「IO」と一致するもの

ele-king presents HIP HOP 2024-25 - ele-king

ヒップホップ/ラップ・ミュージックの年刊専門誌が創刊!

たったいま、アメリカで起きていること、
これを読めば、USヒップホップの “現在” がわかる!!

現在のUSヒップホップのメインストリーム概観、乱立するサブジャンル解説、ヒップホップと大統領選、『ヒップホップ・ジェネレーション』の著者=ジェフ・チャンのインタヴュー、海外アーティストの来日ライヴ・レポート、そして、2024年ベスト・アルバム50を発表!!

Kendrick Lamar, MIKE, BossMan Dlow, Latto, Xaviersobased, Rapsody, Tyler, The Creator, Doechii, Common & Pete Rock, GloRilla, ScHoolboy Q and more...

菊判218×152/160ページ

目次

Intro (For the First Issue) 二木信

[巻頭対談]
歴史的ビーフからサウスの女性ラッパーの躍進、カントリーとの蜜月、ベテランの健闘まで
――2024年のアメリカのヒップホップでは何が起こっていたのか?(池城美菜子×渡辺志保)

[インタヴュー]
ミーガン・ザ・スタリオン、グロリラの元気と、タナハシ・コーツの勇気に出会えた年──押野素子
私の役割はコミュニティの歴史を伝えること──ジェフ・チャン(通訳:SRCFLP)
海外アーティスト来日ライヴ・レポート!──PoLoGod.×$hirutaro
ShotGunDandyが解説する2024年ベスト・パンチライン!

2024年ベスト・アルバム50
二木信、アボかど、池城美菜子、市川タツキ、イワタルウヤ、奧田翔 、小澤俊亮、小林雅明、島岡奈央、高久大輝、つやちゃん、野田努、長谷川町蔵、吉田雅史、渡辺志保

[コラム]
サブジャンルが乱立する2024年。シーンでは何が起きている?(アボかど)
あらゆる戦争が交差するストリートから生まれる音楽──bigsosとムスタファについて(磯部涼)
ラッパーほど信頼できる存在はいないだろ?──ヒップホップと大統領選(辰巳JUNK)
「USヒップホップ」の境界線をかく乱する──2024年のサウンドの冒険(つやちゃん)
2024年の怪物キメラへ──ビーフの裏側で誰が本当に殺されていたのか(緊那羅:Desi La/青木絵美訳)
アンビエント・ラップというオルタナティヴの発生現場(野田努)
私はアンチ・カーディ・Bじゃない──フィメール・ラップのいくつもの物語(島岡奈央)
50周年を迎えたヒップホップと「年齢」の壁(ネコ型)
ヒップホップ・メディアは「ほとんどがゴミ」なのか?──岐路に立たされるジャーナリズム(竹田ダニエル)
2024年のヒップホップ・カルチャーと社会──そして「政治」とは何か?(塚田桂子)
ラップの虚構性とキャンセル・カルチャー(小林雅明)
燃えつきることなく燃えつづける「反ポップ」のともしび──アンチポップ・コンソーティアムのふたりがそろって新作を出した年(小林拓音)

レコード店が選ぶ2024年のベスト10
ディスクユニオン/EBBTIDE RECORDS/HMV record shop 渋谷/Jazzy Sport Shimokitazawa/JET SET KYOTO/Manhattan Records/VINYL DEALER

BONUS TRACK まだまだあった! 2024年の見過ごせない注目作

[編集・監修者プロフィール]
二木信(ふたつぎ・しん)
1981年生。ライター。『素人の乱』(松本哉との共編著)、単著に『しくじるなよ、ルーディ』、企画・構成に漢 a.k.a. GAMI著『ヒップホップ・ドリーム』、編集協力に『ele-king vol.27 特集:日本ラップの現状レポート』、『文藝別冊 ケンドリック・ラマー』など。

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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『ele-king presents HIP HOP 2024-25』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

●36、39、52、55、94、97、114、117、130、133、136、149ページ ショルダー

誤 COLUNM
正 COLUMN

●101ページ 下段最終行

誤 ジャフ・チャン
正 ジェフ・チャン

●153ページ 右段チャート7番目

誤 BIGMUTHA
正 BbyMutha

●159ページ プロフィール記載漏れ

奧田翔(おくだ・しょう)
1989年3月2日生まれ。宮城県仙台市出身。2008年、大学入学を機に上京。入会したキックボクシング・ジムでかかっていたBGMをきっかけにヒップホップ/R&Bを聴き始める。主な仕事にケンドリック・ラマーらの国内盤ライナーノーツ、YouTubeチャンネル『HIPHOPで学ぶ英語』など。最近毎朝コールドシャワーを浴びている。

●159ページ 左段

誤 池城美奈子
正 池城美菜子

Whatever The Weather - ele-king

 昨年は二度目の来日公演が実現、mouse on the keysのライヴへの出演も話題を呼んだロレイン・ジェイムズ。そのアンビエント・プロジェクト、ワットエヴァー・ザ・ウェザーのセカンド・アルバムがリリースされることになった。3月14日、おなじみの〈Ghostly International〉から発売(CDは日本盤のみ)。現在、新曲 “12°C” のMVが公開されているが、このヴィデオもジェイムズ本人が手がけたものだという。アルバム、楽しみにしておきましょう。
 なお、ファースト・アルバムのレヴューはこちらから。

Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!先行ファースト・シングル「12°C」がMVと共に公開!

Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているサウス・ロンドンのプロデューサー、Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!

そして先行ファースト・シングル「12°C」が公開されました。この曲はアルバムのクロージング・トラックで、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、魂を揺さぶるような充実感を生み出している感動的な楽曲です。Loraine本人が手がけたミュージック・ビデオも同時に公開されております。

Whatever The Weather new single “12°C” out now

Whatever The Weather – 12°C (Official Video)
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=p4BgcSlKd0g

The video was self-made by Loraine James.

Whatever The Weather new album “Whatever The Weather II” 3/14 release

Artist: Whatever The Weather
Title: Whatever The Weather II
Label: PLANCHA / Ghostly International
Cat#: ARTPL-230
Format: CD
Release Date: 2025.03.14
Price (CD): 2,200 yen + tax

※日本独自CD化
※ボーナス・トラック1曲収録
※解説付き予定

WTW第二章!Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているLoraine JamesのWHATEVER THE WEATHER名義での待望のセカンド・アルバムが完成!

ロンドン拠点のLoraine Jamesは、エレクトロニック・ミュージックの第一人者として名を馳せる一方、洗練された作曲、骨太な実験、予測不可能で複雑なプログラミングを融合させることで、そのサウンド・アイデンティティを確立してきた。名門レーベルHyperdubからリリースされる彼女の本名名義での作品は、IDMの影響を受け、ヴォーカルを多用したコラボレーションが多いのに対し、別名義であるWhatever The Weatherでは印象主義的で内面的な視線のアプローチをみせている。セカンド・アルバムとなる『Whatever The Weather II』では、催眠術のようなアンビエンスから、斑模様のリズム、日記的なフィールド・レコーディングの切り刻まれたコラージュまで、重層的なテクスチャーの豊かな世界がシームレスに流れていく。その結果、デジタルとアナログのさまざまな方法で加工された有機的な要素と人間的な要素の説得力のある結合から生まれた、独特の分断された美しさが生まれた。

レコーディング時の「感情の温度」に基づいて『Whatever The Weather』というタイトルをつけたが、彼女はレコーディングされた作品を改めて聴くと温度計の温度とは全く別の場所に感じられることがよくある、と述べている。それは環境の気まぐれであり、前作とその南極のイメージに比べれば、本作『Whatever The Weather II』は暖かい作品である。それは、再びCollin Hughesが撮影したジャケット写真の砂漠の気候や、Justin Hunt Sloaneがデザインしたパッケージが物語っている。また、両アルバムに共通しているのは、友人でありコラボレーターでもあるJoshua Eustis (aka Telefon Tel Aviv)のマスタリング作業で、彼は複雑な音に鋭い耳を傾け、驚くほど立体的なサウンド体験を作り上げている。

アルバムの冒頭を飾る「1°C」では、Loraineが「ちょっと肌寒いね…夏になるのが待ち遠しいよ」と話し、粒状の音と散在するヴォーカル・サンプルの層が浮かび上がる。この言い表せないムードは「3°C」にも引き継がれ、高周波の振動がステレオ・フィールドを飛び交い、力強くミニマルなキックが壊れたスピーカー・コーンを揺らし、広々としたシンセのハーモニーがはじけ、霧の中に消えていく。アルバム中最も長尺の「20°C」は、会話とマイナー・キーのコードの喧噪の中で白昼夢を見た後、グリッチでスタッカートなパーカッション・パターンの連続が花開く。「8°C」は、最小限の対位法で彩られた、1つのさまようようなキーボード・ラインに乗っている。これらの瞬間、Loraineは拡散するアイデアから難なく秩序を導き出し、遊び心のある自発性が共通の糸を生み出している。

