「pan sonic」と一致するもの

P Money - ele-king

「俺はここにいる」というメッセージ

 10年以上のキャリアでmixtapeやEP作品をハイペースで発表し続けているロンドンのMCピー・マニー(P Money)が、15曲収録のデビュー・フル・アルバム『Live + Direct』を〈Rinse〉からリリースした。これまで、ダブステップやドラムンベースのトラックで名前をご存じの方もいるかもしれないが、彼はキャリアの中で一貫してグライム・サウンドでラップしてきた。今作もトレンドであるトラップの影響を受けたグライム・チューンの上でマイクを握った曲が多く、USヒップホップから入った人でも聴きやすい。

 さて、オープニングトラックのIntroを聴いたとき、このアルバムが単なるヒット曲の寄せ集めではなく、ひとつの作品であることを確信した。シーケンスが重なり合っていく4分のトラックの上で、不在の父に対する報われることのない期待、義理の弟、彼のグライム・クルーとなるOGzとの出会い、トラブル、母への愛をラップする。そして、なぜアルバムを出すのか? という創作の原動力につながる、複雑な感情が表れている。

I had hate for my creator
Only used to see him in the paper
Mum tried to get me to stop stressing
Looking at the front door, wondering and guessing
Now there ain't a thing that could make me forgive him
Once upon a time my dad asked me how old I was on my birthday
Man I thought he was kidding

俺はお父さんを嫌ってた
彼は紙の上でしか見たことがなかった
ママは俺が父にこだわらないようにさせた
家の玄関を見て、考え、想像した
今でも彼を許すようなことはない
いつか、お父さんは誕生日に俺が何歳になったか聞いた
俺はからかわれてるかと思った
(“Intro”)

 15歳の時、濡れ衣で裁判所に呼び出されたP Moneyはそんな父に頼ろうとする。

I called my dad, sent him texts, left him voicemails
But the guy wouldn't pick up
And there's me thinking he would've fixed up
Then randomly out of the blue I got a text from him
Saying "it's gonna be alright, good luck"
Oh my days, what the fuck

お父さんに電話した、テキストを送ってボイスメールを残した
あの男は電話を取ろうとしなかった
俺はお父さんがこの問題を解決できたと思ったんだ。
そして、出し抜けにこんなメッセージが届いた
“きっと良くなるさ、グッドラック”
なんてこった !
(“Intro”)

 TR.02“Panasonic”では、Street Fighterのサンプルとともに、イギリスのグライムにおける自身の存在をボーストし、Stormzyを迎えたTR.04“Keepin' It Real”では、音楽に対する姿勢とフェイクとリアルの境目についてこだわる。OGzを率いて自身が運転するバンで周る彼が言うなら、それはとてもリアルな表現である。

 Terror Danjahの歌フックとP Moneyのスキルが冴える(複雑な)恋愛ソングTR.06“Contagious”、信頼に足る「Man」であるかをへらへら近寄ってくるクソ野郎に問うた“Don't Holla At Me”を挟み、TR.11“Gunfingers”へつながる。

 Skepta、Wiley、JMEをゲストに迎えたこの曲からは、アルバム・ジャケットでBorn & Bred フェスティヴァルのステージから、学生が集まる小さなクラブまで全てのショーをロックするP Moneyの姿が目に浮かんだ。そして、ラスト・ソングの“10/10”へ向かっていく。音が注意深く選ばれたSir Spyroのシリアスな雰囲気漂うトラックの上で、彼はイギリスのManchester、Bristol、Leedsなど各都市でショーを完全にロックする。フードを深くかぶった彼のライヴ映像が入るMVも素晴らしい。

 ラップは声なきものに声を与えると言われる。そして、P Moneyは「俺はここにいる」というメッセージを繰り返し発している。それは紙の上でしか知らない父に向けて、パーティでたまたま遊びに来たお客さんに向けて、ビックフェスのショーを観にくるファンに向けて、生で直接伝え続けることだ。ダブステップからグライムへとトレンドが移り変わっても、彼のラップはUKにあり続けるという宣言でもある。

 1994年。オアシスが華々しくデビューを飾ったその年に、トニー・ブレアが労働党の党首になった。1997年。デーモン・アルバーンが「ブリットポップは死んだ」と言い放ったその年に、労働党が総選挙で大勝し、ブレア内閣が成立した。アンソニー・ギデンズの読者ならご存じだろう、いわゆる「第三の道」というやつである。当時ノエル・ギャラガーは首相官邸に招かれ、ブレアと握手まで交わしている。今年日本では「音楽に政治を持ち込むな」という言葉が話題になったけれど、ブリットポップというムーヴメントはまさに音楽が政治に利用された典型例だった。逆説的だが、だからこそ特に政治的なことを歌っていたわけではないオアシスが、あの時代の象徴たりえたのだろう。オアシスは、「最後の」ワーキング・クラス・ヒーローだった。

 そのオアシスの黄金期を追ったドキュメンタリーが公開される。監督は、これまでコールドプレイのMVなどを手がけてきたマット・ホワイトクロス。そして驚くべきことに、リアム&ノエル・ギャラガー自身が製作総指揮を務めている。バンドの結成から25万人を動員したネブワースの公演までの軌跡を描いた『オアシス:スーパーソニック』は、来る12月24日より角川シネマ有楽町ほかにて全国公開。そしてそれを記念し、監督であるマット・ホワイトクロスのインタヴューが公開された。
 われわれが知るところのギャラガー兄弟のイメージは、メディアによって作り上げられたものである。では「本当の」かれらは、一体どのような人物だったのだろうか? かつてかれらが抱いていた思いとは何だったのだろう? 以下のインタヴューを読んで、劇場へ足を運ぼう。

『オアシス:スーパーソニック』
監督マット・ホワイトクロス、インタヴュー

■このプロジェクトにはどうやって関わるようになったんですか?

マット・ホワイトクロス(Mat Whitecross、以下MW):フィルム・プロデューサーのサイモン・ハルフォンから連絡をもらったんだ。彼は以前長いこと、特に音楽業界でグラフィック・デザイナーをしていたことがあって、オアシスを知っていたらしい。彼は4番目のアルバムぐらいからアルバムのスリーブやシングル盤のアートワークなんかを手がけるようになったんだ。僕はその何年か前にジョー・ストラマーのプロジェクトでサイモンに会っていた。結局そのプロジェクトはギリギリのところでボツになったけどね。確かサイモンが僕に、「君はオアシスのファンかい?」ってメッセージを送ってきたのが始まりだったと思う。それから彼に会った時に、オアシスがすごく好きだと伝えた。その時は、オアシスがまた再結成することを僕に伝えるために連絡してきたっていうことを僕は知らなかったんだ。僕は、オアシスが、意見の相違は横に置いて、ツアーのドキュメンタリー映画みたいなものを作るのに同意してくれないかな、なんて思ってた。でも彼らは、ドキュメンタリーを作ることに、すでにほぼ同意していたんだ。だから、その時の話は、もう、「どんな映画を作るんだ」とか、「今彼らの映画を作るのか」とか、「彼らの生涯についての映画なのか」とか、「ある特定の時期に関する映画を作るのか」だった。
 それはちょっとややこしいことだった。僕は、「なあ、オアシスは、ひとりだけじゃないだろう。誰の映画になるんだ?」っていうことを聞きたかった。兄弟ふたりについてなのか、バンドの残りのメンバーはどうするのか、協力者たちも描くのかってことをね。
 興味深いことに、ノエルは以前サイモンに、ドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』が好きだってことを話していたんだ。『AMY エイミー』はまだそのとき世に出ていなかった。ノエルは、ボイスオーバーの手法が好きで、中年男が映し出されて「昔は良かった」みたいなことばかり言う、懐古主義的な作品になるのはいやだったらしい。『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』や『AMY エイミー』のいいところは、その瞬間に自分もいるような気にさせるところだ。どこか他の所にある作り物の撮影スタジオにシーンが移らないからだよ。ただ人の声が聞こえて、その時に現在進行形で自分がいるような気にさせるんだ。
 僕にとっては、もう互いと口をきいていないふたりが同じ部屋にいるような気持ちにさせるのはどうしたらいいかっていうことが大事だった。そうなると、ボイスオーバーが効果的なんだ。互いに話しかけながらも、どこから声が出てるかとか誰が何を言っているかとか心配しなくていいからね。すると、互いと口をきいていない兄弟が会話をしているような状況を作れる。それもボイスオーバーの利点のひとつだよ。

    


©Jon Gorrigan

■最初のリサーチから最後の編集までの過程はどうでしたか?

MW:僕たちはオアシスを知っていた。皆オアシスの大ファンだったんだ。だから、彼らに何が起こったかは大体知っていた。僕も、いくつかの出来事については知っていた。そのうちのどれくらいが本当かはわからないけれど。ジャーナリストもバンドもかなり大げさに言ったからね。でも、アムステルダムのフェリー事件とか、いくつかのことは知っていた。ウィスキー・ア・ゴーゴーのギグのことも知ってたと思う。それらに関連する他の出来事もね。だから、最初からリサーチはある程度済んでしまっているようなものだった。
 それらの出来事を振り返って再体験みたいなことをしたり、どんな資料が残っているか見るのは面白かったね。その後は、調査員のチームを登用して、編集者も登用して、これらの出来事を見ていくんだ。僕たち皆はある疑問を持っていた。皆がすべてを記録し始める前だし、人が携帯電話で写真を撮り始めるまでまだ5年は優にあるぐらいの時のことで、皆が携帯電話を持ち始める前のことだから、見つかった映像は、ほとんど偶然あったようなものなんだ。でもある意味でそれが良かった。なぜかといえば、僕たちが使った映像のいくつかは、誰も見たことがないものだったからね。でも同時に、いくつかの出来事に関しては、写真があるかもしれないし、誰かの記憶でしかないかもしれないってことだ。
 だから最初は、「どんな映画を作るのか」っていうのが大きな疑問だった。資料がなければ人の顔を見ることはできないし、じゃあ、どうするってことになったんだ。
 でも最初の段階では、とにかく映像を集めた。レコード会社の管理部から映像をもらったりした。初期に彼らを撮っていたカメラマンが何人かいて、彼らからコンタクトシート送ってもらった。そしてネットに載っている物も使った。
 YouTubeからもすごくいい資料が得られた。それに、古いテープを見つけることやテレビから映像を録画して共有することに熱中しているスーパーファンが彼らには大勢いて、彼らがそれをやってくれて本当に助かった。そうでもなければ、多くのものがすでに消えてしまっていただろうから。ファンだったらいくつかの物はこれまでに見たことがあるかもしれない。でも運良く、かなり早い頃からいろんな人がいろいろ送ってきてくれて、僕たちもあちこちにしまわれているのを発見できたんだ。でもほとんどが偶然見つかったものだった。当時は音楽業界がその価値をわかっていなかったんだろうね。このバンドがどれくらい成功するかとか、時を越えて有名になるなんて考えなかったんだろう。
 日本から突然ある映画が出てきたり、ウィスキー・ア・ゴーゴーやキング・タッツとかの初期のライヴからの映像で、〈クリエイション・レコーズ〉に渡されたものとかが出てきたんだ。それらのものは、どこかのファンがこれで何かができるって思ったから生き残ったものなんだ。だから、最初の調査の段階では、「映画ができるかな?」って感じで、もしできるのならば、「じゃあどんな映画なの?」って感じだったんだよ。で、どんな映画なのかは、前に進むにつれてようやくわかってきたんだ。

  


©Jon Gorrigan

■映画の中のアニメーションはどういういきさつで?

MW:この映画をボイスオーバーだけで作るっていうことは、資料がない場合どうするかっていう問題を生み出した。ある重要な時の写真が全くない場合もあった。そのひとつがニュー・キャッスルのギグ。結局最終的には、時間がないから入れないことに決めたんだけど、アムステルダム事件みたいなものをどうやって再現するのか、また2番目のアルバムの時のロック・フィールド・スタジオでのけんかをどうやって再現するんだっていうことになった。
 いろんな方法を考えて、多様なスタイルのアニメーションの話になったんだ。僕はマーク・ナプトンが率いるザ・ブルワリーっていうグループと長い間仕事をしていたことがあってね。彼は、僕たちのプロジェクトすべてに関わっていた。そうだな、『Sex & Drugs & Rock 'n' Roll(原題)』の頃からかな。ミュージック・ビデオやコマーシャルや映画とかいろいろ手がけた。でも、これはちょっと違った難しさがあった。映画作りは、「何かをアニメーションにするぞ」って考えた瞬間から、興味深い領域に入っていった。ドキュメンタリーの多くはアニメーションを使わないからね。またオアシスのスタイルと合わせ続けたいし。昔の資料から出てきたっていう印象は与えたくないし。ボイスオーバーを反映していないといけないし。気を付けないといけないことがいろいろあった。でも、アニメーションを使わなければ、映画の真ん中に大きなブラックホールができてしまうってこともわかっていた。だから、どんな方法にするかいろいろ検討したんだ。
 従来のアニメーションみたいにしようかって話もあった。彼らの顔は、わかりやすい。特にふたりの兄弟はね。だから風刺漫画家のような人を見つけて、彼らをアニメーション化してもらおうっていうことになったんだ。それでいくつかのスケッチを書いてもらったんだけど、なんとなく違う様な気がして、いろんな考えを出した。それで、入ってくる資料を見ていて、最初に来たのは、以前彼らと仕事をしたことがあるカメラマンたちからもらったコンタクトシートだった。僕たちは、「このコンタクトシートには何か特別なものがあるぞ」って思いながらそれを見続けた。何か、過去へと続く窓みたいに見えたんだ。
 そこでマークが、「なあ、見てくれ……」と言って、説明しはじめた。彼が言ったことのひとつは、「もしコンタクトシートが広がっているテーブルの2D世界を効果的に見ているなら、同じことを他の情報を使ってもできるはずだよ」ということだった。それは、ビデオを使ったり、電話の通話を使ったり、付箋紙を使ったり、リアムがノエルに書いたメモを使ったり、またノエルがリアムに書いたメモだったり。そしてページをめくるように入ったり出たりできるんだってね。そうやってあのアニメーションのスタイルが決まったんだ。

■メディアや人の目に映る彼らと現実の彼らはどう違いましたか?

MW:このふたりの兄弟に関しては皆が意見を持っているよね。実際にタブロイド紙はすごく極端で、ふたりを風刺的に描いたから、それが一般的な理解になってしまった。人は多かれ少なかれ、そのような目で彼らを見るようになったよね。だから「オアシスの映画を作っているのですが、当時についてどんなことを覚えてますか、どう思いますか?」なんて聞くと、皆はこのふたりに対してすごく厳しい意見を持っていた。そしてそれは、僕が実際に彼らに会った時の体験や、彼らに関する資料を調べて得た印象からはかけ離れていたんだ。
 彼らと一緒に時間を過ごすとわかるけど、彼らはとても頭がいい。ふたりともとても面白くて、自分がしていることに対して情熱を持っている。そして音楽が大好きで、あの3年間に起こったことを本当に喜んでいる。当時の出来事をタブロイド紙で読むと、パパラッチとの問題や人間関係とか、そういったバンドの外で起こっていたナンセンスで、彼らについての興味深いことではなかった。俳優にしろ政治家にしろミュージシャンにしろ、有名人なら誰でも言えることだったんだ。だから、それらは彼らを特別にした要素ではなかった。
 彼らの何が特別だったかっていうと、当時この国で音楽の世界で、また社会で起こっていたことなんだよ。だから僕にとっては、一歩下がって彼らに会って、人が考えている彼らの姿と現実との対比を見られたことがとても面白かった。僕たちの映画で少しバランスの取り直しができることを望んでいる。この映画を見たらふたりともどんなに頭が良くて、面白くて、才能があるかを見ることができると思うよ。

   


©Tim Abbot

 

■彼らにどんなことでも聞けるような気がしましたか?

