「PAN」と一致するもの

新作リリース記念 - ele-king

 10月19日に『TOSS』をリリースしたトクマルシューゴと、11月9日に『ハンドルを放す前に』をリリースしたOGRE YOU ASSHOLEの出戸学。ほぼ同じタイミングでアルバムを発表したこのふたりは、実は古くから交流があるそうです。この絶好の機会を逃すわけにはいかない! ということで、おふたりに対談していただくことになりました。これまで聴いてきたもの、これまでやってきたこと、音楽に対する熱意や誠意……互いに似ているところや逆に異なっているところを、思う存分語り合っていただきました。


「俺がソロ弾くから、ブルースのスリー・コード弾いてろ」みたいに、シークエンサーとして使われてた(笑)。それに乗せて親父が熱血ソロを弾くみたいな感じだったね。(出戸)


トクマルシューゴ
TOSS

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OGRE YOU ASSHOLE
ハンドルを放す前に

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おふたりが最初に出会ったのはいつ頃なのでしょうか?

トクマルシューゴ(以下、トクマル):僕とミラーとタラ・ジェイン・オニールのツアーが2004、5年にあったと思うんですけど、その時に松本にライヴをしに行ったんですよ。その時に一緒に出ていたのがオウガ・ユー・アスホールで、それが初めてでしたね。めちゃくちゃかっこいいバンドだなと思って、それからの付き合いだからもう10年以上になるのかな。

初めて会った時のお互いの印象はどうでしたか?

出戸学(以下、出戸):ギターをディレイで重ねたり、いろんな意味でギターがすごくうまくて、そういう感じで弾き語りをするというのを初めて観て、それまで弾き語りってフォーク・ギターで歌う感じだと思っていたので、びっくりはしましたね。何をやっているんだ、という感じはありました。

トクマル:東京にも当時いろいろなバンドがいたんですけど、それとはまた違った概念で活動しているバンドがいるなと思って、すごいびっくりした記憶があります。やっていることもめちゃくちゃ面白くて、それこそ「普通じゃないロック・バンド」でした。今のオウガの形とも全然違うんですけど、相当面白かったので東京に帰ったあとにいろんな人に吹聴した覚えがありますね(笑)。

出戸:本当?(笑) 当時の僕らは今と比べて何も考えていなかったんですよ。変なことをしようというか、聴いたことのない感じにしようとは思っていたんだけど、それをどうやってやればいいのかがわからなくて、高い声を出してみたり、変なフレーズや展開を出してみたり、頭じゃなくて肉体的に聴いたことのない感じをやろうとしていた頃だね。

トクマル:まだCDを出してなかった頃だよね。5曲入りのCDをもらった記憶はあるんだけど。その後ってどうなの?

出戸:その後にファースト・アルバムを出したのかな。それは吉本興業の〈R&C〉というレーベルから出たんだけど、小室哲哉のスタジオで録ったんだよね。ファースト・アルバムを録ることになった時、ちょうど小室哲哉が吉本興業に入っていて、なぜか彼のスタジオでレコーディングすることになった。ポップスを録るスタジオだったから、ファースト・アルバムは独特の音なんだよね。変なことをやろうと思っているのに、録り音がポップスっていう、今聴くと余計ねじれたものになっていて(笑)。当時はなんでロックっぽくならないんだ、と思っていたんだけど、今一周回ってから聴くと面白かったりするんだよね。逆に今は録れない音だよね。

おふたりはそれぞれ違うタイプの音楽をやられていると思うのですが、お互いの作品を聴いて刺戟されることはあるのでしょうか?

トクマル:僕はGELLERSというバンドもやっていて、ロック・バンドなんですけれども、そちらの方ではいろいろなバンドのサウンドを研究して、取り入れてみたり真似してみたりしているんですが、オウガのエッセンスを取り入れてみようとしたこともあるんです。いかんせんGELLERSというバンドがとても難しいバンドで、そういうことを一切できないバンドなので(笑)。やろうとしても、一切できなくて、それが歪んだかたちになってGELLERSというバンドになっていくので。そういうことはあったかもしれないですね(笑)。

出戸:僕らはGELLERSとよく対バンしたりしていたから、(バンド・メンバーの)みんなGELLERSは好きだった。トクマル君の新譜も欠かさず聴いていますね。会った頃からずっと。

トクマル:僕も全部聴いていますね。全部マスタリング前段階のものばっかり聴いている気がする(笑)。先に聴いちゃっていますね。

音楽をやろうと思ったきっかけはいつ頃までさかのぼりますか?

トクマル:僕(のきっかけ)はあんまり面白くなさそうなんですけど、出戸君は面白そうだなと思っていて。そもそも育ちがおかしいじゃないですか(笑)。僕は徒歩10分で小学校に通えるような都市部に住んでいたんですね。でも出戸君はたぶん違うんじゃないの? その時点で音楽を知っていたというのはすごく不思議に思っていて。

出戸:まあ親(の影響)だよね。家に楽器がある状態だったから、自然と中学1年生くらいの時にビートルズのコード・ブックを見ながら“イエスタデイ”とか“レット・イット・ビー”をギターで弾くところから始めたね。

トクマル:それまではギターとか弾いてなかった?

出戸:弾いてなかった。(ギターが)あるな、と思っていたくらい。いくつくらいから弾いてた?

トクマル:俺はピアノをやっていて、音楽は元々すごい好きだったんだけど。

出戸:俺もピアノはやってた。

トクマル:ピアノは難しくてやめて、ギターをやりたいとは思っていたんだけど、(自分では)持っていないし家にもなくて。でもコード譜を買ってきてエアーで練習して(笑)、いつか弾いてやるぞと思っていた。14、5歳の時に自分で買ってきて弾いたね。

出戸:エアーはすごいね(笑)。何を最初に弾いてたの?

トクマル:その頃はパンクが大好きで、パンクのコードがわりと簡単だったこともあって弾いていたね。あとはビートルズとかも一通りやってたかな。

出戸:速弾きに目覚めたのはいつなの?

トクマル:目覚めたってわけではなくて(笑)、ギターが大好きでギターの世界を追求しようとするとどうしてもそっちへ行くというか。『ギター・マガジン』を買うと、タブ譜に数字がたくさん書いてあったりするんだよね。曲は知らないんだけどその数字を追うのが楽しくて、「これ、どういう曲なんだろうな」と思ってその曲を買いに行くと「こんな速いんだ!」と知って頑張ってみるという。ギターはそうやって続けていたね。ギターはお父さんに教えてもらったりしたの?

出戸:いやあ、教えてもらうというか、「俺がソロ弾くから、ブルースのスリー・コード弾いてろ」みたいに、シークエンサーとして使われてた(笑)。それに乗せて親父が熱血ソロを弾くみたいな感じだったね。

ライヴをやろうと思ってバンドをやり始めたね。(出戸)

僕は別にライヴをやらなくてもいいし、一緒にいられるならいいやというバンドかな(笑)。(トクマル)

初めて買ったレコードやCDを教えていただけますか?

トクマル:たぶん子ども(向け)の童謡を買ってもらったんだと思いますね。あとはピアノを弾いていたのでピアノのレコードとか。CDが流行りだして、「レコード屋」(という呼び方)があったのに、みんな「CD屋」ってあえて言うようになってきた時に、駅前のCD屋にみんなで行って、当時流行っていたチャゲアスを買ってきたことがありましたね。

出戸:俺は子どもの時に親から買い与えられたものもあるけど、自分のお小遣いで初めて買ったのはビートルズの『ヘルプ!』だったな。白いジャケに4人が立っているアルバム。廉価盤でちょっと安くなっているようなCDだけど。街まで降りて、本屋とCD屋が一緒になっているようなところで買ったね。

自分が音楽をつくる側になって、これはすごいなと思った作品などはありますか?

トクマル:難しいですね。自分はこういうことをやりたかったんだなと思い返せたアルバムはありますね。僕はレス・ポールという人が大好きで、「レスポール」(というモデル)はギターとしてすごく有名なんですけど、レス・ポールという人自体が発明家として面白いんです。その人のアルバムを聴いた時に、これがやりたかったのかもなという発見があったんです。そもそも僕が(初めて)ギターを買った時に、なぜこんな形をしているのかとか、なぜギターは音が出るんだろうとかギターの構造自体に興味をもっていたんですけど、その構造を作った人のひとりであるレス・ポールの音楽がめちゃくちゃ面白くて、編集も凝っていたりしていたので、それは衝撃を受けた1枚かも。しかもある楽器フェアにたまたま来ていたレス・ポールと握手をして、2回くらいすれ違ったことがあって(笑)。その思い出もあって、いまだにすごく尊敬していますね。

出戸:それこそ最近、馬渕(啓)がミュージシャンの方のレス・ポールがいいとなぜか急に言い出したんだよ。偶然だね。じゃあトクマル・シューゴ・モデルのギターは作らないの?

トクマル:作りたい。木から作りたいですよね(笑)。

出戸:俺は何かなあ。ひとりに絞るのは難しいですね。

トクマル:ビートルズのあとに聴いていたのはなんだったの?

出戸:ベックとかニルヴァーナとか90年代のバンドだね。ベックが〈K〉レーベルから出してた流れでUSのインディは聴いていたけど、だから初期はUSインディの感じなのかな。ちゃんとしてない音楽がけっこう好きかも。ジョー・ミークみたいな感じの。〈K〉レーベル周りでも、ちゃんとしていないようでちゃんとしている人たちがいい。ジョー・ミークも演奏としてはちゃんとしているんだけど、どこかネジが外れているし、そういう音楽が好きかな。ひとりには決められないんだけど。

音楽を制作していく上で、技術的な部分や精神的な部分で、お互い似ていると思う点や、逆にここは全然違うという点はありますか?

トクマル:音楽に対する考え方というか、音楽に対する接し方が似ているとは少し思うかも。付き合う上でも楽だし、やっている音楽が全然違っても、互いに普通に接することができるのは、(音楽に対する接し方が似ているから、というのが)あるかも。

出戸:表面的なことで言えば、違うところのほうが多いのかもしれないけどね。

トクマル:なんでライヴをやろうと思ったの?

出戸:ライヴをやろうと思ってバンドをやり始めたね。

トクマル:そっか。初めてライヴをやったのはどこ?

出戸:もうなくなったけどトクマル君ともライヴをやった松本のホット・ラボというバーみたいなところで、高校生の時に(初ライヴを)やったね。

トクマル:文化祭とかじゃないんだ。

出戸:頼まれてギターでは文化祭に出たけど、歌ったのはホット・ラボが初めてかな。

トクマル:元々オリジナル曲をやろうということになっていたの?

出戸:そうそう。GELLERSはライヴをやろうと思っていなかったの?

トクマル:思ってなかったかも。いつも(メンバーで)集まっていて、たまたまみんながギターを買いだして、俺は参加していなかったんだけど、中学生の時に彼らが文化祭に出ると急に言いだして(笑)。文化祭に出るということはライヴをやるんだよ、と僕は言ったんだけど、それもよくわかっていなかったのかもしれない(笑)。ベースもギターもふたりいて、ヴォーカル、ドラムがいるという編成もよくわからないし、なんでも良かったのかもしれない。とにかくみんなで一緒にいたくて、僕も一緒にいたかったから照明として参加してた(笑)。(ライヴには)出てないんだけど、照明を良いところに当てていたね。だからみんなは違うのかもしれないけど、僕は別にライヴをやらなくてもいいし、一緒にいられるならいいやというバンドかな(笑)。グループ? サークル?(笑)

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めちゃくちゃ辛いんですね、登山。辛いし、登り始めるとやめたいと思うんですけど、でも上まで行って帰ってくると「また行きたいな」と思うようになっているのが、僕のアルバム作りとすごく似ていて。(トクマル)












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音楽をやっていて良かったことはなんですか?

トクマル:たいがい良かったことかもしれないですよね(笑)。悪かったことを探す方が難しいかも。音楽をやってなきゃよかった! ということはないかもしれないですね(笑)。音楽をやらなきゃ良かったな、と思う瞬間ってある(笑)?

出戸:うーん。なかなかないかもね。でもレコーディングからミックスまでひとりでやっていて辛くならない? たまにトクマル君げっそりしてるな、と思う時があるからね。

トクマル:単純に体力がなくてげっそりしているんだと思う(笑)。精神的にはずっと安定はしていて、面倒くさい作業はあるしそういうのは嫌になるけど、作ることにおいては別にストレスはなくて。

出戸:(トクマル君の)新しいアルバムを聴いて、表面上はアッパーで、賑やかな曲が多くて、大団円でみんなが肩を組んで「わーい」みたいな祝祭感があるんだけど、これをひとりで作ったと思うとちょっとゾッとするというか(笑)。そういう感じはして。

トクマル:たぶん、ひとりの世界に入り込むと鬱々としてきて暗くはなるよね。

出戸:普通はそうなりそうなのに、めちゃくちゃ人がいてすごく幸せな空間ができているじゃない。(トクマル君)本人も知っているからさ、あれが怖いよね(笑)。

トクマル:不思議なんですよ。自分でもそれはわからないですね。

音楽をやっていて困ることなどはありますか?