このプロジェクトについて語る上で、最初の『Whatever The Weather』LP(Ghostly, 2022年)は『Reflection』(Hyperdub, 2021年)と同時期に制作されたこと、そして彼女の2つの音楽的心構えの間にはある程度のスタイルの相互作用があったことを指摘している当時、彼女はPitchforkのPhilip Sherburneにジャンルに対する思いを語り、「そう、私はIDMを作るほとんどの人とは違って見えるかもしれないし、違う時代から来たけれど、その言葉が否定的か肯定的かはあまり気にしていない。私の音楽はIDMだと思うし、他のものからインスピレーションを得て、それを融合させながら自分なりのアレンジをしている」。今回は、数か月間、この別名義とその特徴の開発に集中してエネルギーを注いだ。コラボレーターはおらず、ビートは少なく、主に本能と即興に基づいたプロセスだった。

このアルバムの特異なサウンドは、彼女がソフトウェアよりもハードウェアを好んだことに起因している。シンセサイザーのバッテリーは、ほとんどオーバーダビングされることなく、数々のペダルによって変調、変形、再構築され、各アレンジメントが作成された瞬間に効果的に固定されている。ポスト・プロダクションでは、アーティストが最も重要視しているシーケンスに最大の努力が払われた。全体として、この組曲は、季節の移り変わりと自然主義的な優美さの感覚にふさわしい満ち引きを見せる。

この曲では、東京の遊び場にいる子供たちの心に響くエコーが、断続的に鳴り響く静寂を突き抜け、オフキルターな泡のような音色に包まれる。ここでLoraineは、彼女の多くの強みのひとつである、大胆不敵な音のコラージュへのアプローチを、野心的な実験と驚きに満ちたテンポによって高めている。同じ音空間に長く留まることに満足しない「15°C」は、ソフトなパッドと輝くカウンター・メロディが続き、突然、回転する機械の中の緩んだ部品を模倣した、耳障りで周期的なリズムが加わる。 Loraineの作品の多くがそうであるように、彼女の手によってのみ意味をなす内部論理を帯びている。
クロージング・トラックの「12°C」は、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、実に珍しい、魂を揺さぶるような充実感を生み出している。その最後の瞬間、私たちは初めて、彼女のピッチシフトした声の上で、物憂げなアコースティック・ギターと優しく指でタップするビートを耳にする。これは、皮肉な曖昧さでアルバムを締めくくるコールバックであり、地平線の向こうにさらに何かが見つかるというヒントである。『Whatever The Weather II』には、まるでネガフィルムのような形式的な構成と、ウィット、インテリジェンス、そしてスキルで常識を覆すような、そんな魅力的な箇所がに満ちている。

マスタリングは引き続きTelefon Tel AvivことJoshua Eustisが担当。CDリリースは日本のみで、ボーナス・トラックが追加収録。

Track list:
01. 1°C
02. 3°C
03. 18°C
04. 20°C
05. 23°C (Intermittent Sunshine)
06. 5°C
07. 8°C
08. 26°C
09. 11°C (Intermittent Rain)
10. 9°C
11. 15°C
12. 12°C
13. null (Bouns Track for Japan)

Loraine James // Whatever The Weather

ロレイン・ジェイムス(Loraine James)はノース・ロンドン出身のエレクトロニッック・ミュージック・プロデューサー。エンフィールドの高層住宅アルマ・エステートで生まれ育ち、母親がヘヴィ・メタルからカリプソまで、あらゆる音楽に夢中になっていたおかげで、エレクトロニカ、UKドリル、ジャズなど幼少期から様々な音楽に触れることとなる。10代でピアノを習い、エモ、ポップ、マス・ロックのライヴに頻繁に通い(彼女は日本のマスロックの大ファンである)、その後MIDIキーボードとラップトップで電子音楽制作を独学で学び始める。自宅のささやかなスタジオで、ロレインは幅広い興味をパーソナルなサウンドに注ぎ込み、やがてそのスタイルは独自なものへと進化していった。
スクエアプッシャーやテレフォン・テル・アヴィヴといった様々なアーティストやバンドに影響を受けながら、エレクトロニカ、マスロック、ジャズをスムースにブレンドし、アンビエントな歪んだビートからヴォーカル・サンプル主導のテクノまで、独自のサウンドを作り上げた。
彼女は2017年にデビュー・アルバム『Detail』をリリースし、DJ/プロデューサーであるobject blueの耳に留まった。彼女はロレインの才能を高く評価し、自身のRinse FMの番組にゲストとして招き、Hyperdubのオーナーであるスティーヴ・グッドマン(別名:Kode 9)にリプライ・ツイートをして、Hyperdubと契約するように促した。それが功を奏し、Hyperdubは2019年に彼女独特のIDMにアヴァンギャルドな美学と感性に自由なアプローチを加えたアルバム『For You and I』をリリースし、各所で絶賛されブレイク作となった。その後『Nothing EP』、リミックス、コラボレーションをコンスタントにリリースし、2021年に同様に誠実で多彩なフルレングス『Reflection』を発表。さらなる評価とリスナーを獲得した。2022年には1990年に惜しくも他界したものの近年再評価が著しい才人、Julius Eastmanの楽曲を独自の感性で再解釈・再創造した『Building Something Beautiful For Me』をPhantom Limbからリリースし、初来日ツアーも行った。そして2023年には自身にとっての新しい章を開く作品『Gentle Confrontation』をHyperdubから発表。これまで以上に多くのゲストを起用しエレクトロニック・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとって現時点での最高傑作として様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連ねた。

そしてロレインは本名名義での活動と並行して、別名義プロジェクトWhatever The Weatherを2022年に始動した。パンデミック以降の激動のこの2年間をアートを通じて駆け抜けてきた彼女はNTSラジオでマンスリーのショーを始め、Bandcampでいくつかのプロジェクトを共有し、前述のHyperdubから『Nothing EP』と『Reflection』の2作のリリースした。そして同時に自身が10代の頃に持っていた未知の創造的な領域へと回帰し、この別名義プロジェクトの発足へと至る。Whatever The Weather名義ではクラブ・ミュージックとは対照的に、キーボードの即興演奏とヴォーカルの実験が行われ、パーカッシヴな構造を捨ててアトモスフィアと音色の形成が優先されている。
そしてデビュー作となるセイム・タイトル・アルバム『Whatever The Weather』が自身が長年ファンだったというGhoslty Internationalから2022年4月にリリースされた。ロレインは本アルバムのマスタリングを依頼したテレフォン・テル・アヴィヴをはじめ、HTRK(メンバーのJonnine StandishはロレインのEPに参加)、Lusine(ロレインがリミックスを手がけた)など、アンビエントと親和性の高いGhostly Internationalのアーティスト達のファンである。
「天気がどうであれ」というタイトルにもちなんで、曲名は全て温度数で示されている。周期的、季節的、そして予測不可能に展開されるアンビエント~IDMを横断するサウンドで、20年代エレクトロニカの傑作(ele-king booksの『AMBIENT definitive 増補改訂版』にも掲載)として幅広いリスナーから支持を得た。

私、VINYLVERSEの開発チームに所属しています。このアプリ、まだベータ版ですので、少々わかりづらい部分も多いかと思います。皆様にうまく使っていただけるよう、ここで簡単に紹介させていただきます。

VINYLVERSEは、レコード好きのために作られた音楽アプリです。このアプリには大きく分けて2 つの主要な機能があって、初めて使うとちょっと複雑に感じるかもしれません。
でも慣れてくるとすごく楽しくなります(自分で使っていてそう思います)。
今回はその楽しい部分の中心である「ギャラリー機能」をピックアップしてご紹介します。
(※もう1つの大きな機能であるPHYGITAL VINYL(NFTとレコードを融合した技術)の管理はまた別の機会に紹介いたします!)

ギャラリー機能について

ギャラリー機能はとてもシンプルです。自身の所有するレコードをアプリ上でコレクションとして整理・閲覧することができます。

レコードの追加方法

1.アプリ下段の中央にあるブルーのボタンを押すとカメラが起動します。

2.レコードジャケットを撮影すると、外部データベースから該当レコードのデータが自動的に取得され、アプリに表⽰されます。

3.表示されたレコード情報にある「マイギャラリーに追加」をタップすれば、自分のギャラリーに保存されます。

■ここで注意点!!

