「CE」と一致するもの

ZSといっしょに! 新ガジェットも! - ele-king

 いっぷう変わったイヴェントをご紹介しよう。といっても、イヴェントの概要をまだ完全に咀嚼できたわけではない。さすがZS。どうやら単純に彼らのライヴというわけでもなさそうだ。ちょっと、いっしょに理解していきませんか。

 ※ZSは、2000年代半ばにおいてブルックリンが象徴していた実験的な気風やその勢いを支えたバンドのひとつ。ギャング・ギャング・ダンスやダーティ・プロジェクターズ、アニマル・コレクティヴらと時期を同じくしつつも、フリージャズ的な即興ノイズ・バンドとして随一にして異色の存在感を放ちつづけている。

 まず、ライヴではなく「コラボ・ライヴ・インスタレーション」と銘打たれている。期間中の3日間、公募で選ばれた40人ほどのリミキサーたちが     、彼らのボックスセット・アルバム『ZS』のトラックを即興リミックス。会場では定期的にZSによるライヴ演奏も繰り返され、その他ミュージシャンによってエフェクトをかけられたり音を加えられたりする。そして、そうしたおびただしい音が映像と混じりながら会場に流れる。期間中それはずっととどまることなく、われわれが足を踏み入れる空間には幾多のコラボレーション音源や映像がうつりかわってゆく......「芸術的な音の融合が活発に流動するネットワーク・ルーム」というコンセプトは、どうやらそういうことであるらしい。ちなみに、音のコラボにはToBe(トゥビー)という即興でのリミックスを実現するプラットフォームが利用され、映像の展開にはVid-Voxソフトウェアを使用してライブ・リミックス音源とシンクするビデオ・プロジェクションが用いられるとのこと。

 さらに、PlayButton(プレイボタン)というピンバッジ・プレーヤーの存在も見逃せない。音源を収録できるピンバッジ型のプレーヤーで、どういうものかは一見にしかずであるが(https://playbutton.com/)、これに当日のコラボ音源が収録され、参加者は持って帰って家でも聴くことができると。なんと新手のガジェットまで楽しむことができるようだ。別途料金がかかるようだが興味深い。即興の概念や幅を汎時間的に広げる、ZSらしい実験だと言えるだろう。

サイトには非常に詳しく説明がなされている。
https://transculturepartysystem.com/PARTY/Zs/zs_remixers.html

ガチにも聴けるし、デートくらいのノリで参加しても楽しそうだ。


※以下、VACANT担当氏より補足情報をいただきました! Q&A方式でどうぞ! (追記1/7)

Q:ライヴというよりはライヴ形式のインスタレーションという感じですか?

A:今回のイベントは2部構成になっていて、前半はリミックス・インスタレーション、後半はセッション即興ライブになります。

Q:東京のアーティストだととくに注目の方はいらっしゃいますか?

A:全員です!今回はこういった形で東京のミュージシャンの方々との共演を楽しみにしております。

Q:ZSは日本以外でもこうした演奏をしているのですか?

A:今回の『SCORE』は日本で初披露となります。2月にNYのEcstatic Music FestivalにDJ Ruptureと出演するのですが、その際に1日限定のポップアップでNYでも開催する予定です。

Q:同様のライヴCDが他にも販売されていますか?

A:今回のVACANTでのセッションはその場限り(当日分)のドキュメント音源をPlaybuttonで持ち帰ることができるので、ぜひチェックしてみて下さい。

会期:2013年1月11日(金)~13日(日)
会場:VACANT 2F

open time:
12:00-17:00 (インスタレーション) /
開場17:30 開演18:00 (ライブ)
entrance fee:
¥200(インスタレーション) /
チケット制料金未定 (ライブ)
act(live):
1/11(fri) Shinji from DMBQ
1/12(sat) Dustin Wong
1/13(sun) TBC
act(remixer):
MARUOSA / Katsuya Yanagawa(CAUCUS) / DJ SOCCERBOY / Maekawa Kazuto (ELECTRIC EEL SHOCK) / GAGAKIRISE / DJ MEMAI / Akihiko Ando (KURUUCREW) / PYP / Shirai Takeshi (PRIMITCHIBU) / Tetsuya Hayakawa+Takashi Masubuchi (BUDDY GIRL & MECHANIC) / Sayaka Botanic + Tommi Tokyo (group A) / Tetsunori Towaraya (UP2) / ORINOTAWASHI / Haruhito Shimura / Miyoshi Daisuke / Dustin Wong / and more TBC
venue:VACANT 2F
address:東京都渋谷区神宮前3-20-13
tel:03-6459-2962
planning:Zs / VACANT / Parte / Trans-Culture Party System
support:PlayButton
url:www.n0idea.com

<Zs Japan Tour 2012>
・1/8(tue) 大阪CONPASS w/Vampillia
・1/9(wed) 大阪CONPASS w/Vampillia
・1/10(thu) 東京UNIT w/EP-4 unit with千住宗臣
・1/12(sat) 名古屋 K.D ハポン w/HIGGINGS, Diamond Terrifier, Greg Fox
・1/16(wed) 名古屋 CLUB MAGO w/HIGGINGS, Diamond Terrifier, Greg Fox



<プロフィール>
Zs (ジーズ)
ブルックリンを拠点に活動するアヴァン・ノイズ・バンド。現存する唯一のオリジナルメンバー、サックス奏者・作曲家のSam Hilmer (サム・ヒルマー) によって2002年に結成され、ノー・ウェーブ、フリージャズ、ノイズ、ポスト・ミニマル、電子音楽、即興演奏に至るあらゆるジャンルを横断した、まったく新しい実験音楽の在り方を確立。今年9月「SCORE: The Complete Sextet Works 2002-2007」リリースを期に、ドラマー:Greg Fox (グレッグ・フォックス - 元Liturgy / Dan Deacon / 現Guardian Alien) と、ギタリスト:Patrick Higgins (パトリック・ヒギンズ - 元Animal) がSam Hilmer以外の旧メンバーと入れ替わり加入。ダブのグルーブと独創的なエレクトロニクスをバンドの新機軸とした、より直感的かつ肉体的なライブ・パフォーマンスをして“ニューヨークで最も鮮烈なアヴァン・バンド”と評される。主な過去のリリースに:SCORE: The Complete Sextet Works 2002-2007 (2012, Northern Spy), New Slaves Part II:Essence Implosion! (2011,Social Registry), New Slaves (2010,Social Registry/Power Shovel Audio), Music of Modern White (2009,Social Registry), Arms (2007, Planaria),

祝10万筆!Let's DANCE署名 - ele-king

 ele-kingでも度々取り上げた、風営法改正のための署名運動『Let's DANCE』ですが、目標としていた年内の自筆署名10万筆を達成したそうです!
https://www.letsdance.jp/thanks/
 関係者の方々の地道な努力によるところはもちろんですが、クラブ好きや音楽好きが改めて風営法の現実を知り、考えたことがこの結果に繋がったのだろうと思います。 大阪でクラブがどんどん潰されていた時期は、ただ悔しさがあるばかりでしたが、その想いは多くのひとが抱えるものだったことが証明されたようで、いまは安堵感に近いものを覚えます。

 とはいえ、これはあくまでもスタートです。集まった自筆署名は、国会法に基づく国会請願として提出されるそうです。わたしたちは引き続き、この問題について考え、議論し、呼びかけていくことが大切です。奇しくも、いや、ある種の必然として、風営法にまつわる議論は、クラブ営業の問題だけに留まらず、都市開発、表現の自由、規制のあり方、そして自意識と社会運動との関係......といった諸問題にまで及びました。この署名運動がきっかけとなって、より大きな議論が巻き起こる可能性は大いにあり、そのこと自体が運動の盛り上がりだとも言えるでしょう。

 法律を変えられるとすれば、そうした世論の高まりを政治家たちが無視できなくなったときです。署名運動はこれからも続けられますし、引き続き、ダンス・ミュージックとそれが自由に鳴り響く場としてのクラブを愛するわたしたちは、そのことを示していきましょう。2013年は、「普通に」クラブで踊れる年になることを祈って。
(木津毅)

tofubeats - ele-king

 『書を捨てよ、町へ出よう』のKindle版をamazonで買ってみたのは、そのときに書いていた原稿で、とある1行を引用しようと本棚を探したのだが見当たらず、そうか、先日、BOOK OFFが引き取っていった大量の本のなかに紛れ込んでしまっていたのかもしれないと思い当たったためだった。それにしても、書を買うのにも、書を捨てるのにも、家を出なくていい時代に、街へ出る理由などあるのだろうか。というか、そこには、わざわざ出ていくに値する魅力などあるのだろうか。そういえば、何をするでもなく街をぶらつくということがめっきりなくなってしまった。最近は、もっぱら、家から目的地へ、それこそ、ハイパー・リンクのように移動するだけだ。または、歩いていても、街並よりスマート・フォンの画面を眺めている時間のほうが長いかもしれない。そんなことを考えながら、ふと、iTunesを立ち上げ、約40年前の楽曲と2012年の楽曲を続けて再生してみた。たとえば、そこで歌われている街と人の関係にも変化があるのではないか。

 「七色の黄昏降りて来て/風はなんだか涼しげ/土曜日の夜はにぎやか」。アイズレー・ブラザーズの"イフ・ユー・ワー・ゼアー"を下敷きにした軽やかなファンクの上、22歳の山下達郎がみずみずしい声で歌っている。「街角は いつでも 人いきれ/それでも陽気なこの街/いつでもおめかししてるよ/暗い気持ちさえ/すぐに晴れて/みんなうきうき/DOWN TOWNへ くりだそう」。先日、『CDジャーナル』誌で、ライターの松永良平と対談した際、このシュガー・ベイブの楽曲"DOWN TOWN"(75年)についての話になった。それは、「あたらしいシティ・ ポップ」と題した特集記事のひとつで、テーマは、2012年、山下達郎や松任谷由実のベスト・アルバムが売れる一方、インディ・ポップにおいても、"シティ・ポップ"が裏のモードと言っていいような様相を呈していた理由を探ることにあった。

 たとえば、かせきさいだぁはその名も『ミスターシティポップ』というアルバムをリリースしている。彼はすでに長いキャリアを持っているが、シティ・ポップをキャッチ・コピーに掲げ、山下達郎そっくりの歌声を聴かせる83年生まれのジャンク・フジヤマも話題になったし、一十三十一の5年振りのオリジナル・フルレンス『CITY DIVE』のブックレットでは、プロデューサーのクニモンド瀧口が、制作の発端を、彼女の「ルーツでもあるシティ・ポップなアルバムを制作しようという話にな」ったことだと語っている。また、そこで話し相手を務めている、「シティ・ポップスをリアルタイムで聴いて来た」マンガ家の江口寿史は、「これはシティ・ポップスの金字塔アルバムですよ!」と太鼓判を押す。しかし、ふたりは、山下達郎や荒井由美、大貫妙子、吉田美奈子、佐藤博といった名前を挙げながら、同ジャンルについて語る内に、むしろ、その定義の曖昧さを明らかにしていく。「今、いろんな人が選曲したシティ・ポップスのコンピレーション出てるじゃないですか? 僕からすると"これ、ちょっとシティ・ポップスじゃないんじゃないか?"ってのもあって。その人にとってはシティ・ポップっていうか。それぞれ幅広いよね(笑)。"これ!"と言えない何かがあって」(江口)。......はたして、"シティ・ポップ"という言葉は何を指しているのだろう?

 たとえば、木村ユタカ編著『JAPANESE CITY POP』(02年)には、70年代から現在にかけて発表された、計514枚のアルバムが載っているものの、その音楽性は、ロック、フォーク、フュージョン、ディスコ、ブラック・コンテンポラリーと、じつに様々で、決してひと括りにできない。また、"洋楽"をいかに翻訳するかは、明治以降、日本のポピュラー音楽が取り組み続けてきた課題であって、この期間だけの特徴でもない。ただし、同書のディスクガイドがはっぴいえんどのファースト=通称『ゆでめん』(70年)ではじまり、小西康陽、曽我部恵一、スピッツ、ジム・オルークfeat.オリジナル・ラヴ、くるり等が参加したトリビュート・アルバム『Happy End Parade』(02年)で終わるように、そこには、"はっぴいえんど史観"とでも言うべき、明確な基準がある。じつは、同時代的には、"シティ・ボーイ"に比べて、"シティ・ポップ"という言葉は、あまり一般的でなかった。DJ/選曲家の二見裕志が細野晴臣、鈴木茂、大貫妙子等のリリースで知られる〈パナム・レーベル〉のディスコグラフィーからセレクトしたコンピレーション『キャラメル・パパ~PANAMU SOUL IN TOKYO』(96年)の、二見自身によるライナーになると、はっきりと、その音楽性が"シティ・ポップ"と名指されているが、それは、90年代半ば以降、レア・グルーヴの延長ではっぴいえんどからシュガー・ベイブへと続く系譜が掘り返され、歴史化されるなかで(再)浮上したタームだと言えるのではないか。

 一方、シティ・ポップと同時代の音楽を指す言葉に、"ニュー・ミュージック"があって、そちらは広く使われていた。音楽評論家・富沢一誠の著作『ニューミュージックの衝撃』(79年)は、アメリカのコンテンポラリー・フォークをスノッブな若者たちがカヴァーし、そこから、〈フォー・ライフ・レコード〉(井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等)に代表される、オーヴァーグラウンドなムーヴメントが生まれるまでを追ったルポルタージュだ。あるいは、それは、大瀧詠一が"分母分子論"で批判した、日本のポップ・ミュージックがガラパゴス化する過程だった。実際、同著には、荒井由美が登場するものの、彼女のバックを務め、当時の歌謡曲における洋楽的なセンスを担っていたティン・パン・アレー――言うまでもなく、はっぴいえんどから分派したバンドー――は重視されていない。そんなニュー・ミュージックから現在のJ-POPまでがひと続きと考えると、対するオルタナティヴを、ニュー・ウェーヴとはまた違う文脈で提示する際に、"シティ・ポップ"という歴史がつくられたという側面もあるのかもしれない。

