Home > Reviews > Album Reviews > 青柳拓次- まわし飲み
青柳拓次は筆者とおなじ年齢なのだが、聴いている音楽もやってることも、彼はそれこそ高校生の頃からずっと(自分を含めた)世俗の一歩二歩先を行っているように思える。青柳はいわゆる渋谷系世代のど真んなかで、つまりあらゆるカテゴリーの音楽を並列に捉える感覚が最初から備わっている世代だ。リトル・クリーチャーズをはじめ、さまざまな活動を通して彼がやってきたこともまさにミクスチャー/クロスオーヴァー音楽だった。そして青柳の音楽にはつねに卓越したポップ・センスがあり、また同時に彼はその時点では誰もやっていないことをやってきている。そんな彼がまたやらかしてくれた。
今回リリースされるアルバム『まわし飲み』は本人名義としては2枚目となる作品である。まずは、青柳拓次のこれまでのソロ活動を少しだけ振り返ってみよう。
青柳拓次がソロ活動をはじめたのは2000年、自身も出演した映画『タイムレスメロディ』のサウンドトラックでカマ・アイナと名乗ったのが最初だった。以降、それは彼がそれまでひとりで聴いて楽しんでいた音楽を思うがままに作るソロ・ユニットとなった。2001年に発表した『kati』では、カリブ系をコンセプトにするダブル・フェイマスともまた違ったワールド・ミュージックにおけるエキゾチック感覚を披露しているが、そこには当時のポスト・ロック的なセンスさえも独自に展開したような面白さもあった。
"青柳拓次"名義の最初の作品は、2007年にリリースされた『たであい』だ。カマ・アイナがインスト主体だったのに対して、"青柳拓次"名義では日本語のやさしい歌が主体となった。アジアの民族楽器がふんだんに使われていて、彼流のエキゾチック観がルーツに向かっているような気配があった......その時点では。
新作『まわし飲み』は、『たであい』が弾き語りでも成り立つようなつくりであったのに対し、何よりもリズムが際だっている。そのせいか、前作ではやや控えめにみえた無国籍なフィーリングが露骨に展開されている。タイトルナンバーのM-1"まわし飲み"は、アメリカン・ルーツ風のアコースティック・ギターを軸にした曲だが、リズムはラテン風で、ヴォーカルは日本の民謡風にコブシがきいている。果ては篠笛がフォルクローレのようなフレーズを奏でるという具合だ。
『まわし飲み』は、彼が旅してまわった唐津、岡山、尾道、博多、そして台湾といった土地がインスピレーションになっているという。使用楽器は、青柳はギター、バンジョー、三線、オルガン、ゲストは太鼓、チャンチキ、中国古筝、二胡、サックス、篠笛、能管、鈴など。女性民謡歌手のコーラスも入っている。
台湾の土地、猫空(マオコン)をそのまま曲名にしたM-8はどうかといえば、日本の盆踊りの音楽そのものだ。日本の統治下にあった台湾に盆踊りがあるのかどうか筆者にはわからないが、青柳が台湾で盆踊り風の音楽を耳にしたのだとしたら、その経験がコンセプトのもとになっているのだ。
このセンで聴いていくと、純和風なメロディの歌ながらも歌詞に出てくる場所は「ハワイ」となっているM-3"つきのにじ"(ちなみに楽器はバンジョーで、フォルクローレ風の笛も入ってくる)や、M-4で沖縄の民謡"安里屋ユンタ"が三線ではなくアコースティック・ギターでアメリカ風に演奏されているのも合点がいく。
2001年に『インディーズ・マガジン』で取材した際にも、「例えば南米っぽいフレーズがあったとしたら、そこに南米の楽器を使わないでアイルランドの弦楽器を使ったり。楽器を変えることでより国籍とか民族がはっきりしなくなってくる」と青柳は語っている。こうした異文化をシャッフルさせるような試みは以前から彼のなかにあったものだが、今回はとくに誰の耳にもわかりやすいかたちでそれが表現されている。
日本人およびアジア人としてのアイデンティティの探求と、旅人=ストレンジャーという視点によるストレンジ・ミュージックの探求。『まわし飲み』にはこのふたつの探求を見ることができる。いま世界ではメスティーソ(混血人種)音楽がもてはやされているが、この『まわし飲み』は、極東におけるもっとも優れたそのサンプルとなるのではないだろうか。
岩崎一敬