「Noton」と一致するもの

青柳拓次 - ele-king

 青柳拓次は筆者とおなじ年齢なのだが、聴いている音楽もやってることも、彼はそれこそ高校生の頃からずっと(自分を含めた)世俗の一歩二歩先を行っているように思える。青柳はいわゆる渋谷系世代のど真んなかで、つまりあらゆるカテゴリーの音楽を並列に捉える感覚が最初から備わっている世代だ。リトル・クリーチャーズをはじめ、さまざまな活動を通して彼がやってきたこともまさにミクスチャー/クロスオーヴァー音楽だった。そして青柳の音楽にはつねに卓越したポップ・センスがあり、また同時に彼はその時点では誰もやっていないことをやってきている。そんな彼がまたやらかしてくれた。

 今回リリースされるアルバム『まわし飲み』は本人名義としては2枚目となる作品である。まずは、青柳拓次のこれまでのソロ活動を少しだけ振り返ってみよう。

 青柳拓次がソロ活動をはじめたのは2000年、自身も出演した映画『タイムレスメロディ』のサウンドトラックでカマ・アイナと名乗ったのが最初だった。以降、それは彼がそれまでひとりで聴いて楽しんでいた音楽を思うがままに作るソロ・ユニットとなった。2001年に発表した『kati』では、カリブ系をコンセプトにするダブル・フェイマスともまた違ったワールド・ミュージックにおけるエキゾチック感覚を披露しているが、そこには当時のポスト・ロック的なセンスさえも独自に展開したような面白さもあった。

 "青柳拓次"名義の最初の作品は、2007年にリリースされた『たであい』だ。カマ・アイナがインスト主体だったのに対して、"青柳拓次"名義では日本語のやさしい歌が主体となった。アジアの民族楽器がふんだんに使われていて、彼流のエキゾチック観がルーツに向かっているような気配があった......その時点では。
 
 新作『まわし飲み』は、『たであい』が弾き語りでも成り立つようなつくりであったのに対し、何よりもリズムが際だっている。そのせいか、前作ではやや控えめにみえた無国籍なフィーリングが露骨に展開されている。タイトルナンバーのM-1"まわし飲み"は、アメリカン・ルーツ風のアコースティック・ギターを軸にした曲だが、リズムはラテン風で、ヴォーカルは日本の民謡風にコブシがきいている。果ては篠笛がフォルクローレのようなフレーズを奏でるという具合だ。

 『まわし飲み』は、彼が旅してまわった唐津、岡山、尾道、博多、そして台湾といった土地がインスピレーションになっているという。使用楽器は、青柳はギター、バンジョー、三線、オルガン、ゲストは太鼓、チャンチキ、中国古筝、二胡、サックス、篠笛、能管、鈴など。女性民謡歌手のコーラスも入っている。

 台湾の土地、猫空(マオコン)をそのまま曲名にしたM-8はどうかといえば、日本の盆踊りの音楽そのものだ。日本の統治下にあった台湾に盆踊りがあるのかどうか筆者にはわからないが、青柳が台湾で盆踊り風の音楽を耳にしたのだとしたら、その経験がコンセプトのもとになっているのだ。

 このセンで聴いていくと、純和風なメロディの歌ながらも歌詞に出てくる場所は「ハワイ」となっているM-3"つきのにじ"(ちなみに楽器はバンジョーで、フォルクローレ風の笛も入ってくる)や、M-4で沖縄の民謡"安里屋ユンタ"が三線ではなくアコースティック・ギターでアメリカ風に演奏されているのも合点がいく。

 2001年に『インディーズ・マガジン』で取材した際にも、「例えば南米っぽいフレーズがあったとしたら、そこに南米の楽器を使わないでアイルランドの弦楽器を使ったり。楽器を変えることでより国籍とか民族がはっきりしなくなってくる」と青柳は語っている。こうした異文化をシャッフルさせるような試みは以前から彼のなかにあったものだが、今回はとくに誰の耳にもわかりやすいかたちでそれが表現されている。

 日本人およびアジア人としてのアイデンティティの探求と、旅人=ストレンジャーという視点によるストレンジ・ミュージックの探求。『まわし飲み』にはこのふたつの探求を見ることができる。いま世界ではメスティーソ(混血人種)音楽がもてはやされているが、この『まわし飲み』は、極東におけるもっとも優れたそのサンプルとなるのではないだろうか。

七尾旅人 - ele-king

 不自由さや閉塞感の中に表現の根拠を見いださなければならないというのが、2000年代の日本の状況だった。表現するということの居心地の悪さが、「なぜ表現などということをするのか、そんなことにいまどのくらいの意味があるのか」と無限に自己弁明を強いるような、ややこしい時代。たとえば相対性理論ならば、作品においてもふるまいにおいてもなかば露悪的にポップ・ミュージックという枠組み自体を脱臼させることで、その居心地の悪さを踏み抜こうと試みていたと言えるだろう。

 そうした無限の自己弁明に耐えられないならば、動機に関するメタな考察はいっさい放棄して、あるいは「エンターテイメント」に、あるいは「純文学」に、あるいは......といった具合に制度的なひとつの態度に開き直ることでなんとか創作行為を維持していくような消耗的な時代。ライトノベルやある種のゲーム、アニメの勢いがあったり、AKB48にうかがわれるパッケージ・ビジネスに期待が寄せられたりするムードもそのいち例だろう。こうした状況にどのように向かい合うかという問いの真摯さも、何が"真摯さ"かということが自明ではなくなって――表現における"真摯さ"の価値が崩壊して――シリアスな表現者ほど苦しい闘いを余儀なくされたように思う。「ゼロ年代」という呼称は、そうした状況と分かち難く結びついたものだ。ゼロはリセットの意ではなく、底抜けの空白状態を表すにふさわしい。

 七尾旅人は"真摯な"闘いを続けるアーティストである。七尾旅人の怪しげな格好は、メタ表現者......表現者としての自らに加えられたシニシズムでもあろうが、同時にゼロ年代を漂泊する西行のような、孤高の吟遊詩人の姿にも重なる。踊り念仏の一遍、あるいは空也になぞらえてもいいかもしれない。彼らの共通項は「ライヴ」だ。本作についてなにかを述べようとするならまず彼の近年のライヴの模様について語らねばならないと筆者は考える。

 七尾旅人はライヴという一期一会の場所におけるコミュニケーションを巧みに捏造する。そして例えばポリティカルなテーマ(=ネタ)設定によって、かろうじて外部性をでっちあげる。直接性を保証するはずのライヴにおいても、社会やメディアが高度に複雑化しきった現在では、コミュニケーションなど自明には成立しない。イヴェントやライヴの最中に携帯を広げる姿が目立つというが、メールではなくツイッターであろうし、その様子がストリーミング配信による実況中継で遠隔地の人間にも共有される昨今だ。彼らもまたツイッターに参加する。その真ん中で「つぶやき」を拾い、読みあげる七尾。また曲中でさえ客いじりを中心にしゃべりまくる七尾。そのように、なかば「コミュニケーションのパロディ」といった様相で立ち上がる彼のパフォーマンスは、一いちどの屈折を経ないと相手に繋がらないという、信頼よりは不安が先立つ90年代型の感性と、間接的なコミュニケーション・ツールが爛熟し飽和したゼロ年代に、そのマナーを逆用することで直接性の片鱗を掴もうという企てが交叉したもののように思われる。卓抜な弾き語りと、アイディアに満ちたパフォーマンス、彼自身のカリスマ。持てるものを総合して闘っている印象だ。

 彼の場合、批評性に偏るタイプではなく、実際に素晴らしく音楽的な才能と、音楽に対する純粋なリスペクトがあるところが得難い存在感に繋がっている。「フォーク・シンガーっていかに何もしないかだと思ってるから」ふわっと現れ、なにほどか聴衆を愉しませ、気づけば舞台を去っている。あれ? あの人は何だったんだろう? というような存在になりたい......という趣旨のMCをいつか聞いた。それはまさに詩と音楽と踊り念仏の上人だ。人びとを踊らせ(愉しませ)、メッセージをおいて、どこかへ消える。明晰な七尾は韜晦的な調子で述べるが、おそらくこれは本音だろう。
 
