUMIのアンサーソング"BAD BWOY ADDICT"と、さすが、UK勢にも引けをとらないふたりのコンビネーションがフロアをぶちかました。今回のフェスで誰が一番のアクトだったかなんてことは、到底決められないけども、個人的にBASSを浴びる、いや、BASSをくらったのはNEO TOKYO BASSのときだ。腹にかなり直撃で受けてしまい、なんというかお腹のなかで内臓が揺れているのだ。いや、いま思い返せばそれが本当だったかはわからない。しかし、記憶していることは、体のなかが、なかごと、ようするに全身震えていたのだ。音が凶器にも感じた瞬間だった。ずっとフロアで聴いていたから低音には慣れているはずなのに、NEO TOKYO BASSがエグる、BASSの塊に完全にKOされてしまった。
 メインフロアを出た後、グラス・ルームでは、KEN2D-SPECIALが"EL CONDOR PASA"を演奏していた。どうやらラスト・チューンだったらしく、もっと見たかったが、そこで久しぶりの友だちと会い、話をしながらINSIDEMAN aka Qのかけるディープなトラックに癒された。少し外で休憩した後はクタクタだったのもあり、グローカル・エリアの帽子屋チロリンにて少し談笑したりした。すぐ隣にあるグローカル・エリアで見た1TA-RAWから大石始への流れはトロピカル・ベース~ムーンバートン~クンビア~民謡と、自然に流れるダイナミクスへと昇華され、僕が見たグローカル・エリアでは一番のパーティ・ショットだった。そして最後に見たのは、OBRIGARRD(オブリガード)だ。ハウスのビートから徐々にブレイクビーツ、クンビアへとビートダウンしてく"Largebeats"~"Ground Cumbia"の流れは素晴らしく、個人的にエンディング・テーマを聴いているような、寂しく、狂おしい瞬間だった。

 僕の〈Outlook Festival 2012 Japan〉Launch Partyは、こうして幕を閉じた。
 いまになって思い返してみても、なんて素晴らしく、楽しい体験だったのだ。体験したすべての人たちが、それぞれの形で、記憶に残る2日間になったと思う。そして日本のベース・ミュージックにとっても、キーポイントとなるような歴史的な2日間だったのではないか。
 出演していた あるアーティストに「今回出演できて、本当に良かった。もし、出演できていなかったら、自分がいままでベース・ミュージックを頑張ってきたことはなんだったんだろう? と、思っていたかもしれない」という話を聞いた。もちろん、自分も「出たいか?」と問われたら、即答で「出たい」と答えるだろう。それほどまでに、魅力溢れるパーティだ。個人的に思う〈Outlook Festival 2012 Japan Launch Party〉が残した大きな功績は、アーティストやDJたちが「次も出演したい」と、または「次は必ず出演したい」と、いわば、「目標」を主宰たちが知らず知らずのうちに創ったことだろう。その目標を叶えるためにも、来年、再来年と、また日本で〈Outlook Festival〉が開催されることを、切実に願っている。

 Part2Styleとイーストオーディオ・サウンドシステム、会えた方々、関係者の方々、そして体験する機会を与えてくれた「ele-king」の松村正人さんとモブさんに最大級の感謝をここに記します。

追記
 そしてこの夏、Part2Style Soundが2011年に引き続き、本場はクロアチアで開催される〈Outlook Festival 2012〉に出演する。本場のベース・ミュージック フェスティヴァアルに2年連続で出演し、何万人といった海外のオーディエンスを熱狂させることを思うと、同じ日本人としてとても誇らしい気分にさせてくれる。
 きっと彼らはまた素晴らしい音楽体験を得た後、その景色を少しでも日本へと、形を変えて伝えようとしてくれるだろう。
 進化し続ける「ベース・ミュージック」。未来のベース・ミュージックはどんな音が鳴っているのだろうか。
 僕はその進化し続ける音楽を体感して追っていきたい。

Compuma - ele-king

Compuma
Something In The Air

E王 Something About Format

 ニューエイジ......という言葉は、1970年代は、ポスト・ヒッピーの少々スピリチャルなタームで、お香、鉱物、古代神話......一歩間違えるとムーの世界に足を踏み入れてしまうというリスクもあるのだが、他方ではCRASSのストーンヘンジ・フェスティヴァルのような、ヒッピー・アナキストへも繋がっているように、実に幅広い意味を持っている。
 ここ数年、"ニューエイジ"と呼ばれる音楽が広がっている。が、意味する内容は昔とは別物だ。今日言うところのニューエイジとは、アンビエント/ドローン/IDM/フィールド・レコーディングなど、新しい傾向のエレクトロニック・ミュージック全般に使われる。OPNエメラルズプリンス・ラマジェームズ・フェラーロ......までもがニューエイジだ。拡張された音楽性は、最近のインディ・シーンにおけるひとつの傾向で、先日のグルーパーのライヴでも感じたことだが、新時代のニューエイジ的な感性は日本でも顕在化しはじめている。
 こうした新しいモードを鋭く捉えているのがコンピューマの『Something In The Air』だ。もうとにかく......今年に入ってから出たこのCDの評判ときたら......多く人たちから「聴いた?」と訊かれている。それはミックスCDというよりは、一種のカットアップ・ミュージックで(ザ・ケアテイカーのようでもある)、音源を使った音楽作品として成立している。アンビエント/ドローン、フィールド・レコーディング、現代音楽や古いジャズ、いろんな音楽が使われている......が、それらは『Something In The Air』というタイトルのように、音の粒子が大気中に舞っていくように感じられる。いま話題の男、コンピューマこと松永耕一にご登場願いましょう。

聴こえたり聴こえなかったり、聴くことを忘れてたり、でもいいというか、なるべく聴き疲れしないようなコンセプトというか......アンビエントや環境音楽的でもあり、まったくその逆とも言える。

お元気っすか?

コンピューマ:おかげさまで元気にしてます。

ふだんはレコード店の仕入れとかやってるんですよね?

コンピューマ:そうなんです。いろんな音楽にまつわる仕事をさせていただいている中で、大阪の〈Newtone Records〉で、いち部分をバイヤーとして担当させていただいてます。それと店番&コーヒーその他で、渋谷の〈Elsur Records〉でお世話になってます。

いま出回っているCD、『Something In The Air』がいろんなところで評判になっていますね。会う人、会う人に、「あれ聴いた?」、「レヴューしないの?」と言われるんですが、ホントに良いですね、これ(笑)!

コンピューマ:ありがとうございます!

家でよくかけていますよ。息子が宿題をしているときなんか、何気に音量を上げたりして(笑)。

コンピューマ:わー、いいですねー。うれしいです。ということは、息子さんの宿題の効果音楽にもなっていると(笑)。

集中力が高まると言ってましたね。それはともかく、そもそもどんなコンセプトで作ったんですか?

コンピューマ:んー。なんというんですかね。タイトル通り、空気のような、空気の中に紛れ込みながらもどこかでその存在に気付くというか、音楽なんだけど音楽でなく、音というか、作り手としての意思は強くあるんですが、その存在に気付く人も入れば、気付かない人もいていいというか、なんとなく感じたり、ものすごく集中して強く感じたり、ときによっては、聴こえたり聴こえなかったり、聴くことを忘れてたり、でもいいというか、それと、なるべく聴き疲れしないようなコンセプトというか......アンビエントや環境音楽的でもあり、まったくその逆とも言えるし、いやー、言葉にすると難しいですね。とにかく、なんかわかりませんが、ミックスするときに、ものすごい集中力が出せたように思います。その上で今回は、あの収録時間が限度でした。

ぶっちゃけ、ミックスというよりも、グランドマスター・フラッシュの「The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel」じゃないですけど、カットアップ・ミュージックっすよね。

コンピューマ:光栄すぎます。

使っている曲は、新しいのから古いものまでいろいろ?

コンピューマ:そうですね。昔の音源から、いまのものまで使ってます。

どちらかと言えば、古いものが多い?

コンピューマ:いや、半々くらいでしょうか。

でも、最近のアンダーグラウンドな動きに触発された部分もあるでしょう? いまの感じをうまく捉えていると思った。

コンピューマ:それは嬉しいです。正直、個人的にはめちゃくちゃ触発されたということはあまりないのですが、仕事柄USやヨーロッパを中心としたアンダーグラウンドでの過剰なシンセサイザー音楽のブームといいますか、電子音楽、アンビエント、ニューエイジ再燃&カセットテープ・リリースの復活ブームや新旧の傑作のアナログを中心としたリイシューなどなどはチラリ横目で見ながら、90年代から2000年代はじめまで頃の、当時のWAVEや渋谷タワー5Fでのバイヤー時代をあらためて思い出して「へぇー。いまこんなことになってんだ。そうなんだ! なんか嬉しいな!」とか思ってました。そんななかで、いまだったら、今回リリースしたような内容のミックスも、あらたな提案というか、自分のなかでいろいろと経た流れの中で、あらためて今の時代の感覚で聞かれたり楽しまれたりするかも!? とかイメージしはじめたところはあるかもしれません。

マーク・マグワイヤまでミキシングしているんですよね。エメラルズみたいな若い世代のアンビエントもチェックしている?

コンピューマ:2~3年前くらいでしょうか。マーク・マグワイヤの存在を知ったのは、実はエメラルズということを知らないで仕事上でのインフォメーションをあれこれチェックしてたらひっかかって、フォーキーながらマニュエル・ゲッチングみたいな浮遊感とミニマル感覚と、ソフトなサイケデリック感覚が面白いなと思ってて。そこからです。

ここ数年、アメリカの若い世代から、やたらこの手の音が出てくるようになったじゃないですか。面白いですよねー。

コンピューマ:本当に多いですよねー。なんだか盛り上がってますよね。でも、不思議なのは、自分的には当時はなんというか、ニューエイジという言葉の響きにはものすごく抵抗があって、あまり好きでは無かったというか、あの独特の匂いを音で感じると拒絶するところがあったのですが、時代を経て時代もかわり、自分もかわり、まわりもかわり、世代もかわり、ニューエイジという捉え方もかわったように思います。
 そういえば、こないだBINGさんこと、カジワラトシオさんともそんなような話をしたのですが、そのなかで、いわゆる現代においての癒し的なニューエイジの代表レーベルの〈ウィンダム・ヒル〉だって設立当時は、アメリカン・ルーツからの発展としてのあらたな音楽の探求というか、ジョン・フェイヒーやロビー・バショウの音楽をお手本にスタートしてたと思うんですよね。あのジョージ・ウィンストンのデビューもジョン・フェイヒーのレーベル〈tacoma〉のはずですし......。

なるほど。たしかにこの動きは、ジョン・フェイヒーの再評価と重なってますよね。

コンピューマ:10年ほど前の新たなジョン・フェイヒーの再評価はある種、それとは真逆のところからの再評価だったというのも面白かったですよね。それを考えるとニューエイジという漠然としたジャンル(捉え方)というのは、作り手も、その時代ごとにその時代のニーズに合わせて変容していくことで、その時代時代の聴き手に楽しまれているのかな、とか思ったり、だから時代によってニューエイジの印象というのは変化していっているのかなとか勝手に思ったりしてます。とくに〈NOT NOT FUN〉などに代表されるいまの若い世代からのニューエイジ・ブームというのは、いわゆるレアグルーヴの再評価再注目のジャンルがニューエイジにまでたどり着いた果てなのかなとかとも思ってます。ニューエイジ的な精神性とかいうよりも単に面白がっているというか、ニューエイジというお題であれこれ遊んでいるようにも思います。あくまで個人的な想像の意見ですけど......(笑)。

アメリカに行った友人がびっくりしてたんですが、サン・アローの人気がすごいと(笑)。あんな音楽がアメリカでリキッドクラスのハコでソールドアウトになってるってすごいよね。ほかに、とくに気になった作品やアーティスト、います?

コンピューマ:そうですね。〈DIGITALIS〉レーベルのいくつかの作品や、話題のワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)の『レプリカ』や、少々前ですが、エメラルズのジョン・エリオットのソロのアウター・スペース名義や、フェリックス・クビンの新作の電子粒の音の良さや、UKベース&テクノのレーベル〈SWAMP 81〉などなどのエレクトロを通過したいくつかの作品での音作りや立体音響的なミックスの進化と深化にいまを感じます。

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若い世代からのニューエイジ・ブームというのは、レアグルーヴの再評価再注目のジャンルがニューエイジにまでたどり着いた果てなのかなとかとも思ってます。ニューエイジ的な精神性とかいうよりも単に面白がっているというか。

Compuma
Something In The Air

E王 Something About Format

ところで、『Something In The Air』を4つのパートに分けたのは、どんな理由がありますか? それぞれテーマがあるわけですよねえ?

コンピューマ:実は今回のこのミックスは、もともと分けるつもりはなくて、ひとつの作品として作ろうとしてました。なので録音も一気にラストまで一発録りでした。4つに分けたのは、単純に聴く人が、このくらいに分かれてたほうが聴きやすくなるだろうな。と思ったことくらいでして。最初はもう少し細かくサウンドイメージの変化する場所場所でポイントしようとも思ったりしたんですが、最終的にはこの4つのこのポイントくらいがちょうどいいように思って、この4つのパートに決定しました。

『Something In The Air』というタイトルはどこから来たんですか?

コンピューマ:今回は自分なりに漠然とですが、何か、よりどこか普遍的なものを目指していたところがありました。去年のある時期、なんとなくダンス・ミュージックに疲れていた時期もあって、いろいろと好きな音楽のなかで、今回はダンス・ミュージックでない側面で何か形作れないかな~と考えてました。よりアダルトというか、オトナというか、自分もおっさん真っただなかなんで、そんなおじさんからの音楽の楽しみ方のひとつの提案というか、より世代やジャンルを超えていろいろな人に届けられたらなと思いまして......そんななかで、自分にとって伝えたい音や音楽のサウンド・イメージのひとつの形として、音と音楽、そして間とゆらぎ、音は空気の振動というか、聴こえるけど見えない。という、空気中の見えない何か、みたいなものをイメージしていくなかで、普段生活している、生かせていただいている環境で何げに呼吸して循環させている「空気」のことをあらためて考えてみて、空気の存在って? みたいなことをじんわり考えていたなかで、昔好きだったサンダークラップ・ニューマンの同タイトルの名曲を思い出したり、できあがった五木田智央さんの絵を見て、最終的に直球ではありますが、このタイトルに決定しました。ホント、過去の先人の方々がいろいろと使い続けている普遍的なクラシックな言葉ですしね。

1曲目の最後なんか、フィールド・レコーディングの音がやたら入っていきますが......。

コンピューマ:そうですね、フィールド・レコーディングものは、あれこれずっと好きで、いままでいろいろと楽しませてもらった作品のなかで今回効果的だと思ったものを1曲目に限らず、いくつか使用させていただきました。

松永君の人柄の良さがそのまま展開されているというか、ある種の平穏さを目指したってところはありますか?

