ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. interview with Larry Heard 社会にはつねに問題がある、だから私は音楽に美を吹き込む | ラリー・ハード、来日直前インタヴュー
  2. Columns ♯5:いまブルース・スプリングスティーンを聴く
  3. The Jesus And Mary Chain - Glasgow Eyes | ジーザス・アンド・メリー・チェイン
  4. interview with Shabaka シャバカ・ハッチングス、フルートと尺八に活路を開く
  5. interview with Martin Terefe (London Brew) 『ビッチェズ・ブリュー』50周年を祝福するセッション | シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシアら12名による白熱の再解釈
  6. claire rousay ──近年のアンビエントにおける注目株のひとり、クレア・ラウジーの新作は〈スリル・ジョッキー〉から
  7. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回
  8. Beyoncé - Cowboy Carter | ビヨンセ
  9. 壊れかけのテープレコーダーズ - 楽園から遠く離れて | HALF-BROKEN TAPERECORDS
  10. Larry Heard ——シカゴ・ディープ・ハウスの伝説、ラリー・ハード13年ぶりに来日
  11. Free Soul ──コンピ・シリーズ30周年を記念し30種類のTシャツが発売
  12. Jlin - Akoma | ジェイリン
  13. Jeff Mills ——ジェフ・ミルズと戸川純が共演、コズミック・オペラ『THE TRIP』公演決定
  14. Bingo Fury - Bats Feet For A Widow | ビンゴ・フューリー
  15. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  16. tofubeats ──ハウスに振り切ったEP「NOBODY」がリリース
  17. Jeff Mills × Jun Togawa ──ジェフ・ミルズと戸川純によるコラボ曲がリリース
  18. R.I.P. Amp Fiddler 追悼:アンプ・フィドラー
  19. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第1回  | 「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」そして「ダムハウス」について
  20. Rafael Toral - Spectral Evolution | ラファエル・トラル

Home >  Reviews >  Album Reviews > Drake- Thank Me Later

Drake

Drake

Thank Me Later

Young Money/Cash Money/Universal

Amazon iTunes

野田 努   Jun 30,2010 UP
E王

 これは、マッシヴ・アタックザ・XXのようなメランコリック・ミュージックを好む者にとって嬉しい作品だと言える。甘美な憂いに満ちたヒップホップ/R&Bのアルバムだ。シャーデー(それからザ・XXやボーズ・オブ・カナダ等々)が好きだというのもよくわかるし、昨年発表したシングル"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"のスウィングするドラムンベースを手掛けた同郷のボーイ・ワンダー、同じく同郷の40(あるいはカニエ・ウェストやなんか)のプロダクションはグイードのデビュー・アルバムともそれほど離れていると思わない。ポップと、まずまずの実験精神との両方を試みている作品とも言えるが、アリシア・キーズをフィーチャーした1曲目の"ファイアーワークス"の甘美な悲しみからアルバムが離れることはない。

 もっとも......周知のように、世のなか的には「ヒップホップにおける救世主」(ガーディアン)であり、「カニエ・ウェストに次ぐスター」(ピッチフォーク)という、カナダのトロント出身の23歳のラッパー、ドレイクによる待望の公式デビュー・アルバムとして脚光を浴びている。あのリル・ウェインの耳を虜にして、彼の〈ヤング・マネー〉と契約した、手短に言ってラップ界における神童のような......というかいわゆる"ノー・ドラッグ・ディーリング、ノー・ヴァイオレンス"路線における期待の新星である。BBCいわく「ラップにおけるヴァンパイア・ウィークエンド」である。

 『サンクス・ミー・レイター』は、用心深い天才が、ラップの"オレ物語"から一歩引いているように見せながら、が、しっかりと"オレ"を主張しているイヤらしい作品だ。『ピッチフォーク』のレヴュワーはこのアルバムに出てくる"I"の回数を数えてみたら、410回もあったと驚いている。ちなみに『ザ・カレッジ・ドロップアウト』で220回、『イルマティック』で210回だから、このハンサムなラッパーの『サンクス・ミー・レイター』はそれらクラシックの二倍も"オレ"が出てきているのである。そんなわけで、「あとでオレに感謝しな」......、しかしそれがどんな"オレ"なのか、リル・ウェインやエミネムのように釈然としたものがあるわけでもなさそうだ、いまのところは。

 ドレイクは実際にトロントの裕福なエリアで育っている。ユダヤ系の白人の母親とアフリカ系の父親のデニス・グレアム(ジェリー・リー・ルイスと働いたドラマー)とのあいだに生まれた彼は、5歳で両親が離婚すると母親に引き取られ、トロントの公立学校で学んでいる。メンフィスに越した父親とも交流を保ちつつ、ドレイクは最初はテレビ番組の俳優として有名になっている。

 2009年の初頭に発表したミックステープ『ソー・ファー・ゴーン』がラッパーとしてのドレイクの本格的なスタートだった。最初にシングル・カットされた"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"は大ヒット、それからこの若いカナダ人は、わずか1年のあいだにメアリー・J.ブライジやジェイ・Zといった大物との共演を果たし、また、その夏には、エミネム、リル・ウェイン、カニエ・ウェストらをフィーチャーした"フォーエヴァー"を発表している。

 とはいえ『サンクス・ミー・レイター』は、"フォーエヴァー"や"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"のようなフレッシュなビートよりも、エモーショナルなメロディとその叙情性が耳に残るアルバムとなった。彼のラップが技巧的な面でずば抜けているとは思わないが、その鼻歌ならぬ鼻ラップの魅力的な響きはヒップホップのフロウとR&Bヴォーカルとのあいだを自由に動きまわり、孤独な夜の親密なサウンドトラックをしっかり支えるる。そして、結局のところ豪華なゲスト陣さえ(リル・ウェイン、ザ・ドリーム、ジェイ・Z、スウィズ・ビーツ等々)、彼のドラマの脇役にしてしまう。レーベルメイトのニッキー・ミナージュの耳障りな甲高い声が違和感を放っているぐらいで、アルバムはほとんど完璧に調和の取れたムードで進行している。

 マスターピースの"ファイアーワークス"に続いて、2曲目にして早くもクライマックスかと思えるような"カラオケ"の陶酔的なメランコリーが待っている。"ザ・レジデンス"や"ショーウ・ミー・ア・グッド・タイム"で聴かせる斬新なプロダクションとメロウなフロウの組み合わせも面白いし、シャット・イット・ダウン"(ザ・ドリーム)や"ライト・アップ"(ジェイジー・Z)、あるいは"ミス・ミー"(リル・ウェイン)のような、大物を登場させながら繰り広げられるきめ細かい叙情性には「両親が手にできなかった愛」を求めるドレイクのもっとも美しい姿を見ることができるようだ。まあ......、わめき散らすこともなく、誰かをののしることもない、優雅な声とフロウ(あるいはすすり泣き)に満ちた見事なデビュー・アルバムだと思う。豪華だが月明かりのような音楽で、ありきたりの言葉で言えば、よくできたモダン・アーバン・ソウルである。ドレイクの最初の一歩であり、この機会を逃す手はない。

 ところで服役中のリル・ウェインだが、刑務所では模範的な生活を送り、看守たちからの信頼も厚く、いまでは自殺志願者の監視役となっているという話だ。ドレイクは刑務所にいるウェインを面会に訪ね、コラボレーション作品の構想を相談し、そして先日その計画を公に発表している。「恩人への恩返しをしたいんだ」、とドレイクは説明している。もっとも感銘を受けたアルバムが『イルマティック』だった、というのは伊達ではないのだ。

野田 努