「Noton」と一致するもの

はてなフランセ - ele-king

 みなさんボンジュール。
 今日は昨今フランスの音楽業界で話題をさらっている兄妹をご紹介したく。
 日本の芸能界でも芸能一家は多いが、フランスでも芸能一家は結構いる。筆頭はジェーン・バーキンとその子供たちだろうか。セルジュ・ゲンズブールとの娘シャルロット・ゲンズブール、映画監督ジャック・ドワイヨンとの娘ルー・ドワインヨン。フランスのプレスリーと言われたジョニー・アリデイとその子供たちもこちらでは大メジャー。歌手シルヴィ・ヴァルタンとの息子で、父の路線を継ごうと頑張る(が大変微妙な)歌手ダヴィッド・アリデイ、実力派女優ナタリー・バイとの娘で女優のローラ・スメット。日本でもそれなりに地名度のある俳優ヴァンサン・カッセルの父は、フランスでは有名な俳優だったジャン=ピエール・カッセルで、妹はホリシーズという名義で歌手をやっている。階級&コネ社会のフランスでは、親のコネ&階級が物を言う。両親が業界人であれば、親に連れられて撮影現場やステージなどにも親しんでいる。それに名付け親が業界の大物だったりすることも多い。そのような環境に育った子供たちには、千載一隅のチャンスを頼りにオーディションを受けたりするより業界に入るチャンスも回って来やすいというもの。本日の主役のふたり、兄でラッパーのロメオ・エルヴィスと妹で歌手のアンジェルも芸能一家出身だ。一家はベルギー人なので厳密にはフランスの芸能一家ではないし、それほど有名でもないが、父がミュージシャン、母が女優の家庭だそう。それほど有名ではないとはいえ、フレンチ・ラップの伝説MCソラーは父の仕事仲間で、家族ぐるみの友人でもあるらしいので、立派な業界人と言えよう。
 では兄のロメオ・エルヴィス(25歳)のことをまず。このコラムでもフレンチ・ラップのことを度々取り上げているが、フランスではここ数年ラップがシーンの最重要ジャンルとなっている。そしてなかにはフランス語圏のベルギー勢も多い。そのなかでも思春期の子供から大人やインテリにも評価を得ているひとりがロメオ・エルヴィスだ。大人は眉をしかめるバカ&マッチョ&下品路線のコドモ向けラッパーたちとは違い、ウィード系でひねったユーモアに満ちたロメオ・エルヴィスの世界観は、評論家にも受けがいい。

Roméo Elvis x Le Motel - Nappeux ft. Grems

 このかっこいいんだか悪いんだかわからないMCネームは実は本名だ。ロメオはファースト・ネームでエルヴィスはミドルネーム。業界人か音楽好きの田舎者が付けそうなキラキラネームだ。そこそこ男前だが、それよりもダルダルな雰囲気と自虐ネタの方が目につく。ロメオ要素もエルヴィス要素もあまりないロメオ・エルヴィスは、本名であるそのMCネームとのギャップがインパクトを与えている。とはいえ、フランスではitモデルになりつつあるガール・フレンド、レナ・シモンとのイチャイチャをインスタグラムで披露しまくるあたりはロメオ感が出ているかもしれないが。この色男がラップを始めたきっかけは、美大の学生時代に友達のLe Motelにビートを作ってもらったところから。2013年には初のEPをリリース。ベルギーでは、同じブリュッセルのバンド、l’Or du Commun(ロール・デュ・コマン)にフィーチャーされたりして少しずつ注目を集め始めたが、2016年までラップ1本で食べていくことはできなかった。スーパー・カルフールのレジ係のバイトを辞めたのは2016年になってから。ここフランスでは2017年リリースの「Moral 2」あたりから注目され始めた。2017年は小さなものから大きなものまでフェスを制覇し、今年の11月に行われるパリの殿堂オランピア劇場でのライヴはすでにソールド・アウトだ。
 対する妹のアンジェル(22歳)は、音楽学校でジャズ・ピアノを習った後、パパのバンドに参加したり、ブリュッセルのカフェでライヴを行ったりして音楽の道へ。お兄ちゃんの曲に参加するなどしてバズった後、2017年10月に発表した最初のオリジナル曲「La Loi de Murphy(マーフィーの法則)」が、youtubeでいきなり100万ビュー超え(現在は1200万ビュー超え)を獲得した。

 徹底的についてない1日を、キュートでポップで間抜けに歌う。この肩の力の抜け具合と自虐ネタは兄妹ふたりの共通要素だ。「道を聞いて来たから親切に教えてあげたら、ヘタクソなナンパだった。バカのせいでトラム(路面電車)に乗り遅れた。ばあちゃんに銀行の順番譲ってあげたらクッソ時間かかるし。セキュリティドアに押し込んで閉じ込めりゃよかった」と絶妙なあるあるネタに、適度な毒舌が織り込まれている。金髪のかわい子ちゃんと毒舌と自虐。黄金のトライアングルである。続くシングル「La Thune(カネ)」では「みんなカネのことばっか考えてる。カネにしか勃たない。インスタに写真載せなきゃ。じゃなきゃなんで撮んの? でもそれってなんのため? 結局独りぼっちなくせに。人がどう思ってるかばっかり気にして」とSNSに振り回される虚しさをディスった後に「でもほんとはあたしもそのひとり」と自分を落とすことも忘れていない。こちらも現在600万ビュー超え。この2曲の大ヒットでアンジェルは2018年の夏フェスを制覇した。妹はお兄より歩みが早い。そのロメオ兄ちゃんとのデュオをドロップしてすぐ、つい先日待望のファースト・アルバムをリリースした。

