「pan sonic」と一致するもの

interview with Sonic Boom - ele-king

 ソニック・ブーム。
 スペースメン3のふたりのファウンダーのうちのひとりである。イギリスのサイケデリック・バンド、スペースメン3はわずか10年に満たない活動期間(1982年~1991年)の間は一部の熱狂的なファン以外にはあまり知られることはなかったが、特にここ日本でスペースメン3の受容史はまあ、お寒いのひとことではあった。来日公演はもちろん一度もなかったし、そのアルバムがリアルタイムで発売されたのはほとんどバンドが解散状態にあった1991年の4作目にしてラスト・アルバムとなった『Recurring(回帰)』のみというぐあいである。
 しかし、実はこの『Recurring』以前にスペースメン3関連のアルバムがひっそりと日本でも発売されていた。それがソニック・ブームのファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』だ。
 ストーン・ローゼズがデビュー・アルバムを発表し、一躍話題となった〈Silvertone Records〉から1990年にリリースされたソニック・ブームのソロ・アルバムは、ストーン・ローゼズ人気のおかげでまさかの国内盤発売が実現したのである。それがどのくらい売れたのかはまあ、あまり書かないほうがいいだろう。当時の音楽誌などで大きく取り上げられることはなかったし、そもそもそんなに大量に売れるような内容でもなかったのは確かだが。ちなみに国内盤の帯に書かれたキャッチコピーはこうだった。

「ほとんど犯罪的な覚醒サイケ~SPACEMEN3のソニック・ブームによる別プロジェクトアルバム」

「犯罪的な」とまで書かれてしまったこのアルバムは、しかし例えばソニック・ブームを知らない人が「お、ストーン・ローゼズのアルバム出したレーベル? じゃ買ってみようかな」とか言って手を出してはいけないブツだったということは間違いなく言える。


Sonic Boom
All Things Being Equal

Carpark / ビッグ・ナッシング

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 その後、ソニック・ブームはソロ名義ではなく、ソロ・アルバムのタイトルであった Spectrum をユニット名として、同じ〈Silvertone〉からアルバム『SOUL KISS (Glide Divine)』を1992年にリリース。以後はこの Spectrum と、より実験的なユニットとして Experimental Audio Research (E.A.R.)のふたつの名前で活動していくことになる。
 近年はメジャーの MGMT のプロデュースなども手掛けるようになった反面、自身の音源のリリースは減っていたのだったが、2020年になって突然ソニック・ブームがアルバムを出すというニュースが舞い込んできた。しかも、それは Spectrum 名義でもなく、E.A.R. 名義でもなく、ソニック・ブーム名義による30年ぶりのソロ・アルバムだというのだからさらに驚きは倍増なのだが、やっと届いた音を聴くとさらに驚きが待っていた。なんだこの明るい曲調は? スペースメン3のラスト・アルバム冒頭のダンス・チューン “Big City” をテンポダウンさせたようなオープニング・トラック “Just Imagine” からやたら多幸感に溢れている。アルバムを貫くオプティミスティックなムードにちょっと戸惑いながら、いまは南欧のポルトガルにいるというソニック・ブームと Skype でつながった。

※本インタヴューは、『All Things Being Equal』のライナーノーツに掲載されているインタヴューと同じタイミングで収録されたものです。両方合わせて読むと、より新作の全貌に迫れます。

分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要かもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなく他のアートも含めてね。

1990年に〈Silvertone Records〉からリリースした『Spectrum』以来、実に30年ぶりのソニック・ブーム名義のソロ・アルバムということになります。そのアルバムをリリースした後はその名義をご自身の音源制作では使わず、Spectrum、Experimental Audio Research(E.A.R.)というふたつの名義で制作を始めることになったのはどういう理由だったのでしょうか?

ソニック・ブーム(以下、SB):「ソニック・ブーム」は自分ひとりのソロで活動するときに使う名前で、「Spectrum」は他のアーティストやソングライターとバンド形式で曲や歌をメインに活動する名前。「E.A.R.」として作る音楽は楽曲に重きを置くのではなく、サウンドを重視したものにしているんだ。この3つの名前を使いわけることにした主な理由は、区別をつけるためだ。自分だけで作ったソロの作品ではないのに自分の名前をつけるようなことはしたくなかったんだ。そういうのはグループとしての作品であるべきだと思う。もしグループではなくて自分ひとりで作ったのであれば、もちろん自分の名前を使うよ。Spectrumのアルバムは1曲につき最低でもひとりは他のアーティストと一緒に作っていた。当然彼らは楽器を弾いたりするわけでね。そう、Spectrum はコラボレーション・ユニットなんだ。

Spectrum と E.A.R. というふたつのユニットを使い分けていくなかで、自分のなかでこれらのユニットに対する態度に変化はありましたか? もしかすると、今回のアルバム・タイトル「All Things Being Equal」という言葉が、Spectrum と E.A.R. の境界線が曖昧、というか融合していくということを表しているのかなとも思ったりしますが……。

SB:確かにその境界線というのは曖昧なものではある。名義というものは、最終的に作品をどのようなものにするのかを考えるときに僕が決めなきゃいけないことのうちのひとつなんだ。Spectrum と E.A.R. も自分のなかで区別はつけてはいるけど、本質的にはすべて僕の音楽活動だし、劇的に違ったことをしようとはしていないよ。それぞれのプロジェクトで違うことをしようというよりも、いつもアルバムごとに違ったことをしてみようとしている。だから今回のアルバムもどのようなものにするか、しっかりとした意識的な決定をしたんだ。シンプルな電子音響を核として、そこにパーカッションやヴォーカルを重ねることでよりその要素を際だたせようってね。この作品は俺ひとりで作ることになるだろうとずっと思っていたし、スペースメン3のレコーディングでもよく使っていたようにドラムマシーンを使うだろうなってこともわかっていたんだ。よく言われるんだけど、「ソニック・ブームは元スペースメン3であり、Spectrum よりも世間で認知されている」っていう言葉を信じたほうがいいなっていう気もしたんだ。ただ、それぞれの活動というのは確実にお互いに影響は及ぼし合っているよ。アートワークやビデオといったものから楽曲制作のプロダクションやマスタリングまでね。 それぞれに対して過度に特化していくということは全然信じていない。分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要なのかもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなくて他のアートも含めてね。僕はいつもあるひとつの媒体から学んだことを別の媒体に取り入れたいと思ってる。すべてのものごとは相互に影響をおよぼしあってると思う。そういうのが僕は好きなんだ。

あなたは2016年に E.A.R. 名義で今回の新作と同じタイトルの「All Things Being Equal」というシングルをリリースしていましたね。このシングル曲は16分にも及ぶ長いインストゥルメンタル・ナンバーです。このシングルが、今回のこのアルバム制作に直接つながっていったのでしょうか?

SB:シングルがアルバムにつながっているかということについてはイエスでもあるしノーでもある。シングルで使った楽器はとても古い CASIO のキーボードなんだけど、アルバムに入っている別の曲でもそれは使っている。でもこのシングルを作ったときにはまだこのアルバムは見えていなかったんだ。そもそも E.A.R. 名義で出したのはアブストラクトなインストゥルメンタルだったからさ。その後この曲をいろいろと弄って、60年代後期か70年代の初めにコンピューターで生成された歌詞をつけて、日本盤にボーナストラックとして収録されるときにタイトルを「Almost Nothing Is Nearly Enough」に変えた。アルバムのタイトルと混同してほしくなかったからね。でも「All Things Being Equal」というタイトルは気に入っていたし、シングルの12インチはかなりレアになっていることもあるから、アルバムのタイトルとしてこれを使ったんだ。アルバムに収録されていない曲のタイトルをアルバム・タイトルにするっていう変な伝統があるんだよね。たとえば Gun Club のデビュー・アルバム『Fire of Love』には “Fire of Love” という曲は入っていない。同様にスペースメン3のデビュー・アルバム『Sound of Confusion』にも “Sound of Confusion” という曲は入っていない(笑)。どんな理由であれ、アルバムに入ることのできなかった曲の名前がアルバム・タイトルになることによってその評価を保ち続けるっていうのはおもしろいと思うんだ。

そういえばジーザス&メリーチェインのデビュー・アルバム『Psycho Candy』にも同タイトルの曲は入っていませんでしたね(笑)。さて、今回30年ぶりのソロ・アルバムを出すにあたり、ソニック・ブームという個人名義を再度使った理由は?

SB:まずはこの名前をあのクソみたいな SEGA のキャラクターから取り返さなきゃいけなかった。奴が僕の名前を盗んだんだよ! 奴はもともと Sonic The Hedgehog って名前だっただろ。僕は奴が Sonic The Hedgehog だったずっと前からソニック・ブームだった。なのに突然奴は名前をソニック・ブームに変えたんだ。だから僕は立ち上がって僕の名前を守らなきゃって感じだった。
 僕がその名前を使うと決めたときは誰もそんな名前を欲しがってなかったよ。すごくいい名前だねっていろんな人が言ってくれた。ソニック・ブームは形を持たないところがすごく好きなんだ。存在していてもそれに手を伸ばして触ったり、家に持って帰ったり、食べたりすることはできないだろう? もしかしたら食べることはできるかもしれないけど(笑)。
とは言っても、特に30年ぶりにこの名前を使うことにしたものすごく強い動機みたいなものは実はないんだ。これは僕のソロのアルバムだから、ソニック・ブームって名前を使うことは正しいと感じられた。パーソナルなアルバムとは思わないけど、確実にソニック・ブームの核があらわれているアルバムだからね。

いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。

この「All Things Being Equal」というタイトルには、あなたの現在のモットー、人生のテーマのようなものが込められていたりしますか?

SB:自分の人生のモットーって言えたらよかったんだけどね。若いときにそう言えるくらい賢かったら、若い頃から地に足がついた性格だったって言えたらいいんだけど、そんなことはないよ。でも、人生や人との出会いを通して自分の行動を省みることはできた。人と一緒に学ぶ機会もまだたくさんある。願わくはみんなには良いことを学んでほしいなと思ってる。僕の経験はいつも良いことばかりではなかったけど、完璧な人なんてどこにもいないし、ほとんどの場合はたとえそれがひどい体験だったとしてもなにか得るものがあるものだよ。

1990年にあなたがまだスペースメン3に在籍していた時期にソニック・ブーム名義で制作したファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』では、ひたすら「現実世界からの逃避」と「何者かによる救済の希求」を描いていました。あの時期はスペースメン3も内部に問題を抱えていて、あなたのフラストレーションはとても大きなものだったと推測します。それがファースト・ソロのムードに現れていると思えます。
 しかしそれから30年を経て作られた今回のソロでは、響きの点でも、また歌詞の面でもポジティヴな肯定感、そして抽象的な愛、平等な愛のようなものを感じます。これは普通に考えれば、あなたも歳を重ねて成熟した大人になった、ということなのでしょうが、なにかそれ以上にあなたのなかで自分自身の考え方が大きく変わったというようなことがあるのでしょうか?

SB:実はその当時はスペースメン3はまだ臨界崩壊に至るような状態にまでは行ってはいなかったんだ。だからあのソロ・アルバムではスペースメン3のメンバーが演奏をしてくれているんだ。精神的には機能していなかったのも確かだけどね。スペースメン3は、うまいことやっていくことができない若者が集まったグループだった。だから一緒に沈んでいくような結果になってしまったんだけど、こういうのってある特定の種類のロック・バンドではそんなに珍しい話でもない。セックス・ピストルズやストゥージズ、MC5 なんかを思い出してみてよ。もちろん意識してそうなったわけではないし、僕らだって自分たちの状況に気づいていたとも言えない。そのあと何年もかけて僕たちはお互いうまくやっていけるような人間じゃないって気づいたけど、そういう経験を経ることがものごとの見方を変えてくれたりすることもある。
 ものごとの捉え方や考え方は変わったね。2010年だったかな、アニマル・コレクティヴのパンダ・ベアと仕事をすることになったときだった。そのとき僕は50代を目前にしていたんだけど(注:ソニック・ブームは1965年生まれ)、同じ場所や同じ人に囲まれた生活に人生を費やしたくないなと思い始めていた。人間関係がうまくいかない人もたくさんいたし、僕が育ったところ(イギリスの地方都市ラグビー)はいい友達もいるけどすごくフレンドリーな場所というわけでもなかった。そういう環境から出たかったし、商業化された都市にもいたくなかった。同じコーヒーショップ、同じファーストフードショップを見るのも、人々がみんな携帯を見ながら歩いているのを見るのもうんざりだった。
 そんなときにポルトガルでパンダ・ベアと一緒に作業をすることになったので、そのあたりに住む場所を探し始めたんだ。リスボンの郊外にある小さなナショナルパークを見つけてさ。美しい山に囲まれた場所なんだ。日本の北部に少し似ているかもしれないな。とにかく美しい場所なんだ。おかげで外でたくさん時間を過ごすようになったし、ガーデニングをするようにもなったんだけど、そういうことをしていると頭の中からノイズやナンセンス、クソみたいなことが消えて空っぽになるんだ。思考も明快になって、考えていたことをもっとリサーチするようになる。バックミンスター・フラー(註:アメリカの思想家。「宇宙船地球号」という言葉で知られる)が地球や人類、経済モデルのとの関わり方、経済資本モデル、その本質の一部である好景気と不景気の繰り返しについて話しているのを見たり聞いたりしてね。もし僕がもう1枚アルバムを作るとしたら、そういう問題についても言及してみたいと思ってる。何が欲しいだとか、もっと欲しい、もっと大きいものが欲しいみたいなこととか、使いまくって捨てまくって消費しまくってやるみたいなことを僕の声を使って届けたくない。
たとえばこれまでの人生で僕が消費してきたプラスチックのことを考えてみる。それらはよく考えると全然必要ではなかったことに気づくんだ。プラスチック製品は好きだったけど、もういまはプラスチックから何かを飲むのも何かをプラスチックで包むのも嫌だ。自分の人生を変えなきゃいけないって思ったんだ。そうしたら突然自分の人生がより良くなった気がするし、いままで自分がしてきたことに対しても気持ちが軽くなったような気がした。すべてのことにつながりを感じることができて、いままでとは比べものにならないくらいハッピーな人間になったよ。それを表現していきたいんだ。いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。彼らが行動を起こしたとしても牛歩だし、多くの場合政治家自身のビジネス・オペレーションの隠れみのになってしまっている。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。もちろん全員がそんなものごとの見方ができるわけではないことはわかっているけど、しっかりとした考えを持っている人はいるわけだしね。最近の気候問題は自分たちに何ができるのかということをより考えさせてくれていると思う。この地球上で起こっている問題について、僕たちはもっと真剣に取り組まなきゃいけない。僕たちは自分たちの人生に起こるノイズに対していっぱいいっぱいになるあまり、たくさんのことに目をつむり続けてきた。説教じみたことは言いたくないけど、いいヴァイブスがあるレコードは作りたいよね。

ポルトガルに住んだことで、あなたの考え方がそこまで至ったというのは興味深いところです。ポルトガルのなんという街に住んでいらっしゃるのですか?

SB:シントラという街なんだ。ここに限らず、ポルトガルは全然商業化されていない国だから気にいったよ。ここからスペインのマドリードなんて行ったら未来に足を踏み入れたような気持ちになるよ。もちろん東京もね。実際あそこは未来だし(笑)。あまりいい言葉ではないんだけど、ここはオールドファッションなんだ。ここではものごとが急速に発展したりしない。もちろんすべてがってわけじゃないよ。携帯とかラップトップ・コンピューターはちゃんと普及しているし。だけど総じて商業化されたものを見ることは多くなくて、オールドファッションなコミュニティがいたるところにあるんだ。このあたりをドライヴするとき、僕は近所のお年寄りたちに向かって手を振るんだ。そうすると彼らも手を振り返してくれる。おはよう、こんにちは、こんばんは……そんな挨拶も街角で常に交わされている。人が足早に通り過ぎるような都市部ではそんなこと起こらないだろ? そこがすごく好きだ。
 生活環境は自分の健康状態や心の健康にすごく影響がある。僕は木や美しい自然、鳥や野生動物、爬虫類、虫に囲まれた、自分が健康でいられる環境にいたかったんだけど、ポルトガルではそれがまだ見つけられるんだ。
音楽もこの生活環境に大きく影響されているよ。このアルバムはまさにシントラの音だと言っていい。童話で有名なハンス・クリスチャン・アンデルセンも家をこの地域に持っていたそうなんだけど、とにかくマジカルな場所なんだ。山に囲まれているけど海も近くにあるからすぐビーチに行ける。その昔ポルトガルの皇室が、毎年夏になると避暑のためにこの山脈に来ていたんだって。リスボンに比べると夏は5度も気温が低いからね。天気も最高で、海から風が吹いてそれが雲を作るんだけどとても美しい。太陽も美しいし、それらのムードはアルバムに取り入れられていると思う。歌詞はほとんどこの土地で書いたけど、ここにいることで感じることを最大限表現したんだ。庭で過ごしたり植物を植えていたりするときの気持ちをね。だからこの地域というのはアルバムにとっての最大の影響源になっていると思うよ。

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最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

アートワークにはとにかくあなたが関わってきたたくさんのアーティストの名前がクレジットされていて壮観ですね。


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SB:彼らこそがこのアルバムの最大のインスピレーションだからね。たくさんの人たちに感謝しているんだ。覚えている限り300から400のバンドやアーティストと一緒に仕事をしてきたよ。そこまで多くなってくると、さすがにすべてのことを覚えているのは難しいし、その人たち全員をクレジットするのは不可能だ。だからいままで一緒に仕事をした人全員にありがとうという気持ちを込めて「This is dedicated to the ones I love」とクレジットして、特にそのなかでも特別な人たちの名前を載せたんだ。なかには本当に僕の活動の初期から一緒にやっている人もいるし、全然名前が知られていない人もいる。プロデューサーとしての活動の初期に関わったフランスの European Sons というバンドがいるんだけど、彼らが拠点としていたフランスの街に行くたびに「誰かこのバンド知ってる?」って聞くんだけど誰も知らないんだ。プロデュースをしたのは1990年だからすごく前のことなんだけどね。連絡先もなくしてしまって、彼らに関する情報がなにもないんだ。だけどまだCDは持っているよ(笑)。たくさんの名前を載せることで、彼ら全員に僕を助けてくれたことや僕の人生の一部になってくれたこと、そして彼らから学んだすべてのことに対して感謝したんだ。そのときは気づかないかもしれないけど、人は人と出会うことで必ずなにかを学んでいるからね。
 こんなにたくさんの人やバンドとレコーディングやミキシング、プロダクションなど、関わり方のかたちは違えども共に音楽を作ってきたなんて信じられないよ! ジャケットを作ったりビデオを作ることで関わったバンドもいる。違うタイプの人と働くのが好きなんだ。ありがたいことにいつも僕はそこから収穫を得ることのできるタイプの人間だから。考えごとをしているときとか、自分の頭のなかでこれは誰がこんなふうに考えろって教えてくれたんだっけ? って思うこともあるよ。それも祝福したかった。彼ら全員が僕の音楽をよりよいものにしてくれたから。

プロデュースを頼んでくる人たちは、あなたにどんなことを望んで来るのでしょう?

SB:彼らからこちらにアプローチしてくることもあれば、僕のほうからプロデュースさせてくれということもあるよ(笑)。君がライブハウスで来る日も来る日も違うバンドが来て演奏するのを見ていたとする。そうするとだいたいみんな似たようなタイプの人間の集まりだなって思うだろう。でも、スタジオに入って制作を始めてみると、彼らのなかにあるダイナミクスだとか、自分たちの音楽や音楽そのものに対する考え方、音楽の作り方がバンドによって全然違うんだってことに気がつくんだ。プロデュースを始めた初期の頃に気づいたことは、もし自分がスタジオに行ってその場のルールを作って、これが俺たちのやり方だ! なんてことをするのは愚かだということ。僕がプロデュースを始めた理由のひとつは、スペースメン3時代に初めて迎え入れたプロデューサーなんだ(注:おそらくスペースメン3のファースト・アルバムに関わったボブ・ラムのことだと思われる)。彼はとても優しい人だったけど、音楽のことも僕たちのこともちっとも理解していなかった。僕たちの意見よりも彼の意見の方が尊重されたんだ。僕はすぐに彼は間違ってるって気づいたけど、もうああいう人とは働きたくないと思った。少なくとも僕にとってこれはポジティヴなことじゃなかったよ。だから自分でプロデュースもやり始めたんだけど、そのうち他の人が声をかけてくれるようになった。プロデューサーとして関わるけど、決定権は依頼主である彼らにあるべきだと思ってる。僕は彼らがよりよい作品を残せるように、そしてできるだけ早くベストな結果を残せるように正しい方向に導くだけ。最終的には彼らが納得してハッピーになることが大事。僕が納得する結果を残すために他の人を僕のやり方に従わせるっていうのはまったく違うんだ。バンドごとにやり方が違うのを見るのはかなりおもしろいよ。ときにはなによりもまず楽しもうぜってなる場合もあるし……いつだって楽しいんだけどね。すべてが比較することのできない経験になっているよ。とにかく全員違うからさ。人生のなかでも最高の出来事って、いつも予定されて起こることはないだろう? 最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

これまでにプロデュースや共演をしたなかで、印象に残っているアーティストをいくつか挙げてその印象を教えてもらいたいのですが……そうですね、たとえば MGMT、パンダ・ベア、Dean & Britta、Cheval Sombre、No Joy、ビーチ・ハウス、Delia Derbyshire、Silver Apples……

SB:えええ? それはちょっと難しすぎるよ(笑)。たくさんの才能ある人たちと一緒にやってきたんだから! 彼らはゲームのなかでもトップの人たちだよ。ゲームといっても彼らがやりたいことをする彼ら自身のゲームのなかということだけどね。人が自分に人生のリスクを背負わせてまで夢を追いかけるために自分たちのやりたいことをするって最高だと思わない? とにかく……選べないって! それぞれの強みがあるからなあ……みんなイコールにね……All Things Being Equal (笑)。

今回のソロはあなたもパンダ・ベアやビーチ・ハウスの制作で関わったワシントンDCの〈Carpark Records〉からのリリースです。このレーベルのカラーはあなたの音楽にとてもあっていると思います。このレーベルにはあなたがスペースメン3を始めて以降に生み出した音楽への影響力が継承されている感じがします。

SB:〈Carpark〉と初めて一緒に仕事をしたのはパンダ・ベア絡みで、その後レーベル・オーナーのトッド(・ハイマン)とはたまに連絡を取り合っていたよ。それで〈Carpark〉にいたビーチ・ハウスと一緒にやることになった。だから〈Carpark〉からリリースをすることは自分にとってなんとなく意味があるような気がしたんだ。それと当時僕は、別のレーベルとの問題を抱えていたんだよ。ロイヤリティが払われなかったりとか、アルバムが売れてもそれがちゃんと経理計上されていなかったりとかさ。音楽業界ではありがちなことなんだけど。当時はそういったネガティヴなことと向きあわなきゃいけなかったんだ。彼らはすごくモラルが低くて、非人道的なビジネスをするんだ。彼らのようになって戦ったほうが楽だということはわかっていたけど、それは僕がやりたいこととはまったく逆だし、なにより嫌な感情を振り払いたかった。嫌なものをただ手放したかったんだよ。お金がすごく欲しいんだったらネガティヴなことは付きものなのかもしれないけど、もうそんなものは気にしないって決めたんだ。それよりもその経験をポジティヴなものに昇華すれば、他の人にポジティヴで公平で思いやりのある行動を起こさせるような影響を与えられるかもしれないしね。もうすでにそういう行動を起こしている人もいるけど、まだすごく大きなメジャー・レーベルではまだ信じられないようなことが起こっている。とにかくポジティヴなことに昇華したかったんだ。
 トッドには、僕のレーベルに対する気持ちを話したことがあるんだ。彼はとても公平で正直でオープンな人だからね。リリースに関しては最初は全部自分でやろうかなと考えていたんだけど、いろいろな側面からそれを考えてみると、お金は減らないかもしれないけど、作品が届く人の数や作品が広がる可能性も減るんだろうなって思ったんだ。だからパートナーとしては彼らがベストな選択だったよ。いまのところの僕たちの関係性はまさにパートナーシップという感じで、他のレコード会社でたまにあるような契約書で結ばれた奴隷みたいに感じる関係にはまったくなっていない。30年間で学習してきたこともたくさんあるしね。20歳のときにスペースメン3としてレコード会社と契約を結んだときは、なにが起きているかなんてわかってなかったからなあ。

「パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。

もともとあなたは同時代の音楽シーンに直接的にコミットしてきたタイプではないと思いますが、いまの音楽シーンについて何か思うことがあれば教えてください。 

SB:僕はスタジオで一緒に制作をする人に、音楽を作っているんだからある程度はいまこの場所でやっていることを正確に把握しておく必要があるよって言うようにしているんだ。そのとき作っている音楽は何かに影響を与えることもあるからね。未来のことを見据えたときに、この音楽がどんな立ち位置になるのかっていうのはいつも僕が考え続けていること。なぜ、そしてどうやって音楽が定義されてきたのかということにはずっと興味があるけど、シーンというものの大きな一部になったことはないね。スペースメン3はパイオニア的な存在だったのかもしれないけど、パイオニアっていうのは自分の力でどこかに向かって行く人のことを言うだろ? 「You can tell the pioneers by the arrows in their backs (パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる)」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。
このあいだ「もし若手のバンドにひとつだけアドバイスをするとしたらなんと言いますか?」っていう質問をされたんだ。「オーマイガー、若手にアドバイスをする奴って大嫌いなんだよ!」って感じだった。それでも答えてくださいって言われたから「妥協をするな。心からやりたいと思うことをするんだ。友達が好きなシーンの一部になるために音楽をやってはいけない。すぐに友達がライヴを見に来てくれることはないかもしれないけど、やりたいことをやれば報われる」って言ったんだ。心に響く優れた音楽っていうのは、程度は違えど妥協をしない人たちが作ったものなんだよね。彼らは妥協せずに音楽とコミュニケーションをとることが必要だってわかっているんだ、音楽はコミュニケーションがすべてだからさ。それに音楽は素晴らしくパワフルなコミュニケーションの手段のひとつでもある。音楽って自分がそのときに考えていたことや思い出を際限なく呼び起こしてくれるよね。それって10枚のカードセットに入っているカードをある部屋で全部並べて覚えて、その後にもう一度その部屋に戻るとそのカードのすべてを覚えている、みたいなことに近いと思うんだ。もう何年間も聴いていなかったとしても、聴けばほぼ瞬時にその当時の感情や思い出を呼び起こされるという点でね。

1965年生まれのあなたはあと5年後には60歳になります。そのとき、世界はどうなっていて欲しいと思いますか?

