「Low」と一致するもの

Wendy Eisenberg - ele-king

 ニック・ドレイクの曲に “River Man” がある。アコースティック・ギターの弾き語りに近い曲だが、何気ない5拍子のリズムと不協和音がジャズを感じさせるという、シンプルだが単純な曲ではない。西東京の自分が住んでいるエリアには、多摩川までに仙川と野川という小さな川がある。自転車を降りて、川沿いを歩いているときに“River Man” を思い出してしまうのは、自分も黄昏れている人間だからなのだろうか。はあ……出るのはため息ばかりだが、音楽のことを考えよう。
 そう、ジャズとフォークだ。年明けにはティモシー・シャラメ主演のボブ・ディランの若き日々を描いた映画が上映されることなので、現代のニューヨークから熱狂的なジャズを我がものとし、雑食性とフリー・インプロヴィゼーションに興じる若き前衛による、冬の空気のように澄み切ったアルバムを紹介したい。
 ウェンディ・アイゼンバーグはギターの名手で、「音楽シーンにおいて、私は女性として扱われ、私の性別は神話化されている。『あなたは女性ギタリスト』だとか、『かわいいから雇っただけ』といった感じで、それに対抗するために私がとった方法は、その楽器をとんでもなく上手に演奏することだった」——とアイゼンバーグは『Tone Glow』のインタヴューで語っている。が、しかしながらこの人物は、自分の技術をひけらかすことよりも音楽のなかの自由を拡張し、思索することに長けている。たとえばアイゼンバーグは、セシル・テイラーあるいはモートン・フェルドマンの領域、レインコーツにロバート・ワイアットあるいはジョアンナ・ニューサム、ときにはジョアン・ジルベルトやエグベルト・ジスモンチへと、そしてデレク・ベイリーとデイヴィッド・シルヴィアンの回路を自由に行き来し、ジョン・ゾーンのレーベルからも作品を出している。ジャズを流暢に演奏しながら、アイゼンバーグにはソングライターとしての側面があって、だからヴォーカリストでもある。詩を書き、歌を歌う。メアリー・ハルヴォーソンとの大きな違いはそこで、ジャズでSSWといえばジョニ・ミッチェルの名前も出てくるだろうが、この人はもっとオルタナティヴに尖っていて、ずいぶんな読書家でもあるアイゼンバーグは音楽を感覚的なものであると同時に思考の契機としても捉えている。

 音楽は言葉では語れないというミュージシャンに限って言葉で語れるような紋切り型の音楽をやっていることが多い。そもそもそ言葉で語れない音楽を聴きたいから我々はこうして音の海を探索している。そして、紋切り型の音楽に限って音楽を視覚化する(MVを作ったりする)傾向にあるわけだが、この世界には、視覚化しようがない音楽もある。2024年、アイゼンバーグは2枚のアルバムを出している。1枚は『Viewfinder』で、これは彼女のレーシック手術を契機として生まれたソロ作品、もう1枚はサックス奏者のキャロライン・デイヴィスとのコラボレーション作品、まずは前者からいこう。
 『Viewfinder』、カメラで撮影のさいに視覚的に確認するため目で覗く部分のことで、比喩的に言えば「ものごとの視点を決めるもの」、すなわち「世界の見方」のようなことになるのだろうか。作中でもっとも人気のある曲は冒頭の“Lasik”で、これは視力を矯正して見えるようになったはずが治癒にはなっていないという暗喩的な歌詞が歌われている。「自分が愛することもできない物語に向けて/視線を定めているわけにはいかない/さてと、次なるポップショーを観るため/お気に入りのアーティストのチケットを取ろう」。こうしたウィットが、トロンボーンとベース、ピアノの神妙な絡み合いに溶け込んでいる。
 アルバムには、“Two Times Water”のような華麗な室内ジャズがあるいっぽうで、“HM”や“Afterimage”では透き通った空間におけるポスト・パンク的な遊び心があり、作者が言うようにレインコーツの『オディシェイプ』と共鳴しているように思える。これらは個人的にとくに没入できる曲でもあるのだけれど、作中、もっともポスト・パンク的なささくれだった感覚が聴けるのは表題曲の“Viewfinder”だ。スティル・ハウス・プランツとも充分に通じ合う、2024年の喜ばしきオルタナティヴ・ロック・ソングである。
 「ファシズムに対するもっとも真の反抗は複雑なものを作ること」だとアイゼンバーグは信じている。実際我々の感情は複雑で、紋切り型のラヴソングですべてが解決できるほど人生は簡単ではない(少なくともぼくの場合は)。いろんな感情を込めて孤独な魂を歌う深夜のジャズ・ソング“In the Pines”でアルバムは締めくくられるわけだが、アイゼンバーグの世界をもっと楽しみたい人にとっては、今年は嬉しいことにキャロライン・デイヴィスとの『Accept When』もある。複雑なリズムの曲のなかにもギターとサックスの美しいメロディが交錯し、いくつもの素晴らしい瞬間が待っているこのアルバムには独特の温かみがあって、とくにアイゼンバーグのヴォーカルが聴ける冒頭の“Attention”は2024年のベスト・ソングのひとつ。川沿いを歩くには寒い季節だが、最近の乾燥した空気はこの音楽とうまく調和している。ぜひ聴いて欲しい。

Shinichiro Watanabe - ele-king

 来年公開が予定されている渡辺信一郎監督の最新作『LAZARUS ラザロ』。そのオープニング・テーマ曲とエンディング・テーマ曲が発表されている。前者は、今年ひさしぶりのアルバムを発表したカマシ・ワシントンによる “Vortex”。そして後者はなんと、まさかのザ・ブー・ラドリーズの “Lazarus”。90年代、〈クリエイション〉に所属していたブー・ラドリーズはポップなシューゲイズ・バンドとして知られているが、同曲は彼らの比較的初期の人気曲。おそらくそのタイトルから採用されたのだろう。
 なお、あわせて『LAZARUS ラザロ』の最新ヴィジュアルも公開されている。いったいどんなアニメに仕上がっているのか……妄想を膨らませておきましょう。

Acidclank - ele-king

 トラックメイカーにしてシンガーソングライター、そしてモジュラー・シンセの使い手でもあるYota Mori。そのソロ・プロジェクト、Acidclankがニュー・アルバム『In Dissolve』をリリースする。発売は2月5日で、ガムランを用いた曲からジャングル、ドリーム・ポップ、ダブステップまでとりいれた独自のポップ世界が構築されている模様。3月7日にはリリース・パーティ《acidplex (dissolution)》の開催も決定しているので、あわせてチェックしておこう。

Yota Moriによるソロプロジェクト Acidclank、ニューアルバム「In Dissolve」2025年2月5日リリース決定!

Yota Moriによるソロプロジェクト Acidclank が、2025年2月5日(水)ニューアルバム『In Dissolve』をリリースすることを発表。
前半では、ガムランやシンセのミニマルフレーズが織りなす反復とメロディアスな音像が、リスナーを深い瞑想状態へと導く。後半に進むにつれて、ドラムンベース、ドリームポップなど多彩なアプローチを通じて、さらなる精神の深淵へと誘う楽曲展開が待ち受けています。民族音楽、サイケデリックトランス、ミニマルテクノ、エレクトロ、ドリームポップまで、幅広いジャンルの要素を取り入れた本作は、Acidclankの音楽的挑戦を結晶化した実験的な作品。アルバムアートワークもYota Mori自身が手掛け、音楽と視覚が一体となった世界観を構築している。
本作のリリースに伴い、2025年3月7日(金)に渋谷CIRCUS TOKYOにてリリースパーティー『acidplex (dissolution)』の開催も決定。

[リリース情報]

Acidclank 『In Dissolve』
2025.02.05 [CD] / 03.05 [VINYL]
PCD-25459 / PLP-7534
定価:¥2,750(税抜¥2,500) / ¥4,400(税抜¥4,091)
Label:P-VINE

*Pre-order now
CD: https://anywherestore.p-vine.jp/products/pcd-25459
LP: https://anywherestore.p-vine.jp/products/plp-7534

Pre-teaser
https://youtu.be/PaV8ER8exew
https://youtube.com/shorts/4nv79AabfEg

Tracklist:
1. Enigma
2. Hide Your Navel
3. Hallucination
4. Radiance
5. Mantra
6. Remember Me
7. Out Of View
8.Grounding

[イベント情報]
Acidclank 「In Dissolve」Release Party
『acidplex (dissolution)』
日時:2025年3月7日(金)
OPEN / START:18:00 / 18:30
会場:東京・渋谷 CIRCUS TOKYO (https://circus-tokyo.jp/)

[PROFILE]
トラックメイカー/シンガーソングライターであるYota Moriによるソロプロジェクト。 シューゲイザー/クラウトロック/サイケデリック/アシッドハウス/マッドチェスター/ドリームポップにインスパイアされたサウンドで、その活動形態やジャンルを流動的に変化させる。 2021年、2022年には国内最大級のフェス「FUJI ROCK FESTIVAL」にバンドセットとして出演。 2022年のRED MARQUEEステージでのパフォーマンスでは、日本人離れした音楽性・高い演奏力で大きな話題を呼んだ。 2023年からは活動拠点を大阪から東京に移し、サポートメンバーに元NUMBER GIRLの中尾憲太郎氏がベースとして参加するなど、各著名アーティスト達から支持されつつ精力的にライブ活動・リリースを行っている。 また、モジュラーシンセサイザー奏者としての一面も持ち、2023年には国内最大のモジュラーシンセ見本市であるTFoMにソロセットで出演するなど、クラブ、バンドのシーンに関わらず多岐にわたる活動を行う。

Acidclank:
https://x.com/ACIDCLANK
https://www.instagram.com/y0ta1993/
https://linktr.ee/acidclank

