「PAN」と一致するもの

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 アリス・シーボルド原作、ピーター・ジャクソン監督の映画作品『ラブリーボーン』は、14歳で殺された少女が天国から事件の顛末と家族の行く末を見守るといったもので、その天国で流れていたのが、ブライアン・イーノ、レオ・エイブラハム、そしてジョン・ホプキンスの共作によるスピリチュアルなアンビエントだった。何か禍々しいことが起きたとして、それはもう「済んでしまった」世界。そんな風景に、ブライアン・イーノの正統な後継者のひとりだと言っていいだろう……ジョン・ホプキンスの音響はよく映える。


Jon Hopkins
Immunity

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 南ロンドン出身で10代からのキャリアを誇るジョン・ホプキンス。名前が表に出てくるまではやや時間がかかったが、すでにそのサウンド構築において堂々たる風格を携えている。イーノとのいくつかの共作を経て、海外で昨年発表されたソロ・アルバム『イミュニティ』が高く評価されたのは、その研ぎ澄まされた工学的なサウンド・デザインによるものだろうが、それはどこか俗世間を超越するような聖性を帯びているように聴こえる。『ラブリーボーン』以外にも映画音楽を手がけているホプキンスだが、彼の音楽は世界が滅びてしまったあとの世界、そこで溢れる光とともに響くかのようなイメージ喚起力を持っている。
 アルバムはインダストリアルな風合いすらある攻撃的なビートを持ったテクノが並ぶ前半と、どこまでも静謐なアンビエントが聴ける後半にはっきりと分かれているが、その構成も含めて非常に緻密に完成されたものとなっている。間違っても「トラック集」といった雑多なものではなく、厳格な美意識によって統制されていることがわかる。イミュニティ……免疫、抗体、ひとを危害から庇護するもの。その音だけが聞こえる世界、だ。


■ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins)

1999年に『Opalescent』でデビューし、コールドプレイ『美しき生命』への参加やブライアン・イーノとのコラボレーション、映画のサントラなど幅広く活動をつづけるロンドンのプロデューサー。通算4枚めとなるオリジナル・アルバム『イミュニティ』には、マーキュリー・プライズ2011にもノミネートされたスコティッシュ・シンガーソングライター、キング・クレオソートもゲスト・ヴォーカルとして加わり、名立たる音楽メディアが年間ベスト・アルバムとして挙げている。



新作『イミュニティ』は『インサイズ』から5年ぶりのソロ・アルバムとなりますが、その間、サウンドトラックやプロデュース、コラボレートなどさまざまなプロジェクトに関わっていましたよね。とくに映画音楽などは、あなたの音楽スタイルに非常に合っているように思えて、そういった方向に力を注ぐのかなとも思ったのですが、そうではなくてジョン・ホプキンス名義でソロ・アルバムを出そうと思ったモチヴェーション、入り口はどのようなものだったのでしょうか?

ジョン・ホプキンス(以下、JH):4年だよ。いや待った、そうだいまは5年経つね。ふたつのアルバムの間隔は4年のはずだよ。いずれにしろ、自分ではすごく長く感じるけどね(笑)。
 サウンドトラックを作るのは楽しいよ。ある意味ではアルバムを作るよりもラクだしね。自分のアルバムを作るときは新しいサウンドを生み出すために時間をかけて試行錯誤できるのに対して、映画音楽を作るときっていうのは、1ヶ月のあいだに24曲とかを書かなきゃいけないから、集中してかなりのスピードで仕事をこなさなきゃならないんだ。あまりいろいろ試している時間はなくて、20時間くらいずっと続けて作業をしたりするのはとても興味深い心理状態だよ。映画のサウンドトラックもこれからももっとやりたいと思っている。いままでやった3つの映画はどれもかなりタイトなもので、1ヶ月から1ヶ月半くらいのあいだに仕上げなきゃいけなかったから、ソロの活動が落ち着いたらもっと大きな映画の仕事もやって、オーケストラを使ったサウンドトラックとかもやってみたいね。いままでは自分ひとりでやるものばかりだったから、さらに手を広げて他の人たちといっしょにやってみるっていうのはいいアイデアだと思うんだ。
 ソロ・アルバムを作ろうと思ったっていうか、もともとアルバムを作ることはいつも最優先事項だったんだ。正直なところ、このアルバムの前はいまほどソロが上手くいっていなかったから……(笑)。もし2001年に最初のソロ・アルバムがヒットしていたら、こんなにいろいろなプロジェクトには関わらなかったんじゃないかと思うよ。だから、そうならなくてよかったと思っているんだ。おかげでいまはいろいろな選択肢ができたしね。最初にプロデュースやサウンドトラックの仕事をやりはじめたのは、それが必要だったからっていう部分が大きいよ。それが結果的にいい経験になったし楽しかったけれど。でもどれも、自分自身の作品を作る自由さや高揚感とか、自分自身の考えを思索する感覚とは比べ物にならないよ。それに、複数のプロジェクトを同時進行で進めるのは、何人もちがう自分がいるようで疲れる部分もあるんだ。

本作のリリースに際して、あなたはライヴを念頭に置いたと説明していました。たしかにこれまでもあなたの楽曲にはビートはありましたが、本作の、とくにアルバム前半においてのビートのパワフルさには驚かされます。何かきっかけはあったのでしょうか?

JH:いや、それはちょっとわからないな……。あまり作るトラックについて深く考察はしないんだ。作るときは直感に従っているからさ。年をとるにつれて、先にいろいろ考えたり計画しないほうがいいものができるってわかってきたからね。ここでこういう考えを表現しよう、とか考えはじめると、なんだか堅いものになってしまうから、たまたまそのときに浮かんできたビートがそのまま音楽に現れるっていうのが自然でいい方法だよ。それに、この一つ前のアルバム(『インサイズ』)のツアーをしていたときに、ヒプノティックでテクノ寄りの音楽に傾倒するようになったから、それも反映されていると思う。

この一つ前のアルバム(『インサイズ』)のツアーをしていたときに、ヒプノティックでテクノ寄りの音楽に傾倒するようになったから、それも反映されていると思う。

アルバムは前半と後半ではっきりとムードが分かれています。とくに、強いビートが続く“コライダー”から、“アバンドン・ウィンドウ”の最初のピアノの1音で見える景色をガラっと変えてしまう展開には引き込まれます。このような構成にしたのはなぜですか?

JH:ふたつのもののコントラストがリスナーに与える影響っていうものにすごく興味を惹かれるんだ。最初に、ほとんどやり過ぎなくらいにひとつのものを続けて、その後でそこから別なものへと解放するっていう風なものさ。“コライダー”なんてとくに、10分近くひとつのベース音が繰り返されるんだけど、あれはあえて長過ぎるくらいにしたんだ。そのあとに“アバンドン・ウィンドウ”のリズムのない、シンプルさによる解放感が来ることで、まさにまったくちがう場所に送られてしまったような感覚を生み出したかった。それに、どちらのトラックもある種の物悲しげな雰囲気があるけど、その物悲しさがそれぞれ真逆の方向性から来ていて、一方は終末感のある、エネルギーに溢れたもの、もう一方はアンビエントでメランコリックな、もの思わしげな悲しさになっている。ここがアルバムの重要な分水嶺になっているんだ。それに、こんな10分も続くテクノ・トラックのあとに5分のピアノ曲が入ってくるアルバムを他に知らないから、まだあまり誰も冒険してみたことのない領域なんじゃないかとも思ったんだ。

シングル2枚、“オープン・アイ・シグナル”、“ブリーズ・ディス・エア”がアルバム前半の強力なフックとなっています。これらではミニマル・テクノや2ステップ、あるいはダブステップに近いビートなどが聴けますが、あなたが最近肩入れしているクラブ・ミュージックのシーンはありますか? また、それがこのアルバムに影響したところはありますか?

JH:正直とくにないよ、そもそもクラブ自体、自分がプレイするとき以外に行くことはないからね。もちろんそういうときにクラブ・ミュージックには触れるし、そこでところどころ吸収するものはあるけど、僕はDJでもないし家でそういう音楽を聴くこともないんだ。もちろんプレイするためにクラブに通いつづける時期もあるけど、自分から積極的にクラブに行って遊んだりするタイプじゃないよ。

通訳:では、家では普段どんな音楽を聴くんですか?

JH:家で聴くのは、もっと歌っぽいものや昔のもの……昔のブライアン・イーノのアンビエントでリラックスできるような音楽とか、自分の作曲のモードから解放させてくれるようなものだね。残念なことだけど、ミュージシャンになってからは音楽の使い方が変わってしまうというか、音楽が新しいものを見つけるためのものじゃなくて、僕の場合は作曲から離れて、仕事モードから解放されるためのものになってしまった。バンドの音楽なんかも聴くよ。もちろん好きだからだけど、自分の音楽とちがうからっていう理由もある。

通訳:クラブに自ら行かない、というのも仕事モードから離れたいから?

JH:いや、必ずしもそういうわけじゃなくて、僕もいま34歳になって……べつに年齢がクラブに行かない理由になるわけじゃないけど、一晩中クラブに入り浸ったりする時期は過去10年間ほどで充分すぎるほどに経験したからさ。まあそれになんだかやっぱり、仕事場に来ているのに仕事してない、みたいな気分になるしね(笑)。歳を取るにつれて、もっとちがったものに興味が出てきたと思う。とはいえライヴをする上で、人々がどんなものを聴きたがっていて、どうすれば自分のセットを楽しみやすいものにするかを考えるためにもクラブに行くことは必要だし、そもそも僕はいまでも毎週クラブにいるよ(笑)。

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何年も使いつづけてきて、このピアノでの弾き方が僕の作曲方法自体を形づくってきたから、アルバムに入れるのはごく自然な感覚だね。

なかでも強烈に耳を引くのはピアノの音とそのメロディです。あなたが一貫してピアノの音色を重要なところで使うのはどうしてでしょうか?

JH:たぶん僕自身が子どものころからピアノといっしょに成長したからだね。今回のアルバムで使っているピアノは、まさに僕が8歳のころから持っているものなんだ。18歳で実家を離れてからどこに引っ越すときもいっしょに持ってきて、7年前にやっと自分のスタジオを持ったとき、そこにマイクといっしょに設置したんだ。スタジオで自分のデスクからくるっと振り返るとそこにそのピアノがあって、頭の中にメロディーが浮かぶと、すぐにそこで形にできるんだ。ピアノの音に関してはこれまで映画のサウンドトラックでもかなり使ったし、これからはもっと減らす方向でいこうと思っているけど。でもやっぱりピアノは僕の楽器なんだよ。

通訳:ちなみにその8歳から持っているのはどんなピアノですか?

JH:ヤマハのアップライト・ピアノだよ。とくに高いものだったり、特別なピアノってわけじゃないけど、子どものときにピアノを売っている店でいくつも試してみて、そのすごくソフトなタッチが気に入ったんだ。何年も使いつづけてきて、このピアノでの弾き方が僕の作曲方法自体を形づくってきたから、アルバムに入れるのはごく自然な感覚だね。

“イミュニティ”は、あなたのトラックの特徴がよく出た、ムーディで、光溢れるような感動的なクローザーとなっています。この曲のタイトルが意味するところは?

JH:かなりシンプルな意味あいだよ。“イミュニティ”っていうのは作曲をしていると感じるものなんだ。曲を作るときは自分のなかの世界に入り込んでいて、何も自分には触れられないような感じ――とくにうまくいっているときは世界のすべてのこともうまくいっていて、何も自分に害を及ぼすものはないように感じられる。素晴らしい感覚で、それは音楽を聴いているときにも感じられる、保護されていて、力づけられるような感じさ。

それをアルバム・タイトルにしたのは?

JH:なんだろう、ただたんにしっくりきたからさ。アルバム全体のコンセプトにもなっているし、最後のトラックがアルバム・タイトルになるっていうのはいろんな意味で理にかなっていると感じるんだ。それにアルバムの前半の曲がかなりアグレッシヴでダークな雰囲気なのに対して、あの曲はかなりはっきりと対極にあるピースフルなものだからイメージにも合っているしね。

通訳:トラックのタイトルを先につけてからそれをアルバムのタイトルにしたのでしょうか? それとも逆?

JH:どっちだったっけ……(笑)。いや、間違いなくあのトラックができるよりも前にアルバムのタイトルは『イミュニティ』だって決めていたから、アルバム・タイトルが先だね。誇りに思えるしっかりしたアルバムのタイトルを決めるっていうのは、作曲をする上でも最終的な目標や方向性が見えるようになるから、重要なことだよ。

ヴィデオでもコラボレートしていたピュリティ・リングとは、そもそもどうやって繋がったんですか?

JH:2011年、まだ彼らがレーベルと契約もしていなかったときに、彼らのマネジメントが僕のマネージャーに、このバンドをプロデュースするというか、アルバムの制作に協力することに興味はないかって打診してきたんだ。その当時かなり忙しかったから、他のことをやる余裕はほとんどなかったんだけど、1曲だけ聴いてみたらすごくよかったから、何かしなきゃって思った。でもどうしても時間がなかったから、アルバムのうち1曲だけミックスをすることになったのさ。そのときのミックスをどんな風にやったかを彼らに説明して、彼ら自身がアルバムの残りをミックスするときに、それを参考にしたらしい。そのあとやっと時間ができたときに彼らのシングルのリミックスをして、そのお返しにミーガンが僕のトラックにヴォーカルとして参加してくれた。だから、全体的に自然な流れだったよ。

『イミュニティ』はヨーロッパのエレクトロニック・ミュージックの感性を引き継ぎつつ、アンビエントなムードなどは現在の北米のシーンともシンクロするところがあるかと思ったのですが、実際のところ、あなたは現在のシーンの状況を意識するほうですか?

JH:うーん、シーンのトレンドを意識してしまうと、いたるところで使われているようなサウンドとかテクニックにどうしても影響されてしまうし、僕はDJじゃないからとくに新しいものをチェックしたりもしないんだ。だから騒がれているミュージシャンの名前とかもあまり覚えていないよ。そのときに目新しくて「いまっぽい」ものを作っても長くは残らないから、もし自分の作る音楽にそのときのシーンと共通するところがあるとすれば、それは純粋に偶然の問題であるべきだよ。だから僕の作ったものにいまの世界の流行と似通ったところがあるなら、それはただの幸運だね。もちろん流行と合ったものを作ることでより多くの人が取り上げてくれて、有名になることはラッキーでいいことだけど、意識的にそうしようと思ってするものじゃないな。

曲名も暗示的ですし、何よりもあなたの楽曲はムードが非常にイメージを喚起しやすいですよね。楽曲を作りながら、あるいはアルバムとしてまとめながら、浮かんでいた具体的なイメージはどのようなものなのでしょうか。

JH:うーん、とくに具体的なイメージがあったというよりは、自分自身の心理状態とかを反映してるという方が近いかな。曲名を決めるのには、ブライアン・イーノとも共作したことのある詩人のリック・ホランドの力を借りたんだ。僕はそういうのがあまり得意じゃないから、僕らはときどき会ってまず僕が彼にそれぞれのトラックについてひたすら説明して、彼がそれをノートにとったりトラックを聴き込んだりして、名前を思い浮かべたりする、という方法でいくつかのタイトルは生まれたんだ。自分だけでできない部分は、コラボレーションをしながらやるのがいちばんいいよ。


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今回は完成したのがマスタリングの日の午前4時で、その前の細かい調整をし終わった瞬間の素晴らしい感覚を覚えているよ。

ビートが激しくとも、あなたのトラックからは非常に洗練されたエレガンスを感じます。トラックの複雑さにも関わらず、最終的に美しくまとめる手腕には驚かされるばかりなのですが、どのようなことをもっとも意識しているのでしょうか? 今回のアルバムは長い時間をかけたそうですが、完成だと確信するのはどういった瞬間でしょうか?

JH:ありがとう。意識するのは、自分がついやりがちなことをできるかぎり避けるっていうことかな。僕にとっては、気をつけていないとアルバムがリラックスできるような、聴きやすくて甘すぎる音になってしまいがちなんだ。僕の最初のアルバムを作ったときは、まだ19歳だったからっていうのは言い訳だけど、平面的でコントラストのないものだった。だから、最初にアイデアが出てきたとき、そこから崩してもっと曖昧さのあるものにするために、精錬させる工程を経る必要がある。どこで完成させるかっていうのも重要なことで、数年かけて学んだことだよ。
 今回は完成したのがマスタリングの日の午前4時で、その前の細かい調整をし終わった瞬間の素晴らしい感覚を覚えているよ。その後はもうぐったりしていたけど(笑)、もうこれ以上いいものにするため何もすることはない、って確信できたんだ。もっとできることがあるとしても、8月かけてあらゆる要素をチェックして、少なくともその時点の僕が作れる最高のものができたのさ。

通訳:そういった感覚は他のアルバムのときにも感じましたか?

JH:そうだね、とくにセカンドのときは本当に長い時間がかかって、自分のできるあらゆることを試したし、まだ若くてあまり聴いてくれるひともいなかったから余計に感じたよ。誰が聴いていようといまいと、自分自身の持っているものすべてを注いで、誇りに思えるものを作らないといけないから、そういう感覚はどのアルバムにもあったね。

トラックそれぞれが物語性を持っているという点で、映画音楽的にも聞こえます。もし、あなたが『イミュニティ』を何でも好きな映画の映画音楽にしていいと言われたら、どの映画にしますか? 具体的になければ、架空の映画でもかまいません。

JH:そうだなあ、すでに存在する映画にはとくに合うものはないよ……あまりプロットのはっきりしていないものがいいな。『Monsters(モンスターズ/地球外生命体)』の仕事が楽しかった理由はそこなんだ、中心となるストーリーはあるけど、あまり何が起きるでもなく、綺麗な風景の中を歩いているシーンとかがたくさんあって、ああいう映画の作り方が好きだね。アクション映画の対極で、心理的だったり内面的な映画がいいな。

あなたの、現時点でのブライアン・イーノのモスト・フェイヴァリット・アルバムを教えてください。

JH:そのときどきで変わるけど、とくに好きなのは『サースデイ・アフタヌーン』だな。1時間のアルバムで、すごくシンプルなのに同時にすごく複雑で、ヘッドホンで聴いてみると60もの違った要素が聴き取れるけど、ひとつの大きなテクスチャーのようにも聴こえるんだ。それにたしかダニエル・ラノワも参加していて、彼は僕の大好きなサウンド・メーカーのひとりなんだ。それとハロルド・バッドと共作した『ザ・パール』や『ザ・プラトー・オブ・ミラー』もよく聴いているよ。

このアルバムを経た〈タイコクラブ〉でのライヴはスケールの大きいものになるだろうと楽しみにしています。今回のツアーでは、どんなライヴ・セットになるのでしょうか。

JH:去年にツアーがはじまってからセットはかなり変化してきたんだ。今回のアルバムの曲をもっと分解して再構築したり、もちろん『インサイズ』からの曲もやる予定だよ。これだけの曲数があると――べつにいままでがトラックの長さをそんなに気にしていたってわけじゃないけど――プレイする曲にも困らないし、逆にやろうと思えばトラックを引き延ばして、より陶酔感のあるセットにもできるしね。VJだけはツアーの他のショウで使っている自分のVJセットができないから、みんな心の中で映像を作ってくれるといいな。


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Taylor McFerrin
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 あらゆる音楽を取り込みながら進化を続けるテイラー・マクファーリンが、フライング・ロータスが主宰する〈ブレインフィーダー〉から、初のフルアルバム『アーリー・ライザー(Early Riser)』をリリースした。ジャズとクラブ・ミュージックの融合をはかりつつ、さらにネオ・ソウルやポストロックの要素までをも詰め込んだ本作は、ロバート・グラスパーに代表される2000年代のジャズ・シーンに新たな道を示すことになるだろう。ゲスト・ミュージシャンも、そのロバート・グラスパーはもちろん、父親であるボビー・マクファーリンやセザール・マリアーノまで多岐にわたっており、本作における多彩な音楽性を物語っている。

 本インタヴューでは、そんな多彩な音楽性がどのように形成され、また実際に『アーリー・ライザー』がどのように作られたのかを探った。伝説的な歌手を父にもち、学生時代にヒップホップにはまってビートを作るようになったというテイラー・マクファーリンの、ユニークで現代的な音楽観に注目してほしい。ジャイルス・ピーターソンが激賞し、フライング・ロータスがリリースをオファーしたことの意味がわかるようである。テイラー・マクファーリンは、どこから来て、どこに向かっているのだろうか。

テイラー・マクファーリン

Taylor McFerrin


ブルックリンを拠点として活躍するプロデューサー、ピアニスト、DJ。〈Brainfeeder〉の設立者で、コルトレーン一族の末裔であるフライング・ロータスや、グラミー賞の栄冠に輝く凄腕ドラマーの兄と世界的ジャズ・ドラマーの父を持つサンダーキャット同様、ジャズ界の大御所ヴォーカリスト、ボビー・マクファーリンを父に持つサラブレッド。ホセ・ジェイムズやロバート・グラスパーと共演するなど、デビュー前からその実力が高く評価され、すでに来日も決定している。ファーストEP「ブロークン・ヴァイブス」が話題を呼び、デビュー・アルバム『アーリー・ライザー』には驚くばかりに豪華なアーティストが参加した。

曲を作り出したのは1997年くらいかな。(中略)……あのときMPCを選ばなかったのはバカだった(笑)。あのときは、MPCがビートを作るのにベストなマシンだってことにまだ気づいてなくて。

音楽をはじめた経緯を教えてください。

TM:曲作りは、高校1年くらいではじめたんだ。ミネアポリスの名門高校……っていってもべつにそこまで名門じゃないんだけど、そのお坊ちゃま高校に入ったときに、クラスにいた5、6人がヒップホップにはまっていて、俺はその中の一人だったんだ。
 俺は、あまりヒップホップの歌詞は聴いてなくて、それよりもビートに興味があった。で、そこから自分でビートを作るようになったんだ。父親が新しいキーボードを買って、古いキーボードを俺にくれたんだけど、あれも音楽をはじめる大きなきっかけになったね。その後、DR-202のドラムマシンも手に入れたんだ。だから、DR-202とXP-80を持っていた。曲を作り出したのはそこからだから……1997年くらいかな。
 そこからマシンをアップグレードしてサンプルにもハマりだしたり……あのときMPCを選ばなかったのはバカだった(笑)。あのときは、MPCがビートを作るのにベストなマシンだってことにまだ気づいてなくて。MPCをあのときゲットしていれば、俺のプロダクション・スタイルは断然ベターなものになっていたかも。
 でも、これはこれでよかったのかもしれない。MPCがなかったから、キーボードをプレイすることによりフォーカスできたんだ。

プロとして活動しだしたのはいつごろだったのでしょう?