SB:ワオ……僕は現実的だから、もし僕たちがリサイクルをすることや消費活動、長距離移動を削減することに賭けなければ……飢餓や水不足、資源不足、人の超過密といったような他のメカニズムのなかで人口はじょじょに減っていくことになると思うんだ。僕たちが抱えている問題というのは巨大だけど、地球は回復するということはあと2ヶ月くらいでわかると思うんだ。落ち込んでいる日には、「地球は人間がいなければより早く回復していくのでは」なんて考えたりもするけど、いつもは僕たちならできるって感じているよ。海にプラスチックを投げ込むのをやめて、海に浮かんでいるものを取り除いて、石油科学をやめるんだ。石油科学は有毒なものだってわかっているだろ。いまや再生可能エネルギーがあるんだから、それが唯一の回答であるべきだ。
 5年後か……夢は大きく持ってみよう……この地球はひとつで人類もひとつであるということを地球上に住む人びと全員が理解して欲しいんだ。お互いのことをレイシストと呼んだり、国家で分断したり、嫌なことやきついことはたくさんあるけど、違いを強調するよりもシェアするべきことのほうがたくさんあるということに気づいてほしい。この地球上で文化的な違いがあることは祝福すべきことだ。だけど一方で全員がこの地球の一部で、ひとりがその他の人のために地球を台無しにするなんてことがあってはいけない。もしひとつ選ぶとしたら、5年後には牛肉の消費量が大幅に減っているといいな……あと国家同士がきちんと手を組んでよりグローバリゼーションが進んでCO2の排出量のコントロールとかができるといいよね。西洋の国が中国を見て「大気汚染が深刻だ! この状況ってクレイジーだよ」って言うけど、いままで自分たちもさんざん大気汚染をしてきたじゃないか。この問題が深刻になる直前にこれはやばいって思ってちょっとだけ賢いやり方に切り替えただけでしょ。そういう問題にもっと目を向けていくべきだと思う。自分たちが「WE」であることを自覚していればいいんだけど、ドナルド・トランプやボリス・ジョンソンが当選するのは……わからないな。彼らは僕たちをつなげるよりも分裂させるだけだから。みんなが一緒になってものごとに取り組むことが大切なんだ。一緒に取り組み始めたら他のことも必然的についてくると思うよ。戦争はなくなって、お互いのことを理解し始めるし、人はそれぞれ違っているのは祝福すべきことで同じである必要はないということもわかる。違いがあることは問題ではないとね。それって両親が言っていたからその子供たちも同じことを言い続けるような、オールドファッションなことなんだよ。いまの人の行動とかものごとのありかたって、いままでずっとそうだったからそうしているだけでさ。そのことに対して疑問を持たないでしょ? 一度でも疑問を持ったら絶対に理にかなってないってわかるからね。

 目に見えるよりも先に、音が聞こえてくる。穏やかな秋の日の午後、高円寺と阿佐ヶ谷のあいだにある青梅街道を、数百の人々が笑いあい、踊りながら、先導する何台かのトラックにつづいてゆっくりと進んでいく。そのなかの一台には何組かのバンド──ジャンルはパンクからレゲエ、ファンク、サイケデリック、ロックなど様々だ──が乗りこみ、他のトラックは過去の名曲を爆音でプレイするDJたちを乗せている。音は道沿いを前後に広がって、路地へと滲みだしていき、お祭り騒ぎをしながら道路の上を進んでいく小さな群衆がすぐ近くまで迫っていることを予告している。買い物客や通行人たちは、だんだんと近づいてくる音の壁をどこか楽しげに、興味深そうに眺めている。それが何のためのものなのかは誰にも分からない。だが音が近づいてくることは誰にでも分かる。
 東京という街において音は、特定の空間を誰が所有しているかを定義し、その所有権を主張するさいの鍵となる役割を果たしている。たとえば人の往来がせわしない駅周辺のエリアは、数えきれない広告の音や、店の入り口からとつぜん漏れだしてくる四つ打ちの音、あるいははるか頭上の街頭ヴィジョンから聞こえてくる音でたえず溢れかえっている。結果として人は、そうした領域が商業と資本に属している場所であることを知らされることになるわけである。だが商業的な通りからほんの少し外れると、今度は住宅エリアに入っていくことになる──するととつぜん静けさが訪れ、屋内での音は、一軒家やアパートの薄い壁の外に漏れないように配慮されることになる。このルールが侵された場合、家主を呼ばれるか、警察の訪問を受けるはめになる。騒がしい隣人が歓迎されることはありえない。音楽が演奏されるのは基本的に、薄暗い地下の空間や、ビルの上層階など、防音のしっかりした場所に限定される。公共の場で音を出すことが許される場合があるとしてもそれは、ボリュームを抑えた路上パフォーマンスというかたちであったり、広告のBGMなど、商業的な目的をもったものとして以外にはありえないのである。
 政治という場がおもしろいのは、日本の場合それが、音が社会的に定められた境界を侵犯していくことになる場だからだ。たとえば、期間中ずっと候補者の名前を叫びつづけ、住宅街のなかをゆっくりと走る選挙カーや、30年代の愛国的な軍歌を爆音で流して走る黒塗りの街宣車のことを考えてみればいい。ザ・クラッシュの“ロンドン・コーリング”の音に合わせ街頭で踊る抗議者たちによる、今回のお祭り騒ぎも同様である。こういった例のなかでは、人々の普段の暮らしのなかにある均衡を破り、別の何事かへと関心を向けされるために音が用いられているわけだ。

 今回の高円寺の場合でいうなら、その参加者たちは、街の北側まで目抜き通りを拡大しようとするジェントリフィケーション計画にたいして異議申したてをおこなっているのだといえる。彼らは、街を二分し、小さな家を立ち退かせて、どこにでもあるような複合施設や不動産投資事業によって、近隣一帯の商店の活性化を目論む計画にたいして抗議しているわけである。とはいえ、話はそれだけで終わるものではない。突きつめていえば、街を練り歩き騒ぎを起こす数百人の人々はかならずしも、開発業者の連中や、役人たちや政治家たちの考えを変えようとしているわけではない。そういった者たちの決定を覆すための現実的な戦いは、裁判所や杉並区役所のなかでおこなわれることになるはずである。今回のデモがああいったかたちでおこなわれたのには、そういった現実的な理由とは別の理由があったはずなのだ。
 ではじっさいのところ、今回のこの抗議はいったいなにを目指してデモをおこなっていたのだろうか。この問いにたいして答えようとおもうなら、そこで流れている音楽それじたいに注意を向けてみればいい。参加したミュージシャンやDJの多くは、高円寺のローカルな音楽シーンで活躍する者たちであり、デモの場で彼らは、普段は防音された室内でプレイしている曲を演奏していた。またこの抗議のオーガナイザーである素人の乱は、ふかく地域のコミュニティにかかわり、音楽シーンにもつよい繋がりをもつコレクティヴである。以上をふまえるなら、今回の抗議は、そこに参加した者たちそれじたいに向けられたものなのだといえるはずだ。つまりそれは、自分たちを互いに結びつけるための方法であり、一つのコミュニティとして、自分たちがいったいなにを目指しているのかを思いださせるための方法だったのである。
 さらにいえばそれは、高円寺というローカルな場所だけにかかわるものでもなかった。この抗議は、広い意味での住環境の問題に関係する活動家たちによってサポートされたものでもあった。じっさい、昨年おこなわれた同様の抗議では、京都の吉田寮の追い出し問題〔訳註1〕にたいする抗議者たちや、香港からやってきた民主活動家を含む多様なグループの代表者たちがスピーチするすがたが見られている。今回の抗議と同様の音楽的な形式でおこなわれた2011年の反原発運動のときにも、ソウルのホンデ地区における反ジェントリフィケーション運動に参加する韓国のパンク活動家が参加していた。したがってこれらの抗議は、場所を問わずよりよいコミュニティを築こうとする者たちが互いに出会い、アイデアや共通の地平を確認しあうための祝祭としておこなわれたものでもあるのだ。
 こうした抗議のなかにおける音楽は、なんらかのメッセージの媒介として機能しているわけではない。むしろ音楽はそこで、単純にそれが一番得意なことをしているだけなのである。つまりそれは、参加者たちのあいだにコミュニティの感覚が生じる手助けをしているのだ。音楽は、東京のいたるところにあるあの暗く狭い防音された部屋のなかで密かに、数メーター離れた場所で買い物し、働き、往来している人たちから隠れたまま、たえずそうした役割を果たしてきた。じっさい、音楽をきっかけにして出会った人間たちが、何十人と今回のデモの場に集まり、その場で自分たちのつながりを、つまり自分たちをパンクやインディー好きやノイズ狂いのコミュニティとして結びつけているつながりを、あらためて確認することになった。今回の高円寺のデモは、間違いなくこうした役割を果たしている。とはいえ、防音された薄暗いライヴ・ハウスのなかでも一つのコミュニティとして集まれるにもかかわらず、いったいなぜそれを街頭へと持ちだす必要があったのだろうか。
 この記事の冒頭で私は、いかに音が公共空間にたいする所有権を誇示するための方法になっているかについてや、政治的な行動が、特定の問題にたいして人の注意を引くために、体制によって定められた空間の所有権を音を用いて侵犯したり、あるいはぼやかしたりする場合が多く見られることについて言及した。いうまでもなくそうした政治と音のかかわりは、今回のサウンド・デモのなかでも確認されたものである──外部の聴衆の必要性は、「身をもってなにかを示すデモンストレーション」という方法にあらかじめ備わったものだといえる。だがそれだけではない。この抗議における音楽の用いられ方は、公共空間の所有権の問題だけでなく、同時にまた、コミュニティのあり方についての省察へと向けられたものでもあったのだ。
 われわれは、商業的な領域が公共空間を支配するのを許し、その所有権を主張するのを許すことに、あまりにも慣れすぎてしまっている。たえずあらゆる角度からやってくる音と映像による広告の弾幕は、商業的なものや資本が、われわれの都市やローカルな場にたいして好き放題にふるまう権利を抵抗なく認めさせるための、致命的なプロパガンダとして機能している。だがそれにたいして、高円寺の通りラインに沿った音楽による抗議(や、数週間前の2019年10月におこなわれた渋谷から表参道へといたるプロテスト・レイヴのような最近の同様の出来事〔訳註2〕)は、一種の音によるグラフィティなのである。それはじっさいのグラフィティと同様、商業の側がもっぱら自分たちだけのものだと考えている空間にたいして、われわれじしんの所有権を主張するための方法として機能するものなのだ。それをとおしてわれわれは、防音された地下の部屋から飛びだしていくことになり、街頭は自分たちのものだと、大きな声ではっきりと主張することができるようになるのである。

*訳注1 現在進行形のこの問題については、文末のURLに読まれるサイト『吉田寮を守りたい』および、笠木丈による論考「共に居ることの曖昧な厚み──京都大学当局による吉田寮退去通告に抗して」(『HAPAX 11──闘争の言説』収録)を参照。https://yoshidaryozaiki.wixsite.com/website-9

*訳註2 DJの Mars 89 らの呼びかによって2019年10月29日におこなわれた路上レイヴ。「我々は自身の身体の存在を以て、この国を覆う現状に抵抗する」(ステートメントより)。以下のURLを参照。https://www.residentadvisor.net/events/1335758 (編註:Mars89 は『ele-king vol.25』のインタヴューでその動機や背景について語ってくれています)


You hear us before you see us. A couple of hundred people, laughing, dancing, slowly making their way down Ome-kaido between Koenji and Asagaya on a chilly autumn afternoon, led by a couple of trucks, one hosting a series of bands – punk, reggae, funk, psychedelia, rock – and another carrying DJs blasting out celebratory anthems from ages past. The sound carries down the road ahead and behind, bleeding down sidestreets, heralding the passing of the small crowd of marching revellers. Shoppers and passers-by peer towards the advancing wall of sound, amused, curious. No one really knows what it’s for, but everyone knows we’re coming.

In Tokyo, sound plays a key role in defining and asserting ownership over particular spaces. The area around a busy station explodes with the sounds of a thousand adverts, jingles blasting from shop doorways and booming down from towering video displays. In this way, we know the territory belongs to commerce and capital. Step away from these commercial streets just a short few steps, though, and you may find yourself in a residential area – suddenly silent, domestic noises diligently suppressed within the thin walls of houses and apartments. Transgressions here are greeted with calls to the landlord or visits from the cops. No one likes a noisy neighbour. Music is typically confined to its own designated spots: dingy, carefully soundproofed boxes in the basements or upper floors of buildings. Where it is allowed out into public spaces, it does so either in the form of volume-suppressed street performances or as the servant of commerce, soundtracking adverts.

Politics is interesting because it is a sphere of Japanese life where sound transgresses its socially designated limits. The sound trucks that crawl around your neighbourhood, screaming out the names of politicians endlessly during election periods. The black vans blasting out patriotic military songs from the 1930s. The carnival of protesters dancing down the street in Koenji to the sound of “London Calling” by The Clash. All these people are using sound to disrupt the equilibrium of people’s daily lives and draw their attention to something else.

In the case of the Koenji marchers, we are protesting gentrification in the form of plans to extend a main road up through the north of the town, splitting the neighbourhood in two, and replacing small houses and bustling neighbourhood shops with generic condo complexes and real estate investment projects. That’s not all we’re doing, though. After all, a couple of hundred people marching around and making a noise aren’t going to make a bunch of developers, civil servants and politicians change their minds. The real fight against these proposals is going to happen in the courts and in Suginami City Office. There must be another reason why this march is happening and in this form.

Who is this protest march for? One way to answer this is to look at the music itself. A lot of the musicians and DJs are people involved in the local Koenji music scene, playing the music they always play, locked away in their little soundproofed boxes. The protest’s organisers, the Shiroto no Ran collective, are deeply embedded in the local community, and have strong links with the music scene. In this sense, the protest is for its own participants: a way of bringing us together and reminding us of what we stand for as a community.

It’s not just about the local area though. Also supporting the protest were activists who are engaged more broadly with environmental issues. A similar protest last year brought in speakers representing groups as diverse as the Yoshida Dormitory protests in Kyoto and pro-democracy activists from Hong Kong. The 2011 anti-nuclear protests, which kicked off in Koenji with a very similar musical format, also incorporated South Korean punk activists who were involved in anti-gentrification protests in Seoul’s Hongdae area. These kinds of protests, then, are also festivals for the meeting and sharing of ideas and common ground between those looking to build better communities everywhere.

Music in this protest is not functioning as a vehicle for a particular message in itself, but rather to simply do what it does best: to be a facilitator for a sense of community among participants. This is what music does all the time in those small, dark, soundproofed boxes all around Tokyo, locked away and hidden from the daily lives of people shopping, working and walking just a few metres away. A few dozen of us gather, joined by music, and reaffirm the links between us that make us a community of punks, indie kids, noiseniks or whatever. So the Koenji march is doing this, yes, but if we can come together as a community in a dingy soundproofed live venue, why do we need to take it out into the streets?

At the beginning of this article, I talked about how sound is a way of marking ownership over various public spaces, and how politics often behaves in ways that transgress or blur those established patterns of ownership in order to draw attention to one issue or another. Of course, that’s part of what we’re doing with this musical march – after all, the need for an external audience is inherent in the word “demonstration”. More than that, though, I think the use of music in this protest is where the issues of community consolidation and ownership of public space come together.

We are too comfortable in allowing the commercial sphere to dominate and assert its ownership over public space. The constant barrage of advertising coming at us from all angles in sound and vision functions as a deadening sort of propaganda that makes us too easily accept commerce and capital’s right to do whatever it wants with our cities and neighbourhoods. However, just as graffiti can function as a way of asserting citizens’ ownership over spaces that commerce thinks of as uniquely its territory, musical protests along the lines of the Koenji march (and similar recent events like the Shibuya/Omotesando protest rave a couple of weeks previously on October 2019) are a kind of sonic graffiti in which we can come out of our soundproofed underground boxes and say loudly that these streets are ours.

JPEGMAFIA - ele-king

 「お前は俺を知らない(You think you know me)」。プロデューサーというのはタグ好きだ。主役は誰かをリスナーに分からせるための、自らの楽曲群にグラフィティのように走り書きするタグが。WWEレスラー、エッジのテーマ曲をサンプリングしたJPEGMAFIAのプロダクション・タグは、彼のやることの多くと同様にいくつもの意味を兼ねてみせる。音響的な目印であり、ポップ・カルチャーの引用であり、挑発でもある、という具合に。お前は俺を知ってるつもりかい?(You think you know me?)

 バーリントン・デヴォーン・ヘンドリックスには、前作『Veteran』(2018)の思いがけないヒットでその混乱した、自由連想に満ちた音楽がより広い層の聴き手に達する以前に自らを理解する時間がたっぷりあった。その前の段階のとある名義で、彼はミドル・ネームと姓から派生したデヴォン・ヘンドリックス(Devon Hendryx)を名乗っていた。彼がJPEGMAFIAに転生したのは米空軍を名誉除隊した後に日本で生活していた間のことだった。彼はよくペギー(Peggy)の名も使いたがるが、その愛称は彼にどこかのおばあちゃんめいた印象を与える。

 しかしまた、JPEGMAFIAは自らを色んな風に呼ぶのが好きだったりする。『All My Heroes Are Cornballs』(2019)の“BBW”で、彼は「若き、黒人のブライアン・ウィルソン」を自称する──自らのプロダクション・スキルの自慢というわけだが、ウィルソンは録音音楽の歴史上おそらくもっとも白人的なサウンドを出すミュージシャンのひとりであるゆえに余計に笑いを誘う。“Post Verified Lifestyle”での彼は「ビートルズとドゥームを少々に98ディグリーズが混ざった、ビーニー・シーゲル」だ。ひとつのラインの中でジェイ–Zの元子分、王道ロック・バンド、顔を見せないアンダーグラウンドなラッパー、90年代のティーン・ポップ・グループの四つの名が引き合いに出される。この曲の後の方に出て来る「俺は若き、黒いアリG」は、さりげなくも見事なギャグになっていると共に考えれば考えるほどおかしな気分になるフレーズだ(註1)。

 JPEGMAFIAはつかみどころがなく、シュールなユーモアと政治的な罵倒、エモーショナルな弱さとの間を推移していく。『All My Heroes Are Cornballs』のリリース前、彼はアルバムが出るのはいつなのかという質問をはぐらかし続け、きっとがっかりさせられる作品になると言い張るに留まっていた。彼のYouTubeチャンネルにはジェイムズ・ブレイク、ケニー・ビーツをはじめとするセレブな友人たちが登場し、アルバムをヌルく推薦するヴィデオがアップされた。DJ Dahiの1本がそのいい例で、彼は冒頭に「たぶん俺はこのクソを二度と聴かないと思うよ、個人的に」のコメントを寄せている(※JPEGMAFIAがアルバム発表前にYouTubeに公開した、「友人たちに新作のトラックをいくつか試聴してもらい率直な感想を聞く」という主旨のジョーク混じりのヴィデオ・シリーズ「Disappointed」のこと)。

 これらの証言の数々は、ヘンドリックスがソーシャル・メディアのしきたりを享受すると共にバカするやり口の典型例だ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”に「ニガー、やりたきゃやれよ、俺は認証済みだぜ」の宣戦布告が出て来るが、ここでの彼は自らのツイッター・ステイタスを見せびらかしつつオンライン上のヘイターたちをからかっている。“Beta Male Strategies”で彼はこう預言する──「俺が死んだら、墓碑はツイッター、ツイッター」

 Veteran』が盛り上がり始めた頃、ヘンドリックスは左頬の上に、目にポイントを向けたコンピュータのカーソルのタトゥーを小さく入れた。英音楽誌『CRACK』に対して彼は「何かの形でインターネットにトリビュートを捧げたかったんだ」と語っている。

 多くのラッパーがインターネットからキャリアをスタートさせてきたとはいえ、これほどオンライン文化の産物という感覚を抱かせるラッパーはあまりいない。ツィッター・フィードをスクロールしていくように、JPEGMAFIAの歌詞はおふざけから怒りっぽいもの、真情から軽薄なものまで次々に切り替わる。歌詞にはバスケットボール選手からファストフード・チェーン、ヴィデオ・ゲーム、90年代のテレビ番組、政治コメンテーター、インターネットのミームまで内輪受けのジョークとカルチャーの引用がみっしり詰まっていて、それらをすっかり解読するのには何時間も要する。

 その不条理なユーモアと割れた万華鏡を思わせるプロダクションに対し、手加減なしのずけずけとした政治的な毒舌がバランスを取っている。「政治的なネタ」についてラップしてもいいんだとアイス–Tから教わったとする彼は、人々の神経を逆撫でする機会を避けることはまずない。“All My Heroes Are Cornballs”で彼は「インセルどもは俺がクロスオーヴァーしたんで怒ってやがる」とラップする──「じゃあ連中はどうやってアン・ハザウェイからアン・クルターに鞍替えしたんだ?」(註2)。“PRONE!”は「一発でスティーヴ・バノンはスティーヴ(ン)・ホーキンスに早変わり」とオルタナ右翼勢にとことん悪趣味な嫌がらせを仕掛ける。(註3)。こうしたすべてを彼がどれだけ楽しんでいるかが万一伝わらなかった場合のために、“Papi I Missed U”で彼は「レッドネックどもの涙、ワヘーイ、なんて美味いドリンクだ」とほくそえむ。

 その挑発には、敵対する側からさんざん人種差別の虐待を浴びせられてもレヴェルを高く維持しようというオバマ時代の考え方あれこれに対する反動、というロジックが備わっている。ヘンドリックスは2018年に『The Wire』誌との取材で「一体全体どうして俺たちは、俺たちを蔑む連中にこれだけおとなしく丁寧に接してるんだ?」と疑問を発した。「『向こうが下劣になろうとするのなら、我々は高潔になろう』。むしろ俺は右派に対し、奴らが出しているのと同じ攻撃性をお返ししてやりたいね。効果てきめんだよ!」

 彼はまた従軍時代に体験したマッチョなカルチャーを引っくり返すのを大いに楽しんでもいて、タフ・ガイ的な記号の数々と典型的にフェミニンなお約束とを混ぜ合わせる。かつてのプリンスがそうだったようにJPEGMAFIAもジェンダーが流動的で、曲の中で女性の声にすんなりスウィッチするのだ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”のコーラスで彼は「どうやったらあたしの股を閉じたままにしておけるか教えて」と歌うが、この曲のタイトルは性的に放縦な女性に対するヒップホップの中傷語(Thot)を女性の側に奪還している。彼は“BasicBitchTearGas”で再び女性の視点を取り入れるが、この曲は予定調和な筋書きを反転させた女性のためのアンセム=TLCの“No Scrubs”の、意外ではあるものの皮肉は一切なしのカヴァーだ。

 ペギーは「お前のおばあちゃんにもらったお下がりに身を包んで」(“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”)けばけばしいファッションでキメることもあるが、それでも激しく噛み付いてくる。オンラインの他愛ない舌戦とリアルな暴力の威嚇との間にはピンと張り詰めた対比が存在する。“Beta Male Strategies”で彼はツィッター上で彼を批判する面々に「くそったれなドレス姿のニガーに撃たれるんじゃないぜ」と警告する。“Thot Tactics”では「ブラザー、キーボードから離れろ、MACを引っ張り出せよ」とあざける。アップル製コンピュータのことかもしれないが、おそらくここで言っているのはMACサブマシンガンのことだろう。

 ギャングスタ・ラップの原型からはほど遠いラッパーとはいえ、JPEGMAFIAは小火器に目がない。“DOTS FREESTYLE REMIX”の「お前が『Toonami』を観てた頃から俺は銃をおもちゃに遊んでたぜ」のラップは、昔ながらの「お前が洟垂らしだった頃から俺はこれをやってきた」に匹敵する愚弄だ(註4)。西側の白人オタクたちは自分のお気に入りのアニメ界のフェティッシュの対象を「ワイフ(wiafu)」と呼ぶが、“Grimy Waifu”でペギーが官能的なR&Bヴォーカルを向ける相手は実は彼の銃だったりする。

 突然注目を浴びたラッパーの多くがそうであるのと同じように、『All My Heroes Are Cornballs』も音楽業界およびその中における自身の急上昇ぶりに対する辛辣な観察ぶりを示してみせる。“Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind”で彼は「俺はコーチェラから出演依頼を受けたけど、敵さんたちはそうはいかないよな」と自慢する。このトラックの他の箇所では、彼に取り入り利用しようとするレコード業界の重役たちにゲンナリしている様が聞こえる──「この白いA&Rの連中、俺を気軽に注文できる単品料理だと思ってるらしい/俺をお前らのケヴィン・ジェイムズにしたいのかよ、ビッチ、だったら俺にケヴィン・ハート並みに金を払うこった」(註5)。自分のショウを観に来る怒れる白人男連中は彼のお気に召さないのかもしれないが(「ニガーに人気が出ると、黒人ぶるのが好きな白人どもが毎回顔を出すのはどうしてなんだ?」──“All My Heroes Are Cornballs”)、その見返りを彼は喜んで受け取る。「年寄りのホワイト・ニガーは大嫌いだ、俺には偏見があるからな/ただしお前らニガーの金を教会の牧師が寄付金を集めるように俺の懐に入れてやるよ」(“Papi I Missed U”)

 と同時にペギーは彼自身、あるいは他の誰かを台座に就かせようという試みに抵抗してもいる。アルバム・タイトルがいみじくも表している──「俺のヒーローはダサい変人ばかり」と。アルバムの中でもっともエモーション面でガードを下ろした“Free the Frail”で、彼は「俺のイメージの力強さに頼っちゃだめだ」と忠告する。「良い作品なら、めでたいこった/細かく分析すればいいさ、もう俺の手を離れちまったんだし」。それは受け入れられたいとの訴えであり、完璧な人間などいないという事実の容認だ。あなたは彼を知っているつもりかもしれない。彼はそんなあなたを失望させるだけだ。

〈筆者註〉
註1:「アリG」は、ケンブリッジ大卒のユダヤ系イギリス人であるサシャ・バロン・コーエンの演じた「自分は黒人ギャングスタだ」と思い込んでいる白人キャラクター。コーエンはこのキャラを通じて「恵まれた若い白人層が彼らの思うところの『黒人の振る舞い』を猿真似する姿」を風刺しようとしたのだ、と主調している。しかし一部には、そのユーモアそのものが実はステレオタイプな黒人像を元にしたものだとしてアリGキャラを批判する声も上がっている。
(※アリGはマドンナの“Music”のPVでリムジン運転手役としても登場)

註2:インセルども=女嫌いのオンライン・コミュニティ「involuntary celibate(不本意ながらヤれずにいる禁欲者)」の面々は、JPEGMAFIAが少し前に成功しアンダーグラウンドからメインストリームに越境したことに怒りを発した。アン・クルターはヘイトをまき散らすアメリカ右派コメンテーターで、『プラダを着た悪魔』他で知られるお嬢さん系女優アン・ハザウェイ好きから、インセルたちはどうやってアン・クルターのファンに転じたのか? の意。

註3:ドナルド・トランプの元チーフ戦略家スティーヴ・バノンを車椅子生活に送り込むには一発の銃弾さえあれば足りる、の意。

註4:『Toonami』は1997年から2008年までカートゥーン・ネットワークで放映されたアクション/アニメ番組専門のテレビ枠。

註5:レーベル側のA&R担当者たちは彼らの求めた通りの何かを自分からいただけると思っているが、だったらもっと金を払ってくれないと、の意。ケヴィン・ジェイムズもケヴィン・ハートも俳優だが、人気黒人コメディアンであるハートはジェイムズよりもはるかに多額のギャラを要求できる立場にいる。