Angèle feat. Roméo Elvis - Tout Oublier

 おそらく子供の頃から絶対美形だったはずなのに、前歯の抜けたブサイクな幼少期写真をジャケットにしたセンスはさすがだ。
 フレンチ・ポップ、シャンソンにはいくつかのパターンがある。例えばエディット・ピアフ・タイプ。歌唱力高く情念たっぷりに愛の歌を歌う。スタイルはアップデートされているが2018年現在もこれは健在。次にジェーン・バーキン型。センスあるプロデューサーが作り上げた、歌はへたっぴだが雰囲気は抜群のパリジェンヌ。そして日本でも80年代に少し名前の売れたリオのパターン。奇抜で突拍子も無いエキセントリックなポップがこのタイプ。自らのアートを突き詰めて誰も追いつけないところまでいく、アヴァンギャルドの女王、ブリジット・フォンテーヌもいる。もちろんそれらの型に必ずしも当てはまらないけれど、王道フレンチ・ポップ感を漂わせるアーティストもいる。だがアンジェルは、フレンチ・ポップの王道からあえてズレてDIY感を前面に出すことで、いまっぽさを強く印象付けたのだ。それこそが、彼女を2018年フレンチ・ポップ界のど真ん中にライジングスターとし押し出した要因だ。このパリジェンヌ幻想を一切寄せ付けない新世代フレンチ・ポップや、ダルダルでスモーキーなフランス語ラップが、日本で受ける日が果たして来るのだろうか。そんなことになったら、個人的にはとっても面白いと思うのだが。

Maisha - ele-king

 まあちょっとざっくり言うと、2018年は『We Out Here』からはじまった。ロンドンのアンダーグラウンドからUKジャズの新しい波がやって来て、スピリチュアル・ジャズにアフロビートをたたき込み、クラブ・カルチャーと隣接しながらシーンに喜びと恍惚をもたらしたと。
 いろんなミュージシャンの名前を覚えた。シャバカ・ハッチングスをはじめ、モーゼス・ボイド、ジョー・アモン・ジョーンズ、テンダーロニアス……それから女性サックス奏者のヌビア・ガルシアも。
 『We Out Here』は、マイシャの曲からはじまる。ドラマーのジェイク・ロングが率いるこのグループは、いまの“UKジャズ”のひとつの型を表している代表。要するに、アリス・コルトレーンとファラオ・サンダースからの影響をアフロビートと混ぜること。グループでサックスを吹いているのはヌビア・ガルシア。マルチ・カルチュアルで、男女混合というスタイルにも“いま”を感じる。
 で、そうしたお約束ごと的前説を経て、しかしもっとも重要なことを言うと、場所。抑圧だらけの世界からは隔離された場所。だって場所がなければひとは迷ってしまう。マイシャのデビュー・アルバムは11月9日にジャイルス・ピーターソンの〈ブラウンズウッド〉(日本盤はビート)からリリースされる。タイトルは『There Is A Place』。ぼくたちには“場所”がある。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 OGRE YOU ASSHOLEが9月17日、東京・日比谷野外大音楽堂にて初のワンマン・ライヴを開催した。サウンド・エンジニアに佐々木幸生、サウンド・エフェクトには中村宗一郎(THE SOUND OF PEACE MUSIC STUDIO)というお馴染みのふたりを迎え、今回は複数のスピーカーを用いた「クアドラフォニック・サウンドシステム」を導入しての公演となった。

  • OGRE YOU ASSHOLE
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 この日は朝からよく晴れ、思わず「オウガ日和!」とツイートしてしまうくらいの陽気だったのだが、昼過ぎから徐々に雲行きが怪しくなっていた。このところ、夕方になるとゲリラ豪雨も頻繁に勃発していたため、いざというときのためウィンドブレーカーをカバンに突っ込み野音へと向かう。今日は、サラウンド音響を存分に楽しむため、佐々木と中村が待機するPAブース付近で観ることに。定刻を20分ほど過ぎて、メンバー4人がステージに現れたときにはすでに上空に重たい雨雲が垂れ込めていた。

 まずはメンバー全員がアナログシンセに向かい、電子ノイズを思い思いに発信していく。それがステージ左右のスピーカーと、会場後方に設置された2台のスピーカーをグルグルと行き来する。その立体的なサウンドスケープに驚いていると、2011年のアルバム『homely』から“ロープ”で本編がスタートした。馬渕啓(Gt)による、宙を切り裂くようなファズギターが響き渡り、極限まで削ぎ落としたミニマルな勝浦隆嗣(Dr)と清水隆史(Ba)のリズム隊がそれを支える。続いてセルフ・タイトルのファースト・アルバムから“タニシ”を演奏した後、現時点では最新アルバムの『ハンドルを放す前に』から“頭の体操”。掴みどころのないコード進行の上で、まるで人を食ったような出戸学(Vo、Gt)の歌声が揺らめく。

 さらに、ダンサンブルな“ヘッドライト”、ピクシーズの“Here Comes Your Man”を彷彿とさせるオルタナ・ポップ・チューン“バランス”、3拍子の名曲“バックシート”と、旧作からの楽曲を披露。その間にも雨は降ったり止んだりを繰り返していたのだが、“ひとり乗り”を演奏する頃にはいよいよ本降りに。しかしほとんどのオーディエンスは、手早く雨具を取り出し動じることなくライヴに集中している。さすが。

