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Alex Turner

Alex Turner

Submarine OST

Domino/ホステス

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野田 努   May 11,2011 UP
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 思春期というのはそれを過ごしているあいだは「早く歳を取りたい」と願うものだが、実際に年を取ってみれば、誰にも平等にあっという間に過ぎていく。僕は自分が思春期の頃、パンク・ロックを本当に熱心に聴きながら、この気持ちを大人になっても決して忘れまい......と自分の心に強く思っていたものだったが、悲しいかな、けっこう忘れてきている。
 思春期とは、医学的に言えば心身ともに性に目覚め、子供の身体から大人の身体へと成長する過程のことで、それは人生において本当にわずかな期間だ。が、そのわずかな数年間における人間の感性がロックンロールと呼ばれる音楽を激しく求めてきたことは言うまでもない。ジョン・サヴェージにならって言えば、ロックンロールとはティーンエイジャーの宗教である。
 そして......さらに続けてサヴェージ的な論で話を進めるのなら、国家はティーンエイジャーを将来そのために働く構成要員のひとりか、さもなければひとつのマーケットにしか見ていない。しかし思春期は、そうした自分のおかれた状況をある程度見抜く力が備わっている年頃であり、ゆえに思春期はその内部において膨大な量の反抗のエネルギーを創出しうる年頃でもある。性に目覚めながら抑圧を経験し、ある者は短時間で人生のすべてを経験しようと生き急ごうする。ロックンロールはそうした思春期が求めるもっとも衝動的な音楽のスタイルだ。セックス・ピストルズが衝撃的だったのは、ロックンロールが政治的な主張にまで大胆に踏み込んだことだった。

 アークティック・モンキーズはゼロ年代におけるロックンロールを具現化できたUKのバンドである。ことアレックス・ターナーの歌詞は、瞬く間に国中の同世代の共感を得るにいたり、かくして思春期の気持ちを実に優れた文学性のある言葉で描いていると、大人たちも舌を巻いたということになっている(『ピッチフォーク』いわく"作詞家のエース")。彼らの苛立ち、ささくれ立ち方には思春期特有のニヒリズムとシニシズムがあり、その描き方において彼らは優秀だったのだ。そう教えられて日本盤の訳詞を読んでいると、たしかに「ああ、なるほどなぁ」と思える箇所があるものの、風刺性の高さに特徴を持つその言葉は、たとえば電気グルーヴやSDPの歌詞を英訳してもおそらくイギリス人が面白がれないように、僕にはなかなかスムーズに理解できない("フロレセント・アドレセント"が年老いた元レイヴァーを小馬鹿にした歌だなんて、訳詞を読んでも理解できなかった)。
 まあ、音を楽しめばいいわけだが、あいにく僕の家にはすでにたくさんのロックンロールのレコードがあるので、これは彼らと同世代の若者が熱中していれば良いんじゃないかと思っている。基本的に僕のような悲しい中年が何か言うべきではない(と言いつつ書いているのだが......)。
 若者もいつか必ず若者ではなくなる。延々と思春期を主題にできるロックンロール・バンドは地球上ではギター・ウルフぐらいなもので、人は平等に歳を取って思春期を通り過ぎていく。セックス・ピストルズが1枚のアルバムで解散したように、ロックンロールとは刹那的な輝きであって、わりとすぐに終わるものなのだ。アークティック・モンキーズはそれを最初の2枚で片を付けて、おそらく3枚目でより大人びた方向へと進もうとしたはずなのに、新作を聴いた感想を言えばふたたび思春期に舞い戻ってきているようにも思える。

 『サブマリン』はサウンドトラックで、映画は思春期の青年が両親の離婚を経験したり童貞を喪失するという話を、イギリスらしいブラック・ユーモアたっぷりに描いた作品だという。アレックス・ターナーがそんな映画のために曲を書くというのはまあ理にかなっていると言えるだろう。そして、僕がこの作品を聴いてみたくなった理由はただひとつ、このアートワークをレコード店で見たとき惹かれたからである。デザインが良いし、アートワーク全体が思春期を主張している。自分のなかでじょじょに忘れられていく思春期の感性がこれを求めたのだ。それであるとき、渋谷のディスクユニオンで橋元優歩さんに「これどうだった?」と訊いたら「まあ、いつもの感じで」と言われた。その「まあ、いつもの感じで」という言葉の背後には、特筆すべき音楽ではないというメッセージが織り込まれていた。が、そう言われてもやはりどうしても心のどこかで気になっていたので、結局、遅ればせながら聴いて、こうしてレヴューを書いている。

 『サブマリン』には思春期を主題とした6曲の歌が収録されている。アレックス・ターナーは信じられないほどさわやかに歌っていて、歌声はロマンティックな夢とシニシズムとのあいだでクラゲのように揺れている。「僕はそんな愚か者じゃないんだよ/ただダラダラ座って/キミのために星の歌を歌うなんてさ」と、多少の皮肉を込めながら、思春期の内向性をくすぐる彼の言葉は実に綺麗なメロディで歌われている。昔ながらのオーソドックスな(ドラムレスの)フォーク・ソングという点では誰もが親しみやすい音楽だと言えるが、やはり歌詞が面白い。「キミに今夜一緒にいて欲しいって言われたら/気持ちを隠すことなんか出来やしない/僕の目の白いところが輝き出してる」
 すべては優しく歌われているが、言葉にはところどころに英国流のトゲがある。曲の美しさと彼のおかしみのある倒錯した言葉とのコントラストが見事なのだ。「スタートを切れる新しい場所を探してる/理解するのは難しいような気がするけど/そうやってクスリをあおり続けられるなら/きっとまた吐きだす方法もみつかるはずさ」

 『サブマリン』からはアレックス・ターナーの抜きん出た才能が僕にもわかりやすく聴こえる。たしかにどうってことのない、特筆すべき音楽ではないのだろうけれど、この作品は思春期のさまざまなイメージが錯綜する素晴らしい叙情詩なのだ。「僕は脇の方に向かって泳ごうとしたけど/真ん中で足が攣ってしまった/その時 光を見た気がしたんだよ/でも ああ 違う/僕はただパズルにハマってただけなんだ」
 まったく......ああ、何て良い歌だろう。

野田 努