“You think you know me.” Producers love a tag: a graffiti-like signature to scrawl across their tracks, letting listeners know who’s in control. Sampled from the theme song for WWE wrestler Edge, JPEGMAFIA’s production tag—like a lot of what he does—manages to be many things at once: a sonic marker, a pop culture reference, a provocation. You think you know me?
Barrington DeVaughn Hendricks had plenty of time to get to know himself before the unexpected success of 2018’s Veteran brought his messy, free-associating music to a wider audience. In a previous incarnation, he was Devon Hendryx, a moniker derived from his middle and last names. It was while living in Japan, after an honourable discharge from the US Air Force, that he became JPEGMAFIA. He often prefers to use the diminutive Peggy, which makes him sound more like someone's grandmother.
Then again, JPEGMAFIA likes to call himself a lot of things. On “BBW,” from 2019’s All My Heroes Are Cornballs, he’s “the young, black Brian Wilson”—a boast about his production skills, made all the funnier by the fact Wilson must be one of the whitest-sounding musicians in the history of recorded music. On “Post Verified Lifestyle,” he’s “Beanie Sigel, mixed with Beatles with a dash of DOOM at 98 degrees”—in the space of a single line, name-checking a former Jay-Z protégé, a canonical rock band, a reclusive underground rapper and a 1990s teen-pop group. Later in the same track, he’s “the young, black Ali G,” which is a great throwaway gag that gets stranger the more you think about it.
JPEGMAFIA is elusive, shifting between surreal humour, political invective and moments of emotional vulnerability. In the run-up to the release of All My Heroes Are Cornballs, he constantly dodged questions about when the album was due, merely insisting that it would be a disappointment. His YouTube channel released videos of celebrity pals, including James Blake and Kenny Beats, offering lukewarm endorsements. DJ Dahi’s was characteristic: “I'll probably never listen to this shit again, personally.”
These testimonials are typical of the way Hendricks both embraces and mocks the conventions of social media. “Nigga, come kill me, I’m verified,” he declares on “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” taunting the online haters while flaunting his Twitter status. On “Beta Male Strategies,” he prophesies: “When I die, my tombstone’s Twitter, Twitter.”
When Veteran started blowing up, Hendricks got a small image of a computer cursor tattooed on his left cheekbone, pointing towards his eye. As he told Crack Magazine: “I wanted to pay tribute to the internet in some way.”
Many rappers have launched their careers on the internet, but few feel quite so much like a product of online culture. Like scrolling through a Twitter feed, JPEGMAFIA’s lyrics whiplash constantly between playful and bilious, heartfelt and irreverent. They’re dense with in-jokes and cultural references—to basketball players, fast-food chains, video games, ’90s TV shows, political pundits, internet memes—that would take hours to fully decode.
The absurdist humour and fractured-kaleidoscope production is counterbalanced by some unapologetically direct political invective. He credits Ice Cube with teaching him it was OK to rap “about political shit,” and seldom shies away from an opportunity to rile people. “Incels gettin’ crossed ’cause I crossed over,” he raps on “All My Heroes Are Cornballs.” “How they go from Anne Hathaway to Ann Coulter?” On "PRONE!," he trolls the alt-right as tastelessly as possible: “One shot turn Steve Bannon into Steve Hawking.” And just in case it wasn’t clear how much he’s enjoying all of this, “Papi I Missed U” gloats: “Redneck tears, woo, what a beverage.”
There’s logic to the provocation, a reaction to all that Obama-era stuff about taking the high ground while your opponents douse you in racist abuse. “Why the fuck are we so civil with people who despise us?" Hendricks asked The Wire in 2018. “‘They go low, we go high.’ I’d rather give the right the same aggression back. It works!”
He also delights in subverting the macho culture he experienced serving in the military, mixing tough-guy signifiers with stereotypically feminine tropes. JPEGMAFIA is gender-fluid in the way that Prince was, slipping naturally into a female voice during songs. “Show me how to keep my pussy closed,” he sings in the chorus of of “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” the title of which reclaims a hip-hop slur (“thot”) used against slutty women. He adopts a female perspective again on “BasicBitchTearGas,” an unexpected—and wholly unironic—cover of TLC’s script-flipping anthem, “No Scrubs.”
Peggy may sport flamboyant fashions—he’s “Dressed in your grandmama’s hand-me-downs” (“Jesus Forgive Me, I’m a Thot”)—but he still bites. There’s a bracing contrast between the online shit-talking and the threat of real violence. On “Beta Male Strategies,” he cautions his critics on Twitter: “Don't get capped by a nigga in a muhfuckin’ gown”. On “Thot Tactics,” he taunts: “Bruh, put the keyboard down, get the MAC out”—which could be talking about Apple computers, but is probably referring to the MAC submachine gun.
He’s a far cry from the gangsta-rap archetype, but JPEGMAFIA can’t get enough of his firearms. “I’ve been playing with pistols since you watching Toonami,” he raps on “DOTS FREESTYLE REMIX,” the equivalent of the old “I’ve been doing this since you were in diapers” jibe. While Western otaku use “waifu” to refer to their favourite anime fetish object, on “Grimy Waifu,” Peggy’s seductive R&B vocal is actually addressed to his gun.
Like many rappers who’ve been thrust suddenly into the spotlight, All My Heroes Are Cornballs offers caustic observations on the music industry and his rapid ascent within it. “I got booked for Coachella, enemies can’t say the same,” he brags on “Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind.” Elsewhere on the same track, he’s unimpressed by record industry execs hoping to take advantage of him: “I feel these cracker A&Rs think I’m al a carte / They want me Kevin James, bitch, pay me like Kevin Hart.” He may not like the angry white dudes in the audience at his shows (“Why these wiggas always showin’ up when niggas be poppin’?” on “All My Heroes Are Cornballs”), but he’s happy to reap the rewards: “I hate old white niggas, I’m prejudiced / But I’ma take you niggas money like a reverend” (“Papi I Missed U”).
At the same time, Peggy resists attempts to put him, or anyone else, on a pedestal. It’s right there in the title: all my heroes are cornballs. “Don't rely on the strength of my image,” he cautions on “Free the Frail,” the album’s most emotionally unguarded track. “If it’s good, then it’s good / Break it down, this shit is outta my hands.” It’s a plea for acceptance, an acknowledgment that nobody’s perfect. You think you know him. He can only disappoint you.

interview with Kode9 - ele-king

 今年で設立15周年を迎える〈Hyperdub〉。ベース・ミュージックを起点にしつつ、つねに尖ったサウンドをパッケージしてきた同レーベルが、きたる12月7日、渋谷 WWW / WWWβ にて来日ショウケースを開催する。
 目玉はやはりコード9とローレンス・レックによるインスタレイション作品『Nøtel』の日本初公開だろう。ロンドンでの様子についてはこちらで髙橋勇人が語ってくれているが、サウンドやヴィジュアル面での表現はもちろんのこと、テクノロジーをめぐる議論がますます熱を帯びる昨今、その深く練られたコンセプトにも注目だ。この機会を逃すともう二度と体験できない可能性が高いので、ふだんパーティに行かない人も、この日ばかりは例外にしたほうが賢明だと思われる。
 ほかの出演者も強力で、アルカのアートワークで知られるジェシー・カンダの音楽プロジェクト=ドゥーン・カンダ(11月29日に初のアルバム『Labyrinth』をリリース済み)や、昨年強烈なEP「Enclave」を送り出したアンゴラ出身のナザールと、なんとも刺戟的な面子が揃っている。さらにそこに〈Hyperdub〉からリリースのある Quarta 330 をはじめ、Foodman や DJ Fulltono、Mars89 といった日本のアンダーグラウンドの最前線を牽引する面々が加わるというのだから、これはもうちょっとしたフェスティヴァルである。
 というわけで、来日直前のコード9にレーベルの15周年や『Nøtel』、まもなく発売されるベリアルの編集盤などについて、いくつか質問を投げかけてみた。(小林拓音)


photo: David Levene

『Notel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。

今年で〈Hyperdub〉は15周年を迎えます。2004年にレーベルをスタートさせたとき、どのような意図や野心があったのですか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):はじめたときは、亡きスペースエイプと一緒にやっていた自分の音楽をリリースするレーベルにしたいと考えていただけだった。それ以上の目標は持っていなかったよ。

それは、いまでも続いていますか? この15年で大きな転換点はありましたか?

SG:それが、当初の目的はあっという間にどこかへ行ってしまって、他のアーティストたちの作品をリリースするようになった。ある意味、まったく逆のことをやっている──いまでは自分の音楽をやる時間はほとんど持てないからね。ベリアルのアルバムを出したのは、間違いなく大きな転機だった。2014年に起こったDJラシャドとスペースエイプの死もそうだ。

『Diggin' In The Carts』のリミックスは、あなたのオリジナル作品と言っていいくらい独自にリミックスされていましたけれど、そのとき意識していたことや、4曲の選出理由を教えてください。

SG:2017年から、アニメイターの森本晃司が制作した映像を使って、オーディオヴィジュアル・ライヴを続けている──音楽は、コンピレイション・アルバム『 Diggin' In The Carts』の中から14曲を自分でリミックスしたものを使っている。リミックスEPには、その14曲から好きなトラックを選んだだけなんだ。

12月7日の来日公演に出演するドゥーン・カンダ(Doon Kanda)はヴィジュアル・アーティストとしてのほうが有名ですけれど、その音楽についてはどう思っていますか?

SG:彼の映像表現は、驚きに満ちていてすごく独特だ。音楽にかんしては、鋭敏で優美なメロディ・センスを持ち合わせていると思う。初めてその音楽を聴いたとき、これは アルカの曲だろうかと思ったんだけど、いまでは彼独自のサウンドを徐々に見つけていると思う。今回のアルバムはリズムもすごくおもしろくて、電子音でワルツを刻んでいると言ってもいいくらいだ。


photo: David Levene

おなじく今回来日するアンゴラのナザール(Nazar)ですが、彼の音楽の魅力とは?

SG:ナザールは、ここ最近〈Hyperdub〉で契約した新人でもとくに楽しみなひとりだ。他にはまったくないサウンドを持っていて、それを自分で「ラフ・クドゥーロ」(訳註:クドゥーロはアンゴラ発祥の音楽形式)と呼んでいる。彼がふだん鳴らしている音を説明するなら、ベリアルの音楽をさらに騒々しくしたヴァージョンと、マルフォックスニディア、あるいはニガ・フォックスらによる〈Príncipe〉レーベルの音楽の中間にあると言える。パフォーマンスをするときは、自分の音楽だけを演奏していて、何から何まで独創的な音の世界を聴かせてくれる。彼の作品テーマはアンゴラの内戦と関わりがあって、それで僕の著書『Sonic Warfare』とも共鳴する部分がある。そこがたいていのプロデューサーとちがうところだ。

まもなくベリアルのコンピレイションがリリースされます。彼のことですので、たんにレーベル15周年を祝ってという理由だけでなく、何か考えがあるように思えます。すべて既出の音源ですが、曲順も練られているように感じました。これは実質的に彼のサード・アルバムと捉えてもいいのでしょうか?

SG:彼は適切な流れをつくれるように考えて曲順を決めていた。厳密にはサード・アルバムとは言えないだろう──アルバム『Untrue』以降にリリースされたトラックをほぼすべて網羅したものでしかない。ここに収録されたトラックはどれも、アルバムに入っていないからという理由で、見過ごされてきたように感じられる。われわれとしては、今回の楽曲には、アルバムの収録曲より優れたものさえ存在すると確信している。

今年はサブレーベルの〈Flatlines〉も始動しましたね。第1弾はマーク・フィッシャーとジャスティン・バートンによる作品『On Vanishing Land』で、フィッシャーゆかりのアーティストが多く参加しています。この作品は彼への追悼なのでしょうか?

SG:そうだと言ってかまわない。レーベルの名前は、彼が博士号を取得したさいのテーマにちなんでつけたもので、この作品は、彼の最後の著書『The Weird and the Eerie』に記されたアイディアのいくつかをオーディオエッセイというかたちで実践したものだ。

今後〈Flatlines〉はどのような作品を出していく予定なのでしょう?

SG:もしかしたら、僕自身のオーディオエッセイをいくつか出すかもしれない。

AIやテクノロジーのことがよく話題にのぼる昨今、「もともと人間のために作られたシステムが、人間消滅後もシステム自らのために稼働し続ける」という『Nøtel』の設定は示唆的です。作品のもととなったあなたのアルバム『Nothing』が出てから4年たちましたが、『Nøtel』にはどのような反応が返ってきていますか?

SG:『Nøtel』は興味深いプロジェクトとして続いてきた。最初は僕とローレンス・レックが加速主義(訳註:現行の資本主義プロセスを加速することで根本的な社会変革に結びつけようとする思想)について意見を交わすことからはじまった。それがアルバムの2つ折りジャケットのアートワークにつながった。それから仮想空間に建造物を再現し、僕がライヴ演奏をしているあいだにローレンスがゲーム用コントローラーを使って内部を移動する様子を映し出す(それぞれのトラックにひとつの部屋が割り当てられている)という形式ができて、さらにはユーザー参加型のVR作品に仕上がった。そして『Nøtel』を実際のホテルに見立てた架空の広告を制作し、香港のアート・バーゼルというイヴェントで最大規模のヴィデオ展示をおこなった。12月には上海での展示がおこなわれる──『Nøtel』はこれまで突然変異を繰り返して異なる環境をつくり出し、いまもなお発展を続けている。今回、初めて日本でのパフォーマンスが実現する。


photo: Philip Skoczkowski

『Nøtel』では、資本主義を打ち破るコンセプトとして、ジャーナリストのアーロン・バスターニが描いた全自動ラグジュアリー共産主義(Fully Automated Luxruy Communism)が、資本主義的に読み替えられた全自動ラグジュアリー(Fully Automated Luxury)というコンセプトとして登場します。『Nøtel』は、人間がいなくなったあとも資本主義リアリズムがテクノロジーによって構築され続ける世界です。わたしの記憶が正しければ、『Notel』のなかには、亡くなったスペースエイプやDJラシャドがまるで幽霊のようにホログラムや映像として登場します。人間のいない『Nøtel』の世界に幽霊がいるとすれば、それはどのような意味を持つのでしょうか?

SG:『Nøtel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。『Nøtel』は、富裕な人びとが求める社会的分離が行き着くところまで行ってしまった皮肉な事態(従業員が機械化されたのみならず、『Nøtel』には、もはや宿泊客がやって来ない──ただ、なぜそうなったのかをわれわれは語らない)をあらわすと同時に、「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」(訳註:技術革新によって実現できるとされる豊かな共産主義社会で、アーロン・バスターニの著書『Fully Automated Luxury Communism』のタイトルと一致する)という概念があっても、それが企業体によっていかに容易に私物化されうるかという皮肉を示している。『Nøtel』では、ドローンが従業員として仕事をする。そしてこの作品は、自分たちを使役する人間が存在しなくなったと認識したドローンが自由を獲得することで結末を迎える。

あなたは、今回一緒に来日するローレンス・レックの映像作品『AIDOL』に、声優として出演していますね。『AIDOL』の舞台は東南アジアです。では『Nøtel』の世界では、「東洋」はどのように存在しているのでしょう?

SG:物語の上で、『Nøtel』は国有の中国企業によって経営されている──そのブランド戦略を担うコンサルタントのひとりはロンドンのアートスクールで学んだ経験があり、そこで「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」という言葉を耳にして、意味をとりちがえたまま中国に持ち帰り、迂闊にも高級ホテルチェーンのキャッチフレーズに転用してしまったんだ。

『Nøtel』における機械(ドローン)には、われわれ人間と同じような肉体があるわけではないですが、人間性のようなものが宿っているようにも見えます。われわれは機械の尊厳についても考えるべきでしょうか?

SG:ドローンには、自由になりたいという欲望がプログラムされていて、それは、主人である人間に仕えるよう定めたプログラムよりも根源的なものとして機能する。どうあれ、人間は自動化を進めたまま、やがて終焉を迎えたということだ。

Hyperdub

Kode9 率いる〈Hyperdub〉の15周年パーティーが "Local X9 World Hyperdub 15th" として WWW にて12月7日(土)に開催決定!
また、孤高の天才 Burial が歩んだテン年代を網羅したコレクション・アルバムが国内流通仕様盤CDとして12月6日(金)に発売決定!

00年代初期よりサウス・ロンドン発祥のダブステップ/グライムに始まり、サウンドシステム・カルチャーに根付くUKベース・ミュージックの核“ダブ”を拡張し、オルタナティブなストリート・ミュージックを提案し続けて来た Kode9 主宰のロンドンのレーベル〈Hyperdub〉。本年15周年を迎える〈Hyperdub〉は、これまでに Burial、Laurel Halo、DJ Rashad らのヒット作を含む数々の作品をリリースし、今日のエレクトロニック・ミュージック・シーンの指標であり、同時に先鋭として飽くなき探求を続けるカッティング・エッジなレーベルとして健在している。今回のショーケースでもこれまでと同様に新世代のアーティストがラインナップされ、東京にて共振する WWW のレジデント・シリーズ〈Local World〉と共に2020年代へ向け多様な知性と肉体を宿した新たなるハイパー(越境)の領域へと踏み入れる。

Local X9 World Hyperdub 15th

2019/12/07 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird ¥2,000@RA
ADV ¥2,800@RA / DOOR ¥3,500 / U23 ¥2,500

Kode9 x Lawrence Lek
Doon Kanda
Nazar
Shannen SP
Silvia Kastel

Quarta 330
Foodman
DJ Fulltono
Mars89

今回のショーケースでは、Kode9 がDJに加えシミュレーション・アーティスト Lawrence Lek とのコラボレーションとなる日本初のA/Vライブ・セットを披露。そして最新アルバム『Labyrinth』が11月下旬にリリースを控える Doon Kanda、デビュー・アルバムが来年初頭にリリース予定のアンゴラのアーティスト Nazar、そしてNTSラジオにて番組をホストする〈Hyperdub〉のレジデント Shannen SP とその友人でもあるイタリア人アーティスト Silvia Kastel の計6人が出演する。

BURIAL 『TUNES 2011-2019』

Burial の久しぶりのCDリリースとなる『TUNES 2011-2019』が帯・解説付きの国内流通仕様盤CDとしてイベント前日の12月6日にリリース決定!

2006年のデビュー・アルバム『Burial』、翌年のセカンド・アルバム『Untrue』というふたつの金字塔を打ち立て、未だにその正体や素性が不明ながらも、その圧倒的なまでにオリジナルなサウンドでUKガラージ、ダブステップ、ひいてはクラブ・ミュージックの範疇を超えてゼロ年代を代表するアーティストのひとりとして大きなインパクトを残したBurial。

沈黙を続けた天才は新たなディケイドに突入すると2011年にEP作品『Street Halo』で復活を果たし、サード・アルバム発表への期待が高まるもその後はEPやシングルのリリースを突発的に続け、『Untrue』以降の新たな表現を模索し続けた。本作はテン年代にブリアルが〈Hyperdub〉に残した足取りを網羅したコレクション・アルバムで、自ら築き上げたポスト・ダブステップの解体、トラックの尺や展開からの解放を求め、リスナーとともに未体験ゾーンへと歩を進めた初CD化音源6曲を含む全17曲150分を2枚組CDに収録。

性急な4/4ビートでディープなハウス・モードを提示した“Street Halo”や“Loner”から、自らの世界観をセルフ・コラージュした11分にも及ぶ“Kindred”、よりビートに縛られないエモーショナルなス トーリーを展開する“Rival Dealer”、史上屈指の陽光アンビエンスが降り注ぐ“Truant”、テン年代のブリアルを代表する人気曲“Come Down To Us”、そして最新シングル“State Forest”に代表される近年の埋葬系アンビエント・トラックまで孤高の天才による神出鬼没のピース達は意図ある曲順に並べ替えられ、ひとつの大きな抒情詩としてここに完結する。

label: BEAT RECORDS / HYPERDUB
artist: Burial
title: Tunes 2011-2019
release date: 2019.12.6 FRI

Tracklisting

Disc 1
01. State Forest
02. Beachfires
03. Subtemple
04. Young Death
05. Nightmarket
06. Hiders
07. Come Down To Us
08. Claustro
09. Rival Dealer

Disc 2
01. Kindred
02. Loner
03. Ashtray Wasp
04. Rough Sleeper
05. Truant
06. Street Halo
07. Stolen Dog
08. NYC

interview with Michael Gira(Swans) - ele-king


Swans
Leaving Meaning

[解説・歌詞対訳 / ボーナストラック1曲収録]
Mute/トラフィック

Experimental RockPost Punk

Amazon

 ニューヨークのノー・ウェイヴ勢がその崩壊型のアート虐殺行為を終えつつあったシーン末期、1982年にスワンズは出現した。1983年のデビュー作『Filth』のインダストリアルなリズムと非情に切りつけるギターから2016年の『The Glowing Man』でのすべてを超越する音響の大伽藍まで、彼らは進化を重ね、長きにわたるキャリアを切り開いてきたが、次々に変化するバンド・メンバーやコラボレーターたちの顔ぶれの中心に据わり、スワンズの発展段階のひとつひとつを組織してきたのがフロントマンのマイケル・ジラだ。

 実験的な作品『Soundtracks for the Blind』に続き、スワンズは1997年にいったん解散している。そこからジラはエンジェルズ・オブ・ライトでサイケデリックなフォーク調の音楽性を追求した後、新たなラインナップでスワンズを再編成しこの顔ぶれで2010年から2016年にかけて4作のアルバムを発表。じょじょに変化を続けるジラのサイケデリックからの影響を残しつつ、それらを音の極点のフレッシュな探求に融合させた作品群だった。このラインナップは2017年に解消されたものの、それはバンドそのものの終結、というか長期の活動休止を意味するものですらなかった。そうではなく、ジラは自らのアイディアの再配置を図るべく短い休みをとった上で、『Leaving Meaning』に取り組み始めた。クリス・エイブラムス、トニー・バック、ロイド・スワントンから成るオーストラリアの実験トリオ:ザ・ネックスから作曲家ベン・フロスト、トランスジェンダーの前衛的なキャバレー・パフォーマー:ベイビー・ディーに至る、幅広い音楽性を誇るコラボレーターたちが世界各国から結集した作品だ。

 マントラ調になることも多い執拗なリズムとグルーヴ、トーン群とサウンドスケープの豊かな重なり、ゴスペル的な合唱によるクレッシェンドとが、今にも崩れそうなメロディの感覚で強調された、霊的な音の交感の数々へと統合されている。このアルバムおよびその創作過程の理解をもう少し深めるべく、筆者はアメリカにいるジラとの電話取材をおこなった。取材時の彼はこれまでも何度かコラボレートしてきたノーマン・ウェストバーグを帯同しての短期ソロ・ツアーに乗り出す準備を進めているところだったが、それに続いて彼は2020年から始まる『Leaving Meaning』ツアー向けの新たなスワンズのライヴ・ショウ作りに着手するそうだ。(坂本麻里子訳)

わたしはドアーズを聴いて育ったんだ。大げさな音楽だったかもしれないけど、その当時はすごくいいと思ってた。いまでもその頃聴いてたレコードのことを思い出すよ。

アルバムを聴いたのですが、かなり手の込んだプロセスだったのではないでしょうか。参加したアーティストも30人以上います。

ジラ:6ヶ月やそこらかかったんじゃないかな、いや、8ヶ月だったかも。ようやく作り終えたのがたしか3ヶ月前。かなりの作業だった。

大部分をドイツで録られましたね。なぜドイツだったのでしょう?

ジラ:メインで参加してくれてるアーティストがベルリン在住だった。ラリー・ミュリンズ、クリストフ・ハン、ヨーヨー・ロームとまず元になるトラックを録って、その後サポート(と言えども、重要な役割の)ミュージシャンを呼んだわけだけど、彼らもベルリン在住だったからね。ベルリンには他にも何人か呼び寄せて、素晴らしきベン・フロストと作業するためにアイスランドに飛んだよ。ニューメキシコ州のアルバカーキにも行って、A Hawk and a Hacksawのヘザーとジェレミー、昔からの友人のソー・ハリスとも作業した。で、ブルックリンでダナ・シェクター、ノーマン・ウェストバーグ、クリス・プラフディカのパートを録って、またベルリンに戻ってオーヴァーダブとミックス作業をしたんだ。

以前とはかなり異なるプロセスだったのですか?

ジラ:うーん、2010年から2017年、18年くらいまでは固定のバンド・メンバーがいた、メンバー間の仲も良かったし、みんないいミュージシャンだった。スタジオに入って、ライヴ演奏してきたものや、わたしがアコースティック・ギターで書いた曲に肉付けしたものを録ったりした。いつも一緒にやっている人は決まっていて、外部から人を連れてきたりもしたけど、ベースになる部分はずっと同じだった。スタジオに入って、全てをレコーディングしたりもした。わたしが不在のこともよくあったけど、いまみたいに大世帯ではなかったんだ。その当時のバンドを解散してからは、曲に見合って、作り上げてくれる仲間を選ぶようにした。

アルバム、『My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky』(2010)から『The Glowing Man』の流れでいくと、先に広がりを持つ曲作りをされたということでしょうか?

ジラ:まずわたしがアコースティック・ギターのみで録って、そのあとみんなでスタジオで作りこんでいった曲もあるよ。他の曲はライヴでやったものを使ったりもした。アコースティック・ギターから生まれたグルーヴをスタジオでみんなとプレイして、エレクトリック・ギターを乗せて、バンドとして曲を作りこんでいく感じ。そこから、ライヴ演奏して、わたしひとりじゃなくて、曲が展開するに従って、バンドとしてインプロしていく。こういった断片的なものを生でプレイして、積み重なって、どんどん構築される──30分の曲もあれば、50分の曲もある。ある曲を演奏しているうちに、新たな流れができて何かが生まれて、元にあった部分を切り捨てたりとかね。わたしたちの曲は常に進化系だから、その先の流れも見えてくる。なかなか面白いやり方だったと思う。

かなり前に作られた曲の断片を再度使い、新しいものに生まれ変わらせる、といったプロセスなようにも取れますね。例えば、『The Glowing Man』内の“The World Looks Red/The World Looks Black”は80年代にサーストン・ムーアのために書かれた歌詞が引用されています。

ジラ:音楽が完成することは決してないと思っている。今回のアルバムの曲にしても、新しいバンドと演奏すれば、また新たに進化していくものだろうし。むしろそうであってほしい。アルバムと全く同じように聴こえるのではつまらない、新しいかたちでで演奏できる術を見出したい。常に崖っぷちにぶら下がってる感覚が大切なんだ。まがりないものを作り出すにはいい刺激なんじゃないか。

そういった意味では、今回のアルバムを作る過程は以前とは逆のやり方だった、と?

