「坂本龍一」と一致するもの

菊地雅章 - ele-king

 現代の私たちは、手のひらにある四角いガラス板の上で指を滑らせるだけで、あらゆる情報に触れることができる。だが、それはシステムの「表面」をなでているに過ぎない。
 パーソナル・コンピュータの父であるアラン・ケイがかつて、コンピュータを「粘土」に例えたのは、単なる操作感の話ではない。ユーザー自身が内部構造(プログラム)に手を突っ込み、骨格から作り変える──そんな自由を理想としたからだ。
 2026年現在、アルゴリズムが未知との遭遇すら「計算可能なレコメンド」として差し出す、この無菌化されたデジタル・グリッドの中には、あの泥遊びのような手触りは存在しない。
 だが、いまから40年前、無機質なシンセサイザーの群れを前に、電子音のしなやかな抵抗を指の腹で探り、その柔らかな手応えを確かめるように作品を編みあげた音楽家がいた。ジャズ・ピアニストという枠を超え、音の深淵を歩み続けた菊地雅章である。

 1958年に18歳でプロ・デビュー後、渡辺貞夫や日野晧正との共演を経て渡米。ギル・エヴァンス・オーケストラへの在籍やマイルス・デイヴィスのリハーサルへの参加などの活動を続け、81年にシンセサイザーを導入したアルバム『Susto』と『One Way Traveller』を発表。その後、本作『六大 (地・水・火・風・空・識)』の制作に、80年代の大半を費やすこととなった。

 菊地は本作では、録音した音の上に別の音を重ねていくオーヴァー・ダビングを封印した。事後的な音の塗り重ねや、時間軸を跨いだ修正は、彼にとって「音楽からの後退」を意味したからだ。必要なのは、一瞬の判断が生命線を分かつ、逃げ場のない「いま」への即応である。彼はすべての音をライヴ・ミックスしながらダイレクトに録音していく、彼自身が「リアルタイム・シンセサイザー・パフォーマンス」と呼んだ手法に没入していった。ごく簡単に言ってしまえば、大量の機材群(YamahaのDX7が6台、同じくQX1が4台、OberheimのOB-8が2台など、挙げればきりがない)をつなぎ、自動演奏パターンを仕込み、その上に即興ソロを乗せ、ミックスも同時にこなしながら、一発録りで完成させるという、極めてスリリングな方法だ。放たれる無数の電子音のなかで、その瞬間瞬間の判断を積み重ねながら、誰の目にも映ることのない巨大な彫刻をひとりで削り出していくような作業である。

 真言密教において万物を構成するとされる6つの要素──「地水火風空識」をタイトルに据えたこの全6作のプロジェクト。その幕開けとなるのは、憂いを帯びたレゲエのリズムの曲 “Reggae Triste” からはじまる『地・EARTH』だ。2曲目の “Andes” では、ガガーリンが宇宙から眺めた青い球体の光景から、人類が生まれる前の地底から突き上げられるカオスまでが、縦横無尽に拡散していく。
 その混沌を潜り抜けた先で、聞き手の意識をさらに深くへと引き込んでいくのが『水・WATER』だ。“Moon Splash” には、月光の飛沫が水面に弾けるような輝きと、底知れぬ不気味さが同居している。一方、“Aurola” で展開される、覚えのない影が背後を追ってくるような鏡的なシンコペーションは、後に登場するレイ・ハラカミの繊細な叙情や、エイフェックス・ツインの『Selected Ambient Works』が提示した孤高のサウンドへと繋がる、まだ誰も知らない予兆に満ちている。さらに特筆すべきは “Water Song” だ。BPMは121。突然、立体的なビートが立ち上がるこのトラックは、あらゆる方向からきめ細やかな音の粒が曲全体を纏う。深夜のクラブのメインフロアでこの曲が鳴り響くとき、人びとは瞬く間に平衡感覚を明け渡し、ただただ眩暈を伴う恍惚に呑み込まれていくに違いない。
 対照的に『火・FIRE』では極めて強いミニマリズムが支配し、『風・WIND』では穏やかさとは無縁の、ある種の恐れや不穏さを帯びた音風景が広がる。ミュジーク・コンクレートにも似たサウンドが漂う『空・AIR』では、どこか宗教的な響きも持ち合わせている。
 そして、プロジェクトの帰結とも言える『識・MIND』へと辿り着く。恐れずにいえば、約50分に及ぶこの楽曲には、終わりに向かう気配がない。ミニマルなループのイントロダクションが作り上げる網目を、一定の体温を保持した電気信号が、するすると滑り落ちていく。はっと息をのむのは、曲が30分に差し掛かろうとする直前。胎動か、あるいは宇宙の鼓動か。巨大な生命の脈動が、約1分間続く。『地・EARTH』からはじまった本作は、ここへきて、私たちの頭上の遥か彼方に意識が吸い上げられ、いつの間にか自分の身体の輪郭が曖昧になっていく。

 坂本龍一が信頼を寄せたテイラー・デュプリーによるリマスタリング、金岡秀友、稲岡邦弥、須川崇志、そして原雅明という、多角的な視点を持つ4名によるライナーノーツに加え、原雅明の著作『アンビエント/ジャズ マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜』に収録された菊地の1997年の未公開インタヴューも、本作を聴くための強力な補助線となる。機材の詳細、制作秘話、シュトックハウゼンやイーノへの傾倒、フランソワ・Kのレーベルからリリースされたハウスのトラックを作ったときの心境まで。それは過去を懐かしむためではなく、「いま」と真摯に向き合うことを一度も手放さなかった、ひとりの人間のドキュメンタリーだ。ただ、意外なのが、ここでの菊地の語り口が、ストイックな音楽とは裏腹に驚くほど軽やかなことだ。飾らない言葉で、包み隠さず話すその率直さに触れたとき、この作品を「超大作」と身構えて聴いてしまっていた自分を、どこか恥じるような気持ちにさえなってしまった。

 インターネットは世界を広げるどころか、色彩豊かな現実を遮断し、私たちの感性を日々狭めている。そこにあるのは、アラン・ケイが危惧した「遠隔操作」のような手応えのない世界であり、予期せぬノイズを排除した〈管理された偶然〉の虚構だ。しかし、菊地雅章が本作で示したのは、その真逆にある。テクノロジーを自らの身体の延長として扱いながら、それらを支配するでもなく、されるでもなく、長年に渡り電子音と向き合い、対話を続けてたどり着いた、コントロールの向こう側にある〈あるべき偶然〉。そこには、あまりにもやわらかな生命が、息づいている。

「『リアルタイム』っていうのは “いま” に対するフレキシビリティがないと絶対にできないからね」
── 菊地雅章

Fumitake Tamura - ele-king

 自主レーベル〈Tamura〉や坂本龍一による〈Commmons〉など複数のレーベルを通じて、ソロおよびコラボレーションによるアルバムやEPを多数リリースしている日本人プロデューサー・Fumitake Tamuraが最新アルバム『Mijin』を〈Leaving Records〉よりリリース。サム・ゲンデルとソウル・ウィリアムズを客演に招き、全曲の作詞・作曲・プロデュース・録音・ミックスを自身で手がけている。

 タイトルの「Mijin」は、日本語の「微塵 / みじん」を指すそうだ。最小限のピアノの和音から始まり、声やパーカッション、ローズウッドやシンセサイザーの断片、そしてジャズやソウルの痕跡を再構成するように作られたという、粒子のような音を集めた本作にふさわしいタイトルといえるだろう。

Artist: Fumitake Tamura
Title: Mijin
Label: Leaving
Format: LP / Digital / Stream
Release Date: 2026.4.10
Pre-Order: https://buntamura.bandcamp.com/album/mijin

Tracklist:

1. Interstice
2. Ostinato (feat. Sam Gendel)
3. Duration
4. Resonance (feat. Saul Williams)
5. Modulation
6. Reduction
7. Suspension
8. Particles
9. Offset
10. Oscillation
11. Resonance (Instrumental)


音は無音の 間 にたいして、表現上(この言葉はきわめて一般的な意味として受けとってほしい)の優位にたつものではない。
──武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社、1971年)、196–197頁

アルバムのタイトル「微塵(Mijin)」は、非常に細かい粒を意味する日本語に由来しています。
“微塵な音”を集めていき、空間の中で響かせながら、それらのあいだに生じるわずかな動きを見つめていくと、やがて全体のバランスが形づくられていきます。
そういった関係性と、そこで生じる緊張のなかで「沈黙」と「音」が、どのような共鳴を起こすのかを探りました。
アルバムは、録音されたピアノの最小限の和音から始まり、断片的な声やパーカッション、Rhodesやシンセサイザー、そしてジャズやソウルの残響を再構築しながら展開していきます。
音は空気中に漂う粒のように存在し、それぞれがゆるやかに響き合いながら構成をつくっていきます。
その配置によって生まれる「間」や「沈黙」が、音と同じくらいの存在感をもって現れてくれることを願っています。
──Fumitake Tamura

Visible Cloaks - ele-king

 スペンサー・ドーランおよびライアン・カーライルから成るオレゴンはポートランドのデュオ、ヴィジブル・クロークス。彼らがひさびさのオリジナル・アルバムをリリースする。時代の流れを決定づけたともいえる前作『Reassemblage』が2017年だから、およそ9年ぶりのことだ(2019年には尾島由郎&柴野さつきとの共作もあり。彼らは今回の新作にもフィーチャーされている)。現在、モーション・グラフィックスが参加した先行シングルが公開中。アルバムの全貌を楽しみにしておこう。

Visible Cloaksがニュー・アルバム『Paradessence』をRVNG Intl.から5/22にリリース決定。Motion Graphicsをフィーチャーしたファースト・シングル「Disque」を公開。

Spencer DoranとRyan Carlileによるエレクトロニック・デュオ、Visible Cloaksがニュー・アルバム『Paradessence』をRVNG Intl.から5/22にリリースすることが決定。ファースト・シングルとして、Motion Graphicsをフィーチャーした「Disque」をMVと共に公開。

Visible Cloaksの3作目のフルアルバム『Paradessence』は、「出現」と「幻惑」をめぐる作品。全14曲は、うっすらと発光する夜の背景の上で、揺らぎ、うねり、きらめきながら移り変わっていく。そこは、自然界をまばらに、しかし極端にリアルに再現した表象によって形作られた、巨大な洞窟のような空間。アレンジは同時に壮大でありながら脆く、これまでの作品の反転であり総決算でもあり、そして彼らがこれまで作ってきた中でも最も冒険的なもののひとつでもある。