 筆者ももちろんウィンドブレーカーを羽織ったが、強まる一方の雨のせいでチノパンはあっという間にぐしょ濡れ。関係者エリアは見る見るうちに人びとが退散していき、気づけば周りに誰もいなくなっていた。雨除けのフードを被ったものの、これだと四方八方に音が広がる「クアドラフォニック・サウンドシステム」の威力を100パーセントは楽しめない。そう思ってときおりフードを脱いでみるものの、ものすごい勢いで雨に打たれてすぐに被り直す。

 “ムダがないって素晴らしい”や、“素敵な予感”が演奏される頃には、雷鳴が響き渡るほどの土砂降りに。もはやサラウンド効果を体感することは諦め、フードを被ったまま滝のような雨に打たれて踊り狂っていた。“素敵な予感”では、オリジナル・ヴァージョンからオルタナティヴ・ヴァージョンへといつの間にか移り変わり、そのアブストラクトな音像が雨で乱反射する照明と混じり合う。豪雨によって周囲から遮断され、そんな幻想的な光景に没入し反復するリズムに身体を委ねているうちに、意識は完全にトランス状態となっていた。

  • OGRE YOU ASSHOLE
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 ライヴはいよいよ終盤へ。トライバルなドラミングに出戸と馬渕のギターが絡み合う“フラッグ”は、引きずるようなテンポで焦らしに焦らし、出戸のシャウトと共にリズムがガラッと変わる。その瞬間、目の前の光景がグニャリと歪むような感覚に襲われた。後半、ヘヴィな展開ではまるで豪雨までも操っているかのように会場の空気を支配していく。その証拠に、“見えないルール” “ワイパー”で本編が終了する頃には、雨も野音から遠ざかっていたのだった。

 アンコールに登場した出戸が、「雨、やみましたね……。僕らが演奏しているときだけ降っていてすみません」と挨拶すると、会場から大きな笑いが起きた。そのまま“ロープ”のロング・ヴァージョンと、9月7日に配信リリースされた新曲“動物的/人間的”を演奏。平成最後の夏を名残惜しむような楽曲で、この日の公演は全て終了した。

 アンコール含め、新旧バランスよく並べた全16曲。これまでのオウガのキャリアを総括するようなこの日のライヴは、決して忘れられない体験となった。

Omma - ele-king

「置き勉」についての議論がバカらしい。小学生のランドセルが重すぎて学校に教科書などを「置いていく」か、そうすると家に帰って宿題をやらなくなるといった議論がこの半年ほど沸騰し、9月に入ってようやく文科省が「置き勉」を認めたというやつである。僕は小6の時に右大腿骨膿腫の手術をして、以後、重いものを持ってはいけないと医者に言われたので、教科書はすべてバラして学校に持っていった。バラした教科書をバインダーで閉じられるように穴を開けられる機械を父親が探してくれたので、白紙のルーズリーフとその日の授業に必要なページだけを一冊のバインダーに閉じて、学校の行き帰りはそれだけで済ませていた。軽かった。しかも次の日の授業で必要な部分を前の晩に揃えるので、それだけで簡単な予習にもなった。授業中に「30ページ戻って」とか言われるとお手上げではあったけれど、それほど困った記憶はないし、そういうところは教師が授業内でフォローすればいいだけの話である。これは40年以上も前の話で、なのに教科書の重さはこの40年で1.8倍にもなっているという。平均が6キロで、14キロになった例も報告されているという。

 ということで、今年、もっとも「軽い」と感じたロシアのシンセ・ポップを2点。
 オマことオルガ・マキシモヴァ(Olga Maximova)によるデビュー作はロンドンの〈コースタル・ヘイズ〉からリリースされた。テルやバディ・ラヴといったバリアリック・ハウスをリリースしてきたレーベルで、どこを取ってもノンビリとした曲で構成された『Teplo』は緊張感のかけらもなく、ふわふわとしたダウンテンポがさらさらと続く(「Teplo」というのは、しかし、熱という意味らしい)。“サムライ”などという曲もあるけれど、これがまた可愛らしくてズッこけます。チコちゃんに叱られてもボーッと生きていたいときには最適のサウンドトラックでしょう。世界を正しい場所に導こうという人で世の中はあふれかえっている。なので、一歩足を動かすだけでどっと疲れてしまうことばかりですが、これはほんとにリラックスできる。ちゃんと逃がしてくれるエスケープ・ミュージック。

 フローレンス・アンド・ザ・マシーンに対するロシアからのアンサーとか言われたインディ・バンド、ナージャ(naadya)でギターを弾いていたり、ロシア語でナラの木を意味する実験的なシューゲイザー・ポップのバンドでも活動していたというマリア・テリエヴァはもう少し複雑な音楽性に挑んでいて、モートン・サボトニクしか使いこなせないとされるヴィンテージ・シンセサイザー=ブクラを駆使して、トランペットやサックスの音などを重ね、これもフラジャイルで可愛らしい音楽世界へといざなってくれる。これまたアーサー・ラッセル・ミーツ・クレプスキュールというのか、ネオアコ版ミュジーク・コンクレートというのか、それらしいクリシェを挟み込みつつ、アカデミックな着地点には絶対に向かわないところがよろしいかと(エンディングだけは少し重厚さが漂う)。最近では映画『ノクターナル・アニマルズ』で知られるファッション・デザイナー、トム・フォードのためにコマーシャル・ミュージックを手がけたり、サファイア・スロウと共にリンスFMでこの4月に「ビート・ブーケット」と題されたDJショーを展開したりと、頭角を表すのも時間の問題かも。