TM:なぜか忘れたけど、大学一年のときに友だちのボーイフレンドでMCのやつがいて、彼が俺の寮に来たときにビートをプレイしたら、彼がその上からライムをのせて、いっしょにやりはじめるようになったんだ。で、彼がEPを作ることになって、当時の俺のプロデューサー名はクロックワイズだったんだけど(笑)、そこからいっしょに何曲か良いトラックを作ったんだ。
 以降、曲をもっと作るようになって、曲を書くミュージシャンになるっていうアイディアを少し持つようになった。大きな変化が起こったのは、その翌年にミネアポリスからニューヨークに引っ越したとき。ミネアポリスにいたとき、すでにニューヨークに引っ越した友だちがいたから、何度か彼を訪ねていったことがあって、もっと本格的に音楽をやるならニューヨークの方がいいかもしれないって話をするようになったんだ。本当はバークリー音楽大学も考えていたんだけど、あれは父親がバークリーで講師をする代わりに俺が無条件で入れる、みたいな感じだったから、それは避けたくて。
 で、実際ニューヨークに越してきてから、ニュー・スクール(大学)でジャズプログラムを専攻しているかなりハイ・レベルのミュージシャンたちに出会ったんだ。その流れで、彼らといっしょにグループを組むことになった。そのバンド名がいけてなくて──グランドファーザー・リディキュラス(Grandfather Ridiculous)っていうんだけど(笑)、彼らといっしょにユニオン・スクエア・パークでショーをやったんだ。それが俺の最初のショーになった。けっこうちゃんとしたショーで、俺のニューヨークのキャリアのはじまりだったんだ。そこからもっと真剣に音楽をやるようになった。で、そのバンドが解散してから自分の作品作りをはじめて、それが“ブロークン・ヴァイブス”になったんだ。

作曲やプロデュースはもう高校の時点からはじまっていたんですね。DJの活動はどのようにはじめたのですか?

TM:DJはそこまでやらないんだ。俺はレコード・コレクターじゃないからね。高校で聴いていた音楽しか持ってない。90年代のヒップホップとか、60年代、70年代のソウルとか。だから、俺の場合どんなパーティでもDJできるってわけじゃないんだ。俺がプレイできるレコードのカタログを持っているクラブやバーでたまにやっていたくらい。小遣い稼ぎって感じで、定期的にはDJはやってない。ここ2、3年はとくにそう。DJよりもやりたいことがたくさんあったからね。

クラブ・ミュージックが自分のスタイルだったことはないんだ。だから、当時もみんなが何を聴いているかとか、そういうことは知らなかった。俺の場合はライヴ・ミュージシャンの友だちの方が多かったし、彼らが演奏するものをチェックすることの方が多かったから。

テイラー・マクファーリンの音楽には、これまでもクラブ・ミュージックの要素が多くあり、ヒップホップ・アーティストとの共演もいくつかありました。あなたにとって、クラブ・ミュージックとはどのような存在だったのでしょう。

TM:どうだろう。自分でもよくわからない。クラブ・シーンは、俺がたくさんのミュージシャンに出会った場所ではある。ニューヨークでの最初の7年は、当時は〈APT〉っていうクラブがあって、そこによく行ってた。すごく小さいんだけど、けっこういいDJたちがプレイしてたんだよね。あの場所は俺にとって新しい音楽の発見の場所だった。インスパイアされたよ。それに関わるようになった最初のころは、ブロークン・ビートのシーンがすごく大きかったと思う。
 でも、俺ってそこまでクラブに行くタイプではないんだよね。そういう音楽やシーンを知ってる理由は、自分が出るショーの会場をチェックしたり、他にどんなアーティストやDJがプレイするのかを調べるからってだけで。クラブ・ミュージックが自分のスタイルだったことはないんだ。だから、当時もクラブのシーンでみんなが何を聴いているかとか、そういうことは知らなかった。俺の場合はライヴ・ミュージシャンの友だちの方が多かったし、彼らが演奏するものをチェックすることの方が多かったから。

初のフル・アルバムが〈ブレインフィーダー〉から出ることになった経緯について教えてください。

TM:フライング・ロータスが俺に連絡してきたんだ。LAで俺のショーがあったとき、彼も来てくれると思っていたんだけど、都合が悪くて来れなくて。だから彼がFacebookで連絡してきて、ゴメン、次は必ず行くからってメッセージをくれたんだ。で、その流れで続いていた会話の中で、俺は自分がどんな音楽を作ろうとしているかを彼に話した。そこから最終的に自分が作ったばかりの3曲、“プレイス・イン・マイ・ハート”と“ダーン・フォー(Done For)”“アウェイク・トゥ・ユー”を送ったら、彼がそれを気に入ってくれて、〈ブレインフィーダー〉からリリースしてみないか? とオファーをくれた。だからすぐに「最高だな!」って返事したんだ。

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俺が思うジャズ・ミュージシャンっていうのは、マスタリングと楽器にフォーカスを置いているミュージシャンたちだから。楽器をどう演奏するかで自分を表現しているし、スタンダードなジャズをしっかり勉強してる人たち。

ここ数年(日本では、とくにロバート・グラスパー『ブラック・レディオ』以降)、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴなど、クラブ・ミュージックの影響を色濃く受けたジャズ・ミュージシャンの活躍が目立っています。ジャズというジャンルで、このような音楽が続々と花開いているのは、どうしてだと思いますか。

TM:何人かのプロデューサーたちがジャズをサンプリングしてヒップホップの中に取り入れたり、クラブ・ミュージック的なタイプの音楽に取り入れたりした流れじゃないかな。たとえばムーディーマンは、ソウルの作品をたくさんサンプリングしてハウスのコンセプトにそれを取り入れている。Jディラやマッドリブも、いつもジャズやソウルをぶつ切りにして、それを使ってビートを作っていた。だから、自然とその流れでそういう音楽が出てきて、注目されるようになってるんだと思う。
 ロバート・グラスパーのようなミュージシャンたちはJディラからたくさん影響を受けているし、ロバートはJディラをたくさんカヴァーしているし、Jディラあたりがそのムーヴメントのトップにいるんじゃないかな。ヒップホップのアーティストも彼ら独自のやり方でジャズを表現していて、サンプリングしたりもしている。いまの時代、ひとつの音楽にとらわれずにそこにいろいろと混ぜるやり方で曲作りをしているアーティストは多いしね。そういった変わった音のブレンドって、すごくクールだと思う。ひとつの決まった音楽を必ずしも作る必要がないということを提示しているしね。いろんな影響が繋ぎ合わさっているのはいいことだから。

テイラー・マクファーリンの音楽は、ジャンルの枠にとらわれないものだと思います。だとすれば、ご自身の音楽において、「ジャズ性」はどういった部分にあると思いますか。過去のジャズと自分の音楽が接続されるポイントはどこにあると思いますか。

TM:わからないけど……このレコードでジャズだなと思うのは、マーカス・ギルモアがプレイしている箇所。それと、父親とマリアノスが参加しているトラックもジャズっぽいと思う。でも、俺自身はジャズというよりはソウルにインスパイアされていると思うんだよね。あとフュージョンとか。フュージョンはストレートなジャズとは違うから。俺もなんて言っていいかわからないけど、自分自身をジャズ・ミュージシャンだとはあまり思ってないんだ。俺が思うジャズ・ミュージシャンっていうのは、マスタリングと楽器にフォーカスを置いているミュージシャンたちだから。楽器をどう演奏するかで自分を表現しているし、スタンダードなジャズをしっかり勉強してる人たち。でも、俺はそういうプロセスは踏んでいないし、ビートメイキングも自己流。だから、ジャズとのコネクションを感じはするけど、それは直接的ではないんだ。

以前、自分がライヴで即興をやる部分は、気づけば自然と父親のジャズの影響が出ているかもしれないと言っていましたよね。即興演奏という部分は「ジャズ性」にはならないですかね?

TM:あ、たしかに。それは一理ある。でもどうだろうね。他のたくさんのジャズ・プレイヤーたちといっしょにハイ・レヴェルな即興をやるっていうのはやはり俺には無理だから(笑)、やっぱりそれができるのがジャズ・ミュージシャンと呼ばれる人たちだと思う。

ジャズはこれまで、ソロでの即興演奏が重要視されるような価値観があったように思います。「ソロがないとジャズとして物足りない」という意見もあります。このことについてはどう思いますか。

TM:俺はあまり音楽の定義とかそういうことは気にしない。黄金期のジャズを箱に入れて守るために誰かがそう言っているんだと思うけど、それは理解できなくもない。昔の、まさにジャズの時代のジャズ・ミュージシャンたちは、歴史を知らず知識もない若いプレイヤーがジャズを語るのは気に入らないだろうしね。でも世代を超えて要素ってものはどんどん変わっていくし、あるミュージシャンがジャズに影響を受けていたとしても、だからといってジャズの特定のスタイルにこだわらないというのは自然の流れだと思う。だから、俺は自分の音楽を必ずしもジャズとは呼ばないんだ。俺はそういうジャズの時代の後の音楽を聴いて勉強してきたわけだからね。

俺はあまり音楽の定義とかそういうことは気にしない。黄金期のジャズを箱に入れて守るために誰かがそう言っているんだと思うけど、それは理解できなくもない。昔の、まさにジャズの時代のジャズ・ミュージシャンたちは、歴史を知らず知識もない若いプレイヤーがジャズを語るのは気に入らないだろうしね。

過去のジャズ・ミュージシャンで影響を受けた人はいますか。どのような点で影響を受けましたか。

TM:マッコイ・タイナーは絶対。あとは、マイルス・デイヴィス・クインテットとジョン・コルトレーンのソロ作品。とくにマイルスとコルトレーンからは影響を受けている。あと、マイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーでもあったハービー・ハンコック。それがトップの影響だと思う。マイルズに関しては、彼が自身の音楽の中でエレクトロの要素を出しはじめて、『ライヴ・イヴル』のアルバムを出したころ。あのときはジャズ・プレイヤーたちが電子機器を使って演奏しはじめたときで、マイルスもワウペダルやアンプ、シンセサイザーを使ったりしていた。そこからジャズとエレクトロニック・ミュージックが交差しはじめたから、あれはムーヴメントだったと思う。それに、俺が子どものころ聴いていたミュージシャンたちも彼らから影響を受けているしね。

〈ブレインフィーダー〉は、とてもユニークな音楽を発表しています。〈ブレインフィーダー〉およびフライング・ロータスに対する印象を教えてください。

TM:〈ブレインフィーダー〉はクールなレーベルだよ。いまはけっこう規模が広がってアーティストもたくさんいるけど、最初は少なくて、みんな本当に仲間って感じだった。いつもフライング・ロータスを中心にいっしょに出かけたり。そこからくる特別なエナジーがあったんだ。そのエナジーはいまも変わらない。みんな似た経験をしていて、同じ街にいて、互いにインスパイアしあって、いっしょにムーヴメントを作っている。そういう部分は本当に尊敬するよ。俺はニューヨークに住んでいるから少しアウトサイダーみたいな感じもするけど(笑)、もしかしたらフィアンセといっしょにLAに引っ越すかもしれないんだ。いまはロサンゼルスにとって特別な時期だと思う。アーティストに自由に音楽を作らせることによって境界線を押し広げている〈ブレインフィーダー〉は世界的にリスペクトされてるし、そこに関われているのはクールだと思う。
 いまのロサンゼルスのシーンでおもしろいのは、音楽から感じるエナジーが、たくさんのミュージシャンたちがお互いをよく知っていた黄金期のエナジーと似ていること。みんな一般的なスタンスは持っているけど、それぞれが自由にちがうことをやって境界線を押し広げている。みんなが新しいことにトライしているんだ。マイルスは、若手のミュージシャンたちを自分のまわりに置いて、自分の音楽を前進させようとしたことで有名だけど、きっと彼は、彼らに好きなことを一気にやらせて、それが混ざったときに生まれるダイナミックなサウンドをエンジョイしていたんじゃないかな。

いまのロサンゼルスのシーンでおもしろいのは、音楽から感じるエナジーが、たくさんのミュージシャンたちがお互いをよく知っていた黄金期のエナジーと似ていること。

 フライング・ロータスは、たぶんレーベルやコラボのために、スタンダードな音楽を作りつづけるだけじゃなく、自分の作品を前進させようとしているアプローチを持ったミュージシャンたちを探しているんだと思う。レーベルをそこからどんどんちがう方向性に広げていこうとしているんだと思うよ。それは音楽を作る上で俺にとっては大切なことだし、ロータスにとっても大切なはず。だから、ロータスが〈ブレインフィーダー〉からレコードを出さないかとオファーをくれたときはうれしかったよ。自分がいるべき場所のひとつだと思っていたから。もともとフライング・ロータスのファンでもあったんだ。彼の音楽に関して好きなところは、最初に聴いた時点でそれをすべて理解する必要がないこと。一瞬でわかる要素もあれば、彼はいったいここで何がしたかったんだろう? と思う箇所もある。でも、聴いていけば聴いていくほど、だんだんそれがわかってくるんだ。そうやって彼の考えの中にじわじわと入っていくのがおもしろいんだよね。

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何を使って曲を作ろうが、最終的にはただの音を超えた何かを得ることが大事だと思うから。


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『アーリー・ライザー』では、とくに“フロラジア(Florasia)”が、ディ・アンジェロやエリカ・バドゥを思わせる、ネオ・ソウルのような曲でよかったです。共演したホセ・ジェームスなどの活躍もあり、ネオ・ソウルにも注目が集まっているように思います。“フロラジア”ではヴォーカルもとっておられますが、このような音楽(ネオ・ソウル)に対して、どのように思っていますか。

TM:俺にとって、いちばん音楽に影響を受けた時代は、高校と大学1年のとき。その時期は、ミュージシャンになりたいと思わせる影響をたくさん受けていた。自分たちをスーパー・グループと呼んでいたソウルクウェリアンズとか。だから、ディアンジェロ、Jディラ、コモンとかだね。気にしていない人もいたけど、彼らのほとんどがネオ・ソウルという言葉を好んでいなくて……でも、君が言っていることはわかるよ。あのトラックは、じつはアイズレー・ブラザーズみたいな曲を作ろうとしてたんだ。ドラムのパターンはたしかにソウルクウェリアンズに影響を受けているし、他に比べて、あのトラックはとくにそういう要素が目立っていると思う。俺にとって、ああいった音楽は時代を超越した音楽なんだ。本物の楽器をプレイしてるし、だからこそ、そのサウンドには暖かみがある。そういう暖かさを持った音楽は、俺はタイムレスな音楽だと思うんだ。ネオ・ソウルに限らず、他にもいろいろあるけどね。」

プログラミングで打ち込みの音楽がおこなえるようになった現在、プレイヤーの演奏技術は重要だと思いますか。重要だとすれば、どのように発揮されるのが良いでしょう。

TM:大切だと思う。何を使って曲を作ろうが、最終的にはただの音を超えた何かを得ることが大事だと思うから。たくさんのアーティストたちがMPCを手に入れているけど、そのうちの誰もがJディラみたいにプレイれきるわけじゃないし、デジタルのキーボードだけでは、ある特定のタイプのサウンドはゲットするのが難しいんだ。サウンドのパレットにリミットができてしまうから。でも本物の楽器を持っていれば、音に違いが生まれる。なぜかって訊かれると説明できないけど、金があったら俺はそのすべてをヴィンテージのギアに使う(笑)。音楽にとっては、いくつかのプロダクション・テクニックを同時に使ってミックスするのも大切だと思うんだ。そうすれば可能性が広がる。昔のギアだけを使ってももちろん制限はできるけど、いろいろなものを使った方がサウンドの幅は広がるんだよ。

マシンにマーカスみたいな演奏はできないってことですね(笑)。

TM:無理無理(笑)。たぶん、ある程度クレイジーなことはできるんだと思う。でもマーカスほどは絶対に無理だろうな。だから俺はマーカスを呼んだんだ。実際、そうしたことでサウンドのまわりにそれまでとはまったくちがう空間がもたらされたしね。

なぜかって訊かれると説明できないけど、金があったら俺はそのすべてをヴィンテージのギアに使う(笑)。

テイラー・マクファーリンの音楽の特徴に、精密なプログラミングやサンプリングがあると思います(とくに“ブロークン・ヴァイブス”)。プログラミングやサンプリングという手法について、どのように思っていますか。

TM:うーん、俺は他のレコードからサンプリングしないから、なんとも言えない。自分で作ったものはサンプルするけど、他の作品からはどこからもサンプルしたことはないんだ。まあ、プログラムのためのドラムのサンプルはもともと何かオリジナルがあるんだろうけど、それを除いて、俺はメロディックな要素はサンプルしないんだ。だから俺自身は、自分ですべてをプレイした作品に対していちばん繋がりを感じる。もちろんサンプリングを否定しているわけじゃないし、つねにそうだってわけではないよ。お気に入りのプロデューサーの中にはサンプルだけで作品を作る人たちもたくさんいるし。でもおかしなことに、俺は自分が聴いて育ったどのミュージシャンよりもサンプリングをやらないんだ。自分がメランコリーを感じられる曲は、やっぱり自分でプレイした曲なんだよね。

“プレイス・イン・マイ・ハート”では、ライアット(RYAT)のヴォーカルもあいまって、ビョークの音楽を連想します。また、“ジ・アンチドート(The
Antidote)“もエレクトロニカのように繊細な音楽です。ご自身には、ポストロックやエレクトロニカの影響などはありますか。

TM:いいとは思うけど、そこまで影響は受けてないと思う。俺は、あまり特定の音楽のハードコアなファンにはならないタイプなんだ。さっき言ったような、ソウルクウェリアンズやネオ・ソウル・ムーヴメントを除いては。あれにはめちゃくちゃハマったからね。でも、ドラムンベースやトラップにハマったことは一度もない。自分が聴くすべての音楽からの影響を受け入れるようにしたかったから。“ジ・アンチドート”のプロデュースの仕方はじつは大変で……あのトラックは、最初はもっと早かったんだ。かなりね。でもアルバムの他のトラックでそこまで早い曲がなかったから、すべてをスローダウンしたんだよ。で、スローダウンしたらすべてのサウンドがピッチダウンして……最終的にはぜんぜんちがう作品になった。そんな音になるとは、自分でも思わなかったんだ。エレクトロニカのビートを作るぞ! って感じではなくて、たまたまああなったっていう(笑)。でも、もちろんそういう要素も含まれてはいるとは思うよ。

おかしなことに、俺は自分が聴いて育ったどのミュージシャンよりもサンプリングをやらないんだ。自分がメランコリーを感じられる曲は、やっぱり自分でプレイした曲なんだよね。

“オーレディ・ゼア(Already There)”では、ロバート・グラスパー、サンダーキャット、マーカス・ギルモアを迎えて、とても緻密で技巧的な演奏が繰り広げられています。“オーレディ・ゼア”は本作のひとつのハイライトだと思いますが、この曲はどのように作られたのでしょうか(セッション的だったのか、誰かがイニシアチブを取っていたのか、など)。

TM:マーカスにまずドラムを叩いてもらって……それは3年も前の話なんだけど(笑)。そのあとに自分でピアノとシンセのパートを作った。で、ピアノのパートがあまりしっくりこなかったから、ロバートに弾いてもらって自分のシンセパートだけ残して、それから最後にサンダーキャットのロサンゼルスの家に行って、15テイクくらいベースをレコーディングしたんだ。みんな友人だからコラボしやすかったし、それを参加してもらうための説得に利用したんだよ(笑)。友だち同士で共演できたらエキサイティングじゃない? ってね(笑)。これはアルバムの曲の中で最後にできた曲。その3つのレコーディングをミックスして、ひとつのセッションみたいにしたんだ。

『アーリー・ライザー』のレコーディングにおいては、どのくらいセッションで合わせられているのですか。それとも、ほとんど別録りでしょうか。

TM:トラックのほとんどが、まず自分で全部レコーディングしたんだ。それか、自分で75%仕上げてからその残りを補うためにゲストを呼んだり。誰ともあまりセッションしてないけど、セッションとしてスタートした曲がひとつだけある。それは最後のトラックなんだけど、他はぜんぶ俺が一人で先に音を作って、それから他のミュージシャンを呼んで、上からジャムしてもらったんだ。

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たとえばJディラの音楽にはたくさんレイヤーが入ってるんだけど、その中にはリード・レイヤーがない。だから、すべてのレイヤーを聴くには、何度も何度もその曲を聴く必要があるんだ。ちょっと変わったサンプルが密かに入っていたり、聴けば聴くほど新しい発見がある。


Taylor McFerrin
Early Riser

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アルバム全体のサウンドもとてもバランスが良く、心地いいです。ミックスの作業にはこだわりはありましたか。