 とは言え、『JAPANESE CITY POP』の続編である『クロニクル・シリーズ~JAPANESE CITY POP』(06年)には、『ヤング・ギター』誌77年2月号の「シティ・ミュージックって何?」という記事が再録されている。「"シティ・ミュージックってどんな音楽なんですか?"と訊かれても困ってしまう」とはじまる同文は、「何なら試しにシティ・ミュージックを定義してみようか?――都会的フィーリングを持ったニュー・ミュージックかな」と、シティ・ミュージックなるものとニュー・ミュージックを区別した後、76年に発表された代表的作品として、南桂孝『忘れられた夏』、山下達郎『サーカス・タウン』、大貫妙子『グレイ・スカイズ』、荒井由美『14番目の月』、吉田美奈子『フラッパー』、矢野顕子『ジャパニーズ・ガール』を挙げているのだから、当時、"シティ・ポップ"という言葉が一般的でなかったとしても、同様の価値観はあったのがわかる。

 ちなみに、前述のクニモンド瀧口は、「僕は敢えて、シティ・ポップと言いたくない派なんです」「本当はシティ・ミュージックって言いたいんですけど」と発言(『CITY DIVE』ライナーより)し、松任谷由実『流線形80'』(78年)からバンド・ネームを引用した自身のユニット"流線形"のファースト・EPにも『シティ・ミュージック』(03年)と名付けている筋金入りだ。『CITY DIVE』のジャケットにしても、松任谷由実『VOYAGER』(83年)へのオマージュなのではないか? グランド・マスター・フラッシュは"ザ・メッセージ"(82年)で都市をジャングルに見立て、サヴァイヴするべき場所として歌ったが、同年代に発表された『VOYAGER』では、都市はリゾートのプールに見立てられ、彼女はそこを優雅に泳いでいる。そして、それこそは、80年代におけるシティ・ポップの核となっていく思想であった。

 はっぴいえんどがシティ・ポップの起源とされるのは、結成当初のコンセプトが、バッファロー・スプリングフィールドのサウンドに日本語の音韻を乗せることだったように、グローバルでソフィスティケイテッドな音楽性を志していただけでなく、何よりも彼等の歌が、シティ=都市に対する批評性を持っていたためだろう。ただし、『ゆでめん』で描かれる都市は、いわゆる"シティ・ポップ"という言葉からイメージされるようなきらびやかなものではない。アルバムは、故郷を捨て、都会で孤独感に苛まれる若者が、なんとか自分を奮い立たせる"春よ来い"ではじまる。作詞を手掛ける松本隆の、「あやか市 おそろ市や わび市では/ないのです ぼくらのげんじゅうしょは/ひとご都 なのです」("あやか市の動物園")や、「古惚け黄蝕んだ心は 汚れた雪のうえに/落ちて 道の橋の塵と混じる」「都市に降る雪なんか 汚れて当り前/という そんな馬鹿な 誰が汚した」("しんしんしん")といった言葉から読み取れるのは、むしろ、近代都市批判である。

 続くセカンド・アルバム『風街ろまん』(71年)における松本の歌詞は、前作に比べて淡々とした情景描写が多く、一見、レイドバックしたフォーク・ロックに向かったサウンドに合わせて、丸くなったように思える。しかし、"風をあつめて"で、何の変哲もない街並の上を路面電車が飛んで行くシーンが象徴するのは、リアリズムではなく、サイケデリックだ。彼は、『ゆでめん』の延長で、現実の都市と対峙するのではなく、架空の都市を夢想することを選んだのだ。

 松本は1949年、東京都港区の青山地域に生まれている。彼のリリシズムの奥深くで疼いているのは、少年時代に始まった東京オリンピックに伴う都市開発で馴染の風景を奪われたことによる喪失感であり、創作行為こそがそれを癒したのだという。

 「ぼくは幼少時代を証明する一切の手がかりを喪失してしまったわけだ。そこには一本の木も、ひとかけらの石も残っていない。薄汚れたセンター・ラインが横たわっていただけだった。」

 「その時、ぼくは見知らぬ街をその都市に見出した。ぼくの知っている街はアスファルトとコンクリートの下に塗りこめられてしまっていた。ぼくはそのことを無為に悲しんだわけではない。だが、ロマンもドラマも特にない戦後世代の永遠に退屈な日常のなかで、そのような幼児体験の記憶まで都市に蝕まれるのが嫌だったわけだ。」

 「ぼくは視る行為に全てを費やした。何も見逃さないこと、街の作るどんな表情も擬っと視つめることによって、ぼくは自分のパノラマ、街によって消去されたぼくの記憶と寸分狂いない〈街〉を何かの上に投影すること、それが行為の指標になったのだ。スクリーンは何でもよかった。眼球の網膜でも、レコード盤の暗い闇の上でも、原稿用紙の無愛想なますめでも。ぼくはそれらのどれにでも、〈もうひとつの街〉である〈風街〉を描こうとした。」

松本隆『微熱少年』(75年)収録、「なぜ(風街)なのか」より

 言わば、シティ・ポップとは、現実の都市に居ながら、架空の都市を夢見る音楽である。はっぴいえんどの場合、それは、前述した通り、近代都市批判を目的としており、『風街ろまん』に収められた"はいからはくち"にしても、シティ・ボーイを揶揄したものだが、しかし、『書を捨てよ、町へ出よう』(67年)で書かれているように、そこは、彼等を家父長制の抑圧から解放してくれる場所でもあったはずだ。そして、同ジャンルも、シュガーベイブの"DOWN TOWN"を転機に、現実の都市をより発展させたものとしての、架空の都市を歌っていく。社会学者の北田暁大は、著作『広告都市・東京』(02年)で、73年、西武グループが〈PARCO〉のオープンとともに、区役所通りを"公園通り"と改名、渋谷を"消費のテーマパーク"化していった戦略について分析しているが、シティ・ポップはそのBGMとなったのだ。

 あるいは、はっぴいえんどは、「亜米利加から遠く離れた 空の下で/何が起こるのか 閉ざされた陸のような/こころに 何が起こるのか」(『ゆでめん』収録、"飛べない空"より)という問題提起からはじまり、「さよならアメリカ/さよならニッポン/バイバイ バイバイ/バイバイ バイバイ」(73年のサード『HAPPY END』収録、"さよならアメリカさよならニッポン"より)という別離の言葉で終わる、第2次世界大戦後の日本の対米従属体制に対するアンビヴァレントな思いを歌い続けたバンドでもあった。その点に関しても、シティ・ポップは、荒井由美が在日米軍調布基地を眺める中央自動車道を"中央フリーウェイ"(76年のアルバム『14番目の月』収録)と呼び換えたように、しだいにアメリカへの素朴な憧れを表出していく。文藝評論家の加藤典洋は著作『アメリカの影』(85年)で、田中康夫のベスト・セラー『なんとなく、クリスタル』(81年)の淡白な文章と過剰な情報の裏に、日米関係に対する批評的な視点を読み取った。数多のレコードが登場する同小説において、主人公の恋人はフュージョン・バンドのメンバー兼スタジオ・ミュージシャンとして活動しているものの、シティ・ポップはどこか馬鹿にされている節がある。それは、ソロ・デビュー直後の山下達郎の内省が、フォロワーである角松敏生(81年デビュー)に至ると、すっかりなくなってしまうことを思えば、仕方のないことなのかもしれない。

 昨今のシティ・ポップ・リヴァイヴァルにしても、単なるキッチュやノスタルジアに留まっている作品も多いが、2012年に発表されたもののなかには、同ジャンルを批判的に検証し、音楽的に発展させようという意思を持つ作品がいくつか見受けられた。たとえば、ceroのセカンド『My Lost City』は、ラスト・トラック"わたしのすがた"の歌詞、「シティポップが鳴らすその空虚、/フィクションの在り方を変えてもいいだろ?」が印象的だ。ファースト『WORLD RECORD』(11年)は、ジャケットが、ヴァイナルA面を"City Boy Side"と銘打っている鈴木慶一とムーンライダース『火の玉ボーイ』へのオマージュということもあって、"2010年代版シティ・ポップ"と評された。そして、その発表から数ヶ月後に起こった3.11に、東京という都市が隠蔽し続けてきた問題の露呈を見た彼らは、アルバムに、F・スコット・フィッツジェラルドがニューヨークの虚像を暴いたエッセイ「マイ・ロスト・シティー」(32年)の名を掲げ、都市から生まれた音楽を変えることで、都市そのものを変えようと考えたのだ。

 他にも、前述の一十三十一『CITY DIVE』では、"Rollin' Rollin'"のアレンジを手掛けたDORIAN、PAN PACIFIC PLAYAのカシーフを起用、シティ・ポップとテック・ハウスの融合に成功している。また、ディスコ・ダブ以降のセンスで日本のポップ・ミュージックをディグ/ミックスした『Made in Japan Classics』シリーズ(04年~)で知られるTRAKS BOYSのCRYSTALが、相棒のK404、イルリメこと鴨田潤と組んだ(((さらうんど)))のアルバムでも同様の試みが行われているが、その完成に際して、CRYSTALのブログにアップされたエントリーは、秀逸な現代シティ・ポップ論である。

「『シティポップ』という言葉を聞いてまず思い浮かべるのは、80年代のある種の日本のポップス。欧米のポップ・ミュージックを消化した洗練された音楽性を志向し、歌詞やビジュアルは、豊かな都会生活とそれを前提としたリゾートへの憧れをテーマとすることが多い。」

「でも当たり前だけど、それはあくまで80年代の日本という場所・時代でこそ成り立った表現の傾向だと思う。」

「インターネットにより情報の格差が少なくなって、都会にいなければ得られない情報やモノはなくなったと言ってもいい。経済状況にしても、高度経済成長末期の繁栄を謳歌した当時とは全く違う。」

「そんな今2012年に『シティポップ』と呼ばれるものがあるとしたら、それはどんなものなのか考える。」

「『シティ=街』は、もはや『都会』を意味しない。それは文字通りの意味で、僕たちが息をして暮らす『街』そのものだ。」

「それは僕にとっては自分が住む長野市だし、勿論東京に住んでいる人だったら、それは東京になるだろう。」

「自分が生活する『街』で、どんな風に遊ぶのか。そこでどうやって人と交わって、どんな『文化』をつくっていくのか。」

「何かに憧れるのではなく、地に足つけて自分の周りを面白くしていって、例え稚拙でも、他でもない自分自身の手で『街』をカラフルに塗り替えていくこと。」

「今『シティポップ』と呼ばれるものがあるとしたら、そんな風に『街』を遊んでいる人たちのためのポップスだと思う。」

CRYSTAL"City & Pop 2012"より


 そして、公園通りが生まれて40年が経った。道沿いの〈PARCO PART2〉は、もう随分と長い間、廃墟のまま放置されている。いまの都市が夢の残骸なのだとしたら、そこに、プロジェクションマッピングさながら、架空の都市を投射する音楽。そんな、2012年を代表するシティ・ポップ・ソング――新しい"DOWN TOWN"が、"水星"だ。正確には、トラックメーカーでヴォーカリストのtofubeatsがラッパーのオノマトペ大臣をフィーチャーしてつくった、同曲のデモ・ヴァージョンがsoundcloudにアップされたのは2010年6月のことだった。翌年9月に、まずはヴァイナルでリリース。続いて、2012年6月にiTunesで配信されるやいなや、総合アルバム・チャートで1位を獲得したという事実は、話題が長続きしないと言われるネット時代にあって、この楽曲の普遍性をまずは数字の面から実証してくれる。

 ただし、"水星"は、これまで挙げてきたアーティストとは違って、シティ・ポップというジャンルを意識しているわけではない。トラックにしても、下敷きになっているのは、テイ・トウワが手掛けたKOJI1200の"ブロウ ヤ マインド"(96年)で、ヒップホップ・ソウル・リヴァイヴァルと評したくなるつくりだ。それでも、なぜ、同曲が同ジャンルを引き継ぎ、更新するものだと考えたのかと言えば、まずは、イラストレーターのMEMOが手掛けた、80年代半ばの少年マンガを思わせるジャケットや、リズムステップループスによる、山下達郎がプロデュースした竹内まりや"Plastic Love"(84年)とのマッシュアップ"I'm at ホテルオークラ MIX"のインパクトが強かったというのはある。しかし、それだけではない。

 あるいは、バックグラウンドにしても、tofubeatsは、シティ=都市ではなく、郊外文化の影響が強い。90年、神戸市近郊のニュー・タウンに生まれた彼は、現在は都心寄りに越したようだが、あくまで地方を拠点に活動を続けている。ちょうど、『水星EP』がリリースされた頃だったろうか、過剰規制問題についての書籍『踊ってはいけない国、日本』を編集するにあたって、摘発が相次いでいた関西のクラブ関係者にヒアリングを進めるなかで、tofubeatsにも面会した。その際、印象的だったのは、出身地のニュータウンについて、酒鬼薔薇聖斗も同地に育っており、あのような、一見、清潔な――その実、異物を徹底的に排除する環境では何らかの歪みが起こるのは当然だと語ってくれたことだ。『書を捨てよ、町へ出よう』の時代とは違って、地方でも家父長制は崩壊しているに等しいものの、そこでは、拙編著で社会学者の宮台真司が言ったところの、新住民による同調圧力が力を増している。ましてや、外に逃げようにも、都市は受け皿として機能しなくなっている。

 そんな閉塞的な状況にいた彼にとって、外の世界に通じる窓となったのは、やはり、ネットだった。「音楽やる友達居なかったけど/そんなに困らずに始まった/掲示板に上げてた.mp3 128kbps まだ中2」。konyagatanakaという、ウェブで活動し、実際に顔を見たひとがいないことで有名なプロデューサーのトラックに、盟友のokadadaとラップを乗せたdancinthruthenights名義の"Local Distance Remix"を聴けば、tofubeatsのネットに対する考えがわかる。ただし、「インターネットが縮めた距離を/インターネットが開いてく 今日も/チャットで話してる 時折顔とか忘れてる/なんか踏み切れないし煮え切らない 気持ち都会の人にはわからない/神戸の端から声だしてるけどちょっとログオフしてたら忘れられちゃうでしょ」というラインの悲哀から読み取れるように、彼は、ネット"が"現場なのではなく、ネット"も"現場なのだと言っているのであって、関係の深い〈Maltine Records〉の活動にしても、ネットとリアルの相互作用こそが重視されていることは、パーティのプロダクトや、周辺に立ち上がりつつある、シェア・ハウス等と結びついた新しいライフ・スタイルによく表れている。

