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Home >  Interviews > interview with TOWA TEI - 祝、ソロ活動20年

interview with TOWA TEI 今年の夏から秋にかけてのテイ・トウワ祭りとでも言えばいいのか……ちなみに『94-14 REMIX』のリミキサーは、砂原良徳、コーネリアス、マスターズ・アット・ワーク、細野晴臣、テイ・トウワ自身ほか。テイ・トウワ対談集「ハタチ」の対談相手は、細野晴臣、高橋幸宏、バカリズム、阿部潤一、山本宇一、五木田智央。

interview with TOWA TEI

祝、ソロ活動20年

──テイ・トウワ、インタヴュー

野田 努    Sep 17,2014 UP

3.11っていうのはみんなに降り掛かった悲劇だし、試練だと思っています……。毎日国会の前でデモをするっていうスタンスもあると思うし、急にいままで以上に政治に興味や不信感を持った人もいると思うんですよ。僕もそうです。けれど、結局は、自分がいまやれることをやるしかないだろうというところに帰結するんです。


TOWA TEI
94-14

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TOWA TEI
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Various Artists
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軽井沢ですよね。いろいろ田舎があるなかで、なぜ軽井沢に住もうと思ったんですか?

TT:温泉がいつくかある。車で40分いけば、日本最高峰の万座と草津がある。あと、自然。家の窓からほとんど緑しか見えないです。たまに来る人の別荘の明かりとかが少し見えたりするくらい。南側はいまのところ建物はないですね。そういうところで音楽がやりたくて引っ越したんですが、「こんな天気がいい日に打ち込みをするやつはバカだ!」って思うようになりました(笑)。
 けど、その引っ越しのときにいろいろ捨てたものもあったんですよ。10時にこれから飲み会やるよって言われても行けないわけですから。子供が生まれた95年くらいから朝方になったり。とにかく、軽井沢はやっぱり大きいです。東京にいるときも、しょっちゅうサウナにも行ってましたし、たぶん僕は水が好きなんです(笑)。水派です。サウナとか、温泉とか、プールとか。五木田くんから昨日メールがあって、「テイさんと僕の共通項はYMO、胃潰瘍、温泉だということがよくわかりました」と言ってました(笑)。
 トレンドのダンス・ミュージックのフォームは、もはや自分が熱くなれるものではなかったんです。それまでは、ハウス、ヒップホップがあって、ドラムンベースがあって2ステップがあって。で、エレクトロニカもあった。マウス・オン・マーズとか惹かれたんですよ。惹かれたものの、フランキーやレッド・アラートのDJほど熱くなることはその後なかったんですね。エレクトロニカは僕にとっては内省的過ぎたし、メディアがすごいって言う理由もそこまでわからなかった。「ただ複雑なだけじゃん」っていう、違和感もありました。で、自分なりにエレクトロニカのテクスチャーを吸収して、それをポップスに解釈したいと思ったのがスウィート・ロボットだったんじゃないですかね。
 実は、マウス・オン・マーズのところまで行って、教えてもらったりしたこともあったんです。プログラムの使い方も教えてもらったんですけど、すごくバギーだし、肩が凝る。で、軽井沢に引っ越して、ミックスをやろうとしたら「あれ、違うな?」と思ったんです。02年に完成するまですごく時間がかかった。できた瞬間に、もうやめようと思って、プログラムのリアクターとか、それを動かすために使っていた黒いマックブックとか全部捨てました。そこからアナログ楽器を出してきて、ノブをいじったりして、音楽の作り方を昔に戻したんです。別にノスタルジックになったわけではないですけど。答えになってましたか(笑)?

半分以上になってました(笑)。なんにせよ、DJってナイトライフ文化だから、軽井沢行くとなると決心がいりますよね。

TT:日本に帰ってきたときのほうが大きな決断だったんですけどね。ほとんどのクラブに顔パスで入れるし、ニューヨークにいたときのほうが、クラブという意味ではセレブだったかもしれない(笑)。いや、日本でセレブっていうと槇原敬之くんとかをいうのかな(笑)?

はははは。ニューヨーク時代があったからこそ成し遂げられたことを教えてください。

TT:一番大きかったことのひとつは、クラブです。クラブの黎明期にはディスコがあったけれど、もっと、音楽で体がビリビリ揺れるものとして、ヒップホップもハウスもあったんです。ヒップホップには言葉遊びという違う次元もあるけれど、広い意味での音響系というか、クラブ・ミュージックにどっぷりでしたね。YMOもポップスという形を借りながら、音響系をやっていた先駆者だったと思うんですけど、あまりにも好きすぎて、そのころは、いったんYMOから離れているんです。

テイさんがYMO以外に衝撃を受けたものはなんですか?

TT:だから、ニューヨークで聴いた音楽全部ですよ。

クラフトワークにはいかなかったんですか?

TT:クラフトワークもYMOと同じくらい好きでしたよ。

でもYMOなんですよね?