Dennis Bovell - ele-king

 UKレゲエにおけるイノヴェイター、デニス・ボーヴェル。ジャマイカと同じく、旧イギリス植民地、西インド諸島の西の端にある珊瑚礁の島、バルバトスにて1953年に生まれ、1965年に家族の移住とともに12歳のときに彼はサウス・ロンドンの地に降り立った。いわゆる非ジャマイカのカリブ系の「ウィンドラッシュ世代」であり、デニスが音楽を手がけた、UKブラックの若者とサウンドシステム・カルチャーを描いた映画『バビロン』の主人公たちとほぼ同じか、もしくは少しだけ上の世代と言えるだろう。1971年にバンド、マトゥンビを結成し、来英するジャマイカン・アーティストやディージェイのバックを務めつつ、自らの楽曲も発表、UKレゲエの礎を作っていくことになるのだが、もうひとつ彼の重要な活動の場としてサウンドシステムの運営があった。今回、本稿のテーマとなる、〈Warp〉傘下の〈Diciples〉からリリースされる、彼の1976年から1980年の作品をまとめた『Sufferer Sounds』は、彼が運営していたJah Sufferer Soundsystemからとられている(「Sufferer」とは植民地・人種主義の文字通り「受難者」として、ジャマイカのゲットーの人びとが自らを呼ぶ言い方だ)。
 彼は1970年代初頭よりJah Suffererを運営しつつ、マトゥンビとは別にさまざまな音源制作も手がけていく。まずは自身が活動するサウンドシステムの “スペシャル” の需要がありつつ、彼の場合、1970年代の後半に関わったマテリアルの数々を考えると、それだけに留まらない猛烈な創作意欲が垣間見られる。その原動力のひとつに、「UKのレゲエ」を地元UKのシーンに認めさせるというものがあったようだ。当時のUKのサウンドシステムで重宝されていたのは「本場」ジャマイカのレゲエであって、彼らが欲しがっていたのはジャマイカの名プロデューサーたちがUKに持ち込むダブプレート(未発表、もしくは特別な別ミックスのテスト・プレス盤、ないしはそのマスター・テープ)だった。こうした状況のなかで、彼はさまざまなサウンドを試し、ダブ・ミックスの技を、そしてさまざまな音楽に対するアイディアを磨き、当時シーンに自分たちの力量を認めさせていった。そのなかのひとつにラヴァーズ・ロック・レゲエ=ミリタントなレベル・ミュージックではなく、ラヴ・ソング中心のポップな流行歌としてのレゲエもあると言えるだろう。
 また彼の通り名とも言えるブラックベアード、4thストリート・オーケストラや『Sufferer Sounds』にも収録されているアフリカン・ストーンなど、匿名性の高い名義を使い、場合によってはあえて海外でプレスし逆輸入、ジャマイカ盤のようにいわゆるドーナッツ盤(センターホールがラージホールになっている)にするために、わざわざカッティング・マシンで穴まであけて、あたかもジャマイカのアーティスト、盤であるかのように偽装までしていた。また彼は基本的にはベーシストとして知られているが、じつはギター、ドラム、キーボードを操るマルチ・インストルメンタリストでもあって、レコーディング・エンジニアとして多重録音で楽曲を制作、さらにそれをダブ・ミックス、ときにはそうしてできた音源を、自身のシステムでその晩にプレイするためにダブプレートのカッティングすらした。おそらくセッション・ミュージシャン費を浮かせたい意図もあったとは思うが、演奏のニュアンスからアレンジからコントロールする狙いもあったのではないだろうか。
 本国ジャマイカのダブ音源は基本的に歌入りのオリジナル・ヴァージョンの、演奏家の意志がほぼ介在しないリミックス・ヴァージョンであったが、デニスの場合は、純然たるダブ・ヴァージョンのためのレコーディングもおこなっていた。アレンジからダブ・ミックスありきで作られることもあったのではないだろうか、そこからまさに特別な、キラーなダブが生まれたことは想像に容易い。ちなみに、こうした『Sufferer Sounds』で見られるデニスの仕事のなかから、ダブの手法が極まった作品として、1980年の2枚のダブ・アルバムをあげておこう。UKで初めてダブ・アルバムを流通させたウィンストン・エドワーズ(ジョー・ギブスのいとこ)のレーベルからリリースされた、オーソドックスなレゲエのリズムながら手数の多いダブ・エフェクトが楽しめる『Winston Edwards & Blackbeard At 10 Downing Street - Dub Conference』と、さまざまな音響的な仕掛けや演奏も含めて、単なるダブ・アルバムから一歩踏み込んでダブを表現として昇華させた『I Wah Dub』の2枚だ。
 ロイド・ブラッドリー『ベース・カルチャー』に掲載されているインタヴュー(「16 : 俺たちのルーツ」収録)によれば、デニスはある種のフォーマット化されたジャマイカのリズム(バニー・リーのフライング・シンバル~ロッカーズ・スタイル、スライ&ロビーによるステッパーなど)をはねのけるUK独自のリズムの創出を目指しもした。そのひとつが、その後、ラヴァーズ・ロック・レゲエの代名詞ともなるジャネット・ケイの “Silly Games” のリズム・デリヴァーだという。アスワドのアンガス・ゲイをドラマーとして起用し、ハイハットとスネアがエレガントに進む、デニス言うところの「スティックラー(こちょこちょくすぐる)・リズム」(上記インタヴューにて発言)は、たしかに大きくジャマイカのリズムを変えるまではいかなかったが、UK生まれの独特のレゲエのスタイルとしてのラヴァーズ・ロック・レゲエの最大のヒット曲となり、代表曲となった(『Sufferer Sounds』には、アンガスのジェントルなタッチのドラムも堪能できる未発表のダブ “Game Of Dubs” が収録されている)。

 1970年代のこうした彼のサウンドに対するトータル・プロデュースとアンダーグラウンド・サウンドシステム・シーンの実験は、演奏が人力である点を除けば、そのまま現在のダブステップ・アーティストがDAWでやっていることとあまり大差がないことがわかるだろう。『Sufferer Sounds』は、まさにこうした地下の先鋭的な音楽の実験のドキュメンタリーとなっている(デニス本人が語っているライナーノーツも必読だ)。1970年末になるとこうしたサウンドの実験とその手腕が、LKJとの共闘などUKレゲエ・シーンの重要作を経て、ジャンル外の人びとにも注目され、ザ・スリッツやザ・ポップ・グループ、さらには坂本龍一の作品などを手がけることになり、国際的な評価にもつながっていく。
 そういえば、デニス・ボーヴェルのコンピが〈Disciples〉からというのは以外な感覚もしたが、レゲエ史というよりも、ダブをひとつ、現在につづくエレクトロニック・ミュージックの手法とすれば、つまりUKのアンダーグラウンドに存在したある種のエレクトロニック・ミュージックの埋もれていた重要な実験であり、そう考えればこれまでのレーベルの方向性とも合致すると合点がいく。

和音を刻む手 - ele-king

坂本といえば、少年時代に出会ったドビュッシーとラヴェルを敬愛し続けた音楽家として知られており、坂本自身もこの2人の影響を折に触れて語ってきた。だが、 “Asience-fast-piano” は違う。この曲には、坂本がドビュッシーやラヴェルを通して習得し、彼独自の和声語法のひとつへと昇華した、くぐもったような和音の響きがほとんど感じられない。


Ryuichi Sakamoto
/04 /05

ワーナーミュージック・ジャパン

Amazon Tower HMV

 坂本龍一の2枚のセルフカヴァー・アルバム——2004年発売の『/04』と2005年発売の『/05』——が2枚組リマスター盤『/04 /05』として再発されることになった。2枚とも坂本のピアノ曲のベスト盤ともいえるのだが、全ての収録曲が坂本自身によって再構成されており、ほとんどの収録曲はオリジナルの楽曲とはすっかり別の新しい音楽に生まれ変わっている。ピアノを主柱としているものの、この2枚のアルバムは性格がやや異なる。
  『/04』は坂本によるピアノ独奏だけでなく、チェロの藤原真里(『Undercooled-acoustica』、 “Tamago 2004” )、同じくチェロのジャキス・モレレンバウム( “Bibo no Aozora” )、尺八の藤原道山( “Seven Samurai – ending theme” )らとのコラボレーションも交えた構成となっており、ピアノを中心としたアンサンブルや室内楽の可能性を感じさせる。
 多重録音を駆使して全演奏を坂本ひとりが担っている『/05』は、『/04』と比べると内向的な印象を与えるかもしれないが、この状況を究極の自己完結性とも言いかえることができるだろう。

【参考映像】『/04』2004年発売時のメイキング映像
ここで坂本は「こういう曲はピアノではできないと思っていたものも、あえて挑戦してとりあげているんですよね」と語っている。

 本稿では、楽曲の内容や作曲技法のみならず、演奏も含めた広い概念として坂本のピアノ曲を捉えたいので、 “ピアノ音楽” という言葉を使うことにした。
 坂本のピアノ音楽の特徴をじっくり考えてみようと、アルバム2枚をまずは1曲ずつ収録順に聴いてみた。決して大げさな表現ではなく、『/04』の1曲目“Asience-fast-piano”に筆者は強い衝撃を受けた。2003年にシャンプーのテレビCMのために書き下ろされたこの曲を覚えている人も多いだろう。当時、CMで流れていたのは、『/04』のボーナス・トラックとして収録された鮮やかなオーケストレーションを特徴とするオリジナル版だった。この曲のピアノ版では、輪郭のはっきりした下行形の跳躍モティーフで始まるメロディを右手が弾き、そこに左手が伴奏として和音を刻む。中間部では、新たなモティーフが高音域と低音域で呼び交わし合い、その後、東南アジアのどこかの地域(それは想像上の場所かもしれないが)の音階を思わせるパッセージで冒頭のメロディへと戻って曲が締めくくられる。シャンプーのCMということもあってなのか、清潔感さえ漂わせる、この簡潔で清々しい小曲に筆者は本当に驚愕してしまった。これはこんなにすごい曲だったのかと、ピアノ版で思い知らされたのだった。
 坂本といえば、少年時代に出会ったドビュッシーとラヴェルを敬愛し続けた音楽家として知られており、坂本自身もこの2人の影響を折に触れて語ってきた。だが、 “Asience-fast-piano” は違う。この曲には、坂本がドビュッシーやラヴェルを通して習得し、彼独自の和声語法のひとつへと昇華した、くぐもったような和音の響きがほとんど感じられない。フランス近現代音楽とは明らかに異なる、この曲の明瞭さはどこに由来するのだろうか。そこで筆者の頭に浮かんだのがモーツァルトだ。幼い頃からクラシック音楽の技法、理論、歴史を身につけてきた坂本にとってのモーツァルトの存在は、当然、通っておくべき教養であり、バッハやベートーヴェンと並んで、身近な作曲家だったはずだ。また、これは坂本に限らず、いわゆるクラシック音楽を体系的に学んだことのある人ならば、今も昔も誰もが通る道だろう。
 聴き手にまっすぐに飛び込んでくる晴朗な旋律は “Asience-fast-piano” の 「モーツァルト感」を特徴付ける要素だが、左手による和音の連打も看過できない。たとえば、モーツァルトの “ディヴェルティメント ニ長調 K136” (1772)は弦楽四重奏曲なのでピアノの音色ではないが、第1楽章の明るい旋律と小気味よく刻まれる和音は、 “Asience-fast-piano” の華やかさとどこかで繋がっているようにも思える。
 過去に、坂本はモーツァルトについて、 「かなり弾かされたし、聴いてもいるし、自分のなかにずいぶん入ってはいますけどね。でも扱いにくい人ですよね、モーツァルトは」(『コモンズ:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅』アルテスパブリッシング、2021年、123頁。)と発言している。この発言の背景を詳述すると、音楽の訓練の痕跡が見つからないにもかかわらず、モーツァルトの音楽は全てが最初から完結していることと、彼のピアノ曲を完璧に弾くのは限りなく不可能なこと(同前、123-124頁)から、坂本はモーツァルトを 「扱いにくい人」と言ったのだった。この発言をふまえると、坂本のピアノ音楽を語る際にモーツァルトを持ち出すのは無謀にも思えるが、それでもやはり、彼のピアノ曲における和音の連打を聴くと、モーツァルトのいくつかの楽曲を連想せざるを得ない。
 映画『ラストエンペラー』の音楽として書かれた、『/04』5曲目の “Rain” も和音の連打が効果的に用いられている。皇帝溥儀の第二皇妃、文繡は決然とした口調で 「I want a divorce(私は離婚したいのです)」と溥儀に訴え(この時、溥儀は彼女にまともに取り合っていない様子だが)、召使いが差し出した傘を晴れやかな顔で断り、降りしきる雨の中、彼のもとを去って行く。 “Rain” はこの緊迫したシーンそのものだと言ってもよいくらい、ここで起きる出来事や人物の機微を見事に捉えている。劇中でのオリジナル版ではシンセサイザーの短い前奏の後に、高音域の弦楽が端正なメロディを奏で、低音域の弦楽が和音をすばやく刻む。この緊張感はもちろんピアノ版でも変わらない。粒の揃った硬質なタッチで連打される和音がただならぬ雰囲気を放ち、聴き手を音楽に引き込む。そして、ここでまたもモーツァルトが思い出される。 “ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310” (1778)(『新モーツァルト全集』以降は第9番に変更された)の第1楽章は、モーツァルトのピアノ・ソナタには珍しい短調だ。第1楽章の冒頭、右手のメロディと左手の和音の激しい連打のぶつかり合いは “Rain” の緊張感に通じるものがある。このソナタに限らず、私たちはモーツァルトの短調の曲に特別な意味を持たせようとしてきた。古くは小林秀雄が 「モオツァルト」(1946)の中で、 “弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K516” (1787)を 「モーツァルトのかなしさは疾走する」と評した。 “Rain” から感じるのは悲哀だけではなくて、新たな世界に対する期待や高揚感も含まれるが、いずれにせよ、短調の和音が決然と連打されることによる音楽的、心理的な効果ははかり知れない。

【参考映像】
本文中で言及したモーツァルトの3曲。 「和音の連打」やモーツァルトの「かなしさ」が何を指すのかを実際に聴いてみてほしい。

モーツァルト “ディヴェルティメント ニ長調 K136” 第1楽章

モーツァルト “ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310” 第1楽章

モーツァルト “弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K516” 第1楽章

ピアノの弦の間にボルトやゴムなどを挟んで、ピアノの本来の音色を変化させるプリペアド・ピアノにも坂本は積極的だった。『/04』8曲目 “Riot in Lagos” でのプリペアド・ピアノは打楽器的な用法に徹している。一方、『/05』最後の “Rainforest” でのプリペアド・ピアノは、ピアノを楽器という枠組みから解放し、単なる物体と捉えて様々な音を出している。音を発する物体と、音そのものへの関心は2017年のアルバム『async』につながった。