 それにしてもまったく力が入らない。このまま死ぬまでダラダラしていたいな~。重いものを背負って歩くのは小学生だけにして。

Djrum - ele-king

 恐らくレコード・ショップのポップあたりから広まったと思うが、2010年代前半あたりにアンビエント・ベースというサブ・ジャンルがあった(いまでも使われているのかは不明だが)。要はポスト・ダブステップやベース・ミュージックの中でもアンビエント・テクノやIDM的な音楽性を持つもので、ブリアルあたりを起源にフォー・テットなども作品によって含まれ、デュラム(日本ではDJラムと表記されることを見かけるが、本来はDJとRumを区切らない続きの単語で、Jは発音しないのでデュラムないしはドゥラムとなる)ことフェリックス・マニュエルとか、トラヴィス・スチュワート(マシーンドラム)とプラヴィーン・シャーマによるセパルキュアなどが代表的なアーティストとされた。最近はこのあたりの音も以前ほど取り上げられず、世間的には落ち着いてしまった感じであるが、デュラムに関して言えばコンスタントにEP制作をおこなっており、2017年の“ブロークン・グラス・アーチ”はカリンバを用い、民族音楽とミニマルを取り入れた好作品であった。カップリング曲の“ショウリール”は彼らしくドラムンベース的なリズム・アプローチもあるのだが、チェロを用いたポスト・クラシカルで美麗な側面も見せていた。そして、アルバムとしては2013年のファースト『セヴン・ライズ』以来、5年ぶりとなるセカンド・アルバム『ポートレイト・ウィズ・ファイア』がリリースとなった。「ブロークン・グラス・アーチ」EPには“ショウリール”はパート1と2が収録されていたが、このアルバムでは“パート3”が収録され、そこでチェロを演奏していたゾージア・ヤゴジンスカがゲスト・ミュージシャンとして参加。そのほかにマルチ・デザイナー&フォトグラファーでもあるローラ・エンパイアがヴィーカリストとして参加している。

 『ポートレイト・ウィズ・ファイア』はフェリックス・マニュエルのミュージシャンとしてのパーソナルな顔を、いままでよりずっと強く意識した作品集となっている。これまであまり掘り下げてこられなかったが、彼はDJ/ビートメーカー/プロデューサーであると同時にピアニストでもあり、キース・ジャレットやアリス・コルトレーンなどに影響を受け、古典的なジャズ・ピアノのトレーニングを受けてきた。DJとしてヒップホップ、ドラムンベース、ダブステップ、テクノ、ハードコア・ブレイクビーツなどをプレイし、そうしたエッセンスを感じさせるソリッドなビートは彼の大きな武器のひとつであるが、一方で聴かれる抒情的でセンチメンタルなピアノ、モダンなシェイプを持つクールなピアノはそうしたジャズの素養からくるもので、サントラ風のシネマティックなサウンドスケープだったり、アンビエントで秀麗な要素もピアニストとしての音の取り組みから繋がっている(以前〈レジデント・アドヴァイザー〉のミックスをしたときのインタヴューで話していたが、彼はかなりのレコード・コレクターでもあり、その中には数多くのジャズや、ほかにクラシックやサントラなども含まれるそうだ)。

 1曲目の“アンブロックド”からピアニスト、フェリックスとしての演奏が展開され、ゾージアのチェロとの即興的な絡みを見せる。“クリエイチャー・パート1”でも彼らふたりの神秘的な演奏に音響の造形を交える。フェリックスはこのアルバムを作るにあたり、セルビアのパフォーマンス・アーティストであるマリーナ・アブラモヴィッチからの影響を述べているが、この曲などはまさにコンセプチュアル・アートを音楽に置き換えたような作品と言えるだろう。パート1の美しく観念的な世界は、パート2ではヘヴィでインダストリアルなビートに飲み込まれる。フィールド・レコーディングやサンプリング、ヴォイスなどを交えたグリッチ・アート的な世界は、アルカとかアンディ・ストットなどの作品に通じるものも見せる。中国の二胡や日本の胡弓などの古典楽器のようにオリエンタルな音色のチェロに始まる“ブルー・ヴァイオレット”や、ローラのヴォーカルをフィーチャーした“ウォーターズ・ライジング”はデュラムならではのアンビエント・ベースだが、本作ではこれまで以上にアコースティックな楽器とエレクトロニックなプロダクションの融合に腐心し、またそれを生かした音響を目指していることが伺える。ローラの歌は“スパロウズ”ではワードレスなヴォイス・パフォーマー的な場面があり、終盤にはフェリックスのピアノ即興演奏が展開される。そして、アルバムの最後は鉄琴の音色が幻想的な“ブラッド・イン・マイ・マウス”で締めくくられる。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの『エイジ・オブ』にはチェンバロやバロック音楽を取り入れた場面が見られたが、楽器の音色や使い方などを見ても、本作でのフェリックスにはダニエル・ロパティンに重なる部分があるようだ。アルバムを通して室内音楽やスポークンワードなどのモチーフを取り入れ、『セヴン・ライズ』の頃とはまた違った世界を生み出したデュラム。彼の美の概念を形にしたアルバムとなった。


 9月になり、すでに肌寒くなったNYの週末。ロング・アイランド・シティのMoMA PS1で、アートブック・フェア(https://nyartbookfair.com/)が行われた。

 チェルシーの本屋プリンテット・マターがキュレートするこのフェアは、今年で13回めを迎える。さまざまな流通によるアート出版を祝うもので、独立系アート出版社のもの、学校、本屋、アートギャラリー、スクリーンプリント系などずらり大量の展示があった。アート本、写真集、ポスターからジン、Tシャツ、トートバッグ、ピンバッチ、工作類などのギフト系まで場内は様々なグッズで溢れかえっていた。

