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11 上野日記 - ele-king

 10/25
 京成上野駅のすぐ裏に当たる不忍池の東側から、ベンチに座って窓明かりが消えかかる対岸の建設中のビル群を眺めることが日課となってしまった。元来打ち上がることや、なにかをやりきった雰囲気が苦手で、ここはそういうものから逃げ込む場所になりつつある。
 大分に住んでいることを忘れるかけるほどには長い間東京にいることになりそうだ。今年10往復目の今東京滞在は、いろいろなことが重なって、途中わずかの期間大分に戻ることはあるものの、4ヶ月程になる。この生活に当たってLCC以上の恩恵に与っているのが上野の家で、戦前に建ったとも聞いたそれは義父の実家に当たり、長い間様々な人間が都合に合わせて住んできた場所で、自分も大分に移る直前の一年間暮らし、その後の楽器倉庫と東京滞在の寝床として使わせてもらっている。ここが来年2月いっぱいで使えなくなりそうなことも今滞在を延ばす一因なのだが、ここを拠点に音楽ばかりをやるのは随分久しぶりのことになりそうだ。
 久しい間、途切れない流れるリズムはなにか、それさえあれば普段考えていることがリズムに流れ込んで音楽に参加できるだろうと思っていた。そんなことは「当たり前」のことにしてしまわなければいけないと思い直して30代が始まって、既に2年が経つ。今日のOkada Takuro Bandのリハ音源をベンチで聴いていると、どこか物足りないドラムだ。ドラムだけを聴いたらそれなりだけど、ハットをキープだけに使うことと、周囲の音の聴き方が面白くない。トニー・アレンもエルヴィンも4肢を駆使してプレイすることでドラムを押し拡げてきた。最も器用に動くはずの右手をキープだけに充てるのはもったいないし、右手の動きに対しての他の動きが制限される節がある。フレーズで覚えるのではなくて、フレーズを作り出せる程ウゴくようにしておかないといけない。音は聴かないといけないけど、聴いて合わせれば微妙なタイムラグがうまれる。カウントから我先にスタートするベイシー楽団を思い出した。ラス・カンケルもCSN&Yのライブで自分のリズムを固持しているじゃないか。あれは、はまっているとも思えないが、James Taylorのときは、後ろからやってくる歌とギターに対して有効で独特のアンサンブルを勝ち得ている。もしくは、リーランド・スカラーのプレイに与るところが多いのだろうか。
 新しいことをはじめたいにしても、結局「当たり前」のことを進めることに戻ってくるのではないか。早速岡田から無言の参考音源が届く。Noname"Blaaxploitation"の胸の辺りでリズムを感じたまま16分ハットを刻むのだが、切れよくハットを空けて閉じたりやブレイクをうまくフレージングしているのなんてよく気が利いている。Sly&The Family Stone"In Time"ほどフレーズをマニュアル化せずに、音楽を邪魔しないドラミングはあまり聴いたことがない。相当考え込まれているのだろうが、やはりアルバム『Fresh』全体にそう浸透しているとは言い難く、それなりに根気のいる作業だったのだろうと妄想する。
 Joe Henryにおけるジェイ・ベルローズも思い出して聴いてみる。もう少し即興的だが、楽曲に合わせて展開させるドラミングとしては最高峰に思う。缶ビールが進むにつれてそんなことどうでもよくなってスライ名曲試聴会と成り果てる。

 11/3
 まず10日ほどの東京滞在を終え1週間だけ大分へ帰って来た。東京で気づいたことをモノにさせるに当たって大分の山はわるくない場所だ。しかし、これまでの10日間も、また東京に戻ってからの向こう1ヶ月もよく埋まったものだ。それぞれの準備はそれぞれの時間にやるとして、音の返ってこない山練習の醍醐味である最大出力のアップに勤しむ。Ivan Lins"Quadras De Rodas Medley"で四肢を自由にしてもらい、NonameとSly&The Family Stoneにアイデアを、Eugene McDaniels"The Lord Is Back"にガシガシ前にいる感覚を伝授してもらう。時代も場所もめちゃくちゃだけど、「ソウルフルな音楽か、リズミックな音楽かどうかってことがすべてなんだしさ」と語るカマール・ウィリアムスよろしく、どこか繋がっているような気分になる。この大分の期間でアフリカンチームの練習とサバール研究会も1度づつできたのは幸運だった。これらは僕にとって、リズムの発信以上に、リズムを捉える力を与えてくれる最良の行為だ。

 11/8
 東京に再度着いて早速Okada Takuro Bandのリハを終えたら、岡田とベースの新間さんが上野の家にやって来た。相変らずレコードを漁っているのだが、どうも大分の家で1人で聴いていても調子が上がらない。誰かと音楽を聴くと、相手がどのように聴いているのか自然と伝わってくるから面白い。定期的にそういう機会があれば、無言の参考音源もよく喋るように感じるし、部屋で1人で聴くことも楽しめる。
 そういえば、昨日成田空港から直接向かった新宿のレコード屋で、ブラジル音楽のバイヤーの江利川さん、筋金入りのコレクターのルーシーさん、母船の墓場戯太郎さんにたまたま会った。それぞれのバイブスが音楽を聴きたくさせてくれるので、今日に至ったところもあるのだと思い返した。それはそのあと飲みにいったダニエル・クオン、マルチプレーヤーの芦田勇人も同じ。上野駅に着いて、飲み屋街に紛れたい気持ちを押さえて、不忍池へ。対岸のビル群の明かりもほぼ消えてしまったなかで、イヤホンから流れる音楽を聴くにあたって、こちらのほうがよかったと思う。聴きたくて聴く機会は思っているほど多くないからだ。

 11/10
 水面ラジオという名のレコード試聴会で足立小台のブリュッケへ。ポール・モチアンのドラミングだって3時間も集中して聴いているとなじんでくる。いや、どう考えても真似できないのだが、やはり音楽は誰かと聴いたほうがよいと思う。「降りてくる感覚をそのまま絵に描くかのようなドラミングを'ジャズ'が支えている」という感想まで浮かんだけれど、どこか足りない気がする。町家で投げ銭分少し飲んで、明日のOkada Takuro Bandの準備のため足早に帰宅。終えてみるとやはりいつも通り上野公園へ。3月以降それもできなくなると思うと、無駄じゃないような気さえしてくる。

 11/11
 Okada Takuro Bandのライブを終えて、小雨が降るのを気のせいにして不忍池へ。GONNO×MASUMURAに向けてクラブ・ミュージックとスピリチュアル・ジャズを聴く。Kieran Hebden×Steve Reidは確かにこのプロジェクトに当たって、大きな知恵と予想図を与えてくれたけど、やはり以前から知っていた『Nova』でのドラミングはよく喋る。「迸るエネルギーがリズムにまで表象されるドラミングが'ジャズ'を突き破っている」という感想もまた缶ビールともに適当に流し込んで、最近お気に入りのFolamourにスクロール。イヤホンで目の前が不思議に映るのなら悪くない。GONNOさんとは、アルバム制作のあと、初めてのライブ、切り込んでみるライブ、リラックスしてみるライブとしてきて、来週4回目のライブはそれらのグラデーションを付けることができそうな感触がある。そういえば、GONNOさんとの演奏前は不思議と淡い夢を見ることが多く、演奏中はとかくいろんなことを思い出す。