トクマル:僕は車とかで音楽を聴かなくなりましたね。ここ10年くらい同時に音楽を聴くことができなくなって、「ながら聴き」ができないんだよね。どうしても音楽に耳をもっていかれて疲れちゃう。同時にふたつ以上のことをやるのが苦手で、どうしてもコードとか音響とかを聴いてしまったりするんだよね。だから音楽を聴くときは、「よし、聴こう!」という感じで聴きますね。

出戸:俺も読書しながら音楽を聴くのが無理なんだよね。本が入ってこなくなっちゃう。あと、困りはしないけど、リサイクルショップとかレコ屋とかがあると寄っちゃうというのはあるね。それはバンドをやっている人はけっこう多いと思うんだよね。別に困りはしないんだけど、周りが困っているんじゃないかな(笑)。

トクマル:なるべくレコード屋を出戸君たちに見せないようにしないと(笑)。

音楽以外にやる趣味などはありますか?

トクマル:なんかある?

出戸:ない。

トクマル:ははははは(笑)。僕もね、なかったんですよ。最近ね、急に山登りを好きになってしまって。僕は機材がすごく好きで、道具がめちゃくちゃ面白いんだよね。そこには知らない世界が広がっていて、素材とかいちいち細かくて、機能性がすごいことになっていたりするのが面白くてしょうがなくて(笑)。

出戸:へえ。じゃあ最近はアクティヴになってるんだ。

トクマル:そう。前作を作った時に体がボロボロになってしまって、「これはいかん、なんとかしないとな」と思いながら何もしていなかったんだけど、今年急に思い立って「登山はいいな」と思ったね。

SPACE SHOWER TV ディレクター:登山のどんなところが音楽と通じますか?

トクマル:いろいろあるんですけど、まずは機材ですよね。機材がカッコいい(笑)。あとは計画を立てないと何も達成できないというところですかね。達成感も似たようなところがあって。めちゃくちゃ辛いんですね、登山。辛いし、登り始めるとやめたいと思うんですけど、でも上まで行って帰ってくると「また行きたいな」と思うようになっているのが、僕のアルバム作りとすごく似ていて。アルバム作り中はやっぱり、途中で辛くなるんです。作りたいけどやめたいというか、なんでこんなものを作ろうと思っちゃったんだろう、っていう。もっと簡単なものにしとけば良かった、とか思うんですけど。でもそれを目指したくなっちゃう。すごくエクストリームなものに対する憧れというか。(山の)頂上に着いても別に大した達成感はなくて、降りてきて安堵すると「ああ、良かった」ってなるのが、アルバム作りもそうなんです。完成して、(アルバムが)出て、一通りツアーが終わって、落ち着いて家に帰ってくると、「はあ、終わったー」ってなるのとすごく似ている(笑)。



トクマル君は、ひとりでここまでやるという忍耐力がすごいと思うので、そこは見習いたいような見習いたくないようなところではあるんですけど(笑)。(出戸)



僕は子どもの頃、自分の机に「忍耐」と書いたことがあって(笑)。(トクマル)

今度出るオウガの新作がセルフ・プロデュースで、トクマルさんもご自身でプロデュースされていますが、自分で楽曲をプロデュースするということの魅力や大変さを教えてください。

トクマル:元々(オウガで)セルフ・プロデュースをしたことはなかったんだっけ?

出戸:ファースト・アルバムの時は一応セルフ・プロデュースなんだけど、プロデュースもできていないというか、何もわからないで、エンジニアの人のそのままの音で録れているから、何も注文していないんだよね。セカンドは斉藤(耕治)さん、そのあとずっと石原(洋)さんとやってたから、本当の意味でプロデュースしたのは今回が初めてかもね。

トクマル:何が大きく違うの?

出戸:トクマル君にとっては当たり前なんだけど、全部の決断を自分でしなきゃいけないことだね。

トクマル:じゃあ全然外部に意見を求めたりしなかったの?

出戸:バンド内だけ(で完結)だね。あとはエンジニアの中村(宗一郎)さんとのやり取りだけだね。今までは(自分たちの)意見がそのまま通るにしても、プロデューサーのハンコが押されるか押されないかで気分が違っていたんだけど、今回はずっとハンコを誰にも押されないままずっと積み上げていかなきゃいけないから、トクマル君にとっては当たり前かもしれないけど、その違いはあったかな。だから(制作は)長くかかったね。

トクマル:最終的な決断は全員で「よし、これで行こう」という感じなの?

出戸:そうだね。基本的に俺と馬渕とエンジニアの中村さんがオーヴァー・ダビングの現場にいるから、その3人のうちの誰かが「ここどうなの?」と言ったら、また3人で考え出すという感じで、3人が良いと思うところを決めていったね。でも(トクマル君は)全部ひとりで決めるんでしょ?

トクマル:ひとりです。

出戸:でも、今回の最初のとっかかりみたいなものは違うんでしょ?

トクマル:そう。とっかかりはフワッとしたものがあって、それをチョイスしていくという方法で、むしろ今回はセルフ・プロデュースしなければ良かったなと思っていて。というのは、辛かったから(笑)。例えば、誰かが弾いてくれたものとか出してくれた提案をチョイスするんだけど、なんで俺はそれをチョイスしたんだろうという自問自答に入るというか、自分のセンスを疑うというか、そこですごく悩んでしまったんだよね。なんでこれが好きなんだっけなとか、本当に好きなのかなあとか思いながらやっていたかも。それはわりと辛くて、誰かが選んでくれたら楽だったのにとは思うけど、それをしたら自分の作品じゃなくなっちゃうからやらなかったね。

出戸:そもそもなんでそういう作り方にしたの? 異常でしょ、作り方が。

トクマル:うん。初めは、正直な話、楽をしたかった。でも、楽じゃなかった(笑)。バンドみんなで「演奏するぞ、せーの、バン!」で録って、持って帰って、それを出そうと思っていたんだけど、そんなにうまくいくわけはなくて、それ(録音素材)をチョイスして曲にするという作業になってしまったんだよね。

出戸:曲がなかった時点でレコーディングしたんでしょ? それ、どういう現場なのかすごく気になるんだけど(笑)。

トクマル:やっぱり無(の状態)ではあるし、僕の注文が「普段やっていないことをやってくれ」という感じだったから……

出戸:「普段やっていないこと」って言って、みんな何を演奏したの?

トクマル:(手で拍子をとりながら)とりあえずテンポを出して……テンポを出すときと出さないときがあって、出すときは(手拍子をしながら)「ハイ!」みたいな感じでやっていく。

出戸:キーとかも決まっているの?

トクマル:決まってない。音をくれ、という感じ(笑)。

出戸:それは勝手にアンサンブルになっていくの?

トクマル:ならないです。アンサンブルにする必要はないという感じにして。

出戸:(演奏するのと)同時に録っているの? 

トクマル:同時には録ってる。

出戸:じゃあ不協和音が鳴りっぱなしになっていたりするってこと?

トクマル:する。だから音楽って難しいんだなと(笑)。

出戸:でも、そういう過程を経ているけど、全体的にはトクマル君って感じになっているよね。今までのアルバムの流れではあるというか、ぶっ飛んで変なものになっているというよりも、ちゃんとその流れでトクマル君の新しいアルバムという感じになっている。

トクマル:わりと悩んだ挙句、自分がチョイスしたらやっぱり自分の曲になっちゃうんだな、と思う。それがやってみて面白い点だったかも。

出戸:編集権がある人が、結局いちばん個性が出るというか。

トクマル:オウガの新しいアルバムを(バンド・メンバーの)みんなで聴いたことがあって、うちのドラマーが気づいたんだけど、絶対にシンバルを打つだろうというところで「なんで打たないんだろう?」って話題になって。自制心が働いているのかわからないけど、「タカタカタカタカ、ツッツッタッ」って、「そこ(シンバル)打つだろう」というところで打たないんだ、って(笑)。ああいうのをどうやって決めているんだろうなと思っているんだけど。

出戸:レコーディングの最中とかプリ・プロの時点で決めているんだけど、今回はあまりはじけた感じにはしたくないと思っていて、ドラムがライド(シンバル)とかをバーンと叩くと空間が埋まっちゃうんだよね。それを補う音をあとで考えようと。ドラムって強力だから、ドラムのパーツを少なくしたり、スネアを入れない曲もあったりして、わざと曲を構成しにくいところから始めてみようと。それなりに全部(のパーツが)が(曲に)入ってしまうと、曲として安定感が出てよく聴いた感じのものになるから、それにはドラム(の影響)がけっこうデカいんじゃないかなと思って。当たり前のことをカットして。曲として成立するかしないかギリギリのところで止めようと。バスドラムとコンガだけとかあまり聴いたことがないから、そういうのはチャレンジでもあった。

トクマル:ドラマーとしてドラムを始めた人って、普通にシンバルを叩きたくなっちゃうよね(笑)。「タカタカタカタカ、ジャーン」みたいなやつね(笑)。

出戸:それはやりたがっていたけど、やめようということにしたね。

トクマル:バンドとしてそれが成立するのはカッコいいよ。

出戸:ドラムの音色も曲ごとに変えたりしたね。今回のセルフ・プロデュースというのは大変でしたね。

トクマル:オウガは1個1個の音がちゃんと作り込まれているから、聴き応えがあって。1音1音がちゃんと大切に作られているというのがすごくわかるアルバムだし、特に今回の(アルバム)は、なぜかはわからないけどすごく聴きやすくて。

出戸:エンジニアの中村さんのやり方なんだけど、あとで加工しないっていう。録ったときの音で、ミックスのときにEQをなるべくしない。よっぽどはまらない時はやるけど、音作りは基本的に録っているときに決める。今だとエフェクトとか、あとでリヴァーヴかけようとか、あとでディレイかけようとか、音色そのものをモジュレーションで変えたりするのかもしれないけど、それも全部その場で、エフェクターとかを通して音を作ってその場で決めていくというやり方にしたいって、中村さんに言われて。それですごく時間もかかったと思う、音色ひとつ選ぶだけで。音色選びの、機材繋ぎ直しの大変さ(笑)。音色がひとつ違うだけで急に本格的なレゲエっぽくなったり、こんなはずじゃなかったというくらい曲の像が変わったりして。1音でほどよい自分の思っていたフィールドに落とせるのか、全然違うレゲエのところにいっちゃうのかというのは、今回いろいろ試していて「ここまで違うのか」というのは発見としてあったなあ。

SSTVディレクター:自分にはない、相手から学びたい魅力は何でしょう?

トクマル:僕は(オウガの)メンバーが全員大好きなので、精神面的なことをわりと学んでいますよ(笑)。学んでいるというか尊敬するというか、いいなあと思うポイントがいっぱいあるかも。人柄的なこともあるし、近くにいて欲しいタイプのバンドではあるかもしれないです。

出戸:トクマル君は、ひとりでここまでやるという忍耐力がすごいと思うので、そこは見習いたいような見習いたくないようなところではあるんですけど(笑)。やったら最後、自分で耐えられるかわからないような追い詰め方をしている感じがするので、それは見習うべきなんだろうけど、近寄りたくないなという感じもある(笑)。

トクマル:僕は子どもの頃、自分の机に「忍耐」と書いたことがあって(笑)。

出戸:そりゃひどい(笑)。

トクマル:俺はこの十字架を背負って生きていく(笑)。

出戸:そういうのが好きなんだね。だからそういう意味だと登山は向いているんじゃない?

トクマル:たぶん向いているのかもしれない(笑)。

出戸:俺は「忍耐」とは机に書いてないなあ。書いていないし「忍耐」じゃないなあ。

トクマル:違うと思うよ(笑)。

※今回の対談の一部が動画としてSPACE SHOWER NEWSにて公開されています。下記よりチェック!

interview with Ogre You Asshole - ele-king


Ogre You Asshole
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 世界に激震が走った……とニュースが言っている。ブリグジットに次いでトランプ勝利という波乱。マスコミや識者の予想もあてにならないという事実も明るみになった。そんな世界で、オウガ・ユー・アスホールを聴いている。
 以下のインタヴューで、新作『ハンドルを放す前に』とは、何かが起こる前の感覚を表していると説明している。起きてしまったときの感覚ではない。起こる前の感覚だと。ぼくはこの話を聞いたとき、彼らに意図はなくても、それは現在の社会/自分たちの生活を反映しているのではないかと、そのときは思った。何かが起きることの手前にいる感覚。
 だが、どうして、なんで彼らは……アルバムには、“かんたんな自由”という曲がある。リバタリアンの台頭、リベラル弱体のいま、充分に深読みできる。「かんたんな自由に/単純な君が/関心もなく ただ立っている/(略)/なんだっていいよ/勘だっていいよ/なんてことになっている/そんな自由が/かんたんな自由が/こんな ピタッと合っている/そうやってここにも/だんだんといきわたり/問題になり出している」

 こうした世の中との関連づけは、バンドが望むところではないことはわかっているが、この音楽が、ただのお楽しみのためにあるとも思いたくはない。なにせ新作は、出戸学の歌がいままで以上に入ってくる。と同時にアルバムでは、これまで試みてきたオウガの実験が、じつに洗練され、開かれ、そして滑らかな音楽へと結晶している。
 誰がどう見たっていまはロックの時代ではないだろう。それをわかったうえで石原洋は自らの拭いがたきロックへの幻想──それはありきたりのロックの美学とは異なる極めて独特なヴィジョンではある──を彼らに托し、バンドはそれを受け入れたわけだが、吐き出し方はドライだった。ゆらゆら帝国よりもずっと乾いていた。とにかく、2011年という年において『homely』は、日本の他の音楽のどれとも違っていたし、それから『100年後』(2012年)があり、そして『ペーペークラフト』(2015年)と、石原洋とのロック探索作業は続いた。
 新作『ハンドルを放す前に』は、石原洋との3部作を終えてからの、最初のセルフ・プロデュース作である。いったい世界はどうなってしまうのだろう。とてもじゃないが“寝つけない”……、そう、“寝つけない”、それがアルバムのはじまりだった。

このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

石原洋さんがいなくなってから最初の作品ということで、逆に気合いが入ったと思うのですが、『ハンドルを放す前に』を聴いていて(石原さんが)いるのかいないのかわからないくらいの印象でした。アルバムはどのようなところから始まったのでしょうか?

