「Noton」と一致するもの

Ken'ichi Itoi a.k.a. PsysEx - ele-king

 「ノイズ」はときに誤用され、ある錯乱を経由し、そして最終的には、いくつかの形式を希求する(ここでいう「ノイズ」とはいわゆるノイズ・ミュージックではなく、音のエレメントを意味する)。その形式のひとつに録音がある。録音されることによってノイズは形式を与えられる。与えられた形式は構造と構成を求めるだろう。結果、ノイズは音楽になる。何気なく録音された環境音でも、録音という行為によって切り取られたとき構造を獲得してしまう。そして音が構造を獲得したとき、音楽の萌芽が生まれる。たしかに録音というテクノロジーは、そもそも音楽的用途のためだけではなく、音を記録するという実務の意味も大きいが、しかし音に構造を「与えてしまう」という意味で、そもそも音楽的なツールとすらいえるはずだ。
 そして構造とはリズムである。たとえば4分33秒の環境録音をループすると4分33秒ごとのリズムが生まれる。その人為的なリズムの狭間に、偶然によって作用したリズムを、録音はより際立たせることになる。
 さらに録音とはメディアだ。メディアは拡張する。レコード、テープ、データと20世紀は録音メディアの拡張の時代でもある。拡張されたメディアはそのまま音楽制作にも影響を与えてきた。テープ編集からコンピューターHD内のエディットへ。音の操作が極度に上がり、それに伴い情報量も格段に増えた。ロック、テクノ、エレクトロニカ。そう、電気の音楽たちの系譜。音の層と運動性は人為的な演奏力を超え、ノイズの運動として人の聴覚を錯乱・拡張する。ジミ・ヘンドリックスのギター、坂本龍一のシンセサイザー、カールステン・ニコライのコンピューターなどのように。

 いま、ノイズとメディアの拡張の歴史である電気/電子音楽の系譜に一枚のアルバムが加わる。糸魚健一=サイセクスの3年ぶりのニューアルバム『アペックス(Apex)』である。
 糸魚健一は京都の老舗電子音楽レーベル〈シュライン・ドット・ジェイピー〉の主宰だ。彼はコンポジションからエンジニアリングのすべてを手掛け、サウンドによる哲学を導きだし、そこから現代性へと鋭く切り込んでくる音楽家でもある。本作もまた先に書いたノイズの問題、メディアの問題をまさに現代的な方法論で追及している。このアルバムは00年代エレクトロニカの最良の成果の発展と、2010年代の現在において電子音楽全般に欠けているものの補完が見事になされているのだ。電子ノイズ=グリッチの柔らかな活用とファンクネスの導入である。そして、そこから導き出される音響/サウンドの追求である。

 EDMが普及して以降、大衆的なポップ・ミュージック・フィールドの電子音楽は、さらに音圧重視となった。強烈な音響で一瞬にして聴覚をアディクトさせること。この音圧重視の風潮は必ずしも大衆的とはいえないエレクトロニカや電子音響にも影響を与えているように思える。だが本当のところ、この種の音楽にとって重要な点は音量によってアディクトだったのか。そうではなく音響の運動と質が重要だったのではないか。そして、音の運動にはそれが必要する質感があるはずだ。
 この『アペックス』の音は、ドーピング的なアディクト性よりも、むしろビートやリズムから導き出された(必要とされる)中域や低域の豊かさを重視しているように思える。それが電子音響/エレクトロニカにおけるファンク/ファンクネスの導入だ。ファンク・ミュージックでは中域から低域の震動が重視される。電子音楽の高音重視とは反対の志向性である。それは本作でも同様だ。私など、そこにこそ糸魚の明確な意図(現状へのアゲインスト?)を感じるのだ。その意味で〈ラスター・ノートン〉からリリースされたアオキ・タカマサの『RV8』と並べて語られるべき作品かも知れない。
 さらには、細やかにレイヤーされるグリッチは、時にまさにエラーのような大胆さで聴覚を刺激する。グリッチとはエラーを誤用することである(また、瀟洒な和声感のレイヤーも素晴らしい。このミニマルなコード感にもザスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどファンク・ミュージックの遺伝子を感じてしまう)。

 音響的快楽を過剰に提供するのではなくて、構造と和声とノイズという「形式と逸脱=リズム/誤差」の拮抗によってサウンドの構築をすること。音響へのアディクションだけではなく、「音楽を聴く」という心理状態に聴き手を持っていくこと。本作において、そのような二つの作曲行為が行われているのだ。00年代のエレクトロニカは、主に和声を排し、高音域を中心とした耳の快楽を追求されてきたものだが、本作では低域の豊かな響きの獲得と(または透明でミニマルコード感の追求)、刺激的なグリッチ・ノイズが見事に交錯されているのだ。また、かつてのフォークトロニカや一部のポストクラシカルのように安易な音楽へと反動的回帰をするのではなく、マシニックなミニマルさを徹底的に追求=基調としながらも、身体と心に効いてくるフィジカルな電子音楽作品に仕上がっているのである。この深いグルーヴ感覚。ダンス・ミュージックとしての機能性も絶大だ(その意味で本作はテクノである)。