コンピューマ:んんん。実のところは、平穏さを目指したところは余り無く、自分的にはいろいろな厳しさも含めたあれこれを経ていく流れというか、過程をありのまま出せればと思って、ただ、ラストにはある種の着地感というか、日本語という言葉を響かせたかったというのはあります。いやー、言葉にするのは難しいですねー(笑)。
 実は、今回のこの「Something In The Air」にはパート2のミックスもあって、今年2月末に〈VINCENT RADIO〉に出演させていただいたときのライヴ・ミックスで、その音源をサウンドクラウドでフリーダウンロードという形で発表してみたんです(現在はダウンロードはできませんが、聴くことは可能です)。
 内容は、パート1のミックスCDのなかに同封させていただいた1枚の絵。それはジャケットの絵とは違う、淡いピンク色を基調とした絵が印刷されていたのですが、この作品も五木田智央さんによるもので「Something In The Air」の音にインスパイアされて誕生したもうひとつの作品だったんです。それで、このパート2では、ミックスCDとは逆に、自分が、この五木田さんのもうひとつの絵からインスパイアされることによってあらたな音世界を作り出してみようと思いミックスしたものなんです。こちらの音源のほうがなんというか、より何も起らないといいますか、平穏的なイメージはあるかもしれませんね。

へー、僕は、すごく気持ちよく聴いているんだけど......やっぱ渋谷のタワーレコード5階の伝説の松永コーナーっていうのは大きかったんですか?

コンピューマ:伝説ではないと思いますが、WAVEや渋谷タワーでの当時の経験は、そうですね。大きいですね。自分もそんな詳しいわけではありませんから、毎日毎日出会う音や音楽、そして人が新鮮でした。

松永君にとってのドローンの魅力って何でしょうか?

コンピューマ:なんでしょう(笑)?

クリス・ワトソンのソロが良かったって言ってましたが、具体的にはどんなところに感銘を受けたのでしょうか?

コンピューマ:存在はもちろん、フィールド・レコーディングものとしてのテーマ設定、聴こえてくる音の作品としての面白さ、オーディオ的音響としての素晴らしさはもちろんなんですが、最新作の『El Tren Fantasma』に関しては、コメントを寄せてたアンドリュー・ウェザオールと同感で、まさにこの電車の音にソウルやファンクを感じました。

それにしても、スマーフ男組からこんな風な展開を見せるとは......、自分のなかで何か大きなきっかけでもあったのでしょうか?

コンピューマ:これはホントなんですが、実は自分のなかでは、ある時期からずーっと繋がっていたんです。大好きなヤン富田さんの影響もありますし、ADSやスマーフ男組をやってるときも、たまにこんなような表現をさせていただく機会もあったにはあったのですが、なかなか表には出る機会が少なかったといいますか。でもあの時代にひっそりとあれこれ模索していたことが、今回の作品に大きく繋がっていると個人的には思ってます。

4曲目の最後に入る日本語の曲は?

コンピューマ:「ほい」の"咲雲"という曲です。元HOI VOO DOO。たしか2000年くらいに、ほい名義で唯一リリースした7インチなんです。リリース当時から大好きだった曲で、自分のなかで何年かに1回の大きな周期で聞き直し浸透させる自分のなかのスタンダードな曲なんです。制作するときに、今回ラストに入れたいと思っていた曲で、あの曲を最後にかけるため、あそこまでたどり着くまでにそれまでをミックスした、とも言っても過言ではない。というくらい重要な曲でした。あの曲の雰囲気、世界観や歌詞も含めて、インスピレーションというか、何かサムシングをいただきました。

この境地は、自分の年齢や人生経験とどのような関係あると思いますか?

コンピューマ:んー。歳を経たんですかねー。もっと若かったり、歳をとっていたり、年齢違うときに、まったく同じ音素材を使ったとして同じミックス部分があったとしても、おそらく印象が違ってくるんでしょうね。きっと。おもしろいもんですねー。

そもそもDJをはじめたきっかけは何だったんですか?

コンピューマ:時代を含めて、リスナーからの自然な発展でした。

いつからやっているんですか?

コンピューマ:ちゃんとお金をいただいてお店でやらせてもらうようになったのは、たしか92、93年くらいじゃなかったかなー。西麻布の〈YELLOW〉の裏あたりにあった〈M(マティステ)〉ですね。当時の職場WAVEの福田さん(現kongtong)と井上くん(chari chari)に誘ってもらったのがはじまりです。

エレクトロに入れ込んでいたのは、世代的なものでしょうか? 

コンピューマ:もちろんです。ですが、いまだにその心意気は色褪せてないのが面白いです。

いまでもヒップホップは聴いている?

コンピューマ:かなり偏っていると思うのですが、好きです。聴いてます。

コンピューマという名前は、どこから来たのでしょう?

コンピューマ:言うなれば、「コンピューターの頭脳とピューマの俊敏さを兼ね備えた男」ということでしょうか(笑)。

はははは。最近のDJはだいたいこんな感じなんですか?

コンピューマ:今回のCDをリリースしてからは、あの世界観をより発展させていきたい気持ちも強いので、ノンビートやアンビエント、ドローンにもこだわらずに模索してる最中です。
 3月の終わりにリリース記念イヴェントということで、今回のミックスの世界観の映像含めた体験というテーマで、D.I.Y.なアイデア溢れる3人組VJチーム、onnacodomoさんとともに音と映像のセッションをして、会場の幡ヶ谷フォレストリミットさんの大きなスクリーンに映し出し&映画館ばりの音響で音で流したんですが、相当おもしろかったです。迫力でした。あの感じも、もっと、より多くの皆さんに体験していただけたらなー。とか思ってます。そしてつい先日、東高円寺の〈グラスルーツ〉で別ヴァージョンの発売記念イヴェントとして、この時はよりダンス・ミュージック的世界にも通じるような展開をイメージして、DJ ノブ君とBINGさんことカジワラトシオさんと共にトライしてみましたが、この日も新たな感じというか、1回だけで終わりでなく、ぜひこれからも続けていって、こんな音楽世界を知らせていきたくも思いました。

ぜひ、お願いします!

コンピューマ:とはいえ、自分のなかでいろいろ他も楽しい音楽世界は広がっているので、呼んでいただけるパーティ、イヴェントによって、アレコレもっとワイワイ&ガヤガヤ、ニンマリ&ゴキゲンに、メロウにネチっとやらせていただいております。

DJ って、人によっていろんな考えがあるじゃないですか。パーティを第一に考える人もいれば、音楽性を追求する人もいる。松永君にとってDJとは何でしょう?

コンピューマ:両方をうまく昇華してできたら最高にうれしいですねー。

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よりアダルトというか、オトナというか、自分もおっさん真っただなかなんで、そんなおじさんからの音楽の楽しみ方のひとつの提案というか、より世代やジャンルを超えていろいろな人に届けられたらなと思いまして。

〈悪魔の沼〉って何なんですか?

コンピューマ:下北沢のMOREを中心にやらせていただいているパーティです。現在の沼クルー(沼人)は、DISCOSSESSIONのDr.NISHIMURAさんことDr.NISHI魔RA、そして2much crew周辺でナンシーの旦那AWANO君こと、A魔NO、そして自分、コンピュー魔の3人で、2008年に結成されました。当初は二見裕志さん(二魔裕志)もレギュラー沼人だったり、一時期は1DRINKこと石黒君(魔DRINK)も沼人だったのですが、現在は3人がメイン沼人となってます。テーマはかなりアバウトな「沼」がテーマで、ダンス・ミュージックの枠さえも少し超えて、それぞれが好きなように自分の思う「沼」を表現するという......

ナハハハハ。

コンピューマ:そんなある種、特殊な趣きのイベヴェントとしてスタートしました。それから不定期ながら毎回様々な多彩なゲストの皆さんに出演していただきながら開催し、去年はDOMMUNEに出させていただいたり、ミックスCDまで出したり、という流れで沼巡りさせていただきました。

しかし......なぜ、そんなおそろしい名義になったんですか?

コンピューマ:かなりテキトーな思いつきでした。その時期にたまたま家のなかを片付けていて、トビー・フーパーの映画『悪魔の沼』の映画の中身ではなくて、VHSのジャケの絵が最高な事をあらためて再確認していたタイミングだったからだけなんです。アワノ君からイベント名の相談受けたときに、その事を思い出しただけという......(笑)。その時アワノ君から「沼」というお題があったのかな? なかったのかな?あれ? スミマセン。忘れました。

悪魔の沼としての展望は?

コンピューマ:んー......たまーに沼クルーで集まれたら嬉しいですねー。去年、3人で西日本を沼ツアーやらせていただいたんですが、そんときの3人の役割分担というか、何というか、プレイももちろんなんですけど、それ以外の時間も絶妙に塩梅が良かったんです(笑)。

スマーフ男組の再結成はないのでしょうか?

コンピューマ:あれなんです。解散しているわけではないんです。が、事実上、無期限休止中ですよね。

村松君、元気かな? 数年前に静岡のクラブでいちど会ったんだよね。

コンピューマ:去年、〈ラディシャン〉で呼んでもらった時に、遊び来てくれて久しぶりに会ったんです。実際には数年も経ってないのに、なんだかふたりともオッサンになったなー! って(笑)。

そうそう、静岡の〈ラディシャン〉でもDJやったって話、やる気のないダメ人間たちから聞いてますよ! 地方でもけっこうやってるんですか?

コンピューマ:少しずつではありますが、呼んでいただくことも増えました。ありがたいです。日本全国で仲間が少しずつ増えてます。

音楽以外の趣味ってある?

コンピューマ:街の市場めぐりに散歩。あとは居酒屋探訪でしょうか。

ヒゴ・ヒロシさんなんかと下北沢の〈MORE〉でやったときがすごったと人づてに聞いてます。遊びにいったヤツが「魔法にかけられたようだった」と言ってました(笑)。

コンピューマ:あの日はおもしろかったです。大先輩達とご一緒させていただきました。いやー、スゴかったですね。あの日は。CDJも3台、ターンテーブルも2台ありましたしね。特殊空間でした。

まだ先ですが、5月9日、代官山のユニットで、エレキング・プレゼンツでマーク・マグワイヤの来日公演をやることになって、そのサポートDJも引き受けていただきました。ありがとうございます。当日はとても楽しみにしています。

コンピューマ:こちらこそ、どうぞよろしくおねがいいたします。個人的にも生マグワイヤ非常に楽しみなんです。

ちなみに松永君の夢って何ですか?

コンピューマ:これは近い将来の夢になりますが、最近『Something About』というプロジェクトを立ち上げました。今回のこのミックスCDもそこからのリリースなんです。音楽はもちろん、音楽の枠も超えて、サムシング・アバウトな心意気のあれこれをお届けできるように邁進したいと思っております。遅れ気味ではありますが、近々ホームページも立ち上げる予定です。少しずつではありますが、こちらも楽しみにしていただけましたら幸いです。

最後にコンピューマのオールタイム・トップ・10をお願いします!

今日の気分ではありますが......

TROUBLE FUNK「Trouble Funk Express
AFRIKA BAMBAATAA & THE SOUL SONIC FORCE「Planet Rock
いとうせいこう・ヤン富田「Mess/Age
KRAFTWERK「Man Machine
OHIO PLAYERS「Funky Worm
JUNGLE BROTHERS「J.Beez Wit The Remedy
JUNGLE BROTHERS「Done By The Forces Of Nature
DE LA SOUL「De La Soul Is Dead
DIGITAL UNDERGROUND「Future Rhythm
JONI MITCHELL「Court & Spark

......です。ありがとうございました。

こちらこそです。〈Pヴァイン〉から出るコンピレーションCDも楽しみです。

コンピューマ:そうなんです。はじめてコンピレーションを作らせていただきました。『Soup Stock Tokyo』の音楽というコンピレーションCDになります。駅のなかなどによくあるスープのお店「Soup Stock Tokyo」さんの、「家で聴く音楽」ということで、家庭での音楽の提案にもなったらということで......。

えー、スープ屋さんのアンビエント(笑)!

コンピューマ:で、今回は〈P-ヴァイン〉さんのブラジルなどのワールド・ミュージックからソウルR&Bに、ポスト・ロック、日本語の曲も含めた幅広い音楽ジャンルの音源を中心に、音の国籍を問わずにそのイメージを自分なりに広げて入念に絞り込み全16曲を選ばせていただきました。音の旅と出会い。おそらく聴かれたり購入されるであろう方々には、おそらく音楽マニアでない方も多数いらっしゃると思われますから、聴き方、音楽との接し方も多様でしょうし、いろいろな聴き方に対応できるよう、居心地の良さが違和感なく途切れずに済むような心づもりで選んでみました。

ほほぉ。

コンピューマ:さりげなく暮らしのなかに寄り添いながら、いい距離感で鳴っているイメージといいますか、そんななかでどこか琴線にふれるようなタイミングがあれば最高だな。と、そんなイメージで作ってみました。音の印象はまったく違いますが、聴き疲れしないように、そして音の空気感の粒を揃える、という意味ではミックスCD『Something In The Air』と同じ感覚です。5月末の発売予定です。こちらもよろしくおねがいいたします。

それは楽しみですわ。こんど居酒屋探訪の成果を教えてください!


コンピューマ
コンピューマ compuma a.k.a.松永耕一。熊本生まれ。ADS、スマーフ男組として活動後、SPACE MCEE'Z(ロボ宙&ZEN LA ROCK)とのセッション、2011春にはUmi No Yeah!!!のメンバーとして、フランス他5カ国でのヨーロッパ・ツアー等を経て現在へ至る。 DJとしては,日本全国の個性溢れるさまざまな場所、そしてそこでの仲間達と、日々フレッシュでユニークなファンク世界を探求中。各所で話題となっているサウンドスケープな最新ミックスCD『Something In The Air』をリリースしたばかり。5月末には初の選曲を監修したコンピレーションCD『Soup Stock Tokyoの音楽』も〈P-VINE〉より発売予定。さまざまな選曲や音提供に音相談、レコードショップのバイヤーなど、音と音楽にまつわる様々なシーンで幅広く活動中。NEWTONE RECORDS、EL SUR RECORDS所属。SOMETHING ABOUT代表。
https://compuma.blogspot.jp/

Chart by Underground Gallery 2011.08.11 - ele-king

Shop Chart


1

JERRY WILLIAMS

JERRY WILLIAMS Ease On Yourself (ghost town) »COMMENT GET MUSIC
DAVID MANCUSO、DJ HARVEY、IDJUT BOYS、PRINS THOMAS、FRANCOIS.Kなど、ここでは紹介しきれない程、沢山のDJ達がプレイしまくっている、話題作が遂に入荷!過去のリリース、そのいずれもが大ヒットを記録したNYの大人気リエディットレーベル[Ghost Town]新作は、既に上記著名DJ陣もビッグサポート中の超・超・超話題作!何と言ってもお勧めは、[Flexx]や[Hands Of Time]、[Sentrall]、[Adult Contemporary]からも作品を残す、カリフォルニアのプロデューサーTHE BEAT BROKERが、ERIC CLAPTONらにも楽曲を提供していた事でも知られる、スワンプ・ロック界の雄 JERRY WILLIAMSの79年リリース作「Gone」に収録されていた「Ease On Yourself」のリミックス A1。オリジナルの情熱的なファンク・ロックな雰囲気はそのままに、サイケデリックな鍵盤やエフェクティブなリフなどを鳴らし、程よく緩いバレアリック感を抽出させた、傑作ダブ・ブギー・ディスコに仕上げています。既に国内外を問わず、色々なDJ陣が各地でプレイしまくっているようですので、聴いた事があるという人も本当に多くいるはず!1stプレス盤は即完売、リプレス待ちの状態だっただけに、買い逃していた人は絶対にこの機会をお見逃し無く!!またカップリングには、同曲のオリジナル B2に加え、同アルバム収録の「Call To Arms」のDENNIS KANEリミックスを収録。オススメ!