出戸:この(前の)三部作はコンセプトありきで作っていたのですが、今回はプロデュースを自分たちでやるかどうかも考えていなくて。どういうコンセプトでやるかということも考えず、僕と馬渕で好き勝手に1曲ずつ作ってお互いに聴かせあうというところからはじめましたね。

ゴールを決めずに作ったんですね。その、ある種リラックスした雰囲気は音楽にも出ていると思います。

馬淵:好きな音像をどんどん作っていくというのが、レコーディングの前までにしたことですかね。

出戸:ただ、実際にセルフ・プロデュースということが決まったときからリラックスはしていないんですけどね。

馬淵:むしろ石原さんがいるほうが、石原さんがいるってことでリラックスしていたね。

はははは、そういうことか。

出戸:責任は自分たちに来るし、セルフ・プロデュースだとつまらなくなった、という話になりかねないじゃないですか。そういった意味で僕はいつもより気合いが入っていましたけどね。

最初にできた曲はどれですか?

出戸:ちゃんと歌詞までできたのは“寝つけない”かな。

この“寝つけない”って言葉はどこから来たのですか?

出戸:あまりコンセプトがなくて歌詞を書いていて……、最終的には自分なりにこのアルバムは『ハンドルを放す前に』という単語に集約されるとわかったんですけど、その前までは「なんで寝つけないことを俺が書くんだ」と深追いはせず、書きたかったから書いたという感じですね。最後に全部(曲が)できたあとでこういう分析をしてみたというのはありますけどね。

清水:どうでもいいですけど、出戸君はすごく寝つける人なんですよ。

(一同笑)

ああ、そういう感じですね(笑)。僕はその真逆で寝つきがとても悪いので、自分のことを歌われている気持ちになりました。

出戸:僕はめっちゃ寝るんですよね。

それは言われなくてもわかります。

(一同笑)

寝つけない現代人はとても多いと思います。これは風刺なんですか?

出戸:いや、そこは風刺してないですよ。何かがはじまる前に次の未来のこととか先のことを考えていて、いまリラックスできないって感じがあるじゃないですか。その感じがこのアルバム全体にあって、なにかの一歩手前の感じというか、そういうことを歌いたかったんじゃないですかね。

その“なにか”というのは前向きな“なにか”ですか? それとも後ろ向き“なにか”ですか?

出戸:僕のなかでそれはどっちでもないんですね。何かが起きる前の感じ、ってのがよくて、それがポジティヴでもネガティヴでも起こっちゃったら今回の作品のテーマじゃなくなっているというか。(なにかが)起こるちょっと前の感じ。注射を打ったときより打つ前のほうが打つときよりも怖い(感じ)というか、遠足に行く前の日のほうがワクワクするというか。そういう感じなだけで、それが感情の陰か陽かということはどっちでもいいんですよ。

はぁー。出戸君の歌詞はすごく独特じゃないですか。久しぶりに振り返って(オウガのアルバムを)聴いてみたのですが、歌詞を書く際のスタンスが基本的にはそんなに変わっていないのかなと思いました。“100年後”とか

出戸:大幅には変わっていないですけど、今回の“頭の体操”とか“移住計画”はいままでと違った書き方だと自分のなかでは思っています。いままでは行間に「クエスチョン・マーク」がつくような幅をもたせて想像力を湧かせるような書き方もあったんですけど、今回はまったく行間がなくて“頭の体操”のことをただただ歌っているというか、それ以上でもなくそれ以下でもない歌詞にしましたね。でもそれをやることによって、なんでそれを歌っているんだという大きい「クエスチョン・マーク」ができるということに気づいて、その2曲に関しては自分のなかでは、いままでとちょっと違った書き方なんです。

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あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね。


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みなさんは出戸君の歌詞に関してはどのような感想をもっていますか? 何について歌っているのか聞いたことはありますか?

馬淵:ありますよ。今回はけっこう(歌詞について)話していたかな。

出戸君の歌詞は二通りの捉え方があると思います。ひとつはシュールレアリズム的な捉え方と、もうひとつは世のなかに対するアイロニーという捉え方。「なんて屈折した世のなかの見かただろう」と思うような、後者の捉えられ方というのもとてもあると思います。“100年後”とかそうでしょう?

(一同笑)

「これまでの君と これからの君が 離れていくばかり」とか。たしかに出戸君本人が言ったように「クエスチョン」が立ち上がりますが……。

馬淵:勝浦さんは「自分のこと歌われている」って言っていたじゃないですか(笑)。

(一同笑)

アイロニーとして感じたことはないですか?

勝浦:たぶんもっと根っこの部分がそういう感じで、僕は本人(出戸)が思ってもいないままそういうふうになっていると思っています。だから本人は「アイロニーを歌ってやろう」とは思っていないと思います。

そのとおりだと思います。

出戸:だからいわゆるアイロニー的な感覚で作品で作りたいとはあまり思ってないんですよね。社会を風刺してやろうとかそういう思いはなくて、もっとフラットに作品をどうしようとか、この言葉の感じと歌を合わせたらいいなあとか、好みで選んでいるつもりなんですけどね。

“頭の体操”なんかは解釈次第では「なんて意地の悪い歌なんだろう」って思えるような歌詞でしょう?

勝浦:思わなかったですね(笑)。

馬淵:中村さんは言っていたけどね。

出戸:中村さんは「頭の体操をしろ」という上から目線の歌詞にも感じるって言っていました。

(一同笑)

出戸:そんなつもりはまったくないんですけど(笑)。

勝浦:なんてカッコ悪い歌詞を作るんだろうなあと思って、それがいいなと思ったんですけどね(笑)。“頭の体操”ってすごくカッコ悪い響きの言葉を使うのが出戸君らしいと思いました。

そうなんだ。世のなかを皮肉っているとしか言いようがないですけどね。

清水:本人は意識してないと思うんですけど、出戸くんには批判的な視線というのが常日頃からあると思うんですよね。わりと世のなかとか外界というものを批判的に見ているというか。

出戸:いや、自分に対しても批判的ですよ!

清水:出戸くん自身に対しても批判的だよね。なんというか外界をぜんぶ批判的に見ていて、そういう人だから、どうしても時代というものと無関係じゃなくなってしまうんです。今回のアルバムの何かがはじまる前の感覚というのも、いつからなのか、ずっとそういう時代が続いているのと無関係ではなくて。破滅しそうなしないような、ハッピーになるようなならないような、そういう中を生きてるような時代感があると思っていて。

ああ、そうですね、いま清水くんが言ったことは本当に頷けます。

出戸:俺はかなり楽観主義ですよ。そういった皮肉とか批判する視線もありますけど、半分はなんだかんだ良くなるかもしれないし、という気持ちもありますよ。

勝浦:どっちのスタンスかということじゃなくて、たぶん日常とか現実からの距離が人と違うんですよ。すごく離れているから、どっちの立場ということではないと思うんですよね。

清水:時代がどうなろうと確固とした自分があるから、出戸くんは揺るがないんだと思う。対象と距離が取れているから、現実がどう変わっていこうとそれを見つめ続けられる強さがすごく出てくるというか。そういう感じがするけどね。

3.11があって、ぼくはその年の夏に『homely』を聴いたんですよね。そのときのオウガは、日本がんばれとかいろいろあったなかで、ある種の居心地の悪さを絶妙な音で表現していたというか、その感じがぼくにはすごく引っかかったんですよね。クラウトロックとかなんとかいう註釈は後付けであって。

出戸:もちろんまったく関係ないとも思っていないですよ。社会とか、いまの時代の空気感と離れすぎてもいないですけど、野田さんが思っているほど近くないというか。どこがポイントなのか自分でもよくわからないんですけど。

歌詞を書くときはどういうところから書いていくのですか?

出戸:曲ありきで歌詞を書いていますけど、なにかひとつアイデアがあったらそれを元に絵を(頭に)浮かべて描いていくという感じですね。

『ハンドルを放す前に』というタイトルは、なにかが成し遂げられる一歩手前の感覚という話でしたが。

出戸:そうですね。でも感情とかそういう話ではなくて。ピサの斜塔って倒れそうだけど、多分あれを見て悲しいと思う人はいないじゃないですか。あんな感じのアルバムというか(笑)。

(一同笑)

勝浦:「運転する前に」じゃなくて「放す前に」なんだよね。

おかしい言い方ですよね。

出戸:「運転する前に」というか「放棄する前に」という(感じですね)。

でもその先には「放棄する」というのがあるわけですよね。

出戸:いや、それは放棄する予兆だけ、でまだハンドルは持ったままの状態でしかないです。このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

たしかになにも起こっていない感じはすごく音に出ていますね。でもなぜそのなにも起こっていない感じをこんな緻密な音楽で表現しようとしたのですか?

(一同笑)

出戸:そういう置物が好きだったとしか言えないですね。ちゃんと立っているやつより、斜めに立っているものが欲しかっただけです。

それはわかりやすく言ってしまうとオウガ的なメッセージというか、すごくオウガらしいですよね。ロックというのは常になにかが起こっていなければいけないし、常に物語があるじゃないですか。それは彼女との出会いかもしれないし、あるいは社会であるかもしれない。とにかくなにかが起きているということに対して、本当になにも起こっていないというスタンスですよね。

出戸:でもさっきの注射を打つ前の話とか遠足に行く前の日の話とかのように、予兆というのはいちばん重要なポイントなんじゃないかと思っていますね。

勝浦:SF映画で宇宙人が出てくる前は良いけど、出てくるとがっかりするとか、狂気の前のなにかが起こりそうな感じとか、たしかにそこが一番ピークといえばピークだよね。

出戸:ピークだし表現のしようがある場所というね。

なるほど。今回のアルバムは歌メロが違うのかな、と感じたのですがどうでしょうか?

出戸:あまり意識はしてないんですけど、これまでの三部作より全体のミックスで歌が大きくなってます。

1曲目(「ハンドルを放す前に」)や“はじまりの感じ”、“移住計画”といった曲にあるようなメロウなメロディはいままであまりなかったじゃないですか。

出戸:そうですかね、“夜の船”とかありましたよ。

簡単な言葉で言ってしまうと、“はじまりの感じ”はとてもポップな曲に思えたし、そこは今回挑戦した部分なのかと思ったのですが、どうでしょうか?

馬淵:“はじまりの感じ”は、もともとシングルに入れたヴェイカント・ヴァージョンの方をアルバムに入れようと思っていたんですけど、(結局入れたのは)わかりやすいアレンジのほうになりましたね。アルバムに入れた“はじまりの感じ”が、今回では一番バンドっぽいですよね。普通のロック・バンドがやっている演奏って感じの曲ですね。でも出戸のメロディに関しては、結局あまり変わってないと思うんですけどね。あとは歌がシングルっぽいですよね。

それは録音としてでしょうか?

出戸:録音ですね。いままではダブリングといって2回録音した歌を重ねてにじんだ声にしてヴォリュームも小さかったのが、(今回は)歌が生々しくて、わりとにじみが薄くて1本でドンとある感じで(ヴォリュームも)でかいという歌に耳がいっちゃうような作り方になっていますね。

それには出戸君の歌を聴かせたいという意図があったのでしょうか?

出戸:最初はいままでどおりのミックスで進んでいたんですけど、最後のほうで中村さんから「もうちょっと歌(のヴォリュームを)上げてみませんか」という提案をもらって、それで上げてみたらそっちのほうが奇妙で面白かったという感じです。いままで聴きなじんで当たり前だったものよりも新鮮に聴こえたというか。

馬淵:バックが無機質で上モノの音とか飛び出してくる音が少ないんですよ。そこに声を(上げて)入れてみたらバコンときたから、その対比が面白かったんです。

出戸君の歌詞というものをさっ引いて音としてメロディを聴くと、「お、いいヴォーカルじゃん」と思いました。ある意味でオウガのスタイルというものを作り上げている感じはするのですが、今回のアルバムは人によって好きな曲がバラけるのかなという感じもしました。メンバーとしてはどの曲が好きなのですか?

出戸:僕は「はじまりの感じ」のシングルにしか入っていない(アルバムから)外されたヴァージョンが好きでしたけどね。

(一同笑)

清水:詞とか含めて3曲目が好きかなあ。あとは“寝つけない”も好きかな。曲調がバラバラだから、どっちが良いってのは考えにくくて、全部好きなんですよね(笑)。個人的に今回はどれも違う味で、どれも美味しいという聴き方ができるんですけど。あえて言うなら“寝つけない”とか“なくした”が好きって感じです。単純に自分の好みですね。

勝浦君はドラマーの立場からどうでしょうか?