MW:かなり最初の頃から彼らは話したいことなんでもいいよって言ってくれた。でも僕は、いったんはじまって、ふたりの仲の問題とか、成功するまでの過程で起こったこととか、子どもの頃のこととかになったら、「もう話したじゃないか」とか、「もうその話はやめよう」とか言われると思ってたんだ。でも、彼らは率直で、何度も同じことを話せたし、もう一度話したことに戻ることもできた。もしはっきりしないことがあれば、数週間後にまたその話に戻れた。それを嫌がる様子もなかった。「もうそのことは十分話しただろ」とか「この話はいやだ」とか、「その質問は言い方を変えてくれないか」なんて言うことは一度もなかったよ。全くね。
 最初の頃、どんな映画になるかっていう話をしたとき、僕は、「個人的にはタブロイド紙側の情報は十分聞いたって感じてる」って言ったんだ。「話の中でそういったスキャンダルにも触れることになると思うけど、僕は、もっと音楽の話や君たちに何が起こっていたかについて話したい。その時に起こったことは、なぜ起こったのか、どうやって起こったのか」って。パパラッチどもとの騒動や、解散間際に起こった出来事よりも、ネブワースの頃に起こったことにフォーカスしたいと伝えた。リアムもノエルもボーンヘッドもその方がいいって思ってくれたみたいだ。彼らは、自分たちの音楽がバカ騒ぎや彼らの抱えていた問題の中に埋もれてしまったのではないかということを気にしていたんだと思う。彼らに質問することが問題になることはなかったよ。どちらかといえば、僕の方がそういったスキャンダルについての映画ではなく、彼らの音楽活動に関する映画にしたいと主張していた感じだった。

■このプロジェクトの中で一番楽しかったことは?

MW:最初に入ってきた資料だね。それを撮った人以外は誰も見たことがないようなものが届くんだよ。バンドのメンバーは、ティム・アボットの映像を見たことがなかったらしい。昔見たことがあったとしても、次の日の朝に急いで見たとかで、ちゃんと見たことはなかったんだ。地球のほとんどの人は、それが存在することすら知らなかった。だから、その映像とか、また、後で日本からの映像とか、2番目のアルバムを作成している時の映像とか、ステージ裏の特別な瞬間などの映像とかが入ってきたときはすごく楽しかったよ。同じように、ジャーナリストによるインタヴュー映像なんかは、誰も聞いたことがなかったものだったりしたんだ。当時のジャーナリストたちも聞いたことがなかったんだよ。それが僕にとってはすごくエキサイティングだった。
 それから、特に興味深かったのは……。ギャラガー兄弟に何が起きたのか、彼らの関係は難しいって今では皆知っているし、ふたりのそれぞれにインタヴューはできても、ふたり一緒にインタヴューすることはできないってわかってた。でも、入ってきた映像を見ると、例えばティムが撮った『トップ・オブ・ザ・ポップス』の映像では彼らがふざけ合っているのが見えるんだ。ふたりの間に愛が見えるんだよ。すると突然失われたものが何かわかるんだ。もしかしたら……いや、彼らがなんとか仲直りしてくれるといいなって思うんだけど。
 そして、僕たちは皆彼らの間に愛があったってことを忘れていたし、また彼らも忘れていた。最初のセッションで彼らそれぞれと話す中で、僕が、「最初に一般的なことを聞いて、それから君の記憶を呼び起こすために映像をいくつか見せるね」って言って映像を見せたんだ。これは僕の思い込みかもしれないけど、かつてのふたりの関係はどんなものだったのか、また、どれだけ楽しそうにふざけ合っていて、どんなに親しい関係だったのか、それからどう展開して今はどうなったかを見て、彼らはふたりとも心を動かされているように見えた。それで、映画の中に当時のその瞬間に居合わせたような気にさせるような映像を含むことができるってことが分かったんだ。そこにカメラがあるということは、友達が撮っているっていうことでしょ。となると、そこに壁はない。見栄を張る必要はないからね。だから、そのとき何が起こっていたかっていうことを純粋に見ることができるんだ。

   


©Ignition

■映画で取り上げると、事前に決めていた曲や出来事はあったんですか?

MW:僕たちは進めていく中でどんな映画になるのかを発見していったんだ。最初にわかっていたのは、オアシスについての映画を作るチャンスがあるかもしれないっていうことだった。でもオアシスのどの部分の映画になるかはわかっていなかった。今のことなのか、昔のことなのか、それとも彼らのキャリア全体なのかはね。
 皆がそれぞれお気に入りの曲を持っている。僕のお気に入りは“Bring It On Down”だった。だからそれは1曲全部を入れなきゃと思ってたよ。それをモンタージュみたいにカットしてつなげて、その後にニューキャッスルでのけんかの場面を入れた。でも、結局それは編集でカットされちゃったんだ。すごく残念だった。僕が大好きな曲だったし、パンクっぽくて、粗野な感じでね。まだ映画には残っているけれど、僕たちが使いたい感じでは見せていないんだ。僕たちは静止画像を使って連続のアクション・シーケンスみたいに使ってよみがえらせた。だから、絶対映画に残ると思ってた。他の何をカットしてもね。でも結局ボツになったんだ。だから何が映画に残るべきかについての考え方を全く変えて、編集をした。
 フィオナは現場にしっかりと関わるプロデューサーで、サイモンがバンドとの連絡係で、ジェームスもいたし、また『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』と『AMY エイミー』っていう素晴らしい映画を作ったアシフもよく来て映画のだいたいのカットを見てアドバイスをくれた。彼らの感想は、「オアシスの歌を3曲ぐらいしか知らない人のことも考えないといけないよ」とか、「“Wonderwall”は絶対に入れないとね」といったものだった。僕はどっちにするか迷ってた。だって、彼らの曲は知られていたからわざわざ紹介する必要はないと思ったからね。でも特にアシフは、「彼らの曲は秘密兵器みたいなものなんだ。だから曲を使って、映画を見ている人に楽しんでもらうんだ」って言った。僕はそれに対して、「ん~、ファンはもう知っているし、使わなくてもこの世の終わりにはならないし」なんて思ってた。そこで思ったのは、ストーリーを伝える曲ならば使えると思ったんだ。だからいつも、それはそれがいい曲だからというよりも、ストーリーを物語っているからという理由で曲を使うようにした。


©Ignition

■このドキュメンタリー映画はノエルとリアムのストーリーの中でどんな役割を果たしていると思いますか?

MW:この映画が重大な役割を果たしているとまでは言えないね。ドキュメンタリーは結局僕たちの意見でしかないから。あるいはいろんな人々の記憶からコラージュを作っているにすぎないんだ。でも、あのバンドが達成したことや、彼らの歌の重要性や、その影響が今日まで人々に影響を与えているっていうことをこの映画が示しているんだと思う。
 彼らの影響はどの結婚式に行っても、どんなギグに行ってもわかる。今でもノエルがソロのツアーでどの曲を演奏しても、最初のコードを弾くだけで、後は聴衆が続けてくれる。もし仮に彼が引っ込んで、やかんを火にかけに行って、3分後に戻ってきたとしてもまだ皆は歌っているだろう。だからその意味では、この映画の重要性はどこにあるってわけでもない。
 僕たちが達成しようとしていることは、あの3年間にバンドが何をしたかっていうことを人々に思い出してもらうことなんだ。あの5人が達成したことは、本当にすごい。それから後に起こったことのために、また彼らの結末が面白おかしく扱われてしまったために、彼らの功績は、特に音楽の面で忘れられてしまった。だから僕たちはできるだけバランスを取り戻そうとしているんだ。
 人々が覚えているあの兄弟の姿っていうのは『サン』紙とか『ニュース・オブ・ザ・ワールド』紙とかのタブロイド紙が描いた姿で、現実をあまり反映していないからね。だから、できるかぎり、彼らの何がそんなに人の心を掴んだのか、何が人を魅了したのか、なぜ彼らは並外れた人物なのかを人々に思い出してもらうんだ。『ミラー』紙に書かれたとおりの人々じゃない。彼らは実在した実際の人間なんだってね。それが僕にとっては大切だった。だから僕たちがしたかったことは、ある意味で、バランスの取り戻しなんだよ。人びとは誇張された彼らの姿について話してきたけれども、彼らの音楽と人間関係について話してみようよって感じでね。


※『オアシス:スーパーソニック』は12月24日(土)より角川シネマ有楽町ほかにて全国公開

『オアシス:スーパーソニック』
監督:マット・ホワイトクロス(『グアンタナモ、僕達が見た真実』)
製作:フィオナ・ニールソン、ジェームズ・ゲイ=リース、サイモン・ハーフォン
製作総指揮:リアム・ギャラガー、ノエル・ギャラガー、アシフ・カパディア(『AMY エイミー』、『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』)
編集:ポール・モナハン/音楽:ラエル・ジョーンズ/再レコーディング・ミキサー:リチャード・ディヴィ/VFX&アニメ―ション:ザ・ブルワリー/VFX&アニメ―ション・スーパーバイザー:マーク・ナップトン/ミュージック・スーパーバイザー:イアン・クック、イアン・ニール
2016年/イギリス/英語/カラー/122分/日本語字幕:石田泰子/監修:鈴木あかね、粉川しの/配給:KADOKAWA
日本公式サイト:https://oasis-supersonic.jp/

Pan Sonic - ele-king

 パンソニックの「新作」がリリースされた。チェルノブイリ事故以降に初めて建設されたフィンランドの原子力発電所を巡るドキュメンタリー映画『リターン・オブ・ジ・アトム(Atomin Paluu)』のサウンドトラックである。監督はパンソニックのふたりとも交流のあるミカ・ターニラとユッシ・エロール。
 その内容からして現代文明社会への警告ともいえるドキュメンタリー映画だろうが、ここ日本でも(エンターテインメント映画であっても)『シン・ゴジラ』や『君の名は。』など、「3.11以降の表現」を模索した作品が相次いで公開されているので、ぜひとも公開を期待したいところである。

 パンソニックのオリジナル・アルバムとしても、2010年のラスト・アルバム『グラヴィトニ』から、じつに6年ぶりのリリースとなる(お馴染み〈ブラスト・ファースト〉から)。もっとも制作自体は2005年からスタートしていたらしく、工事中の原子力発電所でミカ・ヴァイニオとイルポ・ヴァイサネンがフィールド・レコーディングした音素材をベースにしつつ、昨年2015年にミカ・ヴァイニオが単独で最終編集作業をおこなったという。
 このタイムラグは諸般の事情で映画の制作と公開が遅れていたことも原因だったらしい。その結果として、ラスト・アルバム「以降」の新作であり、同時に、ラスト・アルバム「以前」から制作が始められていた未発表アルバムという、いささか複雑な成立過程の作品となったのだろう(ちなみに本サウンドトラックは2016年「フィンランド・アカデミー賞」の音楽部門受賞作品である。このようなエクスペリメンタルな作風の音楽が、国民的な映画賞において受賞をしたというのは素晴らしいことに思える)。

 だが、私としては、本作を彼らの「2016年新作」と称しても、まったく差し支えないと思っている。音響の質感が『グラヴィトニ』以前の脳内に直接アジャストするようなバキバキとしたサウンドから、「霞んだ音色のダークな質感」へと変化を遂げていたからだ。これは1曲め“パート1”のイントロの音響的質感からして明白である。
 むろん、その「変化」は、映画のテーマ性を反映してのことかもしれないし、工事中の原子力発電所で録音した音素材の質感ゆえの変化かもしれない。また、ミカのソロ作品『キロ』(2013年)のダークなサウンドに近い印象でもあり、ミカ・ヴァイニオ単独作業の影響かもしれない。だが、2曲め“パート2”や3曲め“パート3”など、あのヘビー&メタリックなビートも炸裂するのだから、まぎれもなく「パンソニックの音」なのだ。
 となれば、5曲め“パート5”以降のアルバム中盤で展開される霞んだ質感のドローンと不穏な環境音の交錯などは、2010年代以降のインダストリアル/テクノなどの「先端音楽」へのパンソニックからの応答といえなくもない。同時に4曲め“パート4”の冒頭など、どこか武満徹の「秋庭歌一具」を思わせるタイムレスな響きの持続も生成されてもいた(たしかミカは武満ファンでもあったはず)。
 聴覚にアディクションする強烈なノイズから空気を震わすような淡く不穏な音響へ。そう、本作においてパンソニックは音響と空間のあいだに、これまでにない「空気」を生成している。そして、その空気は、工事中の原子力発電所から採取された音素材がベースになっている。となれば、本作特有の「不穏さ」は、やはり原子力発電という制御不能な「力」への畏怖なのではないか?

 「力への畏怖としての電子音楽」。このダークなサウンドは、「われわれ」への警告なのかもしれない。3曲め“パート3”冒頭に鳴り響く、あの暗い雷鳴のように……。さまざまな領域から「資本主義の終わり」を感じつつある現在だからこそ、深く聴くべき問題作といえよう。

 2015年はスペシャルな1年。いままで活動を共にして来た盟友であるDJ HIGHSCHOOLが1stアルバム 『MAKE MY DAY』 を、ERA、BUSHMINDは3枚目となるアルバム『LIFE IS MOVIE』、『SWEET TALIKING』をそれぞれリリース。SEMINISHUKEI、D.U.O.TOKYO……凄く近くでそれでいてそれぞれの色が際立つ3アーティストは、12/22の夜にトリプル・リリース・パーティを開催する。
 こんな素晴らしいタイミングは無い! と思い、3人の対談をセッティングしてもらった。少し前にFALSECRACKで合流したCENJUはこの3作品全てに参加している、
 というのをふと思い出して進行を手伝ってもらった。いつもの感じとスペシャルな感じの両方が伝われば嬉しいです。

MERCY = M
BUSHMIND = B
CENJU = C
DJ HIGHSCHOOL = H
ERA = E

M:簡単な自己紹介と、馴れ初め的なエピソードを教えてください。

E:どうも、ERAです。所属はD.U.O TOKYOです。お願いします。この3人の馴れ初め的なことを話すと、名前をERAに変えて表立って活動する時にBUSHMINDはアルバムもリリースしてて、名前はもちろん知ってて。ファースト・アルバム『3words my world』を自分が出すときに初めてコンタクトをとらせてもらった。

M:DJ PKが横浜でやってるイベントにこの3人がいた記憶があるんだけど。

B:挨拶だけは多分イベントでしてると思います。そのアルバム( * 『3words my world』)の時に呼び出しがかかったんすね。トラックをくんないかって、場所は新宿のマックですね。

E:BUSHMINDは間違いないんじゃないかってところで、トラックを欲しいと頼んだんですね。それが最初ですね。 DJ HIGHSCHOOLとの出会いは新宿アンチノックのライブの帰りに飯を食ったってのが最初なんだよ。WOB( *当時ERA、MERCYが活動の拠点としていた2ヴォーカルのHARD CORE BAND)の最後のライヴの時。

B:タコデリオ( *STARRBURSTが当時働いていたタコス屋)ですね。あの時みんな時間差でいたってことすね。

H:で、ずっとERAは無言だったんすよ。それで最後STARRBURSTとあの人たち怖くない? みたいな。

B:俺もいた。WOB怖いってなった(笑)。

E:当時、もしかしたらDREAD EYEを知ってたかもしれない。

H:ライヴとかも来てくれたんすよ。その時ちゃんと話したんすよ。

E:DREAD EYEはその時デモデープを聴いたことがあったのかな。MERCYの家にあった。

B:てかみんなそのライヴの時に会ってたんだね。

M:あの時、みんな来てくれて凄く嬉しかった。WOBはみんなは見た事あるのその1回だけじゃないかな。

H:えっ??? 俺、気が付いたんだけど、自己紹介が1人で終わってる。ということで、トラックメイカーのDJ HIGHSCHOOLです。所属はD.U.O TOKYOとSEMINISHUKEIです。あとUNDER$TABLE、宜しくおねがいします。俺とBUSHMINDとの馴れ初めは、滋賀県にThemselvesを観に行った時。全然お互い知り合いじゃないのに。

C:Anticonを滋賀に観にいったの?