 坂本とモーツァルトを並べてみたところ、実は和音の連打が坂本のピアノ音楽にとって重要な役割を持っているのではないか。そんな仮説さえ成立しそうだ。拍に合わせて和音を規則的に刻む方法はとてもシンプルだが、打鍵の強さやテンポ次第で音楽は様々な表情を見せるだけでなく、リズムを担う低音部や打楽器セクションの効果も期待できる。和音の連打はピアノ音楽の表現の幅を広げていると同時に、坂本のピアノ演奏のスタイルを特徴付けているようにも感じられる。先に紹介した2曲の他に、『/04』と『/05』のいくつかの楽曲においても、和音の連打が効果的に用いられている。
 『/04』4曲目 “Merry Christmas Mr. Lawrence” では、後半に差しかかると、1拍目にアクセントを付けた和音の連打が聴こえてくる。それまでのゆったりとした曲調が一転し、あのなじみ深いメロディがどこかへ向かっているような感覚を得る。多重録音のピアノにのせて坂本自らが歌う5曲目 “Perspective” の和音の連打は、内省的で落ち着いた雰囲気を揺さぶるような効果をもたらす。冒頭のメロディがとても有名な『/05』4曲目 “Energy Flow” では、古典舞曲のような中間部を経て、もとのメロディに戻った時に、高音域での和音の連打が出てくる。これら3曲の和音の連打にはモーツァルトの音楽に感じる悲哀はなく、曲全体の均質性に対する変化や刺激としての役割を持っている。
 『/05』3曲目 “Amore” のオリジナルは1989年のアルバム『Beauty』に収録されている。オリジナルではアート・リンゼイとユッスー・ンドゥールが参加して賑やかな音楽に仕上がっているが、ピアノ版では右手がメロディを弾き、左手が柔らかで控えめな打鍵で和音を鳴らしている。メロディもコード進行も同じはずなのに、2つのヴァージョンはまるで別の曲のように聴こえる。
 『/05』7曲目の “Happy End” は “Amore” 以上にオリジナルと乖離している。この曲は1981年にシングル “Front Line” のカップリングとして発表され、同年のYMOのアルバム『BGM』にも別のアレンジで収録されている。1981年のYMOのウィンター・ライブでもこの曲は演奏された。これら3つを聴き比べるだけでも十分に面白いのだが(この中では『BGM』ヴァージョンが最も抽象的だ)、『/05』では4台ピアノ版に再構成されている。整ったメロディ+規則正しく刻まれる和音+これらを支える低音の明瞭な構造は、バロック時代の古典組曲のひとつ、ガヴォット(2拍子系の中庸なテンポの舞曲)を想起させる。筆者はこのピアノ4台版を聴いて、この曲の全貌がようやくわかった。また、この曲は坂本の最後となった演奏を記録したコンサート映画『Opus』(2023)でも演奏されている。ここでの演奏では和音の連打は消え、ガヴォットから荘重な足取りのパヴァーヌ(2拍子系の厳かな舞曲)へと変貌を遂げている。
 『/05』6曲目 “The Last Emperor” と10曲目 “The Sheltering Sky” はどちらも映画のテーマ曲としてオーケストラ編成で書かれた。この2曲のピアノ版でも和音の連打が登場する。 “The Last Emperor” では、メイン・テーマが終わって中間部に移ると、和音は音域を低くしていき、最後にはトレモロをダイナミックに奏でる。 “The Sheltering Sky” はシンプルに右手の高音域でのメロディに左手が和音で伴奏をつけるシンプルな構成だが、 “The Last Emperor” と同じく、曲が進むにつれて左手の音域が低くなり、和音よりもさらに劇的な効果を生むトレモロを経て、静かに幕を閉じる。
 以上が『/04』と『/05』に聴くことのできる、坂本による和音の打鍵の数々だ。ここでは、あえて音の響きではなくて、音のアタックに着目して彼のピアノ音楽を紐解いてみた。もちろん、彼のピアノ曲と演奏には他の多種多様な要素が複雑に絡み合っている。たとえば、『/04』3曲目の “+33” にミニマル・ミュージックとのつながりを見出すこともできる。また、YMOをよく知っている人なら、この曲にYMOの映画『プロパガンダ』(1984)の最後を飾った “M16” を思い出して懐かしい気持ちになるかもしれない。『/05』5曲目の “Aqua” と9曲目 “Fountain” は水の音楽だ。水をテーマにした曲をいくつも遺したドビュッシーやラヴェルに限らず、水は古今東西の音楽家に大きなインスピレーションを与え続けており、坂本もその例外ではなかった。2009年のアルバム『out of noise』の中で、坂本がハンディ・レコーダーや水中マイクを使って採取した北極圏の様々な音を聴くことができる。
 ピアノの弦の間にボルトやゴムなどを挟んで、ピアノの本来の音色を変化させるプリペアド・ピアノにも坂本は積極的だった。『/04』8曲目 “Riot in Lagos” でのプリペアド・ピアノは打楽器的な用法に徹している。一方、『/05』最後の “Rainforest” でのプリペアド・ピアノは、ピアノを楽器という枠組みから解放し、単なる物体と捉えて様々な音を出している。音を発する物体と、音そのものへの関心は2017年のアルバム『async』につながった。

 『/04』と『/05』2枚組リマスター盤発売に合わせて、このアルバムのスコアブック(楽譜集)も発売される。作曲家と演奏家の分業化が進んだ現在、自作曲の演奏をこれほど多く残している音楽家は坂本の他になかなかいないのではないだろうか。自分の曲を弾くことについて、坂本は 「十年一日というか三十年一日のごとく同じように弾くのは嫌なので、なんとか違う新鮮な弾き方がないものかと、いつも頭の中で考えてはいるんですけれど、なかなかないんですね、これが」(『コモンズ:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅』91頁。)と言っている。だが、この発言に続けて、10年くらいのスパンで弾き方、和音、テンポが変わっていることもあり、たまに伴奏の仕方を変えてみるとも述べている(同前、91頁)。自作曲を自分で書いた楽譜通りに演奏することにこだわり、自分の曲を完全に客観的に捉えてピアノを弾くフィリップ・グラスと違い、坂本にとってのピアノ演奏は、自分の創作の足跡を確認し、そこから新たな可能性を発見する大事な作業だったのかもしれない。

■坂本龍一『/04 /05』はワーナーミュージック・ジャパンから12月18日発売。また、大規模なインスタレーション展『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』(https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS/)は東京都現代美術館にて2024年12月21日から。



Ryuichi Sakamoto
/04 /05

ワーナーミュージック・ジャパン

Nujabes Metaphorical Ensemble & Mark Farina - ele-king

 ヌジャベスの音楽を未来につなぐプロジェクト、Nujabes Metaphorical Ensemble。ヌジャベスの作品を愛するミュージシャンやDJから成る彼らが出演するライヴが12月29日、恵比寿ガーデン・ホールにて開催される(https://flows-jp.com)。マーク・ファリナやパウダー、活動休止前の最後のライヴを披露するNABOWA、ペース・ロック、寺田創一らが集う同イヴェントの最終ランナップが公開されており、新たにnasthug、Kento Nagatsuka、DJ NORIの出演がアナウンスされている。
 さらに、会場では、ヌジャベスの楽曲のみで制作されたマーク・ファリナによるミックステープ『Tribe Sampler Mushroom Jazz』が先行販売される。チケットなどの詳細は下記より。

Nujabesの音楽を未来に繋ぐプロジェクトNujabes Metaphorical Ensemble、Mark FarinaやPowder、活動休止前のラストライヴとなるNABOWA、Pase Rock、Soichi Teradaに続く最終ラインナップが公開。

2023年に出演したBoiler Roomでのパフォーマンスが120万回以上再生され、一躍注目を集める存在となったnasthugが登場する。

そしてエクスペリメンタル・ソウルバンドWONKのボーカリスト Kento Nagatsukaが豊かな音楽性を背景にしたDJセットにて参加。

さらにキャリア40年を超える日本が誇る至宝DJ NORIの出演が決定した。

全9組による極上のラインナップ。
タイムテーブルはflowsのSNSから近日公開予定となっている。


ミックステープ「Tribe Sampler Mushroom Jazz」がリリース!

Nujabesの楽曲たちとMark FarinaによるMushroom Jazzがコラボレーション。
Hydeout ProductionsのサブレーベルTribeから
ミックステープ「Tribe Sampler Mushroom Jazz」がリリース。

ジャジーなヒップホップからダビーなダウンテンポトラックを中心にミックスされるMushroom Jazzは過去に幾つもの名作を残しており、Nujabesの作品のみで構成された今回の特別な音源はMark Farinaのセンスと手腕により美しい楽曲の新たな魅力を引き出している。
NujabesとMark Farina。時を経て邂逅した必然のコラボレーションとなっている。

flowsにてミックステープの先行発売をおこないます。
完全限定生産となっているので、会場で売り切れた場合、一般販売はございません。

TITLE : Tribe Sampler Mushroom Jazz
ARTIST : Mark Farina
LABEL : Tribe
PRICE : ¥2,500 (taxout)


OUTLINE

TITLE : flows
DATE : 2024.12.29 SUN, OPEN 14:00 CLOSE 21:00
VENUE : The Garden Hall(東京都目黒区三田1-13-2)
LINE UP : Nujabes Metaphorical Ensemble、Mark Farina、Powder、
NABOWA, Pase Rock、Soichi Terada、nasthug、Kento Nagatsuka、DJ NORI
ADV TICKET :
Category 1 : ¥6,800 -SOLD OUT-
Category 2 : ¥7,800
Category 3 : ¥8,800
U-23 : ¥5,000
※小学生以下の児童及び乳幼児は保護者1名につき1名まで入場無料です
※カテゴリー1から順に完売次第、次のカテゴリーに移行します
※規定枚数に達した場合には当日券の販売はございません
TICKET AVAILABLE AT : Zaiko(https://flows.zaiko.io/item/367270)

HP : https://flows-jp.com
Instagram : https://www.instagram.com/flows_jp
X : https://x.com/flows_jp

PAS TASTA - ele-king

 ……といったところで、終わりでいいんじゃないですか? とりあえず、ね。

 とラフに結ばれているPAS TASTAの前作『GOOD POP』のレヴューだが、とりあえずという形で置かれたそのバトンを今回受け取ったのは私。ついに六人がカムバック! さて、hirihiri、Kabanagu、phritz、quoree、ウ山あまね、yuigotという現行インターネット・ミュージックにおける精鋭が集ったこのグループの成り立ちについては松島広人氏による前作の評を読んでいただくとして。とりあえず終わりでいいんじゃないですか、とゆるいノリで終わったわりには、とんでもなく精巧に作られた夢の続き~最新作~について語っていくことにしましょう。

 まず、アルバム・タイトルがつくづくすばらしいと思った。『GRAND POP』。これはもう、恐ろしく素敵なタイトルだ。例えば『Pop2』や『brat』といったチャーリーXCXのタイトル芸はファッショナブルでインディペンデントっぽいセンスだけど、PAS TASTAはあえての優雅な方向にドーン、とね。そう、『GOOD POP』からの進化を感じさせようという意思が迫力に満ちている。しかし、そこで『GRAND POP』なんて普通思いつくだろうか? Chat GPTに訊いてみるといくつか提案してくれたけれど、実にセンスに欠けるものばかりだった。『NEXT POP』? ありきたりだね。『DEEP POP』? それはPAS TASTAの本質じゃない。『PURE POP』? ちょっと酔いすぎ。『PRISM POP』? 小さくまとまっちゃったな。『ETERNAL POP』? それはインターネットっぽくないかな。メンバーは前作以上にこの作品をウェルメイドなものにしていきたいと考えていたようで、大きさがあり上品さもある「GRAND POP」にした、と語っている(J-WAVE 『GRAND MAREQUEE』11/19放送回より)。サラッと言っていたが、重要な発言だ。インターネットのジャンク感を大切にしつつも、表面上はそれを削ぎ落とし、オーセンティックなJ-POPの王道感を看板に掲げるということか。まるで『POSITIVE』期のtufubeatsのような大文字の音楽をやろうとしている! と解釈したのだが、しかしあれから約10年が経ち、「ポップ」のありかたも激変してしまったわけで。一つに、もうみんながバラバラになっちゃった、というのがある。国内のアンダーグラウンド・シーンに10,000人いたミュージシャンがいまは100,000人いて、そのうちの1人が「私、ポップやります!」と言ったところで、どうしてもスベった感が出てしまう現在。今年いよいよ流行語にもノミネートしてしまったこの「界隈」というやつは、狭いうえに横のつながりも密なもので、まぁいろいろと面倒も多くて大きいことを言いづらい。という中で、誰もが納得する実力者が組むアベンジャーズ作戦というのはとても良い。「J-POPやります宣言」を、ジョークやアイロニーではなく、語義通り受け取ってもらえるリアリティがある。