 11/17
 昨晩名古屋vioでのGONNO×MASUMURAのライブは7曲演った。5曲目までは、グラデーションを付けながら様々な局面を提示して、あとは自由に楽しんで欲しかったし、それなりの感触もあった。行きの沼津から名古屋の間GONNOさんに運転を任せているとき、後部座席で信じられないほど気持ちのよい眠りについて、数え切れないほどの夢をみたのだが、ライブ中それを思い出す瞬間があって、そんなもの別に求めてもいないのだが、感触と照らし合わせるといい状態のひとつではあるようだ。6曲目"Circuit"は、この場を借りて最大出力の実験とさせてもらって、手足絡まること覚悟でブーストしてみた。結果山からやり直そうと誓う始末だったが、チャレンジがないと進歩もない。7曲目"Missed It"は踊らせることだけ。フロア帯同率は1番だったとか。このプロジェクトでは、リズムだけでも面白いということを自分なりに提示すべく4つ打ちライクのルールから外れないよう、5(7)拍子を2拍5(7)連や、2小節で5(7)発バスドラムを均等に打ってみたりしたのだが、演奏後のクラブ体験から察するに、決して無駄ではなかったにしろお互いまだ歩み寄る隙間があるようだ。そのうちお酒も回ってどうでもよくなったし、どうでもよくなってもらえたらそれでいいじゃないかとホテルに帰った。
 戻りの車内は格好のDJスペースで、エンジニアの葛西さんも交じって昨日の続きのようだ。トニー・アレン元ネタのよくやるプレイがあるのだが、その曲を聴かせると、GONNOさんが「元ネタはリラックスしていますね」と漏らす。
 ドラムを叩くと、瞬時的にフィードバックがある。今日のタイムは悪くない、体のテンポはこのくらいだなと、リラックスして叩き続けられることもあれば、小さなことが重力を加えてきて、リズムに乗れず叩くことをやめてしまうこともある。いずれにせよ、意志ではなくて、まずリズムの少し強引な力が働く。叩き続けることができていても、いつの間にか意志が大きくなり、リズムに抵抗してしまって身の程を知らされることもあれば、一度叩くことをやめてしまっても、その時に合った小さい音と力で、少しずつリズムに乗っていこうとすると、いつの間にか意志のスイッチが切れて無駄な重力がなくなっていることもある。
 GONNOさんの一言で、この「小さい音と力」でも太鼓が鳴るという当たり前のことに気がついた。太鼓を下の方からしっかり鳴らす、最大出力を上げる、そういう今までやってきたことのバランスがなんらかのはずみで崩れると、ハットが鳴りすぎる、右手に頼りすぎる、ということに、往々にしてなる。最近、あるバンドのレコーディングにドラムセット一式をかして、ラフミックスを聴かせてもらったのだが、鳴りきっていないなと思うところある以上に、こんなにリラックスしてシャープな音が出るのかと関心してしまったこともあった。自分の楽器だからよりよくわかる。上野の家に着いてからは夢も見ずに泥のように寝た。

 11/24
 FolamourのDJを体感しに青山Ventへ。レインボー・ディスコ・クラブ、名古屋vioと出演でのクラブ体験はあったが、純粋なそれは初めて。幼少期ギターとドラムからスタートしたという彼の音楽は、確かにクラブミュージックにあって驚くほど生の躍動が伝わる。『Umami』では、「クラブミュージックとホームミュージック、踊っている時と考えている時、憂鬱と楽しさそれぞれを表現したかった」作品なところも分け隔て無いファンを勝ち得ているところだが、かなり深酒していたこともあって、やはり後半はどうでもよくなって、見知らぬ黒人女性と踊り狂った。
 昼に酔いざめ特有の悪夢で目を覚ましたが、音楽の多様性を示唆するDJの仕事を思い出して、レコードの処理は、それを必要とする他のリスナーに譲ることになるから、傍に置いておくよりよいかと思い至る。オリジナルでわざわざ買い直す作業はどうしても続くが、その分安価なリイシューや日本盤を処理すれば多少役立てるだろう。しかし、どうだろう、サブスクでなんでも聴けるから、聴くためだけの安価なレコードに手を出さず、何度も失敗せずにとも、初めからオリジナル盤を狙う例えば高校生がいるとしたら末恐ろしい。

 12/9
 水面トリオ、影山朋子バンド、OLD DAYS TAILOR、ツチヤニボンドのライブ、ニカホヨシオ、GONNO×MASUMURA、伊賀渡さんとの録音などしていたら、不忍池もコートを着ないとベンチに座っていられない季節になっていた。それらの合間にFolamourとToninho Hortaを観て、Laurel Haloは諦めてしまった。
 午前中からダニエル・クオンが上野の家にやって来て、キッチンにドラムセットを拡げて録音。掟破りのハンドマイク録音は、2人でヘッドフォンをしながらマイキングを聴きながら、すでにミックスが始まっているかのようだ。シンバルにマイクを近づけるとこんなに低い音が出ているのかとか、家での録音なので自然小さい音になるのだが実はこれで充分鳴っているじゃないかとか、リズムに幅があってわざわざ針の穴を通さなくても波に乗れば気持ちいいことなど感じられて、この期間に感づいていたこととどこかリンクする。ドラムを叩いているというよりは、相変らずナイトメアに犯されながら浄化されることのないまま次々飛び出す掌編的な曲の断片になっていくようで面白い。ムードは重くなく発生地点と矛盾するような気楽さが包み込む。1曲生ピアノと複数の声だけのディープトラックがあったが、それを僕に聴かせながら他人事のようにずっと笑っていたこともそれを物語っていた。送る車内で、なにか思い出したかのように「Life...ジンセイ」と漏らしたら、車を降りて新宿の雑踏の中に消えていった。


メアリーの総て - ele-king

 クリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』を観て4ヶ月後に封切られたジョー・ライト監督『ウィンストン・チャーチル』を観た方は驚いたんじゃないでしょうか。僕は驚きました。ドイツ軍に追い詰められたイギリス軍がフランスから撤退する経過をフランス側から描いたのが前者で、まったく同じ一週間の間にイギリスの議会で起きたことを扱ったのが後者でしたから。指示を待つ側の苦しみと指示を出す側の事情がそこで初めて結びついたわけで。多分、まったくの偶然で、テーマ的にも補完性はないし、どちらもある意味で駄作だったから歴史の勉強にはなったけれど、それだけのことだといえばそれまでなんですけれど(『ウィンストン・チャーチル』に関しては日本では辻一弘の特殊メイクに話題が集中し、実際それは大した出来栄えだったものの、ありもしない地下鉄のシーンがやはりインド系の方々の逆鱗に触れて欧米では批判の声の方が強烈だった)。同じようにハイファ・アル=マンスール監督『メアリーの総て』と1ヶ月遅れで公開されるビョルン・ルンゲ監督『天才作家の妻』も驚きます。前者は『フランケンシュタイン』を書いたメアリー・シェリーの前半生を描いたもので19世紀前半が舞台、後者は現代の話だというのに、それはまるで続きもののようだったから。それこそ連続で観てしまうとこの200年はなんだったのかという虚しさが倍増し、人類というものに愛着が薄れてしまいかねない。だからメアリー・シェリーは『フランケンシュタイン』を書いたのだと言われればそれまでなんですけれど。

 父親が経営する書店で、その後妻に疎んじられながら、家の手伝いをしたり義姉と遊んだりしているメアリー。イギリスではフェミニズムの先駆とされる実の母親、メアリー・ウルストンクラフトはすでに他界し、残された著作の中にしか母親の痕跡を見つけることはできない。体の弱いメアリーは義母から逃れるためにスコットランドに静養に赴き、ロマン派の詩人、パーシー・シェリーと出会う(これは必ずしも史実ではなく、全体的にストーリーは端折り気味)。パーシー・シェリーは結婚していて子どももいる。そして、彼はメアリーの父親、ウイリアム・ゴドウィンのアナキズム思想に傾倒している。導入部はややこしい人間関係と彼らの心の動きを実に手際よく紐解いていく。パーシー・シェリーとメアリー・シェリーがどのように結びつき、関わりあっていくかがひとつめの軸となる。そして、嫌なことがあると墓場に行って三文小説を読みふけるメアリー。父も母もいわば高尚な思想の持ち主で、B級小説にうつつを抜かす姿は見せられない。メアリーとシェリーは時代の寵児たるバイロン卿と交友を深め、これも史実ではないと思うけれど、カエルの死体に電気を通して足が動く様を見せるショー(「ファンタスマゴリア」)などに出かけて行く。これがフランケンシュタインの怪物に命を吹き込むプロセスのアイディアに結びつくなど、ふたつめの軸はメアリーの創作過程に迫る部分である。実は「ファンタスマゴリア」のシーンまで、メアリー役はエル・ファニングじゃなくてもいいんじゃないかと思いながら僕は観ていたのだけれど、このシーンでファニングが見せる表情はまさに「ひらめき」を表しているとしか言いようがなく、ここからは完全にファニングのペースでしか観られなくなってしまった。『フィービー・イン・ワンダーランド』でトゥレット障害を持つ小学生の役を演じたファニングは以後、エキセントリックな少女の役をやらせたらほかに敵うものはなく、最近では『ネオン・デーモン』や『パーティで女の子に話しかけるには』などで際立たせた「ヘンな女」の存在感をそのままメアリー・シェリーに注ぎ込むことでSF作家の元祖とさえ言われる女性作家の誕生を見事に演じきったという感じ。