TT:YMOのが先、でしたね。これは自慢話なんですけど、YMOがクラフトワークと飲みいくときに、小山田くんと僕を誘ってくれたんです。僕はラルフの隣に座って、で、話しているうちに、誰かが僕を元ディー・ライトだって紹介したら、「おー!」っていう声が上がって。そしたらメンバーのひとりが「俺はディー・ライトのプロモーターやってた」って言ってきました(笑)。

(笑)

TT:それで思い出したんです。ドイツの高いタワーでディー・ライトがライヴをやったときにすごく揺れて、一回演奏を止めてお客さんに踊らないでくれって言ったのは俺だって(笑)。地震みたいで怖かったので、僕もそのライヴのことをよく覚えていました。そのときの彼はインディペンデントのプロモーターだったから、「ディー・ライトを売ったのは俺だ!」くらいな勢いでしたよ。で、その話をしたら、ラルフもディー・ライトのライヴを見ていてくれたことがわかったんです。
 その飲み会で嬉しかったのが「ジャパニーズ・ファイネスト・アーティストのTOWA TEIとコーネリアスだ」って、教授が紹介してくれたことです。教授に褒めてもらったことは、デモテープ以来かもしれないな。

テイさんは、『フラッシュ』以降、「ラッキー」、「サニー」みたいな明るい単語をタイトルに持ってきています。そこは意識しているんですか?

TT:意識していないと言葉もメロディも出てこないんじゃないんですか?

やっぱりそこは、軽井沢に引っ越してからの活動を説明する上では、的確な言葉なんですね?

TT:ひとつ言えることは、ネガティヴがあってのポジティヴだと思うし、つらいことがあってのハッピーだと思うんです。人生がハッピーだけの人っていないと思うんだよね。絶対に陰影というか、光があるところには影がある。影があるから光にフォーカスしたいというか。そういう意味で3.11っていうのはみんなに降り掛かった悲劇だし、試練だと思っています……。毎日国会の前でデモをするっていうスタンスもあると思うし、急に今まで以上に政治に興味や不信感を持った人もいると思うんですよ。僕もそうです。けれど、結局は、自分がいまやれることをやるしかないだろうというところに帰結するんです。そうなると、言霊としてキャッチーな「サニー」とか「ハッピー」とか「ラッキー」とか、そういう言葉よりも強い言葉が見当たらないというか。昔はいろいろひねっていたけど、いまはそうはせず、出てきたものを使っているっていう感じです。

それは、円熟に向かっているから言える言葉じゃないですか?

TT:いやいや、老成(笑)? 26歳ではじめたときに、ゴールド・ディスクを取って、グリーン・カードを取れて、税金をたくさん払ったアメリカで取りあえずやっとこうと思いました。30歳とか40歳のときは何もヴィジョンがなかったんですよね。子供ができたらできたで帰ってきたし。帰ってもどうにかなるかと思っていたら、どうにかなった。だから表現として、日々あった嫌なことや怒りをツイートしたりとかっていうタイプではないということですかね。

ツィッターの世界も、相手を叩き潰そうとヤッキになっている感じが見えたり、変な人も多いし。

TT:「テイ・トウワのアルバム、ぼちぼちだったな」でもなんでもいいですよ、好きに言えば。僕は作り続けるだけで、ネガティヴは無視(笑)ポジティヴ返しだなと思う。人の悪口を匿名でパブリックに書いたりしても、それを発信しているのは自分なんだから、それ全部本人に返ってきますよ。宇宙の法則です。 

90年代という10年間はテイさんにとってどんな10年間でしたか?

TT:音楽として印象に残っているのは、ミュージシャン同士がコラボレーションしたり、ファッション・ブランドとミュージシャンが一緒にやったりする文化というか。リミックスみたいに「ゼロからやらずに、あるものの上に乗っかていく発想が大事だぜ」みたいな。

なるほど。さっき言っていたサンプリングみたいな話ですね。

TT:サンプリングにしてみても、どうサンプリングして最後にどうやってフィルターをかけるかとか、どうチョップするかでセンスが出ますからね。そこで僕が一貫しているのは、自分なりのモラルでやって、必要なところでシンセを使うっていうことを繰り返しているんです。自分は作る側なので、作った本人も気付かないだろうなっていうサンプリングに自信があります。だから、サンプリングされていることに気が付いてもそんな使われ方ならば俺だったら喜ぶな、みたいな勝手な解釈があります。
 90年にデビューして95年に日本に帰ってきているので、10年が真っ二つに分かれているんですけど。20代にしてみても、22歳から30歳までニューヨークにいたので、いずれにしてもだいぶ昔のことですね。元気で体力もあるときにニューヨークに行けてラッキーだったと思います。いま行けって言われても行けないですからね。
 それにニューヨークに美味しい漬け物なんてないですよ。これだけ美味しい和食が世界のどこでも食べられるようになったらいいですね。漬け物は真っ黄色なきゅうりだったり、たくわんだったりするので、日本は住みやすいなと思います。

野田努(2014年9月17日)

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