 本作はメディアの問題も批評的かつ越境的に思考をしている。この『アペックス』は、CD、アナログ、カセット、i-Tunesとメディアを横断する形でのリリースがされる。つまりメディアの拡張実験が行われているのだ。先に書いたようにメディア=媒体の特性によって、音は変化を要求される。『アペックス』プロジェクトにおいては、その問題を見越すかのように、CD、アナログ、カセットとアレンジを変えてリリースされる。しかもアナログはプレス枚数が限定27部という超小部数という。だが、これはいたずらにレア感を狙うものではない。そうではなく複製媒体のリミテッド性(限定性)アート性とも関わってくる状況設定ではないかと思う。
 複製芸術作品としての存在感を高める上で、津田翔平(https://shoheitsuda.net/)によるアートワークも重要なエレメントだ。本作のヴィジュアルは視覚の誤差を利用し、平衡感覚を狂わし、知覚に作用するソリッドなイメージとなっている。これもまた「形式と逸脱=リズム/誤差」といえよう。
 それにしても〈シュライン・ドット・ジェイピー〉は、i-Tunes限定の月刊連続リリース、ショータ・ヒラマの4枚組ボックスセット『サーフ』など、本年もメディア/形態の両極を揺さぶり続けている。ここからも同レーベルが20世紀の録音メディア、複製作品のリリースという問題に鋭く切り込んでいっているのが理解できるだろう。

 メディア、ノイズ、ヴィジュアル、それらの形式と状況と錯乱を駆使した2015年のテクノロジカル・ニュージック。現在最先端の電子音楽を聴きたい方ならば、まさに絶対必聴のアルバムである。

SUBMARINE - ele-king

 TBSラジオ系『伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴いていたら、番組の途中、おもしろいヒップホップの曲が流れていた。SUBMARINE“Midnight Tour Guide”である。すごくポップな曲だが、よく聴くとヘンテコでもある。「ここんとこほんともうトホホと声に出しちゃうほど脱力モード」という印象的なリリックではじまるこの曲は、その「脱力」な感じに、スチャダラパーなんかを思い出すが、声の感じやリリックの抒情性には、「あの小説の中に集まろう」(TOKYO NO.1 SOUL SET“More Big Party”)とラップするBIKKEを連想したりもする。フックでは、女性ヴォーカルがかわいらしく歌い上げており、エレピとギターとの絡み合いが爽やかで気持ちいい。そのフック部分が終わると、エレピとギターのループが細かくなって、ビートも少し変則的になり、トラックの展開がめまぐるしくなる。ポップで美しい曲だが、トラックに緊張感があって刺激的だ。ふいに前面に押し出されるベースにもドキッとする。

 そんな“Midnight Tour Guide”をリード・トラックに据えたのが、SUBMARINE『島唄』というアルバムだ。SUBMARINEは、MCの日渡正朗とトラックメイカーの新城賢一によって1999年に沖縄で結成されたグループである。本作は、以前から交流があったという□□□の三浦康嗣をプロデューサーとして迎えた、約8年ぶりの作品だ。ヒップホップ的なビート感は強く残しつつ、同時にヒップホップ的な様式美からかなり自由になったサウンドと構成が、とても新鮮に響く。そのあたり、□□□の感覚とも通ずるか。サウンド・プロダクションはけっして一筋縄ではいかないが、ポップでカラフルな音色に仕上がっているぶん、広いリスナー層にアピールする。とくに、歌モノやシンガーソングライターのファンには、ぜひ本作をチェックしてほしいと思う。本作を貫くメロディーラインやコーラス、アコースティック色を残したサンプルの数々などは、とてもSSW的な温かみがある。実際アルバムには、三浦によるピアノ弾き語りの“Midnaight Tour Guide”のヴァージョンまで収録されている。ビート・ミュージック的な側面からアコースティック的な側面まで見事に共存しているのが、本作の最大の魅力だ。
 このような作品世界を考えたとき、特筆すべきはやはり、7分半にも及ぶ大作“導かれし者たち”である。三浦以外にも、西尾大介(ALOHA)、小島ケイタニーラブ(ANIMA)、夙川アトム、伊藤豊(カズとアマンダ)を客演に迎えたこの曲は、サビでのケイタニーの唯一無二の歌声を中心に、ドタバタした生ドラムのサンプルやキーボードが響いて、温かく美しいサウンドが広がっている。ケイタニー含め、その他のゲスト陣もラップのようなヴォーカルのようなものを披露しており、ポッセカットのようになっているのが楽しい(ちなみに、ANIMAのファーストアルバムを聴いたとき、いつか小島ケイタニーラブのラップが聴いてみたい、と強く思っていたので、それが実現したのが個人的には嬉しい)。その他、“Angel”とその姉妹編のような“Beauty × Beauty”、あるいは“深海魚”など、温かみのあるトラックと日渡ののびやかなラップが、全編にわたって聴きどころである。

 とはいえ、このアルバム、やはりヘンテコなところもあって、先の“導かれし者たち”も、歌詞はひどい下ネタだったりする。あるいは、アルバム冒頭の“VAMPIRE EMPIRE”は、吸血鬼の立場からラップをした曲で、トラック自体もヴァンパイアをモティーフにしたものになっている。さらによくわからないのは“道”という曲で、ビズ・マーキーばりの(?)ヘタウマな歌声で行進曲のパロディが歌われている。うーむ、底知れない。冒頭にも書いたように本作のリリックは、「脱力」系で笑ってしまうものが多いのだが、それがしっかりと作り込まれたサウンドに乗せられているのが、またおもしろい。ポップに聴き流しているつもりでも、よく聴くと、「なんだ、この歌詞!?」みたいな。それは、SUBMARINEというグループが持つイタズラ心のようなものにも思える。心地よく美しいサウンドのなかに、チクリと刺激的。これがやけに中毒性があって、やめられない。本当に温かみのあるアルバムなのだが、温かいだけでは終わらない不穏さもしっかりと抱え込まれている。