 ハイファ・アル=マンスール監督が、そして、この作品をメアリー・シェリーにまつわる史実よりも「女性作家」というテーマに絞り込んだことはいやでもストレートに伝わってくる。アル=マンスールは3年前にようやく女性に参政権が認められたサウジアラビア出身で、デビュー作は小学生の女の子が自転車に乗ってはいけないという慣習を覆す『少女は自転車にのって』であった。女性も大学に行くことが認められ、今年に入って初めて女性も映画館に入ってもいいことになったというほど差別されていた女性たちにアル=マンスール監督が『メアリーの総て』をぶつける意図はあまりに明らか。メアリー・シェリーという題材を通して、彼女はサウジアラビアの女性たちに自分と同じように文化活動に手を出して欲しいのである。それはもうシンプルなことこの上ない。メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』の着想を得た背景を論じるものの中にはメアリー・シェリーは子どもを産みたくなかったので人造人間によってそれに代えようとしたという説もあったりするけれど、アル=マンスールはそうした解釈をまったく視野に入れていない。あくまでも男性たちの横暴な振る舞いがあり、それに抗う女性の創作活動に重きが置かれている。それこそそうした主題からはずれてしまうメアリー・シェリーの後半生もすべてカットされているので『メアリーの総て』という邦題はあまり適切ではないとも。アル=マンスールが描くのは女性が書いた小説を女性の名前で出版することが19世紀前半のイギリスではどれだけ難しいことだったかということに集約され、史実ではパーシー・シェリーが溺死してから彼女を取り巻く物事に変化があるということもここでは無視して話は進められている。物語の結末は完全なる創作で、これは男性の役割に大きな変化を期待しているというメッセージだと受け止めればいいのだろうか。男性が考え方を変えてくれれば、こんなにも世界は女性たちにとって住みやすいところになるという希望的なエンディングを甘いと切り捨てるのは少し酷ではないかと僕には思えたというか(史実ではパーシー・シェリーもメアリー・シェリーも早逝で、この作品とはまったく別種の信頼関係を保っていたように伺える)。


 ビョルン・ルンゲ監督『天才作家の妻』はジョナサン・プライス演じる小説家、ジョセフ・キャッスルマンのもとに電話がかかり、「あなたがノーベル文学賞を受賞しました」と伝えられるところから話は始まる。タイトルだけで、大体、想像はつくと思うけれど、実はキャッスルマンの作品は本当は妻が書いていたのではないかという疑惑を誰もが抱き、実際、クリスチャン・スレーター演じるナサニエル・ボーン記者がキャッスルマン夫妻を追ってスウェーデンの授賞式に乗り込んで行く。『フランケンシュタイン』も初版は匿名で出版されたために夫のパーシー・シェリーが書いたものだろうと噂が立ったわけだけれども、『天才作家の妻』ではその図式はもう少し複雑に入り組んでいる。そして、その核心にはなかなか辿り着かない上に、ノーベル賞の式自体やそのリハーサルがなかなかに面白く撮られていて、クライマックスへゆっくりと突き進むプロセスはとても巧妙だった。そして、パンフレットの解説などでは一義的な解釈で埋め尽くされていたものの、最後の争いの最中に断片的に聞き取れるセリフから真実を推測するのは観客自身であり、ある意味、そこから観客同士(できれば男女)で論じ合うのが本番かもと思うような展開が訪れる。(以下、ネタバレ)僕は初めから共作の名義で発表すればよかったじゃんよとしか思わなかったし、そうはできない事情があったとしたらそのことも描くべきだったのではないかという意見を持ったのだけれど、さて、皆さんはどうでしょう。ちなみにこの作品でメタ的な皮肉になっていると思うのは、妻を演じるグレン・クローズはかつて『ガープの世界』でフェミニストの運動家を演じ、彼女が脚本も手がけた『アルバート氏の人生』がかなりの傑作であったにもかかわらずアカデミー賞を取ることは叶わず、これまでに6度もノミネートだけで終わっていることにある。グレン・クローズにオスカーを与えなかったことがそのまま映画化されているような作品ではないかと。また、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したということもあって、ジョナサン・プライスの演技があまりに上手いために、もしかしてノーベル文学賞なんてなくてもいいかもと思ってしまうようなところもこの作品の妙味ではある。ちなみにノーベル賞は女性にはほとんど与えられていない。


『メアリーの総て』予告編

『天才作家の妻 40年目の真実』予告編

Matmos - ele-king

 2018年のトピックのひとつにIDMのクィア化というのがありましたが(ソフィーロティックサーペントウィズフィートイヴ・トゥモア……などなど)、そのルーツのひとつにビョークの存在が大きくあり、そして彼女のエレクトロニカ期を支えたのがIDMシーンの愉快な実験主義者=マトモスでした。作品ごとに風変わりなコンセプトを打ち出してきたマーティン・シュミットとドリュー・ダニエルのふたりは公私ともに長く付き合っているゲイ・カップルであり、様々な意味で現在に続くエレクトロニック・ミュージックの先駆者であることは間違いないでしょう(古今東西の実在のクィアたちの“サウンド・ポートレイト”である『The Rose Has Teeth in The Mouth of A Beast』を聴き返してみましょう)。
 そんなふたりが、彼らの記念日を祝ってニュー・アルバムをリリースすることを発表しました。はたしてそのテーマは、プラスチックです!

 タイトルは『Plastic Anniversary』で、いろいろなプラスチック製品やそのゴミを鳴らした音で作り上げたものだそう。前作『Ultimate Care II』が洗濯機の鳴らす音で作ったアルバムであったことを思い出せばその連続性も窺えますが、それ以上に、本作の背景に現在世界で大問題になっているプラスチック製品のゴミによる環境汚染があることは明らかです。リリース元の〈スリル・ジョッキー〉のプレス・リリースによれば、プラスチックが持つ“環境破壊の力”について考察したものであるそうです。今年のG7サミットで発表された「海洋プラスチック憲章」ではプラスチック製品を減らすことがかなり厳格に提唱されましたが、それにアメリカは署名しませんでした。つまりこれは非常に政治的なテーマを持つ作品であり、トランプ政権への異議申し立てをこのような独創的な手法でやってのけてしまうマトモスはさすがと言うほかありません。
 アルバム制作のトレイラー映像ではプラスチックのゴミをドンドンと叩いて録音するふたりの姿が確認でき、それがマトモスらしいファンキーでファニーなIDMへと変貌していく様にはワクワクしてしまいます。

 え? G7のプラスチック憲章に署名していない国がもうひとつあるじゃないかって? そうでした。それはもちろん、日本です。だからこそ、『Plastic Anniversary』は日本の音楽リスナーも現在の社会を考える上で、あるいはわたしたちに何ができるかを想像する上で必聴のアルバムとなるでしょう。

 トラック・リストには“Thermoplastic Riot Shield”といったタイトルも見えますが、警察がデモと対峙するときに使うプラスチック製のライオット・シールドの奥でふたりがキスをしている最新のアーティスト写真も、知的かつユーモラスに示唆的で最高です。ディアフーフのドラマー、グレッグ・ソーニアもゲスト参加しているとのこと。
 毎日大量に発生するプラスチックのゴミと向き合いながら、リリースを待ちましょう。 (木津毅)