ジラ:そうかもしれない。ただ、今回のアルバムの構成・作曲に関していうと、作りはじめはむき出しの状態。いままでに演奏したことがあるものじゃないから、構成、作曲、ミックス、プロダクションという流れだった。以前に存在していたものではなかったから、だから自分のよく知るやり方でベストなアルバムを作ったのみ。で、想像つくと思うけど、このでき上がったものを思い切りぶち壊すのが次のステップ(笑)。

ご自身のアコースティックのデモを事前にリリースし、今回のアルバム制作資金を調達しました。以前にもこのやり方をされたことがありますね。

ジラ:何度もね。曲が反復する部分があるんだけど、そこからその曲のごく初期のヴァージョンや、アウトラインが見えてくると思う。ただ、こういう曲をアルバムと比べると、相当変化を遂げている。あるものが常に進化段階だという事実は重要だ。

レコーティングされたものとライヴ音楽の関係性について。ライヴ体験は独特の身体的若しくは直感的な何かがあるように思えます。

ジラ:そうだね、特に前作から感じ取れたと思うけど(笑)。音量重視だったからね。それには訳があって、ただ単に音量をあげたかったのではなくて、そこまでの音量にしないとしっくりこなかったっていうのがあった。これからのライヴではもうそのやり方はしないけど。それなりの音量にはなるが、以前のように音量に圧倒される体験ではなくなるね。

それを聞いて、以前ブライアン・イーノが言ったことを思い出しました。何かが限界ギリギリになったときにこそ、クリエイティヴィティが生まれる、と。例えば、スピーカーを最大音量まであげたときに、ディストーションという新しい音の形が生まれるように。

ジラ:ああ、想定外のものが生まれるのをみるのは楽しい。わたしも最初に作ったものを捨てて、予想外の産物を使うことがよくある。そっちの方が熱がこもってる気がするから。

かなり冒険的なアプローチですよね。それはご自身が元々ミュージシャンとしての訓練を受けていないことに起因していると思いますか?

ジラ:そうだな、わたしがギター・プレイヤーと曲作りをしているとする。わたしが自分のギターでコードを弾いて、「もうちょっとオープンコードっぽく弾いてみて」と頼んで、弾いてもらう。で、「あー、ちょっと違うな。もっと高いコードでやってみようか。それかハモってみるか」って具合に。その曲にしっくりくるものを探すのみ。だいたいわたしが曲を書くときはアコースティック・ギターを使うんだけど、ギターに腹が触れてるもんだから腹で音を感じるんだよ。わたしが弾くコードにはオーヴァートーンや共鳴があって、曲を組み立てていく段階になると、むしろコード主体というよりもコードを取り囲むサウンドがメインになること多い。そうすると、「そうか、そこに女性ヴォーカルかホーンを入れたらこの共鳴部分を引き出すことができるのかもしれない」ってなるから、そうやって曲が作り上げられていく。

だから自分のよく知るやり方でベストなアルバムを作ったのみ。で、想像つくと思うけど、このでき上がったものを思い切りぶち壊すのが次のステップ(笑)。

ギターの共鳴を身体で感じるとおっしゃっていましたが、音楽の身体性について思い出しました。

ジラ:ああ、まあ、わたしはある意味、サウンドにのめり込んで消えてしまいたいっていう、こう、青臭い衝動に駆られるから、スケールはでかければでかいほどいいんだけど。ただ当然、長いこと生きていれば、でかいサウンドにしたいんだったらそれなりにサイズ感を合わせていかなきゃいけないことを学ぶわけで。青臭いっていったのは、若かりし頃に音楽に没頭して、そのなかに埋もれるとどこか新しい場所に辿り着けたことを思い出したから。だから、ステレオの音量をグッと上げるんだよ、しばしのあいだこの世から消えてしまいたいと思うから(笑)。

わたしの青春時代はいつもシューゲイザー・ミュージックでしたね。音の渦に飲み込まれますから、音楽的にはひどいものだったかもしれませんけど。

ジラ:申し訳ないけど、中身のない音楽だな(笑)!

その当時は自分自身の中身も空っぽだったんだと思います!

ジラ:わたしはドアーズを聴いて育ったんだ。大げさな音楽だったかもしれないけど、その当時はすごくいいと思ってた。いまでもその頃聴いてたレコードのことを思い出すよ。

そう考えると、最近のスワンズのサウンドはドアーズ特有のエコーを彷彿させるものがありますね。サウンドそのものというよりも、雰囲気ですけど。

ジラ:まあそうだな、ドアーズはわたしの一部になってるから。ジム・モリソンみたいに歌えたら、もう死んでもいいや、だってそれ以上の幸せなんてないだろ(笑)。

ノイズやノイズ・ロックのような音楽の極限を追求する音楽は多々ありますが、80年代、90年代のアーティストがもともとこの音楽的な限界を作り始めたように思います。どのようにしてご自分の限界に挑み続けられているのでしょうか。

ジラ:その当時、スワンズは“ノイズ”音楽だと言われてたみたいだが、そう思ったことは一度もない。“サウンド”──純粋なサウンド、と捉える方が個人的にはしっくりきた。“ノイズ”と言われてたことを気にすることもなかったが、常に自分のやり方で、自分にとって唯一無二の、本物の音を追求してきたつもりだ。

そういった意味でこのように音楽に限界を設けるのは、音楽的な違反を犯すということなのかもしれません。

ジラ:他人が何をしようと関係ないさ。ルールを破りたいのあれば、どうぞご勝手に(笑)! そうしたところで、結局またそのルールとやらに縛られることになるんじゃないかと思うけど。やりたいことは自ら見つけるべきだし、それが人を不快にさせるなら仕方ないこと。ただそうと決めても、またその事実に結局は囚われることになる。誰かが決めたルールのなかで音楽は作りたくはない。

今回のアルバムに話を戻します。『The Glowing Man』に比べると、歌詞重視なように思えます。

ジラ:かなり意図したものだ。特に過去の『The Seer』、『To Be Kind』、『The Glowing Man』の3作に関しても歌詞はそれなりに重要だったんだけど、若干陰に隠れていたのかもしれない。歌詞がゴテゴテしすぎたり、奇抜すぎたりすると、サウンド体験の妨げになりうると思ったから。今回はこのサウンドに見合うものを生み出すことに挑戦した。ある意味、ゴスペルみたいな感じだよね。何度も繰り返されるフレーズがあって、それが昂揚していくような。だから、物語調のものより、サウンドに意味をもたせてくれるようなアンセムとかスローガンみたいなフレーズを見つけようと思ったんだ。今回の新しいプロジェクトでは、もっと歌詞を書くと決めて、アコースティック・ギターを持って自分をなかば強制的に歌詞に集中させるところからはじまった。湧き出てくる言葉もあれば、どうしてもうまい具合に出てこないこともあったけど。

インプロを多用し、生で演奏し作り上げていくというスタイルから、より構造的なものにしていこうというプロセスの変化の一端だということですか?

ジラ:ああ、そうだね。歌詞は明らかに完成してるけど、そこからまた曲が進化していくっていうときもあったね。歌詞ができていないときでも、イメージしているものがあがってくるまで、適当なフレーズで歌ってたときもあった。で、そのイメージと他のイメージの相乗効果で曲ができたり。その場合、全ての曲はすでに完成していて、あとはその曲を演奏してる人たちと詰めていくだけだった。

このアルバムの制作過程で歌詞から何かテーマが生まれてきましたか?

ジラ:どうだろう。いつも自分自身の存在に惑わされ、驚かされてるからさ。自分の精神、一般的にいう精神というものがどういうものなのか、意識とはどういう仕組みなのか理解しようとしているんだけど、もしテーマがあるとしたらそれかな。君が若い頃にこういう経験があったかどうかわからないけど、わたしには間違いなくあった、とくにLSDをやったときにね。鏡のなかの自分の姿をある一定の時間眺めていると、自分が肉体から離れていくのが見えて、鏡のなかの人物は自己というものを失う、この現象。こういった心理状態は興味深いものだ。

歌詞やサウンドについて。“Amnesia”を例にとります、もしかしたらわたし自身の不安を投影しているだけかもしれませんが、世のなかが制御不能に陥っていくような印象を受けました。

ジラ:さあ、いまの世のなかについてどうこう言えるほどの立場にないからなんとも言えないけど、自分の頭のなかがどうなってるかはよくわかってるつもりだ(笑)。

まあ、わたしはある意味、サウンドにのめり込んで消えてしまいたいっていう、こう、青臭い衝動に駆られるから、スケールはでかければでかいほどいいんだけど。

先ほど、ゴスペル音楽についてお話されていましたが、今回のアルバムにもその要素が入っているように思えました。このような音楽は、宗教的な救済を彷彿させるのではないでしょうか。

ジラ:うーん、救済、ではないかな。救済っていうんだったら、まずは呪われていることが前提じゃないか。恍惚的な何かに解けこんでいくっていう考え方は、もちろん音楽の本質だけどね。それは常に追い求めている。曲ってシンプルなものだったり、短編的なものだったりするんだけど、サウンドのなかで我を見いだしたり、見失ったりってことを同時にやっているってことでもあるんじゃないか。

“Leaving Meaning”では最近話題のドイツの「Dark」というテレビ・ドラマのサントラを担当してるベン・フロストが参加していますね。映画ファンなんですか?

ジラ:映画オタクってわけでもないし、すごく詳しいわけじゃないけど、映画はよく観るよ。近代では一番わかりやすい芸術の形なんじゃないか。個々の持つ力をうまく引き出して、自分のヴィジョンを維持しつつ、そこから芸術作品を作り出すって、とてつもないことだと思うんだ。まとめていかなきゃいけない人たちからあれこれ言われたり、経済的な困難だとか、それを全て乗り越え、ものすごく手の込んだ何かを生み出すのはとてつもない労力だ。

いまお話にあった、手が込んで、包括的な芸術作品である映画のように、あなたが音楽的に成し遂げたいなにかはありますか? アルバムを聴いていると、単に個々の曲を寄せ集めただけではないような気がします。

ジラ:80年代後半か、もしかしたら80年代なかばくらいから、アルバムをサウンドトラックとしてとらえるようになった──エナジー、わたしたち独自のサウンドそして昂揚感が詰まったものとして。音を通じて、完全なる体験を作り出したかったんだ。自分が映画を撮ったり、脚本を書いたりなんて腕は全くないが、こういった体験に音を落とし込んでいくことだけはできる。

それは曲や音楽の欠片が他のものに移り変わっていく過程なのではないかとわたしも思います。

ジラ:以前のアルバムだと、音の継続性や遷移性は少し掘り下げてみるだけだったこともあったが、『Soundtracks for the Blind』(1996)あたりから、それを実際に採用してみたら面白いんじゃないかと思うようになった。だからその流れに乗って、曲を作ってみようってなったんだ。「お、面白いやり方が見つかった、遷移的で形のない瞬間を紡いでいこう」って思ったのを覚えてる。

最後になりますが、次のステップとして今回のアルバムをライヴで実現したいとおっしゃっていましたね。どのようにして実現されるか、若しくはどのようなセットアップにされるか決めているのですか?

ジラ:まだあまり公にするつもりはないんだけど、6人編成で、座っての演奏になる予定。延々と伸びた音の洪水がポイントになって、そこから曲が展開していくっていう変わった編成の予定だけど、どうなるかね! リハの期間は3週間あるから、なかなか面白いことになりそうだ。このツアーで新しいバンドと一緒に作り込もうと思っている曲はあるんだ。これからはじまるソロ・ツアーが終わったら、彼らとのツアーだけでプレイ予定の新曲が完成しているはず。いいサウンド体験にできればいいんだけど。

現在のセットアップにインプロを取り入れる予定は?

ジラ:ああ、そうだね、それもいいなとよく思ってる。それにはまずコード構成をちゃんとおさえて、それからどうやってそれをぶち壊すかを考えないとだな(笑)!

Emerging in 1982 into the disintegrating art-carnage of the New York no wave scene’s dying days, Swans have carved out an enduring career that has evolved from the industrial rhythms and harsh guitar slashes of their 1983 debut Filth through to the transcendent sonic cathedrals of 2016’s The Glowing Man, with frontman Michael Gira orchestrating each evolutionary step from the centre of an ever-shifting lineup of bandmates and collaborators.

Swans disbanded in 1997, following the experimental Soundtracks for the Blind, with Gira pursuing a psychedelic folk-tinged direction with Angels of Light before reforming Swans under a new lineup for a run of four albums between 2010 and 2016 that retained Gira’s evolving psychedelic influences and fused them to fresh explorations of sonic extremes. The dissolution of that lineup in 2017 didn’t herald the end of the band though, or even an extended hiatus. Instead, Gira took a short break to reconfigure his ideas and began work on Leaving Meaning, bringing together a worldwide cast of musically divcerse collaborators ranging from Chris, Tony Buck and Lloyd Swanton of Australian experimental trio The Necks through composer Ben Frost to transgender avant-cabaret performer Baby Dee.

The album synthesises insistent, often mantric rhythms and grooves, richly layered tones and soundscapes, and gospel-like choral crescendos into moments ecstatic sonic communion underscored with a frequently fragile melodic sensibility. To try to understand a bit more about the album and the process behind it, I spoke with Gira by phone from the United States, where he was preparing to embark on a short solo tour with occasional collaborator Norman Westberg before working on creating a new live Swans show to tour Leaving Meaning in 2020.

IM:
Listening to this album, it feels like it was quite an involved process, and looking at all the people you collaborated with, there’s more than thirty people on the album.

MG:
It took six months or something – maybe eight months – and I finished three months ago, maybe. It was quite involved.

IM:
You recorded a lot of it in Germany. Why did you take that decision?

MG:
Some of the main players lived in Berlin. Larry Mullins, Kristof Hahn and Yoyo Röhm were the people with whom I first recorded the basic tracks, and then other ancillary musicians, although ultimately of equal importance, also lived in Berlin. I flew some people into the studio in Berlin as well, and then I travelled to Iceland as well, to work with the wonderful Ben Frost. I also travelled to Alberqurque, New Mexico, and worked with Heather and Jeremy from A Hawk and a Hacksaw and my old friend Thor (Harris). And then I travelled to Brooklyn and recorded Dana Schechter, Norman Westberg and Chris Pravdica and a few other things, and then I went back to Berlin and did some more overdubs and mixed.

IM:
Is that a very different process from the way you’ve worked previously?

MG:
Well, from 2010 to 2017-18 I had a fixed band for a while – great friends, great musicians – and we had a thing, so we’d go into the studio and record the material we had worked on live perhaps, or things that I had written on acoustic guitar we fleshed out. I had a set group of people with whom I worked, and then I would bring in other people to add orchestrations, but I had a basic group. We would go into the studio and record everything – I’d travel around a bit, but there weren’t as many people involved. Since I decided to disband that group, I just chose the people, whomever they might be, that served the song and helped orchestrate the song.

IM:
So on that run of albums from My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky through The Glowing Man, the songs were built up live to a greater extent?

MG:
There are songs on there that I wrote exclusively on acoustic guitar and then we orchestrated them in the studio. Other ones came through playing live. I would have maybe a groove on the acoustic guitar and then I would go and rehearse with those gentlemen and I’d play electric guitar and then as a group we’d build it up and develop the song. And then we’d play it live and we had a tendency to improvise as a group – not solo, but improvise as the music unfolded. These long pieces developed just through performing, some of them thirty minutes long, sometimes fifty minutes long – it would just grow and grow. And sometimes what would happen is we’d have a song we were playing and a new thing would happen, which would become a new song and we’d leave the old bit behind, so it was always evolving and we’d find a new path forward. It was an interesting way to work.

IM:
There also seemed to be this process where fragments of old songs from a long time ago would re-emerge and gain a new lease of life. For example, on The Glowing Man using lyrics you’re written back in the ’80s for Thurston Moore in the song The World Looks Red/The World Looks Black.

MG:
I don’t look at the music as ever being finished. Even the songs from this album, I’m going to perform some of them with a new group and I expect that they’ll change considerably. I want them to – I don’t want them to sound like the record: I want to find a new way to perform them. It’s always important to me to be dangling over the cliff and having failure nipping at your toes. It’s a good impetus to make something authentic happen.

IM:
So in that sense, was the process behind Leaving Meaning almost in some ways the reverse of the ways you’d been working previously?

MG:
Maybe so. However, the way that this was composed and orchestrated was naked at the beginning. There wasn’t a history of playing it, so it was composing, orchestrating, mixing and producing this thing in and of itself. It didn’t have a life previous to that, so I just made the best record I knew how to do. And now, of course, the next thing to do is to fuck things up as much as possible (laughs).

IM:
You helpeed fund this album with a collection of your acoustic demos as well, right? You’ve done similar things in the past too.

MG:
Many times, yes. There’s one iteration of the songs and you can see the skeletal, nascent version of the songs, but as you compare those to the album, they’re obviously transformed quite a bit. Things are always in process, I think that’s important.

IM:
In terms of the relationship between recorded and live music, there’s also something physical or visceral that is unique to the live experience.

MG:
Yeah, particularly with the last version of Swans you felt it (laughs). It was very volume-intensive. And for a reason: it wasn’t just to be loud, it was that it didn’t sound right unless it was loud. But I’m leaving that behind in the next performances. It’ll have some volume, but it won’t be the overwhelming experience that it was in the past.

IM:
That reminds me of something that I think Brian Eno once said, about how creativity often emerges when something is pushing against its limits, for example in the way that volume pushing against the maximum carrying capacity of the speakers creating new sounds in the form of distortion.

MG:
Yeah, I enjoy that. I enjoy when unexpected results occur, and oftentimes I will discard the original thing and go with these unexpected results because they seem to have more fire in them.

IM:
That seems like quite an exploratory approach, and do you think it has something to do with you not being a formally trained musician?

MG:
Well, say I’m working with a guitarist and I’ll have a chord on my guitar and I’ll say, “Why don’t you try this, more of an open chord?” and then they’ll try something and I’ll say, “Ahh, not quite. Maybe move up the neck or let’s do a harmony.” It’s just searching for what works with the song. Usually, if I’m playing a song with an acoustic guitar, which I do when I’m writing, I can feel it in my belly because the guitar’s resting against my belly and there’s these overtones and resonances that are in the chords I play, and often the orchestration is inspired by what I hear around the chord rather than the chord itself. So I might think, “Oh, maybe I can bring out that resonance if I added some horns or some female vocals,” so things start to grow in that way.

IM:
What you said about the resonances of the guitar against your body brings me back to the idea about the physicality of music.

MG:
Yeah, well, I have a kind of adolescent urge to disappear in the sound, so I usually want things bigger and bigger. Of course, I’ve learned over the years you actually have to make things small also in order for something to sound big. I say adolescent because I associate it with my younger days listening to music, and just to disappear in the music and it kind of takes me somewhere. That’s why you turn up your stereo really loud: because you just want to be erased for a while, you know? (Laughs)

IM:
That reminds me of when I was a kid and my teenage crybaby music was always shoegaze. Even when the music was horrible, I could just disappear into the sound.

MG:
Unfortunately, the music had no content! (Laughs)

IM:
Probably back then I had no content myself either!

MG:
I grew up listening to The Doors. Maybe melodrametic, but it was pretty fantastic. I still think about those records sometimes.

IM:
I can definitely feel some echo of The Doors in recent Swans, at least in the feeling if not exactly the sound.

MG:
Yeah, I mean it’s there in me, for sure. If I could sing like Jim Morrison, I’d immediately kill myself because I’d be so happy. (Laughs)

IM:
With a lot of music that explores sonic extremes, like noise or noise-rock, it sometimes feels as if those limits were already charted by artists in the 1980s and ’90s. How do you keep on being able to challeenge yourself?

MG:
Well, I realise the word was bandied about in regards to Swans back in the olden days, but I never agreed with the term “noise” as applied to us. “Sound” – pure sound would have been a better term for me. But I’ve always followed my own path, and what I think sounds real and not redundant or phony is what I pursue.

IM:
In that sense, maybe thinking of sonic limits in these terms is similar to the idea of transgression, which I know is an idea you don’t necessarily agree with.

MG:
Oh, I don’t care what people want to do. If they want to transgress, all power to them! (Laughs) It just seems like that puts you in the position of a captive in a way, nipping at the heels of your master. To me, one should just choose their own destiny and if that bothers people, fine, but if you make that the point, then you’re necessarily beholden to the people that you’re trying to bother.

IM:
To return to Leaving Meaning, it felt like a more lyrically dense album than, say, The Glowing Man.

MG:
That’s very intentional. The thing is, with the last three records in particulat – that would be The Seer, To Be Kind and The Glowing Man, the lyrics were important, but they took kind of a back seat because if the words were too baroque or ornate, it tends to distract from the experience of the sound. So my challenge was to create signifiers that worked with the sound. Sort of like gospel in a way – you know, you’ll have a phrase that keeps repeating and that ties in with the crescendo. So the challenge was to find words that were more like anthems or slogans rather than someone telling a story, and that would just add meaning to the sound. In this new project, I decided I wanted to write more, so I sat down with an acoustic guitar and forced myself to keep working on the words and they develpped. Sometimes the words flowed and others it was just hacking away with an icepick at a mkountain.

IM:
Is that then partly a function of the change in process from building up the songs live with a lot of improvisation to something more compositional?

MG:
Yeah. I mean, there are some instances in that period where I had clearly finished words and then the songs grew from that, but in other things I wouldn’t have words, and even live I’d be singing nonsensical phrases until an image appeared, and then gradually that image would inspire other images and then I’d have a song. But in this instance, the songs were all there, written, and it was a case of finding life in them with the people that interpreted them.

IM:
Did you notice any themes emerge from the lyrics through thr process of writing this record?

MG:
I don’t know. I’m perpetually befuddled, flummoxed and astonished just by the fact of my own existence, you know? Trying to figure out how my mind works or how a mind works, how consciousness works, and if there’s any theme, it’s that. I don’t know if you had this experience when you were young – I certainly did, particularly when I took LSD – but staring at your face in the mirror long enough, you become disembodied and this person in the mirror loses all sense of being you: it’s just this phenomenon. That kind of frame of mind interests me.

IM:
In the lyrics and music of some songs, for example Amnesia, and I may be projecting my nown anxieties here, but I got the impression of a world spiralling out of control.

MG:
I don’t have an authoritative enough perspective enough to make comments about the world in general, but as far as questioning the reality of my own mind, I’m pretty good at that. (Laughs)

IM:
You also brought up gospel music earlier, and that’s also a soun d and feeling that ceme through on this album. That’s a kind of music that traditionally has been concerned with the idea of salvation.

MG:
Well, I don’t know about salvation. Salvation would presuppose that you’re damned to begin with, but the idea of dissolving into something ecstatic of course is inherent in music, so I’m always looking for that. Sometimes the songs are simple and it’s just a little vignette, but sometimes it’s about simultaneously finding and losing yourself in the sound.

IM:
On Leaving Meaning you worked with Ben Frost, whose work on the soundtrack to the German TV drama Dark was very well received recently. Are you a big fan of cinema?

MG:
I’m not a cinephile – I’m not an expert or anything – but I definitely enjoy movies. I think of the last century, it’s the most comprehensive artform. I have tremendous admiration for an auteur director who can harness all these different forces, keep a vision and manage to forge a work of art out of it. You can imagine all the things tugging at you from every direction from all the people you have to pull together, all the financial travails you have to endure, and making this completely immersive out of it I think is just tremendous.

IM:
In creating these immersive, all-encompassing works of art, is there a parallel with what you try to achieve musically? Increasingly your albums seem to be aiming for something more than just a collection of discrete songs.

MG:
Since the late ‘80s or even mid-‘80s I started to look at albums in a way as soundtracks, replete with all the dynamics and signature sounds that might appear, the crescandos, and just trying to create a total experience through sound. I certainly don’t have it in me to direct a film – or write a film, for God’sb sake! – but I can forge sound into these experiences.

IM:
That’s about the way one song or piece of music transitions into another I guess, too.

MG:
There was a period in Swans, on the album Soundtracks for the Blind, where in previous albums I’d been exploring just that – these segues or transitions – and then I decided around Soundtracks for the Blind that the more interesting thing was the segues or transitions, so I sort of followed those to make the music rather than trying to have songs – or too many songs, anyway. So I thought, “Oh, there’s an interesting avenue to pursue: these transitional, amorphous moments.”

IM:
So lastly, as you mentioned, the next stage is to take this album live. Do you have a plan for how you’re going to do that or what sort of setup you’ll employ?

MG:
I guess I’m not supposed to talk about it yet, but it’ll be six people, and we’ll all be sitting down. The instrumentation is kind of odd, and I think the emphasis is going to be on extended waves of sound punctuated by moments where a song arises, so we’ll see what happens! We have three weeks of rehearsals to make a band, so it should be interesting. I have songs that we’ll work on and hopefully after I finish this solo tour I’m about to embark upon, I’m going to have a couple of new songs written just for the tour with these people in mind that will be playing live and hopefully we’ll make a great experience.

IM:
And will you still be trying to incorporate space for improvisation into the setup you’re buiolding?