 サイン会、本関係者のパネル・ディスカッション(漫画は本なのか、コミュニティを実行するための風がわりな出版、散らばったコミュニティを運営する方法など)、対話式ワークショップなどの催し物もある。部屋から部屋へ移動するたびに違うテーマが現れ、圧倒され、酸欠になりかけるほどの中身の濃さ。ひと息入れようとコートヤードに出ると、ビールやワインが飛ぶように売れている。DJやパフォーマンスマンスもあるので、そこでしばらくまったりするのが正解。今年は、Miho Hatori, Lee Bertucci, Jaimie Branch, Lori Scacco, Greg Foxなどがプレイした。

 この2018年アートブック・フェアは盛況だった。目当てのブースで、アーティストと話しながら本を購入するのはフェアの醍醐味である。フェア中でなくとも、PS1の入り口にはブックショップも構えるので、いつ行ってもキュレートされた書物たちに出会えるんだけど。

 ブックフェアは秋のはじまりの祝いと言ったところだろう。普段は、ネットでことを済ませる若者たちも、この日ばかりはひとつひとつブースを見て回り、本に触れ、アーティストの顔を見ながら話している。最近は会わない知り合いにも会えるのもフェアの良さ。このフェアが、世界中を回っているのは納得。本は世界を繋ぐし、これからも変わらない。


Aphex Twin - ele-king

 物価の高いロンドンはともかく、イギリスの田園風景はいつかまた見たいという思いがある。昔、何回か逍遙した。短絡的に思えるかもしれないが、美しい森や小川があり、羊が鳴いているあの景色のなかにいると、『原子心母』や『聖なる館』から『チルアウト』や『セレクティッド・アンビエント・ワークス 85-92』がより深く理解できたような気になれるのだ。そしてじっさい、そういう時代でもあった。
 いまから遡ることおよそ25年前の1993年の初夏のこと。当時定期購読していた『NME』というイギリスの音楽紙の広告に、コーンウォールで開催される野外レイヴの告知を見つけた。ヘッドライナーはエイフェックス・ツイン。これは行かねばならない。そう思ったぼくを含めた6人ほどは、大韓航空に乗ってソウル経由でロンドンに向かった。待っていたのはドタキャンの知らせだったが、こんなリスキーな海外弾丸ツアーをさせてしまうほど、その時代の「コーンウォール」「野外レイヴ」「エイフェックス・ツイン」という記号にはたいへんな吸引力があった。(そもそもレイヴ・カルチャーとは、パッケージ化されたものではなく、ゆえにユートピアであり、ゆえにいろんな意味でリスキーだったのだ)

 〈Warp〉が派手な宣伝を仕掛けて、鳴り物入りでリリースされた「Collapse EP」のアートワークには、コーンウォールのグウェナップピットと呼ばれる18世紀に建てられた円形劇場がデザインされている。そして劇場は崩れている。Collapse=崩壊。これまでRDJ(リチャード・D・ジェイムス)の作品にはコーンウォールの地名が18引用されているそうだ。それらの言葉から喚起されるであろうイメージが持てないほとんどの日本人リスナーにはお手上げの話だが、コーンウォールはRDJにおいて良きモノとしてあることは間違いないだろう。
 とはいえ、「Collapse EP」は『セレクティッド・アンビエント・ワークス 85-92』や“ガール/ボーイ・ソング”のような惜しみない牧歌性が行き渡った作品ではない。ぱっと聴いたところではドラムの音が印象的で、ときおりベースも唸りをあげるのだが、しかし全体的につかみどころがなく、より無意味な音響がこれでもかと展開されているようだ。その無意味さをもってどこまでリスナーを惹きつけられるのかという作品に思える。
 エイフェックス・ツインの新作をいま聴いてあらためてすごいと思うのは、まずはその音色があまたあるエレクトロニック・ミュージックのどれとも違っていることだ。それがIDM風の複雑な打ち込みの音楽であっても、だいたいどれもほかと似たようなイクイップメント(ソフトウェアやプラグイン)で制作されているので、まあ、テクノロジーを使っているつもりがそれに支配されているという風にも見えるし、実験的という名の没個性的な曲が量産されがちだったりする。そこへいくとRDJはずば抜けてほかと違っている。日本版には解説として、佐々木渉さんによる使用機材の分析が詳しく記されているが、読むとなるほどなと思う。なぜいまこれを? なぜこんな使い勝手の悪いものを? という機材を織り交ぜながら、RDJはクラフトワークとは違ったアプローチによる“テクノ”を追求している。

 さて、1曲目の“T69 Collapse”は感触的には『サイロ』の延長にあり、“アナログ・バブルバス”時代のメロディもわずかににおわせてもいるが、ジャングルを崩したようなリズムを使って曲はファンキーに展開する。転調してからのドラミングは笑いながら作ったのだろうか……、ちなみにT69は第二次大戦中に製造された戦車の名前だそうだ(RDJは戦車好きで有名)。
 続く“1st 44”ではさらにギャグを強調している風に聴こえる。意味不明な声や叫びはRDJ作品ではお馴染みではあるが、この曲のラテンを崩したようなパーカッションと鼓笛隊のようなドラミングとのへんてこりんなコンビネーションはなかなか面白い。“MT1 t29r2”は乱雑な展開のエレクトロ風の曲で、ここでのドラムのプログラミングもまあ面白いといえば面白い。4曲目の“Abundance10edit [2 R8's, FZ20m & A 909]”を聴いていると、ぼくは1993年の初夏にコーンウォールに行きそびれた代わりにロンドンのクラブで聴いたRDJのDJを思い出す(過去にも何度か書いたことがあるけれど、そのときはほとんど客はおらず、閑散としたフロアではビョークとその女友だちだけが踊っていた)。そのときの彼はとにかくひたすら、骨組みだけのシカゴ・ハウスをかけていた。20年後にはフットワークとして世界に知られることになる音楽の原型のようなトラックたちだ。洗煉される前の粗暴なダンス・ミュージックたち。“Abundance10edit [2 R8's, FZ20m & A 909]”にはその燃え尽きたような、抜け殻のようなリズムがある。

