「pan sonic」と一致するもの

Bobby Oroza - ele-king

 フィンランドの音楽と聞いて頭に思い浮かべるのはどんな音楽だろうか?
 ヘヴィ・メタル? ミュージック・ラヴァーとして知られるバラク・オバマ元大統領は2016年サミットの晩餐会でフィンランドを「国民一人あたりのヘヴィ・メタル・バンドの数がもっとも多い国」と表現した。恐らくオバマ氏のなかではフィンランドの音楽としてイメージするのはヘヴィ・メタルなんだろう。オバマ氏と同意見の人も多そうだ。もしくはPAN SONICに代表される電子音響? ele-kingの読者はこちら派も多いかもしれない。
 では、チカーノ・ソウルはどうだろうか? 北欧で南米……と混乱してしまうかもしれない。
 フィンランド育ちでありながらカリフォルニアのチカーノ・ソウル/ローライダー・シーンで絶大な人気を博している男がいる。その名はボビー・オローサ。そのスウィートかつメロウなサウンド、メランコリックな恋愛や社会のアウトサイダーを描いた歌詞がチカーノ/チカーナの心を掴んだのか、YouTubeにアップされたMVのコメント欄ではアメリカで暮らすラティーノ/ナと思しきアカウントからの彼の曲に対する愛のメッセージで溢れている。
 かく言う私もMUSIC CAMPの宮田さんから「ヤバいシンガーがいる」と聞き、間もなく手に入れた1stアルバム『ディス・ラブ』に収められた楽曲のスウィートネスや瑞々しさ、そしてほんのり漂うサイケデリアに完璧に魅力され、主催パーティで何度もプレイした。2ndアルバム『ゲット・オン・ジ・アザーサイド』(MUSIC CAMP, Inc.)のリリース時に大阪で行われたリリース・パーティには僭越ながらDJとして出演したが、ボビー本人は不在ながら彼の音楽を愛する人たちが集う熱気の溢れる一夜となり、ここ日本でもボビー人気が高まっていることを実感した。
 そんなボビー・オローザが11月に前述の2ndアルバム『ゲット・オン・ジ・アザーサイド』を引っ提げ待望のジャパン・ツアーを行う。
 初来日を控えた彼にフィンランドの音楽シーン、サイケデリア、日本の音楽などについて聞いてみた。

■音楽一家の育ちだそうですね。母親はボリビアからの移民、父親はジャズ演奏家。多様な音楽的影響を受けていると思いますが、そのような音楽を通してもっとも影響を受けたことを教えてください。

ボビー:おそらく多様性と選択肢の多さがあるということだと思います。異なるスタイルと伝統表現の両方に晒されたことが、音楽へのマインドの扉を開けてくれました。面白いサウンドを探し続けることは今でもとても刺激的です。その大きな影響を今自分の子供たちにも伝えていこうと思っています」

■フィンランドの音楽というと、ヘビメタやエレクトロニカしかなかなか浮かびません。実際はどうなのでしょう?

ボビー:なかなか面白いことが起こっていると僕は感じています。注目しているのは、メインストリームの大物アーティストではなく、少量生産のレコード・プレスや余り知られていないパーティで鳴り響くアンダーグラウンドのシーンといえるでしょう。私の人生のパートナーであるMallaは、アナログ・シンセを使って、素晴らしいハウス・ミュージックを作っています。彼女のバンドで演奏することで、そのシーンをより深く知ることができました。Timmion Records(訳注:ボビーのデビューのきっかけとなったフィンランドのソウル・レーベル。2作品の録音もティミオンで行っている)は、この地でソウル・シーンの基盤を確かなものにしています。またLinda Fredrikssonのような素晴らしいジャズ・プレーヤーやアーティストもたくさん活躍しています」

■ フィンランドでショーは定期的に開催していますか? とくにコロナ禍の影響はいかがでしょう?

ボビー:正直、ショーはあまり行っていません。自分のスタジオで制作により打ち込んでいます。ライヴをもっとやりたいとは思っています。おそらく来年はそうなるでしょう。コロナ禍で全てのショーがキャンセルになり、作曲や様々な楽器の演奏、またスタジオのセットアップなどに取り組んできました。

■ショーのときはティミオンのハウス・バンドであるコールド・ダイアモンド&ミンクといつも一緒ですか?

ボビー:コールド・ダイアモンド&ミンクは主にスタジオのハウス・バンドで、ティミオン・レーベルの運営にフルタイムで関わっているため、特別な機会以外はライヴを行っていません。彼らのサウンドはたくさんの人たちに愛されていますが。

■今回のアルバムではWarpからのリリースでも知られるサックス奏者(と一言で言い表せるような人ではないですが)のJimi Tenorが参加していますが? 以前から知り合いですか?

ボビー:ジミは長い間に渡ってティミオンの録音に参加してきました。彼とスタジオで知り合えたのはラッキーでした。素晴らしい演奏家であり、人格者です。彼にはショーにも参加してもらっています。

■ヒップホップのトラックメーカーをされてたとか。フィンランドのヒップホップ・シーンはいかがでしょう?

ボビー:ヒップホップは現在、メインストリームのポップ・ミュージックとの関係で聞かれることがほとんどです。他の国と同じく、明らかにメジャーなシーンとなっています。いまは地元のラッパーと仕事をすることはありませんが、インストゥルメンタルとしてビートを作ったり、自分でそれに合わせて歌ったりすることはありますね。

■フィンランドのヒップホップは若者たちの苦悩や闘争から生まれているのでしょうか?

ボビー:ヒップホップを通じて、いま、白人中産階級の支配の外にいる人たちが強く出てきていることをうれしく思います。女性ラッパーは、家父長制の地殻をようやく突き破りました。また、フィンランド人以外の背景を持つ人たちも、自分たちの経験を持ち出しています。クィアもヒップホップのなかで表現されています。いまのところ僕はストレートにヒップホップのプロジェクトでは活動していませんが将来的にはどうなるかわかりません。

■あなたの音楽のなかには独特なサイケデリックな感覚があると思います。いかがでしょう?

ボビー:昔からサイケデリアは好きでした。この言葉にはいろいろな定義がありますが、僕は、60年代にアメリカのサイケデリアが音楽の主流となる以前から、常に存在していた音楽表現のひとつだと考えています。僕の考えでは、サイケデリアは潜在意識の流れに似ていて、演奏家や歌手の反射神経の現れだと思っています。サイケデリアの雰囲気は、レコーディングのときに顕著になりますが、自分の音楽に常に存在しているひとつの感覚でもあると思っています。

■テキサスのヒップホップ・シーンには、催眠効果を高める "Screwed "という効果があります。サニー&ザ・サンライナーズの 「シュッド・アイ・テイク・ユー・ホーム」のカバーにも同じような催眠的なな感覚を覚えます。なぜ、あのようなスローなカバーにしようと思ったのでしょうか?“Screwed”からのアイディアがあったのでしょうか?

ボビー:あの曲は、あまりテンポを意識していなかったと思います。ただ、オープンマインドでいろいろなテンポを試してみて、いまの自分たちの音作りのニーズに合うものを見つけただけなのです。スクリューやクンビア・レバハダ(訳注:メキシコ北部で盛んな極端にテンポを落としてかけるスタイル)、ダブ・レゲエのようなスタイルなど、僕はもちろんスローテンポが好きです。

■ヴィデオ編集を自身でやっていますが、どこかで学んだのですか?

ボビー:編集を学んだというわけではなく、いろいろと試しながら学んできたのです。楽しいですよ。リズム感みたいなものがすべてだと思っています。

■誰か映像作家の影響はありますか?

ボビー:デヴィッド・リンチやジム・ジャームッシュはもちろん、アキ・カウリスマキも。是枝裕和監督の作品は本当に大好きです。そこには人間の精神や愛に対する深い敬意があります。私のヴィデオでは、奇妙なものやアウトサイダーを描きたいと思っています。

■歌詞は寂しい恋の歌が多いですが、ご自身の経験から書いたものですか?

ボビー:あるものは僕の経験に基づいていて、あるものは私が知っている、あるいは会ったことのある人の経験に基づいています。また何かを読んで得たものも。自身の潜在意識のコラージュのようなもので、結局は自分で作っているのですが。

■吉村弘や坂本慎太郎らの音楽を楽しんでいるそうですが。

ボビー:吉村弘は、現代の超テクノロジー社会から自然体験への通路のようなものを作っているような気がします。私は昔からシンセサイザーやアンビエント・ミュージックが好きでした。坂本慎太郎の音楽は、クリエイティヴィティと自由な作品作りを楽しんでいます。彼はとてもクールで本物です。

■日本ツアーで楽しみにしていることはありますか?

ボビー:まず、僕の音楽を見つけてくれた人たちに会って、曲を演奏するのはとても楽しみです。自分の音楽をきっかけにして日本に行けることにとても興奮しています。ショーでの演奏、また旧友や新しい友との出会い、そしてレコード店やヴィンテージの音楽機材が置いてある場所を訪れたいとも思っています。いつも、様々な形の日本文化にとても刺激を受けてきました。京都は歴史的にとても興味があります。食文化ももちろん。墨絵の原画も見てみたいですね。やりたいことリストがあまりにも長いので、何度も足を運ばなければならないかもしれません。

(翻訳:MUSIC CAMP, Inc.)


来日公演情報

https://m-camp.net/bobbyoroza2022


Bobby Oroza
Get On The Otherside
MUSIC CAMP

interview with Koichi Matsunaga - ele-king

 DJイベントでもなんでも、そこにコンピューマの名前を見つける確率は、彼が仲間たちと精力的にライヴ活動をしていた90年代よりも、ゼロ年代以降、いや、テン年代以降のほうが高いだろう。年を追うごとにブッキングの数が増えることは、近年のアンダーグラウンドにおいては決して珍しい話ではない。シカゴのRP Booやデトロイトのデラーノ・スミスやリック・ウィルハイトのように、大器晩成型というか、年を重ねてから作品を発表する人も少なくなかったりする。ことにDJの世界は、ミックスの技術やセンスもさることながら、やはり音楽作品に関する知識量も重要だ。ゆえにコンピューマのDJの場が彼の年齢に比例して多くなることは、シリアスに音楽を捉えているシーンが日本にはあるという証左にもなる。
 とはいえ、そうした文化をサポートするシステムや人たちが大勢いる欧米と違って、この国でアンダーグラウンドな活動を長いあいだ続けることはそれなりにタフであって、だからコンピューマのようなDJはいままさにその道を切り拓いているひとりでもあるのだ。先日、アルバム『A View』を発表した松永耕一に、まあせっかくだし、これまでの活動を思い切り振り返ってもらった。

当時はそれを世に出すなんてことはとてもじゃないですが考えたことなかったです。「チェック・ユア・マイク」にはバイト仲間の友だちと一緒に応募しましたが、テープの段階で見事に落ちてました(笑)。

音楽活動をはじめてからいま何年目ですか?

松永:音楽活動は、バンド/グループのメンバーとして参加したのはADS(Asteroid Desert Songs)が初めてです。1994年末にADSイベントをはじめて、作品を出したのが確か1995〜6年にEPミニ・アルバムを出してますので、その頃から音楽活動をはじめたということになるのではないかと思います。

ADS( Asteroid Desert Songs)がきっかけだった?

松永:バンドやグループに入って、自分自身が何か楽器を演奏して音を奏でるっていうことは、それまではあまり考えたことがなかったんです。どうにもリスナー気質で、DJはやりたいと思っていましたが。そう、だから聴くの専門で、ただ高校時代ダンス・ミュージックのメガミックスが流行ったり、メジャーの音楽でもホール&オーツでのアーサー・ベイカーのリミックスなどを知ってからは、自宅でラジカセでカセットテープを切り貼りしてみて、下手くそながら連打エディットにトライしてみたり、強引にカットイン繋いだりしてみたり、もちろん遊びの延長で全然上手くできないんですが、雰囲気や気持ちだけは(笑)。
 その後上京して、コールドカットや「Lesson 3」などヒップホップ的メガミックスを知ってから、学生時代に4トラックMTRを使ってトラック作りの真似事やコラージュミックスなどを下手っぴで作ったりしたことはありましたけど、当時はそれを世に出すなんてことはとてもじゃないですが考えたことなかったです。〈チェック・ユア・マイク〉(※90年代初頭にはじまったECD主催のヒップホップのコンテスト)にはバイト仲間の友だちと一緒に応募しましたが、テープの段階で見事に落ちてました(笑)。
 そういうこともオタクDJの延長でやってました。なので、まさか自分がバンド/グループに関わって何か作品を出すことになるなんてことは思ってもいませんでした。

ヒップホップが大きかったんですか?

松永:リスナーの延長線上でも身近に音として戯れられるというか、こういう音の組み合わせにしたら何か新たな発見や楽しみ方ができたりワクワクしたのはあの時代に出会ったヒップホップ的ミックス感覚でした。大好きで影響を受けたのは、いとうせいこう/ヤン富田/DUB MATER X『MESS/AGE』、KLF『Chill Out』に『Space』、デ・ラ・ソウルの1stと2nd、ジャングル・ブラザース、パブリック・エネミー、そしてジ・オーブも。グレイス・ジョーンズ『Slave to the Rhythm』、マルコム・マクラレン『Duck Rock』などもあらためて……こういった作品やアーティストのセンスとユーモア、コラージュ感覚にとても惹かれました。クリスチャン・マークレイの存在もこの時期に知ってさらに世界が広がりました。あとは細野晴臣さん責任編集の季刊音楽誌『H2』の存在も大きいです。

KLFの『Chill Out』と『Space』が出てきたのは、その後のコンピューマの作風を考えてると腑に落ちますね。

松永:大胆なコラージュ感覚とか、惹かれました。アート・オブ・ノイズも大好きでした。

本当にサウンド・コラージュが好きだったんだね。

松永:いま訊かれて気付いたんですけど(笑)。そういう組み合わせの心地よさを無意識に感じていたんでしょうね。学生時代の音楽仲間と、いろんなジャンルのレコードのビートレスの曲のみでノンビートに近いDJミックスを作ったりしていたことも思い出しました。

10代のころ好きだったレコードを挙げるとしたら?

松永:PiL「Public Image」『Metal Box』『This Is What You Want…』、アート・オブ・ノイズ『Who’s Afraid Of The Art Of Noise』『Moment In Love』、プロパガンダ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドまで〈ZTT〉ものが好きでした。

東京出てきてからの方が音楽にハマった感じ?

松永:インターネットもまだなかったですし、当時の同じ地方出身者同様に、熊本での限られた情報のなかで雑誌やラジオ、テレビを聴いたり見たりしながら、ラジオ短波でエアチェックしていた大貫憲章さんの全英トップ20だったり、NHKサウンドストリートだったり、音楽雑誌で紹介されてるアルバムを聴いていました。ただ、小遣いも限りがあるし、いわゆる田舎の普通の高校生の趣味の範疇での世界で、情熱はありつつも、そこまで深追いはできてなかったのではないかと思います。
 思いだすのは、高校入学してすぐに仲良くなった音楽に詳しかった同級生から、彼の寮の部屋でペンギン・カフェ・オーケストラやブライアン・イーノを教えてもらったりして、衝撃を受けたりしてました。環境音楽? アンビエント? こんな音楽もあるんだとか。ヒップホップも、好きだったPiL経由で“World Destruction”を知って、アフリカ・バンバータの存在を認識しました。で、ジャケットがカッコよかった「Renegade Of Funk」の12インチを買ったり……。コールドカットのようなメガミックスものをちゃんと知るのは80年代後半に東京に出てきてからです。そこからまた新たな音楽世界を知っていくことが日々楽しくて楽しくて、友だちとレコード屋行きまくって、もちろん一人でも。当時は試聴もできなかったからレコードのジャケの雰囲気や裏面、見れたら盤面クレジットを舐めるように見て妄想して買ってみて、当たることもあれば、まったく予想と違っていたり、外したり……。ただ、そのときには聴いてよくわからなくても何とかわかろうとする気持ちというか、何度も聴いてみて、そこから新たな発見したりしなかったり……。買ったあろにあーだこうだと語り合ったり、お金もあまりないからレア盤はなかなか買えないし、とにかく安いレコードを買いまくって、そこから新たなグルーヴやあえてビートのない部分でかっこいいパートを探したりもしてました。コラージュするために(笑)。

面白いですね(笑)。

松永:とにかく安く中古レコードを売っているお店に行って、ネタが見つかったらすかさず報告しあう。みたいなことをやってました(笑)。

バイトは?

松永:当時、埼玉県の川越にあった〈G7〉っていうローカルなレンタル・レコード屋さんです。国内盤だけじゃなくて、輸入盤のCDやLP、12"、日本のインディも扱ってました。ヴィデオ・レンタルもやっていたり、なかなかマニアックなものが揃っていましたと思います。そこでの経験や出会った先輩や同僚、みなさんからの影響が大きかったです。

ADSは〈WAVE〉(※80年代から90年代まであって西武資本の大型輸入盤店、当時は影響力があった)で働くようになってから?