2014年にCloaksからVisible Cloaksへと変化して以来、Spencer DoranとRyan Carlileは、相反する概念の複雑なマトリクスを描き出してきた。オーガニックと人工、偶然と意図、本物と複製。2017年には、高い評価を受け、今やアイコニックとも言える2ndアルバム『Reassemblage』を発表。精緻に作り込まれたテクスチャー、開花し朽ちていくようなアレンジ、そして世界中の楽器が存在する想像上の世界を、豊潤に伝送する作品だった。続いて2019年には、アンビエントの先駆者Yoshio OjimaとSatsuki Shibanoとのコラボレーション・アルバム『serenitatem』をリリース。さらにこの2作の間に、Doranはグラミー賞にノミネートされたコンピレーション『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』を編纂し、近年では瞑想的な探索ゲーム『SEASON: A letter to the future』のサウンドトラックも発表している。

新作タイトルは、作家Alex Shakarが「paradoxical(逆説的)」と「essence(本質)」を組み合わせた風刺的な造語から採られたもの。Visible Cloaksが抱え続けてきた相反概念を直接的に映し出している。消費財における「paradessence」とは、その欲望を生み出す「分裂した核(schismatic core)」のこと(Shakarの例では、コーヒーが“同時にリラックスさせ、かつ刺激もする”からこそ欲される、という具合)。『Paradessence』が見せる絶妙な均衡は、21世紀の生活が同じ緊張関係によって組み替えられていく中で、それらの要素をより切迫したものとして提示する。それは、変化し続ける形態によって、現在の「夢の現実」を抽象的に喚起するだけでなく、感情の襞まで繊細に織り込み、ときに恩寵の瞬間へと立ち上がる想像上の空間を築くエレクトロニック・ミュージックでもある。

『Paradessence』からの先行シングル「Disque」(Motion Graphics参加)は、次第に美しさを増していく一連の“吐息”のような作品。音の紡錘が枝分かれするように立ち上がり、広がりながらより多くの表面をつかみ取り、密度をわずかに増していく。上昇していく音やピアノのラインが、縫合の糸のように要所で曲をつなぎ合わせる。アレンジが静けさへと戻るたびに、それが再び立ち上がってくるのかどうかという緊張を感じる。やがて、それは立ち上がらない。残されるのは、長く細いリボンのように引き伸ばされたピアノの残滓だけ。

「Visible Cloaksとしての制作は、常に“トップダウン”よりも“ボトムアップ”だった」とDoranは言う。「完成した曲の明確なビジョンが最初からあって、それをスタジオでできるだけ忠実に実現しようとするのではなく、アイデアが立ち現れるための条件をいくつも設定する、という感じ。『Disque』のような曲は、そうした考え方を念頭に置いて構想する。長年の音楽実践の中で培ってきたさまざまな確率的(stochastic)手法を使い、最初のソースから段階的に抽象が展開していく連なりを作っていくんだ。」

「Disque」のビデオは、英国拠点のフォトグラメトリストGrade Eternaとの共同制作。ロンドンにある名もなき温室の「点群(point cloud)」を進み、歪ませ、ねじ曲げながら描かれる。3Dスキャンのツールで物理環境を空間上の点の地図へと変換し、それを使って空間の仮想モデルを生成。そのモデルをゲームエンジン内で可塑的(自在に変形可能)に扱っている。

今週Visible Cloaksは、「音・光・空間のための没入型キュレーション・プラットフォーム」を掲げるイベントシリーズ「Age of Reflections」の一環として、ポートランドとシアトルで2公演を行う。詳細は「Disque」ビデオのすぐ下に掲載されている。

Visible Cloaks new album “Paradessence” out on May 22, 2026.

Artist: Visible Cloaks
Title: Paradessence

Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-254
Format: CD / Digital
Release Date: 2026.05.22
Price(CD): 2,200 yen + tax

※CDボーナス・トラック1曲収録
※解説付き予定

『Paradessence』において沈黙は重要な登場人物。音を彫刻する行為の中に感じられるだけでなく、あらゆるものに及ぼす圧力、そしてそこから現れるものにおいても感じられる。グループは建築理論家Christopher Alexanderの「ポジティブ・スペース(positive space)」という概念に影響を受けた。物体そのものを構築するのと同じくらいの配慮を、物体の周囲にある“空白(void)”の形にも向けられる、という考え方だ。ここでは、音が自らの沈黙を伴って運ばれていく様子が聴こえる。存在と非存在のあいだを振動し、微生物のようにライフサイクルをたどっていく。

『Paradessence』を下支えする楽器群には共同体性がある。風が葉の群れの上を漂い、動きが消えたことで空気が見えるようになる時のように、それらは群れのように動く。複数の種が同じ曲の中で共存し、数分のあいだに、せり出し、引っ込み、変容していく。「環境として水平に機能する作品を作るのではなく」とDoranは言う。「空間の中で変化していく“生きた素材”として捉え、絶えず流動しているものとして概念化したかった。」曲の形式はアンビエンスから離れ、純粋な抽象へと舵を切る。ユートピアニズムが周縁に漂う。想像上の未来との関係は、ナイーブでも、シニカルでも、ノスタルジックでもない。

Visible Cloaksが時間をかけて築いてきた世界は、しばしばコラボレーターによって物質的なかたちを与えられてきた。『Paradessence』では、その馴染み深い顔ぶれが再び戻ってくる。Motion Graphics(Joe Williams)は「合成木管(synthetic woodwinds)」で登場し、アルバムの共同ミックスも担当。彼特有の艶やかな質感で輪郭を整えている。連結した2曲「Shapes」と「Thinking」は、環境音楽の革新者Yoshio OjimaとSatsuki Shibanoとともに制作された。彼らはデュオが参加した世代横断のFRKWYSコラボ『serenitatem』でも共作した相手だ。後者の「Thinking」では、Ojimaが書いたスポークン・テキストが用いられ、Shibanoが日本語で、そして作曲家で長年の友人でもあるFélicia Atkinsonがフランス語で朗読している。

Doranの「不確定(indeterminate)な室内楽」プロジェクトComponium Ensemble(自動演奏するソフトウェア楽器群)が、「System」の基盤を提供する。それはPessoa的な異名性(heteronymity)の瞬間でもある。さらにアルバムには、ルーマニア出身の作曲家・ヴァイオリニストIoana Șelaruも参加し、「Intarsia」で声と弦の演奏を提供している。Doranはこのコラボを「幻影的な存在感(illusionary presence)の練習」と呼び、「彼女の実際の楽器演奏と仮想楽器を並置し、合成ストリングスと現実に存在するストリングスの境界をぼかす」というアイデアから共同で発展させたと語る。

「Intarsia」におけるȘelaruの緊迫したパフォーマンスは、『Paradessence』のドラマティックな核をはっきりと示す。それは切迫した彫刻的な仕事であり、ひとつの楽器と人間の声が、合成的な成長の海によって変調されていく。Doranは「この現実と仮想のあいだの滑り(slippage)は、まったく別の何か、奇妙で言葉にしがたい何かを捉えている」と説明する。「それは、オンラインでも現実の生活でも、デジタル・モダニティの中で生きることに固有の要素なんだ。」

Track List:

1. Apsis
2. Skylight
3. Disque (ft. Motion Graphics)
4. Balloon
5. Slippage
6. Telescoping
7. Shapes (ft. Yoshio Ojima and Satsuki Shibano)
8. Thinking (ft. Félicia Atkinson, Yoshio Ojima and Satsuki Shibano)
9. Zinna
10. Swirl
11. Steel
12. Intarsia (ft. Ioana Șelaru)
13. Capgras
14. System (ft. Componium Ensemble)
15. Hycean (CD Bonus Track: not Japan-only)

Visible Cloaks are Ryan Carlile and Spencer Doran

Mixed by Joe Williams and Spencer Doran at Gary’s Electric Studio and Dream Box Office​, except “Skylight,” “Shapes,” “Thinking,” and “Intarsia,” mixed by Spencer Doran at Secret Society

Joe Williams – Virtual woodwinds on “Disque”
Oona Doran – Balloon on “Balloon”
Félicia Atkinson – Voice (French) on “Thinking”
Yoshio Ojima – Processing, lyrics and additional arrangements on “Shapes” and “Thinking”
Satisuki Shibano – Piano and voice (Japanese) on “Shapes” and “Thinking”
Ioana Șelaru – Violin and voice on “Intarsia”

Ultrasonic insect sounds on “Telescoping” recorded in Aulus-les-bains, France in 2023

Mastered by Heba Kadry (Brooklyn, NY)
Cut by Josh Bonati for Bonati Mastering (Brooklyn, NY)
Original artwork by David Lisser
Design by WWFG

Visible Cloaks‘s new single “Disque (ft. Motion Graphics)” out now

Artist: Visible Cloaks
Title: Disque (ft. Motion Graphics)
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Format: Digital Single
Buy / Listen: https://orcd.co/jbgxnr8

Visible Cloaks – Disque (ft. Motion Graphics) (Official Video)
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=mzXMkCXfGoU

Directed by Grade Eterna and Spencer Doran
VFX and 3D Scanning by Grade Eterna

Visible Cloaks:

