「Noton」と一致するもの

Mark Fell - ele-king

 09年にはマット・スティールと組んだグリッチ・ミニマルのSNDとしても活動を再開し、さらに昨年末、2枚同時にリリースされたソロ3作目と4作目(1作目はセキュラー・ミュージックス・オブ・サウス・ヨークシャーの名義で、同郷であるヒューマン・リーグを再構築した『リプロダクション』アンビエントP197)。

 ソロではフロアを意識しないアブストラクト・タイプに徹し、神経症的なパッセージとシンプルな音階の移動だけで微妙なインプレッションを残そうとする。基本的に快楽的ではないけれど、苦行ではなく、過去の実験音楽のようでありながら、やはり過去のそれにはないダンス・カルチャーからのフィードバックを感得せざるを得ない。どちらかというと、そのことは〈メゴ〉盤に色濃く投影され、パート3にあたる"アシッズ・イン・ザ・スタイル・オブ・ライアン・トリーナー"というタイトルが示す通り(誰だ?)、09年にやはり〈メゴ〉からリリースされたフローリアン・ヘッカー『アシッド・イン・ザ・スタイル・オブ・デヴィッド・テュードア』を複数形にしてモジったことは瞭然だし、過去の実験音楽にアシッドを注入するという考え方と、その実践として聴くしかないものになっている。実際、かなりユーモラスな展開が目白押しで、パート2にあたる"ヴォルテックス・スタディーズ"もまたベーシック・チャンネルと同じタイプの地味なユーフォリアを内包し、重箱の隅をつついて回るようなトリップ・モードにまだこだわっていることがよくわかる。

 とはいえ「アシッド・イン・ザ・スタイル~」の方向性を重視するならトムトンツ(復刊エレキング1号P72)でも聴いた方がぜんぜん手っ取り早いことはたしかで、〈ラスター-ノートン〉盤はそれよりもシリアスな試みに終始し、マーク・フェルの資質がユーモアに軸を置いたものではないことがよくわかる。暴力性と叙情性をクラッシュさせたオープニングから一貫して緻密に構築された全17曲は『多重安定性』というタイトルとは裏腹にとてもスリリングで、〈メゴ〉盤よりも過剰にビートを駆使しつつもグルーヴは皆無というポリシーを堅持しつつもベーシック・チャンネルにはないダイナミズムを発揮し、頭でっかちにもまだ充分な未来が開けていることを予感させる(エレクトロニカ健在、というか)。

 〈ラスター-ノートン〉盤は09年8月~2010年7月にかけて録音され、メゴ盤は同じく2010年の8月に一気につくられたとあり、そのような制作プロセスの差も作品の違いによく表れている(電気グルーヴの『J-POP』と『イエロー』みたいな対照性というか)。

These New Puritans - ele-king

 昨年のはじめにリリースされたディーズ・ニュー・ピューリタンズ(以下TNP)のセカンド・アルバム『ヒドゥン』を、今頃になって取り上げるのは他でもない、英国メディアが2010年の重要作としてこぞって賛辞を送るからである。『NME』などは年間ベストという特待ぶりだ。TNPとは何だろうか。クラクソンズらとともに2008年のシーンに浮上し、「ニュー・エキセントリック」等の呼称でメディアから祭り上げられた彼らは、身体性よりも観念を上位に置く点で、ブリティッシュの伝統に眠るプログレッシヴ・ロックの血統を呼び覚ます存在であったとも言えるだろう。セカンドとなる本作においてその傾向はいよいよ強まっている。一方でエディ・スリマンが惚れ込み、ディオールのショーに楽曲提供、また本人たちもモデルとして登場するなどデビュー当初からメジャー感のあるバンドでもあった。方法としては、ダークでミニマルなポスト・パンク的アプローチで強烈に異世界を立ち上げる。ポップ・マーケットにおいて、恋でもなく人生でもなく、種としての人類の卑小さを歌う。それが周囲に比して際立った存在感を放ち、批評性を帯びていることはよく理解できる。UKシーンはこうしたバンドの登場を欲していたわけである。

