Home > Regulars > 打楽器逍遙 > 8 イン・サークルズ
リンゴ・スター、チャーリー・ワッツ、ジョン・ボーナム、レヴォン・ヘルム…ロック・ドラマーのコピーから始まった僕のドラム遍歴は、早々と「なんか違う」というところに座礁してしまい、だったらレコードにでも浸ってぷかぷかしていればよかったものの、パーカッションに出会ってやっぱり藻掻くこととなった。レコードのなかのドラマーたちがジャズに影響受けているとか語っているし、部室がかなり自由に使えそうだったから大学のジャズ研に入ったものの、全然スイングしないことをジャズとJ-POPしか聴かない閉鎖的な輪になんて入れるものかなんて責任転嫁して、レコードを漁り倉庫で太鼓ばかり叩いていた所謂ジャズ落第生のまま卒業。それなのにその後も2,3年は寄生虫のように部室で練習する有様。だから、ローラン・ガルニエが自身のラジオで、先日発売したGONNO×MASUMURA『In Circles』を、「ジャズとテクノのハイブリッドだ」と紹介してくれたことは嬉し恥ずかし……。
「なんか違う」というところをクリアしたかったのは、ロック・バンドに参加してアルバムを作りたかったからで、それは、どうしてもどうにかしないといけないこと、をクリアしないといけないという青春気分から出ないものからで、シェイカーを振ると点ではなくて「シュー」とずっと音が鳴っていることに気づいたときに“なるほど”と、どこかひらめきめいたものを感じたことと、はっぴいえんどに学んだ「オリジナリティを勝ち得るためのルーツからの発進」がリンクした時点で長い道のりは始まってしまい、その過程で時間的にも気分的にも青春なぞ当に過ぎてしまった。ドラムのルーツでありそうなパーカッションからドラムに孵化することができたときには、曲は誰かに任せて、唯一わだかまりなく自分たちのルーツと思えた日本語で歌ってもらえばいいと考えたわけである。だから、いま結果的にドラムと作詞をしているのは誰かに憧れたわけではない。そう理由付けてみたものの、どちらも続けることができたのは、単に肌に合うところがあったからで、出鱈目に練習しながらも、理解半分本を読み漁っていたのも、どこか血行のわるいところをほぐしてもらっているような気分に浸っていただけなのかもしれない。そして、出鱈目を矯正してくれた何人かのパーカッショニストらには感謝しかない。
そんな遍歴のいつか、10年近くも以前に、前回も登場したAと部室でトニー・アレン研究会をしたことがあった。Aに聴かされたときとても衝撃で、止まらずに流れつづけること、多彩なフレーズのなかにシンプルなエンジンが見いだされ踊れること、そこから来るリズム的説得力、その上でドラムという楽器で喋ることができること、そもそもパーカッションではなくドラムという楽器、とそのとき欲しかったもののすべてがあった。8ビートに孵化する前にここを通らないわけにはいかないと感じた。早速ふたりでコピーがはじまった。はじめはこれ本当にひとりで叩いているのかと、全然にモノにならないは、そのうち頭がどこかわからなくなるほどだったが、まずはバスドラとスネアの関係だけ捉えよう、次にハイハットと左足、くっつけよう、すべての音が繋がっていて、よくできている! すぐにできていたらきっとワン・フレーズとしてしか残らなかったであろう。右手、左手、右足、左足に四人のドラマーがいると語るアレンの凄まじさの断片に少し触れた気がした。彼らはたしかに自在にアンサンブルしている。Aとリンクしたのは、トニー・アレンとスピリチュアル・ジャズで、ロイ・ブルックスの話で盛り上がり、スティーヴ・リードを教えてもらい、一緒にサン・ラ“ニュークリア・ワー"を聴いた。パーカッションは教えてもらうばかりだった。
別冊ele-king『カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』でも書かせていただいたが、トニーのドラミングのルーツはパーカッションではなくて、ジャズとりわけバップ・ドラミングだったようだ。子供の頃パーカッションに行かずドラムに行っただけでも驚きなのだが、トニーとジャズに夢中だったフェラ・クティが当時ナイジェリアで断トツに流行っていたハイライフを新しい形で発展させることによってアフロ・ビートを発明した。(余談ですが、それを聞いて、現在たまーに大分で活動する際は専らジャズなのですが、ヒーヒー言いながら真摯に取り組むようになりました……。)
GONNO×MASUMURAでは、そんな遍歴の途中のことを前面に出させてもらっている。GONNOさんと出会ったきっかけは『ロンドEP』で、あの曲はブラジルっぽいリズムと言われることもあるが、スティックをブラシに持ち替え、右手をハットからスネアに移して、トニーに倣ったリズムを叩いているし、また、編成的にも参考として上がったキエラン・ヘブデン&スティーヴ・リードが、あのスティーヴ・リードだったこともあり、自然とそういう方向性になった。キエラン・ヘブデン&スティーヴ・リードを教えてくれたのは実はGONNO×MASUMURAの発起人でもある野田さんで、障子の目から覗かれているような気がしたものだが、ちょうどそのレコーディング中に教えてもらった最近のUKジャズに、僕はいま、一方的な視線を送っている。つづく