Visible Cloaksは、Spencer DoranとRyan Carlileによる米国ポートランド拠点のエレクトロニック・デュオ。プロジェクトは2010年にDoranのソロとして始動し、2014年にCarlileが合流してデュオとしてのVisible Cloaksへと発展した。セルフ・タイトルのデビュー作を経て、ニューヨークの名門RVNG Intl.へと契約。代表作『Reassemblage』は2017年2月にリリースされ、DoranとCarlileの共同プロデュースによって、ポストYMO以降の電子音楽的冒険に敬意を払いながらも、その系譜をなぞるのではなく別の方向へと踏み出した作品として位置づけられる。80年代半ばから90年代初頭にかけての日本やイタリアのエレクトロニック・ポップ/アンビエントが切り拓いた道筋から敢えて逸れ、合成的な“種”から育った樹木が深い音の樹冠をつくる森の中に、自分たちの陣地を築いていくような独自の音響世界を確立した。アルバム収録曲「Valve」にはdip in the poolの甲田益也子が参加し、「Terrazzo」にはMotion Graphicsが参加するなど、客演を含めて作品世界を拡張している点も特徴として刻まれている。サウンド面では、Doranが日本のニューエイジ/アンビエントや電子音楽への関心を背景に制作してきたことが各所で言及され、Yellow Magic Orchestraや坂本龍一の名が影響源として挙げられることもある。また制作プロセスについては、Doran本人がAbletonのインタビューで、システム的な発想にもとづくアプローチや音作りの方法論を語っている。2017年後半にはミニアルバム『Lex』を同年12月にリリースし、複数の方言やアクセントを連鎖させて翻訳ソフトに通すことで生成された“異星の言語”を音素材として取り込み、彫刻的なアレンジの網目に、意味へ回収されない静謐な発声を織り込んだコンセプト作品として提示した。ビジュアル面でも作品世界の統一が重視され、『Reassemblage』のアートワークや『Lex』期の短編映像でBrenna Murphyが関与している。さらに2019年には、尾島由郎と柴野さつきとの共作『serenitatem(FRKWYS Vol. 15)』を発表。初の日本ツアー終盤に両者と出会い、ヨーロッパ・ツアー中に録音した加工音のスケッチを尾島へ送り、加筆・編集された音を再び折り込みながらスタジオ・セッションへ持ち込むという往復運動の中で制作が進められた。そこで生まれた作品は、人間と機械の境界が縫い目としてほとんど見えないほど滑らかに結合されつつも、その気配が至るところで示唆される鋭利なレコードとして結実している。Visible Cloaksは、特定地域の音楽史、とりわけ日本の環境音楽/シンセサイザー音楽への参照を、単なる引用ではなく制作手法そのものの設計へと転換し、翻訳・変換・生成といった方法論を軸に、アルバムごとにコンセプトを更新しながら、RVNGを軸に音と視覚、コラボレーションを統合した作品群を展開してきた。

CoH & Wladimir Schall - ele-king

 コー(CoH)とウラジミール・シャール(Wladimir Schall)による本作『COVERS』は、静謐なピアノの響きと、硬質で冷ややかな電子音/ノイズが交錯し、美しくも深淵なサウンドスケープを展開するアルバムである。
 旋律は断片化され、ピアノの残響は電子処理によって引き延ばされる。もしくは削ぎ落とされる。その結果、本作は「ピアノ作品集」でも「電子音楽作品」でもなく、両者が拮抗しながら共存する不安定かつ精緻な音響空間を生成している。まずは、このアルバムがそうした音の在り方を徹底的に追求した作品であることを明確にしておきたい。リリースはスイスの実験音楽レーベル〈Hallow Ground〉から。

 まず、『COVERS』は一般的に想像される「カヴァー・アルバム」とは大きく異なる作品である点も指摘しておきたい。本作でおこなわれているのは、原曲をそのまま演奏し直したり、わかりやすく現代的にアレンジしたりすることではない。そうではなく、楽曲の内部に含まれている構造や時間の流れ、そして聴き手の記憶に残る感触を丁寧に取り出し、それらを一度解体したうえで、まったく別のかたちに再構築する試みが行われているのである。『COVERS』というタイトルは、その意味で意図的に挑発的だ。本作は「カヴァーとは何か」を問い直すところからはじまっているからだ。

 アルバムについて語る前にまず最初に、コーことイワン・パヴロフ(Ivan Pavlov)の経歴を簡単に振り返っておきたい。彼は1990年代後半から国際的に活動してきた電子音楽家である。ロシア出身で、旧ソ連崩壊後の混乱期を背景にキャリアをスタートさせ、活動初期からノイズ、インダストリアル、ドローンといった領域に関心を向けてきた。
 2000年代以降は、〈Raster-Noton〉、〈Editions Mego〉といった実験音楽/電子音楽の重要レーベルからも作品を発表した。現在はストックホルムを拠点に、電子音楽の境界を横断する制作を続けている。
 コーは多彩なレーベルから楽曲をリリースしているが、重要なのは〈Raster-Noton〉と〈Editions Mego〉からのリリース作品であろう。〈Raster-Noton〉の作品では、『Mask Of Birth』(2000・のちに〈Mego〉からも再リリース)も重要だが、特に2007年にリリースされた『Strings』(2007)が決定的なアルバムであった。ストリングスの音を電子的に解体し、クリック・ノイズやデジタル・グリッドを基盤とした厳格なミニマリズムを実践しているのだ。音は空間に配置される抽象的な「構造体」として扱われていたように思える。彼の作品のなかでもシリアスな作風といえよう。その現代音楽的な音響は、『COVERS』に通じている。
 その一方、〈Editions Mego〉からの作品群はよりヴァラエティに富んでいる。グリッチ以降のインダストリアル・サウンドの傑作『0397POST-POP』(2005・これは〈Mego〉時のリリース)、ギター・ノイズの粗さや歪みを強調したメタ・メタリックな『IIRON』(2011)、リズミックなビートやヴォーカル(ヴォイス)入りのポップな『Retro-2038』(2013)、『TO BEAT』(2014)など、よりヴァラエティに富んでいる。そして2016年リリースの『MUSIC VOL.』では不安定なノイズと静謐な音響空間が交錯するサウンドを構築する。続く2017年の『COHGS』では多彩なゲストを召喚し、不安定なノイズからリズミックなトラック、ヴォーカル導入まで、〈Editions Mego〉期の集大成ともいうべきアルバムに仕上がっていた。このひとつのスタイルや音響に留まらない姿勢こそ、コーの音楽が単なるミニマリズムにとどまらない理由でもある。
 また、コーのサウンドを理解するうえで、コイルのピーター・クリストファーソンとの関係も決定的である。クリストファーソンと共に活動した Soisong は、コーのキャリアにおける重要な転機となった。音楽を完成された作品ではなく、環境や儀式、経験と結びついた出来事として捉えるピーター・クリストファーソンの思想は、コーに強い影響を与えた。音の不完全さや偶発性、聴取状況によって意味が変化するという考え方は、Soisong 以降のコー作品において重要な軸となった。音楽を「機能する装置」として捉える視点をより明確なものにしていったのである。
 本作の共作者ウラジミール・シャールは、パリを拠点とする作曲家で、クラシック音楽および実験音楽の文脈を背景に持つ。音そのものの質感や沈黙、反復によって生まれる感覚のズレに強い関心を持ち、2020年にはエリック・サティの “Vexations” を無限にループさせるカセット作品を発表している。既存の楽曲を「完成された作品」として固定するのではなく、聴かれ続ける過程で意味が変容していくものとして捉える姿勢が、シャールの制作のコアにある。
 このふたりは「音」そのものに対する思想的な共通点を持ちながらも、明確に共同名義で制作された作品は本作が初めてであった。本作『COVERS』は、コーとシャールが本格的にタッグを組み、それぞれの考え方や手法を一つの作品世界の中で結びつけた最初の成果と言える。その意味で本作は、単なる企画的な共作ではなく、両者の関心が自然に交差した結果として生まれた作品でもある。
 本作をリリースした〈Hallow Ground〉というレーベルの存在も、『COVERS』を理解するうえで重要だ。〈Hallow Ground〉は、現代音楽、実験音楽、サウンドアートを横断しながら、ジャンルよりも聴取のあり方そのものを問い続けてきたレーベルである。静けさ、持続、反復、微細な変化に耳を澄ませる態度を要請する点で、〈Hallow Ground〉のカタログは一貫して能動的な聴取を前提としている。ピアノと電子音、記憶とノイズの関係を再構築する『COVERS』は、その美学と強く共鳴する作品だ。

 『COVERS』は全7曲から構成されており、そこには明確な戦略がある。ピアノによる既存曲を出発点としながら、電子処理とデジタル操作によって、聴き慣れた旋律や和声の内部から「異物」を浮かび上がらせること。これらの楽曲は「音楽の機械装置を、欠陥も含めて誠実に露出させる」ための一連の装置として構想されている。楽器や楽曲の不完全さを補正するのではなく、その脆さをそのまま提示する態度が、アルバム全体を貫いている。
 1曲目 “MERRY XMAS MR ERIK” は、坂本龍一の “Merry Christmas Mr. Lawrence” とエリック・サティを重ね合わせることで、本作の核心を明示する楽曲だ。あの有名な旋律は、完全な形で現れることなく、響きと電子子ノイズの間を漂う。そうすることで坂本とサティが同じ「響き」を持っていることをあぶり出す。
 6曲目 “GNOSSIENNE À RYUICHI” でも、坂本龍一とエリック・サティというふたりの「静かな急進性」が結びつけられる。フランス近代音楽が切り開いた機能和声から解放された音色と余韻の美学は、直接的な引用ではなく、音の扱い方として継承され、電子的操作によって再び解体されていく。ちなみ坂本龍一は、コーの『To Beat Or Not To Beat』に坂本がリミックスの提供などをしている。
 1978年のソ連アニメ短編『Контакт』や『Ну, погоди!』シリーズに着想を得たという2曲目 “KOHTAK”、少ない音階の旋律を音色を変換しつつ展開する3曲目 “OKOLO KOLOKOLA” などは、音楽的記憶が歪み、変化を遂げていく過程をトレースしているかのようだ。アルバム中でももっとも静謐な印象を残す楽曲だ。
 4曲目 “SOII BLANC” では、コー自身の過去曲 “Soii Noir” (2011年リリースのアルバム『IIRON』に収録)をモートン・フェルドマン的な静謐なミニマム感覚を媒介に再構築し、自作すらも「他者の作品」として扱う姿勢を明確にする。そして5曲目 “SNOWFLAKES” は、存在しない原曲をカヴァーするという逆説的な試みであり、ノスタルジアという感覚の不確かさを露わにした。そして、アルバム最後に置かれた7曲目 “STAROST NE RADOST” では、喜びと悲しみ、親しみと疎外の境界が曖昧に揺らぎ続ける。