Jazzy Couscous - ele-king

 東京滞在フランス人2人に創始された〈Jazzy Couscous〉の初リリースが発表されました。〈Jazzy Couscous〉のコアメンバーは、AlixkunとKlodioです。
 Alixkunは、もうみなさまにはお馴染みですね。ハウスや和物DJであり、ele-kingのライターであり、『House Definitive』にも寄稿しています。はっきり言って、日本の中古市場においてジャパニーズ・ハウスの値を上げたひとりです。余計なことしないで欲しいです。DOMMUNEにも90年代和ハウスのDJミックスで出演したことがあります。
 Klodioはハウスシーンの新プロデューサーであり、デトロイト・ハウス、ジャズ、ソウル、とにかく黒い音に影響されたプロデューサーです。今回の「Toktroit」EPでは、彼の影響元であるデトロイトと東京の雰囲気を交えて、ソウルフールなバイブを提供しています。ele-kingとしては、初期URハウスの色も多少あって、ハイウェイでフールスピードなナイトドライブをイメージした“First Car”と“Futako Tamagawa”がおすすめです!
 今後Hugo LX, Brawther、寺田創一などの曲もリリースされる予定です。Toktroit EPは4月10日リリースされます。ヨロシクね。

https://www.facebook.com/jazzycouscous

Dasha Rush - ele-king

 水滴のような電子音楽。〈ラスター・ノートン〉からリリースされたダーシャ・ラッシュのアルバムを聴いたとき、そのようなことを感じた。彼女はロシア人のエレクトロニクス・ミュージックのプロデューサーである。モスクワで育ち、現在、フランスで暮らしている。同時に世界中を飛び回る人気DJでもある。
 ダーシャ・ラッシュのサウンド・コンポジションは、ダンス・ミュージックとエクスペリメンタル・ミュージックの境界線を曖昧にする。このアルバムも同様だ。聴く人をはぐらかし、夢の回廊へと誘うサウンドが16曲も収録されている。音の光と音の水滴を、その肌に感じさせてくれる音楽/音響とでもいうべきか。ロシアで水とくれば、どこかタルコフスキー的なイメージだが、ことはそう安易ではない。聴くことと無意識が混然一体となり、イメージとサウンドが融解する。そんなリスニング体験が本作にはあるのだ。

 まずはダーシャ・ラッシュの音楽的経歴を振り返っておこう。最初の公式リリースは2004年に自身のレーベル〈ハンガー・トゥー・クリエイト〉から発表した12インチ・シングル「アンタイトルド・ハンガー」である。2004年暮れには、ダンス・ミュージックにフォーカスを当てた〈フルパンダ〉を〈ハンガー・トゥー・クリエイト〉のサブ・レーベルとして設立。同レーベルから2005年に12インチ・シングル「フルパンダ」を、2006年にファースト・アルバム『フォームス・アイント・フォーマット』をリリースした。いくつかのシングル・リリースを挟み、2009年に〈ハンガー・トゥー・クリエイト〉からセカンド・アルバム『アイ・ラン・アイロン・アイ・ラン・アイロニック』を発表。どの作品もテクノの機能性とエクスペリメンタルな音響処理が融合した作品であった。
 ダーシャ・ラッシュのルーツはテクノにあるという。じじつ彼女は、世界中で人気DJとして活躍している(日本のドミューンでも見事なプレイを披露したことを覚えている人も多いはず)。12インチ・シングルのリリースも活発である。しかし、その音が機能的なダンス・ミュージックのクリシェに陥っていない点が重要なのだ。トラックの中心が水の流れのように流れ、はぐらかされ(歯車の流れを内側から変えていくように)、音の深層は官能的な表面性へと転換される(音のカーテンに触れているように)。リズムとサウンドは構造的に分断せずに空気のように融解していくのだ。それはビートの効いたトラックでも、エクスペリメンタルな作風の曲も変わらない彼女の強い個性に思える。
 近年でもLars Hemmerlingとのユニット・ラダ(LADA)においては、ダーク・アンビエントな音を展開し、〈ソニック・グルーヴ〉や〈ディープ・サウンド・チャンネル〉からリリースされたソロ・シングルでは、インダストリアル/アンビエントなトラックをリリースしている。
 2015年にネット上にアップされている彼女のスタジオ・ライヴを観てみよう。テクノを基調にしつつも、そのアンビンエンスな音響美学にさらに磨きがかかっているのがわかるはずだ。

 そして、〈ラスター・ノートン〉からリリースされた待望の新作は、エクスペリメンタルな作風とレーベル・カラーのマリアージュが実現している傑作に仕上がっている。これまでのアルバムやトラック以上にテクノ的機能性は控えめで、サウンド・デザイナー、ダーシャ・ラッシュの個性が全面に出ているのだ。アルバムのテーマは不眠と眠りがテーマという。CD盤には豪華なブックレットが付属され、そこにダーシャによる世界各地の写真に詩が添えられている。音とヴィジュアルと言葉によって、自身のアートや思想を表現しているように思える。