TM:ミックスで意識したことか。たとえばJディラの音楽にはたくさんレイヤーが入ってるんだけど、その中にはリード・レイヤーがない。だから、すべてのレイヤーを聴くには、何度も何度もその曲を聴く必要があるんだ。ちょっと変わったサンプルが密かに入っていたり、聴けば聴くほど新しい発見がある。このレコードは、それを意識してミックスしたんだ。ミックスは全部自分でやった。でもこのレコードに関しては、あまりミックスの環境はよくなかったんだよね。いいアパートに住んでるわけでもないし、オフィシャル・スタジオをもってるわけじゃないし。アルバムを聴いていると、もう少し時間をかけたかったなと思う箇所がある。やろうと思えばできたんだろうけど、ちょっと環境がね。本当はもう少し上手くできるんだけど。
 プロのスタジオに自分の音楽を作りにいったことがないんだ。それをずっと続けているから、いまはそれが逆に変な感じがして、もしそれをやってみたらどうなるかわからない。でも、超デカいスピーカーでやると、大きいアレンジのフリークエンシーが聴こえるから、もっとミックスは簡単になる。今回のレコードでは、いくつかのちがうカー・ステレオで聴いたりしてみたんだ。いま聴くと、自分のスタジオでは聴こえなかった周波数が聴こえる。だから自分が思っていたのと少しちがって聴こえるんだよね。ミックスのプロセスは、ほとんど俺のヘッドフォンといくつかのカーステレオでやったから、次回はよりよい作品を作るためにももう少しちゃんとしたスタジオでやれたらと思ってるんだ。
 俺はオフィシャルなものを作るという目的なしに作品を作りはじめることが多いし、そのせいで個々にトラックを仕上げられないという問題がある。もっとたくさん音楽を作ることもできたかもしれないけど、たまに自信がなくなってなかなか進まないこともあったんだ。この4年間の中間地点くらいでは、本当にアルバムを仕上げられるのかわからなくなって悩んでいた。先が遠すぎて、もう無理かもとも思ったくらい(笑)。でもいまはそれを乗り越えているから、どうすればいいかわかってる。ゲストを迎えて何かを補うこともできるということ、それによってよりよいものが作れることもわかったし。だから、次のアルバムはもっとスムーズにいくと思う。次はもっとこうやりたいっていうアイディアがすでにあるんだよね。ミックスもそうだし、もっと自分のヴォーカルを増やすとか、より自分で楽器を演奏するとか。


ちょっと俺と親父の音楽はちがうんだ。でも、自分には親父にできない何かがあるっていうのはクールだし(笑)、それでいいと思ってる。

『アーリー・ライザー』には、父親のボビー・マクファーリンさんも参加されています。父親から学んだことはありますか。

TM:変に聞こえるかもしれないけど、いままで父親に直接音楽のことに関して何かきいたことはないんだ。彼からどういう影響を受けたのか、自分にもわからない。父親をもちろんリスペクトはしてるけどね。それは逆も同じで、彼も俺の音楽をリスペクトしてくれている。でも、父親の音楽の世界を特別に理解しようとしたことがないんだ。俺はヒップホップのような、彼のスタイルじゃない音楽を聴いて育ったから。音楽を作りはじめたときも最初からビートだけを作っていたし、親父はもっとジャズやクラシックのバックグラウンドから来ているし。そういう音楽では、もっとテクニカル・スキルや楽器が重視される。他のミュージシャンとの即興は、本当にハイレベルな技術が要求されるからね。でも俺は、サウンドとテクノロジーを操ることに慣れている。だから、ちょっと俺と親父の音楽はちがうんだ。でも、自分には親父にできない何かがあるっていうのはクールだし(笑)、それでいいと思ってる。俺は逆に親父ができることができないし。でもさっきの即興の話みたいに、年齢を重ねると、「この部分、気づけば親父の影響を受けてるな」と思うことがたまに出てくるんだ。ショーをやっていると、気づけば即興をたくさんやっているんだよね。俺の場合は楽器じゃなくてテクノロジーだけど、それでも即興はする。やっぱりそれはジャズの影響だと思うし、俺のやることの一部。それは父親からダイレクトに受けた影響なんじゃないかな。彼の90分間のショーを何度も見てきたから。もちろんその中にはたくさんの即興があった。だからなのか、即興がすごく心地がいいんだよね。自分にとっては普通のことなんだ。それは育った環境で自然と身に付いたものだと思う。俺がずっと観察してきたことだから。

現在のミュージシャン/アーティストで気になる人はいますか。

TM:俺はお気に入りのレコードを何度も聴く派だから、気になるアーティストってあまりいなくて。いまはとりあえず、ハドソン・モホーク、ジェイムス・ブレイク、フライング・ロータスとサンダーキャット。それだけ(笑)。あまりいまのシーンがどうとか、周りで何が起こってるかとかは気にしないタイプなんだ。ブログをチェックしているときに新しい作品を見つけたりはするけど、あまりラジオも聴かないし、自然と自分のところに来た音楽を聴くことの方が多い。とくにニュー・アーティストに関しては、あまり彼らの音楽は聴かないようにしている。2、3回聴くだけかな。影響されすぎないようにそうしているんだ。たまにミキシングのテクニックを自分のと比べてみたりはするけど。あと、あまりに変わっている音楽で、「よし、これには音楽のルールはないんだな」と一度わかると聴いたりはする。でも普通は、偶然誰かのアルバムを知って、それがよければしばらく聴くって感じかな。俺は新しい作品よりも古い作品のほうをひんぱんに聴くし。

ハドソン・モホーク、ジェイムス・ブレイク、フライング・ロータスとサンダーキャットのどのような点が気になりますか。

TM:彼らが似た影響を受けていることは明らかで、似ている環境から来ていることもたしか。でも、みんなそれぞれがちがうアプローチをもってる。それが新鮮なんだ。いま起こっていることに影響を受けるのは悪いことではない。でも俺は、何かをチェックするよりも、ライヴに出演して実際に会場で影響を受けるほうが好きなんだ。

ニュー・アーティストに関しては、あまり彼らの音楽は聴かないようにしている。2、3回聴くだけかな。影響されすぎないようにそうしているんだ。たまにミキシングのテクニックを自分のと比べてみたりはするけど。

ブルックリンを拠点にしているということですが、ブルックリンは、ヒップホップ、フリージャズ、オルタナティヴ・ロックなど、さまざまな音楽がひしめきあっています。ご自身の活動において、ブルックリンという街に与えられる刺激などはありますか。

TM:ブルックリンには本当にたくさんのアーティストがいて、ニューヨークの中でもスペシャルな場所だと思う。もう14年も住んでるから、ブルックリンの一員って感じはするね。もちろんブルックリンは俺という人間の一部だし。マンハッタンとはちがうけど、アーティスト仲間の90%はここに住んでるし、俺たちの街って感じがする。刺激を受けているかはわからないけど、ブルックリンの人たちが俺の作る音楽に共感してくれてるってことは、何か繋がるものがあるのかもしれないね。」

最後にもう一問だけ訊かせて下さい。ジャイルス・ピーターソンに激賞されましたが、ジャイルスからはどのように評価されたのでしょう。

TM:「彼は初めて“ブロークン・ヴァイブスEP”をかけてくれたDJのひとり。もう何年も俺の音楽活動をサポートしてくれているんだ。彼がどう俺の作品を評価したかはわからないけど、たぶん、最初にEPが出たとき、それが当時のUKで起こっていたサウンドに影響されてたっていうのが気に入ってくれた理由のひとつだと思う。そこに何か繋がるものを感じたんだじゃないかな。最近も彼からインタヴューを受けたけど、彼は本当によくしてくれるし、キーとなるDJのひとりだし、彼みたいな人が気に入ってくれることには大きな意味がある。すごく光栄だよ。何故俺の音楽を気に入ってくれたのかはとくに聞いてないけど、俺らしいスタイルを気に入ってくれたんじゃないかなと思う。たくさんの音楽からのさまざま」な影響がミックスされているから。ジャイルスもそういうスタイルを好むんだよ。

■今週末の〈ブレインフィーダー〉へ出演!

史上最大スケールで開催されるレーベル・パーティ〈BRAINFEEDER 4〉。フライング・ロータスやティーブスを堪能しつつ、テイラー・マクファーリンを目撃しよう!

2014.05.23 FRI @ 新木場ageHa
open/start: 22:00
前売チケット: ¥5,500

https://www.beatink.com/Events/Brainfeeder4/

テイラー・マクファーリン単独公演決定!

2014年9月25日(木)@東心斎橋CONPASS

2014年9月26日(金)@渋谷WWW

more info : https://www.beatink.com/Events/TaylorMcFerrin/

interview with Ben Watt - ele-king

 ポストパンク時代に生まれた悲しい歌は、日本では「ネオアコ」という訳語によって普及した。悲しみも一緒に普及しているのならいいのだが。
 ポストパンク時代の彼らの悲しい歌は、パンクの残滓の色濃い当時のポップの基準では大人しすぎたのだろうか、あるスジからは「軽薄だ」とも言われたそうで、そもそも自分たちのルーツは70年代の音楽にあったからだとガーディアンの取材に答えているのを読んだことがある。
 「彼ら」というのは、ベン・ワットとトレイシー・ソーン。ふたりは、出会ってから28年後(2009年)に結婚した。周知のように、ベン&トレイシーは1982年からともにエヴリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)として活動している。
 ワットの父、トミー・ワットは、グラスゴーの労働者階級出身で、ジャズ・バンドのリーダーだった。60年代以降は、ジャズのマーケットは、ポップ音楽に駆逐されるものの、トミー・ワットは、1957年にはアイヴァー・ノヴェロ賞(英国作曲家協会の優れた作曲家への表彰)を受賞したほどの人物だったそうだ。イングランド最大のロマ(ジプシー)家族に属していた曾祖父に持つ母親は、TVのインタヴューアでありコラムニストだった。ベン・ワットは、そんな彼のボヘミアン的な父と母親についての読み応えのある物語を著したことで、今年の初頭、母国のメディアに大きく取り上げられている。


l Ben Watt
Hendra

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 かように、なにかと話題が続いての、ベン・ワットの31年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムである。
 31年前のファースト・アルバム『ノース・マリン・ドライヴ』は、「ポストパンク時代にぞんざいに扱われたクラシックである」と、ガーディアンは書いているが、しかし、日本では、そのまったく逆で、ポストパンク時代のベストに挙げる人が珍しくないほど評価され、愛されてきた。むしろ、『ノース・マリン・ドライヴ』の印象が強すぎるため、90年代の途中からクラブ・ミュージックにアプローチした近年のワットのほうが忘れられているのではないかと思われるほどだ。『ノース・マリン・ドライヴ』は「ネオアコの金字塔」であり、ベン・ワットとはその作者なのだ。
 そういう意味では、『ヘンドラ』は、ポストパンク時代を音楽、ことUKの音楽とともに過ごした人たち(僕もそのひとりだ)の多くにとって、たぶん、大きな出来事である。メランコリーは、ずっと消えないのだから。

たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』にはとても美しいところがたくさんあると思うし、誇りに思っているけど、同時にどこか……なんていうか、「そんなに良くないな」と思う部分もあるんだよ(笑)。とくに歌詞はとっても繊細で無知なところがある。

『ノース・マリン・ドライヴ』は、日本では「ネオアコ」という括りで、オレンジ・ジュースやアズティック・カメラ、トレイシー・ソーンのソロなどともに、いまでも絶大な支持があることをご存じですか? 

ベン・ワット(BW):うん、知っているよ。最後に日本に行ったのは4~5年前で、そのときはDJとして行ったけど、とても良い時間を過ごしたよ。すごく良く面倒を見てもらったし、ギグも素晴らしいものだった。でもその前に行ったのは90年代、『Walking Wounded』のツアーのときだったと思うな、時間が経ちすぎてあまりよく覚えてはいないんだけど……

いつか自分のソロを発表したいという気持ちは、この30年間、頭のどこかにあったのでしょうか?

BW:ずっと長い間、絶えず頭の片隅にはあったんだ。その頭のなかの(ソロ・アルバムを作りたいという)声はときによって大きくなったり、小さくなったりはしたけれどね。何しろ前のアルバム(『ノース・マリン・ドライヴ』)を作ったときはまだ19歳か20歳で、その時点で自分自身の小規模なキャリアがあったけど、その後に違う道を歩むことになったんだ──結果的に、トレイシーと一緒に20年やって、それからエレクトロニック・ミュージックを10年やった。
 でも、ここ2年くらいのあいだにその頭のなかの声が大きくなってきたんだ。まずは自分の本が書きたくなって、最近出版された僕の両親についての本『Romany and Tom』を書いた。そしてその後、今度は自分の曲が書きたいと思ったんだ。その時点では書いた曲は全然なかったんだよ、ノートに未発表の曲を書き溜めたりはしていなかったからさ。それでこのアルバム『ヘンドラ』のために曲を書きたいっていう強い欲求が出てきて、去年いちから曲を書きはじめたよ。

それが「いま」リリースになったことにはどんな理由があるのでしょう?

BW:それは自分でも知りたいね(笑)。なんでだろう、自分でもわからないな。あまりいろいろ自問したりはしないんだよ。自分の直観に従っているだけだからさ。たぶんDJとしての活動やレーベル運営に停滞を感じたんだと思う、それらにかなり時間を取られていたし、他の人をサポートするのにほとんどの時間を使っていて、自分自身がクリエイティヴなことをできていないように感じていたんだ。だから自分自身のクリエイティヴな活動を再開したかったのさ。その時点では何をするのかはっきりわかってはいなかったんだけどね。とりあえず本が書きたいことはわかっていたけど、その後にソロアルバムを作ることになるとはそのときは思っていなかったから、自分でも驚きだよ。

通訳:そこで曲を書きはじめた直接のきっかけはなんだったのでしょう?

BW:ちょうど本を書き終わったとき、その本を読んでもらうのを楽しみにしていた、僕の姉が突然亡くなったんだ。すごくショックで、しばらくは放心状態だった。そして去年の1月頃、ギターを持って座ってみたときに、新しい曲を書きたいって気付いたんだよ。

あなたの「Summer Into Winter」(1982年)と『ノース・マリン・ドライヴ』(1983年)は、日本ではクラシックな作品として位置づけられていますが、やはり、最初のアルバムで完成された作品を作ってしまうと、次のアルバムが出しにくくなるものですか? 

BW:そんなこともないよ、僕自身はとくに「完成された」アルバムだとも思っていないしね(笑)。だって自分では絶えずどこを直せばより良いものを作れるか、改善点を探しているものだしさ。自分で作ったものに対して、もっと違うやり方でやれば良かったとか、どこが良くないかを探して、その欠点を直そうと努めるのが普通だよ。
 たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』にはとても美しいところがたくさんあると思うし、誇りに思っているけど、同時にどこか……なんていうか、「そんなに良くないな」と思う部分もあるんだよ(笑)。とくに歌詞はとっても繊細で無知なところがあるし、あのアルバムに入っている曲はどれもイノセンスから生まれたものだと感じるよ。そしてその点、新しいアルバムは経験から生まれた曲だといえるね。

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もっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ。


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『ヘンドラ』はシンプルなフォーク・ロック・アルバムだと思います。 ジャズやボサノヴァでもありません。『ノース・マリン・ドライヴ』という30年前の作品と比較するのは無茶だとは思いますが、『ヘンドラ』のシンプルなフォーク・ロックという方向性について教えて下さい。

BW:とにかく自分自身に自然に降りてくるようなレコードが作りたかったんだ。あまりプロダクション面のことを考えたり、エンジニアリングやスタジオについてのことを考えたくはなかった。だからユアン・ピアーソンにそういう部分を一任した。僕自身はただギターを持って曲を書いて、自分が自然に感じる方向へ向かいたかった。それにおそらく、10代の頃の自分に影響を与えたものとの繋がりみたいなものをどこかで意識していたのかもしれない、トレイシーと会う前の自分自身にね。そういうものって永遠に消えないと思うんだ。14歳や15歳の頃、ジョン・マーティンやニール・ヤング、ブライアン・イーノ、ニック・ドレイクとかの音楽をよく聴いていて、彼らの音楽は僕のなかにすごく強い印象を与えた。そしてたぶん今回、そういった音楽の影響が浮かび上がってきたのかもしれない。

原点回帰したというか、1960年代のフォーク・ロックに立ち返ったと 言ってもいいのでしょうか?

BW:わからないな、それは他の人が言うことであって、僕が決めるわけじゃないよ。このアルバムを作るとき、いま挙げたような自分に影響を与えた音楽を振り返っていた部分はあるかもしれないけど。そもそも曲を書いている時点ではまだそれらの曲は発展途上で、自分でもどういう方向性のものになるかはわからないんだ。今回の作曲中には、ギターを普段とは違うチューニングにした。だからそれが曲に独特の、美しく物憂げな、印象主義的な音を与えていると思う。でも同時に歌詞はかなりダークなものなんだ。だから、音楽自体にもよりダークなエッジを加えたいと思った。それでバーナード・バトラーに声をかけたんだ、彼のギターにはもっとブルーズでロックな要素があるからね。もっとディストーションのかかった音さ。それが今回のアルバムのバランスに重要だったんだ。

通訳:バーナード・バトラーが参加する前のアルバムのサウンドはもっと明るいものだったということですか?

BW:いや、明るいとかポジティヴとは僕は言わないかな(笑)。でももっと、メランコリックで綺麗なものだったんだ。でもそこによりエッジを加えて、ただ美しい音だけではないものにしたかった。もっと泥臭い、荒さのあるものにしたかったんだ、バーナードのギターはそういうサウンドだからね。ミック・ロンソンがデヴィッド・ボウイと一緒にプレイしたのと同じようなことさ。

あなたは、主に70年代の音楽に影響を受けたという話を聞いたことがありますが、デイヴ・ギルモアは、ひいてはピンク・フロイド は、あなたにとってどんな存在なのでしょうか? 

BW:彼とは本当に偶然に、アルバムを作りはじめる前に出会った。パーティで紹介されて、彼の自宅に行って、彼の作ったデモを聴かないかって訊かれたときには驚いたよ。そこでイエスと返事をして、彼の家で1日過ごして、意気投合した。
 彼の音楽を聴いて、音楽についての話をしたりランチを一緒にした2週間後だった。僕がスタジオで“The Levels”のレコーディングをしていたとき、彼のギターの音がこの曲にぴったりなんじゃないかと思った。それで彼に電話でこの曲のためにギターを弾いてくれないか訊いたら、彼の返事は「イエス」だった。そんなシンプルな理由さ。
 正直言うと、僕は特別ピンク・フロイドのファンってわけじゃないんだ。彼のギタープレイが好きなんだよ。それに彼の歌声もね。彼の歌い方って、とてもイギリス人っぽいんだ、アメリカンな感じとは対極にある。だから、ピンク・フロイドのデイヴのファンだったというより、彼自身が好きなんだ。

先ほど、メランコリックと言いましたが、たしかに『ノース・マリン・ドライヴ』は、とてもメランコリーな作品です。あのメランコリーについて、いまいちど、あなたなりに解説していだけないでしょうか?

BW:うーん、とくに解説することはないよ……ただ自分に正直な表現をしているだけさ。自分の頭の中に聴こえるものをそのまま曲に書いているんだ。僕のやる事に特別な技巧やトリックはなくて、自分の感じる物事をストレートに表現しているだけだよ。

通訳:そういったメランコリックな感覚を持つようになった要因や環境など、無意識下での影響などは思い当たりますか?

BW:うーん……(沈黙)……思い当たらない(笑)。さっきも言ったように、自分の音楽がどこから来ているかとか、あまり自問をしないんだ。ただ直感に従って曲を書こうとしているだけさ。子供の頃から、そういう風に音楽が「聴こえる」なかで育ってきたし、曲を書くときもそういう方法で書きたい。『ノース・マリン・ドライヴ』の曲なんかは、10代特有の怒りだったり、若いラヴソングだったり、どれも若い頃には誰でも経験する典型的な物事についてさ。ただそれが僕なりの形で出てきたっていうだけだから、それを解説するっていうのは難しいな。あまりそこを深く考えたくないというか、それに名前をつけてしまいたくはないんだ。

では、なぜデビュー当時のあなたやトレーシー・ソーンはアコースティックな響きの音楽性にこだわったのでしょう? 

BW:わからないな、本当に自分でも知らないんだよ(笑)。自然といろいろなことをやりながら成長していくのさ、音楽を聴いてその影響を吸収して、自分のなかで音楽が聴こえてきて、それが座って曲を書き出すと出てくるんだ。もっと詳細を話せたらいいんだろうけど。

他のバンドからの影響はありましたか? オレンジ・ジュースとか?

BW:うーん、僕が思うには、トレイシーは若い頃に彼女の兄が持っていた70年代初期のロックなんかのレコードを聴いたり、父親のジャズだったり、その後には自分でディスコやパティ・スミス、アンダートーンズ、バズコックス、それにオレンジ・ジュースなんかを発見して聴いてきたから、彼女の側にはそういう影響は少なからずあると思う。
 僕のほうはちょっとそれとは違っていたね。僕の父親がジャズ・ミュージシャンだったからジャズをたくさん聴いたり、10歳くらい年の離れた兄や姉が持っていた60年代後半から70年代前半のレコードを聴いたりして育ったんだ。ルー・リードやロイ・ハーパー、サイモン&ガーファンクル、ニール・ヤングとかね。そして10代の頃にジョン・マーティンの音楽に出会って、それが僕のギタープレイにかなり影響を与えた。その他にはさっきも言ったブライアン・イーノの70年代半ばの『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』とか、その後にはニック・ドレイクやロバート・ワイアット、ケヴィン・コインとかのイギリスのアウトサイダー・フォークみたいな音楽も発見してよく聴いたな。だからその辺の音楽が当時の影響だったとは言えるかもしれないね。

あのアルバムや「Summer Into Winter」の収録曲で、いまでもとくに好きな曲を教えて下さい。

BW:『Summer Into Winter』の“Walter And John”はとても好きだね。あとは『ノース・マリン・ドライヴ』のタイトル・トラックも好きだよ、あのアルバムでいちばん良い曲だと思ってる。それと“Some Things Don't Matter”も好きな曲だよ。

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僕はどの曲もほとんどが美しさとメランコリーのあいだにあると思う。そういう対比に惹かれるんだ、綺麗なメロディに悲しい歌詞が乗っていたりする曲や、その逆の曲を書くのが好きなのさ。


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今回の、たとえば“THE GUN”という曲もそうだし、EBTGの悲しい歌を聴いていても、決して社会とは無関係ではないように思うんですが、あなた自身、政治と音楽はどのように考えているのでしょうか? 