・現在、画像検索機能の改良を進めております。そのため、⼀部の画像検索がうまく機能しない場合があります。今すぐ活用できるのはテキスト検索です。

・検索窓にレコードのタイトルや品番を入力すると該当レコードが表示されるので、タップしてギャラリーに追加してください。
※なかなか出てこない場合は、正式な名称や品番をネットで検索してコピペしてください。


マスターとバージョンについて

ギャラリーに追加できるのはバージョンのみです。レコードには複数のバージョンが存在し、それらを束ねているのがマスターです。所有するレコードの該当バージョンを選んでギャラリーに追加してください。

ギャラリーを作り上げよう

1枚ずつレコードをギャラリーに追加していき、自分だけのコレクションを完成させましょう。 50枚ほど揃うと、なかなか見応えのあるギャラリーが作れますよ。

他のユーザーのギャラリーを見る

VINYLVERSEでは、他のユーザーをフォローし、そのギャラリーを閲覧することができます。現時点では他者の投稿が見れるタイムライン機能は未実装ですが、現在開発中です。

では、どうやって他のユーザーを見つけるのでしょうか?

※裏技(1)ユーザーを探す

1. 検索窓に「A」と入力して検索します。(アルファベット1文字であればOKです)

2. 検索結果の⼀番下に「ユーザー」が表示されるので、「すべて表示」をタップします。

3. 現時点で登録されているすべてのユーザーが表示されます。興味のあるユーザーを見つけてフォローしてみましょう。


VINYLVERSEの使い方を広げよう

基本的にこのアプリは無料で利用できるので、どのボタンを押しても基本的には問題ありません。なのでまずはいろいろな機能を試してください。そのうちの⼀つなのですが、ギャラリーに追加したレコードにはオーナーカードというものがついてきます。

このカードでは以下のような情報を記録できます。
•盤やジャケットの状態
•個人的なメモ(他のユーザーからは閲覧されません)

またデータベースの写真ではなく、自分のレコードの写真をアップしたい方は以下の方法があります。

※裏技(2)自分が所有するジャケット写真を登録可能

1. レコードをタップします。

2. 画面右上にある『・・・』ボタンをタップし「レコードを編集」を選択

3. 「写真をアップロード」を押して撮影、もしくはアルバムから登録された写真を選択→「~カバー写真に保存」を選択してから「保存」をタップ。

他にもさまざまな機能がありますので試してみてください。
今後もさらにアップデートを重ねていく予定です。
(常にアップデートしていますので随時ご確認いただけると幸いです)

先にも書きましたが「ギャラリー機能」はとてもシンプルです。アプリを通じて、自分の好きなレコードを並べているだけですが、これは、自身の趣味性や価値観、さらには音楽との関係性が自然と映し出されるように感じています。この行為自体が⼀種のアートであり、音楽活動であり、自己表現のひとつと言えるのではないでしょうか。自分だけのセレクトで作られた唯⼀無⼆のギャラリーには、並べた瞬間に得られる満足感や、新たな発見が詰まっています。それは、まるで自分自身を再発見する旅のように思います。ぜひ、自分なりの使い方を見つけて、楽しんでください。

VINYLVERSE アプリ

interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones - ele-king

ジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べてもジョーのコードのチョイスはすごくいい。(沖野)

 これはもはやジャズではなくルーツ・レゲエそのものではないか──ジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルをチェックしたリスナーの多くはおそらく面食らったにちがいない。
 大胆にアフロビートやラテン音楽などをとりいれる雑食的スタイルで10年代後半以降のUKジャズを牽引してきたグループのひと組、エズラ・コレクティヴ。その鍵盤奏者であり、ソロ・アーティストとしても確固たる地位を築きあげているのがジョー・アーモン・ジョーンズだ。UKらしいというか、おなじトゥモロウズ・ウォリアーズで学んだヌバイア・ガルシア同様、音楽的冒険を厭わない彼の射程にももともとレゲエ/ダブが含まれており、その影響は当初から作品に反映されてきた。
 しかしここまでストレートなルーツ・サウンドに舵を切るとだれが予想できただろう。12月6日にリリースされた「Sorrow」によくあらわれているように、2024年にジョーンズが自身のレーベルから送り出した3枚の12インチ・シリーズは、どれもこれまで以上に深くダブに傾斜している。ただ、さりげなく3枚ともB面にローズ・ピアノ・ヴァージョンが収められている点は見過ごせない。それらのヴァージョンからは、通常異なる文脈にあると思われている音楽との接点を探ろうと果敢に奮闘する、ひとりのジャズ・ミュージシャンの姿が浮かび上がってくるからだ。
 そんなジョー・アーモン・ジョーンズのことをかねてより高く評価してきたのがKYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也である。2024年にデビュー30周年を迎えた沖野は、これまでKYOTO JAZZ MASSIVEがカヴァーしてきた曲を集めたコンピレイション『KJM COVERS』を12月4日にリリースしている。彼らがどんな音楽からインスパイアされてきたのか俯瞰できるありがたい1枚だが、ブギーからブロークンビーツまで横断するその軽やかな身ぶりは、ジョー・アーモン・ジョーンズの越境性と共通するところかもしれない。
 そんなわけで、ほぼおなじタイミングで最新タイトルを発表したふたり、昨秋来日していたジョー・アーモン・ジョーンズと、まもなくKYOTO JAZZ MASSIVEとしてリリース・ライヴ(1月16日@COTTON CLUB)を控える沖野修也による特別対談をお届けしよう。

優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。(JAJ)

おふたりが直接対面するのは、今回が初めてですか?

沖野:いえ、以前から何度も会っていました。最初はジャイルズ・ピーターソンの《Worldwide Festival》で。あと、コロナ前に大阪でエズラ・コレクティヴのライヴがあったときに、ジョーはぼくのラジオ番組で「ベスト・ニュー・アーティスト」というのを受賞していましたので、トロフィーをあげました(笑)。大阪まで持っていったんですよ、トロフィーを。そのときに初めてちゃんと話をしました。

JAJ:2019年ころだったと思う。

沖野:最後に会ったのは去年の《We Out Here》というフェスティヴァルで、彼はエズラ・コレクティヴとしてメインステージにいたんですが、ぼくもKyoto Jazz Massiveとして早い時間にライヴをやって。そのときにも会いましたね。

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは以前インタヴューでKyoto Jazz Massiveのことをすばらしいと発言していましたが、Kyoto Jazz Massiveの音楽と出会ったのはいつごろで、どういう経緯で知ったんですか?

JAJ:Kyoto Jazz Massiveは日本のアーティストで最初に好きになったバンドなんだ。たぶん、ジャイルズ・ピーターソンがプレイしていたのを聴いて知ったのが出会いだったんじゃないかな。それで興味を持って、作品を聴いたりライヴを観たりしてすごくいいなと思って。

逆に沖野さんがジョー・アーモン・ジョーンズの存在を知ったのはいつごろでしょうか。

沖野:ぼくもジャイルズがかけていたのがきっかけで。『Starting Today』に収録されていた曲を彼がかけていて。

JAJ:『Starting Today』はアルバムって呼ぶひともいればEPって呼ぶひともいるんだ。

沖野:以降、ジョー・アーモン・ジョーンズの名前の音源が出るたびにチェックしていて、自分のラジオ番組でもかかて、アウォードにもノミネートして。

JAJ:ジャズがつないでくれたコネクションだよね。とてもありがたいと思う。

沖野:ジョーの音楽はコードのセンスがいいんですよ。ぼくはジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べても彼のコードのチョイスはすごくいい。もちろん作曲能力もすばらしいんですが、最初にぼくが惹かれたのはコード感ですね。

JAJ:いま名前が挙がったひとたちはぼくのヒーローでもあります。Kyoto Jazz Massiveの音楽は、たとえばロンドンのような都会に住んでいると「ジャズとはこういうものだ」っていう固定観念があって、みんな同じようなことをやっているし過去のコピーに陥りがちなんだけど、それらとはまったく違った音楽性、サウンドにたいするアプローチを感じて、そこにすごく惹かれた。新しいエネルギーを感じたね。ジャズっていうのは本来そういうものであるべきで、他人と違った新しいアプローチこそジャズのすべてだと思うんだけど、まさにそれをやっているなと思った。

雑食性または横断性はおふたりの音楽に共通するものかもしれません。

沖野:もともとジャズってハイブリッドな音楽ですし、ぼくはさっきコードのことしかいいませんでしたけど、ジョーの音楽にはいろんなエッセンスが入ってもいる。ジャズ、フュージョン、ソウルにファンクに、R&Bにレゲエに、アフロビート。そのミックスされた感じが彼の魅力でもあるし、ぼくらに共通するジャズのあり方かなと思います。混ざってる要素が必ずしも一致してるわけではないんですが、いろんな音楽をとりこんで自分のサウンドにするという点はKyoto Jazz Massiveにもジョー・アーモン・ジョーンズにも共通する要素だと思いますし、指向性は似ているかもしれないですね。