 同時に、これほどに音の温度・色彩・光の濃度が変化していくような不定形な感覚に満ちた音楽も稀だ。ピアノ、ビート、電子音、微かなノイズ、アンビエント、そして彼女のポエトリー・リーディングなどが霧のように交錯し、不可思議な浮遊感を漂わせている。何回聴いても聴ききった気がしない。夢に宙吊りにされる感覚。それゆえ思わず繰り返し聴いてしまう悦楽。
 最初に書いたように、そのサウンドは水滴のようだ。ピアノのアルペジオもビートも電子音のアンビエンスも滴り落ちる水滴のように透明で不安定な優雅さがある。また、深海から光を見上げるような感覚もある。さらにはビートには、闇の中のバレエのステップのようなリズムも感じる。

 私は、そんな彼女の音を聴いていると20世紀初頭の芸術運動を想起してしまう。ダーシャ・ラッシュは形式の安定性を揺るがし、言葉や表現の意味をずらしていく。そうしてフォームとフォームを結合させていく。ダダ、未来派、シュールリアリズムのように。じっさいダーシャ・ラッシュは教会や劇場などでジャンルを越境するようなコンサートのプレゼンテーションを行っているという。本作のために作られたティーザー映像にもどこか無声映画時代の映像を感じる。

 2015年。20世紀が終わり、21世紀に突入し、既に15年が経過した。いよいよもって20世紀的な経済構造や社会構造が限界と終局を迎えつつある時代である。それは終わりの始まりの時代といえる。
 インダストリアル/テクノ以降のエクスペリメンタル・ミュージックは、そのような時代の無意識を敏感に察知し、20世紀初頭のモダニズムへと回帰している。それが円環的な回帰なのか、終局の反復なのかはわからないが、20世紀の総括を無意識に求めているという点は事実だろう。世界中でリミテッド・リリースされているエクスペリメンタル・ミュージックは、その無意識を敏感に察知している。たとえば、〈エントラクト〉からリリースされているカフカの病床での手紙やメモを即興演奏で音響化したジョセフ・クレイトン・ミルズ『ザ・ペイシェント』は、カフカと即興演奏を接続させていくことで、ドイツ/文学/無声映画/音響と20世紀の芸術の歴史を越境させている傑作であった。また。AGFのエレクトロニクス・ミュージックにおけるダダイズム的な旺盛創作なども例に上げていいだろう。もちろんアンディ・ストット=〈モダン・ラヴ〉のサウンド/ヴィジュアル運動も、である。

 ダーシャ・ラッシュの新作も同様だ。彼女はシュールリアリズム的なイメージを援用することで、20世紀の芸術運動を21世紀の音楽に内包させている。これは反復やノスタルジアではない(じじつ、だれもその時代に生きていたわけではない)。文化・芸術を、ここで総括させるという無意識の発露であり、終わりからの始まりを示す重要な兆候といえる。そしてその本質にあるのは不安の発露だ(彼女は形式の円滑な作動を内側から優雅に壊す)。このダーシャ・ラッシュの新作は、そんな私たちの無意識=不安に作用するアルバムなのである。だからこそ水滴のような音で私たちの不眠と夢の領域を曖昧にするのだ。睡眠へのステップ。不安。闇。光。水滴。まさに夢の回廊のような稀有な作品である。

ele-king vol.16  - ele-king

FKA Twigs撮り下ろし!
日本でのFKAツイッグス撮り下ろし写真が表紙に登場。
英国最新音楽特集     他
電子書籍版へのアクセスキーがついています

Jam City - ele-king

「雑草は、静かにその庭に乱入するのだ」
ジャック・ラザム

 彼らがあらかじめ悲観的だったことを君がまだわからないと言うのなら、僕は君の首根っこをつかまえて、目の前にOPNの『レプリカ』のジャケを叩きつけてあげよう。終わりなき複製空間のなかで君が手にした鏡に映る骸骨こそ、そう、君自身の姿だ。2012年にジャック・ラザムがジャム・シティ名義で発表した『Classical Curve』を思い出して欲しい。君はあのとき、J.G.バラードの小説の主人公のように、都会の夜の、大企業のビルの巨大なエントランスのぶ厚いガラスにバイクごと突っ込んだ。中庭の植物が暗闇のなかの不気味な生き物のように見える。ジャンクメール、ジャンクフード、ジャンクワールド、ジャンク・ミュージック……カーテンを閉めて無料のオンライン・ポルノ動画を見ている、ピンク色の空の下……

 エレキングのvol.16の巻頭ページに、僕はどうしてもジャック・ラザムの最新写真を載せなければならなかった。トレンチコートを着て、彼は墓場の真ん中につっ立っている。いわばゴスだ。コートには、彼自身の手製のパッチワークが見える。腕には「 LOVE IS RESISTANCE(愛は抵抗)」という言葉が巻かれている。胸には「PROTEST & SURVIVE(抗議して生き残れ)」と書かれている。僕は思わず笑ってしまった。
 笑って、そして押し黙ったまま、ジャム・シティのセカンド・アルバムを聴き続けた。タイトルは『庭を夢見る』。ヒプナゴジックなイントロダクションを経て、ノイズとビートとシンセ音と、アンビエントとベースと、さまざまなものが混じり合い、やがてラザムの物憂げな歌が入って来る。