 そして、tofubeatsは、ヒップホップのレプリゼントだけでなく、ディギングという価値観を極めて現代的に、日本的に捉え直す。ブレイクビーツは、もともと、ブロンクスの若者たちが、親のヴァイナルを、親とはまた違った聴き方をすることで生まれたが、彼が掘り下げるのは、例えば、ネットに転がるグレーな音源であり、リサイクル・ショップで投げ売られているユーズドのCDである。神聖かまってちゃんがTSUTAYAでザ・ビートルズやザ・セックス・ピストルズに出会ったように、tofubeatsはBOOK OFFで購入した100円のJ-POPを切り刻み、その名も"dj newtown"名義で発表した。"水星"のメロディと歌詞も、カラオケで"ブロウ ヤ マインド"を流しながら書いたという。後者が収められたKOJI1200のアルバム・タイトル『アメリカ大好き!』に意味を見出すのは深読みが過ぎるとして、彼はアメリカの魅力がなくなり、都市が廃れた時代に、ネットやリサイクル・ショップ、カラオケを通して、郊外で、新しい都市=水星を夢想する。やはり、これは新しいシティ・ポップなのだ。

i-pod i-phoneから流れ出た

データの束いつもかかえてれば

ほんの少しは最先端

街のざわめきさえもとりこんだ
  
"水星"より、オノマトペ大臣のヴァース

「最近"ラップトップは俺らのデッキや"って主張してるんですけど」
 
〈&RWD〉のインタヴューより、tofubeatsの発言

 かつて筆者は、スケートボーダーやグラフティ・ライターの、街をパークやキャンバスに読み替える想像力に希望を見出していた。もちろん、それは、いまでも有効だが、"PCを持って街に出よう"という無線LANについての記事の掲載より10年、ネットが新しい都市をつくり出し、そこから、新しい音楽を生み出しつつあることについて、さらに考えなければいけないだろう。オノマトペ大臣のソロEPは『街の踊り』といい、そこには、"CITY SONG"という楽曲が収められている。他にも、彼とthamesbeatとのユニット=PR0P0SEのデビュー作や、Avec AvecとSeihoのユニット=Sugar's Campaign「ネトカノ」など、同時多発的に鳴り出しているネット時代の新しいシティ・ポップたち。それらをiPhoneに詰めて歩き出せば、彼方に未来のダウン・タウンが見えてくる。

Ambient Music for a New Year selected by Compuma - ele-king

わりと最近の新しめの作品を中心に選ばせていただきました。音と音楽と音像、そして漂いとりまく空間をお楽しみいただけましたら幸いです。ぬくぬく&ヒリーッとどうぞ。

(順不同)

MICHAEL CHAPMAN / Pachydrm

サーストン・ムーアも敬愛するブリティッシュ・フォークSSW孤高の才人MICHAEL CHAPMANのBLAST FIRST PETITEからの静かなる新作。オリジナル&電子音楽リミックス。本人のみによる24:05の爪弾きの円熟と熟練の間合いによるギター・ミニマル・アンビエント・メディテーション「Pachyderm」と同曲のRobert Antonyによるエレクトロニクスでサイケデリック・ドローンな瞑想のギター電子音楽リミックスが24:14にもわたって展開されている。知覚の扉。何もおこらない美しさ。素晴らしい。

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TENTOMUSIK / Am/Rec

すべて午前中に録音したからタイトルも「am/rec」という、ロボ宙さんとのセッションでもおなじみDAUのメンバーふたりによるAMトラベル・アンビエント・ミュージックの黄昏とゆらぎ、カモメのジョナサン。プレイボタンを押したその瞬間から摩訶不思議な佇まいの地平が広がる。時間が進むにつれ、なんだか不思議と気持ちが安らいでくる。これはやはり午前中の陽の光パワーなのか!?私事ではありますが、2012年初頭にサウンドクラウドでフリーでリリースさせていただいたミックス「SOMETHING IN THE AIR PT.2」(現在は無し)のオープニングで、勝手ながらこのアルバムの「船窓から」を使用させていただきました。あのミックスの物語はこの曲がはじまりでした。ありがとうございます。

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ELIANE RADIGUE / Vice Versa Etc...

チベット密教に傾倒した秀逸なるディープな瞑想ドローンの信頼の電子音楽家で知られるフランスの女流音楽家ELIANE RADIGUEの1970年の2台のテープレコーダーのフィードバックによって生み出されたふたつの宇宙。彼女の初期テープによる持続音ドローン傑作。音の処方箋。

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THOMAS KONER / Novaya Zemlya

静謐なる極北のエレクトロニクス・ドローン音響彫刻の圧倒的美学を体験せよ。
Porter Ricksでもおなじみ、サウンドアート大御所THOMAS KONERの深く、深く、吐息、そしてゆっくりとした呼吸と循環。ヒリーっと張り詰めた空気の中で、ため息がでるほどの美しいまどろみを体験してください。

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CHRIS WATSON / Outside The Circle Of Fire

元キャバレー・ヴォルテール、元ハフラー・トリオ、BBC音響技師にしてフィールドレコーディング作家ベテランであるクリス・ワトソン爺の1998年のセカンド・アルバムにしてジンバブエ、カメルーン、南太平洋、そしてコスタリカと世界を旅して動物、鳥、昆虫たちの生活を収音した探検フィールドレコーディング屈指の名盤。驚異の音。研究を重ねたゼンハイザーのサラウンドな高感度マイクに、アナログでのオープンリールにテープレコーダー、DATレコーダー、ミニディスク・レコーダーを通しての臨場感あふれる現地録音の真骨頂22ポイントのダイナミックで繊細&立体的な驚異の音をサウンドスケープを存分にお楽しみください。この圧倒的な音から伝わる世界、そして息吹を感じるしかありません。ナショナル・ジオグラフィックやアニマル・チャンネル的自然科学名盤。

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ROBERT TURMAN / Flux

穏やかなインドネシアのガムランを彷彿させる冬でもポカポカの桃源郷電子音楽アンビエント。知られざるROBERT TURMANによる1981年の作品。ブライアン・イーノのAMBIENTシリーズなどとも同時代に誕生していた珠玉のミニマル・アンビエント傑作。
この心地よさは至福。落ち着きます。カリンバやピアノ、そしてエレクトロニクスやテープを駆使した穏やかな東洋思想的なエキゾチズムの瞑想アンビエント世界。

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USTAD ABDUL KARIM KHAN / 1934-1935

伝説のインド古典音楽の絹の声、USTAD ABDUL KARIM KHANの1934年から1935年までの貴重で香しいSP音源。凛とした佇まいも見事にリイシュー。たおやかに。風がふきます。桃源郷。メディテーション。タンプーラ宇宙。

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DOMINIK EULBERG / Heimische Gefilde

ドイツTRAUMを代表するロマンティスト&アイデアマンDOMINIK EULBERG教授の2007年の珠玉のアルバム。メランコリックでドラマティック&エレクトロニカな美テックハウスと様々な鳥の鳴き声が共存した、DOMINIK EULBERGの鳥好きが興じて制作された、ナレーションと鳥のフィールドレコーディングに導かれ、自身の作品と鳥の紹介と鳴き声が交互に登場するという、未だかつてなかった、自然が奏でる音や音楽とエレクトロニクス音楽を並列で一緒に楽しもう。という試みのユニークなフィールドレコーディング&テクノ珍作にしてハートフルな名作。ラストは、鳥の鳴き声と自然音のみで制作した9:30にも及ぶキュートな楽曲も登場。

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OREN AMBARCHI / Audience Of One

オーストラリアのサウンド・アーチスト重要人物OREN AMBARCHIがギター、ハモンドオルガン、メロトロン、リズムボックスなんかを駆使し、サポートメンバーのヴァイオリン、ピアノ、チェロ、フレンチホーン、ヴィオラ等との生演奏で、至上&詩情のメランコリックで気品あるアンビエント・ドローン・エレクトロニクスを作り上げた。瞑想の中の日だまり的な美麗4部構成の秀作。黄昏の暖かさと心地よさそして壮大で荘厳なドローンに包まれる。

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LOSCIL / Sketches from New Brighton

静寂の中、深く暖かい美学が貫かれたエレクトロニクス・テクノ・ダブのドローン・アンビエントの名品。カナダ・バンクーバーから届けられた、LOSCILことScott Morganによるエレクトロニクスとローズ・ピアノ、ギターとのベーシック・チャンネルばりのミニマルで静かなる深い、テクノでダブなドローン・アンビエント・メディテーションの室内楽的調べ。環境との対話のスケッチ。クールながらもエレガントでクラシカルな雰囲気さえ漂う美しい深海のアンビエント美学が貫かれている。納得の音の仕上がりのマスタリングは12Kの才人Taylor Deupreeが担当。

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■コンピューマの最新ミックスCD『Magnetic』も絶賛発売中!
COMPUMA / Magnetic

『Something In The Air』が脅威のロングセラーとなったコンピューマ先生の最新ミックスCDが出ました! 今回は、彼の出自であるオールドスクール・エレクトロから最新の電子音楽へと展開するファンキーな音楽旅行です! 売れきれる前に聴け!

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Hidenori Sasaki(zoo tapes) - ele-king

 2011年からスタートした佐々木秀典によるAmbient、Drone、Noise、Industrialカセット・レーベル〈zoo tapes〉、Drone Chart。
 80年代から10年代まで拡散、発展するimprovised/drone/noise recommend、東京のシーンを中心に2012年入手可能な盤をご紹介。
 取り扱いshopはArt into Life、Meditations、S.O.L sound、Futarri CD shop、P.S.F. Records Modern Music、NEdS等。
 〈zoo tapes〉は2012年Festival Fukushima at Ikebukuro atelier bemstar を開催。(https://www.pj-fukushima.jp/festival/201208post-58.php
 同年より90年代のテクノの盤を紹介するトーク・ライヴを企画。
https://www.youtube.com/watch?v=iVpBRFAEmxQ

https://www.discogs.com/artist/Hidenori+Sasaki
https://www.youtube.com/user/hidenorisasaki1980
https://twitter.com/ssk_hidenori
https://www.facebook.com/zootapes
https://zootapes.tumblr.com/

Drone Chart


1
Various - Captured Ambient Cassette - Zoo Tapes
  droneの状況の紹介の前に、現在も続く東京音響noise、improvisedシーンを忘れてはならない。自身の活動もここの影響下からスタート、2007年都内でlive活動を行っていた頃、盆の窪というacoust free improvised trioと出会う。
 自分が参加していたセッションMetaphoricは当時まったくお客さんの反応を得られなかった。盆の窪もまた同じ。お客さんの大半は無反応、物事のはじまりは大抵このような状況なのだろう。
 2012年時点でそのことを記録に留めておきたく自身のソロ名義でSFDD、盆の窪から現在DUOになったセッションをカセットに収めた作品。
 B面収録はsonny+starcuts、Kyosuke Takayasu(bemstar record)、drone、free improvised、00年前後の音響noise、post classicalな要素を持った自身〈zoo tapes〉のオムニバス・カセット。free improvised シーンは現在、水道橋Futarri CD shop,l-e,等で体感できる。

2
Metaphoric - Confirmed Lucky Air CD - Kawagoe New Sound
  improvisedの影響下からスタートした活動のなかでMetaphoricというguitar duoのセッションに録音も含めて参加、2008年頃から録音作業中心。そのなかでUKのdroneシーンの存在を知る。Mirror、Andrew Chalk、Darren Tate、Colin Potter等、彼らの作った実験的なドローン・サウンドを多く聴いていた。自身のサウンド・イメージはfree improvisedからUK drone soundへ、Metaphoricの録音素材を編集して作り上げたambient/drone作品、1st editionのリリースは2009年。
 このアルバム1曲目の"Torimo"はremixが存在する。remixはCeler、Stephan Mathieu、Todd Carter(Tv Pow)、remixの対応にバックアップしてくれたNature Blissの重要度もここに記しておきたい。

3
Reizen - 2nd CD - Self-released
  自身の活動中に同じような思考を持ったアーティストは? とArt into Life サイトで知ったNerae,そのメンバーだったReizen(guitar)を紹介したい。2009~10年頃、当時都心の知人でAnderw Chalkと言って通じるもしくは注目しているのはNerae彼らだけだった。00年代日本人の作ったdrone作品で極めて重要なアーティストと言っても大袈裟ではないと思う。
 その後ソロになったReizenの2nd(self release)。静寂のなかの彼の素晴らしい演奏の説明は各ショップのコメントにお任せする。2012年現在は2nd editionとして入手可能、他ソロ名義では1st、3rdとリリース。
 東京は四谷、喫茶茶会記、江古田Flying tea potでのVeltz(VLZ produkt)との共同企画を中心にライブ等多くの活動を行っている。

4
Diesel Guitar - Stream Of Lights CD - F.M.N Sound Factory
  Reizenとのdrone推薦盤の話のなかで「日本が誇る知られざるギター・ドローニスト、Diesel Guitarを評価することだけは忘れないでほしい」彼の言葉である。Diesel Guitar、Reizenは自身の企画で招聘してライブを行っていた。P.S.F. Records Modern Musicにて2タイトル購入可能。

5
Hakobune - Recalling My Insubstantial Thoughts LP - Tobira Records
  京都のMeditationsで働いていた経歴を持つHakobune。2011年に彼が東京に出てきたことはとても重要、彼の作り出す音、存在は今後多くの若者への影響、指針となるだろう。更にはReizen+Hakobuneの二人が都内でライブ「音ほぐし」を主宰していることはとても重要(四谷、喫茶茶会記にて)。
 droneいやこの作品からは+ambientなサウンドが聴こえてくる。彼がvinylフォーマットで表現しようとしたもの、そのサウンドに身をゆだねよう。多作である彼の作品からvinylフォーマットでのサウンドを是非じっくり聴いていただきたい。Hakobuneの運営するlabel、〈Tobira Records〉からのリリース。

6
Various - Tokyo Flashback 8 CD - P.S.F. Records
  P.S.F. Recordsの重要性、このTokyo Flashback 8、そこにはReizen、Metaphoric他多くのサイケデリック感覚を持ったアーティストが参加している。
 しかし、ここで重要なのは多くのPSFに関連するアーティストの中Soldier Garageを1曲目に紹介したことのように思う。
 彼のギターはまるで「あのアーティスト」の音のようだ......と言われているがここでは伏せておきたい。
 Soldier Garageはその後〈P.S.F. Records〉からリリース。彼はジャケットのイラスト・デザインも手掛ける。