 さて、5枚目となるフル・アルバム『ビリオン・ヴォイシズ』は、こうしたライヴにおいてアニマートに演奏される楽曲のアソートだ。YouTubeなどで拾える名演も多いが、その本尊としてのスタジオ録音といった印象である。また、集められた楽曲は自ずからひとつのテーマ性とストーリーを浮かび上がらせている。アコースティック・ギターの軽快なリフに先導されて頼りない妻子持ちの身上をまくしたてる"アイ・ワナ・ビー・ア・ロック・スター"。単一のリフのみ、あとはヴォーカル・パフォーマンスで聴かせてしまうシンプルな展開。だが作中主体の妄想とともに突如ペダルで起爆、ファズが唸り、ブルージーなリフはヘヴィに強調され、野外フェスのような歓声とともにヒロイックなギター・インプロが延々と続く後奏へと流れ込んでフェイド・アウト。アルバムの冒頭を飾るにふさわしい、期待感のあるナンバーだ。

 スペーシーなサウンドとリズムボックスがネットワーク世界を幻想的に描き出すファンシーなシンセ・ポップ"検索少年"は、クリエイターが自ら楽曲ファイルを販売できる新システム「DIYスターズ」の開発とそれを利用したリリースでも話題になった曲。NHK「みんなのうた」で流れたとしても違和感のない童謡的なメロディとサリュの紗のようなコーラスが効いていて、本作品中では異色なトラックとなっている。
 つづく"シャッター商店街のマイルスデイビス"と"バッド・バッド・スウィング!"はアルバム全体の腰となるパートだろう。琵琶法師もかくや、クラシック・ギターを抱いて語りとも歌唱ともつかない節回しで紡がれつづける言葉、言葉、言葉。ライヴでもハイライトとなるパフォーマンスで、カオスパッドを用いてヴォーカルに変幻自在な表情や遊びが加わる。マイルスのプレイの声真似には微笑が漏れる。似ている。シャッター商店街のシャッターの向こうから突然マイルスが現れ、トランペットを聴かせてくれるくだりだ。すると妄想は次へ次へと連鎖し、いつしか心はサバンナへ。サバンナとカフェを好む作中主体は、その大地を慕って連呼する「帰りたい帰りたい帰りたい......」帰りたいのがいったいサバンナなのかファスト風土化した日本なのか、聴いているうちになんだかわからなくなった。そのまま間髪を入れずに"バッド・バッド・スウィング"。ウッドベースは人々がひしめいて踊る闇を演出し、七尾はそれを早口に描写、ピアノは艶かしく、ドラムは性急に心をあおる。サックスは加藤雄一郎。次第に熱を帯び、咆哮するサックスと七尾のド迫力のスキャットが切り結ぶ圧巻のセッションだ。七尾のプレイ・スタイルとして、批評性が勝るかに見えて実際には極めて洗練された音楽性が楽曲を支配しているという性質が挙げられるが、この曲はその嚆矢といえる。彼の声はほんとうに素晴らしい。非常に醒めた視線と非常にロマンチックな理想に引き裂かれている。そして前者を後者が圧倒しようとするのがよく見てとれる。

 あとは"どんどん季節は流れて"、"Rollin' Rollin'"だろうか。ソング・ライティング以上に表現や歌唱自体に並みならぬ才能をみなぎらせる七尾がブラック・ミュージックに接近するのは、時間の問題だったのだろう。メロウでハート・ウォーミングなR&Bナンバー"どんどん季節は流れて"はライヴでは聴衆に合唱を求められる。ソウルフルな味わいのシンプルな曲で、やはり七尾の歌唱が冴える。"Rollin' Rollin'"は説明不要のフロア・アンセムだ。やけのはらとのコラボ作で、ニュー・ソウルへのオマージュに満ちた切なく幻想的なトラックに、やけのはらの棒立ちのラップが鮮やかに映える。メロディは忘れがたく、ヴォーカルは甘く涼やかだ。一夜と一生と世界が渾然と混ざりあって回転するイメージが、ターンテーブルに重ねられてエンドレスに展開する......わずかにビターな後味を残す、アーバンな雰囲気の名曲である。

 こうした曲の合間を、静かな弾き語りの小品が埋めていく。いずれにも身近な人間の命を愛おしく見つめる視線が織り込まれていて、本作のサブ・テーマを形作っているように見える。"あたりは真っ暗闇"は、さすらいのブルーズメンを自らに重ねたものだろう。愛するものを後へ後へと残して旅する、音楽にしか身寄りのない男たちへの憧れと共感がにじむ。が、そんなロマンチシズムへの自嘲もわずかに宿っている。七尾の下駄に麦わら帽、ひらひらと黒い衣装をまとった「うさん臭い」姿は、全身で「俺についてくるな」と語っているのではないだろうか。実際の自分は「大騒ぎの後まだ生きてる」ことに不思議さを覚えながら、「ちょっとそっちにいってみよう」と思っているだけなのだ(なんだかいい予感がするよ)と。

 人びとを踊らせ、いい予感を残し、自らは去る。今作は七尾自身がこれから歩む道を方向づける重要作ではないだろうか。六波羅蜜寺の有名な空也像は、念仏を唱える口からどんどん阿弥陀が出てくる。ふと見れば、本作ジャケット写真も七尾の口からどんどんと歌われたものが形を成して出てくるデザインだ。それは音楽への敬虔さであると同時に、世界に対する――「ビリオン・ヴォイシズ」に対する――敬虔さの証であるように思われる。彼はけっして安易に世界を否定しない。そしてそれがどう聞かれようとも「心配要らない」と歌う。ミュージシャンとはそのようなものであってほしい。

Zs - ele-king

 アルバート・アイラーが中原昌也とスティーヴ・ライヒといっしょにブラック・メタルのセッションをはじめたとしたら......。

 残忍なアヴァンギャルド(あるいはブルタル・プログレ=残酷なプログレ)としてその筋では名高いジーズによる新しいアルバムは"新しい奴隷"なるタイトルを冠している。〈ザ・ソーシャル・レジストリー〉から昨年出している12インチが"モダン・ホワイトの音楽"だったから、サックス奏者のサム・ヒルマー率いるこの新奇なフリー・ジャズ集団が4枚目のアルバムにおいてアメリカの植民地主義をテーマに掲げていることは容易に想像が付く。"コンサート・ブラック""エーカーズ・オブ・スキン"等々といったアルバムの曲名は、ホワイト・アメリカに人種差別にまつわる忌々しい記憶を想起させるらしい(黒人のリンチや白人警察の暴力行為、奴隷船における疫病等々)。アメリカのある音楽ライターは本作を――音楽性はまったく違うものの――パブリック・エネミーと同類の表現として評論しているほどだ(ちなみにジーズは白人グループである)。

 われわれがジーズの"新しい奴隷"から触発されるのは、普天間基地問題で明らかにされたような「所詮アメリカはアメリカだった」という事実だろうか、あるいは左翼の教科書に出てくるマントラ=「資本主義の......」「搾取された......」といった言葉だろうか。とにかくはっきりしているのは、いま彼らは奴隷に関する"新しい物語"を語ろうとしていることである。

 
 ジーズの録音物としてのデビューは2003年だが、このプロジェクトはサックス奏者のサム・ヒルマーが1990年代後半にマンハッタン音楽学校でジャズを学んでいるときに始動している。ジャズを土台としながら、ブルックリンのDIYシーンのなかでジャズのエリート意識とお行儀のよいロックをトイレに流すと、彼らはノイズ・パンク・サウンドの探求にハンドルをまわし、戦闘的で、いかにも喧嘩っ早そうなその音楽を磨いていった。グループはときにカルテットであり、ときにセクステットでもあった。デトロイト・テクノと初期ヒップホップに敬意を払いながら、彼らはフリー・ジャズの激しさにヘヴィー・メタルのギターを調合させ、さらにそれをミニマリズムに変換させるのだった。それはアグレッシヴで、扇情的で、隙あらば攻撃してきそうな勢いの音楽である。オーヴァーグラウンドでもアンダーグラウンドでも逃避主義が主導権を握っているこの時代のポップにおいて、狂ったように暴れているが、そのことだけでもこの音は価値があるように思える。ジーズの前では、レディオヘッドやゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!でさえお涙頂戴のメロドラマに聴こえてしまうのだ。

 しかもジーズの爆発力は、アヴァンギャルドの退屈さとも無縁である。3人組となったジーズによるこのアルバムも、ただ闇雲に爆発しているわけではない。"コンサート・ブラック"や"エーカーズ・オブ・スキン"は異教徒たちの呪詛のようだが、その奇妙で不気味な響きは耳を離さない。"ジェントルマン・アマチュア"や"ドント・タッチ・ミー"といった曲ではSFPがミニマルをやったようなハードコア・サウンドを展開する。苦しみのなかから生まれたであろうその破壊的なノイズには、しかし人を惹きつける力がある。"メイソンリー"はアルバムのなかで唯一おだやかさを有したアンビエント・テイストの曲だが、それは文字通りの嵐の前の静けさだ。

