「Beautiful」と一致するもの

Jill Scott - ele-king

 ニッキ・ジョヴァンニの『双子座のおんな』を、ものすごく久しぶりに読んだ。この本を初めて手にしたのは、かれこれ40年も前のこと。呆れるほど無知な若造だった頃で、まあ、端的に言えばそのときは読んでもまったくわからなかった。
 だいたい黒人文化について無学だった。自慢じゃないが、60年代の政治の季節(ロング・ホット・サマー)についても、リロイ・ジョーンズのブラック・アーツ・ムーヴメントに関しても、ましてや、白人が牛耳る国の黒人であり、男性が牛耳る世界の女性の書いたエッセイなど、まるっきり理解できるはずもない。すべてが他人事であり、20歳くらいの若い女性から発せられる「ママ、世界中で黒人の革命がおこるのよ、準備しなくちゃ」という言葉も、なんだか絵空事に思えてしまうのだった。

 ジル・スコット──クラブ・ミュージックに親しんでいる人にとっては、アースラ・ラッカーと並んでもっとも馴染み深いネオ・ソウル/ニュー・フィリー系の歌手──の10年ぶりの新作、まずはアートワークに惹かれた。黒人女性の顔に細かく文字が描かれたそのカヴァー──「We can save ourselves(私たちは自分たちを救える)」「Your rules are nothing(あんたらのルールなど無意味だ)」といった力強いアファメーションが目に入る。目を凝らせば、「one day we will destroy of all those who wish to harm us(いつか私たちは、私たちを傷つけようとする者たちをことごとく打ち滅ぼすだろう)」が読めるし、首飾りには何重にも、ほとんど言霊か呪詛のように「we fight(私たちは闘う)」とある。
 クールだ。
 ベル・フックスによれば、アメリカの白人至上主義社会のなかで創出された「クール(格好いい)」なる黒人英語がほんらい意味するところは、黒人が家父長制的な支配力を持つことなんぞではない。クールとは──「精神を荒廃させることなく、いかに人生の苦難に立ち向かうか」「苦しみを受け入れ、それを錬金術のようにして黄金へと変えること、その燃焼のプロセスに必要とされる凄まじい熱量にも耐え、自分を見失わない能力」だという。

 ここでもう一冊、米国文学の研究者、新田啓子の『アメリカの黒い傷痕』を紹介したい。このすばらしく魅力的な書物のなかの、「生を肯定する理由」と題された論考には黒人音楽ファンにとって必読の洞察がある。いまでは黒人霊歌と知られる、すなわちかつての “奴隷たちの歌” には、死に関する歌が多く、恋愛に関する歌が少ない(なぜならそれは日常的に手の届かないものだった)という史実を前提に、在りし日の、アメリカ黒人の〝人生における限界〟について延べながら、しかし、──

ゲットーで滅びることが意図されている社会を生きてこられたのは、彼らの愛する能力ゆえのことであったと断言する思想家が現れる。それはジェイムズ・ボールドウィンであった──

 と、新田啓子は綴る。そして、ボールドウィンの名エッセイ集——BLM以降、世界中で再評価された——『次は火だ』の序文を引用しつつ、こう続ける。

愛が欠如の、また不可能性の別名であるとの理解に基づくリアリズムは、逆に黒人たちを、愛という積極的な活動に、意識的に駆り立てたのだという理解がここにある。黒人たちは絶滅することを拒絶して、つまり生きたいという意志を行使して、おのれの「滅び」を期する社会の思惑に敢然と抗してきたとボールドウィンは主張する。

 人間から、金も地位も、家も、服も、尊厳さえも、人生にかかわるありとあらゆるものすべてが奪われても、それでもその人間たちを生かしてきたのは「愛」である、とボールドウィンは言っている──そのことを新田啓子は「生を肯定する理由」のなかで書いた。

 いつまでも清志郎と言ってるな、という人たちに言ってやりたい。同じように、いつまでもボールドウィンと言ってるな、と言えるのかと。
 地球の数字上では、何をしようがしなかろうが時代は進み、子供が生まれる限りは新しい世代が台頭する。それは当たり前のことである。ブラック・ミュージックはしかし、かつてもいまも、いや、おそらくは70年代初頭のPファンク(ジョージ・クリントン)あたりから、古き自分たちの先駆者たちを敬い続けている。

 ブラック・ミュージックにおける「愛」の強度——その「愛」が、波瀾万丈で、苦難に満ち、歯の浮いたようなものではないことは、ここであらためて言うまでもない話だが、本を読みながら、愛の謳歌が、ブラック・カルチャーの文脈においては革命的なことだった、と言いたくなってきた。いずれにせよ、60年代の黒人解放闘争に身を投じたひとりの黒人女流詩人=ニッキ・ジョヴァンニを、10代における影響源のひとつとするジル・スコットが愛の歌を歌うことも、60年代の理想主義を現代に掲げたザ・ソウルアクエリアンズ(ザ・ルーツ、コモン、モス・デフ、Jディラ、エリカ・バドゥ、ディアンジェロたちから成る左派系コレクティヴ)に合流することも必然だったのである。
 もっともジル・スコットはフィラデルフィア、そもそも彼女を見出したザ・ルーツのクエストラヴやアースラ・ラッカーと同郷で……てことは、キング・ブリットやムーア・マザーとも同郷なのであって、いや、すごい、サン・ラとアーケストラが最後に住居を構えたのもフィラデルフィアだし、最近ではDJハラムもそうだった。(フィラデルフィアは、それこそダンスフロアの基準となったキックの四つ打ちの故郷である)
 
 ジル・スコットの新作『To Whom This May Concern(関係者各位)』は、出だしが抜群に格好いい。フリー・ジャズと詩/ラップが、リズムのうねりに乗って胸躍るように流れていく。フランキー・ベヴァリー[*フィリー・ソウルの代表。Mazeで知られる]のようになりたいと語っているスコットは、確実にベヴァリーのように、人生の積み重ねのなかで作品を磨いている。50歳になったことを喜ぶ彼女は、ポップの世界で言えば、若作りに励む万能の威厳たちとは対極にいる。太ってもかまわないし、それが人間にとってのマイナスだとも思っていない。

私は「あっち側」の美意識エステティックじゃなかった
ええ、わかってる、わかってる
綺麗で、飾り立てられた外見
初歩的で、型にはまった世界
彼女らと同じように見えなきゃいけないっていう、
すごいプレッシャー

 これは“The Aesthetic”という曲の、スコットらしくユーモラスに時代を風刺したリリックの断片である。こうした〝囚われていない〟ことの余裕、優雅さ、資本主義的な価値観から自由な感性が、そのまま音楽にも反映されるのは当然だ。ニューオーリンズのミュージシャン、トロンボーン・ショーティによるビッグバンドをフィーチャーした大らかな“Be Great”、そしてキレキレのファンクに乗った“Beautiful People”、ウエストコースト・ヒップホップの先駆者トゥー・ショートを招いた“BPOTY”、アトランタの(非トラップ系)ラッパー、JIDを迎えた“To B Honest”等々、アルバムは活気に満ちてる。

 『双子座のおんな』には、(当時白人聴衆にバカ受けした)スライ・ストーンが、しかしじつは密かに黒人に向けて歌った言い回しの(きわめて政治的な)歌詞の一節が解読されている。『To Whom This May Concern』という、日本語でいうところの「関係者各位」や「ご担当者様」にあたる英語のフォーマルな言葉を題名とした新作は、〝(人種に関係なく)受け取るべき人が受け取ればいい〟、そういうメッセージでもあるとぼくは受け取った。スコットはこのアルバムについてこう語っている。
 「聴き終えたあとに、静寂がうるさすぎて耐えられないような、ぽっかりとした穴を感じてほしい。そこから立ち上がって何か行動を起こすか、あるいはもういちど最初からレコードをかけ直すか、自分がいまどこにいるのか、それが本当に自分の望んでいることなのかを、真剣に考えるきっかけになってほしい」

 ブラック・ミュージックとは、世界がこうなったらいいよね、という音楽ではない。こうでなくちゃ私ら困るんだよ、だ(でなきゃ、次は火だ)。
 ジル・スコットには、こんなポジティヴなエネルギーをありがとう、とぼくは言いたい。ジェイムズ・ボールドウィンは、人種差別(対白人)だけではなく、異性愛モダニズムとも闘わなければならなかった文学者だ。ニッキ・ジョヴァンニは、人種差別だけでなく、運動内部の家父長制(対男性)とも戦わなければならなかった女流詩人である。スコットの新作には、“ニッキに捧ぐ詩(Ode to Nikki)” という詩の朗読からはいる曲がある。ジル・スコットはもともとは、歌手ではなく、詩人(スポークン・ワード・アーティスト)としてはじまっているのだ。愛と革命の詩人がいまも自分たちのなかで生きていることを祝福するこの曲は、彼女自身の音楽について語っているようにも思えてしまう。

ニッキに捧げる頌歌

彼女は終わりのないループに閉じ込められてなんていない
彼女は自分自身のシンフォニーに合わせて体を揺らし
ハンモックに揺られながら、そよ風を感じている
自ら動機づけ、自らを満たし
驚きに満ちた好奇心、
エキサイティングな高揚感、
打ち砕かれた檻
大いなる誇りと、謙虚さ、そして多くの失敗
これ以上、自分を卑下する必要なんてない
(何のために? 誰のために?)
絶景、意図的な贅沢
精神でスプーンを曲げるような力、複雑な単純明快さ
親密で、太陽に触れられた美しい存在たち
輝きを再定義し、音の振動となって共鳴している

私たちは共にいる、同じ羽を持つ鳥のように
立ち上がり、昇り続け、繁栄し、見つけ出していく
最高に美しく、最高に魅惑的で、最高に心を奪われる
そんなエネルギーを

■参考文献↓

2025年のFINALBY( ) - ele-king

 この過去の夏、大阪の歴史的建造物であるミソノビルの閉鎖/解体の発表に対する悲しみは、その歴史と長寿を祝うための一連のパフォーマンスによって明るいものとなった。7月5日に予定されていたそのパフォーマンスのひとつは、∈Y∋(BOREDOMS)による新プロジェクトFINALBY( )(発音 ― Final B Empty/ファイナルビーエンプティ)であり、大阪を拠点とするCOSMIC LABとのコラボレーションであった。大阪音楽シーンの伝説である∈Y∋は、間違いなく、このビルの長寿を祝う最適な人物だった。興奮した私は、すぐにチケットを購入し、関西への旅を計画した。不運なことに、いまはもう11月の終わりであり、スケジュールの都合でその旅をキャンセルせざるを得なかったことに、いまだに軽い痛みを覚える。ああ、なんという惨めさ! 叶わなかった夏の記憶。家に居なければならなかった悲しみは、ほとんど耐えがたいものだった。

 しかし運命とは不思議なもので、東京では∈Y∋関連のイベントが次々と行われている。逃した夏の機会を補って余りあるほどに。∈Y∋は渋谷の中心ど真ん中、ミヤシタパーク3階のgallery SAIで開催された新しい展覧会Mapocy(まぽチー)のために東京に戻って、さらに、歌舞伎町のZERO TOKYOにおけるFINALBY( )の東京初演があった。それから、歌舞伎町の王城ビルでのBENTEN2のための∈Y∋の2024年のARV100パフォーマンスのマルチスクリーン・インスタレーションもあって、Art Tokyo Week でのC.O.L.O.(COSMICLAB)による小さなサプライズ・コンサート、さらに締めくくりとしてMUTEK Japanの巨大ステージでのC.O.L.O.とのユニークなオーディオ・ヴィジュアル・パフォーマンスがあった。
 日本のオルタナティヴ・シーンにおける最大級の革新者としての∈Y∋の多く多くの年月にもかかわらず、BOREDOMSの非活動とより散発的なソロ活動が相まって、∈Y∋は数年間“混沌の中心”にいなかった。だからこそ、半年の間にこれだけ多くのイベントがあることは、一種の“再紹介”のように感じられる。新たな歴史をつくるための完璧なタイミングだ。私が最後にBOREDOMSのライヴを見たときのひとつは、∈Y∋がステージ上で足を骨折し、痛みにもかかわらず演奏を続けたときだった。だから、まだ気づいていないなら言っておくが、∈Y∋関連の出来事はしばしば歴史的なのだ。私はこの秋のこれらすべての素晴らしい体験をレポートにまとめた。

MAPOCY

 5つの部屋に分かれ、とくに4つ目はほとんど“隠し部屋”のようなサプライズになっている。本展「MAPOCY」は、∈Y∋のジャンク・アート的な作風を巨大インスタレーションとして展開したもので、現在も活動をともにするPUZZLE PUNKSのパートナー、マルチメディア・アーティストの大竹伸朗の気配と、彼がしばしば扱うドラムのシンバルというモチーフが混ざり合っている。
 まず圧倒されるのは、とにかく“緑”。これでもかというほど緑。壁に取り付けられたキャンバス、シンバル、ビニールシート、ガラクタの数々——あらゆるものに緑のペンキがぶちまけられている。床にまで飛び散っていて、空間全体が緑色の施工現場のようでもあり、同時に、初期∈Y∋作品でも見られた木片の寄せ集めによるギザギザの形状がそこかしこに出現している。
 ひとつ目の部屋は床と壁にオブジェが置かれた比較的ゆとりのある空間だったが、ふたつ目に入ると一転、大小さまざまな物体が山のように積み上がり、すべてが同じ緑に染められている。天井からはビニールシートが垂れ下がり、換気用のファンが絶えず唸っている。最初はまとまった形など見えず、ただ“ノイズ”だけがある。正直なところ非常に混乱を招く展示だが、もし音楽におけるノイズに惹かれる人なら、聴覚的ノイズと物質としてのノイズに大差はないとすぐ理解できるだろう。
 混沌は3つ目の部屋でも続く。奥の隅にほとんど真っ暗な空間へと続く黒い入口が見え、その向こうに“4つ目の部屋”がある。ここはFINALBY( )のメンバーたちと制作した映像作品が、三面の細長いクリーンに巻物のように投影されるダイナミックな空間だ。黒いビニールシートで覆われた小さな穴をくぐって入ると、モノクロームの点滅するプログラム図形と、轟音のノイズ・ミュージックが部屋全体を震わせている。精密にピクセル化された映像は、伝統的なアジアの雲や花の意匠を再構成し、左右から現れては中央でぶつかり、新たな幾何学へと変容していく。その視覚的なカオスは池田亮司のもっとも衝撃的な作品を思わせつつ、より柔らかく親しみのある感触を残す。ここを先に観たことで続くFINALBY( )のライブがどのようなものになるのか、無自覚のままヒントを得ることになった。
 最後の5つ目の部屋は、これまでの強烈な表現から一度“息をつかせる”空間だ。出口前の壁一面に、古い手描き作品と実際のアナログ盤が組み合わされて展示されており、紙のドローイングという∈Y∋の原点的な表現へと立ち返る、一種の後味として配置されている。

FINALBY( )

 FINALBY( )が初めて姿を現したのは、観客の多くがその存在を知らぬまま迎えた2021年のフジロックだった。以来、その公演歴は香港、大阪、そして今回の東京のみと極めて限定的だ。∈Y∋が音楽家であると同時に卓越したヴィジュアル・アーティストであることはよく知られているが、これほどまでにステージ上で視覚と音響が正面衝突した例は稀だ。私の目には、テクノロジーを全面的にアップデートして蘇った現代版ハナタラシのようにも映る。∈Y∋は、身体性を伴う新しいパフォーマンスを構築しており、それはパフォーマンス・アートと、ノイズマシンや照明、センサーと接続されたオブジェ群とが密接に絡み合ったものだ。この技術面を支えるFINALBY( )の共同制作者は、COSMIC LAB(C.O.L.O.主宰)、アートエンジニアの堀尾寛太、そしてプログラマーの新美太基である。デジタライズされた∈Y∋——まさにテクノロジー時代が生んだ独自の結晶だと言える。
 私自身、この新しい方向性の萌芽を、パンデミック前の原宿で偶然目撃する幸運に恵まれた。2019年、TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku で開催されたBOREDOMSのTシャツ展でのことだ。∈Y∋はフェイスマイクを付け、両手に装着したモーション・センサー内蔵のサウンドマシンからノイズを放ちながら、黒いジャケットの下に隠れた装置を動かし、通常のマイクに縛られない歌唱を試みていた。ここにはすでにFINALBY( )の原型があった。また、このとき∈Y∋は巨大な円錐形オブジェへの偏愛を初めて披露している。黒いコーンの底部にセンサーが仕込まれており、それを持ち上げて振るたび、音は揺らぎ、形状の奇妙さも相まって視覚的にも滑稽で魅力的だった。背後には技術面を支えるエンジニアが控えており、30名ほどのファンしかいない小部屋での濃密な光景は、後に東京で結実するまでに6年かかった構想の出発点を示していた。

 FINALBY( )を観に行く前、気分を高めようと私はBOREDOMSの入手困難な問題作『Super Roots 5』を久々に取り出した。重厚なドラムとシンバルへ傾斜していく初期段階にあたる一枚で、1曲=1時間という構成、ほぼ一本調子の宇宙的トーンに泡立つノイズとシンバルが折り重なる——「曲」というより「体験」だ。これを聴くと、1982年のある出来事を思い出す。
 1982年、前衛ギタリスト/作曲家グレン・ブランカは『Symphony No.2 – The Peak of the Sacred』をライヴで披露した。副題「聖性の頂」は本来その作品固有のものだが、彼のエモーショナルな創作全般を言い当てる表現でもある。複雑な転調をほぼ廃したこの交響曲は、天上のエネルギーが雷鳴のように連続して吹き荒れる、彼の作品中もっとも強烈な体験のひとつだった。
「聖性の頂」とは、人間が自己を超越するための、絶えず恍惚と狂喜を更新し続ける音楽を指す。∈Y∋がBOADRUMシリーズやその他の公演で追求してきた方向性は、明言されていなくとも、まさにその頂点に向かう試みだったと私は感じている。「曲」よりも「経験」を重視する姿勢——それは彼の精神性と音楽性が複雑に深化してきた証でもある。FINALBY( )の公演中、∈Y∋はまさにその「聖性の頂」に到達しようとしていた。

2025年10月25日 FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED
presented by COSMIC LAB & TST ENTERTAINMENT CO.,LTD.

FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

 当日の「FINALBY( )Live in 歌舞伎町Expanded」というフルタイトルの公演は、実に2時間ノンストップのパフォーマンス作品だった。事前告知からは想像もできない構成である。チケットを買った時点で「2時間」とあったため、DJか何かが挟まるのだろうと勝手に思っていたが、違った。2時間まるごとが、巨大なノイズの奔流と悦楽的ヴィジュアルの対話で満ちていた。
 ステージ中央には、光に照らされ巨大なカップケーキのように見える“何か”が鎮座している。後にそれが、∈Y∋ がジェンベのように叩くノイズ・ジェネレーターであると知った。ステージ上には複数のコーンが配置され、最大のものは宙吊りになっていて、∈Y∋の身長を完全に覆うほど巨大だった(実際、後半で∈Y∋がその内部に隠れる場面があった)。さらに、フロア中央、観客のほとんどが囲むようにして別の巨大コーンが置かれ、公演後半ではそのコーンが発光し、∈Y∋の手で回転させられる仕掛けになっていた。
 ZEROTOKYOという会場は、巨大なメインスクリーンに加え、左右と背後にも細長いスクリーンが連なる独特の構造で、360度的な没入感を生み出す。MAPOCYで見たモノクロームのデジタル雲はここでも再登場し、背面や側面から湧き上がるため、観客は携帯で“映え”を狙う余裕を失い、その瞬間に没入せざるを得なくなる。近年まれに見る、記録では再現不可能な体験だった。
 奇妙なパンク・バンドから出発し、90分超の儀式的公演を構築できる存在へと変貌したBOREDOMS。その中心人物である∈Y∋は、観客の細胞レベルに作用する「悟性の構造」を知り尽くしている。聖性の頂。

 公演の最後、∈Y∋は稀にみる“口頭での解説”を行い、コーンの群れを「家族」だと呼んだ。FINALBY( )の本当のメンバーはコーンであり、人間はその媒体にすぎないのだと。※詳しくは∈Y∋本人が10月26日付でInstagramに投稿した説明を参照してほしい。
 この一連の経験は、初期舞踏、ローリー・アンダーソン、フィリップ・グラスらの系譜に連なる、ダイナミックなパフォーマンスアートの華麗な再誕に等しかった。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

∈Y∋ × C.O.L.O(COSMICLAB)@ MUTEK JAPAN

 渋谷で開催されたMUTEK JAPAN 2025で、∈Y∋はC.O.L.O.とともに初めてこのフェスのステージに立った。ART WEEK TOKYO(11月5日)のサプライズ公演をさらに拡張し、より長く、より“怪物的”な形で提示したものだ。FINALBY( )とは異なり、形式上は伝統的なオーディオビジュアル公演に近いが、幸いにも遥かに奔放だった。多くのMUTEK出演者が“引き算の美学”で勝負するなか、これは「足し算の極北」とも呼べる公演だった。
 FINALBY( )が2時間のノイズの海へ沈めるような体験だったのに対し、今回の2人は長いテーブルに並んで立ち、背後の巨大スクリーンとともに、∈Y∋のDJ PICA PICA PICA的な狂騒を現代化したような世界を作り上げた。FINALBY( )のノイズ成分と、モノクロームのフリッカー映像、そして近年∈Y∋が執着するハイパー・サイケデリックなシンゲリ(singeli)が高密度に衝突し合う。言語化困難なコラージュも大量に挟まれる。
 ∈Y∋の音楽とヴィジュアルは、まるでドラッグまみれのポップアートだ。C.O.L.O.は∈Y∋の衝動を鏡のように反射し、狂気じみたフリッカー花、精神を攪拌する幾何学模様、スクリーンいっぱいの“眼”、ハートやブタの絵文字が奇妙な規則性で踊り、そのあとにはスローモーションのデコトラ事故寸前3D映像が続く。強度は綿密に計算され、現実味がないほど完璧だった。息つく暇もない全頭脳的ラッシュ。

 ここ数ヶ月の間に、∈Y∋の唯一無二の表現が多角的に更新される様子を目撃してきた者として、2026年にさらに何が生まれるのか、ただ祈るばかりである。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda


Sadness at the announcement of the closing / demolition of the historic Misono building in Osaka this past summer was brightened with a string of performances to celebrate the history and longevity of the famous landmark. One of those performances, scheduled on July 5th, was EYE`s (Boredoms) new project FinalBy ( ) **(pronounced - Final B Empty) (ファイナルビーエンプティ), a

collaboration with Osaka based COSMICLAB. EYE, a legend in the the Osaka music scene, was definitely the best choice to celebrate the building`s longetivity. Excited, I immediately purchased and planned my trip to Kansai. Unfortunately, it`s now the end of November and I still feel a light sting of having had to cancel said trip due to schedule conflicts. Oh the misery! A summer memory unrealized. My sadness at having to stay home was almost unbearable.

Fate though works wonders and Tokyo is enjoying a string of of EYE related events. More than enough to make up for the missed summer opportunity. EYE has returned to Tokyo for a new exhibition, Mapocy (まぽチー), smack dab in the center of Shibuya

on the third floor of Miyashita Park at gallery SAI, the Tokyo premiere of FINALBY ( ) at ZERO TOKYO in Kabukicho, a multi- screen installation of EYE`s ARV100 performance in 2024 for BENTEN2 at 王城ビル (also in Kabukicho), a small surprise concert

with C.O.L.O. (COSMICLAB) at Art Tokyo Week, and a unique audiovisual performance with C.O.L.O. on a huge stage for MUTEK Japan to round it out. Despite EYE`s many many years as one of the greatest innovators in the alternative scenes of Japan, the inactivity of the Boredoms coupled with more sporadic solo

activities means that EYE hasn`t been at the center of the chaos for some years. So with this many events within just half a year, it feels like a reintroduction of sorts. Perfect for creating new history. One of the last times I saw the Boredoms live was when EYE broke his leg on stage and kept performing despite the pain. So if you haven`t guessed so far, anything EYE related is often historic. I have compiled all of these great experiences this fall in a report.

MAPOCY

Separated into 5 rooms with the 4th almost a secret surprise, MAPOCY reflects EYE`s junk art style as a large installation closely in line with his ongoing PUZZLE PUNKS partner, multi-media artist Ohtake Shinro, mixed with his other common collaborator, the drum cymbal.

The installation is very, very, very, very, very green. Green paint splattered on canvases installed on the walls, on cymbals, on plastic sheets, on junk items. There is green paint literally everywhere including the floor. Almost like an artistic, construction site mixed with wooden assemblages, created into jagged shapes you can see in older EYE works. While the first room was spacious with objects on the floor and wall, the second room was chaotically littered and piled up with numerous objects of different types completely splattered with the same green paint, plastic sheets hanging down and a fan constantly going to keep possible fumes from making anyone sick. There were no coherent shapes at first, just noise. The site is honestly incredibly confusing and confounding but if you have any taste for noise in your music, I would say there is no difference between aural noise or physical noise.


The chaos continues in the 3rd room where in the far corner you might see a dark entrance way into a near pitch black room. The 4th room is a dynamic 3 wall screen scroll-like video of his work with the other members of FINALBY ( ). Only viewable by entering through a small hole created with black plastic sheets, the room literally reverberates with the intensity of the monochrome flashing programmed shapes and the noise music blasting. The images carefully pixelated reimagine traditional Asian cloud flower designs colliding into each other becoming new geometry. Often starting from the far left and far right side, they eventually meet in the center and evolve into new forms. The visual cacophony reminded me of Ikeda Ryoji`s most impactful works but with a fresh and friendly take. Visiting this exhibition first gave me a good unknowing hint of what the following FINALBY ( ) would be like.

The last room is a calm down from the bold expressions of the previous ones. Only one wall of older very familiar hand drawn art combined with physical lps before the exit, it was an interesting last taste offering a comparison to EYE`s initial choice of expression - paper drawings.

FINALBY ( )

FINALBY ( ) first debuted at Fuji Rock in 2021 in front of an unknowing crowd. Since then, FINALBY ( ) has performed only in Hong Kong, Osaka, and now Tokyo. We all know that EYE is a visual artist on top of being a musician but rarely has his visual side collided justly with the music on stage. Like an updated and rebirthed technological Hanatarash (by my eye), EYE has developed a new strong, physical performance more like


performance art coupled with objects connected to noise machines, lights, and sensors. His technical collaborators = other members of FINALBY ( ) are COSMICLAB (directed by C.O.L.O.), art engineer Horio Kanta, and programmer Niimi Taiki. This is very much a digitized EYE. Without a doubt a unique combination of our technical age.

I was lucky enough to witness the beginning of this new venture toward multi media in a small room in Harajuku before the pandemic. At TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku in 2019 for a BOREDOMS t-shirt exhibition, EYE wore a face mic and a black jacket somewhat covering two motion detecting sound machines attached to both his hands that emitted noises. Activating the sensors with motion and singing unbound by a regular mic, EYE was experimenting with the beginning of what would become FINALBY ( ). Here EYE also introduced his obsession with large cones as sound devices. To match his clothing, EYE had a black cone with sensors on the bottom. Picking it up and waving it around affected the sounds emitted and provided funny eye candy as cones are naturally bottom heavy and odd shaped. Behind EYE was an engineer to support the technical side of the performance. Having witnessed this very intimate performance in a room full of 30 or so fans, I can now see the initial development and vision that took 6 years to materialize in Tokyo.

To prepare and hype myself up for going to see FINALBY
( ), I dusted off a copy of the Boredoms` Super Roots 5, one of their most difficult to attain recordings and also their most abstract. At the beginning of their heavy drum and cymbal phase, the one track album is one hour long and basically one long cosmic tone

maintained straight with bubbling noise and cymbals. There is no song per se. Only a holy experience. This reminds me of 1982.

In 1982, the avant garde guitar composer, Glenn Branca performed live his work Symphony 2 with the added title “The Peak of the Sacred.” Only meant for that work in particular, that title though often describes much of his most emotional work. Symphony 2, one of the least complex of his works in terms of multiple chord changes, was one of his best for the sheer intensity and almost god-like continuous blasts of angelic amorphous energy that felt like thunder in the air.

The idea of the peak of the sacred evokes music that is continuously euphoric and orgasmic for humans to rise beyond themselves. EYE`s direction of the Boredoms with the BOADRUM series and other performances I feel were meant to reach “ the peak of the sacred” whether explicitly expressed or not. EYE`s focus on the “experience” over the “song” illustrates his evolving and complex mental state and music focus since then. Throughout FINALBY
( ), I keenly felt EYE reach “ the peak of the sacred” as only he could.

FINALBY ( ) Live in Kabukicho Expanded (the full title of the night) was a 2 hour uninterrupted performance art piece which didn't advertise itself to be that. Genius. When purchasing the ticket, I noticed that the performance was supposed to be 2 hours but I assumed that there would be a dj or something. No, it was 2 full hours of huge blasts of noise with EYE and matching euphoric visuals designed to create a dialogue that worked very perfectly.

On stage at the center was a “thing” that I could only describe as a light illuminated huge cupcake. That “thing” I learned later was a noise generator that EYE could tap at like a djembe. Across the

stage were several more cones with the largest suspended in air at the front of stage so massive it could cover EYE from head to toe (which it later did). In the center of the floor surrounded by the majority of the audience right before the sound and visual mixing booth of another huge - I do mean huge - cone on a platform that later would light and spin in a circle pushed by EYE. During the performance EYE moved back and forth from the stage to the floor centered cone. ZEROTOKYO, for the many who have never been inside it, is a venue unique in having not only a huge stage screen but long thin screens on the left, right, and back wall making a 360 degree surround experience.

The monochrome digital clouds from Mapocy re-introduced themselves here, they emerged from the back and the sides making everyone have to be present in the moment instead of looking for the next instagram moment with their phones. Unlike any performance I have been to in years, this was first time in ages where no documentation could do justice to each person`s experience that night. Whether with the noise assault or the constantly shifting orientation of the images.

EYE, having changed the Boredoms from an unusual, quirky punk group to a band capable of performing hour and a half concerts has attained the psychological knowledge few have of how to construct enlightening performances of such depth that change the molecules of the crowd. The peak of the sacred.

EYE named the group of cones a family and stated so at the end of the performance in a rare commentary of his ideas to the audience. The cones were a family and the real members of FINALBY ( ) making the human members only conduits. *** Please refer to his exact explanation of the cones posted on

October 26th on EYE`s own Instagram account. The total experience felt like a great rebirth of dynamic performance art in the tradition of early Butoh, Laurie Anderson, Philip Glass, and others.

EYE with C.O.L.O of COSMICLAB at MUTEK JAPAN

Held in Shibuya, EYE for the first time ever graced the stage of the 2025 edition of MUTEK JAPAN with C.O.L.O. (COSMICLAB) presenting a more fantastic and longer version of the surprise performance they did for ART WEEK TOKYO on Nov. 5. Unlike FINALBY ( ), this performance was closer to a traditional audiovisual performance but luckily more unhinged. Most performers of MUTEK try to impress with a less-is-more aesthetic but this was a case of more-is-so-much-more one. The FINALBY (
) concert was a submersion in 2 hours of near constant noise. The MUTEK performance of C.O.L.O. and EYE, standing together at a long table shadowed by a huge screen behind, was closer to EYE`s manic DJ PICA PICA PICA mix style. An incredible soup of noise portions of FINALBY ( ) with the same monochrome flicker visuals side by side with hyper psychedelic hardcore singeli music reflecting his ongoing fascination with the manic genre. And tons of near indescribable collages in between.

EYE`s music and visual style is like pop art on acid. C.O.L.O. convinced me he was the best collaborator for EYE, brilliantly reflecting EYE`s impulses assaulting the audience with demented flicker flowers, mind-altering geometry, a sea of eyes (totally tongue in cheek), heart and pig emojis dancing across the screen in similar patterns followed by near collision slow motion disaster 3D video game scenes of Dekotora trucks loosing their wheels. The intensity


was beautifully calculated and unreal. A full head rush with barely a moment to breath.

With so many perspectives of EYE`s singular always evolving expression in only a few months time, I can only pray that 2026 brings us more.