 1992年、ポリゴン・ウィンドウを出したばかりのRDJにロンドンにいた知人を介して取材したときに、「セカンド・サマー・オブ・ラヴのときあなたは何をしていたんですか?」と訊いたら、「夏は大好きだ」と彼は答えた。夏は好きだ──質問をはぐらかしたその言葉をぼくはRDJについて考えるときに忘れたことがない。「Collapse EP」の無意味さは、この音楽がダンス・ミュージックであることを裏付けているのかもしれない。コーンウォールの円形劇場は、レイヴ会場のようにも見える。最後の“Pthex”だって、そう、ダンス・ミュージックだ。が、ただ、いったいどうやってこれで踊ればいいのかぼくにはわからない。まあ、そういう曲はRDJには多いのだが、しかし、社会から完璧なまでに隔絶されたような音楽をやっていたRDJでさえも社会の行方を案じる今日この頃において、このノるにノれないダンス・ミュージック集と“崩壊”という強い言葉を表題に用いた裏にはなにかもっと別の理由があるのではないかと勘ぐってしまうのだ。

Swamp Dogg - ele-king

 これはぶち飛んだ。この4月にリリースされたマウス・オン・マース『ディメンジョナル・ピープル』には数多のゲストがフィーチャーされ、そのなかでもスワンプ・ドッグがクレジットされていたことにはかなり驚き、その経緯についてヤン・ヴァーナーにも訊いてみたばかりだった(「エレキング」22号参照)。それだけのことでスワンプ・ドッグの新作を聴いてみようと思った。いや、それだけではない。タイトルに「オート・チューン」と入っていたことが決め手だった。『愛と喪失とオート・チューン』。どんなタイトルだろうか。スワンプ・ドッグことジェリー・ウイリアムズ・ジュニアは今年77歳になるヴァージニア州のブルースマン。これが、そう、オート・チューンで声を変形させ、ブルースやソウルを歌いまくっている。“I'll Pretend”ではボン・イヴェールことジャスティン・ヴァーノンまで従えている。サイケデリックである。細かいギターのカッティングではじまり、シンセ・ベースに導かれた”$$$ Huntin’”などはもはやエレクトロだし、アルバート・キングがモダン・ブルースで、ファンタスティック・ネグリートがコンテンポラリー・ブルースなら、『愛と喪失とオート・チューン』はそれこそフューチャー・ブルースというしかない。ほとんどフィードバック・ノイズだけでソウル・ナンバーを歌い上げる”Sex With Your Ex”やブレイクビーツでがっしりとしたリズムを刻む“She's All Mind All Mind”も素晴らしい。

(全曲試聴可)
https://www.npr.org/2018/08/30/641286054/first-listen-swamp-dogg-love-loss-and-auto-tune

 プロデューサーはまさかマウス・オン・マースじゃないだろうなと思ったらライアン・オルスンという人で、どうやらボン・イヴェール周辺の人らしい(よく知らない)。カニエ・ウエストの『808s&ハートブレイク』など最近の音楽はオート・チューンだらけだなあと感じていたスワンプ・ドッグはどうやらオルソンに自分の曲を好きにいじらせたらしく、言ってみればギル・スコット・ヘロンのラスト・アルバムをジェイミー・XXがリミックスして『ウイ・アー・ニュー・ヒア』(11)として生まれ変わらせたのと同じ経過をたどったものだと想像できる。元々、サイケデリックな表現を核としてきた人なので、そのようにして曲が変形していくことにはこれといった抵抗もなかったのだろう。出来上がったサウンドを聴いて「驚いちゃったね、もう(I was knocked out by what I heard. I couldn't believe it was me. It's some of the greatest and outrageous music I've ever heard come out of the Swamp Dogg.)」みたいな発言をしている。『ウイ・アー・ニュー・ヒア』と大きな違いがあるとすれば作者名にオルスンの名前は入れず、自分の名前だけがクレジットされているところだろう。リリース元のホームページでは「スワンプ・ドッグは国宝だから」とまで言い放っていて。

 「1977年にローリング・ストーンズはいらない」と歌ったクラッシュの歌詞をまともに受け取り、阿木譲の『ロック・マガジン』で紹介されていたディスコやニューウェイヴばかり聴いていた僕は1986年にロンドンで忌野清志郎と知り合い、彼の音楽に打ちのめされたことで一種のアイデンティティー崩壊を起こしてしまった。それまで否定していたオールド・ロックに感動してしまったのだから、これはもう大変なショックで、価値観が揺らいだままどうすることもできず、どっちも好きなのが自分だと思えるまでに1年間も悩んでしまった。いまから思うと、よくもそんなことで世界の終わりでも来たかのように悩み続けられたなとも思うけれど、あの時期の自分に聴かせてやりたいと思うアルバムが『愛と喪失とオート・チューン』です。驚いただろうな、オレ~。それともまったく意味がわからなかっただろうか。