 20分にもおよぶ表題曲"ニュー・スレイヴ"がアルバムのクライマックスなのは言うまでもない。これは......特筆すべき曲で、"怒り"というものをここまで露わに表現した音楽を久しぶりに聴いた気がする。単調なミニマル・ノイズと爆風のようなメタル・ギターとの対比によって進行するディス・ヒートめいたこの曲は、そして後半の15分過ぎからがとくに凄まじい。まるでそれは......彼らがぶっ倒れるかリスナーが逃げるかの勝負事のようである。ウォッシュト・アウト(疲れた)なムーヴメントへの嫌がらせ......なわけはないだろうが、ひとつ言えるのは、気が狂いそうになるほどこの壮絶な演奏が収録されているだけでも、本作は注目されるべき充分な価値があるということだ。

 アルバムの最後はふたつの"ブラック・クラウン・セレモニー"という曲で締めている。最初の"ブラック・クラウン・セレモニー"は13分もあるが、不思議な響きのダーク・アンビエントめいた曲だ。サックスの音色は地獄の底から聴こえてくるようだが、淡々とした禁欲主義的な展開がこの曲の表情を曖昧にしている。それでも"六界"なるサブタイトルが付けられた二番目の"ブラック・クラウン・セレモニーII"からは、非業の死を遂げた死者たちの悲鳴が聴こえるようだ。それはこのアルバムにどうしようもない後味の悪さと不吉な余韻を残している。

 アートワークには暗い海に投げ出された奴隷船にまとわりつく化け物が描かれている。その素晴らしい絵は、この大胆不敵なアルバムに相応しい。

Quantic presenta Flowering Inferno - ele-king

 クァンティックのレコードを僕が最初に買ったのはずいぶんと遅い。2006年のミスター・スクラフとの12インチ・シングルだ。ウィル・ホランドのデビューは2000年だから、そのときにはアルバムを4枚も出している。つまり、僕とクァンティックとのあいだにはそれなりの距離があって、その12インチに関してはミスター・スクラフという媒介のおかげでたどり着けたに過ぎない。レコード店の人から「こういうのも聴くんですね」と言われたのを覚えているが、三田格を渋谷ディスクユニオンの地下で見かけたという人から「いました!」と言われたことがあって、きっと僕の場合も店からしたら意外性のひとつだったのかもしれない。そう思うとずっと追ってきている人には申し訳ない気持ちだが、まあ、嫌いなわけではないですよと言うしかない。

 ラテン音楽を聴いていると、僕はいまでも90年代の渋谷にあった〈ミスター・ボンゴ〉というレコード店の店長のことを思い出す。あの店には、最新のクラブ・ミュージックが並んでいる店内の片隅に、店長の趣味のサルサをはじめとするラテン音楽の、しかもそれなりに値打ちの付いているらしいオリジナル盤がつねにあった。イギリスからやって来たその店長は、あるとき最新の12インチを手に抱えている、まがりなりにも客である僕に対して、「よくそんなものを買うね」と言ってきたことがあった。その言葉の次が彼の口から出ることはなかったが、彼が心のなかでこう言ったことは伝わった。「すぐに消えてしまうような12インチを買うなんて、カネを捨てるようなものだ。信じられないよ。僕なら一生もののラテン音楽を買うけどね」

 それ以来、ラテン音楽を意識するようになった。ニューウェイヴ時代にブルー・ロンド・ア・ラ・タークやキッド・クレオール&ザ・ココナッツを聴いている世代としては、多少なりとも親しみだってある。「嫌いか?」と問われれば「好きだ」と答えるものの、正直な話、それを本格的に追求しようとは思わなかった。それをするなら、他のジャンルをある程度は諦めなければならないだろう。歴史や文化を勉強するのは嫌いじゃないが、5000円以上もする重要盤をリスト化し、探しに出掛け、そして揃えなければならない。スペイン語も習わなければならないだろう。その覚悟が自分にはないし、どのアルバムから聴きはじめればいいのか教えてくれる入門書もなかった。ポップ・ウィル・イート・イットセルフとティト・プエンテを両立させる自信もなかった。

 だが、人間、歳を取るにつれて自分が知らなかった世界を旅したくなるものなのだ。僕がそうだったように、クラクソンズしか愛せない若者もブーガルーやクンビアやマンボを聴くときが来るかもしれない。それは自分の知らなかった"文化"との出会いで、個人的だがひとつのハイブリッド体験となる。それは自分のなかの自分が嫌悪する自分――あるいは極めて日本的な美徳に支配された自分に裂け目を与え、少しだけだが自由になった気分を味わえる。オシムがどれほどドイツの組織力を評価しようとも、やはりどうしてもマラドーナとメッシのばっかみたいに個人で勝負する自由奔放なフットボールが愛おしく思えてしまうように、いまの僕がラテンを避けて通ることはできないのである。

 だからクァンティック・プレゼンタ・フラワリング・インフェルノ名義によるセカンド・アルバム『ドッグ・ウィズ・ア・ロープ』も魅力的に思える1枚である。ウィル・ホランドは、〈トゥルー・ソーツ〉のレーベル・オーナーであるロバート・ルーイと同じように、故郷のブライトンでファットボーイ・スリムがスマイリーとブレイクビーツのレイヴィングに励んでいた頃、ヒップホップを貪り、4ヒーローや〈ニンジャ・チューン〉に心酔して、飽きもせずジャズやディープ・ファンクを掘り続け、ラテンのエキゾティズムに憧れていた。ダンス・カルチャーがエネルギーを失いかけている頃、クァンティックはラップトップの電源を抜いてオーケストラをオーガナイズした。レコーディングやライヴをおこない、そして数年後に彼は音楽の探究のためにコロンビアへと向かった。フラワリング・インフェルノはその成果のひとつである。

 この音楽の面白さはUKならではのハイブリッド性ということに尽きる。本作に関して言えば、ダブ、クンビア、サルサなどがシェイクされている。このように多文化的な響きを混合していくメソッドは、ポップ・フィールドではディプロの得意技といったところだが、同じDJカルチャー的アプローチであってもウィル・ホランドはギミックなしで勝負する。ディプロのように移り気ではなく、探求的なのだ。

 そして〈トゥルー・ソーツ〉からデビューして〈ニンジャ・チューン〉移籍後に大きな成功をおさめたボノボのように、レトロの模倣という誘惑に屈することもなく、トロピカルな南米音楽の魅力を彼なりのアレンジでディープに伝えようとする。この手の試みが失敗するたいていの場合は、DJカルチャーの軽薄さのなかで消費されてしまうか、広告写真のようにイメージを強化し過ぎるあまり退屈な洗練性に陥るかのどちらかだが、ホランドはそうした落とし穴も回避する。ジャケットの写真のように路地裏のニオイが匂ってきそうなヒューマンな音楽で、ざっくりと言えばサウンドシステムと南米との出会い、ダビーなサルサである。

 伝説的なペルーのピアニスト、アルフレディト・リナレスをはじめとするゲスト陣は玄人でもそれなりに納得するメンツらしい。ジャマイカ生まれでイギリス在住のベテランのレゲエ・ドラマー、コンラッド・ケリーが叩いているかたわらで、60~70年代に活躍したコロンビアのバンド、プレゴヨ・イ・ス・コンボ・バカナのフロントマン、マルキトス・ミコルタをはじめとする現地のお歴々たちも参加している。ちまたでの評判の通り、レトロな響きと未来......とまでは言えないまでも新し目のサウンドの両方を好む耳を惹きつける作品だと言えるのではないだろうか。

The Alps - ele-king

 ヴェルナー・ヘルツォーク、ミケランジェロ・アントニオーニ、そしてアレハンドロ・ホドロフスキーといったヨーロッパ映画の巨匠を愛するサンフランシスコの3人組による4作目で、前作に引き続き、ゼラ(Xela)の名義で知られるジョン・トウェルズ主宰の〈タイプ〉からのリリース。大雑把に言えばアンビエント系を好み、今年に入ってからも活発にリリースを続けているUKのこのレーベルに関して言えば、毎度スリーヴ・デザインが地味ながらセンスが良く、水彩絵の具が滲んだようなアルプス山脈を描いた今回のアートもまあ悪くはない。シックである。