松永:そうですね、〈WAVE〉に入ってからですね。ただ、ADSのイベントの初期では、〈G7〉時代の友だちにも手伝ってもらったりしてました。

〈WAVE〉で働くきっかけは?

松永:就職活動の時期、1990年に『ミュージック・マガジン』に〈WAVE〉の社員募集の広告が出ていたんです。〈WAVE〉には当時憧れていたし、よく通ってもいたので応募して、面接も何度かあったりしました。社員入社して……、ちょうどその頃、ヒップホップやダンス・ミュージックを経た新しいタイプの音楽がどんどん登場するような時代だったので。なんとなくですが、自分もそういう新しい音楽をいろいろ紹介できるといいな、という夢を漠然とではありましたが、何となく描いていました。

担当はどこだったでんすか?

松永:入社してすぐは〈WAVE〉の店舗ではなく〈ディスクポート〉という百貨店のなかにあるいわゆるレコード屋コーナーの店舗に配属されて、そのときの上司にお願いしまくって入社2年目にようやく渋谷のLOFTの1階の路面にあった渋谷〈LOFT WAVE〉に何とか移動できたんです。そこで、レジやアシスタント業務をしながら若手の一員としてワイワイと働いていたんですが、『RE/SERCH』誌の「Incredible Strange Music」特集号の出る前、その後のモンド・ミュージック前夜、『サバービア・スイート』が流行りはじめる頃に、そのサバービア関連アイテムを紹介できる小さなスペースをいただいて、本で紹介されていたムード/ラウンジ・ミュージック、エキゾチック・サウンズやオルガン・ジャズ、サントラ、ムーグものなどジャンル分けが難しいような作品やアーチストのCDになっている盤をセレクトして、それにプラス自分の勝手な妄想盤、サン・ラやジョー・ミーク、それに宇川直宏さんが作っていたハナタラシのライヴ音源にボーナス音源でついていたストレンジなムーグものやエキゾチック・ヴードゥーものセレクションCDをどさくさでサバービア関連と一緒に置いてみたりして……。そういえば当時、この売り場を見た橋本徹さんに「これはサバービアでない」と冗談まじりに怒られたり、とにかく無理矢理そういうコーナーをやらせてもらったんです。いま思うとホント勝手な奴で……若気の至りとはいえ、いろいろ反省してます。

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とにかく安いレコードを買いまくって、そこから新たなグルーヴやあえてビートのない部分でかっこいいパートを探したりもしてました。コラージュするために(笑)。

音楽制作をやるきっかけは、村松誉啓くん(マジアレ太カヒRAW )との出会い?

松永:もちろんです。それまで、先ほど少しお話ししたように、学生時代にコンテストへ応募したりもしてみましたが、本格的に音楽制作をやるきっかけは、村松さん、高井(康生)さんと出会ってADSをはじめてからです。

どうやって出会ったの?

松永:ヤン富田さんがプロデューしていたハバナ・エキゾチカ経由でバッファロー・ドーターも好きになって、サバービア橋本徹さんからの紹介でムーグ山本さんと出会いました。当時バッファロー・ドーターが渋谷のエレクトリックカフェでライヴをやるというので、それを見に行って、ライヴ終了後にムーグさんから村松さんを紹介していただいたんです。村松さんは当時、『i-D Japan』という雑誌の編集を手伝っていて、同誌の「オタクDJの冒険」というコーナーを担当していました。だからぼくのほうは勝手ながら村松さんのことを、あのコーナーを担当したあの人だ! と知っていたんです。
 出会った頃の村松さんは、灰野敬二さんのような髪型していて、とんでもなくお洒落で……。当時の界隈ではなかなか存在感のある目立ってた人だったのではないかと思います。高井(康生)さんもそこで紹介されて、全員がヤン富田さんが大好きということで、いろいろ盛り上がって話しているうちに、みんなでDJイベントをやろうと意気投合して。高井さん、村松さんはそれぞれ楽器もできるというので、いろんなアイデアからDJと演奏との実験的セッションみたいなことをDJイベントとしてやってみようと、それがADSのはじまりでした。1994年だったと思います。青春ですね。ムードマン〈M.O.O.D.〉からEPを出してもらう前のことです。


Asteroid Desert Songs
Pre-Main E.P.

M.O.O.D.(1996)

 〈WAVE〉繋がりもあって仲良くしてもらっていた、ちょうどその頃にオープンした〈LOS APSON?〉の 山辺(圭司)さんにもDJをお願いしたり、〈LOS APSON?〉経由で知り合った宇川(直宏)さんにVJをお願いしました。その後、佐々木(敦)さんから四谷P3でのイベント「Unknown Mix」でのライヴに誘われて、村松さんドラム、高井さんがギターを担当するという、バンド演奏に初めてトライしてみました。ベースは当時、村松さんがDMBQのベース龍一君と3人でUltra Freak Overeatというバンドをやっていたんですが、そのベースだった(高橋)アキラ君(アキラ・ザ・マインド)を誘いました。で、ターンテーブルが自分という。消防士のヘルメットをレンタルしてコスプレして、ビーチ・ボーイズの“Fire”をカヴァーしました。ヘルメットで、ヘッドホン・モニターがめちゃくちゃやりずらかったことを思い出します(笑)。

ADSといえば、村松君の機材で変調させた子供声も評判でしたが、あれも最初から?

松永:最初からですね。エレクトロ愛から。チップマンクスはもちろんバットホール・サーファーズもちらり(笑)。

エレクトロ愛が高まったのは、ADSを組んでから?

松永:より高まりました! とにかく、エレクトロ愛は、村松さんと出会ってさらに加速したっていうのはあると思います。

村松くんはもうエレクトロ?

松永:ビリビリにバリバリでした! 自分もそれに感化されながら、日々エレクトロ愛を邁進してました。それと同時に、お互い当時リリースされる数多くの新譜もかなりチェックしてました。

あの時代は新譜が常に最高だったからね。

松永:毎週火曜日でしたっけ? CISCOの壁一面にその週のイチオシのものがバーン! と並んで、全員それを買うみたいな、そういう時代ですもんね。

ADSは2年ぐらいで終わってしまって、すぐにスマーフ男組になるじゃないですか。あれは?

松永:自然の流れというか。もっとエレクトロに絞った活動をやりたくなって、それで、スマーフ男組になったという感じです。

松永くんはまだ〈WAVE〉で働いていたんですか?

松永:渋谷の〈LOFT WAVE〉から関西へ異動を命じられたんですね。非常に悩んだんですが、ADSをはじめてすぐの頃だったんで、どうしてもそのときは東京にいたかった。それで泣く泣く〈WAVE〉を退社して……。その後、タワーレコード渋谷店へ何とか再就職できたという流れになります。

それでいきなり、いまや伝説となったいわゆる「松永コーナー」を作ったんだ?

松永:1995年当時、タワーレコード渋谷店が現在の場所に移転したタイミングでした。6階がクラシックの売り場で、現代音楽の売り場もその階にもあったんです。ただ5階のニューエイジの売り場の隅にも現代音楽の一部も扱いつつ、アヴァンギャルドやその狭間みたいな、ジャンルは何?的な、売り場ではなかなか取り扱いが難しく扱いしづらいアーティストや作品を置けるような……当時は音楽産業絶好調で、しかも大型店だからできたと思うんですが……、余白を扱えるスペースとして機能できそうな売り場を作ることができたんだと思います。
 タワーレコード渋谷店が現在の場所に移転した年で、ぼくはその5Fのニューエイジの売り場へ配属になって、上司や同僚と試行錯誤しながら、お客様やアーティストたちと併走するような形で学ばせてもらい、その売り場を形作ろうとしたように思います。クラシック現代音楽のコーナーにあるようなコンテンポラリー・ミニマルなアーティスト作品から電子音楽、ニューエイジ、アヴァンギャルド、アンビエント、民族音楽、フィールド・レコーディング、効果音、そしてこの時代ならではでのジャンル分けの難しい、規定のジャンルやコーナーでは取り扱いの難しいアーティストや作品を紹介できるような売り場になっていったんです。最初は売り場に名前をつけようがないのでとくに付けてなかったのですが、どうしてもコーナー・サインとして何かしらのジャンル名を付けなくてはならなくなって、ホント難しくて、悩みに悩んで“その他”(OTHERS)コーナーと付けたように思います(笑)。

あのコーナーはホントに面白かったですよ。サン・ラー、ジョン・ケージ、ジョー・ミークやアンビエントまで、ジャンルの枠組みを超えたDJカルチャー的なセンスで展開していました。

松永:そういう時代だったんでしょうね。

赤塚不二夫まで置いてあったよ(笑)。

松永:アニメーション作家レジェンド久里洋二先生の廃盤だったVHS作品をタワレコ渋谷店のみで限定再発とか(笑)。ESGのライヴ・アルバムなんかは、卸業者さんを通じて直接メンバーに連絡してもらい、残っていたCD在庫200枚をすべて卸てもらったり、上司の高見さんがイタリア〈Cramps Records〉のジョン・ケージやデヴィッド・チューダー、アルヴィン・ルシエ、『|Musica Futurista 』(※ルイジ・ルッソロなど、未来派の音楽の編集盤)などの電子音楽の古典的名作アルバムの数々をいち早く独占CD化したり、思い出すといろいろ懐かしいです。
 デヴィッド・トゥープの影響も大きかったです。1996年に『Ocean of Sound』のCDも出たし、あのリリースには勇気づけられましたね。あのコンピレーションがメジャーレーベルからオフィシャル・リリースされたことで、ジャンルを横断的に楽しむってことは、もう普通になりつつあるんだなってことをあらためて感じて。そういう時代が来たんだなと。あれは嬉しかったです。実際、売り場でもものすごく売れました。

幅広いけど音楽への深い愛情と信念、ユーモア、その音楽を自分自身へと浸透させる力、そこへの気持ち、自分の言葉として語ること、宿る気持ち。村松さんはその説得力と音楽愛は半端じゃなかったです。

松永くんはそういう自分のレコ屋のバイヤーとしての仕事をやりつつ、音楽活動もやってきている。だからあの時代のクラブの感じやレコード文化の感じの両方わかっているよね。ところで、スマーフ男組という名前は、村松くんが付けたの?

松永:ふたりでつけたんですよね。ADS(Asteroid Desert Songs)のネーミングからの反動もあって(笑)。エレクトロでは“スマーフもの”っていうスマーフをテーマにしたりタイトルに付けたクラシックがけっこうあって、ブレイク・ダンスの型にも“スマーフ”っていうスタイルがあったり、1980年代、エレクトロとアニメのスマーフがわりと繋がっていたところがあった。スマーフのキャラもかわいいし、村松さんも自分もフィギュアやグッズも集めてたんです(笑)。それとPファンクやヒップホップのように、何とかクルーとか何とかプロダクションとか、次々と入れ替わり立ち替わりメンバーを迎え入れる不定型の集まりでいるような、そういうものにもどこか憧れていたので、それで男組になったんです(笑)。とはいえ、結局のところは村松さんとアキラくんと自分、ほぼこの3人での活動でしたが(笑)。

スマーフ男組の最初の音源は?

松永:〈P-Vine〉から出たマイアミベースのコンピ(『Killed By Bass』1997年)だった気がします。そのあとに〈File〉からの『Ill-Centrik Funk Vol. 1』(1998年)。〈Transonic〉からの『衝撃のUFO 衝撃のREMIX』(1998年)への参加だったと思います。


Various
Ill-Centrik Funk Vol. 1 (Chapter 2)

File Records(1998)

松永くんから見て村松くんはどういう人だったの?

松永:天才ですね。ADS、スマーフ男組と一緒に活動させてもらっていましたが、ある意味では、自分も村松さんのファンで、村松さんの才能やすごさを世に伝えたいっていう気持ちがずっとあったように思います。

彼の海賊盤のミックスCDを聴くと、フリー・ジャズからポップスまで、選曲が本当に自由じゃないですか。あのセンスはずっとそうだったんですか?

松永:ずっとそうですね。幅広いけど音楽への深い愛情と信念、ユーモア、その音楽を自分自身へと浸透させる力、そこへの気持ち、自分の言葉として語ること、宿る気持ち。その説得力と音楽愛は半端じゃなかったです。掘り下げ方、レコードやCDクレジット、ジャケットや盤面への思い、愛情と向かい合い方、情熱、気持ち。姿勢、本当にオールタイムで学ばせてもらったというか。

ぼくはこういう仕事してるから音楽好きに会うんですけど、でもその「好き」の度合いが、けっこう軽かったりする人も少なくないんです。でも村松くんの「音楽が好き」っていうときの「好き」は、すごいものがあったよね。

松永:ホントそうですよね。そして、どこかカリスマ的なユニークなスター性もあったというか。


スマーフ男組
スマーフ男組の個性と発展

Lastrum(2007)

Smurphies' Fearless Bunch* And Space MCee’z
Wukovah Sessions Vol. 1

Wukovah(2007)

『スマーフ男組の個性と発展』は、本当はもう少し早く出すはずだったんだよね?

松永:『Ill-Centrik Funk』が98年なんで、本当はその後すぐに出ていてもおかしくなかったんですよね。でも、そこから10年くらいかかってしまいました(笑)。ただその分、なんとも味わい深いアルバムができたと思うんですが、ADSからスマーフになって、その勢いがある時期でのリリースは完全に逃してしまいました。(笑)。
このデビューアルバムをリリースした後に下北沢〈Slits〉スタッフだった酒井(雅之)さんに声をかけてもらって、 酒井さんのレーベル〈 Wukovah〉からSpace MCee'z(ロボ宙とZen-La-Rock)とのJohn Peelセッションばりのスタジオ・セッション・アルバム(『Wukovah Sessions Vol. 1』2007年)をリリースしたんです。このプロジェクトを経て、スマーフ男組のライヴ・バンドとしての新しい可能性も感じて、メンバー3人ともすごくフレッシュな気持ちでそこへ向かい合っていました。その頃はたくさんライヴもやったんですよ。

音楽活動とレコ屋での仕事とのバランスはどういうふうに考えてました?

松永:もう両方やってくしか生活できないっていう、ただそれだけです(笑)。

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悪魔の沼を10年以上まだ続けられて、現在もオファーをいただけて3人でプレイできているというのはホントにありがたい限りで、はじめた頃のイメージからすると信じられないありがたさです。

DJはもうスマーフになってからはやってました?

松永:DJはADSをはじめる前、〈WAVE〉に入った頃に六本木〈WAVE〉にいた同期入社だった井上薫君や現kong tong福田さんに誘ってもらって西麻布にあった〈M〉(マティステ)でやらせてもらうようになって、そこからADSイベントにもつながっていくのですが、スマーフ以降2000年代以降の大きな経験ということであれば、(東高円寺のDJバー)グラスルーツの存在が大きいです。店主であるQくんにDJ誘っていただいて、あの場所でいろいろと鍛えられました。タワーレコード渋谷を離れた頃、2004年、毎月水曜平日の夜中に「コンピューマのモーレツ独り会」っていう一人DJ会を1年間、全12回をやらせてもらったり。翌年には「二人会」シリーズ「ふらり途中下車」になって、これ以降、グラスルーツを拠点にDJとしての活動が本格化したように思います。

自分のレーベル〈Something About〉もはじめますよね? 最初は自分のミックスCDだったね?

松永:そうなんです。『Something In The Air』という自分のミックスCDでした。ちょうどそのときもリリース後にele-kingのwebサイトで野田さんに取材(Something In The Air)していただきました。2012年なんで、もはや10年前なんですよね。時間が経つのが早すぎます。

はははは。

松永:このミックスCDをリリースする2010〜11年頃は、個人的にもプレイスタイルの過渡期で、自分のDJスタイルを見つめ直していた時期でした。引っ越しもあったりして、あらためてレコードやCDのダンボールを整理したりしつつ、タワレコ渋谷5F時代に紹介した電子音楽や実験音楽などのCDをあらためて聴き直したりして、自分なりにDJミックスの表現の可能性を追求してました。東日本震災も大きいかもしれません。そんな中で生まれたのが『Something In The Air』でした。

あれはまさにサウンド・コラージュ作品だったよね。

松永:この作品を制作するにあたって、密かに大きかったのが、2000年代初頭、永澤陽一さんのパリコレのファッションショーの音楽を担当する機会をいただいて、テーマや意向を詳しく教えてもらって、それをイマジナリーに音や音楽に変換してみて、その候補になりそうな音源サンプルを打ち合わせの際にたくさん持っていって、それらをひとつひとつ聴いていただいて、そのなかからじょじょに絞っていきながら、最終的に絞り込まれた厳選音楽素材、それらの音源を組み合わせてショーの音楽を構築していきました。10〜15分ほどの短いショーの時間内で、その音世界としてどのように起承転結を作ってくかというときに、自分の技術力の問題や選ぶ音楽の傾向や種類も関係したかもしれませんが、ビートが強くある曲を選ぶと、どうしてもBPMで繋いでいかなきゃいけなくなったり、カットアップ&カットインのポイントやタイミングの難しさや違和感にも繋がるから、なるべく柔らかに変容していくようにするために、どうしてもビートのあまり強くないものやノンビートのものを意識して選んでミックスしていたんです。その頃の経験が、その後『Something In The Air』でミックスしているようなことに繋がっていったように思います。

どんな感じだったんですか?