H:なぜか滋賀の学園に来るっていう。そこでしかやらないっていう。今里さんに行こうって言われて、俺とタク( *TAC-ROC)と田中君( *SONIC)とで車出してて、渋谷集合にしたんだけど、なんかバンズ履いて待ってる人がいて、俺らに近い感覚の人が。あれさぁ、俺らと一緒に行く人っぽくない? ってなって。

C:派遣のバイトの待ち合わせみたいなのりだ。Goodwillの人ですよね?(笑)

H:BUSHMINDから近づいてきて、もしかしてゼム行く人たちですか? って。残りの人たちが全然来なくて、俺らずっと無言で、牽制したまま別れて、その後初めて話したライブってcommonでしたっけ?

C:俺もいた!common行ってた!!

M:CENJUはとりあえず話はのらなくていいから。

C:危ない危ない。話したくなっちゃった。そうだ、聞き役に回らないといけないんだった。

B:そのときも挨拶くらいしかしてないよね。

E:2人ともナードだったんすかね。

B:だいぶナードだった。Themselvesを滋賀まで観に行く位だからね。

H:ナード過ぎて全員バリア貼ってて、なかなか近づけない的な。ということでそんな感じですね。

B:そのBUSHMINDは僕です。SEMINISHUKEIとD.O.DとROCKASEN、HIMCASTあたりですね。所属を言い過ぎると、もはや動いてるのかわからないグループも入ってきちゃうから。

M:これでもうなれそめエピソードは出切りましたね。次は、それぞれ2015年にアルバムが出ましたよね。それぞれの作品の自分的なコンセプトを教えてください。

H:1日っていう時間軸で曲を入れていくって感じで、明け方からスタートして目覚めて起きて、用意して家を出て、昼になって夕方になってまた夜明け前までっていうのをトラックとして作って、あとはその時間帯の情景をラッパーに語ってもらうっていうのがコンセプトですね。

B:俺のアルバムは、実験室ってかんじですね。BUSHMIND LABOみたいな感じで。調合と化学反応を見るって感じです。1日の流れとか時間軸でっていうのもやりたかったんだけど、HIGHSCHOOLに先にやられたってのもあって、俺は実験に特化したアルバムを作ろうと思った感じです。

E:自分はラッパーなんすけど、自分の尺度でカッコいいラップができるかっていう。そこですね。あまり自分の尺度でダメな部分は出さないように作りました。

H:お前も俺のアルバムは? って言ってほしかったですけどね……タイミング逃したね。絶対逃すっておもってたけどね(笑)。

C:ありがたき。また後で来ます。

M:それぞれのアルバムに対して、思ったことを聞かせて下さい。

H:俺だけファーストじゃないですか。2人はサードか。だから俺からしてみると、2人っぽさがより研ぎ澄まされて出した形かなって感じに見えたっすね。BUSHMNDもERAも音的には違うけど、出すテンションというかアーティストの過程として時間軸の上での作品としては凄い似てるなって。スタイルが確立されてて、いままでも、もちろん確立されてたんすけど、それが一番色濃く出てる感じかなっていう。

M:両者とも、いままでの作品では一緒にやってないアーティストと一緒にやってる。そういう部分もいまHIGHSCHOOLが言った部分に通じると思いますね。

H:洗練されたというか、選別が厳しくなってるじゃないですか。前に比べて。BUSHMINDだったら 『BRIGHT IN TOWN 』( *1stアルバム)があって、『Good Days Comin'』 ( *2ndアルバム)があって、けっこう周りの近い人たちだったりするけど、サードはそういうものをいれつつ、さらに違う部分もいれてて。ERAはいままでは俺らのやってる D.U.O.が入ってたけど、今回は入ってなくて。バッサリ切ってフィーチャリングを自分が本当にやりたいって人とやってる。何かアーティストとしてやりたいことが確立してる上で作ってるように凄く感じる。

M:アーティストとして確立したBUSHMIND,ERAがやりたいことをやるという感じですよね。

B:夢は何個も今回叶いました。NIPPSさんとやること。小島麻由美さんとD.U.O.を絡めるのも、俺しか出来ないだろうなって。いい感じで出せたかなっていう。ERAのニュー・アルバムに関してはより色が濃くなったんじゃないかと思います。3 WORDS MY WORLDは自己紹介的な感じもあったけど、もっとプライヴェートな感じで。

E:そんな感じっすかね。俺がOS3と俺のとBUSHMINDのと聴き比べた時に、OS3も言ってたけど、たしかに俺らは3枚目でけっこう成熟してきてるみたいな。OS3はラフさが残ってるんだけど、それが軽く聴ける感じでいまのストリートなのかなって。結構俺とかは考え込んで作ってる部分があったりとか。フレッシュさみたいなのは感じたかな。

C:OS3のアルバムは聴きたい時に選べる感じだって俺は思ったっす。

B:あと、勢いはスゲェある。持って行かれる感みたいな、ガーッて勢いよく曲にしても並んでる感じが俺も思うっすね。。やってるところも他にはないところではあると思ったし、OS3のサイケデリックさも俺とはまた違うから。そこは凄いわかったね。同時期に出してみて。

C:ラッパーのくっつけ方が俺は面白いなと思いましたけど。

H:俺のはけっこう正当な感じなんだけどね。

M:アルバム制作の過程でJUCEとCOOKIE CRUNCHは自分が紹介してそれから直ぐにサクッと曲作ってたから、そういう意味でもけっこう勢いがあったと思う。

H:その2人もけっこう勢いよかったし。

M:勢いやのりっていう部分での1枚目感はたしかにあるよね。

H:そこまで意識してなかったすけど、勢いのあるやつを並べたなってのはあるかもしれないっすね。GO DUMBとかもけっこう勢いあるし。

B:GO DUMB ( "MAKE MY DAY"収録曲、ILL-TEE、CENJUが参加。)はリリース前から盛り上がっちゃってたからね。(*リリースされる前にライヴでMOSHが起こったりしてました)

H:そんな感じっすかね。俺も3枚目とかそういう感じでやりてぇなって思うし。

B:2枚目でしょ。とりあえず(笑)。

H:2枚目すっ飛ばしたけどね。2枚目を出さずに3枚目は絶対に作れないけど(笑)。

B:『JEWELS』も最初2枚目(*2ndアルバム)って体じゃなかったしね。

E:そうですね。EPみたいな感じだったすけど、一応あれはボートラを3曲追加してたんすよ。そうすると11曲になるからまぁいだろうと(笑)。

C:俺もインターネットで調べたんすけど、8曲からフルアルバムって言っていいらしい。フルって言えばそこで金額を上げられるって。最初の『THANKS GOD, IT'S FLYDAY! 』( CENJU & QROIX名義での1stアルバム)は8曲しか入ってなくって1,500円で考えてたんだけど、フルってことにしようってなって、1,800円に上げたんだよ。

M:でもあれはアルバム感ある作品だ思うよ。今調べたけど、オリコンの定義で言うとオリジナル曲5曲以上の場合はアルバムみたいですよ。

B:HIGHSCHOOLとりあえず出しちゃえ。5曲で出せばセカンドだよ。俺は3枚目が早く作りたいんだって。

C:5曲で3曲スキット入れたら8曲だからアルバムだよ。

H:そうだけど……もうアルバムの定義はよくね? 俺らが定義しなくて良くない? こんなちっちゃい部分でアルバム定義しててもしょうがないよ。

C:革命を起こすかっていう。

B:いや起きないって。曲数で革命は起きない!

E:ところで、BUSHMINDは4枚目は出そうと思ってますか?

B:4枚目も出したいけど、その前に何やるかかな、みたいな。ROCKASENもあるし、テクノとかハウスとかでもやりたいし。いきなりインストモノを出すとか、一旦そこで積み重ねというか、選択肢が増えるような動きをしたいすね。3枚目は現状の俺の積み重ねとか考えは相当出せたんで。

E:BUSHMINDとしてはラップがのってるのはフル・アルバムとして出して、テクノの音源に関してはまた別の形ということ?

B:いまの現状ではテクノとかは別って感じですが、そこは絡められるっていう可能性も見えてきたんすよね。

M:アルバムでもそういうアプローチを感じる曲はありますよね。

H:FRIDAY ( *SWEET TALKING"収録曲。O.I.、LUNAが参加。)もかなり4つ打ち色が強いし。
B:この間DJ PKが聴かせてくれたんだけど、ヨーロッパのラップは、バース部分がトラップビートで、フックで4つ打ち、それが定番化してて、ハードコアのDJのやつらもトラップとドンドン融合してるみたいなんだよね。

C:バースのラップは繰り返し系? 言葉は?

B:トラップだよ。ドンドカみたいな。言葉はいろいろで普通にラップもある。ブレイクっぽいところで4つ打ちになる。150くらいのビートで。ヨーロッパならでは。かなり融合しているところもあるから、そういうところも見つつ聴きつつ吸収しつつでまた新しいことが出来るかなって。

E:俺はBUSHMINDをリスペクトしてるところがあって、OS3もそうだけど、常に制作し続けてるじゃん。そこのモチベーションというか、そういうのがスゲェなみたいな。

H:やらないときもあるんすよ。普通にYouTube見入っちゃって。

B:全然あるっす。ベッドから出ないでずっと漫画読んでるっていう。

H:あんまり別に構えてないですね。やれるときにやろうかなみたいな。

B:締め切りがあると変わりますかね。

E:でも作り続けてるわけでしょ、常に。依頼がなくても。

H:普通に生活のサイクルの中に入っているっていうか。

E:それがスゲェって。

B:たぶんラップとトラック制作でまたちょっと違うところもあるんじゃないかと。

E:うん。俺はラップでいわせてやろうかなっていうのはある。トラック的にはそういうのはないのかな?いわせてやろうみたいなの。

H:その時の気分だと思う。言葉がない分、その時に言いたいこととか特にないから、トラックは表しやすいのかもしれない。

M:トラックを作っていく時に最初にこういうのを作ろうというヴィジョン的なものを持って作り始めて、そのままゴールに行けたことってありますか。

H:無い。

B:無いかな。あったとしてもたまにかな。

H:だいたいそれで想像してそのまま作って出来たの聴いたらダセェなって思うんだよね。

M:プランありきでも予想外の方向に行った方が良いのができたりする時も多いと感じますもんね。もう一回戻ったりして、予想してたやつより良い方向のものを再構築するというか。

C:俺、一時期トラックを作ってた時期があって、始めないとゴールが出来ないんですよ。ゴールありきでやってないから……

B:このネタをこう使って、こういうビートを作って、っていうのもあるし、そういう人も、作り始めてからゴールが見える人もいると思いますし。

H:俺は普通に作りはじめちゃって、それから当て嵌めていくっていう感じかな。前はこれをサンプリングで使ってって思ってたけど、作ってみてそういうのに飽きちゃったっていうか。

C:スタートのほうがクリエイティブってことですよね。

M:ストックしても一生使わないストックたくさんありますよね。これ絶対いいんだけどとは思ってストックするんですけど。

E:こういう、これ風のスタイルがあって、一回やってみるかみたいな感じでやってみたけど、クソださくなっちゃったみたいな。それは使わないもんね。

H:ラップって結構現実じゃないですか言葉だから。トラックって空想の世界だと思うんですよ。でも自分の経験したことじゃないと、何か重みがでないじゃないですか。トラックは空想のものだからポンポン俺は作れる。ラップになると色々考えちゃうからたじろく。

C:これは言ってもいいのか。それとも言っちゃいけないのかって。でも最近の俺はGOするようにしてる。たじろかないで、言ってしまったもん勝ちなんじゃないかって。

M:KNZZ( *来年遂に1stアルバム『Z』がリリース。『SWEET TALKING』に参加)のレコーディングをこの間見てて思ったんですけど、トラックとラップって音的には似てると思うんすよね。いちばん最後の煽りとかまで5本入れてて、全部出来るとそれが機能してるみたいな。

B:うん、そうそう。KNZZ君は作り方が似ているとおもう。やっぱ彼はトラックメイカーもやってるから、話していると確実にそう感じる。

H:けっこう行き当たりばったりなんすよね。トラック。このネタ使いてぇって時はあるけど、1から作るときもけっこう増えてきたからその時は行き当たりばったりで。

M:どういうペースで作れているときに、いいものが作れてると思いますか? 気持ちよくできたなって思う瞬間とか?

B:ラストピースが嵌った時。最後の1音、もう一個ちょっと足りねぇなって思って、これとかかなって投げてピタって嵌った時。

M:具体的にアルバムだとどの曲ですか。

B:アルバムはROCKASENとかのそうかな。だからラップがそれだったりもあるのね。

H:俺は全部それなんすよ。ラストピースがラップ。

C:トラック7割、ラップ3割。

E:じゃあぶっちゃけた話、ラップをのっけてガッカリすることもあるみたいな。

B:それはあるっすよ。

E:ここまで来てて、イメージしてて、要するに共同作業じゃないですか。

B:ラップがのってまだ完成じゃないんだって思った時はあるっすね。そん時に今度はもう一個サンプルとかを足す。

M:それがラストピースになるときもあるということですよね。

B:ROCKASENのとかたしかそうだったんだよね。ラップ乗っかっても、もうちょっとだったんだよね。

C:なんかトラック100%で作ってくるトラックメイカーいるじゃないですか、渡されて、これラップのっけなくて、このまんまでベストじゃんっていうのがあるんすよ。たまに。そうするとラップする隙間が無いから100%が逆に下がるんすよね。

C:それに対して俺はなんて言えばいいの……。すいません。本当に……。

M:それって制作の距離もありますすよね。ラップとトラックとのやりとりの投げ合いが一回しか出来ない場合もあれば無限に出来たりする場合もあるし。どこが最後のピースになるかはそういう結果だったりするのかなと。

B:人によってそれがラップだったりパースだったり。

H:出されたものを完全にこう乗りこなすやつもいるわけじゃないですか。

B:そうそう。それは相性次第だよね。

E:そこで考えさせられたのが、今回のBUSHMINDの作ったシャッフル音源なんだよ。 (*12/22のリリース・パーティで限定販売される予定のこの3者のアルバムがシャッフルされた音源 ↓下記にその音源よりまずはBUSHMINDから1曲公開 )
DJ Highschool feat. D.U.O / Rise And Shine ( Loose Set Remix )
https://soundcloud.com/bushmind/dj-highschool-feat-duo-rise-and-shine-loose-set-remix

C:俺は『SWEET TALKING』のトラックは、100%だからどう乗っけたらいいのか、邪魔しないようにって思って作ったんですけど。

H:じゃあGO DUMBに関してはどうなの。

C:GO DUMB、隙間がいっぱいあるからラップしないといけないんじゃないかって。

M:HIGHSCHOOLのアルバムは、こういう風にやってっていう指定ありきで作ってるから、感じ方が少し違うのかなって思うんだけど。

C:BUSHMINDの時はラップのっけて、さらに上がったよって送られてき音源が自分が聴いたときの音源と全然変わってるからスゲェなって思って。ここまで進化させられるんだみたいな。俺が100%って思ってたのがそうじゃなくって。

B:100%いってなかったから。俺が補正したの。

C:だから、それは人によって全然違うと思いますね。。俺とQROIXで作る時、HIGHSCHOOLで作る時、ラップののせかたの違いは出てくる。トラックメイカーによって。

B:シャッフル音源は思ったんすけど、ほとんど俺とOS3のトラックだからそこの相性もあんのかな。ごちゃごちゃにしたけど、あれだけ嵌るところが多いっていうのは、OS3のトラックはHIGHSCHOOLのトラックもあるし、俺のを入れ替えてもだけど、日頃の積み重ねというか、共通項がやっぱりあるんだなっていうのはやってて思ったっすね。

E:こっちとしてはトラックをもらって、トラックに合わせてじゃないけど、トラックを聞いてラップを書いたりするわけじゃないですか、それに対して真面目にやってたわけだけど、それをシャッフルしてみてシャッフルしたほうがカッコいいっていうのは結構考えさせられるなって。

H:逆にあんまりないですよ。あそこまで嵌ることはそんなにないです。それは俺とBUSHMINDの温度感だったり、そういう、なんかやっぱ常に制作ってなると絶対にこの3人は関わるから、そういうのもあると思うんすよ。クセをわかってるから。

B:ERAのラップは一番合いやすいから。トラックまとまったら、とりあえずERAのアカペラをのっけてみようって良くやってる。

H:自分はBUSHMINDに普通に影響を受けているからそういうのもあると思うんすよね。

B:フィードバックが起きた結果、あれだけいろんなことになってる。

H:全然別のところから来た3人で、じゃあシャッフルしましょうってなると、そりゃあ無理あるよなって思います。

M:不自然さがなかったですよね。普通に他の人に、これ曲って聴かせたら、これで録ったんだろうなって思うくらい。

H:いままでもそうじゃないですか。リミックス系でSeminishukeiでやってきたけど、やっぱりラップしてる奴も知ってるしみたいな。だからやりやすい。

E:自分は聴いて、根本から揺さぶられたんすよ。作り方的に。

B:俺もラッパーにあまり聴かせないほうが良いんじゃないかと思っちゃったんすよ。嵌りすぎてて。作った人に申し訳ないと思って。

H:でもそれって、リミックスなんだから当たり前じゃない?