R.I.P. Jimmy Cliff - ele-king

 ジミー・クリフはボブ・マーリーと並ぶ輝度をもったレゲエ・アイコンだった。とはいえ、そもそもマーリーの最初のオーディションをアレンジしたのがクリフだったのであり、先に世界的なレゲエ・スターとなったのもクリフだ。そして2025年11月24日、肺炎によって81歳で亡くなったジミー・クリフは、36歳で没したボブ・マーリーより遥かに長い間スターダムに君臨したのだ。その意味で、彼こそがレゲエ界最大のインターナショナル・スターである。

 そのクリフの名を挙げて多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、1972年のカルト・ムーヴィ『ハーダー・ゼイ・カム(The Harder They Come)』で彼が演じたアイヴァン・マーティンのイメージだろう。キングストンのゲットーから這い上がってスター歌手になることを夢見る青年が、音楽業界からは搾取され、警察からは虐待され、遂には八方塞がりの窮地に陥ってしまう過程は何度観返しても胸が締め付けられる。あの主人公アイヴァンは、社会的弱者が抱く希望と反骨精神の永遠なる権化として、その同名主題歌 “The Harder They Come” の:

I'd rather be a free man in my grave
 Than living as a puppet or a slave

操り人形や奴隷として生きるくらいなら、墓の中で自由な人間でいたい

 というラインに要約されるあの映画の精神と共に生き続けている。アイヴァンがスタジオ(ダイナミック・サウンズ)で、胸に大きな黄色い星がついた長袖Tシャツを着て、腕でリズムをとりながら同曲を歌うシーンは純粋で、ゆえに痛々しく、強烈にかっこいい。

 さらにマーリーとの対比で言えば、70年代のルーツ・レゲエ期におけるクリフの独自性ははっきりと際立っていた。レゲエ・ミュージックとラスタファリアニズムの関連性が強固なものになってくるあの時代に、クリフは直接的なラスタファリアン・ミュージックを(おそらく一切)歌わなかったという意味においてである。そこには彼の宗教観が関係しているのだが、彼はもともとクリスチャンで、一時はラスタファリアニズムに傾倒したものの、70年代後半のルーツ・レゲエ全盛期にイスラムに転向し、のちに最終的に宗教全般を “見切った” ――という表現が適切か自信がないが――かのスタンスを取った。原理主義的な執着からは相当かけ離れているその好奇心と柔軟性、いわゆるオープンマインデッドな性格が、聴き手を選ばない彼の音楽性に通じている。
 その歌詞の題材も、卑近な出来事よりも、より広い外側=マスに向けた普遍性の高いトピックが主体だった。例えばジャマイカが誇る路上音楽文化の一大培養装置だった《ステューディオ・ワン》のアーティストが街角のルード・ボーイ、フーリガンやギャングについて歌っているときに、クリフは訛りのない綺麗な英語でヴィエトナム戦争をテーマにするような違いがあった――そしてクリフは知る限りその《ステューディオ・ワン》に一曲も録音していないし、その商売敵《トレジャー・アイル》からも正式リリースはないはずだ。要するに、ストリート臭が希薄で、ひとり超然とした意識高い系といったところか、前掲 “The Harder They Come” はもちろん、“You Can Get It If You Really Want” “Many Rivers to Cross” “Wonderful World, Beautiful People” “Hard Road to Travel” などの代表曲はどれも精神性が高く啓発的でユニヴァーサルなメッセージだ。ローカル・ギャングや暴力やストリートのいざこざを扱うのではなく、抵抗や反逆精神、社会的苦難、社会的不正といったテーマを、誰もが自分自身に引き寄せて聴けるレトリックを用いながらポジティヴに昇華させる手法を好んだのである――もちろんボブ・ディランが、最も偉大なプロテスト・ソングのひとつだと絶賛した “Vietnam” のように、戦争の悲惨を簡潔にえぐり出し、こちらをただただ陰鬱にさせる曲もあるにせよ。……ところが、不釣り合いにもあの曲のメロディは明るく、ビートは軽快なのであり、その人々の耳を惹く見事なテクニックにも舌を巻いたものだ。

 もう一点、彼がジャマイカのレゲエ・ミュージシャンとして特異なのは、ダブにまるで興味を抱かなかった点である。乱暴に言えば、彼は音響と内省的メディテイションに没入する趣味がなかった。外側に向けてメッセージを発することがすべて。常にそういう人だったのだと思う。
 そうしたメッセージを伝える媒介手段として、クリフは早い時代からポピュラー音楽のスタイルを果敢に取り入れた。そのスタンスは80年代により顕著となり、彼の音楽はほぼ完全にゲットー・ミュージック、ストリート・ダンスの文化を離れ、ポップ、ソウル、ファンク、ディスコからブラジル音楽、アフリカ音楽まで取り入れたグローバルかつクロスオーヴァーなものになっていく。その “ワールドワイドに大衆寄り” なスタイルによって、ジミー・クリフはレゲエ/ジャマイカ音楽を世界に広めたパイオニアとなり、同時に純粋主義のレゲエ愛好家を相手にしない存在になったという側面も確実にあろう。1992年、『ニュー・ヨーク・タイムズ』はクリフのニュー・ヨークのショウの評文で、その音楽性をいみじくも〈アリーナ・レゲエ〉と表現した。噛み砕けば〈大規模コンサート・ホールを “一般客” で一杯にできる、国際市場を意識した大衆向けレゲエ〉というニュアンスだろうが、そこに揶揄はないのである。ジミー・クリフもボブ・マーリーも1970年代から世界中の大きなホールでショウを行なったにせよ、マーリーの音楽に〈アリーナ・レゲエ〉という表現は馴染まず、それはまさしくクリフならではのキャラクターと功績を見事に集約させた表現のように感じるのだ――そう呼ばれる音楽性を、好む好まないは別問題として。

 ジャンルレスなポップ・スターと化したクリフは、1990年代にまさにその面目躍如たる世界的ヒットを記録する。そう、93年のジャマイカのボブスレー・コメディ映画『クール・ランニング(Cool Runnings)』のために歌った “I Can See Clearly Now” だ。アメリカにレゲエを広めた立役者ジョニー・ナッシュの曲を、本家よりも遥かにキャッチーに提示したそれは、彼のアメリカにおけるシングルで最も上位のチャート成績を記録、これまた世界的に愛される彼の代表曲のひとつとなった。そうしたポップな側面が脚光を浴びつつも、同時にブルース・スプリングスティーンが好んでカヴァーし、彼のファンに人気の高い “Trapped” ――絶望の中でも自由を求めて闘い続ける人間の歌だ――のように硬派なメッセンジャーとしてのクリフも、また別のクラスタから最後まで並行して愛され続けた。
 グラミーは、『Cliff Hanger』(1984年)と『Rebirth』(2012年)で二度受賞している。2010年にはロックの殿堂(ロック・アンド・ロール・オヴ・フェイム)入りを果たしたが、それもボブ・マーリーに続く二人目であり、過去殿堂入りしたレゲエ・ミュージシャンは二人以外にいない。本国ジャマイカでは《メリット》勲章を授与されたが、これもマーリーと並ぶ栄誉だ。
 ロックの殿堂入りから二年後、グラミーを獲ったアルバム『Rebirth』は、米パンク・バンド:ランシドのティム・アームストロングと組んで、1960~70年代のスタイルやサウンドに力強く回帰した快作だった。ザ・クラッシュのポール・シムノンが “The Guns of Brixton” の歌詞で『ハーダー・ゼイ・カム』のアイヴァンに言及したからだろう、そこではクリフがそのクラッシュ・ナンバーをお返しでカヴァーしていた。22年の遺作『Refugees(難民たち)』も、まさしく現在の地球が耳を傾けるべきタイムリーな表題曲のほか、“Security” “We Want Justice” “Racism” と言った世相を反映したメッセージ・ソングが並んだ。この晩年の二作は『ハーダー・ゼイ・カム』の頃のクリフをまたしても強く回想させた。いろいろやってきたけど、最後にまたここに戻ってきた、というところだろうか。

 妻さんがインスタグラムにポストしたクリフ逝去のお知らせでは、「passed away」の代わりに「crossed over」という表現が使われていた。クリフ自身、2020年に盟友トゥーツ・ヒバート(トゥーツ&ザ・メイタルズ)が他界した際の『ローリング・ストーン』誌へのコメントでその表現について語っている――我々(ジャメイカン)は “pass away(この世から消え去る)” とは言わず “cross over(境界の向こうへ行く)” と言うのです、と。存在の別のサイドに行くだけで、死というものは存在しない。その後、魂はより高次のレヴェルへ上昇するのだと。
 1944年7月30日、ジャマイカはセイント・ジェイムズ教区にジェイムズ・チェンバースとして生まれた彼は、克服するべき状況のメタファーとしてクリフ(崖)という芸名を選んだ。そして、まさに崖から這い上がり、何も視界を遮ることのない頂から世界を見渡したのち、またアイヴァンに戻ってきたと思ったら、今度は存在のまた別の面に移行したのだ。これはむしろ成就なのではないか? そう思いながら聴くクリフの歌声が、いつにも増して一層すがすがしい。

最近のGroove-Diggersでのマイティー・ライダース関連リリース

山崎:Groove-Diggersでは、2007年に『Help Us Spread The Message』をCD化して以来、これまでにマイティー・ライダース関連で6タイトルをリリースしています。2023年には同作をCD再プレスするとともに、アナログ盤をリリース。続く2024年には、10インチ・シングルとして「Evil Vibrations」のエクステンデッド・エディットとインストゥルメンタル・エディットを発表しました。 その後、ほぼ連続する形で、「Let There Be Peace(Single Version)」と「Evil Vibrations(Muro Edit)」をカップリングした7インチをリリース。この作品が大きな反響を呼び、さらにA面とB面を入れ替えたPHYGITAL VINYL仕様の7インチも新たに登場しました。
そして今回、いよいよ待望の2枚組LP仕様のアルバムとしてリリースされることになります。

現時点でのマイティー・ライダース作品と関連リリース

水谷:2023年に再発したCDのライナーノーツでは、『Help Us Spread The Message』は、CDとLPを合わせて14ヴァージョンが存在すると書きました。そこからうちのリリースが2枚加わり、あとはLuv N' HaightのCDが重複して加わっているようなので、2025年11月現在、Discogs上ではすでに17ヴァージョンにまで増えています。

山崎:そうですね。今回の2LP盤を加えると、実質18ヴァージョンになりますね。

水谷:人気ロック作品ならともかく、レア・グルーヴ系の作品でこれだけヴァージョンがあるのはかなり珍しいと思います。それだけ、このアルバムが長く愛され、再評価され続けている証拠でしょうね。

山崎:前回のCDライナーでは、オリジナル盤ごとの違いを細かく解説しましたが、収録曲そのものの紹介はあえて割愛しました。そこで今回はあらためて、『Mighty Ryeders – Help Us Spread The Message』収録曲の詳細解説から入っていきたいと思います。

Mighty Ryeders – Help Us Spread The Message 曲詳細解説

水谷:ではまず、1曲目「The Mighty Ryeders」から聴いていきましょう。

山崎:疾走感のあるギターカッティングで始まるファンク・チューンです。

水谷:この曲は、彼らの最初のリリース・シングル曲でもありますね。

山崎:そうですね。シングル盤では、曲名のスペルが 「The Mighty Riders」になっているんです。Ryedersではなく。

水谷:そもそも “Ryeders” という綴りは、どこから来たんでしたっけ?

山崎:ロドニーさんによると、マイアミの運送会社 “Ryder社” からヒントを得たそうです。

水谷:しかも、アーティスト名が “Mighty” ではなく “Might Ryeders” になっている。何か意図があるのか、単なる表記ミスなのかは不明ですが。

山崎:シングルとアルバムのテイクは同じなんですか?

水谷:演奏テイク自体は同じだと思いますが、ミックスが明らかに違いますね。

山崎:マイティー・ライダースは、こういう細かい違いがマニア心をくすぐりますね。

水谷:そうですね、なので僕は全ての作品をコンプリートしましたが、入手には本当に苦労しました。マイティー関連はとにかくレアです。

山崎:曲の話に戻ると、シンプルなファンクですが、ベースがうねっていてリズムも分厚い。それでいて、全体が暑苦しくならないんですよね。ロドニーさんの中性的な声質や歌い方、そしてホーン・セクションの軽やかさも大きいと思います。

水谷:これはアルバム全体にも言えることですが、マイティ・ライダースは当時のファンクのエッセンスを吸収しながらも、大所帯バンドとは違って、ぎりぎりの編成で勝負している感じがかっこいいんですよね。

山崎:8人編成なので少なくはないですが、アース・ウィンド&ファイアーやクール&ザ・ギャングのような大編成バンドに比べると、音の重ね方はずっとシンプルです。70年代中期以前のスタイルに近いというか。ただ、70年代初期のファンクのように単調でもない。ディスコやアース・ウィンド・アンド・ファイヤー以降のギラついた時代のサウンドでもない。そのちょうど“間”にいるような絶妙なバランスが特徴ですね。

水谷:続いては、セカンド・シングルにもなった「Let There Be Peace」です。

山崎:これはアルバムとシングルで完全にテイクが異なる曲ですね。アルバム・ヴァージョンには中盤でサックスが入ってくる。詳細はCDライナーノーツに詳しく書いてあるので、ぜひチェックしてもらいたいです。

水谷: これもファンクですが、キーボードの音色がとても洗練されていて、全体が重くならない。いわゆる“コテコテ”なサウンドではないですね。
それにしても、この曲は「Evil Vibrations」という絶対的存在があることで、長らくその影に隠れてきた印象があります。あちらはサンプリングされたこともあり知名度は抜群ですが、レア・グルーヴという観点では、この「Let There Be Peace」は本アルバムにおいて“Evil Vibrationsと双璧を成す楽曲”といっていいほどの存在感があるんです。
しかもシングル・ヴァージョンは、アルバムにあるスウィンギーなサックスが入っていない分、よりプログレッシヴに疾走する。これはこれでまったく別物として素晴らしい仕上がりです。シングル盤が極めて入手困難だったこともあり、「アルバムとシングルでテイクが違う」という事実自体、今回我々がリイシューするまで世間ではほとんど気づかれていなかったように思います。
その超レアなシングル盤ですが、先日久しぶりにオークションに出ているのを見かけまして、40万円ほどで取引されていました。今や本当に手に入れるのは難しいですね。

山崎: シングル・ヴァージョンは7インチ盤にて再発しておりますので、ぜひチェックしていただければと思います。

山崎:次はミドルテンポのバラード曲、「Lovery」です。

水谷:エレピ(エレクトリック・ピアノ)の入り方からして、とても洗練されていますよね。こういう70年代のレアなソウルやファンク作品――今では高額盤になってしまっているもの――に共通するのは、音楽的な実力が非常に高いのに、金銭的な制約や録音環境の影響で、サウンドが“コテコテ”になっていない点なんです。本来ならもっと派手に作れたはずなのに、そこに至れなかった。だからこそ、当時は売れなかった作品が多いんですよね。

山崎:それは確かに、“レアグルーヴ”全般に共通している要素かもしれません。ある種の条件のような。

水谷:そうですね。レアグルーヴって、やっぱり“そこ”なんだと思います。レアグルーヴ以前に人気があったソウルやファンクは、もっとこってりしていて重たかった。そこから少し外れた、削ぎ落とされた部分にこそ魅力があるんですよね。

山崎:確かに。以前、当時からブラック・ミュージックに精通していたある方が、「80年代の終わりから90年代初頭にレアグルーヴで人気になった曲を聴いたとき、正直、何がいいのか分からなかった」と話していたのを思い出します。時代によって“良さ”の感じ方が変わるというか、音楽の進化と共に価値が再発見される。
そして、そんな“時代を超えて再評価された魅力”が最も象徴的に現れているのが、次の「Evil Vibrations」です。

水谷:まあ、この曲はもはや説明不要だと思いますが、一応、楽曲の背景を整理しておきましょう。デ・ラ・ソウルの「Saturdays」でサンプリングされたことで一躍注目を集め、レアグルーヴ史に燦然と輝く金字塔となった一曲です。

山崎:UKではそれ以前から、このアルバム自体がレア盤として人気があったようですね。特に1989年にリリースされたコンピレーション『Rare』シリーズに「Evil Vibrations」が収録されたことで、再評価が一気に進みました。この『Rare』シリーズは当時のイギリスでチャート入りするほどの人気を誇り、やはりレアグルーヴの総本山・ロンドンでは、かなり早い段階からマイティー・ライダースが注目されていたことが分かります。

曲調は、とても70年代の作品とは思えないほど洗練されています。デ・ラ・ソウルのサンプリングでも印象的な、あのエレピの反復リフと、そしてマイナー調へと展開していくコーラス・パートのメロディ。これらが一体となって、独特の浮遊感とグルーヴを生み出しているダンス・チューンですね。

水谷:そうですね。あとはリズムの粒立ちが綺麗ですね。ファンクというよりも、むしろもうアシッドジャズに近いグルーヴ感もあり、この洗練という点でとても70年代の音のように思えない。UKアシッドジャズ勢も影響されているのではないでしょうか?
ドラムの抜けが良くて、全体の音像もすごく明るい。けれど、決して派手ではなく、バンドとしてのバランスが絶妙なんです。
70年代後半のファンクって、もう少し圧が強いというか、音が詰め込まれている印象があるんですが、マイティー・ライダースはその“軽やかさ=洗練”が独特ですよね。

山崎:そうですね。まさに“軽やかさの中に芯がある”というか。演奏そのものが余白を活かしていて、そこが後の時代の耳にも響いたんでしょうね。

水谷:しかも曲調があんなダンスチューンなのだがタイトルからもわかる通り決してカラッとした内容ではない。詩も結構、陰というか内省的でスピリチュアルなモノを感じます。

山崎: そうなんですよね。あの高揚感と内省性が同居している感じが、まさにマイティーらしさでもあると思います。

水谷: だからこそ、この曲が後の世代にサンプリングされ、レアグルーヴとして再発見されたのも自然な流れだったのかもしれません。だからやっぱり、レアグルーヴって面白い現象なんですよね。たとえるなら、今の時代に「トライブ・コールド・クエスト」や「デ・ラ・ソウル」をあえて否定してみるような感覚に近いのかもしれません。

山崎: 確かに、今もしそういう動きが起きるとしたら、そんな感じでしょうね。

水谷: 「トライブとかデ・ラなんて、あんなコテコテのラップもう聴けないよ」と言い出して、もっとチープでストリート感の強い音を掘るような・・・。ただ、今ちょっと話していて思ったんですが、ランダム・ラップを“ヒップホップのレアグルーヴ”と呼ぶのは、少し違う気がしますね。

山崎: どういうことでしょうか?