松永:拙い英語力なので、コミュニケーションもままならないなか、現地スタッフさんと一緒にルーブル美術館の地下のフロアでひとり冷や汗かきながらMDプレイヤー数台とラック式CDプレーヤーを数台積んで。PA卓でショーのリアルタイムでプレイをトライしてました。モデルさんの出るタイミングやシーンの雰囲気の変わるタイミングを察しながら、舞台監督からの指示をもう片方の耳でモニターしながらでのプレイでもあるので、もうそれが半端じゃない尋常じゃない緊張感というか、絶対にミスれないので、めちゃくちゃドキドキで、かなり鍛えられた気がします。その経験を4〜5年やらせていただいたように思います。でもそのときの思い出として、ショーを無事に終えれてフィナーレのタイミングで拍手をもらったときの嬉しさやホッとする安堵感はいまでもたまに思い出します。貴重な経験させてもらいました。


Something In The Air
mixed by COMPUMA

2012

『Something In The Air』はエディットなしのライヴミキシング?

松永:基本そうですね。

それはじつに興味深いですね。で、『Something In The Air』は当時すごい反響があった。

松永:うーん。どうなんでしょうか。やっぱりアンダーグラウンド・リリースですし。でもあの作品をリリースしたことは自分にとってとても大きかったように思います。

コンピューマ作品のひとつの原点になったよね。

松永:それは本当そうですね。ありがとうございます。

松永くん個人史のなかで、人生の節目というのはいつだったと思いますか? 

松永:そうですね。ソロ名義のアルバムをリリースしたいまのタイミングも大きそうな気がしますし、まだまだこれから先も続いていく、続いていってほしいとも思ってます。なので、これから先にもまだまだそのようなタイミングがいくつかあるかもしれませんが、これまでということで考えてみると、さっきとも重複してしまいますが、やはり震災を経て2012年初頭『Something In The Air』、あの作品をあのタイミングでリリースしたことは大きいかもしれません。自分のなかですごく楽になったというか、励みになりました。こういう世界観やプレイスタイルもDJ ミックスとしてトライしていいんだっていう、自信とまではいかないですけど、もっとやっていいんだ、ということに繋がったと思います。それと2017年に浅沼優子さんの尽力のおかげもあって、ドイツ〈Berlin Atonal〉へ出演できたこと、そこでDJ経験できたことも大きいと思います。何か景色が変わった気がします。

いっぽうで悪魔の沼もはじめます。

松永:下北の〈MORE〉、厳密にいうと〈MORE〉店長だった宮さんがその前にやっていた同じく下北沢ROOM”Heaven&Earth”ではじまったイベントだったんです。メンバーのAWANOくんから「沼」をテーマにイベントをやるので一緒にやりませんかと、そして、何かいいタイトルないですかと相談されて、そのときに「沼」と聞いて、瞬間的にトビー・フーパーの映画『悪魔の沼』のポスターの絵、大鎌を振り回すオッサンのあの絵が頭にパッーと浮かんだんです。それで冗談まじりに『悪魔の沼』」はどうですか? と(笑)。で、AWANO君から「誰か一緒にやりたい人いますか?」と尋ねられて、その頃自分は勘違いスクリュー的なプレイを盛り上がってよくやってた頃で、コズミック(イタロ・ディスコ)が再評価された後の時期でもあったので、西村(公輝)さんは面識はあったのですが、それまではDJご一緒したこともほぼなかったんです。AWANO君と西村さんは学生時代から縁もあって、それもあって西村さんとご一緒できたらと思って声をかけていただきました。悪魔の沼イベント初期は全編ホラー映画のサントラのみでトライしてみたり(笑)。初期は一人30分交代だったので一晩で3〜4セットをプレイするという、皆レコード中心だったので準備だけでもなかなか大変で、かなりしごかれました(笑)。オリジナルメンバーとしては二見裕志さんも参加されてました。一時期、1Drink石黒君も参加していたこともありました。そんなこんなを経て、現在の3人になりました。その頃に、ミヤさんに「3人でback to backでやってみたら」とアドバイスもらい、試しにそれをやってみたことがきっかけで現在のスタイルに繋がってます。
〈MORE〉時代の沼イベントは、およそ季節ごとの開催でした。フリーゆで卵とか、フリーわかめとか、幻や沼汁というドリンクあったり(笑)、毎回ゲストを迎えながら、ダンス・ミュージックながら自由に沼を探ってました。

これだけ長く続いているのは、やっぱ楽しいから?

松永:自分的には、ADS、スマーフ男組を経て、そしてDJの延長線上でもあったし、沼がテーマでしたし(笑)、なんだかとても気持ちが楽だったんです。季節ごとにやる趣味の会合や寄り合いくらいの感覚だったというか、なので、10年以上まだ続けられて、現在もオファーをいただけて3人でプレイできているというのはホントにありがたい限りで、はじめた頃のイメージからすると信じられないありがたさです。西村さん、AWANO君との共同プレイで、ヒリッとした刺激はもちろん、毎回の化かし合い含めて切磋琢磨し続けられているのはホントにありがたいなと思ってます。

松永くんはDJをやめようと思ったことってないの?

松永:いまのところ意識的にはないですね。ただ、いつまでこういうことを現場でやっていけるのか。やっていいのか。やり続けていいのか。ということはここ最近何となく思うこともあります。コロナ禍以降、最近は、より若い世代や幅広いジャンルの素敵なDJやアーチストさん、バンドとご一緒する現場も多くて、幅広い世代の皆さんと一緒に音を奏でられることにも大きな喜びを感じてます。それと長年サポートしてくれている友人と家族には感謝の気持ちでいっぱいです。

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もう本当にそれはありがたい限りでして。一緒に遊ばせてもらってるっていうか、彼らと話していると、たまに、「お父さんと(お母さんと)同い年です。コンピューマさんの方が年上です。」とか話してくれたり(笑)。

それで、今回のアルバム(『A View』)が、これだけ長いキャリアを持ちながら、初めて自分の名前(COMPUMA)で出したアルバムになるんですよね。

松永:はい。

元々は演劇のために作ったものを再構築したっていう話なんですけど、作り方の点でいままでと変わったところってあります?

松永:僕はミュージシャンではないので、できることがかなり限られてるんです。だから、ある意味で音楽を作る場合は、諦めからはじまるともいいますか。今回の作り方も基本的にはそういう意味では一緒なんですが、ここ近年での制作は、今作も含めて、Urban Volcano Sounds/Deavid Soulのhacchiさんの存在はすごく大きいです。

ダブでやミニマルであったり、松永くんのDJミキシングのサウンドコラージュ的に作っていたものとはまた違うところにいったように思いました。

松永:今回は、北九州の演劇グループ〈ブルーエゴナク〉さんからオファーいただいた演劇『眺め』のための音楽が基になってます。 2021年春頃に〈Black Smoker〉からリリースした『Innervisions』というミックスCDがありまして、その内容がかなり抽象的な電子音のコラージュが中心で、ダンス・ミュージックと電子音楽の狭間を探求するような、わりと内省的な内容だったんですけど、ブルーエゴナク代表の穴迫さんがこのミックスCDを購入していただいたようで、そこからオファーをいただきました。自分的には当初『Innervisions』の感じの抽象的なものだったら何とかできるかもしれないと思って、リクエストもそんなような感じの内容だったんで、それであればいけるかもということでお受けしたんですが、具体的に進行させたところ、実際にはかなり場面展開もあって、抽象的な音がダラッと流れるだけじゃどう考えても成立しないということがわかって、しかも九つの場面用の音楽が必要ということで、実のところかなり焦りました(笑)。
そこからBPM90でミニマル・ミュージックというお題をいただいたり、台本から音のイメージにつながる言葉をいくつもいただいて、それらの言葉をイマジナリー音に変換していって、それらをパズルのように組み合わせて試して構築していきながら制作を進めました。

『眺め』という言葉を松永くん的に音で翻訳してたと思うんですけど、どんなふうに解釈してどんなふうに捉えていったんですか?

松永:演劇タイトル「眺め」から当初感じていたのは、何となく、どこか遠くからというか、俯瞰してるような感覚でした。ただ、制作を進めていく中で、これは俯瞰だけではなくミクロでマクロな世界観も含めての「眺め」なんだと再認識しました。

穴迫信一さんさんのライナーノーツにすごくいいことが書いてありました。希望が見えない時代のなかで、いかにして希望を見つけていけばいいんだろうみたいな、それを音に託したというような話があって。

松永:本当に恐縮で素敵なライナーノーツをいただきました。そして何より演劇の音楽を担当するという貴重な機会をいただいて心から感謝してます。

松永くんの関わってきた音楽作品はダークサイドには行かない、それは意識していることなんですか?

松永:そうですか。そういうイメージなんですね。そこは無意識でした。ダークサイドに行っているか行ってないかどうかは自分ではわかりませんが、今作に関しては、演劇のための音楽でしたので、舞台と装置、照明や映像、お芝居もそこに入ってくるので、そういう意味では、今まで作った作品以上に、どこか余白の部分が残ることを意識した音、イメージとして何か少し足りないくらいの音にすることは意識しました。あとは、何と言いますか、何でもない、聴き疲れしまい音を目指すと言いますか、、

それはなぜ?

松永:最初は自分の持っているシンセなどで用意した個性的な音を合わせたりしたみたんですが、どうにも今回は、なんだかイメージが合わなかったんです。それとミニマル・ミュージックというテーマもいただいていたので、そこも意識しながら発展させてみました。何も起こらない感覚といいいますか、インド古典音楽ラーガ的メディテーショナルな世界も頭のなかに浮かびつつ。

いまでもレコードは買っていますか?

松永:新譜も中古もレコードもCDも買います。カセットテープもたまに。データで買うものもあります。全部のフォーマットで買ってますね。笑

いま関心があるジャンルとかあります?

松永:オールジャンル気になった新譜をサブスクで軽く聴いたり、そこから気に入ったものはCDやレコードでも買ったりするんですが、サブスクって、ふと思ったのですが、便利なので活用しますが、何と言いますか、聴いてるけど何となく聴いた気にだけなっているというか、しっかりと自分の中に沁み込んでこないというか。年寄りだからなのかもしれませんが、レコードCDで購入する音源への思い入れが強すぎるのかもしれませんが、長年の習慣での癖が抜けきらないんですかね。購入したものでないとなんだかしっかりと頭に記憶されないというか(笑)。DJプレイに関わるものはまた別ですが、リスニングするものは幅広くオールジャンルに話題作、旧譜もチェックしてます。これも年のせいなのか、より耳疲れしないような音楽と音量や距離感を求めているようにも思います。

最近はどのぐらいの頻度でDJやってるんですか?

松永:DJは平均すると週1〜2回くらいでしょうか。その時々によって差があるかもしれません。

コロナのときは大変だったよね。

松永:DJほとんどやってなかったんで家にずっといて、街も静かだったじゃないですか。いろんなことを考えさせられました。東京も、こんなに静かなんだとも思って。

なんかこう将来に対する不安とかある?

松永:それはもうずっとあります(笑)。凹んだり落ち込むようなことが多い世のなかですけど、少しでもいいところや心地いいところ面白いところを探していけたらと努めてます。息子達の世代が、少しでも未来に希望を持てるようなことを伝えられたり作っていってあげたいなというのが正直な気持ちとしてもあります。現実には、いろいろとなかなかハードなところだらけじゃないですか。だから、何かちょっとでも明るい未来を感じられるような気持ちと視点でありたいなという願望かもしれません。

松永くんからみて90年代ってどういう時代だったと思います?

松永:自分の勝手な解釈なんで違うかもしれませんが、90年代といまが違うとしたら、妄想力の違いでしょうか。当時はまだインターネットがなかったから、海外のマニアックな音楽や文化に関しては、勘違い含めて、皆が妄想力でも追求して熱量で挑んでいたと思うんですね。DJ的センスが良くも悪くもいろいろな場面で浸透しつつあって、その感覚でいろんな視点から色々な時代いろんな音楽を面白がる感覚がより世間的にも広がっていくような感覚が90年代に誕生したんではないかとも勝手ながら思います。インターネット以降、とくに最近は、やはりその知り得る情報の正確さ、速さが90年代とでは圧倒的に違うと思うんです。勘違いの積み重ねや妄想の重ね方の度合いは90年代の方が圧倒的に高かったと思うんですよね。翻訳機能のレベルも高くなりましたし、ただ、SNS含めて情報量がとにかく多すぎるので、本当に自分のとって必要な情報を選ぶことが大変な時代になっているような気もしてます。それはそれでなかなかに大変ですよね。自分でも何か検索すると同じような情報がたくさん出過ぎて、どれを読めばいいのか、ホントに知りたい正しい情報まで逆に辿り着けなくて、それだけで疲れてしまうことも多々あったりしますし。
 とは言ってもインターネットは便利ですし、音楽制作においてもDJにおいても素材集め含めてとんでもなく早く集められるし、それを活かせる環境があるから、90年代と比べると洗練された上手いDJプレイをできると思うんですよね。ただ、一概に比較は難しいのですが、どっちが好みかというのはまたちょっと比べられないですよね。どっちにもカッコよさもありますし、かっこよすぎてかっこよさ慣れしてしまう感覚もありますよね。

松永くんは世代を超えて、若い世代のイベントにも出演しているわけだけど。

松永:いや、もう本当にそれはありがたい限りでして。一緒に遊ばせてもらってるっていうか、彼らと話していると、たまに、「お父さんと(お母さんと)同い年です。コンピューマさんの方が年上です。」とか話してくれたり(笑)。

(笑)でも、DJの世界は、音楽をどれだけ知っているかが重要だから、ベテランだからこそできることっていうのがあるわけなので。

松永:ここ最近「沼」のメンバーとは会うたびに、こんなおっさんたちが、果たしていつまでこういう現場にいていいものかどうなのかっていう話にはいつもなります(笑)。

はははは。でも、続けてくださいよ、本当(笑)。最後に、〈Something About〉をどうしていきたいとか夢はありますか?