M:ここまで当人達も問題作だと思っているシャッフル音源は聴いた人のお楽しみという事で、それぞれアルバムをリリースしてからはどんな感じで活動していました?

B:俺はかなりDJで呼んでもらってたかな。夏くらいからは毎週位のペースで。

M:アルバムの再現的なセット以外でのDJプレイの時はどういう感じですか?

B:イベントのオーガナイザーにどういうプレイをやってもらいたいか、基本ヒップホップかテクノかみたいな感じで聞いて。

M:イベントに呼んでもらった時に聞くんですか?

B:そう。「どっちがいいっすか」みたいな感じで聴く。基本2択かな。その中で、DJ APRILさんに呼んでもらったときは、オリジナルビートセットでお願いしたいということだったから、その2択以外だったけど。けっこうやったかな。8週くらい連続で呼んでもらってた。

M:ERAは?

E:アルバムをリリースした後に、現実とぶち当たりまして、それでまぁ、考えさせられることもあり、ちょいちょい休みつつも、制作しないとなって訳じゃないけど。そういうのでなんかBUSHMINDとかOS3とかやり続けてるから、そのモチベーションていうのか、そういうのが気になったっていうか。今回の制作に関しても次に向かってるんだけど、ちょっと離れてみて、色々聴いてみたりとか。2枚目まではすぐ行けたんだけど、今回は.……

M:2枚目作った後は、直ぐに曲作ってましたよね。

E:まぁ、そんな感じっすよね。はい。

H:俺は、もうちょっとこうできたなとかそういうのがあったんで、その反省点とかを見つめ直したり。今までミックスCDとか『Bed Time Beats』っていうビート集とか、結構出してたけど、アルバム制作してからストップしてたんで、それをまた再開して。ちょっと違ったアプローチでやってみようとか、ERAのアルバムにも1曲入れてますけど、RAMZAと一緒に曲を作ったり。

B:あれは完全にアップデート感があったね。あの曲は凄いよね。

H:今までやらなかった事とか、人と何かやってみようとか、そういう感じで。これからですけど。Bed Time Beatsの5も作ってたりとかします。

M:UNDER$TABLE ( * NERO IMAI, MIKRIS, J.COLUMBUS, OS3によるグループ)もはじめましたもんね。ラップをけっこうやってますよね。

H:でもトラックに対するアプローチが、いままでハードで作ってたのをアルバムからはガッツリPCに移したりとかして、その操作とかも慣れてきたってのはあるから、それでちょっと変わってきたというか。『SWEET TALKING』とか聴いたりして、トラックをもっと突き詰めるっていう部分ではかなり影響を受けたなっていうのはありますね。

E:同じクルーにいながら、BUSHMINDとHIGHSCHOOLはライバル的な……

B:そこは間違いないっすね。『Make My Day』は相当影響を受けたし、刺激にもなった。自分のやるべきこともそれで見えた部分もあるし。

H:そうっすね。向き合い方が、著しく変わったわけじゃないけど、伸びしろをもうちょっと自分で見つけてやってみようかなっていう感じではありますね。

M:ここ何年かみんな一緒に活動してきてるなかで今年みたいに近いタイミングでリリースしたことって無かったですよね。

B:まさかって感じだったよね。

M:そういうことお互いに影響とかどうですか?

H:SEMINISHUKEIとかD.U.O.とかもそうだけど、BUSHMINDがいて、ERAがいて、2人ともアルバムっていうか、一歩離れたところで、大げさですけど責任を背負ってじゃないけど。外に向けて何かをやってる人が自分の周りでその2人がいちばんやってるなって感じだったから、そこに俺も参入するみたいな。俺もそこで勝負したいなって。

B:フィードバックもデカくなるしね。

E:決まった。間違いないっす。

H:じゃないと面白くないかなって思う。

M:それぞれ音源の部分でそれぞれの作品で印象的なところはありましたか。

H:ERAのアルバムに関しては、スタイルというかERAというものを完全に確立したっていう感じは凄い思ってて、BUSHMINDに関しては、すげぇミクロの部分まで音を見てるなっていうのは思いましたね。音数も多いし、凄い細かいところまで見てるな。そこがBUSHMINDらしさだし。俺は大雑把だから。

B:その大雑把ぶり、初期り具合に俺は影響を受けてます。

H:逆にアルバムを出してから、もうちょっと細かいところを見てみる感じになったっていうところですかね、俺は。そこはトラックメイカー同士のあれかなって。

E:じゃあ、トラックメイカーとして、2人で最終目標までいかないにしても、何かしら目標みたいなもの...やりたいことはありますか。

B:近場の人間にうわぁーって思わせられるように、そこは変わらず。一番重要かなって思う。

M:そこは一番重要っすよね。

B:そこだね。常にそこは考えてる。

H:俺はヒップホップから離れてもいいかなって。トラックを作ってラップをするっていう図式じゃないですけど、ヒップホップのビートだからラップがのるとか、そういうのは別になんか……もともと俺はヒップホップばっか聴いてきた奴じゃないから。

M:とくにDJ HIGHSCHOOLは、アルバムが出る前まではラップがのるっていう想定でトラックを作ってるっていう話を良く聞いてたんで、アルバム通してその変化もあるといいですね。

H:アルバムを作るってなって、本当は歌モノも入れたかったんだけど、上手く嵌るやつもいなくて、研究して、今回はラップ・アルバムをやろうって思って、全部そういう感じにして。次はもっとやりたいことを……もちろん、ラップするトラックも作っているうえで、別の動きも独自でやりたいみたいな感じになりましたね。

B:インストもの?

H:インストものはずっとやってたから、次はもうちょっと歌とか、ラップじゃなくて。インストもあって、歌っすよね、歌。

B:それはやりたいよね、歌。

H:『SWEET TALKING』 の"FRIDAY"みたいなことっすよ。

B:あれはやっと一歩踏み出せたって感じだもん。

H:なんだっけ、Prince Paulの1曲目とか。こういう単語を出すと何かうわぁ...って思われるかもしれないけど、トリップホップとか(笑)。

(全員爆笑)

H:Portisheadとか聴いちゃったりとかして、かっけぇってなったから。だから、R&Bとか好きで、ミックスCDとかもインディな方向に行ってて、それだったらもろにインディに寄せてもいいんじゃないかなって思う。日本人だし。

B:ERAはオーバーなところでtofubeatsとかと絡んでやってるじゃないですか、その辺はどう考えてるんすか。

E:やれるならばやりたいってのはあるけど、メジャーの有名なアーティストだし、それに対して向こうがOKしてくれるのかなって。それが正直なところかな。

B:俺ははオーバーに通用するものを作りたいって思う。

E:その欲求はあるけど、向こうがOKしてくれるのかなってのはあるし、それにこたえられるだけのオーバーっぽいものってあるじゃん。

B:ERAは他の周りのラッパーと比べて、そこは一歩上にいってると思うんすよ。今回のアルバムでもそれは感じたし。

E:でもまだまだかな。なんか、最近足りねぇ部分も見えてきたってのはある。

B:そこで勝負できるような曲を作りたいってのはあるってことですか。

E:っていうのはある。

C:ERAはそれがあると思う。ERAが突破してくれないと俺ら居場所作れねぇじゃん。

B:俺、本当にERAのラップは可能性あると思う。

C:ERAの曲は本当にグッモーニーング ( *『LIFE IS MOVIE』収録"HEART BEAT"のこと)って歌っちゃうから。

M:BUSHMINDのアルバムがあって、そっからでて、ERAのアルバムにあの曲が入って、流れが良かったっすね。そういう、流れでいったらあの曲はトドメみたいな感じだったっすね。

E:BUSHMINDのトラックでヒップホップなのにギターを使ってるってのが新しかった。ギターっていうかアコギみたいなフレーズ。

B:あれ誰ももらってくれなかったんだよ、あのトラック。だからCIAの"DOWN SOUTH" ( CIAZOO 『logic work orange』収録)のっけて遊んでた。そしたらERAがこれいれるって。

C:あの曲はトラックとして100%だから難しいんすよね。

B:ERAは他にも選択肢があったもん。最初にのっけてたラップのフローと違ったもんね。俺は、それヤバいってなったんだけど、そしたらまた全然違うのがきた。だからまぁ、他にも選択肢があったってことですよ。

E:あのギターフレーズが良くて。

H:何とかの日曜とか……あれはけっこうビックリした。中途半端だよなーって。来たーみたいな(笑)。

M:ポップスって鼻歌で歌えるかどうかって思うんですよ。みんなが無意識に歌ってるのって、そういう事じゃないですか。鼻歌で歌っててもみんなこの曲が何か分かるっていう。そういう要素がある曲だと思うんですよね。

H:あの曲に関してはBUSHMINDとERA節なんですよね。

E:だから俺ってアングラなんだよね。

H:違うって。そういうことじゃなくて、Linkも近いっていうか。だから別にディスってないから(笑)。

M:OS3はERAとD.U.O.で曲を作ることが多いから、そっちのイメージの曲のほうが多い思うんすよ。で、ERAとBUSHMINDとで作った曲はまた違うイメージがあって、ソロというのもあるし。D.U.O.はD.U.O.のイメージがあるし。

C:ERAはどっちのほうがやり易いですか。

E:どっちがどっちってのはないけど、BUSHMINDはスゲェBUSHMIND節があると思う。

H:BUSHMINDと対峙してるERAみたいなのはある。

E:うん。相性は良いと思う。

B:俺も思うんす、そこは。

H:それぞれ、違った良さを引き出してる。俺と作っても、BUSHMINDと作っても引き出してる感はある。Link ( * 1stアルバム『3words my world』収録 )から始まってって感じなんですよ、俺は。BUSHMINDトラックはこうだよなって、壮大じゃないけどおおらかな。ラップってものを取り払って……

E:だからラップが足りなかったんだよ。

(*ERAとHIGHSCHOOLでラップに関して議論に……)

H:これだけは言わせて。ラップっていう概念をBUSHMINDのトラックでやると、1回取り払えるんですよERAは。

B:アングラ感からの脱却がテーマなんだよね。

H:いや、アングラじゃないってたぶん。アングラってポップスがあるからアングラって言葉があるわけで、俺は別にアングラなことをやってるとは思ってない。

E:ぶっちゃけ、D.U.O.の俺の最初のコンセプトはあったんだ。ポップスとか売れてぇなじゃなくて、ヒップホップとして最大級のデカイものを。アメリカのヒップホップってデカいものじゃないですか、メインストリームは。だからそういうものをやってみたいっていうのはあったから、D.U.O.はメジャーのトラックジャックしてガンガン曲作ってたし。

H:まあ、アングラかアングラじゃないかは、対照で。もうひとつデカい勢力とかジャンルがあってアングラってなってるだけだから。でもしょうがないんだよ。自分らで音楽を作っててやってる訳だから。いわゆるメジャーのさぁ……予算もかけられないわけじゃないですか。自分らでやってる訳だし。

E:じゃあ負けないようにしようぜ。英才教育を受けたやつらに。

H:だから、それはやり続けるしかないよ。こういうのがあるっていうのを提示し続けないと、聴いてる奴らからしたらやってないのと一緒だから。俺らがどんな思いでこういう音楽をやってるのかっていうのは、一生伝わらないからさ。

E:MERCYさん、これ思ってる以上にディープ談義になってしまいました。

M:いいじゃないですか。

E:絶対CENJUは才能あると思うし、余力が残ってると思うんだよな。余力があるように見える。

C:……なんか怒ってる。

E:まじ怒ってないけど、何か日本語のラッパーとして日本語の深さをOS3と語りてぇなって。

C:何かコーラ、タダでもらえるって……

E&H:おい逃げんなよ。ラッパー。

H:だから纏めると、みんな音楽が好きなんですよ。

E:たしかに。超マニアックになってた。やばい。

H:音楽が好きだっていうところで、リスナーに納得がいってないっていう。

E:リスナーに届いてないんだ。

H:だから、リスナーに納得してないからそう思うんだよ。大半の奴が軽薄なものしか聴いてないっていう。

E:たしかにね。だから日本がもっとそういう風になってくれたら、もっと俺らも満足してるよね。

H:それでいうと、俺もBUSHMINDもERAもみんな音楽が好きっていう。だからそれを聴いている人にも求めるからこそ、それだけじゃないけど、そういう部分もあって作ってるってのはあると思うんですよ絶対。

M:ポップスと言われる音楽の音楽性が底上げされるとですよね。

B:でもトラックもなんだけど、クオリティの差は超デカいと思うんだよね。ポップスやりたくてもクオリティがある程度……機材というよりも技術。全然俺は届いてないと思うんだよね。

M:一音一音の鳴りとかってことですよね。

B:そう鳴りとか。ある程度のラインを行かないと、メジャーで。そこには全然届いてない。

H:全部そうだけど、ミキシングっていう部分においては日本はかなり遅れてるんですよ。ジャンルに特化したミキサーが、各ジャンルにいないっていう時点で。

M:音の特徴ってあるじゃないですか。バランス、声の処理、結構似てるから。ジャンルによって。

E:クラウ・ドラップとかで音が超ショボいけど、カッコいいのもあったりする。

B:それはもちろんあるし。俺らもまぁそうだし、そこは……ってのはあると思うんだけど、ポップスとして、音が成立しているラインていうのがあると思うんですよ。アメリカとかだったらそのラインにいってなくても売れちゃうことがあるかも知れないけど、日本の音はまだラインがあると思うんですよ。

M:アメリカとかだとクラウド・ラップがメジャーのクオリティーの凄いものに対するカウンターとして機能してると思うんですが、日本だとそういう構図にはなってないというか。

B:カウンターとしても成立してないと思うんだよね。

M:海外でミキシングをすることですげぇ音が良くなったと思ってたけど、いろいろと聞く上で最高に良いものではないというか。平均値よりはいってるのかもしれないけど、日本のミキシングと比べたらめちゃくちゃ良いけど。もうちょい大きい中でみると、自分が評価しているところまでの感じではないのかなって、最近思うんすね。

C:答え。結果負けてられねぇ。

H:ってことで次のお題っすね。

M:年末にリリース・パーティはどんな感じにしたいですか?