勝浦:僕は最初に馬渕君が“寝つけない”のデモが来たときから、今回はうまくいくなと思ったんですよね。あとは4曲目の“あの気分でもう一度”もメロウで好きですね。

馬渕くんは?

馬淵:僕も“寝つけない”ですね(笑)。いい曲ですね。

では“寝つけない”が最初にシングル・カットされたのは、みなさんが好きだったかななんですね。

出戸:そうですね。最初にできたからというのもあるし。

馬淵:12インチだったしね。

清水:みんなが(“寝つけない”を)好きというのが、いま明らかになったね(笑)

出戸:そうだね(笑)。

これまでは石原さんがいたからソースとして頼りになっていたことがあると思うのですが、今回のアルバムを作っていくなかで音楽的にどのようなところからインスピレーションを得ていたのでしょうか?

出戸:最初にコンセプトをもうけていないから、普段自分たちがいろいろ聴いて消化したものが出てきているので、これという取っかかりになったような作品は、バンド内であまり出てきていないですね。日常生活であれがいい、これがいいというものはあるんですけど。なにかあります?

馬淵:モンド感とかエキゾ感を散りばめようとか、そういったようなことはチョロっと話したような気がするけど。

勝浦:たしかに最近馬渕君の車に乗るとエキゾっぽい曲がかかっている気がするね。

馬淵:あと僕はバンドがやっているという感じではなくて、人がいなくて機械がやっている感じがいいなと思っていました。ちょっと冷めていているけど、ロボット達が血の通ったことをやろうとしているような感じをイメージしてましたね。

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石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど、もともとオウガが強く持っているものではないから、今回はペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Indie RockKroutrockExperimental

Amazon

どのバンドも長いことやっているとマンネリズムの問題があると思うのですが、オウガはそういうようなことはなかったのでしょうか?

出戸:昔はそんな感覚もありましたね。でも『homely』以降はないですね。“ロープ”をライヴでやりすぎて飽きてくる、とかはありましたけど(笑)。レコーディングに関しては新曲をもってくるときに「またその曲かよ」とみんなのテンションが下がることはいまのところないと思います。

清水:今回の新譜のために曲作らなきゃという話をふたりがしはじめてから、ボツになった曲がけっこう沢山あるんですよね。ライヴでやってからボツになった曲もあるし、練習だけしてやらなくなった曲もけっこうありました。でも、二人からたくさん(曲が)出てきて、それが尽きないという感じがあった。そこからどんどん削ぎ落としていくという作業が、僕の知っているなかではいちばん激しかったと思います。だから、すごく磨きこまれた感じがあるんですよね。曲が採用されるまでに戦いがあったというか。

馬淵:勝浦さんとのね。

(一同笑)

清水:やってみて、「これはやめたほうがいいんじゃない?」ってことはあったよね(笑)。

バンドを続けていくうえでのモチベーションは『homely』の頃から変わっていないですか?

出戸:そこはまだ疑問視もしてないくらい。

(一同笑)

焦りもない(笑)?

出戸:あるはあると思うんですけど……。それはありますよね。

清水:でもはたから見ていると出戸くんも馬渕くんも曲作りとかで困る状況をけっこう無邪気に楽しんでいるというか(笑)。

出戸:あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね(笑)。

(一同笑)

それは長野にいるということも一つにはあるのでしょうね。

出戸:住んでいるからというか、だから長野に住めるんだと思いますけどね。もっとガツガツしていたら東京にいなきゃダメでしょということになって、(長野に)いれないと思いますよ。なにもない日々が続く感じなので。

(一同笑)

オウガは音楽的を追求するバンドですが、音楽リスナーのみんながそこまで音にこだわっているわけではないですよね。そういったことに不満やストレスといったものはあるでしょう?

馬淵:僕はないですね。リスナーの人もそうだけど、好きに聴いてもらえればいいと思っているし、わかってほしいと思う近しい人に伝わっていれば満足できるというか、自分がすごいと思っている人にいいと言ってもらえたら嬉しいというのはありますけどね。どう?

出戸:うーん……。

この沈黙はやっぱりちょっと思っているところがあるんだ。

(一同笑)

清水:ふたり(出戸、馬渕)の作品作りは、すごくよくできた椅子とかコップとかを作っているのに近いなと思っているんですね。飾り気もないんだけど実用性はあって、歴史も踏まえていて、いまの時代にあって日用雑貨として使いやすいんだけど奇をてらっていなくて、そんなふうに考えてキッチリ作られた家具とか、そういうものに近い感じがしてて。色々踏まえてきっちり作ってあるから楽しむ人は楽しんでくれるし、合わない人もいるとは思うけど、作った職人さんは「合わないよね」くらいに思うだけで、ただいいものを作ろうとして作っているだけだという。だからユーザーに対する不満なんか、職人さんは特に持ってない。そんな境地じゃないの?

出戸:大衆に向けて作ろうとしていないと言っているけど、それよりさらに(対象が)狭いかも。信頼している人が何人かいるからそういう人たちの顔は見えるけど、あとは自分のなかで(完結していて)、外部といったら10人くらいかな。「あの人はどう思うのかな」というのはちょっと思ったりしますけど。野田さんの話もたまに出ますよ。

馬淵:これは野田さん嫌いでしょ、みたいな(笑)。

(一同笑)

出戸:これは野田さんが好きそうとか、よく名前は出てきますよ(笑)。知っている人の範疇でしか想像できないからね。

清水:でもその向こうにはいっぱい人がいるわけでしょ? 野田さんの向こうにはいっぱい人がいて、その集約として野田さんがいるという感じがしますよね。

出戸:そういう意味ではお客さんに対しては(不満は)ないですけど、ライターの人とかにちょっとイラッとするときはありますね(笑)。でもそれはこっちの説明不足というのもあるし。多分誰しもがあることですよね。

さきほどアイロニーの話をしたときに出戸君が「自分に向けても」と話していましたが、歌詞のなかに自分が出てくることはあるのですか?

出戸:自分が出てくることもありますね。自分の気分が歌詞になっているから、舞台に自分を立たせているかはわからないですけど、歌詞の感じが自分の気持ちに似た雰囲気をもっていると思いますね。だから登場人物として自分がでてくるというニュアンスよりも、監督としているという感じかな。

自分のエモーションを歌うということはありますか?

出戸:ないかも。感情の出し具合というのもあると思うんですけど、すごく号泣している人を見ても一緒に泣けないというか、むしろ引いちゃう感じがあるじゃないですか。でもロボットが泣いていると「どうしたんだ」と思う感じもあるというか。

清水:ええ(笑)?

出戸:俺はそういう感じ(笑)。

清水:そもそもロボットが泣いているというシチュエーションがすごい(笑)。

勝浦:出戸くんはあんまり情動がないんだと思います。短期間の激しい上がり下がりはなくて、長くてゆるやかな変動はあるけど気分という感じなんですよ。歌詞も気分はよく出てくるけど、感情とかそういうのは歌詞に出てこないですよね。波風が立っていない海みたいな、そういうイメージですね。

はははは、すごいイメージ(笑)。勝浦君が一番付き合いが長いのですか?

勝浦:いや、馬渕君ですね。

馬淵:高校から(の付き合い)ですね。

ずっとこういう感じでした?

馬淵:いや、どんどん冷静な感じになっていますね。

(一同笑)

さすがに高校時代はそうでもありませんでしたか?

馬淵:それは若いからいまよりありましたけど、みんなそうでしょ? まあ、でも冷静ですよね。

勝浦:冷静すぎて腹が立つときもあるよね。

(一同笑)

勝浦:なにか言ってすごくまともな答えを返されたりして、合っているんだけどこっちがすごくみっともない感じがして(笑)。もうちょっと動揺してよ、と思うくらい安定しているというんですかね。

内に秘めているタイプですよね。

出戸:でも勝浦さんを見ていて「すぐ怒るなあ」と思うけどね(笑)。

(一同笑)

勝浦:この感じなんです(笑)。

勝浦君は感情の起伏が激しいのですね。

勝浦:僕は情動ですね。

清水:二人とも極端で、どっちも普通じゃないというか(笑)。

ちょうどバンド内のバランスがとれているのですね(笑)。ドラムはとてもミニマリスティックなのにね。さて、これまでコンセプチュアルな作り方をしてきて、今回のアルバムはゴールを決めずに作ったような話でしたが、最終的になにをゴールとしたのか、どうやってアルバムをまとめあげたのでしょうか?

出戸:最後まで曲順を決めるのに難航してどの曲順もしっくりこない感じがあって、曲を入れかえたり、アレンジが違うものを入れかえたり、曲をボツにしたり、削ったり尺を変えたり、最初に好き勝手に作った分まとめるのに苦労したんですけど、「ハンドルを放す前に」を1曲目にしたところからようやくまとまりそうな気配がでてきたという感じでした。それ以前はなにがどうなるのか、自分たちでもよくわからなかったですね。

どうしてアルバムができるまで2年かかったのでしょうか?

出戸:レコーディングのスケジュールを長めに取ったりしていたら、自然とそうなったんですけどね。

ではとくに難航したということでもなく?

出戸:レコーディングはもともと1ヶ月半くらいで終わる予定だったんですけど、さらにその倍の時間がかかってしまいましたね。(今回は)最初から音決めを丁寧にやっていて、ずっと中村さんに「これで本当に終われるんですか?!」って言われてたよね(笑)。

(一同笑)

出戸:(それくらい)丁寧にやっていたので、難航したというよりも積み重ねるのに時間がかかったという感じですね。

ひらたく言えば、前作より聴きやすいアルバムになったと思います。それは意図せずそうなったのでしょうか? 前作が実験作であったので、比較するのも変な話ではあるのですが……。

出戸:ミックスの感じで聴きやすくなっているというのはあるよね。いままでは聴き手側が「聴くぞ」と思ってちゃんと(聴き)取りにいく感じがあったと思うんですが、今回ももちろんそういう聴き方もしてほしいんですけど、そうじゃない聴き方でも聴けるミックスになっていると思いますね。

なんかリラックスしているというとそれは違うという話ですが、たとえば、“見えないルール”のような曲のテンションとは違う感覚を打ち出しているアルバムですよね。

清水:たぶん(三部作とくらべて)悲壮感が薄いんです。石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど。(その悲壮感は)もともとオウガが強く持っているものではないから、(今回のアルバムは)ペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。だから、リラックスしたわけではないんだけど、比較的リラックスしているように聴こえるのかなと思いますね。(今回は)悲観でも楽観でもない中間に浮かんでなにもない真空みたいな感じになっていると思うんだけど。意識としてはリラックスはあまりしてないよね? 

出戸:でも重くしたくないというのはありましたよね。重くて大仰じゃないアルバムを作りたいと思っていましたね。

清水:最後の曲順とかアレンジを考えているときまでそれは話していたよね。重くなりすぎないようにとか、大仰にならないようにとか、(曲が)ほとんどできて並び替えとか曲の長さを決めているときにも話した気がする。

なぜ?

出戸:今までと違うことをしたかったからですよね。

(一同笑)

なるほど。じゃあそんなところでいいかな。

(一同笑)

『homely』はしばらく聴いていないですよね?

出戸:レコーディング中に聴きました。

あのアルバムをいま聴くと、ずいぶんトゲがありますよね。それに比べると、今回のアルバムはすごく滑らかなサウンドですよね。

勝浦:この前ちょっとひさしぶりに(『ハンドルを放す前に』を)聴いたら、おこがましいんですけどヨ・ラ・テンゴのような雰囲気を感じて、それが野田さんのおっしゃっているリラックスというかスルメっぽい感じというか、表面のゴテゴテがなくて、いままでより奥にあるものに近づいた感じがしていて。

カンでいえば『フロウ・モーション』ですよね。

勝浦:こういう感じでやれたら長くい続けられるんじゃないかなと思ったんですよね。

出戸:「後期のカンっぽい」って言っていう感想もあったなあ。

オウガもいよいよ成熟に向かったかという感じで。

出戸:残念ですか(笑)?