 しかし、音楽的な評価については少し注意を払いたい。TNPがおもしろいのは、純粋に音のためではないと思うからだ。「iPodのイヤホンなんかのしょうもない音で聴いていたら、きっと新しいスピーカーが欲しくなるだろう。信じてほしい、これはバング&オルフセンを強奪してでも聴く価値がある。(NME)」実際には、おそらく本作の基調を成すブラスや教会風のコーラス隊は、音楽制作ソフトやシンセサイザーなどにプリセットされている音源であり、生音のダイナミズムといったものはない。どちらかといえば平板でちゃちなものである。むしろここで名状されている「iPod」的な音環境にフィットするとさえいえる。しかし、こう考えるのはどうだろうか。本作がおもしろいとすれば、バング&オルフセンなど出る幕のない、こうした平板さのためである、と。

 TNPの佇まいや世界観には、英国中世への幻想をかき立てるところがある。ケルトの森、そこで束縛なく生きるアウトローたち、トラディショナルな楽器が奏でる陽気な舞曲、湿気と冷気にエキゾチックに覆われた伝承的な世界。そして、それを脅かす鎧と剣の世界。TNPのモチーフに重なるのは後者である。"ウィー・ウォント・ウォー"の「ウォー」のイメージは近代戦争ではありえない。トラック半ばで丁寧に「シュキン!」という長剣の音がフィーチャーされているが、その「シュキン!」は、我々が映画やアニメ、ゲームで親しんだファンタジックな中世を象徴するような音だ。本当のところがどうであれ、あの音をきくと無意識に宝飾や意味ありげな刻印のある西洋の剣を思い浮かべるだろう。シャーマニックなドラムと勇ましいブラスに縁どられ、呪文のようなつぶやきがミニマルな展開で高揚を生むこのポスト・パンク・チューンは、CGをふんだんに使った制作費何十億円という歴史ロマンやファンタジー映画が持つ、不思議な平板さを感じさせる。

 けっして論難するのではない。この平板さにリアリティを見たいのである。彼らは生楽器や西洋音楽の正統を継ぐブラス・アンサンブルを、まるで抵抗なくフェイクな音で代用する。彼らが好む中世や古代のイメージもまさに大衆映画的なもので、しっかりと考証されたものというよりはいつか見た勇者とお姫様のRPGのそれと本質的には変わらない。立体的で肉感的な世界をペラペラに圧縮するものである。歴史や時間性を簡単に飛び越えてしまう。本作は、そのようなCG/ゲーム/アニメ的な想像力で成り立ったアルバムである。ただし「虚構の世界をテーマとしたコンセプト・アルバム」などといったものとはおよそ違う。彼らにとってゲーム/アニメ的な世界はコンセプトなどではなく環境なのではないかと思える。音の安っぽさやファンタジー風の世界観はネタではない。彼らにとってオーソドキシーやオーソリティといったものは最初から意味を失っていて、このいびつで半出来なゲーム的音楽こそがリアリティなのではないか。ゲームに詳しくないのだが、それはニンテンドーのピコピコをサンプリングするという態度とも違っている。古い機器に対するフェティシズムを伴う、そんな批評的な遊戯ではない。これは自然であり環境。2次元的な虚構の世界だということは百も承知だけど、でもそんなのはもう普通で、みんなそうでしょう?と。べつに現実の世界にとくに期待するわけでもないし、任意に選んだ好みの世界で、好きなことをやっているだけなのだ、と。よってTNPの音を「ディストピア・ミュージック」として評価するのであれば、彼らの趣味性ばかりでなく、彼らの思惑を超えたところで、その在りよう自体が図らずもポスト・モダンのディストピア的な側面を体現しているととらえるのが正確だ。それはグローファイ/チル・ウェイヴ的な音について、政治的な批評性を欠く逃避音楽だとする「大人」たちからの批判に、「いや、これはオルタナティヴなサイキック・リアリティを伐り拓くものである」と応酬した「チョコレート・ボブカ」のマックレガー氏の言葉にまで繋がっていくだろう。