 この世界には狼が入り込んでいて
 その牙を午後の布団カバーに食い込ませてる
 でもこれは彼には初めてのことじゃない 
“A Walk Down Chapel”

 チルウェイヴと呼ばれるものもインダストリアルと呼ばれるものも、逃避主義であることに変わりはない。ダーク・サウンドもまた然り。EDMも、テクノも、ハウスも、ダブステップも、ダンスを通じてエクスタシーを得るという体験においては同じものであるように。
 もともとポップ・ミュージックそれ自体が夢の劇場だ。過酷な現実から逃れたいがために人は音楽を聴く。それを政治的無関心と括るのは乱暴だろう。
 『庭を夢見る』は、そういう意味で掟破りの1枚だ。ここには、逃避でも快楽でもなく、「ステイトメント」がある。それはパンク・アティチュードと呼ばれうるものかもしれない。『Classical Curve』は音響/ビートの作品だったが、ラザムは今作においてそこに言葉と歌を加えている。
 それが望まれたものだったのかどうかはわからない。バイクごと突っ込まれて粉々になったガラスのように、衝突して、砕け散ったUKガラージの、インダストリアル・シンセ・ファンクを期待していたかもしれない。『庭を夢見る』はクラブ・フレンドリーなアルバムとは言えない。
 しかし、ここには望みはしなかったが逃れがたい感動があるのだ。



 歌のなかでラザムは「僕らはアンハッピー(不幸)なのか?」と繰り返す。vol.16のインタヴューで、「これはファレル・ウィリアムスの“ハッピー”への回答なのか」という問いに対して、「そうではない」と彼は答えた。そう捉えてもかまわないけど、僕はファレルが大好きだとラザムは語っている(このインタヴュー記事はぜひ読んでいただきたい。階級社会について、ブレイディみかこと同じ意見を彼は述べている)。
 アルバムは、しかしアンハッピーではない。僕の大きな間違いは、ビートインクからコメントを急かされたとき、深く聴き込みもせずに、これを「メランコリー」などと表現してしまったことだ。

 少し前まで僕はコンピュータを操る子供だった
“Today”

 ハイパー大量消費社会がディストピアにしか見えなくなったとき、ドリーム・ポップと政治的抗議は、不可分になりうるのだろうか。チルウェイヴと路上での直接行動は適合しうるのだろうか。部屋のカーテンに火をともせと彼は歌う。矛盾を受け入れろ。アルバムの言葉は彼と同世代、つまり若者に向けられている。“Crisis”は、おそらく4年前の暴動に関する歌だ。

 君はマイ・ガール
 君を破壊者と呼ぶ人もいるだろう
 だけど悲しみだけじゃ君は満足できないんだ
“Crisis”

 シニシズムというものがここにはない。望みはしなかったが逃れがたい感動と僕は先述したが、アホみたいな言葉に言い換えれば、それは彼の純真さである。僕がぼんやりとしている間に、こうして君は、空からひとつそしてまたひとつ星が消えていくことを知った。壊されて、砕け散ったコンクリートがジャケットの上に散らかっている。何を取り戻すべきかは、ラザムにはわかっている。庭だ。美しい心が絶え間なく悲鳴を上げている。星々が消えていくのを見るためだけに生きているのではないと、この夢想家は歌っている。このアルバムは新しい商品ではない。論理的なネクストだ。
 庭を夢見る──なんて暗示的なタイトルだろう。

ああ、リンコ、リンコ、リンコ - ele-king

 この映画に関してはコラムで何度か書かせていただいてますが、最近はエロくてグロい音楽活動もなさっておられるという菊地凛子さんと、わたし(注:ブレイディみかこ)の息子がなぜか母子役で共演。などという市井の地べた民の身にとんでもないことが起きてしまった奇跡の作品であり、それが遂に東京開催のイタリア映画祭で上映されることになりました。

 で、日本の事情を知らないレオという監督さんが、水曜日の午後2時半なんて中途半端な時間に入れられたんだけど誰も来なかったらどうしよう。とビビっておられるので、「4月29日は日本のバンク・ホリデーです」と伝えるとちょっと安堵されたようですが、なにしろ若き新人監督のこと、「遠い極東の国でガン無視されたらどうしよう」と不安を募らせておられるようなので、こうして母ちゃんがニュース欄にまではみ出して来てしまいました。

 本作の見どころは何と言っても、エキセントリシティやオブセッションを芸風にしてきた菊地凛子が、幼い子供との悲しい別れを体験する母親の役を地味&静かに、ある種のぬくもりさえ漂わせながらナチュラルに演じておられる点で、これは彼女のファンにとっても新たな顔の発見になるのではないでしょうか。共演者には、ハリウッド版『ドラゴン・タトゥーの女』でルーニー・マーラを手籠めにして大復讐される極悪非道な変態弁護士を演じた(映画ファンの方々には「あー、あの人」と膝を打っていただけるでしょう)ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン(本作では善人役です)や、BBCドラマ『ロビン・フッド』で乙女マリアン役を演じた(こちらも英国在住歴が長い方々には膝を打っていただけるでしょう)ルーシー・グリフィスらがいます。また、オスカー受賞のエディ・レッドメインはイートン校出身でウィリアム王子のご学友、ベネディクト・カンバーバッチも名門私立ハーロウ校出身でリチャード3世の血縁、などと俳優の上流階級化が叫ばれる現代のUKにあって、子役のケン・ブレイディは底辺託児所卒園という輝かしい経歴の持ち主であり、ASDAの3ポンドTシャツを着て出演しております。

