Home > Reviews > Album Reviews > Robert Wyatt,Ros Stephen,Gilad- For the Ghosts Within
ジャズを愛する反体制的な吟遊詩人による美しい1枚。かつて「私はジャズ・ミュージシャンではない」と語っていた人の、正々堂々たるジャズ・アルバムだ。前作『コミックオペラ』の世界の無惨な姿を描こうとするディストピアックなヴィジョンから一転して、バイオリン奏者のロス・スティーヴンとジャズ・サックス奏者のギルアド・アツモンの協力を得て作られたこのアルバムは、ジャズのスタンダード・ナンバー――デューク・エリントンの"イン・ア・センチメンタル・ムード"、 セロニアス・モンクの"ラウンド・ミッドナイト"、ナット・キング・コールやジョン・コルトレーンの演奏で知られる"ラッシュ・ライフ"など――を息を呑むほど緊張感のある演奏と歌で取り組んでいる。ポスト・パンク時代の大名曲として知られる"アット・ラスト・アイ・アム・フリー"、1997年に発表した『シュリープ』収録の"マリアン"の2曲をセルフ・カヴァーしている。
インナースリーヴに歌詞のいち部が引用された3曲目の"ザ・ゴースト・ウィズイン"はアルバムにおいて重要な意味をほのめかしている。「私たちはいまここにいる/私たちは内なる幽霊/いつになったらあなたは気がつくのだろう/私たちはいるべき場所にいるのだと?」......嘆き悲しむサックスの音と表情を抑えたダブルベースが、われわれを残酷な現実へと引き連れていく。象徴的な言葉によるロス・スティーヴンのエレガントな歌が耳から入って心にまとわりつく。「私たちはかつてこの地に暮らしていた、永いあいだ/レモンの木の香りに囲まれて」......レモンの木というから温かい地方なのだろうか、故郷を奪われた人たちの思いなのだろうか......。
続く4曲目の、クラリネットが素晴らしい"ホエア・アー・ゼイ・ナウ?(彼らはいまどこに?)"はモダン・ジャズのクリシェをゆっくりと崩しながらブレイクビーツへと変容させる。女性の声でラップが飛び出す。「パレスチナの国に美女が生まれた/どれほど可愛らしいかあなたに見えるか?/見てごらんなさい/なんて美しいのでしょう」
見事なまでにパレスチナの人びとへの賛歌となっているこの曲で、ここぞとばかりにこの老音楽家は歴史に抑圧されたすべての人たちへの共感を隠そうとしない。そして相変わらず容赦なく、ストレートに西欧文明を批判する。「素敵な国/酷い政治/それについて語れば1日かかる/西側の占拠/民族浄化/私たちは忘れてはいけない/そして戻ってくるその日まで忘れてはいけない」
アルバムにおいて、ロス・スティーヴンはかけがえのない活躍をしている。彼女のヴァイオリンと歌は、ワイアットの怒りの炎を温かいエモーションへと誘導する。"アット・ラスト・アイ・アム・フリー"、それからルイ・アームストロングの"ホワット・ア・ワンダフル・ワールド"をワイアットは崇高な声で歌い、そして強く訴えている。これはまったくもってヒューマニズムの音楽である。家に帰り、テレビの報道番組を見ると戦争を駆り立てるようなニオイが漂ってくる。『フォー・ザ・ゴースト・ウィズイン』は礼儀正しく官能的な傑作だ。それはわれわれに鋭く問いかけているようだ。
野田 努