H:俺は、ヒップホップのパーティにはそんなにしたくないかなってのはありますね。SEMINISHUKEIはずっとそういういろんなジャンルで単純に面白いって思ってきた人を引っ張ってきてるから。たまたまいまラップをやる奴の比率が増えてきたっていうだけで。ずっとそこでやってたけど、1回立ち返っていろんな音楽が聴けるっていう場所が俺は良いかなって思うんすね。

M:ですね。そういういろんなものがあって、そのなかで強いものをみんなでやるっていうのが本来の自分たちがやってきたことかなって思って。だからもう1回立ち返ってみて、バンドとか出すとかじゃなくて、それぞれの感じでそういうのが出来るのが一番いい感じだし。本当は色々パーティとかやってても、実際問題ヒップホップのパーティに寄ってきちゃってたけど、そこかなって思うから、そういうのできたらいいなって思うというか。

H:どこがホームとか俺らはいままでなくて。形がないままずっとやってきたっていうのが俺らのスタイルだから、そこかなっていう。

M:ジャンルでホームは作ってない。ホームって言える場所はあるけど、ジャンルでヒップホップ、ハードコア、テクノ……そういうのではない感じを、俺も最近思うことがあるから、そういうのが出来ればいいですよね。

H:そうですね。古い、新しいとか、そういうのは関係なしに面白いってただ思っただけで、動機としては完全に成立してると思うんで、それをもっとやんないと俺らじゃねぇなって思ったから。俺らはこうだからって、そんなのは別に1人1人が固めていれば別にいいと思うんすよ。全体としてみんなで固める必要はないっていう。

M:特に音的にそういうのは無いと思うから、それをもっと形として見せられるようなことが出来れば一番いいよね。

H:それこそ普通にイケてるからってテクノのDJ呼んで、ヒップホップのラッパーでこいつイケてるから呼んでって、一緒にパーティやったら面白いんじゃないかっていうのとは違うじゃないですか。人間レベルで繋がってるから、そこで初めて成立するからやっぱり。全然やってることが違くても。じゃないとやってる意味ないけど、そのレベルでやってるのってあんまりいないと思うんすよね。

M:そこを強化したものを今回も出せればいいと思うんすよね。HIGHSCHOOL、ERA、BUSHMINDのアルバムを全部聴いてる人は多いと思うけど、それぞれを聴いてる人が3つのなかからどれが好きって選ぶとしたら、それぞれまた違う人たちなんだと思う。

B:バラバラになって欲しいよね。

H:最終的にさっきの話に繋がるんですけど、こういう奴もいるよっていう提示になってるっすよ。俺らは意識してないけど、無意識的にいままでしてて、二軍感だとかオーバーグラウンドだとか、そういうのばっかり聴いてる奴にも、こういう奴もいるっていう提示。

M:そこでのクオリティの違いを出したいなって思う。そういう人たちってけっこういると思うし、そういうことをやろうと思って、そういうのではないよっていう提示が出来たらいいかなと俺も思うっすね。

H:いままで俺らが影響を受けてきたのって、全部そういう奴らだと思うんですよ。例えばさっきの話に戻るけど、俺とBUSHMINDでThemselves観に行ってJelがDystopia聴いてるってなって、まじで? って上がって。

B:一緒に住んでたんだって。笑 JelがDystopiaのドラマーと一緒に住んでて。っていうのをその場で知って。M AGENTS OF MAN ( *NY, NJのHARD CORE BAND)のベースがMr.LEN(COMPANY FLOWのメンバー)とルームメイトで、Mr.LENのアルバムにバンドで1曲入ってたり。

B:それに上がってた。

H:そういうのを形として提示してるのってあんまりいないじゃん。

M:最近その形が薄れてるって訳じゃないけど。そのことを今いま、もう1回提示したいと思ってますね。

B:そこは強みだしね。

E:じゃあ、MERCYたちは提示する派、じゃあ俺はグラサンを外せよみたいな(笑)。まぁ、そういうのやってるよ、俺らのルーツはそれだよ、しょうがねぇよ。それは好きなんだから……

M:そう思ってる奴はグラサン外せよって。

E:そのグラサン外して聴いてくれよって、どうなんだよって。そこなんですよ。

H:結局やり続けないといけないんですよ。新しい、古いなんて第三者が決めることだから。俺らは普通にやっててそれが新しいって勝手に言って、勝手に盛り上がって、ワーってなってるかもしれないけど、別に普通じゃない?って。友だちとして会ってやってんだから。新しいことやろうぜって言ってやってる訳じゃないっすよ、俺ら。

C:でもそれはもろ刃の剣でさ、その人の内面を知っちゃうとさ、あんまり良くない曲でもさ、アツい! みたいになっちゃうじゃん。聴き方変わらない?

H:そんなことないっすよ。

C:俺、けっこうあるんだよ。

H:それ、お前がサングラス外せよ。

C:音楽だけね、好きじゃなかったものが、その人を好きになることによってありになるっていうのはあるじゃん。

H&B:それはあるよ。

M:でもそれって音楽があって、フィルターをもう一回通してるからだと思う。

H:だから本当に良くなかったら、良くないと思うんだよね。人は好きだけど、いまいちなんだよねみたいな。っていうのはあるじゃん。

B:音楽やんなきゃいいのにあの人みたいな……

H:CENJUもこのラップは良いけど、このラップはいまいちでしょっていうのはあるからさ。そういう感じでしょ。そこの線引きは結構厳しく言ってるよ。交流はあるけど誘わないって奴はいますもんね。あるじゃんそんなの。

E::そういう人間性とか抜きにして気にいってもらいたいっすね。そういうのを求めてる。

B:そこまで届きたいよね。ライトリスナーが、そういう人間性とか噂とか気にせずに、音源だけ聴いて、うわやばいってなるところまでいきたいんだよね。

M:そのDJが聴きたいだったり、ライヴが観たいだったり、それだけで呼んでくれる場所を作らないと、その先のフィールドには……

B:そう。そこまでまだいけてないと思うから。

H:ちょっとまって、これさぁ後ろ向きなことしか言ってないでしょ。だからこれはちょっと自分らのなかで。

B:そうだね。これは第三者に聴かせるべきじゃなかったね。

M:それはもうコミュニティ・ミュージックで流してって感じでいきます。

C:質問良いですか? 俺、3人から参加オファーを受けたんですけど、どういう気持ちでオファーしたの。

H:俺は下衆い曲ができるってのは、こいつとILL-TEEしかいないって思って。下衆い曲作りてぇなって思って、下衆いと言えばこの2人だろみたいな。

E:俺は、CENJUがその時シーンでイケてたから、やべぇ使うべみたいのもあったし、そういうのかな。CENJUにフィーチャーされたってのもあるし、けっこう面白いなみたいな。

H:俺とBUSHIMDとERAの違いは、シーンでイケてると思ってないから。下衆い奴だなこいつは、って思って。内面知るほうが早かったから。

E:たしかに下衆い。

B:俺も“world end” ( CENJU"CAKEZ"収録BUSHMINDトラックでCENJU/ERA/J/COLUMBUSのRAPによる曲)があったからっていうのも。スタジオの後だったらオファーしてなかったかな。

E:下衆いでいいの?

B:直接言ってるんだから大丈夫だよ。

M:CENJUさんはどんな感じでラップやってるんですか。

C:出されたものは全部肥やしとしてやっていくわ。

H:下衆いね(笑)。

M:肥やしにして、何が生まれるんですか。

C:新たな名が生まれるというか。

H:ちっちゃいCENJU? LITTLE CENJU(笑)? 真似してよって思うんすけど、誰もここまでの下衆は出てこない。下衆って言うのはあれだから、人間味があるっていう。

C:言われなくてもそう受け取ってる。下衆の極みって酒を出そうと思ったんですけど、日本酒を大五郎で割った……3口くらい飲んだらベロベロになるっていう最低の酒。

H:最低な酒だからね。

E:下衆いほうが人間味があるっていうことだな。

C:下衆いラインのほうが面白いじゃないですか。人と話してても。

H:アルバム作っていて何が一番楽しかった? 何が一番上がったっすか。

B:うーん。曲が出来た時だね。レコーディングした瞬間が多いかな。あと、あれだね。好きな人から感想を頂いた時。

E:そういうの、上がるんすね。

B:うん。上がる。尊敬する人から、それはもう上がるっすね。

E:おれは、完成した時。ミックスが上がった時とか。

H:作ってる過程での、ラップやってる奴とのやりとり。

B:フィードバックが起きてひとつにまとまった瞬間ていうか。

H:コミュニケーションを取って、自分はブースにいないけど、一緒に作ってる感じが、音楽作ってるなっていう感じがして、俺はすごい面白かったっすね。そういうのをずっと続けて行きたいなって思ったし。トラックメイカーだから一人で作れるけど、1人で作ってない瞬間のほうが面白い。1人で作るのは当たり前の作業だから、来たものに対して新しい作用がある。別の、そいつの視点が入って来るっていう瞬間が一番面白いですね。

 ──この3人と仲間の続きの話を聞きたい方は是非とも12/22の恵比寿TIME OUT CAFE & KATAのトリプルリリースバッシュに是非とも足をお運び下さい。

BETWEEN THE BORDERS
- BUSHMIND"SWEET TALKING" x DJ HIGHSCHOOL"MAKE MY DAY" x ERA"LIFE IS MOVIE" TRIPLE RELEASE PARTY –

RELEASE LIVE:BUSHMIND / DJ HIGHSCHOOL / ERA
RELEASE LIVE GUEST:B.D. / C.O.S.A. / CAMPANELLA / CENJU / COOKIE CRUNCH / ILL-TEE / J.COLUMBUS / JUCE / KNZZ / LUNA / MASS-HOLE / MIKRIS / NERO IMAI / NIPPS / O.I. / R61BOYS / ROCKASEN / TOSHI MAMUSHI / YUKSTA-ILL / 仙人掌
BEAT LIVE:JJJ / RAMZA
DJ:BISON / ETERNAL STRIFE / KILLA TURNER / MAMIMUMEMOSU / MAMUSHICK SELECTER / NO RULE / OVERALL / RYOSUKE / STARRBURST / THE TORCHES

日時:2015年12月22日(火曜日/祝前日)開場/開演 23:00
会場名:KATA + Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]
前売券(発売中):2,500円
前売券取り扱い箇所:チケットぴあ[Pコード 277-952]、ローソンチケット[Lコード 75769]、イープラス<https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002170426P0030001>、DISK UNION(SHIBUYA CLUB MUSIC SHOP/SHINJUKU CLUB MUSIC SHOP/SHIMOKITAZAWA CLUB MUSIC SHOP/KICHIJOJI)、JET SET TOKYO、LOS APSON?、MATABOND、TRASMUNDO、リキッドルーム
当日:3,000円


Electronica Classics - ele-king

さて、「エレクトロニカの“新”新世紀」と銘打って、とらえがたくも魅力的なエレクトロニック・ミュージックの現在を示している作品群を取り上げる本特集だが、一般的に「エレクトロニカ」という名で認識されている作品にはどのようなものがあっただろうか。リアルタイムで聴いてこられた方も多いことと思われるが、あらためていま聴き返したいエレクトロニカ名盤選をお届けします。


Alva noto - Transform
Mille Plateaux (2001)

 キム・カスコーンが「失敗の美学」と名づけたデジタル・グリッチの活用によって、90年代後半から00年代前半にかけてのノンアカデミックな電子音響が始まった。カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノト/ノトは、そのグリッチ・ノイズをグリッドに配置することで、ステレオの新美学とでもいうべき電子音響を生み出していく。とくに本作の機械的でありながら優美で洗練されたサウンドは、2001年の時点ですでにポスト・グリッチ的。数値的なリズム構成が生み出すファンクネスには、どこかクラフトワークの遺伝子すら感じるほどだ。00年代以降のエレクトロニカに大きな影響を与えた傑作。


Fennesz - Endless Summer
Mego (2001)

 ティナ・フランクによるグリッチなアートワークは、リアルな「永遠の夏」そのものではなく、いわばポップ・ミュージックの記憶から生成するヴァーチャルな世界=記憶の表象であり、このアルバムの魅力を存分に表現していた。これはテン年代的(インターネット的)な光景・環境の源流のようなサウンド/イメージともいえ、たとえば、甘いギター・コードに介入する刺激的なグリッチ・ノイズは、「歯医者で聴いたフィル・コリンズ」というOPNのコンセプトへと接続可能だろう。ヴェイパーウェイヴ以降のインターネット・カルチャー爛熟期であるいまだからこそ新しい文脈で聴き直してみたい。


Jim O'Rourke
I'm Happy, And I'm Singing,
And A 1, 2, 3, 4
Mego (2001)

 ジム・オルークの唯一の「ラップトップを用いたオリジナル・アルバム」は、00年代以降、多くのエレクトロニカの雛形ともなったアルバムでありながら、しかしほかの何にも似ていない孤高のアルバムでもあった。じじつ、この弾け飛ぶような電子音には、ヴァン・ダイク・パークスのポップネスから、メルツバウのノイズまでも圧縮・解凍されており、ジム・オルーク的としかいいようがない豊穣な音楽が展開されている。フェネス、ピタらとのフェノバーグとは違う「端正さ」も心地よく、まさに永遠に聴ける電子音楽的名盤といえる。2009年に2枚組のデラックス・エディションもリリースされた。


Ekkehard Ehlers
Plays
Staubgold (2002)

 このアルバムこそ、00年代後半以降の「ドローン/アンビエント」のオリジン(のひとつ)ではないか? コーネリアス・カーデュー、ヒューバード・フィヒテ、ジョン・カサヴェテス、アルバート・アイラー、ロバート・ジョンソンなどをソースとしつつも、それらのエレメントを弦楽的なドローンの中に融解させ尽くした美しい音響作品に仕上がっている(元は12インチシリーズであり、本作はそれをアルバムにまとめたもの)。“プレイズ・ジョン・カサヴェテス2”における超有名曲(“グッド・ナイト”?)を思わせる弦楽にも驚愕する。イックハルト・イーラーズの最高傑作ともいえよう。


Shuttle358
Understanding Wildlife
Mille Plateaux (2002)

 00年代初頭に人気を博したクリッキーなビートはエレクトロニカの「ポップ化」にも貢献した。LAのシャトル358(ダン・エイブラムス)が、2002年に〈ミル・プラトー〉よりリリースした本アルバムは、その代表格。細やかに刻まれるビートに、朝霧のように柔らかい電子音が繊細にレイヤーされ、00年代初頭の小春日和のような空気を見事に象徴している。耳をくすぐるカラカラとした乾いた音響が気持ちよい。2015年には11年ぶりのアルバム『キャン・ユー・プルーブ・アイ・ワズ・ボーン』を老舗〈12k〉よりリリース。こちらは森の空気のようなアンビエント作品に仕上がっていた。


Frank Bretschneider &
Taylor Deupree
Balance
12k (2002)

 電子音響とエレクトロニカの二大アーティストの競演盤にして、ミニマル/クリック&グリッチ・テクノの大名盤。初期テイラー・デュプリー特有のミニマル・テクノな要素と、フランク・ブレッシュナイダーのクリッキーかつグリッチなエレメントが融合し、緻密なサウンドのコンポジションを実現している。シグナルのような乾いたビートと、チリチリとした刺激的なノイズが交錯し、マイクロスコピックな魅力が横溢している。ミニマル・グリッチな初期〈12k〉の「思想」を象徴する最重要作といえよう。フランク・ブレッシュナイダーはシュタインブリュッヘルとのコラボ作もおすすめ。



SND
Tenderlove
Mille Plateaux (2002)

 マーク・フェルとマット・スティールによるクリック/グリッチ・ユニットSNDのサード・アルバム。近年でもファースト・アルバムがリイシューされるなど常に高い評価を得ている彼らだが、本作は、そのキャリア中、もっともハウス・ミュージックに接近した問題作である。ハウス・ミュージックの残滓を残した甘いコード感と、シンプル/ミニマルな音響の中で分断されていくダンス・ビートなどは、現在のアルカなどにも繋げていくことも可能だろう。後年、〈エディションズ・メゴ〉や〈ラスター・ノートン〉などからリリースされたマーク・フェルのソロ作も重要作。あわせて聴きたい。


Hecker
Sun Pandämonium
Mego (2003)