 『GRAND POP』、見事なアルバムだから次々とすごいポイントが出てきます。もう一つは、「ポップ」に見合うだけのストーリーがあるということ。ここで言うストーリーとは、歌詞の物語性とかアルバムとしての起承転結とかそういったことを言っているわけではなく、もっと本質的な部分において、サウンドと情緒の連なりが作品の思想を深めていくような感覚──と言えばよいだろうか。この点において効果的なのは、やはり、ギター・ロックやシューゲイズの導入が必然性をもってなされているのが大きい。今年はTORIENA『圏外』やVitesse X『This Infinite』など、エレクトロニック・ミュージックにギターを導入することで作品の深度を深めていくようなアプローチが散見されたが、本作においてもロックの要素が重要な鍵を握っているように思う。そもそも、Patrick St. Michel氏が書いていた通り(※)ロックはJ-POPの基盤であるがゆえに本作では引用されてしかるべきなのだが、『GRAND POP』においてはなんだか全てがどこかで聴いたかのような既視感があり、それらがすべてPAS TASTAらしいテクスチャで鳴らされている(“亜東京” で顔を覗かせるRADWIMPSには仰天!)その点で、「90年代~00年代のJ-POPの記憶」を、オーセンティシティの装置として効果的に使った作品であるとも言える。今回のアー写なんか、2000年前後のナントカやナントカといったアーティストの写真にそっくりだ。『WHAT's IN?』や『CDでーた』で、たくさん見た! どこまで狙ってるのかはわからないけれど、すばらしいパロディ・センス。

 つまり、インターネット・ミュージックは、点としての固有の面白さがありつつもどこか散発的で断片的な印象にとどまりがちなものだが、そこを出自に持ちながらもPAS TASTAはストーリーを描くことができるからこそポップになり得ているということ。それは、六人の存在感のつなぎ目がどんどんなくなってきているというのも大きい。「ここの音はhirihiriさん!」「この癖はあまねさん!」という凸凹が随分とならされていて、PAS TASTAが制作スタジオとして使っているというDiscordの、あの現代の「シェルター」の中のくつろいだ空気が、ボカロとエレクトロとヒップホップとハイパーポップとハードコアとガラージを糊代なしでシームレスにつなぐ。フォルムが綺麗なのだ。そうそう、シームレスといえばひとつ不思議なことがあって、本作は「車」をテーマにしているようだけど、どうもタイヤの接地面がなくふわふわと宙に浮いているような感じがする。車というとすぐに¥ellow Bucksのようなふくよかなベース音をどっぷり排出するサウンドを連想してしまうのは私の悪い癖だが、それと比べると、『GRAND POP』はまるで空飛ぶ車だ。ようこそ未来。六人のアイデアがどんどん浮かんできて、それを継ぎ接ぎしつつもこねてこねて洗練させていった音。「もしも、ぜーんぶ追い越して/懐かしくなっても/はやさの中にしか/おれはいないのだろうな」と見事な歌詞が歌われる “THE CAR” は、妙に懐かしいギターに包まれながら──なんといまどき呑気にフェードアウトしながら終わるという、これもまた「あの頃のJ-POP」をやっている。

 中でも、全体通してヴォーカル表現がとても空中浮遊的だ。「シュッシュ/シンフォニー/ヒュッヒュッヒュッ/ピット/ピピピ」と歌う柴田聡子は過去一番の軽やかさだし、ボカロ以降のモードに矯正されたchelmicoは悶絶するほどの脱‐人間。ピノキオピーは言わずもがな、ここにLIL SOFT TENNISのザラついた声を混ぜるのも面白いし、キタニタツヤの入り方も2024年のJ-POPとして完璧です。さて、ここまでくると早くも次作が楽しみで仕方ないのだが、ポップ無き時代のポップを背負うのはもうPAS TASTAしかいないので、どこまでもやっちゃってほしいです。できるだけ大文字の、でも意外な人たち──星野源、ado、中村佳穂、aiko、折坂悠太……etc.と、最高のコラボ相手はまだまだたくさんいらっしゃいます。夢があるって、すばらしい。ぶんぶん鳴らしてふわふわ浮いて、PAS TASTA with tomad氏の挑戦がどこまでもどこまでも広がっていきますように!

 ……といったところで、終わりでいいんじゃないですか? とりあえず、ね。



https://www.scrmbl.com/post/pas-tasta-goes-big-on-second-full-length-album-grand-pop

Yuki Nakagawa - ele-king

 チェロ奏者、中川裕貴による4年ぶりの新作コンサート「弭(ゆはず)」が12月28日から29日にかけ、ロームシアター京都にて開催される。日野浩志郎とのKAKUHANでの活動でも知られる彼は、通常わたしたちが想像するのとは異なるやり方でチェロの可能性を引き出す、果敢な冒険者だ。今回はDJと俳優とのコラボレーションとのことで、また未知なるサウンドを体験できるにちがいない。中川本人によるメッセージも届けられているので、下記をご確認あれ。

チェロとDJが開発する、音の新領域
令和6年度京都市芸術文化特別奨励者・中川裕貴の最新作を京都で!

チェロを主体として作曲・演奏・演出活動を行う音楽家/演奏家の中川裕貴による約4年ぶりとなる新作コンサート「弭(ゆはず)」をロームシアター京都で開催します。
チェロという楽器、DJ、俳優の行為が関わることで生まれるさまざまな「声」を、「弓」が引き出し、観客の「耳」に届けます。

中川裕貴「弭(ゆはず)」
日程:2024年12月28日(土)~29日(日)
会場:ロームシアター京都 ノースホール

作曲、演奏、演出:中川裕貴  
DJ:1729
出演:中川裕貴、出村弘美、穐月萌、1729

https://www.yukinakagawa.info/post/yuhazu_2024

スタッフ:
舞台監督:北方こだち
音響:甲田徹
照明:十河陽平
宣伝美術:古谷野慶輔
制作:平野春菜

主催:中川 裕貴
共催:ロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)
京都芸術センター制作支援事業

日程:
2024年12月28日(土)13:00
2024年12月28日(土)18:00☆
2024年12月29日(日)13:00★

☆終演後に中川裕貴とゲストによるトークイベントを実施予定
★託児サービスあり(要事前予約)。詳細・お申込みは中川裕貴 WEB サイト http://www.yukinakagawa.info/ にてご確認ください。
◎受付開始は開演の1時間前、開場は30分前
◎車椅子でご来場の方は、メールにてご連絡ください。

会場:ロームシアター京都 ノースホール(〒606-8342 京都市左京区岡崎最勝寺町13)
上演時間:約100分(予定)

チケット料金(全席自由・税込):
早割 3,000 円★
一般 3,500 円
U25 2,500 円

★早割は12月7日(土)23:59 まで。グッズ付き早割チケットは Peatix のみで限定販売(数量限定、先着順)。
※当日券は500円増、未就学児入場不可
※U25のチケットをご購入の方は、当日受付にて身分証のご提示をお願いします。

プレイガイド:
https://yukinakagawa-yuhazu.peatix.com/

ロームシアター京都チケットカウンター:
【営業時間 10:00-17:00】年中無休(臨時休館日を除く)TEL:075-746-3201
京都コンサートホールチケットカウンター:
【営業時間 10:00-17:00】第1・3月曜日休館
※休日の場合は翌日 TEL:075-711-3231
オンラインチケット
[24時間購入可] ※要事前登録(無料)https://www.s2.e-get.jp/kyoto/pt/

公演について
チェロを主体として作曲・演奏・演出活動を行う音楽家/演奏家の中川裕貴による約4年ぶりとなる新作コンサート「弭(ゆはず)」を開催します。弭という文字は「ゆはず」と読み、弓道などで用いる弓の両端にある「弦(つる)をかける場所」のことを指します。
このコンサートはその文字通り、弓と耳という2つの側面、そしてそれに関係する「チェロ」が中心に添えられ、ヒトの声に近い成分をもつと言われる楽器から、さまざまな「声」を、「弓」が引き出し、観客の「耳」に届けます。特に中川は近年、下記に記載するような自作の弓を使用した演奏を数多く行っており、このコンサートではその弓が主体的な役割を果たすことになるでしょう。
また今回のコンサートでは新たな試みとして、会場に「DJ(ディスクジョッキー)」がいます。
録音物を収集、吟味、推敲し、混ぜ合わせ、再構築し、ターンテーブルとCDJを複数台掛け合わせて複雑なサウンドコラージュを目指す「1729」は、DJの中でも異端かつ、誰もが説明に困る奇妙で曖昧な存在であるかもしれません。彼女は2022年まで“威力”名義で活動し、現在はクラブシーンのみならず、YCAM(山口情報芸術センター)や九州大学音響特殊棟などに活動の幅を広げ、「聴く」ことの根源的な領域にアクセスするようなパフォーマンスを行っています。
今回はこのDJとチェロという「両端」によって、何かを「かけ」ます。
さらに中川のコンサートにこれまでも数多く出演し、演奏やパフォーマンス、そして意味の「下限」を浮き沈みさせるような「行為」を続けてきた出村弘美、穐月萌も参加。この4人の持つ要素が絡み合いながら生まれる時間と空間は、タイトルである「弭(ゆはず)」という音をズラした「いわず」と、そこから派生する「静寂(サイレンス)」の現在進行形の「かたち」が提示されると同時に、私たちが生きるこの時代のありさまが照らされることになるでしょう。

「弭」という文字について、言葉遊びをしてみます。
弭、ゆはず、You haze(訳すと「あなたが霞んでいる」という意味)。
「ゆはず」→「ゆわず」→言わず=(I/You/We/They)don’t say。
そして「言わないこと」は静寂(サイレンス)と関係があります。
弓や耳、そして声。言わないこと。 サイレンス。 行動すること。
意志があること/ないこと。リスニング、トーキング、シンキング。
そしてそこに無音や中断が差し挟まれること。 ゆはずは「弦(つる)をかける場所」を指します。
「弭」という文字から生まれるイメージを、「コンサート(Concert)」という、そのことばの一部に「共に」「子孫」「対抗」という意味を持つイベントへ運ぼうとしています。
約4年前のロームシアター京都でのコンサートでは、わたしたちのほとんどは「マスク」と呼ばれるものを「耳」にかけていました。
それから月日が経ち、今、私たちの耳は、なにを「かけて(掛けて、賭けて、欠けて…)」、ここにいるのでしょうか。
このコンサートでは、今、ここから未来に向かって延びる、とある「疎密」をコンサート会場に集まるみなさんと共に創りたいと考えています。
中川 裕貴

[プロフィール]
中川裕貴(なかがわ・ゆうき)
1986年生まれ、三重/京都在住の音楽家。チェロを独学で学び、そこから独自の作曲、演奏活動を行う。人間の「声」に最も近いとも言われる「チェロ」という楽器を使用しながら、同時にチェロを打楽器のように使用する特殊奏法や自作の弓を使用した演奏を行う。音楽以外の表現形式との交流も長く、様々な団体やアーティスト(烏丸ストロークロック、森村泰昌、渡邉尚など)への音楽提供や共同パフォーマンスも継続して行っている。また2022年からは音楽家・日野浩志郎とのDUOプロジェクト「KAKUHAN」がスタートしている。近年のコンサート作品として、「ここでひくことについて(2019)」@京都芸術センター、「アウト、セーフ、フレーム(2020)」@ロームシアター京都サウスホール(ロームシアター京都×京都芸術センター U35 創造支援プログラム“KIPPU”)などがある。同志社大学工学部情報システムデザイン学科卒業。京都市立芸術大学大学院音楽研究科修了(音楽学)。令和6年度京都市芸術文化特別奨励者。

小林:今年スクエアプッシャーの『Ultravisitor』(2004年)が20周年を迎えたということで、アニヴァーサリー・エディションがリリースされています。先に世代感を確認しておきますと、ぼくがリアルタイムでスクエアプッシャーを聴きはじめたのが2001年です。00年の秋ころからエレクトロニック・ミュージックに興味を持ちはじめて、01年に〈ビート〉が〈Warp〉をとりあつかいはじめて。

渡辺:その前は〈ソニー〉だったね。

小林:はい。『Go Plastic』(2001年)、『Do You Know Squarepusher』(2002年)とつづいたあとに『Ultravisitor』が出て、当時、まだまだ聴いている電子音楽の量が足りていなかった自分の感想としては、「決定打が来たんじゃないか」みたいな第一印象がありました。

渡辺:そういう世代の方にフックがあったアルバムじゃないですかね。

小林:やはりその前の世代の方にとっては最初の2枚、『Feed Me Weird Things』(1996年)と『Hard Normal Daddy』(1997年)が決定的だったと思うんです。

渡辺:しかもその後にいろいろ実験をしていましたからね。

小林:『Music Is Rotted One Note』(1998年)とか。

渡辺:そこで極端に振れちゃったようにも見えて。「このひとはなにをやりたいんだろう」みたいなところは正直ありました。90年代の終わりとか2000年代初頭のスクエアプッシャーってそういうイメージが強かったと思うんですよ。『Do You Know Squarepusher』というタイトルもそうだけど、自分とはなにかを考えてた時期なのかな、と今回あらためて聴いてみて思いました。当時ってそんな話題になってました?