7
suzukiiiiiiiiii×youpy - sxy CD - Headz
  上記00年代improシーンを異端の立場で牽引していた鈴木康文+安永哲郎によるlap top duo VOIMAという存在も紹介しておきたい。なぜ異端と書いたか? それは2008年4月に六本木Super Delux行われたFtarri Festival出演の際、多くのimproviserがelectro acoustのスタイルのなか、彼らはlap top2台でのパフォーマンスだったからだ。当時いやいまでも同じだと思うのだがlap topのライブはパフォーマンスとして面白みに欠けるという指摘があるが、99年来日時に観たJim O'Rourkeのlap top、00年に観たCasey Riceのlap topはいまでも脳裏に焼き付いている。
 その鈴木氏が更にsuzukiiiii+youpy名義として2012年にリリースしたこの盤、全40曲!? からなる音響エレクトロノイズ。
 00年代free impro以降のサウンドを注意深く負わなくては現実を見失う。〈P-Vine〉から。
鈴木氏は六本木Super DeluxでSound Roomを主宰。安永哲郎氏も都内で多くの企画を行っている、安永哲郎事務室を主宰。

8
Takayuki Niwano - Surroundly CD - Kawagoe New Sound
  Metaphoricでguitarを担当、オリジナル・メンバーの庭野氏の最新作、Tower Recordの発行するfree magazine baunceでも取り上げられたが、ここでの庭野氏はギターにフォーカスを当てず、PC上での音作りに没頭したサウンドになっている。90年代から音作りを行っていたアーティストでなければ出せない音、こちらもノイズを出しているが不思議とテクノ、テクノ・ノイズ? テクノという感触が全編に渡って展開された作品。
 改めて彼の多岐にわたる活動、ギターの音色、フレーズすべて重要である。

9
Various - Utmarken 3xCassette - Utmarken
  ドローン後、北欧ノイズに遭遇し更にインダストリアルというキーワードに気がつく。日本で耳にするノイズとは別の側面を持つことに気がつく。個人的に今年発見した海外の盤を1点紹介したかった。やはりカセット・フォーマットは面白い。3本セットのケースなど現在東京では見たことがない。

10
Various - Tribute To MSBR LP - Urashima
  このトリビュート・アルバムを買うになった自分の立場に自覚的でなくてはならない。Japanoiseはまだまだ進化する。
 〈Urashima〉もまた北欧なのだ。2001年に青山CAYで観た「ノイズのはらわた」この企画で初めてノイズに触れたがそのショックをいまも引きずっている。

禁断のクリスマスBOX - ele-king

 禁断の多数決から素敵なプレゼントが届いた。以前よりアナウンスのあったクリスマス・アルバム『禁断のクリスマスBOX』である。ハンドメイド感あふれる箱を開けると、雪を模した綿やらオーナメントやらアートカードの奥から、ディスクが2枚あらわれる。20曲入りのCDと本作用の映像を収めたDVDだ。とても楽しい作りである。しかしこの作品にはもうひとつ重要な要素がある。

 前号(ele-king vol.7)で行った〈マルチネ・レコーズ〉主宰トマド氏へのインタヴューでも非常におもしろい話をきくことができたが、本作は話題の「投げ銭システム」、クラウドファンディングを利用し、まさにファンのための仕様を実現している。「メンバー全員、クリスマスが大好きです! 応援してくれた皆さんと完全ハンドメイドのクリスマス作品で一緒にメリークリスマス♪を楽しみたいです」というコンセプトのもと、こうしたシステムを利用し、クリスマス・アルバムというものを「売り物」ではなく「プレゼント」へと、スマートに(またハートフルに)転換してみせた。もちろん定価のついたれっきとした商品だが、制作費をファンがもつというあり方はなんとも直接的で理想的ではないか。投げた金が、プレゼントになって帰ってくるのだ。それはたとえもとからのファンであったとしても、「買わされる」システムとはまったく違うものだ。クラウドファンディングは、うまく利用するならばその過程や手順をスムーズにし、わかりやすく見せてくれる。

 曲のほうも、パンダ・ベアをほうふつさせるサイケデリックなトロピカル・ポップや、デイデラス風のラウンジーなカットアップ・スタイルに幕を開け、ベタベタなクリスマス感を避けながらも豊かなフレイヴァーによってこの時期特有のそわそわとした空気を彩る。
 購入はバンドの公式サイトから可能だが、明日はメンバーによる手売りが行われるようだ。クリスマス直前でもあることだから、ぜひ行ってみよう。

 詳細→ https://kindan.tumblr.com/post/37976471859/12-22-dum-dum-office-box
 公式サイト→ https://kindan.tumblr.com/

12/22(土)に高円寺DUM-DUM OFFICEにてメンバーによる『禁断のクリスマスBOX』店頭販売

12/22(土)に高円寺DUM-DUM OFFICEにてメンバーによる『禁断のクリスマスBOX』の店頭販売を行います。12時~17時まで店内におります。先着で、禁断の赤ワイン or チューダー or サイダーを一杯振る舞います。 尚、当HPのショップページからも『禁断のクリスマスBOX』をご購入出来ます。何卒よろしくおねがいいたします。

DUM-DUM OFFICEの地図
https://magazine.dum-dum.tv/archives/901

『禁断のクリスマスBOX』 ショップページ
https://kindan.tumblr.com/shop/

チューダーとは?
https://umanga.blog8.fc2.com/blog-entry-165.html

mixCD"swim in"発売中
https://tmblr.co/ZnHH9xWlBSX7

2012/12/28(FRI) Swim in @GRASSROOTS
Haruka , Jyotaro , Tsukasa , Tomoharu

2012.12 CHART


1
SIGHA - SCENE COUPLE / BROOD - Hotflush

2
Anthony Parasole & Phil Moffa - Atlantic Ave - The Corner

3
XAMIGA - Kermit's Day Out - Rush Hour

4
Julius Steinhoff - So Glad - Smallville

5
Mikkel Metal - Fron - Semantica

6
SIGHA - Living With Ghosts - Hotflush

7
The Fantasy - Secret Mixes Fixes Vol. 14 - Secret Mixes Fixes

8
Black Dynamite - City To City EP - Tenderpark

9
Arttu - Tune In - Royal Oak

10
Dance - Still / Ha - Blank Mind


webstar外観

 2012年の終わりは、マドンナがツアーしたり、ローリング・ストーンズが再結成したり、ジェイ・Zが、ブルックリンのバークレイ・センターで8日連続公演(!)をしたり(ランダムですいません)と賑やかだが、インディ界でも、スペシャルなナイトが重なった。インディのなかでも長く続けている、尊敬すべきバンドがふたつ。もちろん、どちらもソールド・アウト。

 まずは、オブ・モントリオール。1997年に結成してからすでに11枚のレコードをリリースしている。ハード・ワーキンなオブ・モントリオール=ケヴィン・バーンズは、10月に、未発表コンピレーション『ドーター・オブ・クラウド』をリリースした。ニール•ヤングの『イクスペクティング・トゥ・フライ』のカヴァーを含む、アルバム未発表曲17曲。古い順に入っているので、順番に聴くと音楽的な変化もわかるし、彼のスタイルが見えてくる。今回のショーは、メンバーが6人に減り(ピーク時は10~15人ぐらい)、パフォーマーも4人と、コンパクト化していた。


オブ・モントリオール

 観客は若く、パーティー好きな様子の人たちが多かったが、その横で40前後のジャストな世代もたくさんいた。以前より年代が上がったように感じる。ケヴィンは、刺繍の入った白のボタン・ダウン・シャツにアニマル・プリントのレギンス(途中で、アニマル・プリント•シャツになり、アンコールではスカイ•ブルーのブラウス、ショート•パンツ、ブーツ! そして最後は裸)、ギターのBPはツタン・カーメンの仮面をかぶり、キーボードのドッティは、フリンジ付きドレス、それぞれ白を基調とした衣装だった。
 馬が出たり、墓が出たり、演劇スタイルに定評がある彼らのショー。内容は相変わらず、うまく鋭くクラフトされたエンターテインメント。今回は、歌の最中に、白布をまとったパフォーマーが登場し、彼らの体に映像が映されたり、細長い風船を、客席に伸ばして、観客を風船だらけにしたり、マシーンで紙吹雪をばら撒いたり、ケヴィンが肩車で登場したり、ピエロになったり、キーボードを弾いたり、大道具を片付けたり、パフォーマーの七変化がすごかった。見事なチーム・ワークである。


オブ・モントリオール with レベッカ・キャシュ

 新しかったのは「女性ボーカルが欲しかった」、というケヴィンのリクエストから実現したコラボレーション、レベッカ・キャシュをフィーチャーした曲“フェミニン・エフェクツ”。シフォン•ロング・ドレスのレベッカと、ケヴィンとのデュエットで、場をドラマティックに盛り上げる。個人的には、ソランジェ(ビヨンセの妹)とのデュエット“セックス・カーマ”が好きだったが、女性ヴォーカルが入ると、まったく違うかたちになる。ショーが終わり、アンコールの間さえもパフォーマーによる余興がなされる。隙のないフル・エンターテインだ。ソールド・アウトのショーとは、こういうことなのだ。


ナダ・サーフ

 ソールド・アウトといえば、今年の初めにレヴューしたナダ・サーフ。12月14日、2デイズ公演の一日めに行った。前回と同じ会場の、バワリー・ボールルーム。もともとニューヨーク出身の彼らは、20年のキャリアがあり(1993年結成)、このホーム・カミング・ショーは、2日ともソールド・アウト。何とも感慨深い。

 オープニング・バンドは、ヴァージニア出身のエターナル・サマー。〈カナイン・レコーズ〉からアルバムを出し、ミックスにザ・レイヴォネッツのメンバーや、ダムダム・ガールズのプロデューサーが関わっているのも納得の、インディ好きサウンド。ギター&ヴォーカルの女の子(チャイニーズ・アメリカン)、ヘビメタ風のドラマー(ピザ・パイ・オア・ダイとロゴの入ったメタルTシャツが印象的)、笑顔が素敵なおかっぱ(男)ベース・プレイヤーと、メンバーの個性もいい。ハイライトは、ガイデッド・バイ・ヴォイシィズのカヴァー曲で、いまはメンバーでもあるダグ・ジラードがゲスト登場。ナイス・サプライズ。ノイズまみれになりながら、4人が目を見合わせてのフィニッシュは圧倒。ステージの袖から、ナダサーフのメンバーも覗いていた。


ナダ・サーフ

 ナダ・サーフのショーがはじまる前に、マシューからこの日のお昼に起こった惨事、コネチカットでの銃乱射事件についての追憶があった。彼らは、ボストンから戻る最中で、目と鼻の先でこんな痛ましい事件が起こるとは......。ツアー・エピソードに交えて、ガン・コントロールについての呼びかけもあった。

 今年の1月に7枚目のアルバム『ザ・スターズ・アー・インディファレント・トゥ・アストロノミー(星は天文学に無関心)』をリリースし、バワリー・ボールルームでプレイ、今年最後を締めくくるショーがまた同じ会場で、しかもホーム・タウンのNYにてソールド・アウト。オブ・モントリオールもそうだが、ソールド・アウト・ショーの裏には、並大抵以上の努力がある。音楽が好きなのはもちろん、それ以上に、彼らを応援したくなる何かがある。こんなに長く続けられることの理由をマシューに訊くと、「理由はいたってシンプル。3人でプレイするのが本当に好きなんだ。家賃が払えて、ショーができる状態であれば、やめる理由はない。10人以上観たい人がいれば、プレイするよ」と。ちなみに彼らは、20年間メンバー・チェンジをしていない。どれだけこのバンドが好きなのかがわかる。観客はけっして若くなく、男性が多い。普通に「彼らの高校時代の同級生」と言ってもおかしくないほど、圧倒的に同世代からの人気が高い。新曲、古い曲、ヒット曲を交じえ、ポップで、耳に優しく、胸がキュンとする感覚が蘇る。長年やっているだけあり、3人の息はピッタリだが、黙々とギターを弾くダグ・ジラードが、バンドに新しい風を与えているのは間違いない。マシューも、「もうトリオでプレイするのが考えられないくらいオーガニックだし、音楽的に、自転車からバイクになったよう」というぐらいの惚れ込み。アンコールには、メジャー時代ヒット曲の“ラッキー”もプレイ。本当なら避けたいこの曲を、いまの曲とミックスできるところに、彼らの吹っ切れを感じた。


物販の様子

 よいことも悪いこともあった一年だったが、締めくくりのショーがオブ・モントリオールとナダ・サーフということで、個人的な2012年をよく表しているように思う。

 みなさま、よいお年をお迎えください。

Prince Rama - ele-king

 ギャング・ギャング・ダンスがよりレフト・フィールドな感性に支えられ、また受け入れられていたのに対し、プリンス・ラマは、もっとずっと素朴な動機からトライバリズムへと向かったデュオではないかと思う。彼らのサイケデリアにおけるヒンドゥーなりアフリカなりチベットなりといった意匠は、ある意味では純粋というか、「なんとなく好きだからそうしているのー」というあけすけさが裏返ったような、奇妙な強度を持つものだ。
 先日のDOMMUNEや次号ele-kingの2012年総括座談会でも述べたが、ネットワーク化によって作品の発表形態や享受のありかたが決定的に多様化するなかで、人と音との関係の恣意性は上がっている。昨今「ロックを聴くならオアシスから」といったような定式がまるで見当たらないのは、ヒーロー不在のためなどではなく、ヒーロー不成立のためだ。興味が拡散し、ジャンルは細分化を極め、視聴可能な音源のアーカイヴも無限に膨張、昔の音がそしらぬ顔でいまの音に並ぶ(「昔の音はいまの音」三田格)......そのような地平で、われわれはまさにある音楽と「たまたま出会う」傾向を深めている。同座談会では、そんなリスナー実感を竹内正太郎がとても素直に述べている。このリアリティをピックアップしたかったので、タイトルは「僕らは偶然聴いている」とした。シニア組の座談会が「若者に反抗が戻ってきた!」という話からはじまるのと、おもしろい対照を生み出していると思う。宣伝、失礼しました。21日発売です。