 なんというノイズか。まるで太陽のように眩く、獰猛であり、優雅でもある。嵐のようなノイズの奔流はラッセル・ハズウェル級であり、まさに取り扱いが危険な盤だが、しかしその強靭な音響は一度ハマると抜け出せなくなる快楽性がある。いわば90年代末期に誕生したピタなどのグリッチでノイジーな電子音響と、2010年代的なインダストリアル/ノイズをつなぐアルバムといえ、いまをときめく〈パン〉が、2011年にアナログ盤でリイシューしているのも頷けるというもの。まさにヘッカーの最高傑作だ。刀根康尚やデヴィッド・チュードアなど実験音楽や電子音楽の系譜にも繋げて聴いてみよう。


Pan Sonic
Kesto
Blast First (2004)

 キム・カスコーンがグリッチ・ムーヴメントの最重要バンドと認識するパン・ソニック。ファースト・アルバム『ヴァキオ』(1993)が有名だが、ここではあえて本作を紹介したい。彼らの5枚目のオリジナル・アルバムにして、脅威の4枚組。ブルース・ギルバート、灰野敬二、スーサイド、スロッビング・グリッスル、アルバン・ルシエなどに捧げられた楽曲群は、インダストリアルから電子ノイズ、果ては静謐なドローンまで実にさまざまで、さながらパン・ソニック流の電子音楽/ノイズ史といった趣。グリッチ以降の電子音響が行き着いた「宇宙」がここにある。アートワークも素晴らしい。


Stephan Mathieu
The Sad Mac
HEADZ (2004)

 フィールド・レコーディングに弦楽のようなドローンがレイヤーされ、記憶の層が再生成していくような美しい音響作品であり、同時に「作曲家」ステファン・マシューの個性が前面化した最初の作品でもある。弦楽曲のもっとも美しい瞬間を、まるで記憶のスローモーションのように引き伸ばすシネマティックな作風は、電子音楽とエレクトロ・アコーステイックの境界線を静かに融解させていく。アルバム・タイトルは愛用してきたマックのクラッシュを表現しているようで、いわばマシンへのレイクエムか。現在のアンビエント/ドローンの系譜を振り返るときに欠かせない重要なアルバム。


TETSUJI TANAKA - ele-king

TETSUJI TANAKA / "LIQUID FUNK HISTORY SET" CHART 15選

Clap! Clap! - ele-king

 Clap! Clap!すなわち拍手!拍手!は、手拍子の人力ダンスではない。この洒落っけのあるアートワークが匂わすように、アフロ、ジューク、ベースなどなど、好き勝手にモダンなダンス・ビートを混合して、胸が高まるエキゾティックな体験を1枚のアルバムを通して実現させた。快適な砂漠旅行なんて、誰が想像できる?
 その華麗なるデビュー・アルバム『TAYI BEBBA』は2014年でもっとも重要なアルバムの1枚に数えられるわけだが、日本でもロングセラーになった。そのClap! Clap!がついに来日する。共演者は、妖しいサイケデリック・ハウスを展開するブラジリアンDJ Thomash。そして、ボアダムスのEYヨ。

root & branch / FRUE presents
“It's a Jungle in Here“

11.7 SAT @ 代官山 UNIT / SALOON
Live: Clap! Clap! (Black Acre - Italy)
DJs: EYヨ (BOREDOMS)
Thomash (Voodoohop - São Paulo)
and more to be announced!!
Open/ Start 23:30
¥3,500 (Advance)
Information: 03-5459-8630 (UNIT)
https://www.unit-tokyo.com/

Ticket Outlets: PIA (277-030), LAWSON (76761), e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, DISC SHOP ZERO, clubberia, RA Japan, UNIT
* 9/26 から上記プレイガイド、チケット取扱レコード店及びサイトにて一般発売。

Clap! Clap!
クラップ!クラップ!は、ディジ・ガレッシオやL/S/Dなど多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー/DJ、クリスティアーノ・クリッシが、アフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクト。様々な古いサンプリングソースを自在に融合し、そして極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。クラップ!クラップ!の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。

EYヨ

コンテンポラリーアーティスト。80年中期より、主にパフォーマンスアートの流れからロックグループフォーマットのBOREDOMSをオーガナイズ。SONIC YOUTHのサポートツアーからスタートし、以後海外での活動が多く、初期のJUNK MUSICやAVANT JAZZよりの表現から、さらに包括的、根源的な表現へと変化。現在10人程のドラマーやギターによる編成になっている。ボアドラムのプロジェクトを2007/7/7にNYで77台のドラムセットによりスタート、以後毎年、'08年88台、'11年111台、'13年91台、複数のドラムセットにより、各国で行う。アート関係のコラボレーションやエキシビジョン、画集刊行も各国で多数おこなってきており、ジャケット制作もBECKをはじめ多数。DJは90年中期よりスタート。当時のNU HOUSEやETHNO BEAT, DISCO EDIT, JUNKなACID HOUSE, EXIOTICなGOA TECに影響を受けおり、それらを高速ハイブリッド濃縮したMIX-CDをDJ光光光の名儀でリリースしている。それを含め現在までに6枚のMIX-CDとLIFT BOYS名儀で2枚のCD、5枚のアナログをリリースしている。

Thomash(Voodoohop)

ブラジルはサンパウロにおいて毎回数千人を集めるアンダーグラウンドDiYパーティ『VOODOOHOP』。Thomashはその首謀者であり、DJ、トラックメイカー。異常に遅いスローテクノ、国籍不明の民族音楽、トロピカルサイケデリア、レインボーカラーのシンセサウンド、ラテンのリズム、ダブ、アシッドロックにディープハウス等を比類無いセンスでミックスし、ディープサイケデリックな呪術感を持ちつつ、全てを優しく包み込む太陽のようなオーガニックダンスグルーブ。現在はサンパウロを中心に活動しているが、出身はドイツのケルン。古くはCANなどの多くのクラウトロックを産み、近年はKompaktのお膝元として、60年代から常に革新的な音楽を生み出してきた街で生まれ育った。そのジャーマンブラジリアンのルーツ、ヨーロッパの前衛エレクトロニックダンスミュージックの感性と、ブラジルの南国快楽主義的な空気感が混じり合った、まだ生まれたばかりの不思議なダンスミュージック。2014年3月にカナダのMulti CultiからリリースされたファーストEPは、その名も『Camdomble』。ブラジルの黒人系民間信仰宗教の名前であり『神をまつるダンス』という意味を持つ。地球の裏側、ダンス大国ブラジルの意識を"一歩先"に進めた、Thomashの再来日!

<CLAP! CLAP! 大阪公演>
11.6 FRI @ 大阪 心斎橋 CIRCUS
Open/ Start 23:00-
¥2,500 (Advance)
INFORMATION: 06-6241-3822 (CIRCUS)
https://circus-osaka.com/
* Clap! Clap! 以外の出演者は東京公演とは異なります。


 イスラエルのガレージ4ピース、ブーム・パム。日本人にもどこか親しみぶかく懐かしいメロディやサウンドは、辺境マニアのみならず、広いリスナー層から愛されるにちがいない──。小島麻由美のデビュー20周年を記念した最新アルバムは、地中海随一のサーフ・スポットとして知られるテルアビブ産のサーフ・ロック・バンド、ブーム・パムとの心躍るコラボレーション作となった。代表曲の数々が新鮮な音とアレンジでよみがえる! 発売に合わせて、オフィシャルMV“白い猫”も公開された。映像を手掛けるのはいまをときめくVIDEOTAPEMUSIC!

小島麻由美"白い猫"(Official Music Video)

小島麻由美デビュー20周年企画、Boom Pamとのコラボ作『With Boom Pam』収録曲より“白い猫”のオフィシャルMVがYouTubeより公開された。
 監督は、前作『路上』のオフィシャルMV"モビー・ディック"を手掛けたVIDEOTAPEMUSICが担当、テルアビブ・サーフロック・サウンドとして生まれ変わった小島ワールドをミステリアスな世界観で表現したMVに仕上がっている。

■アルバム詳細


Tower HMV Amazon

小島麻由美『With Boom Pam』
DDCB-12078 / 2015.07.22 on sale / 2,593Yen + Tax /
Released by AWDR/LR2

[収録曲]
01.アラベスク / Arabesque
02.泡になった恋 / Bubble on the beach
03.ブルーメロディ / Blue melody
04.セシルのブルース / Blues de Cécile
05.蝶々 / Tick tuck
06.エレクトラ / Elektra
07.蛇むすめ / Snakegirl
08.トルココーヒー / Turkey coffee
09.モビーディック / Moby dick
10.白い猫 / Chat blanc


Boom Pam(ブーム・パム)

【小島麻由美】デビュー20周年企画第一弾!
地中海サーフロックバンド【Boom Pam(ブーム・パム)】との前人未到のコラボレーション作が登場!
【小島麻由美】の代表曲の数々が地中海を経由してテルアビブ・サーフロック・サウンドとしてリボーン!
デビューシングル『結婚相談所』(95年7月21日)、デビューアルバム『セシルのブ-ルース』(95年8月19日)より20年。
2015年、様々な記念リリースやコンサートが予定さている20周年企画第一弾として、小島麻由美と地中海サーフロックバンドBoom Pamとの前人未到のコラボレーション作が登場!イスラエル・テルアビブで結成されたBoom Pamは、地中海随一のサーフスポットとして知られるテルアビブ産のサーフロック・サウンドをベースにアラビアの音階も貪欲に取り入れたオリジナリティ溢れるサウンドが特徴。
その人気は本国に止まらず、ヨーロッパでも高い評価を得ており、日本でも『FUJI ROCK FESTIVAL'14』での来日をはじめ、二度の来日ツアーを行い徐々に認知を広げている。そのサウンドに魅せられた小島麻由美のオファーにより、この予測不可能な奇天烈コラボレーションが決定。
小島麻由美の代表曲の数々が、地中海を経由してテルアビブ・サーフロック・サウンドとしてリボーン!

■小島麻由美プロフィール
東京都出身。「古き良き時代」の音楽を愛するガールポップ・シンガー/ソングライター。1995年7月、シングル「結婚相談所」でデビュー。
現在までにオリジナルアルバム9枚、ミニアルバム2枚、シングル16枚、ライブCD1枚、ベストアルバム2枚、映像DVD2タイトルを発表。
ジャケットにも多く使用される自筆イラストがトレードマークで、1999年NHK「みんなのうた」への提供曲「ふうせん」では、三千数百枚に及ぶアニメ原画も提供。イラスト&散文集『KOJIMA MAYUMI'S PAPERBACK』もある。
映画、CMへの歌唱、曲提供多数。近年では2011年~現在放映中の『キッチン泡ハイター』CM曲を歌唱。海外での活動は、2001年仏盤コンピレーション参加。2001~2002年「はつ恋」が任天堂USAのCM曲として北南米にて1年間に渡り放映。公演は2006年JETRO主催『Japan Night』(上海)、2009年『Music Terminals Festival』(台湾・桃園)参加など。
2014年7月、4年ぶりとなるオリジナルリリースとしてミニアルバム『渚にて』、12月3日にはフルアルバム『路上』をリリース。『SUMMER SONIC 2014』への出演など、本格的に活動を再開する。デビュー20周年となる2015年には活発なライブ、リリースを絶賛計画中。https://www.kojimamayumi.com/

■ライブ情報
小島麻由美デビュー20th記念ツアー『WITH BOOM PAM』
出演 : 小島麻由美 with Boom Pam

[大阪公演]
■ 2015年8月31日(月) @梅田 Shangri-La
OPEN / START 19:00 / 19:30
TICKET 前売 4,500円 / 当日 5,000円 (1ドリンク別) 
2015年7月18日(土) 一般発売

オフィシャルWEB先行予約 (抽選)
受付先 : https://eplus.jp/kmwbp/ (PC&モバイル)
受付期間 : 2015年6月19日(金) 12:00 – 2015年6月30日(火)23:00
抽選日 : 2015年7月1日(水) 18:00
結果確認期間 : 2015年7月2日(木) 13:00 – 2015年7月3日(金) 18:00
入金期間 : 2015年7月2日(木) 13:00 – 2015年7月4日(土) 21:00
予約期間 : 2015年7月2日(木) 13:00 – 2015年7月5日(日) 14:00
オフィシャルHP先行受付販売確定日 : 2015年7月5日(日) 15:00以降
問合せ : 清水音泉 06-6357-3666 (平日12:00-17:00) 
https://www.shimizuonsen.com

[東京公演]
■ 2015年9月1日(火) @下北沢 GARDEN
OPEN / START 19:30 / 20:00
TICKET 前売 4,500円 / 当日 5,000円 (1ドリンク別) 
2015年7月18日(土) 一般発売

オフィシャルWEB先行予約 (抽選)
受付先 : https://sort.eplus.jp/sys/T1U14……001P006987 (PC&モバイル)
受付期間 : 2015年6月19日(金) 12:00 – 2015年6月30日(火)23:00
抽選日 : 2015年7月1日(水) 18:00
結果確認期間 : 2015年7月2日(木) 13:00 – 2015年7月4日(土) 18:00
入金期間 : 2015年7月2日(木) 13:00 – 2015年7月5日(日) 21:00
オフィシャルHP先行受付販売確定日 : 2015年7月5日(日) 15:00以降
問合せ : 下北沢GARDEN 03-3410-3431  https://gar-den.in/


 今年で6年目に突入するギャラリー、KATA夏目前の恒例催事!(これが終わると1年も折り返し!!早っ!ヤバっ!!なのですが……)
 この夏、幡ヶ谷より新天地へ移転予定のレコード&CD&あれこれショップの老舗中の老舗"LOS APSON?"さんとのタッグで開催の「LOS APSON? x LIQUIDROOM presents T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015」。
 今回も多数のアーティスト/ブランドが一堂に会して、6月26日(金曜日)から3日間の限定開催。
 今回はユーズド(古着)のラインナップも加わり、ますます熱を帯びること間違いナシ!!
 日々の場内BGMはオリジナル・スタイリンなDJが揃い踏み。最終日には隣接のTime Out Cafe & Dinerにて、今年1月に当店1階メインフロアにて実に10年ぶりの復活となった「GOLD DAMAGE(通称ゴルダメ)」のジャパン・ヴァージョンも開催でまさに隙なし!
 そしてそして、今回のLOS APSONさんのTシャツ・デザインは五木田智央が担当! モリモリ盛り盛りの内容にてよろしくお願い申し上げます。

LOS APSON? x LIQUIDROOM presents
T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015

 1年とは早いものです。身震い系ゾクゾク〜〜〜っとすると思ったら、もう「T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015」の季節がやって参りましたっ!!!  ウギャーーーっと喜んでいいのか、戦(いくさ)が始まった焦りなのか、分からなくなっている私・ロスアプソン店主ですが、とにかくやりますよ〜〜〜、今回もギンギン・ビンビンにっっっ!!!

 今年は新作Tシャツの出品メンツを厳選し、ネクスト・レベルを模索!?!?  そして、ラインナップの目玉としては、レベルの高い? ユーズドのラインナップを充実させる予定です!!!  一着しか無いカッコいいユニーク古着は、争奪戦間違い無しでしょうね……。
 っつーーーことで、今年も楽しみにしていて下さいねっ!

 あ、最終日には、Time Out Café & Dinerスペースにて、オヤGパワー全開で今年復活した「GOLD DAMAGE」の“ジャパン!”ヴァージョン(和モノ&デビシルのJAPAN縛り)もやりますので、そちらもご期待下さいっ!!!(山辺圭司/LOS APSON?)