小林:今回、当時の『ピッチフォーク』のレヴューを確認してみたんですよ。そしたらかなり微妙な評価で(笑)。うまく書いてあって、悲観的とまではいえないんですけど、「いいものはどれも終わりを迎える」という書き出しで(笑)。ちなみに書き手のドミニク・レオンは自身も〈Smalltown Supersound〉から作品を出している音楽家でもあります。

渡辺:当時リアルタイムで褒められていた印象がぜんぜんなくて。『ガーディアン』のレヴューも3点で、まったく褒めていなかった。この時期、自分はなにを聴いてたかなって思い返してみると、ミニマルなんですよ。2000年代前半はクリック・ハウス以降のミニマルをすごく聴いてたから。そんな時代に『Ultravisitor』も出て、少なくとも「これはすごい」みたいな評価がされていた記憶はないし、でも酷評されたというわけでもなく……。たとえば『Music Is Rotted One Note』が出たときはものすごい賛否両論で、よくも悪くも話題になりました。その後、実験的にやっていく時期がつづいて、広く一般にインパクトを与えたっていう印象は残っていないですね。〈Rephlex〉のファンだったりエイフェックス・ツインのファンだったり、〈Warp〉のファンだったり、コアなひとたちは少しあとから支持していたような印象があって。それこそ小林さんもそうだと思うんですけど、新しい世代のニュートラルなリスナーが支持したことで広がっていったアルバムなのかな、という気はします。

小林:20周年記念盤を出すということは需要が見こめるからこそでしょうし。

渡辺:たとえば〈R&S〉もそうなんだけど、〈Warp〉もいまやってるスタッフって世代交代してると思うんですよね。昔の〈Warp〉に憧れて新人として入ったりA&Rやったりしてる若い人たちのほうが主力になっているんじゃないかな。そのあたりの影響も、今回あるのではないかなと思います。

小林:去年はバンドキャンプがブレイクコア・リヴァイヴァルを特集していて、そういうことも背景にあったりするのかもしれないと思う一方で、でもその路線であればすでに『Feed Me Weird Things』や『Hard Normal Daddy』がありますよね。

渡辺:そうなんですよね。じっさい『Feed Me Weird Things』はリイシューが出ましたよね。それが成功したというのもあるのかも。今度は、中期の彼の評価を確立した名作ということで。今回、レア曲を詰めたボーナス・ディスクがついてるじゃない。それらの曲の背景を当時は知らなくて、今回調べたんです。どうも、当時オンライン・レコード・ショップのBleep(当時はフィジカルの販売はWarpMartという別ショップ扱い)がスタートしたタイミングで、そこで予約購入した人に配っていたCDに入っていた曲みたいですね。プロモ盤としても出していて。

小林:なるほど。当時〈ビート〉から出ていた初回限定盤にもそのCD「Square Window」の5曲がボーナス・ディスクとして付属していました。

渡辺:今回、それが正式に付属したのが大きいんじゃないかなと思っていて。当時シングルとしても出た “Square Window” もいいんですが、とくに “Abacus 2” という曲が素晴らしい。レーベルとしてはやっぱりポップでキャッチーな曲をアルバムに入れてほしいはずなんです。ラジオで流せるような曲だったり、CD時代だったら試聴機で最初に流れる1曲目をそういうものにしたいとか。〈Warp〉としてはほんとうは “Abacus 2” を『Ultravisitor』に入れたかったんじゃないかと(笑)。今回、2枚目がけっこういいんですよ。そういうメロディックな曲だけじゃなくて、“Talk About Me & You” みたいなおもしろい曲も多い。でも当時トムが嫌だと言ったんじゃないか、という深読みはしちゃいますね。

小林:もしトム・ジェンキンソンが嫌だったのだとしたら、それはなぜだと思いますか?

渡辺:『Ultravisitor』って、メロディックでメランコリックですごく静かなタイプの曲と、ものすごくノイジーな曲と、両極端がありますよね。エレクトロニックなビートはもちろんあるけど、踊りやすかったりフックがあったりする、わかりやすい曲は入っていない。だから、収まりどころがなかったんじゃないかなと。彼は作品ごとにテーマを決めてやるひとだし、すごくクレヴァーなひとだとも思うし。たとえば初期に 「Vic Acid」(1997年)といいうシングルがありましたよね。あれに入っていた “The Barn” という曲には303がブリブリに鳴っていて、弟(アンディ・ジェンキンソン/シーファックス・アシッド・クルー)の影響もあるんじゃないかと思うんですが、ほんとうはああいうタイプの曲もかなり好きだと思うんですよ。でも、シンプルな4つ打ちだったり、わかりやすいアシッドでフロア寄りみたいな曲ってほとんどアルバムには入れていないような。

小林:たしかにそういう印象はある気がします。

渡辺:『Feed Me Weird Things』のときもたしか、1曲入れようと思っていたトラックが権利関係だったかで入れられなくなっちゃって、代わりにつくった穴埋め的な曲を入れたって話をしていましたよ。それが “Squarepusher Theme” だった。後に代表曲になったものが、もともとは入らない予定だった、という。あと、〈Warp〉から最初に出た紫のシングル(「Port Rhombus EP」、1996年)、あれもアルバムに入ってないよね。

小林:入ってないですね。あれはすごくいい曲ですよね。スクエアプッシャーでいちばんの名曲じゃないかと思います。

渡辺:渋谷にあったシスコ・テクノ店の棚が全部あの紫のジャケで埋まってて、1日中かかってたのをよく覚えてる。やっぱりあれがすごく衝撃的だったんですよ。だから、〈Rephlex〉から〈Warp〉に移った最初のアルバム『Hard Normal Daddy』には代表曲として絶対に入れるよねと思っていたけど、入らなかった。そういう彼のスタンス、こだわりはあるのかなと思います。最新作『Dostrotime』も、配信しないという触れ込みで。

小林:でしたよね。その後時間が経って結局配信しちゃいましたが(笑)。

渡辺:たぶんどこかで折れたのかなっていう(笑)。

小林:最初はストリーミング時代に果敢に抗ってるなと思って、ぼくも燃えて紹介記事を書いたんですけど、「出すんかい」って思いました(笑)。

渡辺:そうそう(笑)。だからその辺はせめぎ合いというか、思い入れだったり自分のなかでこういうプランでいきたい、みたいなものがあっても、ある程度時間が経てば妥協するところもあるのかなと。そういう意味では、今回のリイシューはレーベル側の意向とアーティストのやりたかったことを、両方ちゃんとうまくパッケージしているような感じがして、すごくいいリイシューだな、とぼくは思いましたね。寄せ集めの、ほんとうにアウトテイク集みたいなのって多いじゃないですか。買ったはいいけど2枚目は聴かないよ、みたいな。でも今回は「なんで入れなかったんだろう」という曲が多い。

小林:ちなみに『Ultravisitor』本編はライヴ音源が混ざっていて、若いころ「なんだろう、これは?」と思いましたけど、それについては当時どう思いましたか?

渡辺:その前の、『Do You Know Squarepusher』の2枚目にフジロックでのライヴ音源が入ってるでしょ。ぼくは完全にあの流れだと思ってたんですよ。たしか音質があまりよくなくて、その点をリヴェンジしたいのかなって、勝手に思っていましたね。だけど今回調べたら、彼は裏でいろいろ考えていたことがわかりました。当時のインタヴューってほとんど残ってなくて、ひとつだけあったんですが、それももうリンクが死んでいて。それでなんとかアーカイヴを漁ってテキストだけ読むことができたんですけど、ライヴ音源を入れたのは、ちょっとリスナーをバカにしているというか、炎上狙いのようなところもあったみたいです。そもそも自分の音楽は多くのオーディエンスが理解できないものだけど、ライヴの歓声が入っているとウケているように聞こえるから、それで「聴いてみようかな」と思っちゃうバカなひともいるかもしれない。そういう効果を狙っている、というようなことを言っていて。それでだれかが間違ってアルバムを買ってくれたら、本人は理解できなくて放置されても、そのひとの子どもや未来のリスナーが「こいつすげーじゃん」と思うかもしれない、ネクスト・ジェネレーションが自分の真価を発見してくれたら、老害になってもライヴができるかもしれない、そういう意図があった、と。

小林:なるほど。未来を先読みしていた……と褒めていいのかどうか(笑)。

渡辺:ほんとうにそこまで深く考えてたのかはべつとしても、発想としてはおもしろいですよね。ライヴ・ヴァージョンの歓声を活かすっていう。ライヴの勢いでもグルーヴ感でもなく、ほかのミュージシャンが参加していることを打ち出すのでもなく、ただ歓声が重要だっていうのはすごくおもしろいアイディアだなと。ライヴといえば、ダフト・パンクみたいに光るヘルメットをかぶったプロジェクトもあったよね。

小林:ショバリーダー・ワンですね。超絶技巧バンドの。

渡辺:あとロボットに演奏させたりとか(『Music For Robots』、2014年)、やっぱり随所でおもしろいことをやるひとだなと思います。そういう意味ではやはりなにかリリースされるたびに、スクエアプッシャーに帰らざるをえないというか、呼び戻される感じはありますよね。

[[SplitPage]]

(ここで野田編集長が登場)

野田:90年代に初来日したとき、超満員の新宿のリキッドルームでドリルン・ベースをバックにベースを弾いていたよね。

渡辺:基本そのスタイルだったね、最初。

野田:あの時点でもうひとつのスタイル、型ができあがっていたからさ、そこから抜け出ることってなかなか難しかったのかなと。『Music Is Rotted One Note』以降、違う自分を探したかったのかもしれない。そこは彼のいいところで、自分の芸風を初期の時点で捨てたというか。

渡辺:「スクエアプッシャーらしい」初期のスタイルをいつまでも求められることが嫌だったみたいだね。どこかのインタヴューでそういうステレオタイプに対して怒ってたおぼえがある。でも、初期は家でもああやって録ってたという。『Feed Me Weird Things』の記念盤セルフ・ライナーノートに書いてありました。最初はマルチトラックのレコーダーがなくて、基本的に一発録りでやっていたそうで。バック・トラックをつくっておいて、シーケンサーのスイッチ押して、同時にベースを弾いて録ってたっていう。

野田:その話はおもしろい。それで音質がその後と違うんだね。やっぱりいいね、アーティスト初期の「持たざる」時代って。みんなアイディアを駆使してつくって録音してるんだよね。

渡辺:ホックニーを輩出した名門アート・スクールに通ってて、そのお金を親に出してもらってたのに、学費や学生ローンで得たキャッシュを全部シンセサイザーに使っちゃって(笑)。

野田:それは親の立場の人間としてはちょっと(笑)。

渡辺:一応、ちゃんと卒業はしたみたいですよ。

小林:でもたしかに10年代の作品になると、システム自体かなり高度な感じになっていきますよね。

渡辺:けっこう機材オタクっぽいですよ。

野田:そう。リチャード・D・ジェイムスとはまた違うタイプの。リチャードはもうちょっと偏執狂的というか、ある意味では狂気の世界に入ってるけど、スクエアプッシャーはもうちょっと真っ当な。