 "5"のリリックに「すべての木々が歩きはじめ、すべての河が話しはじめる」という部分がある。『NME』誌は「ここにおいて彼らは"タイム・ゾーン"(1曲目)の葬送のモチーフから自然の再生へと円環する」と結論しているが、そのリリックには決定的な続きがある。「それってデジタル操作でそうなるだけなんだけど」。あらゆる情報が平板な一画面に並ぶ世界に彼らと我々は生きている。『ガーディアン』誌はダーティ・プロジェクターズやヴァンパイア・ウイークエンドを引き合いに出しながら、インターネットが可能にした彼らのグローバルな感覚と想像力をTNPにも見出そうとしている。モニター上ですべてのことが起こるこの底の抜けた世界で「ほんとうのこと」とは何か。そこでは木も歩き、河も言葉を話す。TNPはこうした世界をデフォルトとして生きることで、音に強度と説得力とを獲得しているのだろう。

 『ガーディアン』に、1月12日掲載の「ロック・イズント・デッド、イッツ・ジャスト・レスティング(ロックは死んでない。ただ休んでいるだけ)」と題されたブログ記事がある。これは同紙がたきつけた『NME』との「ロックは死んだ」論争のひとつのアンサーだが、週間チャートに占める割合の低さなど全体的なロック不況を指摘しながらも、大きな跳躍力でもってロック・バンドが前線に飛び出てくることを期待する文章である。やはり、というか、もちろんUK国内でもロックの不調に対する深刻な認識があるのだ。これを休息ととるか衰微ととるか、次に何が生まれてくるのか、それとも何も生まれないのか。こうした黎明とも薄暮ともおぼつかない状況下で、オアシス系のコミューナルなバンド・サウンドではなく、TNPというプログレ的なひきこもり音楽に国内メディアの期待が集まっているのはとても興味深いことだ。

ele-king vol.1 - ele-king

巻頭対談:戸川純×の子(神聖かまってちゃん)
〈特集〉最期の実験 拡張するUSアンダーグラウンド(野田努)     他

Bjorn Torske - ele-king

 ノルウェーのコズミック・ディスコを聴いていると、ああ、この国は本当に福祉国家なんだなと思う。ディテールを見れば問題点もあるのは当然だろう、が、少なくとも日本で暮らすよりは老後の心配が少ないことは間違いない。昨年リリースされたプリンス・トーマスのファースト・アルバムディスクヨッケのセカンド・アルバム、あるいはリンドストロームの歌モノ......これらすべてに共通するのは楽天性、お気楽さ、ピースな感覚で、それはダブステップの暗さ、チルウェイヴの憂鬱、あるいはジュークの激情などとはまったく異なる。ディスコの快楽主義は深い絶望の上に成り立つものだが、北欧のコズミック・ディスコからは絶望がまったく聴こえない。シカゴ・ハウスの淫靡さともデトロイトの暗い情動とも無縁である。好むと好むざるとに関わらず、それがコズミック・ディスコの魅力である。

 ノルウェーのダンス・シーンにおけるゴッドファーザー、ビョーン・トシュケの昨年11月にリリースされた『コクニング』である。トシュケは、よく知られたところでは1991年にIsmistik名義でオランダの〈Dジャックス・アップ・ビーツ〉からアシッド・ハウスの12インチを、あるいまた同年にオープン・スカイズ名義ではロンドンの〈リーンフォースド〉からジャングルの12インチをリリースしている。1998年にはロンドンのデトロイト・フォロワーのレーベル〈フェロックス〉から最初のアルバムを発表している。スウェーデンの〈スヴェック〉からもシングルを出している。いずれにしても、インディ・レーベルを拠点に20年ものあいだ作品をリリースし続けているのがトシュケである。

 『コクニング』は、2年ぶりの通算4枚目のアルバムとなる。リリース元はコズミック・ディスコ・ブームによって国際的な名声を得た〈スモールタウン・スーパーサウンド〉。2年前の前作『ファイル・ナップ』を特徴づけたのがダビーなミニマルやエレクトロだとすれば、『コクニング』は70年代前半の、『アウトバーン』以前の、つまりトゲや毒のないクラフトワークがディスコをやっているかのような感じで、クラウトロック・テイストがピースな感覚のもとで強調されているようだ。全体的にテンポは下がって、リズムのヴァリエーションは格段に増えている。メロディは際だち、リスニング色が強まっている......とも言える(が、もちろんこれはダンス・サウンドである)。