 『COVERS』はコーの単独作とも明確に異なる位置にあるアルバムだ。何しろ本作は「すでに存在する音楽の記憶」そのものが素材として扱われているからだ。構造を構築する存在から、記憶と聴取のズレを媒介する存在へ。この視点の転換こそが、『COVERS』をコーのディスコグラフィの中でも特異な作品へと位置づけている要因といえよう。
 要するに過去の名曲を懐かしむための作品ではない。音楽の記憶がどのように現在に作用し、変わり続けていくのかを静かに示すアルバムなのだ。耳を澄ませることで、知っているはずの音楽がまったく異なる表情を見せる。その体験こそが、本作最大の魅力といえよう。

aus - ele-king

 音が呼んでいる。音と音が呼び合っている。静かに。やさしく。深く。心を鎮めるように。水流のように。

 アウス(aus)の『Eau』(FLAU)を聴いて、まず感じたのは、そんな「静けさ」の感覚だった。音楽が何かを語りかけてくるというより、こちらが耳を澄まさなければ何も起こらない。その距離感が、この作品を特別なものにしているように思う。穏やかで透明度の高いアンビエント作品という言葉は決して誇張ではないが、それ以上に、『Eau』は「音に身を預ける姿勢」が求められるアルバムなのだ。

 東京出身の作曲家/プロデューサー、Yasuhiko Fukuzonoによるソロ・プロジェクト、アウスの作品群を振り返ってみても、本作のサウンドデザインは明らかに異質である。ただし、それは実験性を誇示する方向ではない。むしろ構えがなく、音が淡々とそこに置かれている。そのため、難解さに身構える必要はないが、漫然と聴き流していると、何も掴めないまま終わってしまう危うさもある。『Eau』は、自然体で聴ける一方、注意深く耳を傾けるほどに、表情がゆっくりと浮かび上がってくるタイプの作品だ。

 何より印象的なのは、この作品の「聴きやすさ」が、単なる簡素化や情報量の削減によって成立していない点である。音は徹底して整理され、余分な要素は排されているが、その内側では微細な変化が途切れることなく起こっている。初めて聴いたときには、ただ穏やかに流れていくだけのように感じられた音が、繰り返し聴くうちに、配置や響きの変化として少しずつ輪郭を持ちはじめる。このアルバムは、即効性のある快楽よりも、時間をかけた聴取によって信頼関係を築いていくような作品だ。

 本作でアウスが箏をサウンドの核に据えている点も、個人的には強く惹かれた部分である。エレクトロニカを基盤に、緻密な音響設計で評価されてきたアーティストが、ここまで自然に日本の伝統楽器を溶け込ませていることに、驚きと同時に納得もあった。箏は旋律楽器として前に出るのではなく、音色や余韻、共鳴といった要素が丁寧に扱われ、電子音やピアノと境界線を失っていく。その結果、『Eau』には、どこか日本的でありながら、日本的と断言できない、不思議な中間領域の音風景が広がっている。

 箏奏者・奥野楽(Eden Okuno)の演奏は、このアルバムの質感を決定づける重要な要素だ。柔らかなタッチと倍音を多く含んだ響きは、明確な主張をすることなく、音が立ち上がり、空間に広がり、消えていくプロセスそのものを支えている。持続音のシンセサイザーや控えめなピアノと重なり合うことで、音は常に流動的で、角の取れた状態を保ち続ける。

 『Eau』の音の運び方は、即興性を強調するものでも、厳密な構造を誇示するものでもない。むしろ、作為が感じられない状態をどれだけ精密につくれるか、という点に重心が置かれているように思える。音が「鳴っている」ことよりも、「そこに在る」ことが重視されており、聴いているうちに、音楽を追うという意識そのものが薄れていく。気づけば、同じ空間に音とともに存在している。そんな感覚に近い。

 アルバム・タイトルの「Eau(フランス語で「水」を意味する)」が示す通り、本作のサウンドは形を持たず、水のように透明で軽やかだ。自然音楽やヒーリング・ミュージックのようなわかりやすい情景描写は前面に出てこない。音はただ現れ、変化し、消えていく。その連なりを追っているうちに、時間感覚が次第に緩み、音と音の間の余白さえも心地よく感じられてくる。この「何も起こらなさ」に身を委ねられるかどうかが、『Eau』を楽しめるかどうかの分かれ目だろう。

 冒頭の“Tsuyu”では、箏の単音が慎重に置かれ、その減衰と残響が空間に滲んでいく。旋律を追うというより、音が残していく気配を感じ取るような聴き方が自然と促される。“Uki”ではミニマルな反復が前面に出て、音の流れに身を預ける感覚が強まる。“Variation I”の反復は強調されすぎることなく、時間が静かに折り重なっていく印象を残す。“Orientation”では音の配置が立体化し、ヘッドフォンで聴くと奥行きの感覚が心地よく広がる。

 中盤以降はさらに音数が絞られ、静けさが前面に出てくる。“Variation II”では輪郭が溶け、“Tsuzure”では箏の断片、ドローン、水音などが重なり合い、穏やかなテクスチャーを形成する。“Shite”ではやや感情的な反復が現れるが、全体のトーンは崩れない。“Minawa”と“Soko”ではピアノと環境音、箏が重なり、環境音楽やエレクトロニカ的な側面がより明確になる。終曲“Strand”で音が薄れていく流れは、終止感というより、ただ音が去っていく様子を見送るような感覚に近い。

 『Eau』は、日本の環境音楽や空間音楽の系譜とも接続されている。例えば、諸井誠の『和楽器による空間音楽』や、吉村弘の箏作品に見られる、音を空間の一部として捉える感覚は、本作の音の置き方や時間感覚と確かに共鳴している。また、芦川聡や廣瀬豊の美学、さらには武満徹や坂本龍一が追求してきた音と沈黙、アコースティックと電子音の関係性も、前面に出ることなく背景として滲んでいる。ただし、それらは引用として提示されるのではなく、あくまで無意識の層で作用しているように思える。

 そのため『Eau』は、日本的な文脈を背負いながらも、特定の文化性や歴史性を強く主張しない。場所や時代を限定しない抽象性が保たれており、聴き手の生活環境や心理状態によって、受け取られ方が変わる余地が大きい。その「曖昧さ」こそが、この作品を繰り返し聴きたくさせる理由なのだろう。過度な抽象性に寄りかからず、「音そのものの心地よさ」を丁寧に保っている点も、本作の美点である。集中して聴くこともできるし、生活の中にそっと置いておくこともできる。そのどちらも拒まない柔軟さが、『Eau』を日常の時間と無理なく共存させている。

 アンビエント・ミュージックの「聴きやすさ」と「奥行き」を、ここまで自然に両立させた作品は、そう多くない。『Eau』は、とても穏やかで、耳に負担をかけない作品である。音の質感や余韻に意識を向けることができる人にとって、長く付き合える一作になるだろう。

Taylor Deupree & Zimoun - ele-king

 テイラー・デュプリーとジムーンによる『Wind Dynamic Organ, Deviations』は、「音響現象」そのものへの深い洞察を提示するエクスペリメンタル・ミュージック作品である。全6曲・約43分から成る本作は、1997年よりニューヨークを拠点にデジタル・ミニマリズムと環境音響の可能性を探究してきた〈12k〉レーベルの思想が、現在進行形で結実した一作と言える。ここで示されているのは、音楽を「聴く」という行為そのものを問い直すための実験と実践である。極めて静謐でありながら高い緊張感を孕んだ音響の集積だ。

 本作の音の核となっているのは、スイス・ベルン大聖堂に設置された「Wind Dynamic Organ(Prototype III)」と呼ばれる特殊なオルガンである。この楽器は、従来のパイプオルガンのように鍵盤操作によって音高や和声を構築するものではなく、風圧と空気量をリアルタイムで制御することで、音色そのものを連続的に変化させる構造を持つ。ノイズとして立ち上がる空気音、微細な揺らぎ、残響の変容までもが音として取り込まれ、建築空間と共振しながら「響き」が生成されていく。
 ジムーンは、この「Wind Dynamic Organ(Prototype III)」の可能性を探るため、長い時間にわたって同楽器と向き合い、継続的な研究と制作をおこなってきた。その成果はふたつのアルバムとして結実している。ひとつはジムーン単独名義による『Wind Dynamic Organ, One & Two』、もうひとつがテイラー・デュプリーとの共作である本作『Wind Dynamic Organ, Deviations』だ。前者が素材の純度と空間的存在感を前面に押し出し、オルガンの「呼吸」と残響そのものを聴取空間に満たす音響作品であるのに対し、『Deviations』は、同一の素材を起点としながらも、デュプリーの編集と構成によって再配置され、時間的・構造的に再解釈された作品となっている。両作に共通するのは、旋律や形式よりも、音が生まれ、持続し、消えていく生成過程そのものを前景化している点であり、音はここで「音楽」ではなく「現象」として立ち現れている。

 ここで両者の経歴を整理しておこう。テイラー・デュプリーは1990年代前半からエレクトロニック/アンビエント音楽の最前線で活動を続け、作家活動と並行して〈12k〉を主宰してきた。ハード・アシッド・テクノからアンビエント、グリッチ、ドローンに至るまで幅広い表現を手がけ、坂本龍一デヴィッド・シルヴィアンステファン・マチュー、スティーヴン・ヴィティエロ、クリストファー・ウィリッツらとの協働でも知られる。本作では、近年のフィールド・レコーディング的な風景描写や叙情性から一歩距離を取り、音が物理現象として立ち上がる瞬間の複雑さと静けさ、その均衡点に照準を合わせている。その編集は自己主張的ではなく、音が音として存在するための条件を精密に整える行為に近い。
 一方のジムーンは、スイス出身のサウンド・アーティストであり、音響彫刻やインスタレーションを中心に国際的評価を確立してきた人物だ。〈Room40〉などから音楽作品を発表する一方で、モーター、ワイヤー、段ボールといった工業的・日常的素材を用い、物理的運動そのものを音の源泉とする作品を制作してきた。制御と偶然が交錯するプロセスを可視化・可聴化するその手法は、音楽と美術の境界を意図的に曖昧にし、現代美術館や音響芸術祭での展示を通じて高く評価されている。ジムーンの仕事は、音を表現から解放し、出来事として空間に置く試みだと言えるだろう。