BW:僕が音楽と政治を繋がりのあるものとして扱うときは、あくまで個人的な立場や見解からアプローチする。政治がどのように人びとの生活を染めていくかとか、日常生活にどんな影響を及ぼしているかとかさ。“THE GUN”は銃規制やそれがある特定のひとつの家族に対して与える影響についての歌だけど、これまでのキャリアにおいても僕はそういう、パーソナルな政治的な意見を曲のなかで折に触れて書いてきたと思う。だから僕が政治について書くときはいつもそういった視点からさ。

あの時代と比べて、インターネットの普及に象徴されるように、いまの社会は大きく変わりました。あなたがもっとも変わって欲しくなくて変わってしまったものは何だと思いますか?

BW:うーん……どうしよう(笑)。そういう風な考え方をしたことがなかったんだ。基本的に僕らはみんな自分の目の前にあるものに対処しているから──いまもいま現在で、いくつもそのときの問題っていうものがあるものでさ。そうだね、僕らの生活は僕が20歳だった頃からはだいぶ変わったよ。でも、目の前にある問題に取り組むっていうものなんじゃないかな……わからないや、難しい質問だね。

『ヘンドラ』というタイトルになった理由は?

BW:タイトル・トラックになっている曲が、僕の亡くなった姉についての曲なんだけど、姉はとてもシンプルな人生を歩んでいた人で、お店の店員としての仕事をして、窮屈で難しい生活をしていた。週末に休みが取れると、いつも「ヘンドラ」に行く、と言っていたんだ。それがどこなのかは知らなかったけど、綺麗な言葉だなとは思っていた。
 そして彼女が亡くなったとき、その言葉の意味を調べてみることにした。そうしたらそれが、彼女の行っていた場所の通りの名前で、同時に古いコーンウォール語で「home(=家、家庭、故郷)」、または「farm(=牧場、農園)」っていう意味の言葉でもあると知った。その途端、この言葉がアルバムのタイトルとして素晴らしいものだと思えたんだ。僕の姉に関連しているパーソナルな繋がりもあって、美しくて不思議な、神話的な響きの言葉でさ。そしてホーム、戻る場所っていう深い意味合いもあって、今回のアルバムにはぴったりだった。

この先もソロ・アルバムを出していくつもりですか?

BW:現時点ではわからないな、あまりいつも先のことを計画しないようにしているんだ。僕の人生において、いちども計画を立てようとしたことはないよ。いつも直観に従うようにしているからさ。何かひとつのことを続けて、それが何か間違っていると感じたら、そこで止めて、「次は何をしよう?」って自問するのさ(笑)。そこで決断を下すんだ。

〈Unmade Road〉は今後もレーベルとして活動していくのでしょうか?

BW:当然このアルバムを〈Buzzin' Fly〉や〈Strange Feeling〉から出すこともできたけど、それをすると僕自身レコード会社にいなきゃならない。今回はそうしたくなかった、どちらも小さなインディペンデント・レーベルだからやることがたくさんあって、そういう仕事をこなしながらアーティストとしての活動も両立させるっていうことはしたくなかったのさ。だから新しいレーベルを立ち上げたわけで、あくまでこのレーベルは今回のアルバムを乗せて走るための乗り物のようなものなんだよ。

最後に、あなたの音楽はメランコリックとはいえ、今作の“SPRING”や“ヘンドラ”、“GOLDEN RATIO”や“NATHANIEL”などといった曲には、ある種の前向きさも感じます。

BW:僕はどの曲もほとんどが美しさとメランコリーのあいだにあると思うんだ。これは僕自身の曲に限らず、音楽全般において僕がダウンビートでありながら、どこか高揚感のあるものに興味があるからだろうね。そういう対比に惹かれるんだ、綺麗なメロディに悲しい歌詞が乗っていたりする曲や、その逆の曲を書くのが好きなのさ。だからその高揚感のある部分によって、ポジティヴさも出しているように聴こえるんだろうね。


 部屋はどれも冷えきっているが それでも天国だ
 お日様だって輝いている
 知ってるだろう 雲の切れ間から差し込む光を
 人がなんと言っているか
 オー ヘンドラ オー ヘンドラ
 ぼくはこの道をまた歩むだろう
 それで申し分ないと きみが感じさせてくれるから
“ヘンドラ”


interview with Archie Pelago - ele-king


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

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 要はタイミングである。だってそうだろう、生ジャズがハウスと一緒になった、珍しいことではない。新しいことでもない。が、アーチー・ペラーゴのデビュー12インチは、都内の輸入盤店ではずいぶんと話題になった。何の前情報もなしに売り切れて、再入荷しては売り切れ、そしてさらにまた売り切れた。
 僕が聴いたのは2013年初頭だったが、リリースは前年末。年が明けて、お店のスタッフから「え? まだ聴いてないの?」と煽られたのである。そのとき騒いでいたのは、ディスクロージャーの日本でのヒットを準備していたような、若い世代だった(……マサやんではない)。
 
 いまや人気レーベルのひとつになった、お月様マークの〈Mister Saturday Night〉が最初にリリースしたのがアンソニー・ネイプルスで、続いてのリリースがアーチー・ペラーゴだった。東欧やデトロイト、そしてUKへと、ポストダブステップからハウスの時代の到来を印象づけつつあった流れのなかでのNYからのクールな一撃だったと言えよう。

 アーチー・ペラーゴの結成は2010年、グレッグ・ヘッフェマン、ザック・コーバー、ダン・ハーショーンの3人によって、ブルックリンにて誕生。メンバーはPCやターンテーブルを使い、そして同時に、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスを演奏する。全員が幼少期からクラシックとジャズを学んでいるので、うまい。PCにサン・ラーのでっかい写真(?)が貼られているところも好感が持てる。



 2013年以降は、自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げて、コンスタントに作品をリリースしている。ジャズ/ハウスといったカテゴリーに留まらず、よりレフトフィールドな領域にもアプローチしている。IDMやブロークンビートの要素を取り入れながら、自分たちの可能性を広げているのだろう。

 この度NYの3人組は、サンフランシスコのDJ、ディーン・グレニアーとのコラボレーション・アルバム『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』をリリースする。共作とはいえ、アーチー・ペラーゴにとっては初めてのアルバムとなる。



 このように、液体状のごとく溶けるジャズ・エレクロニカだが、これを中毒性の高い、夢世界を繰り広げるのがアルバムである。

いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008年か9年頃。決定的なきっかけは、とあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。

バンドはいつ、どのようにしてはじまったのでしょう? 2012年、アーチー・ペラーゴが〈Mister Saturday Night Records〉から発表した「The Archie Pelago EP」は、同時期にリリースされたアンソニー・ネイプルスのEPとともに日本でもコアな人たちのあいだでずいぶんと話題になったんですよ。

Dan ‘Hirshi’:クローバとコスモとは、僕がニューヨークでDJをしていたときに別々に知り合った。ふたりとも僕のDJセットに生楽器をブレンドするという可能性を提示してくれてね、とても興奮したよ。彼らはエレクトロニック・ダンス・ミュージックの未来に関して、僕と同じような先見を持っていたからね。

Zach ‘Kroba’:大学を卒業してから、しばらくハーシと彼のDJのパートナーと一緒にいたんだけど、そのときに、ハーシがチェロ奏者と一緒にはじめる新しいプロジェクトに参加しないかと声をかけてくれた。コスモの家に行って曲を録音したのがはじまりだ。その後は知ってのとおりだね。

Greg ‘Cosmo D’:長いあいだ、僕らは、独自の方法でエレクトロニック・ミュージックを作ってきたんだよ。2009年から2010年にかけていろんなダンス・パーティに遊びに行っていたからね。とくにDub Warというパーティへよく行っていたんだけど、その後自分のまわりで起きていることをもっと深く自分のプロダクションへ反映させたいと思った。それがハーシに会ったときで、彼はクローバも紹介してくれた。そして、2010年にアーチー・ペラーゴがはじまったっていうわけ。

バンドをはじめようと言いだしたのは誰でしょうか?

G:とくに誰かがはじめようと言ったわけではないよ。セッションをしていくなかで、ごく自然に、有機的にはじまった。

メンバーのみなさん、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスなど、生楽器を演奏しますが、それぞれの音楽のバックボーンについて教えて下さい。

G:子供の頃からチェロをならっていた。大人になってジャズとインプロヴィゼーションを学び、そしてエレクトロニック・ミュージックに興味を持ったんだ。大学の後にもっと真剣に楽曲の制作をするようになった。

Z:僕は、7歳の頃からクラリネットのトレーニングをはじめたんだ。1年後にはアルト・サックスの練習した。15歳でテナー・サックスに転向して、数年後にジャズの音楽学校に通いはじめた。学校ではギターのペダル・エフェクトをサックスに使う実験をはじめたり、ロジック・プロを使ってエレクトロニック・ミュージックの作曲もはじめたね。

D:僕は、5年生の頃からトランペットを吹きはじめている。バンドだったり、オーケストラ、ジャズ・バンドで演奏もしていたよ。ちょうど、自分の人格の形成期の頃だったね。大学でも演奏を続けていたけど、僕の音楽の探求はアカデミックな方向にも向かった。しかも、この頃にDJを覚えてWNYUというラジオ局で自分の番組も持ったんだ。また、リーズンというソフトを使ってアイデアを形にすることを覚えたのもこの頃。こうしたことが2014年のいまの自分が音楽的にどの立場にいるかを形成したと思う。

メンバーの役割分担はどうなっているのでしょうか?

G:僕たちはみんなで作曲して、クリエイティヴィティに貢献している。作曲後、さまざまなクリエイティヴなテクニックを通して、僕がミックスして、“アーチー・ペラーゴ・サウンド”を作り上げる。

D:僕たちの役割は絶えず変化する。たいていの場合、初めは誰かがアイデアを出して、それをグループで形作っていく。それぞれの得意な方向性があって、他のメンバーのフィードバックを受け入れている。

Z:他のメンバーと作曲することにはとても満足しているけどね。僕たちは楽々とお互いのアイデアを膨らますことが出来るから。そして、いつも互いに影響を受け合っている。

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〈Mister Saturday Night〉は特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマンとジャスティンには明確なヴィジョンがあった。いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

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ジャズのアーティスト/もしくは作品でとくに好きなのは誰/もしくはどの作品なのでしょうか?

G:エリック・ドルフィーで、『Out to Lunch』だね

D:リー・モーガンの『Lee-way』かな。

Z:それでは僕は、キース・ジャレットの『Fort Yawuh』をあげておこうか。

みなさんがクラブ・カルチャーに入ったきっかけは何だったのでしょう?

G:初めの頃から、僕は、いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008か9年頃かな。決定的なきっかけは、カルガリーのとあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。ニューヨークに戻ってからは、もっと深いところを追求するようになった。

D:大学の頃にヒップホップのシーンに関わっていたんだけど、エレクトロニック・ミュージックは、単純に次のステップだった。とくにDub Warというイヴェントが新しいダンス・ミュージックへの扉を開いてくれた。2009年から10年にかけて、多くのUKのアーティストがプレイしていたような音楽だよ。この音楽とそのコミュニティにとても影響を受けている。想像力を掻き立てられたんだ。

Z:僕は若いころからジャングルとかIDMをたくさん聴いてたからね。2008年頃に、UKガラージとダブステップにハマった。当時はまだ21歳未満だったから、ニューヨークのほとんどのクラブには入れなかった。で、2009年から10年頃にオランダのアムステルダムに住んでいて、ようやくお気に入りのDJやクラブに行けるようになった。これが大きなきっかけになったね。

〈Mister Saturday Night〉はレーベルであり、ブルックリンのパーティでもあるそうですね。どんな特徴のパーティなのでしょう? あなたがたと〈Mister Saturday Night〉との出会いについて教えて下さい。

G:Mister Saturday Night(MSN)のスタッフとはジョーダン・ロスレイン(Jordan Rothlein)を通して知り合った。ジョーダンは、いまはレジデント・アドバイザーで記事を書いているよ。
 そうだな……僕は、当時はWNYUでレギュラー番組を持っていた。僕たちの曲をMSNのスタッフに渡してくれて、アーチー・ペラーゴとつながるべきだと推薦してくれた。MSNは特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマン(Eamon)とジャスティン(Justin)には明確なヴィジョンがあった。MSNはきちんとブランディングするような会社が作ってきたわけじゃないからね。ふたりとその仲間たちが主導して進めてきたものなんだ。パーティ自体がとても独特で、いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。だから僕たちが関われたんだよ。アーチー・ペラーゴではなく、プロとして活動するミュージシャンとして。

生楽器の演奏とPC(デジタル)との融合が〈Mister Saturday Night〉の特徴ですが、エレクトロニック・ミュージックでとくに影響を受けたのは誰でしょうか?

G:直接の影響は説明しづらいな。それぞれのメンバーがそれぞれの方法で演奏をはじめて以来、エレクトロニックな要素はミュージシャンとしての僕たちが求める重要なものだった。最近見たKiNK(※ブルガリアの炉デューサー)とVoices from the Lake(※イタリアの2人組)のライヴ・ショーにはとくに感動した。

Z:Voices from the LakeとKiNKは、エレクトロニックを混ぜたインプロを見せてくれたよね。まさに僕らの求めるものだった。僕らの好むパフォーマンスにはリスクが必要だし。

Archie Pelagoというバンド名の由来について教えて下さい。

D:このプロジェクトをはじめたとき、コスモと僕でバンド名のアイデアを出し合っていた。アーチー・ペラーゴは発音しても本当に面白い言葉だよね。僕は、本当に存在するかもわからないようなアーティストに魅了されてきた。アーチー・ペラーゴはひとつの名前だけど、バラバラの素材がひとつの完全体を作り上げているんだ。根底には、共通のヴィジョンを持った共同体、諸島、列島という意味がある。

G:それと僕たちのホームタウンのニューヨークは専門的に列島(archipelago)だろ。このこともバンド名には反映されている。

ライヴはよくやられているのでしょうか?

G:月に何回かね。それからSub FMでは毎月第1と第3日曜に自分たちの番組を持っている。こちらの現地時間で夜の11時からの放送で、ネット配信なので世界中から聴くことができるよ。

自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げた理由は?

G:自分たちのやり方で、自身の音楽を出していきたかった。少なくとも2、3作をリリースしてみて、その過程がどのようなものか知りたかったんだ。

D:自分たちの音楽に対して、クリエイティヴなコントロールを自分たちで行うのはとても重要だし。

Z:僕たちの書いてきた音楽って、どこか他のレーベルが興味を持ってくるかわからないから。“Sly Gazabo”は素晴らしい曲だったし、自分たちのやり方で出来るのかやってみたかった。

シングルでは、いろいろなアプローチ──ジャズ、ハウス、ブロークン・ビート、エクスペリメンタル、IDMなどなど──を試していますが、これは、ひとつのスタイルを極めるよりも、たくさんのことをやりたいというバンドのスタンスを表しているものなのでしょうか?

G:僕たちは、自分自身の音楽的宇宙を創造したいと熱望している。自分らが共有してきた経験を取り囲むもの。発展させていく音楽とクリエイティヴに関する興味を反映させたものだ。ファンには音楽の進化として、過去の音楽ジャンルと僕たちの成長を見てもらいたい。

PCを使った音楽で、とくに影響を受けた作品はなんでしょう?

G:マトモスの『A Chance to Cut is a Chance to Cure』はコンピュータが制作の過程として機能するという意味においては、初期に大きな影響を受けたね。

D:ザ・フィールドの『From Here We Go Sublime』が大好きだな。極限にミニマルで、極小のサンプリングがとてもパワフルなんだ。

Z:オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいるんだよ。

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オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいまるんだよ。


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

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今回、ディーン・グレニアーとのコラボレーション作品とはいえ、初めてのアルバムとなりました。シングルではなく、どうしてアルバムにまで発展したのでしょうか?

G:このアルバムは僕たちにとって未知の領域だよ。部分的にはフル・アルバムをリリースしたといえるだろうけど、いままでにも多くの曲を書いてきたからね。

D:これはただのはじまりに過ぎないよ。

Z:セッションではたくさんの曲を作ったよね。で、これはオーディエンスに聴かせる価値があると感じた。

ディスタルが縁でディーン・グレニアーと知り合ったと言いますが、ディスタルと知り合ったきっかけは何でしょうか?

D:2009年から10年にかけて、ディスタルがニューヨークにツアーに来ていたときに会った。そのとき僕らがWNYUの番組に誘ったんだ。それから連絡を取り続けて、〈テックトニック〉からリリースされたヘクサデシベル(Hexadecibel)とのコラボの「Booyant」のリミックスで初めて一緒にやれたんだよね。

ディーン・グレニアーのどんなところに共感したのですか?

G:スタジオでの化学反応がすごくよかった。アイデアが自然にすぐに出てくるんだ。

D:お互いの音楽を好きなことも要因だよね。

Z:実は、2011年末にグレニアーがニューヨークに来たときに一緒に数曲録音したんだ。実りの多いセッションでね、だから、その後のコラボを目指してきたんだ。

サンフランシスコでのセッションは、どんな感じだったのでしょうか?

G:建設的で、オーガニックな感じで、とても満足のいくものだった。

D:ペール・エールとソーセージが燃料になった感じ。

Z:数日の中でいろんな音楽を詰め込むことができたかもね。

生楽器の音色が、液体が溶けるようだったり、大気中に溶けるようだったり、とてもユニークな録音になっているように思います。

D:そうだね、アーチー・ペラーゴのサウンドとグレニアーのプロダクション・スタイルがピッタリとハマった感じだよね。

Z:グレニアーの特徴的なプロダクションがアーチー・ペラーゴの音色の幅のなかに溶け込んでいるのがきっと聴こえるよ。これは本当に偶然的なことだよ。

G:うん、まわりの状況がどうであれ、作曲して制作することは僕にとっては呼吸をするようなも。制作過程のなかで、時間と場所があって、音楽を広げることと、深くへ入り込んでいく好奇心を共有できたのはラッキーだった。

“Swoon”の出だしが最高で、思わず音楽のなかに引きずり込まれますが、とくにお気に入りのトラックは?

G:難しい質問だね。個人的には“Cartographer’s Wife”がアルバムの中心だと思っている。ジャングルのなかで宝箱を見つけたような感じじゃない? 他のメンバーは否定するかもしれないけどね。

Z:僕は、いまは“Tower Of Joined Hands”がお気に入りかな。だけど、心のなかには“Monolith”もある。

D:うーん、僕は、“Hyperion”と“Tower Of Joined Hands”がいまの気分だね。

ほかにも、“Navigator”のハウスのリズムとトランペットの重なり方も素晴らしいと思いましたが、今作には、テクノ寄りのダンス・ミュージックがありますね。たとえば、ミニマルな“Pliny The Elder”、あるいは“Phosphorent”、で、いま話に出た“Tower Of Joined Hands”もダンス・ミュージックへの情熱を感じる曲です。こうした曲には、ディーン・グレニアーの存在が大きいのでしょうか?

G:いろんな段階だったり、さまざまな方法で、僕たち全員がこのアルバムのすべての楽曲に関わっているんだ。とく誰かってわけではないよ、みんなで共有しているものだ。

あながたの好きなテクノについて話して下さい。

G:ピーター・ダンドフ(Petar Dundov)にはやられた。彼の音楽の組み立て方とシンセのパターンは素晴らしいと思う。

Z:〈ザ・バンカー〉(The Bunker)、〈トークン〉(Token)、〈スペクトラム・スプールズ〉(Spectrum Spools)、〈ジオフォン〉(Geophone)、〈プロローグ〉(Prologue)あたりのレーベルはいつも僕の鼓膜を喜ばしてくれる。迷宮のなかに深く潜り込んでいく感じがするね。

D:僕はロバート・フッドやアンダーグラウンド・レジスタンスが好きだね。

好きなDJの名前をあげてください。

D:ターボタックス・クルー(Turrbotax crew)、ヌーカ・ジョーンズ(Nooka Jones)、ベンUFO、ドナート・ドッジー(Donato Dozzy)……。

G:お気に入りはいつも変わっているんだけど、最近だとグラスゴーで見たジェネラル・ラッド(General Ludd)のギグが良かった。

Z:カルロス・ソーフロント(Carlos Souffront)は選曲もミックスのスキルの点でもマスターだと思う。デトロイトはいつも素晴らしいよね。ドナート・ドッジーもシャーマン的なマスターだよ。

アーチー・ペラーゴのインスピレーションの源はなんでしょう?

G:人生だね。

Z:ピザだね。

D:人生とピザだね!

アーチー・ペラーゴ単体のアルバムのリリース予定はありますか?

G:もちろん! 引き続き注目していて下さい!

