Home > Reviews > Album Reviews > Bon Iver- 22, A Million
ボン・イヴェールとは共同体を巡るコンセプトである。あるいは、そのコミュニティが何によって構成されうるか……その問いかけである。ボン・イヴェールとはまた、その名の通り「良い冬」のことであり、すなわち、匿名性と抽象性のことだ。
いや、もちろん、ボン・イヴェールとはつねにそのマスターマインドであるジャスティン・ヴァーノンの内面への探求とその思慮深い吐露であり、はじまりはどこまでもパーソナルな……「ひとり」のものだ。人生に行きづまり山にこもりながら綴った歌が世界に発見されたという、ある意味では典型的な物語を負っていたデビュー作と、世界的なビッグ・ネームとなってからの本作は、その観点ではまったく同じだと言える。かつての無名の青年は予想外の成功とありあまる称賛に疲れ果て、再び内省へと向かった……これもまた、典型的な話だ。ただし、その感情の発露において、『22、ア・ミリオン』は彼のキャリアでもっともスピリチュアルに振りきれている。曲名には意味ありげだが謎めいた(もちろん、本人にとっては深い意味がある)数字と文字が並び、陰と陽を中心に置いたアートワークはダークなサイケデリック・アートのようだ。そして音は……かつてのファルセット・ヴォイスが美しいアンビエント・フォークのイメージをズタズタにするように、エレクトロニック・ビートとノイズ、ときに流麗に響きときに狂おしく鳴るサックス・アンサンブル、断片化されたサンプリング、オートチューンドされた声……が吹き荒れている。グッド・メロディの素朴なフォークを期待したリスナーは、乱心を疑い頭2曲で引き返してしまうだろう(先行して発表された2曲であり、つまり、新作はまったく別物だとまず提示したかったにちがいない)。
しかしながら、それらはヴァーノンひとりから生まれたものでなく、確実にこのレコードに参加した大勢の人間によって奏でられたものである。クレジットを見れば、相変わらず気心の知れた彼の周辺の音楽仲間ばかりが集められている。サウンドの多様さとサンプリングの多用も加わり、アルバムは「ひとり」の地点から遥か遠くまで辿り着いている。
海外の評を観るとサウンドでもテーマでももっとも「difficult」で「experimental」なアルバムだとされており、第一印象ではたしかにそうなのだが、しかしよく聴けばじつはきわめてロジカルな発展であることがわかる。たとえばスフィアン・スティーヴンスであれば、同様に内面への旅を追求した結果分裂気味にエクスペリメンタルになっていた『ジ・エイジ・オブ・アッズ』を連想するが、あそこまで壊れていない。『22、ア・ミリオン』では曲の骨格自体はこれまでのソングライティングを大きく外れることはなく、あくまでそのアレンジメントにおいての冒険が繰り広げられている。またその点についても、リズムや音響の感覚においては2000年前後のポストロックやエレクトロニカに源流があること、かねてから取り組んできた声を加工し音とする試み、ヒップホップの実験性への強い関心、ドローン/アンビエントへの理解、ビッグバンド・ジャズの経験と素養を顧みると納得がいく。カニエ・ウェストやジェイムス・ブレイクとのコラボレーションの影響は誰もが指摘しているが、いっぽうで同時にジョン・ミューラーのドローンやコリン・ステットソンのドゥーム・ジャズまでをヴァーノンは渡り歩いており、曲によってその語彙を理知的に使い分けているのだ。そして、前身バンドであるデヤーモンド・エディソンとボン・イヴェールの最大の違いであったファルセット・ヴォイスが黒人のフィメール・シンガーからの影響を受けているように、相変わらずホーリーなコーラスによって全編を貫くフィーリングはゴスペルだ。そして歌は……そう、ボン・イヴェールの音楽において揺るぎなく中心に据わるその歌は、声が加工されてもブツ切りにされても、まったくもって力強く生々しく、エモーショナルに響いている。