JAJ:その意見には賛成だね。いろんなジャンルをとりこむか、もしくはまったく新しいジャンルを生み出すものがジャズだと思っています。ぼくが好きな尊敬しているジャズ・ミュージシャンもそういうことをずっとやってきていると思う。ロンドンに来て、音楽を勉強するためにカレッジに入ったとき、そこでは「スウィングがジャズにとって大切だ」とか「技術的にどうインパクトを与えるか」といったような部分ばかりが強調されていて、学生たちもそういうことに執着していたんだけど、ぼくが思うジャズはもっと「音楽のための音楽をつくる」ものというか、コンセプトありきで、自分の発想のなかで自由に音楽をつくっていくものなんじゃないかな、とずっと考えていて。たとえばソウルフルなものをつくるのでもいいし、即興でもいいんだけど、優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。

沖野:こういうふうにしっかり語れるのも彼のすごいところ(笑)。自分の意見をしっかりもっているひとだなと思います。日本にはなかなかいないですね。UKのひとたちは年齢はそこまで関係なくおなじ視点で話せるんですよ。それもあってぼくはロンドンが好きですね。

JAJ:いまのイギリスには2種類の上の世代がいて、いちばん上の世代のなかには、若いひとたちがやっていることには興味を示さず、若いひとたちのギグを観に行ったり音楽を聴いたりはしないんだ。自分のやっていることだけで完結しているような、ちょっとオタクっぽいひとたちがメインで、自分のやっていることと違うことを受け容れられないひともいる。一方で、自分にも若いときがあって、自分が新しいことをやりはじめたときに上の世代がどう感じたかをちゃんとおぼえているひともいて。
 たとえばギャリー・クロスビーがいい例だと思う。彼は若者が新しいことをはじめるとき、それに興味を持ってサポートをしてくれるんだ。自分がエズラ・コレクティヴをはじめたときも手厚いサポートをしてくれて、「どんな音楽をやっても大丈夫だし、どんな服装でも大丈夫だよ」って受け容れてくれた。UKのジャズ・シーン全体もいまはそういう方向に向かっていて、若いひとたちをもっとサポートしていこうというムードになっているから、それはすごくいいことだととらえています。

レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。(JAJ)

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは2024年に3枚シングルを出しています。これまでもダブの要素は大きな特徴でしたが、今回のシリーズはジャズとのブレンドではなくかなりストレートなルーツ・サウンドですよね。

沖野:ぼくもびっくりしました。ぐっとルーツに寄っていて。でもヴァージョンがあって、最新シングル「Sorrow」も、ホーンが入っているもの(“Sorrowful Horns”)とローズ・ピアノのもの(“Sorrowful Rhodes”)が収録されていて、アウトプットをちゃんと考えているなと思いました。「ルーツに寄ったね」ってみんなから言われることを想定したうえでフェンダー・ローズを弾きまくっているのがすごく気持ちよくて。発信の仕方を練っているなと感じましたね。

最初の「Wrong Side Of Town」でもヌバイア・ガルシアのサックスがフィーチャーされていました。

JAJ:レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて、たとえばA面にはヴォーカル・ヴァージョンとダブ・ヴァージョン、B面にはホーン・ヴァージョンとディージェイ・ヴァージョンが入っていたり。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。キング・タビーにしても、いろんなヴァージョンのものをひとつにまとめてリリースして。そういうやり方はもともとはジャズの大ファンだったひとによって発明されたんじゃないかな、って考えることもある。たとえばジャズのスタンダード “Autumn Leaves” もいろんなひとが新たなスタイル演奏したり新しいヴァージョンをつくってきた。そういうことに面白さを感じる。

昨年ヌバイア・ガルシアに取材したときにロンドンのサウンドシステム文化で育ったことが大きいと言っていたんですが、ジョー・アーモンさんもやはりおなじ文化から影響を受けてきたのでしょうか?

JAJ:さまざまな音楽のジャンルの多くはロンドンから出てきたもので、たとえばドラムンベースもそのひとつだけど、そういったもののルーツをたどるとかならずダブやサウンドシステム文化に行きつく。だからダブやサウンドシステムは、ジャズに限らずいろんなジャンルに影響を与えていると思う。
 ぼくは田舎育ちだから、ロンドンのサウンドシステム文化で育ったわけではなくて。上京してきた17歳、18歳のころに出会ったんだ。サウンドシステムでプレイされる音楽はある意味で守られたジャンルというか、ラジオで聴くことはできなくて、そういう場やなにかのイヴェントに行かないと出会えない音楽だった。それ以前からレゲエ自体はふつうに聴いていたけど、強くおぼえている初めてのダブの体験は、ロンドンのスカラというヴェニューでやっていた《University of Dub》ってパーティだね。通常のイヴェントであれば、みんなDJのプレイに集中しているけど、そこではひとつの部屋にふたつのサウンドシステムがあって、ひとつのサウンドシステムで30分プレイして、次にもうひとつのサウンドシステムで30分プレイする、っていうのを行ったり来たりするような感じなんだ。両サイドから音楽が流れてきてクラッシュしているような瞬間もあった。最初はそれぞれが違ったものをひとつの部屋でかけているということにすごく混乱したけれど、来ているオーディエンスもDJがそれぞれやっていることにフォーカスするというよりも、部屋全体に流れている音楽を楽しんでいたのがすごく印象的だった。DJのことを見ているというより、音楽そのものを聴いているような感じがしてね。そこでは自分の好きなDJ、たとえばムーディマンなんかもプレイしていたんだけど、そういうDJたちを観る感覚ではなくて、純粋に音楽を楽しめたんだ。

沖野さんにお伺いしたいんですが、「ジャズとダブ」というキーワードからはどういった作品が思い浮かびますか?

沖野:意外と少ないんですよね。自分のキャリアのなかでもレゲエとかダブの影響が入った曲って2曲しかプロデュースしたことがなくて。MONDO GROSSOがカヴァーしたことでも知られるファラオ・サンダースの “Oh Lord, Let Me Do No Wrong” (1987年)はレゲエ寄りの曲ですね。MONDO GROSSOのカヴァーはキーボードがスタイル・カウンシルのミック・タルボットで、ヴォーカルは2年前に亡くなってしまったんですが、UKのソウル・シンガーのノエル・マッコイでした。その後、MASA COLLECTIVE(Sleep Walkerのサックス奏者、中村雅人によるソロ・プロジェクト)でおなじノエル・マッコイをヴォーカルにフィーチャーして、フレディ・マクレガーの “Natural Collie” をカヴァーしています(2007年)。ジャザノヴァのマネージャーのダニエル・ヴェストが〈Best Seven〉というダブのレーベルをやっているんですが、“Natural Collie” もライセンスされてそこから出ていますね。
 あとはやっぱりエズラ・コレクティヴになりますよね。最近の、ヤスミン・レイシーとコラボした “God Gave Me Feet For Dancing”(最新作『Dance, No One's Watching』収録)ではジャズとダブのテンポが入り混じっていて。すごくよくできた曲なんです、遅いテンポと早いテンポが混在していて。だから、レゲエのエッセンスをとりいれるうえではやっぱり、エズラ・コレクティヴやジョー・アーモン・ジョーンズがすごく参考になる。もし次のKyoto Jazz Massiveの曲にレゲエとかダブのエッセンスが入っていたら、それは彼に影響を受けたものになると思います(笑)。

JAJ:やっぱり自分たちの世代だと、たとえばハービー・ハンコックのようなレジェンドからインスパイアされることが正しいとされがちなんだけど、それは間違っていて、やっぱり同世代やおなじ時代の音楽家からもインスピレーションを受けるべきだと思う。

自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。(沖野)

ジョー・アーモンさんの「Sorrow」とほぼおなじタイミングで、Kyoto Jazz Massiveのデビュー30周年記念盤『KJM COVERS』もリリースされましたね。これまでのカヴァー曲を集めたコンピレイションですが、なぜカヴァー集になったんでしょうか?