2

 JEFF MILLS

JEFF MILLS 2087 (AXIS) »COMMENT GET MUSIC
JEFF MILLS「The Power」に続く、完全限定アルバム「2087」完成!1966年に公開されたクラシックS.F 映画「Cyborg(サイボーグ): 2087」の架空のサウンド・トラックとして制作された今作、繊細で深淵な電子音によって描かれた、神秘的な音風景により、映像的なイメージが喚起されてく、コンセプチャルな作品。

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 TRY TO FIND ME

TRY TO FIND ME I'm Dancer / Needs Ending (Golf Channel) »COMMENT GET MUSIC
DJ HARVEYのパワープレイが話題となった前作「Get To My Baby-TBD Extension」でお馴染みのTRY TO FIND ME、待望の最新作! NYの鉄板地下レーベル[Golf Channel]新作は、LEE DOUGLASとのTBD名義でも活躍する JUSTIN VANDERVOLGENのリエディットプロジェクト TRY TO FIND ME。今回はSide-Aで、炸裂系のドラムグルーブにエッジの効いた80'sなギタープレイを響かせた、ロッキンディスコ「I'm Dancer」。Side-Bには、メランコリックなメロディー、ソフトな女性ヴォーカルが◎なレイト・ドリーミーなバレアリックディスコ作「Needs Ending」。どちらもそれぞれの場面に応じたキラーチューンになりそうですね〜。

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VLADISLAV DELAY QUARTET

VLADISLAV DELAY QUARTET Vladislav Delay Quartet (Honest Jon's) »COMMENT GET MUSIC
話題の即興四重奏、VLADISLAV DELAY QUARTETデビューアルバム! ここ最近はMORITZ VON OSWALD TRIOのメンバーとして活動をしてきた、フィンランドのダブテクノ第一人者、VLADISLAV DELAYが、元PAN SONICの奇人MIKA VANIO、アルゼンチン人ミュージシャンのLUCIO CAPECE (ソプラノサックス/バスクラリネット)、"Improvised Music From Japan"のコンピレーションにも参加経歴を持つインプロヴァイザーDEREK SHIRLEY(ベース)を率いて、VLADISLAV DELAY QUARTETを結成! 旧ユーゴスラビア、セルビアのベオグラードにある、元ラジオ局だったというスタジオにて、僅か一週間で録音されたという今作、アコースティックとエレクトロニックが同居した、フリーインプロヴィゼーションを展開。

5

JAMES BLAKE

JAMES BLAKE Order / Pan (Hemlock Recordings) »COMMENT GET MUSIC
ベースの振動の聴け!!出来るだけ爆音でどうぞ...。 少し遅れていましたが、この夏の話題盤、やっと入荷しました!説明不要の若き天才JAMES BLAKEの最新12インチ!これがかなり実験的かつドープでヤバい!!アルバムで魅せたような、ソウルフルなヴォーカルは一切なく、ベースの振動とリズムのみに焦点を当てた、新境地といえる問題作!無駄を徹底的に省き、ベースの鳴りを追求した、とにかくヘビーな一枚!家庭用のオーディオ機材で、どれくらい再生されるのかは、判りませんがが、凄い音がなっています。出来るだけ爆音でどうぞ

6

HEROES OF THE GALLEON TRADE

HEROES OF THE GALLEON TRADE Neptunes Last Stance (Golf Channel) »COMMENT GET MUSIC
限定盤!レーベル買い出来る数少ないレーベルの一つ、UGヘビー・プッシュのN,Yアンダーグラウンド[Golf Channel]新作は、70'sクラウト/サイケロックな1枚。 同レーベル4番に登場していたSEXICANことGALLEON TRADEと、レーベル13番に登場していたGHOST NOTEのCHRIS MUNZOによるユニットHEROES OF THE GALLEON TRADEによる作品。Side-Aでは、泣きのギターリフが印象的なブルージーでフォーキーなアコースティック・サイケ・ロックナンバー「Neptunes's Last Stand」。QUIET VILLAGEや[Whatever We Want]作品、70'sロック方面の方には特にオススメですね〜。Side-Bでは、軽やかなパーカッションを鳴らしたハウストラックに浮遊感のあるスペーシーなコズミックシンセ、ディストーション・ギター、[Flying Dutchman]で知られる 超大御所ジャズ・ヴォーカリストLEON THOMASの歌声、トランペットを交えた コズミック・ハウス作「Winter Island Romance」。どちらも間違いありません!当然、今回も超一押しです!

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PARRIS MITCHELL

PARRIS MITCHELL Juke Joints Vol.1 (Deep Moves) »COMMENT GET MUSIC
94、5年頃、DERRICK MAYがヘビー・プレイしたカルト・シカゴ・チューンが復刻! うぉー!!これだったんだ!DERRICK MAYが、[Dance Mania]や[Relife]辺りのシカゴ・ハウスを連発していた94、5年頃に、毎回欠かさずプレイしていた、ジャッキン・ハウスが復刻! 94年に[Dance Mania]からリリースされた2枚組「Life In The Underground」から、4曲が抜粋されて復刻!何と言ってもA2に収録されている「Rubber Jazz Band」がイチオシ!ジャジーなウッド・ベースとチープにフランジングするウワ音のみで超ファンキーに攻めるシカゴ・チューン!94、5年頃のDERRICK MAYのDJプレイで、欠かさずプレイされていいました!個人的にも15年以上探していたので、これは本当に嬉しい

8

2000 AND ONE

2000 AND ONE Kreamm (Bang Bang!) »COMMENT GET MUSIC
VILLALOBOSとLUCIANOが"B2B"でプレイしている、TYREE「Video Clash」 のカヴァーがコレです! 既にヨーロッパで話題となっているキラー・チューン![100%Pure]のディスコ・ライン人気レーベル[Bang Bang!]の新作は、ボス2000 & ONE自らが、いろんな意味で強烈な一枚をドロップ!シカゴ・クラシック古典、TYREE「Video Clash」 の、カヴァー?リメイク?リミックス?リエディット?コピー? 笑いが出るくらいに「Video Clash」 なんですが、とにかくカッコイイです! ヴァイナル・オンリーです!

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PIGON

PIGON Sunrise Industry (Dial) »COMMENT GET MUSIC
両者共にソロ活動が活発化し、各自順調な活躍を魅せていた、EFDEMINとRNDMコンビが久々にPIGON名義で新作をリリース!温度感もテンションも「絶妙」!決して熱くならない、程良い高度感を保ちながら、淡々とビートを刻んでいく「Painting The Tape」、丁寧な音響工作も光る、アトモスフェリックなディープ・テクノの「Sunrise Industry」、拍子木のような音が、巧みに変化そながら転がっていく「Flip_Over Pill」など、全曲完璧!

10

REWARDS

REWARDS Equal Dreams (Dfa) »COMMENT GET MUSIC
BEYONCEの実妹 SOLANGE KNOWLESをフィーチャーした ソウルフルなNu-Disco作!コレ、本当にオススメです! TEST ICICLESの元メンバーとしての活躍でも知られる DEVONTE HYNES新作が NYの名門[Dfa]から登場。何と言ってもオススメは、Side-Aに収録されたタイトル作「Equal Dreams」で、グルーヴィーなブギーファンクグルーブとメランコリックな鍵盤、生っぽいフルートなどが交差するトラックに、ソウルフルな歌声を響かすSOLANGE KNOWLES嬢のヴォーカルが見事にハマる、Nu-Disco〜Deep House方面にかけて幅広くオススメしたい 超大推薦作!!カップリングには、同作のインストと、80年代のシンセポップな雰囲気を感じさせる「Asleep With The Lights On」。是非、チェックしてみて下さい!

WE DON'T CARE
ABOUT MUSIC ANYWAY...
- ele-king

 現在、渋谷のユーロスペースで公開されている映画を紹介したい。『WE DON'T CARE ABOUT MUSIC ANYWAY...』という日本の実験音楽/即興音楽のアーティストたちを追ったドキュメンタリー・フィルムだ。坂本弘道、大友良英、山川冬樹、L?K?O、Numb&Saidrum、Kirihito、Umi no Yeah!!(竹久圏、嶋崎朋子)、Goth-Trad、Hikoといったさまざまなジャンルのアーティストが出演している。
 『WE DON'T CARE ABOUT MUSIC ANYWAY...』は音楽主義を貫いていると言える。フランス人を中心とした制作クルーは、アーティストの歴史や背景を追うことよりも、彼らの一度きりの即興を捉えることに情熱を傾けている。画面は音の立ち上がる過程と瞬間をリアルに映し出し、4年という歳月をかけてパフォーマンスの現場に拘りつづけた努力は素晴らしい結果を生み出している。
 この映画はすでに、スイス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、ポーランド、カナダ、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、シンガポールといった世界各地の映画祭などで上映され、国内では昨年、吉祥寺バウスシアターで開催された爆音映画祭で先行上映された。
 とにかく面白い音を出して、未知の領域を開拓したいというアーティストたちの無邪気で原始的な動機に痺れる作品だ。実験音楽/即興音楽に普段は親しみのない音楽ファンも必ずや振り向かせることだろう。それだけ魅力のある"音楽映画"だ。DVD化するかは未定なので、いま映画館で体感しておいたほうがいい。(二木信)

WE DON'T CARE ABOUT MUSIC ANYWAY
https://www.wedontcareaboutmusicanyway.com/ja/

劇場情報
2011年1月15日(土)より、3週間レイトショー!!
21:00(連日)
渋谷ユーロスペース www.eurospace.co.jp
渋谷・文化村前交差点左折
03-3461-0211
特別鑑賞券 1,400円(税込) 発売中!
○劇場窓口・プレイガイドにて
○劇場窓口、各プレイガイドにてお求めください。
○ご鑑賞当日、劇場受付にて入場整理番号とお引き換え下さい。
当日:一般1,700円/大学・専門学校生1,400円/会員・シニア1,200円/高校生800円/中学生以下500円

出演者

●坂本弘道
1962年、広島生まれ。チェロ奏者、他にボイス、ノコギリを奏する。様々なエフェクター類を駆使し、叩く、こする、回す、果ては電動ドリルやグラインダーでチェロから火花を散らすパフォーマンスまで、イメージの氾濫ともいうべき演奏は常に刺激に満ちている。
「midori」(88年~92年)、少年マルタとの「echo-U-nite」(90年~01年)、石塚俊明(ex頭脳警察)の「シノラマ」を経て、ロケット・マツ主宰「パスカルズ」、チェロのみ3人のユニット「COTU COTU」、Lars Hollmer(from Sweden)と日本人音楽家とのユニット「SOLA」、大熊ワタル主宰「シカラムータ」等数々のバンドに名を連ねる。滝本晃司(from たま)、Mika PUSSE(from Paris)、十時由紀子、あかね、大谷氏・とっちゃん(from 富山)、高橋CAZ、火取ゆき、遠藤ミチロウ、等ボーカリストとの共演も多く、02年11月?03年1月にかけてUAの全国ツアー「空の小屋」に参加した。03年にはHacoとの共同プロジェクト「Ash in the Rainbow」を発表。
また、インプロヴァイザーとしての活動を中心に、様々な音楽家とのセッションを精力的に行っている。過去の共演者?さがゆき、風巻隆、おおたか静流、横川タダヒコ、鬼怒無月、ライオン・メリー、林栄一、向島ゆり子、沢井原兒、小山彰太、とうじ魔とうじ、梅津和時、サム・ベネット、HONZI、不破大輔、中尾勘二、大友良英、内橋和久、黒田京子、千野秀一、安藤明(from Berlin)、故・井上敬三、ARFIの「32 JANVIER」(from Lyon)、Jonathan Segel(from California)、等々。ジョン・ゾーンの「コブラ」「ベジーク」(プロンプター:巻上公一)等の集団即興にも度々参加している。
近年は精力的にソロライヴを行っており、99年にソロアルバム「零式」を発表している。
https://home.catv.ne.jp/dd/piromiti

●大友良英
1959年生まれ。ターンテーブル奏者 / ギタリスト / 作曲家として、日本はもとより世界各地でのコンサートやレコーディング等、常にインディペンデントなスタンスで活動し、多くのアーティストとコラボレーションを行っている。
また、映画音楽家としても、中国 / 香港映画を中心に数多くのサウンドトラックを手がけ、ベルリンをはじめとした多くの映画祭で受賞、高い評価を得ている。
近年はポスト・サンプリング指向を強め、「Ground-Zero」のプロジェクトに代表されるようなノイズやカット・アップ等を多用した大音量の作品から、音響の発生そのものに焦点をあてたスポンティニアスな作品へと、ドラスティックに作風を変化させている。
Sachiko Mと結成した電子音響系プロジェクト「Filament」で徹底した脱メモリー音楽を指向する一方で、伝統楽器とエレクトロニクスによるアンサンブル「Cathode」や、60年代のジャズを今日的な視点でよみがえらせる「大友良英 New Jazz Quintet」等をスタート。他にも邦楽器の為の作品の作曲、多方面でのリミックス、プロデュース・ワーク等、多忙を極める。
https://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj

●山川冬樹
ホーメイ歌手、あるいは『全身美術家/全身音楽家』。 1973年、ロンドンに生まれ。横浜市在住。音楽、美術、舞台芸術の分野で活動。
身体内部で起きている微細な活動や物理的現象をテクノロジーによって拡張、表出したパフォーマンスを得意とする。電子聴診器で心音を重低音で増幅し、さらに心臓の鼓動の速度や強さを意図的に制御し、時に停止させながら、それを光の明滅として視覚化。己を音と光として空間に満たすことで、観客との間の境界線を消滅させることを試みる。また、骨伝導マイクを使った頭蓋骨とハミングによるパーカッシブなパフォーマンスは、ソニーウォークマンのコマーシャルで取り上げられ話題を呼んだ。
活動の範囲は国内にとどまらず国際的に展開。2007年、ヴェネツィア・ビエンナーレ・コンテンポラリーダンスフェスティバルから前年に引き続き二回連続で招聘を受け、同年秋に行った米国ツアーは各地で公演がソールドアウト。ヨーロッパ、アメリカ、アジアのライブハウス、劇場、美術館でライブ・パフォーマンスを行う。
こうしたパフォーマンス活動の一方で展示形式の作品を制作。遺された声と記憶をテーマにした、映像・サウンド・インスタレーション「The Voice-over」を、釜山ビエンナーレ(2008)、東京都写真美術館(2008)、ヨコハマ国際映像祭(2009)、などで発表する。同作品は東京都現代美術館のコレクションに収蔵され、現在常設展示室で公開されている。
歌い手としては、日本における「ホーメイ」の名手として知られ、2003年ロシア連邦トゥバ共和国で開催された「ユネスコ主催 第4回国際ホーメイフェスティバル」に参加。コンテストでは「アヴァンギャルド賞」を受賞。その独自のスタイルは、現地の人々に「авангардное хоомей(アヴァンガルド・ホーメイ)」と称される。同年東京で開催された「第2回日本ホーメイコンテスト」では、第1回大会(2001年)に引き続きグランプリと観客賞をダブル受賞。「ホーメイ」の伝統と、現代の等身大の感覚からなるハイブリッドなスタンスで、独自の境地を切り開く。2004年よりシタール奏者ヨシダダイキチが結成したバンド「AlayaVijana」に参加。バンドのフロントマンをつとめ、フジロックフェスティバルをはじめ多くのフェスティバルに出演、2枚のアルバムを発表。
また、声ついての連載エッセイを、「未来(未來社)」誌上で2007年より2年間執筆。複数の大学入試において国語科目の長文問題に採用されている。
現在、東京藝術大学先端芸術表現科、多摩美術大学情報芸術コース非常勤講師。
https://fuyuki.org/

●L?K?O
1974年、東京生まれ。
ターンテ-ブリストとして早くから様々な音楽フォーマットをスクラッチにより解体、再構築するスタイルをベースに活動。Moodman、Original Love、ooioo、灰野敬二氏などあらゆる分野のアーティストとのセッションを経て、近年では、海外でのイベントにも度々招聘されるまでに至る。スクラッチとリアルタイムのDSP処理によって常に変化を生み出す唯一無二のDJスタイルは多数の音楽家から評価を受け、各種コンピレーションアルバムに自身の楽曲を提供、数々のRemixを手掛けるなど、多岐に渡る活動を続けている。
https://m-hz.com/lko/index.html

●Numb
1992年、ニューヨークのINSTITUTE OF AUDIO RESEARCHでエンジニアリングを学び、帰国後の1995年、CALMと共にレーベルKARMA MUSICを立ち上げ、シングル「FILE#2 /深脳」をリリース。
1997年にはレーベル、リヴァースの立ち上げに携わり「BEGINNING OF THE END」「ILLFUSION」「89」といった12インチシングルをリリースする。そして、2002年にリリースしたファースト・アルバム『NUMB』は、鋭さと荒々しさの裏に静寂さを合わせもつ奥深いサウンドで、聴く者のすべての感覚を振動させた。
NUMBはサウンド・パフォーマンスにおいて、ラップトップを用い、MIDIコントローラーでビートやヴォリューム、エフェクトや曲の構成をリアルタイムに操り、フィジカルに演奏する。そして、その音が身体に吸収されると、退化していた器官は開き、細胞が音を聴き始める。その霊妙な演奏は、パリで行われたBATOFARやアムステルダムのSONIC LIGHT、日本のFUJI ROCK FESTIVAL、そしてデンマークのROSKILDE FESTIVAL、同じくデンマークのFUTURE SOUND OF JAZZ FESTIVAL等、国内外で高い評価を得ている。
2003年5月、それらのサウンド・パフォーマンスをパッケージしたライヴ・アルバム『東京』をリリースし、凄まじい勢いで変貌する東京の街に疑問を投げかけた。そして、消費やスピードと引き換えにしてきたものを取り戻したいという彼の強い念が、ラップトップに魂を宿らせた。 2004年、そのサウンドはエレクトロニカ、テクノ、ブレイクビーツ、トランス、ヒップ・ホップと総てを網羅しながら、新たなグルーヴの創造を続けている。
https://www.ekoune.org/

●Saidrum
NOIZEから削り出される緻密な音響工作、そしてミニマルに展開されてゆくダブ・ワイズなスタイルで、ラディカルかつ、ディープなリズム・サウンドを演出するSound Innovationist。
96年にNUMBと出会い、サンプリング・マシーンを軸に、ジャングル、ダブ、D&B、ハードコアブレイクビーツを中心としたトラック制作を開始。その後、1999年にファーストシングル「MATADOR」をリリース。
以来、情報過多な社会の中で発生するカオティックなリズム、自然の中で脈々と流れ続ける普遍的なリズム、それら対極的な要素を音に混在させ、独自のバランス感覚でトラックを構築する。又、2004年には待望のファースト・アルバム『deadpan rhythm』(RECD-010)をリリース。圧倒的なまでの密度と緊張感が支配するデジタル・オーディオの急先鋒とも謳われたそのサウンドメイキングは、聴けば聴くほどに引きずりこまれてゆく孤高のインダストリアル・サウンドを演出した。そして、音の洪水で満たされるライブ・パフォーマンスは、その空間を時に不規則に、時に規則的に、徐々に変化をつけ、サブリミナル・催眠的とも言える魔性のグルーヴを紡ぎだす。
https://www.ekoune.org/

●Kirihito
1994年結成。GROUPのメンバーでもあり、UAのライヴ・バンドや、一十三十一やFLYING RHYTHMSの作品に参加している竹久圏(g, vo, key, etc)と、GAKIDEKA、高品格でも活動する、THE BACILLUS BRAINSのサポートも務める早川俊介(ds, vo, etc)のデュオ。ライトニング・ボルトよりも、ヘラよりも、あふりらんぽよりも早かったデュオ、である。ギターをかき鳴らしながら足でカシオ・トーンを弾き、歌う竹久、スタンディング・スタイルでドラムを叩く早川という、見世物的というか、アクロバティックなライヴ・パフォーマンスの楽しさも然ることながら、ポップでダンサブルでありながらもキテレツかつ凶暴なその音楽はまさにワン&オンリー。これまでにホッピー神山のGOD MOUNTAINレーベルより2枚、DMBQの増子真二のナノフォニカ・レーベルより1枚のアルバムをリリースしている。1996年から98年にかけて4 回、アメリカ・ツアーを敢行し、ダブ・ナルコティック・サウンド・システム、アンワウンド、モデスト・マウス等と共演している。日本国内においても全国各地で精力的なライヴ活動を展開している。ミュージシャンのシンパも多い。
https://www.kirihito.com/

●Umi no Yeah!!
神奈川県、油壺マリンパークで出会った2人が 意気投合し結成。 商売繁盛トロピカルサウンドをモットーとする 常夏の伊豆(ノイズ)ユニット。 マズくてもウマく感じるカレーライス。 摩訶不思議、海の家。 貸ボートはありません。 竹久圏(KIRIHITO/Group/younGSounds)と女優の嶋崎朋子による常夏トロピカル・ノイズユニット! 最近ではバイト(メンバー)にシロップさん(aka コンピューマ)藻JAH先生(aka KUJUN)加わり、年中無休開店中!
https://umi-no-yeah.com/

●Goth-Trad
ミキシングを自在に操り、アブストラクトなアプローチでダンス・ミュージックを 生み出すサウンド・オリジネイター。
2001年12月にフランスの船上パーティ"Batofar(バトファー)"で海外イベントに初登場。独自のサウンド・コラージュで話題を集めた。2001年、秋本"Heavy"武士とともにREBEL FAMILIAを結成。
ソロ、GOTH-TRAD(ゴス・トラッド)として、2003年4月に 1stソロ・アルバム「GOTH-TRAD I」を発表。国内でソロ活動を本格的にスタートする。同年秋にフランス・ツアーを敢行。
翌2004年1月、THE MARS VOLTA東名阪ツアーの オー プニングアクトを務めた。5月~6月にもヨーロッパ・ツアーを敢行。11月にはアート・リンゼイの東京公演にオープニングアクトとして出演。
2005年1月、2枚目のソロ・ アル バム「The Inverted Perspective」をリリース。同年3月、韓国ソウルで開催された日韓友情年イベントの"KOREA-JAPAN Road Club Festival 2005"に出演。マッド・レイヴと称した新たな音楽性を打ち出し、3枚目のソロ・アルバム「Mad Raver's Dance Floor」を発表後、ベルリン,パリ,メッツ,ロンドンそして国内8都市でリリース・ツアーを行なった。
2006年1月、限定アナログ盤12"シングル「Paranoia/Acid Steps」のリリースをかわきりに、現在
進行形Mad Raverに送る、新たなフロアチューンを製作中。
https://www.gothtrad.com/index_j.html

●Hiko
国内外で活躍中のパンクバンド「GAUZE」のドラマー。その活動と平行して、「あらゆる芸術、芸能、表現活動」の、「最も攻撃的な、破れかぶれな」部分と自己のドラミングスタイルとの融合をもって「在りそうで無かった"ハードコア的パフォーマンス、音楽」の実現を標榜し、各種表現者らと共闘中。過去の共闘者は、舞踏家、格闘家(立ち技打撃系)、バリガムラン奏者及びダンサー、俳優による朗読、薩摩琵琶奏者、ホーメィ歌手、コンテンポラリーダンサー、フェンシング競技者、暴走族のバイクのアクセルミュージック等。

NDENDEKI - ele-king

野外でデカイシステムで爆音で聴きたいレコード TOP10


1
Muff & Tantrum-Suss,Year of the Pig-Dead Pig

2
Crystal Distortion-Wigger-Labrat Audiochemical

3
69db-How to get from here to now- Perce-Oreille

4
Subjex-Supersonic Mezze-In Vitro

5
Crystal Distortion-Labrat Audiochemicals 1998-Perce-Oreille

6
Seio-8bit Gaming Zone-Freeshuffle

7
Charles Tox & Krak In Dub-Sound Control-Galletas calientes

8
Subliminal Criminal-Funny in the head-nocturnalstate

9
MSD-Swinger-WAR

10
Les Boucles Etranges-T-Ozore Age

※こちらで全て購入できます >>> https://www.toolboxrecords.com/

■ライヴ・スケジュール
2010年12月10日(金)Reezent(Sunga&Ndendeki)
@新宿ANTIKNOCK https://www.nitro-x.net/

2011年2月11日@高円寺 STUDIO DOM
∞REEZENT/ME∞prezents 1st A
[LIVE]TEKNOIST / REEZENT
[DJ]DOPPELGENGER / BiYONBON /∞mugeME∞
[VJ]Digital Chakra
[DECO]COLUR GUNG vs アナスイ vs 先

https://corehead.main.jp/
https://corehead.blog66.fc2.com/blog-entry-65.html
https://universalmarginalradio.blogspot.com/2010/10/um-radio-006-aaaaaahmbient-ndendeki.html
https://www.discogs.com/MSD-2-Ndendeki-Vs-Mat-Weasel-Japanese-Teknival/release/1311857
https://www.discogs.com/Frazzbass-Hardcore-Inferno-Vol-1/release/1742730

interview with Mitsuru Tabata - ele-king

 ボアダムス、ゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル......いずれも日本国内にとどまらず世界的な規模で活動しているバンドであり、欧米で高く評価されているバンドだ。そしてこの3バンドにはひとつの共通点がある。それが、今回紹介する田畑満というギタリストである。ボアダムスのオリジナル・メンバーであり、現在もゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノに在籍、それ以外にも数限りないバンド/ユニットに参加して毎日のように世界のどこかで演奏している。

 まずは彼のプロフィールを紹介しよう。80年代前半にレゲエ・バンド「蛹」でデビュー。「関西ノー・ウェイヴ」などと呼ばれ盛り上がりを見せていたポスト・パンク/ニューウェイヴ・シーンの影響を浴びながら、和風ニューウェイヴとでも言うべき奇異なバンド「のいづんずり」に参加、ほぼ時を同じくして当時ハナタラシでの活動悪名高かった山塚アイとボアダムスを結成。

 ボアダムス脱退・のいづんずり解散の後、K.K.NULL率いるプログレッシヴ・ヘヴィ・ロック・バンド、ゼニゲバのリード・ギタリストとしてワールドワイドな活躍を開始。デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラによるレーベル〈Alternative Tentacles〉より数々のアルバムをリリースする。ベースレスのトリオというコンパクトな編成ながら、その緻密かつパワフルなアンサンブルはどんなメタル・バンドにも負けない鋼のようなサウンドだ。


タバタミツル
ルシファー

map / Compare Notes Records

Amazon

 00年代に入ると参加バンド、ユニットの数は加速度的に増殖する。河端一率いる"魂の共同体"アシッド・マザーズ・テンプル関連バンドのひとつ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノでベーシストとしてデビュー。レニングラード・ブルース・マシーンは自身のリーダー・バンドであり、幾多のメンバーチェンジがありつつも現在に至るまでもっとも長く続いているジャム・バンドだ。酔いどれブルース・シンガー/ギタリスト、スズキジュンゾとのデュオ、 20ギルダーズ(20 Guilders)はエレキ・ギターの弾き語りによる歌もので、レニングラードでも垣間見せていた歌心がじっくり味わえる。関西パンクの伝説ウルトラビデのヒデ率いるアマゾン・サリヴァ(Amazon Saliva)はボガルタの砂十島Naniをドラムに迎え強力なテンションで突っ走るスーパー・パンク・バンド。「Pagtas」ではポップながらも奇妙にギクシャクしたリズムをベーシストとして支えている。その他にも個性豊かなさまざまなバンドが活動中であり、その数は依然として増え続けているようだ。
 また、ヨーロッパをはじめとした多くの国のレーベルからリリースされているソロ作品の数々は逆回転や回転数の操作など多様な音響実験の施された、世界に類を見ない奇妙なサイケデリック・インストゥルメンタル・ミュージックを聴くことができる。残念ながら国内ではあまり流通していないようなので、本人のオンライン・ショップをチェックすることをおすすめする。(https://tabata.cart.fc2.com/

 今年7月に渋谷のO-Nestで開催された高円寺円盤主催のフェスティヴァル「円盤ジャンボリー」の初日には「タバタミツル SPECIAL」と称してソロを含めた6バンド/ユニットでの大特集が組まれるなど、アンダーグラウンド・シーンにおけるその信頼と愛され方は既に揺ぎ無いものがある。そんな田畑満という人物の魅力の一端を伝えることができれば幸いだ。

変なところでいっぱいやってますよ。オハイオ州のコロンバスにランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。

ご出身は京都なんですよね。

田畑:京都です。京都府立鴨沂高校中退。同じ軽音部の先輩にピアノのリクオさんがいて。彼が部長でした。

最初の本格的なバンド(蛹)はレゲエバンドだったということですが、軽音楽部で結成したんですか。

田畑:同じ軽音楽部だった小学生からの友人と、学外の人間と結成しました。ベースは『ミュージック・ライフ』で募集しましたね。最初は女の子でしたが、途中から細井尚登さん(壁画家、チルドレン・クーデター)に代わりました。当時ポニーキャニオンが日本のレゲエ・バンドのコンピを出すって言うので、デモテープを送ったら受かって。六本木のS-KENスタジオで録音したんです。中間試験の真っ最中で、それで落第して(笑)。めんどくさくなって中退しました。

軽音部時代はどんな音楽を?

