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ボーイ・ハーシャー(Boy Harsher)は、ジェイ・マシューズ(Jae Matthews)とオーガスタス・ミュラー(Augustus Muller)による米国のエレクトロニック・デュオだ。2010年代半ばから活動を続け、シンセサイザー、ドラムマシン、ベース、加工された電子音を組み合わせながら、ダークウェイヴ、EBM、ミニマル・シンセ、ポスト・パンクなどの要素を独自のスタイルへとまとめてきた。
その硬質なミニマリズムに貫かれたサウンドは、聴き手の身体に直接作用するような強度を持っている。2026年9月18日に発表された『GET MEAN』は、そうした彼らの音楽を改めて現在形で聴かせる作品だ。リリースはメジャー・レーベルの〈Atlantic〉から。まさに大躍進である。
ボーイ・ハーシャーを理解するうえで重要なのが、1980年代から続くダークウェイヴの系譜だ。ポスト・パンク以降、ギターを中心としたロックからシンセサイザーやドラムマシンへと比重を移した音楽のなかで、ゴシック・ロックの耽美性とニューウェイヴの電子音を結びつける流れが生まれた。そこには踊るための反復的なリズムもあり、インダストリアルやEBMからは機械的なビートの感覚も受け継がれている。ボーイ・ハーシャーは、こうした複数の系譜が交差する場所に独自の音楽を築いてきたデュオである。
その特徴は、さまざまなジャンルの要素を極端にシンプルな構造へと整理していることにある。ミュラーが作る反復的なビートとシンセサイザー、その上に乗るマシューズの低く抑制されたヴォーカル。使用する音を絞り込み、それぞれの配置や反復によって楽曲を展開させる。ミニマルにして硬質、そして優雅。機械的な反復と官能的な感覚が共存するところに、彼らの音楽の魅力がある。
ボーイ・ハーシャーという名義で活動を始めたのは2014年。それ以前にはTeen Dreamzというプロジェクトで活動していた。2016年には〈DKA Records〉からファースト・アルバム『Yr Body Is Nothing』をリリース。2018年には自身のレーベル〈Nude Club〉を立ち上げ、翌2019年には同レーベルから『Careful』を発表した。ミニマルな電子音とダンス・ミュージックとしての機能をさらに洗練させた同作は、彼らの音楽性を知るうえで重要な作品だ。
また、2017年に〈Ascetic House〉から発表したEP「Country Girl」と、2019年に〈Nude Club〉からリリースした拡張版『Country Girl Uncut』も忘れがたい。後者にはオリジナルの4曲に未発表曲4曲が加えられており、初期の作品を別の角度から聴き直すことができる。個人的にも、この2作品はとりわけ愛聴してきた。官能性とメカニックな硬質さが絶妙なバランスで融合し、限られた音の反復から中毒性の高いサウンドが生み出されているからだ。
2022年には、ふたりが制作した映画『The Runner』と、そのオリジナル・サウンドトラックを発表した。音楽と映像を結びつける試みも、彼らの活動を特徴づけるものだ。そして2026年の『GET MEAN』では、これまで培ってきた音楽的な方法を引き継ぎながら、メロディやギターを取り入れ、より広いポップ・ミュージックの領域へと踏み出している。
全12曲からなる本作でまず耳を引くのは、重心の低いビート、反復するシンセサイザー、ベースの動き、そして霧のようにサウンドに浸透するマシューズの声だ。ふたりは2024年初頭に恋愛関係を解消したが、音楽活動は継続している。本作には、個人的な関係の変化や喪失を経たふたりの状況が反映されている。ただし、そうした背景を作品のすべての音楽的特徴に直接結びつけるよりも、実際に聴こえてくる変化に注目したい。今回のアルバムでは、従来のダークウェイヴ的なサウンドを基盤としながら、より明確なメロディやポップな楽曲構成が存在感を増している。
その方向性を端的に示すのが、先行シングルとして発表された7曲目の “Hard Beat” だ。タイトルどおり強いビートを軸にしたトラックだが、聴きどころはリズムの強度だけではない。シンセサイザーの質感とヴォーカルの距離感が、ポスト・パンクやゴスに通じるドラマ性を生み出している。