ゴスペル・シンガーであるマヘリア・ジャクソンのサンプリングが浮遊する“22 (OVER S∞∞N)”、ヒップホップの影響が強いだろう烈しいビートがのたうち回る“10 d E A T h b R E a s T ⚄ ⚄”、ピアノ・バラッドとポストロックとアブストラクト・ヒップホップが無理やり合体させられたような“33 "GOD"”の印象が強いため、A面にあたる前半はとくに新基軸を強調しているように思える。が、たとえば3曲め、エフェクトがかけられた声だけのア・カペラ・ソング“715 - CR∑∑KS“は過去の名曲“ウッズ”と“ウィスコンシン”を合わせた発展形だし、5曲めの“29 #Strafford APTS”でようやく柔らかなフォークの時間が広がっていけば、それはメロディアスでジャジーな“666 ʇ”へと引き継がれ、透徹したアンビエントがフリーキーな管に浸食されてゆく“21 M◊◊N WATER”、前2作どころかデヤーモンド・エディソン時代をも彷彿させる大らかなジャズ・ロック・ナンバー“8 (circle)”へと続いていく。そしてシンプルで真摯な歌と弦を管が彩る“____45_____”、スウィートなゴスペルの終曲“00000 Million”へ至る頃には、ボン・イヴェールを愛聴してきたリスナーはこれもまた紛れもなくボン・イヴェールの作品であると確信するだろう。姿が変わったことで、かえってその内側で変わらないものが深く根を這っていることがわかる。かつてのようなアコギを弾き語る典型的なフォーク・シンガーはもうここにはいない、が、そこには変わらず温かく情熱的で誠実な歌ばかりがあり、そしてそれはヴァーノンが現在集結させることが可能なたくさんの人間と多様な音楽的語彙によって実現されている、それだけのことなのだ。
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ダーリン、愛するな、闘え
愛せ、闘うな (“10 d E A T h b R E a s T ⚄ ⚄”)
ただあの晩、ぼくはきみが必要じゃなかった
これからももう必要じゃない
成り行きを受け入れるつもりだった
光のなかを前に進めたなら
そうだね、服をたたんだほうがいいね (“33 "GOD"”)
ぼくはまだ立っている
まだ立っている、祈りの言葉を必要としながら (“666 ʇ”)
たくさんありすぎて拾えない
許すことがどういうことかよくわからない
ぼくらはその混乱に火をつけた
ぼくは港の裏を出ていける (“8 (circle)”)
散文的なのにときおり叙情性が抗いがたく漏れてくる言葉からわかるのは、『22、ア・ミリオン』の主題は信仰であるということだ。
思い出してみよう。そのはじまりからボン・イヴェールの「良い冬」とは、そのまま孤独のことであった。世界から隔絶された場所で、それでも人間との関わりを求めてしまうひとりが名前を失うことで聴き手の内側の震えに共振することだった。本作においてはこれまでよりも言葉の抽象度と複雑さはさらに上がっているが、しかし歌を通して感情を吐き出している男はたしかに深く傷つき、混乱し、苦悩している。そして何らかの信仰を求めながら、それを見つけることができない。神を信じていないというヴァーノンのブラック・ミュージック、とりわけ黒人霊歌に対する強い関心と羨望はおそらくここに理由がある。スピリチュアルな領域で信じるものを持てない人間が、それでも心の深いところで何かを信じたいと願ってしまう歌――それこそがボン・イヴェールだ。だから彼は自分の名前を名乗らない。ただ、誰の心にもある「冬」として、それをゆっくりと温めるための歌を大勢で演奏するのである。その神聖な響きは、そのじつとても切実な願いだ。
たとえばビヨンセ、ブラッド・オレンジ、そしてフランク・オーシャン――今年のブラック・ポップ・ミュージックを代表するいくつかのアルバムでは、大勢の人間が参加することによって緊急的な共同体が生み出されているように思える。なぜならば、彼らはいまたしかに団結せねばならない現実と社会に直面しているからだ。ヴァーノンのようなよく教育された白人の青年はそのような事態に追いこまれているとは言えないかもしれないが、しかし、いまボン・イヴェールという共同体もたしかに愛と相互理解を希求し、実践しようとしている。その音楽にははっきりと理想主義がある。彼は自分と同じように孤独な人間がたくさんいて、そしてその痛みゆえにひとつの場所に集まるということを「信じている」のだろう。そこではたくさんのものが衝突し合いながら、そして感情によって融和しようとしている。中心に立つ男の声は、切なさを纏いながらその芯を失うことはない。そして男はアルバムの終わりに、自らを痛めつけるものをも「受け入れる」と告げる。
だから、『22、ア・ミリオン』もこれまでと同じように「difficult」な作品などではない。かつて雪が解けるのを静かに待ち続けたように――ボン・イヴェールとは、冷えた想いをその熱で溶かそうとする、誠実で勇敢な願いについての歌である。
木津毅