 こうした傾向に照らし合わせるならば、プリンス・ラマの「少し遅れてきたブルックリン」的なトライバル・サイケは、まさに恣意的に選択されたスタイルだったのではないかと思い当たる。彼らは、それに向かうことになった動機に深く絡め取られることがない。もしこれがマジなトライバル志向や呪物崇拝に突き動かされた音楽だったのなら、今作のようなイメージ・チェンジはあり得なかっただろう(ジャケを見るだけでも明らかだ)。そのかわり、2000年代の終了とともにその存在も風化していったことだろうと思う。正直なところ手詰まりな感のあった音やキャラクターを、あっさりと翻すことができたのは、彼らのモチヴェーションの軽やかさのためではないか。今作においてはそうしたことがあらためて浮き彫りになった印象だ。

 しかし表層を離れると、彼らの一貫性もまた見えてくる。というか、『トップ・テン・ヒッツ・オブ・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド』というコンセプトが与えられたことで、これまでのエセ密教やエセ黒魔術的なトーンがすっかり相対化されてしまった。それらは今回のエセ・サイバーパンク同様、「世界の終わりのヒット・ナンバー10」のひとつだったのです、という具合である。じつに幻術的な縫合だ。しかし間違ってはいない。彼らの瞳のなかでは、どちらも同じようなものだったということだ。
 ジャケットでは、コンピュータの内部世界を記号的に表現した『トロン』的なマス目空間に、非西欧世界のモチーフがコラージュされている。ネット世界のゴミくずを適当にかき寄せるヴェイパーウェイヴ的な感性に共振するように見えるのは、やはり自らのトライバリズムに向かう姿勢が、ちょうどそれに類似したものだったからだろう。その意味では、本年作としても時宜を得た転身だったと言える。

 思いがけないところで、〈ノット・ノット・ファン〉~〈100%シルク〉にも接続した。ニューウェイヴィなディスコ・チューンに、ウィッチなヴォーカルがかぶさり、これまでの傾向を引き継ぐどろっとしたプロダクションで仕上げられている。アマンダ・ブラウン関連の諸作に並べられるだろうし、〈シルク〉の顕著なディスコ志向にも沿っている。音楽的にも脱皮を図った、というか、脱衣を図ったような変化と一貫性がみられる。アニマル・コレクティヴに見初められ、〈ポー・トラックス〉から出てきた彼らが、リアルな森ではなく、ヴァーチャルな情報の森に遊んでいることを感慨深く眺めた。1曲挙げるならば“ドーズ・フー・リヴ・フォー・ラヴ・ウィル・ラヴ・フォーエヴァー”か。

初音ミクの『増殖』 - ele-king


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤


 初音ミクによるYMO『増殖』のカヴァー・アルバム、『増殖気味 X≒MULTIPLIES』が今週リリースされる。プロデューサーは、初音ミクを筆頭としたボーカロイド文化の黎明期から活動し、現在もシーンを支えつづける“HMO とかの中の人。(PAw Laboratory.) ”。2009年に発表された『Hatsune Miku Orchestra 』につづく第2弾ともなる作品であり、前作にましてコンセプチュアルなこだわりと細部への作りこみが徹底されている。そうした点をひとつひとつ照らし出すことで、本作はさらにユニークにかたちを変えるだろう。また双方の「増殖」のニュアンスが持つ興味深い差異についてもあきらかになるはずである。今回は元ネタであるYMO『増殖』との比較をおこないながら、本作のおもしろさ、YMOのおもしろさ、そしてボカロ文化のおもしろさに迫る座談会をお届けしましょう。YMOを知らないあなたにも、初音ミクがわからないあなたにも!


YMOか、スネークマンショーか

小学生でスネークマンショーのファンになったってひとはすごく多いですね。遠足のバスのなかでみんなでかけて聴いたと。(吉村)

――まずはみなさんのYMO体験から、簡単におうかがいしたいと思います。世代的には三田さんと吉村さんがいちばん聴いていらっしゃると思いますが、さやわかさんはいかがですか?

さやわか:僕は小学1年とか2年とか、ほんとに子どもだったんですよね。74年生まれなんですが、音楽を聴いていちばん最初にかっこいいなと思ったのが、YMOとかで。

三田:そうなんだ?

さやわか:そうなんですよ。まあ最初は“ハイスクール・ララバイ”とかを聴いて、「こういうものがあるんだ」っていうのが最初なんですが。

三田:(笑)なるほど~。

さやわか:子供ですからね。その後に“ライディーン”とか聴いて、かっこいいなっていう感じですよね。だから、『増殖』ぐらいになると、もうなんとなく知ってるんですよね。しかもちょっとギャグが入っていておもしろおかしいし、従兄弟の家に行ったら置いてあるくらいのポピュラーなものだったんですよ。とくにこれは、ジャケットもダンボールとかついててかっこいいじゃないですか。おもちゃっぽい、ガジェットっぽいというか。だから子ども心に憧れのある盤ではありましたよ。

三田:久住昌之がつけた歌詞、知ってる?

さやわか:「テ・ク・ノ~、テクノライディ~ン~」(空手バカボン“来るべき世界”の歌詞)じゃなくてですか(笑)?

三田:「僕は~きみが好きなんだよ~」って(笑)。

さやわか:はははは! ともかく、そんな感じですね。YMO初期から中期に行くぐらいの感じの、ちょっとおもしろおかしいんだけれども、とんがっててかっこいいみたいな感じ、ポップさがある感じがすごく好きだったなあ。印象的だった。だんだん大人になってくると中二病的な気持ちで「中期ぐらいがいいよね」みたいなことを言い出すんですけど(笑)。でも、最終的には『増殖』くらいがすごく好きですね。子供の頃の憧れもある、ポップで、おもちゃっぽい感じ。

三田:ポップっていうか、勢いがあるときだよね。

さやわか:まさにそうですね。やりたい放題感があるわけじゃないですか。

三田:僕は高校生だったけど、吉村さんは?

吉村:僕は中学生でしたね。何年か前にスネークマンショーの本を書いて、そのときにすごくリサーチしたんですけれども、小学生でスネークマンショーのファンになったってひとはすごく多いですね。遠足のバスのなかでみんなでかけて聴いたと。

さやわか:懐かしいな。いま思い出しましたよ。2コ上の従兄弟がスネークマンショーのテープをいっぱい録って持っていたんですよね。僕はそこから入っていって、スネークマンショーのオリジナル盤みたいなものもどんどんテープに録って、友だちと貸し借りしました。スネークマンショーがやっぱりおもしろいんですよね。

三田:今回の野尻さん(※)にプレッシャーをかけてるわけですね(笑)。

※野尻抱介。『増殖』オリジナル盤にはスネークマンショーによるコントが数編収録されているが、『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では野尻氏の脚本によって2012年現在を反映する内容に書き換えられている。

さやわか:はははは! いやいやでも、今回の野尻さんのやつも、時代性があるというか、よかったじゃないですか、最後のやつとか。

吉村:スネークマンショーのほうは、けっこう校内放送でかけて怒られたとか、そういうエピソードがいっぱいある。

三田:小学校で?

吉村:小学校、中学校で。モノマネもよくやったみたいですよね。たとえばKDD(『増殖』収録のコント)とか英語じゃないですか。小学生だったら意味はわからないんだけど、言葉やセリフのリズムとか声の質とか、すごくおもしろく聞こえちゃうんですね。そういうマジックがあった。

三田:じゃあけっこう共有文化なんだ? クラスメイトの。

吉村:そうですね。YMOよりもスネークマンショーって感じですね。

さやわか:そうなんですね。僕はもう、嘉門達夫とかといっしょに聴いたような気がしますよ。そういうレベルの出来事ですよね、小学生にとっては。

三田:あー、なるほどね。僕は逆に、YMOはダメだったんだよね。ちゃんとそのとき買って聴いたのは『BGM』だけで。流行りものの勢いに負けて、7インチは全部買ってたんだけどね。だからいまだに『テクノデリック』を聴いてない。

一同:(声を揃えて)マジすか!?

三田:そうそう。

さやわか:そんなことがあり得るんですね。

三田:いまだに抵抗があって。なんでかって言うと、先にクラフトワーク聴いてるんだよ。父親がヨーロッパ土産で『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス(ヨーロッパ特急)』の7インチ買ってきてくれて。で、その頃に聴いてる音楽ってクリームとかだから、はじめて『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス』を聴いて、もう何が起きたかわかんない! っていう衝撃があったわけだよね。何がどうなっちゃったんだろ、と思って。それでその次の年に“ライディーン”を聴くと、「子どもっぽいなー」っていうね(笑)。なんか真剣になれないんだよね。

さやわか:はははは! でもまあ、そうですよね。フュージョン感が。

三田:だけど、『BGM』がよかったんで、もうちょっと聴いてみようかなと思ったときに、『増殖』も知ったんだよね。だからこの作品には愛着があって。

さやわか:あ、そうですか? 『BGM』から戻っていく感じですか?

三田:そうそう。だから“ビハインド・ザ・マスク”を知らなかったのよ、全然。だいぶ経ってから“ビハインド・ザ・マスク”聴いて、いまではいちばんが“ビハインド・ザ・マスク”かな。そんなとこです、僕のYMO体験というのは(笑)。『増殖』はでも、リアルタイムで聴かないと、体験としての差が大きいよね。

さやわか:『増殖』はリアルタイムで?

三田:うん。『増殖』と『BGM』だけはそれなりに愛着があるね。でも、去年だったか、坂本龍一さんがDOMMUNEに出た後の打ち上げで、僕、ポロっと「“タイトゥン・アップ”のなかのセリフで「酒飲め、坂本」ってありましたよね」って言ったら怒られたんだよね。「違うよ!」って。「Suck it to me, Sakamotoって言ってるだろ!」って。30年以上勘違いしてた(笑)。しかし、そんなに怒るかなって(笑)。

さやわか:はははは! でもそうやって空耳するくらいの気軽さでみんなの耳に入ってくるような影響力がありましたよね。

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ふたつの「増殖」

いまの初音ミクって、初音ミクというぼんやりとした中心のようなものに向かって、全員が違うものを作っているってところがおもしろいので、その違いをはっきりと出してるジャケットだなと。(さやわか)


――その『増殖』を初音ミクでカヴァーしたアルバム、『増殖気味 X≒MULTIPLIES 』が今月リリースされるわけですが、ここからは両者を比較しながらお話をうかがっていきたいと思います。アレンジ、プロダクション、コンセプトに加え、楽曲やコント・パート、仕様そのものの再現性についてなど、たくさんの比較ポイントがありますよね。

 また、そもそもYMOが『増殖』をリリースした背景にあるものと、現在の初音ミクを取り巻く風景とを比べながら見えてくるトピックもあるかと思います。初音ミクはちょうど発売から5年が経って、いろいろな意味でかなり一般化された段階を迎えてもいますので、そのあたりもふくめておうかがいしていきましょう。

 まずは、ぱっと気づいた相似点、相違点からご指摘いただけますか?


さやわか:時期的にはおもしろいですよね。YMOが上り調子というか、わっと人目を引きつつおもしろおかしいことをやっていた頃と、初音ミク5周年、それこそファミマなんかで商品が売られるようになったタイミングで、同じものが出るっていうのは。ほかにも5周年ということで初音ミクがらみの企画はありますが、『増殖』のカヴァーというのは、目のつけどころとしていいかもなって思いましたね。

 で、相似というよりもむしろ相違する部分なんですけど、ジャケットの絵がいいですよね(笑)。初音ミクの姿が、全部同じじゃないんです。全部違ってるんですよ。

三田:色校を見たときにジグソーパズルを作ろうって言ったんですよ。

さやわか:うん、それいいじゃないですか。『増殖』のジャケットって、いかにも当時のテクノ的な考え方として、「同じものがいっぱいある」っていう意味を持たされていたじゃないですか。もちろん個々の人形に微々たる違いはあるんだけれども、その違いが微々たるものであるというほうに意味を見出すのは、いかにも当時のテクノ的な考え方に思えますね。ところがいまの初音ミクって、初音ミクというぼんやりとした中心のようなものに向かって、全員が違うものを作っているってところがおもしろいので、その違いをはっきりと出してるジャケットだなと。

三田:『増殖』の意味が違ってたと思って。オリジナルのジャケット・デザインは、当時で言ってた右傾化みたいなムードへの批評性を持ってたと思ったんだけど、今回のは初音ミク自体の増殖性をパラフレーズしてる感じだと思って。まあ、いまのほうがよっぽど右傾化してるんだけど、もうパロディになるレベルの右傾化じゃないから(笑)。そういう違うはあるかなって。

さやわか:そうですね。そういう意味では、その右傾化的なものをさらりと流してしまっているような、なんというか軽やかさがあるわけですよね。

三田:軽やかさ(笑)。

さやわか:だって『増殖』のジャケは、こんなふうな表現で来られるからには、どう考えてもメッセージ性が高いわけじゃないですか。

三田:僕が当時覚えてるのは、年配の人たちに拒否反応があったよね。

さやわか:ああ、そうなんだ。

三田:筑紫哲也なんかが右傾化に対していろいろ言ってたタイミングでもあったから。

さやわか:これ(『増殖気味』)はそういうことじゃなくて、かわいいキャラクターがいろんな表情を取っているっていうことに完全に置き換えているので、そこがおもしろいなと思いました。


ボーカロイドは政治性を嫌うか


やっぱりスネークマンショーのパロディなんだから、もうちょっと強く毒みたいなものを出したほうがいいんじゃないかなという気持ちもある。あの雪山のコントも、もしスネークマンショーがやってたら、津波とかになるんじゃないかな。(吉村)


吉村:いまの話と共通するんですけど、『増殖』のときはコントのギャグに70年代末の世相がすごく反映されてるじゃないですか。今回のは、3.11後のいまの世相っていうのがまったく反映されてない。逆にそれはすごいことだと思って。

 これは自分のなかでまだ解釈が分かれてるんですけれども、そうしたテーマを中途半端に出すよりはいいのかなっていう気持ちと、やっぱりスネークマンショーのパロディなんだから、もうちょっと強く毒みたいなものを出したほうがいいんじゃないかなという気持ちと。あの雪山のコントも、もしスネークマンショーがやってたら、舞台は雪山じゃなかったと思う。

さやわか:何? 戦場とか?

吉村:津波ですよ。津波で取り残された人とかに設定したと思う。

三田:ああー、なるほど。やっぱりそこは意図的に回避されてると?