渡辺:そうだよね。だからオールドスクールの機材が好きだったりとか。『Be Up A Hello』は、そういう古い機材を持ち出してつくっていた。

小林:あれは彼にしては珍しく懐古的になった作品ですよね。

野田:スクエアプッシャー史において、『Ultravisitor』はどういう位置づけなの? 『Music Is Rotted One Note』はひとつの転機だったと思う。このころからマイルス・デイヴィスとか、けっこうジャズを意識して。

渡辺:完全に生演奏でやっていたしね。さっきも話したんですけど、それでその後いろいろやって、結果『Ultravisitor』に至った、みたいな。

野田:じゃあ第2期の総括的な。

渡辺:あるいは、第3期の出発なのか。ジャケが本人の顔写真っていうのも。

小林:買ったとき、ジャコ・パストリアスみたいだなと思いました。

渡辺:そうそう、ジャコ・パストリアスのファースト(『ジャコ・パストリアスの肖像』、1976年)っぽいですよね。すごく思った。当時だれも言わなかったけど、やっぱりそうだよね。それを今回変えたじゃない。もしかしたら、ちょっと恥ずかしくなったのかなと(笑)。

小林:以降も顔をバーンって出したアートワークはないですし。そもそもテクノのアーティストはそういうことを滅多にやらないですよね。やはり『Ultravisitor』には自分の振り返り、自分史的なテーマが込められているのでしょうか。

(このあたりで野田編集長が退場)

渡辺:そういう時期だったのかなと。『Music Is Rotted One Note』に “Don't Go Plastic” という曲があったけど、その後『Go Plastic』を出した。「ニセモノはやめましょう」って言っていたのに「やっぱりまがいものがいいです」みたいな(笑)。生演奏のような、いわゆる「ホンモノ」の音楽も自分はできるんだというのを見せたかった部分がありつつ、完全にそればっかりでもない、みたいな。

小林:なるほど。『Ultravisitor』はセンティメンタルなメロディの曲が多いのも特徴ですよね。そこで内面的なものを表現しようとしていたのかもしれません。Spotifyで見ると、“Iambic 9 Poetry” と “Tommib Help Buss” だけ断トツの再生数で、ほかの曲とケタが違っていて驚きます。大多数はその2曲しか聴いてないんじゃないかと危惧してしまいます。すごいライト層だとは思うんですが。

渡辺:残酷というか、ハッキリ見えちゃうから怖いですよね。その2曲の人気からもうかがえますが、スクエアプッシャーといえば過剰なビートだったりドリルン・ベースの極北だったり、あるいはベースもむちゃくちゃ弾きまくるみたいな印象だったのが、それと真逆のイメージを打ち出してきたのが『Ultravisitor』で。“Abacus 2” のようなポップでわかりやすいリズムで、かつメロディがきれいな曲を入れなかったのは、もっと静かなもののほうが彼のアナザー・サイドを打ち出すためにはいいっていう判断をしたのかもしれないですよね。こういう曲はその後も継続してある程度出てくるし。

小林:たしかにこれ以降、こういう曲がちょこちょこ入るようになりますね。

渡辺:インタヴューで「そういう曲がすごく好きだし、自分のなかにあるものだ」って自分でも認めている。それを本人がはっきり認識したり、あるいは自分のそういう面を発見した時期なのかなって思う。デビューが95年だから、そろそろ10年目が近づいてきている、正念場みたいなタイミングだったのかもしれない。そう考えるとやっぱり転機になったアルバムだと思うんですよね。

小林:肖像のジャケにしても感傷的な曲調にしても、ちょうど現代とつながる感覚があるようにも思いました。いまはSNSで有名人も一般人も自分語りをするし、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーも自分史3部作を出した。そういう時代の流れにハマったリイシューでもあるのかな。

渡辺:さっき当時のインタヴューの話をしましたけど、じつはもう1本あって、LAの雑誌『URB』がインタヴューしているんです。そっちはメール・インタヴューなんですが、トムが「ヴァーチャル・コメディアン」っていうソフトを使って返信をつくりました、って書いてて、ぜんぜんインタヴューになっていない(笑)。ようはChatGPTの先祖みたいなソフトなんですけど、当時から「新しい技術に新しいことをさせよう」みたいな発想が彼にはある。『Dostrotime』の “Wendorlan” のヴィデオでもオシロスコープを使っていましたよね。オシロスコープ自体は新しくないけど、そういうふうに技術に寄り添って自分を出していくところもおもしろいなと。いまでこそAIは当たり前のものになってきましたけど、20年前にそういうことをやっていて。そのソフトも自分でつくったらしいんですよね。ほんとうかどうかわからないけど。

小林:たしか『Damogen Furies』(2015)のときはソフトウェアから自作していましたし、テクノロジーへの関心は高いですよね。先ほどのロボットもそうですし。そうしたハイテクなものへの関心がある一方で、今回『Ultravisitor』を聴きなおして再発見したのは、やはり静かな曲で。といっても先ほど話に出た大人気の2曲ではなくて、“Andrei” と最後の “Every Day I Love” です。おなじくメロディアスなタイプの曲ですが、この2曲はバロック的ないし古楽的な感じもあって、もしかしたらスクエアプッシャー流の、民衆の音楽という意味でのフォークともとらえられるかもしれないと思いました。個人的には “Iambic 9 Poetry” や “Tommib Help Buss” より、この2曲のほうがいまは響くなと。先ほどの『ピッチフォーク』では「退屈だ」って書いてあったんですが(笑)。

渡辺:バロックっぽいのはぼくも気になりましたね。2004年のライヴを調べると、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでやっていたりするんですよ。クラシカルのひとたちとやったり、いろいろ実験もしていた時期のようなので、そういう影響もあるのかも。でも、なんで “Iambic 9 Poetry” があれほど広く受け入れられたのかについては、考えてみたんですけどわからないんですよね。ピアノやクラシカルな楽器でのカヴァーをYouTubeで見かけたりとか、ぜんぜん違う層に刺さっていたりして。

小林:エイフェックス・ツインの “Avril 4th” がひとり歩きしているのと似たような現象かもしれませんね。エイフェックスやスクエアプッシャーの凶暴なブレイクビーツは、ふだんそういうものを聴かないリスナーからすると受け入れられないけど、きれいなメロディの穏やかな曲だったら聴けるという。

渡辺:“Iambic 9 Poetry” については、新しく発見したことがあって。ぼくは普段ゲームの仕事をしていて、英語の脚本をつくったりしてるんですけど、いろんなキャラクターに方言とか昔のことばを喋らさなきゃいけないことがあるんです。そのキャラクターが違う文化圏のキャラクターであることを表現するために、古い時代の喋り方をさせたり。それで、あるときイギリス人のスタッフから「アイアンビックを入れたらどうですか」と言われたことがあって。古典詩の脚韻のひとつに「イアンボス(iambos)」というのがあって、日本語だと「弱強格」。ようするにリズムのことです。そのリズムに合うことばを選んで入れて、読み方も強弱をつけて読むんです。シェイクスピアのころはそういうことが盛んで、だからイギリスの舞台俳優はみんなけっこうそれができるんですよ。現代の日常会話では使われてない言語だけど、「こういうキャラクターなので、そうしてください」と伝えると、普通にやってくれる。その弱強格にも「三歩格」とか「四歩格」とか種類があるんですが、「Iambic Pentameter」が「弱強五歩格」のことで。『Budakhan Mindphone』(1999年)に “Iambic 5 Poetry” という曲がありますけど、そのことだったんですね。それが、『Ultravisitor』だと “Iambic 9 Poetry” だから、「弱強九歩格」ということになる。なんで「9」にしたのかわからないんですけど、「弱強九歩格」というのはおそらく存在しないんですよ。以前「5」はやったから今回はその上を行く「9」でやろうということなのか、静かな曲調のなかで波を打っていくようなドラムの流れのことを意識しているのかはわからなですけど。インストの曲なのに、舞台とか古典詩からインスパイアされてそういう題をつけるのはおもしろいなと。

小林:それはすごい発見ですね。ぜんぜん知りませんでした。

渡辺:リアルタイムではまったく気づいてなくて。最近になって仕事をしてるときに気づいたんですよね。「これじゃん!」って。だから、彼はことばづかいは荒っぽいときもあるけど、すごく頭のいいひとなんだなと思います。

小林:『remix』時代に野田さんがやった、『Just A Souvenir』(2008年)リリース時のインタヴューでも、コンセプトなどをめぐってかなり知的な話をしていました。ブレグジットに反対する曲(“Midi Sans Frontières”、2016年)を出したりもしていましたよね。

渡辺:その曲の素材をフリーで出すから、みんなでそれを使ってリミックスしてくれという。あれはすごくおもしろいなと思いました。昔オウテカがクリミナル・ジャスティス・ビルのときに「これなら捕まらない」ということで反復しない曲(“Flutter”、1994年)を出してたじゃないですか。あれに通じるものを感じましたね。〈Warp〉もスピリットを失っていないなと。

小林:今回聴き返してみて、あらためていいなと思った曲ってありましたか?

渡辺:最初はトムが観客に話しかける声、そこからすごく静かにはじまって激しいドリルン・ベースになっていく曲……“Tetra-Sync” かな。前から割と好きではあったんだけど、今回聴き直してもやっぱりすごくいいなと思った。まあ、ライヴを観たいですね。

小林:いま『Ultravisitor』でライヴをやってくれたらすごくハマりそうな気がしますよね。

渡辺:その後ライティングに凝ったライヴなどが評価されましたけど、そういうこともぜんぶ経てきたうえで、この時代の曲をやったらどうなるのか、というのは聴いてみたいですね。

小林:ということで、ここまでの話を一言でまとめると、『Ultravisitor』はスクエアプッシャー試行錯誤期の名作、ということですね。

Squarepusher
Ultravisitor (20th Anniversary Edition)

Warp / ビート
2024.10.25 release

2CD国内盤

Amazon Tower HMV disk union

3LP国内仕様盤

Amazon Tower HMV disk union

拝啓 ゲンイチさん

 挨拶は抜きにしよう。だいたい2024年になってまでも、貴兄と『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』(以下、『SAW Vol.2』)についてこうして手紙をしたためことになるとはね。我ながら30年前からまったく進歩がないとあきれるばかりだよ。もっとも『SAW Vol.2』が30年という年月に耐えた、いや、それどころか、むしろじょじょに光沢を増していったことに話は尽きるのかもしれないけれどね。まあ、とにかくだ、我ら老兵の役目としては、この作品がその当時、どのような背景から生まれ、そしてどのような意味があり、それがもたらした文化的恩恵について後世のためにも語ってみようじゃないか。
 まず、ぼくとしては以下に『SAW Vol.2』についてのポイントとなる事項を挙げてみた。どうぞ確認してくれたまえ(そしてもし見落としがあれば追加を頼む)。

 ■AFXのカタログのなかでもっともミステリアスな作品。

 ■明晰夢から生まれた。

 ■円グラフ、曲名のクレジットはなし。

 ■メジャー・レーベル第一弾の意図的に商業的でない作品。

 ■評価の分裂(否定も激しかった)。

 ■『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』(以下、『SAW85-92』)と違って、ダンス・ビートがほとんどない/あっても作品全体では強調されていない。

 ■1993年~1994年のアンダーグラウンド・シーンとアンビエント

 発売当日、唯一曲名がわかっていたのは、1992年の決定的なコンピレーション『The Philosophy of Sound and Machine』から再録の “Blue Calx” だけだったね(2019年の 「Peel Session 2 EP」で“♯2”が “Radiator” という曲だったことが判明される)。ちなみに “Blue Calx” は、発表時は作者名でもあった。あの曲をリアルタイムで聴いていた人間からすると、当時としては実験的で画期的な曲だったけれど、それがどうだ、『SAW Vol.2』においてはもっとも聴きやすい曲として挙げれらる。
 あの時代、こうしたインディ音楽はアナログ盤での流通が普通だったから[※CDよりヴァイナルのほうが安かった。LP盤は平均2千円、CD盤は2千300円くらい]、当然のこと我々はアナログ盤を買って聴いているわけだが、アナログ盤で3枚組というリリース形態にも、1993年から1994年にかけての時代のドープさを見ることができる。時間にして167分、2時間半以上のリスニングを日常的にしていたことは、若くて暇だったからではなく、それだけ音楽の吸引力が凄かったということだ。そうじゃないかね、ゲンイチさん。