沖野:じつはぼく、Kyoto Jazz Massiveではカヴァーを禁止しているんです。むかしイギリスの先輩DJに「日本人アーティストはカヴァーが多すぎる」と言われたことがあって。ぼく自身も “Still In Love”(2011年)というローズ・ロイスのカヴァーがヒットしたりしているので、Kyoto Jazz Massiveとしては封印しているんですよ。だからこの先もカヴァーはやらないと思うんですが、30周年記念としてなにかしら出したいなと思ったときに、こういう区切りであればファンへの感謝として、これまで出してきたカヴァーをまとめるのも許されるかなと。それと、次のアルバムを出すにあたって、自分たちが影響を受けてきた音楽をもう一度検証する機会でもあった。ただ、先ほど話に出た “Natural Collie” は諸事情あって漏れているんですけど(笑)。

最後に、おふたりそれぞれ、音楽活動をしていくうえでポリシーのようなものがあれば教えてください。

JAJ:ひとつ言えるのは、自分がバンドで曲を書くときは、各パートの音楽性をメンバーに押しつけるんじゃなくて、メンバーごとに解釈を任せられるように、オープンな部分を残しておくことはかならず念頭に置いているね。それはたとえばデューク・エリントンがやっていたことでもあるんだけど、ぼくは彼のやり方を参照していて、その姿勢を自分の創作にもとりいれている。すばらしいジャズのアーティストたちは──たとえばマイルス・デイヴィスもそういった余白をバンド・メンバーに与えていたと思うから、そういうことは心がけているね。

沖野:ぼくの場合は、これまで出した曲よりいい曲を書くこと、それにしか興味がないんです……ってあらゆるインタヴューで答えています(笑)。できれば、ハービー・ハンコックとスティーヴィー・ワンダーのあいだにかけられる曲とか、ロイ・エアーズとかアース・ウィンド・アンド・ファイアのあいだにかけられる曲をつくりたいと思っているんです。もちろんすごく高い目標ですし、ぼくは現時点ではまだその域には達していない。だから、自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。そういうことは、かならずしもレジェンドたちだけではなくて、ヤスミン・レイシーとジョー・アーモン・ジョーンズのあいだにかけられる曲とか、ヌバイア・ガルシアとエズラ・コレクティヴのあいだにかけられる曲とか、ぼくはコンポーザーですがDJでもあるので、やはりこの曲とこの曲のあいだに挟みたい、ということはよく考えるんですね。
 もうひとつは、繰り返しになりますが、できればカヴァーはやりたくない(笑)。カヴァーにもどの曲をどうアレンジするのかっていう面白さがあるんですが、やはりオリジナルで勝負したいなと思っています。

Kafka’s Ibiki - ele-king

 去る12月、ジム・オルーク、石橋英子、山本達久から成るバンド、カフカ鼾の3作目『嗜眠会(シミンカイ)』が発表されている。2016年の『nemutte』以来、じつに8年ぶりのアルバムだ。そのリリースを記念し、2月24日、渋谷WWWにてワンマン・ライヴが決定。この3人だからこそ奏でることのできる刺激的なセッションをぜひ堪能しにいこう。

Albino Sound & Mars89 - ele-king

 昨年はシーカーズインターナショナルとの共作を送り出したMars89率いるレーベルの〈Nocturnal Technology〉。その最新作もまた強力なコラボ・アルバムとなっている。2016年にファースト・アルバム『Cloud Sports』を発表、現在はパーティ《KTSNS 解体新書》のディレクションも手がけるテクノ・プロデューサーのAlbino Soundと、レーベル・ボスのMars89が手を組んだら、いったいどんなサウンドが生み出されるのか? なんでも、1月9日にリリースされるその新作『ORGANS(臓器、器官)』は、マーク・フィッシャーも著書でとりあげていた特異な映画監督、デイヴィッド・クローネンバーグからインスパイアされているという。ふたりによる新たな試みに注目したい。

Doechii - ele-king

 優雅さ、成熟、成長、そして知恵を象徴する深い緑。フォレスト・グリーンやエヴァーグリーン、ディープ・モスグリーンとも呼ばれるその色は、美しい黒い肌に重ねることで、さらに贅沢な魅力を放つ。そんな黒い肌の美しさを持つDoechiiが、グッチ柄のブラウンスカートにフォレストグリーンの薄底アディダス・スニーカーをアクセントにして、深夜トーク番組〈ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア〉のステージに立った。彼女を支える3人のダンサー兼シンガーたち(ここでは「彼女の姉妹たち」と呼ぼう)とともに、交差する円と三角形を編み込んだ髪でつなぎ、共通の祖先を思わせるフォーメーションを形成。彼女は『Alligator Bites Never Heal』から2曲をメドレーで披露し、2024年のテレビ界においてもっともバイラルな瞬間を作り上げた。完璧に計算された振り付けのなか、Doechiiは汗ひとつかかず、瞬きすらせずにその流れるようなラップを届ける。その技術の極致、そしてそれを超える完璧への執念がそこにあった。言葉の数学における自信、それはYasiin BeyやBeyoncéのようなアーティストのなかにしか見られない稀有なものだ。

 アルバム『Alligator Bites Never Heal』のジャケットには、エヴァー・グリーンの背景に木製の椅子に座るDoechiiの姿がある。その姿はアサンテ族の王を思わせ、彼女の膝にはアルビノのワニが鎮座している。そこには王者の威厳がある。
 アルバムは芸術作品であると同時に、ステージ上の輝きへの青写真でもある。同時代人であるタイラー・ザ・クリエイターもまた、アルバムごとにそのような魔法を実証してきた。最近の『Chromakopia』もそのひとつで、それは解きほぐし、観客の前で理解されるべき物語なのだ。

 今日のミュージシャンとラッパーはもはや同じものではない。かつて両者を同列に置くことにためらいはなかったが、その溝は広がり続けている。多くの者がただ良いビートを待つなかで、ミュージシャンたちはその多才さを保ち、革命的な思考によって楽曲が変容する魔法を理解している。〈コルベア・ショー〉が放送された直後、有名なインターネット放送〈タイニー・デスク・コンサート〉でDoechiiが9人の女性バンドと共演する最新プログラムが公開された。その空気感(ヴァイブス)はニューオーリンズのジャズ・バンドやファンカデリックを思わせるもので、彼女とバンドの一体感は、まるで生まれたときから一緒だったかのようだった。それは単なる一夜限りのコンサートというよりは、完全なる調和の産物だった。

 Doechiiの芸術は、現代のカラオケ的なラップ文化の対極にある。ステージでラップを偽装するバック・トラックは不要で、彼女にはパフォーマンスへの恐れがない。その存在は清涼剤のようで、ケンドリック・ラマーが彼女を「最強だ」と称した理由も頷けるというものだ。メディア嫌いで知られるケンドリックが誰かを公に称賛することは稀だ。そのため、多くの人びとが『Alligator Bites Never Heal』を今年のベスト・アルバム——いや、ミックステープと呼ぶべきだろうか——に挙げることも不思議ではない。だが、その区別は重要だろうか? もしミックステープがこれほど優れているなら、アルバムはもう必要ないだろう。

 19曲が収められたこのミックステープを思い浮かべると、ブラウンとエヴァー・グリーンで彩られた図書館が想像される。各短編がグッチのプリントで包まれ、Doechiiはまるで司書のようだ。なぜか? ケンドリック、バスタ・ライムス、エミネム、ア・トライブ・コールド・クエストらを模倣する能力が、彼女のソリッドで完璧なフローに絡み合っているからだ。
 ラップの各時代をスラップの限り大胆不敵に表現し(“”Boom Bap”)、韻の遊び心を蘇らせ(“Denial is a River“)、バスタ・ライムス(“Catfish”)に敬意を表し、90年代のR&B(“Wait”)でさえもフィール・グッドに仕上げ、フランク・オーシャンの芳香を発散するタイトル・トラックで締めくくる。ここでの模倣は才能の欠如ではない。多くの世代を育ててきたジャンルへの愛を示している。昨年(2023年)はヒップホップ50周年だったことを忘れてはならない。Doechiiはまた図書館司書のように、どの世代ともっともヴァイブが合うかを選び、それを音楽に反映させることができる。しかし、それは怠慢ではなくリスペクトだ。それは愛であり、ディスることではない。それは無能さではなく、多才さを意味している。

 もし『Alligator Bites Never Heal』のリリース直後にこれを書いていたなら、あるいは彼女の過去のヌード・ミュージック・ヴィデオ(“Crazy”)に影響されていたなら、この文章は異なっていただろう。だが、この原稿をリリースから数ヶ月後に記した自分に満足している。彼女の美意識、彼女の芸術、彼女の立ち振る舞いを知ることで、自分は満たされているからだ。そして彼女が「正式な」デビュー・アルバムを来年リリースしようとも、このミックステープが彼女をさらなる高みへと導く階段であることに変わりはない。


Symbolic in purveying elegance, maturity, growth, and wisdom, dark green which might be labeled forest green or evergreen or deep moss green, is also a luxurious color against beautiful, black skin. Doechii`s beautiful, black skin, in this case with no assumption. Armed in Gucci-patterned brown skirts with forest green thin-soled women`s Adidas as an accent, Doechii graced the stage of The Late Show with Stephen Colbert with her trifecta of dancer-singers (I will call them from here on her “sisters”).
In formation forming an interchanging circle and triangle, linked to each other by braided hair, our common ancestry, Doechii gave one of the most viral moments on standard tv for 2024 with a medley of 2 tracks from Alligator Bites Never Heal. Choreographed to the T, Doechii without breaking a sweat, delivered her flows without blinking an eye. Perfection of her craft with perfection on her mind. An air of confidence in word mathematics that we don’t see so much now except in performances like with Yasiin Bey and Beyonce.