 『Wind Dynamic Organ, Deviations』は、こうしたふたりの異なる方法論が緊密に交差する地点で成立した記念碑的なアルバムである。全編は “Deviation I” から “Deviation VI” までの6トラックで構成され、それぞれが楽曲というより、同一の音響素材が異なる条件下でどのように振る舞うのかを観測する連続的な記録として機能している。“Deviation I” では素材の潜在的な立ち上がりが露わになり、“Deviation II” では微細な揺らぎが空間に拡散していく。中盤の “Deviation III” では深い低域が身体感覚を刺激し、音があたかも物質のような重量感を帯びる。“Deviation IV” では沈黙と残響が前景化し、聴取行為そのものが可視化されるかのような状態が生まれる。“Deviation V” ではジムーンのインスタレーション的性格がより強く表出し、終曲 “Deviation VI” ではすべてが収束し、静かな包摂と深い余韻が残される。
 本作はメロディやリズムを徹底して回避し、連続する変化と変容のプロセスに焦点を当てている。風圧と空気量の制御によって生まれる音は、トーンというより空間的な「音の層」として立ち上がり、空気の流れと反響が交差する地点で存在感を獲得する。聴き手は音を消費する主体ではなく、自らの聴取態度を内省する地点へと導かれていく。
 同時期に発表されたジムーンの『Wind Dynamic Organ, One & Two』と併せて聴くことで、『Deviations』における編集と再構築の精度はより明確になるだろう。前者が素材の質感と空間体験を直接的に提示するのに対し、後者は時間と構造を操作することで、聴取者を異なる音響的次元へと導く。その差異は、記録と構築、現象と作曲のあいだに引かれた繊細な境界線を浮かび上がらせる。このアプローチは、〈12k〉が長年掲げてきた「音の物質性」と「静寂の設計」という理念とも深く共鳴している。

 『Wind Dynamic Organ, Deviations』は、アンビエントやドローンといったジャンル名で安易に回収される作品ではない。それはむしろ、現代の音響表現における「聴くこと」の設計図を静かに書き換える試みであり、〈12k〉の美学がいまなお更新の途上にあることを示す確かな証左である。音はここで意味を語ることを拒み、空気とともに存在し続ける。聴き手に残されるのは、その沈黙に限りなく近い余韻と、「聴取」という行為そのものへの新たな意識である。

Masabumi Kikuchi - ele-king

 代表作『Susto』(1981)で知られるジャズ・ピアニストの菊地雅章。マイルス・デイヴィスやエルヴィン・ジョーンズといったレジェンドたちとセッションをおこなってきた彼は、じつは他方で──原雅明(著)『アンビエント/ジャズ』でも明かされていたように──クラフトワークブライアン・イーノに熱中、とくにイーノのレコードはぜんぶ集めていたそうで、自身でも深くシンセサイザーと向き合っている。その成果が『六大(ろくだい)』と呼ばれる、1988年に送り出された6枚のアルバム(『地』『水』『火』『風』『空』『識』)なのだけれど、残念ながらそれらはいつの間にか忘れられた作品となってしまっていた。これが2026年3月、ついにリイシューされるというのだから、事件といっていいだろう。マスタリングはテイラー・デュプリー。フィジカル盤はSACDと、そして今回ヴァイナルでも初めてリリースされる。2026年の見過ごせないリイシュー案件、ぜひともチェックしておきたい。

2026.03.25発売
菊地雅章 / 六大 (地・水・火・風・空・識)

日本を代表するジャズ・ピアニスト、菊地雅章が遺した唯一無二のエレクトロニック・ミュージック『六大=地水火風空識』が遂に再発!

名盤『Susto』リリース後に制作された幻の音源『六大=地水火風空識』が、坂本龍一からの信頼も厚かったテイラー・デュプリーによるリマスタリングで、各6タイトルSACD(ハイブリッド盤)と2枚組レコードとして蘇る。

「15時間の映像のために制作された音楽『六大=地水火風空識』は、菊地雅章が遺した唯一無二のエレクトロニック・ミュージックである。『Susto』と『One-Way Traveller』のエレクトリック・ジャズ/ファンクを経て、80年代の大半がこの音楽の制作に費やされた。ピュアな電子音と向き合った記録であり、ジャズとエレクトロニック・ミュージックのミッシング・リンクを埋める、世界的にも稀有な作品だ。
テイラー・デュプリーのリマスタリングによって、これを再び世に紹介できることは喜び以外の何ものでもない。」 (原 雅明 ringsプロデューサー)

【リリース情報】
アーティスト名:菊地雅章(キクチ・マサブミ)
アルバム名:六大(ロクダイ)
発売日:2026.3.25
フォーマット:CD(SACD HYBRID仕様), 2LP
価格:CD ¥4,400 (税込) / 2LP ¥7,500(税込)
レーベル:rings
オフィシャルURL:https://www.ringstokyo.com/masabumikikuchirokudai/

※収録秒数が、多少変更になる可能性がございます。再発となるジャケットは、新規デザインを予定しております。

All Selections Composed by MASABUMI KIKUCHI
Real-Time Synthesizer Performance: MASABUMI KIKUCHI
Recorded OCTOBER ‘84-MAY ’86 at CRACKER-JAP STUDIO, Brooklyn, NY
Re-Mastering: Taylor Deupree
Re-design: Kohei Nakazawa

地・EARTH

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC134
JAN: 4988044135918

CD Tracklist:
1. Reggae Triste(9'45″)
2. Andes(11'28″)
3. Earth 61(13'06")
4. Cockroach's Dilemma(10'07")
5. SAYOKO(8'05″)

<2LP>
品番: RINR19
JAN: 4988044135970

LP Tracklist:
A1. Reggae Triste(9'45″)
A2. Andes(11'28″)
B1. Earth 61(13'06")
C1. Cockroach's Dilemma(10'07")
C2. SAYOKO(8'05″)

水・WATER

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC135
JAN: 4988044135925

CD Tracklist:
1. Moon Splash(12'33")
2. Spectrum(15'16")
3. Aurola(15’11”)
4. Blue Spring(11’58”)
5. Water Song(8'18")

<2LP>
品番: RINR20
JAN: 4988044135987

LP Tracklist:
A1. Moon Splash(12'33")
B1. Spectrum(15'16")
C1. Aurola(15’11”)
D1. Blue Spring(11’58”)
D2. Water Song(8'18")

火・FIRE

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC136
JAN: 4988044135932

CD Tracklist:
1. Fire Dance I (12'21")
2. Fire Dance II (7'35")
3. Fire Dance III (8'23")
4. Fire Dance IV (20'49")
5. Fire Dance V (7'35")

<2LP>
品番: RINR21
JAN: 4988044135994

LP Tracklist:
A1. Fire Dance I (12'21")
B1. Fire Dance II (7'35")
B2. Fire Dance III (8'23")
C1. Fire Dance IV (20'49")
D1. Fire Dance V (7'35")

風・WIND

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC137
JAN: 4988044135949

CD Tracklist:
1. WIND I,II(23’15")
2. WIND III(12'19")
3. WIND IV,V(21'54")

<2LP>
品番: RINR22
JAN: 4988044136007

LP Tracklist:
A1. WIND I,II(23’15")
B1. WIND III(12'19")
C1. WIND IV,V(21'54")

空・AIR

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC138
JAN: 4988044135956

CD Tracklist:
1. AIR I(6'46")
2. AIR II(23'25")
3. AIR III(14'12")
4. AIR IV,V(13'18")

<2LP>
品番: RINR23
JAN: 4988044136014

LP Tracklist:
A1. AIR I(6'46")
B1. AIR II(23'25")
C1. AIR III(14'12")
D1. AIR IV,V(13'18")

識・MIND

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC139
JAN: 4988044135963

CD Tracklist:
1. MIND(49'58”)

<2LP>
品番: RINR23
JAN: 4988044136014

LP Tracklist:
A1. MIND I
B1. MIND II
C1. MIND III
D1. MIND IV


photo by Abby Kikuchi

菊地雅章 Masabumi Kikuchi
ジャズ・ピアニスト。1939年10月19日東京生まれ。東京芸術大学付属高校作曲科を卒業後、1958年に18歳でプロとして活動開始。66年に渡辺貞夫カルテットに参加し、67年に日野晧正と日野=菊地クインテットを結成する。68年にバークリー音楽大学に留学し、帰国後の69年に菊地雅章セクステットを結成する。73年からニューヨークに移住し、77年からはギル・エヴァンス・オーケストラに在籍する。マイルス・デイヴィスのリハーサルへの参加を経て、81年にシンセサイザーを導入した『Susto』と『One Way Traveller』を発表。その後、80年代の大半を「六大」のエレクトロニック・ミュージックの制作に費やす。88年にオールナイト・オールライト・オフホワイト・ブギ・バンド(AAOBB)を、90年にはゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンとの自身のトリオ、テザード・ムーンを結成する。96年には吉田達也、菊地雅晃とスラッシュ・トリオも結成し、同時に後藤俊之らハウスDJとの制作にも取り組んだ。また、ソロ・ピアノのライヴ活動も行った。2012年、ポール・モチアン、トーマス ・モーガンとのトリオ作『Sunrise』をECMから発表。2015年7月6日、ニューヨークの病院にて死去。

interview with LIG (Osamu Sato + Tomohiko Gondo) - ele-king

 LIGは佐藤理とゴンドウトモヒコによる新しい音楽ユニットだ。
 デビュー・アルバムは2枚組CDの『Love Is Glamorous/Life Is Gorgeous』。
 レコード会社による紹介ではLIGの音楽は「電子音楽と金管楽器を融合し、現代音楽、ジャズ、民族音楽、クラシックを横断するオーガニックなインストゥルメンタル・サウンド・トリップ」とある。
 こう書くとずいぶんと曖昧に捉えられるかもしれないが、実際に彼らの音楽を聴いてみたら、まさにその通りの音楽だった。
 ただし、とてもポップかつダンサブルで楽しい「インストゥルメンタル・サウンド・トリップ」でもある。
 LIGのふたりのうち、佐藤理は1990年代に発表された『LSD』や『東脳』といったサイケデリックで中毒性の高いゲームのクリエイターとして高名だが、音楽やグラフィック・デザイン、映像の分野でも数多くの作品を世に出しているマルチな才能を持ったアーティストだ。
 片やゴンドウトモヒコはボストン大学で音楽を学び、帰国後はオフィス・インテンツィオ(高橋幸宏らが創設した会社)でのサウンド・プログラマーを経て電子音楽と金管楽器の奏者、そして作曲家として活動を続ける。自身のバンド、アノニマスのほか、YMOや蓮沼執太フィルのサポート、高橋幸宏との数多くのコラボレーションで知られている。
 1960年生まれの佐藤と1967年生まれのゴンドウ。ちょっとだけ年は離れているが、かなり以前から面識があり、近年はライヴやレコーディングで共演を続けてきた。