 スライドギターのメランコリックな音色を活かしたタイトル曲"コクニング"、アコースティック・ギターのコードストロークとシンセサイザーの音色を重ねる、ベルゲン市内にある山の名前を冠した"グルフィェル"、親しみやすいメロディとハウス・ビートがミックスされる"ニッテン・ニッテン"、ピアノが印象的な"スリッテ・スコ"といった曲が象徴的で、典型的なコズミック・ディスコの"ベルゲンセレ"もあるが、前作にあったチップチューンめいたエレクトロはない。洗練され、ずいぶんと心地よく、お洒落で、まあとにかく、ある種のゆるさ、ほのぼのさ、微笑みといったものが、空気のように漂っている。トゲも毒も絶望もないが、『ファイル・ナップ』でファンになったリスナーにとっては、間違いなく前作以上に好きになれるアルバムである。

DJ Roc - ele-king

 シカゴ・ブルースのパパ・チャーリー・ジャクスンやアーサー・ブラインド・ブレイク、シカゴ・ハウスのロニー・スローンやロン・ハーディと同じ地位を占める男は、いまはRP・ブーということになるらしい。ドレッドヘアが波打つキャヴェイン・スペースがまだDJブーと名乗っていた時期にオル・ダーティ・バスタードのヴォイス・サンプルを駆使してつくりあげた「ベイビー・カム・オン」(97)という白盤が現在のシカゴでフットワークもしくはジュークと呼ばれるシーンの発端とされているからである。必ずというわけではないけれど、その多くは短いヴォイス・サンプルをループさせ、ときには32ビートだと主張される細かいビートの一部を構成し、ソリッドで神経症的なリズムが濃密に組み上げられる。BPMも160が平均だとされ、例によってハーフ・テンポでリズムを取り、(やはり必ずではないけれど)チキチキが影響しているようなハイ・ハットがポリ-リズミックに加わることでディープなファンクネスが達成される。つまり、相当な情報量にもかかわらず、まったく疲れない。〈プラネット・ミュー〉が年末ギリギリにリリースしたコンピレイション『バングス&ワークス』のインナーを見ると、アフリカ系ばかりが14人も並んでいるという時点ですでに何かが物語られているのではないだろうか(白人ではやはりシカゴから自らをジューク-レイヴ-ジャングル-ディスコ-トロピカル-ハイ・エナジー-ギャングスタ-ダンスホール-ゲットー-ガラージ-コアと称するクリッシー・マーダーボットがDJとしてはシーンに貢献しているとして名前がたびたび挙がっているものの、09年に自らが運営するジューク-レイヴ-ジャングル-ディスコ-ダブステップ-ハイ・エナジー-ダンスホール-ゲットー-コア専門のスリージートーンからリリースしたファースト・アルバムを聴く限りは単にテンポが速いだけというか......。また、〈プラネット・ミュー〉がこのシーンにコミットしていった経緯はDJネイトのレヴューに貼られているリンクを参照のこと。簡単にいうとマイク・パラディナスはジャングルがやはりハーフ・テンポでリズムを取っていたことを思い出し、のめり込んでいったらしく、その結果は→
 また、パラディナスにとってはいつの間にかイギリスには輸入されなくなった〈ダンス・マニア〉との連続性を喚起する部分もあったそうで、その記憶はDJロックのアルバム・デザインにそのまま反映されている。DJファンクやDJミルトンの12インチを集めたDJたちには懐かしい色と書体ですなー)。

 『バングス&ワークス』は当たり前のことだけど、モノトーンのベースで押し切るDJエルモー"ヨ・シット・ファックド・アップ"からDJキラ・Eによる壮大な"スター・ウォーズ"など幅は広いし、アル・カポネをモジッたらしきDJロックのファースト・アルバムはスウィングでもしているようにサンプリングを絡み合わせ、ある種の躁状態を圧倒的な集中力で最後まで持続させる(全20曲があっという間!)。南アフリカのシャンガーンも同じようなBPMの速さだったけれど、やはりベースが効いているせいか、ここで展開されている音楽は圧倒的に都会的だといえる。また、〈プラネット・ミュー〉の功績なのか、シカゴ以外にもフォロワーが散見されるようになり、イギリスではヘッドハンターの変名だというアディソン・グルーヴを皮切りにティムデックジェネラル、ダブヘッズ、DJアンダーカヴァー、スラッゴトロン、フットワーク・リズム・ティームなどが早くも動き出している。