The cover of Alligator Bites Never Heal has Doechii seated before the wisdom of an evergreen background in a wooden chair that reminds me of an Asante king. With her albino alligator on her lap, majesty there seems to be.

Albums act as pieces of art and also templates for the oncoming brilliance of the stage. Tyler the Creator, a similar contemporary, has demonstrated that kind of magic with every album, each one including the recent CHROMAKOPIA, a tale to be unraveled and then understood better in front of an anticipating audience.

Musicians and rappers are not the same anymore. I never hesitated before to keep both titles together but the gap between them is widening. Too many just waiting for a good beat. Musicians never wait maintaining their versatility understanding the magic of a song can metamorphosis just by a revolutionary thought. Only several moments after the Colbert show debuted, the famous Tiny Desk Concerts released their newest program with Doechii backed by a 9 piece all female. The vibes reminded me of New Orleans jazz bands and Funkadelic. The pin point, stop on a drop, symbiosis together with Doechii felt like 10 individuals born together instead of a one off concert. Such was their unity.
Doechii`s art is the antithesis of the current karaoke rap tribe. No need for a backing track on stage to fake rapping to, Doechii has no fear of performing. A breath of fresh air, there’s a good reason King Kendrick himself shouted out Doechii as “the hardest out.” A nod the media shy artist rarely gives to anyone. Some people are already considering Alligator Bites Never Heal the album of the year, excuse me, mixtape of the year. Does it really matter? If mixtapes are this good, I don`t need albums.

Peering into the 19 track mixtape, I imagine a brown and evergreen library with each short song covered with gucci prints. I imagine Doechii as a librarian. Why?
Intertwined in her solid, flawless flow, is her ability to mimic other famous rappers like Kendrick, Busta Rhymes, Eminem, and A Tribe Called Quest - often in the same song like “Denial is a River.” Like a librarian, inserting rap culture and nostalgia seamlessly. All love, no dissing, fearless to rep for each period of rap as long as it slaps (“Boom Bap”), reviving the playfulness of the rhyme (“Denial is a River”), paying respects to the Busta of all Rhymes, Busta Rhymes (“Catfish”), and even the feel good 90`s R&B (“Wait”) and ending with the title track emanating the Cali-vibes of Frank Ocean.
Mimicking here isn`t lack of talent. It`s showing all love for the genres that have raised many generations now. Let`s not forget that last year (2023) was the 50 anniversary of hip hop and it totally makes sense that such an artist as Doechii would appear now. Doechii can, again like a librarian, pick and choose what generation she vibes with the most and reflect that in her music. But its respect, not laziness. It`s love, not dissing. It`s versatility, not ineptitude.

I`m so glad that I didn`t pen these words the day after Alligator Bites Never Heal`s release. And I`m so glad that her past nude music videos didn`t educate my curiosity when I penned these words months after her release. And I`m content with her hyper-conscious view of beauty with her art, with her look, and with her sashay before I penned these words. And I`m nourished knowing she is free to create whatever she wants with her “official” debut album coming next year while Alligator Bites Never Heal stands has her stairway upward.

Tashi Wada - ele-king

人間が奏でる天上の音楽

 タイトル『What Is Not Strange?』が何を意味するのかを考えてみた。「何がおかしくないのか?」あるいは「おかしくないものとは何か?」、さらに反語表現として、「おかしくないものなんてあるのだろうか?」という解釈も成り立つかもしれない。
 すでに色々な媒体で言及されているように、このタイトルは、フィリップ・ラマンティア(Philip Lamantia 1927-2005)が1967年に出版した『詩集(Selected Poems)』所収の同題の詩に由来する。ラマンティアはアメリカにおけるシュルレアリスム詩の導入とビートの黎明期とに跨る存在として、近年、再評価されている詩人のひとりだ。このアルバムの音楽的な特徴に目を向ける前に、タシ・ワダがインスピレーションを受けたラマンティアの詩の世界に触れる必要があるのではないか。そう思い、筆者はラマンティアの詩をいくつか読んでみたのだった*1。だからと言って、このアルバムの、この音楽の、何がわかるのか?と問われてもすぐに答えられないのだが、ぼんやりとした夢の世界を切り裂くように現れる死、そして新しい生の誕生という名の希望が再び現れる。このような物事のなりゆきについて、筆者はラマンティアの詩をとおして自分なりにイメージを描くことができた。
 ラマンティアの詩「What Is Not Strange?」はレイアウトが普通の詩(この文脈では何を「普通」とするのか議論したくなるが)とやや異なり、各詩行がΣ(シグマ)を反転させたようなジグザグの形状で配置されている。ビートニクスたちが日常生活の中にテーマを見つけて、それを直感的、衝動的に言葉へと変換したのに対し、ラマンティアは象徴的、魔術的なテーマで言葉を紡いだ。彼は実際に目に見えているものだけでなく、その根源やその先にあるものを想像し続けた詩人だった。シシリアの海、紫式部の扇子、ジェロニモ、スーパーマン、聖なるビスケット、ローマ帝国など、脈絡のない風景、人物、「What is not strange?」の中に次々と現れては消えていく。最後に「GO AWAY & Be Born No More! DO A KUNDALINI SOMERSAULT! (去ってくれ。そして、もう二度と生まれるな!クンダリーニの宙返りをしろ!)」と、語気を強めてこの詩は荒々しく終わる。夢物語のような風景は永遠に続かず、死と生が私たちをゆさぶる。
 このアルバムと近い世界観を共有する作品として、アピチャッポン・ウィーラセタクンの「世紀の光」(2006)と「光りの墓」(2015)もあげられる。アピチャッポンの映像は人物や風景だけでなく、それらを照らす光の微かな変化が観る者に何かを示唆する。それは時間の移り変わりや、連綿と続く生と死との交替といった、普遍的で壮大な物語へとつながる。『What Is Not Strange?』はワダの私的な出来事を契機としているが、個人の物語にとどまることなく、宇宙をも包括する、世界のより深くて本質的なところへ手足を伸ばそうとしている。アルバム全体からそんな印象を受けた。

*1. The Collected Poems of Philip Lamantia (University of California Press, 2013)はラマンティアの没後に出版された全集。

 パンデミック禍の閉ざされた日々、父であり、近年はコラボレーターでもあったヨシ・ワダの死、娘の誕生−2020年からこれまでの間、ワダの周りに起きた出来事が『What Is Not Strange?』の大きな着想となった。これらの出来事についてワダは次のように語っている。

 世界の不確かさは人生のそこかしこに現れて、私はそれに包み込まれているように感じます。当たり前と思っていることはしばしば大部分がゆらいでいます。父が亡くなり、そして娘が生まれました。パンデミックの間に起きたこれらの出来事は私の世界をひっくり返し、新しい現実へと招き入れてくれたのです。*2

*2. Tashi Wada Interview, “Tashi Wada Shares his Creative Process for What Is Not Strange?” Fifteen Questions, https://www.15questions.net/interview/tashi-wada-shares-his-creative-process-what-not-strange/page-1/

 ワダが言う「世界の不確かさ」を彼の音楽に引きつけてみるならば、このアルバムの鍵盤楽器(主にハープシコード)で用いられているジャン=フィリップ・ラモー*3の中全音律(ミーントーン)の不安定なゆらぎによる響きが想起される。均等な比で分割され、どの調で演奏しても安定した音程関係を得ることができる十二平均律と異なり、中全音律はウルフと呼ばれるうなりが特定の音程間でどうしても残ってしまう。このうなりから生じる、ある種の不安定な響きには抗し難い魅力があることも否定できない。この特殊な調律のおかげで、アルバムの至るところで聴こえるハープシコードの和音、バグパイプ、弦楽器、シンセサイザーによる持続音は独特の浮遊感をまとっている。
 アルバムの表題曲で、生命の誕生を予期させるファンファーレ、1曲目「What Is Not Strange?」はワダが父のヨシ・ワダと共作した前作『FRKWYS Vol. 14-NUE』(Rvng Intl, 2018)の、ドローン(持続音)を主とするいくつかの楽曲── “Aubade”、“Litany” 、“Niagara” 、“Mutable Signs” ──とのつながりを感じさせる。だが、次の曲 “Grand Trine” が始まると、『What Is Not Strange?』が前作とはまったく違うアルバムなのだと気付かされる。なぜなら、このアルバムには声と歌があるからだ。
  “Grand Trine”がこのアルバムのハイライトだと断言してもよいだろう。ハープシコードが始まりの和音を鳴らし、そこにジュリア・ホルターの声が降臨する。ここではあえて「降臨」という表現を使いたくなるほど、この曲は神秘と驚きに満ちている。タイトル “Grand Trine”は、等間隔に並んで正三角形を作る星座の配置を、父、母、娘の3人の存在に見立てている。中間部でのハープシコードによる装飾的なパッセージはラモーやフランソワ・クープラン*4の鍵盤楽器曲を想起させることから、この曲はしばしば「バロック・ポップ」や「チェンバー・ポップ」(この「チェンバー」は室内楽を意味する)と評されている。