【Artists / Brands】
LOS APSON? / ackkyAkashic / ALCHEMY WORKS / amala / BLACK SHEEP / BOMBAY JUICE / BOOZE DESIGN WORKS / BREAKfAST / BUGPIPE / CELEBS / COMPUMA (SOMETHING ABOUT) / COREHEAD / DANCE HOLE by ヒューヒューボーイ / DJ DISCHARGE (Unconscious When) / DJ YOGURT (UPSET REC) / dublab.jp / ECD / FEEVER BUG / forestlimit / GEE Print / HE?XION! TAPES / ifax! / Indyvisual / JINTANA & EMERALDS / KEN2D SPECIAL / KIZM / KLEPTOMANIAC / LIBRARY RECORDS / MANKIND / MGMD A ORG. / midnightmealrecords / noise / PARANOID / PARTIZAN25 by WOM / PART2STYLE / SAMPLESS / SEMINISHUKEI / SHOGUN TAPES / SONIC PLATE / Summer Shot / SUMMIT / TACOMA FUJI RECORDS / Telepathy / TENT / Tetsunori Tawaraya / TEXACO LEATHERMAN / TURBO SONIC / Vincent Radio / VOVIVAV / WACKWACK / wacky COLORgung / WDsounds / 2MUCH CREW / 37A (PANTY) / 373 / 86ed / GRASSROOTS / LEF!!! CREW!!! / TRASMUNDO / ChillMountain / TWENTY SEVEN / MORE (DAY IN DAY OUT) / TARZANKICK!!! / mink / ESSU / CosmicLab. / TADZIO / KIRIHITO / 威力 / 大井戸猩猩 / 河村康輔 / 五木田智央 / 竹本侑樹 / ヘンタイワークス / 嫁入りランド / LIQUIDROOM

2015.6.26 friday→28 sunday
KATA[LIQUIDROOM 2F]
15:00-22:00
entrance free

■DJ Time@KATA[17:00-22:00]*28日(日曜日)のみ15:00-22:00
▼6.26(fri) feat. DJ DISCHARGE, KEIHIN, DJ YOGURT
イケイケ・ドンドンなDJメンツに声をかけました。ディープで華やかな一夜となることでしょう〜。皆さん乾杯しましょう〜♪
▼6.27(sat) feat. Shhhhh, BING (HE?XION! TAPES), 威力
奇祭の秘宝達を招集しました。ほんわかヘンテコ&異次元最先端を感じながら、Tシャツをお選び下さい。レッツ・ホニャララ!
▼6.28(sun) feat. SHOGO TSURUOKA (TURBO SONIC)
「GOLD DAMAGE 2015 Let's Go Crazy」にてラジカセ・インスタレーションをカマしたTURBO SONICの旦那が、とんこつラーメン風?ディスコにて、開店からラストまでの7時間ロングセットに身震いチャレンジ! レア体験を、お見逃し&お聴き逃し無くっ!

★Special Party!!!@Time Out Café & Diner[15:00-22:00]
▼6.28(sun) feat.『GOLD DAMAGE ジャパン!』
10年ぶりのゴルダメ復活地の階上にて、ゴルダメ・トリオが「ジャパン!」縛りで、またまたやらかします! チーママchampagneshowerに、今話題の(?)B2BユニットCocktail Boyzを迎え、和モノ&デビシルのJAPANのみの限定選曲にてバター・サロン作戦を試みます!
溶けてしまう虎は、ダ〜レだっ!?

GOLD DAMAGE Deejay's:ヤマベケイジ (LOS APSON?), 五木田智央, COMPUMA
Guest DJs:champagneshower (CELEBS), Cocktail Boyz[Q a.k.a. INSIDEMAN & KENKEN from KEN2D SPECIAL]

info
KATA https://www.kata-gallery.net
Time Out Café & Diner 03-5774-0440 https://www.timeoutcafe.jp
LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net


interview with Jim O'Rourke - ele-king


Jim O’Rourke
Simple Songs

Drag City / Pヴァイン

Rock

Tower HMV Amazon


別冊ele-king ジム・オルーク完全読本 ~all About Jim O'Rourke~
ele-king books

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 1999年の『ユリイカ』は、80年代末から90年代初頭、ハードコアな作風で頭角をあらわした彼のポップな側面を示したもので、実験性とポップさとの混淆は当時音響とも呼ばれ、往時を偲ぶよすがにいまはなっている。そこから16年、『ユリイカ』を継いだ『インシグニフィカンス』(2001年)から数えても干支がひとまわりしてあまりあるあいだ、ジム・オルークは自身の名義のポップ・アルバムを江湖に問うことはなかった。ブランクを感じさせないのは、彼はプロデュースやコラボレーション、あるいは企画ものの作品に精を出してきたからだろうし、おそらくそこには心境と環境の変化もあった。ひとついえるのは、『シンプル・ソングズ』ほど、「待望の」という冠を戴くアルバムは年内はもう望めないだろうということだ。そしてその形容は過大でも誇大でもないことはこのアルバムを手にとったみなさんはよくわかってらっしゃる。まだの方は、わるいことはいわない、PCのフタを閉じてレコ屋に走るがよろしい。ついでに本屋に立ち寄って『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』をレジにお持ちいただくのがよいのではないでしょうか。『シンプル・ソングズ』のあれやこれやはそこに書いてある。

 余談になるが、今回の別エレでつきあいの古い方々に多く発注したのは、彼らが信頼のおける書き手であるのはもちろん、かつて勤めていた媒体が復活すると耳にはさんだせいかもしれない、とさっき思った。対抗するつもりは毛の先ほどもなかったけれども、意識下では気分はもうぼくたちの好きな隣町の七日間戦争ほどのものがなかったとはいいきれない。つーか内ゲバか。と書いてまた思いだした、『完全読本』の巻頭インタヴューでジムさんは「Defeatism」つまり「敗北主義」なる単語を日本語でも英語でも思い出せなかった。話はそのまま流れたので、そのことばはどの文脈に乗せたものか、もはやわからないが、メジャーとマイナーという二項対立では断じてなかった。

 本稿は『完全読本』掲載のインタヴューより紙幅の都合で割愛した部分と、別日に収録したものをミックスしたものであり、『シンプル・ソングズ』のサブテキストのサブテキストの位置づけだが、ジム・オルークにはこのような夥しい聴取の来歴があることをみなさんにお伝えしたかった。まったくシンプルにはみえないが、すべては音楽の話であるという意味ではシンプルこのうえない。

当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

ジムさんがヨーロッパによくいたのは何年から何年ですか?

ジム・オルーク(以下JO):88年からですね。そのときはまだ大学生だったので、学校が休みになったときにヨーロッパにいっていました。

アイルランドに行ったついでに大陸に足を伸ばしたということですか?

JO:アイルランドは高校生のときですね。大学のときはまっすぐアッヘンに行っていました。アッヘンを拠点にしていました。

アッヘンに行ったのは――

JO:クリストフ(・ヒーマン)さんがそこに住んでいたからです。彼のご両親はビルをもっていて、その1階は狭かったのでドイツの法律ではたぶん賃貸に適さなかった。それで倉庫というか、実際はクリストフさんのスタジオになっていたんですが、彼はあまりそこを使っていなくて、それで欧州滞在時の私の部屋になったんですね。あのときはライヴをするといっても、一ヶ月の間に2回、せいぜい3回くらいで、アムステルダムでライヴがある場合は当時アムステルダムに住んでいたジョン・ダンカンさんのところに2、3週間やっかいになる、そんな生活でした。アンドリュー・マッケンジーさんも近くに住んでいました。当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

クリストフ・ヒーマンと出会ったきっかけはなんだったんですか?

JO:88年だったと思いますが、クリストフがオルガナムとスプリットの12インチを出すことになっていたんですね。オルナガムのデイヴ・ジャックマンはそのとき私の出したカセットを聴いていたらしく、ジャックマンがクリストフに「ジム・オルークといっしょにやったほうがいい」と手紙を書いたんですね。それでクリストフさんに誘われて、船に乗ってアッヘンに行ったんです。

デイヴィッド・ジャックマンがつなげたことになりますね。

JO:その大元はエディ・プレヴォーさんです。私は13歳のときにデレク・ベイリーと知り合って、15歳のときにエディさんとも面識ができました。私はエディ・プレヴォーとデイヴィッド・ジャックマンとスプリットLP(『Crux / Flayed』1987年)が大好きでしたから、エディさんにそういったら「じゃあデイヴィッドと会ったほうがいいよ」と。デイヴィッドさんに会ったら、オルガナムを手伝ってくさい、となり、デイヴィッドさんがクリストフさんに紹介して――といった感じですね。オルガナムには6、7年間参加していました。クレジットはあったりなかったりですが。

なぜクレジットがあったりなかったりするんですか?

JO:それがデイヴィッドさんのスタイルなんです。彼の音楽なのでクレジットは私は気にしない。でもときどき書いてありました。だから私もどのレコードに自分が参加したのが100%はわからないんですね。

憶えていない?

JO:録音したのは憶えていますが、音楽を聴いてもわからない(笑)。

オルガナムではジムさんはなにをやったんですか?

JO:ギターとベース。ですが演奏というよりミックスでした。最初にやったときは演奏だけだったんですが、そのとき録っていたスタジオのエンジニアのミックスをデイヴィッドさんは気に入らなかったらしく、私に試してみてくれといったんですね。それで私のほうを気に入ったから、それからお願いされるようになりました。94、95年くらいまではやっていたと思います。でもそれは仕事ではありません。チャンスがあればいつでも参加しました。

デイヴィッド・ジャックマンはどういうひとですか?

JO:いわゆる「英国人」です(笑)。60年代の共産主義ラディカルを体現したようなひとでした。キース・ロウと同じ世代ですから。

コーネリアス・カーデューもそうですね。

JO:そうです。キース・ロウさんはスクラッチ・オーケストラですから。でもじつはキースさんよりデイヴィッド・ジャックマンのほうがキンタマがあったね(笑)。これは簡単にはいえませんが、彼らの政治的なスタンスにかんしては、そういうひとたちは反対意見にたいして、自分たちが正しいと意固地になる傾向があると思うんです。ところがデイヴィッドさんは相手が共産主義者であるかそうでないか気にしない。かたいひとですが、かたいだけじゃない。

いまでも連絡することがありますか?

JO:ときどきありますが、彼は頻繁に連絡をとりあうタイプの方ではないです。私はあのとき、イギリスにいましたから連絡は簡単でしたが、いまは日本ですからほとんど連絡しません。彼はインターネット世代ではない。インターネットを使ったこともほとんどないでしょう。連絡はもっぱら手紙。電話もなかったかもしれない。私もいまはすこしそういった感じですが(笑)。

メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。

ジムさんはそういう世代から考え方の面で影響は受けましたか?

JO:もちろん受けました。意識してはいませんでしたが。というか、私はまだ10代でしたから、なにもわかりませんよ。私はアメリカ生まれでしたが、両親はアイルランド人でアメリカは関係なかったですから、あのひとたちのほうがかえってわかりやすかったんです。

ヒーマンさんなんかはエディさんやデイヴィッドさんより、近い世代ですよね?

JO:ヒーマンさんは私より年上ですが、私と会ったとき、私は18、19で彼は23、24。ちかい感じはありました。あのとき彼はまだH.N.A.S.をやっていましたね。

H.N.A.S.についてはどう思いました?

JO:『Im Schatten Der Möhre』は好きでした。クリストフさんの先生はスティーヴン・ステイプルトンなんですね。でも私はそのとき彼は好きではなかった。

でもジムさんはナース・ウィズ・ウーンドといっしょにやっていますよね?

JO:うぅ。でも会ったことはありません。一度だけ電話で話しました。いいひとだと思うけど、NWWは私は好きじゃない。

どういうところが?

JO:スティーヴン・ステイプルトンはすごくレコードを蒐集しているんですが、彼がつくるほとんどの音楽は現代音楽のコピーだと思う。たとえば、この曲はロバート・アシュリーの“シー・ワズ・ア・ヴィジター”とかね。クリストフさんはスティーヴン・ステイプルトンのお陰で現代音楽にめざめたところがある。私は逆でした。コピーするのは問題ないんですよ。でもなにかが足りないだね。現代音楽のカヴァー・バンドに聞こえる。当時私は大学でそういった音楽を勉強していましたから、なおさらコピー、チープなコピーに思えたんです。それでよくクリストフとケンカなった(笑)。それでNWWは好きじゃなかったんですが、ときどきほんとうに音楽が彼のものになることがあって、それはおもしろかった。

ジムさんは10代の頃から現代音楽には深く親しんでいたんですね。

JO:そうですが、現代音楽はけっしてアングラなものではありませんよ。ジョン・ケージは生きていましたし――

だからといってだれもが聴くわけではないですよね。

JO:それは関係ない。メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。新聞で雑誌でそういうものを読むこともできました。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。彼は有名人。普通のレコード屋にも彼のポスターが貼っていたんですよ。これは30年前の話ですが、いまから30年後には「どうしてあの時代、灰野敬二を聴いていたんですか?」ともしかしたら訊かれるかもしれませんが、灰野さんは現役でライヴもやっています。レコード屋にはいればレコードがある。ふつうのレコード屋にもジョン・ケージもフィリップ・グラスもヘンリー・カウの仕切りもあったんです。まったくヘンなものではなかった、だれもが見つけることができる音楽。
 そう訊かれるのが私のいちばんのフラストレーションでもあります。私とだれかが同じタイミングでレコード屋にはいれば、そのひとがヒット曲のレコードを買うように、私はオーネット・コールマンのレコードを買うことができた。私がえらいわけではありません。もしそのひとが左に曲がれば、同じようにオーネット・コールマンのレコードを買ったかもしれない。フィリップ・グラスもスティーヴ・ライヒもCBS、メジャー・レーベル・アーティストですよ。インディペンデント・レーベルの文化がまだない時代のことですね。独立レーベル、プライベート・プレスはありましたが。

私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。

ジムさんはそういったインディペンデント・レーベルができたことで音楽が区別されるようになったと思いますか?

JO:たとえば大学では、音楽を勉強して修士になり博士になる。大学に残りつづけて先生になり、生徒が自分の作品を演奏する。死ぬまでの目的が決まっている感じがしました。同時にハフラー・トリオやP16.D4のような音楽、RRRレコーズのような音楽とピエール・アンリやリュック・フェラーリのどこがちがうのか。そこから私は、自分をコンポーザーと定義するのが好きじゃなくなったんです。現代音楽の世界――それは音楽そのものではなくて、そのやり方です――にアレルギーを覚えはじめた。これは正しい言い方ではないと思いますが、ブルジョワジーの歴史をつづけることに荷担するのがイヤになったんです。彼らがそれに気づいているかどうかは関係ありません。ただそこには参加したくなった。それで、私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。私が電子音楽をやる場合でも、私が自分の曲をコンポジションと定義し、そういうひとに評価され、その世界で仕事するようになればその世界の住人になる。そこには参加したくないから意識的に「Composed by」のクレジットはいれないことにしました。これはほんとうに私の人生ですごく大事なことです。

心情的にイヤ?

JO:その世界の10%はいいものですが、のこりの90%はゴミです。そんな世界、ゴメンです。大事なのは作品です。私が人間として大事なのではない。あのゲームはやりたくない。

ジムさんが好きだった作曲家といえば当時どういったひとでした? フィリップ・グラスとか――

JO:グラスは75年までですね。だって私はそれまでずっとそんな音楽ばっかり聴いていたんですよ。チャールズ・アイヴズはもちろん好き。電子音楽はもっといっぱいいます。リュク・フェラーリだってそうですし、ローランド・ケインは電子音楽のなかでもいちばん好きで、オブセッションさえあります。彼の音楽だけは、どうしてそうなっているのか、まだわからない、秘密の音楽なんですね。ほとんど毎日勉強する、ちゃんと聴いていますよ。彼は電子音楽についてはもっとも影響力のあるひとだと思います。影響という言葉とはちがうかもしれない。彼の音楽はそうなっている理由がわかりませんから、具体的な影響とはいえないかもしれない。大学のころに聴いていた現代音楽の作曲家の作品はほとんど聴かなくなりました。

いま、たとえばトータル・セリエル、ミュジーク・コンクレート、偶然性の音楽、そういった現代音楽の分野でいまだ有効性があるものはどれだと思いますか?

JO:大学のころ、私はピエール・ブーレーズにすごいアレルギーがありました。ぜんぜん好きではなかった。それが過去5年の間に、偶然入口を見つけました。もちろん全部の作品が突然好きになったのではなくて、とくに“レポン”という作品はよく聴いていて、すこしわかるようになりました。
 トータル・セリエルの問題は音楽がスコアにはいっているということです。100%そうだとはいいませんよ。でもそれはすごい問題です。

ミュジーク・コンクレートのようなスコアで表せない音楽を、ジムさんは評価するということですか?