松永:今回もいろいろな皆さんの協力のもと、自主リリースでソロ名義で初めてのアルバムをリリースすることができて本当にありがたい限りなのですが、このCDリリースをきっかけにして、ここから新たないろんな可能性を探求できたらと思ってます。できることなら海外の方にも届けられたらとも思いますし、デジタルやアナログ・リリースも視野に目指してみたいです。自分なりのペースにはなりますが、これからもオヤジ節ながらトライしていきたいと思います(笑)。精進します。どうぞよろしくおねがいいたします。
 それと9/30金に、渋谷WWWにてリリース・イベントを開催させていただくことになりました。最高に素敵な皆さんに出演していただくことになりました。よろしければ是非ともです。よろしくお願いいたします。


COMPUMA 『A View』 Release Party

出演 :
COMPUMA
パードン木村
エマーソン北村
DJ:Akie

音響:内田直之
映像:住吉清隆

日時:2022年9月30日(金曜日)開場/開演 18:30/19:30
■会場:渋谷WWW
■前売券(2022年8月19日(金曜日)12:00発売):
一般 : 3,000円/U25 : 2,000円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
■当日券 : 3,500円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
■前売券取扱箇所:イープラス<https://eplus.jp/compuma0930/
■問い合わせ先:WWW 03-5458-7685 https://www-shibuya.jp/

※U25チケットは25歳以下のお客様がご購入可能なチケットです。
ご入場時に年齢確認のため顔写真付き身分証明書の提示が必要となります。
ご持参がない場合、一般チケットとの差額をお支払いいただきます。

interview with Kode9 - ele-king

 まずは2曲め “The Break Up” を聴いてみてほしい。最先端のビートがここにある。
 振り返れば00年代半ば~10年代初頭は、グライムにダブステップにフットワークにと、ダンス・ミュージックが大いなる飛躍を遂げた画期だった。そんな時代とつねに並走しつづけてきたプロデューサー/DJがコード9である。レーベル〈Hyperdub〉のキュレイションを見てもわかるが、その鋭い嗅覚はここ10年でもまったく衰えることを知らない。7年ぶりの新作『Escapology』は、彼のルーツたるジャングルはもちろん、ゴムやアマピアノといった近年のトレンドまでもを独自に咀嚼、じつにカッティング・エッジな電子音楽を打ち鳴らしている。2022年のベスト・アルバムのなかの1枚であることは間違いない。とりわけクラブ・ミュージック好きは絶対にスルーしてはいけない作品だろう。
 他方 『Escapology』 は、深いテーマを持ったアルバムでもある。音楽家として次なるステージへと進んだスティーヴ・グッドマン、新作のコンセプトについて髙橋勇人が話を聞いた。(編集部)


カレドニアの闇の奥、あるいは宇宙への脱出

「年に二、三回、家族に会うためにグラスゴーに帰ってきているんだよね。それで、ここ10年くらいは子どものときには全然知らなかったスコットランドのハイランド地方と恋に落ちてね。だからロンドンから逃亡(escape)するために友だちを連れて、ただドライヴをしているんだ」、と約束時間の朝10時30分きっかりにズームの画面に現れたコード9ことスティーヴ・グッドマンは、サウスロンドンにいる僕に話す。
 彼の7年ぶりのアルバムとなった『Escapology』のライナーノーツを僕が担当したのだが、その執筆のための取材を、両親が暮らすスコットランドのグラスゴーの実家から受けてくれたのだった。グッドマンが生まれ育った街である。
 以前、野田努と自分の対談で話したように、〈Hyperdub〉はアヤロレイン・ジェイムズなど、若手の先鋭的なミュージシャンを紹介し、グッドマンは盟友のスクラッチャDVAやアイコニカとともにゴムやアマピアノといった南アフリカのサウンドシステム・ミュージックを世界のクラブでプレイしてきた。今作はその音のフィードバックが期待されるアルバムでもある。
 また『Escapology』は2022年10月にリリース予定のコード9名義でのオーディオエッセイ/サイエンス・フィクション作品『Astro-Darien』のサウンドトラックという立ち位置である。こちらは日本の文化的文脈でいうならば、ドラマCDのサウンドに特化したもの、と理解できるかもしれない。
 最近、日本でも紹介が進んでいるマーク・フィッシャーやニック・ランドといった哲学者/理論家たちとともに、グッドマンはウォーリック大学の修士と博士課程で学び、哲学の博士号を取得。その研究の成果や音の文化への関心は、武器としての音や彼がDJ/プロデューサーとして発展に貢献したダブステップの重低音に着想を得て執筆した著書『Sonic Warfare: Sound, Affcet, and the Ecology of Fear』(2010年)へと繋がる。グッドマンはフルタイムで音楽活動をはじめる以前、2004年に始動した〈Hyperdub〉と並行しながら、東ロンドン大学でサウンド文化を教えていた。
 グッドマンが哲学にはまったのは、法律を学んでいたエジンバラ大学時代に哲学者ミシェル・フーコーを発見したときで、ウォーリック時代に彼が在籍していた学術グループ、サイバネティクス文化研究ユニット(Cybernetics Culture Research Unit:CCRU)では、ポスト構造主義があまり扱っていなかった唯物論の観点からデジタル/テクノロジー文化やサイエンス・フィクションへと焦点を当てるようになる(この詳しい話はまたの機会に)。このとき、CCRUではフィクションを通して世界を理論的に記述するセオリー・フィクションというスタイルが生まれており、このオーディオエッセイもある意味ではその延長線上にあるともいえる。

こういった未来的なシナリオを描くことによって、僕は神話を作っているという意図もある

 作品の物語を説明しよう。舞台となるのは、歴史と政治的事象を共有した架空の現代のスコットランド。同国に拠点を置くゲーム会社トランセスター・ノースのゲーム・プログラマー、グナ・ヤラは、スコットランドがイギリスの連合から独立できず、さらにブレグジットが決定した政治状況に不満を感じている。パナマとスコットランドの混血であるヤラは、かつてスコットランドが企て、イングランドやスペインの妨害によって頓挫した同国によるパナマのダリエン地方を植民地化するというダリエン計画に注目する。17世紀末に企てられたこの失策は、スコットランドの財政悪化を招いた一因とされ、1707年のスコットランドが現在の形のユナイテッド・キングダム(UK)に統合されるきっかけのひとつだったと考えられている。周知の通り、当時のイングランドは植民地政策と奴隷貿易を行なっていたわけだが、スコットランドも負の歴史へと加担していくことになる。
 ヤラはそのような植民地主義の歴史や、自分のルーツでもあり当時のスコットランドの理想となったダリエンという外部に着想を得る。物語の世界線でも、スコットランドは住民投票でUKからの独立に失敗し、UKはEUから離脱している。そのようなスコットランドが直面する現在の政治的閉塞状況に苛まれるヤラは、宇宙へと「アストロ・ダリエン」という名のスペース・コロニーをスコットランドが打ち上げるというゲームをプログラムする。ここでシミュレートされるのは、政治的/歴史的袋小路からの宇宙への脱出術(Escapology)なのだ。
 この作品を僕は一足先に聴くことができたのだが、そこには直線的なタイムラインはなく、混沌としたサウンドの奥で、断片的に異なるストーリーが「鳴っている」ような作品だった。「彼女が住むスコットランドから、1690年代のダリアン地方へとヤラの思考はフラッシュバックしたりする。だからその物語は時系列に沿ったものではなく、あくまで彼女の思考を追ったものなんだ。まるで密林を、あるいはジョセフ・コンラッドの『闇の奥(Heart of Darkness)』の物語を突き進むようにね。いうなれば『カレドニア*1の闇の奥』さ」

 「作品に取り掛かったのは2019年で、そこから徐々に物語を組みはじめた。アイディアの醸造はもっと前からはじまっていたけどね。2014年のスコットランド独立住民投票、2016年のブレグジットが決定した投票などがあったからさ」とグッドマンは説明する。
 本作はそもそもピエール・シェフールらミュジーク・コンクレートの創始者たちの現代音楽機関、フランス音楽研究グループINA GRMのイベントでのライヴのために製作されたものだった。
 「2020年3月に、GRMのためにパリのラ・メゾン・ドゥ・ラ・ラジオ(La Maison de la Radio)でライヴをする予定だったんだけど、パンデミックでそれが年末に延期になって、それがまた延期になった。最終的にそれが2021年10月、場所はフランソワ・ベイルのアクースモニウムになって、それを念頭に作品を書いていた」
 パンデミックを挟んで製作され、さらに構想が広がった『Astro-Darien』の表現形態は、ライヴだけではなく、オーディオエッセイとしてのリリース、さらには映像を使用した、ロンドンのクラブ、コルシカ・スタジオで開催されたインスタレーションや後続のミュージックビデオ作品としても発展していく。

 『Escapology』のリリースに合わせて発表された、同アルバム収録曲 “Torus” のビデオでは、スペース・コロニーとしてのアストロ・ダリエンの内部が描かれ、そこにはスコットランド北部のハイランド地方の自然が広がっている。ここにはどのような背景があるのだろうか。
 「パンデミックのロックダウン中、小島秀夫のゲーム『Death Stranding』をよくプレイしていて、ゲーム内でヴァーチャルのハイキングをたくさんした。それで『自分の実生活でもハイキングをしないとダメだ!』って思うようになってね。それまでの人生でハイキングなんてしたこともなかったのに、そこからまさか自分が実際にスコットランドでハイキングをするなんて、ほんと典型的なハイパースティション*2だ(笑)。それでちょうどCovidによるロックダウン(都市封鎖)が一時的に解かれた2020年の10月に、友だちとスコットランドのマンロー*3を訪れた。僕たちが行ったのは、ハイランドの最も北に位置するベン・ホープというマンローだった。『Escapology』に入っている “In the Shadow of Ben Hope” はそこに由来している。なんでベン・ホープに行ったのかというと、人工衛星の打ち上げ場の開発現場がその山のすぐ隣にあったから。『Astro-Darien』で使用された映像のいくつかは、ベン・ホープの頂上で撮影されたものだね。アイル・オブ・スカイにも行った。そこには『エイリアン』シリーズの映画『プロメテウス』の撮影にも使われたオールド・マン・オブ・ストー(Old Man of Storr)という垂直に岩がそびえ立つ場所があるんだけど、そこも登った。前にもその場所を見たことはあったんだけど、映画を見て興味を持ったんだ。それが “Torus” のアニメーション内で再現されている」

Kode9 - Torus

画面はゲーム『Astro-Darien』の画面になっており、ミッションやレベル、イングランドの経済的攻撃への対抗措置としてスペース・コロニー内で使用される暗号通貨「Nicol」の所持数などが表示されている。暗号通貨名はスコットランド国民党党首ニコラ・スタージョンに由来。

 このように、『Astro-Darien』におけるスコットランドの自然描写は、同国の地理学的特性の表現と、そこで現在起こっている文化的事象ともリンクしたものになっている。登場人物ヤラが働くトランセスター・ノースにも、現実の文化との関連がある。
 「犯罪シミュレーション・ゲーム『グランド・セフト・オート』の開発元のロックスター・ノースはスコットランドの会社だけど、彼らがアメリカのストリート・ライフをシミュレートする代わりに、スコットランドとそこで起こっていることに関するゲームを作ったらどうなるんだろうと思ったんだよ。それでロックスター・ノースをトランセスター・ノースに変えて、実際には存在しないゲームのありうる姿を想像している」
 またそこには、『Astro-Darien』でのテーマである、スコットランドの政治状況もリンクしている。“The Break Up” のビデオは、グッドマンがハイランド地方のロードトリップ中に撮影したものを編集し、ゲーム内のミッションである宇宙への逃亡のためにスペース・ポートへと可能な限り早く到達する様子を、ゲームのスクリーンを模して表現したものだ。この楽曲タイトルは、あるスコットランドの理論家から採られているとグッドマンは説明する。
 「楽曲タイトルの元にはあるのは、1977年に出た本『The Break-Up of Britain』だね。著者はマルクス主義社会理論家のトム・ネアン(Tom Nairm)で、彼は歴史学者のペリー・アンダーソンとも仕事をしている。その本は、グローバル化、歴史の終わりなどに際して、ナショナリズムに一体何が起こるのかについて書かれている。触れられているのは極右ナショナリズムやスコットランドやカタロニアで見られるような市民的ナショナリズム(Civic Nationalism)*4だね。これは不可避なUKの分裂に関するとても予言的な本なんだよ。
 『Astro-Darien』の物語にも出てくる、伝染性の白い泡(Contagious White Foam)に沈んだブリテン島は、僕が描く分裂するディストピックなUKだ。これはパンデミックとブレグジットの混合物の例えだね。その泡が人びとの間でパラノイド的精神病を引き起こし、「白い泡」というのは白人主義的英国ナショナリズム、という設定だ。スペース・ポートへの逃亡は、UKを支持する統一支持者(Unionist)から高速で逃げるスピード・チェイス、というわけ」

Kode9 - The Break Up

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ジャングルはどんなダンス・ミュージックよりも、ポリリズム的で回転的な力(フォース)がある。

 グッドマンは『Astro-Darien』をフィクションでありドキュメンタリーでもあるような作品だと捉えており、「この現実性の枠組みをゲームとして組み直している感じだ」と説明する。同作内では実際のニュース音声などが、物語のナレーションとともに引用され、展開されていくが、このように現実とフィクションが入り混じり、いま実際に起きていることを浮かび上がらせていく。ここで描かれるのは、リアリティの描写と、そこから派生していく架空現実なのである。
 またゲーム化していくような現実をサイエンス・フィクションから描いた意図も彼は説明する。「2014年の独立投票は失敗し、スコットランド国民党は次の独立投票を2023年に計画している。この期間に僕はこれがゲームみたいなもののようにも感じはじめたんだよね。もしゲームで失敗したら、またそれをプレイするまでで、それが『Astro-Darien』にも通じている。もし結果が気に入らないのであれば、またプレイするまでだ、と」
 ここにおいてフィクションがどのように機能しているのか、グッドマンは加速主義*5を扱った以前のプロジェクトと関連させて説明する。「前のプロジェクト『The Notel*6』は右派と左派の加速主義の対立についてのもので、その両方をおちょくった作品だった。同じように、この『Astro-Darien』は左派加速主義のシナリオを、わずかながらに誇張しつつ想像している。地球を離れるとか、そういう設定でね。技術的に強まった社会主義的な未来は、スコットランド独立が目指すものであるのは間違いない*7。独立派の主な理由は、スコットランドがイングランドよりももっと左派的であるという点にある。だからこういった未来的なシナリオを描くことによって、僕は神話*8を作っているという意図もある」
 グッドマンはここで、黙示録的サイエンス・ファンタジー『ラナーク』で知られる小説家、アラスター・グレイ(Alasdair Gray)が指摘するグラスゴーとパリやロンドンといった大都市の違いに触れている。後者の二都市は、映画などのヴァーチャルな世界で頻繁に描かれることによって、聴衆が都市を訪れる前からその場所性を思い描けるようなフィクショナルな空間である。対して、グラスゴーにはそのようなヴァーチャルな領域が少なく、閉所的な場所になっている。
 こういった地政学が現実を作っている*9。実際にはありえないが、可能性としてはありえる事象を描くことができるフィクションという手法を用いて、スコットランドという文化的空間が持つ可能性を神話化し、現実の一側面を強調する作業をグッドマンは行なっている。
 「(これが)『Astro-Darien』のナレーションが、スコッティッシュのテキストスピーチ音声になっている理由でもあるんだよね。大体のコンピュータ化されたテキストスピーチ音声ってイングランドかアメリカン・アクセントで作られている。だから自分の作品ではこの理由からスコティッシュ・アクセントを使いたくてね。それで数は少ないけど5個くらいの音声を見つけることができた。コンピュータ化されたスコティッシュ・アクセントを通して、つまり、若干ノーマティヴなものから遠ざかることによって、コンピュータ化された音声とはどんなものになりうるのかに気づくことができると思うんだ。

テクノ・ミュージックだけがもう未来を独占しているのではないということ。つまりは4つ打ちのキック、デトロイト由来、ヨーロッパでの突然変異などは、ひとつの音楽的観点から覗く未来でしかない。

 では『Astro-Darien』/『Escapology』のサウンドはどうだろうか。「『Astro-Darien』のサウンドトラックのほとんどはパンデミックの前にはできていたね。ソフトウェア・シンセをかなり奇妙に使っていたよ。レコード・ボタンを押して、鍵盤を嫌っているかのごとく連打してね。とにかくすべてを録音して、とにかくランダムだった。文字通り自分は楽器を演奏するサルみたいなものだったよ(笑)。事故的で、非意図的で、予想もつかないかつ音的にも興味深いものができたと思っている。楽器を演奏しない者は何かをでっち上げなけなきゃいけないから、僕はそういう方法を生み出す必要があった。そうやって生まれたものをジグソーパズルのように組み上げていったんだよ。
プロダクションの過程で使用されたソフトウェア・シンセサイザーのひとつにグッドマンはスケッチシンセ(Sketch Synth)を挙げている。韓国人プログラマー、パク・ジュンホが製作したこのオープンソースのソフトウェアは、ヤニス・クセナキスの電子音響作成コンピューターUPICのように、図形を音へと変換することができ、グッドマンはこのツールを自身のテーマとリンクさせてみせる。
 「GRMのアクースモニウムをどうやって使用するかを考えていたら、向こうがスピーカーの位置を示した会場のマップを送ってくれてね。それでそのマップをスケッチ・シンセに入れたら、不安定で不協和音な、とても居心地の悪い音ができた。それが『Astro-Darien』の物語にピッタリだと思った。スコットランドがイングランドの連合に入った1707年の後、ダリエン計画は明らかに植民地主義として失策だったけれど、イングランドの奴隷制度にスコットランドも加担するようになった。だから『Astro-Darien』で、僕は歴史のナレーターの重要性にも触れている。ゲームのAIシステムは、奴隷制度や植民地主義がスコットランドの資本主義にどれだけ重要かについて話している。当初、スコットランドの産業には多くの奴隷制度からの資本が入ってきていた。だから、それを表現するように、サウンドトラックは可能な限り居心地の悪いものにしなければいけないと思っていたんだよ。そのサウンドデザインにスケッチ・シンセは完璧だった」
 また今作において、とくにヘッドフォンで聴いたときに際立つのは、音が左右をダイナミックに移動するプロダクションだろう。そこにおいても、音の移動にもグッドマンはフィクションとの関連を想定している。
 「ステレオ・パニングによって方向感覚を失わせるようなプロダクションを目指したというのはあるね。ステレオ・イメージのプロダクションはほぼヘッドフォンだけでやった。ステレオを体験するのには最高の「場所」だからね。僕のスタジオは音がヘッドフォン並みに分離するほどスピーカーが離れるくらい大きいわけでもない。
  この物語では回転や、らせん状の運動が起きる。例えば “Lagrange Point” は、重力井戸のラグランジュ点を指しているんだけど、地球と月の間には複数のそういった重力の点が存在していて、それによって重力が安定している。宇宙ステーションやスペース・コロニーについて70年代に書かれたものを読んでみると、それらが位置しているのは、そういった重力の力(force)の間なんだよ。『Astro-Darien』のインスタレーションでは、YouTubeで見つけた動画を使っているんだけど、それは地球と月のお互いが関わり合ったらせん状のシステムについてのものだ。スペース・コロニーとしてのアストロ・ダリエンは回転していて、その中に入ると、回転するトーラス(“Torus”)がある。こういった複数の回転をステレオ・イメージで描いるというわけさ。“Lagrange Point” にはジャングルの要素があるけど、僕が思うに、ジャングルはどんなダンス・ミュージックよりも、ポリリズム的で回転的な力(フォース)がある。いうなれば、異なるループがお互いに関わり合って構成されるブレイクビーツの回転システムだね。

