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RIP

R.I.P. Andrew Weatherall

R.I.P. Andrew Weatherall

Feb 18,2020 UP

野田努

 1997年初夏、日曜日の晩、場所はロンドンはカムデンタウンのライヴハウス。新代田FEVERぐらいのフロアに客は20人いるかいないか。DJはアンドリュー・ウェザオール。彼は映画音楽や古いラウンジ・ミュージック、そしてダウンテンポのトラックをおよそ1時間以上にわたってプレイしながら、その日の目玉であるレッド・スナッパーのライヴのためのサポートに徹していた。
 「あれだけの大物でありながら、彼は自分の好きなバンドのためなら、こうした小さな場所でも率先してDJをやるんだよ」、イギリスの音楽業界のひとりがぼくにそう自慢げに語った。ライヴが終わると再びウェザオールは彼の信念のこもったDJを再開した。客がいなくなるまで。
 WARPの創業者のひとり、スティーヴ・ベケットはウェザオールのことを「アンダーワールドやケミカル・ブラザース以上にビッグになれたのに、敢えてそれとは逆の方向のマイナーなほうに走った」と説明したことがある。こう付け加えながら。「レーベルとしては残念だったけれど、アーティストとしては尊敬に値する」

 アンドリュー・ウェザオールとはそういう人だった。
 彼の名声は、1990年、プライマル・スクリームのこれ以上ないほど素晴らしい“Loaded”によってたしかなものとなった。負け犬のソウルを歌ったあの魅力たっぷりのオリジナル曲(I'm Losing More Than I'll Ever Have)を、ウェザオールは薄汚れていながらも崇高な高まりへとみごとに変換させた。冒頭の映画『ワイルド・エンジェル』の科白、そして70年代のアメリカのソウル・グループ、ジ・エモーションズの“I Don't Wanna Lose Your Love”のコーラス、こうしたカットアップによる彼のリミックスは、たんなる曲の再構築ではなく、別の意味をはらんだあらたな曲の創造だった。そして言うまでもなく、それはあの時代の最高中の最高のアンセムとなった。

 2月17日、アンドリュー・ウェザオールがロンドンの病院で他界したことが発表された。死因は肺塞栓症。56歳だった。これまた言うまでもないことだが、アンドリュー・ウェザオールは歴史を変えたDJのひとりである。UKダンス・カルチャーを代表するDJであり、挑戦と努力を惜しまないプロデューサーだった。“Loaded”以外でも、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン“Soon”やニュー・オーダー“Regret”、セイント・エチエンヌ“Only Love Can Break Your Heart”やイエロや……挙げたらキリがないが、まだハウスを知らないインディキッズにそれを教えた第一人者でもある。イギリス人から「Andrew Weatherall is my hero」という言葉を、これまで何度聞かされてきたことか……。
 日本においてもその影響は計り知れない。渋谷系からテクノやダブのシーンにいたるまで、インディからクラバーにいたるまで広範囲に及んでいる。とてつもなく重要なDJがこの世界からいなくなってしまった。

 アシッド・ハウスの狂騒のなかから登場したアンドリュー・ウェザオールだが、その延長であるバレアリックのシーンが巷でもてはやされると、ハッピーではなく、軽快でもなく、そしてノリノリでもない、おそらくその当時の誰もがあまり望んでいなかったダークでアブストラクトな方向性=ザ・セイバース・オブ・パラダイスへとシフトした。レイヴの季節が終わり、厳しい時代の到来を予見していたかのように。
 彼はそういうプロデューサーだった。ときのトレンドがどうであれ、まわりにどう思われていようと自分がやりたいことをやる。ダブであれロカビリーであれIDMであれ、そのときの自分が本気で愛情を注げるものしかやらない。ほとんどすべてのDJがスポーティーなクラブ・ファッションで身を包んでいた90年代初頭にただひとりラバーソウルを履いていたように。彼は結局最後まで、ソロ・アルバムとしては最後となってしまった2017年の『Qualia』まで、そのやり方を曲げなかった。

 ぼくがウェザオールのDJを初めて聴いたのは1992年のロンドンの映画館を貸し切って開催された、あの時代特有の狂ったレイヴ・パーティ(High on Hope=希望ある高揚という、いま思えばふざけた名前のパーティ)だった。その後もロンドンのテクノ・イベントや彼自身が主宰していたクラブ(テムズ川を越えたいまは無き、人気などまったくない倉庫街にあった)でのDJなど、さまざまな場所で聴いているけれど、ウェザオールは同じようなセットを二度と繰り返していなかった。
 おそらく94年かそれくらい、当時彼が主宰していたレーベル〈Sabres Of Paradise〉の事務所も忘れがたい。それは再開発されるずっと前のソーホーの、ポルノショップなどが並ぶいかがわしい一角のビルの2階にあった。イビサでDJしたらたった2曲でデッキから降ろされたという経験を持つ彼のセンスは、リゾート地の太陽からは100万光年離れていたし、大勢を喜ばすためにレコードバッグのなかに好きでもないレコードを2~3枚入れることもできない人だった。いまでこそそうした態度を格好いいと言える人も少なくないのだろうが、当時としては極めて異端だった。
 また、90年代前半はエイフェックス・ツインやマイケル・パラディナスのような、クラブで踊っているというよりは自室に籠もって機材をいじくり倒している、いわばオタクなプロデューサーが出てきているが、ウェザオールはこうした新しい才能も積極的に評価した。これもいまとなっては当たり前に思えるだろうが、当時はダンス至上主義がまかり通っていたので、とくにハウス系の玄人連中の一部からは、あの手の踊れないサウンドは低級だと見なされていた、そんな時代のことである。