田畑:いやあ......INUのコピーとか(笑)。あとピンク・フロイドとか。

INUとピンク・フロイドじゃだいぶ違いますけど(笑)。

田畑:まあ軽音バンドってメンバーがやりたい曲を1曲ずつ持ち寄ったらたいてい無茶苦茶になるから。

INUに関しては、同じ関西っていう意識はあったんですか?

田畑:まあそうですね。当時どらっぐすとぅあっていうお店が京都にあって、ライヴ・テープがたくさんあったんで聴いてました。当時SSがいちばん好きでしたね。

じゃあウルトラビデなんかもその頃から見てたんですか?

田畑:知ってましたけど、ちょっと高校生にとっては理解を超えてて(笑)。『ドッキリレコード』(INU、ウルトラビデ、変身キリン、チャイニーズ・クラブの4バンド収録のコンピレーション・アルバム)でしか聴いたことなかったんですよ。その他の音源は聴いたことなかったから。EP-4はよく行きましたね。蛹のデビュー・ライヴか何かの時に佐藤薫さんがおめでとうとか言って一升瓶を差し入れしてくれました。高校生やのに(笑)。

S-KENスタジオで録音したものっていうのは、世に出てるんですか?

田畑:『JAPAN REGGAE CRUSH』っていうコンピで。ほかにP.J & Cool Runningsとか。

その後の活動を見てると田畑さんとレゲエってあまり結びつかないんですけど、当時はレゲエがお好きだったんですか?

田畑:ギターが簡単じゃないですか(笑)。ギターが弾けるようになる前にバンドを組んだから。楽器買う前にバンドはじめてたんで。

じゃあできないものを引いていくと残ったのがレゲエだったと。

田畑:あとディレイ。

ダブですね(笑)。

田畑:あ、そうですね(笑)。

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裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。

音源が出た後もある程度は活動されてたんですか?

田畑:すぐ終わっちゃいましたね。ベースの細井くんが辞めて、ドラムの子が進学するって言って。それで解散しました。

高校生バンドっぽい終わり方ですね。それが82、3年。その後はのいづんずりですが、誘われて入った感じですか?

田畑:いや、その前にSSでベースを弾いていた竹野さんがやっていた「アイ・ラヴ・マリー」というバンドでギターを弾いていました。あれは一発でクビになったんかな? そして「セッティング一発」。ニプリッツでギターをやってるジンさんがいまでもやってるダストってバンドがあって、そこのヴォーカルのタチメさんがやっていたバンド。そこにちょっと入ってて、その後のいづんずりに入った理由はわからないですね。志願したのかな。

音楽性は田畑さんが入る前からある程度固まってたんでしょうか。

田畑:もともとまあ、ニューウェイヴですよね。不気味な(笑)。その前にいたのが東京でカメラマンをやっている方で、わざわざ京都まで来てやってたから、その方と交代というか......最初はふたりともいたのかな、録音には。ライヴ活動は僕がひとりでギター弾いてたんですけど。

アルバムには戸川純さんも参加されてるじゃないですか。割とポップ・シーンに近いバンドだったわけですよね。

田畑:あれは何ででしょうね。リーダーの福田研さんの知り合いだったみたいですけど。ライヴもやったりしましたね、ライヴ・インとかで。レコ発だったのかな。そのときに限ってお客さんがいっぱい来て(笑)。ギャラも結構な額がもらえたから、そんなの若いもんに与えたらねえ。帰る頃にはもう一銭もなくなってましたけど。六本木とかで無茶苦茶やって(笑)。レッドシューズってお店に行ったり。

ヴォーカルのインドリ・イガミさんは結構強烈なキャラの方だったそうですが、結局クビみたいな形になるんですかね。

田畑:そうですね、最後は京都芸術大学で少年ナイフとかの出たコンサートがあって、その日にクビになりました。学祭って模擬店というかお店がいっぱい出るじゃないですか。それで早い時間から飲みすぎでほとんど歌が歌えないような状態やったんで、みんな怒って。

当時の関西ってEP-4がいたりINUがいたりして、ニューウェイヴで個性的で魅力的なバンドが多かったですよね。やっぱりそういう環境みたいなものには影響されてましたか?

田畑:そうでしょうね。聴いてる音楽は違いましたけど。高校生のときに京都にDee Beesっていうお店があったけど、あんま行かなかったですね。

当時は京大とか、大学でも東京のニューウェイヴバンドを招聘してやったりしてましたけど、あんまりそういうのは行ってないですか?

田畑:いや、それは行ってますね。お店系に行かなかっただけで。あの頃の京都ってだいたい3つの大きいグループに分かれてたんですよ。EP-4とかのスタック・オリエンテーション。あとは西部講堂のビートクレイジーですよね。コンチネンタル・キッズとか。それと僕らは「服屋系」って呼んでた人たちがいたんですけど。ノンカテリアンズっていう、ノーコメンツにいた人たちが作ったバンドで。あとHIP-SEE-KID(ハープシコード)って、モンド・グロッソの大沢伸一さんがいたバンド。それはお洒落な人たちで、だいたい服屋でバイトしてたから「服屋系」(笑)。だいたい大きくその3つの流れがありました。

のいづずりというか、田畑さんはそのなかではどちらに?

田畑:のいづんずりのファーストLPは〈テレグラフ〉からリリースされたんですけど、EP-4の佐藤薫さんがプロデュースする話もあったりしたから、その周辺ということになるんでしょうね。個人的に良く遊びに行ってたのはビートクレイジーでしたけど。

当時もっともよく覚えてるライヴってありますか? 衝撃を受けたライヴとか。

田畑:裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。終わった後に駐車場のところに水谷孝さんが立ってて、駆け寄って「おつかれさまです!」とか言ったら「煙草持ってる?」って言われて、ピースを差し出して。「何かバンドやってるの?」って言われたんだけど、そのときなぜかボブ・マーリーか何かのTシャツを着てて(笑)。で、「レゲエ・バンドやってるんですわ」って言ったら「あ、そう」みたいな、それはよく覚えてます(笑)。あの頃でいちばん印象に残ったライヴっていったらそれですねえ。わけわからんかったですけど。事前情報も何もなくて、謎のバンドが来るみたいな。

7時から3時までって言ったら8時間ですよね。

田畑:それも何か曖昧な......あっと言う間に過ぎたのか。途中で1回寝てるんですけど(笑)。他にはINUの町田さんがアーント・サリーのビッケさんとやりだした「ふな」ってバンドがいて。あれはすごく印象に残ってます。

キャプテン・ビーフハートみたいなことやってましたよね。

田畑:ちょっとレゲエも入ったりしてて。

あれはすぐ終わっちゃいましたよね。音源とかも出さないで。

田畑:最後のライヴはメンバーが全員いなくなって、ひとりで出たっていうのがありました。経緯を覚えてないんですけど、そのあとで大阪の町田町蔵さんの家まで遊びに行ったことがありますね。停電になったか何かでアルコール・ランプで火をつけようって言って、でもアルコールがなかったからライターのガス入れたらどうやって。やってみたら爆発して眉毛が焦げたっていう(笑)。その後はもう全然会ってないですね。うちの実家に来たこともあったんですけど。何かサンマの頭も食べたはったのは覚えてますね。たんについて回ってただけなんでしょうけどね。子供が兄貴分みたいなのについていくっていう。僕がそのとき17とかだから、向こうも21とかじゃないですか。

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木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。


タバタミツル
ルシファー

map / Compare Notes Records

Amazon

ハナタラシはボアダムスをやる前から見てたんですか?

田畑:のいづんずりのライヴで知り合ったのかな。あ、ノイバウテンのライヴがあって、そのときにアマリリスのアリス・セイラーさんから紹介してもらったのか。アマリリスのライヴが血糊とか使ったホラーショウみたいな演出になってて、そこに山塚アイさんが出てたんですよ。これまた経緯が前後しててよく覚えてないんですけど、いっしょのアパートに住んでたんです。京都に安田荘っていうアパートがあって、そこに間借りしたりしてた。ハナタラシがサイキックTVの前座をやったときに爆弾を持ち込んだ事件のときも、僕はその日バイトで、スタッフも同じアパートやったから「まあ頑張ってきてやー」って送り出した覚えがある(笑)。それで夜中に帰ってくる音がして、「アカンかったわー」とか言って。

すごいですね(笑)。同じ部屋に住んでたんですか?

田畑:いや部屋は一応バラバラでトイレは共同でしたけど。いまでもあるんですよ、そのアパート。木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。......アイちゃんもずっと会ってないな。

いっしょに音楽を作ろうってなっていくわけですよね

田畑:とりあえずハナタラシがライヴできないからバンドをやりたいって言ってて。どこも出入り禁止だったから。最初はバズコックスみたいなバンドっをやろうてことで、ボアダムスって名前もバズコックスの曲名から取ったんですよ。メンバーは身近なところで、竹谷郁夫さん(元ハナタラシ、現在はヴァーミリオン・サンズのリーダー)がドラムで、細井尚登さんがベース。でもアイちゃんが持ってくる曲はバズコッコスとは全然違うんですよ。ブラック・サバスみたいなのとか。デビュー・ライヴは映像があるはずなんですよね。こないだハイライズがDVDを出したんですけど、そのときのライヴが入ってたので。デビュー・ライヴはハイライズとオフマスク00が対バンでエッグプラントでやったんです。どんな曲やってたかな。バットホール・サーファーズのコピーとか、あとはブラック・サバスみたいな曲。

山塚さんが曲を持ってくるような感じだったんですか

田畑:そうだったと思うんですけど、うーん......よく覚えてないな。何かもうワケわからんことをやってて、みんなもたぶんわかってなかったと思うんですけど(笑)。

ファースト・シングルの「Anal By Anal」はふたりで録音したんですよね。

田畑:そうです。アイちゃんのアパートで。

同じアパートですか?

田畑:いや、それもよく覚えてないんですけど、そのときはもういなかったんですよ、安田荘には。八尾にアパートを借りて住んでて。ひょっとしたら両方に住んでたのかな。八尾まで行って録音したんですよ。何を録ろうかって喫茶店で相談して、焼き飯を食って。その焼き飯がめちゃ旨かった(笑)。それで録音は村上ポンタさんのドラム教習ヴィデオに音を被せて、歌は後で入れとくわとか言ったのかな。それで帰りにいっしょに駅に行く途中に曲名を考えてて、ずっと「アナルなんとか」って、アナルアナル言うてたのはよく覚えてる。

その頃から曲名にこだわってたんですね。

田畑:そうですよ。そういうノート見たことがある。「アル&ナイナイズ」とか(笑)。

バンド名をいっぱい考えるのが好きみたいな話はよくしてましたよね。

田畑:その前にたしか〈トランス・レコード〉のコンピに参加してるんですよ。そのときは一応録ろうって言ってスタジオで全員で録音したんですけど、使われたのは最後の五秒くらいで。前半はずっとアイちゃんがひとりでやってるノイズみたいなので、何でそうなったのかわからない(笑)。

その頃からそういう、素材を後からいじり回すような感じだったんですね。それはのいづんずりと並行してやってた感じなんですよね。ボアダムスでもライヴは結構やったんですか、そのメンバーで。

田畑:10回以上はやってますかね。まあだんだん客は減ってくる(笑)。途中から吉川豊人くんがドラムになって、その経緯もよくわからないですけど。しばらくしたら細井くんも辞めてベースがヒラくんになって。ヒラくんが入ってからは吉川くんの家で練習するようになりましたね。けっこう大きい家だったんで。集まりが悪いんですよ。それで遅刻したら罰金ってことにして、30分千円とかにしたらピタっとくるようになったんですけど(笑)。それで何回かライヴをやりましたね。

ボアダムスを辞めたのは?

田畑:のいづんずりのメンバーからセカンド・アルバムを出すって話が来て、そのときに「お前、ボアダムスとのいづんずり、どっちを選ぶねん」みたいな掛け持ちに対する圧力があったんですよ(笑)。ウルトラビデのヒデさんとアマゾン・サリヴァを結成したときにその話をしたんですよ。ヒデさんはニューヨークに行ってたから事情を知らないんで。それで「僕ボアダムスにいたんですよ」「ほんま!?」「あのときボアダムスとのいづんずりどっちを選ぶって言われてのいづんずりを選んだんです」って言うたら、「それ人生最大のミステイクちゃうの」って(爆笑)。でもたぶん、俺があのままいたらボアダムスは存在してないですよ。ギターが山本精一さんに変わって、ヨシミちゃんが入ってバッチリ形になった感じがする。

それで、のいづんずり一本でいこうって決めてからは。

田畑:それがその後すぐにイガミさんがクビになった事件っていうのがあって(笑)、宙ぶらりんになった。ベースの福田研さんがボーカルをやるからって言って、ベースを入れたような気もするんだけど全然印象にないんですよ。インパクトが薄れてて。何回かライヴもやってるはずなんですけど。そのうち東京に行くとか言い出したんで、「俺は行かないから辞めるわ」って。イガミさんがインドリイガミ&ワイルド・ターキーっていうのをやってて、もう分裂状態。たしか僕は一時期両方やってたんちゃうかな。それで両方やるとはどういうことだってまた責められた記憶が(笑)。

当時はちょうどバンド・ブームとかインディーズ・ブームがあったじゃないですか。『宝島』あたりの。ああいうのはどういうふうに思ってましたか?

田畑:いやもう、載ったらモテるかなと(笑)。でも自分が載ったときは白塗りで阪神タイガースのユニホームを着てて、これじゃあかんやろっていう(笑)。もうちょっと見栄えのいいバンドに入ったらよかった。でも読んでましたね、時々は。『宝島』とか『フールズメイト』とか。ただ、雑誌がレーベルやるってどうなのかなって思った覚えがある。悪く書けないじゃないですか。

じゃあボアダムスも辞めてのいづんずりも失速していったと。

田畑:その頃何やってたんでしょうね。

レニングラード(LENINGRAD BLUES MACHINE)ってその頃からですよね

田畑:あ、そうですね。ベースが林直人くんって、アウシュヴィッツ(AUSCHWITZ)の林さんとは同姓同名なんです。ドラムが山崎くんっていう。いまはオショーと呼ばれたはるみたいですが、ユニ(UNI)っていうふたり組のバンドをやってます。ドラムと打ち込みの四つ打ちで、すごい人気あるらしいけど世界が全然違うんでまったくわからない(笑)。その3人でやってました。

レニングラードはメンバーを変えながらずっとやってる感じですけど、原型はこの時期に出来てたんですかね。

田畑:その後、僕がいない時期があったんですよ。

ああ、リズム隊のふたりでやってた時期が。そのときって田畑さんはハカイダーズっていうのやってましたよね。

田畑:あー、やってましたね! あれは東京出てきてからちゃうかな。

あ、じゃあもうゼニゲバに入った後ですね。

田畑:そうですね。ゼニゲバは竹谷さんがドラムだったので、関西でやってたんですよ。

ゼニゲバにはどういう経緯で入ったんですか?