Matmos
Plastic Anniversary
Thrill Jockey
March 15, 2019

Tracklist
01. Breaking Bread
02. The Crying Pill
03. Interior With Billiard Balls & Synthetic Fat
04. Extending The Plastisphere To GJ237b
05. Silicone Gel Implant
06. Plastic Anniversary
07. Thermoplastic Riot Shield
08. Fanfare For Polyethylene Waste Containers
09. The Singing Tube
10. Collapse Of The Fourth Kingdom
11. Plastisphere

ハテナ・フランセ - ele-king

 ボンジュールみなさん。今日は「ジレ・ジョーヌ=黄色いベスト」のデモについて。日本のメディア でも大きく取り上げられているが、私なりの解釈をお話ししたく。
 このデモを端的に表現すれば、富裕層の方しか向いていないマクロン政権に対して溜まりに溜まったフランスの低所得者層からの怒りの発露、と言えるのではないだろうか。12月8日で4回目となる「ジレ・ジョーヌ」のデモは、装甲車も出る非常に物々しい雰囲気の中、パリだけで1082人、フランス全土で2000人近くが拘束された。これまで「ジレ・ジョーヌ」のデモで拘束されたのは4500人に及ぶ。この数字だけ見ると日本でもよく報じられているとおり、デモ隊が暴徒化したと思われるかもしれない。実はそのほとんどがデモ隊が暴徒化したものではない。昨今の色々なデモによく出現する「Casseurs=壊し屋」と呼ばれる輩が、「ジレ・ジョーヌ」の人々に紛れて破壊、略奪行動に及ぶのだ。もちろんデモ隊が機動隊と衝突して、投石などの暴力行為に及ぶことはある。だが、拘束された中には相当数の「壊し屋」が入っている。12月8日のデモ当日、マクロン大統領の率いる「La Republique en Marche=共和国前進」党の女性議員の車が燃やされた。彼女は「“ジレ・ジョーヌ”のこのような蛮行は許されない」と涙ながらにメディアで訴えた。だが、放火犯が捕まっていない時点で、放火犯を「ジレ・ジョーヌ」の仕業と決めつけるのは、 明らかな情報操作だ。
「共和国前進」党議員は、その党首のように若く政治経験がない議員がほとんど。そして他党の議員よりずっとまとまりがいい。マクロン大統領の政策を闇雲に押し進めようと全力を尽くす彼らを見ていると、どう見てもマクロン親衛隊にしか見えない。国民議会はそのマクロン親衛隊が過半数を占めている。そしてマクロン大統領誕生以来、国民議会では専制君主型政治が行われてきた。
 若い、ハンサム、高学歴、議員経験なしだが企業経験あり、妻は25歳年上の元恩師、流麗なフランス語での演説、など全方位隙のない優等生型政治家に見えるマクロン大統領。だが、当選前から「デモクラシーには王のような絶対的な存在が必要」と言っていたことからも伺える通り、自分がナポレオンや絶対権力者太陽王に例えられるのを肯定的に捉えているのではないだろうか。就任以来、過半数議席を誇る自らの党に物を言わせ、富裕税を廃止、解雇が容易になるよう労働法を改正、低所得者層の家賃補助の減額などを採択。議会で十分な議論がおこなわれることもなく、強引な改革を推し進めてきた。時には大統領令も駆使しながら行われた改革では、金持ち優遇政策が目立つ。
 マクロン大統領が生まれた背景は、実はある意味トランプ大統領のそれと重なるところがある。「働かざる者食うべからず」と堂々と言ってのけたサルコジ前々大統領。その拝金主義的政治姿勢と下品な人柄に国民は辟易した。その後に就任したのは、社会的弱者により目を向けた政策ができるはずだった社会党のオランド前大統領。だが、その優柔不断さにより経済面でも社会面でも国政を恐ろしく停滞させた。連続したダメ大統領に、国民は「右も左もダメなのか」と政治への不信が高まった。そこで出てきたのが「右でも左でもない。これまでの既得権益にとらわれない新しい政治を進める」を標榜したマクロン大統領。つまり既存の政治への不信によって生まれた大統領なのだ。そしてその期待に応えるようにマクロン大統領は旧来の政治システムを壊し、政党や労働組合などの影響力をより小さくするべく精力を注いだ。そして富裕層を優遇し、そこから景気の底上げをし、それが低所得者層まで行き渡るように経済を立て直す、という政策をはっきりと打ち出した。だが、そのようなトリクルダウン効果は本当にもたらされるのだろうか。例えばフランスの大企業は、これまで税金対策に使ってきた慈善活動への寄付を、富裕税撤廃後大幅に減らした。
 貧富の差は広がるばかりで、今まで社会福祉に手厚かったはずの自国が新自由主義になりつつあるように感じる国民が多かったのではないだろうか。少なくとも、その流れに強引に持っていこうとしているのが大統領であることは、誰の目にも明らかだった。そして上品だが強権的な言動の裏には「愚かな国民たちよ、俺様の言うことを黙って聞いていれば良い」という太陽王ばりの尊大な意識が徐々に透けて見えてきたのでは。その王様への不満は、2017年年金改革時などにはまだ大きな波とならなかった。だが、今回の燃料税の引き上げがきっかけとなり、このマクロン専制君主政治に対してついにノンの声があがったのだ。しかも、マクロン大統領を作った流れと鏡像関係にあるような、従来のデモの形を覆す流れでもって。これまでデモは、労働組合が中心になって行ってきた。だが今回は、SNSを牙城にこれまでデモに参加してこなかったような、主婦や労働組合などに所属しない労働者などが多く参加している。
 その流れを組んでか、極右の「国民連合党」の党首マリン・ル・ペンはここぞとばかりにいち早くジレ・ジョーヌへの支持を表明。非労働組合員、非政党員が多いデモ隊の抱える不満を、まるで自分たちの言い分かのように取り込もうとしたのだ。その流れに少し乗り遅れた左派の「屈しないフランス」党。その中で唯一すぐに反応したのが「フランスのジェレミー・コービン(と言ってしまおう)」こと、フランソワ・リュファンだ。彼は議員給与を最低賃金分の1100€しか受け取らず、残りの3000€を毎月非営利団体に寄付している、私が知る限り唯一の議員だ。彼はマリン・ル・ペンの支持表明と違わなぬ早さで、「ジレ・ジョーヌ」が活動拠点としている地方の環状交差点に赴き彼らの話を聞いた。そして自らが主催する「 La fête à Macron=マクロン祭り(なんという皮肉とユーモア!)」という集会で、「ジレ・ジョーヌ」との対話を試みた。リュファンは最低賃金しか給与を受け取っていないが、自らを中流と捉えている。彼が「マクロン祭り」で試みているのは、低所得者層と彼らに共感する自分のような中流市民との架け橋になり、彼らを繋ぐことだ。これも従来の労働組合や政党員とは違った、新しい流れになり得るだろうか。
 12月10日にマクロン大統領はテレビ演説を行い「生活に苦しむ人々の痛みが取るに足らないものだと、私が思っていると受け取られたかもしれない。私の言葉によって傷ついた人がいるかもしれない」と神妙な面持ちと芝居がかった口調で語った。また、最低賃金補助(最低賃金ではない)を100€引き上げたり、残業手当を課税対象から外したり、年金生活者への課税を免除したりした。だが、低所得者層の怒りをもっともかっている一つ、富裕税の復活は否定された。こうしたマクロン大統領の提案に対し、「ジレ・ジョーヌ」は12月15日に第5回目のデモを決行。だが、参加者は前週より半減。このままこの運動は収束していくとみられている。
 アメリカと違い、フランスではアーティストはあまり政治的発言をしない。政治はアーティストが足を踏み入れる範疇にない、というのがフランスの一般的な認識のようだ。だが、ブリジット・バルドーやミッシェル・ポルナレフなど、もはや治外法権的立ち位置にいる元気な老人たちは「ジレ・ジョーヌ」への支持を表明。また、夏にBoobaとオルリー空港で乱闘したKaaris(1年2ヶ月の執行猶予中)も「ジレ・ジョーヌ」を支持。黄色いベストを着てインスタに「お前ら(警察)のあそこにジレ・ジョーヌ突っ込んだろか」と書き込んだ。フランス映画の傑作『憎しみ』の監督で俳優でもある、マチュー・カソビッツは、フランスでは炎上物件としても有名。その彼が「ジレ・ジョーヌ」でもやらかした。大統領のテレビ演説の後、極左の政治家フィリップ・プトゥに「おまえまだ不満なのか? ベンツの新車でも寄こせっての?」と噛み付いたのだ。またテレビの討論番組に出て「屈しないフランス」党の議員に「そういうあなたは去年まで富裕税を納めていたのでは?」と指摘されブチ切れ。「馬鹿馬鹿しい!お前はバカだ!バカ、バカ、バカ!」と子供の喧嘩のような姿を披露した。とはいえカソビッツの暴走はフランスでは日常茶飯事になっているので、失笑を買うくらいで済んでいる。
 フランソワ・リュファンはYoutubeのリュファン・チャンネルの番組で「ブラボー“ジレ・ジョーヌ”。あなたたちが暴走する政治を一時停止させた。市井のあなたたちがヒーローになった。敵がひるんだ時にはさらに攻勢をかけるんだ!」と抗議の声を上げ続けることを訴えた。果たしてこの新しい座組みの運動は、新しい太陽王の確固たる政治方針を変えることができるのだろうか。それともこのままフランスは、低所得者層を切り捨てた国へと邁進していくのだろうか。個人的には貧富の差撤廃に本気で取り組むリュファンのような政治家に大統領になってもらいたいと心から思っている。
 