水谷: たとえばデ・ラ・ソウルの「Saturdays」では、「Evil Vibrations」のサンプリングから突然「Light My Fire」が挟み込まれたりする。ネタが頻繁に変わることで、全体がカラフルで展開的になるんです。ラージ・プロフェッサーもそうですが、彼らはネタを重ねることで独自の構築美を生んでいた。そこには明確な作曲力とクリエイティビティがあったと思うんです。
それに、90年代以降のニュースクール新世代は“誰も知らないレコードを掘ってサンプリングする”ことに一種の美徳を見出していた時代でもありました。そうして掘り出されたレアグルーヴ盤の、あの洗練された音こそが、ごっついオールドスクールからヒップホップをネクスト・レベルへと押し上げていった――それはもう、サダメというか必然だったように思います。そして、その典型例こそが「Evil Vibrations」から生まれた「A Roller Skating Jam Named Saturdays」なんですよね。
一方で、ランダム・ラップは“ネタ一発で作っただけ”という印象が強い。そこに広がりがなく、アイデアや構築の妙が感じられない。だから僕は、どうしてもあのムードには入り込めなかったんですよね。

山崎:なんか今の話を聞いて思ったんですけど、ヒップホップ――特にメジャーなヒップホップに対する“レアグルーヴ”って何だろうって考えたときに、ひとつ感じたのは、90年代というのはすでに“レアグルーヴ”という概念そのものが存在していた時代だったということなんですよね。つまり、有名なものだけじゃなくて、もっとマイナーで変なことをやっている作品を探そうぜ、という哲学がちゃんと共有されていた時代だった。

水谷:確かに、だからアンダーグラウンドなヒップホップも、当時は“良ければ必ず誰かが引き上げてくれる”という構造がどこかにあったと。

山崎:そういう意味で言うと、メジャーなヒップホップやR&Bに対する“レアグルーヴ的存在”は、僕にとってはムーディーマンやセオ・パリッシュなんじゃないかなという気がするんです。彼らもやっぱり、そうした“レアグルーヴ的な価値観”の延長線上にあったからこそ、しっかり評価されて、ちゃんと売れていったんじゃないかと思いますね。

水谷:確かにそうかもしれないですね。あの辺の人たちは、一応サンプリングを使いながらも、基本的には自主制作で、自分たちのセンス一発でやっていたようなところがありますよね。

山崎:例えば、マッドリブなんかはまさにそういう存在になっていたのかもしれません。でも彼だって、結局は〈Stones Throw〉という土壌に引き上げられている。そのあたりも含めて、やっぱり“時代のネットワーク”や“文脈の力”を強く感じます。そう考えると、70年代ってまだローカル・シーンから外へ出ていくのが本当に難しい時代だったんだと思います。

水谷:話が少し脱線しましたが、アルバムの話に戻しましょう。「Evil Vibrations」は、サンプリングされたことで再発見された……という側面は確かにありますが、曲そのものが持つ強度は、レアグルーヴという視点で見ても圧倒的で、まさに“これぞレアグルーヴ”という一曲です。
もし仮に誰にもサンプリングされていなかったとしても、どこかのタイミングで必ず誰かが発見して、評価が高まっていたと思います。それくらい、この曲には時代を超えて人を惹きつける完成度と魅力がありますね。

山崎:次はアルバムのタイトル曲、「Help Us Spread The Message」ですね。この曲、地味なんですけど僕はすごく好きなんです。

水谷:低いテンションのバラードから徐々に盛り上がっていく感じが素晴らしいですよね。あと、サビのメロディがとても印象的です。

山崎:そうなんですよ。「Evil Vibrations」と同じくマイナー調で、その“暗さ”がいい。もちろんネガティヴな意味ではなくて、この時代特有の空気感というか……。

水谷:先ほども申しましたが、マイティーにはどこかスピリチュアルな深みがありますよね。マッチョなファンクにはない、知的で内省的なインテリジェンスを感じます。

山崎:まさにそうですね。精神性がサウンドににじみ出ている感じがします。「Help Us Spread The Message」というタイトル自体も象徴的で、単に宗教的というより、“音楽を通して何かを伝えたい”という純粋な祈りのようなニュアンスを感じます。当時の時代背景を考えると、社会の中で音楽が担っていた役割や、メッセージを届けることへの切実さが、こういう曲に自然と滲み出ていたのかもしれません。

水谷:そうですね。派手さはまったくないけれど、アルバム全体のテーマを静かに支えている曲ですよね。
マイティー・ライダースって、グルーヴやメロディのセンスももちろん素晴らしいんですけど、それ以上に“音楽に込める意志”のようなものがしっかりある。「Help Us Spread The Message」はまさにその象徴で、聴くたびに心の奥のほうに響く曲だと思います。

山崎:アルバムの流れとしても、この曲がA面の最後にあることで全体が締まりますよね。
というわけで、次はB面に移ります。「Everybody Groove」。シンプルなディスコ・ファンクですね。反復するギターのフレーズやチョッパー気味のベース、そしてあえて展開しない構成は、どこかCHICっぽい雰囲気もあります。

水谷:地味にいい曲ですよね。そして次の曲も、ノリのいいファンクですね。

山崎:「I've Really Got The Feeling」ですね。なんというか、ジャミロクワイがやっていたことを、その20年も前にすでにやっていたような――そんな感覚のかっこいい曲ですよね。

水谷:このあたりの楽曲って、あまり表立って取り上げられることはないんですが、よく聴くと本当によくできている。アレンジも演奏も、完成度が高いんです。

山崎:次は高速インスト・ファンクの「Fly Away With Me(Instrumental)」です。アルバムの中ではちょっと異色な曲でもあります。

水谷:カーチェイス・シーンのサウンドトラックのような雰囲気がありますね。スピード感があって、すごくかっこいい曲です。
異色ですが、でもカウベルの効き方が実にマイティーらしいというか、彼らのグルーヴ感を象徴しているように感じます。

山崎:次は上質なバラード、「Star Children」から、「Ain’t That Away (To Spend Our Day)」でアルバムは締めくくられます。

水谷:どちらもバラードですが、いわゆる70年代のスウィート・ソウルの流れではないですよね。どこかとても洗練されていて、ネチっこさがない。やっぱりエレピの存在が大きいと思います。あとは音のバランスも素晴らしいし、メロディの展開にも品があります。

山崎:最後の「Ain’t That Away (To Spend Our Day)」は、“僕らの一日を過ごすなら、こんなふうがいいじゃないか”という穏やかな呼びかけのような曲ですが、全体的にこのアルバム、当時のブラック・ミュージックにしては恋愛的な要素がかなり希薄なんです――いい意味で。グルーヴ、メッセージ、共同体、そしてスピリチュアルな意志をテーマに据えた楽曲が並んでいる。だからこそ、これほどまでに洗練されて聴こえるのかもしれません。

水谷:本当にそうですね。どの曲にも“魂のこもった演奏”があるのに、決して重たくならない。今聴いてもまったく古びないし、むしろ今の時代にこそ響くアルバムだと思います。

マイティー・ライダースの関連作とRivageについて

水谷:マイティー・ライダースは、中心人物であるロドニー・マシューズさん曰く、かなり即席的な形でメンバーが集められたバンドだったそうですが、ただ、そのロドニーさん以外のメンバーの何人かは、後に〈SUN-GLO〉レーベルの傘下の〈Tempus〉から、Rivage(リヴァージュ)という別バンド名義でアルバムを一枚とシングルを一枚リリースしています。

山崎:このレコードのオリジナル盤も、相当なレア盤ですよね。中古市場ではかなりの高値で取引されています。

水谷:そうですね。音の方向性としては、マイティー・ライダースよりも少しアーバンで、洗練された80年代初期のソウルに近い印象があります。マイティーが持っていたファンク的なグルーヴ感や土っぽさをやや抑えて、よりメロウでメロディアスな作風にシフトしている。でも、コーラスの重ね方やリズムの組み立てには、やっぱりマイティーの影が感じられますね。

山崎:確かに。時代の空気をしっかり取り込みながらも、地続きのセンスがありますよね。マイティー・ライダースからRivageへとつながる流れは、まさに“70年代から80年代への橋渡し”のようで、聴くとどこかマイティーっぽさに納得してしまう。

水谷:本当にそうですね。でも、こうして改めて聴くと、やっぱりマイティー・ライダースは唯一無二だと思います。
Rivageも素晴らしいんですが、モダン・ソウルとしては他にも似た作品がある気がしてしまう。

山崎:そうですね。クオリティは抜群に高いけれど、どこかで聴いたことあるというか、オリジナリティの面ではMighty Ryedersほどの個性は感じないかもしれませんね。

水谷:あとはFormula 1というバンドの7インチのB面曲「Life Is A Beautiful Feeling」に、ロドニーさん(Rodney K. Mathews)の名前がクレジットされています。

山崎:確かに、これにも少しマイティーっぽいところがありますね。ただこれは更に“ありそうなファンク”的な感じもあり、あのマイティーの独特さはないかもしれません。あとはLove, Unity And Virtue Featuring Howard Johnson という名義で「Let Love Shine」という7インチが2018年にUKからリリースされており、このレコードは両面とも作曲者がRodney K. Mathewsとなっていますが、真相は不明です。

水谷: Howard JohnsonってNiteflyteの片割れですよね。同じマイアミですからね。Niteflyteとマイティー・ライダースに接点なんて考えたこともなかったですが、これが本当なら少しワクワクしますね。
ただし、これらのクレジットや関係性については、現時点で明確な裏付け資料が存在していません。しかし、こうした断片的な情報や未確認のリンクこそが、マイティー・ライダースというバンドの“謎めいた魅力”をさらに深めているとも言えると思います。

山崎:確かに。そうした“手がかりの断片”を辿る楽しみも、レアグルーヴ文化の醍醐味ですよね。
マイティー・ライダースは、再発やサンプリングを通じて語り継がれてきたバンドですが、いまだに解き明かされていない部分が多い。そこがまた、彼らを特別な存在にしている気がします。

水谷:本当にそう思います。50年近く経った今でも、まだ掘り下げる余地があるというのはすごいことですよね。
そのうえ、ライナーノーツでも書きましたが、“レコード盤”そのものにも謎が多い。
だからこそマイティー・ライダースは、単なる“レア盤”という枠を超えて、時代を越えて人を惹きつける“物語性”を持ったバンドだと思います。

山崎:ライナーノーツの一部は、現在ウェブでも公開しています。ご興味のある方はぜひこちらもご覧ください。
👉 https://www.ele-king.net/vga/vga_column/010155/

水谷:そして最後に——マイティー・ライダース「Evil Vibrations」から派生したプロジェクト、「Saturdays Vibrations」もありますね。

そのお話は、次回あらためてお届けしたいと思います。

Geese - ele-king

 いま、私たちはあるロック・バンドのクリエイティヴな変化と進化を目撃している。ギースのことだ。

 ロック・バンドは作品を完成させるごとに進化するもの、というリニアな発展の物語は、あきらかにザ・ビートルズがもたらした呪いである。彼らのアルバム・デビューから最終作に至るまでの7年間――そう、たったの7年間である――の激しく深い変化の過程は、その後、半世紀以上にわたってある種のロック・バンドに課せられる宿題のようなものになった。ピンク・フロイドでもU2でもレディオヘッドでもいいし、あるいは、日本で言うならフィッシュマンズやスーパーカーやくるりなどが挙げられるだろうが、そういった物語をなぞったバンドのなかには、とんでもないマスターピースを生んできた者たちがいる。一方で、その呪いの枷に苦しめられてきたバンドだって数多く存在してきた。
 ギース(もちろん、お笑いコンビのことではない)の4人が、そのロック・バンドの神話にどれほど自覚的だったかはわからない。しかし、とにかく、彼らは、セカンド・アルバムでファースト・アルバムとはまったく異なる音楽をやってやろうと意気ごみ、サード・アルバムではより大きな変化を求めて奇妙な実験の沼にずぶずぶと沈みこんでいった。それが自己満足にも閉塞的な自己目的化にも終わらずに大きな実りを生んだことは、この『Getting Killed』を聴けばわかることである。

 ファースト・アルバムの『Projector』*1が2021年にリリースされたとき、おもしろいバンドが出てきたなと思った。なぜなら、そのサウンドは、2010年代後半、英国のロンドンやアイルランドのダブリンを中心に突如現れた多数のポスト・パンク・バンド群、彼らの音楽からあからさまに影響を受けたものだったからだ。その率直なインスピレーションの表出は、素朴すぎるようにも思えた。「結局あれってフォールの焼き直しみたいなもんだしね。悪いわけじゃないけど――俺たちがやったのは、盗作のコピーのファクシミリ版みたいなもんだよ」*2と、ヴォーカリスト/ギタリストのキャメロン・ウィンターは認めている。
 当然、それだけで終わっていたら無個性なだけではあるのだが、重要なことに、彼らはニューヨーク、ブルックリンのバンドだった。ブリテン諸島のシーンに影響を受けたバンドが、アメリカから現れたこと。しかも、ブルックリンでは、住宅価格が釣り上がりまくり、ロック・バンドもヴェニューも大打撃を受けた。おまけに、パンデミックの煽りも食らっている。2000年代までロックのメッカだったあの街から新しいロックの音が聞こえてくることは、いまやほとんどなくなっていた。
 そのうえでキャメロンは、「NYで生きて行くなんてほぼ不可能だ。何かしらの経済的な援助がない限りはね。だからNYでアートロックとかパンクロックを作りたいなんて思ったら、終わりだよ。ホームレスになる。/僕らが出来ているのは、みんなNYの中産階級以上の出身だからであって、僕らがバンドをしている時に援助してくれる家族がいるからだ。それってもう、ものすごい特権だよ。だから僕らはトム・ヴァーレインみたいに、家を出て、ストリートに住んで、詩人で、バンドを始めたみたいにカッコ良くはない。僕らは彼らのアイディアを借りてるだけで、実際は両親の家に住んで、レコーディングしているんだ。それは自覚しているよ」*3と吐露している。
『Projector』については、私はライナーノーツの執筆を頼まれ、メンバーにインタヴュー(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/30340)もした。上に書いたような音楽的な志向から、失礼ながらも少々かわいらしいバンドだと思ったし、数年後にどんなふうになっているのかはまったく予想ができなかった。
 あれから4年、「予想ができない」という予想は的中した。ギースがこんなバンドになっているだなんて、そもそも、2021年には誰も予想していなかっただろう。

 そもそもの始まりは前作、2023年の『3D Country』である。なんでこんなことになっているの? それが、アルバムを聴いたときに口を衝いて出た感想だった。
『3D Country』は、全体的にはザ・ローリング・ストーンズの『Let It Bleed』をテレヴィジョンが演奏している感じというか、それでいて1970年代のブギーやハード・ロックのような曲もあって、アメリカの外にいる者がアメリカン・ロックに対する幻想を重ねて演奏したかのような不可思議な音楽が詰めこまれたアルバムだった。カヴァー・アートにはテンガロン・ハットとひっくり返った男の姿、アメリカらしい砂漠の風景ときのこ雲が描かれており、含みのあるタイトルとともに、ますますその印象は強化された。
 アルバムはそこそこの評価を得たものの、絶賛されたわけではなく、バンドが停滞しているあいだにキャメロンはソロ・アルバムをつくった。2024年の『Heavy Metal』である。
 移り気なヴォーカリストであるキャメロンはそこで、スコット・ウォーカーやニック・ケイヴのようにバリトン・ヴォイスで朗々と歌うスタイルをものにした。そういった変化もあり、『Heavy Metal』は、スモッグ/ビル・キャラハンの作品の抽象的なポスト・パンク・ヴァージョンのような変わったバランスのシンガーソングライター・アルバムに仕上がっている。このアルバムが『Getting Killed』に多大な影響を及ぼしていることは、メンバーが認めているとおりだ。
『Getting Killed』は、そんなふうに曲がりくねった旅路を経てギースが辿りついたまったく新しい場所である。