DJ DUCT (THINKREC.) - ele-king

2010年ベストディスク


1
Erykah Badu- New Amerykah Part Two: Return of the Ankh - Motown

2
Mochilla Presents Timeless - Suite for Ma Dukes - Mochilla

3
Moody - Ol' Dirty Vinyl - KDJ

4
Black Milk - Album Of The Year - Fat Beats

5
Nick Speed - Speed of Sound - Underground Resistance

6
Flying Lotus - Cosmogramma - Warp Records

7
Jeff Mills - The Drummer Part2,3 - Purpose Maker

8
9dw - rmx - ENE / CATUNE

9
Soft vs DJ Duct - Loop Segundo - NNNF

10
DJ Duct - Backyard Edit Pt.2,3 - THINKREC.

Teebs - ele-king

 2010年のクラブ・シーンにおける大きな出来事のひとつにフライング・ロータスの『コスモグランマ』があった。『Resident Advisor』は年間ベストの2位に、礼儀正しい『TINY MIXTAPES』は"好きなアルバム50枚"の4位に、日本のインディ・ロック・キッズにもカニエ・ウェストを買わせたであろう『PITCHFORK』は14位に......、『FACT』にいたってはトップ40枚にも入らないという極端に低い扱いだが(曲がりなりにもクラブ・メディアがJJのようなアコギ系ソフト・ロックを褒めておいてあれは酷い)、僕自身も『コスモグランマ』を初めて聴いたときにはとても興奮したし、2010年のハイライトに違いないと思ったけれど、結局自分の"好きなアルバム10枚"には入らなかった。15位以内には入るけれど、たったいま聴き返してみたいという衝動には駆られない。

 理由はいくつかある。ある時期からエレクトロニック・ミュージックへの興味がジェームス・ブレイクに注がれたこと、あるいはエメラルズOPNのコズミック・ミュージックに強く魅入られてしまったこと......等々。発表された当時はよく聴いたものだが、夏以降は聴かなくなってしまった。宇宙に行きたければエメラルズを聴いたし、ビートを楽しみたければダブステップを聴いた。『コスモグランマ』は良くも悪くも古典的で、スティーヴン・エリソンに何度か取材した経験で言えば、彼はおおよそ古典主義者的な人だった。彼には良くも悪くも厳格的なところがある。そういう彼の属性を考えれば『コスモグランマ』は完璧で、エリソンの芸術的な高みに違いないとは思うのだが、実際のところ『ロサンジェルス』のラフな感覚のほうが好きなファンも多いではないのだろうか。

 ティーブスとトキモンスタ、この2枚とも2010年のリリースであり、フライング・ロータスの〈ブレインフィーダー〉まわりのトラックメイカーであり、どちらも好きなアルバムだ。2枚ともドリーミーで、際だったトゲのない穏やかな音楽と言えるし、ファンタジーめいているとも言える。ノサジ・シングといいゴンジャスフィーといい、あるいは〈ロウ&セオリー〉周辺にはサイケデリックな感性が横溢しているように思える。これに関してはトラックメイカーのみならず、〈ノット・ノット・ファン〉のようなインディ・レーベルからベスト・コーストないしはノー・エイジのような連中にいたるまでの最近の西海岸の"傾向"でもあるけれど、その基本は酩酊のための音楽だと思っている。もっとも酩酊の感覚は大衆音楽にとっては重要な要素で、Pファンクからチルウェイヴ、レゲエからアンビエント、ジャズからハウスにいたるまで銀河のように広がっている。スティーヴン・エリソンのなかの厳格さも、こうした音楽の快楽原則に逆らっているわけではない。ゆえに『コスモグランマ』も好かれたのだろう......が、同時に僕は『ミッドナイト・メニュー』と『アーダー』も気に入っている。かたや韓国系アメリカ人女性、かたや元画家によるヒップホップの夢想である。