いっぱい曲ができて新人バンドなのに2枚組になっちゃって(ゴンドウ) 65歳と58歳の新人ですが(佐藤)

ゴンドウ:最初に会ったのは1995年ぐらいかな。ぼくがオフィス・インテンツィオに入ったばっかりの頃。アノニマスの山本(哲也)くんが佐藤さんの事務所でバイトをしていて、その縁です

佐藤:それからすぐに一緒にライヴをやるようになって、吉祥寺のスターパインとか、なにかのイベントで渋谷のクアトロに出たこともありました。そのときはアノニマス+ぼくという形が多かったかな

ゴンドウ:そうそう。(徳澤)青弦もいて、即興的な演奏をしていました

 しかし、その後は一旦、共演は間が空いた。

佐藤:その間、ぼくは〈ソニー〉でゲームを作ったりして、その音楽は作ったものの、しばらく音楽活動はお休みしていたんです。あまりに忙しくてゲームやグラフィックの作業に専念しようと。ただ、その後に海外の会社からぼくの音楽をアナログ盤で出したいというオファーが続いて、昔の音源やデータをひっぱり出してきて、よしこれでアルバムを一枚作ろうと。その中の1曲でゴンちゃんにホーンを吹いてもらって、それがひさしぶりでしたね

 その曲は、かつて佐藤理が坂本龍一さんからコードとメロディを提供され共作した『Retrocognition』のセルフ・カヴァーで2017年の発表。

佐藤:その頃からビームスで毎年のように展覧会をやってライヴをやるようになったんですが、最初の2017年にゴンちゃんと成田忍さんにサポートで入ってもらったのが本格的に共演するようになった始まりかな?

ゴンドウ:そうですね、本格的に一緒にやったのはそのときが初めてですね

 アーバン・ダンスの成田忍は本作にもゲスト参加している。

佐藤:ぼくは京都出身なんで同郷のアーバン・ダンスは昔から知っていて、成田さんは、しばらく活動していない時期もあったんですけど、ときどきライヴのゲストに誘ってみたり。また、沖山優司さんと一緒にアルバムを共作しかけて、でも途中から彼がやる気になってきて、やっぱり全部自分でやるって音楽活動に本格復帰したりと、つきあいが長いんですよ

ゴンドウ:あのライヴは楽しかったですね

佐藤:ただ、あのときは自分のアルバムが出たのにそこからの曲は1曲もやらず、即興だけやっていたので、レコード会社の人からは“それじゃなんのプロモーションにもなりません”って(笑)。ま、そうして以降、ゴンちゃんとは何度も共演してきたんですが、そうだ、それをお願いする前に、ぼくMETAFIVEのライヴを観たんだ

ゴンドウ:え、そうなの?

佐藤:ぼくの仕事場の富士の近くでイベントがあって、いろいろ関わってたテイ(トウワ)さんから誘われて観に行ったの。自転車乗って(笑)

ゴンドウ:そのとき会ってないですよね?

佐藤:そう。ゴンちゃんにメールで“いま観てるよ”って送っただけで、観終わったらすぐ帰っちゃった

ゴンドウ:自転車で?(笑)

佐藤:そう、自転車で。ゴンちゃん出世したなって思いながら(笑)

ゴンドウ:いや、そんな!

佐藤:その前からYMOのバックをやったりして、がんばってるなって思ってましたけど、そのとき自分は音楽をやってなかったんで、ちょっと自分ごととしては考えてなかった

ゴンドウ:以前からいろいろと繋がりは多いんです。レピッシュのtatsuさんと一緒に仕事をしたり、沖山さんとも仲がいいし

佐藤:ぼく、20代の頃に沖山さんと成田さんと3人で一緒にアメリカに音楽の旅に行ったこともありますよ。ニューヨークとナッシュビルとニュー・オーリンズ。ドクター・ジョンやテンプテーションズ、ライヴ・ハウスで無名のアーティストをいっぱい観ました。ジャズだったりカントリーだったり。それ系の音楽が昔から大好きなんです

ゴンドウ:すごく詳しい

佐藤:聞く音楽とやる音楽がちがうんです(笑)。自分ではブラック・ミュージックはできないのでテクノになる。日本人にはいちばんテクノが向いているんじゃないかなと

ゴンドウ:ぼくは昔からゲームをしないので、『LSD』とか評判になっているのは知ってましたが、やったことがない。でも、佐藤さんの音楽は大好きで、すごくおもしろい。感覚的に作ってるんだろうなって思うんですけど、その感覚がすばらしい

佐藤:ぼくはゴンちゃんみたいにアカデミックな音楽教育を受けてないし、楽器の演奏もできない。コンピューターを通すことによって初めて音楽ができる

ゴンドウ:で、いろいろ共演していくうちに、そろそろなんか一緒に作ろうかって話になったんです。いつの間にかライヴでいろんな曲をいっぱいやってるし

佐藤:そうそう。いつからかぼくのソロ・ライヴでもゴンちゃんの曲をちょっとずつ入れていってた

ゴンドウ:しかし、やろうとは言ったものの、そこからが長かった(笑)

佐藤:やろうやろうと言いつつなかなか進まなかった。お互いソロは出してたんですけど。そうしたらある日ゴンちゃんが、そろそろちゃんと録音しようって

ゴンドウ:なにか曲のMIDIファイルがあるならください。それに何か加えて返しますよと

佐藤:それでMIDIのやりとりが始まってお互いの素材を換骨奪胎していったり、ゴンちゃんがホーンを吹いて入れたり。それで大体できたところでふたりで聴いてここはこうしたい、ああしたいって感じで進めていきました

ゴンドウ:そうやって初めてみたらあれよあれよと進んで、結局2枚組ということに(笑)

佐藤:曲がいっぱいできすぎた!(笑)。で、できたアルバムはお互いレーベルもやっているんで、そこからの流通でいいかなと思ったんですが、ゴンちゃんがメジャーで出したいと

ゴンドウ:いやいや、そんなことは言ってないですよ(笑)

佐藤:言った言った! それでぼくの個展にソニーの人が来てくれたのでそのときにデモを渡したら興味を持ってくれたんです

ゴンドウ:現代音楽もテクノも詳しいという人で、ぼくも佐藤さんもテクノではないんですが、そういう人が気に入ってくれたのはうれしい

佐藤:歌もないし、ポップ・ミュージックじゃないし、クラブ系でもないから

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音楽だけじゃなく映像も自分で作っているケースってあまり多くないと思うんですよ。LIGの場合、映像まで含めての作品なので。(佐藤)

 LIGというユニットの名前の由来は、結成したものの一向に本格始動しなかった経緯からのものだ。

佐藤:先ほど言ったとおり、一緒にやろうと言ったきりぐずぐずなにもせずだったので、LIGという“のらりくらりする”という意味に合わせて亀にしたんですね。で、亀といえば亀甲だろうとこのマークにして、メガネも亀甲型に変えました(笑)

ゴンドウ:かかるまでは長かったけれど、いざ始めると早かったんですよ。制作期間は2か月ぐらい?

佐藤:そうね。始まったらぼくがアルバムまとめ係になって、ゴンちゃんに、もう1曲、こういう感じの曲がほしいなとかをリクエストしていきました。ボーナス・トラックを除いて同じ曲数を書きました

ゴンドウ:曲のきっかけを作ったほうがいちおう作曲という感じかな

佐藤:そうだね。全部共作なんだけど、かっこよく表現するとレノン=マッカートニー的なクレジットになってます。ただ、曲ごとにどちらかの比重が多い少ないかがあって、1曲目から主な作曲者ぼく、ゴンドウ、ぼく、ゴンドウの並びになっています

ゴンドウ:で、いっぱい曲ができて新人バンドなのに2枚組になっちゃって

佐藤:65歳と58歳の新人ですが(笑)。最初は2回にわけて出すという案もあったんですが、結局2枚組に。アナログ化のことを考えて、どちらのディスクも46分以内にしてますから、アナログ・レコード2枚組も実現したいですね(笑)

 この2枚組CDの初回生産限定盤は24ページのアート・ブックが付属しており、佐藤理による収録曲各曲のタイトルが添えられたグラマラスでゴージャスなグラフィック・アートが掲載されている。このフルカラーのアート・ブックは単体でも楽しめるし、音楽のお供としても最適だ。グラフィック・アーティストとしての佐藤の面目躍如だろう。

佐藤:音だけならサブスクでタダで聴けたりするので、パッケージを買ってもらうにはという思いはあります。ぼくが以前ソニーから出したCDやゲームはいますごいプレミア価格で売買されていて、ゲームだと10万円とかになっている。そうなる前にこのCDを買っておいてください(笑)

ゴンドウ:そこは強く言っておきたいですね

佐藤:ケースやアート・ブックが付くのは初回プレスだけなのでぜひ

 本作にはゆかりの深い成田忍がギターで、水出浩がフレットレス・ベースで参加しているほか、ソプラノ・ヴォイスでEpoke、ピアノで鶴来正基も加わっている。

ゴンドウ:鶴来さんは宮沢和史さんのバックをよくやっていていいピアノを弾くんですよ

佐藤:彼は京都に住んでいて、ぼくも京都に家があるんでいい飲み仲間っていう感じ。曲を聴いて、これって生でやってもおもしろいんじゃないのっていうから、じゃあ、ピアノ弾いてって

 フレットレス・ベースは水出浩が弾いている。

ゴンドウ:オフィス・インテンツィオの先輩です

佐藤:最近モジュラー・シンセをいっぱい買って音楽をやってるらしいので、今度12月にあるぼくのソロ・ライヴにゲストで出てもらって、即興で何曲か一緒にやろうかなと思ってます

 そしてソプラノのヴォーカルはEpokhe.。

佐藤:エポケって読みます。彼女はもともとぼくのファンで、ネット経由で連絡をくれたんです。音大を出て声楽をやっていましたというから、あるときサンプリング・ネタにしたいから、キーを変えていろいろ声を録音して送ってって頼んだんです。その後、せっかく声楽をやっていたのだから本格的に音楽やったらいいのにって勧めて、Macはこれがよくて、シーケンス・ソフトはあれがいいとか推薦したんです。で、今回、ぼくがLIGのファイルを送って“なんか歌って”って