Kouhei Matsunaga / Drawings - ele-king

 坂本慎太郎や中原昌也、あるいはドラゴン(カタコト)のように、絵の才能に長けたミュージシャンは少なくない。〈Skam〉や〈PAN〉といったレーベルからの作品で、我々の耳を楽しませているコーヘイ、NHK’Koyxenが、この度、スウェーデンの〈Fang Bomb〉から彼のペン画集『Kouhei Matsunaga / Drawings』を発表した。88ページのハードカバー仕様に40のドローイングが収められている。
 たいていの場合、ミュージシャンが絵を発表するときは、みんなこう言う。「驚いたよ、こんなにうまかったんだね」と。NHKコーヘイの場合もそうだ。彼の音楽とも似た、ユーモアとミニマリズム、そして控え目な異様さ/奇怪さが、おどろくほどシックに描かれている。パリのアニエスベーで出版記念パーティがあるというが、意外と言ったら失礼だろうけど、部屋に飾っておきたくなるような、なかなか洒落た絵だ。モチーフには動物、とくに鳥が多い。たしかに彼の『Dance Classics』シリーズにも動物の写真が使われている。なお、画集には、7インチ・シングルも封入されている。音はこんな音。



 ちなみにNHKコーヘイ、ただいまヨーロッパ・ツアー中。5月末には東京のClub Asia(ブラックテラー)での公演もある。Kボンとのセッションもあるとか……この機会に、ぜひ、彼のユーモラスなライヴを経験しよう。


Kouhei Matsunaga / Drawings

Fang Bomb
FB023
BOOK+7inch

3,780円+税

https://www.inpartmaint.com/shop/kouhei-matsunaga-drawings/


interview with Plaid - ele-king




PLAID
Reachy Prints

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 コンセプトしてのチルウェイヴってやつには3つの切り口がある。ひとつ、ネット時代のコミュニティが生んだジャンルであると。もうひとつ、ベッドルーム・ミュージック。で、もうひとつはドリーミーであるってこと。この3つのポイントについて時間を遡ると、1992年の〈ワープ〉に行き着くわけだ。よって橋元優歩さんはオープンマインドになって、この時代のテクノを復習すべきってことですね。
 『アーティフィシャル・インテリジェンス』のジャケに、CGによって描かれているのは踊っている人の群れではない。部屋に佇む「ひとり」だ。ネットが普及するずっと前の話だが、ネット上の議論の模様をそのままジャケに掲載したのも『アーティフィシャル・インテリジェンス』の「2」だった。
 何故こんな懐かしい話をしているのかって? 橋元さんはそこまで強情なのかって? いやいや、そういうわけでは……ほら、聞こえるでしょう。パテン、リー・バノン、DJパープル・イメージ(D/P/I/)、あるいは、ブレイク必至のゴビー(ARCAのレーベルメイトで)……、そう、エイフェックス・ツインの足音がもうすぐそこまで来ているじゃありませんか。
 彼こそはクラブの壁を崩して、その向こう側にあるベッドルームとの往復を実現させた張本人。そして、プラッドは、その方向性に与した人たち。「僕は部屋で座って未来を夢想している(I'm sitting in my room imagining the future)」、出てきたばかりの彼らの有名な曲(“Virtual”)には、こんな科白があった。1989年、セカンド・サマー・オブ・ラヴの真っ直中に、ひとりになりたいと彼らは言っていたのである。(大幅に中略)……それでも彼らがダンス・カルチャーと離れることはなかった。このねじれ方、パラドキシカルな感覚こそ90年代的だったと言えるのかもしれない。

 そんなわけで、プラッドの最新アルバム『リーチー・プリント』、フィジカル・リリースとしては2011年の『シンティリ』以来の作品だ。

 『リーチー・プリント』はクセのない作品で、テクノ・マニア専用の音色があるわけでもない。こざっぱりとして、メロディアスで、とにかく、聴きやすいアルバムである。プラッドの音楽はもともと聴きやすかったけれど、新作は、さらにいっそう、まるくなったように思われる。一歩間違えればMORだが、いや、これは円熟と呼んであげよう。彼らの音楽は、際だったキャラのエイフェックス・ツインと違って、地味~に、地味~に(25年経とうが、コアなファン以外で、エドとアンディの顔が即座に思い描ける人はどれだけいるだろう)、長い時間をかけて愛されてきたのだから。
 ──ちなみに、エイフェックス・ツインやプラッド(当時はブラック・ドッグとして知られていた)を世界で最初に大々的に推していたのは、のちにアニマル・コレクティヴを世に広めるロンドンのファット・キャットである。


その時代はハウス・パーティが終焉を迎える時期だったと思う。プロパガンダによりパーティがたくさんあったけど、結局右翼とかが出てきて、取締りにあったりして、だんだんパーティ自体が消滅していったよね。

いまも、おふたりともロンドンで暮らしているのでしょうか?

アンディ:ロンドンのスタジオは一緒にシェアしているんだけど、僕はまだロンドンに住んでいて、エドはロンドンから1時間半の郊外に住んでるよ。

2枚のサントラを入れると10枚目のアルバムになるんですね。おふたりの場合、Black Dog 名義での活動もありますから、Plaidとしての10枚というのはどんな風に思っているのかなと。

エド:かなり長いあいだレコーディングしてたからこれが本当にリリースされるのかどうなのか正直不安になったほどだったけど……いまはリリースできて嬉しいよ。

オリジナルのフル・アルバムとなると2011年の『Scintilli』以来となりますが、この3年間はどんな風に活動していましたか? 

アンディ:ライヴがいちばん活動として多かったかな。あとはコマーシャル・プロジェクトや映画の仕事とか。でも曲は常に書いてる感じだね。

※ここでエドの回線がおかしくなり、通話から消える。

日本には根強いPlaidのファンがいることはもうご存じかと思います。日本のライヴの良い思い出があれば話してください。

アンディ:日本には良い思い出があるね。でもすごく覚えているのが日本に行った時に映画の仕事を同時並行でやっていたときがあって、締切の関係で日本でのライヴが終わった後も作業をしなくちゃいけなくて睡眠時間が少なくて、とても辛かったのを覚えているなぁ。
 あとは僕個人としては家族と一緒に富士宮に行ったことが一番印象深いね。いつもツアーであちこち行くだけで本当の意味でその国の街並みを見ることってあまりないんだけど、そのときはゆっくり日本を堪能出来てとても楽しかったね。

あなたがたの作品が日本で出回りはじめたのは1991年頃なのですが、実は、今年で結成25周年なんですね。1989年の、結成当時のことはいまでもよく覚えていますか?

アンディ:エドと僕は学生時代からの友だちなんだけど、卒業後は連絡先を失くしてしまって音信不通になっていたんだ。ところが、お互いロンドンに出てきていて、そこで再会したんだよ。当時僕はロンドンのラジオ局でDJをしていて、エドは曲を書いたりしていたんだけど、僕のライヴを見に来てくれて、そこで再会して、連絡先を交換して、一緒にやることになったんだ。

最初はどんな機材で作っていたのですか?

アンディ:最初は最小限の機材で作業してたんだけど、MIDIとかAMIGA500、あとたしかチーターっていうシンセと初期のローランドを使ってたかな。その後AKAI 950とかも使いはじめたと思う。

お互いの役割というのは、いまも昔も変わりませんか?

アンディ:うん、とくに変わってないね。

最近は90年代リヴァイヴァルだったり、セカンド・サマー・オブ・ラヴが再評価されていますが、若い子たちからあの時代の質問をされることが多いんじゃないですか?

アンディ:いや、実は他の人からもこのこと聞かれたんだけど、僕自身は自分たちがそういう風に取られられてることにあまりピンと来てないんだよね。だけど、君が言う通り、その質問は多くされるよ。

80年代末から90年代初頭は、おふたりにとっても良い時代だったと思いますが、あの時代のどんなところがいまでも好きですか?

アンディ:好きだと言うより、その時代はハウス・パーティが終焉を迎える時期だったと思う。プロパガンダによりパーティがたくさんあったけど、結局右翼とかが出てきて、取締りにあったりして、だんだんパーティ自体が消滅していったよね。

学生時代は、自分たちの将来に関してどんな風に考えていたんですか?

アンディ:残念なことに僕は家を早くに出たから、学生でいた期間はとても短いんだけど、そのときはあまりどうしようとか考えてなかったと思う。クリエイティヴなことをしたいなって思ってただけで、そこまでいろいろ考えていたわけでもなかったなぁ。

もし、ヒップホップやテクノと出会ってなかったら、何をやっていたと思いますか?

アンディ:もしやってなかったらMaster of Artの修士を取ってたと思うよ。さっきも話たけどクリエイティヴなことをやってたと思うんだ。例えばプログラマーとかね。

Plaidもそうだったし、エイフェックス・ツインもそうでしたが、デビュー当時、いろんな名義を使って匿名的に活動していましたよね。あれはあなたがたにとってどんな意味があったんでしょうか?

アンディ:実はとても最悪なレーベルと契約してしまったことがあって、別で活動するために名前を変えたっていうのがあるんだ。そのレーベルと契約したときにアルバムをリリースしても自分たちに一銭もお金が入らなかったりして、困ってたことがあったんだ。でも契約している名前を使って曲を作るとまたお金も入ってこないから、別の名前を使って活動するしかなかったというのが本当のところだよ。

シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスよりもエレクトロやデトロイト・テクノのほうが好きだったのでしょうか?

アンディ:全体的には、そうだね。最初はヒップホップから入ったんだけどね。ラップのジャンルレス的な感覚に惹かれて、ヒップホップを聴きはじめて、その後デトロイ・トテクノに出会って、自分はこういうのが好きなんだってわかったんだ。なんていうか、いろんな要素を含んでいるのにメロディがあって楽しめる音楽っていうのがいいよね。

あなたがたの音楽がダンスの要素を強調しなかったのは、クラブで遊びよりも、どちらかといえば、部屋に籠もっているほうが好きだったからなのでしょうか?

アンディ:うーん……わからないなぁ。いまはもう40代も半ばだから昔ほど踊らないというのはあるけど……でも、いまでも出かけて音楽を聴いてるよ。


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もう遅いかもしれないけど、宇宙飛行士になりたいのはずっと昔から同じだよ。それがダメならクリエイティヴなことがいいかな。音楽じゃないならゲームデザインとかね。


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Black Dog Productionsとしての活動が、日本で暮らしている我々にとっての最初の出会いでした。いまでも『Bytes』(1993年)には愛着がありますか? それともPlaid名義の最初のアルバム『Mbuki Mvuki』のほうがより愛着があるものですか?

アンディ:僕は『Bytes』かな。これこそ僕らの原点だなって思うんだ。『Mbuki Mvuki』はもっとヘヴィーなサウンドなんだけど、これはそのときの雰囲気を詰め込んだっていう感じだから、ちょっと普段の僕たちとは違うよね。

オリジナル・メンバーだったKen Downieとは連絡は取り合っているのでしょうか?

アンディ:いや、もう別れて以来話してないね。

新作の『Reachy Rrints』は、いままで以上、とてもリラックスした感覚を持っていますね。メロディは魅力的で、音色も曲調も、ねらってやっている感じがないんです。そこは自然にそうなったのでしょうか?

アンディ:どちらもっていう感じかな。最初にあったレイヤーからいらない音を省いていくって作業をするんだけど、いろいろな作業を経て最終的にいちばん良い物だけを残すんだ。

録音がとてもクリアなのですが、特別に気を遣っていることがあれば教えて下さい。

アンディ:正直プロダクションの効果がいちばんあると思う。さっき話した通り、余分なものを取り除いたりしたから、クリアなサウンドが出たのかもしれないよね。

のりで作ったという感じではなく、時間をかけて丁寧に、緻密に作っているように思うのですが、実際のところいかがでしたでしょうか?

アンディ:基本的に曲はライヴでやることを前提に作っているんだよね。やっぱりライヴで聴きたいと思う曲を作る方が聴いてるオーディエンスにも伝わりやすいでしょ?

1曲目の“OH”をはじめ、音色の豊富で、弦楽器などいろいろな楽器の音を使っているようですが、音選びについてはどのように考えていますか?

アンディ:ストリングスを弾いているのは、ここ最近一緒にやってるギタリストなんだけど、生のストリングスとシンセサイザーのストリングと、どっちも使って音の質感の違いを出しているんだよ。

何か機材面での変化はありましたか?

アンディ:新しいドラムマシンをいくつか試したんだけど……エド! お帰り! 戻ってこれてよかったよ。もうインタヴューは進んでいて、機材の話だよ。ドラム以外で新しい機材何か使った?

※ここでエドの回線が復旧して戻ってくる。

エド:Razorっていう新しいシンセを試したよ。ヴォコーダーとしても使えるからこのアルバムでは結構使ったね。ちょっといままでと違う感じの音になるしね。

4曲目“Slam”には、ちょっとオールドスクール・エレクトロのセンスが入ってるように思いましたが、90年代のように、マニアックなテクノ・リスナーを想定していないというか、もっと幅広いリスナーに向けられているように感じます。そのあたり、映画のサウンドトラックの経験が活かされているのかなと思ったのですが、どうなんでしょうか?

アンディ:そうだね、さっきも話したけど、映画と自分たちのアルバムを作ることは違うプロセスがあるけれど、そういうことから学んだことを自然と活かせているのかもしれないよね。

老いることが音楽にどのように影響しているんだと思いますか?

エド:どうだろう、まぁ、少なからずとも経験値が増えたことでいろいろなことができるようになっているとか、そういうスキルアップはあると思うけど、歳をとることで何かが変わることはとくにないと思うよ。

作者からみて、今回のアルバムが過去の作品と決定的に違っているのは、どこにあると思いますか?

アンディ:すべて新しい曲だっていうことだね。コンセプトがあるわけじゃないから、何が違っていうのもはっきりはわからないけども、新しいことを取り入れていることも前と違うっていう意味ではそうなのかなぁ。

エド:同じことを何度もやらないようには気をつけてるよ。でも単純に好きなことをやるっていうのはあるかもしれない。基本的な核の部分は最初から変わってないと思うよ。

今回のアルバムのコンセプトは、人生における「以前」「以後」だと言いますが、どうしてそのようなことを思いついたんですか?

エド:アルバムをまとめはじめたときに、なんとなく君が言ってる意味に集約されている感はあったんだ。別に何も意図したわけでもなく、なんとなくまとめていったらそういう感じのものになっていたというか。「記憶」っていうキーワードが見えてきて、その記憶がよみがえったり、記憶が消えていたりっていう、それが自分のイマジネーションをどう掻き立てるのかっていうところに行きついたというか。

アンディ:アルバムをまとめるときに各ピースをあてはめていくんだけど、なんとなくハマらないピースとかもあったりするんだよね。それをのぞいてハマるものを探していったら、そういうテーマっぽいものにまとまったっていう感じだよね。

曲名はどのように付けられたのですか?

エド:いくつかは仮タイトルをそのまま起用したり、その他は曲が出来あがってからそのイメージでタイトルをつけたりしたね。タイトルをつけるときは聴いた人がその曲をはっきりイメージできるようなタイトルにするように心がけているけど、できるだけ抽象的に、聴いた人が自分の解釈で曲を聴けるようにっていうところは気をつけてるかな。

アンディ:曲名自体はそんな重要じゃないと思うんだよね。タイトルはシリアルナンバー的なものだと思うから、人と話すときに助けになるものあればいいと思ってるくらいかな。

いま現在のあなたがたの音楽活動を続ける以外の夢はなんでしょうか?

アンディ:僕もだけど、ふたりともプログラミングが少しできるからそういうのをやってもいいし、あとはアプリの開発をやりたいね。他にオーディオ・ヴィジュアルに関連することもいいね。僕たちの音楽に関係することがいいよね。

エド:もう遅いかもしれないけど、宇宙飛行士になりたいのはずっと昔から同じだよ(笑)。それがダメならクリエイティヴなことがいいかな。例えば、音楽じゃないならゲームデザインとかクリエイティヴなビジネスとかね。

Plaidの音楽は、政治や社会とは直接関わりのあるものではありませんが、そのことは意識しているのでしょうか? 

アンディ:まぁ頭にあることはたしかだけど、あまりダイレクトにそれを出さないようにはしてるね。あまりはっきりしたものよりも抽象的なもののほうが聴く人に委ねられるから、そのほうがいいかなって思ってる。

若い世代のエレクトロニック・ミュージックは聴きますか?

エド: ふたりともDJもやるからいろいろな音楽は聴くよ。それが若い世代かどうかまではよくわからないけど……

いま、Plaidがリスナーとして面白がっているエレクトロニック・ミュージックはなんでしょう? 

エド: いまは、MASTとエッセントっていうのが面白いと思う。

人生でもとくに今日は最悪な日だというときに聴きたい音楽は何でしょうか?

アンディ:わからない……自分にとってどういう意味で最悪だと定義するかで聴く音楽が変わると思うけど、全般的にエレクトロ・ミュージックを聴くかな。落ち込んでるときにハッピーな気分にさせてくれるからね。

エド:僕は、オールド・ソウルとかニューオリンズのファンク・バンドとかダンス・ミュージックを聴くかなぁ。

今年の予定を教えて下さい。

アンディ:3週間後からツアーがはじまるよ。いまのところはツアーがメインだね。その後もしやれるのであれば映画音楽をまたやりたいなと思っているよ。


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JINTANA & EMERALDS - Destiny

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 どこかにありそうでどこにもないベイエリア〈エメラルド・シティ〉から、極上のメロウ・ミュージックが届けられた! 横浜を拠点とする〈PAN PACIFIC PLAYA〉から、JINTANAが中心となって結成されたネオ・ドゥーワップ・バンド(!?)、JINTANA & EMERALDS。彼らがこのたびリリースするアルバムがそれだ。すでに7インチ盤「Honey/Runaway」を発表し、そのとてつもなくユニークなサウンドを国外にまで知らしめた彼らが、ついに『Destiny』という10曲入りアルバムをリリースすることになった。

 本作ではドゥーワップにとどまらず、フィル・スペクターを連想させるような、オールディーズの雰囲気がつめこまれている。ロネッツ風あり、モータウン風あり、プラターズ風あり、そしてジョー・ミークのカヴァーもあり。現代の音響技術を駆使してアップデートされた、21世紀版のウォール・オブ・サウンドが聴こえてきたら、そこはもう、青い海と青い空に囲まれた架空の都市〈エメラルド・シティ〉である。

 そんな本作の世界観を支えるのは、スティール・ギターを弾くJINTANAである。彼が抱いていたオールディーズの世界にメンバーは運命(destiny!)のように集まった。このユニークで、どこか大瀧詠一やYMOのノベルティ盤を思わせる本作を追求すべく、主要メンバーであるJINTANA EmeraldsとTOI Emeralds(一十三十一)にインタヴューをおこなった。

JINTANA & EMERALDS
横浜発、アーバン&メロウ集団PPPことPAN PACIFIC PLAYA所属のスティールギタリスト、JINTANA率いるネオ・ドゥーワップバンド、JINTANA&EMERALDS。リーダーのJINTANA、同じくPPP所属で、最近ではあらゆるところで引っ張りだこのギタリスト、Kashif a.k.a. STRINGSBURN、媚薬系シンガー、一十三十一、女優としても活躍するMAMI、黒木メイサなど幅広くダンス・ミュージックのプロデュースをする行うカミカオルという3人の歌姫たちに加え、ミキサーにはTRAKS BOYSの半身としても知られる実力派DJ、CRYSTALを擁する6人組。

「声が個性的でカッコいい唄物」をやりたいと思ったとき、愛聴しているドゥーワップと〈PPP?のノリが僕の中で繋がったんです。それで一十三十一に電話して……  (JINTANA)

『Destiny』、聴かせていただきました。この作品はかなりコンセプチュアルですよね。クラブなどでみんなで話しているうちにノリで作っちゃったような印象を受けて、そこが楽しいのですが、実際の制作の経緯はどのようなものだったのですか?

JINTANA:もともと〈Pan Pacific Playa?(※以下PPP)があって、僕もそのメンバーなんです。それで、ブラックミュージック的なものを掘り下げていきたいなと思っているうちにオールディーズが好きになって、すごく聴くようになったんです。〈PPP?には、LUVRAW & BTBっていうトークボックスをやっているグループがあるのですが、そのトークボックス声がすごくカッコよくて、そういう「声が個性的でカッコいい唄物」をやりたいと思ったとき、愛聴しているドゥーワップと〈PPP?のノリが僕の中で繋がったんです。それで一十三十一に電話して、「誰かまわりにオールディーズ好きでやりたそうな人いる?」って訊いたら……。

むしろ、一十三十一さんがノッてきたんですね。

JINTANA:そう(笑)。「いやいや、わたしがやりたい!」って。

一十三十一さんはやはり、「おもしろそう!」って思ったわけですか?

一十三十一:そうですね。わたしはコーラスを付けるのが好きなんです。それで、全員歌うドゥーワップ・バンドというのはおもしろいなと思って、「わたしが参加したい!」って言ったんです。そこで決まりました。

じゃあ、ドゥーワップとかオールディーズというものが、先立ったコンセプトとして強くあって、その上でおもしろそうな人を集めた感じなんですね。

JINTANA:そうですね。ただ、もともとみんなそういうのが好きということがベースにはありました。KASHIFくんと〈PPP〉のKESくんと一十三十一なんか、それぞれ達郎フリークで「達郎フリークの会」みたいな感じでしたし(笑)。

なるほど、山下達郎ならコーラスものは重要ですよね。JINTANA & EMERALDSは、「悪ふざけ感」がとてもいいですよね。僕が聴いときは、細野晴臣のトロピカル三部作やティン・パン・アレーの『イエロー・マジック・カーニヴァル』を思い出しました。最初に波の音が聞こえて、ナレーションのようなものが入る。細野さんなんかは、自分の音楽を「レバニラミュージック」と呼んで、インチキなエキゾチック音楽をやっていましたが、『Destiny』も、そういう「インチキなベイエリア」のような感じがとてもよかったです。制作時に聴いていたバンドなんかはあるのですか?

JINTANA:個別にはいろいろあるのですが、フィル・スペクターはすごく聴きまくっていました。

なるほど。アルバムでも、“Emeralds Lovers”なんかは完全にロネッツのようなイントロですよね。一十三十一さんは、自身のアルバムで大瀧詠一のジャケットを引用していましたが、そのへんの音楽はいつから好きだったんですか?

一十三十一:自分のルーツとして、両親がわたしの生まれた78年から14年のあいだ北海道で営んでいたレストランがあるんです。その名も「トロピカル・アーバン・リゾート・レストラン ビッグ・サン」といって、まさに大瀧詠一さんや山下達郎さんのような世界観のお店なんです。国道沿いにハリボテのヤシの木がドーン! と立っていて、北海道なのにうちはいつも常夏で、西海岸の風が吹いている(笑)。アロハシャツとアーバンが混ざっているようなお店です。そこでかかっている音楽や雰囲気が、わたしのルーツなんです。店の選曲も両親がしていて、達郎さんやユーミンや大瀧詠一さん、あるいはビーチボーイズなんかがずっとかかっていました。オシャレな店だったので、80年代は着飾った大人たちのデート・スポットとして流行っていました。

国道沿いにハリボテのヤシの木がドーン! と立っていて、北海道なのにうちはいつも常夏で、西海岸の風が吹いている(笑)。  (一十三十一)

鈴木英人の世界ですね。

一十三十一:まさにあの感じです。

フィル・スペクターのサウンドは特徴的ですが、『Destiny』もかなりミックスにこだわっているように思いました。ミックスを担当したクリスタルさんには、なにか注文を付けたりはしたんですか?

