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These New Puritans

These New Puritans

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橋元優歩 Jan 19,2011 UP

 昨年のはじめにリリースされたディーズ・ニュー・ピューリタンズ(以下TNP)のセカンド・アルバム『ヒドゥン』を、今頃になって取り上げるのは他でもない、英国メディアが2010年の重要作としてこぞって賛辞を送るからである。『NME』などは年間ベストという特待ぶりだ。TNPとは何だろうか。クラクソンズらとともに2008年のシーンに浮上し、「ニュー・エキセントリック」等の呼称でメディアから祭り上げられた彼らは、身体性よりも観念を上位に置く点で、ブリティッシュの伝統に眠るプログレッシヴ・ロックの血統を呼び覚ます存在であったとも言えるだろう。セカンドとなる本作においてその傾向はいよいよ強まっている。一方でエディ・スリマンが惚れ込み、ディオールのショーに楽曲提供、また本人たちもモデルとして登場するなどデビュー当初からメジャー感のあるバンドでもあった。方法としては、ダークでミニマルなポスト・パンク的アプローチで強烈に異世界を立ち上げる。ポップ・マーケットにおいて、恋でもなく人生でもなく、種としての人類の卑小さを歌う。それが周囲に比して際立った存在感を放ち、批評性を帯びていることはよく理解できる。UKシーンはこうしたバンドの登場を欲していたわけである。

 しかし、音楽的な評価については少し注意を払いたい。TNPがおもしろいのは、純粋に音のためではないと思うからだ。「iPodのイヤホンなんかのしょうもない音で聴いていたら、きっと新しいスピーカーが欲しくなるだろう。信じてほしい、これはバング&オルフセンを強奪してでも聴く価値がある。(NME)」実際には、おそらく本作の基調を成すブラスや教会風のコーラス隊は、音楽制作ソフトやシンセサイザーなどにプリセットされている音源であり、生音のダイナミズムといったものはない。どちらかといえば平板でちゃちなものである。むしろここで名状されている「iPod」的な音環境にフィットするとさえいえる。しかし、こう考えるのはどうだろうか。本作がおもしろいとすれば、バング&オルフセンなど出る幕のない、こうした平板さのためである、と。

 TNPの佇まいや世界観には、英国中世への幻想をかき立てるところがある。ケルトの森、そこで束縛なく生きるアウトローたち、トラディショナルな楽器が奏でる陽気な舞曲、湿気と冷気にエキゾチックに覆われた伝承的な世界。そして、それを脅かす鎧と剣の世界。TNPのモチーフに重なるのは後者である。"ウィー・ウォント・ウォー"の「ウォー」のイメージは近代戦争ではありえない。トラック半ばで丁寧に「シュキン!」という長剣の音がフィーチャーされているが、その「シュキン!」は、我々が映画やアニメ、ゲームで親しんだファンタジックな中世を象徴するような音だ。本当のところがどうであれ、あの音をきくと無意識に宝飾や意味ありげな刻印のある西洋の剣を思い浮かべるだろう。シャーマニックなドラムと勇ましいブラスに縁どられ、呪文のようなつぶやきがミニマルな展開で高揚を生むこのポスト・パンク・チューンは、CGをふんだんに使った制作費何十億円という歴史ロマンやファンタジー映画が持つ、不思議な平板さを感じさせる。

 けっして論難するのではない。この平板さにリアリティを見たいのである。彼らは生楽器や西洋音楽の正統を継ぐブラス・アンサンブルを、まるで抵抗なくフェイクな音で代用する。彼らが好む中世や古代のイメージもまさに大衆映画的なもので、しっかりと考証されたものというよりはいつか見た勇者とお姫様のRPGのそれと本質的には変わらない。立体的で肉感的な世界をペラペラに圧縮するものである。歴史や時間性を簡単に飛び越えてしまう。本作は、そのようなCG/ゲーム/アニメ的な想像力で成り立ったアルバムである。ただし「虚構の世界をテーマとしたコンセプト・アルバム」などといったものとはおよそ違う。彼らにとってゲーム/アニメ的な世界はコンセプトなどではなく環境なのではないかと思える。音の安っぽさやファンタジー風の世界観はネタではない。彼らにとってオーソドキシーやオーソリティといったものは最初から意味を失っていて、このいびつで半出来なゲーム的音楽こそがリアリティなのではないか。ゲームに詳しくないのだが、それはニンテンドーのピコピコをサンプリングするという態度とも違っている。古い機器に対するフェティシズムを伴う、そんな批評的な遊戯ではない。これは自然であり環境。2次元的な虚構の世界だということは百も承知だけど、でもそんなのはもう普通で、みんなそうでしょう?と。べつに現実の世界にとくに期待するわけでもないし、任意に選んだ好みの世界で、好きなことをやっているだけなのだ、と。よってTNPの音を「ディストピア・ミュージック」として評価するのであれば、彼らの趣味性ばかりでなく、彼らの思惑を超えたところで、その在りよう自体が図らずもポスト・モダンのディストピア的な側面を体現しているととらえるのが正確だ。それはグローファイ/チル・ウェイヴ的な音について、政治的な批評性を欠く逃避音楽だとする「大人」たちからの批判に、「いや、これはオルタナティヴなサイキック・リアリティを伐り拓くものである」と応酬した「チョコレート・ボブカ」のマックレガー氏の言葉にまで繋がっていくだろう。

 "5"のリリックに「すべての木々が歩きはじめ、すべての河が話しはじめる」という部分がある。『NME』誌は「ここにおいて彼らは"タイム・ゾーン"(1曲目)の葬送のモチーフから自然の再生へと円環する」と結論しているが、そのリリックには決定的な続きがある。「それってデジタル操作でそうなるだけなんだけど」。あらゆる情報が平板な一画面に並ぶ世界に彼らと我々は生きている。『ガーディアン』誌はダーティ・プロジェクターズやヴァンパイア・ウイークエンドを引き合いに出しながら、インターネットが可能にした彼らのグローバルな感覚と想像力をTNPにも見出そうとしている。モニター上ですべてのことが起こるこの底の抜けた世界で「ほんとうのこと」とは何か。そこでは木も歩き、河も言葉を話す。TNPはこうした世界をデフォルトとして生きることで、音に強度と説得力とを獲得しているのだろう。

 『ガーディアン』に、1月12日掲載の「ロック・イズント・デッド、イッツ・ジャスト・レスティング(ロックは死んでない。ただ休んでいるだけ)」と題されたブログ記事がある。これは同紙がたきつけた『NME』との「ロックは死んだ」論争のひとつのアンサーだが、週間チャートに占める割合の低さなど全体的なロック不況を指摘しながらも、大きな跳躍力でもってロック・バンドが前線に飛び出てくることを期待する文章である。やはり、というか、もちろんUK国内でもロックの不調に対する深刻な認識があるのだ。これを休息ととるか衰微ととるか、次に何が生まれてくるのか、それとも何も生まれないのか。こうした黎明とも薄暮ともおぼつかない状況下で、オアシス系のコミューナルなバンド・サウンドではなく、TNPというプログレ的なひきこもり音楽に国内メディアの期待が集まっているのはとても興味深いことだ。

橋元優歩