*3. ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe Rameau(1683-1764)フランスの作曲家、音楽理論家。オペラ、鍵盤音楽、室内楽曲など数多くの楽曲を遺しただけでなく、『和声論』などの理論書で西洋音楽理論研究にも大きく貢献した。

*4. フランソワ・クープラン François Couperin(1668-1733)フランスの作曲家、オルガン奏者、ハープシコード奏者。4巻にわたるクラヴサン(ハープシコードのこと)曲集で知られている。

Tashi Wada/ What Is Not Strange?

  “Grand Trine”とあわせて聴いておきたいのが、ワダの公私にわたるパートナー、ジュリア・ホルターのアルバム『Something in the Room She Moves』(Domino, 2024)、1曲目 “Sun Girl ”だ。ワダとホルターのアルバムはほぼ同時期に制作されたのだという。どちらのアルバムも鍵盤楽器、声、シンセサイザー、バグパイプ、弦楽器、打楽器によるアンサンブルで演奏されているが、ホルターのアルバムはこの編成にフルート、クラリネット、トランペットなどの管楽器とフレットレス・ベースが加わり、よりポップで、メロディを重視した仕上がりとなっている。なかでも、新しい生命の誕生を寿ぐ “Sun Girl” は、ワダの “Grand Trine” と同じく、ホルターのヴォーカルの唯一無二の個性と魅力を活かした曲だ。この2曲は対になっているともいえ、ワダとホルターの関係とも重なる。

Julia Holter/ Sun Girl

  “Grand Trine”以降はオルガンの音色を多用した厳かな雰囲気の曲が続くが、5曲目“Flame of Perfect Form”では、ホルターの声と、激しく咆哮する打楽器とヴィオラが荒波のようにぶつかり合って混沌とした場面を見せる。7曲目 “Subaru” は調子の外れた(これがおそらく中全音律の効果なのだろう)反復パターンと声による短い間奏曲の役割を持ち、アルバムは終盤へと差しかかる。
 静かに打ち鳴らされる打楽器で始まる10曲目 “Plume” では、聖歌の伴奏のような佇まいのオルガンが徐々に変容し、いつのまにか声や他の楽器とともに情熱的なパッセージを奏で、曲全体がクライマックスを迎える。これに続くのが、アルバムのコーダ(終結部)にあたる11曲目 “This World’s Beauty” で、まるで1曲目 “What Is Not Strange?” に戻ってきたかのようにハープシコードの和音が鳴らされる。このような曲の並びによる構成そのものも、生と死の絶えざる循環を描いているのかもしれない。

 2024年9月13日にブルックリンにあるスペース、ルーレット(Roulette)で、このアルバムの全曲演奏が行われた。幸い、その時の映像が全編公開されており、この音楽が実際にどう演奏されているのかを具に見ることができる。興味深いのは、生演奏がほとんどを占めていることだ。この映像を見ると、『What Is Not Strange?』は人間の手と想像力による天上の音楽なのだとわかる。

Tashi Wada, “What Is Not Strange?”
Roulette Intermedium, Brooklyn, NY, September 13, 2024.

The Cure - ele-king

 16年という歳月は、少なく見積もっても16通りの可能性と熟考を伴う16の人生を反映した期間だ。しかしながらこの16年間、ザ・キュアーからの言葉は一切なかった。ザ・キュアーの最後のリリースから16年が経過したというのは、控えめに言っても驚くべきことだ。これほど多作なバンドが、ただ消えてしまったのだ。実際には、彼らは断続的にツアーを行い、Instagramのアカウントを維持するなど、なんらかの発信はあった。しかし、それでもなお、どこか意図的に現実から切り離されていた。
 ザ・キュアーの「多くの現実」は、『Wish』から2008年までのリリースがどこか断片的で、かつての激しさを失っていたことが私に少なからぬ不安を与えていた。彼らのデビュー・アルバム『Three Imaginary Boys』(1979)における軽快で鋭いポップ・サウンドを思えば、その期間のキュアーが「憂鬱のゴスキング」としての最終的な戴冠へと向かっているようには思えなかったし、いまふたたび80年代半ばの明るく軽快なポップ路線へ転向するとも、あるいは、ゴシック・サイケデリアへと見事な弧を描きつつ大人びたサウンドにいくようにも思えなかった。

 そんな私がある寒い静かな夜、外の寒さをしのぐために立ち寄ったタワーレコードで偶然新作を見つけたときに覚えた不安をお察しいただきたい。白黒で不明瞭な、控えめで魅力的とは言い難いアートワークには、バンド名さえ自信なさげだ。それは喜びではなく、私に戸惑いを引き起こした。最初の30秒を聴いても歌がなく、1分経っても、2分経ってもヴォーカルが現れない。レトロでシンプルなシンセサウンドも最初は火花を散らすような魅力は感じられなかった。だが、不思議なことに私はそれを聴くのをやめられなかった。各楽器はじょじょに感情を重ねていき、やがて魔法のように濃厚なスープのようなサウンドが私を捕らえて離さなかった。そして3分20秒後、ロバート・スミスの変わらぬ声がフェイドインすると、1997年から2024年までの弧がおのずと架けられたのだった。

 『Songs of a Lost World』は、私が今年もっとも強く愛着を感じた、もっとも暗く、悲しく、それでいて抗えないほど聴きたくなるアルバムだ。そのリリースは一見すると目立たない一過性の出来事のように見えるが、不安定な世界、トランプ大統領の再登場、喜びとシリア解放への不安定な期待、さらには韓国の驚くべき混乱という状況下においては、なんともその存在感がしっくりくる。スミスは、このアルバムがそんな「タイムカプセル的瞬間」になるとは意図していなかったのだろうが、宇宙に間違いはない。いまこそ人びとはザ・キュアーを必要とし、その必要性は際立っている。スミス自身、シングルらしくないスローテンポの“Alone”が英国のラジオ局で頻繁に流れていることに驚いているではないか。

 エモが誕生する以前のエモ、固定観念の市場において多面的な存在感を放つザ・キュアーは、可愛らしく踊れるポップ・ソングを送り出したかと思えば暗く荒涼とした英国ゴシックへと逆戻りし、感情、愛の危うさ、そして究極的には死の未知なる本質について、荒々しく論じている。
 『Songs of a Lost World』、とくに“Alone”と“Warsong”を聴くと、サイケデリック期の“Burn”を思い出さずにいられない。苦痛に満ちた感情表現と音響的な魅力において、ザ・キュアーはその不在期間中、自らの最良の要素を見直し、それらを集約して最高のものを絞り出したのだ。
 それは単なる作曲だけでなく、バンドのソウルとエモーションに根ざしたものだった。各楽器は録音上でクリアに響き、バンド全体がまるでポップ・ジャズ・バンドのように一体化して機能している。コーラス部分もぎこちなくなく、むしろ強烈で、新規リスナーも古参ファンも歌いたくなるような誘引力がある。この新しいアルバムは彼らのディスコグラフィーに自然に溶け込みつつ、しかし過去の作品のいくつかを凌駕している。

 2020年代は、新しい形でのゴシックが再興した。だからこそ、ザ・キュアーの復活は奇妙にも筋が通っている。運命に間違いがないと信じるならなおさらだ。人びとはいまザ・キュアーを必要としている。『Songs of a Lost World』は、1992年以来初めてビルボード・チャートの数々で1位を獲得した。それは正気の沙汰ではないが、同時にザ・キュアーの音楽がいかに普遍的であるかを物語ってもいるのだ。


16 years reflects 16 lifetimes with at least 16 possible outcomes and ruminations and yet not a word from the Cure. For it to be literally 16 years since the last Cure release is jaw-dropping to say the least. For such a prolific band to just. . .disappear. In reality, they were touring on and off while maintaining an Instagram account among other transmissions. But still somewhat intentionally disconnected from our reality.