 すでにLIG名義でのライヴも複数回行っており、佐藤理の映像と完全にシンクロしたそのライヴ表現は大きな話題にもなっている。

佐藤:このあいだ京都でやったライヴは、このアルバムからの曲と、以前からLIG名義のライヴでやっていた曲。映像と曲が全部シンクロしていて床や背面も使った3面のマルチ・スクリーンに映像を投影して没入感はすごいと思います

ゴンドウ:お客さんの反応もよかったんじゃないかな。踊りまくるというよりは食い入るように観てる感じ

佐藤:即興とまではいかなくても、その日によって変わる部分も出てくるし

ゴンドウ:同じことをくり返してはいません。映像と同期するんで曲の尺は変わらないんですけど、上物はけっこう

佐藤:映像もちょこちょこ変えてますから、何度観ても飽きないんじゃないかな

 LIGの活動は今後も続き、来年は新たな展開も見せてくれそうだ。

佐藤:今回あらためてゴンちゃんの吹くホーンのフレーズをいっぱい聴いて、昔の音楽をたまたま聴いているときに、あ、このホーンはきっとゴンちゃんが吹いてるなってわかるようになりました

ゴンドウ:ぼくも、どこをとっても佐藤さんの音楽は佐藤さんらしいなあと思いましたね

佐藤:とにかくふたりとも作業は早いよね

ゴンドウ:曲もまだまだいっぱいできてますし

佐藤:すぐにでも次のアルバムが出せます

ゴンドウ:そう、スイッチが入ると早いんです

佐藤:あらためての出発なので、来年はライヴも増やしてアナログを出したり

ゴンドウ:ツアーもしたいですね

佐藤:そう、いろんなところでライヴをやって知ってもらわないとね。いま映像を使ってライヴをやるアーティストも多いですけど、音楽だけじゃなく映像も自分で作っているケースってあまり多くないと思うんですよ。LIGの場合、映像まで含めての作品なので。時間もかかるしめんどうなんですが(笑)、人から求められる限り、これからも続けていきます

interview with Kensho Omori - ele-king

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』
11月28日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開

©“Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

 イスラエルとの結びつきが問題視されているボイラールームで、去年、最高のDJを聴かせてくれたアルカはクライマックスで“Rain”をドロップ。ピュリティ・リングはセルフ・タイトルの新作に「坂本龍一の思い出に」という副題をつけた“Glacier”で“戦場のメリークリスマス”をモチーフにした曲をアルバムの締めくくりに置き、イーライ・ケズラーは今年のブリープ・ミックスに“Chasm”をフィーチャーするなど、世界各地で、そして、思わぬ方向から坂本龍一への追悼が途切れなく続いている。坂本龍一が過ごした最後の3年半を追ったNHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」(2024年4月7日放送)はその後、『Ryuichi Sakamoto: Diaries』として新たに映画公開されることに。ディレクターとして携わったNHKスペシャルの制作時から、映画版もつくるつもりで始めたという、大森健生監督に制作当初の話からその過程で気がついたことなどを訊いた。

「受け入れた」と仮定しないと進めない部分もあるのですが、撮っている映像などを見返すと、ある1日を境に言葉も写真もポジティヴに見えるところがありました。2022年4月18日の、「こうなったらどんな運命も受け入れる準備がある」というところです。

最初は「一人の人間の死」と「坂本龍一」であることは分けて考えたいと思います。これまでに誰か個人の死を扱った作品や番組をつくったことはありましたか? 今回が初めてだった場合、人の死を扱う時に初めて感じた感情や気持ちはありましたか。初めてではない場合、他の作品との違いは何でしたか?

大森:人の死ということでは戦争を扱ったことがあります。NHKのディレクターになり1年目から2年目の時に、NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」という番組を制作した時です。人の死を扱ったのはそれが初めてでした。北海道の北に広がるサハリンはかつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていたんですけど、昭和20年8月、終戦後にもかかわらず、住民を巻き込んだ地上戦が1週間にわたって続き、5000人とも6000人とも言われる人たちが命を落としたんですね。沖縄以外でも地上戦が起きていたということを伝えるために、その時は生き残った方々と何度も対話を重ねました。

有名無名を問わず、一人の死を追ったことは?

大森:有名という意味では、三島由紀夫、森鴎外、山本五十六などの生涯を追いました。今回の作品ほどディープに、一人の方の晩年を見つめたのは初めてです。

これまでと違ったところはありましたか?

大森:坂本さんはお亡くなりになってすぐのタイミングでしたし、歴史上の人物を扱う時とはどうしても肌感覚が違います。ご遺族も、世間も、そして私もまだ完全にはその死を受け入れていない時期でしたし、さっきまでそこにいたという気配が残っているんです。そこが大きく違いました。

坂本さんの音楽は以前からお好きだったんですか?

大森:YMOのアルバムや、よく知られている曲は聴いていました。

ファン目線というよりは距離をおいて題材に取り組めたということですね。

大森:曲をどんどん聴くところから始めました。日記を読みつつ、映像を見つつ。全般的にピアノ曲がすごく好きなんです。坂本さんは節目節目に、同じ曲を弾いて、アルバムに残されているんですよね。制作を続けている間に聞こえ方はだんだん変わっていきました。例えば“戦場のメリークリスマス”も繰り返し演奏されてきて、いろんなタイミングの坂本さんが記録として残されているからこその変化を感じられますよね。

NHKサイドの企画としてスタートした話だと聞きましたけれど、そもそも「坂本龍一の最期」を番組化しようと思ったのはなぜですか。また、番組用につくられたものが映画になるという話はいつ・どこから始まったのですか。

大森:坂本さんが亡くなって2日後に追悼番組を「クローズアップ現代」で放送すると決まり、僕はディレクターの一人として参加するところから始まりました。「クローズアップ現代」以外にもNHKでは「NHK MUSIC SPECIAL」で(最後のピアノ演奏を収めた)『Opus』の映像を通して軌跡を辿るなど、さまざまな番組で紹介してきました。本作のプロデューサーでもある佐渡岳利さんがほとんどの番組を担当されていたと思います。長尺版にしたいというのは最初から考えていて、それをかたちにできるのは映画というフォーマットかなということもぼんやり考えていたかもしれません。

坂本龍一に関する様々な番組のなかで「LAST DAYS~」を担当されたというのは、ある意味一番ヘヴィーな部分を担ったことになりますよね。

大森:「クローズアップ現代」で追悼番組を担当して、それ以前から坂本さんにアプローチしていた記者の方がいて、その方と一緒に遺族にお会いする機会を持てたんです。その時にお話をさせていただいたところが始まりでした。坂本さんはいったい、どんな晩年を過されたのか。それをテーマとして企画・構想しつつ、ご遺族と徐々に対話を重ねていきました。余談ですが、「世に名を残した人々は、晩年をどのように過ごし、何を考えていたのか」というテーマについて、大学生くらいの時に調べることに熱中したことがあるんです。正岡子規をはじめ、梶井基次郎、宮沢賢治などを調べました。川端康成、芥川龍之介、三島由紀夫……晩年はみんなすごいんです。いまは私が生まれた年に亡くなった、安倍公房が気になっているんですけど。

作家さんがお好きなんですかね?

大森:言われてみたらそうかもしれません。政治家や思想家にも興味はありますが、まったく違う世界にも興味はありますね。

人の晩年に興味を持っていたのは昔から?

大森:昔から、「なぜ人は○○するのか」という人類普遍のテーマに興味を持ちやすいタイプなんですよね。例えば「人は最期をどう迎えるか」というような感じで。急にある対象の「なぜ?」に興味が向くんです。これまでも、なぜ手紙を?とか、なぜ往復書簡を?とか。今回は、なぜ日記を? ですよね。ハマるとテーマ読みしてしまうところがあるんですよね。

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』の要所要所で田中泯さんが読み上げていく坂本さんの日記も、大森さんはすべてお読みになったんですよね?

大森:読みました。最初はびっくりしましたよね。「僕は古本とガードレールが好きだ」とか書いてあって(笑)。ただテキストだけを読者に届けるのとは違って、メディアを通して日記を紹介するとなると、全文を出すことは難しい。だからこそ全部読んだ上で、大事なエッセンスをより精査・吟味した上で、出さないといけないなと思いましたね。それはご遺族とも話したことでした。

制作しながら、他の誰でもなく、扱っているのが「坂本龍一」だと感じることがあったとしたら、それはどの部分でしたか。

大森:坂本さんの私物をたくさんお預かりしたので、それはもう非常にリアリティがありました。そういう意味では、何から何まで坂本龍一だし、坂本龍一を扱っているという実感につながりました。撮影はリアルのみでやりきりたいと粘る一方で、さまざまな事情があり、打診をしたすべての場所で撮影許可が下りたわけではありませんでした。なので例えば、病院内のシーンでは、預かった私物を配置して坂本さんがいた病室を再現したりして。坂本さんのそばにあったものがどのように置かれていたか、出来る限り忠実に再現していきました。そして言葉だけではなく音楽もあるという点ですよね。坂本さんの場合は。音楽を聴いてその人を知っていくという作業は他の方とは違います。坂本龍一という固有名詞とまではいかないかもしれませんが、”音楽家”を扱っているという気持ちがありました。

曲としてインプレッションがもっとも強かったものは何ですか?