 ところでヘルツォーク作品の音楽といえば、その代表作のほとんどはクラウトロックにおける綺羅星のひとり、ポポル・ヴー(故フローリアン・フリッケ)が手掛けているわけだが、ジ・アルプスのサイケデリック・サウンドにマヤ文明への憧れやアニミズムへの探求があるわけではない。また、その音楽の基礎にフリッケのような確固たるクラシック音楽があるわけでもない。ジ・アルプスの根幹にあるのはフォーク&カントリー(もしくはブルース・ロック)であり、バンドを特徴づけるのはあくまでギター・サウンドだ。手短に言えばフォーク・ロックがモダンなアンビエント&エレクトロニクスのセンスとブレンドされている。一歩間違えば古くさくなりかねないが、すんでのところでそれを回避しているのがこのバンドである。

 2年前の『III』によって多くの賞賛を浴び、当時はしばし「ポポル・ヴーとエンニオ・モリコーネとの出会い」と形容されたジ・アルプスだが、『航海』と名付けられた本作はポポル・ヴーというよりは70年代初頭のピンク・フロイドであり、『小人の饗宴』というよりは『砂丘』だ。アンビエントというよりはプログレッシヴ・ロックであり、ありていに言えばサイケデリック・ロックだ。飛行機を強奪して、空を彷徨い、砂丘に着陸して、裸の美女といっしょに宇宙の誕生を見る......わけではないが、それなりの小旅行が楽しめる。

 ジ・アルプスの中心メンバー(元タッスルでもある)は3年前アープという名義のソロ作品をノルウェイの〈スモールタウン〉から発表している。エレクトロニックスによるポップ・アンビエントを展開するそのアルバム・スリーヴには水平線に輝く日没の写真が使われていたものだが、『III』にしても『ル・ボヤージュ』にしてもその感覚はまったく共通している。早い話、夕焼けが好きなのだろう。アルバムの冒頭"ドロップ・イン"におけるフォーク・ギターが奏でるアルペジオとピアノの調べは絶品だが、その美しい音楽は昼から夜へと移行する中間の黄昏時にこそ相応しい。

 アルバムには脈絡のないテープ・コラージュ(クラシック音楽や人のざわめきや水の音......)とエレクトロニクスがインタールードのように挿入されている。もっともそれは前菜やつまみのようなもので、今作を特徴づけているのは5曲目の"セイント・ローレント"のようないわば「フリークアウトしたトミー・ゲレロ」調の曲、7曲目"サトゥモ・コントロ"のような「ピンク・フロイドとエンニオ・モリコーネとの出会い」のような曲だ。フォーク・ギターの音色と8ビートのダウンテンポを基盤にしながらバンドは空に浮かぶ星々を目指している。表題曲の"ル・ボヤージュ"はコズミック・ミニマル・ロックの叙情詩で、間違いなくアルバムのハイライトである。アルペジオの反復とスペイシーなエレクトロニクスを軸にしたその曲は、ゆっくりと至福の時間へと向かっていく。

 心地よい夢に水を差すのはアルバム最後の曲"テレパシー"だ。これは少々くどいように思える。ドラムはうるさすぎるし、自分たちの音楽に酔ってしまったのだろう。それがバンド演奏によるこの手のサイケデリック系の落とし穴である。それを踏まえた上でもサンフランシスコのちょっとフォーキーな幻覚剤に興味があるなら躊躇することはない、さあ手に取りたまえ。

Drake - ele-king

 これは、マッシヴ・アタックザ・XXのようなメランコリック・ミュージックを好む者にとって嬉しい作品だと言える。甘美な憂いに満ちたヒップホップ/R&Bのアルバムだ。シャーデー(それからザ・XXやボーズ・オブ・カナダ等々)が好きだというのもよくわかるし、昨年発表したシングル"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"のスウィングするドラムンベースを手掛けた同郷のボーイ・ワンダー、同じく同郷の40(あるいはカニエ・ウェストやなんか)のプロダクションはグイードのデビュー・アルバムともそれほど離れていると思わない。ポップと、まずまずの実験精神との両方を試みている作品とも言えるが、アリシア・キーズをフィーチャーした1曲目の"ファイアーワークス"の甘美な悲しみからアルバムが離れることはない。

 もっとも......周知のように、世のなか的には「ヒップホップにおける救世主」(ガーディアン)であり、「カニエ・ウェストに次ぐスター」(ピッチフォーク)という、カナダのトロント出身の23歳のラッパー、ドレイクによる待望の公式デビュー・アルバムとして脚光を浴びている。あのリル・ウェインの耳を虜にして、彼の〈ヤング・マネー〉と契約した、手短に言ってラップ界における神童のような......というかいわゆる"ノー・ドラッグ・ディーリング、ノー・ヴァイオレンス"路線における期待の新星である。BBCいわく「ラップにおけるヴァンパイア・ウィークエンド」である。

 『サンクス・ミー・レイター』は、用心深い天才が、ラップの"オレ物語"から一歩引いているように見せながら、が、しっかりと"オレ"を主張しているイヤらしい作品だ。『ピッチフォーク』のレヴュワーはこのアルバムに出てくる"I"の回数を数えてみたら、410回もあったと驚いている。ちなみに『ザ・カレッジ・ドロップアウト』で220回、『イルマティック』で210回だから、このハンサムなラッパーの『サンクス・ミー・レイター』はそれらクラシックの二倍も"オレ"が出てきているのである。そんなわけで、「あとでオレに感謝しな」......、しかしそれがどんな"オレ"なのか、リル・ウェインやエミネムのように釈然としたものがあるわけでもなさそうだ、いまのところは。

 ドレイクは実際にトロントの裕福なエリアで育っている。ユダヤ系の白人の母親とアフリカ系の父親のデニス・グレアム(ジェリー・リー・ルイスと働いたドラマー)とのあいだに生まれた彼は、5歳で両親が離婚すると母親に引き取られ、トロントの公立学校で学んでいる。メンフィスに越した父親とも交流を保ちつつ、ドレイクは最初はテレビ番組の俳優として有名になっている。

 2009年の初頭に発表したミックステープ『ソー・ファー・ゴーン』がラッパーとしてのドレイクの本格的なスタートだった。最初にシングル・カットされた"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"は大ヒット、それからこの若いカナダ人は、わずか1年のあいだにメアリー・J.ブライジやジェイ・Zといった大物との共演を果たし、また、その夏には、エミネム、リル・ウェイン、カニエ・ウェストらをフィーチャーした"フォーエヴァー"を発表している。

 とはいえ『サンクス・ミー・レイター』は、"フォーエヴァー"や"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"のようなフレッシュなビートよりも、エモーショナルなメロディとその叙情性が耳に残るアルバムとなった。彼のラップが技巧的な面でずば抜けているとは思わないが、その鼻歌ならぬ鼻ラップの魅力的な響きはヒップホップのフロウとR&Bヴォーカルとのあいだを自由に動きまわり、孤独な夜の親密なサウンドトラックをしっかり支えるる。そして、結局のところ豪華なゲスト陣さえ(リル・ウェイン、ザ・ドリーム、ジェイ・Z、スウィズ・ビーツ等々)、彼のドラマの脇役にしてしまう。レーベルメイトのニッキー・ミナージュの耳障りな甲高い声が違和感を放っているぐらいで、アルバムはほとんど完璧に調和の取れたムードで進行している。

 マスターピースの"ファイアーワークス"に続いて、2曲目にして早くもクライマックスかと思えるような"カラオケ"の陶酔的なメランコリーが待っている。"ザ・レジデンス"や"ショーウ・ミー・ア・グッド・タイム"で聴かせる斬新なプロダクションとメロウなフロウの組み合わせも面白いし、シャット・イット・ダウン"(ザ・ドリーム)や"ライト・アップ"(ジェイジー・Z)、あるいは"ミス・ミー"(リル・ウェイン)のような、大物を登場させながら繰り広げられるきめ細かい叙情性には「両親が手にできなかった愛」を求めるドレイクのもっとも美しい姿を見ることができるようだ。まあ......、わめき散らすこともなく、誰かをののしることもない、優雅な声とフロウ(あるいはすすり泣き)に満ちた見事なデビュー・アルバムだと思う。豪華だが月明かりのような音楽で、ありきたりの言葉で言えば、よくできたモダン・アーバン・ソウルである。ドレイクの最初の一歩であり、この機会を逃す手はない。