 ここでサウンドトラック『Escapology』収録曲のジャングルのリズムに触れられているが、本編である『Astro-Darien』の楽曲にはビートがない。なぜグッドマンは『Escapology』にビートを加えたのだろうか。
「『Escapology』を作ることは当初考えてはいなかったんだよね。まず『Astro-Darien』を作って、マスタリング音源をもらって、アートワークのためにヴィジュアルを担当したローレンス・レックやデザイナーのオプティグラムと長く作業をしていた。それで、この作品のためのイントロダクションになるような段階が、7年ぶりにアルバムを聴く自分の普段のリスナーたちのために必要だと感じた。奇妙な音で彩られたAIが作るスコットランド・アクセントなんて誰もいきなり聞きたくないはずだ(笑)。僕は『Astro-Darien』 のサウンドデザインが気に入っていたし、正直、この作品のためだけにその音を使うのはもったいないように感じてもいた。自分の頭の中では実験的なクラブ・ミュージックが鳴っているのだって聞こえていたから、その音をまた使いはじめたんだよ」
 今作で流れるビートは、グッドマンの音楽センスを形成したジャングル、それから初期ダブステップ以降の彼のトレードマークにもなっているフットワークや南アフリカが生んだゴムやアマピアノのリズムやベースラインだ。なぜここにはこう言ったリズムがあり、かつて未来の音楽だと言われたテクノはないのだろうか。
  「これは僕の過去20年の指針でもあるんだけど、テクノ・ミュージックだけがもう未来を独占しているのではないということ。つまりは4つ打ちのキック、デトロイト由来、ヨーロッパでの突然変異などは、ひとつの音楽的観点から覗く未来でしかない。だから、自分や友だちのDJたちの視点から異なる未来を描いているんだよ。例えば、過去数年、スクラッチャDVAやクーリー・G、アイコニカやシャネンSPはアマピアノをよくかけているよね。僕はあのベースラインが大好きだ。でも僕の頭はこんがらがっているから、アマピアノのベースがフットワークのリズムで欲しかったりするわけ。サイエンス・フィクションのための異なる音楽の遺伝子組み換えみたいなものだよ。加えて、自分のDJセットの要素もプロダクションに含んでいる。

僕の頭はこんがらがっているから、アマピアノのベースがフットワークのリズムで欲しかったりするわけ。サイエンス・フィクションのための異なる音楽の遺伝子組み換えみたいなものだよ。

 『Escapology』のリズムにシカゴや南アフリカの黒人文化に直結したリズムが選ばれ、また先ほどグッドマンが挙げた〈Hyperdub〉アーティストたちはUKの外側にも人種的ルーツを持っている。以前からグッドマンが公言しているように、レーベルはサウンドシステム由来の「ブリティッシュ・ミュージックと関係する、アフリカン・ダイアスポラ(離散)の音楽的突然変異のプラットフォーム」でありつづけてきた。2020年にふたたび世界規模のムーヴメントとなったブラック・ライヴス・マターへの共感も、当然グッドマンは抱いていおり、その要素も『Astro-Darien』には上記のようにサウンド、そして設定の段階でも関連性があったという。
 「パンデミックがはじまったくらいのときに、僕はスコットランドがどう帝国主義に関わっていたのかについて、かなり多くの本を読んでいた。さっき言った奴隷制度との関係、どうやってスコットランドに奴隷制資本が流れてきたのか、といったことだね。そしてダリエン計画は間違いなく壊滅的な計画だった。もしスコットランドが未来をどうにかしようとするなら、歴史の暗黒面と向き合う必要がある。
 スコットランドは市民的ナショナリズムを持っていると言われるけど、それはつまり国境が開いたナショナリズムを意味している。ブレグジットとは真逆なわけだよ。ブレグジットはイングランドのパラノイド・ナショナリズムだ。比べて、スコットランドには違った可能性があって、もっとオープン・マインドなナショナリズムのモデルを示していると思うんだ。
 でも同時に、帝国主義によって発生した負債をどうにかしない限り、スコットランド独立のサイエンス・フィクションは不可能だと思った。ゲームとしての『Astro-Darien』のゲーム・エンジンはTディヴァインっていうんだけど、それはスコットランドの最も有名な歴史家のひとり、トム・ディヴァイン(Tom Devine)から採られている。彼は『Recovering Scotland’s Slavery Past』という本を編纂している。この設定は、ゲームを駆動するAIは、スコットランドの地政学の歴史全体のシミュレーションである、というアイディアによるものだね。スコットランドは過去の罪をどうにかしなきゃいけない。それが次のレベルへ進むための必要条件なんだ」

 ポストコロニアル的批判的思考回路を自身の表現形態に接続することにより、グッドマンが目指すのは、ドキュメンタリー/フィクションを通した未来の創造と、未来を現在に到来させることだ。それはここで彼が述べるように、市民的ナショナリズムのもと、共同体の構成員の援助と、外部に開かれた新たな国家のあり方を探りつつ行なわれる。その先に広がる未来のために、現代の国家の礎となっている奴隷制度に着目し、歴史的な反省にも向かっている。これが特定の国家の「解放」の未来を描きつつも、それを安易には理想化しない『Astro-Darien』でグッドマンが提示する共同体の理論である。
 国家という共同体の未来像を、フィクションを通して彼は描いているわけだが、ではここにグッドマンの個人史はどのように関係しているのだろうか。「パナマとスコットランドにルーツを持ち、内部にいながらアウトサイダーの視点を持つグナ・ヤラは自分に似ているかもしれない」とグッドマンは答える。コスモポリタニストでノマドであることを肯定する彼の出自にも、ヤラに通じるものがある。「僕はスコットランドに半生以上住んでいなくて、両親はイングランド出身で、さらに彼らはブリティッシュというわけではなく家系の各世代が異なる国の出身。ある種の移民家族みたいなもので、祖父母世代はウクライナ、ポーランド、チェコ出身なんだよね」
 今作は決して自伝的なものではないとした上で、グッドマンはアウトサイダーの視点の重要性について、以下のように説明する。
 「彼女は、エイリアン化をポジティヴなものとして捉えるために、『Astro-Darien』を外部へと開かれた状態でいつづけるようにプログラムしている。つまり、いかなるスコットランド的な観念にもエイリアン的であるようなものに開かれている、あるいは反動的なナショナリズムのカウンターであるとも言える*10
 グッドマンによるプロジェクトは、彼の友人のベリアルがそうであるように、ある種の匿名性に包まれたプロジェクトで、そこからは彼の出自に関する情報は希薄に思われることもあった。しかし『Astro-Darien』/『Escapology』にあるのは、個人と大きな歴史のパラレルを往復してできたサウンドの結晶である。
 「作品を作り終わったあと友人と話していて、『一体全体、自分は何をやっているんだ!』と思ったよ。なぜなら、これは自分が普段やろうとする類のものじゃないからね」とグッドマンは作品を振り返る。奇妙な時代が新たな語り部を必要としている。思惑する芸術家は、自身を貫くカレドニアの闇の奥から、対峙すべき過去と未来を、サウンドとともに描き出したのだ。


(註)
1 スコットランド地域を指す地理用語。
2 ハイパースティション(Hyperstitution):CCRU関連のテキストで用いられる概念で、単なる噂(superstition)がテクノロジーによって強度を上げ、現実になっていくことを指す。
3 マンロー(munro)標高3000フィート以上のスコットランドの山を指す。
4 市民的ナショナリズム(civic nationalism):ナショナリズム(国家主義)の一形態であるが、自民族中心主義的はなく、共同体の構成員である市民の個人権利や平等などを重要視している。
5 加速主義(Accelerationism):資本主義の発展と技術革新を加速させることによって、社会変革を目指す思想。左派加速主義は資本主義システムの崩壊を指向し、右派のそれはその強化へと向かう。CCRU時代のニック・ランドがその根本的な考えを示したとされる。
6 The Notel (2016):シュミレーション・アーティスト、ローレンス・レックとグッドマンによる映像と音楽によるインスタレーション/パフォーマンス作品。未来の人間がいなくなった中国にある、AIによって制御され、ドローンが働く全自動ホテルの内部をシュミレートしている。この作品に関して、筆者は『現代思想 2019年6月号 特集=加速主義──資本主義の疾走、未来への〈脱出〉』で考察を行なっている。
7 現在のスコットランド与党のスコットランド国民党の政策は、スコットランド独立に加え、教育費の公的負担、EU支持、医療制度の充実、貧困層支援、労働賃金の引き上げなど、社会主義的な政策を掲げている。
8 神話(mythology):ある特定の共同体内で共有されている文化規範などを反映した世界の秩序や創生に関する造話。
9 会話でもグッドマンはここで「地政学(Geopolitics )」という言葉を使っている。特定の地域の文化社会的、政治的な事象を、地理学的な特性によって考察する学問分野/手法。
10 進行中の社会情勢に反動する形で右傾化する姿勢が反動主義的ナショナリズムと呼ばれる。例えば、イギリスの80年代のサッチャリズム~90年代トニー・ブレア政権に端を発するニューレイバーの新自由主義政策の行き詰まりから、ブレグジットの実現にいたる過程を例に取ることができる。UK国外にルーツを持つ「アウトサイダー」的視点は、このような自国/白人中心主義的なイギリスの反動主義に対抗するものであるとグッドマンは主張している。「新自由主義が失敗するとき、人びとがする最もたやすいことは、反動主義的ナショナリズムを拠り所にすること。だから、スコットランドで起きていることは、ナショナリズムに興味深いものを見出す、現在進行形の闘争だ」と彼はいう。

Panda Bear & Sonic Boom - ele-king

 アニマル・コレクティヴのパンダ・ベアと、ソニック・ブームによるコラボレイション・アルバム『Reset』がリリースされる。両者はこれまでもパンダ・ベアの『Tomboy』以降、とくに『Panda Bear Meets The Grim Reaper』で親密な関係を築いてはいたが、連名でアルバムを発表するのは今回が初めて。デジタル版は8月12日、フィジカル盤は11月18日に発売。現在、収録曲 “Go On” のMVが公開中です。

Panda Bear & Sonic Boom

コラボレーション・アルバム『Reset』のリリースを発表!
先行シングル「Go On」がミュージックビデオと共に解禁!
8月12日にデジタル/ストリーミング配信
11月18日にはCDとLPが発売!

長年の友人であるアニマル・コレクティヴのパンダ・ベアことノア・レノックス、とソニック・ブームことピーター・ケンバーが、コラボレーション・アルバム『Reset』を〈Domino〉からリリースすることを発表した。8月12日にデジタル/ストリーミング配信でリリースされ、11月18日にCDとLPが発売される。

ソニック・ブームは高い評価を集めたパンダ・ベアのソロ・アルバム『Tomboy』(2011年)と『Panda Bear Meets the Grim Reaper』(2015年)に参加するなど、2人は互いの音楽を知らないわけではないが、『Reset』は初の共同リリース作品となる。ソニック・ブームが所有する50年代、60年代のアメリカン・ドゥーワップやロックンロールのコレクションからインスピレーションを受けたという楽曲群は、パンダ・ベアとソニック・ブームそれぞれの輝かしいキャリアを通してリリースされてきたどの曲よりもキャッチーで明るく、共同作業やコラボレーションの素晴らしさを証明するものとなっている。今回解禁された「Go On」は、ザ・トロッグスが1967年に発表した楽曲「Give It to Me」をサンプリングしており、ミュージックビデオと共に解禁された。

Panda Bear & Sonic Boom - Go On (Official Video)
https://youtu.be/_9_zoL7Jkr4

今から6年前、ソニック・ブームは故郷のイギリスを離れ、パンダ・ベアが住むポルトガルに移住している。パンダ・ベアがソロ作品『Person Pitch』のライナーノーツでソニック・ブームの元バンド、スペースメン3に対して感謝の言葉を述べたことをきっかけに、ソニック・ブームからも感謝の気持ちを込めて彼にメッセージを送るようになった。2011年の『Tomboy』以来、パンダ・ベアのリリース作品のミキシングと共同プロデュースを担当し、特に2015年の『Panda Bear Meets the Grim Reaper』ではより密な共同作業を行うなど、2人は継続的なパートナーシップを築いている。

『Reset』を制作する上で描いたソニック・ブームのヴィジョンはシンプルだった。ポルトガルまでレコードを運んだ後、新鮮な空間でターンテーブルにレコードを乗せ、何年も聴いていなかった古い名曲の魅力を再確認した。例えば、偉大なロックンローラー、エディ・コクランや、アメリカの素晴らしいハーモニーを奏でるエヴァリー・ブラザーズ。また他の発見もあったという。それらのスタンダード曲のイントロそのものが、それに続く楽曲のメインパートとはまた別のものとして、まるで舞台のステージカーテンのように魅力的だということに気づいた。ソニック・ブームはそれらをループさせ、金属を捻じ曲げるように変形させて楽曲のベースを作っていった。パンダ・ベアはその上で何を演奏し、何を歌うかを即座に理解し、それを完成した楽曲に仕上げた。

国際的なロックダウンが始まって間もなく『Reset』の核が形作られてきた。だから、これらの曲で一緒に仕事をする機会そのものが、ある種のメディケーションでもあり、憂鬱な現実を生き抜き、そこから未来へと向かう出発点となった。『Reset』は、暗い時代の中で、蛍光灯のような光を放つ40分の作品である。決して少なくない現実の苦難を見つめ直し、その反対側への道を提示すること。パンダ・ベアとソニック・ブームにとって『Reset』を作ることが一時的な薬になったとすれば、それを聴くリスナーにとっては永久的な存在になるだろう。友人と一緒に古いお気に入りの曲を演奏し歌うだけで、世界が少しだけ明るくなることをこの作品は教えてくれる。

label: Domino
artist: Panda Bear & Sonic Boom
title: Reset
release: 2022.11.18 FRI ON SALE

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12912

TRACKLISTING
01. Gettin’ to the Point
02. Go On
03. Everyday
04. Edge of the Edge
05. In My Body
06. Whirlpool
07. Danger
08. Livin’ in the After
09. Everything’s Been Leading To This


CD


通常盤LP(ブラック)


限定盤LP(イエロー)

 〈Optimo Music〉で知られるグラスゴーの重鎮、JD Twitchが日本の80年代のレフトフィールドな音源を集めたコンピレーションをリリースする。タイトルは『Polyphonic Cosmos: Sonic Innovations In Japan (1980-1986)』で、収録されているのは、World Standard、原マスミ、難波弘之、Normal Brain、EP-4、芸能山城組、D-Day、坂本龍一、清水靖晃、Earthling、Pecker。
 JD Twitchはこれらの楽曲を8年かかって蒐集したそうで、初めて日本に来たときからずっと調査していたとのこと。原マスミの“Your Dream”などは彼のDJセットで長年愛されている曲。コンピレーションのリリースは7月1日です。
 

Masahiro Takahashi & UNKNOWN ME - ele-king

 サン・アロウポカホーンティッドピーキング・ライツなどのリリースで知られるLAのレーベル〈Not Not Fun〉から、日本人アーティスト2組の新作がリリースされる。
 1組目はカナダ在住の Masahiro Takahashi によるカセット作品。さまざまな音楽や映画などからインスパイアされたアンビエント・ポップが奏でられている。
 もう1組は、やけのはら、P-RUFF、H.TAKAHASHI、大澤悠太からなるアンビエント・メディテーション・プロジェクト、UNKNOWN ME の初のLPで、食品まつりやジム・オルークも参加している。
 どちらもチェックしておきましょう。

アメリカの〈Not Not Fun Records〉から4月30日に同時発売される、日本人アーティスト2組

◆Masahiro Takahashi / Flowering Tree, Distant Moon

カナダ在住のマルチインストゥルメンタリスト Masahiro Takahashi が、パンデミック中のトロントで1人で制作した作品『Flowering Tree, Distant Moon』を、USの老舗〈Not Not Fun レコード〉からカセットでリリース。

窓から見える花ひらく林檎の木、雅楽、移民のノスタルジア、郷愁、ジョナス・メカス『リトアニアへの旅の追憶』、アンソニー・ムーア、小泉文夫、多和田葉子などからインスパイアされた、静かでみずみずしいアンビエント・ポップ。ソフトウェアシンセサイザー、グラニュラーサンプラー、プラグインエフェクター、iPad、MIDIコントローラーとシュルティ・ボックスにより制作。空想と子守唄の間で、音楽は揺れ、輝く弧を描いて解きはなたれる。枯れた林檎の木が白く開花するまでの時間。「部屋の外の世界を夢想し、記憶の中のメロディーをたどりました」。

Japanese multi-instrumentalist Masahiro Takahashi's latest album is a meditation on seasons and distance, recorded in isolation at his temporary home studio in Toronto. Following “the coldest winter I have ever experienced,” he began crafting hushed, lush vignettes of color wheel electronics with an array of software synthesizers, granular samplers,plug-in FX, MIDI controllers, and a shruti box.

