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ロボットに人種はない ──マッド・マイク
コンピュータは無垢である ──アレクサンドラ・ドリューチン
これはまた奇妙で、並外れたエレクトロニック・ミュージックのアルバムだ。作者の名前はアースイーター。NY在住のアーティスト、アレクサンドラ・ドリューチンのソロ・プロジェクトで、本作『IRISIR』が3枚目のアルバムになる。彼女はまたグレッグ・フォックスとガーディアン・エイリアンなるプロジェクトで〈スリル・ジョッキー〉などのレーベルから4枚のアルバムを出している。
ダンスするのと、ダンスさせられるのではまったく意味が違う行為だが、彼女の音楽はダンスするよう感覚を引き起こす。初期ダンス・カルチャーの本当の素晴らしさのひとつは、広告看板が目に飛び込んでくる現代と違って、資本主義的洗脳から完璧に解放されることだった。もっとも、かつてはマトモスのフロントアクトを務めたことがあるアースイーターの音楽は、いわゆるクラブ・ミュージック的なダンスではない。それは聴いたことがあるようでない、まったく新鮮な響きによって病んだ心をみずみずしく再起動させる。2曲目“Inclined”はぼくが今年聴いた音楽のなかで最高の1曲だ。
ファッキンな水が私の生命
私はグローブを脱うとする
分離したレイヤーたちを引き剥がそう
私は私の身体をカスタマイズする
営利目的ではない身体に
美しさと激しさがせめぎ合う。哀愁を帯びたヴァイオリンのループとフットワークを崩したかのようなリズム、そしてアレクサンドラ・ドリューチンの透明な歌声。ケイト・ブッシュは彼女の英雄だが、この音楽をIDM版ケイト・ブッシュと言いたくなるのを抑えなければならない。ムーア・マザーがフィーチャーされた“MMXXX”では、彼女は破壊的なノイズと帰属的なわめき声そしてラップで空間をねじ曲げてみせている。また、“Curtains”ではハーブの音にジェフ・ミルズ流のミニマルがコラージュされ、“C.L.I.T.”では破片となったベース・ミュージックが再構成されているかのようだ。多彩なレイヤーを複合させることの妙は、評価された過去の2枚のアルバムですでに証明済みだが、『IRISIRI』には明確な主題が浮かび上がってくる。テクノロジー、身体、そしてジェンダー。生命と科学。その複雑性。最後の曲、“OS In Vitro(生体外のOS)”では、彼女は自分の詩をコンピュータのtext to speechになんども読ませている。最初は低い声で、そして甲高い声で、そして女性の声でなんどもなんども。
この身体はケミストリー……ミステリー
これらの乳房は副作用
あなたは彼女を算出(コンピュート)できない
あなたは彼女を算出(コンピュート)できない
アレクサンドラ・ドリューチンは、歴史的に意味づけされた女性性というアイデンティティの神話を語り直そうとしているように見える。女性なら誰もが見てきた悪夢を振り払うかのように、彼女は自分の身体をあり得ない角度にねじ曲げながら、新しい抵抗の音楽を作り上げている。きっとそうに違いない。
野田努