もっと成熟していくように思いますね。

勝浦:みんなですごくたどたどしくやっているという感じで、そのたどたどしさを僕はいいと思うんですよね。ああいう成熟した人たちって演奏もうまいし、かたちになっているんですけど、自分たちのはインディーズ感がありつつ落ち着いているというのが面白いバランスだと思いましたね。

(了)

アルバム発売記念・全国ツアー・14公演
「OGRE YOU ASSHOLE ニューアルバム リリースツアー 2016-2017」

11/26(土)  仙台 Hook
11/27(日)  熊谷 HEAVEN’S ROCK VJ-1
12/03(土)  札幌 Bessie Hall
12/09(金)  長野 ネオンホール
12/10(土)  金沢 vanvanV4
12/11(日)  甲府 桜座
12/16(金)  岡山 YEBISU YA PRO
12/17(土)  広島 4.14
01/14(土)  福岡  BEAT STATION
01/15(日)  鹿児島 SRホール
01/21(土)  名古屋 CLUB QUATTRO
01/22(日)  梅田  AKASO
01/28(土)  松本  ALECX
02/04(土)  恵比寿 LIQUIDROOM ※ツアーファイナル

interview with Nicolas Jaar - ele-king

E王
Nicolas Jaar
Sirens

Other People/ビート

Post-PunkAmbientExperimental

Amazon Tower

 ドナルド・トランプの衝撃が全世界を覆っている。もう何がなんだかわからない。ただただ憂鬱である。そんな暗澹たる気分のなか、ニコラス・ジャーから返ってきたインタヴューの原稿を読んだ。メールで質問に答えてくれた彼が、とてもキュートな絵文字を使っていることに、少し救われたような気分になった。以下のインタヴューのなかで彼も触れているが、ポリティカルなこととパーソナルなことは、相互に影響を及ぼし合っている。これほどの出来事があって、「さあ、また明日から頑張りましょう!」と簡単に割り切れるほど、僕は強くない。他の人がどうなのかは知らないけれど。

 オリジナル・アルバムとしては5年ぶりとなるニコラス・ジャーの新作は、前作『Space Is Only Noise』とはだいぶ異なる雰囲気に仕上がった。とはいえ、様々な要素を折衷するスタイルそれ自体は前作から引き継がれている。“Killing Time”や“Leaves”はエクスペリメンタルであり、アンビエントである。“The Governor”や“Three Sides Of Nazareth”にはポスト・パンク的な態度があり、さらに前者にはドラムンベース的なギミックも忍び込まされている。“No”はレゲエを、“History Lesson”はドゥーワップを取り入れているが、ともにラテン・ミュージックの空気が貼り付けられている。このようなコラージュ精神こそがニコラス・ジャーの音楽を特徴づけていると言っていいだろう。多様であること、あるいは多文化的であることの希求。ニコラス・ジャーが移民の子であることを思い出す。

 そういった果敢な音楽的実験とともに、このアルバムからは非常にポリティカルなメッセージを聴き取ることができる。たとえば“Killing Time”では人種や階級の問題が言及され、“Three Sides Of Nazareth”ではチリで起こった虐殺の風景が歌われている。そんな本作を初めて聴いたときに僕は、ニコラス・ジャー自身の過去の作品よりも先に、ある別のアーティストの作品を思い浮かべてしまった。
 今年の春にブライアン・イーノがリリースしたアルバム『The Ship』は、タイタニック号の沈没と第一次世界大戦を参照することで、現在の世界情勢と向き合おうとする作品であった。今回のニコラス・ジャーのアルバムは、音楽性こそ異なれど、テーマの部分で、そしてその物語性において、『The Ship』と通じ合っている作品だと思う。何より、『Sirens』というタイトル。サイレンとはもちろん、「警告」を意味する信号として機能する音のことだが、その語源はギリシア神話に登場する海の怪物である。セイレーンはその歌声で船員を惑わし、船を難破させる。つまりセイレーンとは、歌で人類を混乱させ、困難へと陥れる存在なのである。『The Ship』と『Sirens』という、40歳以上も歳の離れたふたりがそれぞれUKとUSで独自に作り上げた音の結晶が、船や海といったモティーフを介して、まさにいま響き合っている。このふたつのアルバムはそれぞれ、ブレグジットと大統領選挙というふたつの出来事にきれいに対応しているのではないか――少なくとも僕は、そういう風にこのふたつの作品を聴き直した。2016年とはいったいどういう年だったのか――この2作の奇妙な繋がりこそがそれを物語っているような気がしてならない。

 そして、このニコラス・ジャーのアルバムには、「父」というパーソナルなテーマも織り込まれている。今年はビヨンセやフランク・オーシャンなど、ポリティカルであることとパーソナルであることを同時に成立させてみせる名作が相次いでリリースされた。ニコラス・ジャーのこのアルバムもまた、それらの横に並べられるべき作品のひとつである。
 ひとりのリスナーとして、ポリティカルなこととパーソナルなことの響き合いを、どのように聴き取っていけばいいのか。ひとりの生活者として、ポリティカルなこととパーソナルなことの重層的な絡み合いに、どのように折り合いをつけていけばいいのか。それはとても難しい問題で、僕自身もまだ答えを見つけられていない。でも、まさにこのタイミングでこのアルバムを聴き返すことができて、本当によかったと思う。
 返信をありがとう。

 愛をこめて。

 コバ

俺も自分の音楽がポリティカルになるとは想像していなかった。ただ、自分に素直でありたいと思い、自分の中に新たに生じた難しい感情に対応したいと思ったんだ。

ビヨンセの新作や、昨年のケンドリック・ラマーのアルバムは聴いていますか?

ニコラス・ジャー(Nicolas Jaar、以下NJ):聴いてるよ。

かれらのように、一方で音楽として優れた作品を作ることを目指しながら、他方でポリティカルなメッセージを届けようとするスタンスに、共感するところはありますか?

NJ:ふたりとも、ポリティカルなことをパーソナルなことに(そしてその逆もまた同様に)うまく転換させることができる素晴らしいアーティストだと思う。それは素晴らしい技術で、俺もいつか自分の作品でそういうことを成し遂げたいと思う。
 チリでのクーデターの時、軍に虐殺されたチリ人のシンガーソングライター、ビクトル・ハラはこう言っている。「全ての音楽はポリティカルだ。たとえノンポリティカルな音楽であっても」。
 この言葉は本当だと思う。たとえラヴ・ソングでも、文脈や曲が作られた時代によって、猛烈にポリティカルなものになりうる。結局のところ、目を見開いていれば、自分の部屋の中にも、窓の外にも、愛と憎悪があるということがわかるんだ。

このたびリリースされた『Sirens』は非常にポリティカルです。たとえば“Killing Time”では、アフメド・モハメド少年やドイツのメルケル首相の名が登場し、人種や階級、資本主義といった問題について触れられています。あるいは“Three Sides Of Nazareth”では、ピノチェト政権下のチリで起こった虐殺の風景が歌われています。正直、あなたがここまでポリティカルな作品を世に送り出すことになるとは想像していませんでした。あなたが作品にポリティカルなメッセージを込めるのは、おそらく今回が初めてだと思いますが、何かきっかけとなるようなことがあったのでしょうか?

NJ:俺も自分の音楽がポリティカルになるとは想像していなかった。ただ、自分に素直でありたいと思い、自分の中に新たに生じた難しい感情に対応したいと思ったんだ。たとえば『Sirens』以前は、自分の音楽に「怒り」や「苛立ち」を込めるということはしなかった。でも自分が成長するためには、そういった感情を含めていかなければならないということに気づいた。たとえそれがどんな結果になってもね。『Sirens』は俺が成長するために、自分に必要だと感じた「自由」から生まれたアルバムなんだ。

ニューヨークで生まれたあなたにとって、チリとはどのような国なのでしょうか? また、かつての独裁政権下のチリの状況と現在のアメリカの状況に共通点があるとしたら、それは何でしょう?

NJ:現在のサンティアゴには、マイアミやロサンゼルスにすごく似ている場所もある。軍隊はアメリカの資本主義導入に成功したってわけさ。共通点を挙げるのであれば、保守主義が幽霊のようにジワジワと忍び寄ってきて、文化左派が戦いに負けてしまった状態にときおりなっているという点かな。

本作の全体的なムードは前作『Space Is Only Noise』とはだいぶ異なっていますが、様々な音楽的要素を折衷すること、多様であろうとする部分に関しては前作から引き継がれているように感じます。様々なジャンルやスタイルをコラージュしたり混ぜ合わせたりすることは、あなたが音楽を制作する上でどのような意味を持っていますか?

NJ:曲のひとつひとつが小さなストーリーになっていてほしい。俺は、インクの色よりもストーリー・アークの方に注目する方が好きだ。

“The Governor”や“Three Sides Of Nazareth”からはポスト・パンク的な要素が感じられます。スーサイドのようにも聞こえました。先日アラン・ヴェガが亡くなりましたが、彼の音楽からは影響を受けましたか?

NJ:もちろん影響を受けたよ。アラン・ヴェガのエネルギーは今の時代にとてもフィットしていると思う。だから彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。彼は、抵抗音楽における重要な言語と青写真を作り出した人だと思う。

昨年〈Other People〉からリディア・ランチの作品集がリイシューされました。楽曲的な面やアティテュードの面で、彼女から受けた影響があったら教えてください。また、彼女以外にも、『No New York』や〈ZE Records〉など、ノーウェイヴのムーヴメントから受けた影響があったら教えてください。

NJ:リディア・ランチが、ベルリンの壁崩壊後にベルリンでおこなった『Conspiracy Of Women(女性の陰謀)』というスポークン・ワードのパフォーマンス映像を、いつだったか偶然発見したんだ。それに夢中になり、その後何年かはそのパフォーマンス音声を自分のDJセットに入れてプレイしていたよ。
 (昨年)このパフォーマンスの25周年になるということに気づいた俺は、彼女に連絡を取り彼女と会った。彼女はリリースを承諾してくれ、それ以来、俺たちは近しい友人になったんだ。彼女にはすごく影響を受けているよ。俺が、俺自身であることを受け入れられるようになったのも、言わなきゃいけないと思うことを言えるようになったのも、彼女のおかげだ。

“The Governor”からはドラムンベース的な要素も感じられます。あなたの音楽が最初に広く受容されたのは、主にダブステップが普及して以降のダンス・ミュージック・シーンだったと思いますが、90年代のダンス・ミュージックから受けた影響についてお聞かせください。

NJ:俺の中で“The Governor”は、絶対ヘビメタなんだけど! 😂

いくつかの曲ではあなたの「歌」が大きくフィーチャーされています。それは本作がポリティカルであることと関係しているのでしょうか? そもそも、あなたにとって歌またはヴォーカルとは何ですか? 他の楽器やエレクトロニクスと同じものでしょうか?

NJ:最近は、ソングライティングという概念により興味を持つようになった。プロダクションは「ファッション」的な感じがベースになっているけど、ソングライティングはそういう感じから逃れることができると思う。「存在」というものに興味があるんだ。レコーディングに声を入れるのは、そこに命を加えるようなものだと思う。

本作は『Nymphs』と『Pomegranates』の間を埋める作品だそうですが、ということは、本作にも何かのサウンドトラックのような要素、あるいは役割や機能があるのでしょうか? たとえば、本作はいまのアメリカのサウンドトラックなのでしょうか?

NJ:そうかもね!(笑) 今まで、「テクスト」とコンテクスト(=文脈)が欠けていたと思う。『Nymphs』や『Pomegranates』は、その時の俺にとっては閉鎖的すぎると感じたのかもしれない。

前作『Space Is Only Noise』は2011年の2月にリリースされましたが、その直後、日本では大きな地震と原子力発電所の事故がありました。日本の一部のリスナーは、あなたの前作をそのような状況のなかで聴いていました。あなたの作品が、意図せずそのような状況のサウンドトラックとして機能することについてはどう思いますか?

NJ:そのような状況だったとは知らなかった。作品がアーティストの手を離れ、リスナーに届いた時点で、それはリスナーのものになると思う。俺が音楽を作るのは、俺が自分の感情に対応するために必要だからだ。音楽を作っているときだけ、俺は自由で幸せになれる。俺の音楽が、人びとの人生のサウンドトラックになっているのであれば、それがどんな結果であれ、光栄に思う。俺の音楽が人々の感情にとって、何らかの役に立っていれば嬉しい。

“Killing Time”や“Leaves”など、本作にはアンビエントの要素もありますね。あなたは3年前に、ブライアン・イーノの“LUX”をリミックスしています。彼が発明した「アンビエント」というアイデアについてどうお考えですか?

NJ:☁️☁️☁️✨

彼は音楽制作を続けるかたわら、イギリスの労働党党首を支援したり、シリアへの空爆反対のデモに参加したりしています。そうした彼の政治的な態度や行動についてはどうお考えでしょうか? あなた自身もそういった活動をする可能性はありますか?

NJ:政治的な活動はあくまで個人的に、プライベートな時間におこなうようにしている。自分の行動全てをソーシャルメディアで公開することはしたくない。デモに参加するとしたら、市民として参加するのであり、ミュージシャンとしてではない。

イーノの最新作『The Ship』は聴いていますか?

NJ:聴いている。

日本では多くの場合、音楽が政治的であることは歓迎されません。あなたは2年前にDARKSIDEとして来日し、フジロック・フェスティヴァルに出演していますが、今年、そのフェスティヴァルにSEALDsという学生の社会運動団体が出演することが決まったときに、「音楽に政治を持ち込むな!」という議論が巻き起こりました。あなたは、音楽と政治はどのような関係にあると考えていますか? あるいは、音楽が政治的であることとは、どのようなことだとお考えですか?