敬具

2024年11月18日 野田より


拝復 
野田くん

 いや、ほんとうに恐ろしいね。30年かあ。僕は1961年生まれなので、1991年にちょうど30歳を迎えたんだよ。30歳という年齢もさることながら(Don’t Trust Over Thirty!)、1991年っていろんな意味で記憶に残る年だった。湾岸戦争にソ連崩壊で日々リアル世紀末を感じてたりもしていたいっぽうで音楽にとっても特異な年だったからね。ニルヴァーナの『Nevermind』やらREMの『Out of Time』 やらダイナソーJr.の『Green Mind』もすごいインパクトだったけど、やっぱりプライマル・スクリームの『Screamadelica』とマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』だよね。
 でさ、僕が生まれた1961年のヒット曲を眺めてみると、たとえば洋楽だとプレスリーの “Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)” とかベン・E.キングの “Stand by Me” 、ジョン・コルトレーンの “My Favorite Things” 、国内に目を向けてみると石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲の定番ともなった “銀座の恋の物語” や植木等の “スーダラ節” だったりする。そこから30年後、マイブラの “Soon” やプライマルの “Higher Than The Sun” が来る。このジャンプアップはとんでもないわけじゃないですか。1961年に若者でこういう音楽を聴いてた人たちに “Soon” 聴かせたらまあ “???” ってなるよね。そのくらいことこの2曲についてはそれまでの音楽のクリシェが通用しないものだったわけでさ。これを聴くにつけ、いやー音楽もずいぶん遠いところまでたどりついたものよのぅ……なんて思ったりしてね。30年ってそのくらい長い時間なんだよ。
 ところがさ。1994年にリリースされたこの『SAW Vol.2』。プレスリーや植木等とマイブラの間に横たわる時間と同じ時間が流れたんだぜ、30年! 少なくとも僕の耳にはこの『SAW Vol.2』が30年前の音楽には聴こえない。全然古びていない。今回発売された30周年記念盤で初めて耳にする若いリスナーにしてみても、僕が1991年にベン・E.キングや石原裕次郎を聴いて懐かしさを感じるのと同じように『SAW Vol.20』を聴くとは思えないよね。それがすごいのかどうかは微妙だけどね。もしかして音楽の進化が遅くなってるのかなとか。ま、実際そうなんだろうなと感じることはあるんだけどね。『SAW Vol.2』が出た頃ってネットもありはしたけどまだまだ黎明期だったしYou Tubeもないし、音楽聴くなら買うか借りるかしかなかったのに、30年後の今はもう普通にストリーミング主体の状況になってるわけで、やはり時代は進化しているわけなんだけど、音楽そのものの革命的な変化ってもうあんまり感じられないのも事実でしょう。
 それはともかく、1994年においてこのアルバムがミステリアスだったというのは事実。調べるって言ったってネット情報なんてないし、そもそもこのエイフェックス・ツイン/リチャード・D.ジェイムス(RDJ)がいったいどういうアーティストなのかということも、海外の音楽新聞などに載ってくる記事とせいぜいレコード店のPOPなんかで類推するしかなかった。彼の名が多少なりともテクノ好きの間で知られるようになったのはブーメラン・ジャケットの 「Digeridoo」 (1992年)だったよね。それとヒトデ・ジャケの 「Xylem Tube EP」 。この2枚のシングルはベルギーのテクノ・レーベル〈R&S〉からのリリースで、その前にも別のレーベル(イギリスの〈Mighty Force〉と〈Rabbit City〉)からのシングル(「Analogue Bubblebath」の1枚目と2枚目)があったけど、レーベルとしては〈R&S〉のほうが知名度があったからね。よけいに目に留まりやすかったというのはある。あのころ〈Mighty Force〉盤買っていたのって三田格くらいじゃないの?(笑)
 で、1994年にはこのアルバムがあって、UKのDJイベントMegadogの引っ越し公演があって、そのDJとしてRDJが初めて日本のファンの前に姿をあらわし、取材もいくつか受けたから少しずつその神秘のヴェールが剥がれてはきてたんだけど……いや、むしろもっと??になったと言ってもいいのかもしれない(笑)。印税で軍事用のタンク買ったとか、リミックスする相手の音楽は嫌いであればあるほどいいリミックスができるとか、明晰夢で曲を作るとか……どこまで信じて良いのかみたいな、石野卓球の言葉が思い出されるよ。

 RDJの最初のアルバムは〈R&S〉から出たエイフェックス・ツイン名義の『SAW 85-92』で、これが1992年。このアルバムに続く同名義のアルバムが『SAW Vol.2』だったわけだけど、これは〈R&S〉からではなく、〈WARP〉と契約しての最初のアルバムだった。〈WARP〉からの最初のリリースは『SAW Vol.2』に4ヶ月ほど先立つ1993年末のシングル 「On」だったね。同時に彼はアメリカでは大手ワーナー傘下の〈Sire〉と契約し、〈Sire〉からは本国から2ヶ月遅れで 「On」がリリースされてる。これはディレイのかかった叙情性すら感じるピアノの美しいメロディと暴力的なリズムが融和した素晴らしい曲だったよね。レーベルとしても力を入れているであろうことは、珍しくリミックス・シングルも別にリリースされていることからもわかる。この 「On」の次に『SAW Vol.2』が出るわけだけど、それに続くシングル 「Ventolin」もリミックス盤が出た。もっともリミキサーはReload、μ-Ziq、Cylob、Luke Vibertと、みんな近親者ばかりというのが笑っちゃうけどね。ちなみにこの 「Ventolin」に次いで出たシングル 「Donkey Rhubarb」には、アメリカン・ミニマルの代表的作曲家フィリップ・グラスのリミックス(というよりオーケストレーション)が収録されてて当時は興奮したものだよね(笑)。
 それにしてもだよ。移籍後の初シングルの数ヶ月後にアルバムが出るのであれば——しかもそのシングルがけっこう力を入れたものであればなおさら——その曲を含むアルバムが出るものと思うよね。それなのに出たのは『SAW Vol.2』(笑)。これは衝撃的でしょう。仮にもメジャーからのリリースとなれば、まず間違いなく先行シングル→ヒット→それを含むアルバムで快進撃という図式に則るだろうなと思いますよ。しかし事実は違った。まさかのシングル曲 “On” 未収録、まさかのオール・インストのアンビエント・アルバム。まさかの2枚組(アナログは3枚組)。まさかの曲名なし……〈WARP〉ならともかく、〈Sire〉がよくこれをOKしたなと今でも思うよ。

2024年11月20日 杉田より


前略
ゲンイチさん

 冬になったかと思えば、秋に戻ったり、老体にはこたえる今日このごろ、今朝もなんとか不死鳥のごとく起き上がって仕事をしているよ。たははは。
 さて、それにしても、うん、音楽作品とは面白いものだね、たとえば、90年代前半、シーンで絶大な支持と人気を誇った作品にオービタルの2枚目がある。リアルタイムにおける支持と人気で言えば、『SAW Vol.2』は、それよりも勝っていたとは言えない。『SAW Vol.2』ほど評価が二分した作品はなかったし、我々支持した側の人間にしても、大声で、目くじら立てて支持したわけでもなかった。支持率や共鳴度で言えば、やはり『SAW 85-92』と『Surfing on Sine Waves』(93)のほうが圧倒的だったし、『SAW Vol.2』の次作、『...I Care Because You Do』の激しさのほうが新しいファンを巻き込んでいった。ところが、21世紀もクォーターが過ぎようとしている現在、『SAW Vol.2』の評価はずっと上昇し、人気の面でもひょっとしたら、『Surfing on Sine Waves』なんかともかなり拮抗しているんじゃないないだろうか。つまり、『SAW Vol.2』は、それがリリースされた時代やその背景から切り離されてから、どんどん存在感を増していった作品だったと。まあ、よく言うところの、「時代がこの作品にようやく追いついた」のだろうね。もちろんリスナーの耳が、時代が進むにつれて、当時は難解だと思われていた音楽を楽しめるようになっていったのは事実だよ。ゲンイチさんだって、1994年よりもいまのほうがこのアルバムを好きなんじゃないかな。
 昔話はこれで最後にしておくけど、まあ、あの時代はね、いまと違ってダンス熱がすごかった。みんなで集まって身体で音楽を感じること、その素晴らしさに多くの人たちが気付いた時代だったよね。だからあの時代は、ダンスに即したオービタルやアンダーワールドが人気だった。だから、みんなが汗をかいて踊っているところにこのアルバムを投下したRDJの逆張りも、なかなかのものだった(笑)。〈Sire〉もよく出したというか、メジャー移籍第一弾でこれをやるRDJがすごいよ。たしかにこの時代、アンビエントはブームだった。いろんなアーティストがアンビエント作を作りはじめていたよね。ダンスフロアのピースな空気にも陰りが見えはじめたころで、みんないったんクールダウンしようじゃないかという話になったわけだけれど、しかし、ここまで無調音楽やドローンをやるの人は、シーンのなかにはまだ他にいなかったね。しかも、曲名もないときた。反商業主義も甚だしい。
 ここで再度、追加でポイントを挙げてみた。

 ■当時のRDJ(まだ22歳~23 歳の若者)の説明によると、音楽制作のため、なるべく寝たくない。

 ■睡眠時間を削りに削った結果、日常生活において “老人のように頭が混乱し始める。お茶を淹れてもシリアルボウルに注いでしまうような、予測不可能なことをするようになる” (1993年の『Melody Maker』のインタヴューより)。

 ■こうしたある種の催眠状態(ぼけ状態)から、RDJは明晰夢を見るようになった。

 ■そして、その能力を音楽制作にも活かそうと作ったのが『SAW Vol.2』である。

 ■夢の状態や、夢で見たことを起きてから音楽にする。

 ■『SAW Vol.2』に神秘的な風景が広がるのはこのためである。

 ざっくり言えば、こういうことで、細かく言えば、このアルバムには明らかに『SAW 85-92』時代の曲もあるし、前の手紙にも書いたように、1992年の “Blue Calx” もある。ただ、多くはやはり、アルバムの最初の曲、 “Cliffs(崖)” とファンからは呼ばれているこの靄のかかったトラックが象徴的で、驚異的と言える神秘的な音像が散りばめられている。当時もいまも、ほんとうにRDJは夢で作曲したのかどうは議論の対象だけれど、ぼくはね、それはあながち嘘じゃないと思っている。それから、1992年から1993年のあいだにRDJは、過去にはない音楽体験をしたんじゃないかともにらんでいるんだ。たとえば現代音楽と言われてる “現代” ではない過去の音楽なんかをね。そこはゲンイチさんの専門だから、どう思うか訊いてみたかったんだ。

早々

2024年11月22日野田より


拝復
野田くん

 RDJは “テクノ・モーツァルト” なんて呼ばれていたこともあったね。別に彼がクラシック好きというわけじゃなくて、ようするにわずか35年の生涯に700曲以上の作品を遺したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトみたいに曲を大量に作っていることから付けられたイメージだろう。もっとも曲をたくさん書いた作曲家といえばヨハン・ゼバスティアン・バッハとかフランツ・シューベルトも1000曲以上書いてるし、シューベルトなんてモーツァルトより4歳も早く死んじゃったんだから、モーツァルトよりやばい量産家だけどね。もっともシューベルトよりモーツァルトのほうが一般的な知名度は高いから “テクノ・バッハ” とか “テクノ・シューベルト” じゃなくてやっぱり “テクノ・モーツァルト” なんだろうけど。
 あの時代のRDJが確かに湧き上がる楽想をスケッチするようにどんどん創り貯めていたのは事実だろうね。アンファン・テリブルと言われていた20代前期までの彼は特に。毎週アルバム出しても2、3年は持つくらいの曲があるよって言っていたね。彼のデビュー作『SAW 85-92』は、創り貯めた曲からコンパイルされたアルバムなわけだし。ほんとに14歳のときの曲あんのかぁ?って思わなくはないけど(笑)。