 ところで服役中のリル・ウェインだが、刑務所では模範的な生活を送り、看守たちからの信頼も厚く、いまでは自殺志願者の監視役となっているという話だ。ドレイクは刑務所にいるウェインを面会に訪ね、コラボレーション作品の構想を相談し、そして先日その計画を公に発表している。「恩人への恩返しをしたいんだ」、とドレイクは説明している。もっとも感銘を受けたアルバムが『イルマティック』だった、というのは伊達ではないのだ。

interview with The Raincoats - ele-king

 緊張していた。アリ・アップやマーク・スチュワートのときはビールがあったから良かったのだ。取材時間も1時間以上押していた。待つことは苦ではないが、こういう場合は時間の使い方に困惑する。カメラマンの小原泰広くんがサッカー好きで助かった。われわれは六本木のスターバックスでおよそ1時間に渡って今回のワールドカップについて論評し合った。

 「僕はいま46歳ですけど......」、正直に打ち明けることにした。「1979年、15歳のときに地元の輸入盤店でザ・レインコーツのデビュー・アルバムを知って、そして買いました。それは僕にとってもっとも重要な1枚となりました」

 音楽ごときに人生を変えられるなんて......と昔誰かがあざけりのなかで書いていた。ところが僕の場合は、音楽ごときに人生を変えられたと認めざる得ない。もし自分が中学生のときパンクを知らずに、そして高校生になってザ・スリッツやザ・ポップ・グループやPiLや......エトセトラエトセトラ......あの時代のポスト・パンクを知らずに過ごしていたら、まったく違った人生を送っていただろう。
 そしてあの時代のすべての音楽が説いてくれた"現在"に夢中になることの大切さと"未来"に向かうことの重要性をいまでも忘れないように心がけている。よって......ザ・レインコーツのライヴの2日前のS.L.A.C.K.、Rockasen、C.I.A.ZOO、その前日の七尾旅人、iLL、トーク・ノーマルといった"現在性"の並びで30年前に死ぬほど好きだったバンドのライヴを観るというは、残酷な郷愁と純真な愛情が入り混じった、なんとも複雑な思いに支配されることでもあった。僕は......聖地を目指す巡礼者のように、余計なものを入れずにその日を迎えるべきだったのだ。そうすればもっとたくさんの違った言葉が溢れ出たかもしれない。

 が......、そんな不埒な思いを巡らせながらも、なんだかんだとこうしてぬけぬけと彼女たちに会いに来てしまった。煮え切らない46歳のオヤジとして。
 アナ・ダ・シルヴァとジーナ・バーチのふたりは、その日8時間も取材をこなしているというのに、ステージと同じように、おそろしく元気だった。


向かって右にジーナ・バーチ、左にアナ・ダ・シルヴァ。ソロ・アルバム、楽しみっす。
(photo by Yasuhiro Ohara)

奇妙な発音の外国人やアウトサイダーが多かったのよ。なぜなら私は当時スクウォッターだったから。パンクのコミュニティのなかで暮らしていたの。空き家に住んでいた。都市のアウトサイダーたちの溜まり場よね。

ライヴで"歌っていて楽しい曲"と"演奏していて楽しい曲"をそれぞれ教えてください。

アナ:歌っていて楽しいのは"シャウティング・アウト・ラウド"ね。演奏して楽しいのは......ないかも、失敗ばかりするから(笑)。

ジーナ:私は"シャウティング・アウト・ラウド"が演奏するのが楽しいわよ。まるで空中を滑るようなベースラインが好きだし、演奏しているあいだに異なった雰囲気が出てくるんだけど、それをフォローしていくのが楽しい。

アナ:私は演奏して楽しかったのは"ノー・ワンズ・リトル・ガール"かな。私はギターを引っ掻いたりしてノイズを出すのが好きだから。

ジーナ:歌うのが楽しいのは"ノー・サイド・トゥ・フォール・イン"よね。コーラス・パートがあるでしょ、あのみんなで「わー!」って声を出すのがいいのよ。ひとりで歌うなら"ノー・ルッキング"。ファースト・アルバムの最後に入っている曲よ。

今日はたくさんの取材を受けて、さんざん昔の話をしたと思うのですが。

アナ&ジーナ:ハハハハ。

1979年。ザ・レインコーツのデビュー・アルバムがリリースされた年、あなたがたはまず何を思い出しますか? 

アナ:1979年の4月にシングルが出て、で、たしか11月よね、アルバムが出たのは。「わお!」って感じだった。あるとき〈ラフ・トレード〉に務めていたシャーリー(後のマネージャー)が言ってきたの。「あなたたちのシングルを出すわよ」って。そのとき「あー、私たちはバンドで、シングルを出すんだ」と実感した。そしてツアーに出て、〈ラフ・トレード〉からアルバムを出した。それは素晴らしい感動だったわ。

ジーナ:私はノッティンガムからロンドンにやって来たばかりだった。で、パルモリヴがスペインから来た子だったでしょ。彼女の英語の発音がおかしくてね、たとえばフライングVの「V」を発音できずに、「B」と発音するのよ。当時私は音楽のこと何も知らなかったから、その楽器の名前をフライングBだと思っていたのよ。シングルが出たとき、初回プレスがクリア・ヴァイナルだったから、私たちが「ヴァイナルが出たわね」とか言ってると、パルモリヴがそれを「ヴァニール」って発音するのよ(笑)。「ヴァニラじゃないのよ」って(笑)。

アナ:ハハハハ。

ジーナ:そう(笑)。私はイングランドに住んでいるはずなのに、私のまわりにはそんな人ばっかだったの。奇妙な発音の外国人やアウトサイダーが多かったのよ。なぜなら私は当時スクウォッターだったから。パンクのコミュニティのなかで暮らしていたの。空き家に住んでいた。都市のアウトサイダーたちの溜まり場よね。

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決してエリート主義にはならなかったわ。でも、とてもインテリジェンスがあったし、そうね、ジョン・ライドンには会ったことがあるんだけど、他人に気配りができて、率直にモノが言えて、すごく誠実な人だと思ったわ。

ザ・レインコーツのまわりにはディス・ヒートやレッド・クレイヨラのようなバンドがいましたが、あなたがたからみて当時のバンドやアーティストで他に重要だと思えるのは誰でしょうか?

アナ:まず思い出すのは、ペル・ウブよね。それからディス・ヒートもすごかった。ライヴが素晴らしかったのよ。普通のバンドはドラムのカウントからはじまるでしょ。ディス・ヒートはそんなことなしに、いきなり「ガーン」とはじまるのよね。

ジーナ:ヤング・マーブル・ジャイアンツは偉大だったし......。

あの当時はPiLの『メタル・ボックス』やザ・スリッツの『カット』やザ・ポップ・グループの『Y』や......。

ジーナ:ザ・ポップ・グループ! そう、それものすごく重要! 私がいま言おうとしたのよ。私はザ・ポップ・グループの最後のライヴを観ているのよ。もうそのライヴでバンドからマーク・スチュワートが抜けるっていうことがわかっていて、私はマーク・スチュワートのところまで駆けていったわ。「どうかお願い、ポップ・グループを辞めないで。ポップ・グループはやめてはいけないバンドなのよ!」って叫んだわ(笑)。

ハハハハ。ちょうど1979年、最初に話したように、僕は地方都市に住んでいる15歳でした。近所の輸入盤店に、ザ・スリッツ、ザ・ポップ・グループらとともにザ・レインコーツのファーストのジャケットが壁に並びました。当時は、円がまだ安かったのでイギリス盤はとても高くて、2800円しました。それでも1年かけて、僕はその3枚を揃えました。1979年には他にも素晴らしい音楽がたくさん発表されました。他によく覚えているのはPiLの『メタル・ボックス』でした。イギリスだけではなく、日本からもいくつもの興味深いバンドが登場しました。で......。

アナ:あなたのその話、私知ってるわよ。あなた私のMy spaceにメール送ったでしょ?