JINTANA:いや、最初にサウンドのアイデアを話したときにクリスタルくんともすぐに意気投合したので、あとはクリスタルくんのノリでやってもらっています。トラックを送ってクリスタル君にミックスしてもらい戻してもらう流れなのですが、いつも曲がそこで最終的に磨き上げられて輝く感じです。

『Destiny』ではドラムも特徴的だと思いました。生で叩いている躍動感もあり、一方で打ち込みのようなサウンドの厚さもあり、懐かしいんだけど古臭くもない絶妙なバランスです。ドラムは打ち込みですよね。

JINTANA:ドラムは全部打ち込みです。フィル・スペクターは、オールディーズ的な気持ちいいメロディーに加えて、サウンドもすごく気持ちよくさせようとした人だと思います。大瀧詠一さんも同じことをした。俺らもその現代版をやりたいなと思ったので、いまの音楽的な技術でいちばん気持ちいいと思うサウンドを追求しました。それは、やはり昔の音とは違いますよね。音響的な心地良さを追求しているうちにこういう音づかいになりました。

僕も大瀧詠一さんなど好きでよく聴きますが、サウンドもさることながら、ノリも大瀧詠一っぽいですよね。JINTANA & EMERALDSには、JINTANAさんと一十三十一さんが北海道出身なのに「西海岸」という共通体験をでっちあげちゃうような遊び心があります。

一十三十一:さっき、メンバーのKASHIFくんとLINEで「祝フラゲ日」みたいなことをやっていたんです。「本当に出るんだね」って(笑)。

JINTANA:ふざけているうちに出た感じはあるよね。

7インチのシングルを出したときはどうでしたか。

JINTANA:『Tiny Mix Tapes』とかにも取り上げていただいて話題になり、好評で嬉しかったです。

7インチ・シングルはDJとかで買う人も多いと思います。僕もDJをやっているんですが、現代の潮流からするとこの作品はBPMが極端に遅いんですよね。それがすごく新鮮です。とくに後半はずっとゆったりしていて、その遅さとコーラス・ワークにドゥーワップっぽさを感じました。本人たちとしては、JINTANA & EMERALDSのドゥーワップっぽさはどこにありますか。

JINTANA:仲良さそうなところかな(笑)。昔のジャケットを見ていると、他のメンバーと顔がくっついちゃうようなキャッキャした写真があって、それが僕のドゥーワップのイメージです。

一十三十一:リア充感ね(笑)。


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昔のジャケットを見ていると、他のメンバーと顔がくっついちゃうようなキャッキャした写真があって、それが僕のドゥーワップのイメージです。  (JINTANA)

なるほど、そういうところなんですね(笑)。たしかに、そういう楽しい感じがよく出ているので、リスナーも仲間に入りたくなりますね。イニシアチブを取っていたのは、やはりJINTANAさんですか?

JINTANA:イニシアチブというか、JINTANA&EMERALDSという世界のきっかけをつくったのは僕ですが、その後はみんなで自由に遊んでいる感じですね。

一十三十一:歌詞の世界は「EMERLDS CITY」での物語なんです。デトロイト・ベイビーちゃんという歌詞専門の帰国子女の女性がいて、その子がメンバーの実話をもとに歌詞を書いているんです。だいぶエメラルド・エフェクトがかかっていますけど(笑)。

その世界観はすぐ共有されたんですか。

JINTANA:「いまの音響で気持ちいいドゥーワップがやりたい」という想いが最初にあって。その後、〈PPP?の脳くんが、ドゥーワップには宝石の名前からとったバンド名が多いからという理由で、JINTANA & EMERALDSという名前を付けてくれたんです。

一十三十一さんは、そのような立ち上げの経緯をどう見ていましたか。

一十三十一:その頃、わたしは出産して音楽活動から少し離れていて、5年ぶりに『CITY DIVE』を作っていました。JINTANA & EMERALDSは、そのあいだくらいのタイミングだったんです。子育ても落ち着いてきたし、新しい活動もしたいと思ったときだったので、「あたしやる!」と思って、すぐ参加しました。バンド活動は地味に2年くらいやっていて、今回ついにリリースということになったのですが、ずっと遊んでいるうちにここまで来た感じです。

〈PPP〉の脳くんが、ドゥーワップには宝石の名前からとったバンド名が多いからという理由で、JINTANA & EMERALDSという名前を付けてくれたんです。

ジャケット・デザインやPVなどを見ても、みんなイメージが共有できている感じがしますよね。“18 Karat Days”という曲名も、オールディーズのセンスが最高です。

JINTANA:50年代のスラングとか言い回しを深堀りしてみようと思って、いろいろ調べていたんです。そしたら「すげーヤバい」みたいな意味で「18 Karat」という言葉が使われていた例を知って、曲名はそこから付けています。この曲は、50年代の言葉使いをかなり使っています。

“Runaway”は出だしがプラターズの“オンリー・ユー”みたいですが、そこから外していく感じがおもしろいです。本作はとてもポップなので、誰が聴いてもいい曲だと思えると思いますが、一方でコアなリスナーが聴いたら、いろいろな先行する音楽を思い浮かべて楽しむかもしれませんね。制作にあたっては、「誰々っぽくしよう」とか話したりするんですか?

JINTANA:そういうのはあまりないですね。それよりも、メンバーの誰に向かって作るかということのほうを意識していました。「この曲はカミカオルちゃんの世界観で作ろう」とか。あとはライヴをしていくなかで細かく調整することもありましたね。

活動していくうちに洗練していったんですね。アルバムでは“アイ・ヒア・ア・ニュー・ワールド”と“レット・イット・ビー・ミー”をカヴァーしていましたが、今後カヴァーしてみたい曲とかありますか。

一十三十一:本当はもっと入れようと思って、候補曲もたくさんあったんですよ。でも、今回は2曲だけ。日本語でやろうという話も出ていました。

JINTANA:ビージーズもやりたいと言っていたんですよ。

みんなで力を合わせてやっていく感じに、「バンドっていいな」と思いました(笑)。  (一十三十一)

やっぱり男女一緒にやっていることですかね。ライヴするときも着替えがあるから、控室が女子部屋と男子部屋に分かれていて、修学旅行みたいだと思いましたね(笑)。  (JINTANA)

まだまだ、いろんな方向に広がっていきそうですよね。一十三十一さんは、どのように音楽制作に関わっていたんですか?

一十三十一:JINTANA & EMERALDSのなかで、わたしの担当は歌だけなので、それが自分のソロ活動とは全然ちがうんです。曲ができていく様子を客観的に見れたのが、楽しかったですね。みんなで力を合わせてやっていく感じに、「バンドっていいな」と思いました(笑)。
 ソロのときは守備範囲が広くて緊張感も高かったりするのですが、バンドではみんながサポートしながら作るので心強いです。JINTANA本人も地元の仲のいい友だちとして出会っているし、KASIFくんも一十三十一でもいっしょに曲を作ったりして仲がよくて、カミカオルちゃんもデビューのときから仲良し。そんななかで撮影なども進んでいくので、本当に楽しい活動ですね。このジャケットの笑顔のとおりです(笑)。

JINTANAさんは、いままでの音楽活動と今回で違ったこととかありましたか。

JINTANA:やっぱり男女一緒にやっていることですかね(笑)。ライヴするときも着替えがあるから、控室が女子部屋と男子部屋に分かれていて、修学旅行みたいだと思いましたね(笑)。

それは大きなちがいですね(笑)。LUBRAW&BTBさんが参加していたり、おなじみのメンバーで楽しくやっている感じがあります。

JINTANA:“Destiny”は、「いま、このめんつメンツでこの瞬間にいっしょに音楽やパーティをしているのは、とても幸せな運命の導きで、その幸福な瞬間を心から味わいたい」という気持ちで作った曲なので、ふたりは入れたいなと思いました。

なるほど。ドゥーワップ~オールディーズということですが、お気に入りのミュージシャンなどいますか。

JINTANA:モーリス・ウィリアムス&ザ・ゾディアックス“ステイ”とかは、すごく好きです。普通に歌がはじまったのに、次の瞬間にめちゃくちゃ高い声になるのが──ほとばしっている感じがヤバいんです(笑)。この曲は『僕の彼女を紹介します』っていう韓国映画での甘すぎるシーンのBGMにもなってます。

モーリス・ウィリアムス&ザ・ゾディアックス“ステイ”とかは、すごく好きです。普通に歌がはじまったのに、次の瞬間にめちゃくちゃ高い声になるのが──ほとばしっている感じがヤバいんです(笑)。  (JINTANA)

コーラスに凝っている曲って、最近は意外と少ないかもしれませんね。

JINTANA:少ないですよね。ただ、声で気持ちよくするような曲はある気はします。全部機械ではなく最終的に声で聴かせる曲というのはやっぱりいいし、そういうものが好きな人は多いと思います。

最近はエレクトロ・サウンドが流行っていますが、JINTANA & EMERALDSのように、BPMが遅めでしっかり歌を聴かせられるようなバンドは貴重です。対バンしてみたい相手とかいますか。

JINTANA:対バンというのはあまりに恐れ多いのですが、夢としていつかご一緒したいのは、横山剣さんですね。

今後はどのような予定になっていますか。

JINTANA:7月19日に京都メトロ、21日に代官山〈UNIT〉でレコ発ライヴをします。そこでエメラルドの世界に連れていくような非日常的な体験を楽しんでもらいたいですね。観ただけでトリップするような。

クリスタルさんに音響的な部分をまかせて、どうでしたか。

JINTANA:ミックスが終わってファイルが戻ってくるといつも見違えるように鮮やかになっているのですが、個人的に、いちばん気持ちよかったのは“Moon”ですね。聴いた瞬間、別の世界に誘われましたね。

個人的に思い入れがある曲とかはありますか。

一十三十一:最初の出会いが“Honey”だったので、それは思い入れがありますね。でも、全部びっくりするほど名曲ですけどね(笑)。毎回デモのクオリティがすごく低いんですよ(笑)。どの曲も、全然音程とかわからないところからはじまっているという物語があるので、それぞれおもしろかったです。

JINTANA:僕の声で歌っているデモは、解釈の余地がかなり多いという(笑)。

一十三十一:そうそう。自分なりの解釈で楽しめるところがありました。だから、だんだんデモのクオリティの低さも安心して受け入れられるようになってくるんです(笑)。とんでもないデモが送られてきても、「これもきっとあのレベルまで行くんだな」ということがわかるようになる。そういう、ゴールに向けての成長のストーリーがありました。

一十三十一さんの立ち位置がいいですよね。「わたしは歌を歌うだけなんだ」と。

一十三十一:すごく客観的に見ていました。でも、みんなそれぞれのセンスが光っているので、とんでもないものが送られてきても安心感がありました。いろんな人の手が加わっていくことによって、着地点はいつもdestinyなんですよ(笑)。毎回そのストーリーを追いつつ完成に向かうのが楽しいです。だから、どの曲もいろんな物語があるんです。


interview with Mr. Scruff - ele-king

 アンドリュー・カーシー。無精ひげの男(ミスター・スクラフ)と名乗る男が6年ぶりのアルバム『フレンドリー・バクテリア』を発表する。変わらないというか、そもそも変わる必要もないと言ったほうがいいだろう。ミスター・スクラフは、流行り廃りなどに惑わされることなく、相変わらず我が道を進み続けている。

 ミスター・スクラフは、1990年代半ばから作品を出し続けているヴェテランであるが、アルバムに関してはまだ4枚しか出していない。にも関わらず、彼がいまでも人気のあるDJ/プロデューサーであり続ているのは、そのサウンドに経年劣化することのない魅力があるからだ。

 ミスター・スクラフのサウンドは単純に言って、楽しい。ソウル、ファンク、ディスコ、ヒップホップ、テクノ、ハウス、エレクトロ……、さまざまな音楽がミックスされている。エクレクティックでオールドスクールなフレーヴァーも彼のサウンドの特徴といえるが、人懐っこさとユーモア、小躍りしたくなる楽しげなメロディとファンキーなグルーヴ。彼自身が手がけるあの可愛らしいドローイングのように、遊び心がある。


Mr. Scruff
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 変わらないということは、最新アルバム『フレンドリー・バクテリア』は、つまり相変わらずの傑作ということだ。
 もちろん新たな試みも聴くことができる。1曲目の“ステレオ・ブレス”や“フレンドリー・バクテリア”でのアグレッシヴなベースラインはあほくさいEDMを軽々と破壊するだろう。ゲストも人選も良い。シネマティック・オーケストラのベーシストであるフィル・フランス、ディーゴとのプロジェクトで再び注目を集めているカイディ・テイタム、5曲で素晴らしいヴォーカルを披露しているデニス・ジョーンズ、トランペット奏者のマシュー・ハッセル、さらにはハウス界のレジェンド、ロバート・オーウェンスとのコラボも本作の聴きどころだ。

 一時期は販売も手がけていほどの大の紅茶好きとしても知られる彼は、いまマンチェスターで〈ティーカップ〉というカフェを運営している。DJ活動も順調に続けている。紅茶と音楽と家族と仲間たちに囲まれた暮らし。『フレンドリー・バクテリア』とは、まさに、そうした場所から響いてくる音楽だ。

多くの人たちにとって、1988年はアシッド・ハウスを発見した年だったかもしれないけれど、僕にとってはいつもと変わらないただの夏だった。僕は16歳で、学校を中退した年だったけどね(笑)。

この前の2月で42歳になられたかと思います。

ミスター・スクラフ(以下、MS):はははは、そうだよ。

あなたがDJをはじめたのは12歳の頃だから、もう30年以上も続けていることになりますね。音楽をはじめた当時、30年後も音楽をやり続けているというヴィジョンはありましたか?

MS:うん、その頃から、この先もずっと音楽をやっていくんだろうと思っていたよ。単純な理由だよ。音楽をやっていると心から楽しい。だから歳をとったからって、そんな楽しいことをやめられるわけがないってこと。音楽を止めようと思ったことは、これまで一度もない。

これまでのご自身の人生を振り返ってみて、最も幸せに感じてることを教えてください。

MS:そうだな、心の底から楽しいと思えること、つまり音楽を仕事にすることができているということ。あと結婚して可愛い娘がいること、それもとても幸せに感じている。

お子さんを授かったことで、あなた自身に何か変化はありましたか?

MS:もちろん、あったよ。毎日が音楽だけの人生ではなくなり、リアルな生活という観点から物事を見ることができるようになった。そうやって自分に新しい視点が生まれたことは、とてもよいことだと思っている。音楽を作るうえで、音楽以外のものから影響を受けたり、学んだりすることは、大事なことだからね。また〈ニンジャ・チューン〉に所属していることも幸せだ。〈ニンジャ・チューン〉とはもうずいぶん長い付き合いになる。僕にとっての幸せとは、自分の求める生活ができること、仕事やコミュニケーションが上手くいく人を見つけること、またそうした人たちをリスペクトすることだ。そういったベースが固まったら、学び続け、革新し続け、前進すればいい。

逆にこれまでの人生で後悔していることってありますか?

MS:学校でもっと努力すればよかったと思っている。もっと多くの言語を学べばよかった。この15年間、ツアーで世界中をまわってきたけど、英語圏以外の国では現地の人が僕に合わせて英語を話さなくてはいけないから、いつも申し訳ないと思っている。自分が怠け者のような気になるんだ。もちろん、これからでも学ぶことができるけど、大人になると言語を取得するのが難しくなる。このことにもっと早く気づきたかったな。

長く音楽をやり続けるための秘訣のようなものがあれば教えてください。

MS:いちばん大切なことは、自分を駆り立てることだ。それから自分の直観を信じること。他人が何を好むか、あるいは自分が何を求められているか、そうしたことを知っていることは悪いことではない。僕の場合、例えばそれは“Get A Move On”のような曲であって、あのようなタイプの曲を好むリスナーが多いということも知っている。が、同じようなことを繰り返しやるべきではない。作曲するとき、パフォーマンスするとき、DJするとき……、それらに共通して必要なのは、まず自分がエキサイトできるかどうかだ。他人の期待に合わせ、自分を作りあげていくと、同じことを繰り返してしまい、エキサイティングでなくなってしまう。エキサイティングでなくなってしまうと、ハッピーでなくなってしまう。だから自分をインスパイアさせ、エキサイトさせ、学び続けることが大切なんだ。

なるほど。

MS:すべてを知りつくしたと思わないで、学び続ける。人生とは学びの連続だ。それは歳を重ねるごとにわかっていくものだと思う。そして、自分は一生かけてもすべてを知ることはできない、という事実を受け入れられるようになる。完全なものなどない。だから自分自身や自分の性格も受け入れられるようになる。そして、よりオープンになり、さまざまな影響を素直に受けることができ、他人から何を学べるかがわかるようになっていくのさ。

僕にとって大事なのは音楽の趣味を発展させていくことであり、音楽の趣味や知識を増やすのことだ。実際に当時よりも、今のほうが、興味のある音楽の種類が増えた。ある音楽スタイルについて知ると、その先をさらに知りたくなる。

あなたがDJをはじめた80年代後半、まさに世はセカンド・サマー・オブ・ラヴの狂騒の真っ只中だったのではないかと思うのですが、あなたにとってそれはどのようなものでしたか?

MS:それって1988年のことかい? うーん、よいものだったと思うよ。1988年のマンチェスターといえば、〈ハシエンダ〉やアシッド・ハウスを思い出す人も多いだろうね。でも僕は当時16歳だったから、まだクラブに行ったことがなかったんだ。セカンド・サマー・オブ・ラヴは、パーティに遊びに行き、ドラッグをやって踊りまくるというのがメインだったけど、僕はそのどれもやっていなかった。家でラジオを聴いたり、レコードを買ったり、ミックステープを作ったりすることのほうに夢中だったんだ。

通訳:ではあのシーンは経験していないのですね。

MS:まったくない。8歳まで僕と音楽との接点は、レコード・ショップやラジオや雑誌に限定されていた。最初の10年は誰とも交流を持たず、ひたすら音楽を聴き続けながら、自分のスタイルを確立していったんだ。僕は1986年からアシッド・ハウスを聴いている。地元のレコード店にもシカゴからの輸入レコードがたくさん入荷されていたからね。リヴァプールやマンチェスターなどイギリス北部やスコットランドでは、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノは大きなブームだった。多くの人たちにとって、1988年はアシッド・ハウスを発見した年だったかもしれないけれど、僕にとってアシッド・ハウスはもうそんなに目新しいものではなかった。僕にとってセカンド・サマー・オブ・ラヴはいつもと変わらないただの夏にすぎなかった。僕は16歳で、学校を中退した年だったけどね(笑)。

1995年のデビュー作「The Hocuspocus EP」を聴くと、いまのサウンドにも通じる部分が多くあり、すでにミスター・スクラフとしての音楽性が確立されているようにも感じます。そうした意味では、かなり早い時期に目指すべき音楽の方向性が固まっていたのではないかと思うのですが、ご自身としては、当時と比べ、音楽の趣味であったり、作るサウンドの方向性などが変わったと思いますか?

MS:いや、あまり変わってないと思う。ファースト・アルバム『ミスター・スクラフ』(1997年)をリリースした時点で、僕は10年くらいDJをやっていたし、レコーディングも8年、9年ほど経験していた。そうした中で、いろいろな音楽をミックスさせ、遊び心のあるサウンドを作りたいって方向性がすでにあった。その部分は当時もいまも変わらない。
 ただ、その後も膨大な量の音楽を聴き続けてきた。さっきも話したように、自分を駆り立てながらね。僕にとって大事なのは音楽の趣味を発展させていくことであり、音楽の趣味や知識を増やすのことだ。実際に当時よりも、いまのほうが、興味のある音楽の種類が増えた。ある音楽スタイルについて知ると、その先をさらに知りたくなる。「このミュージシャンはどんな影響を受けたのだろう?」というように。僕の基礎や土台は当時も現在も同じ。ただヴィジョンが広がったということだと思うね。

あなたが音楽制作をはじめた頃に比べると、音楽制作ツールも大きく変化していると思います。そうした環境や機材の変化があなたの音楽にもたらしたものがあるとすれば、それはどんなものですか?

MS:その点においても、あまり変化はないかな。僕は自分のスタイルを前進させきたけど、オールドスクールやルーツっぽいサウンドが好きだという核の部分は相変わらず変わらない。いろいろなスタイル、テンポ、雰囲気のサウンドを試みたとしても、いつも僕はある一定のサウンドにたどり着く。リスナーが聴いて「これはスクラフの曲だな」とわかるようなサウンドさ。自分でもはっきりとは認識していないけど、何かしらの要素が組み合わさり、バランスが取れて、生まれてくるサウンドなんだろうね。

あなたらしいサウンドなるものを決定づける要素とは何だと思いますか?

MS:何がどうなってそれが生まれてくるのか、正直なところ、僕にもよくわからない。でも僕がいまラップトップで音楽を作ったとしても、そこにはきっとドラムマシーンを使ったオールドスクールなフレイヴァーを必ず注入するだろう。ラフで攻撃的なプロダクションが好きだからね。僕はいままだに古い機材もたくさん使っている。30年前の機材がまだ使えて、サウンドもいいなら、僕は喜んでそれを使うよ。アナログ・レコードだってかける。いまのところ最新の技術を常に把握する必要性は感じていない。きっとそんな自分の好みや趣向に導かれ、あのサウンドが出てくるんじゃないかな。

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マンチェスターのアーティストは海外へ出てショーをやったりするけど、地元を基盤にした活動もしっかりおこなっていて、マンチェスターにもちゃんと活気がある。いまだにたくさんのレジデント・パーティがあるしね。

SoundCloudにDJミックスを大量にアップしていますよね。相変わらず精力的にDJをされているかと思います。膨大なコレクションをお持ちだと思いますが、レコードは買い続けているのですか? 