The many realities of the Cure has previously created a bit of anxiety for me as the later releases after “Wish” before 2008 were slightly fragmented without the previous coherence and intensity. Peering back at their very first album of flat, agile, angular pop “Three Imaginary Boys,” it would never seem to point toward their eventual crowning as goth kings of sadness and gloom. Nor their coin toss change to bright skippity pop in the mid 80’s. Then their amazing arc to goth psychedelia which would end up truly defining their most adult sound.

So you would have to forgive me my acute anxiety finding their record in tower records purely by accident one quiet cold night while I sought to keep warm from the outside. The unassuming unappealing artwork of unintelligible black and white with even their name somewhat obscured didn’t spark a jump for joy. I reluctantly listened to the 1st 30 seconds with no vocals and then 1 minute with no vocals and then 2 minutes with no vocals with very retro simple synth not creating a spark but i couldn’t stop listening as the band steadily layered more emotions through each instrument creating a thick

soup of magic which refused to let me go. After 3 minutes 20 seconds, Robert Smith’s vocals came fading in and his voice, unchanged, naturally bridged an arc between 1997 and 2024.

“Songs of a Lost World” Is the most bleak, sad but irresistibly listenable record I’ve ever felt so attached to this year. It’s release seems by untrained eyes a blip, an outlier in this incongruent year but feels just so right with a dark unbalanced world, the incoming Trump presidency, joy but uncertain apprehension towards the Syrian liberation, and the surprise instability for South Korea. Smith never meant for the record to be such a time capsule moment but the universe makes no mistakes. People need the Cure and they really need it now. Smith himself felt the surprise of “Alone,” an incredibly un”single”-like slow song being in high rotation on UK radio stations.

Emo before emo, versatile in a un-versatile market, the Cure is a multi-faced burst of energy that squeaks out cute danceable pop songs and then reverses backwards to dark, stark English goth, and stormy dissertations on pure emotion, fraught love, and ultimately the unknown nature of death.

Listening to “Songs of a Lost World” and especially “Alone” and “Warsong” reminded me immediately of “Burn” from their psychedelic period. Torturous and emotional lyrically and sonically, I feel that The Cure took a look during their absence, at their best attributes, collected

them and squeezed out the best. Not just with songwriting but primarily with feeling and with the soul of the band. Each instrument in the band on record is crystal clear with the band itself united like a motor. Almost like a pop jazz band. The choruses aren`t awkward but intense and inviting to sing for anyone new or old. The new album sits snuggly in their discography without sticking out and actually towers some of their other work. The 2020`s have seen a renewal of goth, in a new way of course. So it does strangely make sense that the Cure have returned, especially if we choose to believe that fate doesn`t make mistakes. The people need The Cure and it shows. “Songs of a Lost World” has gained the number 1 spot on numerous Billboard charts, their 1st in 1992. That is quite insane but also speaks to the universality of The Cure sound.

Fennesz - ele-king

 海、またしても海だ。サーファー映画からヒントを得たという『エンドレス・サマー』(2001)をはじめ、水の都『ヴェニス』(2004)、そして陰鬱な『ブラック・シー』(2008)に前作『アゴーラ』(2019)、そして本作『モザイク』……オーストリア人のギタリスト兼ラップトップ奏者はこれまでも海にちなんだ作品を制作し、アートワークにはたびたび海の写真が使われている。
 さて、まずは振り返ってみよう。いまから30年近く前の話だ。クリスチャン・フェネスは、敢えてこういう言い方をするが——「ポスト・オウテカ/ポスト・エレクトロニカ/ポスト・アンビエント」におけるグリッチ・ミュージックを代表するひとりとして我々の前に現れた。テクノロジーを間違って使うことで発生するサウンドの粒子をパレットとするこのスタイルは、テクスチャの快楽と作者の想像力なしでは楽曲たりえない。フェネスはそれを独自に、深みのある表現へと発展させることができた数少ないひとりだ。

 また、美術学校で音楽を学んだ彼は、90年代後半のウィーンの小さなコミュニティ——ピーター・レハーグ(通称ピタ)による〈Mego〉というレーベルを拠点とした、ユーロセントリックな電子の実験場の主要人物としても知られる。すなわち、英国産のエレクトロニカ台風から離れて、アカデミアでもなければテクノでもない欧州独自の回路を見出した一派、そこにはジム・オルーク、あるいはベテランのキース・ロウ、ブルクハルト・シュタングルのような即興家たちも合流した。この辺境(オルタナティヴ)において、フェネスはそして放浪者デイヴィッド・シルヴィアンと共演し、坂本龍一と共作したことはここ日本ではよく知られるところである。

 ピタ、オルークとのラップトップ・アンサンブルによる即興作品もいまだ根強い人気をほこっているが、彼の初期作品のほとんどはギターとエフェクトを駆使して作られている。そのセットはいまでも彼の主要機材で、彫刻に喩えられる彼の音響工作は、ドラムとベースがないどころか、多くのエレクトロニック・ミュージックと構造が異なっている。そして、なんと言っても彼には、数多の不協和音作品にはないメロディの再発見があり、受け入れるか否かはともかく、楽曲にはヨーロッパ的な美学、とくに古くから日本人が思い浮かべるようなそれが横溢しているようにぼくには思える。フェネスを聴くことはゲーテやトーマス・マンを読むことに近いとは言い過ぎだが、彼の音楽には詩的な美があり、生きることの葛藤があり、そして内的な深みがあることはたしかだろう。ただ、フェネスの音楽を聴いていつも感嘆するのは、その緻密さと大胆さが入り乱れた表現力だ。ロスコの抽象絵画が観る距離や鑑賞時の精神状態によって見え方が異なるように、フェネスの抽象音楽は聴く度に違って聴こえたりもする。

 本作『モザイク』、フェネスにとって5年ぶりのアルバムは、その微細なタッチで描かれる詩的描写と精神性が融和した力作だ。前作よりも、入りやすい。ことにアルバム冒頭の“Heliconia”は出だしが出色で、あざやかな幕開けがある。聴いて数十秒、目の前にはあたかも海(たとえばアドリア海)が広がるようだ。海中には、それこそ無数のテクスチュアがある。光と闇があり、重力と時間は変化する。うねるような音の循環、音の煌めき、複数のレイヤーが並走するなかフェネスらしいメロディが立ち上がる。そのじつに魅惑的な音響工作に対し、2曲目の“Love And The Framed Insects(愛と額装された昆虫)”のドローンは静的にはじまり、内省的に展開する。エーテル状に加工されたサウンドはゆらめき、他方では軋むようなグリッチが遠い記憶の向こうで鳴っている。この曲における速度を落とした感覚はその次の“Personare”にも感じられるが、こちらはよりダビーな残響のなかで抽象化される。 

 『エンドレス・サマー』のようなアルバムを出してしまったフェネスは、それ以降の作品すべてがその傑作と比較されてしまうという、ある意味不幸な状況にある。日本のアンビエント作家と呼ばれる人たちから「『エンドレス・サマー』は好きだけれど……」という言葉をぼくはなんど耳にしたことか。もっとも、そう言われるだけの代表作をもつアンビエント作家が何人いようか、とも言えるわけだが、まあそれはさておき、たしかにカリフォルニア西海岸の情景には、多くの人が感情移入できる牧歌性があった。しかし、海辺の情景がつねに黄金色であるとは限らない。4曲目の“A Man Outside”には寒々しい曇り空が広がっている、そんなふうに思える曲だ。よりミニマルに、しかも茫洋と続くこの曲のどこかでは雨も降っているのだろう。「海にいるのは、あれは、浪ばかり」(中原中也)——そんな感じである。

 終わらない夏は終わりつつある。神妙な響きをもったドローンに導かれながらはじまる5曲目“Patterning Heart(パターニングする心)”もまた感動的な作品だ。いまでも多くの電子音楽家に好まれている映画監督にアンドレイ・タルコフスキーがいるが、その映像におあつらえ向きの曲だと言えるし、ぼくはその重みにおいて坂本龍一の『async』との共鳴を感じた。しかしながら、アルバム最後の、謎めいた曲名の“Goniorizon”の荘厳さに関しては、いまはなんと言ってのかわからない。海に飛び込んで、哲学的な内省に向かっている、そう喩えていいものかどうか。それほどまでに聴いている人間の心に突き刺さる魔力がある。いずれにせよ、美を忘れることはない、奥深いヨーロッパの音楽。そして海、またしても海があると。 

(追記:日本盤のよろすず氏の解説はたいへん勉強になった。ここに書かれていることと一切重ならない。ファンには一読をお薦めする)

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