僕じゃないです(笑)。

アナ:いまのあなたの話と同じ話だったのよね。

なんか......パンクという火山があって、その火山が爆発したら、いっきに空からたくさんの素晴らしい音楽が落ちてきた、そんな感じでした。

アナ:私もまったくそう感じたわ。セックス・ピストルズやザ・クラッシュの最大の功績はそこよね。「自分たちでやれ」と言ったことよ。バズコックスのようなバンドだってセックス・ピストルズを観てはじまった。あらゆるバンドがそうだった。私はアメリカのバンドも好きだったわ。パティ・スミス、テレヴィジョン、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ、トーキング・ヘッズ......彼らは音楽的に興味深かった。彼らはイギリスのバンドに影響を与えた。当時のポスト・パンクが素晴らしかったのは、それぞれが違うことをやっていたことよね。セックス・ピストルズやザ・クラッシュの物真似みたいなバンドもいっぱいいたけど、私たちのまわりにいたバンドはそれぞれ違うことをやっていたわ。

ジーナ:私はアナよりも年下だったから、私はイギリスのパンクの第一波に影響を受けたわ。アメリカのバンドを知ったのはもっと後になってから。

アナ:そうね。私があるパーティに行ったとき、ものすごい特徴のある声が聞こえてきたの。それがパティ・スミスの『ホーシズ』だった。しばらくして彼女がロンドンの〈ラウンドハウス〉というライヴハウスに来ることを知った。そこに私は行ったのよ。まだセックス・ピストルズが出てくる前の話よ。

パティ・スミスは、やはりその後の女性バンドのはじまりだったんですね。

アナ:彼女が「自分たちで何かやりなさい」という勇気づけ方をしたわけじゃないけどね。ただ、その音楽がすごく良かったのよ。

ジーナ:パティ・スミスがロンドンに来たとき会場でアリ・アップとパルモリヴが出会って、で、ある意味でそれでザ・スリッツが生まれたとも言える。で、ザ・スリッツからザ・レインコーツが生まれたとも言えるわけだし、繋がっているのよ。

アナ:そういえば、パティ・スミスとロバート・メイプルソープとの関係を中心に書かれた彼女の本が出版されて読んだんだけど。

ジーナ:ああ、あれね!

アナ:そうそう、あれはとても美しい話だったわよ。

パティ・スミスのレコード・スリーヴは、まあ、いわゆる"ロックのレコード"じゃないですか。でも、ザ・レインコーツや『カット』や『Y』のジャケットがレコード店に並んでいるのを見たとき、すごい違和感があったんですね。ロックのレコードとは思えない、いままで感じたことのないものすごいインパクトを感じたんですね。初めて見たザ・レインコーツのプレス用の写真もよく憶えていて、みんなで普段着のままモップを持っている写真がありましたよね。あれもまったくロックのクリシェを裏切るような写真だったと思いました。アンチ・ロック的なものを感じたんです。

アナ:そこまで深い理由はないんだけど、自然にそう考えたのよ。たしかに普通はジャケットにバンドの写真を載せるものだったんでしょうけど、そのアイデアは最初からなかったわね。しかし、あなたも若いのによくそこまで気がついたわね。

ジーナ:まるで私のママみたいだわ(笑)!

はははは。

アナ:セックス・ピストルズやジョイ・ディヴィジョンにはそれぞれデザイナー(ジェイミー・リードとピーター・サヴィル)がいたけど、私たちにはいなかったわ。デザインのアイデアもすべて自分たちで考えたのよ

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インディペンデント・レーベルにもネガティヴな面があるからね。〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉は考えもお金もすごくしっかりしていたけど、いい加減なレーベルも多かったのよ。

パンクというのはすごく極端なエネルギーだったじゃないですか。だからパンクに関する議論のようなものもあったと思うんですよ。パンクに対する"議論"みたいなものと、音楽はまだ前進することができるという野心があれだけの多様性を生んだのかなと考えたのですが、どうでしょうか?

アナ:議論?

たとえば......僕はザ・クラッシュが大好きですけど、やっぱマッチョなところがあったと思うし、あるいはマガジンの有名な曲で、えー、なんでしたっけ? "ショット・バイ・ボス・サイド"?

ジーナ:そう、ショット・バイ・ボス・サイド"ね。

「両側から撃たれる」っていうあれは、「右翼」にもつかないし、「左翼」にもつかない、どちらにもつかないんだという、政治的だったパンクへの批評精神の表れじゃないですか。あるいはセックス・ピストルズやザ・クラッシュはメジャーでやったけど、ポスト・パンクはインディペンデント・レーベルだったじゃないですか。そこにも批評性があったと思うし......。

アナ:そうね。リスクを背負ってもやりたいことがやれる、クリエイティヴなインディペンデント・レーベルを選んだわ。メジャーはわかりやすいものを好むのよ。だから、自然と多様性はインディペンデント・レーベルのほうにあったわね。

ジーナ:でもね......ヒューマン・リーグみたいにメジャーで成功したバンドもいたし、ギャング・オブ・フォーはものすごく左翼的なバンドだったけど、メジャーと契約したわよ(笑)。いいのよ、それは彼らの論理で、ケダモノたちのなかから変えてやれってことだから。でも、私たちはインディペンデント・レーベルが性にあったのよね。

アナ:それにインディペンデント・レーベルにもネガティヴな面があるからね。〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉は考えもお金もすごくしっかりしていたけど、いい加減なレーベルも多かったのよ。

ちょっと僕の質問の仕方が悪かったんで、話がずれてしまったんですが、言い方を変えると、何故この時代のバンドは情熱と勇気がありながら同時に頭も良かったんでしょうか? ということなんです。ジョン・ライドンやマーク・E・スミスのような人たちは独学で、大量の読書を通じてメディアやアカデミシャンを小馬鹿にするほどの知識を得ていたし。

アナ:ええ、ジョン・ライドンは本当に偉大な人だと思う。

ええ、とにかくあれだけ情熱的で、頭も良くて、で、しかもわかる人だけにわかればいいというエリート主義にならなかったじゃないですか。

アナ:そうね、決してエリート主義にはならなかったわ。でも、とてもインテリジェンスがあったし、そうね、ジョン・ラインドンには会ったことがあるんだけど、他人に気配りができて、率直にモノが言えて、すごく誠実な人だと思ったわ。

ジーナ:そうね、マーク・E・スミスでよく憶えているのは、彼はちゃんとした学校教育を受けていないのよ。でね、ザ・フォールをはじめたときに、普通だったら16歳から19歳のあいだに修了しなければならないAレヴェルの英語を、マーク・E・スミスは成人してから独学で修得したの。ザ・フォールであのアナーキーなキャラクターをやりながらよ! 私はそれがすごくファンタスティックだと思ったのよね。独学というのは素晴らしいことよ。

アナ:そこへいくと〈ラフ・トレード〉のジェフ・トラヴィスはケンブリッジ大学出ているからね。

スクリッティ・ポリッティの歌詞なんか何を言ってるのかさっぱりわからかったですからね。グリーンが現代思想を読み耽って書いていたっていう。

アナ:あー、あれはわかるわけないわ(笑)。

ジーナ:安心して、私たちもわからないから(笑)。

アナ:てか、読んでないから(笑)。

ハハハハ。

アナ:(グリーンのナルシスティックなゼスチャーを真似しながら)おぇー。

ジーナ:いわば大学院の博士課程路線よね。それをポップ・カルチャーにミックスしようとしたのよ。

まあ、スクリッティ・ポリッティの話はともかく、ポスト・パンクにはどうして情熱と頭の良さの両方があったんでしょうね?

アナ:私たちは情熱だけよねー。まあ、知性はぜんたいの30%ぐらいかな(笑)。

ジーナ:アナはインテリよ(笑)。サイモン・レイノルズの『ポストパンク・ジェネレーション』を読んだけど、いろんなアーティストを過去の偉大な作家たちと比較したりしていて、そこはまあいいんだけど、何故か女性バンドの話になると「彼女たちもそうだった」ぐらいの扱いになっているのよね(笑)。ちょっと注意が足りないんじゃないかな。

ハハハハ。質問を変えましょう。僕はいまだにザ・レインコーツみたいなバンドを見たことがありません。それってザ・レインコーツがこの30年消費されずにいたことだと思うんですよね。

アナ:ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいわ。「ザ・レインコーツに影響されました」というバンドがたまにいて、音を聴かされるとただケオティックなだけだったりするの。カオスはザ・レインコーツのいち部でしかないのよ。まあ、ザ・レインコーツの真似されても嬉しくないしね。

ジーナ:だけど私は、MAGOは私は気に入ったわ。繊細さと大胆さがあって、オリジナルだと思った。彼女たちから「影響受けた」って言われるのはわかるような気がする。

アナ:そうね。重要なのは「自分たち独自のもの」を探すことよ。それがザ・レインコーツってことでもあるから。

ただ、いまの時代、1979年のように音楽を新しく更新させることはより困難になっていると思いませんか? 音楽のパワーが落ちていると感じたことはありますか?

アナ:昔と比べるのはあんま好きじゃないけど......いまでも新しいものは出てきていると思うわ。ただし、インターネットの影響は大きいわよね。選択肢があまりにも多すぎて、選ぶ気がおきない。それでパワーが落ちたというのはあると思うけどね。

僕個人はむしろ"現在"のほうに興味があるのですが、なんだか多くの人は"過去"を向いているように思えるフシが多々あるのです。

アナ:そうねー。

ジーナ:わかるわかる。友だちの娘に「あなた何が好き?」って訊いて「レッド・ツェペリン」だもんね(笑)。

ビートルズとかね?