ele-king vol.23 - ele-king

七尾旅人「過去を振り返りいまを語る」
2018年ベスト・アルバム30

特集:なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?
食品まつり/EARTHEATER/etc

音楽メディアにおける1年のクライマックス、
必読、2018年「年間ベスト・アルバム」号!

UKジャズの躍動にはじまり、カマシ・ワシントンに震え、OPNについて議論し、パーラメントに笑い、食品まつりに微笑み、ティルザやローレル・ヘイローに拍手し、ロウに唸りながら、トーフビーツのように走りながら、チャイルディッシュ・ガンビーノの『アトランタ』を見る……
2018年、これだけはおさえておきたい10枚+20枚=計30枚のアルバム。

そして2018年とはいったいどんな年だったのか……大検証します!

表紙・巻頭インタヴュー:七尾旅人

contents

表紙写真:大橋仁

interview 七尾旅人――過去を振り返りいまを語る (野田努/大橋仁)

2018年ベスト・アルバム30
(天野龍太郎、木津毅、小林拓音、髙橋勇人、野田努、三田格)
コンセプトの時代 (野田努)
パン、2018年の台風の目 (小林拓音)
右派寄りの歌と「FUCK YOU 音頭」 (天野龍太郎)
ロンドン発新世代ソウルの甘い香り (小熊俊哉)
フロアでかけて良かったもの、フロアで聴いて良かったもの (行松陽介)
ヴェイパーウェイヴは死んだか? (捨てアカ)
迷走を続けるカニエ・ウェスト (吉田雅史)
日本のラップ (磯部涼)
全世界日本化現象!? (坂本麻里子)
数年ぶりに活気づいてきたインディ・シーン (沢井陽子)
90年代リヴァイヴァルいまだ継続中 (野田努)
ヤング・ファーザーズが見せる新しい父性 (天野龍太郎)
音楽におけるジェンダーの問題 (巣矢倫理子)

Essential Charts 2018
(大前至、小川充、Ground a.k.a Gr○un土、Gonno、
 佐藤吉春、沢井陽子、食品まつり a.k.a foodman、捨てアカ、
 デンシノオト、TREKKIE TRAX CREW、Mars89、Midori Aoyama、
 村田匠(カンタス村田)、米澤慎太朗、RYUHEI THE MAN)

interview 食品まつり a.k.a foodman――アンビエントで踊れないなんて誰が決めた? (三田格/小原泰広)

特集:なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?
interview アースイーター──好奇心は無限の真実を解放する (野田努/青木絵美)
音楽を生命として考えること (髙橋勇人)
人間と非人間をめぐる覚え書き (小林拓音)
絶滅と共生の反人間学 (仲山ひふみ)
interview 篠原雅武――われらが内なるノン・ヒューマン (小林拓音)

2018年ベスト映画10
(木津毅、水越真紀、三田格)

CUT UP――2018年の出来事
フェミニズム (水越真紀)
地球温暖化、エコロジー、自然災害 (野田努)
国民投票から2年、「取り返すべき」イギリスとは何か? (坂本麻里子)
『ブラックパンサー』という兆し (小林拓音)
『ホモ・デウス』の流行が教えてくれること (白石嘉治)
マルクス・ガブリエルの賭金 (斎藤幸平)
2018年の小説を振り返る (佐々木敦)
韓国映画が浮き彫りにする日本の後進性 (三田格)
現代アメリカを映し出す近未来SFゲーム (木津毅)
DIYジェネレーションは理想にすぎない? (田口悟史)

人生、自販機でいいんですか? (栗原康+白石嘉治/中根ゆたか)

REGULARS――連載
東京のトップ・ボーイ 第2回 (米澤慎太朗)
地獄の解体に向けて (巣矢倫理子)
201H8をふりかえって (今里)
幸福の含有量 vol.2 (五所純子)
音楽と政治 第11回 (磯部涼)
乱暴詩集 第8回 (水越真紀)

アート・ディレクション&デザイン:鈴木聖

interview with Colleen - ele-king

 年末に刊行されるele-king vol.23では「non human」というテーマの特集を組んでいる。近年の音楽、とくにエレクトロニック・ミュージック周辺では、「人間以外」をテーマにした音楽が目立つようになっている。OPNが人類滅亡後の世界を空想したり、このご時世、ダーク・エコロジーを反映した音楽は少なくない。日本でもceroが動物たち(人間以外の生命)のことをテーマにしたり、少し前ではビョークが自然をテーマにしたり、そんな感じだ。詳しくはぜひ本誌を読んでいただきたい。ここではその予告編もかねて、去る11月に来日したコリーンのインタヴューをお届けしよう。

 だれかにもっとも美しい音楽を聴きたいと言われたら、ぼくならコリーンの『A Flame My Love, A Frequency(炎、わたしの愛、フリーケンシー)』というアルバムを差し出す。2017年の年間ベスト4位にした作品(ちなみにFACT MAGは2位)。これだけ消費スピードが速いご時世において、いまでも聴きたくなるし、じっさいいまでも聴いているたいせつな1枚だ。彼女が来日すると知って、これは取材せねばならないと思った。11月初旬のことである。
 もっともぼくにはほかにも推薦したいアルバムがもう数枚ある。2013年の『The Weighing Of The Heart(心の計量)』は間違いなくその1枚に入るし、2015年のダブにアプローチした『Captain Of None 』も、初期の作品では『Les Ondes Silencieuses(沈黙の波)』もぼくは好きだ。ヴィオラ、チェロ、クラシックギター、こうした弦楽器の音色とエレクトロニクスとの有機的な絡み合いから生じるおおらかな静寂が彼女の音楽の魅力である。

 コリーンことセシル・ショットは1976年パリ郊外で生まれ、2年間イギリスで暮らし、そしてパリに移住し、現在はスペインに住んでいる。日本には2006年の11月に来ているので、今回は彼女にとって12年ぶりの2回目の来日となるわけだが、彼女が泊まっているホテルは渋谷の公園通りを上がっていって少し脇道に入ったところにあった。通りの向こう側では、建設中のビルがインダストリアルなビートを打ち鳴らしている。なんともアイロニカルなシチュエーションだなと思いながらロビーに座って待っていると、彼女は爽やかな笑顔でやって来た。ぼくは彼女にいかに自分があなたの音楽好きかを説明し、2017年の年間ベストでは『A Flame My Love~』を4位にした旨を話ながら誌面を見せた。5位が坂本龍一の『async』であることを見ると、「FACT MAGでは坂本が1位でわたしが2位だった。知ってる?」と言った。それから「うん、ジェイリンが3位は良いね」「じゃ、1位はなんでしょう」とページをめくってコーネリアスであることを確認すると、ひとこと「わお、ナショナリスティック!」とおどけた。なるほど、こういうリアクションもあるのかとぼくは妙に感心した。

わたしは反消費主義。たとえば、服は全部自分で作る。(着ている服をつまみながら)これも、これも、このジャケットも自分で作ったものよ。基本的にショッピングとかしない人間なの。

渋谷は、世界でもトップクラスの過剰なまでの商業都市で、あなたの音楽性とは真逆の世界でもあるんですが、滞在していてどうですか?