 それにしても、ジョン・ハッセルといい、ジョージ・クリントンといい、今年は70代がどうかしてますよね。山根会長とか。

Animal Collective - ele-king

 アニマル・コレクティヴの逃避主義を考えるとき、彼らが浮上した00年代前半のアメリカの空気を思い出す必要がある。高いビルに飛行機が突っこみ、国内世論は内向きになり、大量破壊兵器という理由をでっち上げて戦争の準備を進めていた不穏さのさなかで、たとえばブライト・アイズのように曇りのない目で、古くからのフォーク・サウンドとまっすぐな反抗心から社会に立ち向かう若者もいた。だが、そうではなく、「フリー」の冠をつけたやたらに音響化されたフォーク・ミュージックを鳴らす若者たちもいっぽうではいて、彼らは彼らなりに荒んだ世のなかへの抵抗を試みていたのかもしれない。同じように曇りのない目で……『キャンプファイア・ソングス』、『ヒア・カムズ・ジ・インディアン』、そして『サング・トンズ』といったアルバムからは、こことは違う世界をいつもとは違う感覚で体験したいという欲求が聞こえる。リヴァーブやディレイを多用する彼らの茫漠とした音は、違う世界に行ってみたいと願っていたたくさんの子どもたちを実際に引き連れてヒプナゴジックと呼ばれたそれなりに大きな潮流を生み出し、そして、00年代後半に向けてポップへと化していく。
 彼らのモチーフが動物や自然に向かうのも当然だった。なぜならサイケデリアは幻覚剤に頼らなくても、そもそも自然のなかに息づいている。動物の身体の模様や植物の色彩、あるいはそれらが鳴らす音自体が生み出すトリップ。それは明確な意見を強要してくる息苦しい社会をしばらくの間忘れさせてくれたのだろう。

『タンジェリン・リーフ』はアニマル・コレクティヴにとって2作目のオーディオヴィジュアル・アルバムで、海洋学者とミュージシャンからなる「アート・サイエンス・デュオ」であるコーラル・モーフォロジックとのコラボレーションだ。音だけでも聴けるが、そもそも映像とともに観ないと意味を成さない作品である。50分以上にわたって、神秘的な光を反射する珊瑚礁の揺らめきとエレクトロニック・アンビエントに浸ることとなる。
 リスボン在住のため参加していないパンダ・ベアを除く、それ以外の3人ではじめて作られたアルバムでもある。ということは自然と力点はエイヴィー・テアに置かれることとなっており、近年のアニマル・コレクティヴの作品群(『センティピード・ヘルツ』~『ペインティング・ウィズ』)よりもエイヴィー・テアのソロ作『ユーカリプタス』からの連続性が強い。敢えてアニコレで言えば『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』期のエレクトロニック・サウンドが基調になっていて、細かく配置された電子音効果がぐるぐると聴き手を取り囲むように回っているが、当然『メリウェザー~』のポップさは完全に融解している。それにビートがクリアだったここ数作とは明らかにモードが異なっており、音こそフリー・フォークではないが、フィーリングとしては『キャンプファイア・ソングス』の1曲めを飾る10分の“Queen in My Pictures”を引き伸ばしたものだと言えばいいだろうか、アニコレのもういっぽうを特徴づけるパーカッシヴな高揚感はなく、ひたすら瞑想的な時間が続く。導入、水に潜っていくようなくぐもった音響が演出されるとゆっくりと下降していくようにヘヴィなドローンとなり、20分を過ぎた辺りで拍子がズレていき強力な酩酊が聴覚を覆いつくす。エイヴィー・テアは英語で何か歌っているようだが、その意味が剥ぎ取られるように長音とリヴァーブで響きのなかに消えていく。
 それにしても、音に囲まれながら映像をじっと見ているとこんな生きものが地球にいるのかと、ファンタジー世界を描いているのではないかという気分になってくる。様々な色でゆらゆらと波打つ触手はまあまあグロテスクだが、70年代の前衛ダンスのように妖しげで美しいとも感じる。ある意味とてもエロティックだし……幾何学的な構成を取る画面にあっても、どこか生々しいのだ。そして終盤、40分を過ぎたころからスペーシーな音がやってくるとそこが果たして海のなかなのか宇宙なのかもわからなくなってくる。この体験をしている人間は、気がつくと知らない場所にいる。幻想的で、感覚だけが支配する場所に。
 ここから喚起されるのは、圧倒的にその「知らない、わからない」という認識である。ここに映されている奇妙な生き物たちがそもそも何なのかわからない。この音響体験で何を得られるのかも知らない。だがそれでいい。何も判断しなくてもいい。ただ浸ればいい……。ポップの欠如という点で批判的なレヴューもいくつか目にしたが、それは“My Girls”を期待しているからであって、彼らの本質を理解していない態度だろう。『タンジェリン・リーフ』はあまりにもアニマル・コレクティヴらしい作品である。