Fm3 - ele-king

 東洋の音楽においては譜面よりもどの楽器で演奏されるのかが重要だ。尺八の演奏は尺八で演奏されるから良いのであって、同じ音程を他の楽器で代用することには意味がない。楽器は音楽を演奏するための道具ではなく、楽器そのものがひとつの宇宙となる。演奏の技術を堪能するのではなく、その楽器のみが発信する音そのものに陶酔する。楽器を道具として徹底的にいじりまくるブラック・ミュージックとはそこが決定的に違う。われわれは、ジミ・ヘンドリックスの演奏に狂喜するいっぽうで、無造作に鳴ったガットギターの短音の響きなかに宇宙を感じてしまう......。そしてこの「聴き方次第」というコンセプトはアンビエントへと繋がる。

 今日のアンビエント・ミュージックに大きな影響を与えている1960年代のミニマル・ミュージックやジョン・ケージの発想の背後には、禅の思想が絡んでいる。部屋を綺麗にしたいから掃除をするのではない。掃除をしたいからするのだ。心を落ち着かせたいから瞑想したいのではない。瞑想したいから瞑想するのだ。健康を考えて走るのではない。走りたいから走るのだ。行為における意味は破壊的に剥奪される。ステージと客席の境界線は溶解し、再生装置から出される音と聴覚とのあいだの隔たりも消える。

 というわけで、2010年最後のレヴューは『ブッダマシーン3.0』。中国におけるアヴァンギャルド/エレクトロニック・ミュージックのふたり組(Christiaan Virant & Zhang Jian)によるプロジェクト、Fm3による人気シリーズの最新作で、数年前に1分弱のループが9本収録された小型の可愛らしいボックスとして発売され、手頃な価格ということもあってか、マニアックなリスナーのみならず、普段はミニマル・ミュージックなどには縁のないサラリーマンやOLのあいだでも話題となった。2009年にはスロッビング・グリッスルの代表曲のループを収録した『グリッスリズム(Gristleism )』("ハンバーガー・レディ"をはじめ13曲のループが収録)が発売されているが、このときは中原昌也がこれを使って店頭ライヴをやったほどだった。

 今回リリースされる『ブッダマシーン3.0』は、中国の古い楽器、古琴を使ったもので、ずいぶんと長い4つのループが収録されている(試聴はこちら→https://www.inpartmaint.com/)。曲名は"春""夏""秋""冬"となっているそうだが、はっきり言ってどれが"春"でどれが"冬"なのかはわからない......が、そんなことはどうでも良いと思えるほど素晴らしいのだ。何よりも作風がいままでとは違っていいて、『ブッダマシーン2.0』よりも大胆な音のすき間がある。しじまとともに古琴の音そのものの宇宙は広がり、そして本当に何時間も流していても飽きることがない。音質も12kまで向上しているので、僕は家のアンプに差し込んで聴いている。ボディーがスケルトン仕様で5色もあるし、正直言うと、もう一台手に入れようかと考えている。同じループをずらしてミックスすれば、これが極上のミニマル・ダブになるんです。

 それではみなさん良いお年をー。

Mist - ele-king

 カラード・マッシュルーム・アンド・ザ・メディシン・ロックスのキノコ・ジャケに続いてエメラルズからジョン・エリオットレイディオ・ピープルことサム・ゴールドバーグによるセカンド・コラボレイション。EPと銘打たれ、45回転というフォーマットにもかかわらず、かつてなく濃厚な構成と全体を大きく突き動かすダイナミズムが一気に聴き手を引き込んで離さない。ムーグやコルグをメインとしたアナログ・シンセサイザーが序盤から大きく波打ち、ベースのうねりは70年代の記憶をくすぐりかねないほどレトロ色を帯びつつも、メディテイションとは違う事態へと発展している。まったく新しいとまではいわないけれど、チルアウトやクラウトロックとはまた違ったテクスチャーに向かって一歩を踏み出そうというものになりつつあるというか。タイトル曲ではジュリアン・コープによるアンビエント・プロジェクト、クイーン・エリザベスを思わせるアブストラクなドローイングを先達と同じく心のままに楽しんでいる感じがよく伝わってくる(叙情性に関して屈託のない曲ほど古さを帯びて感じられるというのは、はて、なぜなのか)。