C:答えるのは難しいな。渋谷でじっくり時間を過ごしたことがないから。商業地区は避けるようにしているの。できるだけミニマリストな生き方をしたいからね。わたしは反消費主義。たとえば、服は全部自分で作る。(着ている服をつまみながら)これも、これも、このジャケットも自分で作ったものよ。基本的にショッピングとかしない人間なの。だから渋谷や商業地域で時間を過ごすことがないから、そこがどうなのかわからない。この後、谷中や上野に行こうと思っている。わたしが好きでいつも行く場所よ。東京が魅力的なのは、たとえ渋谷や原宿でも路地裏に行けば低層の建物が並んだ、味のある街並みがまだ残っているところ。パリだとすべてが高い建物で覆われてしまって、小さい住宅はもうほとんど残っていない。わたしから見ると、東京にはまだいくつか孤立した穴場があって、木造の掘っ建て小屋のような個性あふれる風景が残っている。

あなたの音楽が好きなのは、ぼくがふだん見ている世界とは違った世界が見えるからなんですね。この世に感情がかき立てられる音楽があるとしたら、あなたの音楽は世界が広がる音楽なんです。たとえば『Les Ondes Silencieuses』のアートワークには植物や星や動物が描かれている。あなたは動物や風や珊瑚や砂の音楽も作っている。

C:それはわたしにとっては大変な褒め言葉ね。わたしにとってひとりの人間としての進化とひとりのミュージシャンとしての進化は完全に連動している。そのふたつを切り離すことはできない。そして歳を重ねるにつれ、自然をより身近に感じるようになって、生きていく上で欠かせないものになった。たとえば、『Les Ondes Silencieuses』の後、わたしは音楽面そして個人的にも重大な危機に直面して、しばらく音楽を作るのをやめた。あまりに早いペースで物事が進んでいると感じたから。そしてまた音楽を作りたいと思えるきっかけを作ってくれたもののひとつが他の表現方法に身を置くことだった。だから陶芸と石彫を勉強した。そしてもうひとつは、より純粋で素朴な生き方をすることだった。
仕事とプライヴェートのバランスを見つけるのに日々悩まされるわ。わたしにとってプライヴェートの生活のなかで調和をとるのに役立つのが自然と接することなの。だからバードウォッチングをするんだし(※彼女の趣味で、取材の前日は代々木公園で野鳥の観察をしている)。もちろん鳥が大好きだからなんだけど、自然のなかにいると、自分のことについて考えるのを忘れるのよ。自分のあるべき姿により戻してくれる。大きな宇宙のなかでわたしたちというのは本当にちっぽけな存在でしかないのに、日常のなかでわたしたちは自分たちのことに囚われすぎてしまう。だからわたしとって自然を愛すること、そして自然界に生きる動物たちは当たり前のもの、うまく説明できないんだけど、自分を癒してくれる存在なの。わたしは瞑想を実践してはいないけれど、自然のなかにいて自然を見ていると、瞑想しているみたいに思える。心を癒してくれる薬のようなものね。だから、宇宙のなかに存在する他の生き物たちの存在を音楽のなかに感じ取ってくれたのなら、それは本当に嬉しいことよ。

わたしにとってひとりの人間としての進化とひとりのミュージシャンとしての進化は完全に連動している。そのふたつを切り離すことはできない。そして歳を重ねるにつれ、自然をより身近に感じるようになって、生きていく上で欠かせないものになった。

あなたの音楽は、いくつかの生の楽器とエレクトロニクスとの融合だと言えますが、人間とテクノロジーの関係をどう考えていますか?

C:テクノロジーは我々の感情表現や生活を便利にするための道具として使うのであれば素晴らしいものだと思う。音楽という観点で見たとき、PCや誰もが使えるソフトが存在しなければ、わたしはレコーディング・アーティストになっていたとは思わない。わたしはテクノロジーをDIYのツールとして興味を持っているけど、決してテクノロジーに傾倒している人間ではないわ。たとえば、わたしはスマートフォンを初めて手にしてからまだ2年も経っていないのよ。ずっとスマートフォンなんて要らないと思っていた。2年前に、必要に迫られて持つようになっただけ。
制作面に関して言うと、テクノロジーとの関係性は5作目の『Captain of None』から変わってきていると思う。もしかしたらその前のアルバムからかもしれない。『The Weighing of the Heart』はほとんどが生楽器で構成されているけど、最後に作った曲の”Breaking Up The Earth”にはたくさんディレイを使っていて、この曲を作っていたときにたくさんのジャマイカ音楽を聴いていた。ジャマイカ音楽こそがいい例だと思うわ。貧しい国で、限られたテクノロジーしか持っていなくても、それを最大限に活用して、時代を超えた素晴らしい名作を数多く輩出している。だから、”Breaking Up The Earth”をアルバムの最後に作ったとき、自分が行きたい方向はこれだとわかった。
だからいまわたしにとってテクノロジーというのは、サウンドの世界をさらに奥深く、遠くへと探求させてくれるものなの。でも『A Flame My Love~』のように、全編エレクトロニックな作品を作るとは思っていなかった。このアルバムの前までは、わたしは生楽器の音しか好きじゃないと思っていた。もちろん生楽器の音を加工するのは前からやっていたわ。でも核にあるのはviola da gambaやアコースティック・ギターの音だとずっと思っていた。でも、自分でも驚いたのだけど、このアルバムを通じて、エレクトロニック・サウンドで旅ができることを発見したの。今夜のライヴもそうだけど、エレクトロニックの機材を操作していると自分がどこにいるかを忘れてしまうくらい、不純物のない、抽象的な周波数の世界に瞬間移動したかのような感覚になる。アルバムのタイトルに「周波数」という言葉を使ったのもそれが理由よ。だからいまは、とくにアナログ機材に興味がある。魔法を生む機械だと思う。電子機材を作る人も尊敬する。わたしは電子工学のことはてんでわからないから。でも、こういう機材を使うのは凄く面白いし、今後もサウンド操作が生み出すこの抽象的な周波数の世界をさらに探求し続けたいと思っている。

『A Flame My Love~』はパリのテロ事件に触発された作品だという話をどこかで読みましたが、アルバムの最初の2曲は、悲劇的なテロを題材にした曲で、しかしこれほどパラドキシカルに美しい曲はないと思います。

C:アルバムはあの事件に影響を受けているのはたしかよ。わたしがあの夜にパリにいたのはまったくの偶然で、実際に事件があった場所にはいなかったのだけど、ほんの数時間前に近くを通った。ヴィオラの弓の修理をしなければいけなくて、本当にたまたま近くを通ったの。同時に家族と近しいひとが病気だったので、お見舞いも兼ねてパリにいた。本当に辛い体験だった。新しい音楽の制作にちょうど取り掛かろうとしていたところだった。アルバムを作る準備を進めていたときにあの事件が起きた。制作に戻らないとと思ったわ。
あの事件が作品に反映するのは不可避だった。これはわたしの人生に起きたことだったのだから。そして曲作りに取り掛かると、最初にできてきた曲は明るく喜びに満ちたものだった。なぜなら、わたしの人生、そして世界がいまどれだけ辛くても、それはどうすることもできない。できることがあるとしたら、少しでもその苦しみを和らげてくれるものを作ることだった。自分のためでもあり、それを聴いたひとたちもそう感じ取ってくれたら嬉しいと思った。そうやって最初はビートのある曲や明るい曲に自然と寄っていった。そしてアルバムの制作が進むにつれ、1年半近く経って、わたしの気持ちも少し落ち着いて、起きたことの重苦しいことも曲にすることができるようになった。矛盾しているかもしれないけど、気持ちが回復してから悲しい曲をかけるようになった。それしか方法はなかったの。わたしの歌詞はあまり直接的ではないかもしれないけど、わたしにとっては歌詞で表現しようとしたことと音楽は明確につながっている。

あなたがムーンドッグやアーサー・ラッセルに惹かれるのはなぜでしょうか?