 2023年、米国の音楽のメインストリームにおいてカントリーが明確にブームになった。とはいえ、「アメリカーナ」なるものの捉えなおしや再定義は、ジャンルとしてのアメリカーナだけでなく、ジャズやインディ・ロックなどの領域において、それ以前からひとつの大きなテーマだった。その傾向がいっそう加速したのが、2023年からのここ2年である。『3D Country』、そして『Getting Killed』に至るギースの音楽的な変化は、これまた本人たちが自覚的かどうかは措くとしても、その潮流のなかで捉えることができる。
 ワウ・ギターがへろへろと鳴り響き、ドラム・セットやリズムボックスの打音がダブの音響によって左右に放たれる。かつてのコーネリアスのような過剰なパンニングと編集によって、バンドの演奏はぶつ切れのパーツにチョップされ、再配置されている。キャメロンは、トム・ヨークのようなファルセットで歌いはじめ、次第に発声が喚くようなものに変わり、マーク・E・スミスを思いださせる声で混乱を吐きだしていく。アルバムは、そんな “Trinidad” で始まる(この曲には、JPEGMAFIAがさりげなく参加している)。
 アフリカン・ドラムをだらしなく弛緩させたかのようなビートの “Husbands” や “Texas” は、トーキング・ヘッズのタイトなアンサンブルを悪ふざけで真似て、ぐずぐずにスロー・ダウンさせたものに聞こえる。ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドをわかりやすく参照した “Half Real” も、やはり、ひりついているというよりもだらだらと弛緩している。“Getting Killed” におけるウクライナの聖歌隊による合唱は、ゴスペルふうのコーラスに聞こえるもののずたずたに切り刻まれており、アフリカン・チャントのごとく響く。“Au Pays du Cocaine” では、スティール・ギターの音が切ない情けなさに沈みながら空間を満たす。“Long Island City Here I Come” は、水膨れしたLCDサウンドシステムの曲のようだ。
「多くのバンドを思い起こさせる存在でありながら、ノスタルジーに陥らないよう、彼らは本気で戦っていた」、「彼らはサンプルを既存の音を補強するために使おうとはしていなかった。むしろ、それに対抗するために使っていたんだ」*4と、このアルバムの共同プロデューサーであるケネス・ブルーム fka ケニー・ビーツは言っている。「自分がどこに行くのかわからない(I have no idea where I’m going)」(“Long Island City Here I Come”)というリリックをバンドの態度表明と受けとるとすれば、『Getting Killed』で彼らが飛びこんだ情けない弛緩と諧謔と飽くなき実験のサウンドは、過去という甘美な誘惑に対する果敢な挑戦なのだ。それは、MAGAの2つめの “A” の部分、つまり、“Again” に対してにやにやと笑いながら唾を吐きかけることにほかならない。イエスタデイ・ワンス・モアだって? やなこった! と嘲笑って言うかのように。
 2025年1月以降のアメリカの混乱や分裂を目にしてきた者は、アメリカという国の理念やイメージ――アメリカン・ドリーム、アメリカ的な自由、アメリカ的な豊かさ、夢と希望の国――が修復不可能なほどにゆがみきっていることに気づいただろう。『アメリカン・サイコ』や『ウィンターズ・ボーン』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『ゲット・アウト』や『ノマドランド』などが映してきたかの国の醜い面は、以前よりもあからさまなかたちで表面化している。『Getting Killed』における煮くずれ焼けただれたアメリカン・ロックは、まさにそういった現実の状況の反映に聞こえる。サザン・ロックが、スライド・ギターが、カウボーイやハイウェイやトラック運転手や砂漠のイメージが、へなへなとした脱力感の湖上に浮かべられ、弄ばれている。
「戦時下ではサーカスに行けないといけない(In times of war / Must go now to the circus)」、「戦時中にはダンス・ミュージックしかない(There is only dance music in times of war)」とキャメロンは “100 Horses” で歌う。アメリカン・ロックをびりびりと引き裂いて無様に貼りなおした『Getting Killed』は、これ以上ないほどに、皮肉なまでに見事な2025年のサウンドトラックになった。4人はノスタルジーを拒否して、底意地の悪い笑顔で前を向きながら音で遊びほうけている。それが、それこそが、彼らなりの抵抗の技法なのだ。

*1 実際は、ファースト・アルバムは彼らが高校時代に完成させた『A Beautiful Memory』という自主制作の作品だが、現在はDSPなどで聴くことができなくなっており、バンドのキャリアにおいてほとんどなかったことにされている。そのため、ここでは『Projector』を実質的なファースト・アルバムとしている。

*2 Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」https://rollingstonejapan.com/articles/detail/43636/

*3 2年前のデビュー作で脚光を浴びたブルックリン発Z世代バンド、ギース。ボーカルのキャメロンがいきなり日本語で答え出してびっくり。インタビュー番外編。 https://rockinon.com/blog/nakamura/207350

*4 前掲のRolling Stone Japanの記事。

Dijon - ele-king

 このアルバムを繰り返し聴きながら、僕は誰かのことを「ベイビー」と呼ぶときの熱についてずっと考えている。再生ボタンを押すと、ざらついた音色に囲まれながらもスウィートなムードを持った1曲目 “Baby!” でディジョン・デュエナスが甘美な思い出について歌う――「ベイビー、きみのお母さんとぼくは踊ったんだよ/彼女の名前を知る前にね」。この歌は自分の子どもに向けて、沸きあがる愛おしさを表現したものなのだ(ベイビーは彼の子どもに実際につけられた名前でもある)。「ベイビー」との呼びかけはそこで終わらない。続くプリンス風の “Another Baby!” では、エロティックな言葉とともに「次の赤ちゃん!/準備はできているよ/赤ちゃんを作ろうよ」と反出生主義をものともせずに新しい生命に希望と喜びを見出そうとする。この殺伐とした時代に、どうやったらこんなにエネルギッシュに愛を歌えるんだろう? いくつかの曲につけられた!マークがこのアルバムの勢いをよく表している。それはただの浮ついた誘惑の言葉ではない。ベイビー! いま、どのような態度で生きるかの宣言のようだ。

 ジェイムス・ブレイクの登場以降でもっとも刺激的なニューカマー、フランク・オーシャンの不在を埋める存在、ディアンジェロの後継者などなど、すでにものすごい絶賛のされ方をしているボルチモア出身のシンガーソングライター、プロデューサー、そして俳優のディジョンだが、僕が本当に彼の音楽に魅了されたのはファースト・アルバム『Absolutely』(2021)を音源で聴いたときよりも、そのセッションをライヴで再現した映像(https://youtu.be/FEkOYs6aWIg?si=k8xOp0YuDiX7HOor)を観たときだったと思う。盟友のMk. Geeらバンド仲間とひとつの部屋に集まって、親密な空間のなかからどうやって爆発的なエネルギーを生み出せるかの挑戦がそこでは繰り広げられていたからだ。何よりもディジョンそのひとの、身体の内側から感情が溢れだして仕方がないというような落ち着きのない様。そして、それを小さな部屋でやってしまうのがディジョンのアティチュードだ。最近ではジャスティン・ビーバーの『SWAG』への参加が話題になった彼だが、そんなメインストリームでの華々しい脚光で真価が証明されるわけではもちろんない。ディジョン自身の音楽としては、ごくパーソナルな場所からどれだけ活気に満ちた音を鳴らせるかが重要になる。
 2作めの『Baby』は、ディジョンのエモーショナルなソウル、R&Bを前作以上に作品としてパッケージ化することに成功している。それを実現したのはプロダクションだ。意図的に濁りや汚れや割れを音色に混ぜこみ、さらにはコラージュ的な要素を持ちこみ、甘い歌とサウンドの混沌が衝突する瞬間を動力へと変換するのだ。2010年代なかば頃のオルタナティヴR&Bにおけるサウンドの冒険をあらためて推し進めているとも言えるし、それこそMk. Geeらとともに近年トレンドになっている80年代風の甘ったるい音をどうやってロウに響かせるかのモダンな実験とも取れる。ボン・イヴェールの新作にも参加していたディジョンだが、たしかに『22, A Million』辺りのあり方と共鳴する大胆な折衷性もある。ただ、なかでもディジョンの音はそのワイルドさにおいて際立っている。温かいコーラスがざりざりとした鳴りのリズムとまぐわるような “HIGHER!” はどうだろう。IDMとノイズの隙間からシンセ・ファンクを強引に出現させるような “FIRE!” は? スローなバラード “my man” では、柔らかいシンセの和音の代わりにディジョンの歌が叫びとなって生々しさを立ちあげる。そしてこれほどダイナミックな飛躍に満ちた本作もまた、彼の自宅で制作されていることに驚嘆せずにはいられない。

 ときに耳障りな音を強調することで言葉が聞き取りにくくなる瞬間もある『Baby』だが、それでもこれは新しいR&Bとして真っ向から愛を主題とする作品だ。そして自分は、いま愛を語るならばそこに混沌や混乱がつきものであるというようなサウンド・デザインに直感的に共感するところがある。無邪気にラヴ&ピースを掲げられるときではないからだ。ディジョンはアルバムを通じて家庭生活を巡る「love」を繰り返し歌い、繊細さと野性味を思い切りぶつけ合わせながら、カオスのなかから純粋な喜びが訪れる一瞬を捕まえようとする。
 アルバムではもっともスムースでソフトなバラード “Kindalove” でディジョンが「きみの愛でぼくを震わせてくれ!」と懇願すると、また「ベイビー!」とのサンプリングが挿入されてアルバムは終わる。だから僕はつい再生ボタンをもう一度押す。再び愛の歌が始まる――「Baby! What a beautiful thing!」

〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉 - ele-king

BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025

 ele-kingで絶賛執筆中のデジさん(緊那羅:デジ・ラ)、音楽活動も精力的にやっています。7月20日に東京のアンダーグラウンドの牙城、幡ヶ谷 FORESTLIMITにて、〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉を主催します。とても面白そう。参院選の日、夜は幡ヶ谷に集合です!

〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉
Artists :
Heejin Jang
Taro Aiko from M.A.S.F.
Kinnara : Desi La
DJs : Moemiki
Deadfish Eyes 2025/07/20
幡ヶ谷 FORESTLIMIT
adv ¥2300 w/1D /// door ¥2500 w/1D
Open 18:00

2025/07/10迄——予約はaimaidebakuzen@yahoo.co.jp
2025/07/10以降——当日券(door)になります。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf7KdhsC8wMDdjymQtYj9MKyDc2ahmMig0ibbD8gwOy0jqVEw/viewform

 みなさん、こんにちは。お知らせがあります。7年ぶりにBEAUTIFUL MACHINEが帰ってき ます——その名も「BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE」。2013年に初開催し、6年間 続けてきましたが、様々な限界にぶつかり、沈黙していました。
 ノイズ・ミュージックとレイヴ・カルチャーの融合、そして「マシン」そのものへのオマー ジュという二重の意図から生まれたBEAUTIFUL MACHINEは、クラブ・シーンで活躍する DJたちと先鋭的な電子音楽アーティストたちをつなぎ、日本の2つの強力なアンダーグラ ウンド文化を11回以上にわたりクロスオーヴァーさせてきました。

 〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉では、韓国から電子音楽アーティストHeejin Jangをヘッドライナーとして迎えます。彼女の来日は2018年以来初となります。さらに、 ノイズペダルメーカーTaro Aiko (M.A.S.F.)、ジューク・シーンやGqom愛好家のMoemiki、そ してイベント〈Ximaira〉よりロマンティックなインダストリアルセレクションを届ける Deadfish Eyesが出演。そして最後に、緊那羅 : Desi Laが、新作「Demons to some, Angels to others」からの最新セットを披露します。

 After a 7 year absence, BEAUTIFUL MACHINE is back — this time as BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE. First launched in 2013, the event ran for 6 years straight before going dark. Inspired by the idea of fusing noise music and rave culture with the parallel dual intention of paying tribute to the "machine" itself, Beautiful Machine brought together DJs active in the club scene and seminal electronic artists, cross mixing two of the strongest underground cultures in Japan over 11 times.
BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025 is bringing together headliner electronic artist Heejin Jang from Korea in her first visit to Japan since 2018 with noise pedal creator Taro Aiko of M.A.S.F., heavy hitting djs juke and Gqom enthusiast Moemiki and Deadfish Eyes of event Ximaira serving up a romantic industrial selection, and lastly Kinnara : Desi La, playing a brand new set from his upcoming release ”Demons to some, Angels to others”.

■Heejin Jang
 ヒジン・チャン(Heejin Jang)は、韓国・ソウルを拠点に活動する アーティストです。彼女のライブサウンドパフォーマンスでは、即 興のコンピュータ音楽を披露し、日常的で些細な音の要素から着想 を得て、それらを再構成し、瞑想的な体験やデジタルによって引き 起こされるパニックのような現象的な空間を創り出します。ヒジンは、ザ・ラボ(The Lab)、ヤーバ・ブエナ芸術センター (Yerba Buena Center for the Arts)、ムムック・ウィーン(mumok Vienna)、ハーベスト・ワークス(Harvestworks)、ライズームDC (Rhizome DC)、ハイ・ゼロ実験音楽フェスティヴァル(High Zero Experimental Music Festival)、センター・フォー・ニュー・ミュー ジック(Center for New Music)、ダブラブ(DubLab)などでライヴパフォーマンスや作品展示を行ってきました。彼女の音楽は、 『The Quietus』、『NPR』、『The Wire』などでも取り上げられて います。
Heejin Jang is an artist based in Seoul, South Korea. In her live sound performance, Heejin presents a set of improvised computer music. She arranges and synthesizes sonic spaces that draw from the everyday and the trivial, re-forming them into phenomenal situations of meditation or digitally induced panic.
Heejin played live and exhibited her pieces at The Lab, Yerba Buena center for the arts, mumok Vienna, Harvestworks, Rhizome DC, High Zero Experimental Music Festival, Center for New Music, DubLab, and many more. Her music has been reviewed on The Quietus, NPR, The Wire and more.
Music:Bandcamp: https://heejinjang.bandcamp.com/
Website: https://heejinjang.com/

■ Taro Aiko from M.A.S.F.
 ノイズ・シーンから圧倒的な支持を得る音響ブランドM.A.S.F.の開発者にしてエレクトロニクス奏者。自身が設計制作した発振器やエ フェクターを用いた独自のハードスタイルを追求・展開してきた。 近年はモジュラーシンセサイザーを用いた演奏を取り入れ、より過 剰な音響演出を試みる。節度や常識を一切考慮しないそのオリジナ ルな創作は、音を生成する瞬間に演奏者と聴き手の境界を溶解させ る、自己生成する生物としてのノイズである。
A developer of the highly acclaimed sound brand M.A.S.F., which has earned overwhelming support from the noise scene, and an electronics performer. He has pursued and developed a unique hardstyle using self-designed and built oscillators and effects units. In recent years, he has incorporated modular synthesizer performances, pushing toward even more excessive sonic presentations. His original creations, unconcerned with restraint or convention, generate noise as a self-generating organism that dissolves the boundaries between performer and listener in the very moment of sound creation.

■ Deadfish Eyes
 ポスト・パンクやニューウェイヴ等の音楽から強く影響を受け、インダストリアルミュージックやノイズを織り交ぜた、耽美主義的な表 現を得意とするDJ。 マイノリティのためのクィアパーティー「Ximaira」を主催し、レジデントも担当。
A DJ heavily influenced by post-punk, new wave, and known for their decadent expression that blends industrial music and noise. They are the organizer and resident of "Ximaira," a queer party for minorities.

■Moemiki
 トリップ・ホップからクラブ・ミュージックの世界に入り、フットワークの洗礼を浴びて2018年よりパーティオーガナイズと DJ活動を開始。エクスペリメンタル/ゴルジェ/フットワークを行き来す る呪術的なアプローチが持ち味。好きなBPMは160。
Entering the world of club music through trip-hop and baptized by juke/footwork, she began organizing parties and DJing in 2018. Her signature style is a shamanic approach that traverses experimental, gqom, and juke. Preferred BPM: 160.