MG:
Oh, yeah, that always interests me. First people have to learn the chord structires, and then we have to learn how to destroy them! (Laughs)

Kim Gordon - ele-king

 ダニエル・ジョンストンの追悼記事の冒頭にしたためた、サーストン・ムーアが私にサインを求めたくだりは彼がソロ作『The Better Days』リリース時に来日したさいの取材現場だった。2014年だからいまから5年前、その3年前にアルバム『The Eternal』につづくツアーを終えたソニック・ユースはサーストンとキム夫妻の不和で解散したことになっていた。「解散した」と断定調で書かなかったのは、グループ内──というかサーストンとキムのあいだ──に認識のズレないし誤解があるかにみえ、また私も当時いまだナマナマしかったこの話題について当人に真意をたださなかったからだが、この差異は永遠に解消しないかもしれないしやがて時間が解決するかもしれない。とまれ夫婦仲には第三者の考えのおよばない影も日向もあり、つまらない詮索は野次馬趣味にさえならないとすれば、愛好家にすぎないものはのこされた音源にあたるほかはない。私もソニック・ユースの、編集盤や企画盤、シングルやEPをふくめると数十枚におよぶ作品を四季おりおり、二十四節気をむかえるたびにひっぱりだして聴くことがつとめとなってひさしい。いましがたも、霜降にあたる本日なにを聴くべきか思案に暮れていたところだが、今年はなにやらこれまでといささか事情がことなるようなのである。

 なんとなれば、キムが、キム・ゴードンが新作を発表したのである。私はキムの新作といえば、ソニック・ユースの自主レーベルから2000年に出た『ミュージカル パースペクティブ』以来なのか、近作だと『Yokokimthurston』(2012年)がそれにあたるのか、としばし黙考してはたと気づいた。キムは過去にソロ作がないのである。上記の『ミュージカル パースペクティブ』もモリイクエ、DJオリーヴとの共作だったし、後者は表題どおりオノヨーコと元夫との連名である。90年代、プッシー・ガロアのジュリー・カフリッツとともに──のちにボアダムスのヨシミとペイヴメントのマーク・イボルドなども一時参加──気を吐いたフリー・キトゥンはバンドであってもソロではない。80年代から数えると長いキャリアをもつ彼女にソロ名義の作品がないのは意外ではあるが、むろんキムも手をこまねいていたわけではない。先述のツアー後のバンド解体から2年の服喪期間を経て、2013年にはビル・ネイスとのユニット「Body/Head」をキムは始動している。2本のノイズ・ギターが巣穴の蛇さながらからみあうなかをキムの朗唱と朗読ともつかない声が演劇的な空間性をかもしだす Body/Head の音楽性はその名のとおり、身体と思考、男と女、ギターと声といったいくつかの二項対立を背景に、しかし構想先行型のユニットにつきもののアリバイとしての音楽=作品のあり方に収斂しない芯の太い内実をそなえていた。彼らは数年おきに『No Waves』(2016年)、『The Switch』(2018年)を発表し、ノイズの深奥を探る活動をつづけているが、ソニック・ユース時代はサーストンとリー・ラナルドという稀代のノイズ・メイカーの影でかならずしも「音のひと」とはみなされなかったキムの音への触知のたしかさ──それはすなわち即興する身体の充溢でもある、そのことを──語り直すかのようでもあった。その一方で、西海外に出戻ったキムはサーフィンを中心にアートも音楽もひとしなみに俎上にあげるアレックス・ノストとグリッターバストなるデュオを併走し、Body/Head のファーストと同年にセルフタイトルの一作を世に問うている。ちなみにグリッターバストとは90年代のノイズ・ロックの一翼を担ったロイヤル・トラックスの楽曲タイトルの引用である。ロイヤル・トラックスは断線気味の頭中のシナプスをアンプに直結するかのごとき元プッシー・ガロアのニール・マイケル・ハガティのギターと、場末の呪術師を想起させるジェニファー・ヘレマの声を基調にしたユニットで、本邦では〈Pヴァイン〉の安藤氏が重要案件の隙を突いてせっせと世に送り出しつづける〈ドラッグ・シティ〉のレコード番号1番を彼らが飾ったのはいまいちど留意すべきであろう。“Glitterbust”はロイヤル・トラックスの1990年のアルバム『Twin Infinitives』の収録曲で、土管のなかで音が飛び交うような音響空間はガレージのロウファイ化とも形容可能だが、90年代に雨後の筍のように派生したオルタナティヴの突端といったほうがしっくりくるだろうか。パートナー関係にあったハガティ、ヘレマの作品からの引用は邪推をさそいもするが、おそらくそれ以上に、キムにとってこの数年は共同体のくびきをのがれ過去の積みのこしを精算する期間だったのであろう。というのもまた邪推にすぎないとしても、バンド解体後の助走期間がなかりせば、ソロ作『No Home Record』はこれほどふっきれたものになったかどうか。
 逆にいえば、ソニック・ユースはロック史とリスナーの記憶にそれだけしっかりと根をはっていたともいえる。
 むしろ怪物的な風情さえたたえていた。その活動はサーストンとリー・ラナルドとの出会いにはじまる。彼らがグレン・ブランカのギター・アンサンブルの同窓であることは本媒体のそこかしこや拙著『前衛音楽入門』にも記したのでそちらをあたられたいが、このふたりにサーストンのガールフレンドだったキムが加わり体制の整った彼らは1982年の同名作でデビューにこぎつけた。ファーストのジャケットに映るおおぶりのメガネをかけたキムはいまだ美大生だったころのなごりをとどめているが、バンドのサウンドもまた70年代末のノーウェイヴの影をひきずっていた。ブランカ直系の和声感覚とパンク的なリズムにそのことは端的にあらわれている。その一方で、キムの静かに燃焼するヴォーカルをフィーチャーした“I Dream I Dreamed”などは彼らをおくれてきたノーウェイヴにとどめない広がりをしめしていた。むろん80年代初頭、音楽にはのこされた余白はいくらでもあり、余白を切り拓くことこそ創作の営みであれば、ソニック・ユースほどそのことに自覚的だった集団は音楽史をみわたしてもそうはいない。その触手はロックにとどまらず、各ジャンルの先鋭的な領域にとどき、作品数をかさねるごとに山積した経験は音楽性に循環し、86年の『Evol』でドラムスがスティーヴ・シェリーへ代替わりしたころには後年にいたる指針はさだまっていた。『Sister』ははさみ、1988年に発表した『Daydream Nation』はその起点にして最初の集成というべき重要作だが、“Teenage Riot”なる象徴的な楽曲を冒頭にかかげ、疾走感と先鋭性とアクチュアリティを同居させたサウンドは不思議なことに彼らの根城であったアンダーグランドの世界を窮屈に感じさせるほどのポピュラリティもそなえていた。

 1990年の『Goo』で大手ゲフィンに移籍したソニック・ユースの活動は同時代のグランジや、その発展的総称ともいえるオルタナティヴのながれでとらえる必要があるが、高名な論者の夥しい言説があるので本稿では迂回することにして、ここで述べたいのはメジャーに活動の舞台を移してからというもの、いよいよ多方面にのびる彼らの「創作の営み」でキムのはたした役割である。キムは美大出身であることはすでに述べたが、卒業後彼女はアート方面でのキャリアを夢見てニューヨークにたどりついていた。80年代初頭のことである。当時をふりかえり、コンセプチュアル・アートの第一人者ダン・グハラムは2010年に開催した個展で来日したさい以下のように述べている。
「初めて会ったとき、彼女は途方に暮れていました。当時のボーイフレンドとニューヨークに来るはずが、彼は同行せず、キムは彼に僕を頼れと言われてこの街にやってきたんです」
 グラハムがキムにブランカを紹介し、彼のサークルにいたサーストンと彼女は出会う。だれかとの別れがべつのだれかとの出会いを演出することは、槇原敬之あたりにいわれるまでもなく世のつねではあるが、日々の営みをとおして出会いがどのような果実を実らせるかはまたべつの次元の話であろう。その点でサーストンとキムは、ひいてはソニック・ユースはバンド内の関係性の手綱を巧みにさばいた典型といえるのではないか。ことにメジャー・デビュー以後、洋の東西を問わず、感覚とセンスが主導した90年代においてフィジカル(音盤)は音楽の伝達ツールである以上にヴィジュアル言語の表現媒体として重要な役割を担っていた。そのような潮流を背景に、ソニック・ユースがアートとも高い親和性をもつバンドとして巷間に認知を広めたのも、ひとえにキュレーターであるキムの目利きに由来する。ダン・グラハムとも親交をもつジェームス・ウェリングの写真をもちいた85年の『Bad Moon Rising』を嚆矢に、『Daydream Nation』のゲルハルト・リヒター、『Goo』のレイモンド・ペティボン、『Dirty』(1992年)のマイク・ケリー、21世紀に入ってからも2004年の『Sonic Nurse』でのリチャード・プリンスなどなど、彼らはアートワークに音楽の衣としてその内実を反照するよりも聴覚と視覚の交錯のなかに生まれる三角波を聴き手に波及させる効果を託していた。これはまったくの余談だが、私は以前在籍した雑誌にペティボンの作品を掲載したいと思い、本人に連絡をとり、おそるおそる掲載料を交渉しようしたら、その作品は俺の手を離れているから金はいらない、使うなら勝手に使ってくれとの返事とともにデータが送られてきたことがある。人的物的を問わず権利の管理に汲々するエンタテインメント産業(新自由主義体制下においてマネジメントとは監視と防禦すなわちセキュリティの別称である)とは真逆の、これがDIY精神かと感動した(いまどうなっているかは知りませんよ)ものだが、キムにとってのアートも、グラハムしかり、ケリーとかトニー・アウスラーとかリチャード・プリンス(は他者作品の無断転用のカドで何件かの訴訟を抱えていたはずである)とか、ことの当否はおくとしても、既存の審美眼の視界を侵すものとしての意味合いをふくんでいたのではないか。
 映像やファッションも例外ではない。『Dirty』収録の“Sugar Kane”のMVに若き日のクロエ・セヴィニーを起用したのもキムのアイデアだというし、X-Large にかかわっていたビースティ・ボーイズのマイクDのつてでキムが姉妹ブランド X-Girl を90年代初頭にたちあげたのはことのほか有名である。そう書きながら、私は思わず目頭が熱くなったのは、なにかが老いる以上に骨抜きになる感覚を禁じえないからだが、歯ごたえのないノルタルジーなど犬も食わない。
 そのことをキム・ゴードンは知り抜いている。ソニック・ユース解体後、彼女はグラハムも所属するニューヨークの303ギャラリーに加わり、今年フィラデルフィアのアンディ・ウォーホル美術館とダブリンのアイルランド近代美術館で個展をひらいている。遠方のこととて、私は未見だが、「Lo-fi Glamour」と題した前者の、ペインティングというより広義の「書」とさえとれる「Noise Painting」シリーズの血のようにしたたるアクリル絵の具の筆致には、90年代に好事家を欣喜雀躍させた彼女の手になるアートブックに宿っていた速度感を円熟の域に昇華した趣きがある。いや円熟ということばはふさわしくないかもしれない。なにせ「Lo-Fi」であり「Noise」なのだから、おそらく2019年のキム・ゴードンはフランスの批評家ロラン・バルトになぞらえるなら、継起と切断のはてにある新章としての「新たな生」のさなかにある。

 『No Home Record』ほどそのことをあらわしているものはない。このレコードはキム・ゴードンのはじめてのソロ・アルバムであり、9曲40分強の時間のなかにはキムの現在がつまっている。プロデュースを(おもに)担当したのは、エンジェル・オルセン、チャーリー・XCXからヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルまで、手広く手がけるジャスティン・ライセンで、年少の共闘者の伴走をえて、キムの音楽はフレッシュに生まれかわっている。そう感じさせるのは、このレコードがバンド・サウンドよりもプログラムによるビート感覚を主眼にするからだが、音色とともに目先をかえてみました的なみてくれ以上に、作品の基底部を支えるデザイナブルな志向性がたんにノイジーな印象にとどまらないダイナミックな聴感をもたらしてくる。ソニック・ユースの結成後に生まれたライセンらの世代にとってはおそらくノイズも楽音も音響であることにはかわりなく、ロックというよりもエレクトロニック・ミュージックの方法論が裏打ちする点に『No Home Record』の画期がある。とはいえ“Air BnB”のようにソニック・ユースを彷彿する楽曲も本作はおさめており、聴きどころのひとつでもあるが、それさえも多様性のいちぶにすぎない。ソングライティングの面でソニック・ユースを体現していたのはサーストンにちがいないとしても、キムの声と存在感がバンドに与えていたムードのようなものの大きさを、私は2曲目の“Air BnB”を耳にしてあらためて思った、その耳で全体を俯瞰すると、レコードではA面にあたる1~5曲目ではポップな方向性を、6曲目の“Cookie Butter”以降のB面では前衛的な志向を本作はうかがわせる。とはいえときに四つ打ちさえ打ち鳴らす本作は難解さとは遠い場所にある。90年代のキムであれば、このことばにあるいは眉を顰めたかもしれないが、『No Home Record』の現在性が難解さを突き抜ける力感をもっているのはたしかである。他方歌詞の面では断片的なことばをかさねイメージの飛躍をはかっている。主題となるのは、住み慣れた東海岸の住居をたたみ故郷であるLAに戻ったのに、ふるさともまた時代の波に洗われて変わってしまった──というようなある種のよるべなさだが、ことばの端々に感じるのはその状態から逃れようともがくのではなく、そこにある自己をみつめる透徹したまなざしである。
 いうまでもなく「Home」の語にはいくつかのふくみがある。かつて「No Direction Home」と歌ったボブ・ディランの巨視的なヴィジョンともキムのホームは鋭くすれちがっている。

Stereolab - ele-king

 1993年から2004年にかけてのステレオラブは、1970年代のデヴィッド・ボウイにも似た活躍を見せ、毎年、新しくて非凡な作品をリリースしていた。個々の作品は単体で見ても優れているのだが、全体として捉えてみると、それがバンドの成長と進化の記録そのものとなって我々を魅了する。

 今回のキャンペーンで再発されるのは、グループ(彼らはたびたび自分たちのことを“group”ではなく“groop”と称する。発音は同じだがgroopには「排水溝」という意味がある)がこの期間にリリースした7枚のスタジオ・アルバムだが、この数字だけでは、当時のステレオラブがどれほど旺盛に制作を行っていたかを説明するにはいささか物足りない。7枚のアルバム以外にも、2枚のミニアルバム、2作品からなるコンピレーション・シリーズ『Switched On』、さらには前衛音楽の伝説的バンド、ナース・ウィズ・ウーンドとコラボレーションした数枚のEPが、同じ時期に生み出されているのだから。彼らに関して興味深いのは、結成して活動を始めたときからバンドとしての完全な形態を成立させており、下積みの期間を飛び越えて、そのままデビューアルバム『Peng!』と複数のシングルとEPを完成させ、それを『Switched On』の1作目に繋げたことだ。

 ステレオラブの下地となっているのは、1980年代のイギリスおよびアイルランドのギター・ポップ・シーンである。このころティム・ゲインが中心メンバーだった騒々しく反抗的な左翼バンド、マッカーシーに、レティシア・サディエールが加入し、バンドにとって最後の(そして最高傑作である)アルバム『Banking, Violence and the Inner Life Today』が制作された。マッカーシーの歌詞は、1980年代のイギリス左派による政治闘争を主要なテーマとしており、しばしば皮肉を込めて、敵対する政治スタンスをあえて標榜し、そうすることで相手の明らかな不合理や偽善を風刺しようとした。マッカーシーの最後のアルバムを聴けば、そこからステレオラブのサウンドが芽生え始めていたことがわかる。ギターの騒がしい音はわずかに鳴りを潜め、それまで以上に瑞々しく多層的なキーボード主体のサウンドが“I Worked Myself Up from Nothing”などの楽曲に現れている。このアルバムでとりわけ興味深い楽曲が“The Well Fed Point of View”で、マッカーシーの定番とも言える、敵の立ち位置を歌に乗せて風刺する手法を採用している──この曲では、自身の幸福と感情の安寧は本質的に個人の問題だと捉えるべきだと聴き手をけしかける。反面、この世界にある残酷さと不公正さもまた、個人に帰する問題だとしている。マッカーシーが言外に主張しているのは、これらは本来、個人の問題ではなく社会の問題だということだ。こうして培われた思想の中核が、やがてはステレオラブの世界観の根幹を成すことになる。すなわち、個人の問題と、社会的もしくは政治的問題の間には、切り離せない相互関係があるということだ。

 ステレオラブが活動を始めたころ、バンドは主にロンドンのミュージシャンたちと交流を持っていた。こうした集まりは「自画自賛の界隈」などと軽蔑されながらも、後のブリットポップに繋がる、何でもありのインディー・ロックシーンを形成していた。当時ステレオラブの周辺には、スロウダイヴ、チャプターハウス、ラッシュなどのシューゲイザーのバンド、またはマッドチェスターの残り火から熱を受け取って早々に名を上げたブラーのようなバンド、そしてシー・シー・ライダー、ガロン・ドランク、ザ・ハイ・ラマズなどの一風変わったパフォーマンスをするバンドなどが存在していた。初期のステレオラブのサウンドには、周囲から受けたさまざまな影響が渾然となっていて、マッカーシーが築いたものをある程度引き継ぎながら、ギターポップとシンセサイザーを組み合わせるだけでなく、シューゲイザーや実験的ポップスの要素も取り入れられている。

 他に初期の彼らに多大な影響を与えたのがクラウトロック、とりわけノイ!というバンドの存在だった。1992年に壮大な叙事詩的傑作『Jehovahkill』をリリースしたジュリアン・コープとともに、ステレオラブは90年代初めにクラウトロックへの注目が再燃した際に中心的役割を果たした。その影響が何よりも華々しく描かれているのが、新たに〈Warp Records〉から再発される作品の中でもっとも古い『Transient Random-Noise Bursts with Announcements』である。再発されるアルバムの中でも──そしておそらくステレオラブの全アルバムのなかでも──これがバンドにとってもっとも荒削りで、獰猛なサウンドの作品だ。冒頭の曲“Tone Burst”は素っ気なく始まるが、次第にサウンドは分裂し不協和音の層に溶け込んでいく。それでいて、このサウンドを際立たせるのがサディエールによる幻想的で夢のような歌詞だ。このように粗さと優美さを並列させるスタイルは、次の“Our Trinitone Blast”でも続き、ヴォーカルは前面に出る声と後ろを支える声に分かれ、片方が粗野に歪めば一方が甘く歌うというように、まるでラッシュのようなハーモニーを奏でている。“Golden Ball”では、間断なくかき鳴らされるギターコードとともに、特定の箇所で明らかにテープが途切れたかのような効果が再現され、ノイ!のセカンド・アルバム後半で積極的に採用されているような、故意に曲のスピードを変化させる一筋縄では行かない演出を真似ている。対して“I'm Going Out of My Way”では、ほとんど若者向けのバブルガム・ロックと言っていいようなガレージ・ロックのグルーヴを取り入れ、ひたすら反復を続けることでトランス・ミュージックに似た作用を引き出している。

“Pack Yr Romantic Mind”では、ステレオラブの原動力を示す別の重要な一面が見られる。それは、情念もしくは冷笑主義のどちらかに裏打ちされたサディエールの抑揚のない平板な歌い方と、その後ろに聞こえるメアリー・ハンセンによる「ba ba ba」という歌声との間に生まれる相互作用だ。また、『Transient Random-Noise Bursts』が、ザ・ハイ・ラマズのメンバーだった(その前はアイルランドのインディー・バンド、マイクロディズニーのメンバーだった)ショーン・オヘイガンを正式に迎え入れ、初めてその存在を前面に出して制作されたステレオラブのフルアルバムだという点も見逃せない。この時点で、オヘイガンはギター・ポップからより実験的な方向へという自身の転向を踏まえてバンドを導いていた。そこにはブライアン・ウィルソン、ヴァン・ダイク・パークス、バート・バカラック、フィル・スペクターの他、多くのアーティストの影響があった。アルバムの持つ粗さにもかかわらず、“Pack Yr Romantic Mind”のような曲を聴くと、このころから前衛的なイージーリスニングの影響を受けるようになったことが明白だ。これは後にステレオラブの作品においてますます重要な特色となるものであり、ザ・ハイ・ラマズの1994年のアルバム『Gideon Gaye』にも、オヘイガンによる特色として現れている。それでもやはり、この歌とアルバムの他の曲との共通点をひとつ挙げるなら、それはマントラのような繰り返しに専念していることで、歌詞はひとつのフレーズを途切れることなく何度も復唱するものになっている。

 しかしながら、ノイ!が用いたような4ビートのモータリック・サウンドこそが、『Transient Random-Noise Bursts』の特徴としてもっとも強力なもので、楽曲“Jenny Ondioline”の要となっている。歓喜に満ちた18分の歌を構成するのは、のらりくらりと奏でられるキーボード、幾層にも重なるシューゲイザーのギター、反抗的でありながら純真さのあるサディエールの独特な歌声であり、そうした寄せ集めの中で、無限に広がる至福の音が神々しいまでの領域に達している。

 『Transient Random-Noise Bursts』がステレオラブのもっとも荒削りなアルバムであるとすれば、1994年の『Mars Audiac Quintet』は、もっとも激しい怒りが歌われているアルバムかもしれない。明るい曲調の“Ping Pong”の軽快なメロディーは、それまでにない都会的なポップ・サウンドで、同時期に日本で渋谷系と呼ばれ始めていたものと類似する。だが、表面的には前向きなこの曲も、歌詞を見ればその様相が一変する。マッカーシーの戦略を引き継いで、語り手は作詞者の真意とは対極にある考え方を持ち、安心させるような口調で、世の中のことで悩むのはやめるようにと聴き手を促す。

「心配いらない 歴史のパターンはもうわかっているから/経済のサイクルがどんなふうに回っていくか/何十年という周期の中で 3つの局面が繰り返し現れる/不況と戦争があっても そこから挽回して元に戻り さらに上を目指していく」

 この架空の語り手は、厳しい時代でも悩むことはないと聴き手を煽る。なぜなら「ものごとは自然に良くなっていく」からであり、「凄惨な戦争があって死ぬのは数百万人 だから心配いらない/せいぜい彼らの命とその次の世代の命が失われただけのこと」と強調する。最終的には、社会の現状に対してメンバーたちが抱く怒りや不安が、「悩まなくていい 何も言わず そのままでいい 受け入れて幸せになりなさい」という言葉で封殺されていることを明らかにする。

 “Three Longers Later”は、平和を実現するという名目で戦争を行うことの不合理について語る。これは、徴兵制度によって家族から父親を奪われた子供の目を通して描かれる──作詞をしたサディエールの祖国フランスでこの徴兵制度が終了したのは、アルバムリリースの2年後だった(そして本稿執筆時の2019年夏、現大統領エマニュエル・マクロンが何らかの形でこの制度を復活させようと試みている)。このテーマを表現するため、楽曲は童謡と言っていいほど穏やかなメロディーから始まり、やがて爆発してスペースロックと呼ぶにふさわしいクライマックスを迎える。

 “Transporte sans Bouger”では、ますます断片化していくように見える世界を嘆く。人びとは空しい「仮想の夢」の中で生き、「隣人のことを知る必要がない」夢の世界で「一定の距離を置いて愛し合う」。1994年には、まだインターネットが人びとの生活に深く浸透していなかったことを考えれば、これは見事な先見性ではないだろうか。徐々に失われていく友好的な地域社会を懐かしむというのは、いくぶん保守的な考え方だ。だが、ステレオラブは左派としてのスタンスにもかかわらず、現在の問題の解決策を探るために過去を振り返ることを決して厭わなかった。
“International Colouring Contest”は、エキセントリックな音楽家で塗り絵帳の制作者であるルチア・パメラの持つ、創造性と宇宙時代的な楽観主義に対する賛辞のようなものだ。曲の冒頭は、ルチア・パメラによる「私の頭の中はアイデアでいっぱい 最高のアイデアを教えてあげる!」という高らかな声のサンプリングから始まっている。ステレオラブは、創造性とは根本的な変革をもたらすものであり、自由の概念と密接につながっているという意識に繰り返し立ち返っている。

 反対に、想像力を発揮するための道筋を塞いでしまうものがあれば重苦しく感じられるだろう。“L'Enfer Des Formes”は、冷笑的な態度が、変化をもたらすための行動をどのように阻害するかということを述べ、クラウトロックの影響を受けた“Nihilist Assault Group”は検閲制度と道徳的な危機を題材に、それがいかに批評的な感性を潰えさせ、問題を効率的に対処するためのあらゆる現実的な手段が犠牲になるかということを描く。“Wow and Flutter”とアルバムを締めくくる“New Orthophony”は、現在の状況を避けられないものとして受け入れるのではなく、異議を唱えることの必要性に触れる。

 『Mars Audiac Quintet』では、前作同様クラウトロックのリズムセクションの技法に頼っているが、それとともに、紛れもなくアヴァンポップの分野に進んでいる。“Ping Pong”に加えて“L’Enfer Des Formes”もまた、表面的には明るいポップなメロディーを奏で、一方“The Stars Our Destination”と“Des Etoiles Electroniques”では、リズムマシンによる陽気なループ音と、夢幻的なシンセと、絡み合うヴォーカルのメロディーラインが組み合わさって流麗で重層的なサウンドを生み、バンドが進む新たな方向性を示している。

 歴史を辿る旅の次なる停車駅は、1996年の『Emperor Tomato Ketchup』だ。本作でこのバンドのサウンドは完全に刷新されているが、それにもかかわらずステレオラブとすぐに認識できる特徴が残っている。前作までと同様、バンドは前進する過程において過去の芸術を参考にしていて、例えばタイトルは日本の劇作家で映画監督の寺山修司による1971年の同名の映画(『トマトケチャップ皇帝』)から取られたものであり、ジャケットのアートワークは1960年代にリリースされたベラ・バルトーク作曲の『Concerto for Orchestra』のジャケットを下敷きにしている。やはりステレオラブにとってお馴染みの要素がアルバムの中核を成しており──繰り返しのリズム、多層的な音作り、あえて外した曲調のポップス、作用しあうサディエールとハンセンのヴォーカル、そしてマルクス主義を遠回しに表現する歌詞──たとえ今作でいっそう洗練された姿へと進化していても、その点は変わっていない。

 最初の“Metronomic Underground”では、クラウトロックの中でもファンク寄りの部分、つまりノイ!ではなくカンのようなサウンドを引き出しているが、フレーズの繰り返しとドラムのループが変わらず全体を包みながら、それぞれの歌がモータリックのリズムを刻み続ける。例えばアルバムと同タイトルの楽曲“Emperor Tomato Ketchup”や“Les Yper Sound”では、そこにヴォーカルが融合し、数々のアルバムのなかでもとくに甘美でポップなメロディーが用いられている。華麗な“Cybele's Reverie”はプルースト風の内省によって記憶を巡り、ステレオラブのポップ・ミュージックへの傾倒を踏まえて、より豪華でオーケストラ的な演出を志向している。一方他の場面では、バンドは繰り返しとループ再生を探求する中で、さらに新しくて興味深い手法を発見しており、それはミニマル・ミュージックの“OLV 26”や左右のギターが鏡合わせのように鳴らされる“Tomorrow is Already Here”といった曲で窺える。

 歌詞においては、それまでのアルバムと比べてさらに抽象的な世界を探求しているが、このアルバムが個人と社会の関係性というテーマをもっとも明示的に扱っていると言えるかもしれない(少なくとも、ステレオラブの全作品の中で、確実にこのアルバムが一番多く「社会」という言葉を使用している)。“Spark Plug”は、個々の人間やあるいは人間の集団が見せる内なる生命の輝きを、抽象的に捉えるのではなく、実際にあるものとして認識することの重要性を描く。“Tomorrow is Already Here”では、本来は社会に資するために用意された、いくつもの制度が、今では対象を抑圧する元凶となっていることに着目する。対して“Motoroller Scalatron”は、子供向けの歌のように質問と答えを歌詞にするという構成になっていて、社会というものが脆弱な基盤の上に成り立っているのだと語り、現在の社会を維持するには、脆弱な基盤が確かに存在し、そしてそれがしきりに変動しているという考えを共有するしかないと述べる──そして皮肉なことに「言葉の上に築かれた」社会では、我々が言った言葉、あるいは言わないことを選択した言葉が、最後には計り知れない結果を招くことがあるのだとも述べる。

 そしておそらく、さらに意義ある変革が、次のアルバム『Dots and Loops』で成された。『Emperor Tomato Ketchup』がリリースされたのと同時期に、シカゴ出身のバンド、トータスが画期的なアルバム『Millions Now Living will Never Die』をリリースし、その少し前にはドイツ生まれのデュオ、マウス・オン・マーズがセカンド・アルバム『Iaora Tahiti』をリリースしていた。3つのグループはいずれも、急速に拡大したにもかかわらず定義が曖昧なままだったポスト・ロックというジャンルのなかで大きな役割を担った。1990年代当時のポスト・ロックを理解するには、ジャーナリストのサイモン・レイノルズの記述がもっとも適しているだろう。「ロックの楽器編成をロックではない用途に使い、ギターはリフやパワーコードを奏でるのではなく、音色や響きを補助するものとして使用される」