田畑:NULLさんから電話があって、やってみようかなという話になったんですよ。それで何回かライヴをやった後に、『Maximum Love & Fuck』というLPをリリースしました。そして竹谷さんが辞めたあとで、吉田達也さんが加入して暫く叩いてました。今のメンバーですね。それでゼニゲバで東京に行くことになって。

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東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。

東京へ出てきた理由は何なんですか?

田畑:当時CBGBってライヴ・ハウスに勤めてて、その上に住んでたんですよ。そこの店長が何と言うか難儀な人で。俺このまま一生ここにいるんやろかって思って。

それで心機一転というか。

田畑:そうですね、環境を変えたかった。

新しいバンドで環境も一新して。関西の人が東京に出てくるときってそれなりに決意とかがあるじゃないですか。

田畑:いないですよ、実際あんまり。俺が知ってる人だと芳垣安洋さんとか向井千恵さんくらいですよね、関西生まれでいまもこっちに住んでる人は。東京に来なくてもできるじゃないですか。東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。アメリカに初めて行った頃には。

ディスクユニオンで働いてたのはゼニゲバで出て来てすぐですか?

田畑:国立で働いてたときに、駅のそばに国立店があったんですよ。それで前をいつも通ってて、肉体労働がキツくなってきた頃に募集してたから。

じゃあ最初から新宿店ではなかったんですか。

田畑:じゃなかったんですけど、そのうちに新宿店から来いよって言われて異動して。

やっぱりレコードに詳しいっていうのがあったんですか。たしかその頃ディスクユニオンのフリーペーパーがあってサイケのマイナー盤を紹介するような連載をやってましたよね。レコードマニアだったのかなと思ってたんですけど。

田畑:いや、あそこにいると詳しくなるんですよ。西口にヴィニールってレコード屋があるじゃないですか。昼休みになると走ってあそこにレコード買いに行ってて。レコード買いすぎて金銭感覚がおかしくなってきて「○○のオリジナルを2万5千円で見つけたよ!」「安いですね!」とか言って。2万5千円のLPのどこが安いねんっていまは思うけど、その頃は真剣に「安いですね」って言ってた(笑)。全部売りましたけどね(笑)。

ゼニゲバは海外ツアーを精力的にやってますけど、最初から海外を視野に入れてやろうっていうのはあったんですか?

田畑:いや、そんなことは全然ないと思います。最初NULLさんがソロで呼ばれて、その後バンドもってことになって。『全体去勢』ってアルバムのレコーディングをシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでやったんですよ。スティーヴ・アルビニのスタジオはいまは「エレクトリカル・オーディオ」って言ってますけど、その頃は普通の民家の地下にあって、トイレが流れる音がすると録音に入っちゃうようなとこでしたね。当時は8チャンネルで。アルバムのレコーディングを5日くらいでやって、録り終わったら初ライヴがあって、対バンがバストロやったんです。

ああ、じゃあ今日のTシャツはそのときに。

田畑:そのときもらったやつです。そのときはXLでブカブカやってんけど(笑)。

アメリカでライヴをした体験は、その後どのようにフィードバックされましたか?

田畑:ほんまに人気あったんやって思いましたね(笑)。アメリカに行く前はお客さんも少なくて、〈トランス・レコード〉周辺なんかのシーンも終わりかけてた頃で。そんな時期に向こうに行ったら、日本の音楽っていうのがこんなに求められてるのかって。その頃からボアダムスとかもみんな知ってましたね。ボアも行く前やったんですけど。それが91年。

日本ではいわゆるバンド・ブームが終わった頃ですね。

田畑:呼んでくれた人の家がマディソンってところにあって、小さい街だったんですけど、そこでライヴをやったりしてて。そこに行ったら対バンがメルヴィンズやったんです。当時は全然知らなくて、そのときに知り合いになったんですけど。その後はNULLさんがツテがあったからサンフランシスコに行って。

ほぁ。

田畑:ペイン・ティーンズが知り合いで、シスコでいっしょにやったんですが、最初に出たのがニューロシス(NEUROSIS)やったんですよ。まだみんな20歳とかで。そのときにジェロ・ビアフラが来てて、うちから出さないかって話になって。

どういう人でした、ビアフラは。

田畑:いや、よくしゃべる親爺やなって(笑)。そのときに録った『全体去勢』ってアルバムは、マディソンの人がやってた〈パブリック・バス(Public Bath)〉ってところから出たんですよ。〈パブリック・バス〉っていうのは日本のバンドをアメリカに紹介するレーベルで。最初にそこから出して、その次からがビアフラの〈オルタナティヴ・テンタクルス〉で。

93年の『苦痛志向』ですね。その前にNULLさんのレーベルから『内破』(92年)が出てますけど、これも録音はアルビニですね。

田畑:そうです。その時から2ヶ月とかツアーするようになって。わけわからへんですよ、2ヶ月も回ってると。最初は全然英語しゃべれへんかったんですけど、しゃべれるようになったからねえ。

じゃあもうそういうツアー生活っていうのも20年近いんですね。アメリカのバンドは、ほんとに小さいところまでツアーを回りますよね。

田畑:変なところでいっぱいやってますよ。ランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。オハイオ州のコロンバスってところで。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。あとゲームセンターね。日を空けたらあかんので、移動の距離が開いてるときは間に無理矢理ライヴを入れたりするんですよ、ゲームセンターでオールエイジ・ショーとか。やらないよりマシやから。最後のほうはここがどこだかわからなくなってきますね。

ゼニゲバって日本のバンドで長い海外ツアーをやるっていうスタイルの先駆けに近かったんじゃないかと思うんですよ。

田畑:どうなんでしょうね。いまだったらメルト・バナナがすごいやってますけど。

そうですね。メルト・バナナもやっぱりゼニゲバの影響はあったんじゃないですか。

田畑:NULLさんが最初にメルト・バナナのアルバムをリリースして、そのときから海外ツアーをはじめたんじゃないかと思います。

91年ならスティーヴ・アルビニってもうかなりのビッグ・ネームでしたよね。

田畑:そうなんでしょうけど、あまりそういう感じを与えない人ですよ。日本にも呼んだりしましたね。シェラックとか。あ、シェラックの前にひとりで呼んだのか。ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニで。あのときは初めての日本だったんですけど、ツアーするバンドと違ってひとりで来るから、着いていきなり日常に放り込まれて。大学の寮に泊まってました。

ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニでライヴ・アルバムが出てますね。『内破』の録音もそのときで。ゼニゲバのヨーロッパ・ツアーはどういういきさつで行くことになったんですか?

田畑:〈サザン・レコーズ〉っていう〈オルタナティヴ・テンタクルス〉の支社があって、ヨーロッパでのディストリビュートもやってるところで。結構もう確立されてたんですね。いろんなバンドが使うバンを貸す会社みたいなのもあった。93年くらいで。そのときのツアーマネージャー兼ドライバーがアメリカ人なんやけどヨーロッパに来て気ままにやってるような女の子で、後でGREEN DAYのマネージャーになりました。フランスからイギリスに入るときにワーキングビザが絶対必要じゃないですか。そしたらイギリスのオーガナイザーがその女の子の分だけ取ってくれてなかったんです。だから前日に物販担当の女の子とふたりで先に行ってるからってことになって。それでバンドだけでワゴンを運転して行ったら、フェリーに乗り込む段階で警官に囲まれて犬がぶわーっと出てきて。いろんなバンドに貸してるから、怪しい匂いでも染み付いてたのか(笑)、身ぐるみ調べられてるあいだに「ああー、フェリーが行っちゃうー」とか。ポーランドで車ごと機材を盗難に遭ったりとか、いろいろとタフな経験もしてます。

ヨーロッパだとどこがいちばん受けましたか?

田畑:当時はイタリアでしょうかね......。いちばんクールな感じなのはドイツで。でもドイツがいちばん重要で、いちばん回らなきゃいけないって言われますけど。

ゼニゲバが活動休止状態になったり、レニングラードも2000年前後にはあんまり活動しなくなった時期があったと思うんですけど。

田畑:あのときはまあプライヴェートでややこしかった時期やったんで、生活をまず立て直さないとあかんかった(笑)。

2002年くらいからまた活動が活発になって、バンドやユニットも爆発的に増えていきますね。

田畑:ちょうどその頃またゼニゲバをやるようになったんですよ。オール・トゥモローズ・パーティーズに呼ばれて。それが2002年だったと思います、ワールドカップがあった年だから。そのときはワイヤーとかチープ・トリックとか。俺らはチープ・トリックの前の前の前くらいやったんです。会場の2階が2000人くらい入る大きいボールルームになってて、ゼニゲバのときも結構満員だったんですけど、チープ・トリックの番になったらごそーっと減って。1階の1000人くらいのホールでザ・フォールがやってて満員になってて、うわ可哀想って思った。ああいうところではやっぱチープ・トリックとか人気ないねんな。

日本じゃ武道館なのに。

田畑:毎日のヘッド・ライナーがワイヤーとチープ・トリックとブリーダーズ。シェラックがキュレーターだったんですけど、シェラックは一階の小さいほうのホールで毎朝オープニングでやるんですよ。普通キュレーターのバンドがトリじゃないですか。シェラックは毎日前座(笑)。

アルビニもチープ・トリック好きですもんね、たしか。

田畑:たぶんはよ終わって観たかったんやないかな。

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いまレギュラーでやってるバンドがたくさんありますけど、それぞれ簡単に紹介していただけますか。まずは20GUILDERS。

田畑:これはスズキジュンゾくんとやってる歌もののデュオで、エレキギター弾き語りです。ギューンカセットからアルバムが11月に発売になります。いっしょには曲作らないんですよ。それぞれの作品で、コーラス入れる程度だったんですけど、最近やっと形になってきたかなと。前は本当に勝手にやってるっていうか、各自の曲をやるだけだったので。


タバタミツル
ルシファー

map / Compare Notes Records

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じゃあここでアルバムが出るっていうのはタイミングとしてはいいですね。20ギルダーズで最近よくやってる、高校のときに初めて作ったって曲がありますよね。名曲だと思うんですけど。

田畑:中学のときですね。あれはアルバムに入りますよ。"ストロベリー・キッス"(笑)。歌詞書いたのはこの前ですけど。30年間ずっとハナモゲラで。最近やっと日本語で歌うようになって。こないだ山本(精一)さんたちのグレイトフル・デッドのトリビュート・ライヴっていうのが大阪であって、練習で入ったときに「お前よく歌詞覚えられるな」って言われて「いやハナモゲラですよ」「うそ!」って。30年間ハナモゲラだって言ったらビックリしてました、それもすごいなって(笑)。ハナモゲラでも良かったんやけど、レコーディングしたらそれはマズいんちゃうかなと思って(笑)。

アシッド・マザーズ・テンプルは、ベーシストとしてはあれが最初のバンドになるんですか?

田畑:そうです。実はベースやってたバンドもあるんですけど、本格的には。

あれはどういう経緯で参加することになったんですか。

田畑:どうやったかな。アシッド・マザーズ・テンプルっていうのはもともと河端一を中心にしたいろんなメンバーの集団であって、それが途中からメルティング・パライソ・UFO(Melting Paraiso UFO)っていうひとつのバンドっぽくなってきたんです。それである時期からまた元の形に帰ろうみたなことで、もうひとつバンドを作るっていう時に「ベースでやらん?」って。同じアシッド・マザーズ・テンプルって名前の下にいろいろ違う名前がつくっていう形で、僕が入ったのはアシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノ。

スタート当時といまではだいぶ感じが変わってると思うんですが。

田畑:変わってますね、最初はもっとワン・グルーヴ一発でハードにやる感じだったんですけど、いちばん大きいのはツインドラムの片方が変わったんですよ。最初はサバート・ブレイズ(SUBVERT BLAZE)の岡野くんと、志村浩二(みみのこと他)さんだった。岡野くんに代わってピカ(あふりらんぽ)が入ってイメージが変わってきましたね。

たしかに、ピカチュウさんの色はかなりありますね。何か大らかな感じがするようになった。いまのレニングラードはいつ頃から今のメンバーになったんですか?

田畑:2004年くらいかな。これがいちばん活動がマイペースで、こうしなきゃいけないみたいなのは全然なくて、ライヴを楽しんでやってる感じですよね。

最近はレニングラードのことを「ジャム・バンド」って言ってますよね。それは昔から感覚としてはそういうものだったけど、当時はそういう言葉がなかったって感じですか?

田畑:そうですね。一般的なジャム・バンドよりはもうちょっと曲があるとは思いますけど。でもそれやったらフィッシュもそうやし、僕らもロック系のジャム・バンドって感じですね。最近はサックスで狂うクルーのアックンが入って。

よりジャム・バンドっぽくなったというか。

田畑:ええ。

ベースを弾いてるバンドだと、最近はグリーン・フレイムス(GREEN FLAMES)がありますね。

田畑:それはほんとについ最近ですね。ハイ・ライズのギターの成田宗弘さんと。ドラムは最初はナツメン(NATSUMEN)の山本達久くんだったんですけど。それがもともとハイ・ライズにいた氏家さんに変わりまして、活動中。

アマゾン・サリヴァはヒデさんがニューヨークから帰ってきて結成したわけですか。

田畑:高校生の頃から知ってるんですけどね、ヒデさんのことは。それでいつの間にかニューヨークに行ったって聞いてて。それで忘れてたんですけどゼニゲバでオルタナティヴ・テンタクルス〉のツアーを回ってたら、ATの次のリリースはこれだって、あの道頓堀のジャケットのやつで。それで「あれ、これって?」と思って裏見たら写真にヒデさんがおるし(笑)。それでイギリスで対バンしたんですよ。イギリスのツアーは全部ウルトラビデといっしょで、アリス・ドーナッツ(ALICE DONUTS)と3バンドで。そのときに久々に会って、またしばらく音信不通になってて。それで帰ってきてるでって話は聞いてたんですけど、東京でウルトラビデの何周年ってことで、オリジナル・ウルトラビデのライヴがモストとかと対バンで、クアトロでやったのかな。そのときに「うち泊まりや」って言ったら泊まりに来たんです。それでいきなりその次の日にイギー・ポップのトリビュート・ライヴみたいなので「ベースで弾き語りしよう思うんやけどいっしょにやらへん?」って言われて、そのままリズムボックス入れてやって。大阪のライヴは対バンがズイノシン(Zuinosin)で、「若くてええのおるやん」ってことで「いっしょにやらへん?」って現ボガルタ(BOGULTA)のナニくんを誘った。

じゃあ結構なりゆきで。

田畑:この前ようやく『AMAZON PUNCH』ってアルバムが出まして。

それまで出してたCD-Rってライヴと全然感じが違いましたよね。

田畑:CD-Rは、物販がないとツアーしてもギャラが......っていう。新人バンドなんで(笑)。いつの間にかたくさん出してますけど、3枚目くらいまで1曲も3人揃ってやってない。