2曲目の “Jeans” や5曲目の “Faulty” ではメロディが存在感を増し、8曲目の “Ice Pick (Walk Away)” ではベースとリズムの運動が前面に出る。それぞれの曲が異なる要素を際立たせながら、アルバム全体をひとつの音楽的な流れへとまとめている。
本作を聴いていて興味深いのは、ビートが常に楽曲の中心に居座っているわけではないことだ。ドラムマシンがミニマルなパターンを刻む一方で、シンセサイザーやベースが細かな変化を加え、マシューズの声がそこに別の動きをもたらす。声は感情を直接伝えるためだけに用いられるのではなく、ときには電子音と同じ質感を持つ音響的な要素として機能する。
歌と伴奏を明確に分けず、声そのものをサウンドの構成要素として扱うこと。この手法によって、ボーイ・ハーシャーの音楽はダンス・ミュージックとしての身体性と、ゴシック・ロックに通じる情緒的な表現を同時に成立させている。
こうした音の組み立て方は、彼らがゴスやダークウェイヴの美学をどのように扱っているかという問題にもつながる。ゴスには服装やメイク、特定の歴史的イメージと結びついた文化があり、音楽にもその美学を示すさまざまな様式が存在する。しかし、ボーイ・ハーシャーの作品で際立つのは、そうしたイメージを支える音楽的な仕組みそのものだ。反復するベースライン、機械的なリズム、抑制されたヴォーカル、シンセサイザーの音色。これらの要素が緊密に組み合わさることで、ゴス的な感覚が装飾ではなく、楽曲の構造として成立している。
同時に、『GET MEAN』にはポップ・ミュージックとしてのわかりやすさもある。音色やリズムを複雑に変化させ続けるのではなく、印象的なフレーズを繰り返し、その反復によって曲を記憶に残す。シンプルな構造のなかでメロディを際立たせるこの方法は、ニューウェイヴやシンセ・ポップの伝統にも通じる。ニュー・オーダーやデペッシュ・モードなどから継承されたかのようなサウンドも聴き取ることができるはずだ。
一方、ボーイ・ハーシャーのサウンドにはEBMやダークウェイヴに由来する硬質な質感があり、低音の強度にも独自の特徴がある。1980年代の音楽への参照は、単なる様式の再現ではなく、現在のエレクトロニック・ミュージックにおけるソングライティングの方法として機能している。
マシューズのヴォーカルも、そのソングライティングを支える重要な要素だ。強い個性を持ちながら、歌唱技巧を前面に押し出すタイプではない。言葉の響きや声の質感をビートやシンセサイザーと同じレベルに置くことで、楽曲全体の空気を作り出している。声が入ることで電子音の世界が中断されるのではなく、むしろその世界が声によって拡張されていく。こうした歌と電子音の関係が、ミニマルなトラックにポップな輪郭と情緒的な奥行きを与えている。
『GET MEAN』の魅力は、こうした個々の要素が互いの役割を限定せず、ひとつの楽曲のなかで柔軟に機能していることにある。ビートは身体を動かすための基盤であると同時に、メロディやヴォーカルを際立たせるための空間でもある。シンセサイザーは反復を支えながら、楽曲のフックを形成する。声は歌として前面に出る一方、電子音と一体化することで独特の質感を生み出す。限られた音を組み合わせるという彼らの基本的な方法は、本作ではより多様な楽曲を成立させるための仕組みとして働いているのだ。
その意味で『GET MEAN』は、1980年代のダークウェイヴを現代へ移植した作品というより、そこから受け継いだ音楽的な構造を使って、現在のエレクトロニック・ミュージックを作り上げたアルバムなのだ。ポスト・パンクのベース、ニューウェイヴのシンセサイザー、EBMのビート、ゴスのヴォーカル表現、クラブ・ミュージックの反復。それぞれの系譜が聴き取れる一方で、どれかひとつに収まることはない。過去の音楽を参照しながら、そこに含まれていた音響的な特徴や身体性を、現在のポップ・ミュージックとして再構成しているのである。
もちろんダークウェイヴに馴染みのあるリスナーにとっては、その歴史を引き継ぐ作品として聴くことができるだろう。一方、テクノ、EBM、インダストリアル、シンセ・ポップ、ポスト・パンクといった音楽に関心のあるリスナーにも、本作はそれぞれのジャンルを横断する入り口となるはずだ。
ミニマルな構造を維持しながら、メロディとヴォーカルの存在感を押し出し、楽曲としての訴求力を高めた『GET MEAN』。それは、ボーイ・ハーシャーが積み重ねてきた音楽的な方法を、より広いポップ・ミュージックの領域へと接続した作品なのである。
デンシノオト