 コラボレーション相手としてマウス・オン・マーズを選び、トータスのジョン・マッケンタイアをプロデューサーに迎えたことで、『Dots and Loops』はポスト・ロック黎明期の才能がぶつかり合う場となった。ディストーションのかかった電子音で始まり、そのまますぐに軽快なブレイクビーツに続く“Brakhage”では、サディエールが夢のような声で、消費主義の影響を受けて感覚が麻痺してしまうことを嘆く。一方、先行シングルの「Miss Modular」は、ラウンジ・ミュージックの美しい作品で、歌詞は、戯れや神秘、そして目の錯覚といった比喩に言及している──抽象的な比喩表現のために主題がわかりにくいかもしれないが、フランスの状況主義(人の行動は状況によって決定されるところが大きいとする考え方)の先導者ギー・ドゥボールが消費主義を批判したその著作『スペクタクルの社会』にバンドが親近感を抱いていることからも明らかなように、こうした比喩表現が暗示しているのは、人為的なもの──すなわちスペクタクル──が現実と想像、あるいは歴史と終わらない現在の違いを見極める人間の能力を圧倒してしまうときに、社会的な関係性がより広い意味を持つということであるのは確かだろう。このアルバムに特定のテーマがあるとすれば、それは孤立かもしれない。社会や近しい人たちからの孤立だけでなく(そして個人と社会は不可分だとするステレオラブの世界観を考えれば必然的に)自我や自身の感覚からの孤立もまたテーマである。

 マッケンタイアとの関係は続く2枚のアルバム、1999年の『Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night』と2001年の『Sound Dust』でも続き、その2作には、共同プロデューサーとしてジム・オルークが加わった。『Dots and Loops』に比べればエレクトロニック・サウンドはあからさまではなく、この2枚のアルバムでは、バンドはジャズの影響を取り入れて純然たるアヴァン・ポップの方向に進んでいった。

 『Dots and Loops』が孤立の感覚を携えているとすれば、『Cobra and Phases』はバンド史上もっとも希望に満ちた音が鳴るアルバムである。少なくともその要因の一端は、ゲインとサディエールの間に子供が誕生したことにある。それは“People Do it All the Time”ではっきりと言及されていて、歌詞では、創造的営みの混沌たる作用である生命の誕生を大いに喜んでいる。「混沌のなかから創造が生まれる/ひとつの形に結びついて/酒飲みが正気になるように」そして子供は希望で満たされるべき器であると位置づけ「あなたにはのびのびと育ってほしい/私たちが守っている古い考えを蘇らせて」と宣言する。

 自由に育っていくことは「古い考えを蘇らせる」ことと両立しなければならないという考え方は、ステレオラブが繰り返してきた、前に進むには振り返ることも必要になるだろうというテーマに対する新しい切り口だ。アルバム全体を通して、(単なる誕生や発見ではなく)生まれ変わりや再発見というイメージが繰り返し登場する。“The Free Design”でサディエールは「願いが届きいつでも復活させられる/私たちにできるのはプロジェクトを再生させるだけ」と歌い、過去のプロジェクトで未完成のまま残されたものがあることをほのめかしている。一方“Puncture in the Radax Permutation”に登場する「孤独に歩む人の形をしたもの」は、それが「五感を取り戻」そうとする姿を通して「自分の歩調を再発見する」ことの象徴として描かれる──新しさとは過去を振り返ることに結びついている、そして、生命のサイクルと生まれ変わりが意味するのは、新しいものは必ず何か古いものと同一であるということだ。そのような考えが、ここで再度強調されているのかもしれない。

 『Cobra and Phases』は官能的なアルバムで、最初と最後には愛についての歌が並び、大地と自然のイメージに何度も立ち返っている。本作は、サディエールが女性として生きることをはっきりと単刀直入に歌っている希有な事例であり、フェミニズムのテーマが「Caleidoscopic Gaze」や、クラウトロックにわずかながら回帰した「Strobo Accelleration」で前面に出ている。

 『Cobra and Phases』では楽観的な姿勢が念頭にあったが、『Sound Dust』はさまざまな意味でステレオラブのもっとも陰鬱なアルバムで、資本主義に内在する人間性の剥奪と社会の抑圧を扱うテーマに戻っており、“Gus the Mynah Bird”では「自己決定とは事実として存在しなければならない/本来は権利などではない」と断言して、資本主義は偽りの自由を提供し、嬉々として社会の抑圧と結託するのだと示唆する。“Space Moth”で参考にしているのは2人の映画監督、ジャン・ルーシュとエドガール・モランで、彼らによる1960年の映画『ある夏の記録』は、フランスの多様な人々、なかでもとりわけ労働者階級の人々にとっての幸福をテーマに、幸福とは政治と自由に密接な関連があるという考えのもと、戦争、検閲制度、人種の問題に触れ、ホロコーストを痛切に描いている。この歌の「人間はその職に応じて変わる」というフレーズは、再度、資本主義を自由と相反するものとして位置づける。

 “Nothing to Do with Me”の歌詞は、イギリスの風刺作家クリス・モリスによる陰気でシュールなコメディーから直接引用されている。そのテレビ番組『ジャム』は、不気味なアンビエントミュージックを短編コメディーに組み合わせ、タブーを破り、ドクターと呼ばれる人種は利他的な人々ではないという描写を用いたことで、イギリスで議論の的となった。モリスが描くドクターは、しばしば混沌の仲介者となる。それは自分たちに頼る人々の信頼を不明確な理由で悪用する権威の象徴である。「私の娘に1ポンドのヘロインを処方したの?」と歌の途中でサディエールは尋ねる。他の箇所では、顧客と依頼人という微妙に異なる立場の関連性に混乱が生じ、ひとりの女が配管工に頼みごとをする。「先日は本当に助かりました/おかげでボイラーが直りました/今度はうちの赤ちゃんを直してくれませんか/あの子はもう3週間も動かないの」どちらの例においても、社会的な関係性が悪用されているのだが、社会的に定められた当事者同士の関係性は、それでもなお形式的には妥当な手続きに守られており、穏やかで理性のある様子を見せることは、他者を威圧する非常識な人間に付け入られることに繋がる。

 だが、それ以上に『Sound Dust』は二重性についてのアルバムだと思われる。ステレオラブの曲の多くが、対立する概念を考察して真理に至ろうとする弁証法的アプローチを採用し、2つの対立する勢力や立場に折り合いをつけることを論じていて──命題とそのアンチテーゼがあってこそ、総合的な判断ができるということだ──その構造が変わらず存在する。「Baby Lulu」の歌詞は「両極端なものは一致していた/即興を奏でる/合理的にそして詩的に/すぐに矛盾を見極めながら」と述べている。そしてこれは、バンドにとって、これまででもっとも率直に邪悪という概念に向き合ったアルバムだということでもある。「Naught More Terrific than Man」の歌詞に「ふたつの対極点が人の歩みを導く」とあり、対極点のうちのひとつが邪悪そのものとして描かれる。そして「Suggestion Diabolique」では、邪悪の概念が明らかに聖書を意識した内容で表される。メロディーの華麗さや温かさや美しさは、歌詞の暗さや厳粛さと相まって、アルバムのテーマと同様の二重性を有している。

 このような特徴は、アルバムの音楽的な構成にも反映されており、多くの曲がふたつのパートで構成されている。曲の前半と後半では、メロディーもアレンジも、まったく別のものが展開される。もっとも際だった事例が、楽しげな“Captain Easychord”で、生と死のサイクルというテーマに戻り、それを突き詰めた結果、もっとも基本的な息を吸って吐くという行為のサイクルによってそのテーマを表現している。

 『Sound Dust』はメアリー・ハンセンが参加した最後のアルバムとなった。ハンセンが翌年、交通事故で他界したからだ。今回の再発キャンペーン最後のアルバムとなる2004年の『Margerine Eclipse』には、ハンセンに捧げるという側面がある。楽曲“Feel and Triple”では直接別れに言及し、“Need to Be”では、今あるものを認めるために、痛みや寂しさや死への恐れを受け入れることの必要性を語り、そして“…Sudden Stars”では、愛に向き合って喪失の悲しみを尊重することを伝える。

 当時のヨーロッパやアメリカの政治状況もまた、アルバムのあちらこちらに影を落としている。それは、アフガニスタンやイラクでの戦争、自分たちの中にムスリムという「他者」がいることで具体化したテロの恐怖の増大、そしてますます過度になる国家の監視という姿で現れている。“La Demeure”はこの他者への恐怖を描き、“Bop Scotch”は、我々は自由と安全を天秤にかけられるのかという問いかけを論じる。

 死と恐怖が影を落としているにもかかわらず(あるいは、だからこそと言うべきか)『Margerine Eclipse』はステレオラブのもっとも明るいアルバムのひとつでもあり、また、間違いなくもっともファンク寄りのアルバムで、豊かで濃密なシンセとベースのサウンドが派手に鳴らされながら推進する。そしてこれはもっとも明確に愛を謳ったアルバムであり、最後の曲“Dear Marge”では愛することと学ぶことを関連づけていて、反面、愛と共感が欠けていれば人は学ぶことも成長することもままならないという含みを持たせている。

 『Sound Dust』と同様、弁証法的な構成が『Margerine Eclipse』の基礎を作っている。『Margerine Eclipse』では、ミックス時にすべての楽器の音が極端に右か左にパンをした状態で配置されていて、左右それぞれのサウンドが独立して成立していながら、それでいて同時に聴いたときに2つが統合されるように設計されている。

 この期間に製作された作品を聴いた上で改めて問うてみよう。ステレオラブにとって、バンドとして本当に重要なことは何だろうか?

 このバンドを理解するためのひとつの手段は、同じ時代の見地から彼らを探ってみることだ。この7枚のアルバムは、ソビエト連邦の崩壊に始まり、2001年9月11日にワールドトレードセンターが攻撃され冷戦後のアメリカにもはや敵はいないという意識が粉砕された10年間と、密接に重なっている。

 経済学者フランシス・フクヤマによって「歴史の終わり」と表現されるこの時代には、社会全体が持つ大規模な想像力が通用しなくなったという特徴がある。20世紀に繰り広げられた巨大なイデオロギー同士の闘争は終焉を迎え、自由資本主義が勝利を収めた。それに取って代わるものは存在しなかった。そして評論家マーク・フィッシャーが「資本主義リアリズム」と呼んだ考え方が浸透した結果、さまざまな未来の展望が示されても、すべてが必ずしも「二番煎じ」とは限らなかったにもかかわらず、それらを一律に実現不可能なものとして扱う風潮が生まれた。

 この考え方こそ、ステレオラブが繰り返し非難してきた敵そのものだ。『Mars Audiac Quintet』収録の“Wow and Flutter”の歌詞が、それをもっとも明快に表現している。

 「IBMはこの世界とともに誕生したのだと思っていた/アメリカの旗は永遠に漂うのだろう/冷淡な敵対者は早々にいなくなった/資本家はこれからもついていかなくてはならない/それは永遠でも不滅でもない/そう きっと変わっていくだろう/それは永遠でも不滅でもない/化石のような法律なのだから」

 資本主義リアリズムは人の想像力に制限を加えることで、狡猾で抑圧的な力を持つ。そしてステレオラブにとって、これを克服するには、意識を高く持ち、独創的な(そして夢想的な)精神を発揮するより他にない。状況主義の誕生と、1968年のパリで起こった五月革命(学生たちの運動に端を発したフランスの社会的危機で、世界中の社会運動に多大な影響をもたらした)で示されたように、個人の創造性と構想力が発揮される類まれな瞬間に、社会にショックを与えて、ひとつのサイクルを終わらせ、世のなかを新しい段階へ引き上げることができる。ちょうど『Emperor Tomato Ketchup』のジャケットに描かれた螺旋のように、変わらず周回を続けながらも、常に空に向かって上昇するのである。この意味で、ステレオラブの展望には、フィッシャーが不慮の死の直前まで展開していた思想や、彼が「アシッド共産主義」と称した概念と共通する部分がある。この意味における共産主義とは、資本主義者の自己満足に向かって投げ込まれた修辞上の爆弾であり、20世紀の共産主義体制の再現ではない。そもそもスターリンの抑圧体制は、フィッシャーやステレオラブのような人びとにとっては常に恐怖の対象だった。むしろ彼らは五月革命の子供世代(フィッシャーとサディエールは共に1968年生まれ)であり、アシッド・ハウス全盛のときに成人を迎えた──両者の展望は、地域社会に分散した自発的な活動の影響を受けている。「アシッド共産主義」の「アシッド」という名称は幻覚剤から取られたものかもしれないが、その真の意味は、言葉が持つ以上のものがある。アシッドすなわちLSDは、意識を上昇させ新たな段階に引き上げる行為の同義語となっており、さらにその背後には実験や探求という意味合いも込められるようになった。これはまた、ステレオラブが新たな表現に至るために再三にわたって創造性を引き出そうとしていることと深く合致している。そして『Mars Audiac Quintet』では明確にこのテーマに向き合っており、“Three-Dee Melodie”にはこう歌われている。

 「存在することの価値は/宗教やイデオロギーによって与えられるのではない/意味があろうとなかろうとそれは崖っぷちに出現する/それこそが創造的に生きることで得られる唯一の力」

 では、フィッシャーが語っていたように「未来が取り消された」とき、それをもう一度、発見し直すにはどうすればいいだろうか? ひとつの手段は過去に目を向けることだ。

 取り消された未来の幻影は、現在を生きる我々を苛む。その姿は、あるときはノスタルジーとなり、あるときは俗悪なものとなり、あるときは我々の充実感を潰えさせるほどの威力を持ったままで現れる。フィッシャーは、過去と現在が共存する不自然なこの状況を「憑在論」と呼んだが、前を向く人々にとっては、このように未来が失われたことは、一旦退いた上で新たな道を探して前進するための好機となる。1960年代のヒッピーによるカウンター・カルチャー、1968年の五月革命、昔のサイエンスフィクション作家たちが描いた理想郷の姿というように──ステレオラブの美的価値観は、彼らが過去を掘り進め、独自の理想郷への道を開いていることから、ときに「レトロフューチャー」と評される。初期におけるクラウトロックへの執着もまた、過去の光景を想像しながら再訪し、その先に何か新しいものを追い求めることで、未来に目を向けるためのものである──この結果として、図らずもポスト・ロックが誕生する一助となったのである。

 往々にして革命の実体は幻影のようなものだ。なぜなら、それは現実となるまでは物質的な姿を持たない概念として存在し、静かに現在の体制を脅かしていくからだ。よく知られているように、マルクス自身が共産主義を「ヨーロッパに取り憑いた」亡霊であると表現したが、この場合のより適切な描写は、1819年のピータールーの虐殺(選挙法の改正を求めてマンチェスターの広場に集まった群衆を騎兵隊が鎮圧しようとして多くの死傷者を出した事件)で犠牲になった人びとについて急進的詩人パーシー・ビッシュ・シェリーが述べた「彼らの墓所からは輝かしい幻が飛び出してくるだろう」という表現だろう──果たされなかった革命は、それでもなお、いずれ蘇ってその目的を達成するかもしれないという脅威を孕んでいる。1960年代に成し得なかった革命の数々は、取り消されたその他のあらゆる未来と同じように、ステレオラブの楽曲に息づいている。

 ステレオラブの作品で中核となる弁証法的手法があるとするならば、彼らは問題を解決するために、常に意識を高めて創造性を抑制しないという方向性を目指しているように見受けられる──想像や創作から何か新しいものが生まれる希有な瞬間、それはより自由な世界へ突き進むための革命的手段として世界に登場する。そこに立ちはだかるのが、世界はともすると同じパターンやサイクルを繰り返してしまうという事実だ。例えば、不況で経済が落ち込み戦争が起こり回復していくように、愛が花開いて枯れていくように、そして死と再生のサイクルがあるというように。ステレオラブの音楽は、それ自体がこの世界に呼応している。その形式は繰り返しによって定められながら、創造的発見が生まれる類まれな瞬間に前進して新しいパターンを獲得する。あるいは別の言葉で表すなら、これはまさにアルバム『Dots and Loops』のタイトルのごとく「点とループ」が織りなすシンフォニーだ。

 

Stereolab in the years 1993 to 2004 were like David Bowie in the 1970s in that every year saw them release something new and extraordinary, each a wonderful record in its own right, but taken together adding up to a fascinating document of a band’s growth and development.

The current batch of re-releases encompasses the seven studio albums the group (or “the groop”, as they often referred to themselves) released over that period, although this slightly understates just how productive Stereolab were at that time, with two mini-albums, two volumes of their excellent “Switched On” compilation series, and a couple of collaboration EPs with avant-garde legend Nurse with Wound also falling within the same timeframe. What’s interesting about them is that they start off with the band fully-formed in their first incarnation, skipping over the period of finding their feet that that defined their debut album “Peng!” and the singles and EPs that made up the first “Switched On” compilation.

Stereolab’s background lies in the British and Irish 1980s guitar pop scene, with Tim Gane having been a key member of the jangly and defiantly left-wing McCarthy, joined by Laetitia Sadier for their last (and best) album “Banking, Violence and the Inner Life Today”. McCarthy’s lyrics mostly focused on the political struggles of the 1980s British left, often ironically adopting the stance of political enemies in order to satirise their perceived absurdities or hypocrisies. It was on that final McCarthy album that you start to hear the early murmurs of Stereolab, with the band dialing the guitar jangle back slightly in favour of a more lush, layered, keyboard-based sound on songs like “I Worked My Way Up from Nothing”. A particularly interesting song on this album is “The Well Fed Point of View”, which takes the standard McCarthy approach of satirically vocalising their enemy’s position – in this case, a voice encouraging listeners to see their happiness and emotional wellbeing as essentially individual issues, with the flipside of that being that the cruelty and injustice of the world is also the problem of individuals. McCarthy’s implied message, that these are actually social rather than individual issues, lays down a key idea that would become a key part of Stereolab’s worldview: the inseparable interrelationship between the personal and the social or political.

In Stereolab’s early days, they were connected to a cluster of musicians in London, known cynically as “the scene that celebrates itself”, as well as the eclectic pre-Britpop indie scene. Around them at that time were shoegaze bands like Slowdive, Chapterhouse and Lush, bands like Blur, who had risen to early fame heated by the dying embers of the Madchester scene, and oddball acts like See See Rider, Gallon Drunk and The High Llamas. The early Stereolab sound shows a mixture of these influences, picking up in part from where McCarthy left off, combining guitar pop with synthesisers, but also drawing on elements of shoegaze, and experimental pop.

The other big influence in these early days is krautrock, and Neu! in particular. Along with Julian Cope, whose epic cosmic masterpiece “Jehovahkill” came out in 1992, Stereolab were key figures in the revival of interest in krautrock that bloomed in the early ’90s. It’s this influence that and the expresses itself most spectacularly on the oldest of the new Warp Records re-releases, “Transient Random-Noise Bursts with Announcements”. Of all the re-releases – perhaps of all Stereolab albums – this is the band’s rawest and most sonically brutal. The opening song, “Tone Burst” begins simply, but gradually dissolves into layers of sonic discord, but set against this are Sadier’s deamily romantic lyrics. That juxtaposition of harsh and sweet continues on “Our Trinitone Blast”, with the vocals pinging back and forth, one part harsh and distorted and the other sweet, Lush-like harmonies. “Golden Ball”, with its relentless, clanging guitar chord, fakes an apparent tape breakdown at one point in a way that echoes the frequent, deliberately awkward speed-changes in side two of Neu!’s second album. Meanwhile, “I’m Going Out of My Way” takes a garage rock, almost bubblegum, groove and turns it into something trancelike through sheer repetition.

“Pack Yr Romantic Mind” showcases another key aspect of the Stereolab dynamic: the interplay between Sadier’s plain vocal delivery, uninflected by either passion or cynicism, and Mary Hansen’s backing “ba ba ba”s. It’s telling as well that “Transient Random-Noise Bursts” is Stereolab’s first full album to feature Sean O’Hagan of The High Llamas (formerly of Irish indie band Microdisney) as an official member. O’Hagan was at this point navigating his own transition from guitar pop to something more experimental, drawing on the influences of Brian Wilson, Van Dyke Parks, Burt Bacharach, Phil Spector and more. Despite the album’s harshness, tracks like “Pack Yr Romantic Mind” reveal the beginnings of an avant-garde easy listening influence that would become an increasingly important feature of Stereolab’s work, as well as O’Hagan’s on The High Llamas’ 1994 album “Gideon Gaye”. Nonetheless, one thing the song has in common with the rest of the album is its dedication to mantric repetition, with the lyrics just a single phrase repeated over and over again in a loop.

The motorik sounds of Neu! are what most powerfully define “Transient Random-Noise Bursts” though, and the centrepiece is Jenny Ondioline, a joyous 18 minutes of droning keyboard, layered shoegaze guitars, and Sadier’s uniquely disaffected-yet-wide-eyed vocals that punches through pastiche into a heavenly realm of cosmic sonic bliss.

If “Transient Random-Noise Bursts” is Stereolab’s harshest sounding album, 1994’s “Mars Audiac Quintet is perhaps their lyrically angriest. On the upbeat “Ping Pong”, the bouncy melody parallels the sophisticated emerging pop sounds that were starting to get called Shibuya-kei in Japan at this time, but the song’s superficial positivity is undercut by its lyrics. Following the McCarthy playbook, the narrator adopts a position opposed to the author’s true intentions, taking the reassuring tone of someone urging the listener to stop worrying about the world.

“It's alright 'cause the historical pattern has shown / How the economical cycle tends to revolve / In a round of decades, three stages stand out in a loop / A slump and war, then peel back to square one and back for more.”

The fictional narrator urges the listener not to worry about bad times because “things will get better naturally”, noting that “There's only millions that die in the bloody wars, it's alright / It's only their lives and the lives of their next of kin that they are losing,” and finally revealing their own anger and disquiet at seeing the status quo questioned by declaring, “Don't worry, shut up, sit down, go with it and be happy.”

“Three Longers Later” talks about the absurdity of waging war in order to achieve peace through the eyes of a child seeing their father ripped away from his family by military conscription – a system that wouldn’t be ended in lyricist Sadier’s home country of France until two years later (and which current president Emile Macron is, at the time of writing in summer 2019, trying to bring back in some form). It does this over a melody that begins quietly, almost like a nursery rhyme, and then explodes into a spacerock climax.

“Transporte sans Bouger” laments a world that seems to be becoming increasingly atomised, with people living in a lonely “virtual dream” with “no need to know your neighbour”, in which we “make love at a distance”. Given that the internet hadn’t penetrated people’s lives very deeply in 1994, this seems prescient. It is also rather conservative in its yearning for an increasingly lost sense of neighbourly community, but despite their leftist outlook, Stereolab were never averse to looking back to the past to find solutions to the problems of the present. “International Colouring Contest” is a tribute of sorts to the creativity and space-age optimism of eccentric musician and colouring book creator Lucia Pamela, who is sampled at the beginning of the song exclaiming, “I’m so full of ideas, and here’s a good one!” Repeatedly, Stereolab return to the notion that creativity is a fundamentally revolutionary act, and one inextricably bound up with the idea of freedom.

The inverse of that is that anything that closes off routes through which the imagination can travel is oppressive. “L’Enfer Des Formes” notes the way cynicism kills action for change, while the krautrock-influenced “Nihilist Assault Group” is concerned with censorship and moral panic, and how that annihilates critical sensibilities at the expense of effectively dealing with problems in any real way. “Wow and Flutter” and the closing “New Orthophony” both touch on the need to challenge rather than accept as inevitable the way things currently are.

While “Mars Audiac Quintet” relies on a similar toolbox of krautrock rhythms as its predecessor, things are also clearly moving forward into avant-pop territory. In addition to “Ping Pong”, “L’Enfer Des Formes” is another superficially upbeat pop melody, while “The Stars Our Destination” and “Des Etoiles Electroniques” both combine bubbly rhythm machine loops, dreamy synths and intertwining vocal lines into a smooth, layered sound that points a new way forward for the band.

The next stop on that journey was 1996’s “Emperor Tomato Ketchup” which completely blew apart the band’s sound while remaining instantly recognisable as Stereolab. As before, there are nods to the past in how the band move forward, with the title being drawn from Japanese playwright and director Shuji Terayama’s 1971 film of the same name and the cover artwork being based on a 1960s release of Bela Bartok’s “Concerto for Orchestra”. Nevertheless, the familiar Stereolab elements still make up the core of the album – the repetitive rhythms, the layered production, the off-kilter pop tunes, Sadier and Hansen’s vocal interplay, and the obliquely Marxist lyrical themes – albeit now developed into something far more sophisticated.

The opening “Metronomic Underground” draws from a funkier side of krautrock, more Can than Neu!, but still wrapped up in repetition and looping rhythms, while the songs that retain motorik rhythms, like the title track and “Les Yper Sound” marry it with vocal lines that employ some of the albums sweetest pop melodies. The gorgeous “Cybele’s Reverie” is a Proustian meditation on memory, that takes Stereolab’s pop inclinations in a more lushly orchestral direction, while elsewhere the band find ever more new and interesting ways to explore repetitions and loops, from the minimal “OLV 26” to the mirrored guitar clang of “Tomorrow is Already Here”.

Lyrically, it explores more abstract places than previous albums, but it’s perhaps the album most explicitly concerned with the relationship between the individual and society (certainly it’s the album in Stereolab’s catalogue that uses the word “society” most). “Spark Plug” is concerned with the importance of recognising the innate spark of life in an individual or collective group rather than viewing them in the abstract. “Tomorrow is Already Here” deals with institutions originally set up to serve society, now become something oppressive. Meanwhile, “Motoroller Scalatron”, with its children’s song-like question-and-answer structure talks about the fragile basis on which society is constructed, maintaining its existence only on a shared agreement that it exists, and constantly in flux – as well as the irony that, in a society “built on words”, the words we say, or choose not to say, can end up having huge consequences.

Perhaps an even more significant shift came with the next album, “Dots and Loops”. At around the same time that “Emperor Tomato Ketchup” was being released, Chicago-based Tortoise were releasing the landmark “Millions Now Living will Never Die” and German duo Mouse On Mars had recently released their second album “Iaora Tahiti”. All three were key acts in the burgeoning but nebulous genre of post-rock, which at this point in the 1990s can best be understood using journalist Simon Reynolds’ description as, "using rock instrumentation for non-rock purposes, using guitars as facilitators of timbre and textures rather than riffs and power chords."

Bringing in Mouse on Mars as collaborators and Tortoise’s John McEntyre as producer, “Dots and Loops” was a collision of early post-rock talent. Opening with a burst of electronic distortion, it swiftly moves into the skittering breakbeats of “Brakhage”, Sadier dreamily bemoaning the narcotising effects of consumerism. Lead single “Miss Modular”, meanwhile, is a beautiful slice of lounge pop with lyrics touching on imagery of games, mystery and tricks of the eye – abstract imagery with an opaque subject, but one that, for a band undoubtedly familiar with French situationist leader Guy Debord and his consumerist critique “The Society of the Spectacle”, surely hints at wider social relevance in the way the artificial – the spectacle – overwhelms our ability to discern a difference between reality and representation, history and endless present. If there’s a particular theme of the album, it might be that of alienation, not only from society and people close to you, but also (and necessarily given the way the individual and society are inextricable in Stereolab’s worldview) alienation from the self and one’s own feelings.

The collaboration with McEntyre continued over the next two albums, 1999’s “Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night” and 2001’s “Sound Dust”, with Jim O’Rourke joining as co-producer on both albums. Less explicitly electronic than “Dots and Loops”, these two albums see the band picking up on its jazz influences and advancing with them into pure avant-pop.

If “Dots and Loops” carried a sense of alienation, “Cobra and Phases” is the band’s most hopeful sounding album, with at least part of that coming from the birth of Gane and Sadier’s child, explicitly referenced on “People Do it All the Time”, which revels in the birth as a chaotic act of creation, “Out of chaos, a creation / Binding into one form / Lucid drunkenness” and positions the child as a vessel of hope, declaring, “I want you free when you grow, boy / Revive the old idea that we carry.”