吉村:そう、ちゃんと考えて避けられているんだというのはわかるんですけど、そのへんが違うな、と思いますね。

三田:なるほどねー。

さやわか:社会性みたいなものをあえて排除してるということですよね。でも、初音ミク自体が政治性とそもそも接続されにくい、スタンスを固定しにくい存在としてあったわけじゃないですか。それに、メインで聴いている層が小・中・高ぐらいのはずなので、いまは彼らにとって政治的なものっていうのが、自分たちの問題として扱われていないんじゃないかということがある。そして、政治に興味がある大人たちにとってみれば、今度は初音ミクが彼らに届いていない。

三田:でも、小説を読むかぎり、このコントを書かれた野尻抱介さんというのは、国家は意識しているし、政治性を感じさせないという作風ではないけどね。僕の印象からすればやや楽観的な国家観ではあると思いますけど、まったくそういうものを排除するわけではない。「一般意志2.0」とか急に出てくるんだけどね。

吉村:たとえ左であれ右であれ、そういう政治性みたいなものを出すとリスナーから拒否されるみたいなことはあると思います?

さやわか:うーん、どうでしょう。

三田:でも、それは巧妙なやり方があるような気もするけど。野尻さん自身はこの『南極点のピアピア動画』(ハヤカワ文庫JA)も『ふわふわの泉』(同)もテーマが増える、増殖するってことだったので、テーマ的にはぴったり合ってるはずなんですよ。でもコントにあんまり反映されてなかったなって。小説のほうと全然キャラが違うんで、あれ? みたいには思った。

吉村:そのあたりをすごく考えてこれになったとは思うんですよ。

さやわか:たぶんそうでしょうね。

三田:やっぱり子どもを意識したのかねえ?

さやわか:そうじゃないんですか。単純に、聴いて楽しいって感じですよね。とくに聴いていて思ったのは、ニコ動(ニコニコ動画)ユーザーのなかでも、どっちかと言うとクリエイターよりちゃんとリスナーに向けて作られているように感じましたけどね。

三田:YMOの『増殖』を聴いたときに思ったけど、やっぱりギャグは一回性のものでさ。何回も聴くものではないよなと感じたんだけど、『増殖気味』のほうは「いいボカロもあれば悪いボカロもある」のネタとかさ、けっこう何回聴いてもおもしろい(笑)。

さやわか:はははは! その違いは何なんですか(笑)?

三田:何なんだろうな(笑)。あれがいちばん好きで、あればっか聴いてる。

さやわか:それは強力なメッセージ性とか、そういうものを持ってないからかもしれない。

三田:なんだろうね。

さやわか:空気系じゃないけれど、ゆるっと、ふわっとして重みがなく、なんとなく聴いて笑っちゃえるみたいな。

三田:『デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ監督)以降、女のおしゃべりが気になってるからかもしれない。女が集まってしゃべってるのって妙にインパクトがあるよね。『ハッピー・ゴー・ラッキー』(マイク・リー監督)とか、最近だと『東京プレイボーイクラブ』(奥田庸介監督)っていう映画のなかで、風俗嬢がしゃべるシーンにすごい破壊力があるんだけど、ちょっとそれに通じるものを感じちゃって(笑)。

さやわか:キャラソン(キャラクター・ソング)CDにちょっと似たノリがあっておもしろかったですよね。途中に寸劇が入る系の。『増殖』は曲とギャグが交互に入ってますよという構成のアルバムなんだけど、『増殖気味』は、初音ミクを中心としたキャラものだなって思いました。

吉村:そうか、主役がはっきりしてるんですね。

さやわか:そうですね。


オリジナルはいい加減な仕様? 『増殖気味』の楽しい仕様

僕はsupercellのイメージがいまだに強すぎるのかもしれないですけど、初音ミクってロックっぽい曲がかなり多い気がするんですよね。合成音声だからといって、エレクトロニカみたいなものがさほど目立つわけでもないように思うんです。(さやわか)

三田:コントの脚本が野尻さんになったのは、アーティストの意向? じゃあやっぱり『ピアピア動画』(『南極点のピアピア動画』)が大きいのかな。これは明らかに初音ミクをモチーフにしてるし、ニコ動をテーマにしたSFだったから。野尻さんは、ニコ動でも投稿したり、いろいろされてるんだっけか。尻Pだっけ?

さやわか:そうそう。そういう意味でも『増殖気味』は、ニコ動的な文脈もYMO的なものもちゃんとわかって作ってるってことですよね。全体的に凝りようもすごい。そうだ、インナーがちゃんと野球場になってるんですよね(※)。そんな感じでYMOへのいろんなオマージュがある。

※もともとは後楽園球場のジオラマを用いていたが、最終的にはエポック社から初代野球盤を借りて撮影されている。

吉村:(初音ミクが)入りきらないのがいいね。乗りきらない。

さやわか:これはYMOのほうと楽しさが全然違いますよね(笑)。『増殖』のほうは、なんというか強さのある表現としてやっていたんだけど。

三田:たしかにね。ヴィジュアルってすごいなあ。

さやわか:すごいですね。レイアウトも同じなのに。野球盤はいい仕事してますね。

吉村:YMOって、この頃はまだ匿名バンドっていうところがあったと思うんですね。

三田:ああ、なるほど。

吉村:誰が坂本さんで誰が高橋さんですか? みたいなこともあったぐらいで。ようやくこの頃にフジテレビとかの歌番組にはじめて出たぐらいかな。まだ一般的には匿名だったんですね。

さやわか:あ、そうなんだ?

吉村:スネークマンショーをやってるのがYMOの3人と思われてた時代。伊武さんと細野さんの声が似てるのもあるんですけど。

三田:ああ、なるほどね。さすがにそれはなかったな。そう思ってた?

さやわか:それは思ってなかったですね。スネークマンショー単体で、ちゃんと別の活動があるわけじゃないですか。

三田:そっか。小学生でそれを認識してるってすごいね(笑)。

さやわか:ははは(笑)。だからけっこうそれを認識するくらいには、ちゃんと好きだったんですよ(笑)。

吉村:『増殖』って、意外といい加減に作られたもので。「いい加減」って言うとあれだけど、制作に時間がなかった。売れてる間に何かアルバムを出したいけれど、モノはないからどうしようっていうね。このヴィジュアルも、フジカセットの広告をそのまま引用したもので、ポスターをそのまま使ってるんですよね。


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ニューウェイヴ路線への分岐点となった『増殖』

(初音ミク現象の)全体像なんてわからないでしょうね。中心もないし。そういうところのおもしろさではある。(三田)


吉村:あと、スネークマンショーのほうから、ニューウェーヴに寄せてくれという要望があった。 フュージョンじゃなくてね。それはかなり大きいですね。

三田:ああ、そうなんだ?

吉村:スネークマンショーのプロデューサーの桑原茂一さんも、それがうまくハマったんだっておっしゃってましたね。(高橋)幸宏さんが仲良くて、その頃ずっとスカとかの話をしてたんだと思います。YMOサイドからアルバムにコントを収録したいって話が来たときに、最初はイヤだったそうなんですよ。やっぱりちょっと、フュージョンのイメージが強くて。

三田:僕と同じでちょっとイヤだったんだ(笑)。ていうか、『BGM』は完全にニューロマンティックスになっちゃうじゃない? あのニューウェーヴ路線は、そのときのスネークマンショーのおかげで導かれたってことなんだ?

吉村:そうそう。それとヨーロッパ・ツアーをやったっていうのもありますね。スティーヴ・ストレンジ(ヴィサージ)のクラブに行ったりとか。

三田:ミック・ジャガーが入り口で追い返されたクラブですね。オールド・ウェイヴは帰れと。

さやわか:じゃあ初期の頃は、電子音楽でありつつも、あくまでフュージョン感のあるものをやるっていう部分にこだわりがあったんですかね?

吉村:いや、初期は引っ張られたんだと思いますよ。やっぱり時代はフュージョンの時代で。〈アルファ〉はフュージョンの会社みたいな位置づけもあったから、そこで何かやるってなったときに、YMO直前に幸宏さんもサディスティックス、教授もKYLYNをやっていたわけだし。

さやわか:なるほど。

吉村:『増殖』を出す前の秋にヨーロッパ・ツアーに行ってますね。これは有名な話ですけれど、ロンドンのヴェニューでYMOがライヴをやったら若いパンクスのカップルが踊りだして、教授も「俺たちかっこいいかもしれない」と思ったという。それがでかいと思います。ニューウェーヴに行く上で。

三田:それは聞いたことがあるかもしれない。パンクスが踊るんだ? 僕はこの頃、新宿のギリシャ館に通ってたけど、YMOがかかると全員同じフリでステップを踏むんですよね。こういう......いまだに覚えらんないけど。

さやわか:はははは!

三田:僕は高校生でね、大人のお兄ちゃんお姉ちゃんたちがやってるのがほんとに覚えられなくて。やったことある? YMOさえかからなければ自由に踊れるのに、YMOがかかるとつまはじきだったのよ(笑)。

一同:

吉村:でもブラック・ミュージック系だといまもそんな感じじゃないですか? ソウルとか。

三田:いや、ステップっていうか、振り付けがかっちり決まってるんですよ。僕のあの当時のカルチャーの印象から言うと、ピンクレディーといっしょ。同じ振りをみんなでしなきゃいけないっていう。

さやわか:ああー。でもディスコ文化ってけっこう同じ振りやってる印象ありますけどね。

吉村:もうオタ芸みたいな感じ?

三田:いや逆に、その頃は振りから解放された時代でもあったんですよ。前の流れとしてチッキンとかブギがあって、次にバンプってのが来た。74~5年はそういうリズムでしたね。で、その次にパンクが来て、自由に踊れるぞって思ってたらYMOのせいで全員同じ動きになっちゃって、「ちょっと待ってくださいよ」っていうところがあって(笑)。いまだにトラウマだもん。

吉村:たまたまそのディスコがそうだったんじゃないの(笑)?

三田:いやいや、僕それが、YouTubeとかで上がらないかなと思って(笑)。結局覚えられなかったからさ。そしたら3、4年前に何かの雑誌で、そのフリを全部解説するっていう記事が載ってたことがあった。

吉村:タケノコ族から流れてきたんじゃない?

三田:あのね、そう、フリは完全にタケノコ族といっしょでした。でも、実際のタケノコも見に行ったけど、やっぱりそれよりはもっとメカニックなものなんだよね。あのときほら、ドナ・サマーってさ、いちばんの衝撃は音楽じゃなくてロボット・ダンスだって言われたんだよね。当時ワイドショーとかでも、例の“アイ・フィール・ラヴ”がかかったときに、とにかく視聴者がいちばん驚くのはあのロボットのようなダンスだっていう報道なんかがあったわけよ。そのあたりにちょっとリンクしてるYMOの動きだったと思うんだけど。......すんごい瑣末な話(笑)。

一同:

X氏:YMOも初音ミクも、海外公演で大きな注目を集めるほどの社会現象を引き起こしたという点には共通したものがありますよね。でも音楽以外の部分に焦点を当てた評価であることも多いため、たとえばYMOは世間の反応やレコード会社に対して反抗していくことにもなります。『増殖』やその後の作品には、そうした傾向がより如実にでてきます。タイトルや楽曲の方向性などを見れば明らかですよね。海外から帰ってきてみれば、それまでは思いがけなかったような、そうした状況に直面することになってしまった。その点は、初音ミクの開発者として知られる佐々木さんの状況とも平行しているように思うんです。初音ミクというものが、ご本人が想定した以上の規模や、方向性に転んでいったというところ。僕はそのへんを重ねて見てしまうんですよね。


打ち込みのイメージにズレをもたらすプロデュース

初音ミクが出てきてほんの1~2年の頃って、もはや作家性みたいなものはなくなっていくんだ、キャラクター文化こそ最強、みたいなことがけっこう言われていたと思うんですね。でも最近は、初音ミクみたいなものが、じつは創作のプラットフォームとなりつつあるというか、結局は個々のクリエイター、プロデューサーの姿が見えてくるようになった。(さやわか)

――さらに『増殖気味』のほうの音についてもおうかがいしましょう。または、楽曲の再現性・非再現性において、何か企んだ部分があるなと思われたところを教えてください。

さやわか:ぱっと聴いて最初に思ったのは、「やけにギターの音が鳴ってるな」ってことなんですけど(笑)。

三田:ロックっぽいよね。

さやわか:そうなんですよ。で、僕はsupercellのイメージがいまだに強すぎるのかもしれないですけど、初音ミクってロックっぽい曲がかなり多い気がするんですよね。合成音声だからといって、エレクトロニカみたいなものがさほど目立つわけでもないように思うんです。

三田:それは年齢層の問題なんじゃないの?

さやわか:そうなんですかね? そっか、そういうこともあるかもしれない。でも、それと同じようにこのアルバムも、1曲目からきちんとギターを立てて、タテノリ感もきっちり来るような音楽にしているんだなとは感じました。

三田:1曲目はRCサクセションの“よォーこそ”みたいに感じたけどね。それは僕にそう聴こえるだけなのか、狙ったのか、ちょっと訊いてみないとわからないけど。

さやわか:なるほど。

吉村:打ち込みくささをあえて消してるのはすごく感じましたね。

三田:消してるところまで行ってますか?

吉村:僕は消してると思うな。このアルバムを作ったHMO とかの中の人。(PAw Laboratory.) の好きなYMOっていうのは、たぶんもっと打ち込み打ち込みしたYMOでしょう?

