Home > Regulars > 打楽器逍遙 > 5 2017年私談
大分に拠点を移して1年半。何もしないでも新鮮さを保てる賞味期限はきっとどこにいても意外と長くない。そういうわけで、今年は環境作りに徹した。1月にそのままでは住めないような古い一軒家を借りて、1階部分をカフェ店舗、2階を書斎とまでは言えないが、東京1人暮らしの頃のような狭い古本とレコードに囲まれた部屋をDIYで作った。4ヶ月くらい工事をしていたか。ドラムの練習は専ら山。ちょうどドラムセットを置けるだけ水平を保ったモルタル部分を掃いて草を抜いてこちらは一日で完成。デモ音源専用だが一応録音もできるようになった。その合間合間で東京へ9往復。
山で練習する一番のメリットは、音が一切反響せず飛んでいくばかりなので、いい音を自然と感じられる点にある。裏を返せば、大きい音でも小さい音でもいい音でならさないと全然楽しくない。太鼓が教えてくれるといえばかっこいいが、身の程を知らされるといったほうが近い。写真だけ見ればスピリチュアルな練習ができているように感じるが、ちょっと環境音とセッションしてみようとしてみた時に不思議だったのが、所謂日本的な100円レコード定番の民謡の雰囲気が漂ってすぐやめた。音が返ってこないという点以外は、いつも山に、東京の地下スタジオや、行ったこともない海外のスタジオを仮想しなければならないことに気がついた。海までも車ですぐで、よく行くのだが、目の前のきれいな海ときれいな空気はもう慣れてしまっていて、何か気持ちを焦らせるような幼少期体験にも似たものが喚起されない限りは、山と同じで舟歌が聞こえてくるだけで、すぐに踵を返すことになる。調子が悪いと寧ろ記憶を退化させることもある。
そういうことがわかってきただけまずまずだろう。大分で唯一の人間に会う機会で楽しみなのが、アンタトロンディアというアフリカンチームの練習だ。10年以上アフリカの太鼓とダンスを続けている彼らは、アフリカン以外の音楽活動を行っているわけではない、いわばアフリカンのスペシャリストだ。そこが僕からしたら変態的で最高だ。話を聞くと、長野まで軽自動車に女性4人と太鼓詰めて一晩でたどり着き、7時間のワークショップを5日間受け、その間毎晩酒を浴び、大分まで帰ってきたこともあるらしい...。僕がドラマーだというのは一切関係なくて、彼らのバイブスを真っ新な気持ちで習うことができる。そういう説得力が彼らにもアフリカンにもある。先週は、地元の山奥で、もう一つの大分のアフリカンチームであるBENKAN主催のアフリカンイベントが行われて初めて参加した。Ibe&David kouakouの太鼓とダンス、また同じようなアフリカンのスペシャリスト達が九州中にこんなにいたのかと驚いた。
個人的な意見だが、アフリカのリズムを身に付ければ付けるほど、ドラムにいい影響を与えてくれるし、音楽的なアイデアも豊かにしてくれるような気がする。時間の中で洗練され理にかなった隙間を抜き合い、またどこかで出会うリズム。圧倒的なリズム的ビット数とエネルギー。それは民謡や舟歌のように傍にはなかったので、学ばせていただいてもいいだろう。
思えば、グリズリー・ベアの『Painted Ruins』は、アフロを、直接的でなくリスペクトをファクターとして浮かび上がらせているところが面白かった。アフリカぽいキメがある、訛っている、エネルギーのままにセッションする、という点ではなくて、長いループと短いループの中で感じる長くとか短いでない大きなエンジンに乗せられているようなリズムを、シンプルなままポップスに持ち込んだのは、聴いていてまず気持ちよくしてくれる。少し覗いてみると、割とスクエアにやっているし、ループ感は曲に寄り添って長短を変えながら自由に展開していく。あからさまにではなくその展開に合わせて静かに燃えていくその聞こえ方はやはり気が利いている。続けることで気づいたら気持ちよくなっているというのはアフロの最も好きな点であるのだが、それをポップスに持ち込んだ作品は聴いていてなんだか嬉しくなった。アフロの巨匠トニー・アレンの新譜『The Source』はもう圧巻。どこまで曲に寄り添うことができるんだという、フレージングとエンジン。よく聴くと全部フレーズが違うし、それなのに全部トニー節を感じる。懐が深すぎる。新譜のラーナー・ノーツか何かで最近知ったのだが、トニー・アレンは子供の頃からパーカッションに行かずにドラムだけやってきたらしい...恐ろしい。日本のAfro Begue も『Sautat』という作品としても素晴らしいアルバムを今年発表した。
先週gonnoさんとのプロジェクトのプリプロ作りのため一日だけ東京に行った。アフロのリスペクトとファクターをキーに、僕らのグッド・バイブスを目指す作品のレコーディングは年明け早々になりそうです。よいお年を。