C:その質問に限られた時間で答えるのは難しいけれど、おそらくわたしは独自のやり方を貫いている人たちに惹かれるんだと思う。ムーンドッグやアーサー・ラッセルはふたりとも「非常に特異なミュージシャン」のいい例だと思う。どちらも多くの人に影響を与えながら唯一無二の存在だった。
アーサー・ラッセルにはいまでも強く共感するわ。彼の音楽を前ほど聴くことはなくなった。何度も何度も聴いたから、もはや自分のなかにあるんだから。基本的には自分独自のやり方を貫く人が好き。リー・ペリーもまた、限られた環境で独自の世界を作ったひとね。10万ユーロもかけて機材を揃えたスタジオがなくてもいい音楽は作れる。むしろ贅沢な設備はない方がいいのかもしれない。いまわたしが面白いと思うのは……、『A Flame My Love~』はエレクトロニックかもしれないけど、じつは作っているあいだ、エレクトロニック・ミュージックを聴いていたわけじゃないの。わたしのパートナーのIker Spozioの話をしないといけないわ。彼はわたしの作品のアートワークをすべて手がけているのだけど、彼は熱心な音楽ファンでもあって、幅広く何でも聴いている。彼のレコード・コレクションの恩恵に預かったわ。家にいるときはたとえばアフリカ音楽だったり、60年代のサイケデリック・ポップだったり、ジャマイカ音楽、そして夜にはバッハやモーツアルトを聴いたりしている。とくにアフリカ音楽はたくさん聴いているの。アフリカ音楽は、わたしのすべての作品に多大な影響を与えていると思う。それと……、リズムとメロディの関係性にも興味がある。パーカッションという意味でのリズムではなくて、どんな楽器でも弾き方によってリズム感を出すことができる。アフリカ音楽のそういう部分が面白いと思う。アフリカ音楽のギターの弾き方も凄くリズミカルよね。だから例えば『Captain Of None」ではヴィオラをよりリズミカルに演奏しようと試みた。音楽は果てしない海のようだと思う。自分が知らないものがまだまだたくさんあって、それと出会うことで新しい何かをもたらしてくれる。

世界がいまどれだけ辛くても、それはどうすることもできない。できることがあるとしたら、少しでもその苦しみを和らげてくれるものを作ることだった。自分のためでもあり、それを聴いたひとたちもそう感じ取ってくれたら嬉しいと思った。そうやって最初はビートのある曲や明るい曲に自然と寄っていった。

子供の頃から楽器を習っていたんですか?

C:全然。15歳になるまで楽器を弾いたことなんてなかった。自分も音楽をやりたいと思わせてくれた最初に夢中になったバンドがビートルズだった。ビートルズは絶大な人気を誇りながらも、非常に質の高い作曲能力があって、それに加え革新的なテクノロジーも積極的に取り入れた最たる例であり、誰も真似できていないと思う。最初は素晴らしい曲を作るシンプルなポップ・バンドだったけど、数年という短い期間にテクノロジーを駆使してバンドとして進化し続けた。そういう点では、いまでもわたしにとって大きなインスピレーションの源よ。わたしの音楽は彼らのとは全く違っていてもね。で、えっと、質問は何だったかしら……、あ、クラシックの教えを受けたか、だったわね。わたしの両親は多少音楽を聴いたけどそれほどでもなくて、わたしはいわゆる中流家庭の出で、高価なクラシックの楽器を買うお金もレッスン代を賄うお金もなかった。だから最初の楽器はクラシック・ギターで、それからエレキ・ギター。そして26歳になって安いチェロを買った。しかも正規のよりも小型の。そのあとでちゃんとしたチェロを手に入れて、それからヴィオラ・ダ・ガンバを買った。弦楽器職人に依頼してヴィオラ・ダ・ガンバを作ってもらったのよ。もうその頃は働いていて、英語の先生をやって貯めたお金があったから、自分の夢を叶えようと思ってね。そうやってヴィオラを手に入れてレッスンも受けたけど、2006年頃だからすでに30歳だったわ(笑)。

あなたの音楽はエレクトロニック・ミュージックであるとか、アンビエントであるとか、いろいろアクセスできると思うのですが、どこか固有のジャンルには属していませんよね。それは意識しているのですか?

C:そう。自分がどのジャンルに属するかといったことを意識したことはない。自由であることを大事にしてきた。生きているとわたしたちはいろいろな妥協をしなければならないでしょ。いろんな出来事や出会い、人間関係に直面し、人生のいろいろな場面で妥協を強いられる。そんななかでアートというのは、自分が表現したいことを妥協することなく表現することだとわたしは思っている。もし1時間の長いドローン・ミュージックを作りたいと思ったら作ればいいし、2分のポップ・ソングが作りたいならそうすればいい。わたしはメロディアスであると同時に実験的なものを作りたいと思っていて、それを追求しない理由はない。わたしがアルバムを出し続ける理由はたったひとつで、それは伝えたいことが自分のなかにまだあるから。ある日伝えたいことが無くなったら音楽を作るのをやめて他のことをするでしょう。何にも縛られず自由であることは大事で、もの作る者にとっての本分だと思う。

あなたは英文学を勉強し、英語の教師をしていたということですが、どんな本がお好きなんですか?

C:最初に好きになったのは文学よ。子供の頃から本を読むのが大好きだった。学校で英語を勉強した際も文学の歴史に重点を置いて勉強した。高校のときもたくさん本を読んで、大学ではもっぱら英米文学を読んだ。いちばん好きな本はマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』。読破するのにものすごく時間が掛かった。ものすごく分厚い本だから(笑)。でもわたしの読書人生のハイライトのひとつだと思う。またいつか読み返したいと思っている。
それからしばらくは音楽制作で忙しくなってしまって本を読む時間がなくなってしまった時期があった。そして日本から戻って、フランスの図書館から日本についての本をたくさん借りて読んだ。もっぱら日本の陶器や伝統美意識、禅庭についての本よ。そのあと、またしばらく読書から離れた時期があって、今度は自然に関する本をたくさん読んだ時期もあった。たとえばバードウォッチングはとにかくまず野鳥について知らないといけないから、何冊も繰り返し読んだわ。他にはアートブックを読むのも好きよ。パートナーのIkerは絵描きだから家にはアートブックがたくさんある。アフリカのお面(マスク)についての本から、マティス、ミケランジェロまで、なんでも。アートについて読むのも大好き。そして小説もまた読むようになった。今年ようやくメルヴィルの『白鯨』を読んだわ。20年もの間ずっと本棚にいつか読まなきゃと思って置いてあったのをようやく読むことができた(笑)。最近はそうやって昔に読もうと思って買った本を読むようにしているわ。

『The Weighing Of The Heart(心の計量)』というタイトルも気になっていたのですが、これはなにか書物からの引用ですか?