さやわか:たぶんそうですよね。

吉村:それをあえて消してるなって感じですよね。で、そっちのほうがいまの時代に合ってる気がする。

三田:華やかだしね、アレンジも。

さやわか:かといって人が歌う、単純にパンクなりロックのアルバムとして『増殖』のカヴァー・アルバムを出すわけじゃなく、あくまで声は初音ミクであって人間じゃない、っていうところがいまっぽいなと思いながら聴きましたね。

三田:2作の差ってことだと、僕はほとんど違和感がなかったな。自分の記憶のなかの『増殖』だという気がしたね。

さやわか:ああ、そうです? 『増殖』ってこんな感じだったんですか。

三田:なんか、あんま変えてないようなふうに聴けた。

吉村:歌詞は変えてないの? “ナイス・エイジ”とか。

――変えていないとのことです。“タイトゥン・アップ”の一部だけ変わっているそうです。

吉村:それは聴き取れなかったな。あと、『増殖』には入っていない“デイ・トリッパー”と“体操”が収録されている。まあ、“体操”はボーナス・トラックか。そういえば、マイケル・ジャクソンの遺作アルバムにYMOのカヴァーが入ったりしておもしろかったですけどね。ああいうブラック・ミュージックに行ったりするような可能性は、まだこの頃のYMOにはあった。

三田:“ビハインド・ザ・マスク”を『スリラー』に入れようとしたけど、曲の権利も売れといってきたので、坂本さんが断ったやつですね。

吉村:そうそう。あとはアメリカの音楽番組『ソウル・トレイン』に出演したりとか。繰り返しになるけど、そういう、ニューウェーヴ路線へ向かうことになった分岐点にあるのがこのアルバムだから。

初音ミクV3をいちはやく! (※現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βバージョン)


ふつうのアニメなんかを題材に二次創作が広がるときって、エロ・グロ・ナンセンスが爆発するじゃない? 遡るべき一次創作があるときに、二次創作というのは無制限の領域を得るけど、初音ミクみたいな二次創作しかないものっていうのは、逆に爆発できないわけだ?(三田)


さやわか:なるほど。あと、さっきの生っぽい音、という話で思い出したんですけど、この作品で使われてる初音ミクの声が、ボーカロイドのヴァージョン3のライブラリなんですよ。

三田:......? 詳しいな。

さやわか:これがけっこう大事なことなんです。ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βバージョン)の初音ミクを使ったCDが出るのって、ほとんど初めてじゃないですか? いままではみんなヴァージョン2のものを使っていて、「初音ミクの声」と言えばあれだという共通了解があります。でも、最近ボーカロイド自体がヴァージョン・アップして、すごく人間に近いものが作れるようになったんですよ。このアルバムではそのヴァージョン3用に作られた初音ミクの声を使ってるので、かなり生で歌っているように聴こえるんですよね。みんなが知ってる、あのケロケロした初音ミクの声じゃない。藤田(咲)さんもこのアルバムには参加してますけど、一瞬どっちの声かわからなくなるくらいのクオリティを感じさせますね。ヴァージョン3用の初音ミク発売って、未定ですか? まだ世に出てないよね?

三田:へえー。じゃ、これしかないの? その新しい初音ミクとしては。

――商業で用いられているのはこれしかないそうです。担当の方によりますと、ファミリーマートでのキャンペーンの際に“ナイス・エイジ”のシングルを切って、それをユーチューブに上げたところ、海外でちょっとした論争が起こったともいいます。まず、「ミクの英語版ができたのか」という反応。それから、「でもこの発音はどうなの?」という反応。で、それに応えて「いや、これは日本のタカハシユキヒロという人の発音のモノマネをしてるんだ。だからこれで問題ない」というYMOマニアの見解。

さやわか:あははは! ソフトウェア的な限界なのか、YMOの真似をしているからこうなってるのか、という論争なんだ? それはね、でも、思った! というか、やっぱりモノマネなんだ。日本人がたどたどしく英語で歌いました感を、きっちり演出しようということなのか。

三田:そっか。30年たっても日本人の英語は変わらんということなのね(笑)。

さやわか:はははは!

吉村:自民党が悪いって橋下が言うよ。

一同:


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中心なき増殖、ボカロ文化のおもしろさ

ドロドロした表現が社会性に向かわないっていうのは、空気でしょうね。この文化を支えている人たちの。まあ、将来はわかんないですけど。(吉村)

さやわか:初音ミクって、海外の人気もすごくありますね。ただ、海外での受け入れられ方っていうのは、初音ミクを固有のキャラクターとして見るようなところがあります。

三田:ニコ動(ニコニコ動画)で観ておもしろかったんだけど、日本の子どもが初音ミクで騒いでいる映像を、世界中の子どもにみせるっていう動画。世界中の子どもが拒否反応を起こしてるんだよね。実体のないものに夢中になっている意味がわからなくて、ブラジルの子とか韓国の子とかがほんとに引いてるわけ。僕はそれまであんまり初音ミクに興味がなかったんだけど、あれを観たときに、おもしろいのかも! って思ったんだよね。考えが変わりましたよ。

さやわか:いいですねー。海外という話で思い出しましたけど、海外のファンの人たちって、いまだに初音ミクをあるひとつのアニメのキャラのように勘違いして捉えていることが多いんですよ。日本ではいまやこの『増殖気味』のジャケットが象徴するように、中心の存在しないものとして捉えられ、楽しまれていますよね。ライヴとかでも、「本体の存在しないものをセガの技術がいかに動かすか」みたいなことを醍醐味として楽しむ傾向がある。存在しないけど、でも、みんなでがんばって盛り上げる。そういう構造ですよね。

三田:で、盛り上げれば盛り上げるほど世界の子どもたちが引くんですよ(笑)。

さやわか:「存在しないものをなぜ盛り上げているの?」と思ってしまうんでしょうね。アイドルにも近いところがあります。アーティストとして圧倒的な価値のない、発展途中にあるものを、どうして全力を注いで盛り上げようとするのか。

吉村:テクノの方面ではどうなんですか? 初音ミクを使用したりするのは。

三田:ミクトロニカとかミクゲイザーとかはあるらしいですけどね。でも浮上してこない。

さやわか:音楽的には何をやってもいい世界になっているからいろんな人がいるし、年齢層も幅広い。間口が広いというか、懐が深いというか。

三田:全体像なんてわからないでしょうね。中心もないし。そういうところのおもしろさではある。

さやわか:そう。 そのあたりの感覚が、このアルバムのジャケットなり、そもそも『増殖』を選んでカヴァーすることなりにきちんと表れていて、とても批評性があると思った。おもしろいですよね。

三田:うんうん。それで言えば、前作から『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を飛ばしてこのジャケットにきたのは、ハマりだなと思った。

吉村:うん。ぴったりきてますよね。

さやわか:たぶん作品としては、元ネタのYMOの『増殖』を知っていて、YMOをどういうふうに昇華してるのかな? という玄人筋が買っていくものだと思うんですよ。でも、この描かれているイラストとか、ねんぷち(ねんどろいどぷち)とかに惹かれて買って、「かわいいなー」って思っているだけの人、元ネタがあるだなんてことに気づかずに聴くような人もいていい。ボーカロイドはそのぐらい広い文化になっているとも思うんですね。大人は「いやー、YMO聴いてくれてうれしいよ」とか思ってるかもしれないけど、子どもはとくにそんなこと気にしてない。

三田:姪がふたりいるんだけど、反応がみごとに逆なんですよ。妹は元ネタを教えてあげるとそれに関心を持つ。だけどお姉さんは元ネタがあるということについて目をふさぐんだよね。

さやわか:ああー、嫌がる?

三田:無視する。ふたりとも初音ミクが大好きだから、ご飯食べててネギを残したりしたときに「それでも初音ミクのファンか」って言うと、食べる。

さやわか:いいねー! いい話じゃないですか。

三田:そのぐらい好きなんだけど、......なにを言おうと思ったか忘れた(笑)。まー、この作品の反応は知りたいよね。

さやわか:元ネタを気にする人もいれば、気にしない人もいる。そのふたつともが許容されるぐらいの世界にはなっていますよね。

吉村:非常に正しいですよ。このオリジナルの『増殖』にしたって、当時買ってた人の90パーセントは、流行だから買ったというだけで。YMOだから買うとか、彼らが好きだから買うというのはまだない時期です。それがないからこそヒットしていたというか。

三田:アーチー・ベルのカヴァーだ! って言って買ってる人はいない。

吉村:ははは。そう。

さやわか:うん、それでいいんだと思うんですよ。

ボカロ文化における作家性の問題

今年くらいからなのかな、(初音ミク関連の)市場が本当に大きくなって、YMOとか関係なく、ただ素朴にブックレットについてるマンガを読んで「かわいー」って言ってるだけの人も普通にいられるような広さを得ましたね。(さやわか)


――初音ミクを通して、いち作家としての強い個を出してくるようなタイプのプロデューサーさんというのはいないんでしょうか? 先ほどからのお話は、絶えざる集合知的なプロデュースと、絶えざるその淘汰によって初音ミク像とその作品が成立している、というふうに集約できると思います。そのとき、本作のクレジットに「HMOとかの中の人。」と記載されることにはどのような意味があるのか。これは彼のアルバムなのか、初音ミクのアルバムなのか。そして、初音ミクを用いながら強い個を打ち出してくる作家というのはいるのか。音楽批評誌の興味として、その点についてお聞かせいただければと思います。

三田:うーん、それは作品との距離感によっても変わってくると思うな。このアルバムは、僕は初音ミクのアルバムとして聴けるけど、たとえばアレンジの方法なんかにもっと入り込んでいくというようなかたちで、この人の作家性に寄っていくリスナーはいると思う。この作家がミクを離れたときに、それでもついていくファンがいるかどうかというところはそれぞれの作家によりますよね。

さやわか:初音ミクが出てきてほんの1~2年の頃って、もはや作家性みたいなものはなくなっていくんだ、キャラクター文化こそ最強、みたいなことがけっこう言われていたと思うんですね。これからはみんながキャラクターに奉仕して、ひとりひとりの作家ではなくて、集合知的なものだけが機能していくんだと。でも最近は、初音ミクみたいなものが、じつは創作のプラットフォームとなりつつあるというか、結局は個々のクリエイター、プロデューサーの姿が見えてくるようになった。
 以前、ぽわぽわPさんのインタヴューか何かを読んだときに、彼が「初音ミクやボカロ文化のおかげで僕らにも注目が集まってる」って言ってたんですよね。それってもう、考え方が変わってますよね。以前は、「僕らはもう要らないんだ」「キャラがかわいく存在できてればそれでいいよね」って世界になるという話だったのが、そうじゃなくなってきてる。たぶん、初音ミクを一次創作的なキャラクターだと思っている海外の人とか、まだ初音ミクがどういうものかわかっていない日本人は、そのことに気づいてないと思いますね。もちろん初音ミク自体もかわいいし、単体で力のあるキャラクターなんだけど、その後ろからちゃんと人間が出てこれるようなシステムになってきてはいるんだと思う。これは言ってみればニコ動全体がそうで、たとえばヒャダインとかも完全にいまは固有名として出てきていますよね。

三田:そうなると、僕はよくは知らないからわかんないけど、強く自分を出しすぎて嫌われる人っていうのもいたりするの?

さやわか:それはもちろん、いますね。普通のプロデューサーといっしょで、我が強すぎてよくない、みたいなことはあるんですよ。

三田:それは作品の出来、不出来ではなくて、自分を出しすぎるという点への批判なの?

さやわか:両方ですかね。やっぱり、初音ミクをこういうふうに使わないほうがいいよねって部分はあるわけじゃないですか。

三田:たとえばどういう使い方がだめなの?

吉村:これは規約だけど、エロとか。あと下品なものとかは許容されないよね。

三田:じゃあ、たとえば『けいおん!』でもなんでも、ふつうのアニメなんかを題材に二次創作が広がるときって、エロ・グロ・ナンセンスが爆発するじゃない? 遡るべき一次創作があるときに、二次創作というのは無制限の領域を得るけど、初音ミクみたいな二次創作しかないものっていうのは、逆に爆発できないわけだ?

吉村:本物がないからこそ、心のなかで規制されるというかね。『けいおん!』なら本物の『けいおん!』があるものね。

三田:そうそう。

さやわか:初音ミクはそもそものストーリーがないので、エロみたいな要素が成り立ちにくいっていうのもありますね。そういう絵を描いている人もいるんだけど、ピンナップ的なものになっちゃうんですよ。

三田:初音ミクの一生を考える人も出てくるでしょうね。

さやわか:それもまたひとつの物語のパターンとして回収されるんでしょうね。“初音ミクの消失”とかってそういう曲じゃないですか。

三田:この『増殖気味』をさ、でも初音ミクの名義で出すことはできないんだよね?

さやわか:それは......どうなんだろう、うまいこと話を通せば可能なんじゃないかなあ。『初音ミクの消失』とかもミクという名前とイラストを使って発売されていたし。

吉村:新興宗教が使ってたりしないのかな? そういうの、出てくると思うんだけど。

さやわか:ははは! もし昔に初音ミクがあったら「しょーこーしょーこー」とか歌わせるのが、あったかもしれないですね。

三田:ははは、いまは全然そういうふうな発想が浮かばなかったけど、でも時期が少し前だったらそう思ったかもねー。

さやわか:うん。でも、いまはそういう政治的なものや社会性みたいなものは排除されているわけですね。

三田:じゃあ、ほんとに、ちょっと言葉は悪いけど消毒されちゃってるんだね。

さやわか:このジャケットにしても、「ちっちゃいものがいっぱいあってかわいい」とだけ感じられる世代がいるんなら、よかったねって話でもありますけどね。

吉村:サエキけんぞうさんが、ゲルニカのカヴァーをやったりしているじゃないですか。ああいうドロドロしたものを初音ミクに歌わせるってなると、どうなりますかね。

さやわか:初音ミクでドロドロっていうと、それこそ中二病というか、切ない青春の痛み、あるいはリストカッター的なモチーフを歌ったやつがあるんじゃないですか?

三田:そんなの、ボカロだったらいっぱいあるよね。

さやわか:そう、そういうドロドロ感は多いですよね。そこでプロテストソングをやろうということにもならないし。

三田:そこはわからないな。姪なんかのボカロの消費の仕方を見ていると、やっぱり物語消費なんだよね。

さやわか:ボカロの歌詞ってどんどん物語化してるわけじゃないですか。

三田:それで小説も書いたりするわけでしょ。と考えると、いま言ってたようなドロドロの限界ってないと思うな。

さやわか:なるほどね。

吉村:ドロドロが社会性に向かわないっていうのは、空気でしょうね。この文化を支えている人たちの。まあ、将来はわかんないですけど。

三田:サッカーのサポーターみたいなものということ?