 さらに、本作の美術&衣装を担当したミレーナ・カノネロは今年『グランド・ブタペスト・ホテル』の衣装デザインで4度目のオスカーを受賞しました。菊地凛子演じる日本人女性の心情の変遷と衣装の色彩の変化が美しくシンクロしていることに注目していただきたい。
 また、編集はミヒャエル・ハネケ監督の長年のコラボレーターであるモニカ・ヴィッリ(『愛、アムール』『ピアニスト』)が担当し、統括プロデューサーのエルダ・フェッリはジョン・ライドンの唯一の主演映画『コップキラー』のプロデューサーというだけでなく、第71回アカデミー賞で外国語映画賞、主演男優賞、作曲賞を受賞したイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』のプロデューサーでもあります。

 こっそりすごい人たちが集まって作った映画なのですが、如何せん宣伝力がありません。日本の配給会社も決まっておりません。ご興味をお持ちの方は母ちゃんにご連絡ください。まずはイタリア映画祭でお会いしましょう(って、わたしは現地におりませんが、監督と菊地凛子さんはおられます。舞台挨拶もあります。また、会場でいかにも場違いな感じの肉体労働者風の爺さんを見かけたら、それは95%わたしの博多の親父です)。

イタリア映画祭2015
『ラスト・サマー』特別上映 4月29日(水・祝)14:30~
https://www.asahi.com/italia/2015/works.html#z

東京会場:有楽町朝日ホール
東京都千代田区有楽町2-5-1 マリオン11階
https://www.asahi-hall.jp/yurakucho/access/
※有楽町マリオンの映画館チケット売場横のエレベーターで11階までお越しください。
※東京会場チケット情報はこちらへ 
https://www.asahi.com/italia/2015/tickets_tokyo.html

ESKMO - ele-king

 2010年に、名門〈ニンジャ・チューン〉からアルバム『エスクモ』をリリースしたエスクモことブレンダン・アンジェリード。〈ワープ〉や〈プラネット・ミュー〉などからも配信や12インチ盤でシングルをリリースする彼のサウンド・プロダクションは、アモン・トビンも絶賛したほど。
 本作はそんな彼の5年ぶりの新作アルバムである。まず、リリースが〈R&S〉傘下の〈アポロ〉からという点に注目したい。〈アポロ〉はアンビエントやダウンビート専門レーベルである。よって本作もアンビエント作品と言われている。が、一聴してわかるとおり本作はアンビエントというよりは、アンビエント風味が加味された良質なエレクトロニック・ポップ・ミュージックといった趣である。

 個人的に興味深かった点は、そのポップネスの中に染み入るように鳴っている「陰り」だ。は、ブレンダン・アンジェリードはLA在住とのことだが、彼の音からは、たとえばティーブスのようなLA的の抜けるような明るさが希薄である。どこか曇り空を想起させる音とでもいうべきか。いわばLAというよりはUK的、そんな印象なのだ。幻想的であっても天国的ではない。むしろ灰色のアトモスフィアを感じてしまう。サイケデリックなジェイムス・ブレイク? そんな印象もある。
 とはいっても本作は、難解で実験的な音楽ではない。先に書いたように、心地よいシンセ音とリズム/ビート、ヴォーカル曲なども織り交ぜて構成されたポップ・アルバムである。だがそれゆえ曲調や曲が醸し出す雰囲気としてのブリティッシュっぽさを感じてしまうのだ。このような彼の個性はどうして生まれたのだろうか。
 どうやらブレンダン・アンジェリードは2001年の9.11以降、いわゆる陰謀論にハマり、世界各地を旅するうちに、この地に落ち着いたようだ。ゆえに一種の内面性や漂流性のようなものが染み付いた人物なのかもしれない(このアルバムには彼が世界各地で録音した音なども使われているという)。そう考えると彼の音楽特有の「陰り」の意味もわかってくるような気がする。

