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interview with Saho Terao

interview with Saho Terao

楕円の夢をうたいましょう

──寺尾紗穂、インタヴュー

野田 努    写真:小原泰広   Mar 19,2015 UP

西岡恭蔵さんの“グローリー・ハレルヤ”をカヴァーしたんですよ。その歌詞が体中を駆け巡る気がしたんですよ。この曲があったら乞食になってもやっていけるんじゃないかなって思って、論文を書いていたんですけど、「もうやめます」と思って。


寺尾紗穂
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山谷には、どういうきっかけで?

寺尾:それはたまたまで、都立大学は夜間部があったんですけど、夜間部の自治会の会長をやっていた先輩が、そこで炊き出しのボランティアとかをやっていて、「夏祭りっていうのがあるからきてみる?」と誘われて。

炊き出しに行っていたんですね。

寺尾:私は全然行っていなかったんですけど、たまたま夏祭りがあるから、誘われていった、はい。

山谷は、寺尾さんの表現のひとつのトピックとして大きいですよね。

寺尾:うん。その出会いはすごく大きかった。

なるほど。話を変えましょう。寺尾さんは、自分が作る音楽をどういうふうに考えていますか?

寺尾:「さぁ、作ろう!」っていう感じではやらないですね。

いつもピアノを弾きながら作るの?

寺尾:ひとの詩に曲をつけるときは、ピアノの前にたまに座るんですけど、そうじゃないときは、できたときにメモをするっていう感じです。

ピアノはいつからやられているんですか?

寺尾:4歳から高3までやっていました。

その流れで声楽とか?

寺尾:合唱が好きで、中学時代は合唱だったんですけど。でも、自分で立ち上げたミュージカルに集中したくて、高校に入って部長にされそうになったからやめました(笑)。

デビューしたときは大学生だったんですか?

寺尾:デビューした2006年は、大学院生でしたね。

その頃には、自分は音楽でやっていこうという考えはあったんですか?

寺尾:作りたいという気持ちはあったんですけど、それ一本にできるかっていうところは、まだ悩んでたというかわからなかった。で、初めてのワンマンを下北沢のラ・カーニャというところでやったんですけど、そのときに西岡恭蔵さんの“グローリー・ハレルヤ”をカヴァーしたんですよ。その曲との出会いがすごく大きくて。「西岡さんの曲をやってみたら?」と言われて、1枚アルバムを聴いてみてカヴァーしてみたんです。カヴァーしてみたときに、その歌詞が体中を駆け巡る気がしたんですよ。この曲があったら乞食になってもやっていけるんじゃないかなって思って、論文を書いていたんですけど、「もうやめます」と思って。そのときに担当の教員が中国まで教えに1年くらい行っちゃっていて、代わりに国文学の先生だったんですけど。担当の教員の方は「わかりました。決意が固いようなので認めます」って言ってくれたんですけど、その臨時でついてくれていた国文学の教授に「もったいないから出しなさい」って言われて、なんとか修論を出したんですよ(笑)。

なるほど。修士課程をおえるのと同時にデビューして。

寺尾:そういう感じです。

音楽を作ろうとなったときに、何かよりどころにしていたような作品ってありますか?

寺尾:何だろうな。小さいときからずっと聴いていたとなると、大貫(妙子)さんとかになるのかな。小さい頃に繰り返し聴いていたのは『カミング・スーン』だったんですけど。レコードが家にあったんです。まとまってちゃんと聴いたのは、自分がバンドに入ってやるようになってからですね。

大貫妙子さんのどこがよかったんですか?

寺尾:曲(笑)。それと美意識みたいなものですかね。和音のつけ方だったりとか。

現在は、より多くの、いろんなジャンルやスタイルがありますよね。そういうなかで、ある意味では古典的とも言えるピアノの弾き語りのスタイルを選ぶ理由は何なんでしょう?

寺尾:なんなんでしょう……。あまり向学心がないのかもしれない。

ハハハハ!

寺尾:気に入るとそればかり聴いているというか。あまり触手を他に伸ばせないというか、音楽を普段あまり聴かないんですよね。自分に似ているとか、影響をうけたんでしょうって言われると聴くようにはしているんですけど。

たとえば?

寺尾:ジョニ・ミッチェルとかローラ・ニーロとか。ファンの方に頂いて一番好きだったのはジュディ・シルですね。

でもそれはあらかじめ寺尾さんの音があった上で、いろんなファンのひとから言われて、ご自身は全然意識はしてこなかったんですか?

寺尾:全然聴いたことがなかったです。

となると、寺尾さんにとっての音楽を制作する上での重要な目的意識は、サウンドというよりは……どこにあるんでしょう? 歌ということですか?

寺尾:歌かもしれないですね。歌とベースで私のなかではほとんど完結しているというか。

ベースというのは、楽器のベースではなくて?

寺尾:ベース音のことですね。そこにどういう和音をつけるかっていうことで、そこでほとんど勝負はついていると思うんです。アレンジの部分で凝れるひとはどこまでも凝れて可能性もあると思うんですけど、基本的に私にとって大事なのは、歌のメロディと和音のメロディ。ふちがみとふなとさんという、ウッドベースと歌だけでやっているふたり組なんですけど、そのユニットがすごく好きで、やっぱり一番根源的な感じなのかな。そこに曲の足腰の強さも出てくるし、そういう部分が好きというか。

なるほど。いずれにせよ歌というものがデカいわけですよね。その歌というのは、改めて寺尾さんにとってどうしていいんだと思いますか? やっぱり言葉があるから?