The songs sway, shimmer, and unspool in sparkling arcs, between reverie and lullaby, inspired variously by blooming apple trees, gagaku music, the “nostalgia of immigrants,” and longing for home. Flowering Tree, Distant Moon moves from soothing to surreal, a swirl of quiet melody and imagined landscapes, as transportive for its listeners as its maker: “I dreamt of places outside my room and traced the music from my memories.”

Title: Flowering Tree, Distant Moon
Artist:Masahiro Takahashi
Label: Not Not Fun
Format : Cassette Tape
Catalogue No.: NNF371
Release Date: 2021/4/30

Masahiro Takahashi マサヒロ・タカハシ

マルチインストゥルメンタリスト。ギターや鍵盤、ソフトウェアを使い、音響的なアプローチと、メロディのある音楽をつくる。2021年、アメリカのテープシーンを牽引してきた〈Not Not Fun Records〉からカセットアルバム『Flowering Tree, Distant Moon』をリリース。これまでにベルギーの〈Jj Funhouse〉をはじめ、カナダやドイツ、UK、ロシアなど海外のインディーレーベルにて作品を発表している。2019年には Takao (エムレコード)のライブメンバーとして、ララージの東京公演オープニングをつとめた。カナダ在住。
https://masahirotakahashi.bandcamp.com/


◆UNKNOWN ME / BISHINTAI

やけのはら、P-RUFF、H.TAKAHASHI の作曲担当3人と、グラフィック・デザインおよび映像担当の大澤悠大によって構成される4人組アンビエント・ユニット「UNKNOWN ME」が、4作目となる待望の1st LP『BISHINTAI』を、米LAの老舗インディー・レーベル〈Not Not Fun〉からリリース。

都市生活者のための環境音楽であり、心と体の未知の美しさを探求する、多彩な曲調のアンビエント・メディテーション。食品まつり、ジム・オルーク、MC.sirafu、中川理沙、がゲスト参加。

The inaugural LP by Tokyo Metropolis electronica entity UNKNOWN ME, Bishintai, is a sublime synthetic suite of cosmic wellness transmissions exploring “the unknown beauty of your mind and body,” appropriately named for a kanji compound meaning “beauty, mind, body.” Crafted with software,synthesizer, steel drum, rhythm boxes, and robotic voice by the core quartet of Yakenohara, P-RUFF, H. Takahashi, and Osawa Yudai, the album unfolds like a holographic guided meditation, soothing but cybernetic,framed by subways and sky malls. Latticework electronics flicker with texture, glitch, wobble, and mirage, themed around sensory perception and body parts.

A diverse cast of collaborators assist in actualizing the collection's uniquely urban expression of new age ambient, from psychedelic footwork riddler foodman to multi-instrumentalist institution Jim O'Rourke to Japanese underground shape-shifters MC.Sirafu and Lisa Nakagawa. Although the group cites a therapeutic muse (“made for the maintenance of the minds of city dwellers”), Bishintai shimmers with an alien strangeness, too, like decentralized relaxation systems obeying sentient circuits. This is music of utopia and nowhere, channeling worlds within worlds, birthed from a sonic ethos as simple as it is sacred: “in pursuit of beautiful tones.”

Title:BISHINTAI
Artist:UNKNOWN ME
Label: Not Not Fun
Format : Record, Digital & Streaming
Catalogue No.: NNF360
Release Date: 2021/4/30

UNKNOWN ME

やけのはら、P-RUFF、H.TAKAHASHIの作曲担当3人と、グラフィック・デザインおよび映像担当の大澤悠太によって構成される4人組アンビエント・ユニット。“誰でもない誰かの心象風景を建築する” をコンセプトに、イマジネーションを使って時間や場所を自在に行き来しながら、アンビエント、ニューエイジ、バレアリックといった音楽性で様々な感情や情景を描き出す。2016年7月にデビュー・カセット「SUNDAY VOID」をリリース。2016年11月には、7インチ「AWA EP」を、2017年2月には米LAの老舗インディー・レーベル〈Not Not Fun〉より亜熱帯をテーマにした「subtropics」を、2018年12月には同じく〈Not Not Fun〉より20世紀の宇宙事業をテーマにした「ASTRONAUTS」をリリース。「subtropics」は、英国「FACT Magazine」の注目作に選ばれ、アンビエント・リバイバルのキー・パーソン「ジジ・マシン」の来日公演や、電子音楽×デジタルアートの世界的な祭典「MUTEK」などでライブを行った。2021年4月、都市生活者のための環境音楽であり、心と体の未知の美しさをテーマにした待望の1st LP『BISHINTAI』をリリース。

 2020年の顔、スピーカー・ミュージックことディフォレスト・ブラウン・ジュニアはそのすばらしいアルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』において、方法論的にフリー・ジャズを参照している。とくに大きな影響源として言及されているのは、ノア・ハワード、アーチー・シェップ、そしてアルバート・アイラーだ。添付のブックレットに掲載された推薦盤10枚のうち、1枚は『Spiritual Unity』である。かつてのラディカルな試みがべつのかたちで──それこそゴーストのように──みごと現代に蘇ったというわけだ。
 60年代、フリー・ジャズの領野で重要な役割を果たしたアルバート・アイラー。2020年はちょうど彼の没後50周年でもあった。それにあわせ、このレジェンドの魅力を紐解く濃密な本が刊行される。題して『AA 五十年後のアルバート・アイラー』。編んだのは細田成嗣で、総勢30名以上のミュージシャン/批評家/研究者が参加している。
 出版記念イベントも予定されているとのことなので、詳しくは下記をチェック。

AA 五十年後のアルバート・アイラー
編者 細田成嗣
装丁・組版 田中芳秀
四六判並製:512頁
発行日:2021年1月下旬
本体価格:3,800円(+税)
ISBN:978-4-910065-04-5

ニューヨークのイースト・リヴァーで変死体が発見されてから半世紀——未だ謎に包まれた天才音楽家アルバート・アイラーの魅力を解き明かす決定的な一冊が登場!

34歳で夭折したフリー・ジャズの伝説的存在、アルバート・アイラー。ジャズ、ロック、ファンク、R&B、カリプソ、民謡、ノイズ、インプロ、現代音楽、または映画や文学に至るまで、ジャンルを飛び越えて多大な影響を与え続けるアイラーの全貌を、2020年代の視点から詳らかにする国内初の書籍が完成した。

総勢30名以上のミュージシャン/批評家/研究者らによる、緻密な音楽分析をはじめ、既存の評論やジャーナリズムの再検討、または社会、文化、政治、宗教にまで広がる問題を多角的に考察した“今読まれるべきテキスト”を収録。さらに初の邦訳となるアイラーのインタビューのほか、アイラーのディスク紹介、ポスト・アイラー・ミュージックのディスクガイド、アイラーの年譜、全ディスコグラフィー、謎多きESP盤に関するマニアックなウンチクまで、500頁以上にも及ぶ超濃密な内容!

「今アイラーについてあらためて考えることは、“偉人”をその偉大さにおいて再評価することではなく、むしろわたしたちがどうすればよりよく生きることができるのかといった、きわめて卑近な問題について考えることでもあるのだ」
——序文より
「かつて『AA』なるインタビュー映画を世に出した。 そのタイトルは「間章(あいだ・あきら)」を意味した。 そこにしばしの躊躇がなかったわけではない。 「AA」といえば「アルバート・アイラー」ではないか。 ダブルイニシャルの呪術の無闇な濫用への畏怖は、 それでもいま現れるこの書物とのさらなる「一にして多」を言祝ごう。」 ——青山真治(映画監督)

▼執筆者一覧
imdkm/大谷能生/大友良英/大西穣/菊地成孔/工藤遥/纐纈雅代/後藤雅洋/後藤護/齊藤聡/佐久間由梨/佐々木敦/竹田賢一/長門洋平/柳樂光隆/奈良真理子/蓮見令麻/原雅明/福島恵一/自由爵士音盤取調掛/不破大輔/細田成嗣/松村正人/村井康司/山﨑香穂/山田光/横井一江/吉田アミ/吉田野乃子/吉田隆一/吉本秀純/渡邊未帆

▼目次

●序文

Ⅰ アルバート・アイラーの実像
●アルバート・アイラーは語る
——天国への直通ホットラインを持つテナーの神秘主義者 取材・文=ヴァレリー・ウィルマー 訳=工藤遥
——真実は行進中 取材・文=ナット・ヘントフ 訳=工藤遥
——リロイ・ジョーンズへの手紙 訳=工藤遥
——アルバート・アイラーとの十二時間 取材・文=児山紀芳
●アルバート・アイラー 主要ディスク・ガイド 柳樂光隆 細田成嗣

Ⅱ コンテクストの整備/再考
▲鼎談 フリー・ジャズの再定義、あるいは個別の音楽に耳を傾けること 後藤雅洋 村井康司 柳樂光隆 取材・文=細田成嗣 註釈=山﨑香穂
●ユニバーサルなフォーク・ソング 竹田賢一
●星雲を象る幽霊たち——アルバート・アイラーのフォーメーションとサイドマン 松村正人
●抽象性という寛容の継承——アメリカの現代社会と前衛音楽の行く先 蓮見令麻
●英語圏でアイラーはどのように語られてきたか——海外のジャズ評論を読む 大西穣
【コラム】アルバート・アイラーを知るための基本文献

Ⅲ 音楽分析
▲対談 宇宙に行きかけた男、またはモダニズムとヒッピー文化を架橋する存在 菊地成孔 大谷能生 取材・文=細田成嗣 註釈=山﨑香穂
●アルバート・アイラーの音楽的ハイブリッド性について——〈Ghosts〉の様々な変奏に顕れるオーセンティシティ 原雅明
●カリプソとしてアイラーを聴く——根源的なカリブ性を内包する〝特別な響き〟 吉本秀純
●アルバート・アイラーの「ホーム」はどこなのか?——偽民謡としての〈ゴースツ〉 渡邊未帆
●アルバート・アイラーの技法——奏法分析:サックス奏者としての特徴について 吉田隆一
●サンプリング・ソースとしての《New Grass》 山田光
【コラム】シート・ミュージックとしてのアルバート・アイラー

Ⅳ 受容と広がり
●アルバート・アイラーへのオマージュ——ヨーロッパからの回答 横井一江
▲インタビュー 《スピリチュアル・ユニティ》に胚胎するフリー・ミュージックの可能性 不破大輔 取材・文=細田成嗣 註釈=山﨑香穂
●むかしむかし『スイングジャーナル』という雑誌でAAが注目を浴びていた——六〇年代日本のジャズ・ジャーナリズムにおけるアルバート・アイラーの受容過程について 細田成嗣
▲インタビュー ジャズ喫茶「アイラー」の軌跡——爆音で流れるフリー・ジャズのサウンド 奈良真理子 取材・文=細田成嗣 註釈=山﨑香穂
●アイラーとは普遍的な言語であり、体系をもたない方法論である——トリビュートを捧げるミュージシャンたち 齊藤聡
●ポスト・アイラー・ミュージック ディスク・ガイド 選・文=細田成嗣

Ⅴ 即興、ノイズ、映画、あるいは政治性
▲インタビュー 歌とノイズを行き来する、人類史のド真ん中をいく音楽 大友良英 取材・文=細田成嗣 註釈=山﨑香穂
●現代から再検証するアルバート・アイラーの政治性と宗教性——ブラック・ライヴズ・マター期のジャズの先駆者として 佐久間由梨
●録音/記録された声とヴァナキュラーのキルト 福島恵一
●アルバート・アイラーによる映画音楽——『ニューヨーク・アイ・アンド・イヤー・コントロール』をめぐって 長門洋平
●制約からの自由、あるいは自由へと向けた制約——アルバート・アイラーの即興性に関する覚書 細田成嗣

Ⅵ 想像力の展開
●破壊せよ、とアイラーは言った、と中上健次は書いた 佐々木敦
●少年は「じゆう」と叫び、沈みつづけた。 吉田アミ
▲対談 祈りとしての音楽、または個人の生を超えた意志の伝承 纐纈雅代 吉田野乃子 取材・文=細田成嗣 註釈=山﨑香穂
●ジャズとポスト・ドキュメンタリー的「ポップ」の体制——《ニュー・グラス》について imdkm
●アイラー的霊性——宗教のアウトサイダー 後藤護
【コラム】ドキュメンタリー映画『マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー』について

Ⅶ クロニクル・アイラー
●アルバート・アイラー 年譜 一九三六—一九七〇 作成=細田成嗣
●ALBERT AYLER DISCOGRAPHY 自由爵士音盤取調掛
——Index of Recording Dates
——第3巻の真実
——スピリッツ講話
——ベルズ報告

●後書
●索引 註釈=山﨑香穂
●執筆者プロフィール

編者:細田成嗣
1989年生まれ。ライター/音楽批評。早稲田大学文化構想学部文芸ジャーナリズム論系卒。2013年より執筆活動を開始。『ele-king』『intoxicate』『JazzTokyo』『Jazz The New Chapter』『ユリイカ』などに寄稿。主な論考に「即興音楽の新しい波」、「来たるべき『非在の音』に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。2018年5月より国分寺M’sにて「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」と題したイベント・シリーズを企画/開催。Twitter @HosodaNarushi

アルバート・アイラー
Albert Ayler(1936-1970)
1936年7月13日、米国オハイオ州クリーヴランドで生まれる。62年にスウェーデン・ストックホルムで最初のアルバム《サムシング・ディファレント!!!!!!》を録音。その後ニューヨークの前衛ジャズ・シーンに進出し、65年に名盤《スピリチュアル・ユニティ》をESPディスクからリリース。従来のジャズに囚われることのないフリーなアプローチと歌心溢れるサックス演奏が注目を集める。67年にはジャズの名門インパルス・レーベルと契約し、《イン・グリニッジ・ヴィレッジ》を発表。68年以降はヴォーカリスト/作曲家のメアリー・マリア・パークスとともにロック、ファンク、R&Bなどにも接近した音楽を展開。独自のフリー・ミュージックを追求するも、70年11月25日、謎の水死体となってニューヨークのイースト・リヴァーに浮かんでいるところを発見される。享年34歳。


『AA 五十年後のアルバート・アイラー』出版記念

国内初となるアルバート・アイラーに関する書籍『AA 五十年後のアルバート・アイラー』が2021年1月末にカンパニー社より刊行されます。そこで出版を記念し、編者の細田成嗣とカンパニー社代表・工藤遥によるリスニング&トーク・イベントを開催いたします。アイラーの名演を流し、その魅力に触れつつ、アイラー本の制作経緯や裏話などを語ります。また、会場では『AA 五十年後のアルバート・アイラー』を先行販売いたします。ぜひお越しください。なお、ご来場いただいた方には「①マスク着用でのご来店」「②ご来店時のアルコール消毒」「③休憩時間の店内換気」のご協力をお願いしております。

※イベントは定員15名・事前予約制となっております。ご来場をご希望される方は、お手数ですがcompanysha.aa@gmail.comまで、メールにて「来場者名」「人数」をご連絡ください。

出演:細田成嗣(ライター/音楽批評)、工藤遥(カンパニー社)
日時:1/23(土)18:00~
料金:チャージ1000円、別途1オーダー(学割:チャージ600円、別途1オーダー)
会場:ART×JAZZ「M’s」(エムズ)
   東京都国分寺市本町2-7-5赤星ビルB1F
   TEL:042-325-7767
   https://www.ms-artjazz.com/
予約:companysha.aa@gmail.com

CAN:パラレルワールドからの侵入者 - ele-king

 映画『イエスタデイ』は、ビートルズのいない世界を想像してみろと、私たちに問いかける。リチャード・カーティスの、代替えの歴史の悪夢のように陳腐なヴィジョンのなかでも、音楽の世界はほとんどいまと変わらないように見え、エド・シーランが世界的な大スターのままだ。