NJ:音楽は、時代について語ったり、信条に疑問を感じたり、考え方を覆したりするようなものであるべきだと感じる時がある。
 だが、別の時には、音楽は俺たちを癒してくれるもので、ニュースの見出しや過剰なもの、ダークなものから俺たちを逃してくれるべきだと考える。
 それは難しい質問だから、俺自身もまだ答えを見つけていない。
 質問をありがとう。

 愛をこめて。

 ニコ

KO UMEHARA (Komabano Oscillation Lab) - ele-king

現場でお世話になったトラック10選

KO UMEHARA (Komabano Oscillation Lab)

静岡県出身東京在住のDJ兼トラックメイカー。
ShuOkuyamaとのレーベルKomabano Oscillation LabやDJ WADAとのレギュラーパーティー『Contatto』、屋内型フェスティバル『Synchronicity』のレジデントなどの活動を中心に全国各地様々なパーティーをDJ行脚中。
2016/11/19にDJ WADAとのパーティー『Contatto』@ Forestlimit第6回目の開催!

https://contatto.jp

年末から年明けにかけてリリースが続きます、ぜひチェックしてみてください!
.Now On Sale
Ko Umehara - Reality Recomeposed by TCM-400 / Mastered Hissnoise

https://libraryrecords.jp/item/203147

・2016/11/11 Release
Ko Umehara - Happy 420 Tour 2015 To 2016 / Mastered Hissnoise

https://www.msnoise.info/

・2016/11/16 Release
CD HATA & MASARU - Octopus Roope / Hinowa Recodings

01. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Original Mix)
02. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Ko Umehara Remix)
03. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Hentai Camera Man Remix) 04. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (DJ Doppelgenger Remix) 05. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Frangipani Remix)
06. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Hydro Generator Remix) 07. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Matsusaka Daisuke Remix)
https://hinowa.jp/

TOYOMU - ele-king

 ネットで好き勝手やっている古都在住のポスト・モダニスト、TOYOMUが、星野源、カニエ・ウエストに続き、今度は勝手に宇多田ヒカルを●●●して話題になっているところ、デビューEPに先駆けてMVが公開された。これを見ながら彼のEPを妄想しましょう。

■TOYOMU / EP 『ZEKKEI』

2016年11月23日発売/ TRCP-208/ 定価:1,200円(税抜)

この10年、スポーツバイクは人気の趣味/人気のスポーツとして定着している。オランダ、ドイツ、北欧、イギリスのように、自転車が安心して走れる都市の道路の再整備は、いまでは先進国のトレードマークでもある。日本も安いママチャリの時代から脱し、最近では、少々値は張るが性能的に優れたスポーツバイクに乗る人たちの姿が日常的に見られている。気合いを入れて、ぴっちりしたレーサージャケットに、もっこりしたレーサーパンツ(通称レーパン)を履いて、ロードバイクを漕いでいる人たちの姿は珍しくない。しかし、それって本当に正しい乗り方なのか? ロング・ライドはどこまで健康に良いのか? ダイエットに良いって本当なのか?

ベンディングペダルにすれば引き足も使えるなんていうのは幻想だって? そもそも自転車を楽しむのに、なんで服からアクセサリー、細かいパーツまでプロの真似をしなければならないのか? 自動車を楽しむ人たち、スキーが好きな人たち、みんなプロの真似をしていないのに、なんで自転車乗り(バイクライダー)だけが何でもかんでもプロの真似をしているのか。それってどこかおかしくないかい?

長年自転車業界で仕事をしている著者=グラント・ピーターセンが、サイクリング文化の間違いを説く。自転車を乗る上でのすべての常識をひとつひとつ検証し、読者に新たな考えを巡らせる。そして、自転車生活の魅力をあらたに提唱する。

これは長年のサイクリング経験から編み出された必読の、ハッタリのない知識だ。 ストレスフルで過度に複雑で、さらには売れ線を重視した関係性が、あまりにも多くの人間とサイクリング、そして自転車の間に築かれている。グラントはそれをシンプルに噛み砕き、産業のトレンドやトリクルダウン構造、入り組んだプロ・レース業界とは別の豊かでやりがいのある世界を見せてくれる。 ──イーベン・ウェイス、バイクスノッブNYC、『The Enlightened Cyclist』著者

レース重視のサイクリングにうんざりしている自転車乗りのために、グラント・ピーターセンが『ジャスト・ライド』で提示するのは、魅力的な代替案だ。 ──ジャン・ヘイン、『Bicycle Quarterly magazine』編集者

実際に乗らない人間にも配慮した、自転車や乗り方、身体に関する著者の信条を大いに楽しんだ。グラントは世間に対して怒りを隠さない、知識に富んだ友人だ。そして本書は、優れたアドバイスで溢れている。 ──アンディ・ハンプステン、ジロー・デ・イタリア1988年の優勝者、ハンプステン・サイクルズの共同設立者

競争とは無関係の余暇を楽しむライダーたちも、レーサーたちと同じ服を着て、同じ靴で同じペダルをこぎ、同じ自転車に乗り、多くはトレーニングを積みタイムを上げることに腐心している。この類の乗り方は楽しむためというよりも仕事である。(本書序文より)

著者について
【グラント・ピーターセン Grant Petersen】
サンフランシスコの自転車メーカー、リーベンデール(Rivendell)の設立者。ライターとしては 『Bicycling』、『Outside』、『Men's Journal』など、多くのメジャーなアウトドア雑誌/自転車雑誌に寄稿。著書に『Eat Bacon, Don't Jog: Get Strong. Get Lean. No Bullshit.』(2014年)がある。

Jeff Mills - ele-king

 はい、こんにちは。現在ele-kingはジェフ・ミルズにジャックされております。またまたニュースでございます。
 先日、アフターパーティの開催をお伝えしましたが、その本公演のお知らせです。来る11月18日(金)、国内屈指の室内楽ホールの1つである浜離宮朝日ホールにて、ジェフ・ミルズのシネミックス(映像体験作品)最新作の日本プレミア上映会が開催されます。同公演は、AACTOKYOが手がけるプロジェクトの第1弾でもあります。構成と演出はジェフ・ミルズ本人が、映像共同演出は新進気鋭の映像集団Cosimic Labが担当します。
連日お伝えしているように、この秋はジェフ・ミルズのイベントが目白押しです。もうこの際みなさんも心を決めて、ジェフ・ミルズにジャックされちゃいましょう!

AACTOKYO 第1弾プロジェクト
JEFF MILLS CINE-MIX “THE TRIP”

!! ジェフ・ミルズのシネミックス最新作 ジャパン・プレミア公演 !!

2014年のプレ開催を経て、昨年は東京、神戸、川崎の3都市で開催したアート・フェスティヴァル「TodaysArt.JP」が、2016年、世界に名だたるコスモポリス「東京」を舞台に、世界と日本を紡ぐアートのプラットフォームとなるべく、世界で開催されている様々なアート・フェスティヴァルとも連携しなが『AACTOKYO (アークトーキョー: Advanced Art Conference Tokyo)』として進化しました。
そんな『AACTOKYO』が手がけるプロジェクト第1弾として、浜離宮朝日ホールでのジェフ・ミルズのシネミックス(映像体験作品)最新作のジャパン・プレミア公演が決定です!

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ジェフ・ミルズがお届けする映像体験作品「THE TRIP」。
実験的でコンセプチュアルなテクノ・ミュージックの象徴的な存在として、またサイエンス・フィクション映画に魅了されたひとりとして、ジェフ・ミルズは「自身の作品をフィルムや映像のために制作しなければ」という衝動に駆られ、2000年より「シネミックス」というスタイルに着手しました。今回ご紹介するシネミックス作品は、日本人映像作家とのコラボレーションによる1時間半に及ぶサウンドとイメージのマスター・ミックス。
60以上のオールド・SF・ムーヴィー(1920~70年代)から抽出した映像+音像のライヴ・ミックスは、彼のエクスペリメンタルかつコンセプチュアルなDJ・ミックスと同じ原則に従い、私たちの美の鼓動、カオス、畏怖なる感情を呼び起こしてくれることでしょう。
「THE TRIP」は住みづらくなってしまった地球から、新しい世界を探すために地球より遠く離れた場所を開拓していくという、これから人間が経験するであろうテーマが描かれています。精神的かつ心理的な強烈な映像+音像体験が、あなたを未知の時空へお連れします。

Oval - ele-king

(デンシノオト)

 ある音楽を、音楽として聴かないこと。その行き着く先は、音楽の統合性が失調した世界だと思うのだが、ノイズや音響などの聴き手は、常にその境界線上を生きているともいえる。エクスペリメンタルなのは音楽ではなく、聴いている人間の方なのだ。となれば、ある音をノイジーと感じる理由は、何に起因しているのか。曲調か。音量か。音質か。音色か。レイヤーか。人間か。聴取する側の解像度の問題か。

 聴取のとき、音楽(の全体像)の解像度を一気に落とすと、音楽は壊れてしまう。試しに、身近な音楽を再生し、そのメロディでもビートでも、なんでも良いが、音楽的な要素に、まったく入り込まないで聴いてほしい。それはすでに音楽ではないはずだ。反対に聴取の解像度を上げると、ある部分がズームアップされ、その音楽は別の音楽に変わる。90年代末期から00年代にかけてのエレクトロニカや電子音響は、聴き手の聴取のレイヤー/解像度を上げたことが革命的だったわけだが、では、もう一度、聴き手の聴取の解像度を急激に下げてしまうと、われわれの聴覚/感覚はどうなるのか。たとえば轟音もある意味、聴き手の解像度を下げる作曲・演奏・発音行為だが、その「中」に没入することで、解像度はもう一度回復する。逆にいえば、解像度が低いまま、音を浴び続けると心身に不調をきたす。つまり、解像度の遠近法が回復しないと人間は崩壊する。

 そこでオヴァルの新作『ポップ』(「Popp」と書く)である。本作が凄まじいのは「ポップになった」とか、「クラブ・トラック」というだけでなく、確実にそれらの音楽でありつつも、「音楽」の解像度が低いまま展開していく点にある。アルバム冒頭の“ai”は、オヴァル特有の非周期的なループを聴きとれるが、実体化した「音楽」は分断され、声=ヴォーカルも分断され、圧縮された音質のようなポップの断片がレイヤーされていく。通常、非周期的なループは、音楽の情報量が上がるはずだが、本作のポップ化したオヴァルの凄まじさは、多量な音響・音楽情報が圧縮されたまま、つまりは「貧しい音楽」のまま、非周期的な構造を展開している点にある。しかも「ポップ」な音楽として聴取「できてしまう」。これは解像度を下げつつ、音へのアディクションを生むという意味で「狂気」の音楽といえよう(ブラックメタル的? オヴァルとバーズムの近似性について……)。

 なぜ、こんなことが可能になったのか。オヴァルは、2003年に発表された豊田恵里子とのユニット、ソー『ソー』以降、「声」と「音楽」への求心力を強めていく。2010年代の「復帰」以降の活動は、ソーでの試みを「オヴァルとして実体化させていくための実験・実践」であったといえる。たとえば、ブラジルの音楽家とコラボレーションをおこなった『Calidostópia!』(2013)、ヴォーカルを全面的に起用した『Voa』(2013)においては、ヴォーカルと電子音楽の融合を実験・実践していたし、2010年の復帰作『オー』や2012年の『オヴァルDNA』においては、生楽器による非周期性=ループを導入し、90年代の自身のグリッチ・ループ・サウンドを「音楽」として実体化させていった。しかし、「ヴォーカル」と「楽器」という彼の繊細な音楽家としての側面が、いかにもオヴァル的な非周期的ループの「貧しい」魅力を削いでいたことも事実である。だが、新作『ポップ』は違う。ループする音楽の対象を「R&B」や「EDM」的という、「あえて」の表層的なグルーヴを起用し、自身の本来の特性である「貧しい音楽」へと、つまりはオーガニックからケミカルへと舵を切っているのだ。その意味で、本作こそオヴァルの「復帰作」にふさわしいアルバムである。

 「聴取の解像度をアップデートして中毒性を上げる」のが2010年代初頭までのトレンドとするなら(情報量アップの知性)、「解像度を下げて中毒性を生む」(だらしない狂気へ)が2010年代中盤以降のモードになるのではないか。その最初の兆候が、このオヴァルの『ポップ』に思えてならない(むろん、マーカス・ポップは、90年代から本質的にはずっと同じだ)。2010年代後半は、「狂気への恐怖」がアウトになって、くわえて「狂気への誘惑」もアウトになって、「だらしなく狂気に行き着く」人間の時代になる。オヴァルの新作は、そんな「新しい人間」像をうまく表象している。統合性が失調する(音楽の)時代の始まり。いや、そもそも「90年代以降グリッチ・ミュージック」とはそのような音楽ではなかったか。貧しく痩せ細ったエラーが、それでいて、フレッシュであること。ここにおいて音楽の統合性はバラバラに分解してしまいそうになっている。廃墟の音楽。

 そう、グリッチとは、廃墟のなかに刹那に消えていく無数の天使たちの残骸/残滓なのだ。となれば、マーカス・ポップとは統合性が失調した時代の音楽を生む「新しい天使」であろうか。「新しい天使」による新しい「非=人間」のための音楽? それが『ポップ』なのだ。

デンシノオト

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●ライヴ情報 OVAL Live in Japan 2016

12月20日(火)
渋谷 TSUTAYA O-nest

12月22日(木)
京都 METRO

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(松村正人)

