Home > Interviews > interview with TOWA TEI - 祝、ソロ活動20年
今年の夏から秋にかけてのテイ・トウワ祭りとでも言えばいいのか……ちなみに『94-14 REMIX』のリミキサーは、砂原良徳、コーネリアス、マスターズ・アット・ワーク、細野晴臣、テイ・トウワ自身ほか。テイ・トウワ対談集「ハタチ」の対談相手は、細野晴臣、高橋幸宏、バカリズム、阿部潤一、山本宇一、五木田智央。
その引っ越しのときにいろいろ捨てたものもあったんですよ。10時にこれから飲み会やるよって言われても行けないわけですから。子供が生まれた95年くらいから朝方になったり。とにかく、軽井沢はやっぱり大きいです。
TOWA TEI 94-14 ワーナーミュージック・ジャパン |
TOWA TEI 94-14 COVERS ワーナーミュージック・ジャパン |
Various Artists 94-14 REMIX ワーナーミュージック・ジャパン |
■『フューチャー・リスニング!』は、その年の海外メディアの年間ベストに選ばれていましたね。それにしても、日本で活動している人からしたら海外に出たいっていう声も多いんだと思うんですけど、テイさんに場合はそこが逆ですよね。最初に海外で成功してしまって、それでむしろ……
TT:たとえばNOKKOちゃんは日本ではスーパー・アイドルだったけど、ニューヨークではまだデビュー前で、彼女が作品を出すときとか僕が手伝ったりしててね。そうこうしてるうちに、ゲイシャガールズの話もきたり。だんだん日本からオファーが来るようになって。で、しかも日本からのオファーはわりと好きにやらせてもらえたんです。それで面白くなってきたときに、奥さんが妊娠して日本に帰るっていうから、僕も帰ることにしました。息子が4月に日本で生まれる直前のことですね
■気が付いたら音楽家になっていた感じですか?
TT:はっきり覚えていますけど、87年の秋からDJで食っていました。その年の2月にニューヨークへ行って、10月か11月にレギュラーDJになったんです。その時期は密度が濃かったかもな。最初は英語の学校に行ってて、その次に美大に行くんですけど。とにかく、DJになりたくて……。
で、作ったミックステープを渡したのが、DJのディミトリとアマンダって人で、そうしたらディミトリが会おうって連絡をくれました。こういうバンド(ディー・ライト)やっているから手伝って欲しいと。そして、クラブをやっているから来いよって言ってくれたり。
面白いのが、ディミトリがそのクラブでプレイ中、トイレに行くからって、僕がDJを代わったんですよ。そうしたら、彼がなかなか帰ってこなかったんです。でも、僕は「楽しいな〜」って、そう思いながら、時間を忘れてDJを続けていた。そうしたら、「来週から来てくれるかな?」ってなったんです。「いいとも」って答えました(笑)。
その後、ディミトリは〈レッド・ゾーン〉という新しいクラブへ行くことになって、僕は〈40ワース〉というところでDJをはじめました。そのあとよく通っていた、〈ネルス〉というクラブでも金曜と土曜にDJをするようになった。88年の1年はずっとDJです。たまにおいしい話がきて、「ビッグ・オーディオ・ダイナマイトが前座のDJ探しているからやれやれ」って言われて(笑)。まぁ、声がかかる程度の町の人気DJにはなっていたんでしょうね。日本でいうとダイシ・ダンスくらいには(笑)。
■はははは。テイさんって挫折ないでしょ? どん底を味わったこととか。
TT:いっぱいありますよ。言わないだけで、挫折の毎日です。そこは自分のポリティクスだと思ってますね。それは、ディー・ライトで培ったことかもしれない。
■テイさんの音楽にはダブステップのような暗いものがないですよね?
TT:暗いものも好きなんですけど、作るとなるとそれを何回も聴かなきゃいけないでしょう。ディー・ライトをやる前は暗い曲が多かったと思いますよ。手癖でやるとマイナー調の暗い曲が増えちゃうんですけど、ディー・ライトは少なくとも、意識的にネガティヴな要素を排除して、楽しいことを増やしていたわけですから。
■90年ぐらいですか、ディー・ライトやデ・ラ・ソウルは、サマー・オブ・ラヴのヴィジュアル・アイコンにもなりましたよね。
TT:それは戦略的だったのではなくて、時代の空気だったし、ネガティヴあってのポジティヴだと思っていたので。デ・ラにはプリンス・ポールがいたし、僕ら3人には、苦労とか嫌なことがあったなかで学んだ「ポジティヴなことにもっとフォーカスしていけば、ポジティヴが広がるんじゃないか」的なポリティクスというか、哲学がありました。そのあとずいぶんとネガティヴなことを連中に言われましたけどね(笑)。
■内側ではいろいろあったんでしょうね(笑)。
TT:はっきり言って、有名にはあまりなりたくないんですよ。
■それはどういうような意味ですか?
TT:いつ何ときもフルチンで露天風呂に入っていたいですからね。幸宏さんとか別に入らないからね(笑)。
■はははは。
TT:タイコ・クラブのときは入ってましたよ。「テイくん、お風呂どうだった?」って尋ねてきた、「悪くないですよ! でも幸宏さんが入る感じじゃ……」って答えたんです。そうしたら、あとから小声でボソッと「いいお湯だった」っておっしゃってました(笑)。
僕は美大でマーシャル・マクルーハンの『メディア・イズ・マッサージ』も勉強していたんですが、「露出」することがいいわけでもないんです。ブームは終っちゃうと思うし、情報過多になったら飽きられちゃう。人気が緩やかに右肩上がりでも、世のなかに普通に露出してたら、「人気ないね、最近」となっちゃう。そういう緩急というか、プライベートをお金に換金するひともいると思うけど。
■消費のされ方ですよね。テイさんはそこもコントロールしようとしているんですか?
TT:コントロールというか、サヴァイヴ術ですよね。ジャングルのなかで明日の飲み水どうしよう。なくなる前に葉っぱに水滴貯めとこうとか。
■やはり恐怖を感じます?
TT:それはディー・ライトでさんざん味わったから。恐ろしかったですよ(笑)。
■それは、自分たちが違うものになっていく感じですか?
TT:オフの日に買い物にいったら、ジープに乗ったヒップホップな奴らがディー・ライトを歌いながら近づいてきたりして、路地裏に逃げたこともありました。ヘア・メイクの人にロン毛のカツラを貸してもらったりとか。いつ軟禁されるかわからなかったというか、ノイローゼだったと思います。エグザイルみたいにダンス教室に通っていたわけじゃないから、ああいうふうになりたいっていうヴィジョンがなかったんです(笑)。ただ手伝うよって言ったのが、いきなり有名になっちゃったわけだから、やっぱり戻れないし。ただ、自分の音楽がもっと有名になってほしいし、もっとなってもいいとは思います。
■たとえば、2000年に出た「マーズ」を聴くと、ほとんどが2ステップ・ガラージなんです。でも、UKのシーンはそこからよりダークな方向へいきます。だからテイさんは、そこから離れたのかなと思いました。2005年の『フラッシュ』を聴くと、「マーズ」のころとはまったく違う方向性の作品になっているじゃないですか?
TT:そのころは正直、ダブステップのシーンのことはよくわかっていなかったですね。ただ、僕の方向転換の理由のひとつを言うと、2000年の引っ越しですよ。初めて田舎に住んでみて……。それは絶対に大きいと思います。
野田努(2014年9月17日)