 しかし、多元宇宙のどこかには、ロックンロールの草創期にビートルズのイメージからロックの方向性が生まれたのではなく、カンの跡を追うように出現したパラレルワールド(並行世界)が存在するのだ。それは、戦争で爆破された瓦礫から成長した新しいドイツで、初期のロックンロールがファンクや実験的なジャズと交わり、ポピュラー・ミュージックがより流動的で自由で、爆発的な方向性の坩堝となり、アングロ・サクソン文化に独占されていた業界の影響から独立した世界だ。

 カンのヴォーカルにマルコム・ムーニーを迎えた初期のいくつかの作品では、このような変化の過程を聴くことができる。アルバム『Delay 1968』の“Little Star of Bethlehem”では、ねじれたビーフハート的なブルース・ロックのこだまが聴こえるし、“Nineteenth Century Man”は数年前にビートルズ自身が“Taxman”で掘り起こしたのと同じリズムのモチーフを使った、拷問のようなテイクをベースにしている。

 カンの1969年の公式デビュー盤、『Monster Movie』のクロージング・トラック、“Yoo Doo Right”は、いかにバンドがチャネリングをして、ロックンロールを前進的な思考で広がりのあるものへと変えていったかがわかる小宇宙のようだ。ムーニーのヴォーカルが、「I was blind, but now I see(盲目であった私は、いまは見えるようになった)」や、「You made a believer out of me(あなたのおかげで私は信じることができた)」とチャントして、ロックとソウルの精神的なルーツを呼び覚ますが、それはベーシストのホルガ―・シューカイとドラマーのヤキ・リーベツァイトのチャネリングにより、制約され、簡素化されて、容赦のないメカニカルでリズミカルなループとなり、ミヒャエル・カローリのギターのスクラッチや、渦巻き、切りつけるようなスコールの満引きに引っ張られて、ヴォーカルから焦点がずらされる。

 カンが1960年代に取り組んでいたロックの変幻自在の魔術への、もうひとつ別の窓は、映画のための音楽を収録したアルバム『Soundtracks』で見ることができる。クロージング・トラックの “She Brings the Rain” などは、かなり耳馴染みのある1960年代のサイケデリックなロックやポップのようにも聴こえるが、このアルバムでは、それ以外にも何か別のものが醸し出されている。それは “Mother Sky” の宇宙的なギターとミニマルなモータリックの間に編まれた緊張感のあるインタープレイや、ヌルヌルしたグルーヴと新しいヴォーカリスト、ダモ鈴木の “Don’t Turn The Light On, Leave Me Alone” での不明瞭なヴォーカルでより顕著であり、おそらくバンドの最盛期の基礎を築いている。

 『Tago Mago』、『Ege Bamyasi』、『Future Days』といったアルバムは、現代のポピュラー・ミュージックの基礎となったカンのパラレルワールドが、我々の世界にもっとも近づいた所にあるものと言えるだろう。目を細めれば、異次元の奇妙な建築物と異界のファッションが、世界の間に引かれたカーテンをすり抜けて侵入しているのが、かろうじて見えるはずだ。それはポスト・パンク・バンドのパブリック・イメージ・リミテッド、ESG、ザ・ポップ・グループ他の生々しい、調子はずれのファンクのリズムや、ざらついたサウンドスケープ、あるいはマッドチェスター・シーンのハッピー・マンデーズやストーン・ローゼスといったバンドのゆるいサイケデリックなグルーヴのなかに、またソニック・ユースとヨ・ラ・テンゴのテクスチュアとノイズのなかに見ることができる。さらに1990年代初期のポスト・ロック・シーンでも、ステレオラブやトータスといったバンドの反復や音の探究を経て、おそらく21世紀でもっとも影響力のあるバンド、レディオヘッドにまで及んだ。カンは過去半世紀にわたり、ポピュラー・ミュージックの進化に憑りついてきた幽霊なのだ。

 カンの影響が長いこと残り続けるあらゆる“ポスト〜”のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ロック、そしてかなりの範囲でのポスト・ハードコアも)が、私にとって重要に思えるのは、これらはジャンルを超越したところにある、生来の本能的なジャンルだったからだ。ポスト・パンクは、パンクに扇動されて自滅したイヤー・ゼロ(0年)に、ファンク、ジャズ、ムジーク・コンクレート、プログレッシヴ・ロック他を素材として掘り起こし、自らを再構築しようとしていた音楽だ。一方、ポスト・ロックは生楽器をエレクトロニック・ミュージックの創作過程のループ、オーバーレイやエディットに持ち込んだ。それらは、従来のロック・ミュージックの世界での理解を超えた居心地の悪い音楽的なムーヴメントだったのだ。言うまでもなく、カンは最初からロックの接線上に独自の道を切り開いてきており、マイルス・デイヴィスが自身のジャズのルーツから切り開いた粗っぽいロックンロールのルーツと同じく、予測不可能なジャンルのフュージョンへの地図を描いていた──おそらくカンの爆発的なジャンルを超越した初期のアルバムにもっとも近い同時代の作品は、マイルスが平行探査した『Bitches Brew』 と『On the Corner』などのアルバムだろう。

 この雑食性で遊び心に満ちた折衷主義は、鈴木の脱退後のアルバムにおいても、カンの音楽の指針となっていたが、『Tago Mago』で到達した生々しい獰猛さを、1974年の『Soon Over Babaluma』の雰囲気のある、トロピカルにも響くサイケデリアのような控えめな(とはいえ、まったく劣ることのない)ものに変えたのだ。

 彼らはもちろん時代の先をいっていた。ロックの純粋主義者たちは、バンドの70年代後半のアルバムに忍び寄るディスコの影響を見て取り、冷笑したかもしれないが、グループの当時のダンス・ミュージックの流行への興味は、カンの幽霊の手(『Out of Reach』のジャケットのイメージによく似ている)に、彼らの宇宙的な次元と、報酬目当てのメインストリーム・ミュージックが独自の行進を続ける世界との間のヴェールを掴ませる役割を果たしていたのだ。カンは一度もロック・バンドであったことはなかったし、シューカイが徐々にベーシストとしての役割からリタイアし、テープ操作に専念するようになったことは、バンドの特異なアプローチが、音楽がやがてとることになる幅広いトレンドの方向性を予見させる多くの方法のひとつであったと言える。もっとも、カン自身はそれらのトレンドに対しては、斜に構え、独自の動きを続けた。

 そういった意味では、1979年の自身の名を冠したアルバムは、カンのことを雄弁に物語っている。10年に及ぶキャリアのなかで蒔いた種が、新世代の実験的なマインドを持ったアーティストたちに刈り取られ始め、カンの音楽とアプローチを軸にした作品が創られ始めたため、彼らはそういった作品に、“巨大なスパナを投げつけて”、妨害せずにはいられなかった。カン自身が創ったミニマリストのような、歪んだノイズのアトモスフェリックなディスコと、ファンクに影響されたサウンドは、キャバレー・ヴォルテールやペル・ウブ、ア・サートゥン・レシオなどと並べても違和感がなく、“ A Spectacle” や “ Safe” などのトラックは、彼らの技の達人ぶりを示していた。しかし決して安全な場所には留まらないのがカンであり、デイヴ・ギルモア時代のピンク・フロイド(1979年には絶対クールではなかった)のような世界にも喜んで飛び込み、SIDE2の大部分を躁状態のダジャレの効いたジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」のダンスのテーマである“Can-Can(カン・カン)”の脱構築に費やし、間にはピンポン・ゲームまではさんでいる。言うまでもなく、彼らの最もバカバカしく、最高のアルバムのひとつだ。


 カンの影響下にあるパラレルワールドは、時に我々の世界の近くにありながら、その音楽はあまりにも多くの迂回路に進むため、ほとんどの場合、ぎりぎり手が届かないというフラストレーションを感じてしまう。我々は、次元の間に引かれたカーテンを完全に通過することはできないかもしれないが、隅々まで目をこらして、影や、我々の世界の亀裂を見ると、そこにまだ特異性が根付いているのを見出すことができる。そこには何かが存在し、他の場所からの侵入者が、我々が引いた線の間をぎこちないファンキーさで滑りこんできて、固体を変異可能にし、現実を異世界にし、異世界を現実にするのだ。

 ここに、バンドの面白さを象徴していると思う6枚のアルバムを挙げる。

『Soundtracks』──1960年代のロックから、より宇宙的なものへのバンドの変遷を示している。

『Unlimited Edition』──カンのもっとも折衷主義的で、実験的なアルバム。

『Tago Mago』 ──カンのもっとも極端な状態。

『Ege Bamyasi』──ダモ鈴木時代の、もっとも親しみやすさを実現した作品。

『Landed』──ポップ、エクスペリメンタル、アンビエントなアプローチをミックスするカンの能力を示す素晴らしい一例。

『Can』 ──バンドがバラバラな状態にあっても、常に自分たちにとって心地よいカテゴリーの作品を作るのを避けていたことがわかる。

(7枚目の選択として、『Soon Over Babaluma』は、もっとも繊細で雰囲気のある、カンの一例。)

Can: Intruders from a Parallel World

Ian F. Martin


The movie Yesterday asks us to imagine a world without The Beatles. In Richard Curtis’ nightmarishly banal vision of that alternate history, the music world seems much the same and Ed Sheeran is still a global megastar.

Somewhere in the multiverse, though, there’s a parallel world where the direction of rock emerged out of its rock’n’roll youth not in the image of The Beatles but rather sailing in the wake of Can. It’s a world in which a new Germany, growing from the war’s bombed-out wreckage, was the crucible in which the raw energy of early rock’n’roll merged with funk and experimental jazz, taking popular music in more fluid, free-flowing, explosive directions, independent from the hegemonic influence of the Anglo-Saxon culture industries.

You can hear this process of transformation happening in some of Can’s early work with Malcolm Mooney on vocals. On the album Delay 1968, you can hear warped, Beefheartian echoes of blues rock in Little Star of Bethlehem, while Nineteenth Century Man is based around a tortured take on the same rhythmical motif The Beatles themselves had mined on Taxman a couple of years previously.

On Can’s official debut, 1969’s Monster Movie, the closing track Yoo Doo Right is like a microcosm of how the band were channeling rock’n’roll into something forward-thinking and expansive. Mooney’s vocals summon forth chants of “I was blind, but now I see” and “You made a believer out of me” from the rock and soul’s spiritual roots, but it’s constrained, streamlined and channeled by bassist Holger Czukay and drummer Jaki Liebezeit into a relentless, mechanical rhythmical loop, the vocals dragged in and out of focus by the ebbs and flows of Michael Karoli’s scratching, swirling and slashing squalls of guitar.

A different window into the transformational witchcraft that Can were working on 1960s rock can be seen on the album Soundtracks, which collects some of their work for films. Some songs, like the closing She Brings the Rain, come across as quite familiar sounding 1960s psychedelic rock and pop, and yet something else is brewing in the album too. It’s there most clearly in the tightly wound, tense interplay between cosmic guitars and minimalist motorik rhythms of Mother Sky, as well as more subtly in the slippery grooves and new vocalist Damo Suzuki’s slurred vocals on Don't Turn The Light On, Leave Me Alone, laying the ground for what is probably the band’s most celebrated phase.

The albums Tago Mago, Ege Bamyasi and Future Days are really where that parallel world in which Can were the foundation of modern popular music moves closest to our own. Squint and you can just about see that other dimension’s strange architecture and alien fashions trespassing through the curtain between worlds. You can hear it in raw, discordant funk rhythms and harsh soundscapes of post-punk bands like Public Image Limited, ESG, The Pop Group and others; it’s in the loose, psychedelic grooves of Madchester scene bands like The Happy Mondays and The Stone Roses; it’s in the textures and noise of Sonic Youth and Yo La Tengo; it’s in the repetition and sonic exploration of the nascent 1990s post-rock scene, filtering through bands like Stereolab and Tortoise, eventually informing perhaps the most influential rock band of the 21st Century, Radiohead. Can are a ghost that’s been haunting the evolution of popular music for the past half century.

The lingering influence of Can on all the “post-” genres (post-punk, post-rock and to a large extent post-hardcore too) feels important to me, because these were genres with an innate instinct towards transcending genre. Post-punk was music trying to build itself anew after the year-zero self-destruction instigated by punk, mining fragments of funk, jazz, musique concrète, progressive rock and more as its materials. Meanwhile, post-rock brought the live instruments of rock into the loops, overlays and edits of electronic music’s creation process. They were musical movements uncomfortable in the world of rock music as conventionally understood. Can, needless to say, had been charting their own path on a tangent from rock since the beginning, approaching a similar slippery fusion of genres from the rough roots of rock’n’roll that Miles Davis had been charting from his own jazz roots at the same time — arguably the closest thing to Can’s explosive, genre-transcending early albums among any of their contemporaries can be found in Davis’ parallel explorations on albums like Bitches’ Brew and On the Corner.

That omnivorous, playful eclecticism remained a guiding feature of Can’s music in the albums that followed Suzuki’s departure, even as they traded in the raw ferocity that had reached its peak in Tago Mago for something more understated (but in no way lesser) in the atmospheric and even tropical sounding psychedelia of 1974’s Soon Over Babaluma.

They stayed ahead of the curve too. Rock purists may have sneered at what they saw as a creeping disco influence on the band’s late-70s albums, but the group’s interest in then-contemporary dance music kept Can’s spectral hand (much like the jacket image of Out of Reach) grasping at the veil between their cosmic dimension and the mercenary world where mainstream music continued its own march. Can had never been a rock band anyway, and Czukay’s gradual retirement from bass duties to focus on tape manipulation is another of the many ways the band’s idiosyncratic approach foreshadowed the direction broader trends in music would eventually take, even as Can themselves continued to move oblique to those trends.

In this sense, their self-titled 1979 album says a lot about Can. Just as the seeds sown by their then ten year career were starting to be reaped by a new generation of experimentally minded artists and the pieces were starting to realign themselves around Can’s music and approach, they couldn’t resist throwing a giant spanner in the works. The sort of minimalist, noise-distorted, atmospheric, disco- and funk-influenced sounds Can had made their own would have sat very comfortably alongside the likes of Cabaret Voltaire, Pere Ubu and A Certain Ratio, and in tracks like A Spectacle and Safe, Can showed they were masters of that craft. Can were never about being safe though, and they were just as happy diving down rabbit holes of Dave Gilmour-era Pink Floyd (desperately uncool in 1979) and devoting a large chunk of side 2 to a manic, pun-driven deconstruction of Jacques Offenbach’s “Can-Can” dance theme, interspersed with a game of ping pong. Needless to say, it’s one of their silliest and best albums.

The parallel world that lives under the influence of Can is sometimes tantalisingly close to our own, and yet their music pursues so many oblique detours that it mostly feels frustratingly just out of reach. We may never fully be able to pass through that curtain between dimensions, but look in the corners, the shadows and the cracks in our world where idiosyncrasies can still take root, and there is something there: some trespasser from elsewhere, slipping in their awkwardly funky way between the lines we draw, making the solid mutable, the real otherworldly and the otherworldly real.


Here are 6 albums that I think represent six interesting aspects of the band.

Soundtracks - Shows the band's transition from 1960s rock into something more cosmic.
Unlimited Edition - Can at their most eclectic and experimental.
Tago Mago - Can at their most extreme.
Ege Bamyasi - The most accessible realisation of the Damo Suzuki era.
Landed - A great example of Can's ability to mix pop, experimental and ambient approaches.
Can - Shows how even as the band were falling apart, they always avoided making anything that fit into a comfortable category.

(As a 7th choice, Soon Over Babaluma is a great example of Can at their most subtle and atmospheric.)