 同時に本作は明確なコンセプト・アルバムでもある。曲の配置や流れに物語性を強く感じるはずだ。「太陽、月、地球が主役で、絶対的に不完全な人間の、無駄を完全に省いたシンプルな人生の中でどのようにその役目を果たしているかを描きたかった」と彼は語っている。つまり一種のニューエイジ、生活観としてミニマリズムな思想があるのだろう。
 実際、1曲め“SpVce”は、惑星の誕生を描くSFのオープニングのような壮大なシンセフォニックな曲調である。続く2曲め“コンバッション”は、どこか00年代のエレクトロニカ・シューゲイザーのような曲だ。3曲め“ブルー・アンド・グレイ”も、淡いピアノのバッキングから始まるヴォーカル曲。この曲で、アルバムの「物語」が宇宙から個人の内面にズームアップしたような印象を持った。4曲め“マインド・オブ・ウォー”もヴォーカル曲である。このアルバムの主人公の身の回りにおきるさまざまな事件に対する心の葛藤を描いている曲のように聴こえる(アルバム名どおりに!)。5曲め“タマラ”は、フィールド・レコーディング音に、ピアノのメロディが重なるポスト・クラシカルな曲。ピアノ内部のハンマー音のようなサウンドが微かに聴こえ、どこかニルス・フラームも思い出す。シンセや電子音がレイヤーされており非常に繊細な曲といえよう。この曲を挟みアルバムは後半へ。民族音楽的なドローンから幕を開ける6曲めにして、アルバム・タイトル曲“SOL”は本作の最重要トラックである。事実、アルバム中、もっともエクスペリメンタルで先鋭的な曲だ。だが、いわゆる難しさはない。むしろ心地よさを感じるサウンドでもある。そしてアルバムの「視点」は、この曲で個人からいったん離れ、1曲めのように俯瞰的な視点で曲を鳴らしているように思えた。微かなノイズに交じり、ときおり聴こえてくるピアノのアルペジオが美しい。続く7曲め“ザ・ライト・オブ・ワン・サウザンド・ファーネス”も、エクスペリメンタルなアトモスフィアを漂わす曲。無国籍な雰囲気はいっそう研ぎ澄まされ、リズムとシンセのメロディの交錯が素晴らしい。トラック中盤から曲調はダイナミックに展開し、いわば世界を一気に駆け巡るような感覚を味わえる。8曲め“フィード・ファイヤー”は再びヴォーカル・トラック。淡いシンセのパッドと具体音の折り重なりが見事だ。シンセによるオーケストレーションも効果的である。9曲め“ザ・サン・イズ・ア・ドラム”はアルバムという物語のクライマックスを彩るドラマチックなトラックだ。ヴォーカルも入るが曲の中の1いち要素として溶け込んでり、天空を駆け巡るようなカタルシスと地上へ落下するようなカタルシスを満喫できる。そして10曲めにしてラスト曲“キャント・テイスト”は、静謐なピアノ主体のヴォーカル曲だ。ときに激しく展開しながらも、しかしアルバム=物語のエンディングに相応しい穏やかな雰囲気で(唐突に?)幕を閉じる。

 このように本作はヴォーカルからインスト、ビート・トラックからアンビエントまで、じつに多彩な曲調を織り交ぜながら展開していくアルバムに仕上がっている。たしかに惑星と人間、さらには(曲名から想像するに)エネルギー問題という壮大なコンセプトがあるのだろうが、アルバムを聴いた印象でいえば、まるで私たちが暮らす一日のサウンド・トラックのようでもあった(まったくタイプのちがう音楽だが、デリック・ホッジ『リブ・トゥディ』に似ているようにも思えた)。宇宙規模の俯瞰の視点から個人の生活や内面に寄り添ったパーソナルな音楽まで一気にズームアップする感覚がある。映画でいえばテレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』のように。とはいえ、先に書いたように難解なアルバムではない。不穏さを湛えながらも、とてもポップなアルバムに仕上がっている点は、やはり重要だ。
 その意味で、本作には、まるで毎日のサウンド・トラックとして繰り返し聴ける耐久性がある。ブレンダン・アンジェリードは「全体を通して前作に比べ物語的」と語っているが、本作のサウンド・トラック性を表した言葉といえよう。

 流して聴いてもいい。その緻密なサウンド・メイクに聴き込んでもいい。シンフォニックでシンセ・サウンドには、昨今の人気のシンセ・ウェイヴ的な音との連続性もあるが、サウンドで聴かせるというよりは、きちんと「作曲」された端正な音楽なのである。事実、オーケストラ用に作曲したトラックも本作には入っているという。そんなシンセ・サウンドに加え、見事なビート・プログラミング、ヴォーカル・エディットまでエレクトロニックな技法の限りが尽くされ、どんなシュチュエーションでも、何度聴いても飽きることのないアルバムに仕上がっている。そう、本作『SOL』もまた前作『エスクモ』のように、何年も多くのリスナーに聴き継がれる作品となるのではないか、と思える。

Romare - ele-king

 わかるよ、わかる、10年後にもしハウス・ミュージックのカタログ本が刊行されたら、これはこの時代の名盤として紹介されるだろう。悪いがこれは良いアルバムだ。サンジェルマンの『ブールバール』がそうであるように、ムーディーマンのファースト・アルバムやセオ・パリッシュの『ファースト・フロア』がそうであるように、ハウス界隈のみならず、ときが経てば、クラブ・ジャズ/ヒップホップ界隈からも再発見されるだろう。
 イアン・オブライアンの最良の瞬間がそうであるように、ロメアのファースト・アルバムは、ブラック・アトランティック的ロマンティシズムに満ち満ちている。
 デトロイトのアンドレスとも共通する匂いがある。ヒップホップ的コラージュが彼の手法であり、そこから浮かび上がるのはソウルとグルーヴだ。

 ロメアとは、ロンドン在住のアーチー・フェアハーストなる人物のプロジェクトで、その名前をアフリカン・アートの作家ロメア・ビアーデンから取っている。彼の評判はおよそ2年前、ブリストルの〈ブラック・エイカー〉(いまもっともイケてるレーベルのひとつ)からシングルを発表して、じょじょに広まった。それらの作品は、彼のアフリカ起源の音楽のアーカイヴを紐解きながら、ひとつひとつ検証し、現代のクラブ・ミュージック(フットワークからUKガラージまで)として応用した結果だった。UKのクラブ・ミュージクらしいアプローチである。
 そして、この度、うまいことニンジャ・チューンが引っこ抜いて、本作『プロジェクションズ』をリリースしたというわけだ。