寺尾:言葉に出なくてもいいんですよね。いいメロディにいい和音がついていたらそれでいい。だからインストでもいいんですけど。

でも、寺尾さんの音楽で言葉ってすごく大切でしょう?

寺尾:そうですね。

むしろ歌詞を歌うために歌を作っているのかなと思っていたくらいなんですけど。

寺尾:どっちですかね(笑)。でも、歌う以上は美しさとかには拘りたいですよね。

さっき乞食になっても生きていけると言っていましたが、やっぱり寺尾さんのなかでは、生き方に対する根源的な問いかけというものは意識されているんですか?

寺尾:うーん……。普段は意識していないです。

ホームレスというのは、90年代は渋谷の街を歩いても、普通にいたんですけど、街がクリーンになるにつれて、風景からいなくなっていったひとたちなわけですよね。

寺尾:むしろ、私が大学に入る前くらいは、渋谷のきれいになった駅のなかにホームレスが増えていった時期だったんですよ。2000年くらいかな。渋谷駅の井の頭線の改札を降りて、ガラス張りになっているじゃないですか?

どっちの改札?

寺尾:大きい方です。

JRに繋がる方か。いましたよね。でも、得体の知れない人たちの居場所が街のなかにあった、ギリギリの時代じゃないですか?

寺尾:そんなにいきいきとした感じじゃなくて、本当に行く場所がないんだなっておじさんが全然話とかもしない。仲間もいなくて、ガラスの窓の外眺めてて孤立したようなひとがどんどん増えてきたなって感じがした。

寺尾さんってそういうひととすぐに仲良くなる?

寺尾:うーん(笑)、どうなんだろう。

井の頭公園のおじさんとかを連れてきたり。

寺尾:はいはい。カンさん。坂本さんに会ってからはそうですね。

それは寺尾さんのなかでは何かの象徴なのでしょうか? それとも、ほとんど理屈を抜きにして、そういったおじさんたちに対する……。だって、それはファザコンではないでしょう?

寺尾:それは違います。そうじゃなくて、みんな同じだよねって感覚が小さいときからあるんですよ。小学校1年のときに在日朝鮮人の子がいて、私は幼稚園からその子と一緒だったんです。名前をロさんといったんですけど、その子はちょっと性格がよくなくて、わがままなところもあったんですね。それもあってか、小学校に入ってから名前のことでいじめられたこともあったらしいんですね。でも2年生のときに引っ越しちゃったんで、それっきりだったんですけど、高校くらいなったときに電話がかかってきて。「小学校のときに一緒だったロだけど。ちょっと紗穂ちゃんの声が聞きたくなって」って。そのとき「えー!」と思いましたね。だって小学校の頃に別れてから連絡も取り合ってなかったから、不思議だったんです。話を聞くと、名前を変えて吉村って名字になっていました。なんで私に電話をくれたのか母に聞いてみたら、小学校1年のときに名前でからかわれたことを先生に「おかしい」と言ったのを、ロさんは覚えていたんじゃないかなって言われて。私はそれを忘れていました。たぶん、そういう不条理というか、子ども心に「みんな同じなのにおかしい」と感覚で思っていたんだなって、母から話を聞いて思ったんですけど。

寺尾さんの、そういう……社会的公正を求める感覚は、ステージからはとくに感じますよ。カフェでかかるような音楽を装いながら、その場の空気を壊すようなこともやるでしょう?

寺尾:装いながら(笑)。でも、“アジアの汗”とかは全然装ってないですけどね。あんまり真似をしようという意識はないんですよ。

あの、予定調和をひっくり返すような展開は、コンセプチュアルにやっているわけではないんですか?

寺尾:全然違いますね。面白かったのは、曽我部恵一さんと対談したときがあって、前作の“私は知らない”という、原発労働者について歌った曲の2番のはじめで、「原発の日雇いで、放射能で被ばくしたおじさんが虫ケラみたいに弱るのを、都会の夜は黙殺する」っていうがあるんです。「意図的に2番のはじめに置いたんだよね?」って曽我部さんに聞かれたんですけど、私にしてみると「意図的も何も……」というか。やりたいことをただ出しただけなんですよ。だから、こうするとウケるだろうとか、かっこいいとかは……。

戦略性はないんだ?

寺尾:ないんですよ(笑)。だからインタヴューをしていてもつまらないと思います(笑)。

ハハハハ。

寺尾:深読みしてもらう分にはいいんですけど、何も考えていないんで。それを歌にしたときに美しいかとか、リズム感がいいかとかは多少考えていると思うんですけど。

『愛の秘密』に収録されている、大森(※90年代のele-king編集者)が好きな“狂女”という曲もそうですけど、寺尾さんの曲には、何か疎外されたものへの思いが偏在していますよね。メロディアスで聴きやすい曲なんですが、トゲがあるし、ファンタジーを見せながら悪夢を見せるような(笑)。

寺尾:悪夢じゃないですよ(笑)。うーん。あの曲はモーパッサンの同タイトルの短編があるのですが、戦争というものを描くときに、こういう美しい糾弾の仕方があるのだなと、感銘を受けたんです。

取材:野田努(2015年3月19日)

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