 河地依子さんの浩瀚なライブラリーと該博な知識に裏打ちされた、黒人音楽のヒストリーによりそいながら形式との相克でつくる音楽をていねいに聴き進めた『ソウル・ディフィニティヴ』、すでにみなさんの座右の書であろうが、その近年の動向をめぐる終章とそのひとつ前の章の導入文を要約しつつ私見をつけくわえるとこうなる。21世紀初頭のネオ・ソウルで電子音を有機的な音色で使う手法が浸透するとともに、エレクトロな方法論は当時のレゲトンやらダンスホールやらとむすびつき、そのビート感覚(とパーティ感覚)はのちのEDMを用意した、のみならず、ジェイ・ディラらのグルーヴの(再)発見をさかいに(政治性を含意した)ネオ・ソウルと合流していく、その合流地点こそ2010年代なかば現在であるのだとしたら――これ以上書くと河地さんの商売をじゃましそうなのでさしひかえたいが、R&Bが「エレクトロ~アンビエント~ドリーム」と形容すべき傾向をみせた2000年代なかば、河地さんのいうとおり「シーンの風景はまたガラリと変わった」。どのように変わったか、くわしくは本書を繙いていただきたいが、ひとつだけつけくわえると、ソウル、R&B、ジャズやヒップホップを問わず、たとえばグルーヴを軸に音楽を腑分けするのがたやすくなった反面、サウンドにおける形式の壁が液化する一方で、アンビエントやドリームといった主観性が幅を利かせる。
 前作から単体では6年ぶりとなるオヴァルの『ポップ』は資料によれば「ポストR&B」だという。いやそのまえに、今作こそ、『o』(2010年)から数年の比較的みじかめの間隔だったがそのまえはというと2001年の『ovalcommers』までさかのぼらなければならない。10年――生まれたばかりの赤ん坊が学校にあがり、きょうから私はオヤジとは風呂に入らないと宣言するまでに成長する、この長きにわたり黙して語らなければ、たいていのひとなら、オヤジであっても忘れ去られる。ところがオヴァルはちがった。『o』で復活したオヴァルは『systemisch』や『94diskont.』といった90年代の諸作でつきつめた「デザインとしての音響」から反転し、音楽のほうへむかいはじめる。もっともオヴァルはかつて一度も音楽的でなかったことはなかった。CDの盤面に人為的に操作をくわえプレイヤーを誤作動させた音をもちいる、初期のオヴァルの代名詞となったこの方法を縦横に駆使したこれらの作品でも、「Textuell」なり「Do While」なり、聴けばたちどころに私のいう意味は了解いただける。マーカス・ポップの含羞とも韜晦ともつかないものがそのような言い方を避けさせてきたのだとしても、90年代の磁場がそう仕向けたふしはなくはない。ワイヤーのだれかがいったという「ロックでなければなんでもいい」なるフレーズとおなじく、私たちはマーカスのことばを箴言としてのみとらえてはならない。背景があるのだ。制度と方法と原理の基底部を思考する、(そもそもアポリアであるかもしれない)その解は得られなくとも一度それを経なければオヴァルはオヴァルたりえなかった、というのは、時制の起点からして命題たりえないが、このパラドキシカルな過程もふくめたプロセスがオヴァルだった。
 なにせ『ポップ』はあざやかにポップなのである。ビートはくっきり輪郭を描き、楽曲はかつてないほど重層的に構造化している。とはいえそれはエレクトロニカの金科玉条だったレイヤーなる(きわめてデザイン的な)形容に収斂しない。IDM的レイヤーが薄い色紙を重ねたさいの色彩の重畳だとすれば、『ポップ』はもっとヴァーチカルである。奥行きがあり厚みがある。音色の選択とサウンド・プロデュースが立体感に拍車をかけるが、リズムの反復はあきらかにビートを指向している。つまるところポップかつダンサブルだが、ひたすら硬度をたもちつづけるアルヴァ・ノトと較べて――というのも、さっきまで渋谷でラスター・ノートンの20周年ライヴを観ていたのですね――有機的で滑らか。
 その一因は声にある。マーカス・ポップは『ポップ』の大半で、かなり加工した声をとりいれているのだが、この声のあり方がこのアルバムのグルーヴの土台を担っている。もちろん声は純粋なリズム楽器ではないが、そしてマーカスは一聴してリズム楽器として加工した声をもちいてはいないようにみえるが、マテリアルと化した声がトラックの一部に埋め込まれることで、音響はシームレスなゆらぎをはらむ。鍵盤楽器と声をシンセサイズしたポルタメントな音の動きには現象だけとりだせば90年代のオヴァルを彷彿させるドローン的な側面があり、2000年代後半を劃したボカロを思い出させるのはいわずもがなである。オートチューンやボカロといった身体をなくした声の身体性の影と、ビートという身体性をもっとも呼びさますものを交錯させる方法を、米国市場の主導権をにぎるR&Bになぞらえ、そこにポストを冠するのも新規なジャンル名をつくってみせたといったたぐいのことではない。かもしれない。すくなくともそれはマーカス・ポップの音楽観の一端ではある、と同時に今日のテクノロジーの人間観の反映でもある。やがてそれが完全に調和した制度(システム)となったとき、マーカス・ポップの批評性は事後的に発見されるだろう、というのは時制の起点からして予測でしかないが、オヴァルのプロセスはそのようにして走りつづけてきた、かつて思弁的なコンセプトと併走しながら、いまはポップさを全開にして。
 マーカス・ポップがこのアルバムに自身のファミリー・ネーム「popp」とつけたのはゆえなきことではないのである。(了)

松村正人

●ライヴ情報 OVAL Live in Japan 2016

12月20日(火)
渋谷 TSUTAYA O-nest

12月22日(木)
京都 METRO

Jlin - ele-king

 RP Boo率いるD'Dynamicsクルー所属のフットワーク第2世代プロデューサー、Jlin(ジェイリン)。僕が初めてその名を認識したのは、2011年に〈Planet Mu〉からリリースされたコンピレイション『Bangs & Works Vol.2』だったのだけれど(“Erotic Heat”のかっこよさといったら!)、その後の彼女の活躍はめざましく、あれよあれよという間にフットワークの新世代を担う中核アーティストへと成長していった。実際、昨年〈Planet Mu〉からリリースされたアルバム『Dark Energy』は、英『WIRE』誌の年間ベスト・アルバム第1位に選出されるなど、海外での彼女の評価の高さは尋常じゃない。

 このたび、そのJlin初の来日公演が開催されることとなった。大阪と東京の2ヶ所をまわる今回のツアーは、ジューク/フットワークのファンにとってのみならず、広くベース・ミュージックを愛する者たち全員にとってスルー厳禁の公演と言っていいだろう。詳細は下掲のリンクから!

フットワーク新章! 英『WIREマガジン』年間ベスト・アルバム第1位、Pitchfork Best New Musicなど2015年の年間チャートを総なめにし、シーン初の女性アーティストとして華々しいデビューを飾ったシンデレラJlinが満を持しての初来日!!

Jlin Japan Tour 2016


11.19 sat at CIRCUS Osaka | SOMETHINN Vo.18
w/ D.J.Fulltono, CRZKNY, Keita Kawakami, Hiroki Yamamura, Kakerun
OPEN / START 23:00
ADV ¥2,000+1D | DOOR ¥2,500+1D
https://circus-osaka.com/events/somethinn-vol-18-feat-jlin/


11.23 wed holiday at CIRCUS Tokyo | BONDAID #11
w/ Theater 1, D.J.Fulltono, CRZKNY
OPEN / START 18:00
ADV ¥2,500+1D | DOOR ¥3,000+1D | UNDER 25 ¥2,000+1D
https://meltingbot.net/event/bondaid11-jlin-theater1

主催 : CIRCUS
制作 / PR : SOMETHINN / melting bot

interview with Warpaint (Theresa Wayman) - ele-king


Warpaint - Heads Up
Rough Trade/ホステス

Indie PopIndie Rock

Amazon Tower

 結成12年という安定期に入っているはずなのに、このバンドは決して一定のトーンに安住する気配を見せない。言い換えれば、作品ごと本能的に焦点を絞り込むことができる、常に柔軟なバンドということもできるだろう。2010年のファースト『ザ・フール』はアンドリュー・ウェザオールがミックスを担当、2年前のセカンド『ウォーペイント』はプロデューサーがフラッドでナイジェル・ゴドリッチもミックスを手がけていた。だが、届いたばかりのサード『ヘッズ・アップ』にはそうした“UKの著名人”は関わっていない。かと言って、彼らが拠点とするLA人脈……最初のEP「Exquisite Corpse」のミックスを手がけたジョン・フルシアンテやジョシュ・クリングホファーの姿もここには直截的にはない。では、今作で彼女たちがどこを向いているのか、と言えば、ダンス・ミュージック。それも90年代スタイル(形式だけではなく音質なども含めて)のカジュアルなブラック・ミュージック・オリエンテッドな“踊れる音楽”だ。
 それがたぶんにナイル・ロジャースが制作に関わったダフト・パンクの“Get Lucky”や、マイケル・ジャクソンの“Smooth Criminal”などをサンプリングしたケンドリック・ラマーの“King Kunta”あたりが中継点になっていることは明白で、そこから90年代――それはウォーペイントの4人がティーンエイジャーだった時代だが――へと舵を切った結果、頭で考えず、感覚でビートに抱かれることを望んだような作品につながったのではないかと想像できる。歌詞の簡略化……というよりシンプルなラヴ・ソングである“New Song”のようなリリックの曲を億面もなく提示してきていることからも、今の彼女たちが90年代スタイルのドレス・ダウンさせたダンス・ミュージックを体感的に求めていたことがわかるだろう。
 しかしながら、ウォーペイントの4人が過去積み重ねてきたキャリアにそっぽを向いているのかと言えば全くそうではない。結果、彼女たちはLAを起点に、様々なエリア、世代、フィールドへとさらに大きなストライドで足をかけることになった。それは、リベラルであることを意味するものであり、決して足下が浮ついていることを意味しているのではない。ヴォーカル/ギターのテレサ・ウェイマンが語る新作にまつわる思惑と手応えは、こちらが想像していた以上に邪気がなく、そして開放的だった。それが、何よりの証拠である。

多分、これまで自分たちにはすごく遠かったポップ・ソングをわざと選んだんだと思う。自分たちにとって心地よい領域ではないことをあえて選ぶ事で、領域を広められるから。

この1年ほどずっとメンバー個別の活動をしていたことから、次の作品では何か大きく変化が現れるだろうと想像していましたが、思っていた以上に躍動的な方向に舵を切った印象です。あなた自身もホット・チップのメンバーらと新ユニット=BOSSとしてシングル「I'm Down With That/Mr. Dan' I'm Dub With That」をリリースしたり、Baby Alpacaにジョインしたりと活動の幅が広がっています。このような個別のアクティヴィティが今回の新作にどのようなフィードバックをもたらしたと考えますか?

テレサ・ウェイマン(以下、TW):このアルバムの躍動感は、他のプロジェクトから直接的に影響されたものではなくて、前作のアルバムのツアーを終えて、みんなで次はもっとダンス・ミュージックっぽいアルバムを作ろうって決めてたからなの。自然とライヴでやりたい曲がダンス・ミュージックの要素が強い曲だった、と。その方がライヴで演奏する時に楽しいから。でももちろん他のプロジェクトの経験も刺激にはなったと思う。例えば、私がBOSSでリリースした曲は、プロデューサーのダン(Dan Carey)によるゲームみたいなものだったの。彼は、曲作りをする時に、条件を絞って曲作りをさせるんだけど、その狭められた条件の元に曲作りをするのは新しい経験だったし、すごく興味深かった。やれることもテーマもコンセプトも狭められることで、逆にその範囲でできることをより模索するっていう経験にもなった。それからウォーペイントのメンバーのジェン(ジェニー・リー・リンドバーグ)も、自分のソロ・アルバムに関してはあまり深く考えずにその時に感じた事を表現するようなアルバム作りをしていて、すごく衝動的だったみたい。そういう経験をそれぞれしたことで、また作品作りの新たなヒントにもなったし、いいレッスンになった気がする。あまり何かに固執しすぎないようにすることを教えてくれた気がするわ。

では、最初、あなた自身はこうした個別のアクティヴィティとは別に、このウォーペイントの新作について、どのような作品を目指したいと考えていましたか? 当初思い描いていた予想図を聞かせてください。

TW:コンセプトを持っていたとしたら、もう少しアップビートな作品にするってことくらいかな。今まではずっとBPMを90台に留めていたのよね。98BPMとか。だからそのテンポをもう少しあげて、ダンス・ミュージック要素が強いアルバムにしたかったの。多分、最初に決めてたコンセプトはそれくらいだったかな。決め事とかルールとか基本的に決めないのよね。私たちはいつもその時の衝動に身を任せるっていう方が合ってるから、ルールを決めたりはしないの。それは歌詞に関しても言えることで、テーマとか歌詞のコンセプトも決め込んだりはしない。例えば「このアルバムは失恋アルバムにしましょう!」、「これはラヴ・ソングが詰まったアルバムにしよう!」、「政治的なことを強く主張しよう!」みたいな決まりとかは作らない(笑)。でも今回は「ダンス・アルバム」にすることはキーワードではあったわね。

では、そうしたキーワードのもと、今作の楽曲がどのような環境で書かれたのかについて聞かせてください。今回のソングライティングはジャム・セッションではなく、個別の作業や、全員で合わせて一度持ち帰る……みたいなやりとりを経ての制作だったそうですね。なぜこうしたスタイルに替えてみたのですか?