MS:もちろん。レコードは買い続けている。比率は、新譜を2枚買ったら、中古を1枚買うという感じかな。レコードショップに行くときは、中古を買い求めにいくことが多いかな。

通訳:どういうジャンルのレコードが多いですか? 

MS:オール・ジャンルさ(笑)。いまでも週に20枚から30枚のレコードを買っているよ。それらはあらゆるスタイルのものを網羅している。

通訳:ここ最近、新しいレコードであなたを夢中にさせたものは?

MS:何枚かある。〈エグロ・レコーズ(Eglo Records)〉から出たファティマの新しいアルバムは最高に素晴らしい。クアンティックの新しいアルバムもすごくいいね。あとフローティング・ポインツのニュー・シングルも相変わらずいい。カルバタ(Kalbata)とミックスモンスターのアルバムも最高だった。テルアビブの連中がジャマイカに行って、ハードコアなルーツ・レゲエを作った作品なんだけど、本当に素晴らしいよ。

地元のマンチェスターで多くDJをされているようですが、マンチェスターのクラブ・ミュージック・シーンは現在どんな状況でしょうか?

MS:とてもいい。アーティストやレーベルの状況も健全だと思う。マンチェスターのアーティストは海外へ出てショーをやったりするけど、地元を基盤にした活動もしっかりおこなっていて、マンチェスターにもちゃんと活気がある。いまだにたくさんのレジデント・パーティがあるしね。僕もレジデントをやっている。オススメはイルム・スフィア(Illum Sphere)がレジデントを務める〈ホヤ・ホヤ(Hoya Hoya)〉という人気パーティ、それから〈ソー・フルート(So Flute)〉ってパーティだな。〈ソー・フルート〉は僕のパーティやホヤ・ホヤに影響を受けた若い連中がやっているパーティだ。ベース・ミュージックのパーティやレゲエのパーティ、アンダーグラウンド・ハウスのパーティ、インディ・ロックのパーティ、ニューウェイヴのパーティ……、本当にいろいろあるんだよ!

マンチェスターのクラブ・シーンが活況であり続けている理由は何だと思いますか?

MS:音楽好きな若者が多いというのは理由のひとつとしてあるかもね。大学生も多いし、音楽が目当てでマンチェスターに来る人もいるし、クラブで騒ぐために集まってくる連中もいる。こうした若い人の中に、自分たちでクラブ・パーティをはじめたり、音楽をリリースしたり、レコード・レーベルを立ち上げたりするやつらがいる。毎年、大学に通う目的でマンチェスターには大勢の若い連中がやってくる。そのおかげで、マンチェスターは若い人が多く、活気に溢れている。若者の中には、マンチェスターが気に入って住み続ける人も少なくないし、音楽で生計を立てているやつらもたくさんいるんだ。

あなたはマラソン・セットとも呼ばれる6時間近くに及ぶロング・セットを展開することでも知られてますが、あなたがロング・セットを好む理由を教えてください。

MS:理由はふたつある。まずはロング・セットというスタイルがオールドスクールであるから。僕がDJをはじめた頃は、DJはみんなオールナイトでDJし、いろいろなスタイルの音楽をかけていた。僕はいろいろなスタイルの音楽をかけるのが好きだから、短いセットだと窮屈に感じてしまうんだ。たくさんのジャンルを短い時間の中でかけようとすると無理が生まれるだろ。1曲1曲をちょいちょい聴かせるというよりは、ひと晩のDJを通して長い物語のようにプレイしたいんだ。

もうひとつの理由は?

MS:早い時間に、ウォームアップみたいな感じでプレイするのも好きなんだ。夜の早い時間にメロウな曲をかけるのも好きだし、夜の遅い時間にクレイジーな曲をかけるのも好きさ。どっちもやろうとしたら、ずっとやるのがいちばんいい(笑)。それにロングセットをやると、クラブ・ミュージックだけをかけなくてもいい。ジャズやフォークのようなメロウな音楽をかけたかったら、夜のどこかの時点でその音楽がしっくりくるタイミングがある。僕はいままでずっとオールナイトでDJしてきた。だから僕にとってはそれが普通なことで、特別なこととは思っていない。自分が一番上手くDJできると感じられるのがロングセットなんだ。

通訳:DJをするときに最も大事にしていることは?

MS:よいレコードを正しい順番でかけること。それからクラウドをよく見ていること。

フローティング・ポインツと一緒にバック・トゥ・バックでプレイされているようですが、彼とはどのような交流があるのですか? 

MS:彼に会ったのは5、6年前。彼の音楽がとても気に入ったから、僕からメールしたんだ。彼はまだ若いけど、音楽に対する見方はとても成熟している。多くのジャンルに興味を持っていて、プロデューサー、作曲家としても素晴らしい。DJとしての姿勢も好きだ。彼は変わった音楽や古い音楽をプレイし、人をワクワクさせることができる。一緒にDJをするには最適な人だ。バック・トゥ・バックをするとき、もうひとりのDJがヒット・チューンばかりかけていると、DJ体験としては退屈なものになってしまう。が、彼の場合、かける音楽が実に幅広いから、一緒にやっていて面白いだ。とても刺激されるし、勉強になるよ。

2009年の話なのでだいぶ前ですが、あなたがBBCの『Essential Mix 2009』をやったときに、トーマス・バンガルターの“On Da Rocks”を入れていましたが、あなたの作るファンキーなグルーヴのヒントがあるような気がして、とても興味深かったです。Rouleに代表されるあの当時のフレンチ・ハウスは好きでしたか?

MS:ああ、好きなものもあったよ。ボブ・サンクラーやモーターベース、ダフトパンク、トーマス・バンガルター、エティエンヌ・ド・クレイシー、ペペ・ブラドックなどのフレンチ・ハウスのレコードは大好きだった。彼らはよい音楽を作った。なかでもトーマス・バンガルターの“オン・ダ・ロックス(On Da Rocks)”は実にユニークな曲だ。シンプルでキャッチーで、それに他のハウスよりも少しテンポがゆっくりだよね。何よりもみんなが聴いて楽しめる曲。僕からすると、ダフトパンクのどの作品よりも“オン・ダ・ロックス”のほうが優れていると思う。1999年にリリースされたときはあのレコードをかけたけど、いまでもかける。僕にとってはスペシャルでクラシックな曲だ。ディスコの要素が強いから、ハウスとミックスしても合うし、アフロビートのレコードやその他のさまざまな音楽とミックスできる。僕にとっては汎用性のある、本当にクラシックな1枚だよ。


紅茶はイギリスではとても大切なものだ。紅茶はイギリス人にとって身近で大切なものであるにも関わらず、多くのイギリス人は紅茶についてあまりよく知らない。だが、カップにティーバッグを入れて紅茶を飲む。それって、何か安心するんだよね。紅茶は気分をほっとさせてくれるし、よい気分にもさせてくれる。

今回の『フレンドリー・バクテリア』は、オリジナル・アルバムとしては2008年の『ニンジャ・ツナ』以来の作品になるわけですが、その間、主にどのような活動、生活をして過ごされていたのですか?

MS:DJギグをやったり、忙しく過ごしていた。それから3年前、娘が生れた。それもあっていろいろと忙しかった。スタジオで過ごす時間もたくさんあったけど、他のことで忙しいと、大きなプロジェクトを完成させるのに時間がかかってしまう。
 1年くらい前かな、〈ニンジャ・チューン〉に言われたんだ。「そろそろアルバムを完成させたらどうだい?」ってね。「オッケー」と即答したよ。〈ニンジャ・チューン〉は僕にいつもメロウに接してくれる。抱えているアーティストが多いからかもしれないけれど、僕に変なプレッシャーをかけてくることなんてなかった。だから、彼らが少しプレッシャーをかけてきたときは「はい、やります」と素直に返事をしたよ。誰かに指示されることは時にはよいことだ。それで僕はスタジオに入ってアルバムを完成させたというわけさ。

音楽を作るときのインスピレーションはどのようなものから?

MS:アイディアは、サンプル、ドラムループ、ベースライン、メロディをハミングした時、あるいは友だちとの会話から生まれることもある。そうしたひらめきをヒントにして、サウンドを作り、自分がワクワクしてきたら、だいたいいい曲ができあがるものだ。

あなたの曲名やアルバム名はいつもユニークものが多いですよね。今回のアルバム・タイトルである『フレンドリー・バクテリア』の由来について教えてください。

MS:僕は違うスタイルの音楽や違うサウンド、年代の違うサウンド同士を組み合わせるのが好きなんだ。その組み合わせによって、リスナーを笑顔にさせるという反応を起こすことができる。僕は音楽のこの効果をとても気に入っていてね。これは言葉でも可能なことで、変わった感じの言葉の組み合わせから、詳しい説明はなくても、想像力が働き、ユーモアが感じられ、笑ったりほほ笑んだりしてしまうものがある。僕は曲名でもこういうことをするのが好きなのさ。説明する必要もない、単なる言葉遊び。僕はサウンドで遊ぶのが好きなのと同じように、言葉で遊ぶのも好きなんだ。

本作には「フレンドリー・バクテリア」のようにゴリゴリのシンセ・ベースを使った曲から、最後の“フィール・フリー”のようなジャジーでメロウな曲まで、さまざまなタイプの楽曲が並んでいますが、今回の『フレンドリー・バクテリア』のサウンドにおいて、何かコンセプトめいたものはあったのでしょうか? 

MS:コンセプトというほどのものはとくにないけど、デニス・ジョーンズと一緒に作った曲がアルバム全体の土台になっていると思う。今回のアルバムには彼と作った曲が5曲も入っている。曲単位ではいろいろなタイプのものが収録されているけれど、僕とデニスで一緒に曲を作っていた時、ある特定のサウンドを想定して曲を書いていた。アルバムの他の曲は、そのサウンドに合うものを選んだり、そのサウンドに合うように作られた。もちろんヴァラエティ豊かなアルバムにしたいということも考えていたけど。DJをしているときやアルバムを作るとき、僕が大切にしているのは、たくさんのスタイルを取り入れると同時に、それらが一緒になったときにしっくりときて、一貫性が感じられるということだ。僕はDJしているときは、毎回それをしているから、アルバムを通して、多くのスタイルを網羅するのは、自分にとっては自然なことなんだ。普段からDJしているから、アルバムをまとめるの作業には慣れている。

本作にはザ・シネマティック・オーケストラの主要メンバーとして知られるフィル・フランスやカイディ・テイタムといった豪華なミュージシャンたちが参加しています。本作で彼らを必要とした理由を教えてください。

MS:僕が共演した人たちのほとんどは、仲の良い友人たちだ。みんなお互いに尊敬し合っている。僕は彼らの音楽がすごく好きだし、彼らは僕の音楽を気に入ってくれている。コラボレーションは、自分のサウンドを発展させるよい機会だと思う。自分とは違う考えを持つ他の人と一緒に作業するから、スタジオでも常に違ったことをトライしてみることになる。サンプルをあまり使わない場合は、ミュージシャンと一緒に仕事をするのがいちばんだね。ひとりですべての作業をしていると、ときに一歩下がって客観的に自分の音楽を見るのが難しくなる。他の人と仕事していると、自分の音楽を新しい視点から見ることができて楽しいね。

トランペット奏者のマシュー・ハッセル(Matthew Halsall)も素晴らしい演奏を披露していますね。

MS:彼は偉大なトランペット演奏者であり作曲家だ。彼のスピリチャル・ジャズのリリースは本当に素晴らしい。彼とも今後たくさんのコラボレーションをやる予定だ。マシュー・ハッセル、フィル・フランス、デニス・ジョーンズは、お互い面識もあり、マンチェスターのミュージシャン集団として一緒にプレイしている。すでに顔見知りの人たちと一緒に仕事をするのは素敵なことだよ。みんな各自でプロジェクトをやっていて、それが上手くいっているから、みんなが集まると、発想が自由になり、特別で変わったものを作ろうということになる。

このところ、IGカルチャーとバグズ・イン・ジ・アティック(Bugz in the Attic)のアレックスによるネームブランドサウンド(NameBrandSound)が〈ニンジャ・チューン〉から出たり、フローティング・ポインツのレーベル〈エグロ・レコーズ〉からはディーゴ・アンド・カイディ(Dego And Kaidi)が出したり、かつてブロークンビーツを盛り上げたヴェテラン勢たちの活躍が目立ちますが、このあたりの動きには注目してますか?

MS:もちろんだよ。ブロークンビーツというのは、ソウルやジャズ、ファンク、テクノ、ドラムンベースなど、本当にたくさんの音楽の影響を受けている音楽だ。僕は古い音楽のフレイヴァーを持った新しい音楽が大好きだ。いま名前の挙がった人たち、とくにディーゴなどは、これまでにいろいろな種類の音楽をやってきた。テクノもやったし、ハウスもやった、ドラム&ベースもやったし、ヒップホップやソウルのリリースもあった。ブロークンビーツとは彼が作ってきたいろいろなスタイルの音楽の総称のようなものだ。ディーゴ・アンド・カイディは去年、素晴らしい12インチをリリースしたし、今後はセオ・パリッシュと曲を作り〈サウンド・シグネイチャー〉からリリースする予定になっている。それもきっと素晴らしいものになるはずだ。ディーゴ・アンド・カイディは〈エグロ・レコーズ〉からも作品を発表していて、それも最高だった。カイディはGフォースと新しいレーベルを立ち上げるみたいだしね。

そのあたりのサウンドはこれからまた面白くなっていきそうですね。

MS:みんな、長年音楽を作ってきた才能ある人たちだ。メロディやリズムを聴きわけるよい耳の持ち主だし、音楽の素晴らしさを知っている連中ばかりだ。だから彼らの動きは僕にとってもとてもエキサイティングなことだよ。ブロークンビーツのシーンがなくなってしまったのは残念だったけどね。ブロークンビーツシーンは、バグス・イン・ジ・アティック(Bugz in the Attic)が〈ヴァージン〉からアルバムをリリースしたときに途絶えてしまったと思っている。それからブロークンビーツの主なディストリビュータであったゴヤが閉鎖してしまって、彼らのような人たちがレコードをリリースするのが難しくなってしまった。だから、ヴェテラン勢が戻ってきて、音楽をたくさん作ってくれるのは素晴らしいことだと思うよ。

“He Don't”でロバート・オウエンズを起用した理由について教えてください。

MS:ロバートは素晴らしい声の持ち主だ。彼の声を初めて聴いたのは1986年、僕が14歳のときだった。「ブリング・ダウン・ザ・ウォールズ(Bring Down the Walls)」など、当時、彼がラリー・ハードと一緒に音楽を作っていた頃の作品さ。彼のシンプルでエモーショナルなヴォーカルのスタイルが大好きなんだ。彼は僕にとっても伝説的存在だよ。

一緒にやってみてどうでしたか?

MS:“He Don't”のトラックを作ったとき、僕の頭のなかではもうすでにロバートが歌っていた(笑)。この曲には彼しかいないって感じだった。僕はすぐに彼に連絡を取り、彼自身も“He Don't”を聴いて、自分が歌っている姿を想像できるかどうかってきいたんだ。その後、彼に曲を送ったら、数時間後に返信があって「イエス」と言ってくれた。「自分でも歌っている姿が想像できる」と。それで一緒にスタジオに入ることになった。すべてがスピーディに進んだ。今までロバートには会ったことがなかったんだ。彼のレコードはたくさん持っているけどね。ラリー・ハードと一緒に作ったものやコールドカットとの作品やフォーテックとの作品など。彼は本当に才能豊かなインスピレーションを与えてくれる最高のヴォーカリストだ。

いまさらですが、あなたが描くあのかわいいキャラクターはどのようにして生まれたのですか?

MS:僕が若いころ、15歳だったかな、いつも落書きをしてた。子供の頃から絵を描くのが好きだった。その絵がじょじょにシンプルさを増していった。そして、今の形、つまり目と口と体と手足が2本ずつ、になった。子供の落書きがそのまま変わらず今も残っているというわけさ。

あなたは自ら紅茶の販売を手がけるくらい、紅茶に思い入れがあるかと思います。あなたにとって紅茶とはどんなものなのですか?

MS:紅茶はイギリスではとても大切なものだ。自分で作った紅茶の会社はもう手放してしまったけど、いまはマンチェスターでカフェを経営しているよ。「Tea Cup」という名前のカフェで、おいしい紅茶を出している(笑)。紅茶はイギリス人にとって身近で大切なものであるにも関わらず、多くのイギリス人は紅茶についてあまりよく知らない。日本にもお茶のカルチャーがあると思うけど、日本ほどにはイギリス人の飲み方は洗練されていない。だが(日本とは違う種類の情熱だけれども)イギリス人もお茶が好きだ。僕はそういうイギリス人の感じも嫌いじゃなくてね。カップにティーバッグを入れて紅茶を飲む。それって、何か安心するんだよね。紅茶は気分をほっとさせてくれるし、よい気分にもさせてくれる。友だちと一緒に紅茶を飲むときも、仕事中にひとりで飲むときも、紅茶は日常においてスペシャルな時間を提供してくれる。多くのイギリス人がそんな感じで紅茶を愛していると思うよ。

最後になりますが、次のアルバムはいつ頃の予定でしょうか?

MS:2020年までにはリリースしたいと思っているよ。今回、久しぶりにアルバムを作り、、そのための作業が自分にとってどんなに楽しいことなのか改めて感じることができた。すでにデニス・ジョーンズとも、このアルバムのツアーが終わったら、すぐにまたスタジオに入り、新しい曲を一緒に作りはじめようという話をしている。だから、まあ、今回のリリースにかかった時間によりも早く、次のアルバムは出せると思うな。このアルバムの作業は本当に楽しかった。とくに他の人とのコラボレーションはインスピレーションも得られ、刺激的な仕事だった。今後もコラボレーションはたくさんやっていくと思うよ。楽しみに待っていてくれ。

interview with Lee Bannon - ele-king

 リー・バノンは1987年、カリフォルニア州のサクラメントに生まれた。本名はフレッド・ウィーズリー。リー・バノン名義では、これまでに2枚のアルバムと4枚のシングルやEPを発表している。チルウェイヴを追っていた人たちは彼がファースト・パーソン・シューター名義で発表した『モービリティ・フォー・ゴッズ』を耳にしていたかもしれない。前作の〈プラグ・リサーチ〉から発表された『ファンタスティック・プラスティック』は自由度が高いヒップホップ作品だった。そして、今作『オルタネイト・エンディングス』で彼が挑戦したのは、なんとジャングルである。

 ヒップホップを軸にしつつ、チルウェイヴからジャングルまでを往復する──彼のようにさまざまなスタイルを持ったプロデューサーには共通する部分が多い気がする。たとえば、彼らとダンス・ミュージックとの邂逅は多くの場合、ベッドルームで起こった。しかも大きなスピーカーとウーファーがあるわけではなく、ヘッドホンを通して一対一で音と向き合う場合が多い。「クラブでこの曲がかかると盛り上がる」とか、「あのジャンルが流れるあのパーティへ行こう」という前提なしに彼らは「音」を楽しんでいる。そこにジャンルなどは関係ない。素晴らしい作品を聴いていると、音楽を聴くだけでは足りなくなり、自分で作った曲を手にクラブへ行くようになる。リー・バノンの作品を聴いていて、そんな人物像を彼に被せていた(今回話を聴いてみて、実際にそうだった)。


Lee Bannon
Alternate/Endings

Ninja Tune/ビート

Tower HMV iTunes

 さて、今回の作品でジャングルがひとつのテーマになっているものの、前作で実験的なヒップホップをやった男が、直球のジャングルを作るわけがない。さまざまな声や音がサンプリングされ、細切れにされ、それがジャングルの高速リズムと絡み合ったかと思えば、いきなりスローダウンして幻想的で荒廃したイメージが広がるトラックもある。映画好きなバノンにとって、サウンドトラックは音ネタの宝庫のはずだ。だが、今回彼はスタジオでマーズ・ヴォルタのベーシストのホアン・アルデッテという強い味方を発見し、自分で楽器を演奏することによってサンプリングに縛られない音の構築にも足を踏み入れた。本作のタイトルは『オルタネイト/エンディングス』(選択可能な結末という意味)である。現在、映画やゲーム(彼の別名儀でもある「ファースト・パーソン・シューター」はまさしくゲームの一ジャンルを意味するものでもある。)の結末を観客が選べたりするように、バノンはそのカラフルな引出しの数々によって自分でアルバムの結末を選べるようにまでなった。

 今回のインタヴューは4月19日の土曜日、ドラムンベース・セッションの会場で行われた。カラフルなスニーカーに白いティー・シャツを着たリー・バノンはニコニコと質問に答えてくれた。「次はデンバーとトロントへ行くんだ。DJラシャドも一緒だよ!」と楽しそうに彼は言った。フェイスブックなどで近況をチェックしたところ、DJラシャドと一緒に写真に写るバノンを確認することができた。インタヴューでテックライフやラシャドとは友だちだと答えており、「今度はフットワークやってよ!」とお願いしてその日、僕はバノンと別れた。

正直なところ、最初は自分がやろうとしているドラムンベースが受け入れられるのかどうかもわからなかったから、始めは俺のヘッドホンの中だけで流れている音楽って感じだった。だけど、ライブをやるようになってから、自分の音楽がみんなに自然と受け入れらていったんだ。

前作『Fantastic Plastic』はヒップホップを軸とした作品でしたが、今作ではジャングルやドラムンベースが主体となっています。どのような経緯があったのでしょうか?

リー・バノン(以下、LB):前作はアルバムっていうよりは、俺の音を集めた作品集的な意味合いが強いものだった。でも今回の作品は、なんていうか、もっと本当の意味で自分の翼を広げて、自分がいまできることを全部投入したっていう感じかな。

なぜいまジャングルなのでしょうか?