The idea that growing up free should go together with “reviving an old idea” is a new angle on Stereolab’s recurring theme that moving forward may require looking back. Throughout the album, images of rebirth and rediscovery (rather than simply birth and discovery) keep cropping up. On “The Free Design” Sadier sings “The request is here ready to resurrect / What else can we do but recover the project” hinting at a past project left unfinished, while the “lonely walker humanoid” of “Puncture in the Radax Permutation” is described as “rediscovering your own pace” as it tries to “repossess the senses” – the idea of newness being linked to going back to something, and perhaps also of the cycle of life and rebirth meaning that everything new is something old just come round again.

“Cobra and Phases” is a sensual album, opening and closing with songs about love, and constantly returning to images of earth and nature. It’s also a rare example of Sadier singing explicitly and directly about being a woman, with feminist themes coming to the fore in “Caleidoscopic Gaze” and krautrock slight return “Strobo Accelleration”.

With the positive attitude of “Cobra and Phases” in mind, “Sound Dust” is in many ways Stereolab’s darkest album, returning to themes touching on the dehumanisation and oppression inherent in capitalism in songs like “Gus the Mynah Bird”, which declares “Self determination should be a fact / not essentially a right,” and suggests that capitalism offers false freedom, and will happily collude with oppression. “Space Moth” references the filmmakers Jean Rouch and Edgar Morin, whose 1960 film “Chronicle of the Summer” deals with the subject of happiness among various, mostly working class, people in France, touching on war, censorship, race, and poignantly the Holocaust, with the idea that happiness is closely linked to politics and freedom. The line in the song “L'homme est réduit à son travail” – “man is reduced to his job” – again positions capitalism as antagonistic to freedom.

The song “Nothing to Do with Me” takes its lyrics directly from the dark, surreal comedy of British satirist Chris Morris, whose TV show “Jam” combined eerie ambient music with comedy sketches and was controversial in the UK for breaking the taboo against portraying doctors as less than altruistic people. Morris’s doctors were often agents of chaos: figures of authority who abused the trust of people who relied on them, for opaque reasons. “Did you prescribe my daughter a pound of heroin?” asks Sadier at one point in the song. Elsewhere, the relationship between customer and client is turned on its head as a woman asks a plumber, “You did such a great job / With the boiler last time / Please can you mend my baby / He hasn't moved for three weeks.” In both instances, a social relationship is being abused, but the socially defined relationships between the participants are still followed in a formally proper way, the form and appearance of calm rationality put into the service of the terrifying and absurd.

More than this, though, “Sound Dust” feels like an album about duality. Many of Stereolab’s songs are dialectic in that they deal with reconciling two opposing forces or positions – the thesis and antithesis birthing a synthesis – and that structure is still present here. “Baby Lulu” delivers the line “extremes reconciled / improvisation / rational and poetical / summing up contradictions”. It’s also the most direct the band ever were about the notion of evil, referencing it as one of the “two poles guiding his step” in “Naught More Terrific than Man”, and giving it an explicitly Biblical face in “Suggestion Diabolique”. The lushness, warmth and beauty of the melodies works in a similar dualistic way with the darkness or gravity of the lyrics.

This is reflected in the musical structure of the album too, with many of the songs having a two–part structure, where the first and second half of the song follow quite different melodies and arrangements. The most striking example is the joyous “Captain Easychord”, which returns to the theme of the life and death cycle, boiling it down to its most basic representation in the cycle of inhaling and exhaling breath.

“Sound Dust” was the final album to feature Mary Hansen, who was killed in a road accident the following year. The last album of this current batch of re-releases, 2004’s “Margerine Eclipse” is in part a tribute to Hansen, with the song “Feel and Triple” a directly addressed farewell, “Need to Be” talking about the need to embrace pain, loneliness and fear of death in order to recognise the now, and ‘…Sudden Stars’ dealing with embracing love and respecting loss.

The political situation in Europe and America at the time also hangs over parts of the album, in the shape of the wars in Afghanitan and Iraq, rising fear of terrorism embodied in the “other” of the Muslim in our midst, and increasingly intrusive state surveillance. “La Demeure” references this fear of the other, while “Bop Scotch” deals with the question of whether we can trade freedom for security.

Despite (or perhaps because of) the death and fear hanging over it, “Margerine Eclipse” is also one of Stereolab’s most upbeat albums, and certainly their funkiest with its rich, thick, squelchy synth and bass sounds. It is the album that most explicitly addresses love, with the closing “Dear Marge” tying love up with learning, with the implied flipside that lack of love or empathy prevents us from learning or growing.

Like “Sound Dust” there is a dialectical structure underlying “Margerine Eclipse”, with the album being mixed with all the instruments panned to the extreme right or left, with each channel designed to work either independently or as a synthesis of the two made when both are listened to together.

After listening over this span of work, what is Stereolab really about as a band though?

One way to make sense of the band is to look at them through the prism of their times. These seven albums closely overlap with the ten-year period after the fall of the Soviet Union and the aftermath of the September 11th, 2001 attack on the World Trade Center that shattered America’s sense of post-Cold War invulnerability.

This period, described by Francis Fukuyama as “The End of History”, was characterised by a shutting down of the public imagination on a mass scale. The struggle between great ideological movements of the 20th Century was over and liberal capitalism had won: there was no alternative. A mindset took hold of what the critic Mark Fisher called “capitalist realism”, which made any vision of the future that didn’t essentially amount to “more of the same” seem impossible.

This mindset is the enemy against which Stereolab constantly rail. The lyrics to “Wow and Flutter” from “Mars Audiac Quintet” express it most clearly:

“I thought IBM was born with the world / The US flag would float forever / The cold opponent did pack away / The capital will have to follow / It's not eternal, imperishable / Oh, yes it will go / It's not eternal, interminable / The dinosaur law.”

The limits capitalist realism place on the imagination are what make it such an insidiously oppressive force, and one that, for Stereolab, can only be overcome by the lifting of consciousness and the opening up of the creative (and the romantic) mind. As with the situationists and the 1968 Paris Spring, unique moments of individual creativity and imagination can jolt society out of one of its cycles and elevate it to a new level, like the spiral on the cover of “Emperor Tomato Ketchup”, ever-circling but always reaching skyward. In this sense, Stereolab’s vision shares something in common with the ideas Fisher was developing before his untimely death, and which he referred to as “acid communism”. In this sense, communism is really functioning as a rhetorical bomb thrown into the midst of capitalist complacency rather than a recreation of the communist regimes of the 20th century. The repressiveness of Stalin would have been a horror to people like Fisher and Stereolab: rather they were children of the Paris Spring (both Fisher and Sadier were born in 1968), who came of age at the height of acid house – both visions of decentralised, spontaneous, communal action. The “acid” of “acid communism” may take its name from psychedelic drugs, but its true meaning perhaps lies more in what it represents. Acid or LSD has become synonymous with the act of elevating consciousness to a new level, with an underlying meaning of experimentation and exploration. This again locks in very well with Stereolab’s repeated invocation of creativity as a route to revelation. Again, “Mars Audiac Quintet” tackles the theme explicitly, this time on “Three-Dee Melodie”:

“The meaning of existence / Can't be supplied by religion or ideology / The sense or non-sense that will emerge from the precipice / Is only the impact of a creative activity”

So when, as Fisher put it, “the future has been cancelled”, how do we rediscover it anew? One way, is to look to the past.

The ghosts of cancelled futures haunt the present, sometimes as nostalgia, sometimes as kitsch, sometimes as something that still has the power to jolt us out of our complacency. Fisher referred to this uneasy coexistence of past and present as “hauntology”, but for those of us looking ahead, these lost futures can provide opportunities to step back and find a new route forward. The hippy counterculture of the 1960s, the 1968 Paris Spring, the utopian visions of old science-fiction authors – Stereolab’s aesthetic is often described as “retro-futurist” because of the way they mined the past for routes towards their own utopia. Their early obsession with krautrock is another way of looking to the future by revisiting past visions of what it might be like and pursuing those lines towards something new – in this case, helping to bring post-rock into existence in the process.

Revolution often takes the form of a ghost because, before it can become real, it will exist as an idea without corporeal form, silently threatening the status quo. Marx himself famously described communism as a spectre that “is haunting Europe”, but more pertinent in this case might be the radical poet Percy Bysshe Shelley’s depiction of the victims of the 1819 Peterloo Massacre as “graves from which a glorious Phantom may burst” – an unfinished revolution that nevertheless threatens to return and complete its work. The failed revolutions of the 1960s live on in Stereolab’s songs, as do all the other cancelled futures.

If there is a central dialectic process at work with Stereolab, the direction they seem to be trying to resolve it in always leans towards a kind of raised consciousness and unrestrained creativity – unique moments of imagination and creation bringing something new into the world as a revolutionary means towards pushing forward into a place of greater freedom. Against that lies a tendency of the world to fall into repeating patterns and cycles, whether they be destructive cycles of economic depression, war and recovery, the blooming and dying of love, or the cycle of death and rebirth. Stereolab’s music itself parallels this, its own forms defined by repetition, driven forward into new patterns by unique moments of creative revelation – or to put it another way, it is a symphony of “dots and loops”.

BS0 - ele-king

 ブリストルのサウンドとスピリットを伝えてきたBS0が、彼の地からサム・ビンガとライダー・シャフィークを迎え2年ぶりに開催。これにあわせ、2人は名古屋/金沢/東京/高知/沖縄/大阪を巡るツアーを敢行する。

 サム・ビンガとライダー・シャフィークは、一緒にそして個別に、現在の英国アンダーグラウンドで非常に重要な存在となっている。〈クリティカル・ミュージック〉での爆発的なダンスホール・コラボレーションで知られる2人のアーティストは、2012年以来さまざまなスタイルとテンポで共同作業を行っており、ロンドン〈ファブリック〉からクロアチア〈アウトルック〉まで、そして遠く離れたニュージーランド〈ノーザン・ベース〉で、共同のサウンドを獲得。

 サム・ビンガは、プロデューサーとしてヒューストンの伝説的なポール・ウォールとの「オール・キャップ」のダーティなサウス・ヒップホップから、ブリストルのカルトなレーベル〈ホットライン・レコーディングス〉でのマーカス・ヴィジョナリーとのUKファンキーのコラボレーションまで、多種多様なスタイルとサウンドを制作してきた。ロディガン、トドラT、DJターゲットなどのDJによる定期的なラジオ・プレイによって、DJとしての彼に対する世界的な需要も高まっており、南アメリカから中国まで、そしてその間のあらゆるところでヘッドライン・ショーが開催されている。

 ベースビンとダブプレートの世界を超えて、ライダー・シャフィークは、スポークンワードや、英国でさまざまな背景を持つ黒人として育った彼自身の人生経験を検証するパフォーマンス「アイ・デンティティ」など、幅広く豊かな表現で知名度を上げている。写真家と協力し、彼自身が根付いているコミュニティとの自然なつながりを活かし、ライダーはブラック・ブリティッシュ・ヘアスタイルの美しさ、多様性、繊細さ、およびそれらの自己アイデンティティとの関係を記録することを目的とした写真展「ロックス」も進行中。また、サム・ビンガがエンジニアリングとプロダクションで関わるポッドキャスト「i-MC」では、英国およびその他の国のMCやヴォーカリストとのインタヴューを行い、彼らの人生経験とそれらが音楽にどのように影響したかについて話し合っている。

 BS0プロジェクトとのコラボレーションによる今回の日本への初ツアーは、英国のサウンドシステム文化の音の伝統に根ざした幅広いサウンドとスタイルが導くことだろう。

interview with For Tracy Hyde - ele-king

 前作『he(r)art』(2017年)から2年弱、For Tracy Hyde の新作が届けられた。New Young City――SUPERCAR の同名曲から取られたというタイトルのもと、変わらぬ大作志向とコンセプト志向はますます研ぎ澄まされ、夏bot のメロディメイカー(彼の Twitter のプロフィールには一言目にそう書かれている)としての才は、その繊細な旋律とは裏腹に大輪の花を咲かせている。

 『New Young City』にはふたつのトピックがある。ひとつは、ヴォーカリストの eureka がギターを持ち、ギタリストが3人並び立つようになったこと。これは結果的にバンドの音像を変え、作曲にまで影響を及ぼした。そしてもうひとつは、ふたつの曲で英語詞に挑戦したこと(“麦の海に沈む果実”では日本語詞と英語詞が両方歌われるので、実際は「ふたつ半」かもしれない)。

 拡大解釈されながら人口に膾炙した「日本語ロック論争」なるものから約50年。当初の事情はともかくとして、ミュージシャンやシンガーに話を聞けば聞くほど、日本語とロックやポップスの関係性についての問題意識というのは、まだまだアクチュアルなものであるように感じてならない。私が特に気になったこのトピックについては、アメリカ育ちゆえに日本語へのこだわりを持つ夏bot に少し深く聞いてみた。

 「ひとりでインタヴューを受けるのは初めてなんです」と語る夏bot との対話では、(ときに意地の悪い質問もしたかもしれないが) For Tracy Hyde のリアリズム、インターネットとの関わり、そして音楽文化や音楽そのものへの態度といった深いところにまで話が及んだ。それらを記録したこのテキストが For Tracy Hyde というバンドや『New Young City』という作品、夏bot という音楽家の姿、そのありかたを少しでも浮かび上がらせるものになっていればと思う。

もともと僕は根っからのアメリカ人だと思っていて。なので、日本人らしさや季節観、日本的な無常観は後天的に学習して身につけた部分があって。でも若手のインディ・バンドは英語で歌うのが当たり前で、日本語で歌うのはダサいという風潮すらあったり。僕が苦労して身に付けたものをそんなに易々と手放すなよ、みたいな意識があって。

For Tracy Hyde は毎回、映画的なコンセプトや映画のモティーフを使っていますよね。どうして映画というフォーマットをなぞったアルバムを作るんでしょう?

夏bot:深い理由があるようで、特にないというか……。コンセプト・アルバムを作るうえで「架空の映画のサウンドトラック」というのは、わりと月並みな手法ではあると思うんです。
 やっぱり僕は古典的なアルバム・リスナーなので、音楽をアルバム単位で、CDで通して聞くということにこだわりがあって。いまの時代はシングル単位で、(曲を)飛ばして聞くというのが主流になってきていると思うんですけど。ちゃんとCDで、アルバムを通して聞く意味がある作品を提示したいと思ったときに、「トータル性のあるコンセプト・アルバム」というのがフォーマットとしてはいちばん適しているのかなと考えていて。
 で、同じく最初から最後まで通しで見ないと意味がないものとして映画というものがあると思うんですよね。なので、消費のプロセスとして一致するものがあるというか。映画になぞらえてアルバムを作ることで「これは一枚通して、一度に聞いてほしい」という意思表示やストーリーの演出が明確にできるのかなと。
 それともうひとつは、このバンドが全国デビューしたタイミングで僕が好きだった人が、すごく映画を好きだったという理由もあります(笑)。その人を好きになったことをきっかけに、けっこう映画を見られるようになって。ちょうどそのとき大学院に通っていて――英文科にいたんですけど。でも、僕はもともと文学にまったく興味がなくて(笑)。

なんで大学院にまで通ったんですか(笑)?

夏bot:就職に失敗したから、逃げるように進んだんです(笑)。文学に興味ないし、苦痛だなあと思ったので、単位を稼ぐために映画の授業を取ったんです。それがだいたいさっき言ったタイミングで、めちゃくちゃ映画を見るようになったという。

なるほど。さっき「消費」って言葉を使ったのがおもしろいなと思って。夏bot さんは作品を消費する感覚があるんですか?

夏bot:いや、そういうわけではないんです。僕はもともと生まれてすぐアメリカに渡って、幼少期はそこで過ごした関係で、日本語は一言もしゃべれなかったんですよね。なのでいまでも習慣として、日本語と英語の両方で同時にものを考えるところがあって。
 いま、完全に英語の「consume」っていう単語が念頭にあって、それで日本語で「消費」って言ってしまったんだと思います。言われてみると、ちょっと不思議な感じがするな、自分でも(笑)。

細かいことを聞いてしまって失礼しました。このまま言語の話題にいくと、For Tracy Hyde はこれまで日本語詞にこだわっていました。それはどうしてなんですか?

夏bot:もともと僕は根っからのアメリカ人だと思っていて。大人になったら軍隊に入るつもりでいたぐらいなんです(笑)。なので、日本人らしさや季節観、日本的な無常観は後天的に学習して身につけた部分があって。
 でも現代の日本社会においては、そういった部分はおろそかにされがちというか。若手のインディ・バンドは英語で歌うのが当たり前で、日本語で歌うのはダサいという風潮すらあったり。メインストリームのポップスも、サビでいきなり英語になるとか――もともとそういったものにすごく抵抗があったんです。僕が苦労して身に付けたものをそんなに易々と手放すなよ、みたいな意識があって。
 あとは、日本的な情緒を表現するには日本語が言語としていちばん適しているという。僕は日本語の響きやニュアンスがすごく好きでもあるんです。なので、そういったことをトータルでひっくるめて日本語詞に対するこだわりがあるのかなと。

夏bot さんは日本語に対して「エイリアン」みたいな感覚がありますか? それとも、ご自身の一部としてある?

夏bot:はっきりどちらとも言い難いんですけど……。言語に限らずにいまでも自分は、多少はアウトサイダー的な感覚はあるのかなと思います。東京にずっと暮らしていて、この街並みは当たり前のものだと思うんですけど、いまだに夜景がきれいだなあと感動することがあったり。

前作『he(r)art』についてのインタヴューでもそうおっしゃっていましたね。

夏bot:ええ。だから、いまも日本の社会や風景を美化して見ている部分は少なからずあるんです。

異邦人のような感覚?

夏bot:多少はありますね。潜在(意識)レヴェルかもしれないんですけど。

それを踏まえてお聞きすると、新作では“Hope”と“Can Little Birds Remember?”の2曲で英語詞に挑んだことがトピックだと思うんです。これはどうしてなんですか?

夏bot:ここ数年、SNSを通じて世界各地に点在するファン層の存在を意識することがすごく多くって。WALK INTO SUNSET という日本語詞で活動しているインドネシアのバンドがいるんですけど、そのメンバーが一昨年の夏ぐらいに来日して遊ぶ機会があったんです。それを皮切りにして、インドネシアやシンガポールのインディ・バンドとつながるようになって。

今年の1月にツアーで共演した Sobs も?

夏bot:ええ。Sobs のレーベル・メイトの Cosmic Child とか Subsonic Eye とかとは一通り会いました。それで、自分たちの音楽が日本語詞のままで世界に根付いていっている感じがあって。
 それ以降、日本語詞でこれだけ浸透するんだったら、英語で歌うとどうなるのかなって気になりだしたというのはありますね。これでもし僕らの音楽がもっと海外に浸透して、いろいろなひとの人生の一部になっていったらすごく素敵だなあと。
 同時に、以前から日本のインディ・バンド全般について英語がぜんぜん正確ではないというのがすごく疑問で(笑)。文法も正しくないし、発音も明瞭じゃない。英語がうまい部類に入るバンドでも脚韻に対する意識がすごい甘かったり、英語のアクセントがメロディーのアクセントに合致していなかったり。
 なので、日本語にこだわりがあるイメージが強い自分たちが、ものすごくしっかりした英語の曲を出したら、それを日本のシーンがどう受け止めるかのかはちょっと検証してみたいなと。

その視点はおもしろいですね。韻って詩/詞の音楽的な要素なので。たしかに海外のポップ・ソングってがっつり韻を踏みますよね。夏bot さんは昔から歌詞の韻を気にしていたんですか? それとも英語圏のものをずっと聞いていたから?

夏bot:気にする気にしないというよりはもう、海外で育つと「そういうもんだよな」という(笑)。韻を踏んだ歌詞というものが当たり前すぎて、逆に英語の歌詞で韻を踏まないというのがぜんぜん考えられない。そのあたりが日本語と英語の作詞面での分断というか。
 日本は意味性重視で、響きにこだわらない部分が大きいと思います。そこに対して疑問があるとか、こうでなくてはいけないみたいな考えはぜんぜんないんです。実際、僕の日本語の歌詞はそんなに韻を意識して書いていないので。英語の詞は韻を踏まないといけないと感じているのと同じぐらい、日本語の詞は韻を踏まないのが当たり前だと受け止めているので、違和感はないんです。

「エイリアン」「異邦人」なんて勝手に言ってしまいましたけど、夏bot さんの話を聞いていると、どこか冷めた視点で客観的に日本の音楽を眺めているように感じます。そういう感覚はありますか?

夏bot:特別冷めた視点があるという意識はないんですけれど……。国外の音楽に対しても国内の音楽に対しても、同じぐらい俯瞰的に見ている部分は少なからずある気がします。
 もともと僕は渋谷系がすごく好きで。音楽そのものはもちろん、音楽に対する批評性というか、アティテュードの面でもすごく惹かれているんです。なので、当時のインタヴューが載っている雑誌を読み漁ったりしていた時期があるぐらいなんですけれど。彼らの根底には常に批評性や俯瞰的な視点があるので、無意識下にそれがかっこいいものとして刷り込まれているのかもしれません(笑)。
 一歩引いて客観的な視点から見てるからこそ、これは使う/使わないとか、選択肢が広がる気がして。逆に当事者意識が強すぎると、そういう冷静な判断って絶対にできない。なので、意識的に俯瞰しようとか、批評意識を持とうとかしているわけではないんですけれども、結果的にそれで得るアドバンテージは少なからずあるような気がしていますね。

100パーセント・リアルではないし、非常に美化されてもいるけれども、これは間違いなく現実だし、現実で起こりうることだという。そういう意識を持って歌詞を書いて、曲を作っています。

夏bot さんは元ネタをけっこう明かしますよね。それも渋谷系というルーツがあってこそなのかなと。「サンプリング感覚」というとまたちょっとちがうのかもしれませんが。

夏bot:「サンプリング感覚」は近いかもしれませんね。僕は Shortcake Collage Tape 名義でチルウェイヴのトラックメイカーをやっていた時期があって。図書館でシティ・ポップとか民族音楽とかのCDを適当に借りて、それを非圧縮音源として取り込んで、切り刻んで、エフェクトをかけて、みたいな遊びを延々とやってたんです。
 その頃は自分の iTunes のなかにある曲を片っ端から聞いて、この曲の何分何秒から何秒まではドラムがバラで鳴ってるとか、ここは雰囲気が素敵とか、そういったものを箇条書きでメモして、それをサンプリングするっていうのをやってたんです(笑)。

それはだいぶヤバいですね(笑)!

夏bot:なので、自分がかっこいいと思ったものを切り貼りして組み立てていくっていう感覚はその頃からあるんです。

For Tracy Hyde にもそういうアティテュードはある?

夏bot:そうですね。僕もそうだし、ベースの Mav にしてもそういう部分が少なからずありますね。

夏bot さんが最初に渋谷系に触れたのは?

夏bot:僕はもともとザ・ビーチ・ボーイズがすごく好きなんです。それこそ小学生の頃から(笑)。

For Tracy Hyde のコンセプトが「Teenage Symphony for God」で、これって『スマイル』の“Teenage Symphony to God”へのオマージュですよね。

夏bot:僕、小6のときの誕生日プレゼントが『スマイル』のブートレッグだったんです(笑)。

ええっ(笑)!?

夏bot:当時は西新宿にブートレッグの店がすごい密集してたので、僕がインターネットであたりをつけて、「この店にこれがあるから買いに連れていってくれ」って(笑)。もう本当に大好きだったんですよ。
 当時、まるっと一冊ビーチ・ボーイズの話をしているムックが宝島から出ていて、それを読むと『ペット・サウンズ』の項目で“God Only Knows”をフリッパーズ・ギターがサンプリングしているなんて書いてあったんです。ただ、いかんせん小学生だったので、「サンプリング」がなんなのかをよく理解していなくって。すごくアヴァンギャルドな手法だという認識はあったので、怖い人たちがビーチ・ボーイズをもてあそんでいる、なんかやだなあとか思って(笑)。

たしかに当時のふたりには怖いところもあったらしいので、まちがってはいないですけど……(笑)。

夏bot:その後、「NHKへようこそ!」の主題歌で聞いた、ROUND TABLE featuring Nino の“パズル”(2006年)がすごくいいなと思って。これはなんてジャンルで、どうインターネットで調べたら他に似たような曲が聞けるんだろうって調べていたら、「渋谷系」というワードにぶちあたって。それが中学生くらいかな。
 渋谷系のウィキペディアを見ると、真っ先にフリッパーズ・ギターのことが書いてあるわけです。当時はまだ YouTube ができたばっかりだったんですが、とりあえず「フリッパーズ・ギター」と調べてみたら、なぜか“カメラ!カメラ!カメラ!”のMVはすでに上がっていて。そのとき初めて聞いて、かっこいいなあと思いました。それから渋谷系にのめりこんでいきましたね。

なるほど。「インターネット」というキーワードが出てきました。もしかしたら言い方が悪いかもしれませんが、For Tracy Hyde ってインターネットで人気があるバンドだと思うんです。

夏bot:まあ、そうですね(笑)。

バンドとインターネットの関係性ってどう捉えていますか?

夏bot:そもそもこのバンドはメンバーが全員 Twitter で集まったんです。もちろんリアルなつながりもあったんですけれど、核になるメンバーは本当に Twitter で知り合った人たち。当初は作品の発表の場も Twitter で、Twitter の台頭と共にこのバンドが成長したという意識があるんです(笑)。
 なので、インターネットで支持を集めているというのは当然のことだし、ぜんぜん悪い気はしません。むしろ、7年前に初めてこのバンド名義で音源を出してから、ずーっと Twitter で言及してくださっている方々がいらっしゃるというのは本当にありがたいし、うれしいことだと思いますね。
 あと、僕が宅録を始めた頃に作品を発表していたのが2ちゃん(ねる)の楽器・作曲板のシューゲイザー・スレなんですよね。

あはは(笑)! 掲示板で曲を発表していた tofubeats にも似ていますね。

夏bot:そもそも音楽活動の出発点が2ちゃんという時点で自分とインターネットは切っても切り離せないというか。なので、自分たちがインターネットで人気があるということに対してはぜんぜん負の感情はないんです。
 一方でいま、周りで台頭しつつあるバンドはもっとリアルに根差した活動とファンベースを持っているように思うんです。なので、「実体」のあるファンがたくさんいるバンド、っていう言い方をすると問題があるかもしれないんですけど……。彼らのことが無性にうらやましくなる瞬間があるのは否めませんね。

For Tracy Hyde のファンはゴーストみたいな(笑)。

夏bot:ただ、自分たちには海外に熱烈なファンがいるというのも完全にインターネットがもたらした恩恵でもあるんです。そこは一長一短だし、現状にめちゃくちゃ不満があるわけでもない、というのが正直なところですね。

でも、For Tracy Hyde の音楽にはインターネットというモティーフは出てこないですよね。それはなぜなんでしょう?