■Kinnara : Desi La(緊那羅:デジ・ラ)
 緊那羅:デジ・ラは、電子音楽家、3Dモーションアーティ スト、グラフィック・デザイナー、クリエイティヴコーダーとしてジャンルを 横断しながら活動する多才なクリエイティヴ・アーティストです。新たなテク ノロジーと建築的世界のリズムを芸術を通して表現することにフォーカスし た未来派のアーティストでもあります。緊那羅:デジ・ラは、ライヴ・パフォーマンス作品であるオーディオ・ヴィジュアルパフォーマンス《CHROMA》やアンビエントAV作品《SPHERE OBJEKTS》、漆黒の中で行われる没入型電子音響体験《DARK SET》、多層的なテーマを持つ音楽リリース、そしてWeb3上に構築された抽象的なミクス トメディアによる空間的ゲーム/ギャラリーなど、幅広いメディアと表現形 式を行き来しながら活動しています。
 彼のヴィジョンの核心にあるのは、「未来主義」であり、社会の進化を積極的 に受け入れること。それは、過去のすべてを再解釈・再構成・再構築し、現 在そして未来の世代のために進化させるという考えに基づいています。保存 ではなく、再構成こそが重要なのです。
緊那羅:デジ・ラのヴィジュアル作品は、渋谷や銀座のアンダーグラウンドな 空間で展示されたほか、シンガポール、マレーシア、インドネシアなど海外でも発表されています。彼の代表的イベント《BEAUTIFUL MACHINE》は 2013年に始まり、6年間で11回開催された後、いったん幕を閉じましたが、 現在《BM》は再び蘇りつつあります。
Kinnara : Desi La is a versatile Creative prolific as an electronic musician, 3D motion artist, graphic designer, and creative coder working across genres. A futurist focused on expressing the rhythms of the new technological and architectural world through his art. Kinnara : Desi La bridges his art between live performance works like his audiovisual performance CHROMA and ambient audiovisual SPHERE OBJEKTS, pitch black DARK SET explorations in intense electronic listening, multi-thematic music releases and his abstract mixed media spatial game / gallery in web3. Kinnara : Desi La`s total vision embraces futurism, the embrace of advancement in society as a cornerstone of his world view. All things of the past should be reinterpreted, remixed, reconstructed, and rebuilt for the advancement of our current and future generations. Reconfiguration versus preservation.
Kinnara : Desi La`s visuals have been shown in the depths of Shibuya and Ginza and internationally in Singapore, Malaysia, and Indonesia.
Kinnara : Desi La`s flagship event BEAUTIFUL MACHINE began in 2013 and continued for 6 years over 11 times before going dark. Now BM is resurrected.
https://kinnara-desila--afrovisionary-creations.bandcamp.com/

Nazar - ele-king

 ナザールはこの7年間で、もっとも躍動的な新世代ブラック・エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのひとりとなった。彼は、インダストリアル・ノイズとアフリカン・ビートの神学とが直感的に衝突することに熱烈な愛を抱いている——それは、論理、政治、宗教、そしてアフリカ大陸の歴史の深層に根を持つものだ。ナザールの音楽的探求は、1980年代にアンゴラで生まれた大衆ダンス音楽クドゥーロの土壌から芽吹いている。アンゴラ発のクドゥーロはこの数十年のあいだ、地元アンゴラの無数のプロデューサーたち、あるいは欧州へと渡った移民、またはナザールやDJナルシソのような第一世代の息子や娘たちによって、鮮やかに再構築され、変容を遂げてきた。
 ナザールの眼を通して見れば、彼のクドゥーロは混成的なものだ。それは独自の領域にあり、伝統的なプロデューサーならば恐れて足を踏み入れぬような新たな環境のなかを、彼は自由に歩んでいる。「Enclave」EPと初のフルアルバム『Guerrilla』は、ヨーロッパ各地のダンス・ミュージック・プロデューサーのなかにおいて、彼独自の声を確固たるものとして示した。彼のアイデンティティにおいて決定的だったのは、アンゴラの戦争、そしてその戦争における家族の関与と、それに対する音楽を通じた内省だった。彼のデビュー作では、そのテーマ性と鋭利なビートが健康的に融合していた。

 あれから5年が過ぎ、ナザールは『Demilitarize』で再び姿を現した。これは明らかに、彼の出世作『Guerrilla』への「呼応」であり、前作同様にタイトルは声明である。ただし今回は、目の前の風景を予見するのではなく、むしろ内なる精神の解放を指し示している。ナザール自身もこれはより「個人的な」アルバムだと述べており、サウンドスケープはまさにそれを裏づけている。

 『Guerrilla』をパンデミック初期に発表し、続いてCOVIDの合併症により1年近く死の淵を彷徨うような病に苦しんだナザールは、すべてを経て自ずと別の視座に至った。オープニング・トラック“Core”は、彼の新たな美学への温かく誘うような導入部である。かつてのような耳を刺す粗さは影を潜め、厚みのある音像はなおも跳ねるが、より空気のように、スピーカー越しに漂い出る異質さが、アルバムの最後まで全曲を貫いている。『Demilitarize』は、非常に統一感のある、一貫したアルバムである。
 大きく異なるのは、ナザールが「個人的な」方向へと向かうなかで、アルバムの大半において自ら歌うという選択をした点だ。この選択こそが、『Demilitarize』の印象を大きく変えている。とりわけ印象的なのは、その歌声のほとんどが意味を捉えがたく、にもかかわらず前面に出て美しいアレンジを背景へと押しやることで、音像が平坦に感じられる点だ。楽曲の構造は主にヴォーカルを支えるものとなり、ビート・アルバムとは異なる時間感覚——より速く過ぎていくような印象——をもたらす。全体の尺が短く感じられるのはそのためだろう。

 これは、現在の「男性の感情の脆さを表現する」ソーシャルな波に対する、ひとつの参与とも読める。ビートは引っかかり、途切れ、また唐突に現れては消える——まるで時間自体が不安定になっているかのように。だからこれは、ダンス・レコードではない(踊りたくなる瞬間はあるとしても)。これはヘッドフォンで聴く音楽であり、よりポップへの希求に傾いた作品だ。歌詞はしばしば時間を攪乱する——旋律だけではなしえない方法で。歌詞、あるいは歌声の感触は、時間そのものを変容させる。このアルバムがインストゥルメンタルのみで構成されていたならば、印象はまったく異なっていたに違いない。
 そして、それが聴き手の求めるものであるならば、この作品はすばらしいだろう。ただし全体の尺は36分30秒。この簡潔さは、音のなかを浮遊したり、潜り込んだりする快楽に逆らう——というのも、身体がようやくその中に安住しかけた頃には、すでに音は過ぎ去っているからだ。『Demilitarize』は繰り返し聴くに値する作品だが、同時に、より大きな作品へと至るための「通過点」としてのアルバムでもあるのではないかと私は考えてしまう。デジタル的な音響の美しさは豊潤だが、2曲目以降、アルバムの流れは容赦なく突き進み、ほとんど呼吸の余地を与えない。36分30秒の終盤、9曲目“Heal”においてようやく、それまでの圧力から抜け出すように音楽は水面へと浮上する。海の底から現れるクジラのように——ここでようやく、楽器そのものが主導権を握る。アルバムのラストは、音楽のなかでの苛立ちと不確かさに対する、意図された吐息のようだ。

 けれど、私はまだ問いを抱えている。というのも、5年ものあいだ大きなリリースがなく、ようやく届けられた作品がEP程度の分量であることが、やはり気になるのだ。そんなふうに思いを巡らせていたら、ふと1920年へと思いが跳んだ。
 『春の祭典』が初演された年だ。あの伝説的な上演——新しい音響に対して聴衆が激しく反発したあの出来事。ストラヴィンスキーがこの全楽曲を書き上げるのにかかったのは、わずか1年半である。コンピュータなどなかった時代、すべての楽器パートの譜面を手書きしなければならなかった。しかも、まったく未知の楽曲の力学を、オーケストラに教え込まねばならなかった。そして、その演奏時間は33分だった。


Nazar has become one of the best producers of kinetic new black electronic music in the last 7 years. Fervently in love with intuitive clashes of industrial noises and African beat theology rooted deeply in the core of the continent`s history, logic, politics, and religion, Nazar grows his musical explorations from the soil of Kuduro, an Angolan popular dance music that began in the 1980`s. The music of Kuduro from the country of Angola has been over the last couple of decades vibrantly recalibrated and mutated by the numerous local Angolan producers and those who immigrated to Europe or were first generation sons and daughters such Nazar or Dj Narciso. Through Nazar`s eyes, his Kuduro is a hybridity, in its own realm, surrounded by new environments that free him to walk down new roads traditional producers would fear. The “Enclave” ep and his first full album “GUERRILLA” firmly established his voice among other producers of dance music across Europe. Key to his identity at this time, was the back drop of the war in Angola, his family`s participation in it, and reflections on it through his music. The subject and constant sharp beat merged healthily together with his debut.
5 years have passed and Nazar has re-emerged with Demilitarize. An obvious “response” to the “call” of his breakthrough album Guerrilla, the title is again a statement like his last but this time pointing toward the release of the inner psyche rather than forecasting the landscape before the eye. He has stated that this is more of a personal album and the soundscape of the release proves that true.
Nazar, having released Guerrilla directly at the start of the pandemic, having survived an almost year long near death sickness due to COVID complications, came out of all that naturally out with a different perspective. “Core”, the first track, is an inviting warm introduction to his new aesthetic. Previous abrasion lacking, soundscapes are still thick bouncing but more ethereal through your speakers emitting an otherness that connects all the tracks til the very end. Demilitarize is a very united consistent album.

What is different is that in turning toward the “personal” Nazar made the choice to sing throughout the majority of the album. This choice makes Demilitarize feel different. Namely cause most of the vocals are mostly unintelligible, the vocals take centerstage and end up pushing the beautiful arrangements to the background, and feel monotone. The music mainly supports the vocals and time itself feels different, faster than a beat album. It feels remarkably shorter. This is a push toward inclusion in the current social wave of expressing male vulnerability while beats jerk and stop, jerk and stop. Sometimes disappearing totally before they mysteriously reappear.
So to be clear, this isn`t a dance record (though you may be inclined to do so at times), it`s a headphone listen. And a lean toward more pop yearnings. Lyrics often disrupt time in ways pure melodies cannot. Lyrics or the feel of lyrical vocals changes time. This album would be viewed vastly differently if only instrumental.
And all this is good if that is what you are looking for. But the whole album is 36:30 minutes. The brevity works against the beauty of the floating and diving that you do when surfing on all the sounds cause they are over before you can relax within them. Demilitarize is worthy definitely of many listens but I also wonder if it is a stepping stone album, an album that is needed for an artist to reach an even greater work. The digital sonic beauty is luscious but from the 2nd track, the flow of the album plows right ahead not allowing for much breathing room. The tail end of the 36:30 feels more like a whale arising to the air. This emerging from the depths of the ocean in the 9th track “Heal” lets the instrumentation take charge. The end of the album a purposeful exhale for the frustration and uncertainty in the midst of the music.
But I still have questions. Because fives years of no major releases is a long time to only get a ep`s worth of music. Because in wondering many things, I have to ponder back to 1920 when

“The Rite of Spring” was performed. A quite legendary performance. Fierce discontent by the audience from the new sonorities. It`s a fact that it only took Stravinsky a year and a half to write all the music for the composition. There were no computers so all the sheet music for each instrument had to be painstakingly written to perform. And the orchestra had to be taught the dynamics of the unknown composition. And it was also 33:00 minutes.

interview with Rafael Toral - ele-king

 Bandcampに掲載されたラファエル・トラルのプロフィールによると、彼はそのキャリアを通して、‶サウンドのなかの音楽と、音楽を超越したサウンドのあいだを行ったり来たりしている〟という。このポルトガル出身の音楽家は、実験音楽の世界でもう30年以上も極めて重要な存在であり続けているが、目下のところ、昨年のアルバム『Spectral Evolution』をきっかけに再評価の波に乗っている。このアルバムは、トラルの尽きることのない探求心の溢れる実践のさまざまな要素——初期の『Wave Field』(1995)などで聴かれた液化したようなギターの音色や、2004年から2017年に取り組んだ「Space Program」時代に収集した、規則にしばられない自由なDIYの電子楽器の数々など――が融合された、記念碑的な作品なのだ。なかでも、鍵となる構成要素は、伝統的なジャズのハーモニーで、“アイ・ガット・リズム”や“A列車で行こう”の即座に認識可能な(ただし、氷河の形成のごとくゆっくりとした)コード進行が、アルバムに意外な情感の重みを与えている。
『Spectral Evolution』は、3年がかりの骨の折れる緻密な制作プロセスの結果であり、その間トラルは作品の56ものヴァージョンを制作した。アドヴァイスを求めて友人のジム・オルークに聴かせると、感銘を受けたオルークは、長年休止状態にしていた自身のレーベル〈Moikai〉を再始動させ、アルバムを発売するために動き出したのだった。
 2008年以来となる日本ツアーでオルークと石橋英子と共演する前に、トラルはEメールでのやりとりを通じて、音楽家としてのジャズとの関わり、ますます醜くなっていく世界のなかでの美の重要性、そして、『Spectral Evolution』をライヴで演奏した際に経験した‶愛のフィードバック〟について語ってくれた。
 この会話は明確さの保持と長さを考慮して編集されている。

ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

『Spectral Evolution』についての昨年のトーン・グロウとのインタヴューで、あなたは「このレコードを作るために多くのことを学んで研究し、開拓する必要があった」と語っていました。これについて、もう少し教えていただけますか?

ラファエル・トラル(Rafael Toral、以下RT):まず、このアルバムにはたくさんのジャズ・コードが含まれているんだけど、それらを繋ぎ合わせるためには、自分が何をやっているのかを明確に知らなければならなかった。ひとつの音符が本来あるべき所からずれるだけで、和音が違う色調に変化する仕組みを理解する必要があったんだ。私にはその準備ができていなかったから、正しい形に仕上げるために説得力を持たせて、最終的に美しく仕上げるまでに相当な努力を要した。その過程でジム・オルークに助言を求めたら、彼がリリースを決断してくれたという経緯がある。

あなたとジムとの関係について教えてください。ふだんから、制作途中の作品を共有することはあるのでしょうか? それとも、今回だけが特別だった?

RT:ジムとは1995年頃からの大の仲良しで、最初に出会ったのはシカゴでだった。彼は常に忙し過ぎるぐらいだったから、私のことで煩わせようなんて思ったことはなかったんだ。でも、今回だけは違った。アルバムでやろうとしたことが自分の能力を超えてしまい、私はアレンジやハーモニーのことで苦慮していた。だから背に腹は代えられないと思った。ジムが私よりも音楽の多くの分野で知識が豊富だと知っていたから、友人として音を聴いてほしいと頼んだんだ。

ご自分の能力の限界を突破するのは、あなたの仕事では日常的なことのように思うのですが、このような挑戦を続けるための意欲はどこから得ているのでしょう?

RT:私はただ、自分がすべきことを理解しようと思っているだけかな。自分の力をどこに注ぐべきなのか、やりたいことの中核はどこにあるのか、その時の前向きな動きとは何か、何が言われているのか、そしてそれが私の名を冠してやる価値のあることなのかどうか。多くの場合、それは私が土台から築き上げなければならないもので、約束とヴィジョンを伴うものでもある。私はたとえそれで自分を追い込むことになっても、実行するしか選択肢がないことが多いんだ。もっと言えば、私たちはまだ進化が終わっていないことを忘れがちだけど、人間には進化する義務があると思っているんだよ。

あなたの仕事において、美の役割があるとすれば、それは何ですか?

RT:(考えながら)うーん、役割ではないかもしれないけれど……私は一方では、20世紀の文化に浸って育ってきた。つまり、大雑把にいえば、キュビズムからパンク、セリエリズムからグリッチまで、構造の解体や脱構築、破壊することで忙しかった。私が若い頃には、美しいものを真っ当な芸術として見なすべきではないとする風潮があったんだ。これは当然、ものすごく粗雑な一般論だけど、私はそういった束縛から自分を解放して、美を現代の芸術には不可欠な要素として受け入れる必要があると思った。これは延々と議論することができる話で、要約するのは難しい。もう一方で、美というのは、単なる文化的で美学的な話でもなくて、個人の好みを超えたところにあるものだ。好みと、私たちが目で見て、耳で聴くことへの生物学的、そして神経学的反応には、多くの重複する部分がある。例をあげると、完全5度の響きを美しく感じるのは、実は単純な数学的な比率の3対2の隔たりに基づく音程で、自然な振動現象だ。その振動が人の身体の細胞を共鳴させ、背筋が寒くなるぐらい良い音だと感じると、もう何が起きているのかわからなくなる。美とはそれほど深いところにまで届くんだ。最後にもうひとつ、ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

ピタゴラスは正しかったというわけですね! この科学的な側面について、深く掘り下げたことはありますか?

RT:私は科学にはあまり入こんでいないかな。科学は文明の柱のひとつではあるけれど、測定できないものや、説明できないことを欠いている側面もある。むしろ私は、頭でそういったことを‶知る〟ことを避けている。私は直感で自分の動きを確認するようにしているんだけど、それは直感が脳よりも身体に根差した知識からくることが多いからだ。そして、何よりもその辺はリスナーが音楽を自分なりに取り込むことができるように、オープンにしておきたい思いがある。

あなたが言及された‶高潔さ〟という資質は、優れた芸術と凡庸な芸術を差別化する要素のひとつでもある気がします。美しさについての考えを再考することになった特定のきっかけはあったのですか?

RT:今日、醜さが飛躍的に増加していることや、文明の衰退……なんかであることはたしかだね。不思議なことに、美を守り続けるのは、生存戦略となりつつあり、精神の健全さを保つための意識的な努力にほかならない。それは、広義に理解された美しさのことだ。たとえば、嘘を広めるよりも、事実を認識する方が美しい。あるいは、対立する世界を結んで、対話を促すような美しさ。それが『Spectral Evolution』の核心なんだ。

『Spectral Evolution』に収録された最終ヴァージョンを制作するのに、それだけの労力がかかっていることを踏まえると、それをライヴで演奏したときの感覚はどのようなものだったのでしょうか?