 僕は、最低でももう1枚、UKからは何年かに1枚の素晴らしいハウスのレコードが出ることを知っている(そして、もしもフローティング・ポインツがアルバムを出すようなら、もう2枚となる)。その作品との比較で言えば、ロメアは、よりディープで、よりスモーキーで、より温かく、そして繰り返すが、アフリカに根ざした音楽からの影響がより濃く滲んでいる。
 ロメアのやり方は、必ずしも新しくはない。しかし、アルバムとしての完成度は高く、ここにはクラブ・ミュージックの滑らかで美しい側面が凝縮されているように思う。感情が揺さぶられ、発展するという、最高にエーモショナルなハウス体験が保証されている。
 今月末に刊行する紙エレキングの「UK特集」をやりながら、あらためて思ったのは、音楽に詳しいことはUKらしさの一要素である、ということだ。そして、いくら時代は変われど、彼らはアメリカのソウル・ミュージックを掘り続けている。思い出し欲しい。オレンジ・ジュースのファースト・アルバムはネオアコの古典だが、同時にそれがブルーアイド・ソウルだったことを。つまり本作『プロジェクションズ』は、ベースメント・ジャックスのアルバムは中古屋に売ってしまったけれど、ムーディーマンは手放せないという人が聴いて間違いないのだ。

Leviathan - ele-king

 数年前に〈ノイジー(noisey)〉から公開された孤独なメタル野郎3人の取材をもとに制作されたドキュメンタリー、『ワンマンメタル』を観られた方はおられるだろうか。この世にはバンドを結成することすら拒絶し、全パートを独りで演奏、録音までこなし、そして多くはライヴすらおこなわないというワンマン・ブラックメタルなる精神不衛生極まりないジャンルが存在する。『ワンマンメタル』は、それぞれ孤独で歪んだ3人の男の内面と音楽性に迫るインタヴューで構成される。ストライボーグは不治の中二病、ザスターはサイコパス、そしてこのリヴァイアサンは絶望といったところであろうか。これを観て、それまで聴いたリヴァイアサンの音源に対して異常な説得力を感じてしまった。

劇中のインタヴューと重複するので、興味を持った方はユーチューブで視聴していただきたいのだが、リヴァイアサンことレスト、本名ジェフ・ホワイトヘッドはカリフォルニア州オークランドで彫り師として働いている。ティーネイジャーで早々に学校をドロップアウトし、ホームレスとなったジェフは、友人宅のカウチを転々としながらスケート三昧の生活をサンフランシスコで送っていた。プロ・スケーターとして成功し、『スラッシャー』の表紙を飾り、スーファミ用のスケボー・ゲーム、『スケート・オア・ダイ2』のジャケにもなっていたそうだ。スケボー以外の居場所を見出せなかったジェフはスケート・ブランドのグラフィックを制作するなどして生活していた。本人いわく、「最高に楽しかったよ」──まるで絵に描いたようなサンフランシスコの悪ガキの夢を実現させていたと言えよう。

そのような生活の中、自然な流れでパンクやマスロックのバンドなどで活動していたジェフにとって、ブラックメタルとは、誰の力もかりずに完遂できるスケート・カルチャーに通じるDIYな方法論であったのかもしれない。ルーカー・オブ・チャリス(Lurker of Chalice)もまたジェフによるワンマン・ブラックメタル・プロジェクトで、リヴァイアサンの血なまぐさい暴力的なサウンドとは異なった美しいアンビエンスとメロディを聴かせる、USブラックメタルにおける重要なプロジェクトだ。

リヴァイアサンがジェフの憎悪であるのに対して、ルーカーの美旋律は彼のミューズへの愛である。彼は劇中で恋人がガンの長い闘病生活の末、脳への転移に苦しみ、自ら命を絶ったことを告白する。想像を絶する悲しみのなかで引き蘢り、がむしゃらに音楽制作に没頭した末、ジェフ自身も自殺を試みるが未遂に終わり、さまざまな思い出が詰まったサンフランシスコからオークランドへ拠点をうつした。

これほどまでリヴァイアサンのサウンドに説得力を与えるエピソードはないだろう。重すぎる。暴行罪で起訴された後に出された前作『トゥルー・トレーター、トゥルー・ホア(True Trator, True Whore)』以来4年ぶりに〈プロファウンド・ロア(Profound Lore)〉より『スカー・サイテッド(Scar Sighted)』がリリースされた。圧倒的な暴力性とエモ過ぎるメロディ、荒れ狂う大地に降り注ぐ月光のごときアンビエンス、疾走する黒い魂を聴くことができる。

本作はボックス・セットとして発売され、ダニエル・ヒッグスからの影響もうかがえる(そもそもスケート、タトゥー、パンクロックに育まれた生活の中で影響を受けない人間はいないと思うが……)秀逸なアートワーク/イラストレーションを存分に堪能できるスペシャルなパッケージとなっている。ジェフいわく二度とやることはないというルーカー・オブ・チャリスも、噂によると膨大な未発表音源が眠っているらしく、ぜひとも同レーベルから近い将来の再発を望む。

単なるメロドラマやファッション、エンターテイメントとは異なるブラックメタルがここにある。

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