ライヴでヒデさんが「ナニくんの生ドラムを録るのが夢だったんです!」って言ってましたよね。やっぱり基本的にはヒデさんが中心のバンドなんですか。

田畑:全員ヴォーカルは取ってますけど、まあリーダーはヒデさんってことですね。みんな自分のバンドもいろいろあるし、住んでるところもバラバラだから。大阪と京都と東京で、もうツアー・バンドですね。全然新曲が増えない(笑)。もう5年くらい同じ曲やってますね。やらなくなった曲をまた戻したりしてるだけで、ずーっといっしょ。

青春18切符でツアーをするんですよね。

田畑:してますね(笑)、このバンドだけですよ。

あれはヒデさんが言い出したんですか。

田畑:まあそうなんですけど、こないだも疲れたとか言ってサウナに行ってマッサージ受けてるんですよ。その金を回して新幹線乗ったほうがええんちゃうかって言われて、そういえばそうやなって(笑)。18切符の時期しかツアーしてないです。

『AMAZON PUNCH』はたしか高知のレーベルからのリリースですよね。

田畑:高知のカオティック・ノイズっていうところから。

ライヴ・ハウスなんでしたっけ。

田畑:いや、レコード屋ですね。インストアライヴをやってるんですよ。レコード屋の棚を片付けてライヴをやってる。だから週末しかライヴはやってなくて普段はレコード屋。すごくいいレコード屋ですよ、パンク中心で。

あとPagtasはちょうどアルバムが出たところですね(『poi』)。

田畑:〈ペダル・レコード〉から。

昔からやってるバンドというかユニットですよね。

田畑:基本的には坂田律子さんがひとりでやることもあるんですけど、バンド編成でやるときには僕がベースで、NATSUMENの山本達久くんがドラム。それでレコーディングはゆらゆら帝国のエンジニアの中村宗一郎さんが録音してくれました。〈ペダル・レコード〉って中村さんのレーベルなんで。

Pagtasではサポートメンバーみたいな感じなんですかね。

田畑:そうですね、メンバーの都合が悪いときもライヴを断るんじゃなくて坂田さんがひとりでやったりするから。いちばん難しいんですよ、曲が。

独特ですもんね。もともとひとりでやるのが前提で作った曲にメンバーが合わせていく形だからなんですかね。

田畑:拍子とかがクルクル変わるんです、感覚でやってるから。難しいんですよ。

あとWabo-Chaoは。

田畑:それはMandogの宮下敬一くん(ギター)と前にゼニゲバのドラムをやってた藤掛正隆くんの三人で。これは即興ですね。歌ったりもしますけど。活動もそんなに頻繁ではないですけど、今度ダモ鈴木さんがまた来るのでそのときにやります。

あとデュエル(DUEL)っていうのがありますね。

田畑:ああ、あれはギターのケリー・チュルコっていう、オジー・オズボーンのプロデューサーのケヴィン・チュルコの弟なんです。あとASTRO(元C.C.C.C.の長谷川洋、エレクトロニクス)さんとヒグチケイコ(ヴォイス)さんで、これはインダストリアル・ノイズですね。新しく組んだバンドなので、これからです。

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それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。

田畑:それだけやったっけ、バンドって。

まだまだたくさんあるとは思いますけど(笑)、ここらでソロの『ルシファー』の話を聴きたいと思うんですが。


タバタミツル /
ルシファー

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田畑:事前に作ってた曲は1曲しかなかったんですよ。ゼニゲバの関西ツアーを3箇所くらいやった後にアシッド・マザーズの河端くんの家の山寺まで行って録音したんやけど、それまで全然準備してなくて。ツアーの最終日が神戸で、打ち上げが朝まであって、酔っ払ってその時にみんなでしゃべってた話を歌詞にしたんです。「キブンハショウニ」ってヤバい歌があるんですけど、それはライヴ・ハウスの店長が何かの拍子に「気分はショウニや」って言ってたから「これや」とか。

今回はソロでは初めての歌ものですが、これまでのソロは全部インストでしたよね。

田畑:今回は〈Mapレコード〉からそもそも歌を入れることって言われてたんですよ。いままでソロは海外のレーベルからしか出してなかったから、日本語で歌うのはどうなんかなってのもあったんですよね。まあギタリストやからギターのアルバムを出さないかんのかなって単純に思って何枚か出してたんですけど。

いままでのソロアルバムと今回のアルバムでは作り方で違いはありましたか?

田畑:まず自分ちで録ってたのと違うのは、帰る日を決めてたんです。だからそれまでにやらなきゃいけない。3日で録ったんですけど、正味2日ですね。毎日終わるたびに鍋とかやってたんでずっと二日酔いで(笑)。声とか擦れてるんですよ。曲はない、アイデアない、ないない尽くしで(笑)。

とてもそうは聴こえないですけどねえ。仕上がりは割と構築感があると思うんですけど。録音がすごくいいですよね、空間処理とか。音数が少ないのも逆にいい。

田畑:それはもうプロデューサーのおかげです。それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。何か参考になるものないかって言ってCD棚探してたけど、「ないな」って。それでレインコーツ出してきて聞いてたんですけど、全然ちゃうやんけ(笑)。

ギター以外の楽器が結構少ないながらも効果的に使われてますが、録音するときには河端さんからのアイデアも結構あったんですか。

田畑:そうですね、それはすごくありましたね。あと自分が弾けない楽器をリクエストしたり。ハーディガーディ弾いてくださいよとか。本当にアイデア無かったので。

「ルシファー」っていうのはどこから来たんですか。

田畑:それは最初から決まってましたね、なぜか。日本語タイトルは"世界最古のヤクザ"で、「ルシファーってヤクザやったんや」っていう(笑)。

何でルシファーなんですか。

田畑:いや、それが何だったのか......悪魔憑きみたいなのに凝ってたことがあったんですよ。エクソシスト系の映画が好きで片っ端から観てたんです。取り憑くやつ。

もともとあった曲っていうのは?

田畑:"海の藻屑"って曲。あとは全部その場で作りました。

"月の石"あたりは結構ちゃんと曲になってるというか、もとからあったのかと思ってたんですけど。

田畑:あれは録る5分前に作った(笑)。かなり焦ってましたね。

歌もので3日間ってすごいですよね。昔のノイ!とかも3日とかで作ってるけど、あれはほとんどインストだから。

田畑:そういうノリで作ってますよ、たぶん。歌は入ってるけど何かワケがわからん音楽なんで(笑)。

たしかにフォーク的な歌ものとは違いますけど、でも歌詞は書いたわけですよね。

田畑:メモ帳が残ってますよ。よく聴くとわかるんですけど、書いて歌ってるのと、頭の中だけでやってるのがあって、書いてないのは歌がちょっと出遅れてるんです。自分だからわかりますけど。よくそんなんで出してくれたな(笑)。

〈Map〉から田畑さんの歌もののソロが出るって話を最初に聞いたのは実は1年以上前なんですけど、随分かかりましたよね。

田畑:だからやるぞって締め切りを作らないとやらないですよ。それまでに準備しとけよって感じですけど(笑)、何かと忙しくて。たくさんバンドやってるのも余裕でやってるように見えるけど結構いっぱいいっぱいなんです。もうわけがわからない(笑)。Pagtasも「パグタスノート」っていうのがあって、そこに自分の演奏メモが書いてあるんです。覚えられないくらい難しいし、それがないと演奏できない。もうそんな状態ですよね。ゼニゲバだけは長くやってるんで身体で覚えこんでますけど、あとは最近やり出したバンドばっかりなんで、曲があるバンドは苦労してますね。

あれだけたくさんのバンドを掛け持ちするっていうのはどういう感じなんですか。

田畑:わけがわからないですよ。

意図して増やそうと思ってたわけでもないんですね。

田畑:まだ楽は楽かもしれないですね。バンド・リーダーとかじゃないんで。

そうか、リーダー・バンドはあまりないですね。

田畑:リーダー・バンドはないけど社長やってるバンドはありますよ。

社長?

田畑:物販の(笑)。リーダーではないけど物販業はずっとやってますね。アシッド・マザーズでもそうだし。

アシッド・マザーズの物販はメルティング・パライソ・UFOのほうは津山篤さんがずっとやってますよね。

田畑:津山さんはたとえマジソン・スクエア・ガーデンでやっても、物販は俺がやるって言ってますね(笑)。

出番までにステージに行くのが大変ですよね(笑)。それでは今後のリリース予定とかを最後にお聞きしたいと思いますが。

田畑:まずこないだ『ルシファー』の後に『Mankind Spree』っていうソロアルバムが出ました。それはインストゥルメンタルで。

いろいろゲストが入ったりしてますよね。

田畑:そうですね、山本達久くんとか、一楽誉志幸くん(FRATENN他)とか、アシッド・マザーズのシンセの東洋之くんとか。あとはPagtasが出たところで、11月に20ギルダーズ。それとGREEN FLAMESを録音するかも。ゼニゲバは今月、イギリスのバーミンガムでスーパーソニックっていうフェスに出ます。対バンがスワンズにゴッドフレッシュにナパーム・デス(笑)。「いつやねん」っていう、どれも微妙に古い(笑)。メルト・バナナもいっしょですね。あ、そのときノイ!も出るんですよ。ミヒャエル・ローターがノイ!の曲をやるっていう。20ギルダーズのレコ発ツアーもやりますね。それは国内ですけど。帰ってきてすぐなんですよ、ゼニゲバのツアーから。かなり音楽性が違うんで頭切り替えんと。その後、11月25日にゼニゲバで初のワンマン・ライヴが新大久保のアースドムであります。

Chart by Pigeon Records 2010.10.08 - ele-king

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1

Axel Boman

Axel Boman Holy Love Pampa [GER] »COMMENT GET MUSIC

2

Crue-l Grand Orchestra

Crue-l Grand Orchestra Barbarella Crue-L Records [JPN] »COMMENT GET MUSIC

3

Dasha Rush

Dasha Rush Sonic State Sonic Groove [US] »COMMENT GET MUSIC

4

Donato Dozzy

Donato Dozzy K Further Records [US] »COMMENT GET MUSIC

5

Hot Chip

Hot Chip Hand Me Down Your Love - Wild Geese Remix White [UK] »COMMENT GET MUSIC

6

Michel Cleis

Michel Cleis Un Dolce Cadenza [CH] »COMMENT GET MUSIC

7

Pacific Horizons

Pacific Horizons The Forest Electric / Jack Parsons' Laboratory Pacific Wizard Foundation [US] »COMMENT GET MUSIC

8

Peter O

Peter O Tell Me Herz Ist Trumpf [GER] »COMMENT GET MUSIC

9

Psyk

Psyk Throes Figure [GER] »COMMENT GET MUSIC

10

Traks Boys

Traks Boys Starburst Internasjonal [NOR] »COMMENT GET MUSIC

interview with Sherard Ingram (a.k.a. Urban Tribe) - ele-king

ネット上で他人になりすましたり、他人のプライバシーに立ち入る、デマを流す、ネット詐欺といったIT技術の誤った使い方も氾濫している。思うに、社会の成熟が科学技術の進展の速さに追いつくことはないだろうから、こういったモラルの問題はどんどんおこるだろう。


Urban Tribe
Urban Tribe

Mahogani Music

 

 シェラード・イングラム、またの名前をDJスティングレー、より多くの音楽ファンのあいだではアーバン・トライブの名で知られる男......それはホアン・アトキンスからはじまるもうひとつのデトロイト・テクノである。それは地上を呪ったドレクシアであり、アメリカを"ファシスト・ステイト"と定義したドップラーエフェクトであり、そして"モダン文化の崩壊"をデビュー・アルバムのタイトルにしたアーバン・トライブ、すなわちオリジナル・ドレクシアの3人のメンバーであり、そのうちのひとりがシェラード・イングラムというわけだ。
 ドレクシアの死後、つまりゼロ年代以降、これら"もうひとつのデトロイト・テクノ"は、主にUKの〈リフレックス〉、ベルリンの〈トレゾア〉、ミュンヘンの〈インターナショナル・ディージェイ・ジゴロ〉、あるいはオランダの〈クローン〉によってプロモートされている。〈リフレックス〉はドレクシアの変名トランスリュージョンやアーバン・トライブ、〈ジゴロ〉はドップラーエフェトやジャパニーズ・テレコム、〈トレゾア〉はドレクシアとその変名のシフテット・フェイシズ、〈クローン〉はジ・アザー・ピープル・プレイス、ラブ・ラットXLなどといったドレクシアの変名......を出している。これらデトロイト・テクノにおける奇妙なダーク・エレクトロはヨーロッパにおいてそれなりの高い評価と人気があったのである。
 
 シェラード・イングラムによるアーバン・トライブは、1998年に〈モワックス〉から最初のアルバムを発表している。それから〈リフレックス〉で2枚のアルバムを残し、2010年の夏には4枚目のアルバム『アーバン・トライブ』を〈マホガニー・ミュージック〉から発表している。
 
 そしてこの9月、デトロイトとヨーロッパでのみ知られているアーバン・トライブとしてのライヴPA、そしてDJスティングレーのプレイ(筆者の知る限りでは、より深いアンダーグラウンドなフィーリングを持っている)がようやく日本で聴けるわけだ。以下、来日を控えたシェラード・イングラムへのメール・インタヴューである。

あなたが1998年に〈モワックス〉から発表したアルバム・タイトルが『The Collapse Of Modern Culture(モダン文化の崩壊)』でした。それから10年以上経った現在、あなたは"collapse"をどのように捉えていますか?

シェラード:資源の奪い合いや文化や宗教の違いによる衝突といったことは昔からあることだけど、最近の科学技術の急速な進歩は社会的・経済的な不確実性を世界規模でもたらしたと、多かれ少なかれ言えるのではないかと思っている。科学技術というのもは両刃の剣のようなものだ。30億塩基からなるヒトゲノムが解読されということは、何千年も人類を苦しめてきた疾患の治療にたしかにつながる。が、しかし、その新しい治療法は誰でもすぐにうけられるわけではないし、お金もかかるし、実際に臨床でつかうにはいろいろと技術的な整備も必要であるし、なによりも人体で(実際に効くかどうか)実験しなければならないという問題もまた生じる。また、いわゆるIT革命は、インターネットがないような地域は除いて、いろいろな人たちと情報を共有したり交流したりするのを可能にした。が、そのいっぽうで、ネット上で他人になりすましたり、他人のプライバシーに立ち入る、デマを流す、ネット詐欺といったIT技術の誤った使い方も氾濫している。思うに、社会の成熟が科学技術の進展の速さに追いつくことはないだろうから、こういったモラルの問題はどんどんおこるだろう。

当時、あなたは何故、どういう理由からあの言葉をアルバム・タイトルにしたんですか? 