夏bot:逆に、歌詞には当たり前ではないものを書いている部分が少なからずあるかもしれませんね。東京の都心に住んでいると海はそんなに当たり前ではないし、自然も当たり前ではないし。そういう普段の生活のなかに当然のようには存在してはいないものが歌詞に頻出してくる傾向があると思っていて。そう思うときっと、インターネットはあまりにも当たり前すぎて、逆にもう存在が見えないというか。歌詞に書きようがない場所にある気はしますね。

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僕はシティ・ポップ・リヴァイヴァルをかなり批判的に見ている部分があって。都市の一側面しか捉えていないというか、上辺だけをすくって都市を肯定していると思うんです。僕は美しい部分も醜い部分も含めて都市生活と東京という街を本当に愛している。だから、「シティ」という言葉をシティ・ポップ・リヴァイヴァルから奪還したかった。

なるほど。ところで The 1975 って好きですか?

夏bot:ああ……。1975 はもう、神のようにあがめています。

そうなんですね。というのも、昨年末に出たアルバムが……。

夏bot:あれは明確にインターネットありきの作品ですね。タイトル(『A Brief Inquiry into Online Relationships』)からしてもう(笑)。

ああいったリアリズムも表現の方法としてありますよね。

夏bot:ああいう露悪性や社会性にも関心はあるんですが、自分が作品として形にするのは少しちがうなというのがあって。

For Tracy Hyde はもっとロマンティックなもの、美しいものを表現しようとしているのかなと思います。

夏bot:そこはもう一貫しています。そう考えたときに、やっぱりインターネットってちがうなと(笑)。1975 のアルバムにしても、歌詞が好きかといわれるとそうではない。あれを自分がやりたいと思う瞬間がまったくない。やろうとしてもできないんですけど。

それに関連してお聞きすると、For Tracy Hyde の音楽は逃避的なものだと思いますか?

夏bot:それについては、ぜんぜんそう思ってはいないんです。以前、Night Flowers というイギリスのバンドと対談する機会に恵まれたんですけど、そのときに話していたのはバンドを逃避的なイメージから切り離したいということでした。その意識は完全に共通しているというか、共鳴しているように感じます。
 逃避した先にあるものって現実ではない、我々の生活ではないわけでしょう。なので、人の生活に寄り添うような、人生の一部やそのサウンドトラックになるような音楽をつくりたいと思ったときに、現実逃避的な志向に対して真っ先にノーを突きつけないといけない。もっと現実と結びつきやすいものを作らないといけないなというふうに感じていて。
 アートワークの面でも具体的なモティーフをずっと使い続けていて、そこには逃避的な志向や抽象性への拒絶という意味合いが少なからずありますね。

では、夏botさんたちの音楽は For Tracy Hyde としてのリアリズムを表現している?

夏bot:そうですね。僕はリアリズムのつもりで書いています。100パーセント・ノンフィクションではぜんぜんないんですけれども、ある程度は自分の実体験だとか、友だちから聞いた話だとか、SNSを通じて見えた人の暮らしだとか、そういったものを歌詞に落とし込むようにしているので。100パーセント・リアルではないし、非常に美化されてもいるけれども、これは間違いなく現実だし、現実で起こりうることだという。そういう意識を持って歌詞を書いて、曲を作っています。

どんな音楽でもやっぱり芸術だと思っているんです。なので、いま改めて芸術としての音楽を問い直したいというか。ある意味では、「市民宗教的」というか、日本の八百万の神みたいな――そこにいるのが当たり前だけれども、大事にしなきゃいけないというか。なんとなく見守ってくれる存在というか。「いてくれて、ありがとう」という感じです。

なるほど。それも踏まえてオーソドックスな質問をすると、今回の『New Young City』にはどういうコンセプトがあったんですか? 前作には「東京」というテーマがあったわけですが、今作のタイトルは具体的な街ではないところが気になっていて。

夏bot:実はリリース前にインタヴューを受けるという経験がいままであまりなくって、今回が初めてなんです。やっぱり、リリースして初めて見えてくるものが少なからずあるというか。

まだ未整理な部分がある?

夏bot:そうなんですよね。自分のなかで具体的に見えてない部分も大きいんです。もともと僕はシティ・ポップ・リヴァイヴァルをかなり批判的に見ている部分があって。あれは都市の一側面しか捉えていないというか、上辺だけをすくって都市を肯定していると思うんです。あとはパーティ・ライフとか、都市生活の享楽的な部分をもてはやしている印象があります。
 なので、前作はシティ・ポップの意匠を取り入れて、シティ・ポップ・リヴァイヴァルの体を装って、その都市幻想を内側から瓦解させることを目標にしていたんですけれども。でも、そのコンセプトが伝わりきらなかったというか――自分たちの音楽を形容する時に「シティ・ポップ」という言葉が使われだりとか。「あいつ、あんなにシティ・ポップを馬鹿にしてたのに、自分たちのアルバムのキャッチコピーに『シティ・ポップ』って使ってるやんけ」みたいなことをネットで書かれたりとか(笑)。
 自分の力不足もあると思うんですけど、そこを表現しきれなかったことがすごく悔しかった、悔いが残ったんですよね。

アンチテーゼとしてやったのに、ベタに取られてしまった?

夏bot:そうなんですよ。表層しかすくわれなかったことに傷つきつつも、やっぱりシティ・ポップ・リヴァイヴァルに対する憎しみが消えないというか(笑)。

あはは(笑)。今回もそれを引きずっている?

夏bot:そうですね。僕は美しい部分も醜い部分も含めて都市生活と東京という街を本当に愛している。だから、「シティ」という言葉をシティ・ポップ・リヴァイヴァルから奪還したかった。一旦そこをまっさらにして、非シティ・ポップ的な文脈で都市生活を肯定してみたかったというのが、少なからず意識的にありますね。
 なんで“New Young City”っていうタイトルにしたかというと、文字通りあらゆる文脈とか含意とかを一旦切り離して、まっさらに新しく街を、都市生活を表現したかったというのがあるんです。
 同時にこれは、SUPERCAR の『Futurama』の収録曲のタイトルでもあって。もちろん SUPERCAR からはたくさん影響を受けてるし、先人たちの音楽の上に自分たちの音楽が成り立っているという意識は常にあるので、そういうリスペクトの表明でもあります。
 あるいは文化が堆積して、ある程度並列化され、古今東西の文化に同時に触れられる場として都市が存在してるというのも表現したくて。……というのがおおまかな概要ではあるんですけど、まだちょっと細かいところが見えていなくて。

とはいえ For Tracy Hyde って、外的な状況にそこまで音楽的にヴィヴィッドに反応するバンドではないと思うんです。そこはどうですか?

夏bot:ものによりますね……。セカンド(『he(r)art』)ではシティ・ポップ的な意匠や1975 的なサウンドを取り入れたり、インディR&Bの流行に反応してそういった要素を取り入れたりとかしていて。

でも、そこまでわかりやすい形ではやらないですよね?

夏bot:まあ、露骨にはやらないんですけど、伝わる人には伝わる感度でやっています。
 今作に関していうと、今年来日した Turnover が所属している〈Run for Cover Records〉とか、あの周りのエモとシューゲイズのクロスオーヴァー的な音楽をやっているバンドであったり、Alvvays であったり、いまUSインディで流行っているサウンドに感銘を受けている部分がかなりあるんです。もちろんそれをそのままやることはしないし、それは自分の美学には反するというか。あくまでも邦楽の文脈で洋楽的なサウンド・デザインを取り入れることに一貫して取り組んでいるので。
 わかりやすい形で反映しているわけではないと思うんですけども、トレンドから自分たちを完全に切り離しているかというと、もうそれは絶対にノーですね。だからこそ、今作を作ったことでいろいろ見えてくるものがあった。セカンドを作った後は、自分がこの先何をしたらいいのかを完全に見失ってしまって。

それはやりきったから?

夏bot:やりきったし、どうしたらこの作品以上のものを作れるのかとかがぜんぜん自分のなかで見えなくって。その結果活動が停滞して、このアルバムも約2年ぶりの新作になりました。一時期、このバンドはこのまま終わってしまうんじゃないかって……。

そこまで考えていたんですか?

夏bot:そういう懸念がリアルになっていました。でも今作ができて、それなりにトレンドに呼応しつつも自分たちらしい作品としてまとまって、かつ前作より自信を持って提示できるものになった。なので、この先も数年にわたって、少なくとも数年単位で、その時々のトレンドに向き合って、適度に取り入れつつもちゃんと自分たちらしい作品を作っていけるっていう自信が芽生えた感じがありますね。
 それはたぶん、他のメンバーも同様なんですけど。前作で一回終わりかけたけども、今作で持ち返したし、あと数年はぜんぜん戦っていけるっていうのが共通認識としてあるはずですね。

バンドのモードが変わったのはどうしてなんですか?

夏bot:明確に因果関係があるかはわからないんですけれども、やっぱりトリプル・ギターになったというのがあって。

ヴォーカルの eureka さんがギターを弾くようになったんですよね。

夏bot:ギターが1本増えて、従来のシンセをいっぱいレイヤリングして、アトモスフェリックな音像を作るっていう手法が使えなくなった。なので、シンプルに削ぎ落とす必要が出てきたんですよね。音像がシンプルになったぶん、もっとちゃんと歌を聞かせないといけないし、それには当然歌詞とメロディーを大事にしないといけない――そういう基本的な部分に立ち返ることができたというのも多少あるような気がしていて。
 音像を見つめ直したらソングライティングが変わったっていうのは絶対ある。かつ、シンプルに歌と向き合うっていうことを考えたときに、さっき名前を挙げた Turnover とか、昔から好きな Jimmy Eat World とかが持っている歌心や情感が、かなり自分のなかでしっくりきたんです。それがいまやろうとしていることとすごくマッチしているなっていう実感が湧いた。あとは、もっとストレートなギター・ロックっぽいアプローチをしようと考えたことで、PELICAN FANCLUB や mol-74 のような、いま邦ロックのメインストリームにいるバンドの音楽とも向き直るきっかけになって。

最後にひとつお伺いします。夏bot さんのブログを読んでいると、聞き手やシーンのことをすごく考えていらっしゃいますよね。先日は「僕は本気で自分のルーツに当たるインディ音楽にメインストリームでのポピュラリティを獲得させたくてバンドをやっています。そうすることでメインストリームの音楽は多様化してより豊穣になり、インディからメジャーに至るまでバンド・シーン全体の活性化/延命に繋がると思っているのです」と書いていました(https://strawberry-window.hatenablog.com/)。でも、バンドで音楽をやる、曲を作るって、世のため人のためにやるわけじゃない。なのに夏bot さんがこれほど聞き手や周りのことを考えているのはどうしてなのかなって思ったんです。ご自身が音楽文化から恩恵を受けてきたからなのか、あるいは思いやりが深い方だからなのか……。

夏bot:ああいうのは大概まあ、はったりですよ(笑)。

そうなんですか? でも、心にもないことを言っている、という感じではないですよね。

夏bot:でかいことを成し遂げたいな、一旗揚げたいと思ったときに、できっこないよなと思ってたら、絶対できないので。やっぱり、ある程度大きな目標を成し遂げようと思ったら、ちゃんと大きいことを言っていかないといけない。でも、本当に思ってないことはやっぱり絶対言えませんよね。
 自分は作り手以前にいちリスナーとして、本当に音楽に救われてきたり、生活を支えられたりした部分があるんです。Ride のような80年代、90年代の、決して演奏はうまくないんだけれども、とにかく曲が抜群によくって、かつ複雑なことをしていないから自分でも似たようなことができるかもしれないって思えるバンドと出会ったことが、いまの自分の人生にかなり大きな影響をもたらしている。いまバンドでこんなことをやってられるのも、高校時代に Ride とかと出会って、野球部を辞めたからで(笑)。

あはは(笑)。野球部を辞めてギターを持ったんですか?

夏bot:いえ。野球部をやりながら宅録をしてたんですけど、宅録のほうが楽しいなと思ったっていう、それだけの理由なんです。自分は音楽に人生を変えられたので、同じように音楽で人生が変わる方がいらっしゃるとうれしいなあという気持ちは少なからずあります。そこを目標にして音楽に取り組んでいるのは、事実ではありますね。

安っぽい言い方ですけど、「音楽カルチャーへの恩返し」というか。

夏bot:そうですね。何かしら恩返し、寄与したいというのはあるし。そうやって自分の音楽を聞いて育ったバンドが将来出てきたとして、そのバンドが同じようにシーンへの寄与だとかリスナーへの貢献とかを意識した音楽を作るようになって――そういうサイクルが生まれたらそれはすごく素敵だと思う。一時しのぎとか商業主義とかではない、ちゃんとした遺産というか、伝統というか。そういう精神性が継承されていくことで、ポピュラー・ミュージックの寿命は少しでも延びていくと思うので。

ポピュラー音楽は死にかけていると思っています?

夏bot:そうは思っていないんですけど、少なくとも音楽は芸術だという認識はどんどん薄れていっている。(違法音楽アプリの)Music FM のように、音楽は無料でそこらに転がってるのが当たり前で、崇高な表現を目指して作られているものではないとか、一時的な流行の消費物だとか――そういう認識をされているように感じる瞬間がすごく多くって。
 でも僕は、どんな音楽でもやっぱり芸術だと思っているんです。なので、いま改めて芸術としての音楽を問い直したいというか。そういう認識を広めて、受け継いでいきたいという気持ちは少なからずありますね。ただ、いかんせん自分にそんな影響力はないので、それがどこまでできるのか、まだわからないんですけど。ゆくゆくはそういう視点から発信できるような立場にいけたらなあと思いますね。

でも、「芸術」としてしまうと権威主義になる可能性もあると思うんです。ポピュラー音楽は私たちに近いものであるからこそすばらしいのであって、崇高なものだと思われ過ぎるのもおかしい……。そこはどうですか?

夏bot:そうなんですよね……。ある意味では、「市民宗教的」というか、日本の八百万の神みたいな――そこにいるのが当たり前だけれども、大事にしなきゃいけないというか。

お地蔵さんとかお稲荷さんとか?

夏bot:お地蔵さんを蹴ったらバチが当たるでとか、唾を吐きかけたらあかんでみたいな。

それがポップ・ミュージック?

夏bot:それぐらいの感じで、そんなに恭しく接する必要もないし、畏れる必要もないけれども、なんとなく見守ってくれる存在というか。「いてくれて、ありがとう」という感じです。それぐらいの立ち位置に収まるとちょうどいいのかなあと。
 音楽を芸術だと捉えるのが権威主義的というよりは、逆に旧来の絵画や彫刻のようなファイン・アートや、映画とか写真とか、ああいったものが位置として上にいすぎるのかなという意識もあるんです。なので、そのへんがもうちょっと平らになって、その中間地点ぐらいの位置に音楽も収まって、身近に接することができるものだけれども、ちゃんと価値があるし、人の心を動かしたり人生を変えたりする力があるものとして並び立つと、ちょうどいいのかなという気がします。

わかりました。では、この『New Young City』を聞いて、野球部を辞めて、ギターを持ったり宅録をはじめたりする少年少女たちがいればいいなって思いますね。

夏bot:べつに野球は続けてくれてもいいんですけどね(笑)。

For Tracy Hyde『New Young City』 Release Tour 『#FTHNYC』東京公演

 2019年10月16日(水)
 会場: 渋谷WWW
 出演: For Tracy Hyde
 guest / warbear
 opening act / APRIL BLUE
 時間: 開場 18:00 開演 19:00
 料金: 前売り 3000円 当日 3500円
 *ドリンク代別
 チケット
 e+にて発売中
 https://eplus.jp/sf/detail/3042780001-P0030001

Mika Vainio Tribute - ele-king

 電子音楽の前進に多大なる貢献を果たしながら、惜しくも2017年に亡くなってしまったミカ・ヴァイニオ。きたる10月19日に、怒濤の《WWW & WWW X Anniversaries》シリーズの一環として、彼のトリビュート公演が開催されることとなった。会場は WWW X で、発案者は池田亮司。彼とカールステン・ニコライのユニット cyclo. や、行松陽介、Haruka など、そうそうたる面子が出演する。パン・ソニックをはじめ、さまざまなプロジェクト/名義でエレクトロニック・ミュージックの最前線を切り開いてきたミカの面影をしのびつつ、出演者による音の追悼を体験しよう。

WWW & WWW X Anniversaries "Mika Vainio Tribute"

極北の中の極北、電子音楽史に名を残すフィンランドの巨星 Mika Vainio (Pan Sonic) のトリビュート・イベントが Ryoji Ikeda 発案の元、WWW X にて開催。Mika Vainio とコラボレーション・ライブも行った同世代の Ryoji Ikeda と Alva Noto とのユニット cyclo. の8年ぶりの東京公演が実現、欧州やアジアでも活躍中の行松陽介と Haruka 等が出演。

テクノイズ、接触不良音楽、ピュア・テクノ、ミニマルとハードコアの融合、といった形容をされながら、90年代初期に Ilpo Väisänen (イルポ・ヴァイサネン)とのデュオ Pan Sonic の結成と同時に自身のレーベル〈Sähkö〉を立ち上げ、本名名義の他、Ø や Philus といった名義で、インダストリアル、パワー・エレクトロニクス、グリッチ、テクノ、ドローン、アンビエント等の作品を多数リリース、アートとクラブ・ミュージックのシーンをクロスオーバーした実験電子音楽のパイオニアとして、2017年の逝去後も再発や発掘音源のリリースが続き、新旧の世代から未だ敬愛され、後世に絶大な影響を与える故・Mika Vainio (ミカ・ヴァイニオ)。本公演では昨年音源化が実現し、〈noton〉よりリリースされた Mika Vainio とコラボレーション・ライブも行った Ryoji Ikeda の発案の元、Mika Vainio のトリビュート企画が実現。同じくそのコラボレーション・ライブに参加し、〈noton〉主宰の Carsten Nicolai (Alva Noto) が来日し、2人のユニット cyclo. で出演が決定。DJにはここ数年欧州やアジア圏でもツアーを行い、ベルリン新世代による実験電子音楽の祭典《Atonal》にも所属する行松陽介と、DJ Nobu 率いる〈Future Terror〉のレジデント/オーガナイザーであり、プロデューサーでもある Haruka が各々のトリビュート・セットを披露する。 ピュアなエレクトロニクスによる星空のように美しい静閑なサウンドス・ケープから荘厳なノイズと不穏なドローンによる死の気配まで、サウンドそのものによって圧倒的な個性を際立たせる Mika Vainio が描く“極限”の世界が実現する。追加ラインナップは後日発表。

WWW & WWW X Anniversaries "Mika Vainio Tribute"
日程:2019/10/19(土・深夜)
会場:WWW X
出演:cyclo. / Yousuke Yukimatsu / Haruka and more
時間:OPEN 24:00 / START 24:00
料金:ADV¥4,300(税込 / オールスタンディング)
チケット:
先行予約:9/7(土)12:00 〜 9/16(月祝)23:59 @ e+
一般発売:9/21(土)
e+ / ローソンチケット / チケットぴあ / Resident Advisor
※20歳未満入場不可・入場時要顔写真付ID / ※You must be 20 or over with Photo ID to enter.

公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/011593.php

Mika Vainio (1963 - 2017)

フィンランド生まれ。本名名義の他、Ø や Philus など様々な別名義でのソロ・プロジェクトで〈Editions Mego〉、〈Touch〉、〈Wavetrap〉、〈Sähkö〉など様々なレーベルからリリースを行う。80年代初頭にフィンランドの初期インダストリアル・ノイズ・シーンで電子楽器やドラムを演奏しはじめ、昨今のソロ作品はアナログの暖かさやエレクトロニックで耳障りなほどノイジーなサウンドで知られているが、アブストラクトなドローンであろうと、ミニマルなアヴァン・テクノであろうと、常にユニークでフィジカルなサウンドを生み出している。また、Ilpo Väisänen とのデュオ Pan Sonic として活動。Pan Sonic は自作・改造した電子楽器を用いた全て生演奏によるレコーディングで知られ、世界中の著名な美術館やギャラリーでパフォーマンスやサウンド・イスタレーションを行う。中でもロンドンのイーストエンドで行った警察が暴動者を鎮圧する時に使う装置に似た、5000ワットのサウンドシステムを積んだ装甲車でのギグは伝説となっている。ソロや Pan Sonic 以外にも、Suicide の Alan Vega と Ilpo Väisänen とのユニット VVV、Vladislav Delay、Sean Booth (Autechre)、John Duncun、灰野敬二、Cristian Vogel、Fennesz、Sunn O)))、 Merzbow、Bruce Gilbert など、多数のアーティストとのコラボレーション、Björk のリミックスも行う。2017年4月13日に53歳の若さで永眠。Holly Heldon、Animal Collective、NHK yx Koyxen、Nicholas Jaar、Bill Kouligas (PAN) など世界中の世代を超えたアーティストたちから、彼の類稀なる才能へ賛辞が贈られた。
https://www.mikavainio.com/


Photo: YCAM Yamaguchi Center for Arts and Media

cyclo.

1999年に結成された、日本とドイツを代表するヴィジュアル/サウンド・アーティスト、池田亮司とカールステン・ニコライ(Alva Noto)のユニット cyclo.。「サウンドの視覚化」に焦点を当て、パフォーマンス、CD、書籍を通して、ヴィジュアル・アートと音楽の新たなハイブリッドを探求する現在進行形のプロジェクト。2001年にドイツ〈raster-noton〉レーベルより1stアルバム『. (ドット)』を発表。2011年には前作より10年振りとなる2ndアルバム『id』、そして同年、ドイツのゲシュタルテン出版より cyclo. が長年リサーチしてきた基本波形の可視化の膨大なコレクションを体系化した書籍『id』を出版。
https://youtu.be/lk_38sywJ6U

Ryoji Ikeda

1966年岐阜生まれ、パリ、京都を拠点に活動。 日本を代表する電子音楽作曲家/アーティストとして、音そのものの持つ本質的な特性とその視覚化を、数学的精度と徹底した美学で追及している。視覚メディアとサウンド・メディアの領域を横断して活動する数少ないアーティストとして、その活動は世界中から注目されている。音楽活動に加え、「datamatics」シリーズ(2006-)、「test pattern」プロジェクト(2008-)、「spectra」シリーズ(2001-)、カールステン・ニコライとのコラボレーション・プロジェクト「cyclo.」(2000-)、「superposition」(2012-)、「supersymmetry」(2014-)、「micro | macro」(2015-)など、音/イメージ/物質/物理的現象/数学的概念を素材に、見る者/聞く者の存在を包みこむ様なライブとインスタレーションを展開する。これまで、世界中の美術館や劇場、芸術祭などで作品を発表している。2016年には、スイスのパーカッション集団「Eklekto」と共に電子音源や映像を用いないアコースティック楽器の曲を作曲した新たな音楽プロジェクト「music for percussion」を手がけ、2018年に自主レーベル〈codex | edition〉からCDをリリース。2001年アルス・エレクトロニカのデジタル音楽部門にてゴールデン・ニカ賞を受賞。2014年にはアルス・エレクトロニカがCERN(欧州原子核研究機構)と共同創設した Collide @ CERN Award 受賞。
https://www.ryojiikeda.com/

Carsten Nicolai (Alva Noto)

本名カールステン・ニコライ。1965年、旧東ドイツのカールマルクスシュタット生まれ。ベルリンを拠点にワールドワイドな活動を行うサウンド/ビジュアル・アーティスト。音楽、アート、科学をハイブリッドした作品で、エレクトロニック・ミュージックからメディア・アートまで多彩な領域を横断する独自のポジションを確立し、国際的に非常に高い評価を得ている。彼のサウンド・アーティストとしての名義がアルヴァ・ノトである。ソロ活動の他、Pan Sonic、池田亮司との「cyclo.」、ブリクサ・バーゲルトなど注目すべきアーティストたちとのコラボレーションを行い、その中でも、坂本龍一とのコラボレーション3部作『Vrioon』『Insen』『Revep』により、ここ日本でも一躍その名を広めた。2016年には映画『レヴェナント:蘇りし者』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)の音楽を坂本龍一、ブライス・デスナーと共同作曲し、グラミー賞やゴールデン・グローブ賞などにノミネートされた。また、1996年に自主レーベル〈Noton〉をByetone 主宰の〈Rastermusic〉と合併し〈Raster-Noton〉として共に運営してきたが、2017年に再解体し、Alva Noto 関連の作品をリリースする〈Noton〉を再始動。
https://www.alvanoto.com/

行松陽介 (Yousuke Yukimatsu)

2008年 SPINNUTS と MITSUKI 主催 KUHIO PANIC に飛び入りして以降DJとして活動。〈naminohana records〉主催 THE NAMINOHANA SPECIAL での KEIHIN、DJ NOBU との共演を経て親交を深める。2014年春、千葉 FUTURE TERROR メインフロアのオープンを務める。2015年、goat のサポートを数多く務め、DOMMUNE にも出演。PAN showcase では Lee Gamble と BTOB。Oneohtrix Point Never 大阪公演の前座を務める。2016年 ZONE UNKNOWN を始動し、Shapednoise、Imaginary Forces、Kamixlo、Aïsha Devi、Palmistry、Endgame、Equiknoxx、Rabit を関西に招聘。Arca 大阪公演では Arca が彼の DJ set の上で歌った。2017年、2018年と2年続けて Berlin Atonal に出演。2018年から WWW にて新たな主催パーティー『TRNS-』を始動。Tasmania で開催された DARK MOFO festival に出演。〈BLACK SMOKER〉からMIX CD『Lazy Rouse』『Remember Your Dream』を、イギリスのレーベル〈Houndstooth〉のA&Rを手掛ける Rob Booth によるMIXシリーズ Electronic Explorations にMIXを、フランスのレーベル〈Latency〉の RINSE RADIO の show に MIX を、CVN 主催 Grey Matter Archives に Autechre only mix を、NPLGNN 主催 MBE series に MIX TAPE『MBE003』を、それぞれ提供している。
https://soundcloud.com/yousukeyukimatsu
https://soundcloud.com/ausschussradio/loose-wires-w-ausschuss-yousuke-yukimatsu

Haruka

近年、Haruka は日本の次世代におけるテクノDJの中心的存在として活動を続けている。26歳で東京へ活動の拠点を移して以来、DJ Nobu 主催のパーティ、かの「Future Terror」のレジデントDJおよび共同オーガナイザーとして、DJスキルに磨きをかけてきた。彼は Unit や Contact Tokyo、Dommune など東京のメジャーなクラブをはじめ、日本中でプレイを続けている。また、フジロックや Labyrinth などのフェスでのプレイも経験。Haruka は、緻密に構成されたオープニング・セットからピークタイムのパワフルで躍動感のあるテクノ・セット、またアフターアワーズや、よりエクスペリメンタルなセットへの探求を続ける多才さで、幅広いパーティで活躍するDJだ。このような彼特有の持ち味は、Juno Plus へ提供したDJミックスや Resident Advisor、Clubberia のポッドキャスト・シリーズにも表れている。ここ数年都内で開催されている Future Terror ニューイヤー・パーティでは長時間のクロージングセットを披露、2017年にはロンドン・ベルリン・ミュンヘン・ソウル・台北・ホーチミン・ハノイへDJツアーを行なうなど、着実に活動の場を広げている。
https://soundcloud.com/haruka_ft
https://soundcloud.com/paragraph/slamradio-301-haruka

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