LB:とくにジャングルに変えようとしたというよりは、単純にいろんなジャンルをやってみたいという感じだったんだ。いまの自分の音がどういう感じで聴こえるのか、まだ純粋な感じに聞こえるのか、とかね。

今作ではマーズ・ヴォルタのベーシスト、ホアン・アルデッテが参加しています。彼とはどのように出会ったのですか?

LB:このアルバムを作っているときに偶然スタジオで会ったんだ。だから、それまで彼がマーズ・ヴォルタで発表した作品もまったく聴いたことがなかったんだよね(笑)。なんとなくそこで意気投合して、彼がベースを弾き始めたから、俺はペダルを持ってきて一緒にちょっとやってみて、そういう流れで出来上がった感じかな。

今作であなたはピアノを披露していますが、プロダクションをはじめるにあたって、生楽器を使用することが多いのでしょうか?

LB:もちろんドラムマシンやシーケンサーも使っているんだけど、今回はピアノを入れてみたんだ。これからはもっとギターなんかも入れていきたいね。

デジタルが発展し、ソフトウェアのみを使用するプロデューサーの数も多くなっています。その風潮のなか、なぜあなたは生楽器を入れようと思ったのですか?

LB:理由は簡単で、生楽器を入れることでもっと音に深みを持たせたり出来るし、よりピュアな音が表現できると思うんだよね。

プロダクションのデジタル化についてどう思いますか?

LB:まぁ、人が求めているひとつの選択肢としては別にいいんじゃないかな。俺にとってはひとつのツールという認識でしかないけどね。

あなたは今作をゲーム『メタル・ギア・ソリッド』のサウンドトラックのようだと答えています。メタルギア・シリーズはブリアルのようなミュージシャンにも影響を与えていますが、あなたは『メタル・ギア・ソリッド』のどこに魅かれますか?

LB:そうだね、『メタル・ギア・ソリッド』とかからの影響はあると思う。このゲームをしながら育ったしね。とくにどの部分に細かく惹かれたとかはないけれど、そのバイブは自分のなかに影響された部分としてあると思うよ。

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『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はとてもシリアスな映画じゃない?だから近作も俺の中でかなりシリアスな作品にしたかったからこの映画のシリアスさを参考にしてこんな感じの作品に仕上げたかったというところで影響されたのはあるかもね。

あなたはカリフォルニア州サクラメントでキャリアをスタートさせました。サクラメントとはどのような街なのでしょうか?

LB:とてもユニークな街だと思う。とくに“この街”っていう特徴的な音はなかったと思うんだけど、俺やデスグリップスとかの登場で、こういう音を鳴らすアーティストがいる街っていう認識ができたんじゃないかな。

どのようにクラブ・カルチャーと関わっていくようになったのですか?

LB:自然に入っていった感じかな。正直なところ、最初は自分がやろうとしているドラムンベースが受け入れられるのかどうかもわからなかったから、始めは俺のヘッドホンの中だけで流れている音楽って感じだった。だけど、ライブをやるようになってから、自分の音楽がみんなに自然と受け入れらていったんだ。

レコードからサンプリングをしているようですが、普段はどのようなスタイルで音楽を聴いているのでしょうか?

LB:実は、最近はもっぱらデータばっかりなんだ。もちろんCDやレコードも買うけどほとんどデータだね。

今回はライヴ・セットを披露しますが、DJもするのでしょうか?

LB:普段はあまりDJはしないんだよね。基本的に自分の曲だけでセットを作っているよ!

ヒップホップのアーティストが最初に使う機材はアカイのサンプラーであるMPCの場合が多いですが、あなたはローランドのドラムマシーンで作曲をはじめました。この最初の機材との出会いは、いまのあなたにどう影響していますか?

LB:最近はまたMPCを使いはじめているんだ。俺にはロジック(アップルの音楽制作ソフト)よりもこっちの方が、音的にしっくりくるんだよね…….他にローランドのSP555(サンプラー)を使っていて、これはエフェクトには最適なマシーンなんだ。このローランドのマシンは俺に新しい音の使い方を示唆してくれたりする。最初の入り口が生楽器ではなかったから、いまでもサンプラーやドラムマシンから影響を受けていると思うよ!

あなたに影響を与えたヒップホップのアーティストを教えてください。

LB:実は最近はあんまりいないんだけど……。ラキムとかは好きだったよ。Jean-Luc King Brownもいいよね。

フライング・ロータスが主催する〈ブレインフィーダー〉周辺では、現在も実験的なヒップホップを作るプロデューサーが多くいますが、彼らのことをどう思いますか?

LB:いいんじゃないかな。いろんなジャンルの垣根を越えて、例えばフットワークとか新しいものを作っているわけだし。

あなたはファースト・パーソン・シューター名義で『モービリティ・フォー・ゴッズ』というチルウェイヴ的な作品を発表しています。なぜこの作品は生まれたのでしょうか?

LB:このプロジェクトは友だちとやってる超レフトフィールドなものなんだけど、チルウェイヴよりもっとアンビエント寄りのことをやりたかったんだ。例えばここに来る間に15時間飛行機の中で作った音が結構良かったから、もっと完全なアンビエントな作品としてまとめてもいいかなって思ってる。環境音楽的なものを入り口として広げていくのも悪くないね。

ファースト・パーソン・シューターとして曲を発表したとき、あなたは自分の素性を明かすことはありませんでした。リー・バノンも本名ではありません。どのように名義を分けているのですか? またあなたにとって匿名性とは何でしょうか?

LB:匿名性ってのは、もっと自分を大きく見せるツールのひとつでもあると思うんだよね。なんていうかもっと自分とは切り離された別物というか……。例えば、もし会社に行って自分が経理担当だとしたら、自分の名前が“経理”ってわけじゃないけど、“経理の仕事をした人”っていうことになるじゃない?でも家に帰れば自分自身に戻る。俺もそれと似た感じなんだ。それに違う音をやりたい時もあるから、そういう意味でも都合がいいというか。その音がその名前に帰属するというか、その名前によってその音だと認識して貰いんだよね。

カリフォルニアからニューヨークへなぜ引っ越したのでしょうか?

LB:ジョーイ・バッドアスのため、っていうのがいちばん大きい理由かな。俺は、彼の作品のプロデュース以外にツアーのDJもやってたりするから彼の近くにいる必要があるしね。

ニューヨークおける音楽のシーンはどのような感じなのでしょうか?ドラムンベースやヒップホップに限らず教えてください。

LB:ニューヨークのシーンは大好きさ。バイブや雰囲気がいまの俺の感じにとても合っているのもあるしね。ドラムンベースやヒップホップ以外にもボサノヴァとかのシーンもあるだろうけど、そこまでいろんなシーンはないんじゃないかな(笑)。

ジュークはBPMがドラムンベースに近いため、両方をプレイするDJが増えてきました。あなたにとってジュークはどのような存在なのでしょうか?

LB:俺にとってのジュークは、DJ アールや友だちのテックライフ、DJラシャドとかのことなんだ。次はカナダでラシャドと一緒のイヴェントに出る予定だよ!

今回の作品を制作するうえで、影響を受けた音楽作品はありますか?

LB:今夜出演する予定のソース・ダイレクトなんかよく聴いていたよ! だから今回のブッキングはすごく嬉しかった。さっきみんなで夕食に行ってきたんだけど、ナイス・ガイだった。それと『エクササイズ・アンド・ディーモン』は影響された作品だね。

今作のインスピレーションの源として、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を挙げています。この作品のどのような部分にインスパイアされたのでしょうか?

LB:インスパイアされたというより、対比したものの参考にしたと言う方が正しいかな。この映画はとてもシリアスな映画じゃない?だから近作も俺の中でかなりシリアスな作品にしたかったからこの映画のシリアスさを参考にしてこんな感じの作品に仕上げたかったというところで影響されたのはあるかもね。

お気に入りの映画とサウンドトラックを教えてください。

LB:オリジナル版の『コスモ』のサントラは凄くいいね。最近だったら『ネッフルマニア』のサントラが良かった。

既存の映画のサウンドトラックを作り変えられるとしたら、どの映画を選びますか?

LB:うーーーん、良い質問だね(笑)。そうだな、もし出来るとしたらフランス映画なんだけど『ブルー・イズ・ザ・ウォーメスト・カラー』っていう映画のサントラをやりたいかな。

「同じことを2回しない」ことを信条としていますが、今後はどのような作品を発表する予定ですか?

LB:今俺は新しいステージにいると思ってるんだけど、しばらくはいまのサウンドを追求していきたいかな。そしてまたそこから新しい可能性を見つけて発展させたい。もちろんジャングルやジュークも先にはありえると思うけどね。

昨夜大阪公演でエイフェックス・ツインの“ウインドウ・リッカー”を演奏されていましね。

LB:(笑)! そうなんだよ。俺、彼の大ファンなんだよね。彼の音って不思議の国のアリスの兎のように追いかけても追いかけても捕まらないっていう不思議な音速感があるんだよ。

 この取材から1週間後の27日の朝、DJラシャドの訃報が舞い込んできた。新作の『ダブル・カップ』は最高の1枚で、このマスターピースを携えて、彼はほんの少し前に〈ハイパー・ダブ〉のイヴェントで来日したばかりだった。フットワークという言葉を彼は世界に広め、ジャンルを超えて多くのミュージシャンからリスペクトされてきた。フェイスブックページで、ワンマンやカーンなどの若手から、アンダーグラウンド・レジスタンスのような重鎮までが追悼の意を寄せるなか、そこにはリー・バノンのコメントもあった。彼はDJラシャドの死をどのように受け止めていくのだろう。ただ悲しみに暮れるだけでは故人は救われない。
 新しいステージに足を踏み入れたバノンの次の作品には、ラシャドへのリスペクトが込められているはずだ。

ピクシーズ、この6枚。 - ele-king

■ピクシーズ、まさかの新譜『インディ・シンディ』をクロス・レヴュー

Pixies - Indie Cindy
Review

Pixies - Indie Cindy
Pixies Music / ホステス

結成から29年、再結成から10年。「オルタナ」あるいは「グランジ」といった音楽的潮流の下、90年代以降のインディ・ロックに多大なる影響を及ぼしたバンド、ピクシーズの新譜がリリースされた。「本当に新譜が出るとは……!」という往年のファンから、「オルタナ」がオルタナティヴではなくなってしまった時代に聴きはじめた若いリスナーまで、もちろんその反応は一様ではない。しかし、どの聴き方にも真実がある。合評スタイルで多角的にアプローチしてみよう。 黒田隆憲、久保正樹、天野龍太郎による渾身のクロス・レヴュー!

■ピクシーズ、名盤Pick Up

文章:天野龍太郎、加藤直宏、久保正樹、黒田隆憲

『カム・オン・ピルグリム』
Come On Pilgrim
4AD / 1987年

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 映画『キャリー』でもっとも怖く印象に残るのは、クライマックスのキャリーの暴走ではなく、キリスト教原理主義のあの母親だ。アメリカの病理というべきか、歪んだ正義に息苦しさ、いや狂気を感じた子どもたちによる逆襲。ピクシーズというバンドもそうしたアメリカのダークサイドに唾を吐きかけたバンドのひとつだ。ジャケットを見てほしい。女装をした男の背中に、獣のような体毛が生えている。キリスト教右派たちからすれば、すぐさまに火をつけて、燃やしたくなるだろういかがわしいヴィジュアルだ。歌詞においても高く評価されるフランシス・ブラックがキリスト教社会や学歴社会に対してアンチを投げかけてきたことはよく知られているところだが、バンドの結成から間もない1887年に名門〈4AD〉との契約を勝ち取り、デビュー・アルバムに先駆けてのリリースとなったこのEP『カモン・ピルグリム(ピルグリムとは巡礼者のこと)』のジャケットは、ピクシーズというバンドの存在を見事に説明しているように感じられる。そして本作に収められたサウンドはこのジャケット以上に、聴く者に何か切実なものを訴えかけてくる。
 ピクシーズ史上もっとも美しいメロディを持つ曲のひとつ“カリブー”、パール・ジャムの“スピン・ザ・ブラック・サークル”を思わせる“イスラ・デ・エンカンタ”(彼らはこの曲ヒントにしたのかもしれない)、“エド・イズ・デッド”、乾いたスパニッシュ系のギター・リフに痺れる“ニムロッズ・サン”、ラップのようなフランシスのヴォーカルが特徴的な“アイヴ・ビーン・タイヤード”など、結成から1、2年のバンドとは思えないほど、アイディアに溢れ、完成度の高い楽曲が並んでいる。ピクシーズを聴くなら、本作も必ず押さえておくべき。(加藤直宏)

『サーファー・ローザ』
Surfer Rosa
4AD / 1988年

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 いま聴いてもゾクゾクする。ブラック・フランシスのささくれだった金切り声、頭を掻きむしっているかのように鳴らされるギターのノイズ、混沌のサウンドの中にふいのカウンターパンチのように散りばめられたポップなメロディやコーラス……、若き4人の匂い立つような初期衝動がスティーヴ・アルビニのプロデュースによって、生々しく記録されている。1988年に〈4AD〉からリリースされたこのファースト・アルバムは、グランジはもとより、その後のギター・ロックに大きな影響を与えたオルタナティヴ・ロックの金字塔として知られている。カート・コバーンが『ネヴァーマインド』を制作する際に本作から多くのヒントを得たというのは有名な話だし、2002年にチャンネル4で放送されたドキュメンタリー『Gouge』ではデヴィッド・ボウイ、ボノ、トム・ヨーク、ブラー、PJハーヴェイ、トラヴィスといった面々がピクシーズへの想いを語っていたが、本国を超えてそのサウンドは多くのミュージシャンたちに影響を与えている。アルビニのプロデュースも手伝ってか、本作ではとりわけ彼らのアルバムの中でもパンキッシュで攻撃的なサウンドが展開されている。どの曲も短くソリッドで、しかし強烈なフックを持っている。ピクシーズでもっとも有名な曲のひとつであり、後にブリーダーズを結成するキム・ディールが歌う“ギガンティック”(アップルの最新CMでも使われていているのはこの曲)、映画『ファイトクラブ』のエンディングで流れる“ホエア・イズ・マイ・マインド?”など名曲揃い。サイモン・ラーバレスティア(Simon Larbalestier)による退廃的なジャケットの写真も素晴らしい。(加藤直宏)

『ドリトル』
Doolittle
Rough Trade / 1989年

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スティーヴ・アルビニを迎えた前作『サーファー・ローザ』でUKインディー・チャートのトップに躍り出た彼らは、通算2枚めとなる本作でさらなる飛躍を遂げる。ルイス・ブニュエルの短編映画『アンダルシアの犬』からインスパイアされたという冒頭曲 “ディベイサー(Debaser)”は、まるでグランジ〜オルタナの「幕開け」を告げるかのようなインパクト。キム・ディールのベースライン/コード進行は、その後のインディ・ギター・バンドにとって、一種の「ひな形」になったといっても過言ではないだろう。不気味なうめき声と制御不能な咆哮を、1曲の中で目まぐるしく使い分ける“テイム”や“アイ・ブリード”など、ブラック・フランシスのヴォーカル・スタイルはもはや唯我独尊の域に達し、我関せずとばかりにレスポンスするキムのクールな声とのコントラストも、楽曲を立体的に際立たせている。変態的で、どこかオリエンタルな響きを持つジョーイ・サンチャゴのギターももちろん絶好調だ。ガールズポップのようなポップ・ソング“ヒア・カムズ・ユア・マン”や、屈指の名曲“モンキー・ゴーン・トゥ・ヘヴン”も収録された本作を、彼らの「最高傑作」と呼ぶファンは多い。(黒田隆憲)

『ボサノヴァ』
Bossanova
4AD / 1990年

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1990年リリースの通算3作め。『ドリトル』の延長上にある作品だが、楽曲はよりシンプルに、ストレンジながらもクリアな音作りも優れたバランス感覚で鳴っている。冒頭、オルタナティヴ版ベンチャーズのようなサーフ・ロック調のインストゥルメンタル“セシリア・アン”が意表を突く。全編にわたってブラックが叫び散らす「ロック・ミュージック」の行き詰まった焦燥は、ピクシーズとブラックの真骨頂ともいえる美しい瞬間を捉えている。黄金のリフを奏でる“ヴェロリア”、ロックンロールに駆け抜ける“アリソン”、ポエトリー・リーディングとギターのファンキーなカッティングからじつに美しいメロディへと流れこむ“ディグ・フォー・ファイア”には色褪せない輝きが。スペーシーなジャケットにも表れているとおり、宇宙やUFOが登場するリリックも興味深い。メインストリーム寄りのアルバムとして批判する向きもあるが、僕にとっては重要なアルバム。(天野龍太郎)

『トゥロンプ・ル・モンド』
Trompe Le Monde
4AD / 1991年

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前作『ボサノヴァ』でアレンジ/サウンド・プロダクションの幅を一気に広げ、全英でヒットを記録した彼らが、リハーサル・スタジオから漏れ聴こえるヘヴィ・メタル(オジー・オズボーンやラット)に触発され、ヘヴィメタ要素を大々的にフィーチャーした通算4枚め(ちなみに邦題は『世界を騙せ』)。16ビートのギター・バッキングやライト・ハンドの早弾きなどヘヴィメタ奏法で聴き手の血をたぎらせつつも、いきなりワルツをぶち込んで意表を突くアルバム表題曲をはじめ、随所で顔を見せる天の邪鬼っぷりは健在。キャプテン・ビーフハートやスネイクフィンガーとの共演経験を持つキーボード奏者、エリック・ドリュー・フェルドマンを迎え、これまで以上にシンセ・サウンドを取り入れたのも印象的だ。畳み掛けるような前半のテンションはとにかく異様で、アルバム全体のメタリックな感触にリリース当時は少々戸惑ったものだが、人を食ったようなジザメリのカヴァー“ヘッド・オン”をはじめ、いま聴くと親しみやすい曲もけっこう多い。何より、ナンバーガールやART-SCHOOLなど90年代以降に登場した日本のギター・バンドに多大なる影響を与えたアルバム、という意味でも重要な一枚だ。(黒田隆憲)


サーフ・ポップがねじれをこじらし、波乗りしていたらうっかり宇宙の哲学にまでたどり着いてしまった問題作『ボサノヴァ』の後にリリースされた5枚め。当時、最新ファッションとまで化していたグランジ・ブームのど真ん中で、もろに直球な“プラネット・オブ・サウンド”、幻想的にひた走る“ちびのエイフェル”あたりにシーンとのリンクを聴くことができるものの(というかシーンが追いついたのだが)、UKの〈4AD〉(←当時はデカダンな意匠をまとっていた)からのリリースというところにほかのUS産とはちがうワイアードな恍惚を感じたものだ。ミクスチャー風なグルーヴを採り入れた“スペース” “サバカルチャー”など、これまでにない骨太感も聴こえるが、やっぱり、インパクトのあるギターリフ、そして、妙ちきなくせに鮮やかなメロディをなぞるてろてろしたヴォーカルからの脂肪分たっぷりの絶叫に骨抜きにされてしまう。“モーター・ウェイ・トゥ・ロズウェル”の美しさもさることながら、シーンをともに築いた盟友ジーザス&メリー・チェイン“ヘッド・オン”のカヴァーを、悪意も皮肉もなくストレートに披露する懐の広さにもじんときたものだ。(久保正樹)


「世界を騙せ」と題された本作は、彼らの4枚めのフル・アルバムであり、今回の『インディ・シンディ』がリリースされるまでは、彼らのラスト・アルバムとして記憶されていた。本作を最後にして、1993年にバンドは解散。フランシス・ブラックはソロでの活動をスタートさせ、ベースのキム・ディールはすでに人気のあったブリーダーズでの活動に本格シフトしていくようになる。しかしながら、だからといって本作が輝きを失うわけではない。これほどの作品が作れるというのに、これで解散してしまうのはあまりにもったいないと思った人も多かったことだろう。それぐらい本作にはいい曲がたくさんある。“アレック・エッフェル”“プラネット・オブ・サウンド”“レター・トゥ・メンフィス”といった名曲に加え、ジーザス&メリーチェインの“ヘッド・オン”のカヴァーも収録。サード・アルバム『ボサノヴァ』でのサーフ・ロック的な路線から一転、本作では『サーファー・ローザ』時代に戻ったような、パンキッシュでささくれだったギター・サウンドが展開されている。フロントマンのブラック・フランシスはバンドを結成する際に「ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリー(1960年代にUSで大成功を収めたフォーク・バンド)が好きなメンバーを求む」と募集をかけたそうだが、ピクシーズというバンドは本当にそんな感じのサウンドだ。歪んだギターの轟音の中に、とてつもなくポップなメロディが潜んでいる。『トゥロンプ・ル・モンド』もそんなピクシーズの魅力を存分に味わえるアルバムだ。(加藤直宏)

『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』
Pixies at the BBC
4AD / 1998年

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当時からライヴの良し悪しがその日の状態によって大違いなバンドとして定評(?)のあるピクシーズ。妙々たる奇跡のようなパフォーマンスの傍に──いつがっかりさせられてもおかしくない──垢抜けない要素がべっとり貼りついているところが、彼らを信頼できる所以であったりする。88年から91年までのBBCライヴを収めた本作は、テンション高く、キレも抜群で、アルバム以上にムキ出しズルむけとなったピクシーズのセンスとユーモアを存分に味わうことができる。フランシスの乾いたギターと、サンティアゴの艶っぽいギターの絡みもいつになくスリリングで、キムのコーラスもぱっと華やか。『サーファー・ローザ』以外の各作品から、ライヴ映えよろしい楽曲が選りすぐられていて、ピクシーズ初心者にも心の底からオススメできる内容だ。そして、玄人のあなたにはこちら。締めを飾るピーター・アイヴァースのカヴァー“イン・ヘヴン”(デヴィッド・リンチ監督『イレイザーヘッド』のなかで、おたふく娘が歌い上げる悪夢の幻想バラード)のフランシスの咆哮にまみれ、世にも美しい後味の悪さに浸ることをオススメする。(久保正樹)

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