 ぼくが彼と初めて対面取材したのは90年代末のことで、場所はロンドンのトゥー・ローン・スウォーズメンのスタジオだった。シャイな人柄で、格好付けたところもなく、ひとつひとつの質問に正直に答える人だった。スタジオのなかには大量のレコードとCDが散乱しており、取材が終わると彼はそのとき自分が気に入っているレコードやCDをいくつか教えてくれた。その1枚は60年代の電子音楽の発掘もので、ほかの1枚にはまだ出て来たばかりのキャレクシコのレコードがあった。これまたよく知られていることだが、彼は本当に幅広く、いろんな音楽を愛していた。

 ぼくは彼の音楽をこの30年間ずっと聴いてきている。とくに思い入れのあるウェザオール作品は、トゥー・ローン・スウォーズメンの初期作品だ。『The Fifth Mission』(1996)、「Swimming Not Skimming」(1996)、「The Tenth Mission」(1996)、「Stockwell Steppas」(1997)。
 セイバースのときもそうだったが、『The Fifth Mission』を初めて聴いたときは、どう捉えていいのかよくわからなかった。しかし、時間が経つとその素晴らしさに気が付くのである。自らを孤独な剣士だと名乗ったこの頃の作品は、とことん地味で、そしてとことんメランコリックで圧倒的に美しい。

 「恋に落ち、恋に冷め、誰かを愛し、誰かを愛するのをやめる、誰かに愛されなくなる……人間の人生経験は、芸術経験と同じくらい大切なものだ」、7年前のぼくのインタヴューで彼はこう語っている。
 アンドリュー・ウェザオールは、古き人間だった。そのことは彼自身も自覚していたし、〈Rotters Golf Club〉になってからの彼は19世紀趣味をむしろ強く打ち出していた。インターネットが世界を変えてしまうちょうどその渦中にあって、つねに3種類の書物(小説、歴史、芸術)を身近に置いていた本の虫は、テクノロジーの利便性に何も考えずに身を委ねるような真似はしなかった。19世紀のネオゴシック運動のように、テクノロジーの快適さに対する疑いの目を忘れなかった。それがたとえ怒りであっても感情を持つことを賞揚し、人びとの感情の劣化を案じてもいた。
 「パソコンでアートを作ってもいいと思う。そのアートがパソコン以外の世界でも存在できると感じられることができるならね」、液晶画面を眺めていさえすれば、24時間買い物のできるし、ポルノもニュースも他人がどう思っているかも自分がどう思われているかも見ることができる世界が日常化している現代において、アンドリュー・ウェザオールには明らかにやるべきことがまだまだあった。彼は表現すべきこと、打ち出すべき声明を持っていた。
 「状況が不安定で、世界がダークになってくると、作られるアートはより興味深いものになる。最高のアートは困難との闘いから生まれるものだ」、ブッシュとブレア時代の2002年のインタヴューで彼はこう語っている。「俺たちはいま恐ろしいほど興味深く危険な時代に生きている。俺は世界の状況を心配をしながらも、毎日をすごくエンジョイしているんだ」

 「人生にはいろんな道があるだろ、人はそれを選択するわけだけど、俺が選んだ道はいつも難道だった」、これは2009年のインタヴューで語っていたことだ。刺青を入れたために実家を追い出された彼の若かりし日々は、決して平坦なものではなかっただろう。
 以下、同じインタヴューからの抜粋。「アンダーグランドの音楽的先駆者たちは、厳しい道を突き進んで来た。俺も好きでそれを追いかけてきたけど、それは厳しい道で、必ずしも楽な生活とは言えない。だから、その道にガイドした先駆者たちをたまに恨んだりする(笑)」
 「もっとポップな曲を書いていたら金を儲けていたかもしれないけど、俺はハードワークな状況を楽しめるタイプなんだ。若いときにやった最初のバイトが肉体労働だったから、キツさや困難な状況から得る満足感みたいなものが好きなんだよ」

 “Loaded”があまりにも名曲なのは、あれは人生を表現しているからだろう。「あなたの愛を失いたくない」とジ・エモショーンズは繰り返す。愛の喪失はアンドリュー・ウェザオールが生涯いだき続けたオブセッションのようなものだったのではないだろうか。
 「人生こそ愛と死だね」。2007年のインタヴューで彼はこう言っている。「自分の音楽のテーマには“生と死”がいつもあって、歳を重ねるごとにその“死すべき運命”がさらに現実味をましてくる」

 しかしそれが来るのは早すぎた。2016年のアルバム『コンヴェナンザ』のなかで彼はこう歌っている。「どうかこの手紙を許して欲しい、これが最後だから、友よ/どんな祈りも僕を救えなかった/もう一度亡霊を呼び出そう」

 さようなら、アンドリュー・ウェザオール。そして、あまりにも多くの音楽をありがとう。今夜はきっと世界中で“Loaded”が、そしてあなたの深く美しく素晴らしい音楽が流れているのだろう。

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