TW:最初は個々に始めた感じだったの。当初、2015年を通して、作品をこまめにリリースすることにしようって話をしていたこともあって。1、2曲ずつ作って、その度にレコーディングして、そういう自由な流れに身を任せようって思ってて。結局そうはならなかったんだけど、そのつもりで制作を始めて、お互い自分の自宅のスタジオで制作を始めて、気付いたら2015年の終わりにはアルバムになるような曲数はできあがってた。だから最終的にはそれを仕上げるためにスタジオにみんなで入った。この経験を通して、今まで自分たちが持っていたもので出し切れてなかったものが強調された気がしたの。例えば、私とステラ(・モズガワ)が一緒に曲作りをする時、割とビートとかサンプルの要素が強いエレクトロニックな曲を作る事が多いの。でも全員でセッションで作る時はその要素はあまり出ないのよね。だからもともとお互いが持っていた要素だったとしても、制作の手法によってその要素が前に出なかったりするから、今回こうやって個々に制作を進めたことで、今まで目立たなかった個々の要素がいろんな形で前に出てきた気がする。みんながそれぞれ自分をより出せた気がするわ。

その結果、機能性の高いダンス・ミュージック的側面を持ったものになったわけですね。では、こうしたスタイルへと向かった理由を教えてください。具体的な参考になったもの、出会い、インスピレーションなどいくつかのキーワード、リファレンスを教えてもらえれば。

TW:正直に言うと、自分たちの影響を伝えるのって実はすごく難しくて。なぜかというと、本当にいろんなことから影響を受け、いろんな影響を表現している気がするから。まして、4人もいるとなるとなおさら。それぞれが個々のアングルから物事を表現していると、あるひとつのアングルから影響を受けたっていうことがない分、影響の幅がすごく広くて。だから例えば、ケンドリック・ラマーやジャネット・ジャクソンっていう名前を出すと、直接的にそういう影響が現れていないかもしれないから、すごく極端に聞こえる気もする。例えば自分の影響を具体的に説明するとしたら、アジーリア・バンクスの“212”という曲にインスパイアされて、私も“So Good”でそのインスピレーションを試してみたりしたの。もちろんすごく違う曲だけど、“212”の曲の構成がすごく珍しくて、その構成と、あのダンス感に聴いた時にすごく動かされるだけに、そういうアプローチを試してみたかった。すごくポップでとっかかりやすいけど、オーソドックスではない曲を作ってみたかったってわけ。あと、“New Song”はダフト・パンクの“Get Lucky”に影響を受けたの。実は、私たちのマネージャーはミュージシャンでもあるんだけど、彼からの提案もあった。すごく分かりやすいポップ・ソングを研究して、なんでその曲がポップなのか、どこが突き刺さるのかを理解して、それを自分たちも取り入れてみようって。多分、これまで自分たちにはすごく遠かったポップ・ソングをわざと選んだんだと思う。自分たちにとって心地よい領域ではないことをあえて選ぶ事で、領域を広められるから。実際にステラはアルバム製作中によくジャネット・ジャクソンを聴いていたんだけど、その時にすごく感じたのが、90年代のああいうポップ・ソングは、プロダクションがガヤガヤしていなくて、今聴いてもすごく美しいってこと。だから改めてそういう音楽を聴いて、それに気づけたことは、すごく啓発的でもあった。

確かに、ダンス・ミュージック・オリエンテッドな側面から見ても、あるいはオルタナティヴ・ロックなサウンド・プロダクションから見ても、全体的に90年代をひとつのキーワードにしている印象です。なぜ今、ウォーペイントが90年代なのでしょうか?

TW:私たちが影響されたものの多くがその時代のものなのは事実。人生の中でいちばん影響を受けた音楽はやっぱり90年代だと思う。その時私たちは10代、音楽をたくさん聴く中で、音楽が本当に大好きだって気づいた時代でもあるの。だから、いつもその時代の音楽には共感できるし、それは私だけじゃなくて、メンバー全員がそうだと思う。だから自分たちが90年代を狙って作った作品ではないけど、人が聴いた時にそう感じるのは、自分たち自身がその時代を生きて、自分たちの中に染みついているからだと思う。みんなアウトキャスト、ポーティスヘッド、ビョーク、トリッキー、マッシヴ・アタック、ザ・キュアーが大好き。ザ・キュアーに関しては80年代も入っているかもしれないけど……自分たちの青春時代なだけに、やっぱり刻み込まれている感じはするわね。

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私たちは自分たちが感じることをやっているだけなの。いつもコンセプトを持たないバンドだから。

現在、確かに広く90年代の音作りが見直され、若い世代からフレッシュな形で上書きされています。そうした中で、過去2作で見せてくれた美意識を手放さず、どのようにして《ウォーペイント流90年代へのアプローチ》を実践したのか、特にバンドとしてこだわったのはどういうポイントだったのかを教えてください。

TW:すごく説明するのが難しいんだけど、私たちは自分たちが感じることをやっているだけなの。いつもコンセプトを持たないバンドだから。さっきも少し説明したみたいに、今回はもう少しダンス・ミュージックよりの作品にしようっていう軽いコンセプトはあったものの、いつもあまりガチッとしたコンセプトはない。前作も確か「空間を大切にしよう」っていう程度だった気がする。何か決まりがあるとしても本当にそれ程度で、あとは身を任せる感じ。だから曲ごとに感じてもらえる美学は、その時に生まれたもので、目指したものではなくて。だから聴き手側の解釈もそれぞれの解釈で良いと思ってて。自分たちが「こういう風に受け取ってほしい! こういう風に感じてほしい」っていうものは実はなくて。だから90年代のアルバムを作ろうとしている訳ではなく、現代風のアルバムを作ってる訳でもなく、そういう狙いはないのよね。自分の夢はただ一つ、自分が大好きだと思える音楽を人にも大好きだと言ってもらえること。本当にそれだけなの。

例えば、フランク・オーシャンやビヨンセ、ブラッド・オレンジや、去年リリースされたケンドリック・ラマーなど多くのアーティストが90年代の要素を取り込みながらも、ジャズ、R&B、ヒップホップ、ファンクなどを新たに上書きしています。ウォーペイントのこの新作にもそれに連なるかのようなグルーヴが感じられますが、そうした黒人音楽的側面を強く打ち出す方向性に対し、あなた自身はどのような意見を持っていますか?

TW:すごく説明するのは難しいけど、リズムやドラム&ベースやポリリズムやディープ・グルーヴ……音楽っていうことにおいてみんなが興味を持つ部分の多くが何世紀にもわたってブラック・ミュージックから影響されているものも多いと思う。それがどの時代ももっともっと大きくなってきているんだと思う。より多くの人が音楽を聴いて、音楽を作っているから。そこに惹かれちゃうのは、すごく自然の衝動だと思うし、多くの人たちがその衝動を表現したくなるんだと思うわ。

ドクター・ドレの名前からとられたような“Dre”という曲もありますね。

TW:残念ながらドクター・ドレからはとっていないの(笑)。あの曲で難関だったのは、Bメロからのパートかな。なかなかアレンジがうまくいかなくて。最終的には納得できるところに行き着くことはできたんだけど。でも時間がなくて。だからこの曲はミックスも急いでやらなきゃいけなかったのも難点だった。でもそういう困難もありながら、この曲はすごく制作においてもエキサイティングな曲だった。あ、あと思い出したのが、この曲はいろんな要素を織り交ぜたから、混雑している感じもあった。それを整理するためにも、その混雑したパートをひとつひとつ整頓していったなぁ。それでどの要素が重要かが明確になったから良いプロセスだったけど。

昔に起きた素晴らしいことと現在を繋げる。繋げるというよりも混ぜる感じかな。新しいアイデアだって歴史があってこそ生まれるものだったりするし。

とはいえ、全体的に広く多くのリスナーにさらにわかりやすく届けることを目的としたようなキャッチーさ、いい意味でのアイコン性、シンボライズされた音の在り方を、あくまでポップ・ミュージックの観点から意識しているように感じました。多くのツアーをこなし、フェスなどに出演してきた経験から、あなた自身も感じてきたことだろうと思いますが、今やりたいことを追究しつつもそうした“わかりやすさ”が求められていることに応えていく上でのジレンマ、もしくはこれまでのファンの期待にも応じ、でもこれからさらに裾野を広げていくこととの間でのストラグルなどはありましたか?

TW:私たちは揃ってあまりその部分を考えないようにはしてるの。繰り返しになっちゃうけど、あまりそういうことを考えないで、自分たちが感じたままを表現することを大切にしているから。でも自分自身としては、ポップ・ミュージックが響いてくるその即効性もすごく大好きだし、曲中のフックとかもすごく大事だと思ってる。あと、忘れられないようなリズムやダンスのビートだったりもとても大切だとは思う。そういう要素が詰まったキャッチーな曲は、自分にとっても魅力的な曲だったりはする。だから自分たちもお互いスキルを磨いて、徐々にそれができるようになってきているとは思う。自分たちらしさも崩さない形で。自分たちももちろん変わっていかなければいけないし、それは止められないものだから。中にはそれを理解してくれないファンもいるとは思うけど、解ってくれる多くのファンもいるとは思う。私は話したファンの多くは、自分たちが大好きだったポップ・ミュージックが好きっていう人も多くて。それでいて、自分たちの音楽も好きでいてくれて、あまり目立たないような音楽も好きだったり。だからすごくオープンマインドで共用範囲が広いファンもたくさんいると思っている。そういうわけで、私は個人的には新たな音楽性でファンは失わないだろうとは思ってるわ(笑)。

歌詞の面でも“New Song”に見られるようなストレートなアプローチによるラヴ・ソングが多い印象で、その裏には直感的にイイと思えるものを堂々とイイと言ってしまうような決断力が強く感じられます。

TW:そうね、“New Song”はとてもシンプルだと思う……あ、そうそう、このアルバムのことでもうひとつだけ話していたキーワードがあったわ。もう少しヴィヴィッド(鮮明)でクリアなアルバムにしようって話してたのを今思い出した。もう少しいろいろと鮮明になるようにしようって。それは歌詞においてもそう言えると思う。だから前作と比べたら、ぼんやりとした感じは減っているかなぁとは思う。でもこれはどちらかというと、すごく狙ったというよりも、自然な改革だった気がする。もっとリスナーと繋がりたいと思ったし、自分たちの気持ちを鮮明にすることに慣れたかったっていう気持ちもあったかなぁ。

確かに一見、ストレートで物怖じのない情熱的な言葉をまとったラヴ・ソングが多いですが、あえてそれを他の事象にも置き換えていけるようなわかりやすい言葉を多くちりばめ、言葉にも強さを与えている印象も受けました。歌詞の面で、何か大きなテーマ、テーゼを用意していたとしたらそれはどういうものでしたか?

TW:テーマやテーゼは全くなかった。みんなで話し合ったこともないし、本当にその時にでてきたことを歌にしたって感じかな。個人的には最近ラヴ・ソングを書くモードではあって、自分のソロ・アルバムはほぼ全部“愛”についてのアルバムなの。その要素をこのアルバムに1、2曲持ち込んだかなとは思う。ただ、自分たちではあまり変わっている意識はなくて。むしろ、他に何か変わったところがあったら逆に教えてほしいくらい(笑)。結局、とりあげることって自分たちの人間関係であったり、他人の人間関係であったり、自分たちの成長であったり、人生で正しいと思う道に進もうとしたり……いつもトピックは一緒なのよね。とはいえ、ちょっとだけ政治的な思想は歌詞に現れているかもしれない。確かに置き換えた時に何かを感じてもらえるような歌詞は多いのかも。世界で起きている問題の核みたいなトピックだったりね。

ところで、あなたがたは今の米西海岸を支えている代表バンドですが、先輩格のジョン・フルシアンテ、ジョシュ・クリングホファーといった方々との世代の架け橋にもなっていますし、海を超えて英国のアーティストとの交流も積極的に作っています。地域性、その場所の歴史を大切にしつつも、その垣根を崩して広げていくことの醍醐味をどの程度意識していますか?

TW:自分でもそんな立ち位置にいることをとても光栄に思ってる。私たちは年齢的にも少し上だから、違う世代とも若い世代よりもナチュラルに繋がっていらえることもすごくラッキーだと思う。やっぱり先輩格の世代の人たちが生きた時代で起きた楽しいこととか、聞くだけで私たちには刺激や目標にもなるから。まさにこれって人生において大切なことだと思ってて。昔に起きた素晴らしいことと現在を繋げる。繋げるというよりも混ぜる感じかな。新しいアイデアだって歴史があってこそ生まれるものだったりするし。だから私たちも新しい何かを作りだす上で、過去を反省していく楽しさを大事にしているわ。いろんな時代や世界から得たアイデアをしっかり携えて制作するのが一番楽しい。だからイギリスで今何が起きているのかを知ることもすごく楽しい。それは日本もそうだし、オーストラリア、ウェストコースト……どのエリアに対しても同じよ。

Warpaint来日情報

日時/会場

東京  2/28 (火) LIQUIDROOM
open 18:30 / start 19:30 ¥6,300(前売 / 1ドリンク別)
#03-3444-6751 (SMASH)

大阪  3/1 (水) UMEDA CLUB QUATTRO
open 18:30 / start 19:30 ¥6,300(前売 / 1ドリンク別)
#06-6535-5569 (SMASH WEST)

チケット発売

主催者先行: 11/8(火)12:00 – 11/13(日)23:59
【URL】https://eplus.jp/warpaint17/ (PC・携帯・スマホ) *抽選制

一般発売: 11/19(土)
東京: e+ (先着先行: 11/15-17)・ぴあ (P: 315-091)・ローソン (L: 73278)
大阪: e+ (QUATTRO web: 11/14-16, 先着先行: 11/15-17)・ぴあ (P: 314-959)・ローソン (L: 54783)・会場

協力: Hostess Entertainment
お問い合わせ: SMASH 03-3444-6751 smash-jpn.com, smash-mobile.com

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