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ずっとオウテカがヒーローだった。5月に公開された『クラック・マガジン』のインタヴューで彼女はそう明かしている。この発言が意外に感じられるのは、これまでの彼女が盟友のA・G・クックあるいは彼の主宰する〈PCミュージック〉のポリシーに則って、何よりもまずポップであることを希求し続けてきたアーティストだからだろう。自身の楽曲はもちろんのこと、チャーリー・XCXをはじめとする数々のアーティストとのコラボをとおして、いわゆる「バブルガム・ベース」の第一人者としてその地位を確立したソフィー。その初期の音源は2015年にリリースされた編集盤『Product』にまとめられているが、それに続くフルレングスとして発表されたこのファースト・アルバム『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』は、しかし、「バブルガム・ベース」のある種の到達点を示した『Product』とはずいぶん異なる様相を呈している。
その変化はまずアートワークやリリックに、あるいはシングルカットされた3曲のMVに如実に表れ出ている。これまでどちらかといえば匿名的ないし記号的なイメージを堅持してきた彼女が、今回は自身のクィアネスを全面に押し出しているのである。たしかに、性の自由や多様性といったテーマは彼女のカラフルなサウンドと相性がいい。じっさい、本作中もっともポップな“Immaterial”は、安室奈美恵と初音ミクのコラボ曲にもつうじる躍動的なトラックのうえで、「私は私が望む何にだってなれる」と盛大に宣言しており、ある種のクィア・アンセムと捉えることも可能だろう。
けれどもこのアルバムがおもしろいのは、その“Immaterial”のほかにいわゆる「バブルガム・ベース」らしい楽曲が見当たらないところだ。クィアのプレゼンテイションとしては、“Immaterial”のようなポップ・チューンを(あるいは、初めて自身の歌声を披露したファースト・シングル曲“It's Okay To Cry”のようなバラードを)できるだけ多く収録したほうがより効果的だと思うのだけれど、彼女はそれでアルバム全篇を覆い尽くすような真似はしなかった。まさにそのようなアティテュードにこそ、クリエイターとしてのソフィーの本懐が宿っているのではないか。
ベース・ミュージックらしい低音を堪能させてくれるセカンド・シングル曲“Ponyboy”には、他方で90年代テクノを思わせる旋律が織り交ぜられてもおり、ソフィーの音楽的なバックグラウンドの多彩さを垣間見ることができる。そのインダストリアルな意匠はそのままシームレスにサード・シングル曲“Faceshopping”へと引き継がれ、ベースやらヴォイスやらアシッドやらがスリリングな応酬を繰り広げる。そして同曲はなぜか、次のトラックへ移ったと錯覚させるようなタイミングで唐突にポップな展開を挟み込んでもくる。音楽的冒険を突き詰めたこの2曲こそが本作全体の方向性を決定づけているといっていい。
そのような尖鋭性はほかのトラックにも滲み出ていて、ぶりぶりと唸るベースの間隙にレイヴの断片が貼り付けられる“Not Okay”は、まるで死体をダンスさせているかのような奇妙な仕上がりだし、“Pretending”のドローンもどこかティム・ヘッカーを想起させる静性を具えている。極めつきは最後の“Whole New World/Pretend World”だろう。もしもアレック・エンパイアがポップ・ソングを作ったら……といった按配で幕を開けるこの曲は、中盤以降うっすらとウェイトレスなシンセを忍ばせつつ、ある時期のエイフェックスとオウテカを掛け合わせたような強烈なアヴァン・テクノへと変貌を遂げるのである。
風船ガムのように弾けては消えるライトな音楽を標榜し、それこそJポップまで取り入れるに至った彼女はいま、なぜこのように尖ったアルバムを送り出したのだろうか。
件のインタヴューにおいて彼女は、メインストリームの音楽の持つ長所として、それが排他的ではなく、またエリート主義的でもない点を挙げている。資本のど真ん中を流れゆく音楽たちがほんとうに排他的でないかどうかは議論の余地のあるところだけれど、仮にそれらの音楽が「万人に開かれている」という前提のうえに成り立っているのだとしたら、彼女はそのど真ん中めがけて爆弾を投げつけようとしているのかもしれない。すなわち、「開かれた」ポップのフィールドにアヴァン・テクノの遺産を反映させつつ、さらにそこにクィアというテーマを重ね合わせることはいかにして可能となるのか、そしてそれはいかなる未来を呼び込むことになるのか。まさにそれこそがこの『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』の賭金であり、たしかにそれはオウテカにはとることのできなかった選択だろう。つまりソフィーはいま、かつての自らのヒーローを超えるような試みを為そうと大いに奮闘しているのである。
小林拓音