 また、オリジナルのカセット・リリースを09年に〈ディジタリス〉が6種類のジャケットでアナログ化していたイマジナリー・ソフトウッズ名義のドローン作も、新たにジェイムズ・プロトキンのリマスターを得て同時期にリイッシュー。アナログ2枚組のヴォリウムで展開されるアンビエント・ドローンはイーノを思わせるスタティックな世界観に貫かれ、最近になってアウター・スペースや上記のコラボレイションなどで躍動感を強く押し出している面とは違う側面を強く印象づける(たまたま、年末の行事が立て込んでいるときに、疲れ果ててぼんやりと聴いていたら、これが効いてしまいましたね)。音数を抑え、ドローン本来の単音だけで展開される「延び」にすべての神経を集中させた感じは単純なドローンから様々に変容を遂げつつある現在において、シンプルな表現の強さを奪い返すような出来と言えるだろう......って、2年前に制作されたものだから、ある意味、当たり前か。あるいは、そこにスティーヴ・ライヒを思わせる弦楽の響きが漣のようにループされ、その残響音だけで聴かせるシークエンスや『ミュージック・フォー・エアポート』をドローン化したような"アンタイトルド(B3)"など、静謐をつくり出すヴァリエイションにもどこか考え抜かれた風情がある。リマスター以前のヴァージョンを聴いていないので、プロトキンの力量がどれほどのものかはわからないけれど、それなりのものがあるのだろうと思いつつ......(プロトキンに関してはOPNからサン・アローまで、このところの大事な作品では彼の名前を見ないものはないというほど気になる存在となっているので、復活版『ele-king』でインタヴューをオファー。この10年のUSアンダーグラウンドについて広く話を訊いているので、お楽しみに)。

 それにしても2010年はエメラルズにはじまり、エメラルズで終わっていくなー。2011年は誰がこれに匹敵する大量リリースで振り回してくれることだろうか。
 それではよいお年を。

Factory Floor - ele-king

 2010年5月にリリースされた作品で、自分はこのアーティストを知らなかったけれど、2011年の1月にリリースされるシーフィールの15年振りの新しいアルバムのためにマーク・クリフォードに取材をしたところ、とにかく彼が若い世代のアーティストで積極的に好きなのはこのファクトリー・フロアしかいないと言っていたので、早速チェックした。そしてなるほど、たしかにインパクトのある素晴らしい音楽だった。シーフィールの新しいアルバムには、カンと、そしてドローンやノイズをやっていた頃のクラスターを感じることができるが、ファクトリー・フロアのこの10インチ+DVDのセットは、シーフィールのそうしたセンスにジョイ・ディヴィジョンとザ・フォールの容赦ない悪夢が加わった......と喩えることができるかもしれない。もっともシーフィールのノイズには陶酔的な響きがある。しかし、ファクトリー・フロアにあるのはニヒリスティックな響きである。

 DVD、4曲入りの10インチ、どちらからも強い気持ちを感じる。1時間にもおよびぶDVDはモノクロの抽象的な映像とノイズがシンクロしている。ビートもメロディもない。ノイズだけが生物のように唸りをあげている。"K"時代のクラスターに近いが、ガスやアブストラクトなミニマル・テクノを通過した質感がある。
 合計で40分近くある10インチのほうは、荒涼としたディストピア・ダンス・サウンドだ。暗がりのなかで冷酷なビートが反復する。インダストリアルなテクノ・サウンドのクリシェとも言える無機質な8分音符の繰り返しと沈んだ声は、時折ダークスターの『ノース』とも接近するが、デトロイトのドップラー・エフェクトのダーク・エレクトロやアンドリュー・ウェザオールのソロ作品ともディスコの裏側で手を結んでいるようだ。人間性を欠いたメトロノームのビートはもはや機械のように働くしかない人間を描いている。いくら神経がすり減ったとしても終わることのない労働......。逃げ出したくても逃げられない工場の床、その閉塞された感覚、リズムは金属の軋みによって生まれる。

 ファクトリー・フロアは以前はKAITOというロック・バンドで活動していたニッキ・コークの、ほとんどワンマン・プロジェクトである。2年前からこの名義でシングルを発表しているようだが、アンダーグラウンドな限定リリースが主で、まだ正式なアルバムはリリースされていない。そして、それが出たらセンセーションを起こすかもしれないと思わせるポテンシャルがある。ちなみに映像も音もデザインも、マスタリングもすべてニッキ・コークが手掛けている。

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