アナ:ビートルズは偉大よ(笑)!

ジーナ:でも、あなたのように"現在"に夢中な人だっているわよ。

アナ:そうね、あなたが会ってないだけよ!

ハハハハ。いないこともないんですけどね......。ちなみに新しい世代の音楽では何が好きですか?

アナ:やはりどうしても、15歳の音楽体験は特別なものなのよ。ボブ・ディランやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ローリング・ストーンズを初めて聴いたときの衝撃というのは消えないもので、年齢を重ねていってもそれと同じような衝撃を受けることはないと思うの。

アナはでも、チックス・オン・スピードのレーベルからソロ・アルバムを作っているじゃないですか? テクノは聴かない?

アナ:ひとつのアーティスト、ひとつのスタイルばかりを強烈に聴くことはもうないのよ。

そうですか。わかりました。ありがとうございました。近い将来にリリースされるというおふたりのソロ作品を楽しみに待っています。

アナ:それでは15歳の少年にサインしよう(笑)。

ぜひ!

 ......それから記念撮影までしてしまった......。
 
 これは『EYESCREAM』の連載でも書いたことだが、ザ・レインコーツのデビュー・アルバムのアートワークは、いま思えば可愛らしいとも思えるかもしれないけれど、当時あれは『カット』や『Y』と並んで、レコード店のなかで強烈な異臭をはなっていたのである。パティ・スミスの『イースター』が古くさく感じてしまったし、手短に言えば彼女たちのアンチ・ロックのセンスは音楽の世界に明白な亀裂を与えた。音のほうも......とてもじゃないが、キュートだなんて思えなかった。破壊的で、混沌と調和が入り交じって、それでいて素晴らしい生命力を感じたものだった。

 と同時に、写真で見る、いたって普段着の彼女たちは、ショービジネスの世界で女性がありのままの普通でいることが、どれだけ異様に見えるかを証明し、逆にショービジネスの世界の倒錯性を暴いてみせたのだった。レディ・ガガのような人が哀れなのは、本人はアートのもつもりでもあれは結局のところ、型にはまったショービジネスそのものでしかないからだ。ちなみにアートとは......ジョン・ライドンやマーク・E・スミスのような連中がとくに馬鹿に言葉である。

 ザ・レインコーツは〈ラフ・トレード〉らしいバンドだった。ジェフ・トラヴィスが経営した〈ラフ・トレード〉は、"男の世界"だったレコード屋のカウンターのなかに女性を送り込み、ザ・スリッツ、デルタ5、エッセンシャル・ロジックなど女性アーティストを積極的に後押しした。

 そして「50:50」契約も実現した。これは経費を除いた利益をレーベルとアーティスト側で半々に分配するというやり方だ。音楽業界の印税率を考えると、おそろしく破格の契約であるばかりか、弁護士の出る幕をなくし、わかりやすい平等思想を具現化したものだった。そうしたフェミニズムとコミュニティ意識のなかで、ディス・ヒートやレッド・クレイヨラとともにザ・レインコーツはいた。彼女たちのセカンド・アルバム『オディシェイプ』ではチャールズ・ヘイワード(ディス・ヒート)が叩き、ロバート・ワイアットとリチャード・ドゥダンスキー(PiL)も参加した。『オディシェイプ』はデビュー・アルバムとはまた違った方向性を持っている作品で、これもまたこの時代のクラシックの1枚である。

Actress - ele-king

 "ミュージック・コンクレート"ならぬ"R&Bコンクレート"......というのがアクトレスが自身の狂った音楽に付けた呼称である。それは「風変わりな子供のためのネヴァー・エンディング・ストーリーである」、とこの29歳の青年は説明している。

 復活した〈R & S〉におけるジェイムス・ブレイクやパリア(Pariah)によるポスト・R&B(ブリアルの"アーチェンジェル"の発展型)、ないしはT++の野心的なミニマリズム 、ないしはサブトラクト(Sbtrkt)やデトロイトのカイル・ホール......といった新世代プロデューサーの台頭は、エレクトロニック・ミュージックに新しい風を送り込んでいる。はっきり言って、いま耳を面白くさせてくれる音は、テクノとダブステップのあいだに広がるなんとも意味不明な、どうにも怪しげな一群のなかに数多くある。アクトレスもそんな新感覚派のひとりだ。
 アクトレス(女優)という名の人物の本名はダレン・J・カニンガム、女性ではない、なかなかハンサムな黒人男性で〈Werk Discs〉なるレーベルを運営している。ブリクストンを拠点とするこのレーベルは、ゾンビーによるレトロ・レイヴのアルバムを出しかと思えば、アクトレスによるロービット・ハウスないしは奇才スターキーのシングルをリリースするいっぽうで、マシュー・ハーバートやダブリー、あるいはデトロイトのアンソニー・シェイカーらとのイヴェントを企てる。ロンドンの現代美術の拠点〈ICA〉でイヴェントを組むほどだから、ちょっとしたディレッタントなのかもしれない。とにかく〈Werk Discs〉は、ロンドン・アンダーグラウンドにおいてもっともエクスペリメンタルなレーベルのひとつである。
 また、彼の記事を読めば、まざまなジャンル用語やアーティスト名(ダブステップ、ディスコ、レゲエ、エレクトロ・ブギ、R&B、ニュー・ジャック・スウィング......そしてプリンスにアンダーグラウンド・レジスタンス)が飛び交っている。が、しかしアクトレスの音楽はそれらのどれでもない。

 ジェイムス・ブレイクやパリアのソウル・ミュージックが、伝統的なそのフィーリングを活かしつつ、しかし、その音楽は5次元に展開されたマーヴィン・ゲイのような捻れ方をしているように、アクトレスのベース・ミュージックは......、喩えが悪くて申し訳ないが、さながらサイケデリック・ドラッグのやり過ぎで聴覚が狂った状態において聴こえる音像である。変化することを狂わんばかりに望み、すべてのスタイルを受け入れ、それでいてユニークで新しい何かを創造しようとする熱意に導かれたエレクトロニック・ミュージックだ。
 『スプラジシュ』はアクトレスにとって2枚目のアルバムで、インストラ・メンタルの〈ノン・プラス〉からの素晴らしいシングル「マシン&ヴォイス」に続くリリースとなる。「マシン&ヴォイス」にはマシナリーなファンクがあったが、『スプラジシュ』はどちらかといえば悪い酔いしたアンビエントであり、ネヴァー・エンディング・ストーリーというよりは、不安に満ちた迷路である。ざらついたブレイクビーツ、叩き割られたSF映画のサントラ、狂ったシンセサイザー、不協和音、不気味なノイズ、アシッディな音響......それでもこの音楽はクラブ・ミュージックを故郷としている。昨年シングル・カットされた"ハブル"はダンスフロアに強力な幻覚作用をもたらすだろう。"オールウェイズ・ヒューマン"や"セニョリータ"もサイケデリックなソウル・ハウスで、"レッツ・フライ"は喩えるならオウテカが手掛けたミニマル・テクノだ。やがて"ケトル・マン"の薄気味悪い夢の世界を彷徨い、結局アルバムは最後までリスナーを安心させたりはしない。しかしこれはスリルと意味不明な展開による逃避主義の成果なのだ。

 それにしてもつくづく思うのは、カネもないのにレコード店に行くべきではない、という当たり前のことだ。店を出るときには財布の中身がなくなっている......。

Rick Wilhite - ele-king

 昨年、オランダの〈ラッシュ・アワー〉がリック・ウィルハイトの〈KDJ〉から出た最初の2枚(1996年の「ソウル・エッジ」と1997年の「ザ・ゴッドサンEP」)を未発表ヴァージョンを加えて再発したと思ったら、こんどはその2枚に1999年の「ザ・ゴッドサン2」とさらに未発表トラックひとつを加えてCDアルバムとしてリリースすることになった。今年に入ってリリースされたアンドレスのセカンド・アルバム『アンドレスII』の売れ行きも良かったそうで、長いあいだ廃盤となりファンのあいだでは高価で取引されていたアンドレスの2003年のデビュー・アルバム『アンドレス』も再発されることになった。

 温故知新ばかりというわけではない。最近ではカイル・ホールという若い才能によって"デトロイト"という長い物語はいまだ終わりそうにない(それだけではない、と門井隆盛くんから怒られそうだが、フライング・ロータスと同様にジャズ・ミュージシャンの家系に育った今年の夏に19歳になるホールの作品は驚嘆に値する)。だいたい......URのバッグを持っていて、フライング・ロータスから「ナイス・バッグ」と言われるのはまだしも、トーク・ノーマルから褒められるとは思わなかった。

