Home > Regulars > 打楽器逍遙 > 10 イン・サークルズ(3)
8月も半ばを過ぎると急に涼しい日が訪れることはまだ例外になっていないようで、ひと段落つくのと同時に何か始まるような気がする一刻があるものだが、ともかくそんな秋めく日に岡田拓郎の「The Beach EP」が発売された。そんな日のように安堵と焦燥をもたらすこの音楽は、1回でも多く再生されればこの上ないが、僕の上にも別種の安堵がやってきた。安心を求める道理もないのだが、結局のところ少し気持ちが整ったのだろう。自分で勝手に決め込んだ心配ごとを気遣っていることに気がついたとも言える。それは打楽器についてで、告白するとコラムの第1回「はじめにドラムありき」というタイトルは野田さんにつけてもらったもので、その意味を今になって感じはじめているというわけだ。自分が思っているよりも打楽器のことを考えているみたい。
その少し前のお盆辺りには、ひどい猛暑を抜けて阿蘇へ行った。阿蘇の記憶と言えば、とくに何もはいっていないリュックサックを自慢げに背中にしょって、火口すれすれを歩いたことで、小学校にあがるずっと以前のことだと思う。記憶には、ロープウェイも、エメラルドグリーンの火口湖も、柵も、待避壕も、強風もなく、ゴツゴツとした赤茶の地面を歩きながら、すぐ左下に見える急斜面に全視線を注ぎ込み、スリルと絶対に落ちない理由ない確信が入り交じりただ恍惚として歩いたことが残っている。今度はどうかとぼんやり思っていたが、とくになんの引き金もなく、ただ地震にて立ち入り禁止になったロープウェイ乗り場と外国人観光客を横目に強風の中をルート通りに歩いておわった。記憶のアップデートは、思い出すことのきっかけになりするすると引き出してくれる場合のみ有効で、壊さずに元の境界からいまの場所に移し替えるのはなかなか困難で、そこに時間が加われば余計にそうみたいで、現実の閾で肝心なものが消え失せるならさっさと踵を返した方がよいこともある。地元大分に拠点を移してからは、よりそのことに気をつかっていないといけない。
打楽器に関しての最初の記憶は、薄暗い音楽室にあったギロについてで、どうしてか使い方がわかっているはずなのに、扱ってみると当然上手くいかず、本来醸し出すはずの雰囲気を遠目に感じるだけで終わった。使い方がわかっていたというイメージ先行は、テレビのドキュメンタリーで見た南米の葬式の演奏がえらく陽気だったことや、親のカーステで流れていた“コンドルは飛んでいく”が只管はいったカセットの影響からだろうか。
このギロについてはいまアップデートしている。元々パーカッションに興味を持ったのはシェイカーやマラカスからで、持続音が鳴っているところになにかリズムの肝が隠れているのではないかと感じたところからはじまった。そこを感じてから打音の太鼓やドラムへ行こう、と。2年前大分に戻るにあたって購入したシェケレを山で振っているときも、あらためてそんなことを思い出して、これは相当いい楽器だなと思ったものだが、いまギロでさらに身の程をしらされている。マラカス3年ギロ8年とはよく言ったもので、なかなかどうして奥が深い。あの独特な遠心力のかかったビートを出せたときはきっと気持ちいいだろう。目的を醸すとすればOLD DAYS TAILORのドラムに生かしたいからで、わかりやすいノリのある音楽ではないからこそ直接見えないビートが肝になってくることにメンバーで気づきはじめたからだ。ギロがヒントのひとつになりそうだ。
言うまでもなく今年の夏はひどく暑く、クーラーを使えたことは幸運だったけど、読書すらままならず、ギロとアフリカンチームでの練習に明け暮れた。ドラムは夕方にならないと陰らない山練習は自殺行為だし、夕方は夕立が怖いので、1階のカフェの営業時間外にブラシで小さい音で叩いた。しかし夕立がこんなに少ない夏はもはや珍しくもないのだろうか。パーカッションはいろいろ習ったけど、ドラムを習ったことは一度しかない。それは15年程前、のちの師匠からシェイカーの極意を伝えてもらった次の日で、その極意のままだと必然的に叩く軌道のスタートは胸のあたりからはじまって、また胸のあたりに「返す」ことになるのだが、そのとき言われたのが「スティックの場合はここからなんだよ」ということで、そのときスティックの先のチップはスネアのすぐ上にあった。ドラマーなら誰でも知っている。自分も知っていた、つもりだった。でも突然思い出して、現実の閾とリンクした。小さい音で叩いたせいか。アップデート。堂々巡り。イン・サークルズ。