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Home >  Reviews > Dijon- Baby

Dijon

Alternative R&B

Dijon

Baby

R&R / Warner

Amazon

木津毅 Sep 19,2025 UP

 このアルバムを繰り返し聴きながら、僕は誰かのことを「ベイビー」と呼ぶときの熱についてずっと考えている。再生ボタンを押すと、ざらついた音色に囲まれながらもスウィートなムードを持った1曲目 “Baby!” でディジョン・デュエナスが甘美な思い出について歌う――「ベイビー、きみのお母さんとぼくは踊ったんだよ/彼女の名前を知る前にね」。この歌は自分の子どもに向けて、沸きあがる愛おしさを表現したものなのだ(ベイビーは彼の子どもに実際につけられた名前でもある)。「ベイビー」との呼びかけはそこで終わらない。続くプリンス風の “Another Baby!” では、エロティックな言葉とともに「次の赤ちゃん!/準備はできているよ/赤ちゃんを作ろうよ」と反出生主義をものともせずに新しい生命に希望と喜びを見出そうとする。この殺伐とした時代に、どうやったらこんなにエネルギッシュに愛を歌えるんだろう? いくつかの曲につけられた!マークがこのアルバムの勢いをよく表している。それはただの浮ついた誘惑の言葉ではない。ベイビー! いま、どのような態度で生きるかの宣言のようだ。

 ジェイムス・ブレイクの登場以降でもっとも刺激的なニューカマー、フランク・オーシャンの不在を埋める存在、ディアンジェロの後継者などなど、すでにものすごい絶賛のされ方をしているボルチモア出身のシンガーソングライター、プロデューサー、そして俳優のディジョンだが、僕が本当に彼の音楽に魅了されたのはファースト・アルバム『Absolutely』(2021)を音源で聴いたときよりも、そのセッションをライヴで再現した映像(https://youtu.be/FEkOYs6aWIg?si=k8xOp0YuDiX7HOor)を観たときだったと思う。盟友のMk. Geeらバンド仲間とひとつの部屋に集まって、親密な空間のなかからどうやって爆発的なエネルギーを生み出せるかの挑戦がそこでは繰り広げられていたからだ。何よりもディジョンそのひとの、身体の内側から感情が溢れだして仕方がないというような落ち着きのない様。そして、それを小さな部屋でやってしまうのがディジョンのアティチュードだ。最近ではジャスティン・ビーバーの『SWAG』への参加が話題になった彼だが、そんなメインストリームでの華々しい脚光で真価が証明されるわけではもちろんない。ディジョン自身の音楽としては、ごくパーソナルな場所からどれだけ活気に満ちた音を鳴らせるかが重要になる。
 2作めの『Baby』は、ディジョンのエモーショナルなソウル、R&Bを前作以上に作品としてパッケージ化することに成功している。それを実現したのはプロダクションだ。意図的に濁りや汚れや割れを音色に混ぜこみ、さらにはコラージュ的な要素を持ちこみ、甘い歌とサウンドの混沌が衝突する瞬間を動力へと変換するのだ。2010年代なかば頃のオルタナティヴR&Bにおけるサウンドの冒険をあらためて推し進めているとも言えるし、それこそMk. Geeらとともに近年トレンドになっている80年代風の甘ったるい音をどうやってロウに響かせるかのモダンな実験とも取れる。ボン・イヴェールの新作にも参加していたディジョンだが、たしかに『22, A Million』辺りのあり方と共鳴する大胆な折衷性もある。ただ、なかでもディジョンの音はそのワイルドさにおいて際立っている。温かいコーラスがざりざりとした鳴りのリズムとまぐわるような “HIGHER!” はどうだろう。IDMとノイズの隙間からシンセ・ファンクを強引に出現させるような “FIRE!” は? スローなバラード “my man” では、柔らかいシンセの和音の代わりにディジョンの歌が叫びとなって生々しさを立ちあげる。そしてこれほどダイナミックな飛躍に満ちた本作もまた、彼の自宅で制作されていることに驚嘆せずにはいられない。

 ときに耳障りな音を強調することで言葉が聞き取りにくくなる瞬間もある『Baby』だが、それでもこれは新しいR&Bとして真っ向から愛を主題とする作品だ。そして自分は、いま愛を語るならばそこに混沌や混乱がつきものであるというようなサウンド・デザインに直感的に共感するところがある。無邪気にラヴ&ピースを掲げられるときではないからだ。ディジョンはアルバムを通じて家庭生活を巡る「love」を繰り返し歌い、繊細さと野性味を思い切りぶつけ合わせながら、カオスのなかから純粋な喜びが訪れる一瞬を捕まえようとする。
 アルバムではもっともスムースでソフトなバラード “Kindalove” でディジョンが「きみの愛でぼくを震わせてくれ!」と懇願すると、また「ベイビー!」とのサンプリングが挿入されてアルバムは終わる。だから僕はつい再生ボタンをもう一度押す。再び愛の歌が始まる――「Baby! What a beautiful thing!」

木津毅