C:古代エジプトの『死者の書』の翻訳を読んだ。美しい絵とヒエログリフで構成されている巻物を写したヴァージョンよ。そして古代エジプト人が行なった埋葬の儀式に感動した。その儀式では死者の心臓を天秤にのせ、もう片側の皿には羽根を置く。純潔な人生を送った人はその心臓が羽根よりも軽くなる。なんて美しいイメージなんだろうと思ったわ。わたしはいい人間でありたいと思っているから、いい人生を送ることの難しさを表しているようで、余計にこのイメージが心に刺さったんじゃないかしら。わたしにとってぴったりのタイトルだった。

 パリの「黄色いベスト」運動が起きたとき、アメリカのトランプ大統領は、ほら、だれから俺はパリ協定から脱退すると言ったんだという、まったくトンチンカンだが環境のために膨大な福祉予算などつぎ込みたくなる側からすればある意味スジが通った意見を述べている。逆に言えば、人間以外(生きる権利を持っている地球上の生物)のことを考えることは、新自由主義の暴走を否定する根拠にもなってきている。コリーンのような音楽が重要なのは、デジタルとアナログとの融合などということではなく、ポジティヴな未来を考えるうえでたいせつな感性が表現されているからだと思う。
 ele-king vol.23に掲載されているアースイーターのインタヴューもぜひ読んでください。こちらは2018年もっとも感情をかき立てられたアルバムの1枚ですが、コリーンよりもさらにラディカルに「non human」というテーマが偏在しています。なぜなら彼女は本当に動物たちといっしょに育った人間であり……。(続く)

 ヨーロッパを精力的に駆け回る女性DJ、Cassyのギグが12月30/31日と大阪/東京であるのでお知らせしたい。イングランドで生まれオーストリアで育った彼女は、パリとアムステルダム、ジュネーブとベルリンのアンダーグラウンド・ハウス・シーンにコミットした。ルチアーノやヴィラロヴォスらからの賞賛とともに初期のパノラマ・バーのレジデントDJのひとりでもあった。ここ1~2年は自身のレーベル〈Kwench Records〉を拠点に12インチをリリースしている(DJスニーク、フレッドP、ロン・トレントらも含む)。
 12月30日は大阪で開催の〈The star festival 2018 closing〉、12月31日が表参道VENTに出演。間違いなく良いDJなんで、お楽しみね!

■THE STAR FESTIVAL 2018 CLOSING
12/30(sun)

line up :
Peter Van Hoesen(Time to express/Brrlin)
Cassy
Kode 9
yahyel
Metrik(Hospital records/uk)
EYヨ(Boredoms)
AOKI takamasa-live set-
BO NINGEN
Tohji (and Mall Boyz)
環ROY
SEIHO
D.J.Fulltono
YUMY

OPEN AIR BOOTH :
YASUHISA / KUNIMITSU / MONASHEE / KEIBUERGER / AKNL / MITSUYAS / DJ KENZ1 / 81BLEND / RYOTA / GT /SMALL FACE

open 21:00
adv:¥3500 door:¥4000
group ticket(4枚組) : ¥12000

チケットぴあ P-CODE(133-585)
ローソンチケット L-CODE(54171)
イープラス https://eplus.jp
Peatix : https://tsfclosing.peatix.com/


■Cassy at N.Y.E
12/31 (MON)

=ROOM1=
Cassy
Moodman
K.E.G
Koudai × Mamazu

=ROOM2=
Sotaro x EMK
EITA x Knock
Genki Tanaka × Toji Morimoto
SIGNAL × TEPPEI
JUN × UENO


OPEN : 21:00
DOOR : ¥4,000 / FB discount : ¥3,500
ADVANCED TICKET:¥3,000
https://jp.residentadvisor.net/events/1185424

[ FACE BOOKイベント参加 ] で¥500 OFF ディスカウント実施中!
参加ボタンでディスカウントゲスト登録完了です。

※当日エントランスにて参加画面をご提示ください。 
Join the event for ¥500 off !! Click " Join " and you are on discount list !! ※You MUST show your mobile phone screen of joined event page at the entrance.
※VENTでは、20歳未満の方や、写真付身分証明書をお持ちでない方のご入場はお断りさせて頂いております。ご来場の際は、必ず写真付身分証明書をお持ち下さいます様、宜しくお願い致します。尚、サンダル類でのご入場はお断りさせていただきます。予めご了承下さい。
※Must be 20 or over with Photo ID to enter. Also, sandals are not accepted in any case. Thank you for your cooperation.
URL : https://vent-tokyo.net/

Northan Soul - ele-king

 素晴らしい。あの『ノーザン・ソウル』(https://www.ele-king.net/news/005958/)の一般上映が決定しました。2/9(土)より、新宿シネマカリテ、神戸・元町映画館ほかで劇場公開。ちょうど1年前、最初に自主上映したAfter School Cinema Clubさんに拍手です。

 もういちど繰り返しましょうか。『さらば青春の光』、『ビギナーズ』、『トレインスポッティング』、『24アワー・パーティ・ピープル』、『THIS IS ENGLAND』……あるいはまた、レイヴ・カルチャー、DJカルチャー、ダンス・ミュージック、レア・グルーヴ、週末若者たちが勝手に集まること、労働者階級とアンダーグラウンド……上記のなかで2つ以上が好きなひとは必見。3つ以上あるひとは2回以上観る必要があります。

 『ノーザン・ソウル』は70年代のさびれた地方都市の労働者階級が創造したレイヴ・カルチャーの青写真を描いた映画で、ダンス・ミュージック史における最大のミステリーと言われた“ノーザン・ソウル”とは何だったのかを知ることができるます。ソフト・セルがなぜ“テインティッド・ラヴ”のようなソウルの王道ではヒットしなかった曲をカヴァーしたのかもわかります。映画のエンディング・クレジットのスペシャルサンクスのなかにニール・ラシュトンの名前もありました。誰かわかりますか? デリック・メイの最初のマネージャーで、デトロイト・テクノをUKにもっとも紹介した人物=ノーザン・ソウルのDJです。
 最後にノーザン・ソウルに関するもっとも有名な言葉を引用しておきます。

 ノーザン・ソウルはドラッグを燃料とした労働者階級を魅惑するユース・カルチャーとして存在していた。ハウスと違ってそれは決して産業にコントロールされることはなかったし、音楽業界はその存在すら知らなかった。ノーザン・ソウルは真の意味でほぼパーフェクトなまでにアンダーグランドだった。 ──ジョン・マックレディ

 ガラージの精神を受け継いで、よりエレガントでディープなサウンドへと発展させたレーベル、ヒサ・イシオカによる〈King Street Sound〉が25周年を祝ってのパーティを開く。12月21日、渋谷のコンタクト。ゲストにジョー・クラウゼル。日本からは大ベテランのDJ NORIをはじめ〈King Street Sound〉ならではの真のハウスマスターたちが集結です。
 往年のファンはもちろんですが、最近ハウスを好きになったひとは絶対に行くべき! NYのディスコ、ガラージ、ディープ・ハウスの冒険、そして〈King Street Sound〉への最大限のリスペクトを込めて、踊りましょう。

https://www.contacttokyo.com/schedule/25-years-of-paradise/

 日本のアンダーグラウンド・テクノ・シーンで、つねに尖っている音をスピンするDJのひとり、KEIHINが自ら立ち上げたレーベル、〈Prowler〉からファースト・シングル「Esoteric Communication」をリリースする。UKの〈Whites〉あたりとも共振するベース・ミュージックおよびインダストリアルを通過したテクノ・サウンドがここにある。デトロイティッシュな響きもあり、格好いいので、ぜひチェックしてみて欲しい!



Artist : KEIHIN
Title : Esoteric Communication
Cat: PROW001
Label: Prowler

Track List:
A1:Dawn
A2:Dawn(Katsunori Sawa Remix)
B1:Rust
B2:Stiff
※ダウンロードパス付き


【レーベル資料より】
日本のアンダーグラウンドシーンでDJ NOBU達と共にキャリアを積んだDJ、KEIHINが自身の音楽性をより深く掘り下げる為のレーベル〈Prowler〉を始動。第一弾として彼自身による、ブレイクビーツやベース・ミュージック、インダストリアルを非イーブンキックのミニマル・テクノに落とし込んだ様な、それぞれコンセプトは違いながらも1本筋の通った3曲に、10LABELやWeevil Neighbourhoodからのリリース、YUJI KONDOとのユニットSteven PorterやAnthoneとのユニットBOKEHでもお馴染みのアーティストKATSUNORI SAWAによるRemixを収録した1st EP“Esoteric Communication”をリリースします。今後も彼やその仲間による、シーンの多様性を拡張するリリースを予定しております。

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