さやわか:ああ、似てるかもしれないですね。

三田:また言葉が悪くなってしまうけど、どこかきれいごとなところがあるじゃない。

さやわか:アイドル文化にも似てるかもしれないですね。「俺らの支えている初音ミクをうまいこと使えよ」という漠然とした空気があって、その基準がどこかにあるわけじゃないけれど、やろうと思ったことのなかで最大公約数的なところを押さえないといけない。うまいこと使わなかったらファンから「俺だったらもっとうまくやれるよ」って言われて嫌われる。(笑)。ただ、重要なのは、その「俺だったら」というのが本当にできてしまう。それはアイドルにはできない、ボカロ文化ですよね。

吉村:非常にいいツールですよね。すばらしいと思う。

さやわか:観客だったはずの人が、いつのまにか作り手に反転してしまう。それが一瞬で起こりますから。

吉村:今回だったら『増殖』のカバーをやるという選択。 何を歌わせるかというところに個が宿るわけじゃないですか。

さやわか:初音ミクで『増殖』やったらいんじゃね? みたいな話から、じゃあこういうパッケージでやって、こういう見せ方をして、さあ受け入れられるかみたいに、作品が生み出されて評価されるための連想がさっと広がっていきやすい。もちろん、だからこそ評価される作品を作るのはとても苦労すると思いますけど。

吉村:かなり難しいことですよね。アイディアはすぐに浮かぶけど。実際にそれをいいものにするのはものすごく大変なことで。

さやわか:それこそ今回の野尻さんのように、政治性を入れるか入れないかとか、微妙なポイントを突いていかなければならないことになりますよね。

三田:でも、次がないよね、HMO.......。

一同:


三田:“体操”やっちゃったし、“胸キュン”(“君に、胸キュン”)やっちゃったし。『B-2ユニット』かな。

吉村:歌がないよ。

三田:ああ、そうか。戦メリ(“戦場のメリー・クリスマス”)とかできないのかなー(笑)。あれならデヴィッド・シルヴィアンが歌うヴァージョンがあるからさ。

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コント、芸人、アニメ声優

姪なんかのボカロの消費の仕方を見ていると、やっぱり物語消費なんだよね。(三田)

吉村:そうだ、YMOファンにこれ言っとかなきゃね。『増殖』でギターを弾かれた大村憲司さんの息子さんが、この作品のギター弾いてるんだよ(大村真司)。安室奈美恵や土屋アンナとかのサポート・ギターをやってる人なんだけど、MIDNIGHTSUNSっていうバンドでも活動していて。お父さんの曲"Maps"のカバーとかだと、高橋幸宏がドラム&ヴォーカルで参加してるヴァージョンもあったりするんですよね。

三田:さっきからみんなギターって言ってるのは、それなんだ。

吉村:そう。あとは曲だけじゃなくて、ちゃんとコントが入っているのもいい。『増殖』をカヴァーしようというのは、度胸がありますよ。お笑いのバナナマンっていうのは、スネークマンショーが好きだからつけたコンビ名だっていうのを聞いたことがありますけど、それ自体もすごく度胸のいる命名だと思うんですよね。

三田:そうなんだ、「雨上がり決死隊」はRC(サクセション)だしね、お笑いにはニューウェーヴ文化が投影されてるんだね。

さやわか:この次はあれですよ、スーパー・エキセントリック・シアターにいくっていう方向もありますよ。お笑い要素をもっと強めていく(笑)。

三田:そっちに行くか。

――『増殖』におけるコント/芸人さんという軸にアニメ声優さんを対置させているわけですが、このあたりはどうでしょう?

三田:いや、うまいとしか言えない。詳しくないし。

さやわか:いや、うまいですよね。

吉村:テクニカルな問題としても、この男の声優さんもめちゃくちゃうまいし、伊武さんぽい。

さやわか:伊武さんぽい(笑)。それいいですね。しかし声優さんのレベルが高くなりつづけていますよね、昨今は。声優さんはいまや水樹奈々なんかでもそうですが、オリコンで1位を獲っちゃうわけですからね。そのへんのアイドルっ子とかより技量があったりするし、演技はうまいし、かわいかったりもするし、すごいですよね。

三田:さっき言った姪っ子たちも、ボカロの元ネタに興味を持つ子のほうは仮想現実系なんだけど、興味持たない子のほうは声優追っかけなの。

さやわか:ああー、リアルを追ってるわけですね。

三田:二次元だけでいいとは言うんだけどね。小学生の頃からAKBとかバカにしてて。

吉村:そういうYMO知らない人に聴いてみてほしいよね。その感想をききたい。

三田:その可能性はある作品ですよね。

さやわか:うん、いまそういうふうに動いているマーケットなので、そこがいいですよね。


橋下が初音ミクを好きかどうか問題

オリジナルの『増殖』が持っていた右傾化への批評という点について言えば、いまの文化というか、安倍政権的なものが持っているニュアンスに対して、こういう相対的な文化の楽しみ方がカウンターになっていってほしいかなとは思う。(三田)

安倍とか橋下とか石原とか経団連の米倉とか、初音ミクを嫌いだと思うんだ。本能的に嫌悪しそう。だからさ、あいつらの嫌いなことをやれば正しいんだ。(吉村)


さやわか:僕、初音ミクもので80年代とかのカヴァー・アルバムを作ること、あるいはおっさん世代がかつて好きだったような曲を初音ミクにやらせて、「いやー、これを初音ミクがやるなんて!」って言って盛り上がることなんかが、以前はあんまり好きではなかったんですよね。上から押しつける感というか、若い世代に対して「俺たちの与える豊かな音楽をお前ら聴けよ。初音ミクとか言ってるけど、これこそが音楽だよ!」みたいな意図も感じるので。でも、今年くらいからなのかな、市場が本当に大きくなって、そういうあり方が成立しなくなったと思うんですよ。YMOとか関係なくて、ただ素朴にブックレットについてるマンガを読んで「かわいー」って言ってるだけの人も普通にいられるような広さを得ましたね。まあ、薄まったというか、拡散したというか。

三田:それこそ正しい『VOW』の道ですよ。

さやわか:ああ、そうそう! それでいいと思うんですよ。『VOW』だけ読んでた人はべつに『宝島』という雑誌にどんな意味があったかなんて考えないわけで。その自由さがいいですね。一方で、うるさいおっさんもちゃんと包摂されるというか、排除されないところもいいなと思います。

吉村:どこまで遡るのかな。ニューウェーヴ、70年代歌謡とかまではあるとして、演歌とかあるのかな。

三田:演歌なんてありそうだけどね。

さやわか:あるでしょう。ニコ動にいけば、思いつくものは何でもあるという気がします。インターネットそのものくらいの感覚で「何でもある感」がありますね。初音ミクのあり方自体が、とりあえず音楽的には何をやってもいいというふうに許してくれているので。ただ、そのことによってエッジーな音楽表現が相対化されるようなところもあります。端的に言えばパンクとかメタルとかやってる人もいますけど、様式美が印象づけられるだけで、シリアスな攻撃性とか強度は全然ないんですよね。なくていいというか。

三田:まあ、僕は『けいおん!』の“4分33秒”(ジョン・ケージ)を観たときに、もう次は何もない! と思ったけどね。

さやわか:あはははは!

三田:あれは......じーっと聴いちゃったよー(笑)。

さやわか:そういうものも許されるけど、全部が相対化されたマップの上に置かれるから、体制的でない音楽をやりたい人たちにとってはやりにくい場所だと思うけど、その状況を楽しめる人にとってはいい。

三田:オリジナルの『増殖』が持っていた右傾化への批評という点について言えば、いまの文化というか、安倍政権的なものが持っているニュアンスに対して、こういう相対的な文化の楽しみ方がカウンターになっていってほしいかなとは思う。

さやわか:いや、ほんとそうですよね。僕も今日はそう思いましたよ。カウンターとして立つならそこしかあり得ないというか。

吉村:安倍とか橋下とか石原とか経団連の米倉とか、初音ミクを嫌いだと思うんだ。本能的に嫌悪しそう。だからさ、あいつらの嫌いなことをやれば正しいんだ。

さやわか:あははは!

三田:橋下はわかんないけどね。あの人のマネジメント・ポリティクスみたいなもので言うと、外貨を稼げそうなものは応援するような気もするけど。

さやわか:橋下が初音ミクを好きかどうか問題(笑)。

三田:いや、侮れないよ橋下は(笑)。でもそういう色気を見せる政治家が出てこないのは不思議だよね。ロンドン・オリンピックでさ、ダニー・ボイルがイギリスの労働者階級のカルチャーを引っぱってきてすごく評価されたわけでしょ。だけど、石原慎太郎がこれまでやってきたことを鑑みたときに、東京オリンピックで何ができるかと考えると、まずサブ・カルチャーは全部そっぽを向くよね。いったいどこのどんなアニメが彼に協力してやるんだって話ですよ。結果ものすごく伝統を強調したオリンピックになるでしょうね。ロンドンの真逆になるのは必定。そういうときに、どうしてこういうものを味方につけたほうが有利だって考える人がいないんだろうって、不思議なんだよね。麻生とか、まー、いたけど。

さやわか:それはね、実はまさに今日ここに来る前に歩きながら考えてたことなんですよ。単純に言えば、そうしたサブカルを支持する層の人たちが投票に行かないから、味方になる必要を感じないんだろうなって思います。ネットを見てても「若者が投票に行かないと、未来は大変なことになるよ」とは書いてあるわけじゃないですか。いま若者と呼べる人間の割合っていうのは日本の総人口のなかで30パーセント以下で、さらにそのなかの半数以下しか投票に行かないとなれば、もうマイノリティとして黙殺されることになりますよ、とか書いてある。あるいは投票者の平均年齢が50代半ばの人たちだから、その人たちに有利な社会になっちゃいますよ、みたいなね。
 でもこれからさらに高齢化が進んでいくんだったら、いちいち若者のためを考えずに世界が作られていってしまうのは当然だとも思うんですよ。もちろん、それはいいことじゃないんですが。そして考えたくないですが、いま若者に味方をしようとしているサブカル側の人も、もしかして年をとれば、自分たちより若い世代の人たちやそのカルチャーを軽視して、圧迫ようとするかもしれない。


メディアとしての初音ミク

初音ミクには、音楽を運んでくる運び屋みたいな側面があるわけですよね。「音楽を聴きたい」と思ったときに、とりあえず初音ミク関連のものならネット上にたくさんある。ニコニコ動画とかに行けば、それが人気順で出てきたりもする。(さやわか)


――一方で、在野のプロデューサーさんたちの音楽的な力量が、かなりハイ・クオリティな完成度を見せつつあるなかで、ふつうのJポップのようにボカロ作品が機能しはじめてもいると思うんですが、ポップスとして見たときにいかがですか?

さやわか:三田さんはどうですか? そもそもJポップとしてこういうものを聴いたりするんですか?

三田:うーん、聴くっちゃ聴くけど(笑)。姪の観てる横で、「ふーん」って。

さやわか:ははは。そうか、じゃあ音楽として評価するというところまでは全然いかないわけですね?

三田:モノサシがいっぱいあるからね。消費の仕方も一種類じゃないからなあ。

さやわか:今年なんかだと、ジョイサウンドのチャートの3位とかが初音ミクだったりするわけで。タダだからっていう事情もあるとは思いますけど、若い人のなかだとふつうのポップ・アーティストみたいな存在にもなってるわけですよね。初音ミクはキャラクターに過ぎないわけだからそれはおかしな話だと思うかも知れないけど、じつは言ってみれば音楽を運んでくる運び屋みたいな側面があるわけですよね。「音楽を聴きたい」と思ったときに、とりあえず初音ミク関連のものならネット上にたくさんある。ニコニコ動画とかに行けば、それが人気順で出てきたりもする。

三田:まあ、メディアってことだよね。初音ミク自体が。

さやわか:そうですね。まさに。

吉村:昔だったらJ-WAVEをかけとくところが、いまは初音ミクを追っていればなんとなくいまの音楽もわかるし、それぞれポップだし、仕事もはかどるし。

三田:ラジオとして使っていると。

吉村:ラジオであり、テレビであり。

三田:なんか、アンディ・ウォーホルの感想とかきいてみたいよね(笑)。でも、それは一方では閉じた部分でもあって、そこから出ていくことも大事だとは思うけどね。

さやわか:そう、だからカヴァー・アルバムをやるのは、そのための意味があるのかなと思いますね。言ってみれば、『増殖』というアルバムが、ここで再発見されてるわけじゃないですか。僕らには当然のものでも、いまの人や、僕らとは違っていた人々にとってみれば、こういう作品があったのかと知るきっかけになる。

吉村:そういえば、初音ミクって、まだWindows専用なんですか? 僕はWindows専用だってところがよかったんじゃないかなと思ったんですよね。最初からMacがあったら、もっとみんな小洒落たものを作ろうとして失敗したと思うんですよね。

一同:ああー(笑)。

さやわか:クリエイター志向なね(笑)。それはそうですよね。最近のニコ動的な環境を支えている人たちって、MacよりはWindows的な......なんだろう、大衆性があるというか。絵を描くのに使ってるソフトとかも、サイ(SAI)とかね。

吉村:なんか、Macユーザーだと、(スティーヴ・)ライヒのカヴァーとかさ。

一同:

三田:マリア・カラスを歌うとか。

さやわか:あははは!

吉村:自己満足で終わってしまうというか。

さやわか:昔から音楽創作系のコミュニティってネット上で何度も作られているんだけど、なぜそれがうまくいかないかというと、作り手の自己満足的になりがちだったからじゃないでしょうかね。それに対してなぜニコ動などが成功したかというと、ボカロを用いた表現のほうは、そのキャラをどう使うかということが先にあって、音楽性は後についてくる。音楽的には好きなことをやらせてもらって、要は初音ミクって人をタテとけばいいんでしょ? っていう部分があったと思うんですよね。そもそも、音楽より先にネタとしての消費をされたところがカギだったと思うんです。でも、それは必ずしも「作り手が前に出ない」ということをネガティヴに捉えるべき感覚ではないんですよ。そういうものだったから音楽が流通したんだと証言しているアーティストがいっぱいいます。

三田:やっぱり、だからメディアなんだってことだよね。

さやわか:そうですね。音楽だけやっているコミュニティはお互いの音楽を褒め合って終わりになってしまう。けれどニコ動の場合には初音ミクをどれだけうまく見せるかというので、ランキングの上位に行くためにみんな切磋琢磨すると。それをやりたくない人ももちろん一方にはいるわけだけど。

三田:ほんとに、YMO知らなくて、これを初めて聴いたという人のレヴューを読んでみたいよね。ヴィジュアルやらコンセプトやらいろいろあって。

さやわか:ひょっとしたらYMOとは坂本龍一が所属するグループだということを知らないで聴いている人もいるかもしれない。

吉村:坂本龍一という名前すら知らない人が聴いている可能性もある。

さやわか:「坂本って、反原発とかの人かー」みたいな(笑)。音楽が若者の第一の文化として出てこない時代ですし、坂本龍一を知らないことは十分にありえますね。

三田:よし、じゃ姪に聴かせてみる!

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