Bob Dylan - ele-king

 5分31秒間、僕は神を信じたことがある。といっても困ったときについ頼んでしまう「神さま」のことじゃない。ユダヤ教とキリスト教で等しく信じられているあの「神」だ。見た目は、ルネサンス期の絵画によれば、カリフラワーライスでダイエット中のサンタ・クロースって感じ。
 へんな話だけど、神はポップソングにのってやってきた。僕が11歳のときだ。
 ポップソングということは、中学校でのダンスタイムとか、ガソリンスタンドでのトイレ休憩中とかに、スピーカーから流れ出てきた神に出くわしてもおかしくなかったわけだけど、さすがは全知全能の神、きっちり礼拝堂シナゴーグで現れた。
 日曜学校でヘブライ語の授業を受けているときの出来事だった。
 僕たちは毎回、聖典トーラーの重苦しい物語を読まなくちゃならない。それで時々、司祭ラビは教室の雰囲気を盛り立てようとユダヤ系ロッカーの曲をかけてくれた。
 この日もラビが1本のカセットテープをラジカセに突っ込み、再生ボタンを押した。流れてきたのは、ボブ・ディランの“ミスター・タンブリン・マン”。
 アコギのシンプルなストロークではじまった。DからG、Aと行きDに戻る。
 そこへディランの声が重なる。忘れ去られたいにしえの街のこと、そして一夜にして砂へと崩れ落ちた帝国のことを歌いだす。
 ディランの詞が僕の脳に、不思議なじゅつをかけたようだ。1番を聴きはじめたとたん、サイケデリックな砂漠文明の光景が目の前に広がった。僕は遠くから、その古代文明が勃興し衰退していく様を早送り再生で眺めている。アリの巣みたい。僕は壮大な物語のジオラマから目が離せなくなった。
 なんだか少し怖かった。
 でも、ディランの穏やかな声が気分を落ち着かせてくれる──そう思ったのもつかの間、今度は僕の空想が翼を広げて空高く舞い上がっていく。よくあるたとえに聞こえるけれど、実際その通りのことが起きた。“ミスター・タンブリン・マン”の2番と3番の歌詞には、「魔法の渦巻き船(マジック・スワーリング・シップ)」で太陽を目指す旅が出てくる。この詞とともに、僕の心の目はシナゴーグを飛び出し、空を突き抜けて、宇宙まで行ってしまったのだ。
 僕はそこでたしかに神の存在を感じた。
 最後のコーラスにさしかかる頃には、ディランの“ミスター・タンブリン・マン”がモーセの「割れる海」や「燃える柴」と同じくらい、いや、それ以上の奇跡といえる気がしていた。
 ラビが停止ボタンに指をおく。ハーモニカの音がやわらかにフェイドアウトして、曲はおわりを告げていた。

 2020年になったいま、僕は先祖代々の信仰を手放して久しいけれど、ディランはハーモニカに奇跡を吹き込みつづけている。最新作『ラフ&ロウディ・ウェイズ』も奇跡のひとつ。このアルバムのなかの曲で、79歳のシンガーソングライターは自身初となるビルボードのシングルチャート1位を獲得した。しかも驚いたことに、この曲は約17分もある。
 COVID-19パンデミックのさなかにリリースされたから、聴く側はかつてないほど時間をかけて、自宅でじっくりディランを堪能しているだろう。近年のビルボードヒット曲は、あきらかにどんどん短くなる傾向にあった。2019年の平均は約3分、ディランの大作に比べると6分の1程度だ。
 コロナウイルスへの不安とともに生きるなかで、ディランの新しいアルバムに流れるゆったりとした時間は心地よく感じる。ハーブティーみたいに気持ちを落ち着かせてくれる。
 だけど穏やかなサウンドとは裏腹に、詞は挑発的で刺激に満ちている。男性器のジョークあり、陰謀論あり、死についてもあり余るほど語られる。みんながよく知る人物も登場する。インディ・ジョーンズ、アンネ・フランク、ジークムント・フロイトにカール・マルクスまで。
 ヴォーカルはこのアルバムの要だ。演奏をバックに、歌詞がスポットライトを浴びた名画のように掲げられる。
 79歳を迎えたディランの声はひびわれて揺らいでいる。音程補正ソフトが当たり前の時代だからこそ、その魅力はいっそう際立つ。
 歌い方もクールだし、年齢を重ねたしゃがれ声と相まって、もはやトム・ウェイツよりもトム・ウェイツっぽい。
 昔から変わらない部分もある。本作でもディランは自分が影響を受けたものを見てくれと言わんばかりだ。おなじみのモチーフがときに姿を変えながら、アルバムのあちこちで顔を出す。1940年代のウディ・ガスリーのスタイルに、アパラチア音楽文化の影。グレイト・アメリカン・ソングブックに手を出したかと思えば、アラン・ローマックスの収集音源もちらり。象徴派の詩、自身のフォーク・ソングのロックンロール・アレンジ、それからジャーナリスティックな語り口。もう挙げ出したらきりがない。
 『ラフ&ロウディ・ウェイズ』は、傘寿を迎えるディランの輝かしい到達点だ。繰り返し聴きたくなるのはもちろん、底が知れない。あらゆる方向へ広がり、さまざまなものを含みもつ。
 ディランはこれまでに何度もポップ・カルチャーの価値をより高みへと更新してきたけれど、今回もそれに成功している。もしも万が一(そうなりませんように!)、本作が最後のアルバムになったとしたら、まさに有終の美というにふさわしい。でも僕はまだまだディランが嬉しい驚きを届けてくれると期待している。2020年のいまも、1964年の頃と変わらず、唯一無二の存在だから。
 それに、ディランのような年齢のポップ・アーティストがこんなにも独創的な歌詞を書いているのをみると、すごく励まされる。
 僕はもう何十年もディランの文学的な歌詞に心を奪われている。お気に入りの作家や映画監督と同じように、ディランは、未熟な僕が見逃してしまいそうな物事にいつも気づかせてくれる。だから、11歳のときにシナゴーグのラジカセを通じてディランと出会えた僕は、本当に運がいい。
 そして、振り返ってみるとちょっと妙な話ではあるけれど、ディランの詞が(ほんの数分間とはいえ)僕に信仰をもたせたというのはちゃんと筋が通っている。だって、結局、歌というのは僕らが神とつながるすべなんだから。音楽と無縁な宗教というのは聞いたことがないし、人類史上ずっと、歌うことは霊的な儀式の中心的な役割を担っている。
 俗な世界に生きる現代の僕らもいまだに神経言語的なレベルでは、ポップ・ミュージックを宗教的なものに結びつけている。このアルバムには「ソウル」がある、なんて言ったりするし、ディランみたいなロックスターを「神」と呼んだりもする。
 いまだって、僕も心のどこかでディランの詞に神聖なものを感じている。新しいアルバムで聴くあのしゃがれ声には、あらゆるものの解が入っているのだろう。


by Matthew Chozick

For five minutes and thirty-one seconds, I once believed in God. Not just any deity, but the Judeo-Christian one, who, in Renaissance paintings, looks like Santa Claus on a cauliflower rice diet.
   Oddly, He came to me in a pop song ― I was eleven.
   Although I might’ve found the Almighty in the stereo of a junior high dance or speakered into a gas station bathroom, remarkably, He appeared to me in synagogue.
   At the time I was in a Sunday Hebrew school class for children.
   Every weekend we kids studied gloomy Torah stories, and sometimes a rabbi would lighten the mood with music from Jewish rockers.
   During a lull one Sunday, my rabbi inserted a cassette tape into a boombox, pressed play, and out came Bob Dylan’s “Mr. Tambourine Man.”
   It began with simple acoustic guitar chords: D to G to A to D.
   Then Dylan started to sing of forgotten ancient streets and of an empire that, in one night, crumbled to sand.
   The lyrics did something weird to my brain. The first verse conjured a psychedelic vision of desert civilizations that, from afar, looked like ant colonies. They rose and fell, in time-lapse, on a massive, geological scale.
   It was a little scary.
   But Dylan’s gentle voice relaxed me ― until it sent my imagination soaring, literally. The second and third verses of “Mr. Tambourine Man” included a journey towards the Sun on a “magic swirling ship.” The lyrics carried my mind’s eye up, out of the synagogue, through the sky, into space.
   I felt the presence of God.
   By its final chorus, “Mr. Tambourine Man” seemed no less a miracle than the Burning Bush or the parting of the Red Sea.
   And then my rabbi readied his finger above the boombox’s stop button, right before the track ended with a soft fadeout of the harmonica.


Now, in 2020, long after I left my ancestral religion behind, Dylan is still packing harmonica with miracles. One such miracle is that the singer-songwriter’s new record, Rough and Rowdy Ways, has given the seventy-nine-year-old his first chart-topping Billboard single ever. And extraordinarily, the hit is some seventeen minutes long.
   Released amid our COVID-19 pandemic, listeners have had an unprecedented amount of time at home to parse Dylan. Tellingly, in recent years Billboard hits had been shrinking in size. In 2019 they averaged about three minutes ― roughly 1/6 of Dylan’s 2020 opus.
   The new album’s gentle pacing feels soothing in our era of coronavirus anxieties. It relaxes like a cup of herbal tea.
   But the record’s sonic mildness belies provocative lyrics. There’s a penis joke, a conspiracy theory, plenty of death, and notable references to Indiana Jones, Anne Frank, Sigmund Freud, and Karl Marx.
The vocals serve as the centerpiece of the album; lyrics hang like spotlit paintings in front of instrumental accompaniments.
   Dylan’s voice at seventy-nine cracks and wavers, which makes the record even more compelling in our age of autotune and pitch correction software.
   The singing sounds cool; Dylan’s gotten gravellier with age. He’s now more Tom Waits than Tom Waits.
   Some things haven’t changed; Dylan still wears his influences on his sleeve. His old muses are reflected and refracted on the new album ― familiar 1940s Woodie Guthrie stylings, Appalachian refrains, forays into the Great American Songbook, hints of Allen Lomax’s field recordings, symbolist poetry, rock n’ roll covers of his own folk music, journalistic storytelling, and oh so much more.
    Rough and Rowdy Ways works as a bold culmination of the near-octogenarian’s career. It warrants many relistens and it feels bottomless, expansive. It contains multitudes.
   Like Dylan has done time and time again, the new album elevates pop culture orders of magnitude. And if ― knock on wood ― this turns out to be Dylan’s final release, it would be a brilliant note to finish on. Yet I expect more pleasant surprises to come from Dylan. He is still as peerless in 2020 as he was in 1964.
   To be sure, it’s heartening to see such lyrical originality from a pop artist of Dylan’s age.
   For decades Dylan’s writerly lyrics have captivated me. Like my favorite novelists and filmmakers, Dylan has continually helped me notice things about the world that, in my own stupidity, I would have otherwise missed. So I’m very lucky that, at age eleven, I discovered Dylan in a synagogue boombox.
    And while it seems a little weird now, it makes sense that Dylan’s lyrics made me a believer ― if only for a few minutes. After all, good songs are how we communicate with the divine. Every major faith uses music, and singing has been central to spiritual practice throughout human history.
    In our secular era today, we’re still neurolinguistically wired to experience pop music as religious. We discuss albums as having “soul” and we refer to rock heroes, like Dylan, as “gods.”
    Even now part of me finds Dylan’s songwriting to be divine. His gravelly voice on the new record sounds as if it has all the answers to life’s questions.


Atropolis - ele-king

 ニューヨークで閉店した飲食店の6割はアフリカ系の経営する店だったという(白人の経営する店舗は2割弱、ほかはアジアやヒスパニック系)。ニューヨークで新型コロナウイルスの犠牲になるのは圧倒的に黒人だという報道が流れはじめた当時、僕はついエイドリアン・マシューズ著『ウィーンの血』(ハヤカワ文庫)を思い出してしまった。2026年のウィーンを舞台に新聞記者が殺人事件の真相を調べていると、同じような死因で亡くなる人がさらに増え(以下、ネタばれ)特定の人種だけを殺すウイルスがばらまかれていたことが判明するという理論物理ミステリーである(ヒトラーのユダヤ殲滅思想はウイーン起源という説を下敷きにしている)。実際にはバーニー・サンダーズも激昂していたようにゲットーでは水道が止められていて手も洗えなかったとか、住宅が密集していて人との距離が取れず、エッセンシャル・ワーカーが多かったという社会的条件による制約が黒人の多くを死に追いやったことは追加報道の通りなのだろう。ニューヨーク文化といえば、人種の坩堝であることが活力の源であり、とりわけダンス・ミュージックが多種多様な生成発展を繰り返してきた要因をなしてきたと思うと実に悲しい話である。アフリカ系とヒスパニック系の出会いがヒップホップを誕生させた話は有名だし、2000年代にはジェントリフィケーションに反対してジャズからハウスまで、エレクトロクラッシュを除くすべてのダンス世代がデモ行進を行ったことも記憶に新しい。ニューヨークの音楽地図はこの先、どうなってしまうのだろうか。この3月から〈Towhead Recordings〉が『New York Dance Music』というアンソロジーをリリースしはじめ(現在4集まで)、スピーカー・ミュージック『Black Nationalist Sonic Weaponry』にも参加していたエースモー(AceMo)や飯島直樹氏が年間ベストにあげていたJ・アルバート(J. Albert )など無名の新人がダンス・ミュージックの火を絶やすまいとしている。ジョーイ・ラベイヤ(Joey LaBeija)やディーヴァイン(Deevine)といったニューヨークらしい外見のDJたちも健在である。そう、途絶えてしまうことはないにしても、しかし、何かが大きく変わってしまうことは避けられない気がする。

 クイーンズ区に住むアトロポリスはシェイドテックの〈Dutty Artz〉から2010年にデビュー。ホームページを開くと1行目に書いてあるのが「多様性に対する情熱が自分をインドやガーナ、コロンビアやメキシコ、そして南アフリカなどのミュージシャンとの仕事に導いてくれた」という趣旨のこと。そして、彼は自分の音楽がどれだけ多様性に満ちているかをくどくどと説明しだす(https://www.atropolismusic.com/about)。実際、彼の音楽は水曜日のカンパネラ以上にルーツのわからない雑種志向の産物で、初めて聞いたときはカリブ海出身だろうと思ったし、まさかギリシャ系キプロス人だとは予想もしなかった(ギリシャ人の音楽はもっと堅苦しいイメージがあったので)。テクノポリスならぬアトロポリスというネーミングもギリシア由来で、グランジ都市(国家)という意味になるらしく、ギリシアとカリブ海の共通点といえば海に近いことぐらいだった(レバノンの爆発はキプロス島まで振動が伝わったという)。久々となる新作もチャンチャ・ヴィア・シルクイトやノヴァリマなど南米のミュージシャンや日本のDJケンセイなどをアメリカに紹介するニコディーマスのレーベルからで、げっぷが出るほど多様性の嵐(失礼)。先行シングルはレゲトンのMC、ロス・ラカス(Los Rakas)をフィーチャーした“Gozala”。これがウイルスとか多様性とかがどうでもよくなるほど夏に涼しいさわやかモードだった。

 クンビアやレゲトンを基調としつつ『Time of Sine』は全体にシンプルで、ほとんど間抜けと呼びたくなるほど隙間の多いサウンドを、柔らかく、透き通るようにアコースティックなサウンドで聞かせてくれる。力が入るところがまったくなく、水曜日のカンパネラがフィッシュマンズをカヴァーしたら、こんな感じになるのかな。違うな。とにかく涼しい。そのひと言だけでいいかもしれない。ニューヨークに浸透したカリビアン・サウンドは様々にあるだろうけれど、そのなかで最も気が抜けているんじゃないだろうか。そよ風を音楽にしたようなもの。石原慎太郎が湾岸に高層建築を建てられるようにするまでは東京でも夜になると海から内陸に吹いてきた涼しい風。日中の気温は同じでも、東京の夜も昔は東北と同じく涼しかった。そんな人工的ではない涼しさを思い出す。後半には“Funk”などというタイトルの曲もあるけれど、汗が飛び散るようなファンクではなく、ガムランやアラビアン・ナイトの怪しげな響きがトライバル・ドラムを引き立てるだけ。ブラス・セクションが入っても涼しさは損なわれず、水の音が流れ、どの曲も見せてくれる景色がとにかく涼しいとしか言えない。言いたくない。涼しい、涼しい、広瀬……いや。

 ここ数ヶ月、これまでアフロ・ハウスと呼び習わしてきたものをオーガニック・ハウスとタグ付けを変えていく動きがあり、それはアフロと称しながらまったくポリリズミックではないことに気がついたからなのか、環境問題と親和性を持たせようとしているからなのか、それともニュー・エイジやスピリチュアルがマーケットをもっと低俗な方向に移動させようとしているからなのか、そのすべてのような気がするなか、呼び方だけが変わった「オーガニック・ハウス」をアルバムにして10枚分ほど聴いてみた結果、95%はクズでしかなかった(マイコルMPやキンケイドなど、ちょっとは面白いものがあるのが逆にやっかい)。「オーガニック・ハウス」自体は〈Nu Groove〉の時代からジョーイ・ニグロやトランスフォニックにヒット曲があり、北欧ハウスの始まりを告げたゾーズ・ノーウェジアンズ『Kaminzky Park』(97)や日本のオルガン・ランゲージ『Organ Language』 (02)などすでに傑作と呼べる作品はいくらでもあるものの、いわゆるムーヴメントと呼べるほど大きな波になったことはなかった。たぶん、『Bercana Ritual』『Sounds of Meditation』『Don’t Panic – It’s Organic』『Continuous Transition of Restate』と立て続けにコンピレーションが編まれ、アリクーディやレイ-Dがアルバム・デビューしている現在が「最高潮」である。さらにはダウンテンポやプログレッシヴ・ハウスもこの流れにまとめられはじめたようで、南アのゴムのなかにも4つ打ちはナシという基本からはみ出したものがこれに加算され、僕にはオーガニック・ハウスというものがただの「その他」のようにしか思えなくなってきた。しかし、「オーガニック・ハウス」を最初に聴こうと思ったとき、その言葉から期待していたものがすべて流れ出してきたのが『Time of Sine』だった。

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