 そんなわけで、今年に入ってアンソニー・シェイカーのベストが発表され、そしてリック・ウィルハイトである。オリジナル・スリー・チェアーズのメンバーのひとりと言えど、ウィルハイトとは少々マニアック過ぎやしないかと思われるかもしれないが、ケニー・ディクソン・ジュニアを契機に1990年代後半から支持を集めてきたデトロイトのハウス・ミュージックは、アーバン・ブラック・ミュージックの伝統に根ざしている点においてデトロイト・テクノよりも間口が広いと言える。カール・クレイグの実験精神よりも、「スティーヴィー・ワンダーこそが最初にシンセを使ったクソ野郎なのさ。クラフトワークにはいちどだってグッと来たことはないぜ」というエディ・フォークスの主張のほうがわかりやすいと言えばわかりやすい。実際の話、デトロイトの"ビートダウン"以降の流れは、ジェフ・ミルズやドレクシアにはまったくなびかなかったリスナーも数多く取り込んでいる。

 それでもディクソン・ジュニアのハウスには毒やトゲ、そして過剰な猥褻さがあり、またセオ・パリッシュのハウスには汚れがある。1970年代のディスコにはない闇があり、痛みに歪んだ醜さがある。アンドレスやウィルハイトにはそうした"いびつさ"がないことはないが、控えめである。むしろそうしたいかめしさよりもアーバン・ブラック・ミュージックにおける情緒、彼らのグルーヴに脈打つ生命力のようなもののエネルギーが強調されている。1999年のウィルハイトのザ・ゴッドサン名義によるシングル「ソウル・エッジ EP Pert.2」のアートワークを見れば、この音楽がクラフトワークでもコルトレーンでもなく、マーヴィン・ゲイに繋がっていることが容易に想像できる。

 ディクソン・ジュニア、セオ・パリッシュ、あるいはアーバン・トライブといったささくれ立った連中のリミックスを収録しながらも、ウィルハイトのこの編集盤にはアーバン・ブラック・ミュージックのソウルフルな響きが通底している。実は僕は、昨年の〈ラッシュ・アワー〉からの再発盤の12インチを買ったクチだが(持っていなかったので)、アルバムとして通して聴いたほうがデトロイトでレコード店を営むベテランDJの魅力がよくわかるのはたしかだ。"グッド・キス"のような孤独な深さもいいけれど、"ホワット・ドゥ・ユー・シー?"のミニマルなディスコ・サウンドもまた魅力的だと思う。シカゴのゲイ・ハウスの妖しさには際限のない陶酔があるが、アンドレスのレヴューでも書いたように、デトロイトのハウスには労働者たちの、ものすごくテキトーだけどどこか大らかで、すぐに感情を露わにするけど気さくなのりを感じる。仕事が終わった労働者たちで満席となったデトロイトのバスの騒がしさといったらハンパないものがあって、容赦なく酒を飲んでいるし、バカでかい声で笑っているし、乗ってしまったときには「しまった」と思ったものだが、いまにして思えば、どんなに混んでいても死んだようにおとなしくバスに乗っている国で生まれ育ち暮らしている僕には羨ましくもある。まあ、これを隣の芝は青いというのだろうけれど、しかしこうした黒人文化における「chainging same(変わってゆく同じもの)」が世界中の人たちを虜にしているのも事実だ、バスの話はともかくとして。

 今年の初めにイギリスで、不況下における現在のデトロイトをレポートする番組があったそうで、それを観た友人から「家がたったの1ドルで売られているのを見てショックを受けたよ」というメールをもらった。返信はまだしていない。何と言って良いのかわからないのである。

Rusko - ele-king

 2009年のダブステップのフロアヒットのひとつにイマルカイ(Emalkay)の"ホエン・アイ・ルック・アット・ユー"がある。重たく、汚れていて、やかましい、そしてクラクラする(英語で言えば、wobbly)ダブステップである。勝手な推測だが、この大ヒットが、あるいはまたキャスパと彼のレーベル〈ダブ・ポリス〉に代表されるような動きが、ローファーをポスト・ダブステップに駆り立て、ザ・XXとアントールドを近づけたのかもしれない。重たく、汚れていて、やかましい、そしてクラクラする――いわばダブステップ界におけるラモーンズたちは、コード9やDMZのようなオリジナル世代からしたら、違和感があるのだろう。UKファンキーやグライムならオッケー、が、このヤンキーくさい乱雑さだけはどうも......そんな思いがシーンから見えてくるようだ。が、無責任なことを言えば、これもまた一興なのである。
 シーンの過渡期を表すシグナルなのだろう。オリジネイターがシーンの限界を感じて"次"に向かう。よくあることだし、その"次"はもちろん楽しみだ。しかし、玄人たちの去った焼け野原で踊っている子供たちこそレイヴ・カルチャーそのものなのだ。汗だくなって踊る。若さゆえの暴走。作品主義に基づいた洗練さとは逆のベクトルだが、音にのめり込む度合いの強度においてそれらは圧倒的となる。2006年に〈ダブ・ポリス〉からデビューしたクリス・マーサー、ラスコという名で知られるプロデューサーも最初はそんなひとりだった。
 スクエアプッシャーを敬愛し、DMZを聴いてダブステッパーの仲間入りを果たしたリーズ出身の青年は、〈ダブ・ポリス〉と〈ダブ・ソルジャー〉を拠点にしながらキャスパとともにその人気を伸ばしていった。とくに2007年に「ファック!」を連呼する忌々しい"コックニー・サグ"が大当たりすると(それはまるで......セイバース・オブ・パラダイスの"ウィルモット"のダブステップ・ヴァージョンである)、リトル・ブーツやベースメント・ジャックス、ザ・プロディジーなどポップ畑においてもリミキサーとして進出。そしてディプロの〈マッド・ディセント〉と契約を交わすと、昨年の9月にロサジェルスに越し、M.I.A.の3枚目もサポートしつつ、晴れてこうしてデビュー・アルバムを発表するにいたったわけである。
 ディプロは、バイリ・ファンキにしてもボルチモア・ブレイクにしてもダンスホールにしても、音にのめり込む度合いの強度にアプローチする。それをポップでスタイリッシュにパッケージする才能に長けている。メジャー・レイザーのあの、ナンセンスなダンスホールを思い出せばいい。パロディ精神に根ざした彼らのレゲエは、しかも結局のところ本場キングストンの人たちをも虜にして、ジャマイカでも大ヒットしている。いま〈マッド・ディセント〉はポップ・ダンスの重要拠点としてピークを迎えつつあるのかもしれない。意味のある音楽ではないが、ここには創造性と"楽しみ"があるのだ。
 
 ラスコのデビュー・アルバムは〈マッド・ディセント〉らしい作品である。ブリトニー・スピアーズから声がかかるばかりか、USインディ・ロックのアンダーグラウンドにおいて目下もっとも評価の高いスライ・ベルズとのコラボレーションも噂になっている若きダブステッパーは、いまの勢いのまま、ブレーキを踏むことなくアルバムを発表する。それは若さゆえの暴走ではない。手をかけてパッケージされたモダン・ダンス・ミュージックだ。
 重たいベースの邪悪なドライヴからはじまる『O.M.G.!』は、ダーティ・プロジェクターズのアンバーのヴォーカルとともに加速したかと思えば、〈ダブ・ポリス〉の作品でお馴染みのMC、ロッド・エズランがレゲエのリズムに言葉をのせる。リスナーを退屈させることなく、ミラーボールが煌めくディスコやダーティ・ダブステップ、それからレイヴィーなジャングルへと突き進む。アルゼンチン代表の前線の3人がボールを奪うといっきに駆け上がり、そして相手ディフェンス陣を突破してシュートするように。
 アルバムを象徴するのは、モダン・ファンクを打ち鳴らす、ベン・ウェストビーチが参加した"フィール・ソー・リアル"、あるいはシンセベースが唸り、グッチ・メインの声が聴ける"ガット・ダ・グルーヴ"といった曲だ。それらは"Pファンクの後継者"と言われた1980年代前半に活躍したオハイオ州のグループ、ザップによるエレクトロ調のファンクを思い出させる。ザップと言えばロジャーによるトーク・ボックスが有名だが、あの変調された"声"は『オー・マイ・ゴッド!』のいたるところに顔を出している。
 ダブステップの観点から見れば意見は分かれるかもしれないが、鳴り物の入りのデビュー・アルバムとしては申し分のないできである。

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