JO:そういう意味じゃない。セリエルのスコア、コンポジションの考え方は、八分音符から三連符になり、その逆行形になって――という考えを捨てない。とくにアカデミックなコンポーザーは。考え方が全部スコアにはいっている。そう考えると彼らの言語はほんとうに「細い」と思う。だから彼らは彼らの音楽を聴いたひとが「わからない」というと、それを聴いたひとのせいにするのです。でもわからない理由の半分は彼らの側にもあると思う。スコアにC(ド)の音を書く、しかしそれはただのCではない。そこには音色がありニュアンスがあります。彼らのスコアを音楽にするにも次の翻訳の段階が必要なんだと思う。どうしてそれをやらないか、私はわかりません。そういう音楽をやることがまちがっていると私はいいたいのではありません。ただそれをわからないのを聴いたひとのせいにするのは失礼です。

99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在を消し去るということなんです。

ケージの偶然の音楽はどうです?

JO:ケージの音楽は偶然ではありません。それを語りはじめるとそれだけで本になります(笑)。ケージの音楽をやったことがないひとはたぶんわからないと思う。ケージの音楽はかなり難しい。問題は彼のスコアは表面的に理解するには苦労しません。でも簡単じゃないんです。

簡単じゃないというのは自由がないということですか?

JO:99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在をどうやって消し去るかということなんです。それはチャンスではない。正しくとりくめばそれがわかるはずです。私は音楽家としてケージの作品を何度か演奏しましたが、いっしょに演奏したひとたちがまったくわかっていなくて、ムカついたこともありますし、逆に勉強しすぎて音楽がかたくなったこともあります(笑)。その意味でもケージの音楽は難しい。

勉強しすぎてもダメだし勉強しすぎてもダメ?

JO:しないのはいちばんダメで(笑)、でも勉強やりすぎてもね。両方地獄だね(笑)。でも私のこの考えが100%正しいといいたいのではない。

フルクサスとジョン・ケージは同じくくりに入れられることがありますが、同じだと思いますか?

JO:まったくちがいます。

フルクサスはどう思います?

JO:あんまり興味がない。ボンボンの遊び。若いときにそういった考えになるのはわからなくもないですよ、でも50代でも同じことをやっているのはちょっとどうかと思う。

ハプニングはどうですか?

JO:歴史的に、次の段階に向かうためにそういったことが必要だったのはよくわかりますよ。歴史に敬意を払うことは、いま現在、作品をどう聴くかということと無関係です。ハプニングのような作品は尊敬はしても、(私には)ほんとうに関係がないんです。それにフルクサスはアートの世界のものです。

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若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。いまは時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。

フィールド・レコーディングはどうです? 私は『別冊ele-king』の作業中、『USE』をよく聴いていましたよ。デザイナーの佐々木暁さんに音源をもらったんですね。

JO:ホントに! あれは聴くものじゃないよ。「どうぞ、使ってください」という意味で、だから「Use」なんです(笑)。

(笑)流しているといいですけどね。

JO:私、聴いたことない(笑)。

Pヴァイン安藤氏:『Use』ってDATで出した作品ですよね?

そうそう。DATの長時間録音機能を使った4時間ちかい作品。

JO:私はもってない(笑)。『Use』はあれを出した〈Soleilmoon Recordings〉のひとがそういった作品をやりたかったんですね。それで「どうぞ、どうぞ」って。音源自体は『Scend』(1992年)で使ったものの残りですね。それをどんどんくっつけて、「はい、終わり」といって渡した。

『Scend』のマテリアルということですか?

JO:はい。

エディットしたのはジムさんですよね?

JO:編集というほどのものじゃない。

適当?

JO:はい(と声高らかに)。編集しなかった。あのときはポータブルのDATプレイヤーでいろんなところで録音していましたから、音源はいくらでもあったんです。

当時フィールド・レコーディングにハマッていたんですか?

JO:いまもやっていますよ。

どういうときにやるんですか?

JO:若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。若い頃は、そういった作品をつくりたくて、たとえば工場などですね、そういったところにわざわざ出かけていきました。いまは聴いたことのないような音を偶然見つけたときにレコーダーをまわします。

DATはまだおもちですか?

JO:もっていますけど、でもDATはほんとうにダメだね。音が悪い。とくにA-DAT。あれはヒドい。音よくないよ。レッド・クレイオラのレコーディングは全部A-DATだったんですよ。メイヨ(・トンプソン)さんはA-DATで作業するから。まだS-VHSのテープを使っているかはわからないけど。私が最初に参加したレッド・クレイオラの『ザ・レッド・クレイオラ』(1994年)はアルビニさんのスタジオで録りましたけど、『ヘイゼル』(96年)も『フィンガーペインティング』(99年)もA-DATだったね。

メイヨさんは音にこだわりがない?

JO:わけではないですけど、普通の意味でのいい音にこだわりがないということでしょう。彼にはほしい音色がわかっているんですけど、それはかならずしも正しい録音ではないということですね。

ジムさんはいっしょにやったとき、メイヨさんに「こういう音がほしい」といわれました?

JO:私はアルバムの何曲かをミックスしているんですが、私のミックスはあまり好きじゃなかったので、別の音源を使ったんですね。それで私がミックスした『フィンガーペインティング』を10年後に偶然聴いて気に入ったので『フィンガーポインティング』(2008年)として出し直した。でも逆に私があのミックスはメイヨさんの好きそうなミックスを試してみたものなので、ちょっと気に入らないところがあるんですね。

ジムさんがいま聴いて気に入らないものはほかにもありますか?

JO:いっぱいあるよ(笑)。

たとえばウイルコなんかは出世作だといわれていますよね。

JO:ウイルコは大丈夫。でも私は『ヤンキー・ホテル・ホックストロット』(2002年)より次の『ア・ゴースト・イズ・ボーン』(2004年)のほうが好き。『ヤンキー~』は途中から参加した作品ですが、『ゴースト』は最初から最後までかかわったレコードでしたから。

NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックにはジムさんは多大な影響を受けていますよね?

JO:大学のころ、そういった音楽は勉強しましたが……いちばん影響を受けたのは高校生のころですね。グラス、ライヒ、ウィム・メルテン、マイケル・ナイマンも好きだった。当時はフィリップ・グラスの“Strung Out”のような、作者の考えが見える、聞こえる作品が好きでした。2+3+1+2+……のような構造ですね。私もじっさいそういった作品をつくって、カセットもありますけど、ちょっと恥ずかしいだね(笑)。

出したらいいじゃないですか?

JO:なんで(笑)!?

デジタル・リリースすればいいじゃないですか(笑)?

JO:イヤですよ。

演奏はジムさんがやっているんですか?

JO:私と、私ができない楽器は別のひとに頼みました。大学のときに、私はフィル・ニブロックはじめ、ヨーロッパのミニマル・ミュージックに傾倒していきました。なかでもマイケル・ナイマンは大好きだった。

マイケル・ナイマンは後に映画音楽で有名になりましたよね。

JO:あとのことはわかりません。私は『ピアノ・レッスン』(1992年)も知らない。『プロスペローの本』(1991年)までですね。さいきんまた追いかけるようになって、聴いていなかったCDを買いました。ギャヴィン・ブライアーズも同じ。84、85年まではリアルタイムでレコードを買っていましたが、次第に買わなくなったので聴き直したいと思ってナイマンのレコードを探したんですけど、びっくりしました。彼はこの25年でいっぱいレコードを出したんだね。でも私はむかしのほうが好きです。彼も後年“コンポーザー”になってしまった。グラス、ライヒ、ブライヤーズ、アダムズは過去25年間の作品は私はほとんど知りません。そのなかではグラスやライヒは25年前の時点ですでに私の興味を引くようなものではなくなってしまっていた。(ライヒが)『The Desert Music』を出したとき(1985年)、私はそれを買って、そういった音楽が好きな友だちと喜び勇んでいっしょに聴いたんですが、レコードが終わるころには無言になった(笑)。そのあとは『Different Trains』(1989年)ですから。もういい、と(と両手を振る仕草をする)。もちろん尊敬はしていますよ、ただ興味がないだけで。グラスは83年の『The Photographer』までですね。『Songs From Liquid Days』(86年)でやめました。

リアルタイムで聴いてそう思ったんですね。

JO:そうです。『Music In Twelve Parts』(74年)や『Einstein On The Beach』のもともとのヴァージョンは好きですよ。新録はよくないけどね。むかしのファーフィサオルガンには重さがあるんだね。

ヴィンテージとシミュレーションだとちがうでしょうね。

JO:彼らの音楽から重さが消えたらプラスチックみたいになってしまう。たぶん年をとると気になるポイントが変わるんですね。重要なのは、彼らは若いころ、演奏まで自分たちで行っていたんですね。それが“コンポーザー”になると役割は紙の上で終わり、演奏は知らないひとがやるわけです。ワーグナーの時代では作曲家はもともとそういった性格のものだった。彼らは自分たちのグループのために作曲することのできた時代のコンポーザーなんですね。その典型がグレン・ブランカで、彼の委嘱作品は自作自演には劣りますよ。音楽が手段に戻っている感じがあるんですね。これは非難ではありませんよ、作品が変わってしまうんです。

ジムさんはそこに参加したくなかった、と。

JO:そうそう。

ミニマル・ミュージックと厳密に定義できないかもしれませんが、シャルルマーニュ・パレスタインはどう思われますか?

JO:彼は音を使ってはいますが、作曲家というよりアーティストですね。人生そのものが彼の作品だと思います。

アーティストで音楽をやるひと、たとえばマイク・ケリーさんのようなひとたちはどう思いますか?

JO:ジェネレーションの問題があるんですね。尊敬していますが、ほんとうの意味で心底つながった感覚を得ることはなかなかむつかしい。彼らの前の世代に私は強く惹かれて、そのあとの世代も理解できるんですが、マイク・ケリーさんの世代、トニー・アウスラーさんもそうですね、すごく尊敬しますが、入口をいまにいたるまで見つけられないんです。ふたりともトニー・コンラッドの生徒なんですけどね。

ジムさんもそうですよね。

JO:そう(笑)。(いうなれば)兄弟子なんですよ。その葛藤がたぶん……ある。つまり尊敬の対象であっても興味のそれではないということなすね。たとえばリチャード・プリンスはわかるけど、興味を惹かないのと同じで。

『Sonic Nurse』のときはジムさんはソニック・ユースにまだいましたよね?

JO:いちばんがんばったアルバムです(笑)。

あのカヴァー・アートはリチャード・プリンスでしたね。

JO:あれを決めたのはキム(・ゴードン)さんですね。彼らはむかしからの友だちで、私も会いましたけどいいひとでしたよ。

ジムさんは、NYだとジョン・ゾーンについては言及するけど、ほかのミュージシャンについてあまり話しませんね。

JO:関係ないんですね。

そこには興味がない?

JO:いやいや、ジョンさんがなにをやっているかはいつも興味をもっていて、つねに聴きたいですよ。ただルーツではないという意味です。

アラン・リクトやマザケイン・コナーズは似たようなルーツをもっているということですか?

JO:アランさんはむかしからの友だちですね。NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。でもあの時代は、前のインタヴューでもいいましたけど、私はNYの部屋にほとんど住んでいなかった。ツアーに出ているか、そうでないときはプロデュースの仕事で別の街にいました。

『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックの影響はジムさんのなかにまだ残っていますか?

JO:あるでしょう。表面的なものではなくて、作曲における構造上の影響ですね。音を垂直的に考えない。それはミニマルやチャールズ・アイヴズのような作曲家からの影響ですね。

ポップ・ソングを書くときもそうですか?

JO:ええ。『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。それが目立たないようにも工夫しますけど。目立っちゃうとフュージョンになっちゃうから(笑)。

それはあからさまなポリリズムということですか?

JO:ポリリズムはすごく大事です。だけどいかにもなポリリズムな感じはほしくない。むしろ「なにかが正しくない」といった感じになってほしいんです。不安な、どこに坐ったらいいのかわからない感じですね。それが目立つとテーマになってしまいますから。あえて目立たせることもありますけど、それは冗談みたいなものというか、プログレやフュージョンが好きなことにたいする罪の意識かもしれない(笑)。

たとえばキング・クリムゾンの“Fracture”にも途中ポリリズムのパートがありますよね。ああいったわかりやすい感じはあまり好きじゃない?

JO:“Fracture”は難しくないよ。それよりUKですよ。UKは仕方ない、私、UK大好きですから。聴くのは楽しいけど、でもちょっと恥ずかしいかもね(笑)。

ジェネシスとキング・クリムゾンの大きなちがいはなんですか?

JO:キング・クリムゾンにはナゾがあまりないですね。聴くとわかってしまって、聴き直す気があまりおこらない。ライヴ音源には失敗があるから味があっていいんですが。

ロバート・フリップは失敗がいいとは思っていないはずですよ。

JO:ちょっと潔癖症なんだね。これも非難ではありませんよ。興味の問題であってね。

音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

シカゴ時代まわりにいたひと、たとえばトータスのメンバーにキング・クリムゾンが好きなひとはいなかったですか?

JO:バンディ(・K・ブラウン)さんは好きだったかもしれません。私はそうじゃないけど、インディ・ロックのひとたちにとってプログレはクールじゃないんだね。「ウェザー・リポートっぽい」と褒めたつもりでいったらすごくイヤな顔をされた憶えがありますよ。

『別冊ele-king』のインタヴューではシカゴに住んでいた当時、プログレ・フレイバーの音楽が流行っていたとおしゃっていましたね。当時ジムさんのまわりでもラッシュみたいなバンドは人気だったんですか?

JO:ものすごい人気でしたよ。いつでもラジオから流れていましたから。

ジムさんはラッシュをコピーしたことはないの?

JO:高校生のとき、バスケの試合でハイスクール・ジャズバンドがハーフタイムで演奏するんですね。私はそのバンドでギターを担当していて、そのとき“Yyz”をジャズバンド用にアレンジしたことがあります(笑)。

うけました?

JO:めちゃくちゃもりあがりました(笑)。日本ではラッシュはちょっとアングラですけど、アメリカでラッシュはすごく有名でしたよ。音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

ウソー(笑)。

JO:ウソじゃないよ! ラッシュはいまでもライヴするとなるとスタジアムですよ。彼らのファンは死ぬまでファンですよ。テレビには映らない、新聞にも載らない、でもブラジルにもスタジアムを埋めるほどのファンがいる。じつはまだ観たことがないんですよ。それはすごく残念。もし彼らが韓国でライヴするなら、私は福岡から船で行きますよ。彼らは日本ではあまり人気がないから、ギャラと釣り合わなくてコンサートができないんですよ。

安藤:84年に一度来日していますね。

大きい会場ではムリですよね。

安藤:武道館でやったと思うけどね。

JO:海外の規模を考えると武道館が彼らにはちいさすぎるんですよ。AC/DCも同じですよね。AC/DCはさいたまスーパー・アリーナで観ましたけど。彼らのすべてのレコードを聴く気はありませんが、あの手の音楽では一番でしょうね。

モーターヘッドも同じようなものではないですか? フジロックに来ますけど。

JO:モーターヘッドはAC/DCにはおよびません。『Back In Black』(80年)はものすごい傑作ですよ。当時のツアーを私はシカゴで観ましたけど最高でした(と嘆息気味に)。

『スクール・オブ・ロック』もAC/DCですものね。

JO:そうだね。ほかのそういった音楽はあまり興味ないんですけどね。残念なことに彼らも日本ではあまり人気がないんだね。

さいきんは人気出てきましたけどね。おそらくワンパターンに聞こえるんでしょうね。

JO:ヴォーカルが?

曲調じゃないですか。

JO:同じじゃないよ。だったらスマップの曲のほうが全部同じですよ(笑)。


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