大森:坂本さんの若い頃の演奏が好きです。若くて元気な頃の演奏と、映画にも出てきた最期の演奏『Opus』の両方があるからこそ、坂本さんが“生きてきた”ということがよくわかる。僕はいま32歳なのですが、とにかくアグレッシヴで過剰とも思えるほどエネルギーが注ぎ込まれた音のほうが、自分のなかに入ってくる感じがあります。爆発が起きているみたいで。そして50代くらいになってから、その頃の楽曲をピアノアレンジしていることにもすごく感動しました。“千のナイフ”で、あそこまで過剰とも思えるほどエネルギッシュに音が詰め込まれていたサウンドを、ハンドクラップに置き換えることで表現したり、大人にならないとできない余裕を強く感じました。YMOのアルバムや『/05』も好きですし、30代・50代・70代と変化していく音楽が好きだなと思えるきっかけになったのは、やっぱり最後の演奏を記録したアルバム『Opus』ですね。

テレビ版はあれでひとつの完成形ですが、映画版はもう一度、ゼロから再構築する必要がありました。なので音を中心に編集をし直しまして。内容面でいうと、譫妄のシーンであったり、入院してから苦しんでいる話は少なくしたり。

坂本龍一が「死に抗う」と「死を受け入れる」を交互に繰り返したと感じますか、それともどこかで「抗う」から「受け入れる」に切り替わったと思う瞬間はありましたか。

大森:「受け入れた」と仮定しないと進めない部分もあるのですが、撮っている映像などを見返すと、ある1日を境に言葉も写真もポジティヴに見えるところがありました。2022年4月18日の、「こうなったらどんな運命も受け入れる準備がある」というところです。もっとも体調がすぐれない時期については、映像や写真というものが他の時期に比べて少ないんですよね。日記に記述はあるけれど、写真や映像が非常に少ない。病気や精神的に苦しい時は、日常生活で記録を残すどころではないですよね。それに対して、4月18日を境に、記録が爆発的に増えてきて、メンタルの変化がもたらした変化としても見て取れたように思えます。

そうか、表現しようとする気力や欲求がない時期もそれなりにあったんですね。そこは言われてみないとわからなかったな。『Ryuichi Sakamoto: Diaries』はテレビで放送した「Last Days 坂本龍一 最期の日々」に要素を増やしただけですか? ラストシーンは違っていましたけれど、ほかに削ったところもありますか?

大森:テレビ版はあれでひとつの完成形ですが、映画版はもう一度、ゼロから再構築する必要がありました。なので音を中心に編集をし直しまして。内容面でいうと、譫妄のシーンであったり、入院してから苦しんでいる話は少なくしたり。それをフィーチャーしてしまうと、視点が身体に行きすぎてしまうかなと、あとは松尾西行の句を読むところなども文学表現も、少し引き算しています。その分、月をモチーフにする目的もあって「8月8日 僕の身体はぼろぼろだ」という部分にニコライ・ネフスキーの『月と不死』を入れるなど、編集は随分変えました。

坂本龍一の気力をもっとも感じた部分はどこでしたか?

大森:ずっとですね。熱が39.6度ある、とか書いてたりするんです。そんなに高熱だったら、自分だったら日記なんて書けないんじゃないかなと思ったり。驚きました。

坂本さんの映像は家族が撮影したものですが、もしも大森さんがあの場にいて、自分で撮影していたとしたら坂本さん本人に直接、訊いてみたかったことはありますか?

大森:たくさんありますけどね……ちょっと言えないです(笑)。

「言えない」って(笑)。言えるようになったらいつでも連絡ください(笑)。それはあまりにも気になります。

 2024年に放送された「Last Days 坂本龍一 最期の日々」はTV番組としては演出がとても抑制されていて、必要以上に感情を刺激するものではなかった。NHKだけではないけれど、番組の演出があまりに大袈裟で、とくに音楽が番組の感じ方を特定の方向に誘導するものが多く、もう少しフラットに番組を進めてくれないものかなと思うことが多い。内容に興味があっても途中で見るに耐えられなくなってしまうことも少なくない。当時、ディレクターを担当していた大森監督による演出はその点、坂本龍一が最後に過ごした3年半を素材のまま見ているような気持ちにさせてくれ、どのように感じるかは観るものに委ねられる自由があった。映画版となった『Ryuichi Sakamoto: Diaries』でもその演出方法はそのまま活かされている。全体の中で大きな意味を持つものではないけれど、僕は多くの人が「キョージュ」と呼んできた坂本龍一を東北ユースオーケストラを構成する若いメンバーだけが「カントク」と呼ぶシーンがとても好きだった。「キョージュ」と呼ばれ続けた男が亡くなる少し前は「カントク」と呼ばれていた。どういう欲望なのか自分でもよくわからないけれど、僕も坂本さんのことを「キョージュ」ではなく「カントク」と呼んでみたくなった。
 日本を代表する曲だと言われながら、〝戦場のメリークリスマス〟に賞を与えたのは世界でもこれまでにイギリス・アカデミー賞だけである。坂本龍一は紫綬褒章も授けられていないし、日本で与えられた賞といえばレコード大賞編曲賞や都民栄誉賞ぐらい。ブラジルやフランスが国民栄誉賞を坂本龍一に授けているのとは雲泥の差がある。それだけにNHKがこうして坂本龍一の番組をいくつもつくり続けていることは坂本龍一を正当に評価してこなかった日本において大きな意味を持ってくるのではないかと僕は思う。

Roméo Poirier - ele-king

 かつてライフガードだったロメオ・ポワリエは、デビュー作『Plage Arrière』(2016)で、ギリシャの浜辺と、そこから続く海底の静寂を、サウンド・コラージュとして描いた。そのとき彼は、まさに水の中の住人だった。
 4年後の『Hotel Nota』では、ジョン・ハッセルの “第四世界” を思わせるオープニングに導かれながら、ポワリエは海からほど近いホテルの一室で、かつての自分をじっと見つめていた。その光景は、アラン・レネの映画『ジュ・テーム、ジュ・テーム』の、海辺の記憶が渦のように繰り返される場面を想起させる。
 さらに『Living Room』(2022)では、身の回りの音から “室内の海” を築きあげる。だが、最後の曲 “Superstudio” で、彼はついに海を離れ、録音の現場、スタジオへと向かう。その “音楽が生まれる場所” から始まったのが本作『Off the Record』である。

 彼によれば、今回の制作はこれまでとまったく異なるものだったという。作曲や録音に取りかかる前に、まずノートに音のアイデアを書き留めていった。それと並行して、スタジオ・セッションのアーカイヴ、映画のドキュメンタリー、YouTube動画など、あらゆる場所から音素材を集めていった。さらに、〈Faitiche〉のレーベル・デザイナーであるティム・テッツナーからも、膨大なアーカイヴ音源を受け取り、そこからいよいよコラージュと編集の作業が始まる。彼は1年以上をかけて音を集めたという。その時間もまた、作曲の一部だと言えるだろう。

 タイピング、鼻をすする、少し歩いたあと、段差を降りる。マイクチェック(ヘイヘイ、オーオー、ツーツー)、咳払い……。本作のオープニング曲 “Diapason” は、そんな〈本編の外側〉から始まる。
 2曲目 “Control Room” から9曲目 “Silencio” までは、地続きの夢。
 “Langsam” では、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』と思われるリハーサル音源が、さざ波のような揺れるヴェールに包まれ、うっすらと霧が立ち込める情景が、幾度となく目の前に浮かびあがる。
 “One Two One Two” は、ユーモラスであたたかい。ポワリエはこの曲について、こう語っている。
 「この曲では、およそ100人の人々が “1、2、3、4” とカウントする声を集めた。何かが始まろうとして、結局始まらない──その前の瞬間の声なんだ」
 それぞれの声の下に、カウントの流れに合わせて、リズムやハーモニーの要素を重ねていったという。彼にとってそれは、単なる積み重ねではなく “構成” そのものだった。この〈始まりの前にとどまり続ける音楽〉は、私たちに全く新しい感覚をもたらす。クリスチャン・マークレーの『The Clock』を初めて観たときの驚きが、耳に訪れる。
 レコードのノイズと、物静かなピアノで始まる “Et vous” では、誰もいない階段の踊り場で少女が小さなステップを踏む──世界中の誰も知り得ない、充足した瞬間を切り取った宝物のような風景が広がる。
 ひと呼吸置いた後の “The List”。彼と親交のあるアーティストやプロデューサー──スペース・アフリカのジョシュ・インヤング、アンビエント作家のアンドリュー・ペクラー、サウンド・アーティストのパトリシア・ウルフ、そして彼の父フィリップ・ポワリエらが、各国の名スタジオの名前を次々と読み上げていく。そこには、録音という行為そのものへの穏やかな敬意が漂っている。
 ここでふと思い出すのは、坂本龍一の “War & Peace” だ。戦争と平和について語る様々な人たちの声が、坂本の編集によってひとつの楽曲として構成されている。どちらの作品も、他者の声を素材としているが、その扱い方はまったく異なる。坂本の方は、他者の声を “問いの媒体” として用いている。それは現実を突きつけるテーマと共鳴し、曲は力強い推進力をもって前へ前へと進んでいく。一方、ポワリエの方は、他者の声を “存在の断片” として用いている。音楽が生まれる場所や人々の記録が、地層のごとく空間へ積み重なっていく。反復される淡い響きの軌跡は、アンモナイトの螺旋のように美しい。
 “Steve A.” は、シカゴ出身の著名なサウンド・エンジニアへのオマージュだ。恐らくそれはスティーヴ・アルビニのことで、彼のインタヴュー音声から「studio」と発する部分だけを抜き出し、再構成したユニークな約30秒の小品である。
 “Fast Forward” では、実際の早送り音が過ぎゆく時間を折りたたみ、その連なりを容赦なく押し流していく。

 ポワリエが語ってくれた制作の背景には、もうひとつ心に残るエピソードがある。彼は長いツアーのなかで、いつしかサウンドチェックそのものに魅了されるようになったというのだ。
 「サウンドチェックのあいだは、会場にはまだ観客がおらず、ミュージシャンとサウンド・エンジニアが肩の力を抜いて、適切なバランスを探りながら音や意図を調整していく──そんな “ダンス” のような時間があるんです。そこには魔法のような瞬間があって、ときには本番よりサウンドチェックのほうが良いことさえあります。この体験が、今回のアルバムの出発点のひとつになりました」

 〈本編の外側〉にある、本来なら切り捨てられてしまう副産物を、彼はそこにしかないかけがえのない素材として扱い、驚くほど表情豊かな〈本編〉へと反転させた。それが可能なのは、音楽が生まれるまでの過程を支えるすべて──ノートに書きとめたアイデアから、共に働く仲間たち、無数のスタジオの歴史まで──を、彼が等しく “音楽の本編” として慈しんできたからだろう。

 そして、ラストの “On Suite”。彼はいつも、アルバムの最後の曲に、次の作品の予感を忍ばせている。ラスト数秒、音が消える直前に立ち上がる微かな気配。それこそ、彼の美学の結晶だ。『Off the Record』の幕が閉じる余白に耳を澄ませながら、私はただ、海辺でも、ホテルでも、スタジオでもない “どこか” で、次の作品を待ち続けている。


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