シェラード:当時の世界や1990年代初期、中期の出来事を自分の視点から見たものに基づいている。都会のスプロール現象、政治的動揺、犯罪率の上昇、モラルの欠如や欲深さが世界の生命体を消耗していると思っていた。

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ミスター・オバマの選出は国の選挙や社会構成の信頼性を再生したと思うが、直面する国家の急務のために、一般的には都市の大きな変化に影響を与える充分な時間はなかった。人はみんなもう少し辛抱して、過程を見守るべきだと思う。

オバマ大統領になって時間が経ちますが、デトロイトに変化がありましたか?

シェラード:アメリカ国民のある階層の人たちのあいだには、ミスター・オバマの選出は活気のある影響力があり、国の選挙や社会構成の信頼性を再生したと思う。これはデトロイトにも同じく広がった。正直にいうと、直面する国家の急務のために、一般的には都市の大きな変化に影響を与える充分な時間はなかった。人はみんなもう少し辛抱して、過程を見守るべきだと思う。

あなたの名前を最初に知ったのは、〈レトロアクティヴ〉のコンピレーションに収録された"Covert Action"でしたが、あなたにとって公式に発表された最初の作品は何ですか? NASA名義で1987年に出した「Time To Party」?

シェラード:ははは! そうだ! 「Time To Party」は私の最初のレコードで、〈Express Records〉からリリースされた。

ホアン・アトキンスとはどういう風に知り合ったんですか? 彼があなたの音楽活動のきっかけだったんですか?

シェラード:ホアンとは私が〈Buy Rite Records〉(ケニー・ディクソン・ジュニアもリック・ウィルハイトも働いていたことがある)で働いていたときに出会った。我々(リック・ウィルハイト、スキャン7、ドネル・ウィリアムス)はホアンのスタジオでレコーディングをし、ホアンがミックスをした。

あの当時のあなたはどんな風に生活をしていたのですか? 音楽活動はしていたんですか?

シェラード:「Covert Action」は1990年に〈レトロスペクティヴ〉(カール・クレイグとデイモン・ブッカーのレーベル)からりリースされた、1990-1998年のあいだは〈MASS〉というデトロイト・ベースのレーベルから12インチを1枚出したり、レーベル〈KDJ〉の1枚の12インチ(Emotional Content。KDJ002とミスプリントされているが実は001)のミックスをやった。またNFDというプロジェクトの1曲をミックスした。バイカーズ・クラブみたいなところでDJもやってたよ。

DJスティングレーとしての活動が最初だったんですか? また、どのようにドレクシアと関わりを持ったのでしょうか?

シェラード:ジェームズ・スティンソンとジェネラル・ドナルド(ドップラーエフェクトほか)とは〈Buy Rite Records〉で出会った......。

1998年の『The Collapse Of Modern Culture』から2006年の『Authorized Clinical Trials』までのおよそ8年間は何をしていたんでしょうか? 

シェラード:音楽は続けてずっとやっていたが、無意味なプロジェクトに巻き込まれて、くだらない問題で気が動転してたんだ。いまはもう克服したけどね。

Mystic Tribe A.I名義では〈クローン〉レーベルからの1枚だけですか?

シェラード:そうだよ。ジェームズ(ドレクシア)とサージ(〈クローン〉の主宰者)のおかげだ。あの曲は『Collapse~』LPに収録されるはずだったんだが、外れて、ジェームズに聴かせると彼が気に入ってくれてね......。

音楽シーンから身を引こうと考えたことはありますか?

シェラード:その日が来るのは我々アーティストの情熱が無くなってしまったときだと思う。自分にはまだまだ提供したいモノがあるし、みんなに聞いてもらいたいモノがある。

当時、いきなり〈リフレックス〉からあなたの作品が出たときはびっくりしたものでしたが、〈リフレックス〉とはどうやって出会ったんですか?

シェラード:〈リフレックス〉のグラントとは〈ワープ〉の「Magic Bus Tour」にDJスティングレーとして参加したときに出会った。そして忘れてしまったが、どこかの空港で彼と会ったときいろいろと話し込んで、その2年後コネクトしたわけだ。

2006年に〈リフレックス〉から『Authorized Clinical Trials』を発表し、続いて翌年の2007年にもサード・アルバム『Acceptable Side Effects』を出しています。12インチ・シングルも〈リフレックス〉や〈プラネット・E〉、そして昨年は〈トラスト〉から出しています。今年に入ってからも〈プラネット・E〉からシングルを切っていますね。なぜ最近になってから堰を切ったようにリリースが続いているのでしょうか? 過去の20年よりも、ここ数年になって、あなたはますます熱心に音楽活動をしているように見えるのですが。

シェラード:気持ちが変わって、ネガティヴなところがなくなったんだと言っておこうか。またラップトップとAOLのアカウントも取得したしね! 機材もアップロードしてもっといろいろと表現できるようになったし、他の人やスタジオに頼ることなく、もっと時間をかけて、プロジェクトを完成できるようになった。

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デトロイトの人たちは逆境に強く、また用心深いが、メディアの差別的な要素が違うイメージにデトロイトを塗り替え、バランスの取れた報道を正直に試すことなく、ネガティヴなことだけを引き出した。

あなたの音楽の背景からは、ジャズやソウルなどからの影響も感じますが、やはり根底にあるのはエレクトロじゃないかと思います。ホアン・アトキンス、ドレクシア、ドップラーエフェクトといったデトロイト・エレクトロの系譜にいるんじゃないかと思うのですが、もしそうだとしたら、あなたにとってエレクトロが特別である理由はなんでしょうか?

シェラード:1980年代、1990年代当時"electro"という言葉に出会ったとき、"electro"は自分にとって他と違う何かを意味した。「自分はエレクトロのトラックを作ろう」と思ってやったわけでなく、いまのカテゴリーでは自分の音楽はそうはめこまれた。キミの言うグループや音楽ジャンルだけでなく、産業や自分の環境から結論を出している。自分自身をエレクトロのアーティストだとは思っていないし、もし自分の作品の全体像を聴いてもらえればわかってもらえると思う。けれども、自分は自由さを好むし、良いエレクトロという意味合いでの公然上のアプローチでなら大歓迎だ。個人的には4つ打ちでなく、フィルターのかかったシンセラインがあるものならなんでもエレクトロという言葉が使われているような気がするけどね。

あなたの音楽にはダークでメランコリックな要素があります。優美さや躍動ばかりではなく、悲しみ、怒り、醜さ、汚さのようなものも表現しているように思いますが、そうしたダークサイドは純粋にデトロイトという環境から来るものなのでしょうか? あるいは、具体的に影響を受けた作品がもしあるようであればぜひ教えてください。

シェラード:デトロイトはならずものや犯罪者によって動かさせていると認識されていると思うが、それだけではないと言わせていただこう。デトロイト市民の多くは勤勉で、家族を愛しており、彼らは税金もちゃんと払って、町を愛している。政治的な立場にいる人のなかには欲深く、町を改善するための資源(富)を分配しない人もいる。"醜さ"は都市圏を作り上げたコミュニティのいち部の人たちの差別や冷酷さであって、"汚さ"は町があまりにも急速に改善されると利益が無くなり困るいち部の人たちがいるからだ。こういった事柄が自分のサウンドに衝動を与えている。犯罪で支配されていて、仕事もなく、ここに住むのを拒んでいる、みたいな典型的なありきたりの見方ではなく。デトロイトの人たちは逆境に強く、また用心深いが、メディアの差別的な要素が違うイメージにデトロイトを塗り替え、バランスの取れた報道を正直に試すことなく、ネガティヴなことだけを引き出した。

"Low Birth"がとても好きなんですが、あれはどんな思いが込められているのでしょうか?

シェラード:ありがとう! スペルは正しくは"Low Berth"なんだけど、(注:〈モワックス〉からのシングルには"Low Birth"、アルバムには"Low Berth"とある)。社会的に不利な立場にいて、絶えて頑張ってそこから這い上がろうとする人を意味する。リスナーにインスピレーションを与えつつ哀愁の漂ったムードを沸き立たそうとした。

もうすぐ〈マホガニー・ミュージック〉から4枚目のアルバムが出るそうですね。すべて曲名が"Program"という言葉で統一されているらしいですが、コンセプチュアルなアルバムなのでしょうか? それはどのようなコンセプトのアルバムなのでしょうか?

シェラード:このLPはリスナーに音楽に集中してもらうのが目的だ。

いままでのどのアルバムとも違ったものになったと思うのですが、参加メンバーはカール・クレイグ、アンソニー・シェイカー、ケニー・ディクソン・ジュニア、そしてあなたの4人でいいんですか?

シェラード:私自身、アンソニー・シェイカー、ケニー・ディクソン・ジュニア、カール・クレイグ、それから何人かの新人も参加しているよ。

素晴らしい女性ヴォーカリストも参加していますね?

シェラード:これは機密情報。悪いね。

とても素晴らしい音楽だと思うのですが、1曲がすべて3分未満で、レコードでは片面に6曲ずつ入っています。これはどんな理由からですか?

シェラード:伝統を踏襲した分割とでも言おうか。

ケニー・ディクソン・ジュニアとはどんなところで気が合うんですか?

シェラード:自分と同じデトロイトウェストサイド出身の長年の友だちだよ!

来日でのライヴを楽しみにしています。どんな感じのショーになりますか? あなたの音楽のように、ハードで、ダークな演奏になるのでしょうか?

シェラード:今回は初来日なのでとてもエキサイトしているよ! 忘れられないsonic experience (音響体験)をしてもらえるのを楽しみにしているよ。

Urban Tribe (DJ Stingray, Sherard Ingram)

デトロイトのシーンに25年もの間関わり続けており、またデトロイトテクノ/エレクトロのカルト的存在であるDrexciyaのDJ、DJ Stingrayとしての活動歴をもつ。Urban Tribeとしても知られ、〈Mo Wax〉からリリースされた「Eastward」、アルバム『The Collapse Of Modern Culture』、また〈Retroactive〉からリリースされた「Covert Action」はUrban Tribeの代表作である。Aphex Twinのレーベル〈Rephex〉からは、よりエレクトロな作風で2枚のアルバム『Authorized Clinical Trials』と『Acceptable Side Effects』をリリースしている。2008年、自主レーベル〈Micron Audio Detroit 〉を始動。今年夏には、Anthony Shake Shakir、Carl Craig、Kenny Dixon Jr(Moodymann)が参加したUrban Tribeとしての最新アルバム『Program 1-12』を〈Mahogani Music〉からリリースしている。またその素敵なアルバムアートワークは『Wax Poetics』のアートディレクターJoshua Dunnによるもの。さらに今後は、Heinrich Mueller (aka Gerald Donald/Dopplereffekt)、Nina Kraviz (Underground Quality/Rekids)らが参加のUrban Tribeのアルバムをリリース予定とのこと。

https://www.myspace.com/djstingray313
https://www.myspace.com/micronaudio
https://planet-e.net
https://www.mahoganimusic.com
https://www.myspace.com/mahoganimusic313

DJ Stingray DJ MIX
(AT THE CAID DETROIT W/EGYPTIAN LOVER NOVEMBER 4, 2006 MEMBERS ONLY DETROIT/MICRON-AUDIO)
https://soundcloud.com/futurityworks/dj-stingray-c-a-i-d-stereotype-mix

DJ Stingray RA Podcast
https://soundcloud.com/futurityworks/dj-stingray-ra-podcast-190

CHART by JET SET 2010.04.20 - ele-king

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JEFF MILLS THE OCCURRENCE (限定盤ヴァイナル・ディスク仕様) »COMMENT GET MUSIC
日本初、新たなメディア、ヴァイナル・ディスク仕様盤が登場です!!未だにDJ Mix CDの金字塔と言われる『Mix Up Vol.2』(96年)そして一挙45曲もミックスした『Exhibitionist』(04年)から6年、待望のミックスアルバムが遂に完成です!!こちらは初回限定盤、CDサイドとヴァイナル・サイド2面仕様のヴァイナル・ディスク盤です。

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ZEN-LA-ROCK

ZEN-LA-ROCK THE NIGHT OF ART EP »COMMENT GET MUSIC
傑作2ndアルバムから遂にアナログ・シングルが登場!コレは相当コブ付いてます!『THE NIGHT OF ART』からのアナログ・シングルが登場!Dam-Funkファンも絶対注目のアーバンでメロウなエレクトロ・ファンクです!

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FUCK BUTTONS OLYMPIANS »COMMENT GET MUSIC
大傑作2nd.からビューティフル・トリッピン・キラーがカット。なんとJ. Spaceman Remixです!!MGMT がSonic Boomなら、こちらはJason Pierce from Spiritualized★Andrew Weatherall Prod.のオリジナルも強力ですが、さらにAlan Vega Remixまで入ってる廃人寸前グリーン・ヴァイナル盤!!

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激烈オススメ★Nite Jewel meets Washed Outなロウファイ・ブリージン・シンセ爆裂キラー!!話題沸騰のブルックリン・トリオ、Psychobuildingsのデビュー・7インチ!!KIndess"Swinging Party"にも匹敵のArthur Russell直系浮遊シンセ・ポップ。メチャ最高です!!

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AHMED JANKA NABAY BUBU KING »COMMENT GET MUSIC
Very BestもEl Guinchoも吹き飛ぶモダン・トロピカル・アフロ・グルーヴ!!メチャおすすめ★LemonadeにTanlinesをリリースするTrue Pantherから。西アフリカのブブ・ミュージックをモダンに展開するJanka Nabayの超強力12インチ!!

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SHORTSTUFF / TAYLOR REGRESSION / SQUEEGE »COMMENT GET MUSIC
☆大推薦☆泣けるほどに甘酸っぱいです。卓上チャーミング美麗ガラージュ・ポップ大傑作!!レジェンドGeiomも参加のコンピ12"で幕開けた要注目ガラージュ・ポップ新興レーベルWigflexより、Four Tetファンにも大推薦のキューテスト美麗スプリットが登場!!

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MITTEKILL ZUM SPIELPLATZ »COMMENT GET MUSIC
ダブステップ以降のレフトフィールド・ポップ・リミックスも搭載の美麗鍵盤音響ハウス傑作!!☆大推薦☆ドイツの老舗Kitty Yo周辺から登場した当店激注目のベルリンの新鋭デュオMittekill。鬼才デュオGoldwillによるリミックスx2も素晴らしいです!!

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SCOTT FERGUSON MIDWEST BORN & BRED EP »COMMENT GET MUSIC
マイナーリーグの底力を見せ付ける燻し銀のベテランScott Ferguson、快調です!!活動再開の主宰レーベルFerrispark発'10年二発目。ザックリとした質感のバウンシーなキックとロウなベースが大変にカッコイイ、これぞUSミッドウェスト・グルーヴ。

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LAYO & BUSHWACKA!

LAYO & BUSHWACKA! FEMMER FATALE »COMMENT GET MUSIC
う~ん、これはハマリます!!秒殺だったブート"Daa Daa Din"も話題なLayo & Bushwackaによるニュー・シングルはコズミック・ディスコ・ミーツ・ミニマルなドープなハマリ系ディープ・チューン!!
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