RT:コンサートは、アルバムから構造的な恩恵を受けているので、非常に隙の無い構成になっていて、ライヴで聴く音の響きは、まるで物理的にサウンドフィールド(音場)に没入しているような感覚になる。ハーモニーの情感的な側面と、振動の物理的な体験が結びつけられているんだ。オーディエンスにとっては、とても強烈な体験になっているようで、たまに「泣きそうになった」と打ち明けてくれる人もいる。私にとって、リスナーを音に引き込むことが重要で、それによって愛のフィードバックが生まれるんだよ。

‶愛のフィードバック〟とは、素晴らしい表現ですね! これはあなたとオーディエンスの関係性についての多くを物語っていると思います。

RT:一部のコンサートでは、その感覚が非常にクリアに感じられるんだ。このアルバムとすべての音は愛を込めて制作され、オーディエンスもまた、愛を込めた聴き方で受け入れてくれ、彼らの積極的な関与と、感情の質がステージに送り返されてくるんだよ。

私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

あなたのキャリアを通じて、オーディエンスとの関係性は、どのように発展してきたのでしょうか?

RT:私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

『Spectrum Evolution』をライヴで演奏す際に経験されたという激しい感情的な反応は、
新しいことなのでしょうか? 過去の他のプロジェクトからも同じような反応を引き出したことはありますか?

RT:これは新しい体験なんだ。過去にやってきたことよりもずっと情感のこもった作品だし、ライヴではそれを激しい形で表現しているから。

アーティストのなかには、‶感情的(ルビ:エモーショナル)〟な音楽を、あなたが先ほど美しさについて述べたような、疑いの目で見る人もいると思います。あなたもおっしゃったように、これはあなたにとって新しい領域だと思いますが、どうやってここに辿り着いたのでしょう?

RT:はっきりとした感情を扱うのは、私にとっては新しいことだけど、決して意図的なものではなかった。私としては、感情をオープンにしながらも、抽象性を保つことで、リスナーが自分自身の感情を投影できるようにしたいと考えているんだ。これらのハーモニーには感情が組み込まれていて、そこから逃れることはできないと思う。でも、実は、私はそのサウンド自体により興味があるんだけど。

『Spectral Evolution』のライヴは、パフォーマンスごとにどれほど違うものなのでしょうか?

RT:ライヴ版は、拡張されていて、一部の移行部はよりゆったりとしたテンポで演奏している。当初、このアルバムは、ライヴ演奏をする前提で作ったものではなかった。だから、可能な限りライヴでは多くのギター・パートを実際に演奏し、そのいくつかでは即興している。それでも、全体的にはすごく一貫性を保っているよ。細部のヴァリエーションはあるけどね。会場の響きとPAの設定が決定的な影響を与えるから、毎回良い音にするために、何時間もサウンドチェックに費やしている。

あなたのサウンドチェックにはどういったことが含まれますか? その一連の流れを効率化するためのメソッドをお持ちですか? それとも毎回が新しい挑戦のようなものなのでしょうか?

RT:その両方だね! 良い会場で良いPAシステムがあれば作業は楽になることもあるけど、普通は、課題が見つかるものだ。もちろん順序立ったやり方をしていて、強烈でありながらも人びとを誘い込むような、サラウンドな、コクのある音を作るのを目標にしている。誰かを無理に押すようなサウンドではなく、引き込むような音。支配するのではなく、包み込むようなサウンドをね。会場ごとに全然違うから、綿密なチューニングが必要なんだ。

昨年末にあなたが『The Wire』誌で発表した「Wire Mix」を聴いていたのですが、あれはアルバムの素晴らしい補完物となっていますね。ケニー・バレルは本来、私の好みではないのですが、この文脈では完璧に理に適っています。興味本位でお聞きしますが、あなたと伝統的なジャズとの関係はどのようなものなのでしょうか?

RT:常に軌道上の衛星になったような感覚だね。ものすごく注目しているけど、自分は別の場所に立っているような。以前、フリージャズに影響を受けた私のエレクトロニクスのプロジェクト「Space Program」について、こう言及したことがある。‶音楽以外の、すべてがジャズだ〟と。それとはまったく異なる理由から、同じことが『Spectral Evolution』にも当てはまるんだ。ジャズにおける高い人間性には心からの敬意を抱いている。学ぶべきことも、感じるべきことも多い。(ジャズには)知性と心のための深い層が存在するんだ。

あなたのジャズへの理解と、先ほど挙げていただいたような特徴は、歳を重ねるごとに深まっていると思いますか?

RT:ああ、それは確かだね! 私が15歳だった頃、ジャズは理解できなかったし、興味も持てなかった。たまには良いと思えるものに出会うことはあったけれど、それを理解するための知識や経験がなくて、5年か10年経ってから、ようやくその真価を認められるようになった。それらの意味や価値は、それをどのように採り入れるかによって変化していく。例えば、初めてケニー・バレルを聴いたときには、彼がもっとも刺激的なジャズ・ギタリストだとは思えなかったけど(なんとも二〇世紀らしい考え方だね)、自分が演奏するようになってからは、彼をより尊敬するようになった。

あなたはジャズのギタリストとしての技術を持っていると思いますか?

RT:えーっ? いや、まったく! できるだけ学んで吸収したいと思ってやってはいるけど、それはジャズ・ギタリストを目指してやっていることではないし。私は実際の‶音楽〟ではなく、演奏される音に興味を持っているんだ。

「Space Program」時代には、完全にギターから離れていたのですか?

RT:15年間ギターに触っていなかったね。より多くを要求されるギター文化を受け入れるようになった今、まるで一から始めるような気持ちになる。学ぶべきこと、練習すべきことが多くてハードルも高いから、8歳ぐらいの子どもに戻ったような感じだ。困ったことに、自分はほとんどのギター特有の表現法に興味がないのに、それでも演奏はしたいから、どうやったらいいのかと考え中だ……。

あなたは最近、「Layers」という新作からの抜粋を発表しましたね。それについて何か教えていただけることはありますか?

RT:「Layers」は、持続音が蓄積されて、少しずつ互いを置き換えていくという作品で、調性音楽から無調に変化させながら演奏される。その後、とんでもなく複雑に変化し続けるハーモニクスを生み出す装置に通されるんだ。これは、完全にライヴで演奏するための新作だ。「Layers」は、創作過程としてのパフォーマンスを指向した、単一の作品であるのに対し、『Spectral Evolution』は、作曲における繋がりの広い領域を表している。「Layers」はすでに未来の一部であり、自分が愛することを実践している。未知と対峙するということを。


■ラファエル・トラル公演概要
Scaffold #1

2025.06.26
京都 Club METRO | OPEN 19:00 / START 20:00  
早割¥4,000 ドリンク代別途 [受付期間:5/19 17:00〜5/23 23:59迄]
前売¥5,000 ドリンク代別途
https://www.metro.ne.jp/schedule/250626/

2025.06.28
鳥取 jig theater | OPEN 18:00 / START 19:00  
前売 \ 5,500 (定員80名)
https://x.gd/WLRbt

2025.07.01
渋谷クラブクアトロ| OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥6,000 ドリンク代別途
https://www.club-quattro.com/shibuya/schedule/detail/?cd=017126
出演者: Rafael Toral / Jim O‘Rourke×石橋英子

お問い合わせ:
京都Club METRO: ticket@metro.ne.jp
鳥取jig theater:mail@jigtheater.com
渋谷クラブクアトロ:03-3477-8750

主催 (Organize):PARCO
制作(Produce):DOiT / CLUB QUATTRO
協力(Cooperation):Club METRO / jig theater

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interview with Rafael Toral

Written by James Hadfield

As Rafael Toral’s Bandcamp profile puts it, he’s spent his career “bouncing between the music within sounds and the sounds beyond music.” The Portuguese musician has been a vital presence in the world of experimental music for over three decades, but he’s currently enjoying a renaissance on the back of last year’s “Spectral Evolution.” A landmark work, the album unites different strands of Toral’s endlessly inquisitive practice: the liquefied guitar tones heard on early releases like “Wave Field” (1995); the menagerie of unruly DIY electronic instruments he assembled during his “Space Program” period, which ran from 2004-2017. The key ingredient is classic jazz harmony, including the instantly recognisable (if glacially slow) chord progressions of “I Got Rhythm” and “Take the ‘A’ Train,” which give the album a surprising emotional heft.
“Spectral Evolution” was the result of a painstaking three-year process, during which Toral produced 56 versions of the piece. When he turned to his friend Jim O’Rourke for advice, the latter was so taken by what he heard, he revived his long-dormant Moikai label in order to release it.
In an email exchange with Toral ahead of his first tour of Japan since 2008 – where he’ll be sharing a bill with O’Rourke and Eiko Ishibashi – the musician discussed his relationship with jazz, the importance of beauty in an increasingly ugly world, and the “feedback of love” he’s experienced while performing “Spectral Evolution” live. The conversation has been edited for clarity and length.

Speaking about “Spectral Evolution” in an interview with Tone Glow last year, you said you “had to learn and study and develop a lot in order to make this record.” Can you expand on this?

Well, the album has lots of jazz chords and to connect these chords together you need to know what you’re doing. I had to understand why and how a single note out of place steers a chord into a different colour. I wasn’t prepared for that, so a lot of work went into having it done correctly, then convincingly, then beautifully. As I was struggling with that, I asked Jim for advice, and that’s how he decided to release it.

Can you tell me about your relationship with Jim? Do you often share your works-in-progress with him, or was this a special case?

Jim and I have been great friends since 1995 or so; we first met in Chicago. He’s always been way too busy, so it doesn’t occur to me to distract him with stuff. But this case was different: I was struggling with the harmonies and arrangements, because the album was beyond my capacities and I knew I didn’t have a choice but to climb up to that bar. I knew Jim has much more knowledge in many fields of music than myself, so I asked him to listen, as a friend.

Reaching beyond your capacities seems to be a regular thing in your work. Where do you find the motivation to keep pushing yourself like this?

Well, I just try to make sense of what I am supposed to do: Where should my energy go, and where is the nexus of what I want to do; what is a positive move in its time, what is being said, and whether it should bear my name. Very often, it turns out to be something I must build from the ground up and it entails a promise, a vision. I don’t really have a choice but to fulfil it, even if that means I’ll be pushing myself. Besides, I guess it’s easy to forget we’re not done with evolution: I think we actually have the obligation to evolve.

What role does beauty have in your work?

[Thinking] Well, maybe not a role, but… on the one hand, I’ve grown up immersed in 20th century culture, which, broadly speaking, was mostly busy with dismantling/deconstructing/destroying structures, from cubism to punk, from serialism to glitch. When I was young, anything that was “beautiful” was not to be considered seriously as legitimate art. This is a very gross generalisation, of course. But I felt I needed to claim freedom from that and embrace beauty as something integral to today’s art. We could discuss this forever – I can’t really put it in a nutshell. On the other hand, beauty is not simply cultural/aesthetic; it goes beyond one’s likes and dislikes. There’s a lot of overlap between preferences and our biological and neurological response to what we see and hear. Like, a perfect fifth sounds great and is beautiful, but it’s an interval from a simple mathematical proportion, 3/2, and is a natural vibrating phenomena that has the cells in your body resonating, and who knows what else is happening, when a sound gives you chills down the spine because it’s so good – beauty does go that deep. And lastly, the world is getting so ugly that we better hold on to what is beautiful – in a broad sense, not just pretty, but anything that contains elevated qualities, like integrity, etc.

Pythagoras was right! Have you delved much into the science of this?

I haven’t gotten into the science much. Science is a pillar of civilisation but also lacks everything it can’t measure and explain. I also try to keep away from “knowing” that sort of thing with my head. I try to validate my movements with intuition, often from a kind of knowledge that pertains more to the body and not so much to the brain. And besides, I always prefer to leave that open, for the listener to have their own way to integrate the music.

I think the elevated qualities you’re talking about are also often what separates great art from the mediocre. Was there any particular impetus that made you reconsider your thoughts about beauty?

Definitely today’s exponential increase of ugliness, the decline of civilisation… holding on to beauty is strangely becoming a survival strategy, a conscious effort towards sanity. And yes, beauty understood broadly. Like, acknowledging facts is beautiful, as opposed to spreading lies. Or the beauty of bringing opposite worlds together and having them talk to each other: That’s what “Spectral Evolution” is all about.

Given how much work was involved in producing the final version of “Spectral Evolution” heard on the album, what’s it been like performing it live?

The concert benefits from the album’s structure, which makes it very solid, and the way it sounds live is like being physically immersed in a sound field. It connects the emotional aspects of harmony with the physical experience of vibration. It seems to be intense for the audience; sometimes people tell me they almost cried. For me, it’s important to draw listeners into the sound and that creates a feedback of love.

“Feedback of love” is a great image – I think it says a lot about the relationship you have with your audience.

In some concerts, it can be felt very clearly. These sounds and this whole album have been made with love and it’s been met with a loving way of listening by the audience, and that engagement, that quality of feeling, beams back to the stage.

How has your relationship with your audience developed over your career?

I’ve always respected the audience very much and I’m grateful for how I’m able to contribute something they use in their lives. When you give something and it’s well received, that receiving is in turn a gift back to you. I always commit myself to deliver something that justifies their getting out of their homes and buying a ticket and spending their time listening to whatever I play.

Are the intense emotional reactions you’ve encountered when performing “Spectral Evolution” something new, or have you elicited similar responses with other projects in the past?

This is new, as it’s much more emotional than anything I’ve done before, and it’s delivered with intensity.

I think there are artists who'd view "emotional" music with the same suspicion you talked about earlier, in relation to beauty. As you said, this is new territory for you, but how did you arrive here?

Dealing with clearer emotions is new to me and is unintentional. I like to keep emotions open and abstract so that the listener can project their own. These harmonies have emotions built-in and it’s almost impossible to escape them. I’m more interested in their sound, however.

How much does “Spectral Evolution” vary from one performance to the next?

The live version is expanded; some transitions take a more relaxed time. The album was not originally conceived to be played live, so I play as many live guitar parts as possible, and a few of those are improvised. But it’s very consistent: The variation is in the details. The room acoustics and the PA configuration have a decisive effect, and that’s why I spend hours of soundcheck making it sound good every time.

What does your soundcheck involve? Have you found any ways to streamline the process, or is it always a challenge?

Both! I mean, sometimes a fine PA in a good venue makes things easier, but it’s usually a challenge. I do have a sequenced method and the goal is to create a surround body of sound that is intense but invites people in. A sound that doesn’t push you, but pulls you instead. A sound that isn’t there to dominate, but to embrace you. Every room is different, so the tuning has to be very precise.

I was listening to the mix you did for The Wire at the end of last year, and it’s a fascinating complement to the album – Kenny Burrell isn't normally my thing, but he makes perfect sense in this context. Out of interest, what’s your relationship like with the jazz tradition?

It’s always been like a satellite in orbit. Totally focused in but standing elsewhere. Once I said about the Space Program (my previous free-jazz inspired project of electronics), “It’s all jazz, except the music.” For entirely different reasons, the same applies to “Spectral Evolution.” I have a lot of admiration for the heightened humanity of jazz. There’s a lot to learn and a lot to feel. Layers of depth for the mind and heart.

Do you think your appreciation of jazz, and the qualities you mentioned, has deepened as you get older?

Oh yes, indeed! When I was 15, jazz just didn’t make sense to me and I didn’t have any interest in it. Sometimes, I’d come across something that I could acknowledge was good but I didn’t have the references or experience to process it, eventually becoming able to appreciate it only 5 or 10 years later. The meanings and values change with respect to how you integrate them. For example, when I first heard Kenny Burrell, I thought he wasn’t the most exciting jazz guitarist (there goes the typical 20th-century thinking). But when I started playing, now I’ve come to respect him a lot more.

Do you have jazz chops as a guitarist?

Gosh, no! I do try to learn and absorb everything I can, but it’s definitely not towards becoming a jazz guitarist. I’m interested in the sound of the guitar as it’s played, more than the actual “music”.

Did you completely step away from the guitar during your Space Program period?

I didn’t touch a guitar for 15 years. As I’ve embraced a much more demanding guitar culture, I feel like starting from scratch. There’s so much to learn and practice, because the stakes are so much higher, so it’s almost like I’m 8 years old or so. To make it more difficult, I find myself uninterested in most guitar idioms, but I still want to play – so I’m figuring out what…

You recently released an extract of a new piece called “Layers.” What can you tell me about it?