 このコラボレーションは2010年頃から続いている両者の交流の結果であり、今年こうしてまとまった形で発表されたのは偶然にすぎない、が、このような純度の高い逃避がいまこそ求められているのではないかとどうしても思ってしまう。たとえば同様に00年代のブルックリンを彩ったギャング・ギャング・ダンスの久しぶりの新作『カズアシタ』は、社会の混乱を目にしつつも、だからこそニューエイジの陶酔とメディテーションに向かった。アニマル・コレクティヴはあり方としては基本的にずっと同じだったわけだが、「ピッチフォークが一番推すインディ・バンド」などではなくなったいまだからこそ、再びそのコアを露にし始めている気もする。
 アメリカはいっそう荒れている。そのなかで音楽は……この秋で言えば、僕はボン・イヴェールとザ・ナショナルによるプロジェクトであるビッグ・レッド・マシーンのコミュニティ主義に相変わらず心を打たれている。彼らの理想主義、シェアという感覚は、近年アメリカで顕在化し始めたという社会主義者を自称する若者たちの存在と呼応しているだろう。だが、その立派さをどこか手放したくなるときがあるのも事実だ。「知らない、わからない」と無責任に言ってしまいたい瞬間が。立派なことをひとつも言えない子どもたちもいるだろう。『タンジェリン・リーフ』はそんな弱々しさを柔らかく包みこみ、疲れた者たちを海のなかへと連れていく。光や音と戯れているうち、そこは宇宙かもしれないし、意識のなかかもしれない。


10 イン・サークルズ(3) - ele-king


 8月も半ばを過ぎると急に涼しい日が訪れることはまだ例外になっていないようで、ひと段落つくのと同時に何か始まるような気がする一刻があるものだが、ともかくそんな秋めく日に岡田拓郎の「The Beach EP」が発売された。そんな日のように安堵と焦燥をもたらすこの音楽は、1回でも多く再生されればこの上ないが、僕の上にも別種の安堵がやってきた。安心を求める道理もないのだが、結局のところ少し気持ちが整ったのだろう。自分で勝手に決め込んだ心配ごとを気遣っていることに気がついたとも言える。それは打楽器についてで、告白するとコラムの第1回「はじめにドラムありき」というタイトルは野田さんにつけてもらったもので、その意味を今になって感じはじめているというわけだ。自分が思っているよりも打楽器のことを考えているみたい。

 その少し前のお盆辺りには、ひどい猛暑を抜けて阿蘇へ行った。阿蘇の記憶と言えば、とくに何もはいっていないリュックサックを自慢げに背中にしょって、火口すれすれを歩いたことで、小学校にあがるずっと以前のことだと思う。記憶には、ロープウェイも、エメラルドグリーンの火口湖も、柵も、待避壕も、強風もなく、ゴツゴツとした赤茶の地面を歩きながら、すぐ左下に見える急斜面に全視線を注ぎ込み、スリルと絶対に落ちない理由ない確信が入り交じりただ恍惚として歩いたことが残っている。今度はどうかとぼんやり思っていたが、とくになんの引き金もなく、ただ地震にて立ち入り禁止になったロープウェイ乗り場と外国人観光客を横目に強風の中をルート通りに歩いておわった。記憶のアップデートは、思い出すことのきっかけになりするすると引き出してくれる場合のみ有効で、壊さずに元の境界からいまの場所に移し替えるのはなかなか困難で、そこに時間が加われば余計にそうみたいで、現実の閾で肝心なものが消え失せるならさっさと踵を返した方がよいこともある。地元大分に拠点を移してからは、よりそのことに気をつかっていないといけない。

 打楽器に関しての最初の記憶は、薄暗い音楽室にあったギロについてで、どうしてか使い方がわかっているはずなのに、扱ってみると当然上手くいかず、本来醸し出すはずの雰囲気を遠目に感じるだけで終わった。使い方がわかっていたというイメージ先行は、テレビのドキュメンタリーで見た南米の葬式の演奏がえらく陽気だったことや、親のカーステで流れていた“コンドルは飛んでいく”が只管はいったカセットの影響からだろうか。

 このギロについてはいまアップデートしている。元々パーカッションに興味を持ったのはシェイカーやマラカスからで、持続音が鳴っているところになにかリズムの肝が隠れているのではないかと感じたところからはじまった。そこを感じてから打音の太鼓やドラムへ行こう、と。2年前大分に戻るにあたって購入したシェケレを山で振っているときも、あらためてそんなことを思い出して、これは相当いい楽器だなと思ったものだが、いまギロでさらに身の程をしらされている。マラカス3年ギロ8年とはよく言ったもので、なかなかどうして奥が深い。あの独特な遠心力のかかったビートを出せたときはきっと気持ちいいだろう。目的を醸すとすればOLD DAYS TAILORのドラムに生かしたいからで、わかりやすいノリのある音楽ではないからこそ直接見えないビートが肝になってくることにメンバーで気づきはじめたからだ。ギロがヒントのひとつになりそうだ。

 言うまでもなく今年の夏はひどく暑く、クーラーを使えたことは幸運だったけど、読書すらままならず、ギロとアフリカンチームでの練習に明け暮れた。ドラムは夕方にならないと陰らない山練習は自殺行為だし、夕方は夕立が怖いので、1階のカフェの営業時間外にブラシで小さい音で叩いた。しかし夕立がこんなに少ない夏はもはや珍しくもないのだろうか。パーカッションはいろいろ習ったけど、ドラムを習ったことは一度しかない。それは15年程前、のちの師匠からシェイカーの極意を伝えてもらった次の日で、その極意のままだと必然的に叩く軌道のスタートは胸のあたりからはじまって、また胸のあたりに「返す」ことになるのだが、そのとき言われたのが「スティックの場合はここからなんだよ」ということで、そのときスティックの先のチップはスネアのすぐ上にあった。ドラマーなら誰でも知っている。自分も知っていた、つもりだった。でも突然思い出して、現実の閾とリンクした。小さい音で叩いたせいか。アップデート。堂々巡り。イン・サークルズ。

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