 プレ『SAW Vol.2』的なスタンスの作品として、たとえば『SAW 85-92』があったりPolygon Window名義の『Surfing on Sine Waves』(特に “Quino-Phec” )みたいなアンビエント的な作品が『SAW Vol.2』の前にあったわけじゃない。けど、それらの2枚よりも『SAW Vol.2』が注目されたというのは、前にも言ったようにメジャーからのデビュー・アルバムっていうこととかもあるけど、やはり3時間近い大作っていうことと、より深遠(あるいはやや難解)な感じを聴き手に与える響きがそこにあったからでしょう。アンビエントという点では1990年にはKLFの『Chill Out』が、翌年にはThe Orbの『Ultraworld』があり、さらにはミックスマスター・モリスのIrresistible Forceやピート・ナムルックが台頭し、1993年にはUKロックChapterhouseのセカンド・アルバムをまるごとアンビエント化したグロコミことGlobal Communicationの『Pentamerous Metamorphosis』があったね。これが翌年のGCによる最高のアンビエント・アルバム『76 14』を生み出すきっかけとなったわけだけど、『SAW Vol.2』が94年の3月で『76 14』が6月。これだけでも94年はすごいアンビエント・イヤーだったよね。そういや94年の春には野田くんたちとコーンウォールへアンビエント・トリップ、リアルなドライブをしたっけな。この旅と『76 14』の関係については第一期ele-kingの創刊号に長い原稿を書いたので、探して読んでほしいところだけどまあそれは置いとくとして、これらの先行作が状況を用意したとしても、やはりこの『SAW Vol.2』のジャンプアップにはみんな驚かされたんだよね。
 野田くんが指摘するようにRDJがこの時期に “過去にはない音楽体験をした” かどうかは正直わからないよ。でも明らかに『SAW Vol.2』の前の作品、つまり『SAW 85-92』とか『Surfing on Sine Waves』とはだいぶ音の感じが変わった。『SAW Vol.2』以前の2作にあったダンスビート——実際踊れるかどうかは別としても——がない(あるいは少ない)こともあるだろうけど、あくまで電子音楽の装いだった前2作と比べて、『SAW Vol.2』の響きはクラシックで言うところの室内楽的なそれに近いものになっていたということが大きい。もちろんそれは電子音で作られたもので、別にリアルな弦楽合奏や管楽器が使われてるわけじゃない。でも、全体的に彼の音楽にみられがちな神経症的な響きではなく、ふくらみのあるハーモニーが前面に出ているし、コード進行もスムースな曲が多い。声高にメロディ!と主張するものはないにしても、移りゆくコード進行のトップノートの連続がとても印象的に聞こえる感覚を聴き手にもたらすんだと思う。このアルバムの何曲かはクラシカルなオーケストラやアンサンブルに編曲されて演奏されていたりするけど——Alarm Will SoundとかLondon Sinfoniettaとかにね——そういうことをしたくなる曲がたくさんあるアルバムなんだよ。
 それにしてもだよ。〈WARP〉移籍後のリリースを見てみてよ。 「On」~『SAW Vol.2』~ 「Ventolin」、この振れ幅ってやっぱりとんでもないなと改めて思うね。もっと細かく言うと 「Ventolin」の前に出たAFX名義の 「Analogue Bubblebath4」 と 「Hangable Auto Bulb」シリーズを含めて考えるともっとすごいなとなるけど。とはいえ、RDJ言うところの “明晰夢からのインスピレーションで作曲・創作” したのは『SAW Vol.2』だけだろう。だからこのアルバムだけが前後の作品から切り離されて屹立しているんだと思うんだよ。

2024年11月24日杉田より


前略
ゲンイチさん

 朝方は冷える今日のこの頃。今朝も歯を食いしばって布団から出たよ。それはそうと、この便りを最後に旅に出ることにする。もちろん、金もないから内面旅行だ。
 それはそうと、ここで言っておくと、『SAW Vol.2』の系譜というか、これに匹敵する謎めいた作品がRDJにはもうひとつある。そう、『Drukqs』(01)だ。いつかこのアルバムも、より深く語られるときが来るだろう。またそのさいには筆をとることになるかもしれないから覚悟しておきたまえ(笑)。
 それはそうと、もうまとめよう。最後に読者への案内をかねて、このアルバムのなかのお互いのなかのフェイヴァリットをいくつか挙げようじゃないか。 “Blue Calx” を除いて、本来は曲名のクレジットなしのこのアルバムには、時間のなかでファンが勝手につけた曲名が非公式ながらレーベルも認めているので、その曲でいくつかピックアップするよ。

 以下、野田のハイリー・レコメンド
 ・Cliffs(クリフス)
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
 ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)

 レコメンド
 ・Radiator(レディエイター)
 ・Grass(グラス)
 ・Weathered Stone(ウェザード・ストーン)
 ・Lichen(ライカン)

 まあ、これはたんに好みであって曲を評価するものではない。ただ、アルバムの正規のクローサートラックが “Matchsticks(マッチスティックス)” 、つまりマッチ棒なのがどうなのかというのは、当初から思っていたよ。もうちょっとロマンティックな終わり方をしても良かったと思うんだが、じつに不穏なエンディングだ(笑)。
 とにかく、 “Blue Calx” が名曲なのは言うまでもないけれど、 “Cliffs” と “Stone in Focus” もほんとうに好きだな。ことに1曲目の “Cliffs” は、異世界への完璧な入口だ。ちなみに、 “Blue Calx” はコーンウォール時代に(通称〈Linmiri〉スタジオにて)レコーディングした最後の曲だと言われているね。つまり、機材的には『SAW85-92』と重なっている。ああ、それから曲名の代わりに配置されている円グラフだけれど、ファンがいろんな考察——それぞれの角度に意味があるんじゃないかとか——をしているものの、結局、いまだにその謎は解けないでいる。
 じゃ、最後に、先生の推し曲をご教示いただけますかな。

早々

2024年11月26日野田より


拝復
野田くん

 そうだね、『Drukqs』。 “Avril 14th” という『SAW 85-92』における “Xtal” 、『SAW Vol.2』における “♯3(Rhubarb)” と並ぶ静謐系RDJのベスト・ソングが入ってるアルバムね。アルバムとしても僕はこの3枚が好きだし今も聴き続けてる。死ぬまで聴くだろう……とは言ってもこの先何年生きられるのかわからないけどさ(笑)。
ということで、僕の『SAW Vol.2』の推し曲はこれ。

 ハイリー・レコメンド
 ・Rhubarb(ルーバーブ)
 ・Curtains(カーテンズ)
 ・Domino(ドミノ)
 ・Blue Calx(ブルー・カルクス)
  ・Z Twig(ゼット・トウィッグ)

 レコメンド
  ・Blur(ブラー)
  ・Windowsill(ウィンドウシル)
  ・Hexagon(ヘクサゴン)
  ・Stone in Focus(ストーン・イン・フォーカス)
  ・Lichen(ライカン)

 僕も野田くんと同じように2曲目の穏やかな “Rhubarb” がほんとうに好きなんだけど、RhubarbといえばRDJにはとんでもなく騒がしい “Donkey Rhubarb” という曲もある。『…I Care Because You Do』の先行シングルのリードトラックだった曲だけど、続いて出たアルバム『…I Care~』にはこの曲は収録されず、かわりにフィリップ・グラスがミニマルなオーケストレーションを施して話題だった “Icct Hedral” のエディットテイクが収められたっていうところもRDJらしい悪戯心かな。
  “Blue Calx” が素晴らしいのはもちろんだね。RDJにとって “Calx” は重要なテーマなんだろう、『SAW 85-92』のGreen、『SAW Vol.2』のBlue、ちょっと飛んで『Richard D. James Album』のYellowと、見事に三部作を揃えてる。リズムは3曲とも全然違うけど、背後に美しいパッド系の音が鳴っている点は共通している。タイトルがナンバリングだけだった『SAW Vol.2』において、唯一最初から曲名が明らかにされていたのは、RDJのこの曲への思いがあったからじゃないかな。まあ、野田くんも指摘していたようにこの曲だけは既発曲だったというのも関係しているのかもしれないけど。
 あと、このリストには入れてないけど、僕はオリジナル盤のラストが “Matchsticks” であること、嫌いじゃないけどね(笑)。この “物語が終わらない感” がいいんだよ。最後、響きが唐突に途切れるところも含めてね。だから、今回の30周年記念盤で追加された2曲は、正直蛇足じゃないかって思うんだけどどう? いや、曲としては悪くないんだけどね。そういえばこの追加トラックの2曲目にまたしても “Rhubarb” が登場してる。全曲リバース処理されてて響きはおもしろいけど、これを足して30周年記念盤を閉じるっていうのがRDJらしい一筋縄ではいかない感ありありで、おもしろいといえばおもしろいんだけど。

2024年11月28日 杉田より


前略 
土門さん、いや、ゲンイチさん、

 冬の透明な空気が気持ちいい。家のなかでビールを飲みながら聴いているよ。自分としてはいまもこの『SAW Vol.2』を楽しめることは嬉しいよ。あの頃の音楽が2024年になっても現役なのは、ある意味いまだからこそ『極悪女王』が面白いのと同じように……いや、違うか、はははは。
 ジェフ・ミルズの “サイクル30” を思いだそう。あれはテリー・ライリーの “In C” から30年、つまり、ミニマルの30周年期ということで “サイクル30” なんだけど、1994年に我々は(コイちゃんと一緒に)テリーさんの『ア・レインボウ・イン・カーヴド・エアー』をよく繰り返し聴いたよね。だから、30年前の作品であっても、まったく古くはならない音楽作品はほかにもいろいろあるし、おそらく 『ア・レインボウ~』がむしろ時間が経ってから聴いたほうがよく聴こえたように、あるいはより幅広いく聴かれていったように、『SAW Vol.2』もそういう作品だった。こういうのをタイムレスな音楽っていうんだね。若い人たちにもぜひ聴いて欲しい。いまでもぜんぜん新しいから。
 ところで、ゲンイチさんがあの頃買った『SAW Vol.2』にもナンバリングしてあるわけだけど、何番? ぼくのは7000番台のかなりの前のほう。いつかディスクユニオンの壁に『SAW Vol.2』の7000番台のかなりの前の番号のがあったら、それはぼくが売ったレコードかもしれないよ。12月は1年のうちでいちばんセンチメンタルな季節だと言ったのはレスター・バグスです。では、いずれまたお会いしましょう。

拝具

2024年11月28日 野田より


拝復
野田くん

 なんだよ、野田くんってサッカー野郎じゃなかったっけ。ドカベンなんて今の読者ついてこれませんよ(笑)。そして極悪女王と言えばやっぱりジュワイヨクチュールマキウエダ……いや、この話はやめとこう。これも読者がついてこれないや。

 “ア・レインボウ~” ね、あれ、ほんとよく聴いたよなー練馬のコイちゃんの家で。やっぱり30年前くらいだよね。先日その “ア・レインボウ~” を日本のSONYがリイシューしたんだけど、その制作を外注された僕がライナーを野田くんに頼んだのは、あの経験があったからですよ。今でもこの曲の電子音が迸るように鳴り始めるイントロを聴いただけであの風景を思い出せる。音楽ってそういう要素あるよね。そして聴取体験を重ねれば重ねるほど、その音にまつわる記憶もどんどん増えていく。その記憶がノスタルジーの場合もあれば、いつまでも新鮮さを伴って思い出せるものである場合もある。 “ア・レインボウ~” や『SAW Vol.2』は典型的な後者のタイプなんだろうな。
 30年といえばさ、僕と野田くんが出会ったのも30年ちょっと前の話だったね。あの頃から僕らは変わったのか変わらなかったのか……こうして今でも出会ったころに聞いてた音楽についてああだこうだと話ができるんだから、きっと変わってないんだろう(笑)。

 僕の『SAW Vol.2』のアナログも7000番台だよ。同じ店で買ったんじゃないかな(笑)。あれ盤面がマーブル色で溝がよく見えなかったから、狙った曲をかけるのが大変だったことをよく覚えてる。もっとも狙って聴くのは “Blue Calx” くらいだったけど。あれはLP2枚目のB面の1曲目だったからわかりやすかったね。だからこのアルバムで当時いちばんよく聴いたのは “Blue Calx” から “Z Twig” までの5曲だったんだ。だから僕は “Z Twig” が好きになったのかもしれないな。

 じゃあ僕もこの辺でペンを置きます。次の往復書簡は2031年だね。そう、『Drukqs』30周年(笑)。それまでがんばって生きようや。あ、酩酊はほどほどにね。

2024年11月29日杉田より


Aphex Twin
Selected Ambient Works Volume II (Expanded Edition)
Warp/ビート

30周年記念新装版にして決定版。CDでは3枚組。アナログでは4枚組。名曲“#19”(“Stone in Focusで知られる”)ほか、初のフィジカル・フォーマットでリリースされる“th1 [evnslower]”、今回初めて公式リリースされる“Rhubarb Orc. 19.53 Rev”が追加音源として収録されている。(輸入盤CDはボックス使用ではない)

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291