“Layers” is an accumulation of sustained notes, gradually replacing themselves, played with varying degrees of tonal intention. Then it goes through some gear that brings out incredibly complex and shifting harmonics. It’s a new piece to be played fully live. “Layers” is just one specific thing, more simple and completely oriented to performance as a creative process, as opposed to “Spectral Evolution” which is a broad field of connections in composition. “Layers” is already part of the future and doing what I love: engaging with the unknown.

interview with caroline - ele-king

 ポケットに手を入れたまま、コンクリートの隙間から伸びる雑草をまたいで土手を歩く。川辺には、この季節に相応しく草は青々と茂っているが、向こう側には味気ないマンションが並んで、東京郊外のあいまいな田園地帯の境界をさらにぼかしている。それでもぼくは牧歌的なイメージに浸っている。『キャロライン2』を聴いているのだ。
 いま、これほどロマンティックに聞こえる音楽がほかにあるのだろうか。
 いまどき、8人組という大所帯のロック・バンドが新しく感じられるのはなぜだろう。
 彼ら彼女らは輪になって演奏する。バンドというよりはコレクティヴで、見た目は地味というか目立たないというか、どこかほのぼのしているが楽曲は挑戦的だ。作品の趣きたるや空想的で、陶酔的でもあるが英国風メランコリアも横溢している。フォーキーだがテクスチュアもあって、即興的な要素はバンドの相互作用に大胆な効果をもたらしもするが、総じてキャロラインの音楽は美しい。
 なぜ自分がかくもキャロラインを好きなのかわかっている。けど、その話——チャーリーと過剰消費、現代におけるイアン・マーティンにいわく「20世紀音楽の無限のリミックス状態」等々——をすると長くなるので止めておく。ただ、ぼくはこのバンドの新作を心待ちにしていたひとりであって、いまここで、『キャロライン2』は今年のもっとも素晴らしいアルバムの1枚になると断言しておきたい。1曲目の“Total euphoria”でぶっ飛ばされた。極めて21世紀的なポストモダニストのキャロライン・ポラチェックがゲストで歌う3曲目までは完璧だと思う(君もきっと賛同してくれるはず)。
 インタヴューに答えてくれたマイク・オーマリー(Mike O’Malley)は、キャスパー・ヒューズ(Casper Hughes)、ジャスパー・ルウェリン(Jasper Llewellyn)とともにバンドの中核を作ったひとりだ。2017年、この3人がマンチェスターの大学在学中にキャロラインは産声を上げている。


右で電話をかけているのがマイク。赤いポロシャツがジャスパー。前面に横たわっているのがキャスパー。順に右から左へ、アレックス・マッケンジー、オリヴァー・ハミルトン、マグダ・マクリーン、ヒュー・エインスリー。フレディ・ワーズ・ワース。

すべてのサウンドが調和して作用するのではなく、対立する要素が必要だと思っているんだ。さまざまな要素が対立していて、激しく聴こえるけれど、同時に美しくも聴こえる——その状態まで曲を持っていくまで曲は完成していないと思っている。

お時間ありがとうございます。新作を聴くのがずっと楽しみだったので、今回の取材がとても嬉しいです。

マイク(以下、M):素敵な言葉をありがとう!

古きものと新しきもの、静と動、生楽器とエレクトロニクスの混じったアルバムですね。アルバムの冒頭でやられました。ラフな質感や即興性もあるけど、前作以上に手の込んだ作品でもあると思います。

M:ふむふむ。

■レコーディングはいつからいつまでやっていたんですか?

M:このアルバムは長い時間をかけて作られたんだ。いま挙げられたようなディティールの判断も長い制作期間の途中にほどこされている。レコーディングをいつから開始したのかをはっきりと答えるのは難しい。音源を録音しているときは、まだそれがアルバムに使われることになると気づいていなかったりするからね。でも、アルバムに使われている音源を最初に録音したのはだいたい18ヶ月くらい前だったかもしれない。それくらいの時期から、レコーディングをはじめたり、みんなで音楽合宿をやって作曲をしたり、コンセプトについて話し合ったりしていたんだ。曲のアイデアについて話したり、今回のアルバムではどんなサウンドにして、どんなことをしたいのか——そういうことをみんなで決めていった。アルバムは今年の1月に完成したばかりなんだ。完成してからリリースまでの期間がとても短く感じられたよ。

通訳:その音楽合宿というのは、3人でスコットランドに行ったときのことですか?

M:そうだよ。それが最初の合宿だった。それ以前もロンドンでアイデアについて話し合ったりしていたんだけど、合宿に行ったときに、「これらのアイデアをなんとかまとめて、次のアルバムに使える素材として持って帰れるようにしよう」と初めて決めた。アルバムを作ろうという明確な意志が固まった段階だった。

2022年に『caroline』を出して、ぼくらも大好きでしたが、世界中の多くの人があのアルバムが好きで、そうしたリアクションで得た自信はあったと思います。アルバム制作に迷いはありませんでした? 「俺たちはもう、これしかないぜ!」みたいな方向性は定まっていました?

M:いい質問だね。迷いというものはなかったけれど、今回と前回のアルバムではまったく状況が違った。前回のアルバムを出したとき、キャロラインというバンドを知っている人はあまりいなかった。イギリスに何人かのファンはいたけれど、いまと比べたらずっと小規模だった。アルバムがリリースされて、各所で宣伝されて、ぼくたちの名前が広まった。そして(名が広まったという時点で)セカンド・アルバムを作るとなると、自意識過剰になったり、自分たちの活動に疑問を感じたりするかもしれないとは思っていた。制作に入る前は、どんなサウンドを追求するべきなのかがわからないときがあった。でも制作に入ってからは、何をすべきで何をすべきじゃないかということがわかってきた。制作の流れができてからは、自信を持って自分たちを疑うことなく制作に臨めたから、ぼくたちは幸運だったのかもしれない。セカンド・アルバムにプレッシャーはつきものとよく言うからね。ぼくにもそのプレッシャーはあったけれど、今回のアルバムの仕上がりには満足しているし、制作過程においても自分達のやっていることに自信を持って制作することができたと思う。

歌に関して、前作以上に意識的になっているように感じたのですが、あなたがたはどんな「歌」、どんな「歌手」がお好きなのでしょうか?

M:それもいい質問だね。好きな歌手か……これはぼく個人の答えになってしまうけれど、ぼくはアーサー・ラッセルがすごく好きなんだ。他にも好きな歌手はたくさんいるよ。でも、ぼくはある「歌手」に注目して音楽を聴くということをあまりやらないんだ。いろいろな種類の音楽を聴いているから、ある特定の歌手にフォーカスするということがとても稀なんだ。でも、例えばジャスパー(・ルウェリン)やマグダレーナ(・マクリーン)など、バンドメンバーで歌う機会が多い人たちには好きな歌手がいたり、参考にしている歌手がいると思う。ぼくは今回のアルバムではあんまり歌っていないからね。だから好きな歌手や歌についてはうまく答えられない。毎週好みが変わったりするから、特定の歌手に注目していることが少ないんだ。

クローザーの“Beautiful ending”も凝っていますが、ぼくは1曲目の“Total euphoria”に驚かされました。バンドにとって他の何かに似ていると言われるのはイヤだと思いますが、すいませんと謝りつつ、Still House Plants にちょっと近いアプローチを感じたんですよね。SHPはお好きですか?

M:好きだよ。彼らのライヴはロンドンで何度も観たことがある。“Total euphoria”を書いていたときに、とくに彼らのことを参考にしたわけではないけれど、スティル・ハウス・プランツと比較されるのも理解できる。リズム上で起きていることが似ているのかもしれない。すごくいいグループだと思うし、去年リリースされたアルバムは素晴らしかった。ライヴに何度も行ったことがあるけれど、彼らのライヴはいつ観てもすごくエキサイティングだよ。彼らの体制は完璧に整っていると思うんだ。そんなところが素晴らしいと思う。

“Song two”も魅力的な曲です。これもまた前作にはなかったタイプの曲ですが、曲作りは誰かひとりが作ってきたものをみんなで肉付けするんですか?

M:そうやって曲ができるときもあるけれど、曲によって作られ方は違うんだ。例えば、キャスパーが「最近よく弾いているコードで試してみたいものがある」と言って、みんなに聴かせて、そこからみんなで即興していくというパターンもある。こういう場合は、先にヴァースやコーラスのアイデアがあるというわけではないんだ。今回のアルバムには前回と比べて曲の構成がしっかりとしたものも多いけれど、最終的にそこまで構成がきちんとした曲にはならなかった。だから、いま話したようなパターンや、3人の即興からはじまるパターンなどがある。即興で歌ったり、即興のギター演奏やドラム演奏がたくさんおこなわれる。そうやって曲が作られていくことが多い。でも曲によって違うんだよ。曲のパートが気づいたら浮上していることもあって、それがどこから浮上してきたのかわからないけれど、いい感じのパートだから、それで進めてみる。そんな感じ。

caroline にとって曲はひとつの物語でしょうか?

M:曲には、物語のなかから切り取った断片のようなものがあるかもしれないね。ある行動の詳細や環境、ある出来事など。でも、曲を通して物語が語られるということはあまりない。歌詞に関して言うと、ジャスパーは別に物語を語っているわけではないと思う。彼の頭のなかで何が起こっているのかはわからないけれど、物語というよりは、意識の流れみたいなものだと思う。彼が歌詞や歌のパートを書くときは、即興の歌からはじめることが多いんだ。メロディやサウンドからはじまって、それがじょじょに歌詞としての形を帯びてくる。だから抽象的な意識の流れみたいなものなんだ。でも些細な瞬間や物語を行ったり来たりしているときもたしかにある。ぼくが思うに、歌詞とは、言葉を扱うソングライティングの一種であって、はじまりがあって終わりがあるという直線的なものではなく、大きなボウルにさまざまな要素がたくさん入っている感じに近いと思っている。


中央にいるピンク系のドレスを着ているのがゲストのキャロライン・ポラチェック。

8人で輪になって演奏すると、すごく支えられている感じがする。一体感や支えられているということを強く実感できる体験なんだよ。

歌詞に、社会や政治は関係していますか?[*前作の“Good Morning (Red)”は、2017年のジェレミー・コービンの社会主義労働党運動の台頭と、それにともなう楽観主義の波にインスピレーションを受けたとピッチフォークの取材では語っている] 

M:社会や政治に関する明確な言及はしていないと思う。(ぼくは歌詞を書いていないから)歌詞の由来を答えることはできないけれど、歌詞が生まれる瞬間はぼくもその場にいた。歌詞を聴いていると、無意識にいろいろなものが思い出されたり、感じられたりすると思う。でも、ぼくが知る限り、それが何らかの具体的な説明だったり、社会や政治に関する意見ではない。歌詞にはぼくたちが生きる時代について歌っている内容もあるけれど、そこに批判や強い意見があるというわけではない。現代の生活をほのめかす要素はあるけれど、とても抽象的なものとしてぼくには感じられるね。

3曲目や5曲目のようなフォーキーな響きは、前作にもありましたが、今回はとくに印象的に思います。英国にはフォークに関する歴史が綿々とありますが、そういうことは意識されましたか? 

M:バンドで使用されている楽器がフォークのものに近いということはときどきあると思う。それらはキャロラインのサウンドを形成する要素のひとつだと思うし、ファースト・アルバムでもそういうサウンドは色濃かったと思う。でも使っている楽器だけでフォークとは言い切れないと思う。キャロラインはアコースティック・ギターやフィドルを使っているけれど、それをすごくフォークっぽい演奏方法で扱っているわけではなくて、むしろぼくたちの関心や嗜好や演奏方法に、フォーク的な要素があるということだと思う。それが無意識に曲に表れてくるのだと思う。バンドとして「こういう風に演奏しよう」とみんなで話し合って、決めたことではないんだ。でもみんなで演奏していると、そこにフォークの響きがあることは暗黙の了解で感じられる。ただし、それはフォークの表面的なサウンドというだけなんだ。ぼくたちの音楽にはフォークの伝統と似通った要素はまったく見当たらないと思うから。また、フォーク音楽をやっている人たちの根本的な理由も、ぼくたちのバントとは関連性のないものだと思うから。でも、ぼくたちのアルバムを聴くと、その節々にフォーク・ミュージックのようなサウンドが含まれているのはたしかだね。

また、レトロでフォーキーな響きのなかにオートチューンを入れることで、どんな効果を狙っているのですか? たんに音響的な面白さなのか、それとも、そこには意味があるのか?

M:深い意味があるかはどうかわからないけれど、ぼくたちは昔から、可能な限り極端なジャクスタポジション(対比)をしたいと思っていて、今回のアルバムではそれをさらに押し進めることができたと思う。ぼくたちが書く曲においては、すべてのサウンドが調和して作用するのではなく、対立する要素が必要だと思っているんだ。さまざまな要素が対立していて、激しく聴こえるけれど、同時に美しくも聴こえる——その状態まで曲を持っていくまで、曲は完成していないと思っている。その要素たちの関係性が自然なものに感じられなければいけないんだ。対立する要素を無理矢理あわせた感じはあるけれど、あえて聴くのに耐えられない対立を探るのではなく、その組み合わせを聴いたら魅力的だと感じられる。そういうバランスを求めている。根本的に異なったスタイルやサウンドを合わせるということが、今回の曲における大きなテーマだった。ふたつやそれ以上の対立した要素を組み合わせるということ。

ちょっとめんどくさい質問で申し訳ないのですが、“Two riders down”はクレシェンドで、じょじょに盛り上がる曲ですが、あの高揚感は何を意味しているのでしょう? アルバムのなかであの曲が直球な盛り上がりを見せているので、気になっています。

M:それは嬉しいね! 何を意味しているか……ストレートな答えを出すのは難しい。というのも、ぼくたちは曲を作っている時の90%は直感でそれをやっているから。それにぼくたちには演奏においてクライマックスに向かっていくという傾向がある。あの曲では、音が常に拡張しては縮小していくということに重点を置いていたから、お互いに覆いかぶさってくるレイヤーがあった。ぼくたちは、最終的な目標(ゴール)を共有して作曲していたと思うけれど、その目標が何なのかという話を具体的にしたわけではないんだ。この曲がまとまったのはアルバム制作の終盤だったんだけど、メンバーみんなが本質的に、この曲で何をやろうとしていたのかわかっていたと思う。終わりのない勢いで突き進んでいくような感じで、常に拡張しては縮小していく曲を作るというのが目標だったと思う。それから当初、表現しようとした感じがあったんだけど、最終的にその感じは少し控えになった。それは、曲を聴くとわかると思うんだけど、ふたつの部屋があって、各部屋では曲が演奏されているということ。つまり、ふたつの部屋から同時に曲が演奏されているという状態。曲を通して、そのふたつの部屋のバランスが崩れてくる。ひとつの部屋では弦楽器のセクションがあって、シンフォニーのような音がするけれど、もうひとつの部屋では騒がしいロック・バンドで、そのふたつのバランスが崩れたり、偏ったりする。この曲では、そういうことを狙いとしていたんだけど、最終的には控えめな響きになったね。

アルバムのタイトルが意味していることは?

M:「セルフタイトル・アルバムから先に進んだ」ということを意味するアルバム名を考えていたんだ。これはぼくたちの2枚目のアルバムだから、そういう意味では『caroline 2』は適したタイトルだと思う。それに、みんなが満場一致でピンときたタイトルが『caroline 2』だったというのもある。すごく壮大で大袈裟。それに自己主張が強いようにも聞こえる。そういう意味で面白いタイトルかなと思ったんだ。とても重要な作品のようなタイトルに聞こえるところが面白いと思った。うまく説明できないけど、『caroline 2』がフィットして気に入ったんだ。

それにしても、メンバーが8人もいると練習もツアーもたいへんですよね。リハーサル・スタジオの広くなきゃいけないし、ツアー中にバスに乗るのもレストランに入るのもたいへんだと思うんですけど、8人いることで良かった、素晴らしい、最高だと思ったことはありますか?

M:素晴らしい質問だね。たしかに8人だとメンバーの移動や予定管理も大変だし、みんなの予定をずっと前から決めて計画しないといけない。でもそれだけの価値はあって、いつでもそれが実感できるよ。ぼくたちはすごく仲が良くて、お互いを大切に思っている。小さなグループに分かれることもあって、それはそれで良いことなんだ。常に大人数のグループでいる必要はないから、小さなグループに分かれる。するといろんな人たちと時間を過ごしていろいろな体験ができる。バンドにはいろいろな人たちがたくさんいるからね(笑)。それに8人で輪になって演奏すると、すごく支えられている感じがする。一体感や支えられているということを強く実感できる体験なんだよ。一緒に演奏していると、みんなで共有した、あるひとつの目標に向かって進んでいる感覚があって、それが8人ともなると、たとえば4人のグループよりも、さらに人と人との交流や交渉がおこなわれるから、その感覚もさらに強いものになる。

それではせっかくの機会なので、最後に、過去でも現在でも、英国のバンドで共感しているバンドがあれば教えてください。

M:これもいい質問だね。どうだろう? ぼくたちみんなが好きなのは、ライフ・ウィズアウト・ビルディングス。グラスゴーのバンドで活動期間は短かったんだけど、キャロラインの活動において大きなインスピレーションになっている存在だ。あと他に英国のバンドだと誰だろう? 他にもたくさんいるけれど、ライフ・ウィズアウト・ビルディングスには大きな影響を受けたから、それをぼくの答えとしたい。とても美しい、蛇行するような音楽。ロック・バンドなんだけど、エモとかスロウコア時代のギターで、ヴォーカリストのスー・トンプキンズがマントラのような歌い方をする。即興の歌い方みたいなんだけど、本当はちゃんと書かれたものだと思う。楽しくて、弾むようなエネルギーがあって本当に最高なんだ。そして本当に美しい。いろいろな要素が美しく組み合わさっている。 

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